0000_,17,726a01(00):袋中上人傳
0000_,17,726a02(00):
0000_,17,726a03(00):上人名は袋中字は良定或は辨蓮社或入觀と云ふは別
0000_,17,726a04(00):號也奧州岩城郡の人なり父は賀氏法名道祐母は幡氏法名妙喜父
0000_,17,726a05(00):母ともに心淸閑にして内には三寶に歸し外には忠貞
0000_,17,726a06(00):を專にす男子二人女子二人あり以八和尚は嫡子今袋
0000_,17,726a07(00):中上人は第三の子なり抑上人降誕の首末を尋ぬれば
0000_,17,726a08(00):同國に能滿寺といふ精舍あり虚空藏菩薩の肖像を安
0000_,17,726a09(00):置す妙相圓滿にして端嚴無比なり誠に又なき尊像な
0000_,17,726a10(00):れば寶龕常に祕閉して金鎻かたく守れり或時幡氏志
0000_,17,726a11(00):願の事ありて一七日を期して參籠し給ひしに滿散の
0000_,17,726a12(00):夜の夢に團團たる月輪口中に入たまひ胎中搖動すと
0000_,17,726a13(00):思ひてやがて夢覺ぬ夜もやうやく深くかかげし灯も
0000_,17,726a14(00):絶絶なりしに擧身より輝赫たる光明出でで幽室の
0000_,17,726a15(00):内を照すに晝よりもなをあきらかなりこれより有身
0000_,17,726a16(00):の心地しぬれば四威儀に和ぎてつつしみをぞくわへ
0000_,17,726a17(00):られけり。
0000_,17,726b18(00):繪
0000_,17,726b19(00):十月懷抱の間母身安泰にしてて後奈良院御宇天文二
0000_,17,726b20(00):十一年正月壬子の日に上人誕生したまひぬ相好端正
0000_,17,726b21(00):にして容貌溢潤なり光を伸る眼目笑を含む顏面みな
0000_,17,726b22(00):秀逸の相ありてかつて塵中の物にあらずしかるに出
0000_,17,726b23(00):胎の後この子右手を握りてひらかす闔家皆あやしみ
0000_,17,726b24(00):いたり三七日の後に拳手をひらく掌の内虚空菩薩の
0000_,17,726b25(00):肖像あり又降誕の日時刻をたがはす能滿寺の虚空藏
0000_,17,726b26(00):菩薩の寶龕人の寶鑰を開かざるにをのづから開きぬ
0000_,17,726b27(00):見聞の人奇異の思をなしてこれをたうとまざるはな
0000_,17,726b28(00):し父母鐘愛淺からずして小字を德壽丸とぞ付られけ
0000_,17,726b29(00):る。
0000_,17,726b30(00):繪
0000_,17,726b31(00):上人四五才の時稚童とむれいて遊びたまふにひとり
0000_,17,726b32(00):毎によの戲をなさすただ石を積みては寶塔と名付壁
0000_,17,726b33(00):にゑがいては佛像をかたどり其友童にをしへてとも
0000_,17,726b34(00):に拜ましむ又六歳の頃より毎朝東方に向ひて日輪を
0000_,17,727a01(00):拜し給ふまた毎夕頭を西方に傾てみづから阿彌陀佛
0000_,17,727a02(00):を念ず願生の志勸をまたずして内に動きけるにやと
0000_,17,727a03(00):みる人希有の思をなしき。
0000_,17,727a04(00):繪
0000_,17,727a05(00):上人七歳の春一夜眼より光をはなつ父母驚きみて曰
0000_,17,727a06(00):此小童は凡庸のともがらに非ずしかじはやく塵俗を
0000_,17,727a07(00):脱して精舍に入れしめんにはとて同國天蓮社能滿寺住持名存洞
0000_,17,727a08(00):諱良要は兒の叔父なればその許に送れりむかし圓光大
0000_,17,727a09(00):師童稚の時叔父觀學得業の許にいたり給ふに相似た
0000_,17,727a10(00):り兒俊才天縱にして時時みづから經論をひらき又窓
0000_,17,727a11(00):前に默坐して觀相の儀則をなす天蓮社これをみて歡
0000_,17,727a12(00):喜淺からず指南倦ことなかりき九歳の比これを試む
0000_,17,727a13(00):るに三經一論の外所餘の經論暗誦せるもの數卷に及
0000_,17,727a14(00):べり。
0000_,17,727a15(00):繪
0000_,17,727a16(00):上人十四歳 正親町御宇永祿八年乙丑三月十四日花
0000_,17,727a17(00):髮を剃縵衣を着せしめ先沙彌戒を授け名を袋中と呼
0000_,17,727b18(00):べり天蓮社試に問て云汝を袋中となづくるその意を
0000_,17,727b19(00):しるや答云錐袋を脱するの意歟と天蓮社愕然として
0000_,17,727b20(00):その辨捷を喜ぶ十六歳の春叔父おもへらく叢林に入
0000_,17,727b21(00):れて秀才の機を發しめんと則同郡の矢目如來寺に投
0000_,17,727b22(00):ぜしむそれより學海日日に深く智釼夜に磨けりされば
0000_,17,727b23(00):論塲にしては毎に席を重ぬるの手なり次に山崎專稱
0000_,17,727b24(00):寺に遊學し給ふ時に年滿二十なり又大澤圓通寺に往
0000_,17,727b25(00):て大乘圓頓戒を受得す然るに日域淨家の圓頓戒はみ
0000_,17,727b26(00):なもと圓光大師台嶺の叡空大德より受得し給ふそれ
0000_,17,727b27(00):より寫瓶相承して今上人に至れり上人老後に及で法
0000_,17,727b28(00):水の源をたださんとにや弟子呈觀をして坂本の來迎
0000_,17,727b29(00):寺につかはし台嶺の大德法泉僧正に大戒を受得せん
0000_,17,727b30(00):事をこふ懇請もたしかたけれは僧正聽許し給ふこれ
0000_,17,727b31(00):によりて上人急ぎ叡峯に登り僧正に對謁し來迎寺に
0000_,17,727b32(00):於て登壇重受しをはれり中略幸に呈觀は財寶に富りけ
0000_,17,727b33(00):れは彼に命して僧正居所のわたりの山林を買得して
0000_,17,727b34(00):恩謝のために寄附せられぬ。
0000_,17,728a01(00):繪
0000_,17,728a02(00):上人二十三歳の時大澤闔山の請再三なりければ暫く
0000_,17,728a03(00):圓通寺に掛錫し給ふ此寺は良天上人の高弟良榮上人
0000_,17,728a04(00):の草創なり報恩を謝せんがためにあまたの經論を開
0000_,17,728a05(00):講し給ふに聽徒雲集して法雨に潤はずといふことなし
0000_,17,728a06(00):古書祕錄をよび宗門の口决故實又藤田傳法今に圓通
0000_,17,728a07(00):寺に殘れるは皆上人の賜なり。
0000_,17,728a08(00):繪
0000_,17,728a09(00):上人二十五歳の春武城の三縁山に入衆して螢雪のつ
0000_,17,728a10(00):とめ倦むこなかりけれは增上の主席その精專を感し
0000_,17,728a11(00):て白簱の傳流底を傾けて付與せられけり又足利學校
0000_,17,728a12(00):に楞嚴碧岩の講演あり上人千里を遠しとせず行て講
0000_,17,728a13(00):席に列なり他の奧義問答往復してみな决擇し給ふそ
0000_,17,728a14(00):の後又東請南訽して諸州を遍歷すといへとも天資曾
0000_,17,728a15(00):閔が孝心を懷き且孝名爲戒の金言を守り給ひければ
0000_,17,728a16(00):双親の安否常にわすれず千里の郷雲くれことになつか
0000_,17,728a17(00):しく歸宇の志しきりなりけるにたまたま舊里の楢葉
0000_,17,728b18(00):成德寺より懇請ありけれは幸のおりなれはやがて成
0000_,17,728b19(00):德寺を住持し給へり時に上人二十九歳なりそれより
0000_,17,728b20(00):晨昏に禮をいたし寒暑に心を加へて辛勤さらに倦む
0000_,17,728b21(00):事なく又時をうかがひ便を得て厭欣のすすめ淺から
0000_,17,728b22(00):さりければ父母心を西方に歸し淨業をこたりなく臨
0000_,17,728b23(00):終正念にして往生の大事を遂けたまふとなん是ひと
0000_,17,728b24(00):へに上人勸導の力なりとみな人隨喜せり。
0000_,17,728b25(00):繪
0000_,17,728b26(00):上人三十歳の秋岩城平の城下に鎌田川といふあり新
0000_,17,728b27(00):に橋を造りわたしけり上人其供養の爲とて塔婆一本
0000_,17,728b28(00):川中に建給へりその中おほく梵字を用ひ給ふに近里
0000_,17,728b29(00):の密徒此塔婆をみて梵字はこれ我宗の大事更らに他
0000_,17,728b30(00):宗の知所にあらすとて彼塔婆をぬきもて折て捨てけ
0000_,17,728b31(00):り上人のたまはくこは放蕩のしはざかな夫梵形は竺
0000_,17,728b32(00):土の字法なり支那日本顯密の兩宗皆通し用ゆ何のゆ
0000_,17,728b33(00):へありてかひとり自宗の法として他宗を蔑如するや
0000_,17,728b34(00):とて書簡をぞ遣されけり密徒すてて答へざりけれは
0000_,17,729a01(00):又悉曇の興起梵飜の謬など細辨して重て書簡を投
0000_,17,729a02(00):せられけるに密徒大に憤激して梵漢のたがひ事義の
0000_,17,729a03(00):謬など十四箇所かかげ出して其上に六箇の問難を立
0000_,17,729a04(00):てて返翰をなせり上人電覽一過してしばしともいは
0000_,17,729a05(00):ず即日に操觚をこととして逐一に再破せられけれは
0000_,17,729a06(00):密徒その智辨におそれて更らに一口の拒もなかりけ
0000_,17,729a07(00):り上人此時に梵漢對暎集一卷顯し給へり。
0000_,17,729a08(00):繪
0000_,17,729a09(00):上人三十二歳天正十一年癸未の春淨土の血脉論を造
0000_,17,729a10(00):り三十三歳麒麟聖財論私釋四卷を製し三十四歳大原
0000_,17,729a11(00):問答端書をあらわし三十六歳啓袋中一卷を出せり又
0000_,17,729a12(00):三十九歳往生要集を披覽し空觀の下にいたりて忽に
0000_,17,729a13(00):法眼をひらき給ふこれより六時勤行をこたりなく六
0000_,17,729a14(00):萬遍の日課退する事なし。
0000_,17,729a15(00):繪
0000_,17,729a16(00):上人四十八歳慶長四年己亥の春岩城の大守深く上人
0000_,17,729a17(00):の化導に歸して城内に稱名の道塲を建立して菩提院
0000_,17,729b18(00):となづけ上人を招請して法主となし晝夜六時に勤行
0000_,17,729b19(00):をこたりなかりき又上人淨土の法門を説て切に勸導
0000_,17,729b20(00):せられければ稱名一行城内城外にひろごり老若男女
0000_,17,729b21(00):皆淨土往生の願を發せり其後に寺を城外に移せり今
0000_,17,729b22(00):の平の菩提院是なり。
0000_,17,729b23(00):繪
0000_,17,729b24(00):慶長四年關左の境疫疾大に流行して男女貴賤くるし
0000_,17,729b25(00):む者多かりきその頃上人菩提院に住し給へり一夕一
0000_,17,729b26(00):老翁忽然として來りて上人の傍に侍す上人問て云汝
0000_,17,729b27(00):はこれ誰や答云我は是疫神なり上人云汝なんぞ人を
0000_,17,729b28(00):惱ます事甚しきや翁答云是人みづから惱めりかなら
0000_,17,729b29(00):すしもわが所爲にあらすといひをはりて其長三丈ば
0000_,17,729b30(00):かりの鬼形に變化せり上人驚く氣色もなくこの疾疫
0000_,17,729b31(00):災いかがせは治せんと仰せけれは時に鬼形小盃に藥
0000_,17,729b32(00):を盛りて上人にささぐ上人これを受て普く郷里に施
0000_,17,729b33(00):與し給ふにみな其驗を得て疫疾立どころに愈へぬか
0000_,17,729b34(00):かる勝事のありけるも皆是上人道德のいたす所なり
0000_,17,730a01(00):と人人感嘆せざるはなかりき。
0000_,17,730a02(00):繪
0000_,17,730a03(00):上人五十二歳の時入唐の望ありて帝畿を出て西海に
0000_,17,730a04(00):おもむき商沽の便船を待て唐土に渡らんと期す或僧
0000_,17,730a05(00):問云頃日佛書おおくわたり上人み給ふや上人云我已
0000_,17,730a06(00):に是をみる僧また問暗記せりや上人答大凡大小權實
0000_,17,730a07(00):の經論の中に其至要なる文句はみな暗記せり時に彼
0000_,17,730a08(00):僧經論の題目を呼ていかんと問へば上人其經論の至
0000_,17,730a09(00):要の文句逐一に暗誦し給ふ事瀑河の流て速かなるが
0000_,17,730a10(00):ごとし上人僧にかたりて我入唐の志あり此故記憶す
0000_,17,730a11(00):るなりとそおほせられける扨折節便船ありければ先
0000_,17,730a12(00):琉球に渡り給ひぬ呂宋南蠻の商船を賴むといへども
0000_,17,730a13(00):彼國の人は日本を東夷なりとをそれてかたく拒みて
0000_,17,730a14(00):乘せす時に琉球の國主黄冠馬幸明上人の德風をあふ
0000_,17,730a15(00):き歸仰する事深しこれによりて上人を城外の桂林寺
0000_,17,730a16(00):に安住せしめて四事の供養備足して缺くことなし黄冠
0000_,17,730a17(00):の懇請によりて琉球神道記並琉球往來記を製作し給
0000_,17,730b18(00):ふしかるに上人入唐の本意遂げかたくおほしけれは
0000_,17,730b19(00):數數歸錫を催し給へどもかの國の緇素わりなくとど
0000_,17,730b20(00):めて別離をゆるさざりければ三年迄は桂林寺に住持
0000_,17,730b21(00):し給へりある時上人しきりに出船を催し闔國留むと
0000_,17,730b22(00):も今はとまらせ給ふましき氣色なりけれはついに渡
0000_,17,730b23(00):口に送るもの道俗市のごとく既に上人船に召され篙
0000_,17,730b24(00):工纜をとひて風にまかせて行を皆人首をめくらして
0000_,17,730b25(00):帆かげのかくるるまで見返り名殘惜みけるとそ。
0000_,17,730b26(00):繪
0000_,17,730b27(00):上人五十五歳既に歸路におもむきて筑紫善導寺に入
0000_,17,730b28(00):聖光上人の尊像を拜し給ふ聖光上人は鎭西の流祖な
0000_,17,730b29(00):れは燒香合十して殊更恭敬を加へ給へり西國旅行の
0000_,17,730b30(00):ついでに普く勝跡を尋求し名所を歷觀して城州山崎
0000_,17,730b31(00):大念寺に入り給へり彼住持は上人の舊知音なれば指
0000_,17,730b32(00):ををり日をかぞへて上人の歸錫を待うけられぬそれ
0000_,17,730b33(00):より橋本西遊寺に入て是遁和尚の影像を拜し給ふ是
0000_,17,730b34(00):遁和尚西遊の中興なれば偈を作りて讃歎して曰。
0000_,17,731a01(00):起立西遊寺 像瞻受用身
0000_,17,731a02(00):稱名不退力 先待結縁人
0000_,17,731a03(00):繪
0000_,17,731a04(00):また伏見にしる人ありて立寄信宿し給ひけるに松平
0000_,17,731a05(00):隱岐守上人に拜謁して淨土の安心起行のありさまな
0000_,17,731a06(00):などくわしく聽聞しふかく上人に歸依して師檀の契
0000_,17,731a07(00):約ありこれよりして寒暑の音問四時の供養相續して
0000_,17,731a08(00):絶ゆることなし隱岐守逝去の後は嫡子松平越中守先考
0000_,17,731a09(00):の跡を追て深く歸仰し供養の品物なンども父の時に
0000_,17,731a10(00):おとることなし又上人六十歳慶長十六年の春洛陽第三
0000_,17,731a11(00):橋の邊に伏見次郞兵衞といふ人あり久しく對面の程
0000_,17,731a12(00):も打たへぬれは上人尋ねさせ給ひけるに次郞兵衞い
0000_,17,731a13(00):とよろこびて永くもここにととめまほしく思ひて家
0000_,17,731a14(00):の背なる藪をうかちて草庵をつくれり中に小溝の流
0000_,17,731a15(00):あれは道俗分へだてあり淸閑の地なりとて板樣の物
0000_,17,731a16(00):をかひわたして通ひけり其比板倉周防守京都の諸司
0000_,17,731a17(00):にて威權肩を比ふるものなかりけれは松平越中守よ
0000_,17,731b18(00):り使者をつかわしてしかしかのよしをつげて東山佛
0000_,17,731b19(00):詣の次にかならずとひ給へと申をくられけれは周防
0000_,17,731b20(00):守もやかて尋まいられけり聞しよりもみるにまさり
0000_,17,731b21(00):て道容の殊勝におはしけれは淨土の法要なンどこま
0000_,17,731b22(00):ごま尋聞て渴仰の思ひ淺からざりしとなむそれより
0000_,17,731b23(00):道俗貴賤たうとみて來往の人日日に多かりければそ
0000_,17,731b24(00):のわたりの人多く來り集りて堀をうめ地をたいらげ
0000_,17,731b25(00):なンどして堂宇を營造して遂に寺となれり即いまの
0000_,17,731b26(00):三條法林寺これなり
0000_,17,731b27(00):元和三年正月廿六日より上人三日三夜の別時念佛を
0000_,17,731b28(00):勤修し給へり廿九日の曉別行の結願なれは鐘もしき
0000_,17,731b29(00):りに打稱名もひときは高かりし折から佛殿の内に雲
0000_,17,731b30(00):に乘りたる高僧あり雲の色は赤白間雜し身の長は三
0000_,17,731b31(00):尺ばかりにして東の空にむかひて口より化佛三軀を
0000_,17,731b32(00):吐出せりその二軀はちかく一軀はややとおし上人は
0000_,17,731b33(00):しめは空也上人とおぼしきかつくづくその容貌をみ
0000_,17,731b34(00):たまへは宗祖善導大師なり實に上人自利のためにも
0000_,17,732a01(00):化他のためにもただ本願稱名の行のみを縡とし給ふ
0000_,17,732a02(00):こと大師の本意にかなへるゆへなるへし。
0000_,17,732a03(00):繪
0000_,17,732a04(00):元和五年の夏の比より洛北氷室山に移りて春秋を送
0000_,17,732a05(00):り給ふこれは伏原故二位歸敬のあまりに此地に請し
0000_,17,732a06(00):給ふとなんまた同年東山菊ケ谷にも小庵をむすびて
0000_,17,732a07(00):或時は氷室へゆき或時は菊ケ谷にかへり南北にかよ
0000_,17,732a08(00):ひて心のゆくにまかせて居住したまひき三年の後善
0000_,17,732a09(00):曳西月等にいひて云菊ケ谷の草庵地をかへはしから
0000_,17,732a10(00):ん後には必魚を屠り酒を汲て歌舞遊宴の地とならん
0000_,17,732a11(00):もしここに跡をととめば我弟子にあらずとさればこ
0000_,17,732a12(00):の庵室を大佛殿のほとりにうつせり今の袋中庵是な
0000_,17,732a13(00):り。
0000_,17,732a14(00):繪
0000_,17,732a15(00):元和八年上人七十一歳其夏南都諸伽藍を經過し佛像
0000_,17,732a16(00):祖影を拜し杖を支へて眉目山の邊に憩給ふ佛事をな
0000_,17,732a17(00):すに便りよき勝地のありければ蕭寺を草創して降魔
0000_,17,732b18(00):山善光院念佛寺となづくその北淨琉璃寺の殿堂破壞
0000_,17,732b19(00):に及ひけれは闕本の一切經をあかなひて修復せんと
0000_,17,732b20(00):衆僧の評議一定しぬ上人これをきき使を遣し若干銀
0000_,17,732b21(00):を贈りて經典を奉請す後に脱卷逸帙の經論をば或は
0000_,17,732b22(00):みづから書寫し或は他をたのみて書寫せしむこれに
0000_,17,732b23(00):よりて經論かくることなく一藏全備せりその中に紺紙
0000_,17,732b24(00):金泥の經論多し今南都念佛寺の藏本これなり。
0000_,17,732b25(00):繪
0000_,17,732b26(00):上人七十二歳の冬城州相樂郡西尾九躰佛の邊に住居
0000_,17,732b27(00):し給ひけるに同郡瓶原といふ所に天神の宮あり寬永
0000_,17,732b28(00):元年正月廿五日より上人一七日の間參籠ありけるに
0000_,17,732b29(00):和光の方便にや此社のわたりに草庵をむすび朝夕神
0000_,17,732b30(00):に詣でで法味を捧けばやとおぼしけれは黑田新藏
0000_,17,732b31(00):法名淨安といふ有信の人ききてやがて此山影の木だちも
0000_,17,732b32(00):いよやかなる處をゑらびて菴廬を經營して日日に供
0000_,17,732b33(00):養の物なンどもちてはこびけり今の瓶原心光庵これ
0000_,17,732b34(00):なり。
0000_,17,733a01(00):繪
0000_,17,733a02(00):此心光庵はもとより人家をへたてて俗塵の氣たへ幽
0000_,17,733a03(00):深寂寞の地なれは老邁の道容よするにいとよしとて
0000_,17,733a04(00):十三年の間住居し給へり庵の巽の方に杉木二本あり
0000_,17,733a05(00):しに有夜杉の曉にあやしき聲しけれは上人おぼつか
0000_,17,733a06(00):なくおぼして扇をひらき空にむかひて誰人かあると
0000_,17,733a07(00):問はせ給へば空中より是は愛宕山より鷲峰山海住山
0000_,17,733a08(00):に飛行するものなり此社の邊に大德の僧いますよし
0000_,17,733a09(00):うけたまはりしゆへに結縁のためにしばしここにと
0000_,17,733a10(00):まりい候とこたへければ上人合掌してねんごろに十
0000_,17,733a11(00):念を授けられけるにありかたき法施の力にて久しき
0000_,17,733a12(00):重苦を免かれ候其恩謝のためにといひておそろしき
0000_,17,733a13(00):形を現して天狗の術通をなしてみせけるよし上人の
0000_,17,733a14(00):末弟意俊といふ僧ものかたりし侍る。
0000_,17,733a15(00):繪
0000_,17,733a16(00):上人暮ごとに施餓鬼を修し神呪をとなへ加持しおは
0000_,17,733a17(00):りて其施食を手より地に落し給ふに中間にて彼食い
0000_,17,733b18(00):づくともなくみなうせてあとなかりき實に群鬼の集
0000_,17,733b19(00):り居てあらそひ受し故ならんと人人不思議の思をな
0000_,17,733b20(00):しぬ。
0000_,17,733b21(00):繪
0000_,17,733b22(00):有時恆例の施食おはりて後上人人もなき庭上にうち
0000_,17,733b23(00):向て汝はいまになほ迷て來しや哀れなるかな得脱す
0000_,17,733b24(00):ることの何そおそきやと仰られしこれは惡趣受苦のも
0000_,17,733b25(00):ののいくたびも現前して上人の眼にかかりしゆへな
0000_,17,733b26(00):らん。
0000_,17,733b27(00):繪
0000_,17,733b28(00):寬永三年の春彼岸の中日にあたりて天神の社の邊へ
0000_,17,733b29(00):郡内の男女群集せり上人六字の名號に面面の法名を
0000_,17,733b30(00):かき加へ參詣の男女に一鋪つつ手づから授け鳥居の
0000_,17,733b31(00):下石段の上に立て十念を授け給ひてこまやかに厭欣
0000_,17,733b32(00):の道理を勸策しくわしく稱名の功德を演説し給ふ聽
0000_,17,733b33(00):聞の人みなみな渴仰し信伏せすといふことなかりきさ
0000_,17,733b34(00):れば其名號をば瓶原名號とて今に至まで人人珍敬し
0000_,17,734a01(00):侍る。
0000_,17,734a02(00):繪
0000_,17,734a03(00):江州矢橋の郷に酒家ありけり女房貪欲の心深くして
0000_,17,734a04(00):ひそかに旅僧を殺せりかの亡魂いたく恨て毎日酒帘
0000_,17,734a05(00):の下に來りて家内をきとみいれければ女房忽に狂亂
0000_,17,734a06(00):せり或人上人自筆の名號をかの酒帘にかけ置ければ
0000_,17,734a07(00):惡靈ふたたび來ことなかりしとぞ。
0000_,17,734a08(00):繪
0000_,17,734a09(00):洛東粟田口某の女房平産すその夜の夢に高僧來りて
0000_,17,734a10(00):我汝を守護せしゆへに産生難なかりきといひけれは
0000_,17,734a11(00):いふかしくおもひてその名をとひけれは我名は袋中
0000_,17,734a12(00):汝常にわれを信仰せしゆへにわれまた汝を守れりと
0000_,17,734a13(00):答へ給へば夢たちまち覺ぬ女房おもひけるは我佛壇
0000_,17,734a14(00):の内に上人の名號を掛置て朝夕に念すること久しもし
0000_,17,734a15(00):かかるゆへにもやありけんとやがて三條法林寺に詣
0000_,17,734a16(00):でで上人の肖像を拜するに夢中に見し僧の顏貌と毫
0000_,17,734a17(00):髮もたかわざりければ信心肝に銘して感涙を流しけ
0000_,17,734b18(00):るとぞ聞人みな希有の思をなしぬ。
0000_,17,734b19(00):右二件は上人歿後の益なれども便りにまかせてこ
0000_,17,734b20(00):こに記し侍る。
0000_,17,734b21(00):繪
0000_,17,734b22(00):上人七十七歳の時知恩院の主持靈岩和尚より淨土名
0000_,17,734b23(00):越派八祖相承の儀を尋ね給ふことありき上人論辨を綴
0000_,17,734b24(00):りて名越には彌勒菩薩を八祖の第一とすること深きい
0000_,17,734b25(00):はれありと敎理を引てくはしく曉諭せらる岩和尚再
0000_,17,734b26(00):三珍翫して所論の趣道理極成せりと稱美して批評を
0000_,17,734b27(00):加へ給ふ此書いまに三條法林寺に現在せり。
0000_,17,734b28(00):繪
0000_,17,734b29(00):上人衰朽の身にして老骨を勵まし晝夜六時に禮誦念
0000_,17,734b30(00):佛おこたりなかりけり寬永七庚午三月廿三日例時日
0000_,17,734b31(00):中の勤おはりて上人拍掌して呼給ひけれは弟子良輭
0000_,17,734b32(00):いかさまのことにやと思ひていそきまいりけるに上人
0000_,17,734b33(00):佛前をさしてのたまはく瓶花の上に眞佛來現し給へ
0000_,17,734b34(00):り汝みるや否やと良輭頭を擧てみるに金色 彌陀如
0000_,17,735a01(00):來引接の印を結び瓶花の上にたたせ給ふ身の毛よだ
0000_,17,735a02(00):ちてありかたしといふもなほあまりあり上人の給は
0000_,17,735a03(00):く我日日に花を供養すれは佛もまた日日に影現して
0000_,17,735a04(00):道場に入りたまふされば佛のたとひ一花一葉なりと
0000_,17,735a05(00):も至心に供養し奉れは無量無數の佛を觀見すと説き
0000_,17,735a06(00):給ひてすこしも疑ふところなしと仰せられけると
0000_,17,735a07(00):ぞ。
0000_,17,735a08(00):繪
0000_,17,735a09(00):奧州岩城の能滿寺は上人落髮の地なり彼寺の門前に
0000_,17,735a10(00):八藏といふものあり上人壯年の比日日に往來してと
0000_,17,735a11(00):ふとみけり上人故園を出て幾春秋を過して後八藏む
0000_,17,735a12(00):かしの鴻恩も忘れかたく又道容の安否もいかがとお
0000_,17,735a13(00):ぼつかなくて西國三十三所觀音巡禮の便に子息の庄
0000_,17,735a14(00):藏をぐして瓶原心光庵に尋來り上人に拜謁し父子と
0000_,17,735a15(00):もに竹椽の下に頭をつけ至心に合掌して十念授け給
0000_,17,735a16(00):へとこひけれは上人庄藏をつくづくとみ給ひて汝に
0000_,17,735a17(00):は十念授けがたし其故不審ならば兩足を水に沒して
0000_,17,735b18(00):此椽の上を步行せよと仰せられけり庄藏いかがとい
0000_,17,735b19(00):ぶかしけれど貴名なれは仰にまかせけるに左足の跡
0000_,17,735b20(00):は人にして右足の跡は人にあらず時に庄藏身の毛立
0000_,17,735b21(00):ておそろしくふるひなから申けるは十年以前に右足
0000_,17,735b22(00):にて親八藏を蹴たることありかかる不幸の罪いまあら
0000_,17,735b23(00):はれてかくあさましきさまになむ侍るかかる極重惡
0000_,17,735b24(00):人懺悔滅罪のためにとて親子ひたすらにねかひて十
0000_,17,735b25(00):念を受け本國に歸りけりその後程なく親八藏は死し
0000_,17,735b26(00):ぬさて庄藏は再たび上人の所に來りて出家し名を入
0000_,17,735b27(00):聞とぞ申ける。
0000_,17,735b28(00):繪
0000_,17,735b29(00):寬永十四年上人八十六歳その比郡の内に重罪を犯せ
0000_,17,735b30(00):る輩ありて官家の裁斷刑罸に行はるるに定りぬ上人
0000_,17,735b31(00):ふかく悲愍して赦免を願はせ給へど國の大法なれば
0000_,17,735b32(00):とてゆるさてみな死刑にあひぬされば上人救濟の志
0000_,17,735b33(00):もいたづらになり拔苦の行も立ざりければ此地化道
0000_,17,735b34(00):行はれず居住してなんの益かあらんしかし他方に移
0000_,17,736a01(00):居せんにはとて衣鉢を身に隨がへ渡口に出て船師黑
0000_,17,736a02(00):助といふものの船にめされけり年來歸依の道俗おも
0000_,17,736a03(00):ひまふけぬ事なればあはて出たちかさなりて袖をひ
0000_,17,736a04(00):き手をとりいましばしととどめけれど上人更にみか
0000_,17,736a05(00):へり給ふ氣色もなし人人せんかたなくて行衞いつ國
0000_,17,736a06(00):とおもひさだめ給ふぞとたつねければ時に上人
0000_,17,736a07(00):いづみ川雲井の空にながれてし
0000_,17,736a08(00):いま行末は風にまかせて
0000_,17,736a09(00):と答へ給ふにおりふし風おこりて船は流のはやきに
0000_,17,736a10(00):したかひてとをざかりけるとぞ。
0000_,17,736a11(00):上人それより續喜郡飯岡村に行き三の峯に上りて四
0000_,17,736a12(00):方を眺望し給ふに亂山四面に圍み淸河遠く流る誠に
0000_,17,736a13(00):紅塵不到の絶境にして沙門の棲息すべき勝地なり麓
0000_,17,736a14(00):の人かたりけるは往昔は精舍ありて殿堂いからをな
0000_,17,736a15(00):らべしがいまはかく荒涼の地となれりといひければ
0000_,17,736a16(00):上人も感慨あさからずそののち奧林三良兵衞なるも
0000_,17,736a17(00):のとあひはかりて絶たるを起して再び僧居の地とな
0000_,17,736b18(00):し給へり今の西方寺これなり。
0000_,17,736b19(00):繪
0000_,17,736b20(00):寬永十五年上人八十七歳の時三の峯に石佛三軀を刻
0000_,17,736b21(00):立し給へり東の峯には藥師如來を安置し藥師經一部
0000_,17,736b22(00):を書寫して其の像の下に埋南の峯には釋迦文佛を安
0000_,17,736b23(00):置して法華壽量品を埋西の峯には阿彌陀佛の像を立
0000_,17,736b24(00):て彌陀經を埋むさて十五日は彌陀感應の日なりとて
0000_,17,736b25(00):毎月遠近の道俗花を折り香をたづさへて西の峯に上
0000_,17,736b26(00):りて彌陀佛を供養し奉る其の日は上人も彌陀佛の前
0000_,17,736b27(00):にて參詣の道俗に對して十念を授け本願の深意稱名
0000_,17,736b28(00):の巨益などこまやかに勸導し給ふそれよりながく恒
0000_,17,736b29(00):格となりぬ。
0000_,17,736b30(00):繪
0000_,17,736b31(00):上人其の年の冬のころより微疾に染みて氣力日日に
0000_,17,736b32(00):おとろへ眠食常にかへりがたければ終焉はどちかき
0000_,17,736b33(00):にありとおほしぬ翌年の正月十五日にはわきて彌陀
0000_,17,736b34(00):參詣の人もおおくみなみな西の峯になみ居て上人を
0000_,17,737a01(00):待ちけりされば上人も今生の結縁いまをかぎりとお
0000_,17,737a02(00):ほしめし侍者に手をひかれて寺を出で給ひけれど老
0000_,17,737a03(00):の身に病の重をそへたれば佛前まではかなひがたく
0000_,17,737a04(00):て麓にしばし休て恒例の十念を授け給ひわれはやか
0000_,17,737a05(00):て淨土に生るるなり花の臺に半座を留て待ぞ待ぞと
0000_,17,737a06(00):いひもてやがて方丈にかへり入らせ給ひぬ。
0000_,17,737a07(00):繪
0000_,17,737a08(00):正月十六日より別に臨終の道塲を設け畫工託摩が書
0000_,17,737a09(00):し彌陀の三尊を掛て幡蓋をかざりて香花をそなへ或
0000_,17,737a10(00):時は高聲或時は低聲に稱名の聲相續せり隨從の弟子
0000_,17,737a11(00):たち助音のために鐘をならし磬をうちてもろともに
0000_,17,737a12(00):念佛し世間の雜話はたがひに制止してかつてなさざ
0000_,17,737a13(00):りき。
0000_,17,737a14(00):繪
0000_,17,737a15(00):正月廿日に至りて上人遠近の緇素を招き集めて滅後
0000_,17,737a16(00):防非の誡めいとおごそかに安心起行の沙汰などは
0000_,17,737a17(00):平日よりもなほこまやかなり或は日比の親愛を謝し
0000_,17,737b18(00):或は父母あるものには孝行を勸め或は衰老のものに
0000_,17,737b19(00):は無常の理を説機宜に隨ひて遺命まちまちなりしか
0000_,17,737b20(00):ば時刻移りて日もはや暮れぬ上人大悟のちかづき來
0000_,17,737b21(00):るをしり給ひて雙林涅槃の儀にならひ頭北面西に床
0000_,17,737b22(00):臥して一心稱名の聲綿綿として絶ゆる事なし上人し
0000_,17,737b23(00):ばし微笑して歡喜の相ありしが眠かごとくにて風息
0000_,17,737b24(00):絶ぬ時に寬永十六年正月廿一日卯時春秋八十八歳な
0000_,17,737b25(00):り。
0000_,17,737b26(00):繪
0000_,17,737b27(00):上人一代の製作血脈論一卷麒麟聖財論私釋一卷大原
0000_,17,737b28(00):端書一卷梵漢對映集二卷啓袋中一卷大澤文庫一卷こ
0000_,17,737b29(00):れは奧州にて著せり明眼論記一卷は九州にして作れ
0000_,17,737b30(00):り琉球神道記五卷琉球往來記一卷は彼國におゐて黄
0000_,17,737b31(00):冠馬幸明が請によりて出せり天竺往生記抄臨終要决
0000_,17,737b32(00):抄聖賛十六卷曼荼羅白記十二卷元亨釋書略頌は洛
0000_,17,737b33(00):陽にて述せり靈地集二卷撰擇之傳一卷は南都にて製
0000_,17,737b34(00):せり四十二章經注一卷涅槃考文鈔一卷泥洹之道一卷
0000_,17,738a01(00):彌陀偈抄一卷五百誓願記三卷舍利禮文記は瓶原にて
0000_,17,738a02(00):記せり其の餘の傳記序銘など今に殘りて世に流行せ
0000_,17,738a03(00):り。
0000_,17,738a04(00):繪
0000_,17,738a05(00):廿二日には荼毘のよし聞へければ年來上人の敎導を
0000_,17,738a06(00):蒙りし道俗男女踵を繼で西方寺に群集し茅を折木を
0000_,17,738a07(00):積て道俗男女異口同音に念佛しつつ火化しけるに折
0000_,17,738a08(00):ふし微風動搖して火焰空に上る其の一一の焰屈曲し
0000_,17,738a09(00):てみな虚空藏菩薩の梵字となれり滿山の人人かかる
0000_,17,738a10(00):異靈をみしゆへに多くは歸り得ずして其夜は西方寺
0000_,17,738a11(00):に通夜し居たり。
0000_,17,738a12(00):繪
0000_,17,738a13(00):廿三日天明て後火も消へ灰も冷になりければ人人打
0000_,17,738a14(00):寄りて遺骨をひろいけるに或は佛像となり或は靑色
0000_,17,738a15(00):白色の舍利となれり人人いよいよ尊重の心深くして
0000_,17,738a16(00):あらそひ拾ひぬつらつら上人一生の化導を案ずるに
0000_,17,738a17(00):智目の照すところ和漢に通じて輿典を製し行足の履
0000_,17,738b18(00):むところ都鄙を經て梵刹を建り實に先賢にも不愧又
0000_,17,738b19(00):遺弟の依杖なりしかのみならず降誕の初には掌内に
0000_,17,738b20(00):尊像を握り荼毘の終には空裏に梵形を現はす時の人
0000_,17,738b21(00):虚空藏菩薩の化身なりと仰きしも更にうたがふべか
0000_,17,738b22(00):らざるものなり。
0000_,17,738b23(00):曾袋中上人康存之日山州瓶原有山田氏某聞見上
0000_,17,738b24(00):人行狀多年筆記自珍藏焉一日持其記來遺于良敎
0000_,17,738b25(00):是順順齎其記呈于良照山師師欣賞而取舍其
0000_,17,738b26(00):記令華開湛慧師繕寫遂成全傳矣尚令乎近州敬
0000_,17,738b27(00):輔粗草畵圖輔也逝矣由是未成全畵未及淸
0000_,17,738b28(00):書比記其後師命余云淸書此記附入畵圖分
0000_,17,738b29(00):爲兩軸莊飾事了寄附于瓶原心光丈室余奉嚴命
0000_,17,738b30(00):先是乞于山州伏見郷信曉公淸書此記未及全畵
0000_,17,738b31(00):今茲京洛有法尼良澂淸忍隨喜此事捐貲使乎畵
0000_,17,738b32(00):工某成全圖矣莊挍事訖珍藏于心光丈室全傳起由云
0000_,17,738b33(00):爾。
0000_,17,738b34(00):寬延二己巳年春二月廿一日良呈泰雄
0000_,17,739a01(00):謹書於山洲甕原心光丈室
0000_,17,739a02(00):附錄
0000_,17,739a03(00):守夜神降臨記
0000_,17,739a04(00):慶長八年癸卯三月十五日袋中上人法林寺にて專修念
0000_,17,739a05(00):佛し給ふ道塲に婆珊婆演底守夜神女降臨し給へりそ
0000_,17,739a06(00):の相貌は虚空中に於て寶樓閣香蓮華獅子の座におは
0000_,17,739a07(00):します眞金色おこそかに紺靑の目髮あざやかなり慈
0000_,17,739a08(00):悲柔順のかほばせ端嚴なれば拜するに歡喜の心を生
0000_,17,739a09(00):ず身にはあかき衣を着頭に寶冠をいただきて寶瓔珞
0000_,17,739a10(00):を身にまとへり一切星のかたち體にありて光り四方
0000_,17,739a11(00):をかがやかし一一の毛孔に於て皆無量惡道の衆生を
0000_,17,739a12(00):化度する事をあらはして不可思議未曾有のありさま
0000_,17,739a13(00):なりさて上人に告て宣はく師常に彌陀の本願を仰ぎ
0000_,17,739a14(00):て口稱念佛のつとめ年をつめり我宿願力あるにより
0000_,17,739a15(00):てこれを感ずること深し此故に今來りて我思ふ所を
0000_,17,739a16(00):告るなり世の人彌陀の本願を修し口稱念佛の行たえ
0000_,17,739a17(00):ざらんものは常に守るが故に其人をして山海水火の
0000_,17,739b18(00):諸難を初めあらゆる畏難をのぞき又一切の願ひもと
0000_,17,739b19(00):むる所を成就せんとてひとつの神符をあたへ我をた
0000_,17,739b20(00):のむものはかならずちからに應じて念佛せよといひ
0000_,17,739b21(00):終りて御かたちはかくれさせ給ひぬ上人此神女を拜
0000_,17,739b22(00):しその御告を聞て感喜深くしてこの趣をしるして藏
0000_,17,739b23(00):中に納められしとなりさればかの神符と御告の趣を
0000_,17,739b24(00):引あはせ殊に降臨の日十五日なるが故此日を彼神の
0000_,17,739b25(00):縁日と定めて本地身阿彌陀佛と傳ふるこそ殊にたふ
0000_,17,739b26(00):とく思ひ侍る。
0000_,17,739b27(00):そもそも此女神は華嚴經中主夜神の一にして中天竺
0000_,17,739b28(00):には婆僧多又は婆娑婆陀婆羅薩耶と名く此の方に
0000_,17,739b29(00):て依止不畏と譯す又は春生神とも春和神とも名く
0000_,17,739b30(00):四十華嚴十七日本にては春主當神と名け奉るとなんくはし
0000_,17,739b31(00):くは鸞宿大僧正のしるし給ふ縁起に見へたり。
0000_,17,739b32(00):託靜門下愚尼慧松摸寫之
0000_,17,739b33(00):
0000_,17,739b34(00):袋中上人傳一卷
0000_,17,740a01(00):此一卷は山城州みかのはら心光庵に什寶とせる袋
0000_,17,740a02(00):中上人二卷の繪詞傳のうつしなり今年壬辰の春三
0000_,17,740a03(00):月十八日より廿四日まで袋中庵にて一七箇日別時
0000_,17,740a04(00):念佛を修行しおのれ順阿が法施せんことを請求せ
0000_,17,740a05(00):らるこは今より七年の後つちのえ戌のとし上人二
0000_,17,740a06(00):百回忌の正當なるを庵主信海尼あらかじめ勤修せ
0000_,17,740a07(00):らるるなりけりおのれ上人にえにしあれば幸ひ此
0000_,17,740a08(00):時を得て專修念佛を勸るちなみ彼繪詞傳をひらき
0000_,17,740a09(00):て上人一世の芳蹤を稱揚してその遺德を讃歎せり
0000_,17,740a10(00):此故にかの本傳の詞書を摸寫せしめてもて袋中庵
0000_,17,740a11(00):の什寶となすものなり。
0000_,17,740a12(00):天保三年三月 洛東專念老隱順阿
0000_,17,740a13(00):(本傳題辭)
0000_,17,740a14(00):奉閲袋中上人傳題其卷首
0000_,17,740a15(00):薩埵神跡本無生母夢月輪胎覺羸童眼放光窺聖典令
0000_,17,740a16(00):名遭試適師情造書百卷輝遐代振錫諸郷警衆氓八十
0000_,17,740a17(00):八年扶佛化終時含笑感蓮迎。
0000_,17,740b18(00):屬於法輪寺修上人二百回之法會請余法施乃借此
0000_,17,740b19(00):傳本以擬談柄敢作一偈還之。
0000_,17,740b20(00):洛東西光律寺老比丘十阿義聞