0000_,18,115a01(00):無能和尚行業記上 0000_,18,115a02(00): 0000_,18,115a03(00):師諱は學運。字は良崇。世をのがれて後は。みづか 0000_,18,115a04(00):ら守一無能とぞ號せられける。世姓は矢吹氏奧州石 0000_,18,115a05(00):川郡須釜郷の人なり。天性篤實にして身を守ること 0000_,18,115a06(00):醇謹に。姿容美和にして慈仁の心厚く。志節高簡に 0000_,18,115a07(00):して。流俗に群せず。曾て父矢吹氏。男子あまたあ 0000_,18,115a08(00):りければ。大木氏某に約して。養子となしぬ。然る 0000_,18,115a09(00):に師生年十四の春の頃より。人の勸めにもよらざり 0000_,18,115a10(00):しかど。歸佛の念をのづから發り。晨昏佛前に向ひ 0000_,18,115a11(00):て念佛し。阿彌陀經普門品など讀て。二時の念誦。 0000_,18,115a12(00):曾ておこたりなくそ侍る。然るべき宿善の内に催し 0000_,18,115a13(00):けるにや。幼年の昔より。何となく世相をはかな 0000_,18,115a14(00):み。釋氏の風儀をしたふ心のみ深くて。常には佛神 0000_,18,115a15(00):にも。ひたすら出塵の身とならん事をぞ祈請せられ 0000_,18,115a16(00):ける。かかりければ。十六歳の春。みづから髻を剪 0000_,18,115a17(00):て。まさに本意を遂んと思はれしかど。かたがた碍 0000_,18,115b18(00):る事なん侍りて。其年はむなしく心の外に暮行ぬ。 0000_,18,115b19(00):翌年十七歳の春。三月十四日。伊達郡大安寺良覺上 0000_,18,115b20(00):人に投じて。遂に出家得度の素意を遂げ。淨土の章 0000_,18,115b21(00):疏を習讀せらる。天資聰敏にして。英氣秀發してぞ 0000_,18,115b22(00):見え侍る。同年五月籍を州の山崎梅福山に通じて修 0000_,18,115b23(00):學せり。十八歳の秋八月羽州龜岡の文殊に參籠する 0000_,18,115b24(00):こと七箇日。大聖の冥助を仰ぎ。早く如實智を得て。 0000_,18,115b25(00):二利の所願を成滿せん事を祈らる。爾しより後。飯 0000_,18,115b26(00):沼壽龜山。武江三縁山など所所の敎黌にしばしば籍 0000_,18,115b27(00):を移されしかども。若は學若は行。孜孜として寸陰 0000_,18,115b28(00):を惜み。虚しく日を送らるる事なかりき。されば螢 0000_,18,115b29(00):雪鑚仰の扉には。竊に曩祖の蘊奧を探り。論議商量 0000_,18,115b30(00):の筵には。曾て戴憑が重席を學べり。十九歳の夏。 0000_,18,115b31(00):下總國に遊學の時成田山の不動等にまうでで。七日 0000_,18,115b32(00):糓を斷じ。道學の成就をぞ祈られける。不動使者秘 0000_,18,115b33(00):密法を案ずるに。若求無上出世菩提者當淸淨梵 0000_,18,115b34(00):行一心精進。當得種種不思議三昧。不思議境界。 0000_,18,116a01(00):不思議神通。不思議辯才といへり。南無阿左囉大 0000_,18,116a02(00):聖。一持之後生生加護の御利益。賴母しく貴くぞ侍 0000_,18,116a03(00):る。寶永元年五月朔日。師廿二歳山崎の佛祖前に於 0000_,18,116a04(00):て。誓て慾事を斷じ。梵行を固くす同七月より。日 0000_,18,116a05(00):課佛名一萬聲を誓ふ。同年八月州の磐瀨郡大栗村の 0000_,18,116a06(00):阿彌陀堂にして。斷食する事七箇日。晝夜至心に念 0000_,18,116a07(00):佛して。佛の覆護を仰ぎ。信芽の增長を祈請せら 0000_,18,116a08(00):る。同二年山崎良通上人の輪下にして。兩脈の秘璽 0000_,18,116a09(00):を禀け。興蓮社良崇と號せり。同五年十二月望日。 0000_,18,116a10(00):常坐不臥日課三萬稱をちかふ。時に廿五歳なり。翌 0000_,18,116a11(00):年五月廿六歳にして。遁世の宿志を遂られ侍る。墨 0000_,18,116a12(00):の袖いとど色そひて。誠の道も淺からずやといと賴 0000_,18,116a13(00):母し。師曾て遁世の因縁を語りていはく。われ性と 0000_,18,116a14(00):して財欲ふかし。若世上にまじらひ。此身を立んと 0000_,18,116a15(00):思はば。事にふれて。心中の悕望たゆることあるべか 0000_,18,116a16(00):らず。ひたすら俗念のみ深くて。心行は日夜に疎かに 0000_,18,116a17(00):なりもてゆかんは一定なり。しかじ非人法師の身 0000_,18,116b18(00):となりて。稱名の數遍を策まんにはと。かく年ごろ 0000_,18,116b19(00):思ひめぐらして。永く此世を捨侍りつるなり。全く塵 0000_,18,116b20(00):外に逍遙して。安逸を求んとにあらず。只身を輕く 0000_,18,116b21(00):して。世望を少くし。不急の事をさしをきて。數遍 0000_,18,116b22(00):の功を積んとこひねがふ計なり。更に別の意許なし 0000_,18,116b23(00):とぞ申されける。淸少納言が。浦山しき物。誠に世 0000_,18,116b24(00):を思ひ捨たるひじりといひけん。實にも世の中に又 0000_,18,116b25(00):なくうらやましき事のかぎりとぞ覺ゆ 0000_,18,116b26(00):一師剃度の後。三四年の間は。心願おほくして萬の 0000_,18,116b27(00):佛菩薩神天をも念し奉り。種種の行どもを雜修せら 0000_,18,116b28(00):れしかども。宗門の安心熟得の後は。一切の諸願諸 0000_,18,116b29(00):行を廢して。西方の一行を唯願唯行し。正助二行の 0000_,18,116b30(00):外。他事なしとぞ 0000_,18,116b31(00):一師遁世の翌年仲秋朔旦。羽州最上三寶寺の佛前に 0000_,18,116b32(00):て聖を拈り。一向專稱の行者と成て後は。助業を 0000_,18,116b33(00):も兼ず。唯稱名正業をぞ修せられ侍る。其御の次第 0000_,18,116b34(00):一六時禮讃阿彌陀經六念佛卷六萬遍。一六時禮讃三 0000_,18,117a01(00):部經念佛六萬遍。伹し三部經は。日課に修せんとおもばれしかは。兼てことことく暗誦せられきとぞ一 0000_,18,117a02(00):阿彌陀經三卷念佛六萬遍。一一向專稱十萬遍。一同 0000_,18,117a03(00):八萬遍一同七萬遍。已上六鬮右者出離生死一大事の行業 0000_,18,117a04(00):なれは。いかにも佛意を伺ひ奉りて。これを定むへ 0000_,18,117a05(00):しと。既に御鬮を持て佛前に參られけるが。不圖思 0000_,18,117a06(00):ひ出され。不足ながらも一向專稱六萬遍の聖鬮をも 0000_,18,117a07(00):入れ申さんと。立歸りて六萬徧の御鬮を入れ。すな 0000_,18,117a08(00):はち七本の御鬮を寶前に捧げ。護念經を讀誦し。至 0000_,18,117a09(00):心に念佛して。如來の大悲證明を請ひ奉り。目をふ 0000_,18,117a10(00):さぎ。手に信せて一鬮を取り。退きて拜見せられ 0000_,18,117a11(00):けるに。一向專稱六萬遍の聖鬮なり。時に師心大に 0000_,18,117a12(00):不足におもひ。物體なき事ながら。凡情の淺猿さ 0000_,18,117a13(00):は。疑念なきにあらずと。重て祈請して。右七本の 0000_,18,117a14(00):御鬮を中に投擧げ。手を出して受られしかは一本の 0000_,18,117a15(00):御籖すなはち掌に留る。これを拜見せられしに。亦 0000_,18,117a16(00):一向專念六萬遍の御鬮なり。いとありがたき事に思 0000_,18,117a17(00):ひ。此時信心肝に銘じ。立地に助業を省きて。一向 0000_,18,117b18(00):稱名に結歸し。長日六萬遍の行者とぞなられ侍る。 0000_,18,117b19(00):其後一兩年の間は。何角と障る事なとありて。六萬 0000_,18,117b20(00):遍をだに。やうやう勤められし事度度なりき。この 0000_,18,117b21(00):時始て佛意の御計ひ。聖鬮の由あること。身に染て貴 0000_,18,117b22(00):く覺え侍りきと其後草庵籠居以來。修しやすきま 0000_,18,117b23(00):ま。此上は數遍を增修せん事。更に佛意に違すべき 0000_,18,117b24(00):にあらずと。漸漸加增ありて。後には十萬以上を修 0000_,18,117b25(00):せられぬ。其次第下卷に載る所の一期修行畧記の如 0000_,18,117b26(00):し。師平日晝夜不臥にして。沐浴便利の外法衣を脱 0000_,18,117b27(00):がず。便利食時の外念珠を廢せず。息むなしく黈は 0000_,18,117b28(00):ず。或は名號を書し。或は稀に書籍に對せらるる折 0000_,18,117b29(00):にも。一手にはかならず念珠を放たず。口に佛號や 0000_,18,117b30(00):むことなし。もし剃髮沐浴の折には。指を屈して數を 0000_,18,117b31(00):記す。いはんや餘の作務の時をや。常にかくありけ 0000_,18,117b32(00):れば。大樣十萬已上に及べり。嗚呼古德の厲行とい 0000_,18,117b33(00):ふも。あにこれに尚ることあらんやと覺ゆ。然して其 0000_,18,117b34(00):課佛の相。六字を慥かに稱へて字字分明なり。一稱 0000_,18,118a01(00):一顆にして念珠を驀過せず。一言も餘言を以て數に 0000_,18,118a02(00):充ず。その勇猛精進如法の儀。大率かくの如し。 0000_,18,118a03(00):私に按するに。明の蓮池大師。曾て永明禪師の晝夜 0000_,18,118a04(00):に彌陀を念ずる事十萬といへるを。みづから修して 0000_,18,118a05(00):試み給ふに。四字の名號にて正しく十萬を滿ぜり。 0000_,18,118a06(00):若六字なれは。その數滿ることあたはず。十萬とい 0000_,18,118a07(00):へるは大概にていへる事なりと。竹窓三筆に具に其 0000_,18,118a08(00):子細を載せられたり。然るに今師の日課十萬。時に 0000_,18,118a09(00):依て其餘をも修せらるるといふ事。人或は疑ひて虚 0000_,18,118a10(00):誕に近しとせん。故にここに斷はり侍る。師の日課 0000_,18,118a11(00):增して十萬に及ぶこと。一朝一夕にあらず。六箇年の 0000_,18,118a12(00):間にて。諸人のことごとしくれる所なり。更に疑ひ 0000_,18,118a13(00):をなすべからず。明遍僧都の毎日百萬徧の行者を疑 0000_,18,118a14(00):ひ給ひしさへ。善導夢中に來現してこれを呵し給へ 0000_,18,118a15(00):り。雲棲の評は。後賢の議論に任せて。玆に記せ 0000_,18,118a16(00):ず。近代隆長闍棃の但信鈔にいはく。若は僧にもあ 0000_,18,118a17(00):れ。若は俗にもあれ。念佛の行者ならは。先數遍を 0000_,18,118b18(00):第一とすべし。いにしへ鞍馬寺の重怡上人は四千日 0000_,18,118b19(00):の間。日毎に念佛十二萬遍を唱へ給ふ。藤原宗友の本朝新修往生傳 0000_,18,118b20(00):に見えたり 隆寬律師隆堯法印は。共に日課の稱名八萬四 0000_,18,118b21(00):千遍なり。かかる數遍の行者。今の世にはあるべく 0000_,18,118b22(00):も思はざりしに、近き比洛陽誓願寺より出て。壬生 0000_,18,118b23(00):の邊に住る念佛の僧あり。私に云く專意法師といふ人なり日課念佛八 0000_,18,118b24(00):萬四千遍なり。又丹波の國に隱れ居たまへる義高高 0000_,18,118b25(00):雲の二比丘。日所作稱名十萬遍なりと語りし人あ 0000_,18,118b26(00):り。志深けれは難捨能捨難作能作侍るにや。長明 0000_,18,118b27(00):か言の如く。末の世の人とても。人ごとに下根なる 0000_,18,118b28(00):にはあらずと云云今無能和尚の所爲を觀て知りぬべ 0000_,18,118b29(00):し 0000_,18,118b30(00):一師時年卅一歳。正德三年四月十七日。伊達郡小島 0000_,18,118b31(00):村梅松寺寓居の時剃刀を以て。みづから婬根を斷却 0000_,18,118b32(00):せられけり。小島村は所に外科醫なきに依て。五日を 0000_,18,118b33(00):過て治療せられしに。其創三十日程の内に大かた平 0000_,18,118b34(00):愈せりとぞ。或人婬根斷却の意地を尋ねしに。師語 0000_,18,119a01(00):りて云く唐の靑龍寺に釋光儀といひし人あり。みつ 0000_,18,119a02(00):から根を斷て非法の障難を遁れ。志を守りて利益お 0000_,18,119a03(00):ほかりし事。僧傳に稱する所なり。われ是を見て甘 0000_,18,119a04(00):心して思はく。古今智愚ともに。人慾の嶮き道をふ 0000_,18,119a05(00):みて平生を誤る例おほく。又行化の方にも。世の譏 0000_,18,119a06(00):嫌を受ること少からず。されは自行化他の爲。旁根を 0000_,18,119a07(00):切て僧行を堅くせんと。こひ願ふこと年久し。然れと 0000_,18,119a08(00):も。是に依て。もし癈人ともなりなは。却て修行の 0000_,18,119a09(00):妨ならんと。深く恐慮して延引せし所に。栂尾の明 0000_,18,119a10(00):惠上人遺敎經の文に付て。佛法の爲には身命をもか 0000_,18,119a11(00):へりみるべきにあらずとて。則みづから右の耳を切 0000_,18,119a12(00):り給ひし事。彼傳記にしるされしを見て。たちまち 0000_,18,119a13(00):勇猛決定の心起りて。遂に所存を果し侍りきとぞ申 0000_,18,119a14(00):されける。然るに其後さらに病惱なく。勇猛堅固に 0000_,18,119a15(00):苦修練行しおはしける事諸人のことごとく知れる所な 0000_,18,119a16(00):り 0000_,18,119a17(00):私に云。唐朝の光儀根を斷て利益おほかりし事。宋 0000_,18,119b18(00):高僧傳第廿六興福篇に見えたり。具に文に對して撿 0000_,18,119b19(00):ふべし今案ずるに。この前陰斷却の事。光儀律師無 0000_,18,119b20(00):能和尚の如き志あらは可なるへし。普通の人のみだ 0000_,18,119b21(00):りに學ぶべき事にあらず。爲霖禪師のいへる如く。 0000_,18,119b22(00):大凡初心入道の人。婬心の息ざる事をうれへて。根 0000_,18,119b23(00):を斷んと欲するは。その切に行道の爲に志を用るこ 0000_,18,119b24(00):と。誠に貴ぶべしといへども。欲心熾盛なる者。た 0000_,18,119b25(00):だその勢を斷ぬれば淫心息とのみ思はば。甚不可な 0000_,18,119b26(00):りと。猶又四十二章經法句譬喩經第一。義淨三藏の 0000_,18,119b27(00):南海傳第四等に誡あり。能能斟酌すべき事なり 0000_,18,119b28(00):一師專修一行の身となられける年。十二月廿九日の 0000_,18,119b29(00):夜持戒者の事など思惟して。われ持戒にて念佛せん 0000_,18,119b30(00):か。將凡僧のままにて念佛せんかなと。彼是思ひわづ 0000_,18,119b31(00):らひてまとろまれけるに。其明方の夢に。誰とも思 0000_,18,119b32(00):ひわかざる高僧一人來りて示し給ひけるやう。只 0000_,18,119b33(00):上人の一開永不閉の旨を守るべし暫開の定散をおも 0000_,18,119b34(00):ふべからずと。師この言を聞て夢さめ。感喜身にあ 0000_,18,120a01(00):まり。すなはち筆を秉てこれをしるしをかれ侍る。 0000_,18,120a02(00):しかしより後は。持戒の心をやめて。只凡僧の身に 0000_,18,120a03(00):て念佛せられ侍りき。師平生元祖大師の禪勝上人に 0000_,18,120a04(00):示し給へる御詞に。現世を過べきやうは。念佛の申 0000_,18,120a05(00):されん方によりて過べし。念佛の障りになりぬべか 0000_,18,120a06(00):らん事をは厭ひ捨べしと宣たまへるを。深く心に留 0000_,18,120a07(00):て。その如く身を進止せられけり。 0000_,18,120a08(00):今私に案するに。念佛者の中に。持戒念佛の機あ 0000_,18,120a09(00):り。但念佛の機あり但念佛の人も。廢惡修善の正見を 0000_,18,120a10(00):具したる上に。彌陀別意の弘願を信する事なり。惣 0000_,18,120a11(00):じて念佛の行者。戒の有無。見の邪正等の事。ここ 0000_,18,120a12(00):に盡すべきにあらす。具に洞空上人の淨土護法論に 0000_,18,120a13(00):辨ずるが如し。因に記主禪師。曾て世人の念佛者に 0000_,18,120a14(00):廢惡の義なしといへる謬を論じて宣へることあり。然 0000_,18,120a15(00):るに念佛者。心を淨土に係て。一萬十萬を勤行する 0000_,18,120a16(00):の時。或は安心に制せられ。或は起行に防がれて。 0000_,18,120a17(00):三毒しばらく息み。七支身三殺盜婬口四妄語綺語惡口兩舌也おこらず。豈 0000_,18,120b18(00):念佛に廢惡を具するにあらずや。然りといへども。 0000_,18,120b19(00):凡夫具縛の行人なれば。しばしば退ししばしば起 0000_,18,120b20(00):る。この惡を治せんか爲に。隨犯隨懺するなりと 0000_,18,120b21(00):玄記三稱名の行人よろしくこれを思ふべし。今無能和 0000_,18,120b22(00):尚曾て制誡七十二件を錄して。みづから心行の警策 0000_,18,120b23(00):に備へ。逐一にこれを依行せられ侍りき。其錄下卷 0000_,18,120b24(00):に載るが如し 0000_,18,120b25(00):一師日課念佛十萬有餘。一萬聲ごとに。ことさら發 0000_,18,120b26(00):願回向を用ひられけり。師語りていはく。日課を勤 0000_,18,120b27(00):むるに。堅く數を記すれば。定課の外。餘分を勤め 0000_,18,120b28(00):勵すに。勇みあり。この故に固く數を認るなりと。 0000_,18,120b29(00):餘人にもかく勸められ侍る。これに依て。師最初發 0000_,18,120b30(00):心より以來。日課の數を記し置て。惣數を計られけ 0000_,18,120b31(00):る。これ惠心永觀なとの先蹤に俲ふよし申されき。 0000_,18,120b32(00):甞て七日別行の内。百萬遍を成滿せられし事六箇 0000_,18,120b33(00):度。師一生自修の念佛通計するに。大凡三億六千九 0000_,18,120b34(00):百三十萬徧なり。億に四等あり。今は萬萬を一億と 0000_,18,121a01(00):して積る所也 0000_,18,121a02(00):一師享保二年九月。安達郡本宮にて瘧疾をいたはり 0000_,18,121a03(00):申されしに。所勞ことに劇しかりつれども。十萬の日 0000_,18,121a04(00):課一日も怠りなく。却つて尋常よりも增修せられけ 0000_,18,121a05(00):り。熱甚しき折には。水にて唇をうるほしなどして 0000_,18,121a06(00):勤られき。勤行の時は。杖にて佛間へも參られ。一 0000_,18,121a07(00):時も怠慢なく勤め申されき。謂つべし造次顚沛にも 0000_,18,121a08(00):かならずここにをいてすと 0000_,18,121a09(00):一師平素。威儀質朴にして華異を好まず。よろつ人 0000_,18,121a10(00):の目立べき事これなし。誓つて勞を人に施さず。口 0000_,18,121a11(00):に淡薄を甘んじて滋味を嗜まず。繒纊の類ひ。かつ 0000_,18,121a12(00):て身にふるる事なく。資身の具。餘長を貯へす。施 0000_,18,121a13(00):財の分。何によらず固く辭して受られず。但し遁世 0000_,18,121a14(00):以前に學問料とて。少少貯へ置れし淨財を。人の許 0000_,18,121a15(00):預き置き。その利息にて形のごとくに。衣食の資縁 0000_,18,121a16(00):なと計らひ申されき。これによつて萬質素にして。 0000_,18,121a17(00):儉約を守られ侍る。又勸化招待の事ありて。遠方へ 0000_,18,121b18(00):出られ候にも。其路費は。いつも自分の物受用せら 0000_,18,121b19(00):れき。又名號なと望申者には。日課一萬五千聲の契 0000_,18,121b20(00):約にて授與せらる。渡世に抅はらさる老人。或は剃 0000_,18,121b21(00):髮入道なとの暇ある身には。二萬三萬以上の日課に 0000_,18,121b22(00):て授られき。かくて名號受持の者。凡三千餘人な 0000_,18,121b23(00):り。これらの名號の料帋筆墨まて。悉く自分の阿堵 0000_,18,121b24(00):の物にて施與せられ侍る 0000_,18,121b25(00):一師懇切の法友同行に參會の折にも。法話の外は急 0000_,18,121b26(00):切の事にあらされは。一向に世間物語せられす。設 0000_,18,121b27(00):ひ快活の事なとある折にも。ただ莞爾として微笑せ 0000_,18,121b28(00):らるるのみ。いまだ曾て口を開て。訶訶大笑せられ 0000_,18,121b29(00):し事なし。楞嚴先德のいはく。然麁強惑業令人覺 0000_,18,121b30(00):了。但無義語。其過不顯恒障正道善應治之。行 0000_,18,121b31(00):者常於娑婆依正生火宅想絶無義語相續念佛。 0000_,18,121b32(00):光明大師の宣はく。戯咲作罪多劫受。不惜佛意 0000_,18,121b33(00):取人情と。師常にこれらの御語を深く依信せられ 0000_,18,121b34(00):き。師久しくとて。他方へ出られ候折にも。親しき 0000_,18,122a01(00):法友の許へも。ことさらには尋訪らはるる事なし。 0000_,18,122a02(00):まして請用の饗應など一切うけられ侍らず 0000_,18,122a03(00):一師常に恭敬修を第一とせられき。されは白地に佛 0000_,18,122a04(00):前に向はれ候にも。其風情まことに大賓などに對す 0000_,18,122a05(00):るがごとく。いと等閑ならずぞ見えける。西方要决 0000_,18,122a06(00):に但想尊容當如眞佛といへり。因に閑亭後世 0000_,18,122a07(00):物語に記す。隆寬律師の門人の記する所なり。問本尊に向ひ奉る時は。 0000_,18,122a08(00):外に生身の佛御坐とおもふべきか。又此繪像木像こ 0000_,18,122a09(00):そ。頓て生身の佛よと思ふべきか。答二の義共に違 0000_,18,122a10(00):はず。敬日上人のいはく。此形像を以て。生身の佛 0000_,18,122a11(00):を想像便として。此佛だにも。めでたくおはしま 0000_,18,122a12(00):す。まして生身の佛。いかに愛たくおはしますらん 0000_,18,122a13(00):と。戀しく思ひ奉れは。此形像に思ひ馴奉りて生身 0000_,18,122a14(00):の佛を見奉る也と云云明遍僧都のいはく。此本尊の 0000_,18,122a15(00):外に。生身の佛おはしまさず。この繪像木像を。頓 0000_,18,122a16(00):て生身の佛と思ふこそ。本尊に向ひ奉る甲斐なれ。 0000_,18,122a17(00):眞言敎にも。此本尊を軈て生身と思ひて行へばこ 0000_,18,122b18(00):そ。悉地もかならず疾成就すれと云云上人の宣は 0000_,18,122b19(00):く。生身の佛。この本尊に入給へは。本尊の御眼に 0000_,18,122b20(00):見へ奉るは。頓て生身の御眼に見へ奉ると思ふべ 0000_,18,122b21(00):し。本尊の御耳に申す事聞れ奉るは。やがて生身の 0000_,18,122b22(00):御耳に聞れ奉ると思ふべし。かやうに思へば。本尊 0000_,18,122b23(00):に向ひ奉る功德。目出たき事なりと已上隆寬 0000_,18,122b24(00):一師の言貌さはめて溫柔謙下なりといへども。常に 0000_,18,122b25(00):膝下に侍する者も肅み敬ふて。あへて媟慢する事な 0000_,18,122b26(00):し。その道骨の凛然たること知ぬべし。師晝夜常に 0000_,18,122b27(00):危坐しておはしける。設ひ燕居の折にも。いまだか 0000_,18,122b28(00):つて胡床かきて大坐せれしを見ずと。又師晝夜共に 0000_,18,122b29(00):直綴の上に腰帶を堅く縮て身を聳かしおはしける。 0000_,18,122b30(00):或人その故を尋ねしかは。師申さるるやう。身持心 0000_,18,122b31(00):ずかひ常に旅に出立たる想ひすれば。心發輝として 0000_,18,122b32(00):念佛も勇み進むゆへ。不斷にかく仕着侍るなりと。 0000_,18,122b33(00):又問ふ。多年左樣におはしますやと。師答ていはく 0000_,18,122b34(00):この十箇年ばかり以來。かく心懸侍りきと。是を 0000_,18,123a01(00):を聞し人。みなその勇猛精進の儀を感ぜずといふ事 0000_,18,123a02(00):なし。かの心戒上人の常に蹲踞せられし風情。古德 0000_,18,123a03(00):の。暫時もこれなけれは。死人に同じといへる事。 0000_,18,123a04(00):思ひ合せて。いと貴ふとし。又禪林の拾因に。傳聞 0000_,18,123a05(00):有聖。念佛爲業專惜寸陰。若人來謂自他要事。 0000_,18,123a06(00):聖人陳曰。今有火急事。既逼於旦暮塞耳念佛終 0000_,18,123a07(00):得往生とあるを。師ひそかにこれを慕ひて。所居 0000_,18,123a08(00):の草庵を塞耳と號し。寤寐に稱念して。片時も懈ら 0000_,18,123a09(00):ず。能かの聖の跡を學はれ侍る 0000_,18,123a10(00):一師自修の專なるのみにあらず。兼て有縁を勸め 0000_,18,123a11(00):て。法誨おこたりなかりき。吉水大師曾て聖覺法印 0000_,18,123a12(00):に示して宣へる事あり。淨土宗の學者は。先此旨を 0000_,18,123a13(00):知べし。有縁の人の爲には。身命財を捨ても。偏へ 0000_,18,123a14(00):に淨土の法を説べし。自の往生の爲には。諸の囂塵 0000_,18,123a15(00):を離れて。專念佛を修すべし。此二事の外。また 0000_,18,123a16(00):く他の營なしとぞ仰られける十六門紀今師の制誡錄を 0000_,18,123a17(00):見るに。大悲を荷擔して。敎化に懶き事なけんと誓 0000_,18,123b18(00):はれ侍る。全く祖師の寶訓に相叶ひ侍るをや。師素 0000_,18,123b19(00):より。懸河の辯を具して音聲淸亮なり。唱導の材を 0000_,18,123b20(00):兼て。多衆を勸奬せらる。されは惡趣の恐るべきあ 0000_,18,123b21(00):りさま。淨土のねがふべき粧ひ。波瀾舌端に起り。 0000_,18,123b22(00):珠玉口吻に生ず。一たび高座に昇られしかは。道俗 0000_,18,123b23(00):聞をかたふけ。貴賤耳を淸む。この故にわづかに至 0000_,18,123b24(00):り向はるる所は。遠近踵をつぎ。數千萬人。群をな 0000_,18,123b25(00):して來詣すること。盛なる市よりも甚し。その勸化の 0000_,18,123b26(00):詞。諄諄として。農民樵夫漁父獵師の輩。幼年の小 0000_,18,123b27(00):兒までも。一たび其説を聞て。信心を激發し。立地 0000_,18,123b28(00):に惡を改め。佛を稱ふる類ひ。其數をしらず。邊域 0000_,18,123b29(00):の佛化に疎き所にて。かく國こぞりてまふするあり 0000_,18,123b30(00):さま。誠に權化の人ならては。かかる不思議はあり 0000_,18,123b31(00):がたかるべしとぞ覺え侍る。至誠の人に入ること深 0000_,18,123b32(00):しとは。この謂なるべし 0000_,18,123b33(00):一師伊達郡飯野村觀音寺にて。折折法談ありけり。 0000_,18,123b34(00):或時法談の後。彼地の同行一兩輩と。野邊に出て眺 0000_,18,124a01(00):望せられけるが。山間に破れ傾きたる茅屋の見えし 0000_,18,124a02(00):を。あれはいかなる者の住所にやと問はれけれは。 0000_,18,124a03(00):同行の人かしこには。癩病人ども數多集り居候よし 0000_,18,124a04(00):申す。師申されけるは。彼等は定て法化に預る事も 0000_,18,124a05(00):あるまじけれは。他生には又冥より冥に入り。苦よ 0000_,18,124a06(00):り苦に入りなん。いと不便の事なりと。すなはち彼 0000_,18,124a07(00):小屋に立入て勸化せられ侍りしに。思ひの外に彼者 0000_,18,124a08(00):ども。たちまち信心を催し。ことごとく日課念佛を 0000_,18,124a09(00):拜受してけり。其中に手足繚戾し。指なと落たるも 0000_,18,124a10(00):ありて。數珠を取り。員を認ることあたはず。いかが 0000_,18,124a11(00):し侍らんと尋ね申せしかは。師告られけるは。此中 0000_,18,124a12(00):に數珠を持て勤る者の側に居て。其者の數を以て。 0000_,18,124a13(00):わが數を知るべしと。敎へられしに。皆ことごとく 0000_,18,124a14(00):悅びあへり。その後。かの者共相寄て。本尊を請じ 0000_,18,124a15(00):奉り。鉦皷など求て。勇猛に念佛相續しけるとなん 0000_,18,124a16(00):聞え侍る。昔極樂寺の忍性菩薩。伽摩羅疾の者あま 0000_,18,124a17(00):た集めて。其食を給し。爲に八齋戒を授け給ひしと 0000_,18,124b18(00):なん元亨釋書慈心物にあまねき事。古今一揆なるものを 0000_,18,124b19(00):や 0000_,18,124b20(00):一信夫郡八町目。安達郡本宮なといへるは。遊君あ 0000_,18,124b21(00):また住む所なり。師ひそかに思へらく。たまたま爪 0000_,18,124b22(00):上の人身をうけ。龜木の佛敎にあふといへども。淫 0000_,18,124b23(00):女のつたなき報ひを得て。日夜に障罪を重ね。空し 0000_,18,124b24(00):く惡趣に沈みなん。いとかなしきわざなりと。すな 0000_,18,124b25(00):はちみづから彼所に行て。彌陀の本誓。もとより機 0000_,18,124b26(00):の善惡を簡ばざれば。深く本願を賴みて至心に念佛 0000_,18,124b27(00):せば。往生疑ひあるまじき旨。ねんごろに敎化せら 0000_,18,124b28(00):れしに。遊君の中。深く信心を發して日所作なと受 0000_,18,124b29(00):しものあまたこれありとなん。長明がいへる如く。 0000_,18,124b30(00):宅をならふる住民は。人を宿して主とし。窓にうたふ 0000_,18,124b31(00):君女は。客をとどめて夫とす。あはれむべし千年の 0000_,18,124b32(00):契りを。旅宿の一夜の夢に結ひ。生涯の樂みを。往 0000_,18,124b33(00):還の諸人の望に係く。翠悵紅閨萬事の禮法ことなり 0000_,18,124b34(00):といへども。草の廬柴の扉一生の歡會これおなじ。 0000_,18,125a01(00):櫻とて花めく山の谷ほこり。をのが色香も春は一と 0000_,18,125a02(00):きと。誠にはかなきわざなり。むかし室の泊の遊女 0000_,18,125a03(00):が。冥きよりくらき道にぞ入ぬべき。はるかに照ら 0000_,18,125a04(00):せ山の端の月とうたひて。中川の少將の上人に結縁 0000_,18,125a05(00):し奉り。吾吉水大師も又かの泊を過ぎ給ひし時。遊 0000_,18,125a06(00):君を敎化し給ひし事など思ひ合するに。化導の多端 0000_,18,125a07(00):なること貴ふに足れり 0000_,18,125a08(00):一師素より。單修の少學を好みて。愽涉を縡とせ 0000_,18,125a09(00):ず。殊更後には。稱名に暇を惜みて。一向に書籍を 0000_,18,125a10(00):も廢せられし故。勸化の節にも。訓讀はいつも選擇 0000_,18,125a11(00):集ばかり用ひられ。説相も新奇の事を要とせず。た 0000_,18,125a12(00):だ宗門の心行作業の沙汰のみ。ねんごろに申談ぜら 0000_,18,125a13(00):れ侍りき 0000_,18,125a14(00):一日課念佛授與の事。千人までは。聊宿願あるに依 0000_,18,125a15(00):て。自分の方より。達ても勸められなとして。六七 0000_,18,125a16(00):年を經てやうやう其數を滿ぜられき。扨師遁世の後 0000_,18,125a17(00):は。學問稽古など廢せられしかは。われ淺學無德の 0000_,18,125b18(00):身を以て廣く勸化せん事。人儀冥慮かたがた憚りあ 0000_,18,125b19(00):りとて遠慮せられけるが。諸人の懇請のがれ難きに 0000_,18,125b20(00):よりて。時時勸化せられけり。其後次第に機縁純熟 0000_,18,125b21(00):し。就中この六七年來。所化の道俗の中。種種の現 0000_,18,125b22(00):益などあるに依て。三年の間に。日所作授與の者。 0000_,18,125b23(00):十四萬餘人に及へり。抑勸化の最初より。終焉の時 0000_,18,125b24(00):節まで。日課同所の數を計るに。總て十六萬九千一 0000_,18,125b25(00):百七十餘人を得たり。此中百遍以上十萬以下を勸め 0000_,18,125b26(00):らる。但し百遍以上を勸むる事は。宋朝の蓮花勝 0000_,18,125b27(00):會。本朝の融通念佛の舊例に准じて。邊鄙の拙き機 0000_,18,125b28(00):を鑑み。時宜に隨ひて是を勸むる由申されき。右の 0000_,18,125b29(00):内一萬人程は。幼兒の代りに親などの修せしもあ 0000_,18,125b30(00):り。或は亡者の追薦に勤めしも侍るとぞ 0000_,18,125b31(00):因に記す。人をすすめて念佛せしむる功德を述べ 0000_,18,125b32(00):は。龍舒淨土文に依るに。一人を勸めて淨土を修せ 0000_,18,125b33(00):しむるは。一衆生の作佛を成就するなり。凡作佛す 0000_,18,125b34(00):る者は。かならず無量の衆生を度す。かの度する所 0000_,18,126a01(00):の衆生は。皆われよりして始まれる故。其福報つく 0000_,18,126a02(00):ることあることなしと。大慈菩薩の勸修西方の偈を 0000_,18,126a03(00):引て云。能勸二人修。比自己精進。勸至十餘 0000_,18,126a04(00):人。福德已無量。如勸百與千。名爲眞菩薩。又能 0000_,18,126a05(00):過萬數。即是阿彌陀。唐に房翥といひし人あり。 0000_,18,126a06(00):暴に死して陰府に至り閻魔王にま見ゆ。閻王のいは 0000_,18,126a07(00):く。案簿によるに。君曾て一老人を勸めて念佛せし 0000_,18,126a08(00):む。その人既に淨土に生ぜり。君この福德に依て。 0000_,18,126a09(00):又淨土に生ずべし。故に召し來て相見ると。房翥か 0000_,18,126a10(00):云。それがし先に金剛經萬卷を讀み。五臺山を巡禮 0000_,18,126a11(00):せんといふ願を起して。いまだ果さず。これに依て 0000_,18,126a12(00):淨土に生ぜん事を欲せずと。閻王の云。誦經と巡禮 0000_,18,126a13(00):と。まことに好事なりといへども。早く淨土に生ず 0000_,18,126a14(00):るには如ずと。されども閻王その志の奪ふべからざ 0000_,18,126a15(00):る事をしりて。此界に還されけると。是を以て知る 0000_,18,126a16(00):べし。人を勸めて修せしむる者は。只往生を得るの 0000_,18,126a17(00):みにあらず。又幽冥を感動せしむることを。猶つぶ 0000_,18,126b18(00):さに淨土文に見えたり。 0000_,18,126b19(00):一師所所に行化せらるるといへとも。或は寺院建立 0000_,18,126b20(00):の助縁なといひて。説法願ひ候所へは。一向に參ら 0000_,18,126b21(00):るる事なし。又本より自身の上にも。左樣なる勸化 0000_,18,126b22(00):は。生涯曾てこれなし。只諸人へ念佛勸進の爲とて 0000_,18,126b23(00):請せらるる方へは。いづくへも縁に任せて參られ侍 0000_,18,126b24(00):りき。師の生質かく偏なる所ありしとぞ 0000_,18,126b25(00):一歸依の信者の中に。或は聖境感見し。或は種種の 0000_,18,126b26(00):現益なと蒙り候事。かれこれ沙汰しあへるに付て。 0000_,18,126b27(00):師申さるやう。念佛の機縁純熟して。有信の人のま 0000_,18,126b28(00):ま靈益を蒙るは。これしかしながら。諸人の信を勸 0000_,18,126b29(00):發せんとの。冥慮にてあるべし。全く自身の上の奇 0000_,18,126b30(00):特を衒ふにもあらず。強に世の評議を憚りて。これ 0000_,18,126b31(00):をつつまは。却て冥慮を覆ひ隱すにも成べしとて。 0000_,18,126b32(00):現益靈夢等のこと。誓書誓詞を以て。注進せるをは。 0000_,18,126b33(00):悉く收め置かれけり。師或時喟然としていはく。近 0000_,18,126b34(00):年緇白の中には。現益をかうふる類ひ。あまたこれあ 0000_,18,127a01(00):る所にいかなる業障故か。自身の上には。曾てなに 0000_,18,127a02(00):の好相をも見奉らずとそ申されける。 0000_,18,127a03(00):私に案ずるに。をよそ深信の行者。念佛の現益を感 0000_,18,127a04(00):ずる事は。世の恠力亂神の類ひにあらず。本これ佛 0000_,18,127a05(00):の大慈悲因位萬善の功德力より起りて。信者の機感 0000_,18,127a06(00):に應じて。自然に種種の利益を施し給ふ。大圓鏡に 0000_,18,127a07(00):諸の色像を現ずるが如し。これを感應道交といふ。 0000_,18,127a08(00):宋の通惠大師。佛法の中の恠を論じていはく。此恠正 0000_,18,127a09(00):恠也。在人情則謂之恠。在諸聖則謂之通感 0000_,18,127a10(00):而遂通と天台大師の觀經疏に涅槃經を引ていはく。 0000_,18,127a11(00):我實不往慈善根力能令衆生見如斯事と。誠に賴 0000_,18,127a12(00):母しきにあらずや。凡夫の情量を以て。これを疑ふ 0000_,18,127a13(00):べからず 0000_,18,127a14(00):一師の念佛勸化。近年種種の奇瑞あるに付て。道俗 0000_,18,127a15(00):男女の歸依渴仰日を逐てあさからず。よつて師の老 0000_,18,127a16(00):漢良覺上人。對面の度ごとに。勝他名聞の心なと深 0000_,18,127a17(00):く愼まるべしと。異見を加へられしに。師かしこま 0000_,18,127b18(00):り申さるるは。それがし罪惡深重の身と覺悟いたし 0000_,18,127b19(00):候上は。御心安かるべし。但し凡心の事に候へは。 0000_,18,127b20(00):自然に一念萠し候とも。二念とは續ぎ申まじく存ず 0000_,18,127b21(00):るなりとぞ。答へ申されける 0000_,18,127b22(00):一師の德香。をのづから遐邇に聞えしかは。一宗の 0000_,18,127b23(00):高德。他門の碩匠。その風を望みて。嘉歎せらるる 0000_,18,127b24(00):類ひ。少からず。洛陽花頂の義山上人康存の日。師 0000_,18,127b25(00):の勸化現益の事。遙かに傳へ聞給ひて。隨喜の思ひ 0000_,18,127b26(00):淺からず。その現益集の草案を乞ひ求めて。これを 0000_,18,127b27(00):病中に披覽し。すなはち感仰のあまり。門人を召 0000_,18,127b28(00):て。此現益集題號を近代奧羽念佛驗記と改め。板に 0000_,18,127b29(00):鏤めて世に流行すべき旨。ねんごろに顧命し給ひけ 0000_,18,127b30(00):り。念佛勸化現益集は。前後集共に二十三册。載る 0000_,18,127b31(00):所の奇特。惣て一千二百六十條あり。これ諸方よ 0000_,18,127b32(00):り。誓紙誓語を以て注進せるを。師一一に證明し 0000_,18,127b33(00):て。草稿のままにて納め置かれし者なり。義山上人 0000_,18,127b34(00):へ進呈せられしは。其中より僅かに數十條を抄出せ 0000_,18,128a01(00):るなり。又江戸崎大念寺義譽觀徹上人も。曾て師の 0000_,18,128a02(00):道風を重じ給ひ。景慕のあまり。名號大小二幅。并 0000_,18,128a03(00):に慈引堂といへる扁額を染筆し給はるべき由。望み 0000_,18,128a04(00):遣はされけり。師ふかく辭し申されしかども。頻に 0000_,18,128a05(00):のぞみ給ひしゆへ。共にこれを書して進ぜられける 0000_,18,128a06(00):に。上人なのめならず悅ひ給ひけるとなん 0000_,18,128a07(00):一師染筆授與の名號。しばしば奇瑞ありける故。諸 0000_,18,128a08(00):人願ひて奉持する者。甚おほし。多分は京都に上 0000_,18,128a09(00):せ。叮寧に裱して奉持し侍る。其中御幸町姉小路 0000_,18,128a10(00):片岡某といへる褙匠の許へ誂へ遣す者多し。これに 0000_,18,128a11(00):依てかの褙匠。師の德望を聞て信敬し。遙かに師を 0000_,18,128a12(00):拜して日課念佛を誓約し。報恩の爲とて。先祖より 0000_,18,128a13(00):家に祕重せし。慧心僧都親筆の三尊來迎の靈像一鋪 0000_,18,128a14(00):を師の許。送りまいらせけり。然るに此瑞像師の禪 0000_,18,128a15(00):室に入せ給ふ前夜。師不思議の夢を感ぜられ。尊像 0000_,18,128a16(00):の樣子夢の所見と聊も違はずとなん。ことさら感仰 0000_,18,128a17(00):ふかかりけり。其頃相馬性澄和尚の許より。僧都所 0000_,18,128b18(00):製の來迎讃を送られけるに。師始てこれを披閲し 0000_,18,128b19(00):て。信敬あさからず。諸人にも念佛に嬾き折には。 0000_,18,128b20(00):此讃を諷詠して助業とすべきよし示され侍る。然る 0000_,18,128b21(00):に其境節にあたりて。はからず僧都手澤の來迎の像 0000_,18,128b22(00):を得られし事。誠に感通の至りなりと。皆人隨喜し 0000_,18,128b23(00):けり 0000_,18,128b24(00):臨末并に沒後の事 0000_,18,128b25(00):一師曾て伊達郡北半田小島川俣なと所所に居を移さ 0000_,18,128b26(00):れしかども。自行化他の勤さらに怠りなかりき。抑 0000_,18,128b27(00):師東域の化縁。やうやく盡きて。西土の本懷。まさ 0000_,18,128b28(00):に近づきけるにや。享保三年春の季つ方より。いさ 0000_,18,128b29(00):さかはづらはしくおはしけるが。遂に北半田の禪房 0000_,18,128b30(00):に止まりて。終焉の思ひあり。生涯いく程ならず。 0000_,18,128b31(00):死期ちかきにありと悅ひ給ふを。聞人みなあはれに 0000_,18,128b32(00):たうとくぞ思ひ侍る。同秋の季より所勞日日に增氣 0000_,18,128b33(00):しけれは。門弟等をのをの誠を盡していたはり奉り 0000_,18,128b34(00):ける。同十二月廿五日。門人を集めて。臨末の方軌。 0000_,18,129a01(00):沒後の次第など具に遺囑し。又別に遺訓五件を書し 0000_,18,129a02(00):て受化の道俗に示さる。かつ告ていはくわが病此度 0000_,18,129a03(00):必死と思ひ定めぬ。仍て近き内臨終の道塲に入らん 0000_,18,129a04(00):と思ふなり。さもあらは。日ころ申せし如く。無用 0000_,18,129a05(00):の者を病床の邊へ近つくべからず。只隨侍の者一兩 0000_,18,129a06(00):人。かはるかはる病牀に在りて。間斷なく念佛を勸む 0000_,18,129a07(00):べし。平生十萬の日課。今日まで一日も懈らず。今 0000_,18,129a08(00):日よりは。念珠を取るとも。必しも數を認ずして。 0000_,18,129a09(00):出入息に任せて隨分に念佛すべし。われ若怠る氣色 0000_,18,129a10(00):見えなは。側にて靜かに唱へて聞すべし。固く數を 0000_,18,129a11(00):記する事は。平生の間。懈怠の心をいましむる爲な 0000_,18,129a12(00):り。今病床に臨ては。萬事嬾き間。數にかかはらず 0000_,18,129a13(00):して。唯稱名退轉なく。相續するこそ詮要なれ。又 0000_,18,129a14(00):今日よりは不臥をも止て。平床に伏すべし。われ年 0000_,18,129a15(00):來不臥せし事は。全く數遍を策さんと欲してなり。 0000_,18,129a16(00):脇を席に著て。心安く臥しぬれは。本より睡眠ふか 0000_,18,129a17(00):き生質にて。心いよいよ惛沈になり行。かつ橫寢に 0000_,18,129b18(00):ては。念珠を搯るに便りあしし。是等の故ありて不 0000_,18,129b19(00):臥をなし侍るなり。今既に臨終に及ひて。支躰疲れ 0000_,18,129b20(00):ぬ。いかにも身を安く持て。口に稱名たえざるやう 0000_,18,129b21(00):にするを第一とおもふなり。われ正しく命終に臨ま 0000_,18,129b22(00):は。枕の邊に一兩人居て。息の絶え終るまて。引磬 0000_,18,129b23(00):を鳴して靜かに念佛し。加持土砂の淨水にて。時時 0000_,18,129b24(00):唇をうるほすべし。既に息絶えおはりなは。次の間 0000_,18,129b25(00):にて靜かに鉦皷を打て同音に念佛し。暖氣ことこと 0000_,18,129b26(00):く去て後沐浴し。庵の邊に地を卜て土葬に成し。其 0000_,18,129b27(00):上には松にても植置べし。かならず墳墓を嚴重にす 0000_,18,129b28(00):へからず。尤葬儀も密かに執り行ひ。隨身の者相寄 0000_,18,129b29(00):て念佛囘向して葬るべし。又沒後にわが爲に追福の 0000_,18,129b30(00):志あらは。をのをの自身の住所に歸りて密かに念佛 0000_,18,129b31(00):して回向せらるべし。道俗あまた相寄て。二夜三日 0000_,18,129b32(00):七日七夜などの別時念佛を修する事。ゆめゆめある 0000_,18,129b33(00):べからずと。この趣元祖大師の御遺誡に見へたり漢語灯錄に載らる若わりなき同行。 0000_,18,129b34(00):わが庵室にて強て追薦をいとなまんと欲せは。七日 0000_,18,130a01(00):ごとの宿忌に各こころに任せて。一會づづも念佛せ 0000_,18,130a02(00):らるべし。又佛前にわが位牌を立置ことあるべから 0000_,18,130a03(00):ず。われ曾て世上を見るに。佛前の中心に靈牌を安 0000_,18,130a04(00):じ。祠位を嚴かに飾りて。只亡者のみを大切に供養 0000_,18,130a05(00):し。本尊をは疎略にし奉る事まま多し又參詣の人 0000_,18,130a06(00):も。先位牌の方に向ひて。本尊をは次に思ひなす風 0000_,18,130a07(00):情。往往にあり。加樣の事。以の外にわが心に違へ 0000_,18,130a08(00):り。努努これあるべからずと。此外云云の遺語あり 0000_,18,130a09(00):といへとも。具に記するにあたはず。扨看病給侍の 0000_,18,130a10(00):者に。記念の品品。遺囑し賜はりける。右件の條條 0000_,18,130a11(00):門弟等。をのをのこれを領掌し。すなはち廿五日よ 0000_,18,130a12(00):り門弟一人づづ枕頭に伺候して。稱名の助音を致 0000_,18,130a13(00):す。師久しく病に染て。身躰疲れ給ふといへとも。 0000_,18,130a14(00):稱名の氣色。勇猛精至なる事。平生の時よりも勝れ 0000_,18,130a15(00):たり。本より病苦なかりけれは。近近に命終し給ふ 0000_,18,130a16(00):へき樣には見え侍らず。然れども師の稱名の氣色 0000_,18,130a17(00):は。只今命終に臨み給ふかと覺ゆる程に勇猛にぞ見 0000_,18,130b18(00):え侍る 0000_,18,130b19(00):一同廿六日師看病の者に語りていはく。今しばらく 0000_,18,130b20(00):まどろむとおもひし内に。莊嚴微妙なる大伽藍の門 0000_,18,130b21(00):外に至る。指入て佛前を拜しけれは。本尊には法花 0000_,18,130b22(00):の題目を懸たり。堂内には僧衆大勢集りて。法花經 0000_,18,130b23(00):讀誦するなるべし。我心に思ふやう。大乘妙典の功 0000_,18,130b24(00):德廣大なること言を以て宣べからず。今此勝縁にあひ 0000_,18,130b25(00):ぬる事。悅ひの至りなり。いざ立寄て結縁せんと。 0000_,18,130b26(00):則所作くりながら。縁の上まて臨けれは。讀誦の音 0000_,18,130b27(00):聲遒亮として。聞くに隨喜の思ひを增し。心もすみ 0000_,18,130b28(00):わたりて覺えけるに。凉しき風さへ吹來て。快く結 0000_,18,130b29(00):縁するとおもふ内に。程なく夢覺ぬと。師此事を語 0000_,18,130b30(00):りおはりて。双眼に涙を浮べ。ありがたき結縁をも 0000_,18,130b31(00):しつる者哉と。歡喜のよそほひ色にあらはれて見え 0000_,18,130b32(00):しかば。看侍の者も。師の法に於て。偏頗なき事を 0000_,18,130b33(00):感じ奉りけり。もし偏僻の念佛者などこの夢を感ぜ 0000_,18,130b34(00):は。念佛の道塲ならで。法花の結縁本意ならずと。 0000_,18,131a01(00):殘多き心あるべし。然るに師ふかく隨喜の泪を落さ 0000_,18,131a02(00):れし事。正見の内に逼りて。其色の外に顯はれける 0000_,18,131a03(00):と。いと貴ふとし。世に一等の專修者ありて。一向 0000_,18,131a04(00):專修を勸むる本意を察せず。動すれば。餘佛餘敎を 0000_,18,131a05(00):輕しめ奉り。他門の行人をば讐敵の如く。思ひなす 0000_,18,131a06(00):類ひ。往往にあり。これゆゆしき邪執の者なり。何 0000_,18,131a07(00):ぞ佛意に叶はんや。愼むべし恐るべし。夫しばらく 0000_,18,131a08(00):專修の門に向ふの日。諸行を雜修すれは。心散漫し 0000_,18,131a09(00):て。一行成じがたし。故に餘行を閣く所なり。元祖 0000_,18,131a10(00):大師の宣はく。餘行をするをこそ嫌へ。念佛を妨ぐ 0000_,18,131a11(00):れはなり。功德を捨ばこそ。往生の因となるがゆへ 0000_,18,131a12(00):にと向阿要略鈔されば觀經九品の中上六品はことごとく 0000_,18,131a13(00):諸行往生を明せり。其うへ龍樹菩薩は。爲衆説法無 0000_,18,131a14(00):名字と釋し給ひて。彌陀尊淨土に於て。聖衆の爲に 0000_,18,131a15(00):無名字の法を説給ふといへり。これすなはち。般若 0000_,18,131a16(00):の空理。維摩不二の法門なるべし。又觀經の所説に 0000_,18,131a17(00):よれは觀音勢至淨土に於て。下品生の人の爲に。大 0000_,18,131b18(00):乘甚深の經典を説き。諸法實相除滅罪の法を説て。 0000_,18,131b19(00):これを聞かしめ給ふとあり。これまさしく。花嚴大 0000_,18,131b20(00):品大集法花涅槃等の究竟大乘の法門ならずや。然れ 0000_,18,131b21(00):ば西方の行人。なんぞ三尊所説の法理を。輕しむべ 0000_,18,131b22(00):けんや。無住禪師の云。すべて萬行一門なり。心を 0000_,18,131b23(00):得て行ずれば。佛意に叶ふといひながら。殊に法花 0000_,18,131b24(00):念佛は。一具の法門にて。中あしかるまじきに。當 0000_,18,131b25(00):世の是非謗法かなしむべしと。是ただ專徒のみにあ 0000_,18,131b26(00):らず。諸宗の末流も。又浸浸として。此邪執に陷る 0000_,18,131b27(00):類ひ。すくなからず故に大論に云。自然を愛染する 0000_,18,131b28(00):が故に。他人の法を毀訾れば。持戒の行人なりとい 0000_,18,131b29(00):へども。地獄の苦を脱れずと。宜しくこれを思ふべ 0000_,18,131b30(00):し 0000_,18,131b31(00):一同廿七日の朝。師の受業の師範大安寺退隱良覺上 0000_,18,131b32(00):人。及ひ現住良聲上人。共に禪室に來臨ありて。今 0000_,18,131b33(00):生の永訣を述べ。西土の再會を期せらる。師資先後 0000_,18,131b34(00):の恨。紅涙枕席を沾し。花臺半座の契り。喜情懷抱 0000_,18,132a01(00):に滿つ。世禮法話しかしかの事おはりて。良聲上人 0000_,18,132a02(00):申されしは。君生來道心堅固にして。念佛功積り。 0000_,18,132a03(00):運心年久しけれは。此度上品往生疑ひあるべからず 0000_,18,132a04(00):と。外にてもいと羡しく存する也と。師申さるるや 0000_,18,132a05(00):う。不思議の因縁を以て。數萬の人を敎化し。此度 0000_,18,132a06(00):淨土に罷り歸り候事。本懷これに過き候はずと。師 0000_,18,132a07(00):の沒後に。良聲上人深くこの語を感じ。權化のおの 0000_,18,132a08(00):づから密因を洩されけるにやと。貴ひ申されける 0000_,18,132a09(00):一同日の夜。師申されけるは。われこの度の病必死 0000_,18,132a10(00):と思ひ定むといへとも。凡情の習ひ疑念殘らざるに 0000_,18,132a11(00):あらず。又看侍の者も。其程一定し難し。こよひ聖 0000_,18,132a12(00):を以て。佛意を伺ひ奉らんと。門人蓮心に命じ 0000_,18,132a13(00):て。快氣必死の二鬮を作らしむ。是を佛前に置き。 0000_,18,132a14(00):暫く念佛して御鬮を申降し。師の枕許に持參しける 0000_,18,132a15(00):に。師すなはち合掌心念し。しばしありて。二鬮の 0000_,18,132a16(00):中一箇を取りて披き見られければ。必死の御鬮なり 0000_,18,132a17(00):けり。師悅ひの氣色甚しく。迚の御慈悲に。今一度 0000_,18,132b18(00):申降して。いよいよ往生を決定すべしと。暫く心念 0000_,18,132b19(00):して取られけるに。又必死の御鬮なり。師ますます 0000_,18,132b20(00):感悅せられ侍りき 0000_,18,132b21(00):一同廿八日の朝。師又蓮心を召て仰せけるは。此度 0000_,18,132b22(00):往生を遂るに付て。猶又死期の延促をも。御鬮にて 0000_,18,132b23(00):伺ひ度おもふなり。年内か明る正月の中。上旬中旬 0000_,18,132b24(00):下旬か。この四箇の御鬮を造りて。昨夜の如くし 0000_,18,132b25(00):て。佛前に捧ぐべしとありければ。畏りて領承し。 0000_,18,132b26(00):すなはち御鬮を申降して師に奉りける。兩度とられ 0000_,18,132b27(00):けるに。兩度ながら年内といふ御鬮なりけり。仍て 0000_,18,132b28(00):俄かに臨終の道塲を構へ。兼て命ぜられし如く。終 0000_,18,132b29(00):焉の方軌一一にこれを調へ。頭北面西にして五色の 0000_,18,132b30(00):糸を佛の御手に懸け。心口相應し。聲聲絶る事なく 0000_,18,132b31(00):念佛せられけり。然るに師の往生正月二日なりける 0000_,18,132b32(00):に。兩度まで年内の御鬮おりし事は。死期を近く思 0000_,18,132b33(00):ひ取りて。油斷なく稱名相續せしめんとの冥慮の方 0000_,18,132b34(00):便なるべしとぞ。申しあひける。師ことさら病苦も 0000_,18,133a01(00):なかりけれは。心の儘に晝夜間斷なく稱名相續せら 0000_,18,133a02(00):る看病の者代る代る助念するに。助音は疲るといへ 0000_,18,133a03(00):ども。師の稱名は猶も勇猛なりける。稱名の度ごと 0000_,18,133a04(00):に助給への詞を唱へらるる事切なり。時時高聲に極 0000_,18,133a05(00):重惡人。無他方便。唯稱彌陀。得生極樂の文を誦 0000_,18,133a06(00):じ。或は佛の大慈悲を以て。此度兎にも角にも助給 0000_,18,133a07(00):へと申されし事頻なり。同日午の刻過る頃。師厭求 0000_,18,133a08(00):蓮心の二人を召て告て云。われ今しばらく眠りたる 0000_,18,133a09(00):内に西方淨土に到りぬ。淨土の莊嚴を拜見し。一期 0000_,18,133a10(00):の大願を成滿し侍る悅ひ。喩を取るに物なし。その 0000_,18,133a11(00):所見の相は。具に述べからず。一一經説の如く。少 0000_,18,133a12(00):も違ふことなし。なむぢら毛頭も疑ひを殘すことなかれ 0000_,18,133a13(00):と。心中に深く感ぜらるる樣なり。二人の者思ふや 0000_,18,133a14(00):う。師今に於ては。萬事懶くおぼしめすらめども。 0000_,18,133a15(00):此度尋ね奉らすむは。後殘念なるべしと。すなはち 0000_,18,133a16(00):師に問ひ奉る。淨土の莊嚴は。いかやうに候やと。 0000_,18,133a17(00):師いはく。宮殿樓閣は。皆金銀を以て成じ。七寶莊 0000_,18,133b18(00):嚴のまき柱。言語の及ぶ所にあらず。地は悉く金色 0000_,18,133b19(00):にて輭かなり。履む時は窪み入ること四寸なり。わ 0000_,18,133b20(00):れいまだ此身を捨ずして。早く淨土の莊嚴を見奉る 0000_,18,133b21(00):こと。生前の大慶何事か。これにしかんと。頻に歡喜 0000_,18,133b22(00):の涙を落され侍る。同日の夜。門人に命じて。靜か 0000_,18,133b23(00):に十樂の和讃を唱へしめ。悉く聞き畢りて感嗟せら 0000_,18,133b24(00):れき。師所勞增氣してより以來。耳目すこしく矇眛 0000_,18,133b25(00):にして。聲をきく物を見らるる事も。明了ならず。 0000_,18,133b26(00):廿八日臨終の道塲に入れし後は。二根明利なること平 0000_,18,133b27(00):日にたがはず。みな不思議の想を。なして悅びあへ 0000_,18,133b28(00):り 0000_,18,133b29(00):一同廿九日。日ごろ法化を蒙りし。篤信の道俗。師 0000_,18,133b30(00):の終焉近づき給ふよし傳聞きて。をのをの末期の慈 0000_,18,133b31(00):容を拜して最初の引接に預らんと。遠近踵を繼て玆 0000_,18,133b32(00):に來集せり。師衆に對して永訣を述べ。此度生涯の大 0000_,18,133b33(00):望を成就して。先達て往生を遂るなりをのをのに 0000_,18,133b34(00):も隨分念佛退轉なくして。跡より往生を遂らるべ 0000_,18,134a01(00):し。いづれも終焉の砌には。かならず如來に供し奉 0000_,18,134a02(00):りて。來り迎ふべしなど。面面にわかれを告らるる 0000_,18,134a03(00):事慇懃なり。同日福島より。門人愚信馳參りけり師す 0000_,18,134a04(00):なはち。十念を授けわかれを述べ畢りて申さるるや 0000_,18,134a05(00):う。愚信われに髮を剃てくるべし。往生極樂の首途 0000_,18,134a06(00):せんと思ふなりと。看病の者ども。いと氣の毒なる 0000_,18,134a07(00):事に思ひをれども。強に望み給ひし故。是非なく愚 0000_,18,134a08(00):信そりて奉りぬ。廿五六日の頃よりは。手面を洗 0000_,18,134a09(00):ひ。口を漱がるる事。晝夜に數度なり。又便利の穢 0000_,18,134a10(00):あることなし。知死期の度ごとに。ことさら念佛を勤 0000_,18,134a11(00):められ。御手の糸を執りて。如來尊號甚分明。十方 0000_,18,134a12(00):世界普流行。但有稱名皆得往。觀音勢至自五會讃 0000_,18,134a13(00):の文を唱へ。念佛の終には。願くは阿彌陀佛本願あ 0000_,18,134a14(00):やまちなく臨終の時にはかならず。わが前に現じ給 0000_,18,134a15(00):ひ。慈悲を以て加へ祐て。正念に住せしめ給へと。 0000_,18,134a16(00):稱へ畢りて十念相續し。すなはち御手の糸を上られ 0000_,18,134a17(00):侍りき。又師看病の者に對して。折折申されしは。 0000_,18,134b18(00):われ遁世の最初は。死縁無量なれは。道のほとり野 0000_,18,134b19(00):邊の間にて。ひとり死する事もあるべしと兼て覺悟 0000_,18,134b20(00):せしに。思ひの外に。かく淸閑なる庵室にて。道塲 0000_,18,134b21(00):の莊嚴。臨終の行儀まで。心の儘に調へ隨侍の者あ 0000_,18,134b22(00):また親切にいたはり給ひて目出たく終りを取る事。 0000_,18,134b23(00):ありがたき仕合なり。これしかしながら如來の御慈 0000_,18,134b24(00):悲。をのをのの懇志ゆへと。宿縁の程も。思ひやら 0000_,18,134b25(00):れて。嬉しく辱き由。諄諄禮謝し給ひけり。 0000_,18,134b26(00):一同晦日の夜。小島村より。吉田氏酒井氏二人馳來 0000_,18,134b27(00):り。われら途中に於て。師の禪室の上に當りて。大 0000_,18,134b28(00):挑燈の如くなる物虚空より降り。中に止りて其内よ 0000_,18,134b29(00):り。幾筋共なく光明出て四方へ散り輝くを見侍りし 0000_,18,134b30(00):由申す 0000_,18,134b31(00):一年も既に暮行て。明れは正月元日なり。師命期は 0000_,18,134b32(00):なはだ近しといへとも。病苦更になかりけれは。樣 0000_,18,134b33(00):體はたた平常の如く快くおはしけり。檀越野村氏な 0000_,18,134b34(00):と一兩輩。元旦の禮式ながら拜謁しけり。師十念を 0000_,18,135a01(00):授け畢りて申されけるは。年内に極りたる往生の。 0000_,18,135a02(00):年明るまで相延しも。これ又如來の御方便にて。世 0000_,18,135a03(00):上の騷しき折節なれば。しばし御延給はりしと思ふ 0000_,18,135a04(00):なり。年明候へは。定て間もなく往生するなるべし 0000_,18,135a05(00):とて。いよいよ勇猛に稱名相續せられき。 0000_,18,135a06(00):一同日或人師の病床に問候しけり。師蓮心を召て仰 0000_,18,135a07(00):けるは。西方淨土の地を表せる紙に包たる菓子ある 0000_,18,135a08(00):べし。持來て。此人に饗ふべしと。時に蓮心曾て覺 0000_,18,135a09(00):えなかりしかは。かれこれ問ひ合せけれ共。本より誰 0000_,18,135a10(00):誰も其覺えなしといへり。依て師に其由を申しけれ 0000_,18,135a11(00):は。師仰せけるは。此間三度まて食したる環餠な 0000_,18,135a12(00):り。霜柱のごとくにて透徹り。口に入るれば其儘泮 0000_,18,135a13(00):るやうにて風味はなはだ佳し。能能これを尋ぬべし 0000_,18,135a14(00):と。仰ける故。有合たる菓子ども。悉く取り出して 0000_,18,135a15(00):見せ奉りしか共。いづれもこれにてはなしとて返し 0000_,18,135a16(00):給ひぬ。よつて看侍の者。相共に申けるは。師の宣ふ 0000_,18,135a17(00):所は。恐らくは此土の菓子にあらじ。定て淨土の百味 0000_,18,135b18(00):飮食を。如來の此間御あたへましましける者と覺え 0000_,18,135b19(00):候。然る故は。舊冬廿五日より。一向に御食事これ 0000_,18,135b20(00):なく候に。師の容體おとろへ給ふこともなく。殊更晝 0000_,18,135b21(00):夜高聲に念佛相續し。常よりも勇猛に見えさせ給ふ 0000_,18,135b22(00):事。皆皆不思議に存する也と申しけれは。師聞て左 0000_,18,135b23(00):樣の事もあるべしとなん申されける。粤に師の沒後 0000_,18,135b24(00):に。信夫郡八町目常念寺良信和尚この事を聞て語ら 0000_,18,135b25(00):れしは。それに付て不思議の事侍り。われ此正月朔日 0000_,18,135b26(00):の夜夢みらく。或る山際に奇麗なる菴室あり。去年 0000_,18,135b27(00):十一月に死去せし山本源八と申す仁と。無能和尚と 0000_,18,135b28(00):一所におはして。何か物語し給ふやうなり。前に美 0000_,18,135b29(00):しき器物に菓子を入れ置き。兩人して度度めされ候 0000_,18,135b30(00):ひけるが。和尚にも進じたく候へども。貴邊のまい 0000_,18,135b31(00):るべきものにあらず。疾かへり給ひねと。申さるる 0000_,18,135b32(00):と思ひし内に夢覺めけり。只今存し合せ候へは。い 0000_,18,135b33(00):と不思議の夢にて侍る由申されける。此山本氏とい 0000_,18,135b34(00):いるは。存生の間師の勸化により。日課八萬聲の行 0000_,18,136a01(00):者にて。臨終目出たく。殊勝の往生を遂たりし人な 0000_,18,136a02(00):り 0000_,18,136a03(00):一同日申刻のころ師厭求を召て。來迎讃を獨吟に靜 0000_,18,136a04(00):かに唱ふべしと仰けれは。厭求かしこまりて。枕頭 0000_,18,136a05(00):に侍りて稱へけるに。師聞て合掌し。双眼に涙を浮 0000_,18,136a06(00):べ常に此讃をありがたく聽聲せしといへども。此 0000_,18,136a07(00):度は殊に身に染て貴く覺へ候とて。信敬の氣色。外 0000_,18,136a08(00):に顯はれてぞ見え侍る。同日初夜過。重て厭求蓮心 0000_,18,136a09(00):二人に命じて。十樂讃を唱へしめ。第五快樂無退樂ま 0000_,18,136a10(00):て聽聞せられき。同中夜勤行の上。師御手の糸。並 0000_,18,136a11(00):に三部經に付けたる紐を念珠に持添て。夫より一切 0000_,18,136a12(00):これを放れずして。頻りに念佛相續せられけり。 0000_,18,136a13(00):師平日淨土の三經を殊に尊重せられし故。御手の糸になぞらへて。御經の糸をもひかへられけり。門人代る代る 0000_,18,136a14(00):枕頭に侍り引磬を鳴して助念を致す。次第に氣息奄 0000_,18,136a15(00):奄として。稱名の聲かすかになり行けども。唇舌は 0000_,18,136a16(00):常に動き侍る。頭北面西の儘。體すこしも轉ぜず。 0000_,18,136a17(00):面色咲を含て常よりも鮮かに。形容眠か如くにして 0000_,18,136b18(00):息たえ給へり。時に春秋三十七。實に享保四年巳亥 0000_,18,136b19(00):正月二日卯の中刻なり。命終の前半時ばかり大地震 0000_,18,136b20(00):動すること三度。看侍の者大千感動の經文を思ひ出 0000_,18,136b21(00):て。師の往生の大願成就の瑞なるべしと貴びあひけ 0000_,18,136b22(00):り。嗟夫哲人去りて何くにか往ける。たた思ひを 0000_,18,136b23(00):安養淨刹の夕の雲に馳す。慈訓とどまりて忘るる時 0000_,18,136b24(00):なし。空しく涙を閻浮草廬の曉の露に添ふ。法輪軸 0000_,18,136b25(00):を折き。慈航楫を摧く。萬人ここかしこにて。化を 0000_,18,136b26(00):惜み泣き悲むありさま。鶴林中宵のむかし。思ひや 0000_,18,136b27(00):らるる斗なり。門人師の遺骸を沐浴せんと欲して 0000_,18,136b28(00):これを擧るに。其體はなはだ輕く。かつ柔輭なり。 0000_,18,136b29(00):面色ますます麗しくして。祖師の眞影を見るが如 0000_,18,136b30(00):し。同三日の夜まで留め置奉りて。人人に拜ませけ 0000_,18,136b31(00):るに。皆ことことく。道德熏修の致す所と。隨喜感 0000_,18,136b32(00):歎しけり。同四日午刻。門人遺命に任せ。則庵室の 0000_,18,136b33(00):前庭に地を卜て土葬になし奉る。送葬の砌。年内よ 0000_,18,136b34(00):り降積りたる高雪なりしに。遠近の僧尼士女。雪ふ 0000_,18,137a01(00):みわけて群參せる者。其數をしらず。諸人ことごとく 0000_,18,137a02(00):結縁せんとて。われ先に棺に手を懸け。諍ひ競ふさ 0000_,18,137a03(00):ま。既に危く見へける故。隨身の者一同に立寄て棺 0000_,18,137a04(00):を奪ひ取り。いそぎ墳壙へ落し入けるに。棺と共に 0000_,18,137a05(00):壙の内に飛び込し者。數多ありけり。かくばかり知 0000_,18,137a06(00):識を慕ふ志。半座の盟り同生の縁。豈むなしからん 0000_,18,137a07(00):やとそ覺ゆ。來詣の人の中。葬所にて光明佛身等種 0000_,18,137a08(00):種の瑞を感見せし輩もあり。具に記するに遑あら 0000_,18,137a09(00):ず。受化の緇白。師平生所用の念珠法衣を。一顆一 0000_,18,137a10(00):片づづも分ち得て。神符を得るが如くに貴ひけり。 0000_,18,137a11(00):これ平日德澤の盛なるにあらずば。何そ其遺愛かく 0000_,18,137a12(00):の如くなるに及はんや 0000_,18,137a13(00):一師の禪房の北にあたりて。大竹宇兵衞といふ者あ 0000_,18,137a14(00):り。正月二日師の往生し給へる由を聞て。驚き來り 0000_,18,137a15(00):て申けるは。某昨夜丑時の頃より。今朝明方まで。 0000_,18,137a16(00):御庵室の方に當て。遙かに音樂の聲聞えし故。餘り 0000_,18,137a17(00):不思議に存じ。愚妻を起して聞かせ候へば。妻はた 0000_,18,137b18(00):だ鶴の百羽ばかりも群居て唳くやうに聞え候由申 0000_,18,137b19(00):す。某が耳には初は人の大勢群集せる音の樣に聞 0000_,18,137b20(00):え。後には番匠の數多集て。釿うちなど致す樣に 0000_,18,137b21(00):て。其響き隱隱丁丁として。拍子の面白こと言語に 0000_,18,137b22(00):及ひがたし。それよりして。鼓太鼓笛など。種種の 0000_,18,137b23(00):樂器。ききもなれぬめずらしき音しけり。いと恠き 0000_,18,137b24(00):事におもひ。猶も能聞き認めんと。外へ出て窺ひ候 0000_,18,137b25(00):へは。はや夜もやうやうしらしらと明わたり。音樂 0000_,18,137b26(00):の響も。やや幽かになり行て。遂に聞失ひ侍りきと 0000_,18,137b27(00):語る。是まさしく師の往生の時刻に當れり。 0000_,18,137b28(00):一師康存の日。曾て同行の緇素と。法話の次に。新 0000_,18,137b29(00):關氏申しけるは。人人の臨終の時節。兼て計り難く 0000_,18,137b30(00):候へとも。互に志を述て見候に。多くは。八月十五 0000_,18,137b31(00):夜の頃。往生を遂け申度と望候。某なども。左樣に 0000_,18,137b32(00):願ひ候由申けれは。師仰けるは。自分なとの願に 0000_,18,137b33(00):は。正月五箇日の内とおもふなり。其故は。元日よ 0000_,18,137b34(00):りは。皆人年始なりとて。祝儀にのみかかりて。無常 0000_,18,138a01(00):を忘れ。佛道修行の心もなし。後世者といふ人も。 0000_,18,138a02(00):世の賑ひに推移された。浮虚浮虚と暮す類ひ少から 0000_,18,138a03(00):ず。昔一休禪師。元日に天靈蓋を持て。都に出。人 0000_,18,138a04(00):の門ごとに指入れて。これぞ目出たし。御用心といひ 0000_,18,138a05(00):て。廻られけるとかや申傳へしも。諸人の無常を打忘 0000_,18,138a06(00):れ。長閑に思ひあひたるを。あさ猿とおぼしての所 0000_,18,138a07(00):爲なるべし。されば願て叶ふへくは。あはれ五箇日 0000_,18,138a08(00):の内に。終りを取りて。人人に世のはかなさを示し 0000_,18,138a09(00):たき者なりと申されしに。果して二日の往生。誠に 0000_,18,138a10(00):素願に相叶ひて。不思議に侍る由みな人語りける。 0000_,18,138a11(00):かの西行法師の。衣更着の望月の頃を願ひて。滅を 0000_,18,138a12(00):示されしなど。師師の意樂殊なりといへとも。其所 0000_,18,138a13(00):願の幸に相叶へる事。あはれに貴くぞ侍る 0000_,18,138a14(00):一師既に往生を遂られしかは。東域の受化むなしく 0000_,18,138a15(00):隔たり。西刹の同生を賴むばかりにて。遠近の緇 0000_,18,138a16(00):白。告ざるに。爰かしこにて。中陰の佛事。百萬遍 0000_,18,138a17(00):の興行など。いと慇懃なりけり。其法化の人を感せ 0000_,18,138b18(00):しむる事。深きにあらずは。何ぞ能かくの如くなる 0000_,18,138b19(00):事を得んや。師遺言の旨ありといへとも。受化の四 0000_,18,138b20(00):輩相ひ議して。世の風儀に隨ひ。かつは報恩の爲 0000_,18,138b21(00):に。塔を立。眞影を造りて。廓室に安置しけり。こ 0000_,18,138b22(00):の外所所行化の地にも。をのをの。石浮圖を建て。 0000_,18,138b23(00):謝德の志に擬す。予衆の請に應じて不斐をかへり見 0000_,18,138b24(00):ず。猥りに塔上の誌銘を記す。誌の文繁きが故に玆 0000_,18,138b25(00):に載ず。其銘にいはく。 0000_,18,138b26(00):淑人乘運 東陲禀神 殉道委命 敷化忘身 0000_,18,138b27(00):安養行業 惟一惟純 表塔慕德 甘棠情新 0000_,18,138b28(00):又予曾て輓偈を賦して師を悼む有引略之 0000_,18,138b29(00):夙植靈苗備衆芳。生前偏慕白蓮郷。道崇東嶽 0000_,18,138b30(00):域中顯。身輶秋毫塵裡藏。松島眞風追見佛。石 0000_,18,138b31(00):垣高軌俲金光。可悲慧日沒西去。冥冥群萠夢更 0000_,18,138b32(00):長 0000_,18,138b33(00):水雲生絶纏。課佛念彌堅。住世纔三紀。度人幾萬 0000_,18,138b34(00):員。東州收化去。西土得祥還。道貌無由見。會 0000_,18,139a01(00):盟期一蓮 0000_,18,139a02(00):淨業熏深能事圓。無能喚醒世能愆。一朝忽聽訃音 0000_,18,139a03(00):到。不覺雙眸涙澘然 0000_,18,139a04(00):身を捨て法のためにと空蟬の世をいとひつつさるそ 0000_,18,139a05(00):賢こき 0000_,18,139a06(00):一門人蓮心遺命に依て。師の舊房に住居しけるが。 0000_,18,139a07(00):或夜の夢に。師の遺骸に傍て守り居けると覺えし 0000_,18,139a08(00):に。師たちまち兩眼を開き點頭ましましける故。蓮 0000_,18,139a09(00):心思ふやう。師既に命終し給ひしに。かくまします 0000_,18,139a10(00):は。定て蘇生し給ふにやと。驚き悅て。近く貌を指寄 0000_,18,139a11(00):せ伺ひ奉りけれは。師言葉を出し。念佛はただ何程 0000_,18,139a12(00):も多く申に過たる事なし。しどけなく申ちらしたる 0000_,18,139a13(00):念佛までも。皆往生の業と成なりと。仰せられて又 0000_,18,139a14(00):本のごとく目をふさぎて死し給ふとおもふ内に夢さ 0000_,18,139a15(00):め侍りきと 0000_,18,139a16(00):一相馬幾世橋に知足といへる遁世の僧あり。遙かに 0000_,18,139a17(00):師の所勞のやうなと思ひ遣りて。心許なく案し居た 0000_,18,139b18(00):るに。享保四年正月朔日の夜丑みつの程。夢見ら 0000_,18,139b19(00):く。師の法相歷然として。前に現じ。念佛はただ申 0000_,18,139b20(00):せ。唯申が能なりと。繰返し三返まで宣ふを聞て。 0000_,18,139b21(00):肝に銘じありがたく思ふ内に夢さめぬと。夫宗門の 0000_,18,139b22(00):至極。念佛には何の子細もなく。只生れ付のままに 0000_,18,139b23(00):て。ほとけ助給へとおもひて稱るばかりなり。元祖 0000_,18,139b24(00):大師御往生の後。三井寺の住心房に夢の中に問はれ 0000_,18,139b25(00):ても。阿彌陀佛は。またく風情もなしたた申なり 0000_,18,139b26(00):と。大師の御答ましませし事。おもひ合せて。今の 0000_,18,139b27(00):夢想まことに感おほくぞ侍る 0000_,18,139b28(00):一伊達郡大枝村に。佐藤吉藏といへる者あり。師の 0000_,18,139b29(00):染筆の名號を持佛堂に掛置て。常常信崇しけるが。 0000_,18,139b30(00):正月四日の朝。その名號より夥しく光明の輝くを拜 0000_,18,139b31(00):しけり。いとありがたき事におもひ居けるに。同六 0000_,18,139b32(00):日師の往生し給へる由を聞て。驚き來てかくと語り 0000_,18,139b33(00):侍る。四日は師の送葬の日なりけり 0000_,18,139b34(00):一同郡南半田村に。松野善之丞といふ者あり。師の 0000_,18,140a01(00):滅後或夜の夢想に。師言の外に。奇麗なるところに 0000_,18,140a02(00):おはしけるが。善之丞を近く召て宣ふやう。汝親に 0000_,18,140a03(00):仕へて孝養の志ふかし。故にわれ甚これを感ず。仍 0000_,18,140a04(00):て先に種種の靈益をあたへし事も。皆わが致せし所 0000_,18,140a05(00):なり。われはこれ極樂において。上品の地藏なり。 0000_,18,140a06(00):假に世に出て。衆生を濟度せり。然りといへども。 0000_,18,140a07(00):世人疑ひを懷き。謗を興して。敎化し難き折節。な 0000_,18,140a08(00):んぢ不思議の利益を蒙り。延て諸人の信を勸めし 0000_,18,140a09(00):故。やうやうに濟度の本意を遂たり。人間の疑心ほ 0000_,18,140a10(00):ど。淺猿きものなし。かくいひし事も。深信の人に 0000_,18,140a11(00):のみ傳へて。疑惑の者に語ることなかれ。正法を聽 0000_,18,140a12(00):く疑ひ謗るものあれば。大磐石を以て。身を碎かる 0000_,18,140a13(00):るよりも苦し。念佛の功德廣大なる事。言語の及ぶ 0000_,18,140a14(00):所にあらず。設ひ道を通るに。乞丐人など橋の下に 0000_,18,140a15(00):ありて念佛申すとも敢てこれを輕賤すべからず。汝 0000_,18,140a16(00):隨分に念佛して淨土に往生すべしなど。慇懃に示し 0000_,18,140a17(00):給ふとおもひて。夢覺畢ぬと。此善之丞といへる 0000_,18,140b18(00):は。先立て地藏菩薩かたじけなくも。みづから道指 0000_,18,140b19(00):南し給ひて。親り地獄極樂のありさまを見せしめ給 0000_,18,140b20(00):ひ。種種の現益に預りし者なり。師所所にて説法の 0000_,18,140b21(00):砌。具に此事を語りて勸め給ひし事。諸人の知れる 0000_,18,140b22(00):所なり猶其事の次第具に別記あり予曾てこの夢想を聞て。感仰する 0000_,18,140b23(00):事多し。本願經を按ずるに。地藏大士因位の昔。尸 0000_,18,140b24(00):羅善現の家に生れて聖女たりし時孝養の御志ふかく 0000_,18,140b25(00):ましませしより。遂に菩薩の行を成就して。六道の 0000_,18,140b26(00):衆生を濟度し給へり。このゆへに今も孝心の者に與 0000_,18,140b27(00):して。不思議の勝益をあたへ給ひし事。誠に貴く覺 0000_,18,140b28(00):え侍る。又極樂上品の地藏なりと示し給へる事。是 0000_,18,140b29(00):又奇特未曾有のおほん示現なり。予曾て蓮華三昧經 0000_,18,140b30(00):の説を見侍りしに。上品蓮臺の敎主は。地藏尊なる 0000_,18,140b31(00):由。具に彼經に見えたり但し蓮花三昧經は秘經にて。上古相傳なし。後に龜山法皇。唐の五臺山 0000_,18,140b32(00):竹林寺より得給ひて。是を靑蓮院良助座主に御相傳ましましける御經なりと。委しく彼座主の地藏秘記に載せ給へり予此祕 0000_,18,140b33(00):經の説をかくと語りければ。皆人今の夢想の。暗に 0000_,18,140b34(00):密敎と符合せる事。いと不思議なりとて。悉く感心 0000_,18,141a01(00):しけり。これ密敎一途の説なりといへども。三井の 0000_,18,141a02(00):相傳に。地藏は彌陀の菩提心なりと。又法藏比丘す 0000_,18,141a03(00):なはち地藏菩薩なりとも習へり。沙石集されは上品蓮 0000_,18,141a04(00):臺の敎主地藏尊といへるも。發心菩提不二門の深理 0000_,18,141a05(00):なるべしとかたがた貴くそ侍る 0000_,18,141a06(00):一信夫郡澤又村に齋藤利八といふ者あり。享保四年 0000_,18,141a07(00):五月廿三日。俄かに蟲を痛む事甚し。種種治療すと 0000_,18,141a08(00):いへども効なく。半時ばかりの程施入けり。此間に 0000_,18,141a09(00):種種不思議の境界を感見しけり。具に筆端に盡し難 0000_,18,141a10(00):しといへども。粗述る所かくの如し。既に息絶ぬと 0000_,18,141a11(00):覺え候へは。白く細き道へただ一人出けるに。言の 0000_,18,141a12(00):外靜かに澄わたりたる體なり。此道を西へ指て前み 0000_,18,141a13(00):行と思ふ内に。常常信じ奉る大和田の堂に立給へる 0000_,18,141a14(00):阿彌陀如來。御長常よりは大に。光明赫奕として來 0000_,18,141a15(00):迎し給へり。左の御手より金色の糸を出して。直に 0000_,18,141a16(00):某か手に授け給へり。又金色の地藏菩薩顯はれ給 0000_,18,141a17(00):ひ。これも同じやうに。金色の糸を與へましましけ 0000_,18,141b18(00):り。ありがたく思ひて。二筋の糸を兩手に取り。念 0000_,18,141b19(00):佛申ながら御跡に隨ひて步み行けり。二尊の御相好 0000_,18,141b20(00):殊勝なる事。言語に宣がたし。彌陀如來先に立給 0000_,18,141b21(00):ひ。二間ばかりも隔ちて地藏尊立給へり。其次二間 0000_,18,141b22(00):斗ありて某立侍りき。二尊の御手の糸に縋り。念佛 0000_,18,141b23(00):申まうす御後に隨て參候へは。道も最前よりは。次第 0000_,18,141b24(00):に廣くなり。心晴ばれと覺えけり。天も地も惣て金 0000_,18,141b25(00):色に光り輝き。地の色これよりは五色に見えけり。 0000_,18,141b26(00):其上を履み行しに。柔かにして。三四寸斗も窪み入 0000_,18,141b27(00):やうに覺ゆ。地上には牡丹の樣にて。見馴ぬ美しき 0000_,18,141b28(00):花。數もしらず咲亂れたり。虚空にも路の左右に 0000_,18,141b29(00):も。金の網の如くなる物。ここかしこに懸りて。光 0000_,18,141b30(00):り輝くさま言に述がたし。路の左の方に池あり。其 0000_,18,141b31(00):中には。限りも知れぬ程の。廣大なる蓮花こころよ 0000_,18,141b32(00):く開きて充滿り。其色或は白く。或は紅。又金色紫 0000_,18,141b33(00):色の花も見えけり。其光色の鮮かなる事。娑婆の蓮 0000_,18,141b34(00):花は。似寄たる物にもあらず。この池の岸に美しき 0000_,18,142a01(00):蟲あり。惣身は金色にて足長く。東へ西撥まはりて 0000_,18,142a02(00):鳴く。其聲の面白事いふ斗なし。遙かに進み行ける 0000_,18,142a03(00):に。向ふに大なる樹あり。枝葉地際よりしげりあ 0000_,18,142a04(00):ひ。葉の色も一種にあらず。靑赤白金色等なり。枝 0000_,18,142a05(00):も色色にわかれたり。枝葉の間より光明四方に出て 0000_,18,142a06(00):怕明ほどなり。梢ごとに珠の網懸れり。此樹の惣體 0000_,18,142a07(00):は杉形なり。樹上には見事なる鳥二三羽まひ遊べ 0000_,18,142a08(00):り。翅の色縹色に似て尾長く。四方へ亂れたり。こ 0000_,18,142a09(00):の鳥の高く囀る聲。聞くに心神も澄みわたり。面白 0000_,18,142a10(00):事かぎりなし。扨其所を過て徐徐すすみ至りけれ 0000_,18,142a11(00):は。莊嚴微妙なる壇あり。其あたり惣て金色に光り 0000_,18,142a12(00):わたれり。結構にかざりたる高座あり。其上に茵の 0000_,18,142a13(00):如くなる物を鋪て無能和尚安坐しあはせり。木蘭の 0000_,18,142a14(00):直裰に薄墨の袈裟を着し。右の手に如意を執り給へ 0000_,18,142a15(00):り。面容の麗しき事。娑婆にて拜せしに倍して。す 0000_,18,142a16(00):ずろに隨喜渴仰の涙を催し。をのづから念佛しけ 0000_,18,142a17(00):り。側に位牌三基立たり。中なるは金色。左右の二 0000_,18,142b18(00):基は。赤黄色なり。牌の前毎に金色の花足に供物を 0000_,18,142b19(00):盛たり。色色の花二瓶。燭臺二基を備へたり。此燈 0000_,18,142b20(00):明より又金色の光り出て。四方に照り耀く事。此世 0000_,18,142b21(00):には喩ふべき物なし。此位牌の前まで。如來に供し 0000_,18,142b22(00):奉て來りけるが。某頭を低て位牌を拜せし内に。如 0000_,18,142b23(00):來は牌の陰へかくれ給へり。地藏尊は無能和尚の背 0000_,18,142b24(00):後へ入らせ給ふかとおもふ内に見失ひ奉りぬ。この 0000_,18,142b25(00):時某は。無能和尚のおはします壇の右邊に座せしか 0000_,18,142b26(00):は。たちまち夢の覺る心地して。息を吹返し侍り 0000_,18,142b27(00):ぬ。親族ども集りて。既に死したりとて。歎き居け 0000_,18,142b28(00):るに。忽甦りければ。皆皆悅びあひぬる事。いふば 0000_,18,142b29(00):かりなし。翌廿四日なを病床にありけるに。先に見 0000_,18,142b30(00):え給へる彌陀如來常に枕許に立副て離れ給はず。高 0000_,18,142b31(00):聲に念佛して側なる者にも知らせけれども。餘人 0000_,18,142b32(00):は一向に見奉らすといへり。漸漸快復するに隨て拜 0000_,18,142b33(00):み奉らず。加樣の希有の現益に預り候も。偏に師の 0000_,18,142b34(00):御勸化に依て。念佛勤候故なりとて。歡喜踊躍し 0000_,18,143a01(00):て。謝德の思ひ淺からざりけり。 0000_,18,143a02(00): 0000_,18,143a03(00): 0000_,18,143a04(00): 0000_,18,143a05(00): 0000_,18,143a06(00): 0000_,18,143a07(00): 0000_,18,143a08(00): 0000_,18,143a09(00): 0000_,18,143a10(00): 0000_,18,143a11(00): 0000_,18,143a12(00): 0000_,18,143a13(00): 0000_,18,143a14(00): 0000_,18,143a15(00): 0000_,18,143a16(00): 0000_,18,143a17(00):無能和尚行業記上 0000_,18,143b18(00):無能和尚行業記下 0000_,18,143b19(00): 0000_,18,143b20(00):師の法語并に諸人感應の事 0000_,18,143b21(00):古にいはく。有德者必有言。有言者不必有德 0000_,18,143b22(00):と誠なるかな。師折にふれて。いへる所しめす所。 0000_,18,143b23(00):ことごとく徹骨の婆心より出て。言言みな實なり。 0000_,18,143b24(00):宜なる哉人の敎誡となる事。これすなはち。實德内 0000_,18,143b25(00):に積て。其言外に流る。いはゆる德ある者は言ある 0000_,18,143b26(00):者なり。其平日の嘉言芳話。定ておほかるべし。今 0000_,18,143b27(00):わづかに門人の記憶する所。或は師の稀に書示され 0000_,18,143b28(00):し遺策をひろひて。粗抄錄する所下の如し。又この 0000_,18,143b29(00):傳記の前後に。しばしば諸人感夢の事を載す。人或 0000_,18,143b30(00):は夢境を以て戲論なりと誚らん。故に玆に辯す。夫 0000_,18,143b31(00):夢に妄夢あり。眞夢あり。妄夢とは。或は妄想によ 0000_,18,143b32(00):り。或は疾苦に依て見る所。すなはち醫書に明す所 0000_,18,143b33(00):の十二盛十五不足の夢の類ひ是也。眞夢とは。いは 0000_,18,143b34(00):ゆる靈夢これなり。枳哩紇王の十夢。摩耶夫人の五 0000_,18,144a01(00):夢。或は殷の武丁の傅説を見。孔子の周公旦を見給 0000_,18,144a02(00):ひ。丁固王濬が生松懸刀の讖夢の如き。内外二典に 0000_,18,144a03(00):亙りて。甚おほし。具に擧るに遑あらず。源氏物語 0000_,18,144a04(00):若菜卷にも。俗の方の文を見侍りしにも。又内敎の心 0000_,18,144a05(00):を尋る中にも。夢を信ずべき事おほく侍りといへ 0000_,18,144a06(00):り。猶又わが神國夢託の靈告一にあらず。熊野高倉 0000_,18,144a07(00):は。太神宮の夢告に依て韴靈劒を得て。これを神武 0000_,18,144a08(00):帝に奉りし事。神武紀にあり。伊勢内外の宮の御遷 0000_,18,144a09(00):座も。皆神明の夢託に依て。鎭め祭り奉りし事。倭 0000_,18,144a10(00):姬世紀。太田命の訓傳等に見えたり。况やわが光明 0000_,18,144a11(00):大師の。聖僧の指授を蒙り。吉水大師の善導の來現 0000_,18,144a12(00):を感じ給ふが如き。これらの瑞夢。誰かこれを信ぜ 0000_,18,144a13(00):ざらん。今此傳に載る所も。悉く篤實の緇素。正信 0000_,18,144a14(00):の心中より。感ずる所の靈夢にして。をのをの誓書 0000_,18,144a15(00):誓詞を以て告る所の者なり。努努疑惑を容る事なか 0000_,18,144a16(00):れ 0000_,18,144a17(00):一或人問ていはく。佛光を拜する事は。持戒の德。 0000_,18,144b18(00):或は諸善の功に依るといへる人あり。但念佛の者も 0000_,18,144b19(00):また拜する事あるべきや。師答て云。夫極重惡人一 0000_,18,144b20(00):聲十聲の念佛にて。無漏無生の寶國に生ずる事。皆 0000_,18,144b21(00):これ本願の不思議にてあれは。光明を感見する事 0000_,18,144b22(00):も。又自力の行德には。よるまじきなり。他力難思 0000_,18,144b23(00):の行。通途の敎とは異なるべしとそ申されける 0000_,18,144b24(00):一師或時。四邊を眺望しながら。念佛せられける 0000_,18,144b25(00):が。農夫のあら田を鋤返すを見て。俄かに落涙せら 0000_,18,144b26(00):るる事。頻りなり。傍の人尋申けれは。師申さるる 0000_,18,144b27(00):やう。あの如く農夫となり馬と成て。未明よりし 0000_,18,144b28(00):て。あらけなく叱り訇て耕をなすありさま。いかな 0000_,18,144b29(00):る先業にやと。つらつら思ひ計るに。一切衆生輪廻 0000_,18,144b30(00):生死の間には誰にも皆かくあるべし。然るにわれら 0000_,18,144b31(00):此度あひ難き本願に逢ひて。生死を離れ淨土に生せ 0000_,18,144b32(00):ん事。染染と肝に銘して。ありがたく覺ゆるなり。 0000_,18,144b33(00):いつか往生の本懷を遂け。又生死に立還て。彼等を 0000_,18,144b34(00):もことごとく濟度せん者をといひて。又頻に酸鼻おは 0000_,18,145a01(00):しけり。師又或時。夕陽の崦嵫に隱れ給ひしを見 0000_,18,145a02(00):て。泪ぐみて側なる僧に申されしは。只今日輪の西 0000_,18,145a03(00):の山の端に入給ひし如く。我等もいつか往生の本懷 0000_,18,145a04(00):を遂べきと。いと急がるる心地して足の踏所をも忘 0000_,18,145a05(00):るる程になん覺ゆる也とて。その氣色の外に顯はれ 0000_,18,145a06(00):て。貴く見えければ。傍の僧もそぞろに感涙を催し 0000_,18,145a07(00):侍りきとなん。 0000_,18,145a08(00):私に云。師農夫の艱難を見。或は西山の落日を望て 0000_,18,145a09(00):も感慨せられしは。これしばらく其一兩事を擧るの 0000_,18,145a10(00):み。萬事これに准へて知べし。往生要集に。花嚴經 0000_,18,145a11(00):淨行品の意に依て。託事觀といふ事を敎へ給へり。 0000_,18,145a12(00):これ萬事に寄せて。その心を勸發するをいふなり。 0000_,18,145a13(00):然阿上人の云。これは行者出離の最要の用心なり。 0000_,18,145a14(00):見る物聞く物に付き。善惡に亙りて。厭欣心を勸む 0000_,18,145a15(00):る事を思ひなして。忘るべからすとなり。蓮花谷も 0000_,18,145a16(00):明徧僧都なり要集記五に見へたり殊に此事を要とし給へり。むかし增叟 0000_,18,145a17(00):かしこかりける行者なり。長明發心集三にあり初は思ひ付ずし 0000_,18,145b18(00):て忘れがちなれども。練磨すれば自然に思はるる事 0000_,18,145b19(00):なり。傳へ聞く。眞壁の敬佛上人は。此事を成就し 0000_,18,145b20(00):給ふ人なりと敬佛上人の語一言芳談に多く載たり弘法大師御發心の初を。 0000_,18,145b21(00):三敎指歸にあそばして云。看輕肥流水則電幻之歎 0000_,18,145b22(00):怱起。見支離懸鶉則因果之哀不休。觸目勸我。 0000_,18,145b23(00):誰能係風と以上決疑鈔裏書輕肥流水とは。好き馬車に乘て。 0000_,18,145b24(00):世に勢ひある人をいふ。支離懸鶉とは。老衰貧賤の 0000_,18,145b25(00):者をいふなり。これらの富る者。貧き者を見るに付 0000_,18,145b26(00):ても。榮花の程なき事。前業の拙きありさまを思ひ 0000_,18,145b27(00):やりて。わが道心を勸る媒なりと宣へる心なり。空 0000_,18,145b28(00):也上人市の邊にましまして。頭に雪を載きて世路を 0000_,18,145b29(00):走る類ひ。又目の前に僞りをかまへて。悔しかるべ 0000_,18,145b30(00):き後の世を忘れたる輩を見て。悲の涙にたへす。觀 0000_,18,145b31(00):念便ありと宣ひしなど。をのづから託事觀の意な 0000_,18,145b32(00):り。又いにしへ洛陽稻荷山の麓に。毎日日をおがみ 0000_,18,145b33(00):て涙を流す入道ありけり。日に向ひて。疾して。われ 0000_,18,145b34(00):を具して西へおはしませと願ひ侍りて。既に西の山 0000_,18,146a01(00):の端にかかり給ふ時には。聲も惜まず。われを捨て 0000_,18,146a02(00):はいづくへかおはしますとすずろに悲しくて。嬰兒 0000_,18,146a03(00):にて侍りし時。母のものに罷り出しが。心ぼそく慕 0000_,18,146a04(00):はしく侍りしよりは。猶くらぶべくもなく悲しく侍 0000_,18,146a05(00):りて。阿彌陀佛いかにし給ひつるぞと。泣より外の 0000_,18,146a06(00):事なしといひ侍るとなん。慈鎭和尚この入道の事を 0000_,18,146a07(00):閑居友に載給ひて。いと細かにこそなけれども。お 0000_,18,146a08(00):のづから日想觀にあたりて侍るとて。深く感心し給 0000_,18,146a09(00):ひけり。唐の楚石禪師の。幾度開窓看落月。一生 0000_,18,146a10(00):倚檻送斜暉となんいへるも。皆願心の切なりし 0000_,18,146a11(00):より起る所なるべし 0000_,18,146a12(00):一師或時語られけるは。われ性として財欲ふかく。 0000_,18,146a13(00):衣食の事なと。かれこれ思ひ煩ふこと年久し。然るに 0000_,18,146a14(00):身の程命の程を省みてしより後は。財欲ふかき心 0000_,18,146a15(00):を。後世の勤に思ひ換へ。念佛の數遍を策さんと。 0000_,18,146a16(00):時時增加しける間。今程十萬の日課に及べり。折に 0000_,18,146a17(00):依て。常課の外。三萬も勤め加る事。度度なりとぞ 0000_,18,146b18(00):申されける。およそ眞實の道人。生死の一大事を思 0000_,18,146b19(00):ふ事は。世人の名利を求て。汲汲たるが如くなるべ 0000_,18,146b20(00):し。されど道德を好む事。利名を好むが如く。賢を 0000_,18,146b21(00):賢として欲に易ふる事は。古よりこれを難しとす。 0000_,18,146b22(00):然るに今師の世財の貪心を飜して。出生の善貪に成 0000_,18,146b23(00):し給ふ事。いとあり難き心操なり。理趣釋に。菩薩 0000_,18,146b24(00):を大欲と名く。これ凡愚は。小利を求て大損を忘る。 0000_,18,146b25(00):賢聖は幻妄の小欲を捨て。究竟常樂の大欲を求め給 0000_,18,146b26(00):へり。光明大師の云。淨土を貪ぜざるは無生解脱の 0000_,18,146b27(00):障なりと。これを思ふべし 0000_,18,146b28(00):一或遁世の僧師に問て云。某隨分に本願を信じ。往 0000_,18,146b29(00):生の道あやふからず思ひ取て。念佛すること年久し。 0000_,18,146b30(00):されば佛願の賴母しき樣など思ひ續け候折には。寢 0000_,18,146b31(00):食をも忘るる程になん覺へ侍る。然れども。常には 0000_,18,146b32(00):左にもあらず。只わすれがちにのみ成行候は。いか 0000_,18,146b33(00):か侍るべきと。師答申さるる樣。それこそ凡夫の分 0000_,18,146b34(00):劑にて侍れ。大小にも思ひいれらるる事。世にあり 0000_,18,147a01(00):がたき信心なり。喩ていふに。世間の父母の一子を 0000_,18,147a02(00):思ふこと淺からず。又子の親を思ふこといく程ぞや。設 0000_,18,147a03(00):ひ至孝の子といふとも。父母の子を思ふ程にはいか 0000_,18,147a04(00):があるべき。衆生の佛をしたひ奉る事も。是に准へ 0000_,18,147a05(00):て知べし。佛の衆生を憐愍し給ふ事は。父母の子を 0000_,18,147a06(00):思ふよりも甚しと宣へり。されは思はぬ子をたに 0000_,18,147a07(00):も思ふは。親の習ひなり。まして聊もしたふ心あら 0000_,18,147a08(00):ん子を。なじかは捨べき。憶想のよはきに付ても。慈 0000_,18,147a09(00):悲の父母をかこつべきなり。しかばかりも佛を思ひ 0000_,18,147a10(00):奉るは。能き往生の因縁なるべし。ゆめゆめ卑下す 0000_,18,147a11(00):べからずと。示されしかは。彼僧。佛の慈悲の深重 0000_,18,147a12(00):なる事を思ひ知りて。いよいよ信心を增し。本の日 0000_,18,147a13(00):課三萬稱を增して六萬聲となし。歡喜信受して歸り 0000_,18,147a14(00):侍りき。私に云此事に付て。いにしへ南都勝願院の 0000_,18,147a15(00):良徧法印。迷子を養育して。本國に還し給ひし物語 0000_,18,147a16(00):あり。併せ案ずべし。鎌倉宗要第四と載たり。 0000_,18,147a17(00):一師或時法談の次。忙裏に間を偸みて念佛すべき 0000_,18,147b18(00):旨。喩を以て示されける。譬へはここに兄弟二人あ 0000_,18,147b19(00):らん。兩人共に或る富貴の家に宮仕して。一所に居 0000_,18,147b20(00):侍るなるべし。二人共に晝夜他事なく奉公しける 0000_,18,147b21(00):故。主人も健氣なる者に思ひ。殊にいたはりて。金錢 0000_,18,147b22(00):衣服等に至るまで。それそれに惠み與へて召仕け 0000_,18,147b23(00):り。これに依て兄弟の者いと賴母しき主人なりと思 0000_,18,147b24(00):ひ。一生はこの家に仕へて。心安く立身せんと。何 0000_,18,147b25(00):心もなく嬉しく思ひて。朝夕奉侍しけり。爰に其隣 0000_,18,147b26(00):家にいと親切なる老人ありて。かの兄弟二人の者を 0000_,18,147b27(00):近づけて。密に語り聞せけるは。足下達には。主人 0000_,18,147b28(00):の心底をとくと知り申さるまじ。其方達か。當分奉 0000_,18,147b29(00):公する間は主人言の外情あるやうなれとも。元來殘 0000_,18,147b30(00):忍き主人にて。其方達今六七年も過ぎ。年季明け候 0000_,18,147b31(00):時には。それまで與へ置し衣類財寶。殘なく取返 0000_,18,147b32(00):し。赤裸になして。追ひ出さるるなり。其時になり 0000_,18,147b33(00):ては。何ぞわが身に付たる藝能なければ。先へ行て 0000_,18,147b34(00):も身命を助くへき樣なく。路頭にたち。飢死するは 0000_,18,148a01(00):必定なり。これは何にても。身につく藝を分別し。 0000_,18,148a02(00):隙ひまに隨分習ひ置て。其折の用意いたすべしと諄 0000_,18,148a03(00):諄をしへられしかは。兩人聞て驚き悅ひ。おのおの 0000_,18,148a04(00):色代して歸へりぬ。扨兩人の内。兄は老翁の敎訓を 0000_,18,148a05(00):眞實に受て。夫より日日奉公の暇には。寸陰を惜 0000_,18,148a06(00):て。手習或は學問算勘など。種種の藝に心寄せ。隨 0000_,18,148a07(00):時分に稽古してけり。弟は老人の異見を疑ひ。賴た 0000_,18,148a08(00):る主人のかくばかり慈悲ふかく。萬事不足なきに。 0000_,18,148a09(00):なにしに衣類等まて取戾し追ひ出さるる事あるべき 0000_,18,148a10(00):と。更に老人の敎へを用ひず。行末の思案少もな 0000_,18,148a11(00):く。ただ明暮友同志あつまりて。大酒し。遊興勝負 0000_,18,148a12(00):などして。一藝をも習はず。空しく光陰を送り居け 0000_,18,148a13(00):り。扨年月經て。年季既に明しかは。主人兄弟の者 0000_,18,148a14(00):共を呼て。汝等年も明し故暇を遣はす也。これまで 0000_,18,148a15(00):其方共へあたへし所の衣類財寶。ことごとく返すべ 0000_,18,148a16(00):しとて。すなはち殘らず取返し。赤裸にて追出せ 0000_,18,148a17(00):り。かの老人の言葉少も違ひ侍らず。其時兄は兼て 0000_,18,148b18(00):藝能を備へ。調法なりし者故。ここかしこより招か 0000_,18,148b19(00):れ。却て前の主人より十倍も能き所へ抱へられ。安 0000_,18,148b20(00):穩に暮しけり。弟は無益に日を送りて。一藝をも習 0000_,18,148b21(00):はず。何の屑もなき者なれは。誰ありて扶持する者 0000_,18,148b22(00):もなく。路頭に伶俜て。終に餓死しけり。これは喩 0000_,18,148b23(00):なり。人間一生の消息も。又みなかくの如し。今日 0000_,18,148b24(00):娑婆に在て。飽まで食ひ暖に衣て。常住の想をな 0000_,18,148b25(00):し。後世の苦患をかへり見ず。優優と暮す事は。か 0000_,18,148b26(00):の兄弟の者。始め何心なく。主人を賴て。豐かに暮 0000_,18,148b27(00):し居けるが如し。老人の。後の爲に藝能を嗜み置へ 0000_,18,148b28(00):しと敎へられしは。佛祖の人人に。念佛して後世の 0000_,18,148b29(00):用意をなせと敎へ給ふか如し。兄奉公の隙には。諸 0000_,18,148b30(00):藝を習ひ策みしは。人人後世の閙はしき中にも。隨 0000_,18,148b31(00):分心懸て念佛を勤るか如し。弟が無智無藝にて。た 0000_,18,148b32(00):よる方なく。道路に餓死せるは。人人の佛敎を信ぜ 0000_,18,148b33(00):ずして一生徒に暮し。曾て後世の資粮を貯へずして 0000_,18,148b34(00):遂に三惡道に墮するが如し。若しからは。兄弟二人 0000_,18,149a01(00):の内。いづれにたよらん。弟が如く。佛祖の敎を信 0000_,18,149a02(00):ぜず放逸にして。空しく光陰を送り。最後に臨て。 0000_,18,149a03(00):平生の懈怠を悔ゆとも何の益かあらん。すべからく 0000_,18,149a04(00):兄が老翁の敎を信ぜし如く。早く本願の一行を信じ 0000_,18,149a05(00):て。毎日寸陰を惜み。隨分に念佛相續して。此度順 0000_,18,149a06(00):次往生を遂け。速かに輪廻の里を離て。無爲の快樂 0000_,18,149a07(00):を得給ふべしと勸化せられしかは。日課念佛未受の 0000_,18,149a08(00):者は。これを受け。已受の者は。更に勇進をぞ加へ 0000_,18,149a09(00):侍る 0000_,18,149a10(00):一師或る信士に尋ねられしは。御邊には一向專修に 0000_,18,149a11(00):勤られ候やと。信士答て申さく。先年より一向專修 0000_,18,149a12(00):に相勤候。但し地藏尊には。二佛中間の衆生を守り 0000_,18,149a13(00):給ふよし承り候て。信心增進の爲に。勤行の折に 0000_,18,149a14(00):は。大士の寶號十聲づづ稱え候。この外には。餘の 0000_,18,149a15(00):咒願一切まじへ候はずと。師云念佛の外には。護念 0000_,18,149a16(00):の爲とて。殊更地藏の寶號を唱るに及ばず。其故 0000_,18,149a17(00):は。念佛の行者をは。一切の佛菩薩諸天善神も。こ 0000_,18,149b18(00):とごとく護念愛樂し給ふ。されば別して地藏尊を祈 0000_,18,149b19(00):らずとも。念佛たに眞實に申せは。大士の加護は。 0000_,18,149b20(00):をのづからこれあるべしと。示されしかば信士いよ 0000_,18,149b21(00):いよ一行に結歸してけり 0000_,18,149b22(00):一師或時語りていはく。同行の内誰にても。病をう 0000_,18,149b23(00):け。快氣あるまじき樣に見えなば。指付て必死の覺 0000_,18,149b24(00):悟をさせ念佛を勸むべし。われ世上を見るに。此度 0000_,18,149b25(00):限りと見ゆる病人にも。其前にては。養生せられ 0000_,18,149b26(00):は。快氣あるべし。顏色も少し能きなといひて。陰 0000_,18,149b27(00):にては。彼人の病氣。此度必死と見ゆ。中なか快復 0000_,18,149b28(00):すべきにあらずなどいへる類ひままおほし。是いは 0000_,18,149b29(00):ゆる虚花不實殃及の語なり。設ひ親類眷屬の心に碍 0000_,18,149b30(00):るとも。それをは遠慮すべからず。若臨終近き病人 0000_,18,149b31(00):に向ひて。快氣あるべしなといひて。油斷さする 0000_,18,149b32(00):は。譬へは隣家に失火あらんに。火許遠し別條ある 0000_,18,149b33(00):まじなどいひて。家主に油斷せさせ。財寶悉く燒き 0000_,18,149b34(00):失はしめんか如し。人人の臨終は。ふたたび仕直し 0000_,18,150a01(00):のならざる一大事なり。此時にあたりて。人の機嫌 0000_,18,150a02(00):を憚りて眞實を告ず。大切の同行の一大事を取り損 0000_,18,150a03(00):せんは。千萬不實不仁の至りなるべし。相構て眞實 0000_,18,150a04(00):慈悲の心を起して。いか樣にも方便をめぐらし。念 0000_,18,150a05(00):佛を勸めて。往生を遂げしむべしとそ申されける 0000_,18,150a06(00):私に案ずるに。此中にいか樣にも方便をめぐらして 0000_,18,150a07(00):といへる語。心を著べし。いかに實を以て告ればと 0000_,18,150a08(00):て。病人の機嫌をもかへり見ず。無骨に覺悟せよな 0000_,18,150a09(00):どいひて。病人に瞋恚厭憎の心を起さしめは。敎化 0000_,18,150a10(00):の詮なかるべし。まして今はの時に臨ては。萬事心 0000_,18,150a11(00):細かるべし。知識看病人よくよく心得あるべき事な 0000_,18,150a12(00):り。有人云。わか臨終の時には。すは只今と見ゆる 0000_,18,150a13(00):はなどいふべからず。無始より惜み習ひたる命なれ 0000_,18,150a14(00):は。心ぼそく覺ゆる事もあらんか。ただ念佛を勸む 0000_,18,150a15(00):べき也と一言芳談一休禪師の。身まかる時は。草木まて 0000_,18,150a16(00):なつかしといはれけるとなん羅山子の野槌に見えたり惣て知識看 0000_,18,150a17(00):病人の用心は。專ら病者の心を將護し。方便して勸 0000_,18,150b18(00):むるを第一とすべきなり。 0000_,18,150b19(00):一或時人人あまた打寄て。僧の身持惡き事などある 0000_,18,150b20(00):を。かれこれ語りあひけるを。師聞付て申されし 0000_,18,150b21(00):は。惡僧の惡事を語るは。善き人の事を惡くいふよ 0000_,18,150b22(00):りは。其罪かへつて重し。其故は。善き人の上には。 0000_,18,150b23(00):一旦謗難をうくれども。本淸けれは。後には晴るる 0000_,18,150b24(00):者なり。惡人は本實に濁りたれは一たひ諸人に科を 0000_,18,150b25(00):いひ立らるれは。再び淸まる事なし。およそ惡人の 0000_,18,150b26(00):惡を造りて佛法に遠ざかるも。みな業障深重なる 0000_,18,150b27(00):故なれは。却て慈悲を起して。これをあはれむべき 0000_,18,150b28(00):事なり。かならず憎み謗る事なかれとぞ。誡め申さ 0000_,18,150b29(00):れける。私に云。菩薩戒に實に過ある者を謗るをは 0000_,18,150b30(00):重禁とし。本過なき人を謗るをは。輕戒に入らるる 0000_,18,150b31(00):も。實の過は其の痛甚深くもとなき過は。終には晴 0000_,18,150b32(00):るる故其人の惱。一旦なるか故なり 0000_,18,150b33(00):一師或時農人あまた炎天に汗を流して。耕作するを 0000_,18,150b34(00):見て。隨侍の者に申されしは。かく農夫のたへがた 0000_,18,151a01(00):き辛苦を以て。作り出したる者を。在家より三寶供 0000_,18,151a02(00):養の爲とて。妻子のの家口を省きて出家に施す。出 0000_,18,151a03(00):家は此施を受て世事を遁れ。心安く佛道修行するな 0000_,18,151a04(00):り。然るに僧となりて。身持を放埓にし。稼穡の艱 0000_,18,151a05(00):難をもおもひやらず。虚なく信施を受て恐れざる 0000_,18,151a06(00):は。これ無道心の至りなり。殊に易行易修の念佛な 0000_,18,151a07(00):るに。それをも修せずして。朝には日高るまであさ 0000_,18,151a08(00):いし。或は恣に晝寢し。其外無益の事をなして。徒 0000_,18,151a09(00):に光陰を費す事。苦苦敷事なり。當來洋銅鐵丸の苦 0000_,18,151a10(00):報。怖るべしとぞ示されける。 0000_,18,151a11(00):一享保三年秋の季。師所勞の間。信夫郡八町目櫻内 0000_,18,151a12(00):善四郞といへる者。師の禪室へ尋訪ひ。養性の事な 0000_,18,151a13(00):どかれこれ申候て。信夫郡の出湯は。師の御病症に 0000_,18,151a14(00):相應の溫泉と覺え候。深山の秋色折から物幽かにし 0000_,18,151a15(00):て。保養の御爲かたかた宜しかるべく存るなり。是 0000_,18,151a16(00):非に入湯し給へかしと慇懃に勸め申けり。師應諾の 0000_,18,151a17(00):氣色もなかりしか共。強に勸め申すに依て。師申さる 0000_,18,151b18(00):るるやう。此度の病氣。いか樣にすとも快復あるべし 0000_,18,151b19(00):共覺へ侍らず。しかしながら此序を以て福島邊の同 0000_,18,151b20(00):行へ今生の暇乞せん事。幸に存する也。兎も角もを 0000_,18,151b21(00):のをの心に任すべしとて。契約して土湯へ參られけ 0000_,18,151b22(00):り。此節福島より。同行の人人。見舞の爲に代る 0000_,18,151b23(00):がわる伺候せり。或夜打寄て師に申上けるは。此間湯 0000_,18,151b24(00):治も相應なされ候にや。御顏色も餘程能く御見へ 0000_,18,151b25(00):候。加樣に候はば。段段御快氣あるべしなと申けれ 0000_,18,151b26(00):は。師しばらく默然として申されけるはおのおのに 0000_,18,151b27(00):告申度事侍り。われ平生萬事を振捨て。唯往生極樂 0000_,18,151b28(00):を願ふ外他事なく。此度の病氣本復なくして。往生 0000_,18,151b29(00):を遂ん事。本望なりと。心中に悅ひ思ふといへど 0000_,18,151b30(00):も。此間人人尋來て。湯も相應し容體も能く見ゆ 0000_,18,151b31(00):るなど申さるるを聞けば。何となく心嬉しく思ふな 0000_,18,151b32(00):り。われ常常往生をいそぎ。死を待つ思ひありて。 0000_,18,151b33(00):又加樣に心動く事はいかなる故ならんと思ふに。無 0000_,18,151b34(00):始より。以來。生を惜みし薰習にて。自然に此心お 0000_,18,152a01(00):こるなるべし。これを以て思ふに。在家なぞは。殊 0000_,18,152a02(00):さら妻子眷屬財寶に至るまで。悉く愛著の境界な 0000_,18,152a03(00):り。其上日日の家業一として。生死流轉の因縁なら 0000_,18,152a04(00):ずといふ事なし。されは臨終の期には。定て生を惜 0000_,18,152a05(00):む心いよいよ深かるべし。此一大事兼て用意あるへ 0000_,18,152a06(00):き事也。若この心おこらん時には。急に兩眼をふさ 0000_,18,152a07(00):ぎ。靜かに人間一生の消息を思ふべし。設ひ望のご 0000_,18,152a08(00):とく存命たりとも。百年の齡を過べからず。其間の 0000_,18,152a09(00):樂み。何程の事かあらん。早く此穢土を離れて不退 0000_,18,152a10(00):の淨土に到り。永劫の快樂を得んには如じと。急に 0000_,18,152a11(00):心を引改め。偏に佛の願力を賴て。一筋に念佛し目 0000_,18,152a12(00):出度往生の素意を遂らるべし。今此詞を以て。夢後 0000_,18,152a13(00):の記念と思ひ給ふべしと。諄諄示し申されしかは。 0000_,18,152a14(00):同行の諸人ことごとく感涙をしたて侍りぬ 0000_,18,152a15(00):一師或時語りて云。眞實に念佛を勤る心持は。譬へ 0000_,18,152a16(00):ば百人の盜人の中に在て。われ一人金を持たる思ひ 0000_,18,152a17(00):なるべし。世人は皆わが法財を盜まんと欲する者 0000_,18,152b18(00):也。たまたま得たる所の法財を。相構へて盜賊の爲 0000_,18,152b19(00):に失ふべからず。これに付ても。いよいよ佛の加護 0000_,18,152b20(00):を賴み奉るへき也とぞ申されける。私に云。天台の 0000_,18,152b21(00):止觀に。密覆金貝莫令盜見と。南山の淨心誡 0000_,18,152b22(00):觀に。善如金玉不用他知と。明禪法印の云。人 0000_,18,152b23(00):をは人が損するなりと。これ妬て謗り。敬ひて譽 0000_,18,152b24(00):む。共にわが心行の障なり。東漸大師の宣く。すべて 0000_,18,152b25(00):親きも疎きも。貴きも賤きも。人に過たる往生の怨 0000_,18,152b26(00):はなし。それが爲に飾る心を起して。順次の往生を 0000_,18,152b27(00):遂ざればなりと。皆この心なり 0000_,18,152b28(00):一師或人の念珠を麁相に搯を見て告て申されしは。 0000_,18,152b29(00):譬へは世人の紙を買ふを見るに。一つひとつ數をよみ 0000_,18,152b30(00):て。若一錢二錢にても不足あれは。かならず改めて 0000_,18,152b31(00):取る也。又金銀を取り遣りするを見るに隨分に吟味 0000_,18,152b32(00):して。若色あひ惡く少し切なとありても。顏を赤め 0000_,18,152b33(00):て互に諍ひ訇るぞかし。しばし計の渡世の小事を 0000_,18,152b34(00):は。大切と思ひて。念に念を入れ。永き世の苦患を助 0000_,18,153a01(00):かる念佛をは。疎畧になすはいか成心ぞや。誠に此 0000_,18,153a02(00):度あひ難き本願名號に逢ひ奉りぬ。一遍にても。お 0000_,18,153a03(00):ろそかに思ふべきにあらず。然るを或は咄を搯入 0000_,18,153a04(00):れ。或は念佛一遍に。數珠を三顆四顆なと驀過事。 0000_,18,153a05(00):ゆゆしき不實の者なりとぞ誡め申されける 0000_,18,153a06(00):一享保元年三月師相馬不亂院にて。勸化の砌。或る 0000_,18,153a07(00):信士日課念佛を受け。名號を拜受しけり。其後名號 0000_,18,153a08(00):を裱具して。是を佛壇に揭け。念佛を勤め居ける 0000_,18,153a09(00):は。一兩日過て夢みるやう。或寺へ諸人參詣の樣子 0000_,18,153a10(00):に見へける故。人並に參りたるに。佛殿の中心に高 0000_,18,153a11(00):座を飾れり。扨は説法あるにや。能き所へ參り合ひ 0000_,18,153a12(00):たりと悅ひて。内へ入りて見候へは。人は一人もな 0000_,18,153a13(00):し。われ心に思ふやう。今まて大勢來りつる樣に見 0000_,18,153a14(00):えしに。一人もこれ無き事。いと不審なりと。すな 0000_,18,153a15(00):はち佛壇の陰を覗きけれは。無能和尚淺黑の直裰に 0000_,18,153a16(00):木蘭の袈裟を着し。齋を受用しておはしましけり。 0000_,18,153a17(00):扨は御齋以後の法談なるべしと。しばらく控へ居候 0000_,18,153b18(00):所に。師咄の樣に仰せけるは。愚僧方より。日課を 0000_,18,153b19(00):受られ候人人の中に。惡く心得候方もあるにや。日 0000_,18,153b20(00):課二千三千。或は五千一萬と。人人の根機相應に受 0000_,18,153b21(00):なから。其所作を大儀に思ひ。或は何時にても。其 0000_,18,153b22(00):日の所作を勤め仕廻へは。最早心安しと思ひ。夫よ 0000_,18,153b23(00):りは一向念佛を打捨て。餘念にのみ馳居候人あり。 0000_,18,153b24(00):これゆゆしき僻事なり。設ひ百遍千徧の日課なりと 0000_,18,153b25(00):も。其數を搯り仕廻ても。暇だにあらば。心に念佛 0000_,18,153b26(00):を忘れず。隨分に稱るやうにする者なり。日所作を 0000_,18,153b27(00):定て勤むる事も。詮はただ念佛を相續し。往生極樂 0000_,18,153b28(00):の念を忘るまじき爲なり。然るを所作の數を搯り果 0000_,18,153b29(00):て後は。ひたすら念佛を打忘れ居候事。千萬本意を 0000_,18,153b30(00):失ひたる事なり。此事をあまねく諸人にいひ聞せ。 0000_,18,153b31(00):能能心得申させたき者也。惣して念佛に怠るも明日 0000_,18,153b32(00):を賴む心ある故也。今日今夜の内。只今を臨終の時 0000_,18,153b33(00):節と思ひなさは。設ひ日課はわづか百遍千遍と定む 0000_,18,153b34(00):とも。念佛はをのづから心の内に絶えず唱へらるる 0000_,18,154a01(00):者なりとぞ仰せられける。此御示を聞て。心中にい 0000_,18,154a02(00):とありかたく思ふ内に夢覺め侍りぬ。此夢の御示に 0000_,18,154a03(00):依て。我等が所存をかへり見るに。いかにも日ころ 0000_,18,154a04(00):惡く心得て。日課をも勤め申せし故かく誡めまし 0000_,18,154a05(00):ましけると。慚愧の思ひにたへず。驚きて寢所を出 0000_,18,154a06(00):て身を淸めそれより後は。隨分に如法に勤め侍り 0000_,18,154a07(00):き。此感夢の事。露顯を憚るといへとも。夢中の御 0000_,18,154a08(00):示に。此事を。諸人に能能いひ聞かせ度と宣ひし御 0000_,18,154a09(00):詞默止がたきに依て。篤信の同行一兩輩に語り侍り 0000_,18,154a10(00):しとぞ申しける 0000_,18,154a11(00):一師或時語りていはく。いにしへの智者先德の中 0000_,18,154a12(00):に。廣く諸法を修し給ふ事あるは。機根も勝れ。信 0000_,18,154a13(00):心も厚くまします故。いづれの行を修し給ふとも。 0000_,18,154a14(00):障になる事なし。譬へは富貴なる人の。諸方へあま 0000_,18,154a15(00):た音物を送れとも。本より財寶多けれは。身上に障 0000_,18,154a16(00):る事なし。貧賤なる者。その眞似をして。所所へ信 0000_,18,154a17(00):物あまた送りなば。頓て身代困窮して渴命に及ぶべ 0000_,18,154b18(00):し。當今の人は。信薄く根劣りたる事。至極の貧人 0000_,18,154b19(00):に同じ。上代の智者連の豐なる振舞をなさは。勞し 0000_,18,154b20(00):て功なく。遂に一行をも成就する事なかるべし。こ 0000_,18,154b21(00):れ餘法を貶しめて修せざれといふにはあらず。たた 0000_,18,154b22(00):末代の根機をかへりみて一行に功を入れて。早く成 0000_,18,154b23(00):就せしめんと也。是に依て元祖大師も御一生の間。 0000_,18,154b24(00):慇懃に。專修一行を勸め給へるなりとそ申されけ 0000_,18,154b25(00):る 0000_,18,154b26(00):一宇多郡に木和田氏某といへる者あり。年老たる父 0000_,18,154b27(00):母並に妻子を捨て出家遁世し。名を正信とそ號しけ 0000_,18,154b28(00):る。信夫郡に厭求といへる。遁世ひじりのありける 0000_,18,154b29(00):を尋行て同宿しけり。然るに正信いく程なくして。 0000_,18,154b30(00):重病を受けて苦痛甚しかりけり。同法の僧共。若宿 0000_,18,154b31(00):業の致す所にやと。いと歎かはしき事におもひ。すな 0000_,18,154b32(00):はち無能和尚の許に至り事の始末を。おろおろ語り 0000_,18,154b33(00):聞え奉りけれは。師申さるる樣。かの僧の發心の來 0000_,18,154b34(00):由。いかがありけるにや。それ當時出家遁世する者 0000_,18,155a01(00):の中に。佛意に叶ふと叶はざるとの二つあり。一に 0000_,18,155a02(00):いにしへ智者連の遁世し給ふは。恩愛財寶等。いた 0000_,18,155a03(00):りて捨がたき事なれとも。出離の一大事には換がた 0000_,18,155a04(00):けれは。深く道理を思ひ取て。歎きなからこれを振 0000_,18,155a05(00):捨て出家遁世し。萬事を放下して。不惜身命に佛道 0000_,18,155a06(00):修行し給ふなり。これ眞正發心の遁世なり。二には 0000_,18,155a07(00):今の遁世者は。さにはあらず。或は産業の乏しきに 0000_,18,155a08(00):慍じ果。或は主君朋友などに恨を含み。或は其性 0000_,18,155a09(00):惰にして。世事に退屈し。出家は萬事心安く暮す者 0000_,18,155a10(00):と心得て。いつか出家遁世の身と成て。世を安樂に 0000_,18,155a11(00):送らん。一生は夢幻の程なりなと託て。生死の一大 0000_,18,155a12(00):事をは露ばかりも思ひかけず。其上跡にて父母妻子 0000_,18,155a13(00):の歎くをもかへり見ず。只われひとり苦を遁れ。身 0000_,18,155a14(00):を安くせんと思ひて遁世する類ひ。世におほし。こ 0000_,18,155a15(00):れは發心僻越の遁世なり。いにしへの世を遁れ給へ 0000_,18,155a16(00):る先德連の道心深き上にすら。猶妻子に心ひかれて 0000_,18,155a17(00):涙に咽ひ。前後をも分ぬ程なれども。道理を以て心を 0000_,18,155b18(00):責て。あながちに世を背き給ふぞかし。然るに今時 0000_,18,155b19(00):は。世も遙かに降り。根も至りて衰へたるに。恩愛 0000_,18,155b20(00):の境に於て。一毫も不便の思ひなく。手際なる捨や 0000_,18,155b21(00):うは。いかにも心底に。大邪見の殘忍機性なる故 0000_,18,155b22(00):ならんと。推量られたり。これらは遁世の本意。既 0000_,18,155b23(00):に佛意に背き。發心正しからざる故晩節を持たず。 0000_,18,155b24(00):頓て佛法を以て世渡る橋にとりなし。果には虚假名 0000_,18,155b25(00):利の窠窟に陷り。他の信施を貪り。當來惡趣に墮在 0000_,18,155b26(00):する也。若かの遁世者。件の如き意地にて發心せは 0000_,18,155b27(00):冥慮に背き侍る故。現罰にても苦痛甚しき事あるべ 0000_,18,155b28(00):し。能く此旨をいひ聞せ。佛前に於て。其邪見の心 0000_,18,155b29(00):地を懺悔せさすべし。愚僧も此方にて念佛の序に。 0000_,18,155b30(00):爲に懺悔すべしとぞ示されける。同法の僧歸りて。 0000_,18,155b31(00):右の趣を具に正信に語り聞せけれは。正信はなはだ 0000_,18,155b32(00):驚き。落涙して申けるは。扨もこれまで誤り侍り。 0000_,18,155b33(00):誠に師の宣ふ所。毛頭も違ひ侍らず。われ家計の貧 0000_,18,155b34(00):きに付て。退屈の心起り。おのづから世の墓なき事な 0000_,18,156a01(00):と思ひ合せ。兎角世を遁れ心儘に念佛して往生せん 0000_,18,156a02(00):と思ひ。父母妻子の歎きをは。ふつに思ひやり侍ら 0000_,18,156a03(00):ず。只何のわきまへもなく。遁世し侍る也。今あり 0000_,18,156a04(00):がたき明師の御敎訓を承りて。深く慚愧懺悔の心起 0000_,18,156a05(00):りて。身の置き所なき程に覺へ候とて。頻に涙を流 0000_,18,156a06(00):しけり。同行の僧共。いと哀に思ひて。相共に懺悔 0000_,18,156a07(00):念佛せり。然ありければ。不思議やさばかりの苦痛 0000_,18,156a08(00):立地に息み。剩へ臨終ちかくなるままに。現に佛菩薩 0000_,18,156a09(00):の來迎を拜し奉りし事。度度なり。かくて命終の時 0000_,18,156a10(00):日を指し。念佛退轉なく。最後安詳にして。往生の 0000_,18,156a11(00):素懷を遂侍りぬ。其臨末の勝相は。具に別記にあ 0000_,18,156a12(00):り。これ偏に師の敎化の力なりとて。人皆感じあへ 0000_,18,156a13(00):りける 0000_,18,156a14(00):師善入法師に遣はす消息に云 0000_,18,156a15(00):別後程のいまた遠からずといへとも。思ひほとんと 0000_,18,156a16(00):胡越におなしく候。いかか其境の蓮友のいつれも懈 0000_,18,156a17(00):怠なく。淨業相はげまされ候や。無常迅速の世なれ 0000_,18,156b18(00):は。はやあだし野の露と消にし方もあるべきと。心 0000_,18,156b19(00):許なく存候。此地なとにも。暫時の間に。兼て思ひ 0000_,18,156b20(00):よらぬ人の。先連て鳥部山の煙と立のぼりしもあま 0000_,18,156b21(00):たこれあり候。かかるに付ても。自他共に念死念佛 0000_,18,156b22(00):の用心。大切に用意すべき事に候。此邊には只並 0000_,18,156b23(00):なみの行者ばかりにて。眞成に往生を思ひ入れ。委 0000_,18,156b24(00):しく念佛の安心など尋訪ふ人もなく。順次往生と打 0000_,18,156b25(00):傾きたる者。おほくも見え候はねは。淺猿思ふに付 0000_,18,156b26(00):ても。其地にて。いづれもねんごろに後世物語いた 0000_,18,156b27(00):せし事。思ひ出されて。なつかしき計に候。且此方 0000_,18,156b28(00):小島といふ里に。彌陀大佛の靈堂これあり候間。兼 0000_,18,156b29(00):日百萬遍苦行の大願思ひ立。今十五日の日沒より。 0000_,18,156b30(00):彼寂堂に引籠り。午時一食の外は。飮食曾て口にふ 0000_,18,156b31(00):れす。手水便利の外。更に座を起ず。隨分に相勵候 0000_,18,156b32(00):所に。七日七夜にして。果して百萬遍成就致し畢ぬ。 0000_,18,156b33(00):予か如き下根の身。七日にて成就すべき事とはゆめ 0000_,18,156b34(00):ゆめ思ひ寄ざる所にやすやすと成就せし事。ひとへ 0000_,18,157a01(00):に彌陀尊護念力の加し給へる故と思はれ。稱名の信 0000_,18,157a02(00):心ますます決定し。順生極樂毛頭も疑ひなく。今は 0000_,18,157a03(00):ただつらき命の。猶存へて。淨土往詣の待遠きを 0000_,18,157a04(00):歎く斗にて。折折は上人の生なは念佛の功をつ 0000_,18,157a05(00):み。死なは淨土に往生せんなと。仰られし御詞を思 0000_,18,157a06(00):ひ出し。うき中に心を慰め明し暮し候ぬ。寔に夢幻 0000_,18,157a07(00):泡影の境。何事にか心を留ん。電光朝露の命。餘算 0000_,18,157a08(00):幾時をか期すべき。唯萬事を思ひ捨て。一筋に往生 0000_,18,157a09(00):の一路を守るへき事なり。ここを以て永觀律師は値 0000_,18,157a10(00):かたくして一たひ遇へり。豈身命を惜まんやと。宣 0000_,18,157a11(00):ひ。記主禪師は。萬劫に希に聞き。今始て逢奉る。 0000_,18,157a12(00):萬事を抛つべき時なりと仰られたり。誰誰にも此こ 0000_,18,157a13(00):とはりを仰せ傳へられ。隨分に稱名正業相勵まさ 0000_,18,157a14(00):れ。順次往生の本意を遂給ふべし。露の命。若消や 0000_,18,157a15(00):らずして明年までも存へ候はは。夏秋の比罷下り。 0000_,18,157a16(00):安心の物語をも申すべく候。若將往生を得候はは。 0000_,18,157a17(00):安養一蓮の時を期すべく候 0000_,18,157b18(00):故郷の戀しかりける歸るさは身のつかれをもおもひ 0000_,18,157b19(00):やはする 0000_,18,157b20(00):何事もおもひすてつついのるかな臨終正念往生淨土 0000_,18,157b21(00):と 0000_,18,157b22(00):又或時同し法師の許へ遣はされし消息に云 0000_,18,157b23(00):愚僧も舊冬より小島へ引越し。いよいよ間暇の身に 0000_,18,157b24(00):罷成候ゆへ。導師の上品往生阿彌陀佛國の願文。又 0000_,18,157b25(00):空師の若願力によりて生るべくは。上品なんぞ望を 0000_,18,157b26(00):絶んとの御示し。向上人の位を上品にあてて。隨分 0000_,18,157b27(00):に勵むべしとの御詞、ふかく心に染候ゆへ。正月元 0000_,18,157b28(00):日よりは。身不肖なれとも。志上品を期し。機拙な 0000_,18,157b29(00):けれ共。日課十萬以上と心懸け。大樣十一萬並に勤 0000_,18,157b30(00):め候。然れ共生れ付たる妄念はうすろがず。散亂も 0000_,18,157b31(00):しづまらず。切に歎かはしけれとも。他力を賴む故實 0000_,18,157b32(00):は。かかる淺ましき心故と。いよいよ信心を增し候。 0000_,18,157b33(00):誠にかかる拙き身の十一萬以上の日課に及ひ候事。 0000_,18,157b34(00):偏に。彌陀大願慈力光明攝取の御利益と存し。順次 0000_,18,158a01(00):往生露も心を置く事なく。今ただ浮世のいとと厭は 0000_,18,158a02(00):しく。引接の期の待遠なるを歎く斗に候。若命猶つ 0000_,18,158a03(00):らくて世にながらへ候はば。夏中下向致す事もこれ 0000_,18,158a04(00):あるべく候。心に任せて筆を染れは。稱名の暇をさ 0000_,18,158a05(00):え候故。思ひを殘して紙毫を抛つ南無阿彌陀佛已上取詮 0000_,18,158a06(00):師或人に書與へられし一紙に云 0000_,18,158a07(00):往生禮讃云。仰願一切往生人等。善自思量。已能今 0000_,18,158a08(00):身願生彼國者。行住坐臥必須勵心尅己晝夜莫 0000_,18,158a09(00):廢畢命爲期。上在一形似如少苦。前念命終後 0000_,18,158a10(00):念即生彼國。長時永劫常受無爲法樂乃至成佛不 0000_,18,158a11(00):逕生死豈非快哉應知然阿上人云。此文念佛 0000_,18,158a12(00):修行之龜鏡也。收心腑莫忘。誠に自他の身を思 0000_,18,158a13(00):忖するに。曠劫以來三界に流轉して。四生の身を受 0000_,18,158a14(00):る間。常に三途の底に沈み。希に人天の波に漂ひ。 0000_,18,158a15(00):生死の苦患いくはくぞや。然るにたまたま人趣の生 0000_,18,158a16(00):を感じ。逢かたき佛法にあふといへとも。戒行持ち 0000_,18,158a17(00):難く。定惠修し難し。悲哉寶の山に入ながら。手を 0000_,18,158b18(00):空して。重て三途の舊里に歸りなんとす。誰かこれ 0000_,18,158b19(00):を歎かさらん。寔に彌陀大悲主。罪惡深重の機の爲 0000_,18,158b20(00):に起し給へる。超世の本願に遇へ奉る事。渡に船を 0000_,18,158b21(00):え。闇に燈をえたるが如し。寔に多生の大慶。歡喜 0000_,18,158b22(00):比すべき者なし。知ぬ三界の煩籠を出て。安養の寶 0000_,18,158b23(00):刹に至らん事。只今生に極りぬ。早く萬事を抛て。 0000_,18,158b24(00):西方の一路を唯願唯行すべし。若餘日を賴まば心行 0000_,18,158b25(00):かならず疎かならん。無常迅速なり。明日を期し難 0000_,18,158b26(00):し。只今を必死の限と思ふべし。昔し仁和寺邊の聖 0000_,18,158b27(00):は。耳を塞て念佛し。心戒上人は蹲踞して安坐せず。 0000_,18,158b28(00):彼も凡夫なり。我も人趣なり。機根はるかに隔つに 0000_,18,158b29(00):あらず。唯これ無常を必至と心に置くと置ざると 0000_,18,158b30(00):にあるなり。又三塗億劫の猛苦を思はは。設ひ骨を 0000_,18,158b31(00):粉にし。身を碎くとも。更に痛む所にあらじ。况や 0000_,18,158b32(00):易行易修の念佛をや。安養常住の快樂を思はは。設 0000_,18,158b33(00):ひ百千萬歳の勤修も。何そ退屈を生ぜん。况や一生 0000_,18,158b34(00):暫時の相續をや。泡末の身消さる程。草露の命存ら 0000_,18,159a01(00):ふる間。隨分に相續し給はは。一生の勤苦は須臾の 0000_,18,159a02(00):間にて。頓て前念命終の砌には。聖衆の迎將に預 0000_,18,159a03(00):り。後念即生の刻には。速かに黄金の膚となり。三 0000_,18,159a04(00):明六通無礙自在を得ん事。豈たのもしからずや。只 0000_,18,159a05(00):兎にも角にも助給へ南無阿彌陀佛と稱ふべき也 0000_,18,159a06(00):一師寶永六年十二月廿六日の晝。少少衣類の事な 0000_,18,159a07(00):と。兎や角おもひて打まどろまれたる夢に。禪僧祖達 0000_,18,159a08(00):來て告る樣。紙衣はよはきこそ寶なれ。其故は。紙 0000_,18,159a09(00):衣の破れ易きに付ても。此身のあやうき事もしられ 0000_,18,159a10(00):て。修行を勵ます便と成なり。然るを不得心の世捨 0000_,18,159a11(00):人の紙衣もつよきが能抔と求めあひたるは。心なき 0000_,18,159a12(00):事なりといふて打笑と見て夢覺ぬ。誠に此夢の告。 0000_,18,159a13(00):肝に染て思ひしられけれは。更に紙衣の十德を考へ 0000_,18,159a14(00):得たり。一易求無憂二無盜賊怖三離名利念四 0000_,18,159a15(00):防寒遮風五無洗濯煩六蚤虱不住七離執著念 0000_,18,159a16(00):八起居自靜九絶他羨望十勵行法媒已上此中に第 0000_,18,159a17(00):十の德殊に肝心と。歌に紙衣は世を捨人の綾錦求め 0000_,18,159b18(00):やすくて十の德ありと。かの明遍僧都の紙衣にゑも 0000_,18,159b19(00):んつくろふ程の者は。不覺人にて有けると宣しも同 0000_,18,159b20(00):し風情なり 0000_,18,159b21(00):師の夢の記に云 0000_,18,159b22(00):一寶永六年十二月廿七日の夜。觀念法門に引く所の 0000_,18,159b23(00):般舟三昧經の。佛言四衆於此間國土念阿彌陀佛。 0000_,18,159b24(00):專念故得見之。即問持何法得生此國。阿彌陀 0000_,18,159b25(00):佛報言欲來生者當念我名莫有休息即得來 0000_,18,159b26(00):生といへる文の内下の三句を夢みたり。餘りあり 0000_,18,159b27(00):かたく思ひしかは。かくつつけ侍る 0000_,18,159b28(00):極樂へ生れんことをおもひなは。たえず唱へよ南無 0000_,18,159b29(00):阿彌陀佛 0000_,18,159b30(00):一寶永七年正月九日の夜夢みらく。或僧來りて。長 0000_,18,159b31(00):三尺程ある古き掛物を壁に掛て拜ませける。其畫像 0000_,18,159b32(00):の體。左の方には。二十五の聖衆來迎のよそほひ。 0000_,18,159b33(00):右の方には一僧端坐合掌せるを。觀音蓮臺を擎げ近 0000_,18,159b34(00):づき給ふありさまなり然れとも繪の體初心に見えけ 0000_,18,160a01(00):る故。さまで貴くも覺へざりけるに。側に僧あり 0000_,18,160a02(00):て。これは聖光上人てづから御往生の體を圖し給ふ 0000_,18,160a03(00):なりと知らせけるを聞て。信心肝に銘じて夢覺ぬ。 0000_,18,160a04(00):一同年四月二日踏瀨村一宿の夜夢みるやう。長三尺 0000_,18,160a05(00):程の紺地金泥の三尊の繪像。中尊は接取の御手な 0000_,18,160a06(00):り。その御肩の上より一首の歌を書下せり。歌の文 0000_,18,160a07(00):字又金泥なり。程少し遠く拜しけれは。われここに 0000_,18,160a08(00):といふ五文字ばかり分明にて。其外はあとも見へわ 0000_,18,160a09(00):かざりけるを。われ何心なく古歌を吟ずる思ひにて 0000_,18,160a10(00):われここに佛の御名を唱れは彌陀の誓ひの捨はし 0000_,18,160a11(00):てましと。讀つつけけれは。傍なる人。それは法然 0000_,18,160a12(00):上人の御詠歌なりといひけり。漸く近きて拜まんと 0000_,18,160a13(00):する内に障ありて夢さめけり 0000_,18,160a14(00):一正德五年八月廿七日より。九月三日まて。彼岸七 0000_,18,160a15(00):日の法談を勤め。同三日の日中より。翌四日の晨朝 0000_,18,160a16(00):まて。佛祖報恩の爲に。別時念佛を修行しける所に。 0000_,18,160a17(00):三日の晩或人病者の十念回向を賴みし故初夜の勤行 0000_,18,160b18(00):の終に十念回向しけり。然るに其翌日晨朝前に夢 0000_,18,160b19(00):みらく。所はいづくとも思ひわがず。先つ虚空に勝 0000_,18,160b20(00):相少少現ぜしか共。只影の如くにて明了ならず。 0000_,18,160b21(00):暫時ありて。空に鳥の兩翼を展たる樣なる黑雲顯は 0000_,18,160b22(00):れ。次第に飛ひ分れ。段段鴈行に列り飛へり。恠し 0000_,18,160b23(00):く思ひて詠め居ける所に。西の空より倶利伽羅不動 0000_,18,160b24(00):あらはれ。南の方へ飛去り給へり。其次に迦樓羅㷔 0000_,18,160b25(00):の不動あらはれ。是も同しく南方に飛去り給ふ。い 0000_,18,160b26(00):よいよ奇異の想をなす所に。虚空より光明みたれ落 0000_,18,160b27(00):るが如く輝きける故。又西の空を振擧げ見けれは。 0000_,18,160b28(00):白雲の中より。滿月の如くなる物あらはれ。金色の 0000_,18,160b29(00):大圓光となり。其内より御長三尺計の立像の彌陀如 0000_,18,160b30(00):來現し給ひ。段段と予が前へ來臨ましますかと見れ 0000_,18,160b31(00):は。中程にてたちまち地藏菩薩と變じ。左年に錫杖 0000_,18,160b32(00):右年に寶珠を持給ひ。間もなくわか前に來下し給 0000_,18,160b33(00):ふ。則地藏尊の御胸を予が顏に當給ひて宣ふやう。 0000_,18,160b34(00):汝わが名號を病者に稱へ書きあたふる事。甚嬉しく思ふ 0000_,18,161a01(00):なりと。時に某申さく。若然らは。病者快氣仕へ 0000_,18,161a02(00):くやと。地藏尊答給はは。いかにも快氣せさすべし 0000_,18,161a03(00):と。予又申さく。左候はは彼者も念佛の行者になし 0000_,18,161a04(00):給へかしと。地藏尊又宣ふやう。逗留の中には念佛 0000_,18,161a05(00):者と成し。左澤の樣にすべしと。此儘を承ると。た 0000_,18,161a06(00):ちまち夢覺め。間もなく晨朝になり候ひき 0000_,18,161a07(00):一又享保元年十月十六日の夜明方の夢に。北の空に 0000_,18,161a08(00):瑞雲たなひき。大光明閃閃と輝きける間。不思議に 0000_,18,161a09(00):思ひ居たる所に。瑞雲の中より。三尺四方程の輪光 0000_,18,161a10(00):顯はれ。御長二尺斗の圓光大師の眞影。御頭上窪 0000_,18,161a11(00):く。面貌けたかく。薄墨の法服を召し。御手に念珠 0000_,18,161a12(00):を搯り。月輪の如く。明了に顯れ給へり。これに依 0000_,18,161a13(00):て。高聲に念佛し。拜み候内に。尊形段段と幽かに 0000_,18,161a14(00):成りて消給へり。扨しばらくありて。東の空に齡三 0000_,18,161a15(00):十斗なる公家の。容儀氣高く美麗なるが。黑き直垂 0000_,18,161a16(00):に冠を着し。兩手にて笏を持し。端坐して顯はれ給 0000_,18,161a17(00):へり。予肅み拜し居たる所に。件の尊容西方に向ひ 0000_,18,161b18(00):て默禮あり。夫よりするすると。予が前に來下し給 0000_,18,161b19(00):ふ。時に予心に思はく。此尊容は。定て八幡大菩薩 0000_,18,161b20(00):にてましますらんと。則頭を地に著て居候處に。尊 0000_,18,161b21(00):容やがて予が頭の邊まで降り給ひ。予に告て宣く。 0000_,18,161b22(00):汝久劫より濟度未熟なりと予高聲念佛一遍汝常に婬欲を思ふ 0000_,18,161b23(00):心あり。宜しからずと。明日をもしらぬ夢の世なり 0000_,18,161b24(00):深く無常の理りを思へと予念佛一遍乞食非人をも憐て。 0000_,18,161b25(00):踈略に勸むる事なかれ云云此時予右の神勅を慥かに 0000_,18,161b26(00):記憶せんと。思惟しける内に夢覺ぬ 0000_,18,161b27(00):一師正德三年十二月十五日。三寶護法に祈請して。 0000_,18,161b28(00):制誡七十二件を錄し。みづから心の師と成りて。自 0000_,18,161b29(00):心を誡勗せられ侍る。其錄に云 0000_,18,161b30(00):普勸衆生護三業 行住坐臥念彌陀 0000_,18,161b31(00):一切時中憶地獄 發起增上往生心 0000_,18,161b32(00):誓願不作三塗業 人天樂報亦無心 0000_,18,161b33(00):忽憶地獄長時苦 不捨須臾忘安樂 0000_,18,161b34(00):安樂佛國無爲地 畢竟安身實是精 0000_,18,162a01(00):祈請制誡錄憶念佛恩莫誇本願荷擔大悲莫懶敎化七十四件除惣標七十二 0000_,18,162a02(00):諸惡莫作 衆善奉行 自淨其意 0000_,18,162a03(00):是諸佛敎 護持佛制 莫放三業 0000_,18,162a04(00):道心堅固 莫怱修行 自非病患 0000_,18,162a05(00):莫怠勤行 手無作務 莫放念珠 0000_,18,162a06(00):深信本願 莫疑往生 實修實行 0000_,18,162a07(00):莫雜虚假 一向念佛 莫縁他事 0000_,18,162a08(00):囘向極樂 莫求餘報 行住坐臥 0000_,18,162a09(00):莫背西方 涕唾便利 莫向西方 0000_,18,162a10(00):向佛形像 莫犯威儀 於諸聖敎 0000_,18,162a11(00):莫致不敬 耻冥照覽 莫取人情 0000_,18,162a12(00):莫外精進 内懷懈怠 沐浴便外 0000_,18,162a13(00):莫脱法衣 除睡食時 莫止唱佛 0000_,18,162a14(00):營弘法事 莫近遊戯 非利他事 0000_,18,162a15(00):莫妨自行 隨順善友 莫親惡友 0000_,18,162a16(00):親眤道人 莫交狂輩 孝順父母 0000_,18,162a17(00):莫思不孝 奉事師長 莫存疎慢 0000_,18,162b18(00):於同法侶 莫懷不實 對世間輩 0000_,18,162b19(00):莫存誑惑 住平等心 莫論親疎 0000_,18,162b20(00):莫有勞人 而求自樂 見成不善 0000_,18,162b21(00):莫謗其人 聞説不實 莫語他人 0000_,18,162b22(00):於緇素上 莫説長短 於自身上 0000_,18,162b23(00):莫衒功德 住慈悲心 莫憎惡人 0000_,18,162b24(00):觀内佛性 莫輕下賤 設値違境 0000_,18,162b25(00):莫發瞋恚 設値順境 莫生戀著 0000_,18,162b26(00):撥留滯心 莫慕往事 却遲待心 0000_,18,162b27(00):莫謀來事 少欲知足 莫貪資財 0000_,18,162b28(00):深怖信施 莫好華美 獨甘貧賤 0000_,18,162b29(00):莫望宦福 唯守無能 莫縡才藝 0000_,18,162b30(00):常唱佛號 莫談無義 切惜寸陰 0000_,18,162b31(00):莫作無益 觀無常速 莫令臥睡 0000_,18,162b32(00):歎苦界身 莫致戯笑 覺泡沫形 0000_,18,162b33(00):莫生我執 了幻化世 莫沈憂喜 0000_,18,162b34(00):厭生死獄 莫擇住處 絶名利念 0000_,18,163a01(00):莫諂世俗 志存謙讓 莫望恭敬 0000_,18,163a02(00):自守儉約 莫求供養 卑下自身 0000_,18,163a03(00):莫生憍逸 隨喜他善 莫懷嫉妬 0000_,18,163a04(00):莫愛自法 而輕他修 莫不淨心 0000_,18,163a05(00):而談法義 常好寂靜 莫悕交衆 0000_,18,163a06(00):歌舞戯謔 愼莫觀聽 設雖有理 0000_,18,163a07(00):莫致諍論 莫強是自 而非他義 0000_,18,163a08(00):聞他人諫 歡諾莫逆 見同行惡 0000_,18,163a09(00):敎誡莫棄 莫有施恩 而念其報 0000_,18,163a10(00):蒙他人惠 永莫忘恩 成毒虵想 0000_,18,163a11(00):莫觸色欲 成甘毒想 莫愛金寶 0000_,18,163a12(00):計稼穡苦 食莫恣喫 察紡績勞 0000_,18,163a13(00):衣莫猥著 明因果理 莫恨他人 0000_,18,163a14(00):萬般任有 莫嗟此世 成火宅想 0000_,18,163a15(00):莫著六塵 放下身心 莫侵八風 0000_,18,163a16(00):志求大道 莫拘小節 愛護佛法 0000_,18,163a17(00):莫顧身命 念死念佛 畢命爲期 0000_,18,163b18(00):歸命願王 阿彌陀佛 上來功德 0000_,18,163b19(00):回施法界 自佗平等 滅罪生善 0000_,18,163b20(00):臨終正念 親蒙迎接 速脱輪廻 0000_,18,163b21(00):超生淨土 0000_,18,163b22(00):南無阿彌陀佛妄心若起不師於心 知而勿隨心無表裏 常作心師行無明暗 0000_,18,163b23(00):時 0000_,18,163b24(00):正德三癸巳歳臘月彌陀感應日 無能敬誌 0000_,18,163b25(00):一期修行略記 師自記之 0000_,18,163b26(00):元祿十六年十二月廿一歳絶婬寶永元年五月朔日於山崎佛前立誓斷婬欲同 0000_,18,163b27(00):七月廿四日日課佛名一萬聲同五年十二月十五日常坐不臥日課三萬同六年 0000_,18,163b28(00):五月朔日遁世成就日課六萬同八月朔日於歸敬山佛前成一向專念身不兼助業同九月朔日 0000_,18,163b29(00):晝夜不脱法衣正德元年十月十五日日沒至同二十二日日沒 0000_,18,163b30(00):百萬遍成就同二年正月元日日課八萬四千遍同三年正月元日日課十萬以上同 0000_,18,163b31(00):三年四月十七日斷婬根以守身同十二月晦日自日課念佛起首之日至於當日惣一億六 0000_,18,163b32(00):千九百六十萬遍餘也同四年元旦拜懺念佛策勵章制誡錄咒願同元朝至七日晩百萬遍成就 0000_,18,163b33(00):同四年元日至除夜惣三千九百八十萬遍同五年元朝至七日朝 0000_,18,163b34(00):百萬遍成就享保三年元旦至極月廿五日惣三千六百五十萬遍 0000_,18,164a01(00):總計三億六千九百三十萬遍以大億算之 0000_,18,164a02(00):已上 0000_,18,164a03(00):無能和尚勸心詠歌 0000_,18,164a04(00):昔惠心僧都和歌は。狂言綺言なりとて。始はうとみ 0000_,18,164a05(00):て讀給はさりしに。或時近江の湖水を眺望し給ひけ 0000_,18,164a06(00):るが。人ありて。滿誓沙彌が漕行船の跡の白波とい 0000_,18,164a07(00):へる古歌を吟しけれは。僧都殊に感し給ひて。和歌 0000_,18,164a08(00):は觀念の助縁なるべしとて。それより二十八品十樂 0000_,18,164a09(00):の歌など。折にふれて詠じ給ひけるとかや。今師も 0000_,18,164a10(00):又かの古風をしたひて。よりより三十一字をつらね 0000_,18,164a11(00):て。念死念佛の懷を述られ侍りき。詠草あまた見へ 0000_,18,164a12(00):しか共。悉く載るに遑あらず。今わずかに其五十首 0000_,18,164a13(00):をえらひ擧るのみ 0000_,18,164a14(00):浮舟の身をは難波によするとも 0000_,18,164a15(00):心なとめそよしとあしとに 0000_,18,164a16(00):こころすむ山もやあるといとふ世の 0000_,18,164a17(00):中を尋ねし事そ悔しき 0000_,18,164b18(00):賴むそよ願ふ心はよはくとも 0000_,18,164b19(00):誓ひの御手のつよきちからを 0000_,18,164b20(00):山の端にかたふく月を見てもまづ 0000_,18,164b21(00):南無阿彌陀佛われもいつかは 0000_,18,164b22(00):賴みをは本の誓ひにかけ置て 0000_,18,164b23(00):迎のくもをまつそうれしき 0000_,18,164b24(00):世をいとふ心のいととすすむにそ 0000_,18,164b25(00):隙ゆく駒の影ももどかし 0000_,18,164b26(00):後の世もこの世もともに南無阿彌陀 0000_,18,164b27(00):佛まかせの身こそやすけれ 0000_,18,164b28(00):うらむかひ御名をよへともよそこころ 0000_,18,164b29(00):てらすほとけのかたぞはづかし 0000_,18,164b30(00):極重惡人無他方便唯稱彌陀得生極樂 0000_,18,164b31(00):あしかりし身は難波江の捨小舟 0000_,18,164b32(00):たたひく浪や南無阿彌陀佛 0000_,18,164b33(00):ともすれは西の雲井にあくかるる 0000_,18,164b34(00):心に身をもいつかまかせむ 0000_,18,165a01(00):歎きつつきのふもけふも吳竹の 0000_,18,165a02(00):うきふしことにいとふ世の中 0000_,18,165a03(00):はかなくもあたなる花のいろいろに 0000_,18,165a04(00):露も心をそむるものかは 0000_,18,165a05(00):かりそめの道に心をよせてたに 0000_,18,165a06(00):いそけはおしき月日ならすや 0000_,18,165a07(00):世人薄俗共諍不急之事 0000_,18,165a08(00):いそくへき道をはとはて難波江の 0000_,18,165a09(00):よしあし事に身をつくす哉 0000_,18,165a10(00):中なかにいとひ捨ましいとはても 0000_,18,165a11(00):ついには捨るかりのやとりを 0000_,18,165a12(00):念死念佛 0000_,18,165a13(00):たゆみなき羊のあゆみ日につれて 0000_,18,165a14(00):せまる影にも南無阿彌陀佛 0000_,18,165a15(00):草庵を結ひて住侍りけるころ 0000_,18,165a16(00):露の身をしはしよせをく草の庵 0000_,18,165a17(00):あはれいつれの日まて結はん 0000_,18,165b18(00):遠跡娑婆棲心淨域 0000_,18,165b19(00):心をは寶の池にすましめて 0000_,18,165b20(00):あととをさかなゆめの世の中 0000_,18,165b21(00):かりそめの契りも今は法のはし 0000_,18,165b22(00):またかへり來て西へわたさん 0000_,18,165b23(00):勤行用心 0000_,18,165b24(00):朝な夕なほとけに向ふ度ことに 0000_,18,165b25(00):今をかきりと思ひはけませ 0000_,18,165b26(00):樂天詩大隱住朝市。小隱入丘樊。丘樊太冷 0000_,18,165b27(00):落。朝市太嚚諠。不如作中隱云云この中隱の 0000_,18,165b28(00):風情をしたひてかく 0000_,18,165b29(00):深山へも市へもいらし我はた 0000_,18,165b30(00):身をうき舟の浪にまかせて 0000_,18,165b31(00):厭求ほうし信夫の草庵に移りて住侍るころよみ 0000_,18,165b32(00):て遣しける 0000_,18,165b33(00):いとへたた夢のうき世のみちのくは 0000_,18,165b34(00):しのふかひなきさととしらすや 0000_,18,166a01(00):世のうさはいつくも同し天か下 0000_,18,166a02(00):なかくふるにそ袖はぬれける 0000_,18,166a03(00):そのままに心も身をもあらためす 0000_,18,166a04(00):賴めはすくふ誓ひとそきく 0000_,18,166a05(00):千早振神も心をなくさむと 0000_,18,166a06(00):聞くもたふとき南無阿彌陀佛 0000_,18,166a07(00):鳥部野の煙を夢のしるへにて 0000_,18,166a08(00):消殘る身もうつつとは見す 0000_,18,166a09(00):いつくにか心ととめん難波潟 0000_,18,166a10(00):あしわけ小舟さはりある世に 0000_,18,166a11(00):春霞こころの空は晴れねとも 0000_,18,166a12(00):雪もろともに罪やきえなん 0000_,18,166a13(00):極樂をまことにねかふ人ならは 0000_,18,166a14(00):世の住うきや嬉しからまし 0000_,18,166a15(00):流浪生死 0000_,18,166a16(00):ここにきえかしこにむすふうたかたの 0000_,18,166a17(00):よるへ定めぬ身こそ悲しき 0000_,18,166b18(00):中なかに身を思はねは身も安し 0000_,18,166b19(00):身を思ふにそ身は苦しけれ 0000_,18,166b20(00):立のほる香の煙の色かへて 0000_,18,166b21(00):いつむらさきの雲となるらん 0000_,18,166b22(00):少欲知足 0000_,18,166b23(00):何事もなきにたりぬる身そ安き 0000_,18,166b24(00):思ひもとむる心なけれは 0000_,18,166b25(00):不知足 0000_,18,166b26(00):暮るる間を待もあやふき露の身に 0000_,18,166b27(00):求めもあかぬ人そはかなき 0000_,18,166b28(00):諸ともに唱ふる御名を種として 0000_,18,166b29(00):同しはちすの身をやむすはん 0000_,18,166b30(00):南無阿彌陀佛ほとけまかせの心には 0000_,18,166b31(00):思ひわつらふ事の端もなし 0000_,18,166b32(00):幾世へしうさもつらさもけふあすと 0000_,18,166b33(00):思へは安くしのはれにけり 0000_,18,166b34(00):初にはものうかりしか今はまた 0000_,18,167a01(00):念佛せされはわひしかりけり 0000_,18,167a02(00):なれぬれはいたつらわさも捨かたし 0000_,18,167a03(00):只念佛のくせを付へし 0000_,18,167a04(00):はけませはうら思ひする事もなし 0000_,18,167a05(00):おこたるにこそ疑ひもあれ 0000_,18,167a06(00):只申せ申す内にはをのつから 0000_,18,167a07(00):深きまこともおこりこそすれ 0000_,18,167a08(00):極樂の事のみせめてまめやかに 0000_,18,167a09(00):よにはいつはる心ありとも 0000_,18,167a10(00):三心はしること安く具し難く 0000_,18,167a11(00):しる事かたく具し安きなり 0000_,18,167a12(00):阿彌陀佛と稱る心いさみあらは 0000_,18,167a13(00):われ三心を具すと知るへし 0000_,18,167a14(00):誠あれは叶はぬ道もかなふなり 0000_,18,167a15(00):まして佛の誓ひあるをや 0000_,18,167a16(00):大なる道一筋をたしなみて 0000_,18,167a17(00):拙きわさにこころととむな 0000_,18,167b18(00):法のため捨果たりし身の上に 0000_,18,167b19(00):名のみ惜みて何にかはせん 0000_,18,167b20(00):博學は事おほくして心ちる 0000_,18,167b21(00):こころちりてはこころさしなし 0000_,18,167b22(00):夢の世はとまれかくまれ歎くなよ 0000_,18,167b23(00):覺めて臺にのほる身なれは 0000_,18,167b24(00):師の沒後厭求法師か夢に或人來りてこれなん 0000_,18,167b25(00):無能和尚の歌に侍るとてあたへける 0000_,18,167b26(00):片時もわすれしものよあたし野の 0000_,18,167b27(00):草の葉ことにおく露の身を 0000_,18,167b28(00):伊呂波讃 0000_,18,167b29(00):むかし高野大師。諸行無常の四句の偈を和らげ。梵 0000_,18,167b30(00):書四十七の字母に准へて。以呂波を作り。深き御法 0000_,18,167b31(00):の理りを淺き言の葉に託て。誘引の方便となし給へ 0000_,18,167b32(00):り。今師も又これに俲ひて。色葉の文字を句の上に 0000_,18,167b33(00):冠らしめ。惣て五十八句の和讃をつづりて伊呂波讃 0000_,18,167b34(00):と名け。信樂の誠を諷詠にあらはし。以て厭欣をす 0000_,18,168a01(00):すむる媒となすものならし 0000_,18,168a02(00):其讃にいはく 0000_,18,168a03(00):一心歸名阿彌陀佛 二世安樂の御誓願 0000_,18,168a04(00):三心具足の修行者は 四生麁惡の身を捨て 0000_,18,168a05(00):五妙快樂の體をうけ 六通無碍の德をえて 0000_,18,168a06(00):七寶莊嚴微妙の國 八功德水金池中 0000_,18,168a07(00):九品蓮花の上に坐し 十地の願行成就せん 0000_,18,168a08(00):いさかへりなん極樂へ ろく道輪廻は魔郷なり 0000_,18,168a09(00):はやはや賴め慈父の彌陀 にぶつの間の迷ひ子は 0000_,18,168a10(00):ほかにたよらん道もなし へだつる境ひは遠けれと 0000_,18,168a11(00):となふる御名を知邊にて ちかくみちびき給ふなり 0000_,18,168a12(00):りやくうへなき法なれは ぬるまも心のつまにかけ 0000_,18,168a13(00):るい日累夜おこたらず をしへのままに勵むべし 0000_,18,168a14(00):わが身ごときの罪人を かならず救ひとらんとて 0000_,18,168a15(00):よにこえたてし御ちかひ たのめはすぐに後の世は 0000_,18,168a16(00):れんげのうへに化生して そのまま無生の理を悟り 0000_,18,168a17(00):つねに見佛聞法し ねんねん佛道增進す 0000_,18,168b18(00):ながく不退の位をえ らくはひまなく國きよく 0000_,18,168b19(00):むじやう菩提にとく至る うゐのすみかは安からず 0000_,18,168b20(00):ゐなのふし原ふすとても のどけきこころ露もなし 0000_,18,168b21(00):おそれおののき憂惱して くるしみ常に身にせまる 0000_,18,168b22(00):やよよく思へ人ごとに まさに得難き身をうけて 0000_,18,168b23(00):けうにかしこき道をきき ふしぎに妙なる縁にあふ 0000_,18,168b24(00):このたひ生死を離れずは えて又いつをか待へきそ 0000_,18,168b25(00):てあしもをかで勇むべし あすを賴みておこたるな 0000_,18,168b26(00):さだめなき世の習ひにて きのふ見し人けふははや 0000_,18,168b27(00):ゆめとなり行あはれさは めに見る前のはかなさぞ 0000_,18,168b28(00):みづから常なき理りを しづかに思ひ今よりは 0000_,18,168b29(00):ゑきなきわざをふり捨て ひびに修行の功をつめ 0000_,18,168b30(00):もはや日暮の旅のそら せつなもいそげ息たえは 0000_,18,168b31(00):すなはち往て生れなん 京九重の花の臺に 0000_,18,168b32(00):南無阿彌陀佛 0000_,18,168b33(00):無能和尚行業記下 0000_,18,168b34(00):附 0000_,18,169a01(00):來迎讃 惠心僧都御作 0000_,18,169a02(00):攝取不捨の光明は 念する所を照すなり 0000_,18,169a03(00):觀音勢至の來迎は 聲をたつねて迎ふなり 0000_,18,169a04(00):娑婆界をはいとふべし いとはば苦海を渡りなん 0000_,18,169a05(00):安養界をはねがふべし ねがはば淨土に生るべし 0000_,18,169a06(00):草の庵しづかにて 八功德池にこころすみ 0000_,18,169a07(00):ゆふべの嵐音なくて 七重寳樹にわたるなり 0000_,18,169a08(00):臨命終の時いたり 正念たかはで西にむき 0000_,18,169a09(00):頭をかたむけ手をあはせ いよいよ淨土を欣求せん 0000_,18,169a10(00):きけは西方界のそら 伎樂歌詠ほのかなり 0000_,18,169a11(00):見れは綠の山の端に 光雲はるかにかかやけり 0000_,18,169a12(00):この時身心やすくして 念佛三昧現前し 0000_,18,169a13(00):毫光わが身を照して 無始の罪障消滅す 0000_,18,169a14(00):光雲やうやくちかづきて 瞻仰すれは彌陀尊 0000_,18,169a15(00):相好圓滿し給ひて 金山王のごとくなり 0000_,18,169a16(00):烏瑟たかくあらはれて 晴の天にみとりなり 0000_,18,169a17(00):白毫右にめぐりて 眉の間にかかやけり 0000_,18,169b18(00):管絃歌舞の菩薩は 雲に袖をひるがへし 0000_,18,169b19(00):持幡供花の莊嚴は 風にまかせてみだれたり 0000_,18,169b20(00):觀音勢至諸薩埵 光の中にみちみてり 0000_,18,169b21(00):をのをの威德あらはれて こゑこゑ行者をほめ給ふ 0000_,18,169b22(00):眼にみてる慈悲のいろ おつる涙もとどまらず 0000_,18,169b23(00):耳にきこゆる法の聲 歡喜の心いくばくぞ 0000_,18,169b24(00):すなはら紫雲たなびきて 柴の戸ぼそに立めぐり 0000_,18,169b25(00):恆沙の衆會もろともに 前後左右に下り給ふ 0000_,18,169b26(00):庵の上には諸化佛 星をつらねて影向し 0000_,18,169b27(00):苔の庭には諸聖衆 光をならべて長跪せり 0000_,18,169b28(00):伎樂の菩薩も此時に 踊躍歡喜やすからず 0000_,18,169b29(00):絲竹のしらべ雲をわけ 徘徊よそほひ地を照す 0000_,18,169b30(00):時に大悲觀世音 やうやくあゆみ近づきて 0000_,18,169b31(00):紫磨金の身をまげて 蓮臺かたふけよせたまふ 0000_,18,169b32(00):次に勢至大薩埵 聖衆同時に讃歎し 0000_,18,169b33(00):大定智悲の手をのべて 行者の頭をなで給ふ 0000_,18,169b34(00):遂に引接したまひて 金蓮臺にのせたまふ 0000_,18,170a01(00):輪廻生死のふるき里 この時ながくへたたりぬ 0000_,18,170a02(00):すなはち金蓮臺にのり 佛のうしろに隨ひて 0000_,18,170a03(00):須臾の間をふるほどに 安養淨土に往生す 0000_,18,170a04(00):むかしは大悲の利益を わづかに傳へて聞しかど 0000_,18,170a05(00):今は彌陀の引接を 心のままにかうふれり 0000_,18,170a06(00):然るに彌陀の淨土は 快樂不退の所にて 0000_,18,170a07(00):壽命も無量に長けれは 樂みつくる事そなき 0000_,18,170a08(00):三十二相そなはりて 莊嚴端正殊妙なり 0000_,18,170a09(00):六通三明さとりえて 意のごとく自在なり 0000_,18,170a10(00):上は有頂の雲のうへ 下は無間の底までも 0000_,18,170a11(00):苦海の群類ことごとく 利益あまねく施せり 0000_,18,170a12(00):願くは彌陀くわんをん 行者の誓ひを憫念し 0000_,18,170a13(00):大悲誓願あやまたず 來迎引接たれたまへ 0000_,18,170a14(00):ねかはくは此功德を 普く衆生に施して 0000_,18,170a15(00):同しく心をおこしつつ 安樂國に往生せん 0000_,18,170a16(00):願我臨欲命終時 盡除一切諸障礙 0000_,18,170a17(00):面見彼佛阿彌陀 即得往生安樂國 0000_,18,170b18(00):南無阿彌陀佛 0000_,18,170b19(00):來迎讃 0000_,18,170b20(00):右楞嚴先德の來迎讃はいにしへ淨業の徒は。盛にこ 0000_,18,170b21(00):れを唱へしと見えたり。聖光傳に辨阿上人御病中に 0000_,18,170b22(00):この來迎讃を聞き給ひて。此中に念佛三昧現前の句 0000_,18,170b23(00):殊に肝要なりと示しましましきとあり。然阿傳には。 0000_,18,170b24(00):念佛には來迎讃を誦ずへしと瑞夢ありし事を記せ 0000_,18,170b25(00):り。一遍上人の繪縁起を案ずるに。越後の淨阿彌陀 0000_,18,170b26(00):佛といひし人臨終の砌光明を感見し。すなはち紫雲 0000_,18,170b27(00):棚引て柴の扉に立めぐるといふ讃を誦じて。一心に 0000_,18,170b28(00):來迎を待しとあり。されは此讃上代に盛に行はれし 0000_,18,170b29(00):事知りぬべし。近代洛陽の湛澄上人曾て長西錄を閲 0000_,18,170b30(00):して。僧都の來迎讃ある事を知り。久しくこれを求 0000_,18,170b31(00):められしに。たまたま當麻寺に遊て。迎講に誦ずる 0000_,18,170b32(00):所の讃本を見られけるに。題して來迎讃といひ。傳 0000_,18,170b33(00):へて僧都の御作と稱せり。其詞古雅にして。常人の 0000_,18,170b34(00):をよぶ所にあらず。仍て是を寫さる。しかれとも猶 0000_,18,171a01(00):刪略ある事を疑ふ所に。後はからざるに。今の全本 0000_,18,171a02(00):をもとめ得て。これを世にひろめ給ふ。これに依て 0000_,18,171a03(00):人また此讃を知る事を得たり。然るにかの板本。小 0000_,18,171a04(00):册にして行はる。恐くは久して又散逸せん事を。故 0000_,18,171a05(00):に今此傳の卷尾に附して。不朽の一端とす。近世澆 0000_,18,171a06(00):薄にして。古風をしたはず。妄に倭字を輕んす。嗚 0000_,18,171a07(00):呼固哉。信起れは文貴し。何そ必しも篆隷を以てせ 0000_,18,171a08(00):ん。およそ我朝の人は。漢字の經書にも和訓を施し 0000_,18,171a09(00):て。始て其義を通す。何そ其國字國語を輕しむべけ 0000_,18,171a10(00):んや。冀くは諸の行者。宜しく上古の淳風を學んで。 0000_,18,171a11(00):日夕にこれを諷詠し。寤寐にこれを思想して。引接 0000_,18,171a12(00):想の勝縁となすべし。若臨終の人あらば。誰にても 0000_,18,171a13(00):たびたびこれを讀むべし。これを聞かば。をのつか 0000_,18,171a14(00):ら來迎をまつ心起るべし。又この讃の詞の如く。來 0000_,18,171a15(00):迎の次第をこまやかに語りて聞かしむべし。此讃も 0000_,18,171a16(00):と九十六句あり。結讃の普賢行願品の偈は。今私に 0000_,18,171a17(00):これを加へて一百句となす者也。猶又惠心の僧都。 0000_,18,171b18(00):迎講を執行し給へる事。具に沙石集述懷鈔酉師の曼 0000_,18,171b19(00):陀羅抄壒囊抄等に載たり。併せ觀べし。無能和尚常 0000_,18,171b20(00):に深く此讃文を信し。よりより人をして是を唱へし 0000_,18,171b21(00):めて聽聞せられき。又同法にも念佛に懶き折には。 0000_,18,171b22(00):此讃文を稱へて。助業とすべき由示され侍る。因て 0000_,18,171b23(00):玆に附錄して。師の素志に充る者なり 0000_,18,171b24(00): 0000_,18,171b25(00):無能和尚行業記下大尾 0000_,18,171b26(00): 0000_,18,171b27(00):(本傳序、跋) 0000_,18,171b28(00):無能和尚行業記序 0000_,18,171b29(00):甞聞願生西刹者一心唯信佛語不顧身命決 0000_,18,171b30(00):定依行焉然澆末劣機多愛身命違乃佛乃祖敎訓 0000_,18,171b31(00):矣方今如説信順堅固依行者其惟無能法師乎法師 0000_,18,171b32(00):掛錫叢林不久雖不博涉經論遍參明師自 0000_,18,171b33(00):懷金剛之志晝夜不臥孜孜念佛矣始誓常課一萬 0000_,18,171b34(00):聲漸漸進修至於十萬有餘厥心行勇猛衣食節儉不 0000_,18,172a01(00):讓終南吉水高躅焉是以道俗靡然歸化日課稱佛 0000_,18,172a02(00):之徒凡十有六萬餘人且其感驗靈應不遑枚擧也 0000_,18,172a03(00):所謂人中希有人人中最勝人是也惜哉報命未覃不 0000_,18,172a04(00):惑示寂於奧州北半田艸菴焉嗟乎法師一代巨益 0000_,18,172a05(00):近來未聞苟自非糠粃名利不惜身命則豈能 0000_,18,172a06(00):如是耶粤興仁寶洲師者解行兼備文巧漢和因法 0000_,18,172a07(00):師門徒逼請集記行業及以法語間加批辭梓而 0000_,18,172a08(00):以公諸世其用和語者令賢愚士女之輩易讀易 0000_,18,172a09(00):識而共思齊也可謂老婆心切矣予景慕法師練 0000_,18,172a10(00):行也尚矣是以嘉歎精修之功欲同締上輩之勝 0000_,18,172a11(00):縁是歳法師第三回諱辰應寶洲師之需敢序卷 0000_,18,172a12(00):端以代香火云 0000_,18,172a13(00):享保六年龍集辛丑正月二日 0000_,18,172a14(00):沙門眞阿書於常州大念蘭若慈引堂 0000_,18,172a15(00):無能和尚行業記并序 0000_,18,172a16(00):夫おもん見るに。彌陀淨國は。諸聖の歸するとこ 0000_,18,172a17(00):ろ。念佛寶王は。萬行の最とする所なり。この故 0000_,18,172b18(00):に。五乘の衆機ひとしく投入し。十方の世界あま 0000_,18,172b19(00):ねく流行す。ここを以て。久堅の月の國を始とし 0000_,18,172b20(00):て。霞さす日の本に至るまて。綿綿として三國に 0000_,18,172b21(00):傳はり。洋洋として四海にみてり。これすなはち 0000_,18,172b22(00):彌陀覺王名超十方の誓ひ。末法萬年利物偏增の効 0000_,18,172b23(00):なるべし。寔に近頃。みちのくに一人の隱士いまそ 0000_,18,172b24(00):かりける。無能和尚と名く。夙に出群の志をいだ 0000_,18,172b25(00):き。いまた壯年ならざるに。世を遁れて身を薼芥 0000_,18,172b26(00):よりも輕くし。性器に多能をみつれとも。これを見 0000_,18,172b27(00):ること無が如く。淨業に寸陰を競ひて。これ日も 0000_,18,172b28(00):足すとす。兼て行化を以て任とし。奧羽二州所所 0000_,18,172b29(00):の道塲にして。盛に淨土の敎誡を談し。專ら稱名 0000_,18,172b30(00):の正業を勸めらる。これによりて立地に惡を改て 0000_,18,172b31(00):善に移り。專修念佛に歸する者あけて數ふへから 0000_,18,172b32(00):す。隨て勝相感見のたくひ。往往にきこゆ。予さ 0000_,18,172b33(00):りし享保二年の春。たまたま刺吏の請に應じて。 0000_,18,172b34(00):伊勢の神都を出て此國に下り。既に四かへりの靑 0000_,18,173a01(00):黄をなん見侍る。仍て師の自行化他のやうなど委 0000_,18,173a02(00):しく聞侍りしに。實も少縁の事にはあらざるなめ 0000_,18,173a03(00):り。それ聖者の身を分て一方の生を化するにあら 0000_,18,173a04(00):すは。何そ海裔の利益かくのごとく隆なることを 0000_,18,173a05(00):えんや。予仰慕の思ひにたへず曾てしばしば消息 0000_,18,173a06(00):して。中心の葵誠を述ぶ。然るに師いく程なくて 0000_,18,173a07(00):遂に滅を示されしかは。哀惜の情しのびがたく。 0000_,18,173a08(00):すずろに墨染の袂をしほり侍りぬ。爰に有縁の緇 0000_,18,173a09(00):白。相共に予に謂ていはく。隱士の道跡。みな人 0000_,18,173a10(00):のしる所にして。一時の視聽に乏しからずといへ 0000_,18,173a11(00):ども。若詳かに行狀を集錄せられは。猶聞を永世 0000_,18,173a12(00):に貽さんと。いと慇懃に請せらる。予素より疎昧 0000_,18,173a13(00):にして。みだりに筆の林に遊べとも。才の花採る 0000_,18,173a14(00):べきなく。硯の池に臨めども詞の泉掬ふべきもな 0000_,18,173a15(00):し。しかはあれども。高師の山のたかき跡の埋も 0000_,18,173a16(00):れなん事を惜み。憚の關のはばかりをもかへり見 0000_,18,173a17(00):ず。普くかの門葉に咨ひ。細かにその遺文を拾ひ 0000_,18,173b18(00):て。に盛績の顚末をしるし侍る。後のこれを見 0000_,18,173b19(00):ん人。只その賢き跡を見て。ひとしからんと思ひ 0000_,18,173b20(00):て。拙き筆のすさひを嘲ることなく。これを以て心 0000_,18,173b21(00):行の一助として。西邁の先途を遂げ給へといふこと 0000_,18,173b22(00):しかり。時に享保庚子の春彌生半のころ野釋寶洲 0000_,18,173b23(00):奧陽相馬興仁蘭若にしてこれをしるし侍る 0000_,18,173b24(00):跋無能隱士行業後 0000_,18,173b25(00):昔者石垣金光上人。乃吉水之門人。而當初之翹楚 0000_,18,173b26(00):也。以大師讃許之辭而察此則深造宗敎之淵 0000_,18,173b27(00):蘊也可知矣。後有故來乎玆州遂取滅焉。然 0000_,18,173b28(00):無紀籍之所傳。而其遺風勝業。不可得而知 0000_,18,173b29(00):也。是故舜昌法印。載之列傳弗獲復詳惜乎。 0000_,18,173b30(00):粤守一無能和尚者。葢一方之人傑也。其道操凛 0000_,18,173b31(00):烈。淨業精至。始不下古德矣。且勸誘爲任。 0000_,18,173b32(00):孳孳不惓。州郡嚮化者。不知其幾千萬也。 0000_,18,173b33(00):先喆有言學者漸漸繁。道人漸漸稀。豈知叔世邊 0000_,18,173b34(00):陲。亦有若人凡人有片善。猶足稱之。矧備衆 0000_,18,174a01(00):德而無述乎。繇是予今不揣陋拙漫以國字。 0000_,18,174a02(00):編叙其行業。流之遐邇庶芳躅永不湮沒。宜 0000_,18,174a03(00):備蓮徒之衡鑑。聊有補乎後來僧史之作云爾 0000_,18,174a04(00):旹 0000_,18,174a05(00):享保庚子之禩晩龝哉生明奧州相馬崇德山埜衲 0000_,18,174a06(00):好譽鶴寶洲槃譚跋