0000_,18,374a01(00):德本行者傳
0000_,18,374a02(00):
0000_,18,374a03(00):師。諱は德本。名蓮社號譽稱阿彌陀佛と號せり。紀
0000_,18,374a04(00):州。日高郡。志賀の庄。久志村。田伏氏の家に産
0000_,18,374a05(00):る。其先
0000_,18,374a06(00):桓武天皇に出て。畠山尾張守政長の裔なり。寬正。
0000_,18,374a07(00):文明の間。政長管領の職をつかさどる。明應二年の
0000_,18,374a08(00):度。河内國正覺寺の城にて。終に戰死せり。二男子
0000_,18,374a09(00):あり。兄を尚順といひ。弟を久俊といふ。久俊紀州
0000_,18,374a10(00):にのがれて。山林に竄居し。家名を隱して。田伏と
0000_,18,374a11(00):いふ。久俊より七代の孫を三太夫といふ。すなは
0000_,18,374a12(00):ち。師の先考なり。先妣は鹽崎氏の女なり。男子な
0000_,18,374a13(00):き事を歎て。竊に夫婦三寶に祈請す。先妣或夜蓮華
0000_,18,374a14(00):をのむと夢見ることありて。寶曆八年戊寅の六月廿
0000_,18,374a15(00):二日。午の正中に師を誕せり。時に異香室に滿て菡
0000_,18,374a16(00):萏の初て開時に異ならず。見聞の人人。奇異のおも
0000_,18,374a17(00):ひをなせり。童名を三之丞といふ。眼に重瞳あり。
0000_,18,374b18(00):雙眸かがやける事。晴夜の星の如し
0000_,18,374b19(00):寶曆九年の秋。八月十五日の夕。姉に抱ながら。さ
0000_,18,374b20(00):し出る月の玲瓏たるを見給ひ。始て南無阿彌陀佛と
0000_,18,374b21(00):ぞ稱られたりける。いまだ襁褓にありて。何のわき
0000_,18,374b22(00):まへもなかるべきに。誰にならひ給へるにやとて。
0000_,18,374b23(00):感歎せざるものなかりきとぞ。むかし聖德皇太子。
0000_,18,374b24(00):いまだ幼稚にましましける時。南無佛と稱玉ひし
0000_,18,374b25(00):御跡にも。思ひあはせられて。いと尊くぞ覺ける。
0000_,18,374b26(00):四歳の秋。隣家の小兒。俄に死夫ぬるを見て。隣兒
0000_,18,374b27(00):いづこに行しぞ。又あふ事ありやと。母堂に問れた
0000_,18,374b28(00):るに。既に死せるものの。いかでかまたあふ事の有
0000_,18,374b29(00):べきと。答られたるを聞て。師いたく驚けるさまに
0000_,18,374b30(00):て。我平常睦しかりしを。再會べくもなしと聞。あ
0000_,18,374b31(00):な悲しいかにせんとて號泣給ふ。母堂喩していは
0000_,18,374b32(00):く。およそ死といふ事は。貴賤男女。賢愚老少。誰
0000_,18,374b33(00):もまぬがるるものなし。且死したるものの歸來べき
0000_,18,374b34(00):理あらんや。汝この事を歎かば。はやく彌陀佛をた
0000_,18,375a01(00):のみ奉りて。念佛となへよかしとぞ敎られける。隣
0000_,18,375a02(00):兒の別いとをしかるに。懇なる母堂のをしへ肺腑に
0000_,18,375a03(00):しみ給ひ。何となく有爲の世の憑がたき事をおそる
0000_,18,375a04(00):る心つきて。其後は誰勸るともあらぬに。常に念佛
0000_,18,375a05(00):をぞ唱られたりける。師老年に及れしのちにも。む
0000_,18,375a06(00):かし四歳の時。無常におどろきし事は。今も猶わす
0000_,18,375a07(00):れやらずと。をりをりは申れき
0000_,18,375a08(00):師。幼稚の時といへども。其風度。遙に尋常の兒輩
0000_,18,375a09(00):に卓出して。曾て竹馬鳩車の戲を好まず。かりそめ
0000_,18,375a10(00):の遊にも。佛乘をしたふ癖ありて。笠を頂につけて
0000_,18,375a11(00):は佛の後光に擬し。指を屈ては印契を學び。群兒を
0000_,18,375a12(00):使令するにも。樹下石上にありて。我は佛也など申
0000_,18,375a13(00):れけり。さればこの兒はいかにも宿善ある人なら
0000_,18,375a14(00):ん。前賢古德の跡にも似とて。見るもの感歎せざる
0000_,18,375a15(00):はなかりけり
0000_,18,375a16(00):母堂の敎示を聞しより後は。世の無常をおそれ。後
0000_,18,375a17(00):世菩提を願ふことわり。片時も忘給はず。九歳の春
0000_,18,375b18(00):のころ。出家せまほしきよし。父母に乞申れけれど
0000_,18,375b19(00):も。嫡子なるうへに。性質もただならざればにや。
0000_,18,375b20(00):絶て許さるべき氣色もなし。もとより至孝の志ふか
0000_,18,375b21(00):かりければ。其後はあながちに求給ふ事もなかりけ
0000_,18,375b22(00):り。時のいたるを待れけるなるべし
0000_,18,375b23(00):十歳を過るころより。念珠を袖にいれて。日課の念
0000_,18,375b24(00):佛を修せられけり。いまだいとけなき身にして。い
0000_,18,375b25(00):らぬ事するものかななど。誹咲ふものあれば。あな
0000_,18,375b26(00):淺まし。今にも無常の來るをしらずやとて。やがて
0000_,18,375b27(00):其座をたたれたり
0000_,18,375b28(00):このあたりは。談婆姑艸を多く植養ふ處なり。もし
0000_,18,375b29(00):虫生ずる時は。かならず取て捨るを常とす。一年た
0000_,18,375b30(00):ばこの畑におびたたしく虫生じたり。師ひたすらに
0000_,18,375b31(00):念佛唱つつ。畑の畔をめぐらるるに。其虫どもいつ
0000_,18,375b32(00):しか跡もなく也ぬる。念佛の功德にて。虫の生を轉
0000_,18,375b33(00):ぜしならんとぞ申れける
0000_,18,375b34(00):人となるに隨て。其志操愈堅固にして。念佛の修行
0000_,18,376a01(00):ますます勉勵せらる。十六歳の夏。四月二十二日。
0000_,18,376a02(00):三寶に誓て。晨昏二時の勤行式を定らる。各線香四
0000_,18,376a03(00):炷を一時とし。勵聲念佛せられき。曉のつとめ終て
0000_,18,376a04(00):も。東方なほ明ざれば。自草鞋を作て。巡禮道者な
0000_,18,376a05(00):どに施與られたり。さても。晝のいとなみ。夜のつ
0000_,18,376a06(00):とめ。いとはげしかりけるより。時として睡魔の妨
0000_,18,376a07(00):やあるらんとて。此ころよりみづから平臥を禁じ給
0000_,18,376a08(00):へり。脇尊者の昔もおもひあはせられて。いと殊勝
0000_,18,376a09(00):なる事になむ。
0000_,18,376a10(00):山村の習ひ。佳節を祝し。神を祭るひなどには。少
0000_,18,376a11(00):長男女。寄集ひ。酒宴圍碁などする事なるを。師は
0000_,18,376a12(00):獨。後の山の洞の中に入て。木鉦を叩き。念佛禮拜
0000_,18,376a13(00):せられたり。
0000_,18,376a14(00):師の家を距事。東の方五里許にして。大瀧河の月正
0000_,18,376a15(00):寺といへる幽邃の寺あり。住持の僧を大良といへ
0000_,18,376a16(00):り。專修念佛の行者なり。師。屢屢この寺に行て。
0000_,18,376a17(00):別時念佛せらるること。月に五日。或は七日なり。
0000_,18,376b18(00):住持も師を得て大によろこび。同じく勇進して勤修
0000_,18,376b19(00):せり。師家に在ては。毎朝かならず溪水に垢離とら
0000_,18,376b20(00):れたり。ここにてもかたの如く垢離せられければ。
0000_,18,376b21(00):垢離石とて。今も寺のかたはらに存在せり。
0000_,18,376b22(00):一とせ雪いたく降ける日。母堂のいかに寒おはさん
0000_,18,376b23(00):とて。いろりに薪さしくべて。火焚居給ひたるに。
0000_,18,376b24(00):髮髭いと白き老翁。門の戸さしのぞきたり。回國行
0000_,18,376b25(00):者にやとおもひて。今日はいと寒かるを。暫この火
0000_,18,376b26(00):にあたりませといはれければ。この老翁。つと入來
0000_,18,376b27(00):て。とばかり見て。扨いへりけるは。君の相好凡人
0000_,18,376b28(00):ならず。後日。世の爲人の爲。いみじき知識とこそ
0000_,18,376b29(00):は成給ふらめ。これ參らすなり。よく讀てよといひ
0000_,18,376b30(00):て。文一枚とり出しつ。辱とてうけ戴て。讀給へる
0000_,18,376b31(00):ひまに。この老翁いづち行けんみえず也にけり。降
0000_,18,376b32(00):積たる雪の路。あと追べきよしもなくてやみぬ。こ
0000_,18,376b33(00):れなん例の一枚起請文なりける。師これを得られて
0000_,18,376b34(00):後は。往生極樂の明證。これに過ずとて。かねて襟
0000_,18,377a01(00):にかけられたる。南龍公の父母帖とともに。常に護
0000_,18,377a02(00):持せられけり。師。生涯の法話。この文の外をの給
0000_,18,377a03(00):はざりしも。かかるいはれあればなるべし。
0000_,18,377a04(00):常に親族を警誡しての玉はく。常に臘月晦日の心に
0000_,18,377a05(00):なりて。家業を勵べし。さすれば三十日は平日より
0000_,18,377a06(00):も安かるべし。一年の卅日すら平生用意せずして
0000_,18,377a07(00):は。時に臨で狼狽する事多かるべし。况。臨終の三
0000_,18,377a08(00):十日に於をや。宜平生に用意して。往生の資糧を貯
0000_,18,377a09(00):置べしとぞ申されける。
0000_,18,377a10(00):或時。家族の他を誹謗せるを聞ての玉はく。汝ら何
0000_,18,377a11(00):ぞ我身をそしらるる事を求るや。人をそしれば人ま
0000_,18,377a12(00):た我をそしる。響の聲に應ずるが如し。人を誹る事
0000_,18,377a13(00):は大罪也とて。嚴誡給へり。
0000_,18,377a14(00):德を積とは。人目にたたぬこそ誠の德をつむなれ。
0000_,18,377a15(00):是を陰德といふ。人の爲になる事ならば。人しらず
0000_,18,377a16(00):とも行ふべし。たとへば。草木の種を蒔に。人目に
0000_,18,377a17(00):たたずとも。まきだにすれば。生出るもの也。善根
0000_,18,377b18(00):も又かくの如しとぞ申されける。
0000_,18,377b19(00):人にそしらるるは。我身のよき知識とおもふべし。
0000_,18,377b20(00):わが身のあしき事は。みづからはしれぬものなり。
0000_,18,377b21(00):我身のあしき事を聞て改れば。やがて善人とはなる
0000_,18,377b22(00):なりとぞ申されける。また親族などど假そめの閑話
0000_,18,377b23(00):にも。虚實不分明なる事などいへるを聞玉へば。忽
0000_,18,377b24(00):聲を勵しうして。何とて定ならぬ事を。みだりに詞
0000_,18,377b25(00):に出しつるぞ。大なるあやまちも。はつかの一言よ
0000_,18,377b26(00):り起るもの也とぞ呵せられける。
0000_,18,377b27(00):安永五年の春の頃師の父病惱の事有けり。師。屢屢
0000_,18,377b28(00):醫藥を若山に覔らる。その往返すべて山路を經て十
0000_,18,377b29(00):里許五十丁一里なるを。朝は家を出て。夕にはかならず
0000_,18,377b30(00):歸られたり。病はげしき頃は。藥をもとむる事。一
0000_,18,377b31(00):月に十餘度に及でも。絶て人に託し給ふ事はなかり
0000_,18,377b32(00):きとぞ。その至孝おもひみるべし。かくて師の父
0000_,18,377b33(00):は。その年の三月二十五日に。正念に命終せらる。
0000_,18,377b34(00):よはひ六十七とぞ。
0000_,18,378a01(00):師。野に出て農事をつとむる時は。鋤をもて念珠に
0000_,18,378a02(00):代。山に登りて薪をこるには。念佛をもて樵歌とな
0000_,18,378a03(00):す。敢て人の見聞をはばからず。或時は草根木實を
0000_,18,378a04(00):食料に充られし事あり。そは苦行の堪不を試んが爲
0000_,18,378a05(00):也とぞ。月毎に小池村の大日尊。鐘卷の觀世音に詣
0000_,18,378a06(00):て。はやく出俗の願を果ん事を祈れけり。
0000_,18,378a07(00):天明二年の春。財部村往生寺の住持。大圓大德に就
0000_,18,378a08(00):て。五戒をなん受られける。
0000_,18,378a09(00):同三年夏のころ。食後。夢のごとく持佛堂の扉。お
0000_,18,378a10(00):のづから開けて。本尊阿彌陀佛の御長一丈ばかりに
0000_,18,378a11(00):現じ。師の許にあゆみよらせ給摩頂し給へり。母堂
0000_,18,378a12(00):も傍にありて。おぼろけにこの事を見られきとぞ。
0000_,18,378a13(00):同し頃。佛前の瓶中に。蓮華一莖おひいづるを見
0000_,18,378a14(00):る。十四日を經て。又相並で小蓮華一朶を生ず。師
0000_,18,378a15(00):と母堂のみ此花を見といへども。餘人には見えざり
0000_,18,378a16(00):き。師いよいよ策勵念佛し給ひけるに。蓮華ます
0000_,18,378a17(00):ます生長し。四十日ばかりを經て。或夜。更闌人し
0000_,18,378b18(00):づまりて。師佛前に念佛し給ふに。たちまち瓶中の
0000_,18,378b19(00):蓮華十分に開。金色の光明煥爛として。障壁をとほ
0000_,18,378b20(00):し。母堂の寢所を照す。母堂驚て佛間を伺ふに。師
0000_,18,378b21(00):光明の中に端坐念佛せらるるさま殊勝いはん方なか
0000_,18,378b22(00):りきとぞ。
0000_,18,378b23(00):師或日。心地洞然として。宛も大桶の底の打拔し如
0000_,18,378b24(00):くなりたり。これなん一分の透脱などいふべきに
0000_,18,378b25(00):や。或は。室内悉大光明ありて。其中にあまたの佛
0000_,18,378b26(00):ましますを見給へる事あり。これ又一分の念佛三昧
0000_,18,378b27(00):を發得せられたるなるべし。
0000_,18,378b28(00):或時。夢に。大河を渡り。山に登りてみれば。峯に
0000_,18,378b29(00):も尾にも。佛身遍滿し玉へるを見る。又地藏菩薩か
0000_,18,378b30(00):ぎりもなく遍滿し給りとも見る。またあるひ。暫ま
0000_,18,378b31(00):どろまれたる夢に。日輪の西に傾くをみる。覺て眼
0000_,18,378b32(00):をひらけば。光明の中に大日如來現じ給へり。即大
0000_,18,378b33(00):日と日輪とは。素より不二なる事を了知し給へりと
0000_,18,378b34(00):ぞ。毘盧舍那を。光明遍照と譯する蜜軌にも契て。
0000_,18,379a01(00):いとたふとき事になむ。又或夜の夢に。御長三尺ば
0000_,18,379a02(00):かりの石地藏尊。變じて六尺許の金色の阿彌陀如來
0000_,18,379a03(00):と現じて。告ての玉はく。吾本地は阿彌陀なり。南
0000_,18,379a04(00):無の南の字に。四十八願こもれりとの玉へりとぞ。
0000_,18,379a05(00):抑。天台大師は。阿彌陀の三字に。空假中の三諦を
0000_,18,379a06(00):配當せられたるによりておもへば。南に四十八願と
0000_,18,379a07(00):告させ給ひけるも由ある事なるべし。又地藏尊の本
0000_,18,379a08(00):地阿彌陀との給へる事も。此菩薩は。諸佛の因業を
0000_,18,379a09(00):主り給へるより。法藏菩薩因位の姿と。古人のいへ
0000_,18,379a10(00):りしも。かかることわりを思へるなるべし。
0000_,18,379a11(00):天明四年の春。母堂に對して。出家の望を申乞れけ
0000_,18,379a12(00):るに。母堂もかねて師の振舞。凡ならぬのみならず
0000_,18,379a13(00):折折の好相などをもをがまれたる故に。今はしひて
0000_,18,379a14(00):塵俗の中に留てんは。冥慮のほどもおそれありと
0000_,18,379a15(00):て。始て所望にまかせられき。師は年頃。神明佛陀
0000_,18,379a16(00):に祈請せられしも。唯この一事なりしを。漸にし
0000_,18,379a17(00):て。母堂の許されたることの。嬉しくかたじけなく
0000_,18,379b18(00):て。あはれ今日よりは。袈裟を被着して。形を賢聖
0000_,18,379b19(00):に同し。佛地を希求して。心。金剛の如ならんとぞ
0000_,18,379b20(00):誓れける。即六月二十七日。財部村往生寺大圓上人
0000_,18,379b21(00):に就て。得度の式をうけられけり。そもそも華嚴經
0000_,18,379b22(00):に。菩薩發願して。生生世世。かならず沙門の身を
0000_,18,379b23(00):受んと誓ひ玉ひ。善導大師は若非絶離囂塵。此德
0000_,18,379b24(00):無由可證との給ひしにもかなひて。師のとしご
0000_,18,379b25(00):ろ出塵をこひ願ひ給へるは。定て宿世の本願なるべ
0000_,18,379b26(00):きをや。
0000_,18,379b27(00):天明五年の春。大瀧川月正寺の住持。大良和尚とと
0000_,18,379b28(00):もに。三十の日夜を期して。經行念佛の別業をつと
0000_,18,379b29(00):めらる。寺の前に小丘あり。丸山といふ。縱橫二丁
0000_,18,379b30(00):許めぐりて。細路あり是ぞよき道塲なるとて。晝は
0000_,18,379b31(00):終日。木履にて常行を修し。夜は堂内にて禮拜せら
0000_,18,379b32(00):る。其間。炒麥一合を以て。一日の食料に充られ
0000_,18,379b33(00):き。第四日を經て。大良和尚ほ堪ずして。退出せ
0000_,18,379b34(00):り。師は聊も懈る事なく。三十日を滿ぜらる。羸相
0000_,18,380a01(00):かたちに顯しかど。道念ますます盛なり。其頃。人
0000_,18,380a02(00):に語られけるには。何事も一道を貫通せんとおもは
0000_,18,380a03(00):んものは。艱難苦行を經て。練磨を重ざれば。其妙
0000_,18,380a04(00):處に到るものにあらず。何事も初はかたき事におも
0000_,18,380a05(00):へども漸くにして。おのづから平易の塲にいたるも
0000_,18,380a06(00):の也とぞ申されける。
0000_,18,380a07(00):同年九月。大河浦の圓光大師へ。參籠の事あり。今
0000_,18,380a08(00):より塵境を屏絶して。跡を林丘に隱し。苦行功就
0000_,18,380a09(00):て。利益を四海に及ぼさんとぞ祈求せられける。後
0000_,18,380a10(00):日。千津川。須ケ谷などの苦修練行は。ここに發心
0000_,18,380a11(00):せられたりとぞ。或夜の夢に。十一面觀世音菩薩。
0000_,18,380a12(00):告ての玉はく。汝我所に來るべし。我處に來て修行
0000_,18,380a13(00):せば。利物多からんと。覺めてのち。里人にさる菩
0000_,18,380a14(00):薩の靈跡やあると問給ふに。しるものなし。師みづ
0000_,18,380a15(00):から里人に案内をせさせて。そこともなく搜索らる。
0000_,18,380a16(00):落合といふ處にいたりて。申されけるは。菩薩を見奉
0000_,18,380a17(00):りしは。まさしく此地なり。いざこの處にて。念佛
0000_,18,380b18(00):修行せばやとの給ふにぞ。里人謀て。茅をかり。荊
0000_,18,380b19(00):をきり。膝をいるるばかりの草盧一宇をむすびてま
0000_,18,380b20(00):ゐらす。この地に白山權現の社あり。師ここに移ら
0000_,18,380b21(00):れて後は。殊に心をいたして。法樂をささげ。外護
0000_,18,380b22(00):をなん乞申されにける。後日或人。その社の本地佛
0000_,18,380b23(00):とて。取いだししを拜し給ふに。夢中に見奉りし。
0000_,18,380b24(00):十一面の尊像に。露たがはずぞおはしましける。さ
0000_,18,380b25(00):ても我此處にとどまり修行せん事を。早くも菩薩の
0000_,18,380b26(00):しろしめして。指揮せさせ給ひしものをと。感泣せ
0000_,18,380b27(00):られたり。
0000_,18,380b28(00):落合谷に移られしは。天明六年二月十七日なり。そ
0000_,18,380b29(00):の夜。農夫林助といへるものの妻。源兵衞といへる
0000_,18,380b30(00):ものの母。ひとしく夢みらく。紫雲の中に。あまた
0000_,18,380b31(00):の菩薩。光明赫灼として。手に抦香爐をとり給へる
0000_,18,380b32(00):が西方より來り。この草庵に入給ふと見る。覺て後
0000_,18,380b33(00):かたみに語りあふに。少しも違はざりければ。いよ
0000_,18,380b34(00):いよ師を佛の如くにぞ尊みあひける。
0000_,18,381a01(00):千津川の草庵に移られし後には。裙の上に麻の七條
0000_,18,381a02(00):の袈裟一肩をまとひ。食もはづかに命をささふばか
0000_,18,381a03(00):りなり。朝には。丑の時より起出て。溪水に臨て。
0000_,18,381a04(00):廣懺悔を誦ながら垢離せらる。無始の罪障懺悔し給
0000_,18,381a05(00):へるなりとぞ。禮拜の數。およそ五千七千。或は一
0000_,18,381a06(00):萬に滿る事もありけり。かつ禮拜の式。多くは五體
0000_,18,381a07(00):投地をぞもちひられける。
0000_,18,381a08(00):師の苦行あまりに精勵をこらされたるゆえにや。音
0000_,18,381a09(00):聲かれて言語をなす事能はず。廅のうちいたく損じて。
0000_,18,381a10(00):強て聲を發れば。口いたみ齒うごき。眼耳鼻より手
0000_,18,381a11(00):足の指先にいたるまで。惣身痛徹すること。言語に
0000_,18,381a12(00):のべがたし。をりしも嚴寒のころにて。毎曉の垢離
0000_,18,381a13(00):には。寒風肌を刺。滿身のひび皹あたかも松皮の如
0000_,18,381a14(00):し。禮拜し給ふごとに。鮮血ほどばしるまで也。さ
0000_,18,381a15(00):れど道念いささかも撓事なく。いよいよ勉勵せられ
0000_,18,381a16(00):きとぞ。曾て人にかたられけるは。佛道修行は。一旦
0000_,18,381a17(00):の艱難をしのぶが大事也。三ケ年の後にいたりては。
0000_,18,381b18(00):いかなる難行の塲にいたりても。一身痛惱するほど
0000_,18,381b19(00):の事はなきもの也。法藏比丘の假令身止諸苦毒中
0000_,18,381b20(00):我行精進。忍終不悔と誓給へるを。ましてわれら
0000_,18,381b21(00):が修行これに比すれば。かぞふるにもたらずとて。
0000_,18,381b22(00):いよいよ勇進せられけり。
0000_,18,381b23(00):草庵に移られしのち。二年ばかりは。除髮をもせら
0000_,18,381b24(00):れしかど。後には精勤にいとまなくして。絶て剃除
0000_,18,381b25(00):の事をとどめられたり。されば髮長くたれて肩を
0000_,18,381b26(00):過。衣はつかに身をおほふばかりなれば。世の人と
0000_,18,381b27(00):も見えず。かの仙人といへるものこそかくあるらめ
0000_,18,381b28(00):など。人人申合けり。沙門の身は鬚髮をを剃除すべ
0000_,18,381b29(00):きよし。佛の誡なるを。師のかかはり給はざるは。
0000_,18,381b30(00):昔。長爪梵士の修學にいとまなくして。手足の爪を
0000_,18,381b31(00):だにもきらざりきといへるに似たり。尋常の人の學
0000_,18,381b32(00):べき事にはあらじかし。よく經論に達するものは。
0000_,18,381b33(00):おのづからしるべきなり。
0000_,18,381b34(00):或時無言にて別行せられける折ふし。暴瀉する事お
0000_,18,382a01(00):びただし。其さま古綿の如なるものの。或は赤く。
0000_,18,382a02(00):あるひは黄なるが。多く下れり。十二三日過て平癒
0000_,18,382a03(00):せり。自おもへらく。受胎の毒液。この時悉脱しさ
0000_,18,382a04(00):れるなるべし。其後は一しほ身のかろき事を覺たり
0000_,18,382a05(00):と後日語れたりき。
0000_,18,382a06(00):又或時申されける口稱の南無阿彌陀佛をもて。本尊
0000_,18,382a07(00):とすなれば。いまは泥木塑像に望なしとて
0000_,18,382a08(00):本願のそのいにしへをわすれずは
0000_,18,382a09(00):我なすわざにさはりあらすな
0000_,18,382a10(00):とぞくちずさみ給へりける。
0000_,18,382a11(00):其後ますますはげしく苦行せれしかば。兩の股腫た
0000_,18,382a12(00):だれ。惡汁流出る事涌が如くにして。其痛堪がた
0000_,18,382a13(00):し。藥を用れどもかひなし。皮肉裂破れ。あたかも
0000_,18,382a14(00):藥研の口のごとし。されども例時の勤行は少しもお
0000_,18,382a15(00):こたらず。唯禮拜せらるるに。五體投地はかなはざ
0000_,18,382a16(00):りしかば。小高處に腰うち懸て拜し。あるひは立な
0000_,18,382a17(00):がら勵聲念佛せられたり。そのころの口ずさみとて
0000_,18,382b18(00):世をのがれうきよの中は腰かけの
0000_,18,382b19(00):いづこも旅のおもひなりけり
0000_,18,382b20(00):かくなやみ給ふ事。凡百五十日ばかりなり。或時み
0000_,18,382b21(00):づから呵しての給はく。今かかる病惱にあふ事は。
0000_,18,382b22(00):みな宿世の業報なり。自作り。みづから受。誰をか
0000_,18,382b23(00):恨たれをかとがめん。我宿因つたなくして。今日ま
0000_,18,382b24(00):で如説修行せざりしにより。かかる困苦を受たり。
0000_,18,382b25(00):今生もし懈て勤ずんば。未來の苦患。今日に百倍す
0000_,18,382b26(00):べしとて。みづから誡自勵して。いよいよ苦修せら
0000_,18,382b27(00):れけり。
0000_,18,382b28(00):或時。縁山の學侶訪ひ來りて。數十日の間。師の御
0000_,18,382b29(00):許に居て。ともに念佛せり。其人。師にかたりける
0000_,18,382b30(00):は。昔。彈誓。澄禪の兩大德は。木食草衣にて。
0000_,18,382b31(00):久しく山居修行し給ひしよしなり。おもふに。師が
0000_,18,382b32(00):今の行業と甚相似たりとぞ申ける。師これを聞て。
0000_,18,382b33(00):我もとより。其志ありとて。其よりは五穀を絶。
0000_,18,382b34(00):鹽氣あるものを甞ずして。愈精修せられたり。蠶豆
0000_,18,383a01(00):の粉一合をもて一日の食料と定めらる。師の避糓斷
0000_,18,383a02(00):鹽の苦行は。山居巖棲の際。事の煩はしきを省の方
0000_,18,383a03(00):便なるのみ。後の人これを學んで異をあらはし。衆
0000_,18,383a04(00):を惑はすものあり。師の罪人といふべし。
0000_,18,383a05(00):千津川の草庵におはしし時。倚子の下に鼠の巢を作
0000_,18,383a06(00):り子あまた産たる事あり。又ある時。倚子の傍より
0000_,18,383a07(00):蛇出たり。平生蚊虻の類。膚を喘と雖。絶て厭ひは
0000_,18,383a08(00):らひ給ふ事なかりき。慈愛の廣くものに及べる。古
0000_,18,383a09(00):にも恥ざるべきをや。
0000_,18,383a10(00):千津川の苦行も。六年ばかりなるべし。今は行脚せ
0000_,18,383a11(00):ばやと思れしかば。寬政三年十月の頃。この地を立出
0000_,18,383a12(00):て。同郡。萩原村を過るに。邑中の男女。師の袂に
0000_,18,383a13(00):すがりて。あはれここに止らせ給て。我らが後世助
0000_,18,383a14(00):させ給へなど。懇にこひ申ければ。さらばとて。此
0000_,18,383a15(00):村の谷のおくに。かたばかりの草庵を結給ひけり。
0000_,18,383a16(00):邨中の男女。晝は農業にいとまなき故秉燭ごろよ
0000_,18,383a17(00):り。老若多つどひ來て。念佛す。人歸去て後。その
0000_,18,383b18(00):わたり二里ばかりの間を。毎夜遊行念佛せらる。そ
0000_,18,383b19(00):は。行脚のこころざしを果さんとなるべし丸山とい
0000_,18,383b20(00):へる處は。むかし湯河直春の籠たりし城趾なり。い
0000_,18,383b21(00):と峻嶮坂を攀て。ねんごろに回向せられたりき。こ
0000_,18,383b22(00):の城山のあたり。雨そぼふる夜は。しばしば陰火のも
0000_,18,383b23(00):えたりしに。師の回向せられてのちは。其事やみた
0000_,18,383b24(00):りとぞ。あはれ遊魂の得脱してげるならんと。人人
0000_,18,383b25(00):申あへりき。
0000_,18,383b26(00):一とせ。千津川のあたり。疫病流行しければ。師。
0000_,18,383b27(00):ゆきて。里人に念佛せよとすすめらる。かかる功德
0000_,18,383b28(00):にやよりけん。行疫退散して。病者悉く平癒す。村
0000_,18,383b29(00):長等相議して。師の年ごろここに修行し給ひししる
0000_,18,383b30(00):しにも。かつは向後かかる病難なからん禱のために
0000_,18,383b31(00):も。名號塔を乞得て。この村の四隅に建てばやと
0000_,18,383b32(00):て。人人心をあはせ。塔に造るべき石を。早藤村に
0000_,18,383b33(00):搜索しに。其河の邊によろしき石ひとつ見出した
0000_,18,383b34(00):り。されどもいささか瑕ありければ。これを措て。猶
0000_,18,384a01(00):たづねて。遂に四箇の石を得て。千津川へ持歸り
0000_,18,384a02(00):ぬ。藤井の里に石工何がしといへるものあり。その
0000_,18,384a03(00):頃千津川の村長より。名號塔彫刻の事あつらへしを
0000_,18,384a04(00):うけがひて。其石の來べき日をまち居たりしに。あ
0000_,18,384a05(00):る曉がた。表に人の聲して。名佛塔の石。持來りた
0000_,18,384a06(00):るぞ。急て彫つけよといふ。夜明て見るに。戸外に
0000_,18,384a07(00):三尺ばかりの巨石あり。いそぎてといひつるをとて。
0000_,18,384a08(00):近き寺の法師に。名佛かかせて。まづ南無の二字を
0000_,18,384a09(00):ぞゑりつけにける。此朝。千津川の村人。石工のも
0000_,18,384a10(00):とへ四箇の石を持來りて。名號塔は是なるぞ。いそ
0000_,18,384a11(00):ぎてといふ。石工いぶかしみて。石はこの曉にぞ持
0000_,18,384a12(00):來りませるをといへるに。村人も驚つつかの石を
0000_,18,384a13(00):見るに。早藤の谷にて初に得しかど。小瑕ありと
0000_,18,384a14(00):て捨たるにぞありける。こは如何に師の道德を慕ひ
0000_,18,384a15(00):て。石のおのづから飛來りしにやあるらんとて。そ
0000_,18,384a16(00):の事師に告ければ。師見給ひて。我に縁ふかき石な
0000_,18,384a17(00):らんとのたまひ十念授玉ひて。さきに石工が法師
0000_,18,384b18(00):にかかせて。彫かかりし六字の中。阿字のつくり
0000_,18,384b19(00):の。可字の畫より下を書繼せ給ひて。其を彫らせ
0000_,18,384b20(00):て。落合谷にぞ建られける。今も書繼の塔といひ傳た
0000_,18,384b21(00):る是なり。或夜。風雨おびたたしかりしが其あけの
0000_,18,384b22(00):朝。この書繼の名號塔。いづくともなく見えずなり
0000_,18,384b23(00):けり。人人擧て尋求たるに。おなし谷の中に。師の
0000_,18,384b24(00):住捨し庵の有けるが。戸ざしはもとのままにて。こ
0000_,18,384b25(00):の石その内にありて。巋然としてたてりけり。いか
0000_,18,384b26(00):なれば一たびならず二たたびまで。かかる不思議を
0000_,18,384b27(00):見する事よとて。師にしかじかのよしきこえけれ
0000_,18,384b28(00):ば。凡夫の極樂に往生するは。石のおのづから飛來
0000_,18,384b29(00):よりも。不思議なりとぞの給ひける。
0000_,18,384b30(00):師竊におもへらく。戒は佛法の壽命。三學の基本な
0000_,18,384b31(00):り。いやしくも。沙門たるもの。誰か一日も戒法な
0000_,18,384b32(00):き事を得んや。况菩薩の戒法は。天龍八部に及と
0000_,18,384b33(00):聞。我人身を受たり。豈異類に遜せんや。曾きく。
0000_,18,384b34(00):善導大師は。戒法を護持して纖毫も犯せずと。今
0000_,18,385a01(00):將に大師によりて。乞戒の方便を祈らんとて。七日
0000_,18,385a02(00):の別行を開闢せらる。此際に日輪。大虚に徧滿せる
0000_,18,385a03(00):を見。また天華亂墜せるを見給ふ。結願の朝。何も
0000_,18,385a04(00):ののもて來けん。經机の上に。梵網經一卷あり。師始
0000_,18,385a05(00):てこの經を見給ひて。歡喜いはん方なし。後後にも
0000_,18,385a06(00):此事をかたらせ玉ふごとに。今ありしやうに。身を
0000_,18,385a07(00):動搖して。よろこびの色。面に顯れ給へり。他日。
0000_,18,385a08(00):南都北室院の叡辨和上。洛東西光寺の慈雲和上に。
0000_,18,385a09(00):この事をかたられしに。そはこよなき好相にて。ま
0000_,18,385a10(00):さしく得戒し給ひし也と。證明せられき。
0000_,18,385a11(00):寬政三年十二月の頃。或朝より。あらしはげしく吹
0000_,18,385a12(00):雪いたく降て庵のうちさへ堪べくもあらぬ日。こよ
0000_,18,385a13(00):ひは來人もなくていと靜なり。いざつとめむとて。
0000_,18,385a14(00):例の但三衣のさまにて。念佛し給ふに。徧身汗流れ
0000_,18,385a15(00):て。繩床に滴ばかり也。善導寺大師の。寒夜に汗を
0000_,18,385a16(00):流し給しよし承るも。昔のみにはあらざりけり。こ
0000_,18,385a17(00):の頃はいつも線香のみを供じて。燈明はなかりつる
0000_,18,385b18(00):を。今宵は二更のころより。庵の中。光わたり。宛
0000_,18,385b19(00):晝の如なりにけり。師の姉と本勇尼とは。はやくよ
0000_,18,385b20(00):り詣來て。幸にこの勝相を感見せしとぞ。
0000_,18,385b21(00):同五年の夏より秋にいたるまで。雨聊も降ざりけれ
0000_,18,385b22(00):ば。國内の寺社に仰ごと有て。請雨の祈禱を修せし
0000_,18,385b23(00):め給へり。師は其ころ。鹽津の谷山の庵にいました
0000_,18,385b24(00):るに。衆人詣來て。請雨の祈願をなし給ん事を。乞
0000_,18,385b25(00):申しければ。師答曰。我世を遁て。唯後世菩提を
0000_,18,385b26(00):修す。風雨以時の利益は。おのづから其中にあり。
0000_,18,385b27(00):いま別に修する事を用るに及じと示されけれども。
0000_,18,385b28(00):諸人の歎大かたならざるよし。強て申ければ。さら
0000_,18,385b29(00):ばとて。豆の粉を。食料に備しめ。我今より請雨の
0000_,18,385b30(00):驗得てんまでは。誓てこの坐をたたじとて。其曉よ
0000_,18,385b31(00):り道塲に入て。念佛を修せらる。かくて其日の申の刻
0000_,18,385b32(00):ばかりに。俄に雷なり。雲覆て。雨おびただしくぞ
0000_,18,385b33(00):降ける。しかれども。半時ばかりにして。一天をも
0000_,18,385b34(00):との如晴わたりぬ。師のいへらく。此たびの旱魃
0000_,18,386a01(00):は。全衆生共業のなす處なり。三寶の冥慮もいかが
0000_,18,386a02(00):あらんとて。雨乞はとどめられにけり。其後數日の
0000_,18,386a03(00):間。雨降ざりければ。人人師の言の空からざるを感
0000_,18,386a04(00):じあへりき。
0000_,18,386a05(00):同年十月の頃より。百日を期して別時念佛せらる。
0000_,18,386a06(00):庵室の戸を釘にて閉。言語を絶し。睡眠を廢し。口
0000_,18,386a07(00):唱一行。勇猛精進也。食物には。豆の粉一合を。一
0000_,18,386a08(00):日の料とせらる。翌年の正月。別行滿足し。つづき
0000_,18,386a09(00):て七ケ日水食を絶し。別行を修せらる。勵聲念佛猛
0000_,18,386a10(00):鋭なる事。前時の別行に倍せり。
0000_,18,386a11(00):同六年五月のころ。祖師の廟を拜せん爲に上京せら
0000_,18,386a12(00):る。淸淨華院の貫首大和尚しる人なりければ。まづこ
0000_,18,386a13(00):れを訪れけるに。貫首よろこびて。師を山内の松林
0000_,18,386a14(00):院に請じて。留錫せしめらる。あけの朝。華頂山に
0000_,18,386a15(00):登らる。抑吉水の禪房大谷の道塲は。開宗の勝地。終
0000_,18,386a16(00):焉の舊跡なり。昔はかたばかりの御草庵なりしを。
0000_,18,386a17(00):今は大廈高堂。玉をみがき。いらかをならべたり。
0000_,18,386b18(00):都てこれを利物偏增の砌にしてしかしながら見佛聞
0000_,18,386b19(00):法の勝地なりければ。感涙今さらとどめ難く。懇に
0000_,18,386b20(00):上酬慈恩の持念をぞこらされける。この序よかりし
0000_,18,386b21(00):かば。京師の祖跡靈塲は。おほかた拜禮せられにけ
0000_,18,386b22(00):り。
0000_,18,386b23(00):或日。比叡山巡拜の序。大原を經て。古知谷に到ら
0000_,18,386b24(00):るるをりから。彈誓上人の忌辰にて。人多參籠せる
0000_,18,386b25(00):に。十念を授らる。師此ころまでは。頭髮肩にた
0000_,18,386b26(00):れ。錫杖を突たるさまを見て。彈誓上人の再來なる
0000_,18,386b27(00):べしなど土人は申合けり。
0000_,18,386b28(00):同年の九月のころ。熊野へ詣んとて。鹽津を出立給
0000_,18,386b29(00):ふ。隨身の僧侶わづかに五六人なり。ある山路に
0000_,18,386b30(00):て。一人の童子をみる。疥癩の如にて。いときたな
0000_,18,386b31(00):げなるに。何となく威儀を備たるさまなり。人人の
0000_,18,386b32(00):念佛申つつ行くを見て。殊の外に悅びたる景色にて
0000_,18,386b33(00):過去ぬ。翌日たち出たるに。また向より件の童子來
0000_,18,386b34(00):るを見る。師いと恠て。童子はただ人にはおはさ
0000_,18,387a01(00):じ。我まづ拜し奉らんと申されければ。童子傍なる
0000_,18,387a02(00):石上に登り。傲然として。師の拜を受。人人不思議
0000_,18,387a03(00):の事なりとぞ申合ける。
0000_,18,387a04(00):熊野三山に詣られたる日は。新宮の祭禮也ければ。
0000_,18,387a05(00):法樂の爲。しばしがほど。神事を拜見し給ける。其
0000_,18,387a06(00):前を幣策たてる神馬通りかかりたるが。四足をたて
0000_,18,387a07(00):て。動ず。力を盡して曳ども。更に進ざるを見給ひ
0000_,18,387a08(00):て。師。威儀を正して。人に授るやうに。高聲に十
0000_,18,387a09(00):念唱へ給ひしかば。神馬はやがてあゆみをすすめた
0000_,18,387a10(00):りきとぞ。
0000_,18,387a11(00):熊野より歸給へる路すがら。田邊といへる所のある
0000_,18,387a12(00):家に宿し玉ふ。翌日托鉢などして。下津河のほと
0000_,18,387a13(00):り。齋食の場所にて。念佛せらるるに。あまたの
0000_,18,387a14(00):魚。水面に集り來ければ。米をいたしてまかせ給へ
0000_,18,387a15(00):るに。暫の間に。魚ども限もなくあつまりきて。川
0000_,18,387a16(00):の中くろみわたりてみゆ。師ねもころに法施し。十
0000_,18,387a17(00):念を授玉ひて。鉢の中なる米を次第にほどこし。川
0000_,18,387b18(00):のほとりを行給ふに。その魚つき隨ふこと。およそ
0000_,18,387b19(00):一里ばかりのほどなり。見る人奇異のおもひをなさ
0000_,18,387b20(00):ざるはなかりき。流水長者の十千の魚に。餌を施
0000_,18,387b21(00):し。佛號を授られしに。魚ことごとく天に生ぜし事
0000_,18,387b22(00):など。おもひ合するに。師の行跡のただならぬことを
0000_,18,387b23(00):しるにたれり。
0000_,18,387b24(00):或夜。いと氣高き人の束帶して來り給へり。そのか
0000_,18,387b25(00):たはらに。一羽の鳥見ゆ。おほきさ六尺ばかりなる
0000_,18,387b26(00):べし。羽翼かがやきて。金光を放てり。人ありてい
0000_,18,387b27(00):ふ。これなん熊野權現の御使なると見て。夢覺ぬ。
0000_,18,387b28(00):扨は過しころ。熊野へ詣たるが。冥慮にやかなひけ
0000_,18,387b29(00):んとてぞ歡れける。
0000_,18,387b30(00):紀州加茂谷津田の瀧に。龍のすめりといふ事を。昔
0000_,18,387b31(00):よりいひ傳たり。師たびたび行て十念を授らる。い
0000_,18,387b32(00):つの頃か其形をあらはしける事の有けん。かの龍神
0000_,18,387b33(00):は鰻魚の如とぞ申れける。或時。名號を加持して瀧
0000_,18,387b34(00):つぼに投じ玉ひしに。水中にて渦まきて沈にけり。
0000_,18,388a01(00):暫念佛し居らるるに。巨大なる鰻魚の如もの。名號
0000_,18,388a02(00):をくちにふくみて。浮出たるが。やがて死してけ
0000_,18,388a03(00):り。あはれ名號加持の力。はやくも龍身を轉じたる
0000_,18,388a04(00):にやとぞ申されける。須彌藏經に。龍報に五種の不
0000_,18,388a05(00):同ある事を説玉ふ中に。婆樓那龍王のつかさどる所
0000_,18,388a06(00):は。一切魚形の龍神なりと見ゆ。いまの鰻魚に似た
0000_,18,388a07(00):るは。果して其屬類なるべきにこそ。
0000_,18,388a08(00):鹽津近きわたりに。三郷の八幡とて神祠あり。或
0000_,18,388a09(00):時。神靈。比丘形にして現れ給ひ。師に告ての玉は
0000_,18,388a10(00):く。諸人さまざまの事いのるによりて。いと心苦
0000_,18,388a11(00):し。幸に師の法力を得て。威光を倍增せんとすとの
0000_,18,388a12(00):給ひき。是より後。をりをり神前にいたり。十念を
0000_,18,388a13(00):稱へ法樂し給けり。ある夜大神。明日なん齋食供養
0000_,18,388a14(00):すべきよし告給へり。翌日いづこの人ともなく。齋
0000_,18,388a15(00):食をもたらし來りぬ。師かたじけなく受給ひ。齋後
0000_,18,388a16(00):即御禮に詣てて神前を見玉ふに。うやうやしく備た
0000_,18,388a17(00):る供御の菜羮調理。すべてさきに師のもとに。供養
0000_,18,388b18(00):ありしにたがはざりけり。
0000_,18,388b19(00):同年十一月のころ。或夜半ばかりにいざ今より吉野
0000_,18,388b20(00):山の奧にて。修行せばやとの玉ひ。錫杖とりて庵を
0000_,18,388b21(00):立出らる。此時は。現定鸞洲の二師ぞ隨侍し給へ
0000_,18,388b22(00):り。本名。本勇二人の尼も此よし傳へ聞て。御あと
0000_,18,388b23(00):を追けり。加茂谷の岩屋のほとりに到給ふに。いま
0000_,18,388b24(00):だ夜深ければ。暫休息せばやとて。傍なる小社の柱
0000_,18,388b25(00):によりかかり居給へり。尼どもあへぎあへぎここにて
0000_,18,388b26(00):追つき奉りけるに。いたく勞れてければ。本勇はわ
0000_,18,388b27(00):れにもあらで。しばしまどろみぬ。頻に異香の薰じ
0000_,18,388b28(00):たるにおどろきて。あたりを見るに。大身の阿彌陀
0000_,18,388b29(00):佛。光明赫灼として。社の柱により居ますを拜み奉
0000_,18,388b30(00):る。本勇あまりに驚ておもはずも。石檀を三階ばか
0000_,18,388b31(00):り。轉おちながら。大聲にて南無阿彌陀佛と唱へた
0000_,18,388b32(00):るを。師。何事ぞとの給ひければ。しかじかのよし
0000_,18,388b33(00):きこえ申たるに。やがて淨土にて見る事有べし。あ
0000_,18,388b34(00):なかしこ。さる事人になかたりそとの給ひける。御
0000_,18,389a01(00):聲の。耳のほとりに聞ゆれど。猶夢のやうなりき
0000_,18,389a02(00):と。後に本勇竊にかたりけり。かぶら坂。爪書地藏
0000_,18,389a03(00):尊の堂へ入らせ給ひ。ここにて小食をとて。もたら
0000_,18,389a04(00):しし蠶豆の粉を供じぬ。折しも堂の前を人の通るを
0000_,18,389a05(00):見るに。日高郡の相しれる人なれば。母堂の御もと
0000_,18,389a06(00):へ。ことづて聞え給ふ。其日。有田郡。須ケ谷村を過
0000_,18,389a07(00):給ふに。農夫榮助といへるもの。師の御前に膝ま
0000_,18,389a08(00):づきて。今日は。おのれが母の忌日なり。かしこけ
0000_,18,389a09(00):れども。今宵は吾家にとぞ請じ申ける。抑この榮
0000_,18,389a10(00):助。いかなる宿縁をか結びけん。師に歸依渴仰する事
0000_,18,389a11(00):肉身の如來を視奉るごとく也。いかで師を此地にと
0000_,18,389a12(00):どめまゐらせて。おもふままに結縁をもせさせ給は
0000_,18,389a13(00):ん事をと兼ては思まうけたるをなど。歎奉りけれ
0000_,18,389a14(00):ば。そはよき志なりとて。所望にまかせらる。榮助
0000_,18,389a15(00):よろこびいはんかたなく。天神山の半腹に俗にすべり岩といふと
0000_,18,389a16(00):ころささやかなる草庵一宇しつらひて。奉仕供養。心
0000_,18,389a17(00):を盡しけり。
0000_,18,389b18(00):須ケ谷の山は。有田郡に屬して。高さ廿町ばかりも
0000_,18,389b19(00):登るべし。半ばより上は。松柏も生出ず。巖石をた
0000_,18,389b20(00):たみあげたるやうにて。嶮いふばかりなし。昔。
0000_,18,389b21(00):畠山政氏といへりし人の。籠たる城山にて。土俗は
0000_,18,389b22(00):魔所なりとて。つねにはおそれて登人もなかりし
0000_,18,389b23(00):を。師。見給ひて。前の庵もあれども。この絶境こ
0000_,18,389b24(00):そ。空閑獨處にはよき道場なれ。ここに庵ひとつ造
0000_,18,389b25(00):れとなん命じ給ひける。かくて榮助からうじて。絶
0000_,18,389b26(00):頂の南に向ひたる巖の上に。方丈にもたらぬ平地
0000_,18,389b27(00):一所を見出ければ。うれしくて。やがてさし出たる
0000_,18,389b28(00):巖にそひて。丸木の柱を建。枯殘たる薄ちがやも
0000_,18,389b29(00):て。ふき覆ひたり。はつかに御膝いるるほどなるべ
0000_,18,389b30(00):し。下は千仞の絶壁にて。これを臨ば眼も眩轉ばか
0000_,18,389b31(00):りなり。庵は雨露のまほにかからぬのみにて。内外
0000_,18,389b32(00):の隔だになければ寒風虜を擘き。山雲牀を埋て。さ
0000_,18,389b33(00):ながら露地坐に異なることなし。むかし頭陀第一と
0000_,18,389b34(00):佛の讃給ひし迦葉尊者のお跡にも。おさおさ劣給は
0000_,18,390a01(00):じやなど。人の申あへりしも。過稱にはあらざりけ
0000_,18,390a02(00):り。この榮助は。須ケ谷の麓の農夫なり。日日齋食
0000_,18,390a03(00):をはこび。薪水を供じて。寒暑一日もおこたる事な
0000_,18,390a04(00):し。後に出家して。本因といふ。この地もとより水
0000_,18,390a05(00):脉隔りて。盥嗽の水も容易からざれば。榮助日頃お
0000_,18,390a06(00):もひ歎しを。ある時。師の給ひけるは。汝今より七
0000_,18,390a07(00):夜ばかり。忍びてここに來て念佛せよと命じ玉ふ。
0000_,18,390a08(00):榮助敎のごとく。毎夜。竊にのぼりて勤けるに。第
0000_,18,390a09(00):七夜の曉。其邊の巖の根より。いと淸らかなる泉。
0000_,18,390a10(00):ひとすぢぞ涌出にける。今も猶其時とおなじさまに。
0000_,18,390a11(00):潺湲として竭る事なしとぞ。絶頂より五六丁下まで
0000_,18,390a12(00):は。結縁ゆるされければ。折折に男女の詣來たる時
0000_,18,390a13(00):は。榮助かねてささやかなる幟を作おき。これを搖
0000_,18,390a14(00):せば。數千丈の巖上に。師たちいでで十念をぞ授玉ふ
0000_,18,390a15(00):其際はるかなれども。音聲朗朗として。咫尺に對す
0000_,18,390a16(00):るが如し。又高聲禮拜の時は。有田川まで響聞えけ
0000_,18,390a17(00):れば。旅行人も。不思議なりとぞいひあへりける。
0000_,18,390b18(00):須ケ谷山の麓は。古戰場にて。古塚ども累累として
0000_,18,390b19(00):多くたてり。師哀みて。この亡靈の爲にとて。ねも
0000_,18,390b20(00):ころに回向せられたる事あり。或夜本勇尼獨念佛し
0000_,18,390b21(00):居たるに。たけ高男の。素袍やうの衣を着し。黑笠
0000_,18,390b22(00):を戴しが來りて。いへりけるは。このほどはあり難
0000_,18,390b23(00):回向に預りて。かたじけなく侍る也。其よし直に申
0000_,18,390b24(00):さんもいとかしこければ。これまで申なりとて。か
0000_,18,390b25(00):きけち失ぬ。翌朝師の御許に行て。ありし事ども告
0000_,18,390b26(00):申ければ。冥界遠にあらず。吾回向のとどきたるな
0000_,18,390b27(00):るべしとぞ仰られける。
0000_,18,390b28(00):紀州有田郡は。名産の蜜柑をいだす所也。いかなる
0000_,18,390b29(00):事にか。近頃年年數萬の根株に虫の生じて。あたか
0000_,18,390b30(00):も煤を塗たるごとし。されば枝葉大半枯しぼみて。
0000_,18,390b31(00):花實ややおとろへたり。師の庵近き。須ケ谷。みや
0000_,18,390b32(00):原のあたり。殊に甚し。師このよし聞給ひ。やがて
0000_,18,390b33(00):數里の間を終日木の下をめぐり。或は通夜に念佛經
0000_,18,390b34(00):行し給ひけり。さるほどに。さばかりの虫どもいつ
0000_,18,391a01(00):の程にも塵ばかりか殘らずなくなりにけり。抑一業
0000_,18,391a02(00):の感ずる處。等同類の虫身をうけ。前のがれず。
0000_,18,391a03(00):共に當年の殃災に値。因果は影の形に隨ふが如し。
0000_,18,391a04(00):彼を非として。これを是とする事あたはず。扨も回
0000_,18,391a05(00):向の薰力にて。昆虫は同類の醜果を轉じ。衆人は定
0000_,18,391a06(00):受の災殃をまぬがる。日夜木のもとを巡りて念佛し
0000_,18,391a07(00):給ひしこと。これがため也とぞ後に承りし。寬政七
0000_,18,391a08(00):年五月ばかりの事也。
0000_,18,391a09(00):日の御崎は。日高郡に屬す。地かたより一里半ばか
0000_,18,391a10(00):りを隔て。海岸にそひてのぼる事廿町餘なり。熊野
0000_,18,391a11(00):の岬。土佐の足摺の岬。三分鼎足して。絶景いはん
0000_,18,391a12(00):方なし。されど風濤險惡の處なれば。渡海人おそる
0000_,18,391a13(00):ることかぎりなし。寬政六年七月十二日の夜。海上お
0000_,18,391a14(00):びたたしく荒て。大小の船どもあまた破損せり。水
0000_,18,391a15(00):主をはじめ水になれたるものも。多く溺死してけ
0000_,18,391a16(00):り。その後は雨夜などには。海上に陰火もえ。浪の
0000_,18,391a17(00):上に人の啼聲せりとぞ。寬政八年秋のころ。其亡靈
0000_,18,391b18(00):のためにとて。三七日を期して。別時念佛を修せら
0000_,18,391b19(00):れしに。あるひあら浪俄に起りて。其中より鰐魚の
0000_,18,391b20(00):頭現れ出たり。頭上に靑き苔の如き草生のび。眼い
0000_,18,391b21(00):とすさまじ。師は一心に念佛回向せられたるに。暫
0000_,18,391b22(00):ばかりにして。海底に沈みぬ。其のちは船艦覆沒の
0000_,18,391b23(00):事絶て聞えずとぞ申傳へける。唐の韓昌藜が潮州の
0000_,18,391b24(00):刺史たりし時。鱷魚の災を除きたるにも似通ていと
0000_,18,391b25(00):めづらかにも又尊し。
0000_,18,391b26(00):須ケ谷の山居のころ。或曉。例の絶壁の上に坐をし
0000_,18,391b27(00):めて。念佛し居給ひけるほど。額上に雙角ある妖女。
0000_,18,391b28(00):いづくともなく顯れ出。兩の手をのべて。師のうし
0000_,18,391b29(00):ろより。兩の御臂を攫て空中に飛去事。凡五十間ば
0000_,18,391b30(00):かりにして。あはや千仞の谷底へ擲落さんず勢ひな
0000_,18,391b31(00):りしに。忽に全身金色の金剛力士。憤怒の威相を現
0000_,18,391b32(00):じて。遙向の半天に顯れ給ひぬ。妖女はこれにやお
0000_,18,391b33(00):それけん。忽見えず成し時。師ははじめて我にかへり
0000_,18,391b34(00):たるやうにて。絶壁の上に端坐し給ひしに。力士の
0000_,18,392a01(00):御姿は。猶空中にほのぼのとたたせ玉へり。朝霧た
0000_,18,392a02(00):ち籠て。御膝より下は定かには見えざりけり。妖女
0000_,18,392a03(00):攫し跡。暫の間臭氣うせざりしをおもへば。夢にて
0000_,18,392a04(00):は非りけりとぞの給ひし。又或時。師繩床に坐し。
0000_,18,392a05(00):閉目念佛しておはせしが。目を開ての給ひけるは。
0000_,18,392a06(00):何者なるか吾胸の上に。大山を投かくるかと思ひた
0000_,18,392a07(00):りしを。忽金剛力士あらはれ給ひて。是を退け給ひ
0000_,18,392a08(00):きと語らる。抑金剛力士は。賢劫千佛の佛法を。守
0000_,18,392a09(00):護せさせ玉へる本誓の趣。寶積經密跡金剛力士會に
0000_,18,392a10(00):見えたり。されば師の行法。よく佛意に應ぜられた
0000_,18,392a11(00):るより。おのづからかかるいちぢるき擁護をも。蒙
0000_,18,392a12(00):らせ給へるなるべし。いと尊くこそ。
0000_,18,392a13(00):
0000_,18,392a14(00):
0000_,18,392a15(00):
0000_,18,392a16(00):
0000_,18,392a17(00):德本行者傳上之卷
0000_,18,392b18(00):德本行者傳中之卷
0000_,18,392b19(00):
0000_,18,392b20(00):攝洲灘吳田に吉田道可居士といふ人あり。其子を喜
0000_,18,392b21(00):平次といふ。寬政九年の春の頃。居士。熊野詣の歸
0000_,18,392b22(00):るさ。有田川の邊にて。須ケ谷山に。念佛の行者お
0000_,18,392b23(00):はすよしを聞て。結縁のため。若山の人人ととも
0000_,18,392b24(00):に。須ケ谷に至。師の十念を拜受す。素より結界の
0000_,18,392b25(00):外にて。遙に山上を仰見るまでなれば。いと殘多く
0000_,18,392b26(00):て。いかで對面乞て。親しく御敎示をなどおもへど
0000_,18,392b27(00):かひなし。歸りて後も。常に其事いひ出しとぞ。喜
0000_,18,392b28(00):平次もとより至孝なる人にて。殊に父の志を繼。三
0000_,18,392b29(00):寶に歸する心深かりければ。父の。師に結縁したる
0000_,18,392b30(00):ことを承りしより。そぞろに尊くなつかしくて。遙
0000_,18,392b31(00):なる紀路の遠山にうち向。朝夕にささげものなどし
0000_,18,392b32(00):て。禮拜し。或は便求て。屢屢香木など供養し參ら
0000_,18,392b33(00):す。其懇篤の情。きく人涙落墮ばかり也けり。同年
0000_,18,392b34(00):の卯月ばかり。思おこして南紀へぞ赴きぬ。師は人に
0000_,18,393a01(00):對面許給はぬよし承るを。あはれ。いかにもして見
0000_,18,393a02(00):えさせ給へかしと。首途の初より。夜に晝に。其事
0000_,18,393a03(00):をのみぞ祈ける。漸にして須ケ谷の山につきぬ。結
0000_,18,393a04(00):界の處にいたり見るに。竹墻ゆひ回して。折戸堅く
0000_,18,393a05(00):鎻したり。父もこの處までは來らせ給へりしならん
0000_,18,393a06(00):を。今日はいかなる方便にてか見えまゐらせんな
0000_,18,393a07(00):ど。さまざまに思ひわづらひつつ。まづ聲うち上
0000_,18,393a08(00):て。津の國より遙に詣來しものなり。あはれ親しく
0000_,18,393a09(00):拜謁許し給なんやと。高らかに乞ければ。かの優婆
0000_,18,393a10(00):塞榮助聞とりて。けしかる事におもひつれど。まづ
0000_,18,393a11(00):其よし師にきこえ申たるに。年月人に對面ゆるし給
0000_,18,393a12(00):はざる別行道塲なるを。けふは何とかおぼしとられ
0000_,18,393a13(00):けん。其人見んとぞ。の給ひける。喜平次は年頃御
0000_,18,393a14(00):名を聞まゐらすさへ。いとなつかしかりしを。けふ
0000_,18,393a15(00):まのあたりをがみ奉る事の嬉しくて。五體を地に投
0000_,18,393a16(00):て。まづ幾度か拜し奉るにも。値遇結縁のただなら
0000_,18,393a17(00):ぬ事をさへ。おもひつづけられて。唯涙のみはふり
0000_,18,393b18(00):落めり。さて十念を授與さられて後。汝は我に縁ふ
0000_,18,393b19(00):かき人なるべし。今より日課誓授すべしとの給ひけ
0000_,18,393b20(00):り。さらば三千遍をと申ければ。師。大に呵して六
0000_,18,393b21(00):萬遍を誓べしとの玉へり。喜平次。大に驚て。さる
0000_,18,393b22(00):勤は身に及候はじをと辭しければ。師重ていやと
0000_,18,393b23(00):よ。今より我精神を汝に加して。そのつとめ成就せ
0000_,18,393b24(00):さすべければ。心を安くして。誓べしとの玉ふに
0000_,18,393b25(00):ぞ。いまはいなみがたくて。遂に六萬遍を誓受し
0000_,18,393b26(00):き。かくて因果必然の理ども經文を引て敎喩し玉ふ
0000_,18,393b27(00):さま。慈心言端に溢れ。尊さいはんかたなし。その
0000_,18,393b28(00):かみ須達長者の。始て世尊に見え奉りしありさまに
0000_,18,393b29(00):も。をさをさおとらじをなど。推はからるるにも。
0000_,18,393b30(00):いと殊勝にこそ。夏の日もけふはことさらに短て。
0000_,18,393b31(00):夕陽早く西に傾きぬ。かくてしもあるべきにあらね
0000_,18,393b32(00):ば。つとめて御いとま申て。山をなん下りける。こと
0000_,18,393b33(00):し秋の末。師河内より攝州に行脚し給ひて。吉田氏
0000_,18,393b34(00):に寓し給へるも。けふの結縁ぞ其基とはなれるなる
0000_,18,394a01(00):べし。此後は日日の御齋食ならびに。うしほなどを
0000_,18,394a02(00):ば。月毎に吉田氏より供養せしとぞ。
0000_,18,394a03(00):師の常に淨土宗の至極は。稱名の一法にあり。この
0000_,18,394a04(00):外に沙汰すべき道なしと。の給へるにつきて。或人の
0000_,18,394a05(00):曰。師はいまだしり給はすや。淨土宗には。布薩戒
0000_,18,394a06(00):と申事侍り。これをもて至極とす。念佛のみにはあ
0000_,18,394a07(00):らじと。申ししを聞給ひて。念佛に勝れたる法門
0000_,18,394a08(00):は。よに有まじとおぼしながらも。法門無盡な 。
0000_,18,394a09(00):猶さる事もやなど。聊おぼし煩給ひしころ。一夜誰
0000_,18,394a10(00):ともしらず。一卷の文を出して。これなん布薩よと
0000_,18,394a11(00):いひつるをみれば。例の一枚起請文にてぞありけ
0000_,18,394a12(00):る。兼てもさこそ思ひつれとおぼすに。やがて夢覺
0000_,18,394a13(00):たり。宗門にも布薩の法は。勤べき事に定られたれ
0000_,18,394a14(00):ど。ある僧のいひし如にはあらざりけるを。冥の悟
0000_,18,394a15(00):し給ひけるなるべし。師の粉引歌のはじめに。これ
0000_,18,394a16(00):が萬行具足の戒よと。の給ひしは。この冥告の旨を
0000_,18,394a17(00):述給へるなり。
0000_,18,394b18(00):常に人に告ての給はく。何の道にても。一關を超る
0000_,18,394b19(00):が大切なり。人人いま一際の處にて。堪難しとて。
0000_,18,394b20(00):得遂ざる也。我昔禮拜せし時に。日日三千禮。ある
0000_,18,394b21(00):は五千。七千。一萬に至れり。又常行の別時も初七
0000_,18,394b22(00):日程は難澁なりしかども。殊に身心を策勵して勤れ
0000_,18,394b23(00):は差たる事なし。されども勇猛につとむるころは。
0000_,18,394b24(00):内外に魔境きそひ起りて。こは如何なる宿業にと。
0000_,18,394b25(00):身の毛もいよだつばかり覺る事屢屢なり。此時さら
0000_,18,394b26(00):に心を動ぜずして。深三寶に護念をこひ奉りて。い
0000_,18,394b27(00):よいよ專心に勤修おこたる事なければ魔境次第に消
0000_,18,394b28(00):散して。やがて安穩の塲に至るなり。さればすべて
0000_,18,394b29(00):の事。一際の超がたく忍難き處にいたる時。みづか
0000_,18,394b30(00):ら勵し。愈つとむれば。後後は任運にすすむものな
0000_,18,394b31(00):りとぞ語られける。
0000_,18,394b32(00):一とせ。元旦に雨ふりたるに。或人雨天にてあしく
0000_,18,394b33(00):候と。申けるを聞給ひて。すべて天地の事などを。
0000_,18,394b34(00):とかくにいふべからず。風雨なくばいかでかものを
0000_,18,395a01(00):生育すべき。唯天地を恐れうやまひて念佛すべしと
0000_,18,395a02(00):示されき。
0000_,18,395a03(00):又或人の。口先ばかりにて。唱る念佛は。益なしと
0000_,18,395a04(00):いへるを聞玉ひて。さないひそ。口さきばかりに
0000_,18,395a05(00):て。念佛の申さるるならば。牛馬のくちにても申さる
0000_,18,395a06(00):べし。又酒がめの口にても。ふくべの口にても申さ
0000_,18,395a07(00):るべし。然にこれらの如きものは。もとより無心な
0000_,18,395a08(00):るもの。或は佛性有なからも。業障におほはれたる
0000_,18,395a09(00):より念佛は申されぬ也。人間にても。業障深きもの
0000_,18,395a10(00):は决して念佛は申されず。いま口先ばかりにても。
0000_,18,395a11(00):念佛の申さるる人は。宿縁開發の人なりとぞの給ひ
0000_,18,395a12(00):ける。
0000_,18,395a13(00):寬政十年八月。高野山をはじめとして。河内の國に
0000_,18,395a14(00):行脚して。聖德太子の御廟を拜禮せらる。夫より攝
0000_,18,395a15(00):州桑津の見性寺にて三日の間。留錫し給ふ。紀州を
0000_,18,395a16(00):立出られしより。けふまでの道すがら。日課念佛を
0000_,18,395a17(00):授たまふ事。幾千人といふ數をしらす。吳田の喜平
0000_,18,395b18(00):次は。かねて師の家近く來らせ給よしを聞て。船ど
0000_,18,395b19(00):も用意し。大坂まで御迎にぞ出ける。御船の遙に見
0000_,18,395b20(00):ゆる頃は。道俗男女。雲霞の如く。磯邊に集ひたる
0000_,18,395b21(00):中にも喜平次の家族は。正服にて伺候したりけり。
0000_,18,395b22(00):御船既に岸につきければ。喜平次餘りの嬉しさに。
0000_,18,395b23(00):正服のまま水中に飛入り。御船に手をかけ。陸地に
0000_,18,395b24(00):引上奉りて。おのが西の別莊と申へぞ案内申ける。
0000_,18,395b25(00):師ここにて七日別行せられけり。遠近の貴賤群聚い
0000_,18,395b26(00):ふばかりなし。これらの爲に。日日説法し給ひけれ
0000_,18,395b27(00):ば例の日課誓授のものも又幾千萬なる事をしらず。
0000_,18,395b28(00):やがて別行の限も果ければ。又紀州へ歸給ふべきよ
0000_,18,395b29(00):しを聞て喜平次。謹で申て。このごろは餘りにあわ
0000_,18,395b30(00):ただしくて。かしこくもかかる別莊におき奉りぬ。
0000_,18,395b31(00):哀この後は。淸閑の地を撰びて。供養しまゐらせん
0000_,18,395b32(00):を願くはいやしき志を捨給はず。再來臨玉へかしな
0000_,18,395b33(00):ど。打くどき申けり。其のち。いく程なく。ふたた
0000_,18,395b34(00):びこの地へ移らせ玉ひたるは。この故なりけり。
0000_,18,396a01(00):住吉の北に。赤塚山といへる松山は。吉田氏の地所
0000_,18,396a02(00):なりければ。此山中に草庵作りて。師を請じ奉り。
0000_,18,396a03(00):日日の齋食資用。すべて供養しけり。毎月十五日に
0000_,18,396a04(00):は。遠近の老少かぎりもなく詣來るに。各名號一枚
0000_,18,396a05(00):づづを授與せられて。ひたすらに日課念佛をぞ勸給
0000_,18,396a06(00):ける。件の名號を。病人或は産婦など拜服するに。
0000_,18,396a07(00):果して利益を得。靈驗を蒙るもの。あまた有ける故
0000_,18,396a08(00):に。人人これを拜服名號とぞ稱しける。
0000_,18,396a09(00):本勇。本名の兩尼は師の須ケ谷にて山居のころ。山
0000_,18,396a10(00):の麓に庵造りて。念佛せしに。本名は早く往生をぞ
0000_,18,396a11(00):遂にける。本名。およびその母の行實。臨終のさまなど。南紀往生傳に出たり今は唯影にと
0000_,18,396a12(00):もなふ窓のもとに。心ぼそくのみ過しけるが。師も
0000_,18,396a13(00):此ごろ攝州へうつらせ給ひてのちは。いとど燈火の
0000_,18,396a14(00):消ぬる心地やらんかたなくて。哀この身のあらんか
0000_,18,396a15(00):ぎりは。御庵近くもなどおもひ定て。同年秋の末つ
0000_,18,396a16(00):かた。心強も須ケ谷を立出て。攝州のかたへぞ趣け
0000_,18,396a17(00):る。師は其ころ。西の別莊にいましけるよし聞けれ
0000_,18,396b18(00):ば。いざとてつとめて行。西宮わたりにて。日はは
0000_,18,396b19(00):やく暮にけり。ちまた幾つにもわかれたれば。いづ
0000_,18,396b20(00):れをいづれと。定べきやうもあらぬを。とある小路
0000_,18,396b21(00):より身のたけいとひききをとこ獨出きて。我ゆくか
0000_,18,396b22(00):たへといへるに。嬉しくて。つきて行。其をとこの
0000_,18,396b23(00):いへらく。ここは日本第一の。惠比壽の神のいます
0000_,18,396b24(00):宮也。尼公も。此御神には縁しあるを。道のついで
0000_,18,396b25(00):もよろしければ。參詣せずやといふ。本勇はもと鹽
0000_,18,396b26(00):津の産にて。城堭も惠比壽の御神なるを。この男の
0000_,18,396b27(00):いかにして。しりけんなど。あやしみもあらで。さ
0000_,18,396b28(00):らばとて。ひかるるままに。社の門に至りぬ。かた
0000_,18,396b29(00):く扉したる門を。このをとこ指にておしたるやうな
0000_,18,396b30(00):りしが。兩の扉。さとひらきたり。入たちて。ここ
0000_,18,396b31(00):は本殿。ここは末社など。つばらにさとし示さるる
0000_,18,396b32(00):まま。伏拜みつ。裏門の處にても。先の如くにし
0000_,18,396b33(00):て。門おしひらきて出たり。道すがらも。さまざま
0000_,18,396b34(00):のたふとき物語どもしつつ。行ともなく。吳田近來り
0000_,18,397a01(00):けるに。鉦の音する家あり。かの男いはく。尼公の
0000_,18,397a02(00):ゆく處は。ここにて聞給へとをしへて去りぬ。やが
0000_,18,397a03(00):て其家におとなひたるに。本勇尼にいませるかと答
0000_,18,397a04(00):て。いで來るは。紀州にて早くしる人にてぞ有け
0000_,18,397a05(00):る。やがて師の御旅宿へまうでて。其事聞申けれ
0000_,18,397a06(00):ば。それなん。西宮の大神にておはすなるを。さら
0000_,18,397a07(00):ば吾も法樂して。拜謝し奉るべしとて。暫念佛し給
0000_,18,397a08(00):ひぬ。本勇も始て。其人のただ人ならざりし事をお
0000_,18,397a09(00):もひ合されしとて。涙おとしてこの事かたりぬ。素
0000_,18,397a10(00):より本勇が深信を。神のあはれがり給ひたらんなれ
0000_,18,397a11(00):ども。おのづからなる師の餘德の。いたす所なるべ
0000_,18,397a12(00):きにや。
0000_,18,397a13(00):或夜の夢に。八九歳ばかりの小沙彌の。いと殊勝な
0000_,18,397a14(00):るが。端ぢかう居給ふを見らる。何人にてまします
0000_,18,397a15(00):ぞと問れければ我は若地藏にて。何もなしと答へ給
0000_,18,397a16(00):ふ。覺て後。このほとりに地藏堂やあると尋らるる
0000_,18,397a17(00):に。此あたりの聖天堂に。古き地藏尊おはすといへ
0000_,18,397b18(00):り。師行て見給に。夢に見給へる如き菩薩の。坐光
0000_,18,397b19(00):もいつしか失たるがたたせ給へり。持返り給ひて。
0000_,18,397b20(00):辯了沙彌に仰て。坐光を作らしめられけり。享和二
0000_,18,397b21(00):年極月十七日の夜なり。又夢見らく。高山に登り給
0000_,18,397b22(00):ひけるに。其絶頂より麓に至るまで。幾多ともなく
0000_,18,397b23(00):地藏菩薩の尊像立せ給ひしを。こはけしかる事よ
0000_,18,397b24(00):と。おぼしながら。拜み奉らるるに。滿山の草木砂
0000_,18,397b25(00):石。悉皆地藏尊の御姿に變じ。一花一葉といへど
0000_,18,397b26(00):も。みなこの尊像にあらざるものなしと見給ふ。其
0000_,18,397b27(00):餘。前夜にこの菩薩を夢に見奉りしあけの日。六地
0000_,18,397b28(00):藏の開眼願ひ來りし事もあり。或はこの菩薩の乘給
0000_,18,397b29(00):へる船に。師ものられしなど。屢屢この菩薩を夢に
0000_,18,397b30(00):は見給ひしとぞ。此一條は勝尾寺にての事なり
0000_,18,397b31(00):或時喜平次。雛鶴一羽を得て。庭に養ひけり。羽翼
0000_,18,397b32(00):すでに成る時。師の來給ければ。能折なり。あは
0000_,18,397b33(00):れ。鶴に。御十念賜るべきよし乞申けり。鶴は常に脛
0000_,18,397b34(00):を折しく事はなきを。師の來らせ給へるを見て。や
0000_,18,398a01(00):がて脛を折。觜をたれて。いたく謹かたちをなせ
0000_,18,398a02(00):り。師直に十念を授給ひければ。御聲の度毎に。は
0000_,18,398a03(00):しを動し。十念を受奉るがごとし。ややありて。い
0000_,18,398a04(00):とうれしげに。羽たたきして。雲井遙に飛さりぬ。
0000_,18,398a05(00):昔淨影大師の御寺に。鵞鳥のすみて。常に大師の御
0000_,18,398a06(00):説法を。謹で聞けるさましたりと。德化の飛禽にお
0000_,18,398a07(00):よぶこと。古今これ同じきものか。
0000_,18,398a08(00):智圓尼は。師の母堂なり。師の誕生のはじめより。
0000_,18,398a09(00):一かたならぬ奇瑞をも。感見し給ひしかば。專心念
0000_,18,398a10(00):佛の外。他事なかりけり。師は至孝の志ただならざ
0000_,18,398a11(00):るからに。山川遙に隔ながら。母堂の御爲に。日日
0000_,18,398a12(00):十念授まゐらする事を。常例とはし給へり。喜平
0000_,18,398a13(00):次。いま師のここに住せたまふを幸に。猶あかぬこ
0000_,18,398a14(00):ころより。母堂をも迎へまゐらせばやとおもひて。
0000_,18,398a15(00):其よしこひ申ければ。母堂よろこびて。取あへず攝
0000_,18,398a16(00):州に趣れけり。母子邂逅の對面。御よろこびいはん
0000_,18,398a17(00):かたなし。母堂のたまひけるは。まづ謝し申べき
0000_,18,398b18(00):は。上人は毎朝時も違はで。御十念授給はる事の。
0000_,18,398b19(00):うれしさよとぞ申されけるを。本勇かたはらに聞居
0000_,18,398b20(00):しが。後にその事いかにと問けるに。朝毎に。光明
0000_,18,398b21(00):の中に。師の十念の姿ををがみまゐらする也と答ら
0000_,18,398b22(00):れけり。喜平次。また此序をもて。母堂に京攝の靈
0000_,18,398b23(00):地をも巡拜せさせんとて。本勇尼を添て出たたせ
0000_,18,398b24(00):ぬ。そのころも。朝毎に師の十念の相を拜せられし
0000_,18,398b25(00):は。おなじ事なりしとぞ。
0000_,18,398b26(00):紀州前黄門太眞公より。仰言ありて。願くは。國内
0000_,18,398b27(00):いづれの山にても。心にまかせて勤らるべきよし。
0000_,18,398b28(00):御使兩度に及ひしかば。師かしこまりて。攝州を
0000_,18,398b29(00):去。再須が谷の庵にぞ歸られける。ことし。公の御
0000_,18,398b30(00):母君淸心院殿かくれさせ給ひしかば。御菩提の爲に
0000_,18,398b31(00):とて。その御館を賜りて。須ケ谷の山に移改て。是
0000_,18,398b32(00):を師の庵室とはなさせ給へり。尊靈もとより師に厚
0000_,18,398b33(00):く御歸依ありしを。公もしろしめしけるより。御か
0000_,18,398b34(00):たみにもとおぼしめしたるなるべし。師。明のとしの
0000_,18,399a01(00):冬の初まで。此山に閑居して。御追善の別行せさせ
0000_,18,399a02(00):給ひけり。師資の宿縁ただならざるより。念佛懇に
0000_,18,399a03(00):ものし給ふなん。當來の增進佛道もおもひやられ
0000_,18,399a04(00):て。いと尊かりけり。この頃けしかる神童二人。を
0000_,18,399a05(00):りをり繩床の傍に侍立して見えけるを。いづこより
0000_,18,399a06(00):か來れると尋玉ふに。我等は攝州應頂山に住るもの
0000_,18,399a07(00):也と答たりとぞ。其後。勝尾寺に山居の刻。一切經
0000_,18,399a08(00):藏を拜せられしに。傅大士の左右の童子。容貌衣
0000_,18,399a09(00):服。さきごろの神童に少しも違ざりしと。いと不思
0000_,18,399a10(00):議なる事也けり。
0000_,18,399a11(00):享和元年十月廿三日の夕。例の行脚の志。涌が如く
0000_,18,399a12(00):おこりたるより竊に夜にまぎれて須ケ谷をのがれ出
0000_,18,399a13(00):給ひにけり。大路をゆかば。人の見とがむる事もこ
0000_,18,399a14(00):そとて忍びやかに。山路を經て。河内國より攝州に
0000_,18,399a15(00):趣き。勝尾寺の麓なる。坊の島といへる處に至られ
0000_,18,399a16(00):けるに。何となく足痛の氣ありて。傍の石上に休ら
0000_,18,399a17(00):ひ給ふに。かねて見奉りし人なるべし。師は住よし
0000_,18,399b18(00):の行者にてはいまさずや。いかにしてとて。まづ十
0000_,18,399b19(00):念を乞申けり。これを始として。漸に人集り來りけ
0000_,18,399b20(00):るが。例の吉田の家族ども。其よし傳へ聞て。急御
0000_,18,399b21(00):迎に伺候す。師また此家にしばらく留錫し給ふをり
0000_,18,399b22(00):から。正覺院權僧都。勝尾寺の惣代として御迎に來
0000_,18,399b23(00):られければ。十一月廿五日。初て應頂山へぞ登られ
0000_,18,399b24(00):ける。其時小池院權大僧都をはじめ。一山隨喜し
0000_,18,399b25(00):て。年久しく荒果たる松林庵を。新に修治して。師
0000_,18,399b26(00):に供養し奉り。ながくこの山にとどまりて。化益を
0000_,18,399b27(00):施し給へかしとぞ乞申されける。松林庵といへる
0000_,18,399b28(00):は。はつか。方十笏ばかりの淨室なり。東の方一二
0000_,18,399b29(00):級を下りて。隨侍の沙彌の。住べき坊一處を造れ
0000_,18,399b30(00):り。又下りて門を設く。これより内は。女人を禁制
0000_,18,399b31(00):す。男子といへども。みだりに出入を許さず。溪澗
0000_,18,399b32(00):路を隔て。白雲峯を鎻し。松籟泉韵。とこしなへに
0000_,18,399b33(00):常念我名の聲をたすく。されば。勝境に入もの。三毒
0000_,18,399b34(00):の迷雲を拂はざるものなく。一念の佛種を植ざるも
0000_,18,400a01(00):のなし。其後は毎月十五日を定日となし。二階堂を
0000_,18,400a02(00):道塲として。別時念佛をぞ執行せられける。
0000_,18,400a03(00):師先頃坊の島にやすらはれける時。一天俄にかき曇
0000_,18,400a04(00):り疾雷一聲して。忽雲散ず。登山ののち第二日の
0000_,18,400a05(00):夜。夢に黄牛を抱くと見給ふ。むかし開乘皇子。此
0000_,18,400a06(00):山に住玉ひて。般若を書寫し給へりし時の。前兆に
0000_,18,400a07(00):符合せるも。不思議なる事にぞ有ける。抑この寺は。
0000_,18,400a08(00):善仲。善算の。現身往生の舊跡にて證如上人修焉の
0000_,18,400a09(00):靈地なりとて。宗祖圓光大師も。この峰にて。四年
0000_,18,400a10(00):籠居の勝蹟なり。師もかかるいはれのただならざる
0000_,18,400a11(00):より。年を重て。此には住給ひけるなるべし。
0000_,18,400a12(00):琢定沙彌は。もとは尾州圓成寺の法弟なりしが。師
0000_,18,400a13(00):の道德に歸して松林庵に入衆してけり。或時。釋迦
0000_,18,400a14(00):如來の尊像を刻。師に開眼を乞けるに。師見給て。
0000_,18,400a15(00):此尊像いまだ螺髮ととのはずとの給ひければ。琢定
0000_,18,400a16(00):かしこまりて。其夜竊に螺髮を彫奉るとて。まづ御
0000_,18,400a17(00):頂に墨をぬりけり。あけの朝。師。の給ひけるは。
0000_,18,400b18(00):昨夜の夢に。汝。我頭に墨をぬりしとみたりきと。
0000_,18,400b19(00):仰られけるを聞て。琢定全身に汗出て。師の内證の
0000_,18,400b20(00):ただならぬをかしこみ申ける。
0000_,18,400b21(00):或人。師には一向に助業を用ひ給ふ事なきは。何の
0000_,18,400b22(00):故ぞと問奉りければ。我とても助業は用るなり。汝
0000_,18,400b23(00):しらずや。大小の食と。大小の便とは。これ我らが
0000_,18,400b24(00):念佛の助業也とぞ申されける。いとをかしかりける
0000_,18,400b25(00):御示しなり。助業の事は。さまざまの相傳あること
0000_,18,400b26(00):なるを。この一轉語は。常格を超て。師の平生精修
0000_,18,400b27(00):のありさまを見るにたれり。
0000_,18,400b28(00):享保三亥年十月。京都獅子が谷。法然院にて鬚髮を
0000_,18,400b29(00):そり。内衣を用られけり。出家の後。今に至るま
0000_,18,400b30(00):で。大方は山居巖棲を常とし。苦修練行。寸陰を惜
0000_,18,400b31(00):まれけるより。いつしか剪爪除髮の事さへ。はぶか
0000_,18,400b32(00):れけるを。この頃は。やや化他の因縁熟して。人氣
0000_,18,400b33(00):近く住給ひけるにぞ。長髮長爪いかにも異相なり。
0000_,18,400b34(00):沙門の正儀にあらずとて。眞の比丘形には復し給へ
0000_,18,401a01(00):るなりけり。夫剃除は。華嚴經に讃ずる處。これを
0000_,18,401a02(00):長ずるは涅槃のいましめなれば。三寶海に入もの。
0000_,18,401a03(00):誰か沙門の正儀を守らざる事を得んや。近ごろ。師
0000_,18,401a04(00):のむかしの閑居獨處の顰にならひて。有髮に袈裟を
0000_,18,401a05(00):きたる法師どもの。俗間に遊行することあり。非儀
0000_,18,401a06(00):非法のいたり。深いましむべきをや。
0000_,18,401a07(00):同年の十一月。關東下向を催さる。宗門の規式なれ
0000_,18,401a08(00):ば。師家の傳法をも乞。かつは東漸の化益もなどお
0000_,18,401a09(00):ぼしけるより。東海道を經て。江戸に着せらる。小
0000_,18,401a10(00):石川傳通院の鸞洲上人は。昔山居のをり。かねて契
0000_,18,401a11(00):おかせ給ひければ。やがて此寮を。留錫の處とは定
0000_,18,401a12(00):給ひぬ。時の貫首君譽智嚴大和尚は。師の招ざるに
0000_,18,401a13(00):來られしをよろこび。我爲の不請の友なりとて。同
0000_,18,401a14(00):冬十二月。別に道塲をひらき。宗戒兩脈。および布
0000_,18,401a15(00):薩の法式等。のこる處なく相承し給ふ。宗規の相傳
0000_,18,401a16(00):畢て。貫首大和尚のいへらく。曾て聞。師。山居の
0000_,18,401a17(00):際。兩祖の直授を得られたりと。願はくはこれを聞
0000_,18,401b18(00):んと。ここにおいて。師。掩事なく。感得の旨を述
0000_,18,401b19(00):らる。のぶる處。宗義の肝要を得て。代代相傳の旨
0000_,18,401b20(00):に符合せざる事なしとて。深く感られたり。相承の
0000_,18,401b21(00):印信にとて。大和尚より。三卷書籍。並に宗祖大師
0000_,18,401b22(00):眞筆の名號を。師に贈らる。大和尚。後に知恩院に
0000_,18,401b23(00):住して。大僧正に任ぜらる。文化六年七月。入寂の
0000_,18,401b24(00):前。師勝尾寺より。錫を飛し上洛して。臨終の御善
0000_,18,401b25(00):知識をつとめられき。宿縁のひく處なるべしとて。
0000_,18,401b26(00):人人尊びあへりけり。
0000_,18,401b27(00):同じころ。一夜深更に十念を授給ふ聲の聞えけれ
0000_,18,401b28(00):ば。大基和尚和尚。常に師のかたはらをはなれず。説法のたびごとに。三歸の維那をつかさごれり。福智兼備の
0000_,18,401b29(00):人也。後に傳通院學頭より。尾州建中寺に住し。賜紫の榮あり。年八旬にあまりて。今なほ建中寺の別坊に隱居せらるあや
0000_,18,401b30(00):しみて。師に尋奉りければ。いま老狐の來りたるに
0000_,18,401b31(00):授たりきと申さる。そは當山の鎭守澤藏司明神の使
0000_,18,401b32(00):者なるにやなど申ければ。さらば其社に行て法樂せ
0000_,18,401b33(00):ばやとて立出給ふ。更闌て人をおどろかさんもわづ
0000_,18,401b34(00):らはしとて。和尚みづから提灯てらし案内しまゐら
0000_,18,402a01(00):す。華表のほとりにて。錫杖つきならし會釋し給ふ
0000_,18,402a02(00):さま。さながら出迎ふる人のありげなり。かくて社
0000_,18,402a03(00):には拜殿も本殿も扉みなひらけて。燈臺の類すべて
0000_,18,402a04(00):火を點じたり。暫法樂して歸らる。翌朝。社の別當
0000_,18,402a05(00):慈眼院。師のもとに詣來て。よべは參詣ましました
0000_,18,402a06(00):るよし。けさこそ承り侍れ。頗無禮のかしこまり申
0000_,18,402a07(00):さんとて。まゐれりといふ。さてはよべのともし火
0000_,18,402a08(00):は人の所作にはあらざりきと。けしうも。めづらし
0000_,18,402a09(00):き事になん人人申あへり。
0000_,18,402a10(00):文化紀元の夏のころ日光拜禮の歸途。小金の東漸寺
0000_,18,402a11(00):をとふらはる。貫首宣契大和尚は。增上寺統譽大僧
0000_,18,402a12(00):正の嫡弟にて。當世の名德なり。かねて師の道德を
0000_,18,402a13(00):慕給ひければ。今日しも邂逅の謁見をよろこばれ
0000_,18,402a14(00):て。問て曰。師は衆人に日課念佛つとめよと勸給へ
0000_,18,402a15(00):り。師にもみづから日課の數は。定させ給ふにや
0000_,18,402a16(00):と。師。の玉はく。念念不捨に念佛して。晝夜しば
0000_,18,402a17(00):らくも間斷なければ。日課を定むる事なしと。大和
0000_,18,402b18(00):尚重て。念念不捨とは申せども一食の間も。猶間斷
0000_,18,402b19(00):あり。况。師は平生念佛の御いとま。説法に力を用
0000_,18,402b20(00):ひ給ふ事なれば。無間修の名は如何にやと申されけ
0000_,18,402b21(00):るに。師。忽容を改て。昔八耳の太子は。八人の奏
0000_,18,402b22(00):問を一齊に聞せ給しときく。吾は四歳の時より無間
0000_,18,402b23(00):修の行者也。たとひ八耳太子にはおよばずとも念
0000_,18,402b24(00):佛。説法の兩途を一時に勤に。何の難き事かあら
0000_,18,402b25(00):ん。大和尚には。未念佛の數のたらぬより。かかる
0000_,18,402b26(00):疑の生じ給へる也と申されたる時。大和尚始て。師
0000_,18,402b27(00):の實地の修行者なる事を。感佩し給ひしとぞ。
0000_,18,402b28(00):洛東。獅子谷。法然院の住持。聖阿上人は。師の
0000_,18,402b29(00):山居の弟子にて名を本定とぞ申ける。されば師。上
0000_,18,402b30(00):京の時には。いつも此寺にぞ止宿せられける。その
0000_,18,402b31(00):頃。典壽律師と聞えしは。やごとなき學生にて。常
0000_,18,402b32(00):常大小の敎典を。この谷の金毛院にぞ講ぜられけ
0000_,18,402b33(00):る。ある時。師の歸らせ給へる背後の御姿の。明障
0000_,18,402b34(00):子の隙より見えたるに。はじめて非凡の人なるを知
0000_,18,403a01(00):られしにや。呼かへして對面せられける。のちに師
0000_,18,403a02(00):の爲に。華嚴經の大旨を講ぜられしに。律師の學
0000_,18,403a03(00):解。やや大菩薩の悟道にせまれり。栂尾の明惠上人
0000_,18,403a04(00):の再來にやなど。師ものたまへり。或人の。師は非
0000_,18,403a05(00):學生なりなといひけるを。律師傳聞て。令與修多羅
0000_,18,403a06(00):合と申さずや。念佛三昧の行者は。世に輕んすべか
0000_,18,403a07(00):らず。今の學生達は。口空を説て。心有に著すなる
0000_,18,403a08(00):をとぞいはれける。開解。立行は。佛家の基本た
0000_,18,403a09(00):り。兩大德の。互に歎美せられしは。いと殊勝の事
0000_,18,403a10(00):にこそ。
0000_,18,403a11(00):師。或時名號多く書せ給ひし紙の上に。大さ小豆ほ
0000_,18,403a12(00):どの。琥珀の色なる一粒の舍利。忽然として現れ。
0000_,18,403a13(00):光まばゆきまでなり。師。の給はく。是は予が授り
0000_,18,403a14(00):しなるべしとて。かねて襟にかけ給へる舍利塔にぞ
0000_,18,403a15(00):收給へりける。
0000_,18,403a16(00):越前國。大原山に。妙華谷といへる處あり。滿谷。
0000_,18,403a17(00):山芹菜のみ生じて。見渡ば。さながら白浪のたてる
0000_,18,403b18(00):やうなり。文化三年正月中旬より。八日十五日ま
0000_,18,403b19(00):で。この谷にて別行勤たまふ。いつのころにか。松
0000_,18,403b20(00):の嵐。瀑布の音も。なべて南無阿彌陀佛の聲に聞へ
0000_,18,403b21(00):ける事のありしとぞ。阿彌陀經にとける。皆悉念佛
0000_,18,403b22(00):の勝境の。現ぜしなるべしといと殊勝の事にこそ。
0000_,18,403b23(00):平生の御言葉に。我。念佛する時は即阿彌陀なり。
0000_,18,403b24(00):説法する時は即釋迦なり。とぞのたまひける。聖道
0000_,18,403b25(00):門にはかかる傳へもあれど。淨土宗にては。かくま
0000_,18,403b26(00):でには申さぬぞ敎限なるべきを。師の自得し給へる
0000_,18,403b27(00):さま。おのづから經論の至理に符合せるを。其まま
0000_,18,403b28(00):仰られしも。いとめづらしくなん。
0000_,18,403b29(00):或僧。草庵を訪ひけるに。汝このごろ。何事にか慢
0000_,18,403b30(00):心おこせる。我今まどろめる夢に。鼻のながさ。こ
0000_,18,403b31(00):の花瓶などなる人の。わが傍に寢てありき。其着た
0000_,18,403b32(00):る衣。汝が衣のいろと同じ事なりき。故にかくは問
0000_,18,403b33(00):ぞとの給ひけるに。身の毛いよだちかしこまりて十
0000_,18,403b34(00):念うけて歸けり。この僧のちに人にかたりていへ
0000_,18,404a01(00):らく。はじめ竊におもひけるは。我もし師の如く山居
0000_,18,404a02(00):修行したらんには。攝化衆生の道力も。やはか師に
0000_,18,404a03(00):はおとらじものをと。思ひたりき。それぞやがて高
0000_,18,404a04(00):慢の煩惱にてありけるが。忽に顯れしこそいとはづ
0000_,18,404a05(00):かしけれとて。其後は化他度生は。かならず還來を
0000_,18,404a06(00):期すべき事に决しぬとぞ申ける。慢に七種九種あり
0000_,18,404a07(00):と。論には説給へり。いとおそるべき事にぞ有け
0000_,18,404a08(00):る。
0000_,18,404a09(00):文化のはしめ。鸞洲寮に寓せられしころ。高崎侯の
0000_,18,404a10(00):藩に。寺田五右衞門といへる劒道の達人あり。師の
0000_,18,404a11(00):名を聞。來りて十念を乞。舟は楫。扇は要と。師の詠
0000_,18,404a12(00):せられたる歌を。殊の外に感佩して。多くの人に語
0000_,18,404a13(00):しとぞ。其門人に。白井亨といへる人あり。後には
0000_,18,404a14(00):ならびなき劒道家なりとて。世には稱しあへり。こ
0000_,18,404a15(00):の人。諸國を經めぐりて。歸府したりし時。五右衞
0000_,18,404a16(00):門殊の外不興にて。汝が修行未精にいらずと呵しけ
0000_,18,404a17(00):ればいかさまに修行すべきかと問ければ。よき高僧
0000_,18,404b18(00):なとに承問すべしと示しけり。亨。思らく。今の世
0000_,18,404b19(00):に高僧と稱んものは。德本行者なるべし。いかなる
0000_,18,404b20(00):事かあらんいでこころ見んものをとて取あへず出た
0000_,18,404b21(00):ちぬ。師はこの頃。攝州勝尾にいまして。亨の訪ひ
0000_,18,404b22(00):たる日は。十五日にてぞ有ける。師の説法し給へるさ
0000_,18,404b23(00):ま。何となく巍然として犯べからざるの氣象あり。
0000_,18,404b24(00):翌日謁見を乞て。我は劒客なり。高僧に逢たらん時
0000_,18,404b25(00):劒法の示を請よと。吾師のいはれしによりて。遙遙
0000_,18,404b26(00):訪奉れり。願くはしらせ給ふ事もましまさば。をし
0000_,18,404b27(00):へたまはん事をと申けるに。師。微咲て。我は念佛
0000_,18,404b28(00):の行者也。豈武事にあづからんや。唯しる處は念佛
0000_,18,404b29(00):して。極樂に往生するのみなり。汝も後世のため
0000_,18,404b30(00):に。念佛をせよやと。の給ひつつ。鉦打敲て。念佛
0000_,18,404b31(00):し給ふを。つらつら見奉る時。豁然として劒法の妙
0000_,18,404b32(00):處を悟れりとぞ。後に人にかたりて。われ曾て行
0000_,18,404b33(00):者の念佛し給ふさまを見るに。分毫のすきまなく。
0000_,18,404b34(00):一握の橦木をもて。千萬の敵にも。對すべく覺たり
0000_,18,405a01(00):きとぞいはれける。圓勝寺本順和尚は。もと五右衞
0000_,18,405a02(00):門と同藩の人にて。此事親しく聞たりしとて。をり
0000_,18,405a03(00):をりかたり申されき。
0000_,18,405a04(00):或時。和州當麻山。奧院へ請待の事ありけり。例の
0000_,18,405a05(00):遠近踵をつらね。歸信かずをしらず。數日の別行。
0000_,18,405a06(00):事故なく結願す。おもふ所あれば。この序に三輪山
0000_,18,405a07(00):に參詣せばやとの給ひて。あらぬ山路をさして立
0000_,18,405a08(00):出玉ふ。案内の者。そは本道にはあらぬをと申せど
0000_,18,405a09(00):も。いな此たびは。この道より行ぞとの給へるに。
0000_,18,405a10(00):人人心ならずつき從ひけり。其道すがら。今日。
0000_,18,405a11(00):師の通らせ給ふを。早も知りたりげにて。山邨田
0000_,18,405a12(00):家いづれの處にても。香花燈明を供じ。人人多く立
0000_,18,405a13(00):出て。十念をうけぬ。隨從の僧。不思議がりて。今
0000_,18,405a14(00):日師の通らせ給へる事を。如何にして知るぞと。其
0000_,18,405a15(00):人人に問たるに。この十日あまりさきの日。白髮の
0000_,18,405a16(00):老人來りて。それの日德本といへる行者の。ここを
0000_,18,405a17(00):通行すべきぞ。必十念うけよと告あるかるるにぞ。
0000_,18,405b18(00):さの給へるは。誰人にてましますぞと問しかば。
0000_,18,405b19(00):我は行者に松蕈の生ひ出る石を供養したるもの也
0000_,18,405b20(00):といはれしと答へき其ころ苔むしたる一奇石を。師に供養したるものあり。この石。手にてたた
0000_,18,405b21(00):けば。やがて松蕈おひ出る事。常のやうなり。年經て後。誰もて去りしともあらで。いつしかうせてゆく處をしらずとぞ仄徑
0000_,18,405b22(00):深谷をへて。三輪明神へ參詣せらる。法樂し給ふを
0000_,18,405b23(00):りしも。御山の震動すること夥しかりき。師。のた
0000_,18,405b24(00):まはく。松蕈石はこの御神の供養し給へりし也と。
0000_,18,405b25(00):いと不思議の事なりけり。
0000_,18,405b26(00):文化七年十月のころ。浪華の小橋屋利兵衞後に淸翁といふと
0000_,18,405b27(00):いへる人の家に請ぜらる。西宮まで御迎の船など出
0000_,18,405b28(00):して。四供養の志いと懇なり。兼て士女雲集の事を
0000_,18,405b29(00):はかりしりてや。御逗留の事を。おほやけにも言上
0000_,18,405b30(00):したりとぞ。三日の結縁。日夜ひきもきらず。さす
0000_,18,405b31(00):がの豪家なれども。家族の居處もなきまでなりけ
0000_,18,405b32(00):り。浪花にて。化益の盛なりし事。此家ぞはじめな
0000_,18,405b33(00):りし。人靜まりてのち。家族の人人に。さまざまの
0000_,18,405b34(00):御物語ありて。わが護持せるは。九十一億劫むかし
0000_,18,406a01(00):の佛の御舍利也。この舍利四十八粒に分身なす事あ
0000_,18,406a02(00):らば。汝が化門ひらけぬべしと御告蒙りし事あり。
0000_,18,406a03(00):このころ實にその數に圓滿し給ひぬ。けふの群集
0000_,18,406a04(00):は。このしるしなるべし。此家も大なる善根うえた
0000_,18,406a05(00):るものかなとて。殊の外によろこばせ給ひけり。師
0000_,18,406a06(00):は常に念佛のいとまをしとて。御物語など多くはし
0000_,18,406a07(00):給はざりつるを。此家にてはうちとけて。さまざま
0000_,18,406a08(00):の今昔の御修行の事など。かたらせ給ひき。めづら
0000_,18,406a09(00):かなりし事なりけり。淸翁のちに。師の蓮臺の上に
0000_,18,406a10(00):いまし。金光放給へる御姿を夢のやうに見奉りたる
0000_,18,406a11(00):を。やがて其御影を造らしめたり。今なほ上新田常
0000_,18,406a12(00):光庵に安置せり。
0000_,18,406a13(00):大阪長堀に住る。奈良屋佐兵衞といへるもの。師に
0000_,18,406a14(00):深く歸依し奉り。勝尾寺へは月月に詣で。結縁懇な
0000_,18,406a15(00):り。文化七年十月十六日の夜。師の弟子の僧ひとり
0000_,18,406a16(00):來て止宿しけれぼ。幸に今宵は念佛せん。かねて賜
0000_,18,406a17(00):はりし名號も。同行の方へかしおきたれば。迎へ參
0000_,18,406b18(00):らせん。同行の誰かれにも。來給へなど申せとて。
0000_,18,406b19(00):子息伊之助を出しやりたり。伊之助。名號を携へ歸
0000_,18,406b20(00):路を急て。佐のや橋をわたりし頃は。まだ酉の刻少
0000_,18,406b21(00):しおくれたるに。この町の油屋何がしの家に。盜賊
0000_,18,406b22(00):のいりたりとて。人人騷あへり。ぬす人にげ出にけ
0000_,18,406b23(00):る道にて。伊之助を見て。何とかおもひけん。三
0000_,18,406b24(00):刀ばかりきりかけたり。深手負たりとおもひて。あ
0000_,18,406b25(00):わてにげかへり。いまぞ盜人にきられたるを。血ど
0000_,18,406b26(00):めの藥をなどいひつつ倒たり。父母おどろき。手燭
0000_,18,406b27(00):してみれば。げに肩背および腋下に各各疵つきたり。
0000_,18,406b28(00):されど血の見えざれば。あやしみてよく見るに。上
0000_,18,406b29(00):のきぬはたしがにきれてみゆれど。肌着までは通ら
0000_,18,406b30(00):ず。といふに。伊之助もはじめて我に返りて。たし
0000_,18,406b31(00):かにきられつると覺しものを。さてはこの名號の威
0000_,18,406b32(00):德にて。たすかりたるなるべしとて。合家うちささ
0000_,18,406b33(00):めきて。通夜念佛したりとぞ。これなん不求自得の
0000_,18,406b34(00):利益とも申べきをや。
0000_,18,407a01(00):大坂。南久太郞町に。黑江屋喜助といへるものあ
0000_,18,407a02(00):り。師を歸仰する事。宛も佛のことし。されば師も
0000_,18,407a03(00):あはれにおぼしけん。汝が命終せん時。われ必阿彌
0000_,18,407a04(00):陀如來とともに。來迎するぞとの給ひしを。うれし
0000_,18,407a05(00):き事におもひて。常に人にもかたり出ぬ。年老病に
0000_,18,407a06(00):臥して。或日いまこそ師の來迎し給ひつれといひ
0000_,18,407a07(00):て。念佛の聲とともに命終せり。年ごろの結縁空し
0000_,18,407a08(00):からざるも。難有志になんありける。
0000_,18,407a09(00):明石。光明寺の攝化は。同所の住人常本屋半太夫と
0000_,18,407a10(00):いへる人の發起となれりしなり。其ころ。師。半太夫
0000_,18,407a11(00):に問ての給はく。この處をあかしと名づけしは。赤
0000_,18,407a12(00):石にてもありやとの給しに。實にさにて侍るなり。
0000_,18,407a13(00):この湊の水中に。赤巖ありて。干潟の時はすこし見
0000_,18,407a14(00):え侍が。おそろしき巖にて。おりおりは船人をも取
0000_,18,407a15(00):候なり。常にも船近寄ば。海荒るよしにて。いたづ
0000_,18,407a16(00):らに見になどゆかぬ所と定り侍なりと答ける。其日
0000_,18,407a17(00):日沒の勤行をはりて師。俄にたち出て。いざあか
0000_,18,407b18(00):石見にゆかん。船出させよとの給ふ。半太夫けしか
0000_,18,407b19(00):る事にはおもひながら。諫申さんもかしこくて。急
0000_,18,407b20(00):ぎ船に棹さして。其石の邊に行。げに波にひたりて。
0000_,18,407b21(00):赤巖の靑苔ひしと生るぞ見ゆめる。近く漕寄よと仰
0000_,18,407b22(00):ければ。岩の上に掉さしよするに。錫杖の石突にて。
0000_,18,407b23(00):ここも巖よ。かしこもとて。つき試給ひ。名號一握
0000_,18,407b24(00):ばかりを。錫杖の抦にて突こみ。十念授させ給ふ。
0000_,18,407b25(00):半太夫はもとより船子ども。此ほとりは難所と申傳
0000_,18,407b26(00):へて。ちかよるまじき事におもひたるを。今もや海
0000_,18,407b27(00):上荒なんなど。おぢおののきてぞ居たりける。又此
0000_,18,407b28(00):邊のあかし川の流れ出る川口は。年毎に難船のうれ
0000_,18,407b29(00):へあるよし聞せ給ひて。よき序なりとて。そこにて
0000_,18,407b30(00):も懇に回向し給ひて。歸らせ玉ひけり。もとより不
0000_,18,407b31(00):惜身命の餘勇ながら。かかる險惡の所にても。おの
0000_,18,407b32(00):づからなる御所爲を。よにかしこくもたふとくも申
0000_,18,407b33(00):傳けり。
0000_,18,407b34(00):或時。竹生島は。辨才天の淨土なり。いざ參らばや
0000_,18,408a01(00):とて。例の錫杖つかせ給へるに。弟子たちもおくれ
0000_,18,408a02(00):じとて出たちぬ。あわただしき旅行なれども。人人
0000_,18,408a03(00):聞傳けん。江州三井寺のほとり遊心庵。叡山の麓。
0000_,18,408a04(00):靜光寺などにて。人人待奉り。請じければ。暫とて
0000_,18,408a05(00):休息せらる。結縁夥き中。寺の僧も山の法師も。遠
0000_,18,408a06(00):く詣來て。説法聽聞したりき。いと殊勝なる事にぞ
0000_,18,408a07(00):有ける。八幡の豪商大文字屋何某。この序をもて。
0000_,18,408a08(00):請じ申ければ。竹生島の歸りにと約し給ひ。高島の
0000_,18,408a09(00):眞光寺にて。五日の間。留錫し給ふ。住持の僧の案
0000_,18,408a10(00):内にて。葵川より。夜をこめて船にめさせ給ふに。
0000_,18,408a11(00):空うららかに。浪の音も聞えぬまでにて。竹生島
0000_,18,408a12(00):へぞつかせ給ふ。本宮にて。しばし法樂し給へる
0000_,18,408a13(00):間。霞の如き薄雲一むら島を覆ひて。雨はらはらと
0000_,18,408a14(00):降。尊天の納受なるべしなど人人申あひけり。いざ
0000_,18,408a15(00):是より八幡へとて。船さし出せるに。忽風すさまじ
0000_,18,408a16(00):く吹。濤みなぎりたちて。如何ともすべきやうな
0000_,18,408a17(00):し。御船八幡へはゆかで。彥根にぞつきにける。こ
0000_,18,408b18(00):れより前。彥根の宗安寺といふ寺より請じ申けれ
0000_,18,408b19(00):ども。こたびは八幡へのみと聞て。其地の人人
0000_,18,408b20(00):は。いといと殘多く思ひて。けふなん師の竹生島ま
0000_,18,408b21(00):うでのよし風聞せるに。せめて御船にても。拜みま
0000_,18,408b22(00):ゐらせんとて。遙の岸に。人多く集ひ出たるに。お
0000_,18,408b23(00):もひかけずも御船波にゆられて。ここに着せ給ふ
0000_,18,408b24(00):を。上なき事によろこび。やがて宗安寺に案内申し
0000_,18,408b25(00):き。其夜はよもすがら御説法などありてければ。遠
0000_,18,408b26(00):近の人人聞傳へ。夜をおかして詣たるもの數かぎり
0000_,18,408b27(00):なし。其あけの朝ぞ。八幡へはおもむかせ給ひけ
0000_,18,408b28(00):る。
0000_,18,408b29(00):文化八年は。宗祖圓光大師六百回の御忌也。この前
0000_,18,408b30(00):後より。念佛の弘通。いよいよ盛になりて。勝尾の
0000_,18,408b31(00):山寺に。月參するもの。五畿七道にわたりて。凡二
0000_,18,408b32(00):十二三國ばかりなりき。剃度の式を請るもの。月月
0000_,18,408b33(00):に。二三千人。月並に通夜念佛するもの。一千人に
0000_,18,408b34(00):過ぬ。されば餘りに勞しとて。同九年の春の頃よ
0000_,18,409a01(00):り。房籠をなんし給ける。然に。紀州公より。再仰
0000_,18,409a02(00):言ありて。國内にて化益あらまほしきよし。只管に
0000_,18,409a03(00):請ぜられけり。先には固辭し申されしかど。此たび
0000_,18,409a04(00):は。強て。もだすべきにあらずとて。其としの五
0000_,18,409a05(00):月。歸國し給にければ。頓て。那加郡なる。和佐山
0000_,18,409a06(00):に庵室をぞ給りける。
0000_,18,409a07(00):梶取の總持寺は。淨土宗西山派の本寺也。住持の大
0000_,18,409a08(00):和尚は。篤學の聞ある人にて。師を年ごろ歸仰せら
0000_,18,409a09(00):れしに。幸にこの比歸國せさせ給へるをよろこび
0000_,18,409a10(00):て。文化九年五月廿日より。七日の別行をぞ乞申け
0000_,18,409a11(00):る。折ふし師は。痰痎をなやませ給けれど。國内化
0000_,18,409a12(00):益のおほせを重んじ。かつは住持の懇請をも感しお
0000_,18,409a13(00):ぼして。此寺に留錫し給へり。日日の群集二萬人に
0000_,18,409a14(00):餘りとぞ。御聲かれて。説法し給ふ事能はざれば。
0000_,18,409a15(00):日日唯十念をのみ授られて。地獄にな落そ。念佛し
0000_,18,409a16(00):て極樂へ參れよとのみ高聲にの給ふ。これを聞人唯
0000_,18,409a17(00):涙墮してぞ尊あへりける。阿波。淡路よりも。師の
0000_,18,409b18(00):結縁あるよし傳聞て。日夜に詣來るもの船の數二百
0000_,18,409b19(00):艘ばかりも若山の湊に碇泊したりしとぞ。紀州公。
0000_,18,409b20(00):侍醫某をして。日日御藥を調ぜさせ給ひ。又立期とい
0000_,18,409b21(00):へるものを。晝夜侍せしめられて。按摩せさせ給ふ
0000_,18,409b22(00):に。かならず罩臉を用べきよし。命じ玉ひしとな
0000_,18,409b23(00):ん。御尊崇のいたり。比類なかりき。招かせ給ふ事
0000_,18,409b24(00):屢屢なれば總持寺の別行終りて。同月の廿七日。貴命
0000_,18,409b25(00):に應じ給ふ。北島まで御迎の船五艘を出され。師の
0000_,18,409b26(00):本船は。新に造出して。六挺の艫をかけらる。武田
0000_,18,409b27(00):某。命を蒙て。御近侍三人水主頭をもて。護衞し午
0000_,18,409b28(00):の刻ばかりに。御館に着せらる。此館は。先君の御別業にて。畑御殿と稱す。
0000_,18,409b29(00):師弟の御禮節をもて。御對面の御式いとおごそか
0000_,18,409b30(00):也。列坐を賜て。十念請させ給ふ。この序をもて。
0000_,18,409b31(00):一枚起請を講ぜしめらるるに。士女すべて合掌すべ
0000_,18,409b32(00):きよし。公自ら命ぜらる。御館の中にて。十念請ら
0000_,18,409b33(00):るること七處なり。送迎の御禮儀はもとより。御饗
0000_,18,409b34(00):具どもに至るまで。都て淸潔なるべしとて。みな新
0000_,18,410a01(00):に造らしめ給へりしとぞ。事終りて。總持寺へかへ
0000_,18,410a02(00):らせ玉ひき。
0000_,18,410a03(00):廿九日。國君の請によりて。登城し給ふ。御坐の間
0000_,18,410a04(00):を道塲と定め。御正服にて十念請させ給ふに。御褥
0000_,18,410a05(00):を用ひ玉はず。かくて館中の行化も果ぬれば。翌日
0000_,18,410a06(00):は御先塋にて。念佛會あり。種種の御布施どもあり
0000_,18,410a07(00):て。六月朔日にぞ御暇賜り。和佐山の庵室に歸ら
0000_,18,410a08(00):る。この後屢屢召に應じて。登城し給ひき。
0000_,18,410a09(00):この國君を。舜恭院殿と稱し奉る。中納言より。
0000_,18,410a10(00):大納言に累遷し給ひ。御隱棲ののち。從一位に叙
0000_,18,410a11(00):し給ふ。師の法孫後年に至りても。修行事かかぬ
0000_,18,410a12(00):爲にとて。無量光寺を造營し給ひ。恩施幾多を寄
0000_,18,410a13(00):給ふ天保の子年。江戸一行院にも。本堂再建を命
0000_,18,410a14(00):じ給ふ。一行三昧院の扁額は。すなはち。此君の
0000_,18,410a15(00):御染筆なり。
0000_,18,410a16(00):元祖大師の。月輪禪閤の請に趣かせ給ひし御軌式に
0000_,18,410a17(00):もをさをさおとり給はじなど人人申あひたるもこと
0000_,18,410b18(00):わりなりけり。
0000_,18,410b19(00):和佐山住庵のころ。或夜。更闌人靜て獨念佛してお
0000_,18,410b20(00):はしけるに。いと氣高神女の見えさせ給ひて。こは
0000_,18,410b21(00):我年久しく住る山なるを。たまたま師の來臨を得
0000_,18,410b22(00):て。いとよろこばしとぞ告給へりける。此山に高明
0000_,18,410b23(00):神と稱せる社は。古人は多賀の御前といふ師。翌朝その社に詣で
0000_,18,410b24(00):懇に法樂せらる。かかる事三たびなりきとぞ。又こ
0000_,18,410b25(00):の山の麓に歡喜寺といへる臨濟宗の寺あり。其頃の
0000_,18,410b26(00):住持某。師に歸依して。幸に善知識に逢て。大悟發
0000_,18,410b27(00):明せりといへりき。
0000_,18,410b28(00):增上寺大僧正。典海大和尚。兼て師の道德稱歎し給
0000_,18,410b29(00):ひ。あはれ關東へ請じ申さまほしとおぼして。鸞洲
0000_,18,410b30(00):上人に。其事をぞはからはせ給ける。上人弘法の緖
0000_,18,410b31(00):を得たるをよろこびて。其ころ。大基和尚の京師に
0000_,18,410b32(00):遊學せられたるを使として紀州和佐山の草庵へ。そ
0000_,18,410b33(00):のよしを申さる。師も。大僧正の護法の御志を感荷
0000_,18,410b34(00):して。關東下向を志し。いくほどなく。和佐山を發
0000_,18,411a01(00):錫し給ふ。大和路を經て。河内の叡福寺へぞ詣ら
0000_,18,411a02(00):る。この寺は聖德皇太子の御廟にて。今年。一千二
0000_,18,411a03(00):百回の御國忌なればとて。寺の住持幸に師を請じて
0000_,18,411a04(00):三日三夜の念佛會ありき。この序をもて。當麻寺。
0000_,18,411a05(00):および南都の興福院に詣られ。再勝尾寺へおもむか
0000_,18,411a06(00):るこは文化十一年の春の事なり。
0000_,18,411a07(00):大僧正より。師の下向をうながし給へる事。度度に
0000_,18,411a08(00):及ぬれば同年の五月中旬。勝尾の草庵を辭せらるる
0000_,18,411a09(00):よし。諸方にきこえければ。遠近の道俗。いまは最
0000_,18,411a10(00):後の御わかれなるべしとて。詣來たるもの。日日引
0000_,18,411a11(00):もきらず。白雲は紅塵に換り。山澗も朝市の如くに
0000_,18,411a12(00):ぞ見えにける。人人餘りに御なごりを。をしみ申け
0000_,18,411a13(00):れば。説法のついでに。の給ひけるは。善導大師
0000_,18,411a14(00):は。籠籠常在行人前と説給へり我も淨土の諸聖衆の
0000_,18,411a15(00):中にまじはりて汝らが前に常に現在するぞとの給ひ
0000_,18,411a16(00):ける。この頃。師。弟子達に示しての玉はく。むか
0000_,18,411a17(00):し釋迦牟尼佛の在世。提婆達多は佛の相好にかけた
0000_,18,411b18(00):る處。僅に二相なりといへり。されども其德の違へ
0000_,18,411b19(00):るにいたりては。雲壤もなほちかしといふべし。我
0000_,18,411b20(00):この地を去たらん後。けふの化益の盛なるを見聞し
0000_,18,411b21(00):て。やがて我をまねばんもの有べし。それが中に
0000_,18,411b22(00):は。相好も辨才も。われにまさりてみゆるもあるら
0000_,18,411b23(00):ん。それらが。すかしほらかすを。眞ときかば。往
0000_,18,411b24(00):生の一大事をうしなふこと有べし。金鍮は辨じがた
0000_,18,411b25(00):し。魚目は隋珠に混ずるぞ。似て非なるものに。惑
0000_,18,411b26(00):はさるる事なかれとの玉へり。後年に至り。果し
0000_,18,411b27(00):て。師の山籠りの間の或は長髮。あるは避糓。ある
0000_,18,411b28(00):は但三衣。などの行相をまねびて。我はいづこの山
0000_,18,411b29(00):奧に。幾年行すましたるもの也など。ほこりかにい
0000_,18,411b30(00):ひもし。いはせもせる輩の出きにけり。實に師の先
0000_,18,411b31(00):見。露違はざるもいとかしこくなん。かくて五月十
0000_,18,411b32(00):七日に勝尾を出て。其日の夕暮に。京都の圓通寺に
0000_,18,411b33(00):つかせ給ふ。頓てこの寺において。
0000_,18,411b34(00):先帝。並に 仙洞御所の女房達あまた得度の式請玉
0000_,18,412a01(00):ひぬ。序よしとや。公卿の簾中女房達も多くましり
0000_,18,412a02(00):おはしましぬ。
0000_,18,412a03(00):十九日。京師を發錫せらる。日を經て桑名の渡につ
0000_,18,412a04(00):き給ふころは。師の下向をいつしか傳へ承けん。夥
0000_,18,412a05(00):群集たとふるにものなし。からうじて。御こしを船
0000_,18,412a06(00):にのせまゐらす。送り參らせんとて。桑名より船多
0000_,18,412a07(00):く漕出たるに。宮の驛よりも。御迎にとて。出來る
0000_,18,412a08(00):船みなひとつになりて。七里の海上大かたは御供の
0000_,18,412a09(00):船ども連れりけり。宮の驛には正覺寺を始として。
0000_,18,412a10(00):遠近の寺寺の請待に應じ給ふ。其道すがらも。道俗
0000_,18,412a11(00):あまた寄つどひて。御輿の前後に立ふたがり。十念
0000_,18,412a12(00):こひければ。御供の人人は殆行惱みけり。池鯉鮒の
0000_,18,412a13(00):驛にては。群集の人人。雲霞の如にて。御輿。寸步
0000_,18,412a14(00):も進こと能ざれば。已事を得ずして。ある家の檐に
0000_,18,412a15(00):登りて。十念授け給へり。大井川にては。川越のも
0000_,18,412a16(00):のどもあまた磧に出て。我がらに 御輿を連臺にの
0000_,18,412a17(00):せ參らせ。島田の驛までかき上。裸體のまま沙の上
0000_,18,412b18(00):にひれ伏て。十念授りけり。荒井箱根の關門をよぎ
0000_,18,412b19(00):り給ふに。關守人人たち出て。十念受しとぞ藤澤の
0000_,18,412b20(00):驛には。御迎として。鸞洲上人を初め。道俗あまた
0000_,18,412b21(00):集ひ待參らす。ここより鎌倉の光明寺に參堂し給ひ
0000_,18,412b22(00):ぬ。ついでをもて英勝寺へも。請ぜらる。神奈川の
0000_,18,412b23(00):驛を經て江戸に着せ給へるは。六月十二日也けり。
0000_,18,412b24(00):淸淨心院は。小石川。傳通院の境内にありて。享保
0000_,18,412b25(00):の災にかかりし人の爲に。塚を立られし處なり。鳳
0000_,18,412b26(00):譽鸞洲上人蝦夷の善光寺を辭して此寺を退隱の地と
0000_,18,412b27(00):定らる。ある時上人隅田川のほとりを逍遙せられけ
0000_,18,412b28(00):るに。或寺に丈六の阿彌陀如來を。檐下におき參ら
0000_,18,412b29(00):せて。その御膝のほとりは。麥藁などつみかさねた
0000_,18,412b30(00):り。あなかしこ。いかにしてかかるぞと問るに。老
0000_,18,412b31(00):法師の立出て。過しころまでは。さるべき御堂あり
0000_,18,412b32(00):て。居奉りしを。一とせ大風に吹倒されしのち。再
0000_,18,412b33(00):興のすべもあらねば其儘になれりし也といふ。あは
0000_,18,412b34(00):れこの本尊われにたびてんやといはれければ。子細
0000_,18,413a01(00):なく領掌しつ。上人歸りて。けふなんさる事あり
0000_,18,413a02(00):て。よき古佛一體得たりき。何をむくひとして請じ
0000_,18,413a03(00):奉んやといはれたるを。同じ山内なる眞珠院の住持
0000_,18,413a04(00):立堂きき傳へて。おのれその報まゐらすべし。すみ
0000_,18,413a05(00):やかに請じ給へかしとて。黄金二十枚をぞ喜捨しけ
0000_,18,413a06(00):る。學頭智門上人。並に一山の大衆も隨喜して。力
0000_,18,413a07(00):を戮せ。やがて常念佛堂を造りて。其尊像を安置し
0000_,18,413a08(00):奉りけり。文化十一年の六月。師。請に應じて再江
0000_,18,413a09(00):戸に來らせ給ひし時は。即この寺を留錫の道塲とは
0000_,18,413a10(00):定給へり。はじめ。本堂狹かりければ。玄關に出て
0000_,18,413a11(00):説法し給ふ。貴賤群集夥しくて。錐を立るの地もな
0000_,18,413a12(00):きまでなりけり。其ころ淺草淸光寺の住持文潮上人
0000_,18,413a13(00):深く師に歸依して。時時拜謁せられけるに。その檀
0000_,18,413a14(00):越に鐵屋久右衞門といふ豪商あり。住持の。師に歸
0000_,18,413a15(00):依するを見て。いつしか歸仰の志おこりて。常常師
0000_,18,413a16(00):の説法の席にぞ參ける或時。我力の及ぶべき事一は
0000_,18,413a17(00):し供養しまゐらせむ。何をがなと尋けるを。鳳譽上
0000_,18,413b18(00):人きかれて。道塲狹くして。説法の會座に事かきた
0000_,18,413b19(00):り。堂ひとつあらまほしと申されけるに。心やすき
0000_,18,413b20(00):事なりとて。同十四年の七月。に六間四面の堂一宇
0000_,18,413b21(00):をぞ造立したりける。今の大佛堂これなり。これに
0000_,18,413b22(00):よりて。都下の士女もおとらじとて。各資財を捐
0000_,18,413b23(00):て。資具莊嚴全く備れり。さてもこの本尊は。むか
0000_,18,413b24(00):し鐵屋の先祖何某。相州小田原に。丈六の銅佛をつ
0000_,18,413b25(00):くりける時の。鑄形の像なりとぞ。年月を經て。は
0000_,18,413b26(00):からずも其尊像を安置し奉る堂を。その子孫の人の
0000_,18,413b27(00):造立せるも偶然の事にはあらじかし。天蓋光坐およ
0000_,18,413b28(00):び一切の莊嚴。一時に成滿して。金碧眼をかがやか
0000_,18,413b29(00):すにいたれり。凡師の此寺にいませる事前後四年な
0000_,18,413b30(00):り。この堂を建立の時。礎を居。土を平かにせし時
0000_,18,413b31(00):は。男女數千人左右二行にならびて。手越に土をは
0000_,18,413b32(00):こびけり。其さまおのづから傳供の式の如なりけ
0000_,18,413b33(00):り。いとめづらかなる事になむ。其ころ京師の佛工
0000_,18,413b34(00):西田立慶をして。師の等身の肖像を彫刻せしめ。本
0000_,18,414a01(00):堂の東の方に堂一宇を建て。安置し參らす。いまの
0000_,18,414a02(00):行者堂これなり。弟子本佛和尚。佛舍利をもて。肖
0000_,18,414a03(00):像の腹内にをさめらる。立慶は。京四條にすめる佛匠なり。師に歸仰の志ふかくて。其かみ師の
0000_,18,414a04(00):勝尾山居の時。いかにもして。眞影を彫刻せばやとおもひはかりて。刀をくだすに。幾度もこころにかなはず。これによりて。誓て一百
0000_,18,414a05(00):日を期して。勝尾山に籠居し。日日面謁を乞て。のちに彫刻せしに。毫髮もたかふ事なくよくも似玉へりけり。今の大佛堂に安置さる眞
0000_,18,414a06(00):影。一行院の付屬の眞影。みな同作にて。師の康存の日になれりしものなり
0000_,18,414a07(00):同年六月廿日。師はじめて三縁山に登て。大僧正敎
0000_,18,414a08(00):譽大和尚に謁せらる。僧正歡喜斜ならず。淸談時を
0000_,18,414a09(00):移し。願はくは永この地に錫を留めて。群生を利益
0000_,18,414a10(00):し給へかし。けふは幸に營中の女房達來ませるを。
0000_,18,414a11(00):結縁玉へかしとて。禮貌懇篤比類なし。かくて神殿
0000_,18,414a12(00):の御唐戸際に法坐をまうけ。御十念給ひて暫御説法
0000_,18,414a13(00):ありけり。人人眞佛に見え奉やうにおぼえて。五體
0000_,18,414a14(00):投地して崇敬を盡さる。おなじ廿二日紀伊殿の赤坂
0000_,18,414a15(00):の御舘へまゐらる。豐姬君の御かた。轉心院殿をは
0000_,18,414a16(00):じめ。内外の男女。日課誓受せられしもの。三百九
0000_,18,414a17(00):十八人也。
0000_,18,414b18(00):同年十月廿四日。一橋御舘へ請ぜらる。民部卿殿。
0000_,18,414b19(00):兵部卿殿。乘蓮院の御方。其餘君達姬君のこりなく
0000_,18,414b20(00):見えさせ給ひて。十念うけさせらる。この日神田橋
0000_,18,414b21(00):亞相公の後に從一位儀同三司に敘任し。薨逝ありて。大相國最樹院殿と稱し奉る。御舘に請ぜら
0000_,18,414b22(00):る。三歸戒を受させられ。日課六萬稱を誓給へり。
0000_,18,414b23(00):其頃慈德院の君大城の御實母。贈一品大夫人 御違例にて。醫藥驗も
0000_,18,414b24(00):見え給はざりければ。師を御枕べに請ぜられたる
0000_,18,414b25(00):に。師 懇に鉦うちならし。念佛し給ひて退出せら
0000_,18,414b26(00):れたり。しばしがほどに。御ここ地。のごひたるや
0000_,18,414b27(00):うに覺ゆとて。御起居もややおだやかにならせ給ひ
0000_,18,414b28(00):ぬ。翌月の七日に。御床拂せさせ給へり。抑廣濟厄
0000_,18,414b29(00):難の功德より。救療三垢の利益あらはれて。かばか
0000_,18,414b30(00):りの御障も。速に消除せしめ給ひたるなるべし。こ
0000_,18,414b31(00):れしかしながら師の行德のかがやく所より。かかる
0000_,18,414b32(00):感應もあらはれ玉へる也とて。高きもひききも。擧
0000_,18,414b33(00):て感じ申さぬはなかりき。しかしよりこのかた。師
0000_,18,414b34(00):を眞佛の如に仰がせ給ひて。御崇敬めざましきまで
0000_,18,415a01(00):なりけり。その御床拂の日には。師を殊更に請ぜら
0000_,18,415a02(00):れて日課六萬稱をぞちかひ給ける。さればこの御舘
0000_,18,415a03(00):にまうのぼらせ給ひしこと。十六七度におよびぬ。
0000_,18,415a04(00):ただならざる御宿縁なりとて。人人尊びあへり。
0000_,18,415a05(00):淸水菊千代殿。貞章院の御方がたの御許へ。請ぜら
0000_,18,415a06(00):れ給ふごとに。各御日課を誓せられて。説法御聽聞
0000_,18,415a07(00):あり。田安殿をはじめ。内外の君達の御歸依も。大
0000_,18,415a08(00):かた同し御さま也。又。貞章院の御かたには。わき
0000_,18,415a09(00):て御歸依厚くして。佛匠立慶に仰て。師の肖像造ら
0000_,18,415a10(00):せて。常常香花を供養し給へり。
0000_,18,415a11(00):文化十二年秋のころ懇請によりて。伊豆相模を攝化
0000_,18,415a12(00):せらる。傳通院の大佛堂を立出られしは。八月廿六
0000_,18,415a13(00):日なり。神奈川の驛より。中原の大松寺を初とし
0000_,18,415a14(00):て。小田原の心光寺。三島の長圓寺におもむかる。
0000_,18,415a15(00):下田の稻田寺にいたられ。しばし此寺に留錫し給ひ
0000_,18,415a16(00):て。同所の海善寺。稻取の正定寺。八幡野の照明
0000_,18,415a17(00):寺。伊東の淨圓寺。熱海の淸嚴院などに至り給ふ
0000_,18,415b18(00):に。いづくもおなじさまに。おびたたしき群集な
0000_,18,415b19(00):り。韮山の縣令江川氏の官舍にも。請じ申さるべき
0000_,18,415b20(00):なりしを俄に障る事ありて。種種のささげ物もたら
0000_,18,415b21(00):して。代參の者詣にけり。十月十一日に鎌倉におも
0000_,18,415b22(00):むかれ。光明寺に一宿せらる。貫首空譽大和尚の請
0000_,18,415b23(00):によられたる也。
0000_,18,415b24(00):鎌倉巡拜のついで。大塔宮。幽閉の窟にて。懇に念
0000_,18,415b25(00):佛回向し給ひし時師の道容悽愴として。平常にかは
0000_,18,415b26(00):り。高聲十念。傍人の耳をつらぬくばかりなり。侍
0000_,18,415b27(00):者あやしみて後に問申ければ。師の給はく。よに氣
0000_,18,415b28(00):高く衣冠し給ひたる貴人滿面に怒氣顯れいとおそろ
0000_,18,415b29(00):しき御姿の見えつるは。定て親王の怨魂。いまだ散
0000_,18,415b30(00):じ給はぬなるべし。あはれ觸光柔輭の利益をもて。
0000_,18,415b31(00):永く鬪諍のちまたをのがれ。速に淨土に超生し給へ
0000_,18,415b32(00):かしと。念じ申たる也とぞ。の給ひける。
0000_,18,415b33(00):英勝尼寺の戒光院殿は水府源公の姬君なり。はやく
0000_,18,415b34(00):より師の德を仰おぼし入られけるを。こたびはよき
0000_,18,416a01(00):序なりとて。御寺に請じ給ひけり。供養のために。
0000_,18,416a02(00):手なれし琴一曲奏してんとて。新に琴うた作給ひ
0000_,18,416a03(00):て。それをなん彈ぜられける。師うちゑみて。あな
0000_,18,416a04(00):めづらし。弦歌の菩薩の心地ぞするとの給ひけり。
0000_,18,416a05(00):此尼公は何の道にも堪能の譽ありて。選擇集の和讃
0000_,18,416a06(00):も。この日に出來ぬとぞ聞えし。ここより三が浦を
0000_,18,416a07(00):經て。西浦賀。東うらがの寺院處處に請ぜられ玉ひ
0000_,18,416a08(00):しを大かたにして。覺榮寺より。御船にて。神奈川
0000_,18,416a09(00):まで。海路を歸らせ給ひけり。浦浦より漁船出き
0000_,18,416a10(00):て。御船を曳こと數かぎりなかりき。傳通院より
0000_,18,416a11(00):は。大基和尚。御迎として。侯ぜらる。未の刻ばか
0000_,18,416a12(00):りに。大佛堂に歸着せ給ひけり。この間の結縁幾千
0000_,18,416a13(00):萬ともかぞへ難しとぞ。
0000_,18,416a14(00):下總國。下小堀の淨福寺は。記主禪師の開基にて。
0000_,18,416a15(00):いまの住持は。先年勝尾にて。一夏安居せられし人
0000_,18,416a16(00):なり。ことし子年二月のころ。この寺の請に應ぜら
0000_,18,416a17(00):る。ここより鹿島は遠からぬよしなれば。拜禮し玉
0000_,18,416b18(00):はんとて立出給ふ。領主内田矦も。師を恭敬の餘
0000_,18,416b19(00):り。船三艘を出して。小見川を渡さる鹿島の神領の
0000_,18,416b20(00):内は。道路に盛砂して。非常を警しめ。師を迎まゐ
0000_,18,416b21(00):らす。群集の人を押わけて。師の法駕を華表ちかく
0000_,18,416b22(00):舁よするに。廟祝あまた立出て案内しければ導れ
0000_,18,416b23(00):て。神前において。法樂せらる。禰宜立原某の家に
0000_,18,416b24(00):て。休息せられたるに。内外の男女。おびたたしく
0000_,18,416b25(00):いで來て。十念をうく。むかし了譽上人。權禰宜治
0000_,18,416b26(00):部少輔の請に應じて。佛經講じ給ひしのちは。唯一
0000_,18,416b27(00):のとなへ嚴にして。三寳の因縁薄かりけるを。師の
0000_,18,416b28(00):いま神前にて。十念の結縁有しは。いとめづらかな
0000_,18,416b29(00):りとて其ころ世に稱讃しあへり。こは二月廿五日の
0000_,18,416b30(00):ことなりき。其日。又銚子の淨國寺の請に應じ給
0000_,18,416b31(00):ふ。住持の上人は。江戸靈巖寺の一職たりしを。
0000_,18,416b32(00):請じてこの寺に住持せしめたる也。師に歸仰し奉こ
0000_,18,416b33(00):と。他に異にして。やがて名を德鎧と賜り。弟子の
0000_,18,416b34(00):數に入ぬ。大鹿の弘經寺にして。三日の攝化もこの
0000_,18,417a01(00):をりの事也。三月七日に。大佛堂にかへらる。
0000_,18,417a02(00):同三月廿日。北國化益の道すがら。信州善光寺にぞ
0000_,18,417a03(00):詣給へり。請觀音經に説せ玉へるを見るに。この本
0000_,18,417a04(00):尊は。むかし月盖長者の門閫に。示現し給て。五種
0000_,18,417a05(00):の惡病を對治し給ひたる。一光三尊の靈像にて。百
0000_,18,417a06(00):濟國より此の日の本に渡御ましまししなり。消伏毒
0000_,18,417a07(00):害の御光。末法萬年の暗を。照させおはします事
0000_,18,417a08(00):の。かたじけなさに。幾たびか詣させ玉ひし。その
0000_,18,417a09(00):度度。遠近の道俗競ひ來て。御堂の内外。錐をたつ
0000_,18,417a10(00):るの地もなし。この地群集は常の事なれども。かく
0000_,18,417a11(00):までの有樣は。絶て見聞に及ばずと。古老のものは
0000_,18,417a12(00):申あへりきとぞ。寬慶寺といへる寺に。逗留のこ
0000_,18,417a13(00):ろ。或夕まのあたり靈像室内に來現し給ふ。師。兩
0000_,18,417a14(00):の手をのべ給ひければ。本尊その上にたたせ玉へ
0000_,18,417a15(00):り。一切衆生を救はせ給へと。念じ奉られけるに。
0000_,18,417a16(00):やがて空中にのぼらせたまひぬ。御雙足微溫にし
0000_,18,417a17(00):て。人肌の如く。重さは二歳ばかりの小兒に似るや
0000_,18,417b18(00):うなりと覺きと。後に本佛に語らせ給ひき。善光寺
0000_,18,417b19(00):の古縁起には。本尊にあたたまりおはしますよし。
0000_,18,417b20(00):しるし傳へたれど。後のよには。さる勝相。絶果け
0000_,18,417b21(00):らしとのみ。思ひ侍りしを。師の感見の。まのあた
0000_,18,417b22(00):りここにおよばれしは。よにいみじくめづらしうな
0000_,18,417b23(00):ん。抑冷暖は四天の轉變にして。奇しきわざにはあ
0000_,18,417b24(00):らざめれど暖動のあとをもて。隨類の御利益をしめ
0000_,18,417b25(00):し給ふなん。尊き御示現とや申べき。二月堂の十一
0000_,18,417b26(00):面の御像に暖氣おはしてけるを。東大寺の實忠大德
0000_,18,417b27(00):のをがませ給ひしよし。元亨釋書に見ゆ。やごとな
0000_,18,417b28(00):き御像には。かかる勝相も。時としては。あらはれ
0000_,18,417b29(00):玉ふいはれあるべきにや。
0000_,18,417b30(00):六月八日。戸隱山へ登り給ふ。德善院より案内しけ
0000_,18,417b31(00):れば。奧院の大久保より中院まで四十七丁。中院より奧院まで三十丁。其下に兩社あり。社にて法
0000_,18,417b32(00):樂し給ふ。德善院順庵および妙行院。智泉院など。
0000_,18,417b33(00):みな六萬遍の日課を誓ふ。この日。山に名號塔建た
0000_,18,417b34(00):きよし。乞によりて。かきて授らる。師。後に本佛
0000_,18,418a01(00):にかたられけるは。彼權現は金色の龍身なり。其靈
0000_,18,418a02(00):窟に入て。親しくあひ申て。十念授參らしぬ。夢に
0000_,18,418a03(00):てや有けんと。の給ひし御辭のさま。御夢にてはあ
0000_,18,418a04(00):らぬやうに。聞なされぬ。この處は。深秘の靈窟な
0000_,18,418a05(00):れば。さる事に申されしにやと。本佛は常にかたら
0000_,18,418a06(00):れき。
0000_,18,418a07(00):七月二日。諏訪明神を拜禮せらる。社壇に坐具をの
0000_,18,418a08(00):べ。暫時念佛し給へり。三縁山内の安蓮社卓嶺上
0000_,18,418a09(00):人。隨從せらる。唐澤阿彌陀寺の大字の名號塔は。
0000_,18,418a10(00):この上人の請ずる處なり。唐澤留錫の際。放生會せ
0000_,18,418a11(00):んとて。財を捐て。漁船一艘休息させたるものあ
0000_,18,418a12(00):り。また鰻魚釣を。一日とどめたる人もあまた有け
0000_,18,418a13(00):り。そのうなぎ釣の。 一日に用るところのつり針の數。二千四百本なり。其價をとらせて。その一日の漁夫を休まするなり
0000_,18,418a14(00):すべてこのあたりは。諏訪の湖水近くて暫時の間と
0000_,18,418a15(00):いへども。殺生の業縁やむときなし。然るを。師の
0000_,18,418a16(00):法德の餘澤。かくまでに放生の業を修するものある
0000_,18,418a17(00):にいたる事。この國にては。いまだ其ためしを聞ざ
0000_,18,418b18(00):るよし。人人まをしあひぬ
0000_,18,418b19(00):
0000_,18,418b20(00):
0000_,18,418b21(00):
0000_,18,418b22(00):
0000_,18,418b23(00):
0000_,18,418b24(00):
0000_,18,418b25(00):
0000_,18,418b26(00):
0000_,18,418b27(00):
0000_,18,418b28(00):
0000_,18,418b29(00):
0000_,18,418b30(00):
0000_,18,418b31(00):
0000_,18,418b32(00):
0000_,18,418b33(00):
0000_,18,418b34(00):德本行者傳中之卷
0000_,18,419a01(00):德本行者傳下之卷
0000_,18,419a02(00):
0000_,18,419a03(00):八月十七日。飛州高山大雄寺の請に應じて法筵を開
0000_,18,419a04(00):かる。結縁の道俗數をしらず。人人相議していへら
0000_,18,419a05(00):く。師の攝化唯事にあらず。願くは後の世までも傳
0000_,18,419a06(00):て結縁に備んには。名號を乞申さんにしかじ。幸松
0000_,18,419a07(00):倉山に自然石あり。引おろして揮毫を乞ばやとて。
0000_,18,419a08(00):其事を師に聞えければ。善方便なり。しかせよとの
0000_,18,419a09(00):玉ふにぞ。やがてその石引出す。いま存在する處を
0000_,18,419a10(00):見るに。長凡一丈四尺五寸。幅四尺餘。周り一丈一
0000_,18,419a11(00):尺餘り也。臺石は龜のかたにて。周凡二丈四尺餘。長
0000_,18,419a12(00):一丈にあまるへし。かばかりの名號塔又世に有べし
0000_,18,419a13(00):とも覺えずかかる大石を。嶮峻なる山阪引出ける事
0000_,18,419a14(00):なれば。其勞苦もおほかたならざるを。夜に日につ
0000_,18,419a15(00):とめて。運送力を盡したるなるべし。寺近くなりし
0000_,18,419a16(00):ころ。此石あやまりて水田に落入ぬ。泥土の底に埋
0000_,18,419a17(00):れて。如何ともすべきやうなし。みな忙然たるさま
0000_,18,419b18(00):なりけり。師。山門に登りて。皆みな念佛しながら
0000_,18,419b19(00):引揚よ。あがるべきぞとのたもふに。人人力を得
0000_,18,419b20(00):て。師につきて念佛したりければ。其于隅の節に應
0000_,18,419b21(00):じて。この石。時を經ずして水田を出たり。人人ま
0000_,18,419b22(00):すます力を得て。やがて寺の庭上にぞ引居ける。こ
0000_,18,419b23(00):は縁山の安蓮社にすめる卓嶺上人。隨從して親しく
0000_,18,419b24(00):此事を見られて。北國結縁の間の。最大の名號石な
0000_,18,419b25(00):りとぞかたられける。この地を發足ありて越中國。
0000_,18,419b26(00):富山より。加州金澤に飛錫せらる。高岡を經て。金
0000_,18,419b27(00):澤如來寺へ着せられたり。この往來に門中の寺院。
0000_,18,419b28(00):送迎のため。奔走する人其數をしらず。金澤藩の前
0000_,18,419b29(00):田主税。同舍弟内記。伽羅を供じて十念拜受し。六
0000_,18,419b30(00):萬遍の日課を誓ふ。ここを出て今石動の大念寺。坂
0000_,18,419b31(00):下の極樂寺。西岩瀨の醫王寺に攝化し玉ふ。此ころ
0000_,18,419b32(00):富山侯の一族あまた詣らる。西願寺。大泉寺をへ
0000_,18,419b33(00):て。長圓寺へおもむき。越後糸魚川善導寺へいた
0000_,18,419b34(00):らる。此より高田大仙寺の請待を終として。九月上旬
0000_,18,420a01(00):江戸小石川の大佛堂に歸錫せられけり。この際。請
0000_,18,420a02(00):待の寺院。並に士庶の家家。あるは所所の名號塔の
0000_,18,420a03(00):染筆。および剃髮日課の結縁。幾千萬なるをしら
0000_,18,420a04(00):ず。今は其大略を記すのみ。
0000_,18,420a05(00):文化十三年。秋のころより。一橋民部卿殿。御不豫
0000_,18,420a06(00):にして。師の歸府をまたせ給ひしかども。かなはせ
0000_,18,420a07(00):給はで。閏八月廿八日にかくれさせ玉へり。御臨終
0000_,18,420a08(00):いとたうとき御氣しき也きとぞ。年ごろ念佛の御
0000_,18,420a09(00):勤。おこたらせ給はざりける御驗なるべし。御追善
0000_,18,420a10(00):にとて。父の卿を始奉り。御兄弟の公達など。御中
0000_,18,420a11(00):陰の間。三百坐の百萬遍をぞ修し玉ひける。御結願
0000_,18,420a12(00):の御導師に。師を請じ申されけるは。日ごろまたせ
0000_,18,420a13(00):給ひし御志に酬ひ參らせ給へるなるべし。
0000_,18,420a14(00):一橋前亞相の御弟。今の兵部卿殿にも。師をまたせ
0000_,18,420a15(00):給ひければ歸府ののち。日數をも經ず。請じ申され
0000_,18,420a16(00):けり。其日は戌の刻を過して退出せられけれども。
0000_,18,420a17(00):法話は猶説盡し給はざるべし。
0000_,18,420b18(00):おなじ年十月十七日。勢州慶光院の尼公一條關白殿御息女御參
0000_,18,420b19(00):詣ありて日課六萬稱を誓はせ給ふ。師。女人往生の
0000_,18,420b20(00):旨を。ねもころに説法し給ひければ。御落涙ただな
0000_,18,420b21(00):らず。いとたうとき事になんおぼし入玉へる御氣色
0000_,18,420b22(00):也ける。
0000_,18,420b23(00):江戸の化益。殊の外盛になりしかば。老嬴に臨み
0000_,18,420b24(00):て。應接も何となくつかれ玉ふにや。ふたたび勝尾
0000_,18,420b25(00):の草庵に歸錫せばやとおぼしけるを。いつしかもれ
0000_,18,420b26(00):ききけん。道俗おどろきて。いかにもして。此地に
0000_,18,420b27(00):とどめまゐらせんとおもひける中にも。一橋前亞相
0000_,18,420b28(00):の御方には。御臨終の善知識にもなどまで。またな
0000_,18,420b29(00):くおぼしいれ玉ひたるを。いかでいま御名殘となる
0000_,18,420b30(00):べきかはとて。近く召つかはるる皆川藤右衞門とい
0000_,18,420b31(00):ふものを。御使として。我七十歳まではとおもひつれ
0000_,18,420b32(00):ど。夫までは永しとやおぼさんなれば。いま兩三年
0000_,18,420b33(00):のあひだは。留錫あらまほし。其旨方丈より鸞洲。
0000_,18,420b34(00):大基へ申させ給へかしと。增上寺大僧正の御許へ。
0000_,18,421a01(00):懇に仰られぬ。これによりて大僧正より公に聞え
0000_,18,421a02(00):て。小石川一行院をもて捨世道塲と定め。師の行化
0000_,18,421a03(00):の地となし參らせて。今しばし關東にて攝化あるべ
0000_,18,421a04(00):きよし申させ給ひけり。師は素より一處不住の境界
0000_,18,421a05(00):におはしませば。住處のために心を繼がれ玉ふべき
0000_,18,421a06(00):よしもあらねど。やごとなき嚴命。もだし難く。
0000_,18,421a07(00):道俗の哀慕も。さすがに捨がたくて。今はとて遂
0000_,18,421a08(00):に此地にとどまり給ひぬ。此よし傳承る貴賤老若。
0000_,18,421a09(00):釋迦牟尼佛の。ふたたび穢土に示現し給ふやうに。
0000_,18,421a10(00):よろこびいひさわぎて。例の群集いふばかりなかり
0000_,18,421a11(00):き。こは文化十四丑歳。十月のころなり。十一月の
0000_,18,421a12(00):初旬。川越の蓮馨寺をはじめ。瀧山大善寺および。
0000_,18,421a13(00):遠近寺院の請に應じ給ふこと。かぞふるにいとまあ
0000_,18,421a14(00):らず。八王寺の驛に。津戸三郞爲守の後裔とて。津戸
0000_,18,421a15(00):六右衞門といへるものあり。家に三幅の名號を藏せ
0000_,18,421a16(00):り。こは元祖大師の眞跡にして。三心の名號とぞよ
0000_,18,421a17(00):びける。其かみ先祖爲守へ。大師の給はりしよし。
0000_,18,421b18(00):第一幅の上頭に。至誠心の三字を旁行に記し。下に
0000_,18,421b19(00):六字名號を書し源空の二字を欵す。深心。回向心の
0000_,18,421b20(00):幅もおなじさまなり。師。見玉ひて。大師に因縁ふ
0000_,18,421b21(00):かかりし子孫なればとて。六萬遍の日課を授與し。
0000_,18,421b22(00):三心も四修もといへる御歌一首をぞ。書つかはされ
0000_,18,421b23(00):ける。
0000_,18,421b24(00):霜月中旬。八王子をたたせ玉ひて。當麻の無量光寺
0000_,18,421b25(00):に法莚をひらかる。住持他阿上人深く歸仰せられ
0000_,18,421b26(00):て。六萬べんの日課を誓受せらる。此日雪いたく降
0000_,18,421b27(00):て寒も一しほなるに。堂の内外。群集の道俗。いさ
0000_,18,421b28(00):さかいとふ氣色もなくて結縁しけり。戸塚の淸源院
0000_,18,421b29(00):の法會には。剃髮の作法うけし男女三百六十四人な
0000_,18,421b30(00):り。神奈川の觀福寺は。同所の慶運寺に屬しつる
0000_,18,421b31(00):を。師の來往の御休息所と定たり。こは慶運寺主と。
0000_,18,421b32(00):都下の僧衆と。同心隨喜してはかりたるなり。これ
0000_,18,421b33(00):により極月の八日まで。此處に留錫して。攝化し給
0000_,18,421b34(00):へり。參詣の道俗。日夜ひきもきらず。剃度の作法
0000_,18,422a01(00):うけしものも。數千人なりきとぞ。
0000_,18,422a02(00):小石川一行院は。師を抑留の爲に設られし道塲なれ
0000_,18,422a03(00):ば貴賤道俗おしなべて。心を用ひ莊嚴し。永師を安
0000_,18,422a04(00):置し申さんとて。其年の十一月七日より土を堀。石
0000_,18,422a05(00):をはこびはじむ。百工職を勵。萬人力を盡してけれ
0000_,18,422a06(00):ば。十二月廿三日には。佛殿厨坊を始。門。塀。泉
0000_,18,422a07(00):石に至るまで。殘處なく落成せり。金碧目を輝し。
0000_,18,422a08(00):鐘磬耳を新にす。
0000_,18,422a09(00):文化十五寅年。九月上旬のころより。師年來の痰痎
0000_,18,422a10(00):增長して。音聲枯竭せらる。諸弟子より。醫藥をす
0000_,18,422a11(00):すめ申といへども。服し給はず。九月十五日。月頃
0000_,18,422a12(00):の別時終て。弟子に命ずらく。いまより一七日我爲
0000_,18,422a13(00):に念佛を修せよ。わが臨末遠からじと。廿一日別行
0000_,18,422a14(00):を終て。御領に懸玉ふ佛舍利を。弟子本佛に授給ふ
0000_,18,422a15(00):時。のたまはく。我一夕。金色の辨才天。この寺を
0000_,18,422a16(00):圍饒し給ふを見たりき。いまより此天尊をもて。こ
0000_,18,422a17(00):の寺の鎭守とすべしとの給二十三日。また諸弟子に
0000_,18,422b18(00):の給はく。我生涯大師の一枚起請をもて。自行化他
0000_,18,422b19(00):の鏡とせり。汝等も我とひとしく。此遺訓に隨ふべ
0000_,18,422b20(00):し。我遺屬。この外に一言ある事なしと。弟子等。
0000_,18,422b21(00):悲感涕泣して。謹で信受す。大僧正の御許にも。こ
0000_,18,422b22(00):の事聞えければ殊の外におどろかせ給ひて。幹事お
0000_,18,422b23(00):よび。内外の衆僧に仰て。日日問訊せらる。都下の
0000_,18,422b24(00):道俗傳聞して。おなじさまに來て。安否を問奉るも
0000_,18,422b25(00):の。日夜たゆることなし。
0000_,18,422b26(00):師。一夕。名號一千枚を加持して。一橋前亞相の君
0000_,18,422b27(00):に奉らる。前來師資の道契なほざりならざるが故な
0000_,18,422b28(00):り御館にも。師の違例におどろかせ給ひて。屢屢朝
0000_,18,422b29(00):鮮人參など。おくらせ給へり。大城よりも。一橋の
0000_,18,422b30(00):御館に仰て。大漸にいたらざる前に。加持の名號上
0000_,18,422b31(00):るべきよしなり。これによりて。西城より德川萬德
0000_,18,422b32(00):寺をもて。御使給はる。この日營中の貴嬪。おほく
0000_,18,422b33(00):訪給へり。此頃在府の侯伯みづから來臨し玉ふもあ
0000_,18,422b34(00):り。あるは家臣をもて。訪ひ給ふもありて日として
0000_,18,423a01(00):絶ることなし。
0000_,18,423a02(00):同月廿五日。京都の佛匠西田立慶の作れる眞影の木
0000_,18,423a03(00):像來着す。師此像に向て。今日より後は。利益衆生
0000_,18,423a04(00):を。汝に讓るなり。施化利生我に違ふ事なかれと
0000_,18,423a05(00):て。一枚起請の文を繰返し讀玉ひて。師みづから坐
0000_,18,423a06(00):し給へりし座を。此像にゆづられ。これを開眼の式
0000_,18,423a07(00):とぞせられける。これよりのち。此像を附屬の眞影
0000_,18,423a08(00):とは。申傳へ侍るなり。
0000_,18,423a09(00):十月五日。師牀蓐に起坐して。本佛をはじめ。諸の
0000_,18,423a10(00):法弟に對して。今日は我發心以來の一切の善根を。
0000_,18,423a11(00):上は十方一切の三寶。下は六道の衆生に回向せんと
0000_,18,423a12(00):す。汝等謹で聽聞せよとて。香を焚。合掌して誦じ
0000_,18,423a13(00):給ふ辭に曰。恭白本師釋迦牟尼佛願王彌陀如來十方
0000_,18,423a14(00):恒沙證誠諸佛觀世音菩薩大勢至菩薩極樂海會一切聖
0000_,18,423a15(00):衆乃至舍利弗阿難等諸聲聞衆及麟諭部行等一切縁
0000_,18,423a16(00):覺衆梵釋四王天龍八部本朝和光大小神祇。願以德本
0000_,18,423a17(00):發心以來念佛功德及一切善根上奉酬一切三寶廣
0000_,18,423b18(00):大慈恩下回六道衆生無邊群類等出娑婆同歸淨
0000_,18,423b19(00):土又願以此功德資益 今上皇帝福基永固聖化無
0000_,18,423b20(00):窮 皇后貴嬪慈心平等 皇太子恩厚仁深 大君殿下
0000_,18,423b21(00):德覆八極仁撫四夷百官百司奉職無差四民安泰
0000_,18,423b22(00):五穀豐熟天長地久山靜海平又願生生世世還來穢國隨
0000_,18,423b23(00):縁攝化恒輝佛日常轉法輪と回向し終て。暫念佛
0000_,18,423b24(00):し玉へり。是ぞ生涯の惣回向也とて。諸弟子に永訣
0000_,18,423b25(00):を告給ふ。
0000_,18,423b26(00):この四五日は。淨土の莊嚴室内に現前して。宛眞の
0000_,18,423b27(00):曼荼羅也との給へり。また天童などの往來して。供
0000_,18,423b28(00):やうし給へるさまも見ゆ。
0000_,18,423b29(00):同月六日曉のころ。師の玉はく。今日往生の日なる
0000_,18,423b30(00):べし。本師の涅槃も。元祖の臨滅も。みな頭北面西
0000_,18,423b31(00):なり。我常坐不臥の念佛行者なりといへども。今日
0000_,18,423b32(00):に至りて。豈佛祖の芳躅に背んやとて。始て牀蓐に
0000_,18,423b33(00):平臥し給へり。其さま沈痾の體にせまるとは見えざり
0000_,18,423b34(00):けり。いざ念佛せんとて高聲體をせむ。音聲むかし
0000_,18,424a01(00):より勝れて。亮亮として門外までも響けり助音の衆
0000_,18,424a02(00):僧は。精神つかれたれども。師はいささも勞がはし
0000_,18,424a03(00):き氣色あらざりき。巳の中刻。齋食きこしめす。大
0000_,18,424a04(00):基和尚の。御風味いかにと問れけるに。甘露の如し
0000_,18,424a05(00):とぞ答たまひける。筆硯をとのたまひて
0000_,18,424a06(00):南無阿彌陀佛生死輪廻の根をたたば
0000_,18,424a07(00):身をも命もをしむべきかは
0000_,18,424a08(00):とかかせ給ひて筆を投げ。莞爾として臥給ぬ。念佛
0000_,18,424a09(00):のこえ少しひくくならせ給へりとおもへば。泊然と
0000_,18,424a10(00):して絶させ玉ひぬ。實に文政元戊寅のとし十月六日
0000_,18,424a11(00):酉の中刻也。御齡は六十のうへひとつをこえさせ玉
0000_,18,424a12(00):へり。嗚呼法幢倒れたり。何の日か再在世の眞を仰
0000_,18,424a13(00):ん。法梁摧たり誰人か。とこしなへに生死の津を導
0000_,18,424a14(00):ん鶴林涅槃の夕。世間眼滅と唱し悲も。今更におもひ
0000_,18,424a15(00):あはせられて。道俗貴賤みな老妣を喪するが如にな
0000_,18,424a16(00):ん歎あひける同月九日寺のうしろに葬り參らす御導
0000_,18,424a17(00):師は增上寺大僧正典海大和尚ぞつとめ給へりける下
0000_,18,424b18(00):炬の御辭には大慈菩薩の法語を擧げて。即是阿彌陀
0000_,18,424b19(00):佛と唱させ給へりけるに。人皆みのけいよだちて覺
0000_,18,424b20(00):侍りしとぞ。此日寺の四面群參おびただしくて。大
0000_,18,424b21(00):僧正の御輿を通參らすことあたはず。門前より下乘
0000_,18,424b22(00):し給ひける。
0000_,18,424b23(00):文政二年の秋。五輪の塔を造りて。墓石とす。高一
0000_,18,424b24(00):丈五尺ばかり。廣厚これにかなふ。攝州の吉田喜平
0000_,18,424b25(00):次。御影石をきり出し。海上を運送し供養し奉れ
0000_,18,424b26(00):り。石燈臺二基。高さ一丈ばかりなるべし。浪華の
0000_,18,424b27(00):小橋屋淸翁供養せり。褐銅香鼎一基。同所池田屋某
0000_,18,424b28(00):獻備す。
0000_,18,424b29(00):文政七年甲申のとしは。師の七回忌なり。故法親王
0000_,18,424b30(00):一品の宮大光明院と稱し奉御室より。德本行者往生之地と書せ
0000_,18,424b31(00):給ふ遍額を賜ふすなはち内陣にかかぐ。追遠の御こ
0000_,18,424b32(00):ころざしなりとぞ。
0000_,18,424b33(00):おなじ御室。關東御下向の事おはしましき。一行院
0000_,18,424b34(00):に詣させ給ひて。行者の像前にて。幾度か御拜あ
0000_,18,425a01(00):り。墳墓にてもおなじさま也。御齋後。本堂にて念
0000_,18,425a02(00):佛一會修し玉ふ。群參の道俗に。三歸十念授けさせ
0000_,18,425a03(00):おはしき。本佛の御つぎに侍りしを。手をとりて御
0000_,18,425a04(00):座に咫尺せしめて。さまざまの事どもとはせ玉へる
0000_,18,425a05(00):中にも。むかし行者を宮中に請じて。日課うけつる
0000_,18,425a06(00):ころは。まろもまだ妙齡なりしかど。殊の外たふと
0000_,18,425a07(00):げにおもひいりき。隙行駒のとどまらで。墳墓に苔
0000_,18,425a08(00):むしたるをさへに。見る事よとて。御涙ぬぐはせ給
0000_,18,425a09(00):へり。時移るまで御物がたりあり。夕陽かたぶきた
0000_,18,425a10(00):りとて。かへらせ給ひぬ。もとの冠譽大僧正。この
0000_,18,425a11(00):ごろは。まだただ人にて。けふの御補佐をぞつとめ
0000_,18,425a12(00):おはしき。こは天保五年十月二十二日なり。十七回
0000_,18,425a13(00):忌をとぶらはせ給へるためのよし。のちにきこゆ。
0000_,18,425a14(00):師の參殿は唯一度ならではあらざりしを。けふまで
0000_,18,425a15(00):もわすれさせおはしまさで。かばかりにものし給ふ
0000_,18,425a16(00):なんさるへき御宿縁にこそ。
0000_,18,425a17(00):德本行者傳下之卷終
0000_,18,425b18(00):一枚起請文
0000_,18,425b19(00):もろこし我朝に。もろもろの智者達の。沙汰し申さ
0000_,18,425b20(00):るる。觀念の念にもあらず。又學問をして。念の心
0000_,18,425b21(00):をさとりて申。念佛にもあらず。唯往生極樂のため
0000_,18,425b22(00):には。南無阿彌陀佛と申て。疑なく往生するぞと思
0000_,18,425b23(00):とりて。申外には別の子細候はず。但三心四修と申
0000_,18,425b24(00):事の候は。皆决定して。南無阿彌陀佛にて。往生す
0000_,18,425b25(00):るぞとおもふうちにこもり候なり。此外に奧深き事
0000_,18,425b26(00):を存ぜば二尊のあはれみにはづれ。本願にもれ候べ
0000_,18,425b27(00):し。念佛を信ぜんひとは假令一代の法をよくよく學
0000_,18,425b28(00):すとも。一文不知の愚鈍の身になして。尼入道の無
0000_,18,425b29(00):智の輩に同して。智者の振舞をせずして。唯一向に
0000_,18,425b30(00):念佛すべし。
0000_,18,425b31(00):爲證以兩手印
0000_,18,425b32(00):淨土宗の安心起行。此一紙に至極せり。源空が所
0000_,18,425b33(00):存この外に全別義を存ぜす。滅後の邪義を防んが
0000_,18,425b34(00):ために。所存を記し畢
0000_,18,426a01(00):建曆二年正月二十三日 源空在判
0000_,18,426a02(00):右一枚起請文は。安心起行の鏡なりとて。師攝化の度ごとに。必誦せらるるを恒軌とし給ふ。ここをもていま卷首にかかげいだす
0000_,18,426a03(00):
0000_,18,426a04(00):
0000_,18,426a05(00):德本行者法語
0000_,18,426a06(00):行者。いつも説法の會坐にて示し給はく。若六字を
0000_,18,426a07(00):かけば。即片輪念佛なれば。かたわ念佛にては。極
0000_,18,426a08(00):樂往生難ぞかし。今念佛の唱かたを敎んとて。師み
0000_,18,426a09(00):づから。南と授らるれば。衆もみな。南といふ。無
0000_,18,426a10(00):と唱らるれば。衆も亦無ととなふ。阿彌陀佛の四字
0000_,18,426a11(00):も皆同さまにをしへらる。次にあらためて。南無
0000_,18,426a12(00):と。となへらる。衆また南無と和す。阿彌と唱らる
0000_,18,426a13(00):れば。衆もまた阿彌と稱ふ。陀佛もおなじさま也。
0000_,18,426a14(00):それより後は。南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と。たしかに稱つ
0000_,18,426a15(00):らねて。鉦をうちて。衆とともに暫念佛し給へり。
0000_,18,426a16(00):又曰。六字をなまりがちにとなふるは。名號とはい
0000_,18,426a17(00):れぬなり。往生もならぬなり。娑婆の寶すら。贋の
0000_,18,426b18(00):金銀は通用せぬを。まして無爲泥洹の國へ往生せん
0000_,18,426b19(00):に。なまりて似たるは通らぬぞかし。六字が一字か
0000_,18,426b20(00):けても。とほらぬと知べし。五劫思惟。兆載永劫を
0000_,18,426b21(00):經て。萬善萬行具足の六字の名號なり。觀無量壽經
0000_,18,426b22(00):に。具足十念。稱南無阿彌陀佛と説せ給たる。その
0000_,18,426b23(00):具足とは。もののそろふたる事なり。されば一字か
0000_,18,426b24(00):けても不具足にあらずや。一念一佛を得るにて。六
0000_,18,426b25(00):字名號は。これ名體不離なり。佛にかたりの佛はあ
0000_,18,426b26(00):らざれば。六字分明なるが。一佛成就なり。それを
0000_,18,426b27(00):かけば。やがて佛體を損ずるになりぬべし 又曰。
0000_,18,426b28(00):我は良醫の病を知て藥を説が如し。服すと。服さざ
0000_,18,426b29(00):るとは醫のとがにあらずと。是は釋尊涅槃の夜の御
0000_,18,426b30(00):説法なり。念佛往生の法門も。亦復かくの如し。阿
0000_,18,426b31(00):彌陀佛は。法藏菩薩のむかし。十方衆生を一子の如
0000_,18,426b32(00):くにあはれみ給ひ。十方諸佛の捨玉ひし重病人を。
0000_,18,426b33(00):我だにたすけずはいかがせむ。若たすけ得ずば。正
0000_,18,426b34(00):覺を取らじといへる願を發し給ふ。さても十方衆生
0000_,18,427a01(00):の。三界二十五有を。流轉すべき病根を斷絶せしめ
0000_,18,427a02(00):んとて。五劫の間思惟して。建玉ひたる靈藥とは。
0000_,18,427a03(00):即ち六字名號なり。しかしてより。兆載永劫の間。
0000_,18,427a04(00):煉にねり。ためしにためして。此名號の靈藥を服し
0000_,18,427a05(00):たらんものは。六道輪回の病根を斷。往生極樂の堅
0000_,18,427a06(00):固の身を得つへきいはれを。はやく十劫の昔。成等
0000_,18,427a07(00):正覺の曉。决定成就し給へり。大經願成就の文これ
0000_,18,427a08(00):が爲なり。されば。何の子細もなく。口に南無阿彌
0000_,18,427a09(00):陀佛と申こそ。良醫の藥を服するにたとふるなれ。
0000_,18,427a10(00):あはれ。名醫の藥は。かならず服すべきことわりに
0000_,18,427a11(00):して。六字の名號は。必となふべきいはれなり。此
0000_,18,427a12(00):道理を聞ながら。この藥味は何何ぞ。何の功能あり
0000_,18,427a13(00):やなど。いひもてさばくる程に。無常時をえらば
0000_,18,427a14(00):ず。ただちに惡道の難治に墮落したらんには。もは
0000_,18,427a15(00):や六字の靈藥も。服すべき便も。本願の良法も。手
0000_,18,427a16(00):をつかねて。徒に苦毒をうけしむべし。譬ば。寶の
0000_,18,427a17(00):山に入ながら。空手にて歸といへる是なり。十劫の
0000_,18,427b18(00):むかし。疾に定たる良藥なり。正直に服したらんも
0000_,18,427b19(00):のこそ。病は癒べきなれ。製藥功能の評定に。光陰
0000_,18,427b20(00):をいたづらに費す事なかれ。
0000_,18,427b21(00):凡念佛するほどのもの。往生せぬはなきなり。若念
0000_,18,427b22(00):佛する者往生せずは。正覺をとらじと誓給ひ。已に
0000_,18,427b23(00):佛に成玉ひしなれば。我等何ぞこれを疑んや。故に
0000_,18,427b24(00):若念佛して。佛の迎給はずは。われらが愁にあら
0000_,18,427b25(00):ず。これ佛の御恥ぞかし。しかるに凡夫にはぢ取給
0000_,18,427b26(00):はんほどならば。六方諸佛。何故に廣長舌相をのべ
0000_,18,427b27(00):て證誠し給はん。釋尊またなにしか。この法を付屬
0000_,18,427b28(00):し玉ふべき。ここをもて知ぬ。念佛するほどのもの
0000_,18,427b29(00):は。往生疑ふべからざる事を。唯よろしく一心に本
0000_,18,427b30(00):願の強縁をたのみ。ひたすら念佛して必一大事を遂
0000_,18,427b31(00):べし。
0000_,18,427b32(00):又曰。古人の云。人の臨終は。平生にあり。平生ま
0000_,18,427b33(00):た臨終なりと。この事深翫味すべし。もし人平生
0000_,18,427b34(00):に今や臨終ならんとおもひて。專心に念佛相續しぬ
0000_,18,428a01(00):れば。臨終も亦平生に異なる事なかるべし。されば
0000_,18,428a02(00):臨終は一期の大事なり。能能思量りて平素に勵勤ら
0000_,18,428a03(00):るべし。安心起行の趣を綱引にて示さば。大綱の總括
0000_,18,428a04(00):の所を阿彌陀如來にたとふべし。名號唱ふるは。即
0000_,18,428a05(00):この綱たぐりて行なり。疑なく往生すと定むるを。
0000_,18,428a06(00):安心といふ。日課をさだめて稱るを。起行といふ。
0000_,18,428a07(00):この起行の綱をたぐりてゆく時は。是非に極樂の七
0000_,18,428a08(00):重羅網を見るにいたる。若好て地獄へ行ばやと思は
0000_,18,428a09(00):ば。决して名號を稱申まじき也。一たび南無阿彌陀
0000_,18,428a10(00):佛と申たる人は。因果必然。極樂の外へは行べき處
0000_,18,428a11(00):なき也。
0000_,18,428a12(00):幾たび申ても。同じ念佛なりなどいはば。年ごろお
0000_,18,428a13(00):なじ食物を飡。同じ月日を送り。おなじ春秋にうつ
0000_,18,428a14(00):され。おなじ太平の御代に住なるを。念佛をのみ。
0000_,18,428a15(00):同じ事すとそしるは。佛法の修行にあきたらんひと
0000_,18,428a16(00):なるべし。
0000_,18,428a17(00):又曰。このごろ。德本といふ念佛の行者が出て。勝
0000_,18,428b18(00):尾寺二階堂にて念佛會あり。いざ參詣せばやとおも
0000_,18,428b19(00):ふぞ。やがて淨土を願ふ宗旨を安心也。夫より遠も
0000_,18,428b20(00):近もあゆみ來るが。起行なり。其道すがらあらぬ四
0000_,18,428b21(00):方やまの物がたりもし。或は川あり。船有。山坂あ
0000_,18,428b22(00):り。道に狹あり。廣あり。田畑有り。花あり。草あ
0000_,18,428b23(00):り。見るにつけ。聞に附て。無量の妄念競起るべ
0000_,18,428b24(00):し。しかれども。唯始勝尾へ參らんと願をおこし
0000_,18,428b25(00):て。あゆみを。はこびし故に。遂に此道塲へに參つ
0000_,18,428b26(00):く也。極樂往生もその如し。安心决定せし上は。念
0000_,18,428b27(00):念に極樂へあゆみ。淨土へとのみはおもはれず。異
0000_,18,428b28(00):念妄想ながらも。唯稱るにおこたらざれば或は音樂
0000_,18,428b29(00):を聞。あるひは夢に淨土の莊嚴を見る。これは此寺
0000_,18,428b30(00):へ近づきたるころ。鉦皷の音。念佛の聲を聞が如
0000_,18,428b31(00):く。また正しくここへ來て。大衆とともに念佛し。
0000_,18,428b32(00):聞法の會坐につらなるは。やがて此世の命盡て。始
0000_,18,428b33(00):て淨土に至り。觀音勢至文殊普賢の大菩薩。および
0000_,18,428b34(00):海會の諸聖衆とともに。阿彌陀佛の御前において長
0000_,18,429a01(00):時に法を聞て。樂のみありて。苦の名をだにきく事
0000_,18,429a02(00):なく。證得不退入三賢の菩薩となるにたとふ。必必
0000_,18,429a03(00):安心起行を違て。流轉生死の族に與する事なかれ。
0000_,18,429a04(00):淨土の安心起行といふ事は。南無阿彌陀佛と申せ
0000_,18,429a05(00):ば。我如き罪深ものも。本願に乘ずるが故に。往生
0000_,18,429a06(00):するに違ひなしと。おもひ定むるが安心。それより
0000_,18,429a07(00):おこたらず稱るを起行といふ。此外には別の子細候
0000_,18,429a08(00):はず。ただ日日食を飡ふごとくに心得べし。まづこ
0000_,18,429a09(00):の食は饑をたすくるものと知たるが安心なり。夫よ
0000_,18,429a10(00):り箸をとりて食ふが起行也。空腹なる時に。ただ食
0000_,18,429a11(00):ばやとおもふばかりにては。决して腹に盈たぬな
0000_,18,429a12(00):り。飢饑の年には。盜ても喰ふものあり。是を飯の
0000_,18,429a13(00):安心起行利益といふなり。淨土の法門も信ずれば往
0000_,18,429a14(00):生すといふ安心を。决定したるばかりにては。往生
0000_,18,429a15(00):はならぬ也。必箸を取て食するに等しく。おこたら
0000_,18,429a16(00):ず名號を唱ふるなり。又數遍を制止するは。食は唯
0000_,18,429a17(00):一口なるべし。餘分はわろしと制するが如し。三界
0000_,18,429b18(00):の窮子は隱しても稱ふべし。又食事は。日日の飢を
0000_,18,429b19(00):治す。念佛は永劫の重病を治す。また此食ははづか
0000_,18,429b20(00):に五十年百年の命をたすく。念佛は彌陀佛國に生れ
0000_,18,429b21(00):て。量なき壽命をたもつなり。
0000_,18,429b22(00):又曰。生生世世。父母の因縁ある事を示すべし。今
0000_,18,429b23(00):日かくの如く道塲に集會したるものは。皆是德本が
0000_,18,429b24(00):爲には。久遠塵點劫の父母なり。ちちははの因縁な
0000_,18,429b25(00):きものは來らぬなり。若我をそしりなどして來らざ
0000_,18,429b26(00):るは。我昔不孝なりし父母なるべし。其不孝の習氣
0000_,18,429b27(00):の殘りて。さていま德本が名を聞ても。猶腹だち瞋
0000_,18,429b28(00):るなり。德本いま懺悔して。むかしの不孝ゆるされ
0000_,18,429b29(00):よとて。南無阿彌陀佛と稱るぞ。さるほどに。本
0000_,18,429b30(00):尊。彼心を開き。意を解て。やがて又親子の對面す
0000_,18,429b31(00):べき事になるべし。いまよろこびてあつまり詣たる
0000_,18,429b32(00):ものは。此方むかし孝行をしたりし。その習氣が殘
0000_,18,429b33(00):て。何となくなつかしくて。行者とは如何なる人
0000_,18,429b34(00):ぞ。見て來んなといひて。來れる人なり。かくいは
0000_,18,430a01(00):ば。天眼をも。他心をも。宿命通をも得たるかと。怪
0000_,18,430a02(00):しむべし。さるわざは。末の世にはあらぬ事なり。
0000_,18,430a03(00):これは經に説給へるにつきてしめすなり。梵網經曰
0000_,18,430a04(00):若佛子以慈心故行放生業應作是念一切男子
0000_,18,430a05(00):是我父一切女人是我母我生生無不從之受生故六
0000_,18,430a06(00):道衆生皆是我父母而殺而食者即殺我父母亦殺我
0000_,18,430a07(00):故身かくの如。六道の衆生は皆我父ははなり。久久
0000_,18,430a08(00):にて逢たる親達に。をかしき歌一節うたひて聞せん
0000_,18,430a09(00):とて。尋來りしといへる歌三首。第二句に六字をよ
0000_,18,430a10(00):みいれ玉へる歌二首をうたひて。其歌の講釋懇にし
0000_,18,430a11(00):給へり。いといと鄭重の御示なりき。そは別に記し
0000_,18,430a12(00):たれば今ははぶく。
0000_,18,430a13(00):遺語
0000_,18,430a14(00):德本命終の後。最後に不思議なる事ありやと問もの
0000_,18,430a15(00):あらば。答ていへ。我師四歳の時より念佛して。六
0000_,18,430a16(00):十一歳まで申つづけ。最後命終の時。南無阿彌陀佛
0000_,18,430a17(00):と申て。息とどまりをはんぬ。別に不思議といふ事
0000_,18,430b18(00):なし。然るに德本如き凡夫の。報土に往生を遂るこ
0000_,18,430b19(00):と。これをこそ不可思議。不可説なりといふべきな
0000_,18,430b20(00):れ。
0000_,18,430b21(00):淨土眞宗一大事
0000_,18,430b22(00):南無阿彌陀佛
0000_,18,430b23(00):念佛は阿彌陀佛の本願。諸佛の證誠。釋尊の付屬。
0000_,18,430b24(00):善導大師。圓光大師のをしへなり。唯往生極樂の爲
0000_,18,430b25(00):には南無阿彌陀佛と申て。疑なく往生するぞとおも
0000_,18,430b26(00):ひとりて。申外には別の子細候はず。是は一枚起請
0000_,18,430b27(00):文の中にて。要中の要なり。其餘は廢立の行儀のこ
0000_,18,430b28(00):とわりを。申ばかりの事なり。予が門弟たるもの
0000_,18,430b29(00):は。一向專念の金言を仰ぎ。一枚起請文を。深肝に
0000_,18,430b30(00):そみ。心にとどめて。もろもろの雜行にわたるべか
0000_,18,430b31(00):らず。又蓮友の交り親眤にいたし。互に警策を加へ
0000_,18,430b32(00):て。心行怠慢なく。稱名の一行を專にして。一佛淨
0000_,18,430b33(00):土の本懷を遂べきなり。
0000_,18,430b34(00):夫戒は佛法の通規なり。おのおのよろしく隨分に戒
0000_,18,431a01(00):法を護持すべし。戒なければ。外道にして。佛弟子
0000_,18,431a02(00):にあらす。然といへとも。戒行もちて。念佛往生の
0000_,18,431a03(00):すけにはささぬなり。唯佛戒のうちに住し。如法堅
0000_,18,431a04(00):固に念佛すべし。
0000_,18,431a05(00):南無阿彌陀佛
0000_,18,431a06(00):未五月 德本判
0000_,18,431a07(00):此外に。時時の法語あまた有といへども。大かた
0000_,18,431a08(00):に同じ事なれば。今ははぶく世に説法勸誡抄とい
0000_,18,431a09(00):へるものあり。平常の御説法を聞書せしものな
0000_,18,431a10(00):り。あはせ見るべし。御歌どもはみな言葉の末と
0000_,18,431a11(00):いへるものに出しによりて。今の傳中。都てこれ
0000_,18,431a12(00):を省く。
0000_,18,431a13(00):德本上人賛 傳燈比丘慧澄
0000_,18,431a14(00):無些子分別 直心是道塲 一行兼二利
0000_,18,431a15(00):六字攝十方 何唯益當世 兒孫善繼芳
0000_,18,431a16(00):嗚呼師之德 可謂高而長 叡岳澄和尚謁行者廟作
0000_,18,431a17(00):
0000_,18,431b18(00):德本行者傳附錄法弟小傳總目
0000_,18,431b19(00):和州奧院現定和尚 江戸誓願寺鸞洲大和尚
0000_,18,431b20(00):江戸一行院本佛和尚 攝州勝尾山本明和尚
0000_,18,431b21(00):攝州親王寺德苗和尚 江州澄禪庵本應和尚
0000_,18,431b22(00):藝州甲立本勵和尚 紀州無量光寺本辨和尚
0000_,18,431b23(00):江戸稱往院德因和尚 阿州壁嶽德圓和尚
0000_,18,431b24(00):三州九品院德住和尚 信州阿彌陀寺本察和尚
0000_,18,431b25(00):通計十二人
0000_,18,431b26(00):
0000_,18,431b27(00):和州當麻奧院現定和尚
0000_,18,431b28(00):和尚は。和州の人なり。十一歳にして。知恩院檀譽
0000_,18,431b29(00):大僧正に就て剃度し。現察と名づく。十四歳にし
0000_,18,431b30(00):て。傳通院統譽大和尚に從ひ。現定と改む。遊學の
0000_,18,431b31(00):間五十日を期して。如意輪供を修す。師の京都淸淨
0000_,18,431b32(00):華院に留錫し給ふ時。初て相見して。一念念起。名
0000_,18,431b33(00):爲無明の意を問れたるに。師。水中の杙を喩とし
0000_,18,431b34(00):て。無明隨縁の趣を答給ふ。又問曰。如何して道心
0000_,18,432a01(00):堅固なるべき。師。聲をはげしうして。心は行に依
0000_,18,432a02(00):て起り。行は心に依て進む苟勤修せずして。道心堅
0000_,18,432a03(00):固なるを求るは。木によりて魚を求るが如しとの玉
0000_,18,432a04(00):ふ。又問曰。幾年ばかりをへて。安心の境にいたる
0000_,18,432a05(00):べきや。師また訶して曰。世人薄俗にして。事を易
0000_,18,432a06(00):行に託し。早く得法を望む。夫佛道深遠なり。何ぞ
0000_,18,432a07(00):年月を限りて。これを求る事を得んや。すべから
0000_,18,432a08(00):く。一切衆生成佛し畢時。はじめて安心すと。しる
0000_,18,432a09(00):べしと。ここにおいて。汗背に浹し。言肝に銘じ。
0000_,18,432a10(00):昔。彌勒妙覺に在て。猶不足のおもひ有といへる經
0000_,18,432a11(00):説の疑團も。頓に氷解して。かかる師に就てこそ。
0000_,18,432a12(00):眞の解脱の道は得べしとて。庵にも歸らず。衣鉢を
0000_,18,432a13(00):執て。南紀に從游す。この時。齡二十五歳也。名
0000_,18,432a14(00):を本定と改む。鹽津に行かれしころ。一夕。師のさ
0000_,18,432a15(00):ま。さながら如意輪觀世音に見ゆ。こはいかにと怪
0000_,18,432a16(00):て瞳を定て見奉れば。師常の如く。木鉦を打て念佛
0000_,18,432a17(00):しおはしますなり。又。至心に閉目してければ。又
0000_,18,432b18(00):如意輪に見ゆ。六臂に持給へる物ども分明にして。聊
0000_,18,432b19(00):も聖像に違ふ事なし。尊さいはんかたなし。しかし
0000_,18,432b20(00):よりこのかた。師の凡人ならざる事をぞしりてける
0000_,18,432b21(00):と。常に門人にかたられき。後に洛東獅子が谷に住
0000_,18,432b22(00):し。再和州當麻奧院に住し。寺職を解。石光寺に閑
0000_,18,432b23(00):居す。天保十一子年。十一月十四日。順世す。審蓮
0000_,18,432b24(00):社諦譽と號す。
0000_,18,432b25(00):
0000_,18,432b26(00):江戸誓願寺鸞洲大和尚
0000_,18,432b27(00):大和尚は。筑前の人なり。博多妙圓寺演譽上人の弟
0000_,18,432b28(00):子なり。後に傳通院賢洲上人の門に入。京師游學の
0000_,18,432b29(00):時。師の道德を慕ひて。鹽津にいたるに。師は熊野
0000_,18,432b30(00):へ詣給ふと聞て。さらば追つき奉らんとて。道を倍
0000_,18,432b31(00):して。兼行し日高郡。吉田村にて謁見す。大和尚。
0000_,18,432b32(00):問曰。本願念佛にて順次出離の事は。我早くこれを
0000_,18,432b33(00):信ず。現前三昧の大益は。澆季の時も得べきや否
0000_,18,432b34(00):と。師。答ての給はく念佛の行は他力外に加す。至
0000_,18,433a01(00):心に修行せば。决定して三昧を發得すべし。かつ學
0000_,18,433a02(00):解はもとより佛祖の勸賛する處なれども。自行眞實
0000_,18,433a03(00):ならざれば。學をなすも何の益かあらん。今の人。
0000_,18,433a04(00):護法を名として。心は名利に馳す。唯自行を勵べし
0000_,18,433a05(00):化他は期すべきにあらず。かつそれ無常老をまた
0000_,18,433a06(00):ず。一息歸らざれば後世に屬す。はたして博識も施
0000_,18,433a07(00):す所なく。上求下化も永廢すべし。いま逢難法にあ
0000_,18,433a08(00):ふ。寶の山に入て。手を空して歸る事なかれと。懇
0000_,18,433a09(00):切に垂示し玉ふ。この日。法界一如事理融通の旨を
0000_,18,433a10(00):談じ給ふに。師は學ばずして。おのづから佛祖の説
0000_,18,433a11(00):に符合す。これより隨從して。名を本洲と改む。山
0000_,18,433a12(00):棲谷陰。形影離る事なし。須が谷住山の間。金色
0000_,18,433a13(00):の大黑天。槌をもて俵をたたき。師と同じさまに。
0000_,18,433a14(00):念佛し給へるを感見せられしとぞ。のちに賢洲上人
0000_,18,433a15(00):の勸策によりて。傳通院に歸錫し。學席の務に預る
0000_,18,433a16(00):前年の法契わすれがたくて。師を江戸に請じ申けれ
0000_,18,433a17(00):ば。師も又因縁を追て來りて。今の白蓮社に寓せら
0000_,18,433b18(00):る。江戸に化益を施し給ふは。此大和尚の開導によ
0000_,18,433b19(00):れる也。宿契といひつべし。 台命を奉じて。蝦夷
0000_,18,433b20(00):の善光寺に住す。夷人の悅服振古その比を見ずとぞ
0000_,18,433b21(00):華頂王府侍讀を厥。大和尚をして院家たらしむ。大
0000_,18,433b22(00):僧都を經て僧正に任ず。辭職の後再び 台命を奉じ
0000_,18,433b23(00):て。江戸の誓願寺に住す。止事を得ずして也。いた
0000_,18,433b24(00):る處。貴賤服從して。法澤にうるほうもの數をしら
0000_,18,433b25(00):ず。天保十四癸卯の年。四月十九日。七十二歳にて
0000_,18,433b26(00):逝す。翔蓮社鳳譽と號す。
0000_,18,433b27(00):
0000_,18,433b28(00):江戸一行院本佛和尚
0000_,18,433b29(00):和尚は江州日野の人にして。木村氏の末子なり。小
0000_,18,433b30(00):字を虎之助といへり。總角の昔より。三寶を尊び。
0000_,18,433b31(00):十歳の時。禪衲月山に就て禪理を叩き。趺坐を學ぶ
0000_,18,433b32(00):月山の曰。汝眞箇の虎之助を知るや如何と。この言
0000_,18,433b33(00):を聞て省する所あるが如し。しかしより靜室に趺坐
0000_,18,433b34(00):すること。いよいよおこたらず。十七歳の時。ある
0000_,18,434a01(00):黄昏に一本松といへる山に登りて。西の空を伏拜た
0000_,18,434a02(00):りしに。廓然として心に徹する事ありて。俗縁を辭
0000_,18,434a03(00):して。津の國勝尾山にのぼり師に謁して。剃度を乞。
0000_,18,434a04(00):名を本佛と號す。二十歳なりき。その前日師の玉は
0000_,18,434a05(00):く。明日しかじかの人來る後には門下の高足となる
0000_,18,434a06(00):べしとの玉ひけりとぞ。是より終身。師の坐下を離
0000_,18,434a07(00):れず。竊に師の行化を助。日の力を極て難らず。多
0000_,18,434a08(00):年師の攝化に。障碍なからしむるはひとり和尚の力
0000_,18,434a09(00):なり。されば師も終焉に臨で。この事を和尚に謝せ
0000_,18,434a10(00):れしとぞ途を行にも。經論を携てこれを讀。あるは
0000_,18,434a11(00):燭滅する時は。線香の光に就て。内典を閲するな
0000_,18,434a12(00):ど。師の聞給ひて。門下には餘業を禁ずといへど
0000_,18,434a13(00):も。汝にのみ持名の暇書を讀事をゆるすとぞ仰られ
0000_,18,434a14(00):ける。文化十一年六月。師の東下に從ひ。小石川傳
0000_,18,434a15(00):通院に寓し。のちに師一行院に移らせ給ふ時。和尚
0000_,18,434a16(00):をもて。その住持とし給ひぬ。文政元年十月六日。
0000_,18,434a17(00):師入滅の夕にいたりて和尚に衣鉢をぞ傳給ふ。和尚
0000_,18,434b18(00):遣訓を遵奉し。能大衆を課して。常に淨業を修せし
0000_,18,434b19(00):め。緇衣を披き。蔽屐を踄。その芳跡。師の在しし
0000_,18,434b20(00):時に。露違事なし。其三昧中勝相は。佛前に紅紫二色
0000_,18,434b21(00):の光を現じ或は黄金の簑衣を現。或は滿室に舍利を
0000_,18,434b22(00):現ずるなど。種種の靈異。數ふるにいとまあらず。
0000_,18,434b23(00):別傳に讓て例の略す。記憶人に勝れて。一たび目を
0000_,18,434b24(00):經れば。終身忘れずとぞ。人となり沈毅豪爽にし
0000_,18,434b25(00):て。一日に三十餘里の路を步み。雙手に百斤の重き
0000_,18,434b26(00):を擧。或儒生。試に和漢古今の成敗。及び經史子集
0000_,18,434b27(00):の外典を叩に。了了として掌を指が如し。就中地理
0000_,18,434b28(00):學に至りては。最も其精妙を極めらる。儒生大に驚
0000_,18,434b29(00):て。果して不世出の人也とて。就て内典をも學びし
0000_,18,434b30(00):とぞ。終身隱操を全くして。尋常道俗の謁見を謝
0000_,18,434b31(00):せらる。おのれ行誡。和尚の德行を欽む事殆三十餘
0000_,18,434b32(00):年。臨末に先だつこと七日にして。始て謁する事を
0000_,18,434b33(00):得たり。神情閑雅にして。眉目淸秀。いまだ曾て。
0000_,18,434b34(00):沈痾の身に在人とは見えず語言朗朗として。法門の
0000_,18,435a01(00):精要を説かる。その翌日。西郊の草庵に移り。安政
0000_,18,435a02(00):五年。正月廿二日。正午に寂す。法臘五十五。世壽
0000_,18,435a03(00):七十有五なり。堅蓮社剛譽と稱す。行誡。その中陰
0000_,18,435a04(00):より。一周。三回。およびことし七回忌辰の。法筵
0000_,18,435a05(00):に列て。聊和尚の盛德を讃嘆す。他日。同生一蓮の
0000_,18,435a06(00):因縁を結ばんが爲なり。南無阿みだ佛
0000_,18,435a07(00):
0000_,18,435a08(00):攝州勝尾松林庵本明和尚
0000_,18,435a09(00):和尚。はじめの名を眞龍といふ。京洛の産にして伏
0000_,18,435a10(00):見の里誓願寺に住す。敎相はさらなり。頗禪學に達
0000_,18,435a11(00):す。師の高名を聞て。何ものの鼠輩か。かくは雷名
0000_,18,435a12(00):を得たる。いざ我一喝を喫せしめて。狐鳴を駭さん
0000_,18,435a13(00):とて。勝尾へのぼり。始て。師に謁したるに。奇な
0000_,18,435a14(00):るかな。師は熾然たる光焰の中に。安坐念佛し給へ
0000_,18,435a15(00):り。ここにおいて驕傲の心。頓に摧け。請て弟子の
0000_,18,435a16(00):列に入。本明とよびて。年ごろ師の室中に給仕せら
0000_,18,435a17(00):る。或時勝尾の二階堂にて。大般若經を讀誦せし
0000_,18,435b18(00):に。空中に。諸佛現前し給ふを感見す。此時。平常
0000_,18,435b19(00):所持の元祖大師の舍利。一粒分身し給ひぬ。のちに
0000_,18,435b20(00):これを本佛に傳ふ。種種の好相あれども別記に出る
0000_,18,435b21(00):をもて。ここには略す。天保十一子年。六月十八
0000_,18,435b22(00):日。松林庵において逝す。純蓮社鮮譽と稱す。
0000_,18,435b23(00):
0000_,18,435b24(00):攝州灘打出親王寺德苗和尚
0000_,18,435b25(00):和尚は。神情超拔にして。氣調高峙也。世人。師の
0000_,18,435b26(00):德風に麾を。和尚竊にあざみ咲はれて。敬心露ばか
0000_,18,435b27(00):りもなかりけり。師一日。現に寺の門前を過られし
0000_,18,435b28(00):に。和尚の念佛するを。遙に聞給ひて。この寺の和
0000_,18,435b29(00):尚は。いつもおこたらで念佛する事よと。仰られけ
0000_,18,435b30(00):るを。檀越の某。和尚につげて。けふしも。行者の。
0000_,18,435b31(00):しかしか。の給ひきと。いへるを聞く。和尚何とか
0000_,18,435b32(00):おもひけん。簑笠うちかづき。猛雨を冐して。吉田
0000_,18,435b33(00):氏の家に行て。師に謁見をこふ。をりしも。師。禮
0000_,18,435b34(00):拜念佛し給ふに。其よし告まゐらするに。歡て速に
0000_,18,436a01(00):對面せんとの玉ふ。和尚。次の間に坐して師の念佛
0000_,18,436a02(00):の聲を聞。只人ならぬさまのおもはるるに。やが
0000_,18,436a03(00):て。裱開きて。いざこれえとて。十念授け給ふ
0000_,18,436a04(00):其御聲微妙にして。耳根に徹し。あたかも活佛の現
0000_,18,436a05(00):前し給ふごとし。高擧の心。忽に消し盡して。とみ
0000_,18,436a06(00):に弟子の斑列に加はり。名を德苗とぞ賜りぬ。弘化
0000_,18,436a07(00):二巳年。六月朔日。正念に往生す。廣蓮社濟譽と稱
0000_,18,436a08(00):す。
0000_,18,436a09(00):
0000_,18,436a10(00):江戸平子山澄禪庵本應和尚
0000_,18,436a11(00):和尚は越後の人なり。若冠のむかしより。あはれ。
0000_,18,436a12(00):よき知識にあひて出家せばやとぞおもひける。或
0000_,18,436a13(00):時。江戸に來り。淺草壽松院に。しるべありて。し
0000_,18,436a14(00):ばし其寺に住しころある夜。いとたふとさ沙門の。
0000_,18,436a15(00):枕上に來らせ給ひしと見たりき。其時は常の夢也と
0000_,18,436a16(00):おもひわきまふる事もなかりしを。西福寺に師を
0000_,18,436a17(00):請じ申しし時。始て謁見したるに。前夜夢に見し沙
0000_,18,436b18(00):門に。容貌いささか。たがはざりしかば。信心肝に銘
0000_,18,436b19(00):じて。ただちに。日課一萬稱を誓て。揮毫の名號を
0000_,18,436b20(00):ぞ拜受してける。哀かかる師につきてこそ。出家を
0000_,18,436b21(00):もすべきなれとおもへども。障る事のみ多くして。
0000_,18,436b22(00):いつしか其年も暮ぬ。文化三寅年。四月四日の夜の
0000_,18,436b23(00):夢に。御丈。五尺五六寸もやとおもふばかりの。涅
0000_,18,436b24(00):槃像を見奉るに。やがてたたせ給て。うしろにまは
0000_,18,436b25(00):らせ玉ひ。頭の上を兩の御手にて撫させ玉へり。た
0000_,18,436b26(00):ふとくうれしさいはむかたなし。其頃。師は。越前
0000_,18,436b27(00):敦賀におはすと。傳ききしかば。おもひたちて同し
0000_,18,436b28(00):年の六月。敦賀にいたりしに妙華谷に。留錫したまふ
0000_,18,436b29(00):よしを聞。追て訪奉る。其ころは。本佛ひとりぞ隨
0000_,18,436b30(00):從せられたり。志のほどを述ければ。師。直に剃刀を
0000_,18,436b31(00):取。いざとてうしろにまはらせ。御手の頭上に觸た
0000_,18,436b32(00):る時。さいつころ。夢に釋迦牟尼佛の。御手ふれさせ
0000_,18,436b33(00):られし所に。露たがはざるに。ただ涙とどめかねたり
0000_,18,436b34(00):とぞ。これを袈裟にせよとて。御帷子を賜しを。本佛
0000_,18,437a01(00):のみづから縫てあたへられき。さればこの和尚は。
0000_,18,437a02(00):終身。師を眞の釋迦牟尼佛とぞ仰奉ける。勝尾寺に
0000_,18,437a03(00):て。食堂の給仕つとめける頃は。日日垢離をとり
0000_,18,437a04(00):て。辨じける。さまざまの感應ありつれども。別記
0000_,18,437a05(00):にゆづりて。例の略しつ。天保二年。二月朔日。命
0000_,18,437a06(00):終す。佛蓮社願譽と稱す。
0000_,18,437a07(00):
0000_,18,437a08(00):藝州甲立本勵和尚
0000_,18,437a09(00):和尚。號は花光。丹後國。中郡。峯山園田氏の産な
0000_,18,437a10(00):り。文化六年。四月十日。家を出。播州書寫山。如
0000_,18,437a11(00):意輪寺にて。みづから落髮して。良師にあふ事を觀
0000_,18,437a12(00):世音へ祈求せらる。其ころ。師を活佛の如に人人申
0000_,18,437a13(00):けるを聞て。紀州へゆかばやと。思たちけるに。今
0000_,18,437a14(00):は攝州勝尾にましますよし。告る人有ければ。やが
0000_,18,437a15(00):て勝尾山にのぼり。師に謁して。弟子の列にいらん
0000_,18,437a16(00):事を乞るるに。このころ。故ありて。入門の人を禁
0000_,18,437a17(00):ぜられたりとて。所願を果すことあたはず。さらば
0000_,18,437b18(00):とて。坐禪石に坐し。或は瀧谷にこもりて。獨行念
0000_,18,437b19(00):佛す。このほとりは。毒蛇猛獸のおそれあるよしを
0000_,18,437b20(00):ききて。一圓相を畵して結界とす。かかる苦業策勵
0000_,18,437b21(00):を。いつしか師の聞給ひて。名を本勵と賜て。始て
0000_,18,437b22(00):弟子の列にぞ加へさせ給へり。和尚ある時。眼疾を
0000_,18,437b23(00):やみたるころ。夢に開山御作の。藥師如來を感見
0000_,18,437b24(00):す。和尚如來に向奉りて。眼疾は業障のなす所。い
0000_,18,437b25(00):かんともし難し。あはれ。願はくは。如來の大悲眼
0000_,18,437b26(00):をもて。みみにかへ給はば。見佛の縁も。空しから
0000_,18,437b27(00):ざるをなど。歎けるに。いくほどなく。眼疾あとな
0000_,18,437b28(00):く癒て耳根いつしか不通に也にける。本尊の病をか
0000_,18,437b29(00):へ給ひしなるべしと。よろこばれけり。其後師は江戸
0000_,18,437b30(00):の小石川一行院に。留錫したまひしころ。和尚はさる
0000_,18,437b31(00):べき因縁やありけむ。偶杖をうつして。難波の名蓮
0000_,18,437b32(00):社に來て別行つとめられき。或夜の夢に。大なる涅
0000_,18,437b33(00):槃像を拜す。其形世尊にはあらで。金色の僧の。頭
0000_,18,437b34(00):北面西に臥玉へるなりければ。覺て後。竊に師の入
0000_,18,438a01(00):寂を知。こは文政元年。九月下旬の事なりき。のち
0000_,18,438a02(00):に備後尾の道。安國屋の宅に寓して。穀を避。四十
0000_,18,438a03(00):八夜の別行を勤る事。前後におよそ四十八度也と
0000_,18,438a04(00):ぞ。妙花光明の好相。記するにいとまあらず。夢の
0000_,18,438a05(00):記一卷。三昧感得記一卷あり。藝州甘露庵密成律師
0000_,18,438a06(00):の記する所なり。天保十一子年。十二月十三日。端
0000_,18,438a07(00):坐合掌して寂す。進蓮社策譽と稱す。
0000_,18,438a08(00):
0000_,18,438a09(00):州若山無量光寺本辨和尚
0000_,18,438a10(00):和尚は。泉州岸和田の産なり師の勝尾留錫のころ。
0000_,18,438a11(00):發心して。弟子となれり。天性溫諄にして。奉事師
0000_,18,438a12(00):長の孝心。たくらぶべきものなし。日沒の後は。必
0000_,18,438a13(00):罩臉をかけて。御肩うち。御腰撫などせる事。年ご
0000_,18,438a14(00):ろ。一夕もおこたることなし。師入寂の後。或時頻
0000_,18,438a15(00):に齒の痛ことあり。其夜。師の手づから。和尚の口
0000_,18,438a16(00):中へ。黑藥を入給ふと見て。夢覺たるに。齒疼は即
0000_,18,438a17(00):時にやみて唇のかたはらに。柳葉一枚つきて有しと
0000_,18,438b18(00):ぞ。常に師恩をおもふ心。深き餘りに。いかにして
0000_,18,438b19(00):か。師の降誕ありし國に。一伽藍を創て。師の遺
0000_,18,438b20(00):德をして。ながく世に傳へ。自他念佛の勝縁とな
0000_,18,438b21(00):し。慈恩の萬一に。報答せんものをと。旦夕この事
0000_,18,438b22(00):をのみ思惟し。或時法兄本佛に談じけるに。よくい
0000_,18,438b23(00):はれたり。貧道が素志も亦しかり。いままさに時至
0000_,18,438b24(00):れり。因循すべきにあらずと。答られしにぞ。一鉢
0000_,18,438b25(00):飄然として。の若山に至。ここに容膝の地を占
0000_,18,438b26(00):て。日日市中を分衞するに。熱を冐し。寒を衝て。
0000_,18,438b27(00):一日もおこたる事なし。かかりしほどに。佛天護法
0000_,18,438b28(00):の冥助にや。前一位亞相公。この事を聞し召。その
0000_,18,438b29(00):至誠心を感じ給ひ。自ら布金の檀主として。出格の
0000_,18,438b30(00):御外護あらせられしかば。諸人響の如應じ。やが
0000_,18,438b31(00):て。一精舍を建立す。乃無量光寺と名ぜらる。これ
0000_,18,438b32(00):よりのち紀の國に。師の遺跡。五か院まで。建立せ
0000_,18,438b33(00):られたるは。みな和尚の功績といふべし。嘉永元申
0000_,18,438b34(00):年。十二月六日。衆とともに。同音に念佛しながら。
0000_,18,439a01(00):泊然して逝す。得蓮社才譽と號す。
0000_,18,439a02(00):
0000_,18,439a03(00):江戸淺草稱往院德因和尚
0000_,18,439a04(00):和尚は。駿州の産なり。幼にして。同所善龍寺にお
0000_,18,439a05(00):いて出家し。增上寺に籍して。修學年を積り。後に
0000_,18,439a06(00):丹後國。田邊町無常院に住す。師の勝尾寺に攝化し
0000_,18,439a07(00):玉ふころ。月月丹州より通ひて。留錫して。隨喜念
0000_,18,439a08(00):佛す。ある極月の末に。年も暮侍れば。一まづ丹後
0000_,18,439a09(00):へ歸りなんとて。師にいとま申たるに。師の給は
0000_,18,439a10(00):く。出家は三界に家なし。歸るとはいづれにかへる
0000_,18,439a11(00):ぞとのたまひしを聞て。豁然として。心地定り。寺
0000_,18,439a12(00):へも歸らず入門して。弟子の列に加りしかば。德因
0000_,18,439a13(00):とは名づけ給へり。かくて。文政七申年。神奈川の
0000_,18,439a14(00):觀福寺において。千日別行を發願す。あくる酉の年
0000_,18,439a15(00):に。武州辰沼の龍巖寺へ移錫し。其翌年。この寺の
0000_,18,439a16(00):堂舍建立落成し。千日の別行を滿ず。同十二年の
0000_,18,439a17(00):秋。南都法隆寺。叡辨和上の室に入。登壇受戒し。
0000_,18,439b18(00):天保元年の春。淺草稱往院へ移住す。抑この稱往。
0000_,18,439b19(00):龍巖の兩寺は。もとより尋常の官刹なるを。和尚移
0000_,18,439b20(00):錫の後に。錄所に白して。捨世念佛の道塲とはなし
0000_,18,439b21(00):ぬ。天保二年。秋のころ。はげしき病にかかり。起
0000_,18,439b22(00):べからざるをしり。高足の弟子稱瑞へ。遺言などし
0000_,18,439b23(00):てけり。其ころ。誰ともしらざる人の。德本行者を
0000_,18,439b24(00):荼毘したる。御舍利也とて。水晶の壺に入て持來れ
0000_,18,439b25(00):り。其つぼより。一縷の烟立よと見えしに。頓て。
0000_,18,439b26(00):師の御姿あらはれて。汝が病は全快すべきぞと。つ
0000_,18,439b27(00):げ給ふとおもへば。夢覺ぬ。それより病縁。快方に
0000_,18,439b28(00):趣きたりとぞ。天保八丙年。十一月廿九日。念佛の
0000_,18,439b29(00):聲とともに往生す。多賀明神の感應。神奈川觀福寺
0000_,18,439b30(00):の觀音の靈應などの事。別記に出すべければ。いま
0000_,18,439b31(00):ははぶきぬ。本蓮社習譽と稱す。
0000_,18,439b32(00):
0000_,18,439b33(00):阿州壁嶽德圓和尚
0000_,18,439b34(00):和尚は。いづれの所の人なるを詳にせず。增上寺に
0000_,18,440a01(00):藉して。京師に遊學し。快琳上人に就て。唯識を研
0000_,18,440a02(00):究す。師の德風に歸して。勝尾にのぼり。入門し
0000_,18,440a03(00):て。名を德圓と改む。あるひ。師に問まをさく。師
0000_,18,440a04(00):は常に一枚起請を凖繩とし給ふに。などか拜服名號
0000_,18,440a05(00):を人にあたへて。現益を施し玉ふと申ければ。汝。
0000_,18,440a06(00):大悲門をしらずやと答給ひしとぞ。或時。七日の別
0000_,18,440a07(00):業を修しける間に思定る事ありて。いまより市朝の
0000_,18,440a08(00):路を踏じとて。初山城の古知谷に籠。のちに阿州に
0000_,18,440a09(00):移り。壁が嶽にて。修行する事數十年なり。曾て。
0000_,18,440a10(00):弟子に示して曰。我師の碩德。和漢の高僧にも恥給
0000_,18,440a11(00):はず。王侯大臣の歸敬。あたかも元祖大師の御あと
0000_,18,440a12(00):に似たり。竊におもふ。これかならず。禮拜の功德
0000_,18,440a13(00):ならん。口稱念佛の禮拜は。三業具足して。往生の
0000_,18,440a14(00):正因たるはもとより。現在には無始の業障を滅し利
0000_,18,440a15(00):他の門をひらく。二三子。つとめて禮拜の功を積と
0000_,18,440a16(00):て。みづからも常常。禮拜をつとめて。衰老に及べ
0000_,18,440a17(00):ども。日夜おこたりなく。をりをり百日に百萬禮を
0000_,18,440b18(00):勤修せられたり。天保十三寅年。九月二日。入寂
0000_,18,440b19(00):す。廣蓮社剛譽と號す。
0000_,18,440b20(00):
0000_,18,440b21(00):三州荒井山九品院德住和尚
0000_,18,440b22(00):和尚は。三州大濱の産なり。初三縁山に修學す。後
0000_,18,440b23(00):に中山道。本庄宿の圓信寺に住す。師の信州攝化の
0000_,18,440b24(00):時。法服どもかいつくろひて。迎奉り。初て師に謁
0000_,18,440b25(00):するに。師は衣鉢飄然として。おのづからの威儀を
0000_,18,440b26(00):具し給へるさま。富嶽の素雪。衆峰の翠に秀るが如
0000_,18,440b27(00):くなるに。赧然として省する事あり。ただちに彩衣
0000_,18,440b28(00):を改て。弟子の列に入けり。此時名を德住と賜ふ。
0000_,18,440b29(00):一を以て貫けといへる御歌を。玉はりけるを。深く
0000_,18,440b30(00):肝に銘じたりとて。終身この言葉を仰ぎたりき。さ
0000_,18,440b31(00):ればただちに信州の攝化にも。隨逐して。勵聲念佛
0000_,18,440b32(00):おこたりなかりき。天保十一子年。十一月進具せ
0000_,18,440b33(00):り。法隆寺叡辨和上證明す。後に信州唐澤に閑居し
0000_,18,440b34(00):て。千日の別行をつとむ。功積德累たるは。固さる
0000_,18,441a01(00):べき宿縁や有けん。尾三の兩國においては。士庶の
0000_,18,441a02(00):歸敬。特に夥かりき。三州荒井山に。九品院を建立し
0000_,18,441a03(00):て。念佛の道塲となしぬ。其外浪華源正寺。名古屋
0000_,18,441a04(00):光照院等を中興して。捨世道塲と定め。持律の僧
0000_,18,441a05(00):伽。若干人を安す。天保十三寅年。八月廿三日寂
0000_,18,441a06(00):す。其委細にいたりては。別傳にゆづりて。例の略
0000_,18,441a07(00):す。轉蓮社入譽と稱す。
0000_,18,441a08(00):
0000_,18,441a09(00):信州唐津阿彌陀寺本察和尚
0000_,18,441a10(00):和尚。始の名は德誠。上總國の産なり。勝尾山に詣
0000_,18,441a11(00):して。弟子となり。信州攝化の時。隨從す。唐澤の
0000_,18,441a12(00):あみだ寺は。彈誓上人の開基にて。閑寂の地なれ
0000_,18,441a13(00):ば。師の留錫の地に奉らんと。諸人請申けるに。我
0000_,18,441a14(00):は念佛弘通を旨として。一處不住の身なり。地を占
0000_,18,441a15(00):て住べからずと辭し玉ひけり。然ば法弟の内。一人
0000_,18,441a16(00):給はるべしと乞申たるに。本察しかるべしとて命ぜ
0000_,18,441a17(00):らる。かの寺はひさしく住あれたり。雨漏。たたみ
0000_,18,441b18(00):朽て。棲べきやうなしと。聞え申ければ。師。訶し
0000_,18,441b19(00):ての給はく。瓧摧け雨もらんには。木の下に立行せ
0000_,18,441b20(00):よ。席朽てやすからずは。石上に安坐せよ。食物と
0000_,18,441b21(00):もしくとも。餓鬼趣の如にはあらじ。霜雪深くと
0000_,18,441b22(00):も。八寒にはまさるらん。何かおそるる事のあるべ
0000_,18,441b23(00):きと。垂示せられたるに。夢の覺たるやうにおぼえ
0000_,18,441b24(00):て。やがて承諾して。檀越某の宅へ行て。師の命を
0000_,18,441b25(00):傳ければ。いとよろこびて。暫休息し給へとて。其
0000_,18,441b26(00):家に十日ばかり留られけり。今日は寺へ入玉へと有
0000_,18,441b27(00):ければ。往て見るに。聞しにはたがひて屋を修し。
0000_,18,441b28(00):席を新にし。つちをもり。石を敷。卉木光を生じ。
0000_,18,441b29(00):鐘磬こゑをあらたにしたりしかば。師の垂示に慚愧
0000_,18,441b30(00):して。後江戸に來り。其事を白し。師の餘德を謝し
0000_,18,441b31(00):奉りけり。文政八丙年。四月二十三日寂す。荼毘を
0000_,18,441b32(00):經といへども。舌根依然として殘れり。和尚至て辯
0000_,18,441b33(00):舌利達なれども。一生妄語せぬ人なり。舌根の殘た
0000_,18,441b34(00):るそのいはれなるべしと。人人申あひける。正蓮社
0000_,18,442a01(00):觀譽と稱す。
0000_,18,442a02(00):
0000_,18,442a03(00):右十二人は。師の在世の門人にして。寺記に錄した
0000_,18,442a04(00):るを。十が一二を摘て。小傳をたつるなり。この
0000_,18,442a05(00):外。本律・本忍・本岸・本良・本淨・本碩等の。諸
0000_,18,442a06(00):和尚。及本勇。本明の如き尼弟子の輩。或は奉事師
0000_,18,442a07(00):長にあつき人。或は勇猛精進にはげしき人。或は難
0000_,18,442a08(00):行苦修に耐たる人。あるひは好相感見にしるしある
0000_,18,442a09(00):ひと。或は尾州建中寺大基大和尚の如。いまだ現存
0000_,18,442a10(00):の人。或は遺孫絶て其實を失へるもの。あるひは國
0000_,18,442a11(00):を隔て。いまだその信の達せざるもの。或は行錄の
0000_,18,442a12(00):半を得て半を得ざるもの。かくの如は。いまとみに
0000_,18,442a13(00):此傳に列することあたはざれば。他日拾遺を編せる
0000_,18,442a14(00):時をまつべきなり。且いまの小傳。凡其入門の前後
0000_,18,442a15(00):に就て。これを記す。親疎に約するにあらず。
0000_,18,442a16(00):
0000_,18,442a17(00):德本行者傳附錄法弟小傳終
0000_,18,442b18(00):(本傳序、例言、跋等)
0000_,18,442b19(00):德本行者傳序
0000_,18,442b20(00):龍舒居士嘗引大慈菩薩之語曰能勸二人修比
0000_,18,442b21(00):自己精進勸至十餘人福德已無量如勸百與千
0000_,18,442b22(00):名爲眞菩薩又能過萬數即是阿彌陀文政戊寅十
0000_,18,442b23(00):月行者即世先師故大僧正親臨葬儀乃擧此偈衆
0000_,18,442b24(00):皆竦然謂曰聖克知聖窃謂庶乎不差矣頃行狀傳
0000_,18,442b25(00):刊行爲序證其所言非過稱矣慶應丙寅臘八隱士闡譽
0000_,18,442b26(00):德本行者傳例言九條
0000_,18,442b27(00):一師文政戊寅ノ年ヲモテ遷化ス今年慶應丁卯ニ至
0000_,18,442b28(00):テ既ニ五十年ヲ得タリ遺弟等法恩ヲ萬一ニ報セ
0000_,18,442b29(00):ンカ爲ニ相會シテ傳記ヲ纂集ス方ニ師德ヲ千歳
0000_,18,442b30(00):ニ傳テモテ後進ノ警策ニ備ヘント欲ス
0000_,18,442b31(00):一小石川一行院ニ師ノ一世ノ紀錄六十餘卷アリス
0000_,18,442b32(00):ヘテ當時ニアツテ門人ノ筆紀スル所ナリ其事扑
0000_,18,442b33(00):質其辭華ヲ飾ラス尤モ正史ト稱スルニ足レリ但
0000_,18,442b34(00):シ均シク佛事ト雖トモ師ニ在テハ勝迹ト稱スル
0000_,18,443a01(00):ニ足ラサルモノアリ又其事勝レタレトモ同シサ
0000_,18,443a02(00):マノ事數件アリ又事奇怪ニ亙リテ常人ノ疑ヲ生
0000_,18,443a03(00):スヘキモノアリカクノ如キモノハ大凡コレヲ省
0000_,18,443a04(00):ク竊ニ惟レハ師ノ一世ノ行履上中下ノ三等アリ
0000_,18,443a05(00):今ノ傳ハ其上ト下トヲ省イテ且ラク中等ニ就テ
0000_,18,443a06(00):コレヲ紀錄ス人ノ不信ト輕謗ヲ防カンカ爲ナリ
0000_,18,443a07(00):古ニ曰ク史ヲ修スルコト難シト果シテシカリ
0000_,18,443a08(00):一本傳修成ノ前後ニ在テ詳ナル事實トモ尚多ク聞
0000_,18,443a09(00):ヘタレトモ草案ヲ改メンノ煩ハシキニ憚リテ暫
0000_,18,443a10(00):クコレヲ省ク他日拾遺ノ編集アラン時ヲ待テ當
0000_,18,443a11(00):ニコレヲ加フヘシ
0000_,18,443a12(00):一一行院ノ前住本覺嘗テ其師本佛ノ命ヲ荷負シテ
0000_,18,443a13(00):本傳ノ編集ヲ企タツ畵圖モイササカ寫シ出セリ
0000_,18,443a14(00):勞ナキニ非ス不幸ニシテ未タ一卷ニ及ハスシテ
0000_,18,443a15(00):沒故スヲシムヘシ今年コレニ繼テ三卷トナシ以
0000_,18,443a16(00):テ其功ヲ畢フ幸ニ先哲ノ志ヲ舒フトイフヘキ歟
0000_,18,443a17(00):一一行院ノ現住本良篤行ノ仁ナリ傳紀ノ修成ニ於
0000_,18,443b18(00):ケル頗ル力ヲ竭ス加フルニ紀州ノ本乘タマタマ
0000_,18,443b19(00):來リテ事實及ヒ地理ヲ説ク偕ニ製作ヲ扶クルモ
0000_,18,443b20(00):ノナリ且ツ用途ノ容易ナラザルモヤコトナキ道
0000_,18,443b21(00):俗ノ多ク力ヲ加ヘ玉ヒタルカ有リテスミヤカニ
0000_,18,443b22(00):功ヲ就セリスヘテ餘光ノカカヤク處ニシテ遺弟
0000_,18,443b23(00):等ノ歡抃キワマリナキユエンナリ
0000_,18,443b24(00):一况齋楓崖岺麿ノ諸老人ハ皆幕府ノ士ナリ躳弓馬
0000_,18,443b25(00):ノ際ニアリト雖トモ善ク力ヲ學佛ニ竭クス樂天
0000_,18,443b26(00):東坡以テ相比スヘシ特ニ本傳ノ挍閲ヲ請ヒ淨書
0000_,18,443b27(00):ヲ託スルモノハ是レカタメナリ
0000_,18,443b28(00):一畵圖ハ門弟沙門蕉巖ヲシテコレヲ寫サシム其拙
0000_,18,443b29(00):ヲトカメサルハ遺孫ノ末ニ系スルヲモテナリ二
0000_,18,443b30(00):三ノ他筆アリミナ一時ノ有名ニシテ嘗テ師ノ德
0000_,18,443b31(00):望ヲ仰ク人ナリ加テ以テ結縁ニ擬ス
0000_,18,443b32(00):一本傳ノ體製欽テ 勅修御傳ニ倣ハントス而シテ
0000_,18,443b33(00):遽カニ似ルコトアタハサルヲ恥ツ且ツ筆ヲ起スノ
0000_,18,443b34(00):始メヨリ瑜伽起信講習ノ際ニ系スモトヨリ力ヲ
0000_,18,444a01(00):一途ニ專ラスルコトアタハサルノミニ非ス語澁フ
0000_,18,444a02(00):リ筆躓ヒテ事前後ヲ謬リ文脈胳ヲ失スルモノア
0000_,18,444a03(00):リ是レ挍閲ヲ待タスシテ急テ上木調卷スルヲモ
0000_,18,444a04(00):テナリ追日歸正ノ本ヲモテコレヲ正スヘシ
0000_,18,444a05(00):一予幼時シハシハ法會ニ咫尺スルコトヲエタリ威
0000_,18,444a06(00):貌堂堂士庶敬服ス音聲枯渴スレトモ響林谷ニ徹
0000_,18,444a07(00):ス婆心丁重ニシテ聽ク人感泣スルニ至ル今ニシ
0000_,18,444a08(00):テコレヲオモフニ决シテ直也ノ人ニ非ス顧視ス
0000_,18,444a09(00):レハ已ニ半百年恍トシテ夢境ニ屬スコノコロ傳
0000_,18,444a10(00):文ヲ紀スルニ及テ再ヒ會座ヲ瞻ルカ如シヒソカ
0000_,18,444a11(00):ニ按スルニ聖賢ノ世ニ處スル經權岐ヲワカチ常
0000_,18,444a12(00):變跡ヲ殊ニス高僧傳ニ科目ヲ別立スルユエンナ
0000_,18,444a13(00):リ師ノ如キハマサニコレヲ感進篇ニ收メンモノ
0000_,18,444a14(00):或ハチカカルヘシ盖シ如是ノ因アツテ如是ノ果
0000_,18,444a15(00):ヲ感ス内ニ充チテ外ニ溢フルルモノト謂ツヘシ
0000_,18,444a16(00):是特ニ其人ニ在テ存ス斷然トシテ他人ノ企望ス
0000_,18,444a17(00):ルコトアタハサル所ナリ今ノ世一椀ノ暖飯一領
0000_,18,444b18(00):ノ溫袍ヲ得マク欲シテミタリニ奇ヲ衒ヒ妙ヲ賣
0000_,18,444b19(00):リ以テ其術ヲ神ニセンコトヲ競フ輩アリ果シテ
0000_,18,444b20(00):西施ノ顰ヲ倣フモノカ只似サルノミニ非スマス
0000_,18,444b21(00):マス亦其醜ヲ加フ昔シハ佛世尊弟子ノタメニ神
0000_,18,444b22(00):通ヲ現スルコトヲ呵シマタ異ヲ顯シ衆ヲ惑ハス
0000_,18,444b23(00):コトヲ誡メ玉ヘリ本傳ヲ讀マンモノスヘカラク
0000_,18,444b24(00):先ツコレヲ知ルヘシ
0000_,18,444b25(00):慶應丁卯三月遺弟无量山淸淨心院沙門行誡敬識
0000_,18,444b26(00):德本行者傳跋
0000_,18,444b27(00):予嘗憾行者之無傳記竊疑家無其人歟抑德之
0000_,18,444b28(00):不及歟一日一行院本良法師擕本傳一帙來示曰
0000_,18,444b29(00):此遺孫某等相會所錄也予擊節嘆曰果有之矣哉
0000_,18,444b30(00):燒香繙之凡貳百餘紙收爲三卷不啻文之爲章
0000_,18,444b31(00):於其書若畵視而可喜矣此傳一出則德之及千
0000_,18,444b32(00):歳不可疑也盖行者大器也其傳晩成寧足憾焉耶
0000_,18,444b33(00):古曰大器晩成其斯之謂歟命書卷尾
0000_,18,444b34(00):慶應丁卯二月佛涅槃日傳通院賜紫沙門俊光誌