0000_,17,766a01(00):光明院開基以八上人行狀記
0000_,17,766a02(00):
0000_,17,766a03(00):上人諱は存易字は以八。別に專求西と號す。行蓮社
0000_,17,766a04(00):信譽は本宗恒式の稱謂なり。奧州岩城の産にしてち
0000_,17,766a05(00):ちは賀氏法名道祐母は幡氏法名妙善夫婦ともに子なきことをな
0000_,17,766a06(00):げき心をひとつにして月天子に祈願し。毎月十五夜
0000_,17,766a07(00):二十三夜にはことに丹誠をぬきんで念願せられける。
0000_,17,766a08(00):そのしるにや有けん。はたして幡氏懷妊し。天文八
0000_,17,766a09(00):己亥歳男子を誕生す。天性質直にして孩稚のころよ
0000_,17,766a10(00):り世の童子にことなりき。かりそめにも戯弄をこのま
0000_,17,766a11(00):ず。ただ出家學道を願望せり。父母もまたその生質
0000_,17,766a12(00):の奇異なるを見てむなしく塵網繫縛せんことをおし
0000_,17,766a13(00):み。十一歳の春同州能滿寺の天蓮社存洞上人にあた
0000_,17,766a14(00):へて弟子と成しぬ。剃髮染衣して名を存易と號す。
0000_,17,766a15(00):存洞は則ち師の叔父なりければ。心をつくして敎示
0000_,17,766a16(00):せらる。師學問の性靈利にして一を聞て十をしり。
0000_,17,766a17(00):耳に觸るところ憶持してわするることなし。
0000_,17,766b18(00):○本州大澤の圓通寺は淨宗の學肆なりければ。修學
0000_,17,766b19(00):のはじめ笈を負ふて此寺にゆき粗宗義を習學せらる
0000_,17,766b20(00):時に上總國生實の大巖寺開山道譽貞把上人は當時の
0000_,17,766b21(00):名匠一宗の雄才なりければ。師これをしたふて座下
0000_,17,766b22(00):にゆき隨侍し晝夜孜孜として法理を研覈す。よつて
0000_,17,766b23(00):いくほどなく其學内外に通じその智二門に明なり上
0000_,17,766b24(00):人も勝れたる法器なることをよろこびて。一家の奧旨
0000_,17,766b25(00):底を盡して授與したまふ。なをも修學を勵したまは
0000_,17,766b26(00):ば大業をもとげらるべき器なりけれど。素より名利
0000_,17,766b27(00):をいとひ隱遁に志ふかかりければ。つねに一擧萬里
0000_,17,766b28(00):絶域他方ならんことをのみをもひたまひぬ。遂に行年
0000_,17,766b29(00):廿八歳のなつ。永く師席を辭し舊里をはなれて抖擻
0000_,17,766b30(00):行脚の身となれり。其とき兄弟にしめしたまふとて
0000_,17,766b31(00):かきのこし置たまへる文にいはく。佛法修行はいか
0000_,17,766b32(00):にも攝心五十年も三十年も閑に工夫思案するが第一
0000_,17,766b33(00):なり。世間をば打すつる心もちにて思案一片に心を
0000_,17,766b34(00):なすべく候たとひ悟道得法するとても。修行なくし
0000_,17,767a01(00):て打すてば自理を失ふべく候。其用心肝要に候。さ
0000_,17,767a02(00):れば古人も悟道は易く修行はかたしといへり。又は
0000_,17,767a03(00):大事をあきらめても父母を一度に殺してある心もち
0000_,17,767a04(00):にて工夫せよといへり。尤ありがだき事どもなり。
0000_,17,767a05(00):此樣なるこそは眞實の佛法にて候へ。今どきの佛法
0000_,17,767a06(00):のあつかひは一向外道の法にて候。よくよく經論を
0000_,17,767a07(00):見はけ能能身に當こころにひき受て思案候はば佛祖
0000_,17,767a08(00):の内證にかなふべく候と云云。
0000_,17,767a09(00):○師北越遊行のおりから。ゆきくれて道のかたはら
0000_,17,767a10(00):なる塚間の草堂にいりて宿したまふ。つらつらおも
0000_,17,767a11(00):へらくいま此やどりを得たるこそ幸なれ。幻身を石
0000_,17,767a12(00):火光中によせ。餘命を井藤綆上に保つ。新舊の墳墓
0000_,17,767a13(00):證據ここにありとつかれをわすれて稱名す。聲音澄
0000_,17,767a14(00):わたりて林野寂寞たり。ときに夜まさに二更ならん
0000_,17,767a15(00):とするころ。僧一人俗四五輩。死屍を舁來り誦經な
0000_,17,767a16(00):どして火葬しさりぬ。師慘然としておもへらく。浮
0000_,17,767a17(00):世のありさま皆もつて是のごとし誰か無常の身にあ
0000_,17,767b18(00):らざらんやはと。いよいよ聲を勵して念佛したま
0000_,17,767b19(00):ふ。しばらくありてかの死屍一堆の火と化し竟れ
0000_,17,767b20(00):り。ときにひとり女人たちまち火中より出て四方を
0000_,17,767b21(00):顧みはしりて。茶碗にある手向の水を飮。又元のと
0000_,17,767b22(00):ころにいたり。大に叫びていはく。苦しい哉悔しき
0000_,17,767b23(00):かな。つとむべき善根は營ずして。なすべからざる
0000_,17,767b24(00):惡業をのみつくれり。今若る苦を受ることよといひ
0000_,17,767b25(00):畢りて再び火中にいりぬ。其聲はなはだいたまし。
0000_,17,767b26(00):師まのあたり是を見て憐愍のおもひに絶ず。曉にお
0000_,17,767b27(00):よびて火坑にいたりて見たまへば灰骨ともに墨のご
0000_,17,767b28(00):とし。漸くあたり近き里に出。とある家に入て問給
0000_,17,767b29(00):ふは此ところに新死の人や有と。家主答ていはく昨
0000_,17,767b30(00):日此東家の婦女死しぬ。ゆふべ初夜の比某野に送れ
0000_,17,767b31(00):りと。又問ていはく其人生前にいかなる生質にてあ
0000_,17,767b32(00):りけるやと。答て曰婚禮の始より唯嫉妬偏執貪欲瞋
0000_,17,767b33(00):恚のおそろしきことをのみ見聞侍りぬと。師聞てお
0000_,17,767b34(00):もへらく善惡因果の道理は苟且にも誣べからずと。
0000_,17,768a01(00):終夜見しありさまをつぶさにかたり聞へければ。人
0000_,17,768a02(00):人おどろきかなしみ皆皆念佛のしめしをぞ受侍る。
0000_,17,768a03(00):○師またあるとき備後にいたらんと欲して山路にさ
0000_,17,768a04(00):しかかりたまひしに日もはや西山にかくれ陰雲天に
0000_,17,768a05(00):おほひしかば。樹下石上は素より沙門の憩息すると
0000_,17,768a06(00):ころなれども。今宵の風雨をいかが凌なんと。道行
0000_,17,768a07(00):ふりに山のあいだを見わたしたまへば。一つの茅屋
0000_,17,768a08(00):あり。立寄てやどりを乞ひ給ふに。あるじ左右なく
0000_,17,768a09(00):ゆるしぬ。時に其男泣泣かたるやう。今日は不幸に
0000_,17,768a10(00):して年比の妻におくれ侍りぬ。たのみ寺の僧を請し
0000_,17,768a11(00):てのべの送りをとげ侍らんとおもふに。其寺はるか
0000_,17,768a12(00):に此山のうしろにあり。やつがれ今行て僧を請じ來
0000_,17,768a13(00):らん。其間。師ねがはくは。死婦をまもりたびてん
0000_,17,768a14(00):やといへば。師こたへていといとやすき事なり。我
0000_,17,768a15(00):よくこれを守りなん。とく往て僧を請じ來れよとこ
0000_,17,768a16(00):たへたまひけるに男よろこびて出ぬ。師亡婦をあは
0000_,17,768a17(00):れみ。しきりにねんぶつして冥福に擬せられける。
0000_,17,768b18(00):しばらくありていづちともなく壹人の僧いり來れ
0000_,17,768b19(00):り。師のおはしますをもかへり見ることなく。ただち
0000_,17,768b20(00):に死婦がかばねに就き。手をもちて衣をはぎとり。
0000_,17,768b21(00):紅舌を出して遍身をねぶり。莞爾として出さりぬ。
0000_,17,768b22(00):師これをみて大におどろき遍身汗流る。つらつら察
0000_,17,768b23(00):するにもし是迎に往し所のたのみ寺の住僧ならん
0000_,17,768b24(00):か。淺間しき有所得の念頭先ばしり來りて若る擧動
0000_,17,768b25(00):を成にやあらんと。ますます至心に念佛せらる。時
0000_,17,768b26(00):に夜半過る比。主のおとこ賴寺の僧を伴ひ歸れり。
0000_,17,768b27(00):師これを見玉へば案にたかはず宵に來れる僧なり
0000_,17,768b28(00):き。よつて慨歎にたへず。其夜は其僧並に主の男と
0000_,17,768b29(00):ともに死骸をとりおさめけり。師は夜明ぬれば其家
0000_,17,768b30(00):を辭して出。彼寺に尋ねゆき。彼僧にあふて問てい
0000_,17,768b31(00):はく。院主昨夜何ことをかこころに思ひ給へるやと。
0000_,17,768b32(00):僧さりげなき顏にて。さらにおもひ事なき由をいら
0000_,17,768b33(00):へぬ。師かさねていへらく。さのみなかくしたまひ
0000_,17,768b34(00):そ。心に思ひし事あらば明らかに語り給へ。予ひそ
0000_,17,769a01(00):かに是をしれり。なんぞ發露して佛前に懺悔せざる
0000_,17,769a02(00):やとて。夜前見し體をくはしく語りたまひぬ。とき
0000_,17,769a03(00):に彼僧おどろき泣ていはくわれあやまれりあやまれり山寺
0000_,17,769a04(00):のありさま。常に朝三暮四資縁にとぼしければ。此
0000_,17,769a05(00):事を聞やいなや。耻しながら思念することかくのごと
0000_,17,769a06(00):し。其あさま敷欲心。はしり行て其かたちをなすに
0000_,17,769a07(00):やあらん。呼かなしひかな。かかる心にては來世の
0000_,17,769a08(00):苦報はかりがたし。今おもはずも尊師にあひ奉りて
0000_,17,769a09(00):我罪業をあらはせること。よくおもへば我爲の善知識
0000_,17,769a10(00):なり。これを聞ながらなんぞむなしく月日を送らん
0000_,17,769a11(00):や。今より後ながく世縁をすて。誓ふて菩提をもと
0000_,17,769a12(00):めんと。終に寺を退いて。いづくともなくゆきさり
0000_,17,769a13(00):ぬ。
0000_,17,769a14(00):○玆におゐて。師つらつらおもへらく學侶にまじは
0000_,17,769a15(00):れば名聞の繩の爲に縛せられ。檀越にちかづけば利
0000_,17,769a16(00):養のやいばの爲に害せらるはなはだ怖畏すべし。佛
0000_,17,769a17(00):天いまだわれをすてたまはずこれらの奇事をもて
0000_,17,769b18(00):我不信麁暴を懲さしめたまふにこそあらめ。これま
0000_,17,769b19(00):た我ための善知識なりとよろこびたまへりあろ人のいはく師凡そ
0000_,17,769b20(00):八度まてかくのごとき奇事を見たまひ隱逸の心いやましければ以八と稱せらるといひつたへたり。いまただ二事をつとふ。その餘はさ
0000_,17,769b21(00):らにかんかふべしそれより以後はますます名利の桎梏をさけ東
0000_,17,769b22(00):西を遊行し南北にへんれきし。或ときはつぶねとな
0000_,17,769b23(00):り。あるときはかたいとなりて。密修暗練することあた
0000_,17,769b24(00):かも玄賓增賀のごとく。また心戒覺英に似たり。天台
0000_,17,769b25(00):止觀の三術ゆたかにおこなふところなり。衣食とも
0000_,17,769b26(00):に節儉にして高風古德にはづることなし。師平生所持の袈裟一領
0000_,17,769b27(00):いま現に光明院にあり體はあらもめん色は黑量は七條はなはだそまつなるものなり水邊林下僧坊塵寰
0000_,17,769b28(00):さだまれる住所なく。諸州の名山勝槪いたらざると
0000_,17,769b29(00):ころなし。時にしたがひ所にまかせてねんぶつを弘
0000_,17,769b30(00):通したまへり。かつてしばしば勢州山田の源福寺石
0000_,17,769b31(00):州都川の杖溪寺に往來せり。洛東一心院にも幽捿し。
0000_,17,769b32(00):あるひはよし野西行庵の舊せきにも住居せらる。
0000_,17,769b33(00):○師一時筑後の善導寺にゆき祖師堂にいりて晨香夕
0000_,17,769b34(00):燈つとめて三祖善導大師圓光大師聖光上人の鴻恩を報謝せらる。ときに
0000_,17,770a01(00):藝州嚴島は神德靈威にして天下の勝境なりと聞て登
0000_,17,770a02(00):臨のこころざしあり。爰に善導寺の檀越なる人と嚴
0000_,17,770a03(00):島の住人に小河及西といふものと舊識なりければ。
0000_,17,770a04(00):彼檀越の書簡を得て渡海したまへり。師島上にいた
0000_,17,770a05(00):りて見わたしたまふに聞しにまさりたる靈境なりけ
0000_,17,770a06(00):れば。殊に捿神の地なりとよろこびたまへり。彼書
0000_,17,770a07(00):簡を小河氏へつたへたまひけるに。宿世の因縁にや
0000_,17,770a08(00):一たび相見してより深く崇敬のこころざしあり。法
0000_,17,770a09(00):要を問ひ示誨をうけて渴仰いよいよ髓に徹す遂に土
0000_,17,770a10(00):地をゑらび神社の東の岡に一宇の草庵をむすびて常
0000_,17,770a11(00):に供養をなしたてまつりける。時の人これを名づけ
0000_,17,770a12(00):て岡の菴といふ今の光明院これなり。はじめ師嚴島
0000_,17,770a13(00):の近里に宿せられけるとき。夢中に明神來現ありて
0000_,17,770a14(00):つげたまはく我はいつくしま明神なり久しく師の道
0000_,17,770a15(00):德を仰く。願はくはわれしまにありて興法利生した
0000_,17,770a16(00):まへと。夢さめて島にいたり一覽せられけるに紫の
0000_,17,770a17(00):靄のごとくなるもの島のきしにたなびけり。實に不
0000_,17,770b18(00):可思議のこと共なり。
0000_,17,770b19(00):○師一日大明神の寶前にありて法施をささげたま
0000_,17,770b20(00):ふ。時に。いづちともなく貴女壹人きたりて相見し
0000_,17,770b21(00):たまへり。その儀相はなはだ怖るべし。其後時時草
0000_,17,770b22(00):菴に降臨し給ふを人或はこれをしるとなり。むかし
0000_,17,770b23(00):加茂大明神。吉水の禪室に降臨したまふ古今同轍な
0000_,17,770b24(00):りとて人人たふとみあへり。
0000_,17,770b25(00):○師また一日柱に靠りて日課念佛す。老衰のくたぶ
0000_,17,770b26(00):れにや。しばしば眠りたまひぬ。門弟等竊にうかが
0000_,17,770b27(00):ひ見るに頭光朗にして闇夜の星のごとし。或は又圓
0000_,17,770b28(00):光の内にましませしを拜せる事度度なり。往古吉水
0000_,17,770b29(00):大師端座念佛のとき光明を現し。また橋をわたりた
0000_,17,770b30(00):まひしとき頭光をあらはしたまふと古今一揆なる靈
0000_,17,770b31(00):應なり。
0000_,17,770b32(00):○師修行功積りて心地も朗然たりといへども。唯三
0000_,17,770b33(00):佛大悲の趣を仰ぎ二祖相承の旨をあがめて。自行化
0000_,17,770b34(00):他偏に稱名念佛を縡としたまへり。ある所にて道俗
0000_,17,771a01(00):集り居たる席にて。例のごとき本願念佛の有がたき
0000_,17,771a02(00):旨を説聞せたまふ。其傍に黠慧武士あり。禪法のか
0000_,17,771a03(00):かはしをきき覺へたるありさまにて。師をあざ笑ふ
0000_,17,771a04(00):こころゆへ。古則など拈提し。我は顏にて鼻のあた
0000_,17,771a05(00):りを。をごめかしてほこりゐたりけるときに。師た
0000_,17,771a06(00):ちまち彼人に對し。勵聲自ら以八以八と二聲呼び
0000_,17,771a07(00):て。汝會すやいなやとのたまへば。彼おとこおどろ
0000_,17,771a08(00):き閉口して答なし。師のいはく。咄咄。多言すること
0000_,17,771a09(00):なかれ。這筒の大道は言語のおよぶ所にあらず。唯
0000_,17,771a10(00):自己に廻光返照して猛に精彩をつけ。あしたに參
0000_,17,771a11(00):じ。ゆふべに參じ。行じ究め坐し究め。父母未生以
0000_,17,771a12(00):前本來の面目を徹見せんこそ眞修行底なるべけれ。
0000_,17,771a13(00):しからずして唯口頭三昧のみなるは畵餠の飢をすく
0000_,17,771a14(00):はざるがごとし。眼光落地のとき。七顚八倒閻羅老
0000_,17,771a15(00):子の鐵棒を喫するの日あることあらんと。しめされ
0000_,17,771a16(00):ければ彼のをとこ舌を卷てしりぞきぬ。
0000_,17,771a17(00):○又或禪寺にいたり僕のごとく事へて居られしと
0000_,17,771b18(00):き。水風呂の湯をわかしながら念佛せられければ。
0000_,17,771b19(00):其寺の禪師。風呂桶の内より汝は淨土宗なりやと問
0000_,17,771b20(00):かけらる。師すなはちいかにも其通りと返答有。と
0000_,17,771b21(00):きに禪師申さるる樣は然らば汝祖師善導のごとく佛
0000_,17,771b22(00):を吹出して見せよと。師こたへていはく禪師もまた
0000_,17,771b23(00):達磨のごとく蘆にのりて川をわたりて見せたまへ其
0000_,17,771b24(00):とき我も又佛を吹て見せまふさんと。禪師そのまま
0000_,17,771b25(00):閉口して驚歎せられけり。
0000_,17,771b26(00):○美作誕生寺は元祖大師降靈の地にして四百餘年梵
0000_,17,771b27(00):風相續せり。しかるに備播作三州大守黄門宇喜田直
0000_,17,771b28(00):家は異流を信じて念佛をきらひ。天正六年五月二十
0000_,17,771b29(00):五日僧俗數百人を帥ひて。迅雷のとどろくがごとく
0000_,17,771b30(00):誕生寺へをしよせ。殿堂を破却して佛像をうちくだ
0000_,17,771b31(00):き經卷をやきすて。須臾の間に荒墟となしさりぬ。元
0000_,17,771b32(00):祖の木像はある人急にいだきとり井に投入て難をま
0000_,17,771b33(00):ぬがれたりき。明年信長公命を下し江州安土におゐ
0000_,17,771b34(00):て貞安老人と宗旨を抗論し。かの徒遂に負處に墮し
0000_,17,772a01(00):ぬ。天正十年直家もまた逝す。其嗣子秀家もつみあ
0000_,17,772a02(00):りて流刑に處せらる。因果報應の跡昭然たり。しか
0000_,17,772a03(00):れども誕生寺は終に異流にしづむこと年久し。依て
0000_,17,772a04(00):諸檀信再興のこころざしを發すといへども住持いま
0000_,17,772a05(00):だ本宗に復することあたはず。ときに師。いつくし
0000_,17,772a06(00):まにあり。祖跡をしたひきたり見たまふに其廢亡目
0000_,17,772a07(00):もあてられぬありさまなり。師ふかくこれをいた
0000_,17,772a08(00):み。いかにもして再興せんと。心肝をくだくこと言
0000_,17,772a09(00):語にたへたり。よつて住持に。祖跡の由來をかたり
0000_,17,772a10(00):なげき。しきりに勸誘せられけるに。住持のいはく。
0000_,17,772a11(00):予もまたそのこころざしなきにあらずといへども。
0000_,17,772a12(00):事をはかるべきちからなしと。師悅びていはく。そ
0000_,17,772a13(00):の資料は我寄捨せんと。急ぎいつくしまにかへり弟
0000_,17,772a14(00):子雲譽をつかはし住持とともに洛の本山智恩院にゆ
0000_,17,772a15(00):きてくだんのむねをうつとふ。時に知恩院主誠譽大
0000_,17,772a16(00):和尚すみやかに領掌ありて。雲譽ならびに誕生寺住
0000_,17,772a17(00):持を率ひて禁闕にのぼり以聞せらる。
0000_,17,772b18(00):龍顏感ありて不日に綸命をくだしたまはり本に復し
0000_,17,772b19(00):ぬ深譽おほひによろこびて本州にかへり再營を縡と
0000_,17,772b20(00):す。今般誕生寺再興の事ひとへに師の丹誠によるも
0000_,17,772b21(00):のなり。その功禹の下にあらずといふべし。
0000_,17,772b22(00):○大凡そ當今末法五濁惡世にて。出離生死の要行は
0000_,17,772b23(00):本願ねんぶつの法門のみ。ときにいたり機にかなふ
0000_,17,772b24(00):がゆへに師の平素自行化他一向專修の勤行にて餘課
0000_,17,772b25(00):をとどめたまはざりき。道俗男女たまたま禮謁をと
0000_,17,772b26(00):ぐるものも法澤にうるほはずといふことなし。當時
0000_,17,772b27(00):藝防等の諸州淨業ねんぶつの流行するはみなこれ師
0000_,17,772b28(00):の德光なり。師いつくしまにありてあまねく化やく
0000_,17,772b29(00):をほどこさるることおよそ三十年の星霜を經たり。
0000_,17,772b30(00):○慶長十九甲寅年なつのころややなやみたまふこと
0000_,17,772b31(00):あり。仲秋にいたりて不食の所勞增氣したまへり。
0000_,17,772b32(00):病床にふしたまふといへども日課稱名すこしもおこ
0000_,17,772b33(00):たりなく道俗男女きたり訪ふともがらに對して法要
0000_,17,772b34(00):をときしめさるる事もまた尋常のごとし。終に九月
0000_,17,773a01(00):十四日むまの刻頭北面西にして念佛と共にねふるが
0000_,17,773a02(00):ごとく安詳としていきたへたまひぬ。世壽七十五。
0000_,17,773a03(00):法臘六十五なりき。このとき道俗男女なごりをおし
0000_,17,773a04(00):みたてまつり歎きしたふこと考妣をうしなへるがご
0000_,17,773a05(00):とし。
0000_,17,773a06(00):○師の臨終のきざみ天花ふりくだり異香薰じわた
0000_,17,773a07(00):る。東西おのおの數里。南北もまたしかり。そのは
0000_,17,773a08(00):な地をさる事一尺ばかりにして消。あるひは人の頭
0000_,17,773a09(00):上にかかり。あるひはたなこころに受るも一尺ばか
0000_,17,773a10(00):りにして則ちきへさりぬ。翌翌日尊體 廿日市湖音
0000_,17,773a11(00):寺にほうむる。すでにふねをうかぶるにおよびて天
0000_,17,773a12(00):花また前のごとく降くだる海陸繽紛として雪のふる
0000_,17,773a13(00):がごとし。棺既に湖音寺にいり燒香等おはりて墓所
0000_,17,773a14(00):におくるときまた天花降くだること前のごとくにて
0000_,17,773a15(00):はなはだ薰れり。上來三度の靈瑞見聞の道俗貴賤隨
0000_,17,773a16(00):喜感歎せずといふことなかりき。師の墳墓の脇に大
0000_,17,773a17(00):松樹あり光明の松といひつとふ。師臨終のときいつ
0000_,17,773b18(00):くしまより光明來りて此松にかかるゆへにといへり
0000_,17,773b19(00):今にいたりて光明院住僧代代の墳墓を此ところにき
0000_,17,773b20(00):づき來れり。また師康存の日此湖音寺主へたまはり
0000_,17,773b21(00):たる書翰いま現在して什寶たり。
0000_,17,773b22(00):○師の弟子に林譽故庵といへる僧あり。おりしも遠方
0000_,17,773b23(00):へ行て終焉にあひ奉らず。やうやく送葬の期におよ
0000_,17,773b24(00):びてかへり來れり。仍て嗟歎懊惱すること限りな
0000_,17,773b25(00):し。止ことを得ずして其日即捨身命終せり。これ來
0000_,17,773b26(00):生の隨從をいそぐ心にもやあらん。師の高德たる。
0000_,17,773b27(00):物のなさけを感ぜしむる事かくのごとし。
0000_,17,773b28(00):○辨蓮社良定帒中和尚は師の同母弟なり。智道兼備
0000_,17,773b29(00):なること世こぞりてこれをしれり。或時師の許にき
0000_,17,773b30(00):たりて異朝へわたらんとおもふ由をかたる。師これ
0000_,17,773b31(00):を詰していはく。汝從來日本へつたはる所の經論章
0000_,17,773b32(00):疏等あまねく披閲して是を明らめ得たるやいなや。
0000_,17,773b33(00):若これを曉らめ得ても心頭いまだ安からずんば則ち
0000_,17,773b34(00):渡海せよ。我あへてとどめずとありければ。定公一
0000_,17,774a01(00):言の答なし。師かさねて告て曰。止なんなん敢て遠
0000_,17,774a02(00):くゆくことなかれ。汝たとひ雲水を萬里に踏。風霜
0000_,17,774a03(00):を百邦に犯して彼善財の南詢にならふとも。稱名ね
0000_,17,774a04(00):んぶつの萬行に秀たるを修得せんにはしかし。汝這
0000_,17,774a05(00):關を透不得にして何ぞみだりに紛動するやとありし
0000_,17,774a06(00):かば。定公も高論に服して遠遊をおもひとどまれ
0000_,17,774a07(00):り。しかるに定公また庸人にあらず。其後はるかに年
0000_,17,774a08(00):を經て琉球國へおしわたられけるに。彼國王その德
0000_,17,774a09(00):をとふとみて篤く崇敬せり。三年のあいだひろく化
0000_,17,774a10(00):益をほどこして歸れり琉球神道記五卷同往來は此ときの作なり曾て京都にお
0000_,17,774a11(00):ゐて法林寺ならびに袋中庵をはじめて居住せらる。
0000_,17,774a12(00):當麻變相白記の述作あり。師の所勞おもくして難治
0000_,17,774a13(00):のよしを聞て。京都を發しなには津よりふねにのり
0000_,17,774a14(00):て下向せられしに。折ふし風波あらくちやくせんお
0000_,17,774a15(00):そなはりしかば師の末期にあふことを得ざりきと
0000_,17,774a16(00):き。船中にて衣をおさめ香をたき念佛し。しばらく
0000_,17,774a17(00):ありて諸徒をかへりみて云く。吁老兄遷化せりと後
0000_,17,774b18(00):時日をかんかふるにすこしもたがはず。師の所持の
0000_,17,774b19(00):佛像寶物書籍等をあらため。定公手づから記錄して
0000_,17,774b20(00):運譽上人へ附與せらる。今現に光明院にあり。その
0000_,17,774b21(00):中師の自筆書寫の抄物尤多し。
0000_,17,774b22(00):○和州當麻寺の住僧。かつて師の道德を渴仰し。中
0000_,17,774b23(00):將法如比丘尼眞跡の稱讃淨土經一卷を進呈せらる。
0000_,17,774b24(00):この外。元祖大師眞跡阿彌陀經一卷。同大師眞跡六
0000_,17,774b25(00):字名號一幅。聖光上人自作自筆授手印卷物一通。善
0000_,17,774b26(00):導大師御影一幅雪舟の筆これらの靈寶もとめざるにおの
0000_,17,774b27(00):づからきたりあつまる。師道德の所感なるべし。
0000_,17,774b28(00):○備後尾道の邑に淨慶といへる有信の居士あり。平
0000_,17,774b29(00):日ふかく師の德風をあふぎ。べつに小ふね一そうを
0000_,17,774b30(00):かまへおき毎月一度このしまに渡りて拜謁せり。年
0000_,17,774b31(00):來ふかく法乳のおんに濕ふを謝せんがためなり。師
0000_,17,774b32(00):もまたその篤志をかんじてねんごろに敎示をくはへ
0000_,17,774b33(00):たまへり。しかるにある僧くだんの淨慶にかたりて
0000_,17,774b34(00):いはく。南都春日明神の寶殿におさめをくところの
0000_,17,775a01(00):紫色圓滿の佛舍利一顆あり。その厨子は未敷蓮な
0000_,17,775a02(00):り。その蓮のくきには釋迦藥師地藏觀音文珠の像
0000_,17,775a03(00):これは春日四所明神ならびに若宮の本地也および彌陀如來の像を彫刻せり。こ
0000_,17,775a04(00):れはもと俊乘坊重源年來の所持なりしに。寶殿にお
0000_,17,775a05(00):さめをきたまへるものなり。その後ある人ひそかに
0000_,17,775a06(00):是を取いだしなにかしか許にゆき。質物として金子
0000_,17,775a07(00):を借やうせり。其券契の期すくれどもこれをつくな
0000_,17,775a08(00):ふことあたはず。かなしいかな無上の靈寶むなしく
0000_,17,775a09(00):不信者の手におちぬ。今もしなんぢこの金子をつく
0000_,17,775a10(00):のひなばこの舍利を得んこと必せり。いかがのぞみ
0000_,17,775a11(00):なきやとありしに。淨慶ななめならずよろこび同所
0000_,17,775a12(00):結行庵の主をその僧にそへて南都につかはし是をあ
0000_,17,775a13(00):がなひ得て歸りければ。淨慶歡喜にたへず。頓て師
0000_,17,775a14(00):の禪室におくりたてまつる。師もまたふかく敬信し
0000_,17,775a15(00):たまへり。風雲際會不測のゐんゑんといつつべし。
0000_,17,775a16(00):いま現に光明院の靈貨たり。
0000_,17,775a17(00):○師の在世に附弟宣流。ひそかに佛工をして師の肖
0000_,17,775b18(00):像を彫造せしむ。その像の面貌まつたく師に似ざり
0000_,17,775b19(00):ければ。流公も本意なき事になんおもへり。しかる
0000_,17,775b20(00):に今師の終焉におよびて。其顏貌此木像にすこしも
0000_,17,775b21(00):違はず能似はべりければ。流公をはじめ諸人不思議
0000_,17,775b22(00):のおもひをなしける。いま現に光明院にある肖像こ
0000_,17,775b23(00):れなり。この像威靈いふべからず。もし僧衆あやま
0000_,17,775b24(00):りて足をあとにして寢ることあれば。おぼへずして
0000_,17,775b25(00):さかしまになる事間多し。
0000_,17,775b26(00):○弟子正壽といふものいささか住にくきことありて
0000_,17,775b27(00):師のもとを辭して他國へゆかんとおもひいとまをこ
0000_,17,775b28(00):ひければ。師その他行をとどめ和歌を詠じて授けら
0000_,17,775b29(00):れける。
0000_,17,775b30(00):ここも風かしこも波の朝あらし
0000_,17,775b31(00):やすからざりとちどりなくなり
0000_,17,775b32(00):是によりて他行をおもひとどまりける。
0000_,17,775b33(00):○弟子歸西といふもの師の眞影を圖畵して點眼を乞
0000_,17,775b34(00):ひければ。色紙がたに一偈を書しまた一首の和歌を
0000_,17,776a01(00):詠じて其うらに書つけたまふ。
0000_,17,776a02(00):消ねただ俤までもうき世には
0000_,17,776a03(00):のこさしとおもふ水くきのあと
0000_,17,776a04(00):此眞影いま現に光明院にあり。右二首のうたはいつ
0000_,17,776a05(00):くしま道芝記第三之卷にも載たり。
0000_,17,776a06(00):○元祿三庚午年。靑蓮院門主尊證法親王。玉管を握
0000_,17,776a07(00):りたまひて光明院といふ額をたまはる。醍醐大納言
0000_,17,776a08(00):冬基卿御添翰ありその所以は冬基卿は年ごろ厭求上
0000_,17,776a09(00):人に歸依したまふかたなり。すなはち念佛安心の書
0000_,17,776a10(00):を厭求上人にこひたまふ。實照院尼公の御子なり。
0000_,17,776a11(00):ゆへにかねて開山の高德をきこしめしつゐに法親王
0000_,17,776a12(00):の高聞にたつすよつてこの擧に及べり。これすなは
0000_,17,776a13(00):ち開山の高德といひ厭求上人深信のいたすところな
0000_,17,776a14(00):り。また華降山の額は厭求上人自筆なり。この上人
0000_,17,776a15(00):かねて開山の高德をしたはる ゆへに請に應じて光
0000_,17,776a16(00):明院に假住したまふ事七ケ年くはしくはべつでんこれありつゐに諸
0000_,17,776a17(00):檀信のねがひによりて跡を弟子了空上人にゆづり院
0000_,17,776b18(00):主としたまふ。次て素信上人恕信上人了信上人法る
0000_,17,776b19(00):い相續す。ゆへに勤行等規矩多く厭求上人の餘風な
0000_,17,776b20(00):り。
0000_,17,776b21(00):○正德元辛卯年。知恩院門主二品大王尊統法親王管
0000_,17,776b22(00):城子をそめて信譽以八上人の六字を大書してたまは
0000_,17,776b23(00):る。其所以は海譽梁道上人 勅命をかうふり。尊統
0000_,17,776b24(00):法親王の御師範に附せらるるに就て。平日したしく
0000_,17,776b25(00):開山の德行を聞しめしたまふによつて此擧におよば
0000_,17,776b26(00):せらるるものなり。彼梁道上人は義山上人嗣法の弟
0000_,17,776b27(00):子祖嚴上人の法弟湛慧律師の法兄なり。しかれども
0000_,17,776b28(00):ゆへありて厭求上人と師弟のしたしみあり。ゆへに
0000_,17,776b29(00):開山の德行をよくしり。かかる尊慮におよばせたま
0000_,17,776b30(00):ふ粤に尊統法親王は恭しく護法の高慮厚くあらせら
0000_,17,776b31(00):れ法親王の御傳は梁道上人著之くはしくは御傳にあり。法親王示寂後は梁道上人依台命小金東漸寺に住職して彼にて寂したまふ
0000_,17,776b32(00):大父王靈元院法皇に奏して本山の山門華頂山宸筆の
0000_,17,776b33(00):額を請したまふ。また元祖大師そのかみ湛空上人に
0000_,17,776b34(00):圓頓戒授與のとき製作したまふ新本戒儀一卷嵯峨二
0000_,17,777a01(00):尊院の寶藏に祕して出さず。古來しばしばもとむる
0000_,17,777a02(00):人あれどもかたくゆるさず。ここをもつて。法親王
0000_,17,777a03(00):にことのよしを申奉る。法親王これを 法皇に奏し
0000_,17,777a04(00):たまひつゐに詔を下してさがの寶庫をひらき大父梁
0000_,17,777a05(00):道をしてこれをうつさしめたまふ。今天下の檀林ま
0000_,17,777a06(00):で元祖大師の新戒儀流布すること源尊統法親王の高
0000_,17,777a07(00):慮より出てまつたく梁道陪從の功。護法心のゆへな
0000_,17,777a08(00):り。終に法縁純熟して法親王示寂の前日。時に正德
0000_,17,777a09(00):元年五月十七日のくれ左右をかへり見たまひて宣は
0000_,17,777a10(00):く。我疾病また起べからず。さいはひに淨土に生ぜ
0000_,17,777a11(00):ん。これ吾夙望なり。還來度人豈こころよからざら
0000_,17,777a12(00):んやと死を視ること歸るがごとし。すこしも憂色な
0000_,17,777a13(00):し。しばらくありてまたいはく受戒傳法はこれ沙門
0000_,17,777a14(00):の軌則。一日もこれなくんばあるへからず。沙門の
0000_,17,777a15(00):沙門たる所以はただこれ此而已。長幼尊卑またこれ
0000_,17,777a16(00):によりて分る。われ年わかきをもつていまだ法水に
0000_,17,777a17(00):浴せず。いま大限すでにいたる。ふかくうらみとす
0000_,17,777b18(00):るのみ。誰かよくよくわれをして禀承を闕ざらしめ
0000_,17,777b19(00):んやと。すなはち華頂の義山和尚を請じて師とす。
0000_,17,777b20(00):山公授るに圓頓大戒をもつてし。また宗門の奧義を
0000_,17,777b21(00):つとふ。親王忻然として領受し。歡喜合掌していは
0000_,17,777b22(00):く宿望已に足れりまた何をかおもはんや。すなはち
0000_,17,777b23(00):彌陀を禮し頭面に接足し高聲に佛をとなふること二
0000_,17,777b24(00):三百遍側侍助和す。すなはち左右につげていはく今
0000_,17,777b25(00):佛像の白毫光をはなちて我面をてらす。汝等見るや
0000_,17,777b26(00):としばらくありて應譽大僧正問訊し給。親王つげて
0000_,17,777b27(00):いはく大期遠からず我先往生す。ねがはくは半座を
0000_,17,777b28(00):とどめて師を花臺にまたん。再會淨土を期するの
0000_,17,777b29(00):み。また綵線をもとめてもつて佛手に繫け手づから
0000_,17,777b30(00):これをとり。仰て迎接をまちたまふに御掌たちまち
0000_,17,777b31(00):金華線をつらぬいて纍纍として降きたるを見たまひ
0000_,17,777b32(00):告ていはく。汝等見るや否やと。凡そ早旦よりこの
0000_,17,777b33(00):かたおもてに喜色ありて時時ゑみをふくみ給ふ得る
0000_,17,777b34(00):所あるがごとし。左右問ひたてまつりていはく比來
0000_,17,778a01(00):の沈痾劇はだし。君何によつてか適悅したまふと。
0000_,17,778a02(00):親王こたへていはく西方の佳期いまそれ近きにあ
0000_,17,778a03(00):り。麁をすてて妙をとる。また悅しからずや。只う
0000_,17,778a04(00):らむらくは人信手無してたまたま寶山にいりてむな
0000_,17,778a05(00):しく歸ることを。易往而無人斯の言實なるかな。汝
0000_,17,778a06(00):等つとめてこれを求よ。自から後悔をいたす事なか
0000_,17,778a07(00):れ。日禺中にいたらばわれまさに更に往生の行粧を
0000_,17,778a08(00):なさんと。則ち午時にいたりて僧伽梨を著し迎接の
0000_,17,778a09(00):線を執り。禮讃の偈を誦したまふに音韻和雅にして
0000_,17,778a10(00):あたかも平日のごとし。また光明遍照の文を唱へ佛
0000_,17,778a11(00):を稱ること三百遍ばかり。回願懇到信解内に薰じ。
0000_,17,778a12(00):至誠外にあらはれて見へさせたまへば左右これがた
0000_,17,778a13(00):めに悲泣雨涙す。すでに晡時にいたりて更に佛名を
0000_,17,778a14(00):となふること三十遍ばかり。端坐合掌して薨じたま
0000_,17,778a15(00):ふ。實に五月十八日申のときなりこれにつゐても他
0000_,17,778a16(00):日御信仰の高慮を恐察すべし。
0000_,17,778a17(00):先師萬貞信後に了阿と號すなはち光明院第十六世住持なりのちに洛西北梅かはた導故院に隱居して明和三丙戌十一月廿二日寂す正し
0000_,17,778b18(00):く厭求上人の法孫八幡西遊寺冏達上人剃髮の弟子なりしかれとも十一歳にして冏達上人におくれそれより梁道上人に師としてつかふよ
0000_,17,778b19(00):つて法親王よりたまふところの佛舍利朱御印並に戒儀傳衣等ことことく傳附之今現に信阿うやうやしく護持す。
0000_,17,778b20(00):○寶曆十三癸未の年開山百五十年忌にあたり。信阿
0000_,17,778b21(00):下向のとき本山知恩院順眞大僧正に申て以八寺の稱
0000_,17,778b22(00):號を乞ひ御染筆を寄附して恩海の一滴にそなふ。す
0000_,17,778b23(00):なはち六字名號を大書して傍に寄與以八寺學信上人
0000_,17,778b24(00):とあるこれなり。
0000_,17,778b25(00):
0000_,17,778b26(00):華降山光明院以八寺開祖行狀記畢
0000_,17,778b27(00):光明院十四世素信著述
0000_,17,778b28(00):同 院十五世恕信重修
0000_,17,778b29(00):法孫古知谷信阿追考
0000_,17,778b30(00):尾州八事山和上挍訂
0000_,17,778b31(00):信阿和尚わかき比光明院にありて了阿和尚に隨從
0000_,17,778b32(00):しけるに此和歌を詠して師にみせられけれはこと
0000_,17,778b33(00):に感賞せられけるとなん今度此行狀記を梓に命す
0000_,17,778b34(00):るにいたりてただにやみなんもあまり本意なく覺
0000_,17,779a01(00):へ侍るままと麗此所に書註し侍るになん。
0000_,17,779a02(00):はなふりし法の聖の名取川
0000_,17,779a03(00):末のなかれを汲んとそおもふ
0000_,17,779a04(00):
0000_,17,779a05(00):附 錄
0000_,17,779a06(00):○運譽辨西宣流和尚ハ師ノ上足ナリ。師曾テ六字名
0000_,17,779a07(00):號ヲ書テ授與シ傳法寫瓶ノ印信トス。并ニ持經本尊
0000_,17,779a08(00):房舍聖敎等マデ悉ク讓リ與ヘラル。即第二世ノ住持
0000_,17,779a09(00):タリ。寬永元甲子ノ年草菴ノ地ニ院宇ヲ造立シテ華
0000_,17,779a10(00):降山光明院ト稱ス。是則チ師ノ在世及ビ終焉ノ奇瑞
0000_,17,779a11(00):ヲ末代マデモ追慕センガ爲ニ。山ニモ院ニモ名ケケ
0000_,17,779a12(00):ルナラン。唯念佛ノ道場トシテ勤行規矩嚴重ナリ。
0000_,17,779a13(00):○内佛ノ彌陀尊ハ惠心ノ御作開山持念ノ尊像ナリ。
0000_,17,779a14(00):○門外ノ客寮加祐軒ハ往古記主禪師掛錫ノ蹤跡ナ
0000_,17,779a15(00):リ。
0000_,17,779a16(00):○緇白往生傳曰至上人沒後有依大明神御託宣
0000_,17,779a17(00):築墓所於神祠近邊已上今ハ此墓ナシ然ニ神社ノ西ニ
0000_,17,779b18(00):當リテ參詣ノ輩。石ヲ重ネ塔ノ形ニスル處アリ。如
0000_,17,779b19(00):何ナル由ト云コトヲ知ラズ。若クハ是上人ノ墓ノ跡ナ
0000_,17,779b20(00):ラン歟更ニ詳ニセヨ。
0000_,17,779b21(00):○緇白往生傳曰彼島有一俗平生極暴惡無善者也
0000_,17,779b22(00):臨命終現種種惡相狂亂顚倒無窮而命終矣。其中
0000_,17,779b23(00):陰内彼惡人亡魂成肉茸生其地矣。上人預於光
0000_,17,779b24(00):明院第二世住持夢中告知之若食之吐血而死矣。
0000_,17,779b25(00):於此彼惡人繼子某當初七日忌辰設齋請光明院
0000_,17,779b26(00):住持營追福。以彼肉茸生爲幸而出之住持則
0000_,17,779b27(00):以上人夢告之旨語繼子令捨之其時此肉茸變成
0000_,17,779b28(00):血矣。
0000_,17,779b29(00):○法華經序品曰復有名月天子普光天子寶光天子已上
0000_,17,779b30(00):天台疏曰即三光天子也。名月是寶吉祥月天子大勢至
0000_,17,779b31(00):應作也。普香是明星天子虗空藏應作也。寶光是寶意
0000_,17,779b32(00):日天子觀世音應作也已上楞嚴經ニ二十五聖ノ圓通ヲ説
0000_,17,779b33(00):中ニ勢至ハ則チ念佛圓通ナリ。彼ニ曰我本因地以
0000_,17,779b34(00):念佛心而入無生忍今於此界攝念佛人歸於淨
0000_,17,780a01(00):土已上今上人ノ父母既ニ月天子ニ祈念シテ上人ヲ得。
0000_,17,780a02(00):上人念佛ヲ行シテ自行化他シ。多人ヲ攝化シテ淨土ニ歸
0000_,17,780a03(00):セシムルコト能上ノ二經ノ文ニ相應セリ。又嚴島本社
0000_,17,780a04(00):ノ後ニ本地堂アリ則チ觀音ナリ。本社ヨリ廿町餘ニ
0000_,17,780a05(00):彌山アリ此山ニ虗空藏堂有弘法大師以來求聞持ヲ修
0000_,17,780a06(00):スル行者絶ルコトナシ。爾ラバ則チ自然ニ日天子本社月
0000_,17,780a07(00):天子光明院明星天子彌山ノ三光天子字ノ三點ノ如ク一
0000_,17,780a08(00):處ニ集會セルニ非スヤ實ニ是希有ナリ。又彌山ノ靈
0000_,17,780a09(00):寶ニ三光石アリ不思議ト謂ツベシ。
0000_,17,780a10(00):○雙岡洞空上人ノ上足蓮盛ノ著ル善惡因果集ニ曰關
0000_,17,780a11(00):東ニ或寺ノ檀那ナリケル老婆。死シテ墓處ニ納メケ
0000_,17,780a12(00):ルガ。初七日ニ當リテ寺ノ住持ヲ檀家ヘ請待シケ
0000_,17,780a13(00):リ。其前夜件ノ住持ノ夢ニ。鬼カ人カト怪シムベキ
0000_,17,780a14(00):者來リテ法師疾來レト云。怖レテ行マジトイヘバ目
0000_,17,780a15(00):ヲ怒ガシテ。アラケナク引立ユクサテ郊原ニ至テ
0000_,17,780a16(00):カノ老婆ガ屍ヲ引出シ是ヲ食ヘト云。許シ玉ヘトイ
0000_,17,780a17(00):ヘドモ用ヒズ頭ヲ押テ屍ノ䏶ニ指著タリ。力ナクテ
0000_,17,780b18(00):コレヲ食フ。良食テ止ントスレバ。マダ食ヘト強逼
0000_,17,780b19(00):ルト見テ夢ハ覺タリ。覺テ後猶口腥ク徧身汗ヲ流シ
0000_,17,780b20(00):頭痛ミ氣塞リテ心周章シ兎角シテ夜明ケレバ。弟子
0000_,17,780b21(00):共來テ誘ヒケレトモ痛ク心地アシケレバ齋ニ行コトアタ
0000_,17,780b22(00):ハジト云。程ナク隣坊ノ僧モ來リ誘フ。弟子シカシ
0000_,17,780b23(00):カト答フ。隣僧ノ曰イカニモ施主殘リ多ク思フベシ
0000_,17,780b24(00):トテ閨ニ入リテ御坊イカニシ玉フゾト云。住持ノ曰
0000_,17,780b25(00):我ハ頭重ク心ナヤマシト云。サテ立寄テトクト見レ
0000_,17,780b26(00):バ口ノマハリ胸ヘカケテ血ニ染タリ。コハ如何ニシ
0000_,17,780b27(00):テ若ルゾト問バ住持モ隱スベキ樣ナク今夜シカジカ
0000_,17,780b28(00):ノ夢ヲ見タルガ現ニ血ノ見シコソ不思議ナレ。猶モ
0000_,17,780b29(00):墓所ヲ見ヨトテ行テ見レバ。卒都婆モ香花モ蹈散シ
0000_,17,780b30(00):彼屍ヲ堀出シテ引サラシ。䏶ノ肉多ク食ヒチラシタ
0000_,17,780b31(00):リ。其アリサマ悉ク夢中ノ相ニ違ハズ。アキレ果タ
0000_,17,780b32(00):ルバカリナリ。ツツムトスレド隱レナケレバ。寺ニ
0000_,17,780b33(00):在モ耻カシクヤ思ヒケン。又ハ此縁ニ依テ發心ヤシ
0000_,17,780b34(00):タリケン。二人共ニ忍ビ出テ行方ナクナリヌ。案ズ
0000_,17,781a01(00):ルニ此亡者ニ由テ齋非時ヲ貪ル心ノ深カリケル故ナ
0000_,17,781a02(00):ルベシ已上今上人。備後ノ山路ニテ見ラレシ僧ノアリ
0000_,17,781a03(00):サマ能是ニ相似タリ。元亨釋書ニ數他死期寄我
0000_,17,781a04(00):活業トアルモ此意味ナリ古今一同ノアサマシキ貪
0000_,17,781a05(00):心悲シムベシ痛ムベシ。猒離セズンバアルベカラズ
0000_,17,781a06(00):用心用心。
0000_,17,781a07(00):○師北越遊行ノ時ノ語ニ。餘命ヲ井藤綆上ニ保ツト
0000_,17,781a08(00):云ハ。賓頭盧爲優陀延王説法經及ヒ大集經ニ出タル
0000_,17,781a09(00):事ナリ。昔シ人アリ象ニ逐レテニゲ走ルトテ一ツノ
0000_,17,781a10(00):古井ノ内ニ陷タリ。其井ノ上ニ藤生サガリテアリ。
0000_,17,781a11(00):ソノ藤ヲ捉ヘテ井ノ空中ニ住レリ。時ニ井ノ底ヲノ
0000_,17,781a12(00):ゾキ見レバ毒蛇アリ口ヨリ火ヲ吐テ上ノ方ヲ望テ住
0000_,17,781a13(00):ス井ノ空ノ方ヲ仰ギ見レバ白鼠ト黑鼠トカハルバル
0000_,17,781a14(00):出テ藤ノ根ヲ咬キル。サテモ危キコトカナ。只今藤絶
0000_,17,781a15(00):ナバ下ヘ落テ毒蛇ニ呑レナント思テ怖ルル心カギリ
0000_,17,781a16(00):ナシ若ルヲリフシ。何クヨリカ蜂飛來リテ蜜ヲ一滴
0000_,17,781a17(00):ヲトシケル其蜜カノ人ノ口ニ入テ甚ダ甜カリシカ
0000_,17,781b18(00):バ。ソレニ貪著シテ彼危キコトヲ忘レタリ。是ハ譬ナリ。
0000_,17,781b19(00):井ニ陷ハ凡夫有爲無常ノ三界ニ住スルニ喩フ。藤ハ
0000_,17,781b20(00):壽命ニ喩フ。黑鼠ハ夜ニ喩フ。白鼠ハ晝ニ喩フ。互ニ
0000_,17,781b21(00):藤ヲ咬ハ日月交代謝シテ刹那刹那ニ壽命ノ促ニ喩フ。
0000_,17,781b22(00):下ノ毒蛇ハ三惡ノ火坑ニ喩フ。蜜ノ味ニ著シテ危キコト
0000_,17,781b23(00):ヲ忘レタルハ凡夫眼前ノ五欲ニ貪著シテ無常ノ至ルヲ
0000_,17,781b24(00):忘レタルニ喩ルナリ。性靈集ニ兩鼠爭截命藤トア
0000_,17,781b25(00):ル是也。
0000_,17,781b26(00):○嚴島ハ藝州佐伯郡ノ海中ニアリ周回七里ナリ本社
0000_,17,781b27(00):ハ乾ノ方ニ向フ百八十間ノ回廊アリ。神體ハ市杵島
0000_,17,781b28(00):姬ナリ仍テ嚴島ト云。イチキ。イツキハ。タチツテ
0000_,17,781b29(00):トノ通音ナルガ故ナリ。日本紀曰天照太神以八坂
0000_,17,781b30(00):瓊之曲玉浮寄於天眞名井嚙斷瓊端而吹出氣噴之
0000_,17,781b31(00):中化生神號市杵島姬命是居于遠瀛者也已上天照太
0000_,17,781b32(00):神ト一体分身ノ神ニシテ神代ヨリ此處ニ鎭座ナリ。此
0000_,17,781b33(00):神ハ別シテ佛法ニ歸依深クシテ擁護モ篤シト見タリ。今
0000_,17,781b34(00):ノ以八上人ニ限ラズ廿日京洞雲寺嚴島トノ間海上二里ホドアリ金岡
0000_,17,782a01(00):禪師モ參謁アリ淸水ヲ進ゼラル是ヲ金岡水ト云。今
0000_,17,782a02(00):現ニ寺ノ西ニアリ甚ダ淸水ナリ。此水ノ源ハ嚴島ニ
0000_,17,782a03(00):アリ小池ナリ若此水枯渴スルトキ彼ノ小池ヘ行。木
0000_,17,782a04(00):ノ葉ナドサラヘヌレバ直ニ此水多ク成ナリ若掃除ノ
0000_,17,782a05(00):時彼小池ノ水濁レバ此金岡水モ亦濁リテ出ルコト諸人
0000_,17,782a06(00):現ニ見ル所ナリ。海上ヲ二里ホド隔テテ尤不思議ノ
0000_,17,782a07(00):至ナリ。又龜甲ノ紋付タル御衣ヲ進ゼラル是毎年正
0000_,17,782a08(00):月元旦内宮ニ納奉ル御衣ナリ。右ハ本朝故事因縁集ニ出タリ又淨土宗
0000_,17,782a09(00):第三祖良忠上人モ當島ニ掛錫シ玉フコト久シ。偏ニ淨
0000_,17,782a10(00):敎弘通ノ志願深キ故ナルベシ。又幡隨意上人モ台命
0000_,17,782a11(00):ニ依テ九州ニ下リ吉利支丹降伏ノ節モ先伊勢太神宮
0000_,17,782a12(00):ヘ詣シ次ニ當社ヘ詣シ三尊ノ名號ヲ大書シテ丸額方五尺餘
0000_,17,782a13(00):トナシ神前ノ正面ニ掛玉フ今現ニ在リ。
0000_,17,782a14(00):○沙石集ニ曰安藝ノ嚴島ハ菩提心祈請ノ爲ニ人多ク
0000_,17,782a15(00):參詣スル由申傳ヘタリ。其故ヲ或人申セシハ昔弘法
0000_,17,782a16(00):大師參詣シ玉フテ甚深ノ法味ヲ捧ゲ玉ヒケル時。示
0000_,17,782a17(00):現ニ何事ニテモ御所望ノ事承ルベキ由仰ラレケルニ
0000_,17,782b18(00):我身ニハ別ノ所望候ハズ。末代ニ菩提心ヲ祈請スル
0000_,17,782b19(00):人ノ候ハンニ道心ヲ給候ヘト申玉ヒケレバ承リヌト
0000_,17,782b20(00):仰アリケル故ニ。昔ヨリ上人共常ニ參詣スル事ニナ
0000_,17,782b21(00):ン侍ルトゾ已上高野山ニテハ丹生高野氣比嚴島ヲ四所
0000_,17,782b22(00):明神ト稱シテ特ニ尊崇スルナリ。洛北古知谷ノ澄禪上
0000_,17,782b23(00):人モ信心增進ヲ祈ラントテ。當社ヘ參詣ノ事行狀記
0000_,17,782b24(00):ニ見ヘタリ。
0000_,17,782b25(00):○本朝高僧傳曰釋以八奧州人行脚宴坐池頭之樹下
0000_,17,782b26(00):因縁所逐袋中師來倶坐交語至此猶迭不知同胞
0000_,17,782b27(00):時靑衣峨冠者來曰八公出塵之後母氏妊身而往于他
0000_,17,782b28(00):氏産中公以故二師不知同父母爲兄弟耳。
0000_,17,782b29(00):言訖化成蒼龍入淵底於是二公剙知爲連枝也。
0000_,17,782b30(00):師一日憇息禪院之側禪人見卑之師目若聿呼使役
0000_,17,782b31(00):獻供。兩月之後高家寄翰墨新禪宇諸徒煩其文時
0000_,17,782b32(00):師煮茗眠爐邊沙彌來媟戯曰儞不知乎衆僧艱思
0000_,17,782b33(00):於翰文儞可不能讀歟。師曰合寺有勞者吾亦曷
0000_,17,782b34(00):可袪乎乞其持來。沙彌笑而畀之。師輙分句讀示
0000_,17,783a01(00):其義沙彌駭以聞上座。上座丕歎尋之失其所在爾
0000_,17,783a02(00):後往備之中州入山寺役薪木。嘗有高賓師之
0000_,17,783a03(00):舊識也賓見之大恠師又放行晦跡於煙霞。
0000_,17,783a04(00):○楞嚴經曰理則頓悟乘悟并消事非頓除依次第
0000_,17,783a05(00):盡已上五燈會元曰唐宣宗問弘辨禪師何爲頓見何
0000_,17,783a06(00):爲漸修對曰頓明自性與佛同儔然有無始染習
0000_,17,783a07(00):故假漸修對治令順性起用如人喫飯不一口便
0000_,17,783a08(00):飽已上又曰涌泉欣禪師云我四十年在這裡尚自有走
0000_,17,783a09(00):作。汝等諸人莫開大口見解人多行解人萬中無一
0000_,17,783a10(00):箇已上又曰香林遠禪師曰老僧四十年方打成一片已上圓
0000_,17,783a11(00):悟心要曰古人得旨之後。向深山茆茨石室折脚鐺
0000_,17,783a12(00):子煮飯喫十年二十年大忘人世永謝塵寰已上高峯
0000_,17,783a13(00):語錄曰世尊於靈山會上雖有百萬衆承當者惟迦
0000_,17,783a14(00):葉一人而已。信知此事決非草草若要的實明證
0000_,17,783a15(00):發大忿怒奮金剛利刄一斬一切斷。胸次空勞勞地
0000_,17,783a16(00):虗豁豁地更無一法當情吃茶不知茶吃飯不知
0000_,17,783a17(00):飯驀然心華頓發洞照十方如杲日麗天不越一
0000_,17,783b18(00):念頓成正覽若此念輕微志不猛利設使三十年二
0000_,17,783b19(00):十年用工到臘月三十日十箇有五雙懡而去已上
0000_,17,783b20(00):又曰若是有志丈夫向這裏晦迹潜行密用或三十年
0000_,17,783b21(00):二十年以至一生終無他念踏得實實穩穩當當去住自
0000_,17,783b22(00):由已上正法眼藏隨聞記ニ曰古人ノ曰大事未明如喪
0000_,17,783b23(00):考妣大事既明如喪考妣ト或ハ廊上或ハ閣下只管
0000_,17,783b24(00):打坐シテ考妣ヲ喪ガ如ク一心ニ學道スベシ已上今上人
0000_,17,783b25(00):行脚ニ出ルノ日兄弟ニ遣シ置ルル書翰ノ趣ハ上來擧
0000_,17,783b26(00):ル所ノ古德垂示ノ意味ナリ。
0000_,17,783b27(00):○傳燈錄曰相國裴休河東人守新安日屬運禪師於
0000_,17,783b28(00):黄檗山捨衆入大安精舍混迹勞侶公入寺觀壁
0000_,17,783b29(00):畵乃問主事是何圖相答曰高僧眞儀公曰眞儀可觀
0000_,17,783b30(00):高僧何在主事無對。公曰此間有禪人否答曰近有
0000_,17,783b31(00):一僧投寺執役頗似禪者公命至觀之欣然曰休適
0000_,17,783b32(00):有一問諸德吝詞今請上人代酬一語運曰請相公
0000_,17,783b33(00):問休曰眞儀可觀高僧何在運朗聲曰裴休。公應諾運
0000_,17,783b34(00):曰在甚麼處公當下知旨如獲髻珠公曰吾師眞善
0000_,17,784a01(00):知識示人剋的若是何汨沒於此邪自是申弟子
0000_,17,784a02(00):禮復請住黄檗已上五燈會元曰于頔相公問紫玉禪師
0000_,17,784a03(00):曰如何是佛。玉呼曰于頔。公應諾玉曰。只這即是已上
0000_,17,784a04(00):圓悟心要曰學道之要於二六時中照了自己脚根圓
0000_,17,784a05(00):融無際脱體虗凝謂之現成本分事纔起一毫頭見解
0000_,17,784a06(00):便落在陰界裏已上大慧書曰不得作有無會不得
0000_,17,784a07(00):作道理會不得向意根下思量卜度不得向
0000_,17,784a08(00):語路上作活計但十二時中四威儀内時時提撕已上黄
0000_,17,784a09(00):龍死心禪師語錄曰向自己脚根下推究看是甚麽道
0000_,17,784a10(00):理。莫只管册子上念言語討禪道禪道不在册
0000_,17,784a11(00):子上縱念得一大藏敎諸子百家只是閒言語臨死時
0000_,17,784a12(00):總用不著已上大慧法語曰出世間法不用口議心思。
0000_,17,784a13(00):決欲荷擔此段大事猛著精彩一刀斫斷便是徹頭
0000_,17,784a14(00):徹尾已上今上人ノ或黠慧俗漢ニ示サレタル趣ハ上來擧
0000_,17,784a15(00):ル所ノ諸大禪師垂手爲人的ノ活手段ノ三敎外ノ玄旨
0000_,17,784a16(00):ニ達セザル者ハ決シテ爲コト能ハザル所ナリ時ニ。夜寒
0000_,17,784a17(00):シテ半夜ノ鐘ヲ聞八事山空華室ニシテ記畢。
0000_,17,784b18(00):(本傳序、跋)
0000_,17,784b19(00):序
0000_,17,784b20(00):韜光鏟彩眞遁實修者古今叵獲其人矣至近
0000_,17,784b21(00):代能若玆者其誰乎市杵島以八上人則其人也予曾
0000_,17,784b22(00):見緇白往生傳所記仰其高風也尚焉屬日洛北古
0000_,17,784b23(00):知谷亮公以係上人法裔見寄所秘畜上人行
0000_,17,784b24(00):狀草稿於此得其詳如披雲霧而看靑天也
0000_,17,784b25(00):亮公亦隨乞挍訂之爲文垂萬世予隨喜之餘不
0000_,17,784b26(00):顧固陋輙可其請今晨下筆故矢其由致而以
0000_,17,784b27(00):爲序云謹白世人以此一帖册子常安榻上覩
0000_,17,784b28(00):堯於羹牆何憂九蓮託胎之艱哉。
0000_,17,784b29(00):明和己丑冬中浣 無慚愧沙門空華叟題
0000_,17,784b30(00):跋
0000_,17,784b31(00):野拙生縁は西海なり幼少の時亡父淨然戌二月廿六日卒常に
0000_,17,784b32(00):恢道上人長門伊崎邑三蓮寺中興寅四月四日寂したまふを請じて淨土の法門を
0000_,17,784b33(00):聽受せらる其中嚴島大明神曾て以八上人を愛敬し
0000_,17,784b34(00):玉ふ事を聞き濳に脱塵の一念を發せり其因其縁遂
0000_,17,785a01(00):に熟して嚴鳥光明院以八寺に入り沙門となる此故
0000_,17,785a02(00):に開祖上人の恩海尤ふかし然るに前住素信上人古
0000_,17,785a03(00):記を訂し其行狀を漢字に記し次に恕信上人これを
0000_,17,785a04(00):和字に譯し漸く全備におよふといへども未だ上木
0000_,17,785a05(00):の擧なし殊に美作誕生寺淨土復宗再興の一件は寺
0000_,17,785a06(00):にも傳はらす故に素恕兩上人の筆端にも洩たり
0000_,17,785a07(00):予縁山江戸の增上寺掛錫の時寶曆十年の夏廻向院にて誕生
0000_,17,785a08(00):寺元祖大師自作の尊像開帳の折から日參せりその
0000_,17,785a09(00):因によつて此事あらはれ彼寺の本縁起を拜寫す仍
0000_,17,785a10(00):て開祖上人是等の大功遂に烏有に歸せん事を歎き
0000_,17,785a11(00):兼て諸書を尋討しこれを梓に壽して永世に弘傳し
0000_,17,785a12(00):恩海の一滴に報はん事をねかふ茲に於て彼艸稿を
0000_,17,785a13(00):尾陽八事山空華尊者に呈し挍正を乞奉る尊者快よ
0000_,17,785a14(00):く其請を可したまふて能事畢れり予が素望ここに
0000_,17,785a15(00):至りて滿そくしぬ以來此書を一度も見聞の輩は明
0000_,17,785a16(00):神の擁護上人の實行に薰し專修念佛の門に入たま
0000_,17,785a17(00):はん事を希ものなり。
0000_,17,785b18(00):旹
0000_,17,785b19(00):安永八己亥九月十四日
0000_,17,785b20(00):洛北大原古知谷阿彌陀寺現住兼梅畑
0000_,17,785b21(00):道故院 信阿宅亮 謹識