0000_,17,616a01(00):湖東三僧傳
0000_,17,616a02(00):
0000_,17,616a03(00):開山淨嚴房隆堯法印は當國栗太郡河邊佐佐木義成が
0000_,17,616a04(00):晩年に出家して大蓮房といへり嫡男なり母藤氏夢に蓮華一莖を得ると
0000_,17,616a05(00):見て身ただならず月みちて應安二年庚戍正月二十
0000_,17,616a06(00):五日誕生し給へりおさなきより京の舅氏に外典を學
0000_,17,616a07(00):びたまへるに一聞千悟なりける一日初冠の禮をとと
0000_,17,616a08(00):のへ隆賴と名づけたてまつるここにさるべき縁しや
0000_,17,616a09(00):をはしけん永和三年の春叡山に登りて剃染し給ひし
0000_,17,616a10(00):に遂に薰修功つもりて法印大和尚位にすすみ給へり
0000_,17,616a11(00):しかるにもとより名利をいとひ交衆をうとみただ思
0000_,17,616a12(00):ひを一代の聖敎に潛め意を十乘の妙觀に凝したまふ
0000_,17,616a13(00):にいかんせん難解難入にして修証たやすからざること
0000_,17,616a14(00):をかかる機はいかがして生死をはなるべからんとて
0000_,17,616a15(00):滿山の諸尊はさらなり國界の靈塲に普く祈りたまへ
0000_,17,616a16(00):り中にもことに石山寺にあゆみをはこびたまひしがそ
0000_,17,616a17(00):の三十三箇月なりける應永十一年六月午の時寶前に
0000_,17,616b18(00):跪きしづかに念誦すとおぼす程にさながらねふり給
0000_,17,616b19(00):へり夢に香染の袈裟めしたる高僧の内陣よりあゆみ
0000_,17,616b20(00):いで給ひ汝が所願滿足すと仰らるるとみてさめたま
0000_,17,616b21(00):ひぬ法印の三部の假名抄の跋に爰に隆堯向阿上人の正忌に丁て靈夢の奇瑞を感得すとかきたまへるはこのことなるべしあ
0000_,17,616b22(00):はれまたいかにいみじきことかあらんと感涙袖をし
0000_,17,616b23(00):ぼりつつ本尊にいとま申してまかんで給へる途に思
0000_,17,616b24(00):ひかけぬ唐裝束したりげる異の童部法印に七卷の書
0000_,17,616b25(00):を進らせて搔暮見へずなりぬさてはとてもちかへり
0000_,17,616b26(00):みたまへるに去んぬる元享の頃向阿上人まのあたり
0000_,17,616b27(00):遣迎二尊の説をきき末法の今なほ機敎相應して容易
0000_,17,616b28(00):生死を出離すべき法はただ淨土の一門本願の稱名な
0000_,17,616b29(00):らではと所詮をしるし給へる三部の假名鈔にてあり
0000_,17,616b30(00):ければ實に我所願滿足しぬるよとてついに四明の衆
0000_,17,616b31(00):をのがれ向阿上人の遺跡淨華院の定玄僧正の室に入
0000_,17,616b32(00):てふかく吉水の流をくみ應永十一年三十六歳の冬當
0000_,17,616b33(00):國栗太郡金勝山の峯の奧なる金勝寺聖武皇帝の勅願良辨僧正の開創なり 後
0000_,17,616b34(00):奈良院の御時には大菩提寺ともいへり又八宗院と古記にみへたりといふの草庵今に金勝寺のゆるぎ岩の東の方に淨嚴房屋敷
0000_,17,617a01(00):といひ傳へる處ありこの草庵の跡なり又一書に玉藏院の淨嚴房と書りされば玉藏院にもすみ給へろにやこの玉藏院今は絶て名のみ殘れり
0000_,17,617a02(00):に跡を晦しとはぬは人の情なりけりとて課佛八萬四
0000_,17,617a03(00):千返の外は他事なかりけりされどその德世にかくれ
0000_,17,617a04(00):なく我さきに供養を述べんとて人のあらそひきにけ
0000_,17,617a05(00):れば幽閑の地も市のごとしとなんさるにこの山峰を
0000_,17,617a06(00):限に女人を結界しぬれば五障の身の化にもるる恨み
0000_,17,617a07(00):ふかくあはれ里に下りましてむらなき大悲に女をも
0000_,17,617a08(00):哀みたまへかしといと念比にきこゆることのききす
0000_,17,617a09(00):ごしがたくて應永二十年のころ金勝山の東阪峰の庵より五十丁
0000_,17,617a10(00):ばかり下にありに菴を造らんとし給ひけるに水便ならざれは
0000_,17,617a11(00):いかがはせんとためらひ給へるに殊勝の水われと流
0000_,17,617a12(00):出で醴泉となりければこの醴泉隆堯水とあざ名して現に當山の總門の内むる護信菴の南にありこの
0000_,17,617a13(00):醴泉護信庵の南にあるより思ふにむかし開山の結びたまひし庵は今の護信庵のあたりなるべし又一説に法印如意もて地をさしその所を
0000_,17,617a14(00):穿たしめ給へるにすなはち水迸りいてぬれば如意水とも名づくと云へりこれや龍天の加祐ならん
0000_,17,617a15(00):とて遂に形ばかりなる庵をむすびかの天照佛を本尊
0000_,17,617a16(00):に仰ぎ弘法の道塲となしたまひぬ後宗眞上人此庵を
0000_,17,617a17(00):擴て阿彌陀寺と號し給へり應永二十六年法印かの石
0000_,17,617b18(00):山詣に感得したまへる三部の假名抄を始て彫刻し給
0000_,17,617b19(00):へり一條禪閤兼良公これをかかせられけれは四明の
0000_,17,617b20(00):良俊法印功德主となりて梓に上せたまひぬ又しかし
0000_,17,617b21(00):より此抄世に弘り今なほ翻刻に行はれり法印の假名抄の跋に三部抄
0000_,17,617b22(00):を版に鏤めて當院に安置すといへるこれなり又應永の間法印宗祖大師及び諸師
0000_,17,617b23(00):の法語の中より本願の要語を抄書して念佛安心大要
0000_,17,617b24(00):と名づけたまひしがこれふかく佛意に契ふと云へる
0000_,17,617b25(00):聖七度まで降りければかかる奇特は前代にもいま
0000_,17,617b26(00):だきかずとて手づから淨書して上木したまへりなほ
0000_,17,617b27(00):具にはかの鈔の奧書に自記し給へるがごとし又永享
0000_,17,617b28(00):三年稱名念佛奇特現證集を輯錄し正德年中に寶洲上人此集を校正し更に冠注を
0000_,17,617b29(00):そへ卷末に蓮門祈禱の辨を附して重刻したまへりこの集の中祈禱に渉れることあればなり又永享五年十王修
0000_,17,617b30(00):善抄を撰述し給へり倶に世に行はる寶德元年己巳の
0000_,17,617b31(00):冬法印日來の老病增氣してつひに十二月十二日午の
0000_,17,617b32(00):尅金勝寺の草庵に於て天華紫雲の瑞に微笑し稱名の
0000_,17,617b33(00):聲とともに滅を唱へたまへり時に異香谷に薰り天樂
0000_,17,617b34(00):峰に響けり春秋八十一遺骸を荼毘して芳骨を當山の
0000_,17,618a01(00):半腹に收めまゐらせぬ開山塔といへるこれなり。
0000_,17,618a02(00):法印康存の日或年伊勢大神宮に參籠し念佛の弘通を
0000_,17,618a03(00):祈り給へりしが七日にみつる曉の夢に神殿の御戸う
0000_,17,618a04(00):ちひらけ優なる御童子いでさせたまひこの彌陀佛を
0000_,17,618a05(00):吾僧にまゐらすぞと仰らるるとおぼしてさめ給ふに
0000_,17,618a06(00):はたしてかの御ほとけまさしくあたりちかき石のう
0000_,17,618a07(00):へにたちたまひしかば悅びいはんかたなくやがて負
0000_,17,618a08(00):奉り加太越にてこの國へこし給ふその道なる甲賀郡
0000_,17,618a09(00):馬杉の庄瀧の稱名寺へいらせ給へるにかの御ほとけ
0000_,17,618a10(00):あたりまばゆきまでに光を放ちたまひて樹樹の梢も
0000_,17,618a11(00):あかく見へければ里人炎上ならんとおどろきさわぎ
0000_,17,618a12(00):しとなん稱名寺の舊記もこれと同じかの里に今なほこのことをいひ傳へり法印このしるし
0000_,17,618a13(00):にとて松を栽この松今にさかへて稱名寺の佛殿の西にありその大さおよそ三拱ばかりなり御ほとけ
0000_,17,618a14(00):を奉持し遂に此山に歸り給ひしかば群參の袖谷をう
0000_,17,618a15(00):づめ稱名の聲山をうごかし念佛の弘通日にまし盛な
0000_,17,618a16(00):りけるかくて天文十三年二月十五日又慶長九年七月
0000_,17,618a17(00):十五日にもひかりを放ちたまひて利益きはやかにさ
0000_,17,618b18(00):まさまなりける當國栗太郡駒井澤村永田氏が家にかくせる佐佐木家のふるき日記の中にもこの天文慶長の瑞相
0000_,17,618b19(00):をのせ遠國の人もうきたちて群參せしと記したり即當山の天照佛といへるは是な
0000_,17,618b20(00):り又あるとし法印奈良の春日明神へ參籠し給へるに
0000_,17,618b21(00):明神まのあたり世に希なる珠を授け給へり今に傳へ
0000_,17,618b22(00):て重鎭とせり。
0000_,17,618b23(00):法印の法語にいはく當流のこころ安心を助給への二
0000_,17,618b24(00):字にならひいれ起行を故の一字に習ひいれ用心を念
0000_,17,618b25(00):死念佛と相承するなりいはく安心とは三心なり三心
0000_,17,618b26(00):の要は阿彌陀佛に歸命するなり歸命とはすなはち助
0000_,17,618b27(00):給へなり助給へに三心はをのづからそなはれりゆゑ
0000_,17,618b28(00):に安心の肝要を助給への二字に習ひいるるなり起行
0000_,17,618b29(00):に五種あり其中稱名の一行ただこれ正定業なり順彼
0000_,17,618b30(00):佛願故と説れたるゆゑに起行の至要を故の一字に習
0000_,17,618b31(00):ひいるるなりこの心行もし退轉せばすなはち死を念
0000_,17,618b32(00):すべし死を念ずればそらに助給へのこころ起りて念
0000_,17,618b33(00):佛が申さるるなりゆゑに用心の至極を念死念佛と口
0000_,17,618b34(00):傳するなりこれ當流出離の故實なり又淺は深なり秘
0000_,17,619a01(00):藏すべし。
0000_,17,619a02(00):安心とは歸命すなはち助給へなり。
0000_,17,619a03(00):起行とは南無阿彌陀佛なり順彼佛願故。
0000_,17,619a04(00):用心とは念死なり出息不待入息。
0000_,17,619a05(00):法印山の口號の歌
0000_,17,619a06(00):谷深く栞りせで入太山哉うき世に歸る道は忘ると。
0000_,17,619a07(00):遁れ來て身をおく山の隱家に心もすめと夕嵐かな。
0000_,17,619a08(00):たちよりて影もうつさじ流てはうき世に出る谷川の
0000_,17,619a09(00):水。
0000_,17,619a10(00):神もみよ佛も照せわが心後の世ならで願ふ日もな
0000_,17,619a11(00):し。
0000_,17,619a12(00):世のうさにかへぬる山の隱家をとはぬは人の情なり
0000_,17,619a13(00):けり。
0000_,17,619a14(00):第二世堯譽隆阿上人は當國野洲郡小濱の産父は浦野
0000_,17,619a15(00):氏母は布施氏開山法印の嫡弟なり文明十三年辛丑九
0000_,17,619a16(00):月七日巳刻行年六十九金勝寺の草庵に目出度往生し
0000_,17,619a17(00):給へりその夜美濃國郡上の栗栖の道塲の時衆上洛の
0000_,17,619b18(00):かへさに當國守山の守山寺にとまりて住持の聖にか
0000_,17,619b19(00):たりて今朝枝村金勝山の北二里ばかりにある枝村なるべしの宿をたちし路に
0000_,17,619b20(00):て紫雲の南にたなびくををがみたり貴しなどはいふ
0000_,17,619b21(00):もさらなりときこゑければ聖さることもあらんとて上
0000_,17,619b22(00):人の往生一期の行狀なんとかたられしといへりこれ
0000_,17,619b23(00):よりさき上人勅請によりて知恩院に住し給へり第十九世なり
0000_,17,619b24(00):かの小濱に高音山石山寺といへる古跡のみありしを
0000_,17,619b25(00):上人知恩院におはすころこれを中興し名を稱名院と
0000_,17,619b26(00):改め退休の地となし給へり即小濱の稱名院といへる
0000_,17,619b27(00):これなり又むかし小濱に浦野氏がもちける里の入江
0000_,17,619b28(00):の口にゑりとてあしたゆふべにすなどりする所のあ
0000_,17,619b29(00):りけるを上人慈念のあまり彌陀經をあまた石にかき
0000_,17,619b30(00):かの底に納めつつ魚鱗を廣江に追出し田畠になし給
0000_,17,619b31(00):へり今にこれを隆阿物といふとぞ又上人の滅後小濱
0000_,17,619b32(00):のあたりなる同流の寺院毎歳正月と六月との七日稱
0000_,17,619b33(00):名院に會して上人の冥福をつとめられしとなむ。
0000_,17,619b34(00):第三代中興嚴譽宗眞上人は大織冠鎌足公の苗裔將軍
0000_,17,620a01(00):俵藤田秀郷公十五代の後胤丹後の國結城孫七左衞門
0000_,17,620a02(00):大系圖拾六卷には彌七左衞門に作れり祐廣とて將軍源義政公に仕へて處處
0000_,17,620a03(00):の戰功に忠を盡し譽を擧たまひしがいかなる宿善の
0000_,17,620a04(00):内に綻びけるにや三十二歳の合戰に先祖なる結城上
0000_,17,620a05(00):野入道道忠が武勇に誇り地獄に落し事を太平記に委し我身
0000_,17,620a06(00):にひしと思ひ合せしきりに世をそむかばやとためら
0000_,17,620a07(00):ひゐ給ひしが或日一騎當千に戰ひせし後かへり給は
0000_,17,620a08(00):ざれば御方には討死にし給ひけんといぶかりてぞあ
0000_,17,620a09(00):りけるこのまぎれにあとをくらましさるべき師やあ
0000_,17,620a10(00):るとここかしこ尋ねあるきたまひしに或修行者に行
0000_,17,620a11(00):逢たまひぬ修行者師に彌勒尊を進らせ當山に傳持せり御邊は
0000_,17,620a12(00):湖東なる金勝山の淨嚴房へ峰の草庵を開山の滅後なほ通名に淨嚴房といへり後當山をも淨
0000_,17,620a13(00):嚴房と稱せりゆき給へといへばこれをしるべにて氏族を深く
0000_,17,620a14(00):つつみ谷の房に入り即峰の草庵なりつひに隆阿上人の弟子と
0000_,17,620a15(00):なり給へりかくて常にうち涙ぐみ稱名の外餘念なか
0000_,17,620a16(00):りけるとぞここに年ふりて上人師に宗義を傳授し房
0000_,17,620a17(00):舍を附屬し幾程なく滅をとりたまへば師その跡をつ
0000_,17,620b18(00):いで化を唱へ給へりここに佐佐木高賴深く師に歸し
0000_,17,620b19(00):て外護となりあまた田園を喜捨し元龜年中信長公沒收したまひぬ精舍
0000_,17,620b20(00):の造立を促し給へば師幸にかの開山の草創し給へる
0000_,17,620b21(00):東坂の庵を擴き大に殿宇を起しもとより本尊に仰ぎ
0000_,17,620b22(00):奉る天照佛のゆかりをもて阿彌陀寺と名づけてここ
0000_,17,620b23(00):に開山の遺法を中興し文明十八年丙午四月十五日の
0000_,17,620b24(00):曉天新殿において不斷念佛六時常行を開白し又同し
0000_,17,620b25(00):九月開山忌を起首し給へりかくてここかしこに屬院
0000_,17,620b26(00):多くなりて一方の巨刹とはなれりけりされば師明應
0000_,17,620b27(00):元年淸規文卷尾に附すを製し衆をして法訓に遵はしむ師人
0000_,17,620b28(00):を見給へば後世もまた他人ならじ今にも死なばいか
0000_,17,620b29(00):かはし給はんそれ極樂の道は人をわかずただ申もの
0000_,17,620b30(00):の往生はするなりとて日課念佛をすすめ其名を呑鉤
0000_,17,620b31(00):錄に記し給ふそのかづ幾千萬人といふことをしらず中
0000_,17,620b32(00):にはまのあたり異香をきき聖衆をおがみて往生する
0000_,17,620b33(00):人も多かりしとなんしかるに將軍かくとは露しりた
0000_,17,620b34(00):まはで事に莅み折に感じたまひてはもし祐廣世にあ
0000_,17,621a01(00):らばなんど仰られけるが長享元年將軍と佐佐木との
0000_,17,621a02(00):中に事ありて將軍義政公新將軍義尚公當國栗太郡鉤
0000_,17,621a03(00):に陣どりし給へり時に當山の屬院にも多く火をかけ
0000_,17,621a04(00):給はんときこへければ住持のやからおのおのあはて
0000_,17,621a05(00):さわぎて師にこれをなげき侍るに師鉤へ供奉したり
0000_,17,621a06(00):ける甥の結城七郞へ消息つかはされしかば七郞大に
0000_,17,621a07(00):おどろきこはいかに今なほ世におはするよとて馬を
0000_,17,621a08(00):當山にはせ來たられぬ師對面ありて申されけるはそ
0000_,17,621a09(00):れ一朝の利に寺社をやき尋で亡ぶる者古より少から
0000_,17,621a10(00):ず汝君の爲にはやく長久の謀を奉るべしとありけれ
0000_,17,621a11(00):ば七郞すなはち退出し將軍へかくと披露しけるにき
0000_,17,621a12(00):こしめし入給ひて放火停止の嚴命下だりければ道俗
0000_,17,621a13(00):ともに蘇活のよろこびをなしぬ、爰に師御陣にゆき
0000_,17,621a14(00):てこれを謝し給へるに父子の將軍幸に道を師に問た
0000_,17,621a15(00):まひ、やがて圓戒をうけ課佛を誓ひまして崇重比類
0000_,17,621a16(00):なかりけり、ここに師年ごろつつみ給へる族姓も遁
0000_,17,621a17(00):世の因縁も世にもれきこえて今更のやうに感じあへ
0000_,17,621b18(00):ぬ人はなかりけるとなん、かくて義尚公師の道儀を
0000_,17,621b19(00):帝後土御門の院なり明應九年九月二十八日崩御し給へりこれより毎歳御忌に法事をつとめ天恩にむくひ奉るなりへ奏聞
0000_,17,621b20(00):し給ひければここに黑衣參内特勅の綸旨を賜り、し
0000_,17,621b21(00):きりにめされて淨土の法をきこしめし大方ならぬ御
0000_,17,621b22(00):信受にてぞありけるこれより天文の頃までは代代の住持も黑衣參内せりと古記に見ゆされ
0000_,17,621b23(00):ば長享二年當山へ閻浮檀金の彌陀佛念佛弘通の綸旨
0000_,17,621b24(00):淨嚴宗の號、宸翰の阿彌陀寺の額及び香合を賜りぬ
0000_,17,621b25(00):天正九年十月七日の曉更失火して諸堂ことごとく炎上しけりこの時宸額等も紛失せり、慶長二年 後陽成院又宸翰の阿彌陀寺の額を
0000_,17,621b26(00):賜へり、今佛殿に揭る額これなり又回祿より元和のころまで再興の功いまたはたさざる處ありしに、丹州の大守宮城丹波守豐盛及び主
0000_,17,621b27(00):膳正豐嗣の沙汰として造營こと終りぬ、今の佛殿等これなりかく盛になりもてゆくほど
0000_,17,621b28(00):に門弟千餘、子院六宇、屬院數百屬院の中師の剏建も多く又師に歸し宗を改めて屬
0000_,17,621b29(00):院となれる寺も少からずに及びしとぞされど師の一期は墨染の麻
0000_,17,621b30(00):の衣にてぞおはしけるかの黑衣參内の勅もかかる隱
0000_,17,621b31(00):操を御感のあまりにや侍らん一日師仰せられけるは
0000_,17,621b32(00):古語に小寒の氷大寒にとくるは春のちかきゆえなり
0000_,17,621b33(00):老て道心の綏むは地獄のちかきゆゑなりとこれわが
0000_,17,621b34(00):身にいたき誡なりとて寺務を一圓他に托しかの谷の
0000_,17,622a01(00):房にかきこもり急げばをそきひまの駒さらに鞭けし
0000_,17,622a02(00):きにて念佛の外は他縁なかりけりここに八とせすぎ
0000_,17,622a03(00):て師のとし八十にみち給へる永正十五年の冬年來の
0000_,17,622a04(00):咳さへ止みてふつに病惱の形狀なくおはしけるか
0000_,17,622a05(00):或日わが最後の別行に開山の正忌を期し七日の念佛
0000_,17,622a06(00):つとめばやとて衆をかたらひ十二月六日よりはじめ
0000_,17,622a07(00):給ひしが欣求の誠色にあらはれ歸命の思ひ聲にひび
0000_,17,622a08(00):き人の心も稱名にうきたち七日も程なく今夜ばかり
0000_,17,622a09(00):になりにし時結衆の聖達この三昧のたうとさのなご
0000_,17,622a10(00):りに今七日つとめ參らせばやといへはそれこそ老僧
0000_,17,622a11(00):がほいなれとて引つづき行ひ十九日に回向したまへ
0000_,17,622a12(00):り法事讚云淨土莊嚴諸聖衆籠籠常在行人前と又空
0000_,17,622a13(00):也上人の宣くよなよな佛の來迎をまちあさなあさな最
0000_,17,622a14(00):後のちかづくをよろこぶと或日師これらの文を沈吟
0000_,17,622a15(00):しげにげにとひとりごち感じ給へるを人のいかにと
0000_,17,622a16(00):とひ奉つれは勤てしり給へかしと答へ給ふとなん終
0000_,17,622a17(00):焉、ちかきこのごろすらなほあらはにかくとかたり
0000_,17,622b18(00):給はぬをもて年ごろ好相のありしことも推はかられ侍
0000_,17,622b19(00):りぬ二十七日の正午佛前に脇息によりて稱名し給ふ
0000_,17,622b20(00):がしきりにあなたうとあなたうとと宣ひけるを例のごとく
0000_,17,622b21(00):尋ね申せばそらをゆびさし給ひこの聖衆をばをかみ
0000_,17,622b22(00):奉らぬにやと仰られける、二十八日なる巳の時かた
0000_,17,622b23(00):り給はく本尊やや大にならせらるるを不思議とまも
0000_,17,622b24(00):り奉ほどに虚空に充徧し給へりとかたり給へはかた
0000_,17,622b25(00):へに侍る童これをきき御夢にやと申ければほほゑみ
0000_,17,622b26(00):給ひつつそれよなと仰られける同じ日のゆうさりか
0000_,17,622b27(00):た上足の門弟へ仰られけるは今家を淨嚴宗といへば
0000_,17,622b28(00):別流をたつるに似たれどもさにはあらず、これは勅
0000_,17,622b29(00):稱なり法は全く吉水の流を汲み鎭西の義を傳ふ其た
0000_,17,622b30(00):などるところ申さば往生すと師資相承せりこれ凡入
0000_,17,622b31(00):報土の故實にして無生の消息なり努つとめてこれにたが
0000_,17,622b32(00):ふことなく自行化他すべし、又誰たれもまめやかに
0000_,17,622b33(00):發願文のごとく誓をたて急に心行を勵むべし、さら
0000_,17,622b34(00):では信施も消しがたく眞の法師にあらず又衆を領す
0000_,17,623a01(00):る要は忍辱と慈悲とにあり又法にそむく者は法のご
0000_,17,623a02(00):とく罸すべし、これもまた一殺多生の慈悲なりとい
0000_,17,623a03(00):へり又老僧が沒後中陰の追福は阿彌陀寺において寺
0000_,17,623a04(00):の衆、谷の衆ばかりうちよりて念佛すべし屬院の衆
0000_,17,623a05(00):は各自に修行あるへしとて十念を授け給へりかく遺
0000_,17,623a06(00):訓し給ひけれどいとすこやかにおはせば、入滅はい
0000_,17,623a07(00):つのことともおもはでありしに二十九日午尅七條の方
0000_,17,623a08(00):服を着しいさましく稱名し給へるか、あはたたしく
0000_,17,623a09(00):わか頭上に阿彌陀佛觀音勢至等の聖衆星のごとくむ
0000_,17,623a10(00):かへ給ふと仰らるるとそのまま御息よはらせ給へ
0000_,17,623a11(00):ば、侍者とりあへず磬うちならし念佛申かかるにや
0000_,17,623a12(00):がて合掌し十念唱へて坐脱し給ひぬ面容ゑめるに似
0000_,17,623a13(00):たりけり時に紫雲山をこめ、妙なる華ふりそめて明
0000_,17,623a14(00):る正月五日にいたる、その程はこの世ならぬ極樂の
0000_,17,623a15(00):有樣なりしとなんなき御からを煙になして御骨を收
0000_,17,623a16(00):るとき、白雲四方にたなびきぬとみればやがて五色
0000_,17,623a17(00):の雲となり心ありげにうづまきたり、みなまもりゐ
0000_,17,623b18(00):て收骨の佛事やや時をうつせりけり、かくて日數や
0000_,17,623b19(00):うやうすぎゆくほどに遺弟の沙汰しけるは先師康存
0000_,17,623b20(00):の日、御前に侍るときはおそれつつしみ見そなはぬ
0000_,17,623b21(00):所にてはなにとなく心のどかに思ひしか今は六通さ
0000_,17,623b22(00):とり明かにつねにわれらがゐずまゐ心のよしあしま
0000_,17,623b23(00):でをくまなく照し給はんずらんさればかへりて世に
0000_,17,623b24(00):おはするよりは時わかずきづかはしきにあらずやと
0000_,17,623b25(00):て、各心行をつつしめりとぞ師の書給へる彌陀の寶
0000_,17,623b26(00):號火中に燒ざりし靈異世に多かりしとなん、當時知
0000_,17,623b27(00):恩院の御影堂におはします宗祖大師の靈像は文明十
0000_,17,623b28(00):六年師知識を唱へて修理し給へりと勅修圓光大師傳翼贊三十七に見
0000_,17,623b29(00):えたり。
0000_,17,623b30(00):師の法語に云く念佛安心起行の要は恒に死を念じ、
0000_,17,623b31(00):心に助給へと思ひ、口に南無阿彌陀佛と唱ふるばか
0000_,17,623b32(00):りなり、此外に子細を申されん人は假令知者なりと
0000_,17,623b33(00):も其説を信ずべからすただ驀直に心存助給口稱名號
0000_,17,623b34(00):の旨を守て順次に往生を遂べし宗眞上人傳止。
0000_,17,624a01(00):第四世は映譽宗玖上人第五世は忍譽眞源上人第六世
0000_,17,624a02(00):は仙譽珠慶上人第七世は九譽源慶上人第八世は應譽
0000_,17,624a03(00):明感上人なり此明感上人は勢州山田の人、卓犖不覊
0000_,17,624a04(00):の衲僧なり機を見時に乘じて大に祖燈を挑げ給へ
0000_,17,624a05(00):り、將軍信長公當國の居城ちかき蒲生郡安土に今の
0000_,17,624a06(00):淨嚴院を造營あり支院八百八箇寺を附し、天正五年
0000_,17,624a07(00):上人を請じて住持せしめ給ふ天正十年八月二十七日
0000_,17,624a08(00):安徐として寂し給へり、幹事の中宗譽淨阿上人寶譽
0000_,17,624a09(00):正琳法師なる者あり、當山に功あること住持職にも
0000_,17,624a10(00):讓らさりきと、舊記に見えたり。
0000_,17,624a11(00):附 錄
0000_,17,624a12(00):阿彌陀寺淸規原本淸規數十件今摘要類衆爲十條以附焉
0000_,17,624a13(00):一、三寶物に互用を制し、常什物に通局を斷し屬院
0000_,17,624a14(00):の賞罸、淸衆の進退、晦望の布薩、二時の安居、
0000_,17,624a15(00):戒を以て座を爲等の義、一切律に據て沙汰すべき
0000_,17,624a16(00):事。
0000_,17,624a17(00):一、一切事中應作、不應作を觀すべし、總して事易
0000_,17,624b18(00):簡に隨ひ、名利に馳るべからざる事。
0000_,17,624b19(00):一、酒肉五辛山内に入ことを許さざる事。
0000_,17,624b20(00):一、軍器を蓄へ國の使命を通じ又山内に於て殺生遊
0000_,17,624b21(00):戲諸勝負等せしむへからさる事。
0000_,17,624b22(00):一、當山の化縁若薄らかば、屬院等を巡行し念佛弘
0000_,17,624b23(00):通すへき事。
0000_,17,624b24(00):一、衆僧内慈忍に住し、外護法を念じ、他の信を護
0000_,17,624b25(00):り、他の非を説ことなかれ、道の爲に分陰を競ひ戲
0000_,17,624b26(00):笑午睡を愼むへし、衣は僅に身を蔽ひ食は纔に命
0000_,17,624b27(00):を支へ物物節儉なるへし、叨に人間に往來すること
0000_,17,624b28(00):なかれ、夜も直綴衣を脱せずまるねにすへき事。
0000_,17,624b29(00):一、病者は殊に意を加へ、親切に看侍し、善巧をも
0000_,17,624b30(00):て必死の覺悟に住せしめ稱名を勸めて順死に往生
0000_,17,624b31(00):を遂しむへし、それ終焉は浮沈苦樂の境なり、人
0000_,17,624b32(00):情を放下し新佛を造立する想に住すへし、既に往
0000_,17,624b33(00):生せば其名を過去帳に記し、鄭重に回願すへし有
0000_,17,624b34(00):縁の者の命果も其に準すへき事。
0000_,17,625a01(00):一、屬院並に當山に依師せる自房の僧尼等非常の事
0000_,17,625a02(00):は世出ともに當山へ達し命を奉て擧止すへき事。
0000_,17,625a03(00):一、屬院及ひ自房の僧尼開山會等の出頭には飯錢を
0000_,17,625a04(00):納むへし法事に尼僧を共じ用ゆべからず又僧尼同
0000_,17,625a05(00):伴して往還すへからざる事。
0000_,17,625a06(00):一、白衣衆は佛殿等の内陣へ入ことを許さす若入らん
0000_,17,625a07(00):と欲せば知殿に白すべし堂内には帶刀を禁す尼女
0000_,17,625a08(00):の輩切なる縁事なくんば日沒後來入すべからざる
0000_,17,625a09(00):事。
0000_,17,625a10(00):前件之規條者任於開山及先師之尊意以衆議
0000_,17,625a11(00):所定立也自今已後於淨嚴宗不可有違犯
0000_,17,625a12(00):雖有功老衲不能無罰矣也。
0000_,17,625a13(00):明應元年壬子九月 妙門宗眞謹識
0000_,17,625a14(00):別時念佛三制舊記中載
0000_,17,625a15(00):一、身心淨潔なるへし衣食節量にすへき事。
0000_,17,625a16(00):一、西に向ひ合掌すへき事。
0000_,17,625a17(00):一、見佛の念に住し無間に稱名すへき事。
0000_,17,625b18(00):稽夫傳燈總系譜則列三師下注嗣法與滅日也
0000_,17,625b19(00):僧史則唯載開山而事或違矣因欲質之且記二
0000_,17,625b20(00):三世之傳舊記曾罹祝融之災殘篇僅存銀魚滅半
0000_,17,625b21(00):今也無奈之何顧今尚存後亦亡也必矣豈不惜乎
0000_,17,625b22(00):故探諸書考口碑以併勒殘篇間加夾注又
0000_,17,625b23(00):附淸規等題目之湖東三僧略傳傳中之畵玉潾上
0000_,17,625b24(00):人依古圖而所筆亦雅觀可稱哉嗟乎其縁起不可
0000_,17,625b25(00):思議也幸有書也畫也能逗其機祖燈法輪恒轉無
0000_,17,625b26(00):絶使人感發願生之信冀以擬吾董席報恩之香
0000_,17,625b27(00):火云爾。
0000_,17,625b28(00):開山滅後三百四十六年寬政六年春
0000_,17,625b29(00):沙門信冏拜撰