0000_,20,072a01(00):檀林生實大巖寺志 0000_,20,072a02(00): 0000_,20,072a03(00):目 次 0000_,20,072a04(00):創寺正傳 朱璽寶章 道塲造建 什寶類員 0000_,20,072a05(00):原氏廢亡 世代傳略 上足鴻漸 席中俊鳳 0000_,20,072a06(00):支隷寺院 配屬二箇 0000_,20,072a07(00):御朱印百石 下總國生實龍澤山玄忠院大巖寺 0000_,20,072a08(00):創寺正傳 0000_,20,072a09(00):開祖道譽貞把上人は大谷氏和泉國日根郡波宇手村人 0000_,20,072a10(00):同郡寶福寺貞也上人の室に剃度し飯沼弘經寺に掛錫 0000_,20,072a11(00):し鎭譽祖洞魯耕上人に隨ひ兩脉を禀得し一旦本國に 0000_,20,072a12(00):立かへり説法するに突辯魯鈍にして道俗大に笑ひし 0000_,20,072a13(00):かは夜中ひそかに再關し恥辱の謗を顧雪せんと先智 0000_,20,072a14(00):德增進解行雙修の志願を發起し下總國成田山不動明 0000_,20,072a15(00):王の堂に籠參し鹽穀を斷絶し香水に浴し懇祈精修す 0000_,20,072a16(00):る事二七日一夕明王示現し利鈍の二劒を榮して試益 0000_,20,072a17(00):の時長劒をのみしかば鈍血忽ち涌出し衣にそそく 0000_,20,072b18(00):是を世に祐天大僧正に附會しとける書あり大妄僞 0000_,20,072b19(00):なり今に至て鈍血の劒衣ともに當山の寶庫に收め 0000_,20,072b20(00):ありて江戸にても自坊にても成田山不動尊開帳の 0000_,20,072b21(00):時は他の靈寶は一品も出さずといへども此二品は 0000_,20,072b22(00):現證の利益に備へむか爲にや必ず出し拜せしむ近 0000_,20,072b23(00):來深川八幡宮にてありし時予も親しく是を拜す又 0000_,20,072b24(00):縁起にも載出たり彼山に祐天上人にかかる事ある 0000_,20,072b25(00):事を記せる證なしさすれば此の呑劒の利益は道譽 0000_,20,072b26(00):上人にして天文年中の始なるべし 0000_,20,072b27(00):是より惠解天縱にして論辯他に超越せしかば諸國を 0000_,20,072b28(00):めくり道俗を勸諭するに信受せすといふ事なし再ひ 0000_,20,072b29(00):歸國の上説法勸誡の時道俗つとひ集り前蹤にもどり 0000_,20,072b30(00):又笑ふべしと遠近あつまれる時師の無礙辯に驚歎し 0000_,20,072b31(00):信伏歸仰するもの甚多し師早く立ちさり花洛に至り 0000_,20,072b32(00):香衣上人號の綸旨を受戴し逗留の間に四條に稱名寺 0000_,20,072b33(00):を開基あり夫より再ひ關東に下り千葉生實寒川の邊 0000_,20,072b34(00):に道俗を敎化せらるしかるに此近隣日蓮の派多くし 0000_,20,073a01(00):て念佛の弘通をさまたけ又眞言宗數多にて念佛は淺 0000_,20,073a02(00):近の法なりとあらそふ師無礙の辯才を以て是等をく 0000_,20,073a03(00):ちき淨土深妙の要法末代相應他宗の及はさるを示諭 0000_,20,073a04(00):ありしかば遠近其名聲をつたへ説法の會座群聞あり 0000_,20,073a05(00):ここに生實城主原式部少輔平胤榮は千葉家の一族數 0000_,20,073a06(00):萬貫を領知し藩老の第一に居し威風を近に振へり夫 0000_,20,073a07(00):人は萬里谷武田氏の息女にして容儀無雙の美質なり 0000_,20,073a08(00):しかるに他美をいかれるは女性の常性なればにや嫉 0000_,20,073a09(00):慮頗る病を起して近郷の良醫も術を失ひ療祈の失墜 0000_,20,073a10(00):いくはくをしらずといへとも効驗更になしここにか 0000_,20,073a11(00):の城主の寵妾此事をなげき愁へひそかに胤榮につぐ 0000_,20,073a12(00):胤榮又是をしかりとして師の道風頻りに扇くを聞て 0000_,20,073a13(00):胤榮家士を集めて評決し病室の治功を乞んとす夫人 0000_,20,073a14(00):も又自苦に苦しみ頗招見の想あり是より先には眞言 0000_,20,073a15(00):日蓮の流派を信して光明眞言法華の題目をのみ唱へ 0000_,20,073a16(00):祈驗する事頻なりといへども病苦いよいよつよく發 0000_,20,073a17(00):熱堪かたき故今は何れの宗にても此治病の法ありせ 0000_,20,073b18(00):ばと思はれしとかやむべなるかな題目秘呪をとなふ 0000_,20,073b19(00):る心は唯自勝強慢の心に修するのみなれば逆上發熱 0000_,20,073b20(00):をととのふにいかんぞ順快すべきここに家士の評決 0000_,20,073b21(00):も唯家の爲病療の外なければ左に定りし上師を請待 0000_,20,073b22(00):あり師又侯家の勝益は一家にても民間數千に倍し念 0000_,20,073b23(00):佛の興隆ここにありと密に三寶に念願し永祿二年 0000_,20,073b24(00):三月城中に入て念佛の法要をとき懺悔ををしへ念佛 0000_,20,073b25(00):を勸諭あり夫人一見し師の凡ならさるに歸せられ胤 0000_,20,073b26(00):榮又宗風を仰ぎて逢見の遲き事をうらむに至れりこ 0000_,20,073b27(00):こに於て橫須賀の地藏堂をしつらひて師の休息の閑 0000_,20,073b28(00):處とし程なく寺院開基の沙汰初れりその中間朝晩入 0000_,20,073b29(00):城し佛門の靈益をさとされしかは崇信日日に渥く起 0000_,20,073b30(00):行頗る倍し病患頓に愈ゆ故に夫人胤榮に乞て速に開 0000_,20,073b31(00):寺の談に及ひ同年秋工棟の初あらむと地を選はるる 0000_,20,073b32(00):の時夫人云城外乾隅の園林はこれ妾が紛粧の采地な 0000_,20,073b33(00):り伽園此地に造るべしと翌永祿三年落慶あり此時鎭 0000_,20,073b34(00):守として東の山林に愛宕西の藪に鷲明神北の方に富 0000_,20,074a01(00):士客殿の前に天照皇大神等を勸請し本堂方丈庫裏山 0000_,20,074a02(00):門鐘樓等並學寮四十餘宇を建並べ寺領七十貫を附せ 0000_,20,074a03(00):らる境内林中に大澤ありて古より龍澤と名く故に當 0000_,20,074a04(00):寺を龍澤道塲と名け終に山號とせり 0000_,20,074a05(00):當寺の譜錄には後弘治始師增上寺杲譽上人の附屬 0000_,20,074a06(00):によりて增上寺に移住する事九年時に安譽雲潮入 0000_,20,074a07(00):室の事有てのち又安譽堂閣をつくり道譽生實に再 0000_,20,074a08(00):住歸山永祿三年也とあり案るに夫人の招見弘治に 0000_,20,074a09(00):て天文の末にありて此山を開き假堂にて建法幢あ 0000_,20,074a10(00):りける時杲譽の附屬傳燈の師職の讓與によりて一 0000_,20,074a11(00):旦縁山に住し學徒敎諭の間安譽に命し伽藍造立せ 0000_,20,074a12(00):しめ落成の上再ひ彼山を辭し此山に還住し夫人の 0000_,20,074a13(00):約に違はず所化を領し叢林とせられし成べし又京 0000_,20,074a14(00):稱名寺の記には彼の寺永祿三年開基とあれど龍澤 0000_,20,074a15(00):始の起立同年なればいかがなるべきや愚案には天 0000_,20,074a16(00):文十三年に稱名寺をひらき永祿三に當山の開創有 0000_,20,074a17(00):しならんか又當山の譜錄正史とすべけれど此事の 0000_,20,074b18(00):みならず外にもいろいろと少しく異紛なきにはあ 0000_,20,074b19(00):らず又師の傳の所も殊に詳ならず疑ふ事ともまま 0000_,20,074b20(00):あり既に靈巖上人は駿州沼津の産なるを安房國里 0000_,20,074b21(00):見氏としるせるなとは大成謬也里見氏の歸敬を受 0000_,20,074b22(00):られし事を産氏とおもへる如きの差あれは師の年 0000_,20,074b23(00):月日何れと定むべからず是後世に書しるせる者な 0000_,20,074b24(00):れば多くは惣系譜などによりし故なり下是に傚ふ 0000_,20,074b25(00):又稱名寺は弘治三年にて師增上寺住職の内上京參内等ありて其時に開基ありしもしるべからず然とも是又今のごとく增上寺も大山 0000_,20,074b26(00):ならざれば綸旨拜受在京逗留の時成べし 0000_,20,074b27(00):永祿十一年八月夫人落飾し銅像の彌陀を師に捧け是 0000_,20,074b28(00):閨中の持尊なり此尊にむかひて後世の冥福を祈り給 0000_,20,074b29(00):へと布施せらるこの時即ち盈譽利貞禪尼後追號瑞雲院盈譽龍澤利貞 0000_,20,074b30(00):と授名あり同年利貞尼九月七日正念往生あり遺骸 0000_,20,074b31(00):を當山の堂右の岳上に收め墳墓を築き碑を立是より 0000_,20,074b32(00):胤榮いよいよ師を信敬ありしとぞ上總國宮原御所師 0000_,20,074b33(00):の道德を常常遙慕の上當山起立開創の事を聞達せら 0000_,20,074b34(00):れ師をまねきて法要をとかしめ圓頓の戒をうけて歸 0000_,20,075a01(00):敬他に異なり此頃東國戰責の最中なれば寺門淸寧の 0000_,20,075a02(00):爲として禁札を門前に建らる又下馬札を兩門に示標 0000_,20,075a03(00):し旗下屬士の不猥樣にとの高風を許さる 0000_,20,075a04(00):定 0000_,20,075a05(00):一諸國之武士不論貴賤於惣門前可有下馬事 0000_,20,075a06(00):一寺内門前諸役一切停止之事 0000_,20,075a07(00):一喧嘩口論停止之事 0000_,20,075a08(00):一博奕堅禁制之事 0000_,20,075a09(00):一殺生禁斷之事 0000_,20,075a10(00):右之條條於違犯之輩者可加成敗者也 0000_,20,075a11(00):永祿十二巳年五月 0000_,20,075a12(00):是より四方の雨笠集り法問論議ありといへども障難 0000_,20,075a13(00):ある事なし胤榮元龜元午年故ありて同國的井に城を 0000_,20,075a14(00):築き移る然れども猶師を請し常に法要を聽聞あり師 0000_,20,075a15(00):七里を遠しとせず常に遊化ありければかの地に又新 0000_,20,075a16(00):大巖寺を建立し師を開山第一祖と仰敬せらる今大巖に混する故 0000_,20,075a17(00):長源寺とあらたむ天正の始師沉痾を愁へ數日の間に大漸の期 0000_,20,075b18(00):を覺し門弟子を集めて云予本性鈍魯なりしに一旦明 0000_,20,075b19(00):王の示驗によりて弘敎も心のままにて濟度も又ひろ 0000_,20,075b20(00):し且又禪尼の篤信外護力によりて傳燈の叢林をひら 0000_,20,075b21(00):き弘通の本刹を建る事を得たり然らは我滅後忌日の 0000_,20,075b22(00):法要を修んと欲せは禪尼の沒日を定式とし兼行修善 0000_,20,075b23(00):すべし又汝等もし魯頑の輩は明王の威德力を仰き又 0000_,20,075b24(00):我廟所にも祈るべしと云畢て臼井城下新大巖の靜盧 0000_,20,075b25(00):に遷化あり世壽六十法臘四十七實に天正二甲戌年十 0000_,20,075b26(00):二月七日也門徒慟哭悲涙ををさめ遺身を荼毘し大巖 0000_,20,075b27(00):長源の二寺に建碑す鎭流祖傳は此錄と大に遠なり彼書はすべて不詳事多し今は暫く寺記による淨土本 0000_,20,075b28(00):朝高僧傳五卷四右列祖傳卷四五左總系譜中十左新撰傳其外諸寺由緖記等に出 0000_,20,075b29(00):天正五年二世安譽上人代胤榮より永世寺地紛亂なか 0000_,20,075b30(00):らんか爲に寄附狀を送らる 0000_,20,075b31(00):御寺領並御屋敷等之事如何樣之橫合有之共後後迄 0000_,20,075b32(00):相違之儀不可有之候爲其一札如件 0000_,20,075b33(00):天正五年五月廿一日 胤榮書判 0000_,20,075b34(00):大巖寺參 0000_,20,076a01(00):天正十八年小田原落城之時其年正月より本宗千葉家 0000_,20,076a02(00):をはじめ一族郞等一同の催促によりて胤榮も辭する 0000_,20,076a03(00):に途なく關六州一同なれば一族とともに小田原に籠 0000_,20,076a04(00):城有り二世安譽上人竊に小田原に至り密使を送り利 0000_,20,076a05(00):害を説き和融をすすめられしかど千葉の一族いづれ 0000_,20,076a06(00):も義を金鐵に比して敢て諾せず 0000_,20,076a07(00):安譽上人はかねて神祖も見しらせ給へは安譽ひそ 0000_,20,076a08(00):かに又神祖の御陣に向ひ奉り寺檀の衰亡を歎き若 0000_,20,076a09(00):出城の上は存命乞奉ると有ける時神祖元より厚仁 0000_,20,076a10(00):寬大にましましければ子細有まじと豐公の御氣色 0000_,20,076a11(00):を伺ひ奉られ内意を安譽にさとさせ給ひし故に安 0000_,20,076a12(00):譽又再ひ原氏の陣に書を送るといへとも原氏の返 0000_,20,076a13(00):事に貴僧の執成源公の厚志は感佩するに餘りあり 0000_,20,076a14(00):早く出城降乞すべしといへども妻子同しく當地に 0000_,20,076a15(00):有家名義信に亡ふべき時節にや千葉の一族家門藩 0000_,20,076a16(00):士八千の人數ひとしく亡命をまつのみなれば我一 0000_,20,076a17(00):人命を全せんは先祖へ對し順ならず又妻子を誅戮 0000_,20,076b18(00):せしめ武道の身としていかか世になからふべき此 0000_,20,076b19(00):身烟となりて白骨とさたあらは後世は師の法力仰 0000_,20,076b20(00):處なり源公の陣前然るべく執達有べしと有りけれ 0000_,20,076b21(00):ば其旨を又神祖に奏ありしかは神祖不便に思召れ 0000_,20,076b22(00):胤榮もし降出せば關東の舊家我領知たらむ時は本 0000_,20,076b23(00):領に復せしむべきを亡家の敗將時節也とて安譽を 0000_,20,076b24(00):饗せられしとぞ 0000_,20,076b25(00):朱璽寶章 0000_,20,076b26(00):其後關東諸所戰中なれば又御陣所に出仕し禁札を願 0000_,20,076b27(00):ひ奉られしかは則禁札下馬始のことく賜りぬ 0000_,20,076b28(00):此禁札鎌倉にある所などに文格かはりあり是その 0000_,20,076b29(00):國國に隨ひ舊例を多く採用し給へる御深慮のあま 0000_,20,076b30(00):ねき處なりとしるべし 0000_,20,076b31(00):禁制 大巖寺 0000_,20,076b32(00):一軍勢甲乙人等濫妨狼籍之事 0000_,20,076b33(00):一放火之事 0000_,20,076b34(00):一殺生之事 0000_,20,077a01(00):一對當寺中並門前百姓等非分之儀申懸事 0000_,20,077a02(00):一竹木截用之事 0000_,20,077a03(00):右之條條堅令停止之訖若於違犯之輩者忽可被嚴科 0000_,20,077a04(00):者也 0000_,20,077a05(00):天正十八年七月日 (御判) 0000_,20,077a06(00):既に關東の八州是迄北條は六州也安房國里見上總をも領す六州の内にても下野に那須常陸佐竹などあり又八大 0000_,20,077a07(00):家等ありて北條の領地百萬石にたらず然るに東照宮御家領と成し時は八州一圓也御領に定まりしかば 0000_,20,077a08(00):安譽又再三御目見の上是迄原氏よりの境内寄附有し 0000_,20,077a09(00):かと御領と成し上は寺境の事奉願しかは是又御判物 0000_,20,077a10(00):を下置る 0000_,20,077a11(00):下總國生實大巖寺領並屋敷等事 0000_,20,077a12(00):右如先規之領掌不可有相違者也仍如件 0000_,20,077a13(00):天正十八年七月廿八日 (御書判) 0000_,20,077a14(00):大巖寺 0000_,20,077a15(00):御入國の御規式は同年八月朔日なりしかは安譽又賀 0000_,20,077a16(00):慶の爲登營し奉る是より下總國東金邊などへ御放鷹 0000_,20,077a17(00):の時は必す入御ましましけるとぞ同十九年又一書を 0000_,20,077b18(00):賜り前代原氏寄附の貫を御朱印に御改替へ成下さる 0000_,20,077b19(00):寄進 0000_,20,077b20(00):下總國千葉郡 大巖寺 0000_,20,077b21(00):右如先規令寄附之訖彌守此旨武運長久之精誠殊佛 0000_,20,077b22(00):法相續不可有怠慢之狀如件 0000_,20,077b23(00):天正十九年辛卯十一月日大納言源朝臣(御書判) 0000_,20,077b24(00):元和三年台德院殿御朱印 0000_,20,077b25(00):當寺領下總國千葉郡生實郷之内百石事任去天正十 0000_,20,077b26(00):九年十一月先判之旨永不可有相違之狀如件 0000_,20,077b27(00):元和三年三月廿七日(御朱印) 0000_,20,077b28(00):大巖寺 0000_,20,077b29(00):寶永十三年大猷院殿御書替 0000_,20,077b30(00):當寺領下總國千葉郡生實郷之内百石之事任天正十 0000_,20,077b31(00):九年十一月日元和三年三月廿七日兩先判之旨永不 0000_,20,077b32(00):可有相違之狀如件 0000_,20,077b33(00):寬永十三年十一月九日(御朱印) 0000_,20,077b34(00):大巖寺 0000_,20,078a01(00):此後御代代御朱印の文言常憲院殿以下悉准之 0000_,20,078a02(00):大巖寺領下總國千葉郡生實郷之内百石事任天正十 0000_,20,078a03(00):九年十一月日元和三年三月廿七日寬永十三年十一 0000_,20,078a04(00):月九日先判之旨令收納永不可有相違者也仍如件 0000_,20,078a05(00):寬文五年七月十一日 0000_,20,078a06(00):天正十八年東照宮御内書 0000_,20,078a07(00):就當表出陣芳翰並一折到來遠路殊怡悅候委細御使 0000_,20,078a08(00):僧可有演説候恐恐謹言 0000_,20,078a09(00):五月廿三日 御諱 (御書判) 0000_,20,078a10(00):大巖寺 0000_,20,078a11(00):同 0000_,20,078a12(00):其地御在番御辛勞察入候仍大巖寺之儀於田舍我等 0000_,20,078a13(00):本寺之事候間諸事御心付賴入候委細西尾小左衞門 0000_,20,078a14(00):可申候間不能詳候謹言 0000_,20,078a15(00):五月廿五日 御諱 (御書判) 0000_,20,078a16(00):一橋兵吉殿 0000_,20,078a17(00):此御書の中に我等本寺とある事は增上寺の本寺と 0000_,20,078b18(00):云にはあらす宗門白旗流傳法の義に付て道譽流感 0000_,20,078b19(00):譽流の二派この頃起りけるに國師は感譽上人の弟 0000_,20,078b20(00):子故縁山は感流を傳ふといへとも感譽の師匠道譽 0000_,20,078b21(00):故二師の流異途ある事なしかねて此事を滿譽大僧 0000_,20,078b22(00):正觀智國師又は大樹寺住持など言上ありしかば此 0000_,20,078b23(00):御文言ありかくまで宗門を扶起し給へる御神慮の 0000_,20,078b24(00):事此文を見ても落涙に及べり宗門の徒御神恩を仰 0000_,20,078b25(00):感し奉り微志深恩を謝し奉るべし 0000_,20,078b26(00):道塲造建 0000_,20,078b27(00):本堂 東西十三間南北十一間 和春上人代燒失に付 0000_,20,078b28(00):慶安四卯年二月門譽上人代再建 0000_,20,078b29(00):本尊阿彌陀佛座像 慈覺大師作 二尺九寸 0000_,20,078b30(00):大方丈 西東七間半南北六間客殿へ廊下二間に三間 0000_,20,078b31(00):小方丈 西向東西二間半南北四間廊下一間四方 0000_,20,078b32(00):茶間 西向南北十間半東西四間 0000_,20,078b33(00):庫厨 南北九間東西五間 0000_,20,078b34(00):庫藏 南北三間東西二間 0000_,20,079a01(00):浴室 東西六間南北三間 0000_,20,079a02(00):雜庫 南北九間東西三間 0000_,20,079a03(00):三門 五間に三間上に釋尊十六羅漢安置 0000_,20,079a04(00):惣門 0000_,20,079a05(00):鎭守殿 四ケ所 0000_,20,079a06(00):下馬札 二ケ所 0000_,20,079a07(00):此外小社小堂類有之 0000_,20,079a08(00):鐘樓 洪鐘 口渡し二尺三寸五分長三尺五寸 0000_,20,079a09(00):夫鐘韜洪音響古今恆然而群機二世得脱因縁者也以 0000_,20,079a10(00):玆檀那江戸宮崎理安兄弟三人爲本願勸進緇素以求 0000_,20,079a11(00):此洪鐘當寺爲什物奉寄進者也 0000_,20,079a12(00):寬永二乙丑九月七日 0000_,20,079a13(00):下總國生實郷龍澤山大巖寺第二安公上人直弟第 0000_,20,079a14(00):五代住持比丘等蓮社圓譽上人潮龍大和尚代 0000_,20,079a15(00):什寶類員 0000_,20,079a16(00):彌陀佛座像 新佛二尺三寸九分内佛に安置 0000_,20,079a17(00):立像彌陀 太子作三尺一寸五分 0000_,20,079b18(00):銅像彌陀佛 龍澤禪尼持念佛一尺余傳法證佛とす 0000_,20,079b19(00):鎌作彌陀佛 知恩院燈譽上人作 0000_,20,079b20(00):聖觀音 惠心僧都作 0000_,20,079b21(00):地藏尊 同作鎭守本地身とす 0000_,20,079b22(00):舍利塔 佛舍利五粒入 0000_,20,079b23(00):開山持笈 内内種種の器具有 0000_,20,079b24(00):開山所持打鏧 常州久慈郡佐竹郷如來寺常什銘正 0000_,20,079b25(00):中二年源家重是は諸國修行の時彼地にて歸依の餘 0000_,20,079b26(00):り寄附ありと云 0000_,20,079b27(00):龍澤禪尼影像 安譽上人作とも開山上人弟子の中に 0000_,20,079b28(00):佛工ありしに命せられ自ら助造し報恩に擬し開眼 0000_,20,079b29(00):有しとも云 0000_,20,079b30(00):圓光大師鏡御影 正信上人作開山京都にて感得と云 0000_,20,079b31(00):案るに諸國に鏡御影數多有大師在世にかく多くは 0000_,20,079b32(00):作彫有るべからず恐くは二尊院にある處の像を摸 0000_,20,079b33(00):寫しそれそれ傳來あるを皆正作といへるならむ歟 0000_,20,079b34(00):亦は在世に門弟各各大師にかくしひそかに風姿を 0000_,20,080a01(00):うつしとどめける者か又は亂世によりて正本の像 0000_,20,080a02(00):かかる邊鄙にうつらせ其本所に安置せるは寫しな 0000_,20,080a03(00):らんかいつれにも諸所にて拜するの像容姿等くし 0000_,20,080a04(00):て四五百年來とみゆれど數百年の間の事詳ならず 0000_,20,080a05(00):かく年曆を經ていづれにても尊敬せられ給へる像 0000_,20,080a06(00):なれば信をとりて正身と思ははたとへうつせし像 0000_,20,080a07(00):にても靈驗同しかるへし 0000_,20,080a08(00):安譽上人所持經箱 銘有 0000_,20,080a09(00):奉寄附經箱之事 0000_,20,080a10(00):右志之旨趣者爲橫截五惡趣昇道無窮極之資糧也然 0000_,20,080a11(00):則代代導師講經演説之砌可蒙速證無生之回向伏乞 0000_,20,080a12(00):以寶凾施入之功説法聽受之能所併檀主遂倶會一處 0000_,20,080a13(00):之素懷者也 0000_,20,080a14(00):天正十六戊子年二月時正日 0000_,20,080a15(00):施主 太田備中守法名源譽道和同奧方氏女法名華室智榮 0000_,20,080a16(00):金物大工田邊半左衞門尉 0000_,20,080a17(00):彌陀畵像 琢磨法眼筆 釋迦像 思恭筆 0000_,20,080b18(00):涅槃像 唐筆 釋迦佛文殊普賢 唐筆 0000_,20,080b19(00):釋迦佛三尊 覺鑁興敎大師筆 0000_,20,080b20(00):六字名號 大師御筆 開山道譽上人名號 三幅 0000_,20,080b21(00):龍澤山の三字 靑蓮院尊 法親王御筆 0000_,20,080b22(00):圓相頌 安譽上人筆 四義頌 同筆 0000_,20,080b23(00):別時法度書 同筆 枚起請 同筆 0000_,20,080b24(00):六字名號 同筆 安譽壽牌 0000_,20,080b25(00):法問の節開山壽牌 開山衣 0000_,20,080b26(00):九條袈裟 知恩院浩譽上人所送開山上人有用之 0000_,20,080b27(00):純子幡十二流 桂昌院殿御寄附 祐天上人御在住の 0000_,20,080b28(00):時と云ふ 0000_,20,080b29(00):本堂箱棟御紋御寄附添書 桂昌院殿老女中 0000_,20,080b30(00):六字名號 紀伊中納言綱敎卿筆 0000_,20,080b31(00):七卷書籍 安譽上人筆廿二才時と云弟子隱譽奧書有 0000_,20,080b32(00):呑血寶劒 開山上人成田山不動尊より感得 0000_,20,080b33(00):同 衣 同時所吐之黑血數升衣にそそぎし儘有之 0000_,20,080b34(00):淨土論 安譽筆 二藏義 同筆 0000_,20,081a01(00):大原問答 同筆 頌義序草稿一卷 同筆 0000_,20,081a02(00):大原問答折本 南都五劫山咄用力生筆慶安二丑夷則七夕執筆宗阿入道 0000_,20,081a03(00):咄閉書天正年中古人寺帳 開山在判五通此内に 0000_,20,081a04(00):天正十九辛卯十月十日 名目 賢古同十九日 春的 0000_,20,081a05(00):三超 天朗 安微 雲把 存策廿八日 宗因十一月十日 0000_,20,081a06(00):應徹寮 圓及同廿年三月二十四日 樹貞 深榮 廓大寮衆 0000_,20,081a07(00):歷傳頌義名目 天策 八月十四日 轉入同十六日 曇靈 0000_,20,081a08(00):九月十一日 榮讃 玄朗九月廿八日 是鏡此内有 智惠 0000_,20,081a09(00):九把 月宮 斬悅 祖讃 智傳 壽的 淸把 宗 0000_,20,081a10(00):顯 惠順 順諦 宗也 幻宿 靈察 圓壽 念的 0000_,20,081a11(00):懷存 存久 玄貞 學湛寮 善林 宗引 存周 三 0000_,20,081a12(00):貞 岩察 三哺 永鑑 修短 圓徹 惠徹以下略之 0000_,20,081a13(00):文祿三年五月五日寮主名 0000_,20,081a14(00):不歷 嚴立 嚴宿 團靈 窮道 玄龍 守政 幻 0000_,20,081a15(00):榮 天朗 鑑徹 覺隨 崙 文覺 0000_,20,081a16(00):永波 牟碧 玄牘 一道 圓牛 滿玄 嚴隆 靈 0000_,20,081a17(00):順 荷山 順學 曇及 玄貺 南隨 祖覺 0000_,20,081b18(00):方丈衆 玄愚 九眼 賀屋 利角 守珍 朗月 0000_,20,081b19(00):深岌 龍造 黁笈 靈安 以下喀之 0000_,20,081b20(00):月行事法度中 0000_,20,081b21(00):一入寺錢 五十文 0000_,20,081b22(00):一新來假名並厥月日辰慥可書載此帳事 0000_,20,081b23(00):一入寺錢不相濟者不可書大衆事 0000_,20,081b24(00):一位牌入寺之事入寺錢當位可書者也但一度相過者 0000_,20,081b25(00):座敷有間敷者也 0000_,20,081b26(00):一安居中位牌成者來安居前可書者也 0000_,20,081b27(00):安譽所持五通 永祿九寅年正月廿五日道譽上人在判 0000_,20,081b28(00):有之 0000_,20,081b29(00):了譽聖冏上人直筆初重 應永十二年十月十二日在判 0000_,20,081b30(00):有之 0000_,20,081b31(00):安譽一圓相頌 一圓爲獨朗 從本英縱橫 名字見何 0000_,20,081b32(00):物 虚空飛鳥聲 已下略之 0000_,20,081b33(00):本堂前に虎角梅二本左右植之是虎角公手植云云 0000_,20,081b34(00):原氏廢亡 0000_,20,082a01(00):原式部少輔胤榮は小田原にて安譽の和降を信義の爲 0000_,20,082a02(00):にうけられずして程なく落城せしかばひそかに敗績 0000_,20,082a03(00):の兵卒を集め生實城に入 0000_,20,082a04(00):一説に胤榮小田原には子息胤光三郞を遣せ家士大 0000_,20,082a05(00):和田左近寒川縫殿助同八郞同十郞木内七郞右衞門 0000_,20,082a06(00):木村十兵衞芝崎又八郞和田五郞等三百餘騎にて籠 0000_,20,082a07(00):らせ自身は臼井城に立構佐原十郞左衞門海上右京 0000_,20,082a08(00):木内左馬助同三郞蓮沼文五郞木戸右衞門尉高木民 0000_,20,082a09(00):部丞高木太郞右衞門同又次郞貝塚文右衞門等七百 0000_,20,082a10(00):八十騎にて籠しかど小田原落城前後諸手關東の諸 0000_,20,082a11(00):城を攻しかば家士を集め議しけるは今度豐臣氏日 0000_,20,082a12(00):本國中の兵士を集め攻下とあれば北條家の廢亡此 0000_,20,082a13(00):時なるべし我家の正統千葉は關東の三家と稱せら 0000_,20,082a14(00):れ諸士の上座たる事謙倉二位殿より以來替事なし 0000_,20,082a15(00):足利氏に屬せし後も是に同じかりしに一族互に攻 0000_,20,082a16(00):戰起り馬加陸奧守本家を押領せしより市川石濱等 0000_,20,082a17(00):にわかれあり故に我家又馬加に組しかく大家と成 0000_,20,082b18(00):しかど北條の弓矢するどにして兩上杉負軍越後へ 0000_,20,082b19(00):敗走後天文年中より北條家に歸順する事頗る家の 0000_,20,082b20(00):瑕瑾なり今家の爲子孫の爲叛心を顯し下向の士と 0000_,20,082b21(00):ともに小田原に敵すべきはいかがと有し時高木民 0000_,20,082b22(00):部丞進出て云此事無用たるべしたとへ豐公日本の 0000_,20,082b23(00):勢を以攻らるるとも小田原名城箱根難所其上關東 0000_,20,082b24(00):の諸士一同籠居人質有之上は主從の人質も彼方に 0000_,20,082b25(00):有又今微勢を以上方軍とともに叛逆の色を起すと 0000_,20,082b26(00):も近國の士ことことく來りて攻ん事兩三日の間な 0000_,20,082b27(00):りさる時は却て災をまねくに同じ速に小田原とと 0000_,20,082b28(00):もに運をともにせらるべしと云しかば大身の者は 0000_,20,082b29(00):皆皆妻子小田原に有ければいづれも同意しけるに 0000_,20,082b30(00):ぞ扨はと臼井に籠城ありしなり然れども堅守微勢 0000_,20,082b31(00):なるが故に潜に彼城を出生實城に入りしのちかの 0000_,20,082b32(00):城は忽ち降參又は討死し落城す是當年五月十八日 0000_,20,082b33(00):也 0000_,20,082b34(00):入城後乞降の許ありしかど豐公の命として岩付松井 0000_,20,083a01(00):田等の降參をにくまれ始降を受しはせひもなし一戰 0000_,20,083a02(00):一降すべしと不嫌なりしかば從卒今は向所の城をこ 0000_,20,083a03(00):とごとく攻落し士兵をはふりけるにぞ生實臼井忽 0000_,20,083a04(00):ち落敗す胤榮今はせんかたなく敗軍とともに野田原 0000_,20,083a05(00):に戰ひ命を義の爲に捨骸を十文字ケ原の草露と消し 0000_,20,083a06(00):は哀なる事ともなり軍はててのち家士ども殘れる輩 0000_,20,083a07(00):集り遺骸を路傍にうづむ至今野田十文字原に古墳あり里民原塚と云其のち同 0000_,20,083a08(00):年十二月六日民間にのこれる一族ども臼井宗德寺に 0000_,20,083a09(00):碑を立まつりをなす法名弘岳太崇大居士と云當山又 0000_,20,083a10(00):碑を建法號大巖寺殿俊譽弘岳太崇大居士と追號 0000_,20,083a11(00):因に當山紋所は原氏を用ゆ三鱗
月星十曜
0000_,20,083a12(00):原氏系譜(略之) 0000_,20,083a13(00):世代傳略 0000_,20,083a14(00):高僧傳五云釋道譽字貞把稱蓮社姓大谷氏泉州日根 0000_,20,083a15(00):郡波宇手之人十三歳師事寶圓寺貞也師十七歳琢 0000_,20,083a16(00):磨諸檀林弘治元年七月啓公許可傳璽書乃爲芝嶽 0000_,20,083a17(00):第九世始禀性閔然不敏屢倦學遂發憤詣下之總 0000_,20,083b18(00):州成田山懇祈不動尊絶水糓乞聰明明王託假 0000_,20,083b19(00):寐提示利鈍二劒曰儞將呑何劒師曰呑利劒明 0000_,20,083b20(00):王振利劒裂破師之廅覺而黑血迸流殆瀕死頃 0000_,20,083b21(00):刻愈自爾敏悟學無勞亶達三藏一日赴千葉郡生 0000_,20,083b22(00):實入龍澤之水底坐數日而阿彌陀佛放金光現定 0000_,20,083b23(00):中授一家之玄頥因而做傳法之中興時龍女出曰 0000_,20,083b24(00):吾儕住澤中數千年未觀如是奇事伏願和尚以 0000_,20,083b25(00):大悲授蓮家之妙旨師應請傳示宗戒二門法諱 0000_,20,083b26(00):號龍澤善女善女受竟曰和尚哀愍故吾出苦城慈恩 0000_,20,083b27(00):深渤澥正何以謝之師曰吾有創立之宿望儞惟可 0000_,20,083b28(00):俾澤山成法塲豈非弘法之洪基乎善女於是 0000_,20,083b29(00):委付澤山曰爲吾啻除貽小池留殘軀爲歷劫 0000_,20,083b30(00):之外護聿塡壅其澤沼搆精舍名大巖寺蓮敎煽 0000_,20,083b31(00):興義虎常至六七百于今有小瀦尋常水湛池半 0000_,20,083b32(00):毎年傳法之行中靈水湧勝池上三尺許行畢則如平 0000_,20,083b33(00):日蓋龍神供新受者也天正二年九月七日禮佛迎 0000_,20,083b34(00):而化塔龍澤峯師生平祥應多掬池水呪爲燈油 0000_,20,084a01(00):又以障般舟止群蛙之喧噌矣述曰唐朝道英師愛 0000_,20,084a02(00):游魚宴坐深淵矣道譽師之水座志在求法歟儻不 0000_,20,084a03(00):爾曷感覺王之系授乎佛魚不等得水界之自在 0000_,20,084a04(00):也其德脗合矣確誠而威怒王卑敏惠道高而一乘戒光 0000_,20,084a05(00):照龍宮其功偉矣 0000_,20,084a06(00):第二世穩蓮社安譽雲潮虎角大和尚は甲府人飯田氏永 0000_,20,084a07(00):正年中十三才にして增上寺に入り道譽上人に隨從し 0000_,20,084a08(00):剃染す智解倫に超嗣法髓を得元より禪儒通達神歌の 0000_,20,084a09(00):二道までも奧儀を究られしかは諸國に請せられ法問 0000_,20,084a10(00):主となりて法幢を建學徒の敎授有上野國綠野郡吉井 0000_,20,084a11(00):村に淸見寺を開創し初め彌陀堂を建又飛錫せられしかば落成は天正九年となる下總國靑 0000_,20,084a12(00):戸村に法問寺を起立し武藏國足立郡戸塚村に三佛寺 0000_,20,084a13(00):を創建有又岩附淨安寺に住職し天正三年春師命に 0000_,20,084a14(00):よりて龍澤山に住在し堂宇造建を司とる同八年頌 0000_,20,084a15(00):義序並四義私抄を述し學徒に授與し宗門の高致幽 0000_,20,084a16(00):玄をひらく同十八年本多中務大輔忠勝の請によりて 0000_,20,084a17(00):母堂のために上總大多喜に櫻谷寺を創立あり凡天 0000_,20,084b18(00):地變氣萬物運動までも精要を得ずといふ事なし文錄 0000_,20,084b19(00):二年二月四日當山に遷化す鎭流祖傳五卷六左總系譜中十二蓮門流派血脉論列祖傳高僧 0000_,20,084b20(00):傳五六左釋安譽字虎角稱穩蓮社道譽師之門資也少壯 0000_,20,084b21(00):之時發敏利之譽於小論議之席甞諳熟碧岩一百則 0000_,20,084b22(00):之公案故深徹單傳之玄玅講學孜孜涉諸史百 0000_,20,084b23(00):家殊究易之幽邃又工墨痕末徒執之于今爲珍 0000_,20,084b24(00):天正八年四月書二藏義之序或製四綱領及六祖勘 0000_,20,084b25(00):文頌而爲新學之媒平常觀境繢自身之影像掛于 0000_,20,084b26(00):床頭迨晩年一日染微疾遺囑徒衆曰吾沒後依 0000_,20,084b27(00):此像修喪矣呼行者乞戸板爲臨終之座然竟夜 0000_,20,084b28(00):念佛至于鷄鳴倐然止其徒伺之失遺骸及板座肖 0000_,20,084b29(00):像之所在合山懼尋之惟看畵像放光長松之梢大衆 0000_,20,084b30(00):合掌感嗟 0000_,20,084b31(00):列祖傳三一右釋安譽諱虎角未詳其姓氏永正年中 0000_,20,084b32(00):削髮始見道譽和尚道試其性儒釋兼能識道曰如 0000_,20,084b33(00):汝學才戴角虎稱字之虎角悉受淨土密旨於道 0000_,20,084b34(00):公匪敎熟禪熟倍富張華之博識危坐一室潜 0000_,20,085a01(00):心精思敎人以約一山學士翕然崇之所著淨土 0000_,20,085a02(00):四義鈔並頌義序當天正八庚辰初夏擴先師未發 0000_,20,085a03(00):故擧曰其才淸白勁正角生平以誠業且令自不 0000_,20,085a04(00):妄語始入武陵司法歷僧役論事剛直一時敬攝 0000_,20,085a05(00):目之曰寺林虎哲天正中抽黨住大巖寺剩見 0000_,20,085a06(00):有神異聞性命之學乃自探頥索隱洞考天地 0000_,20,085a07(00):運氣古今之事變萬物性情遂慣虙義先天之旨世 0000_,20,085a08(00):稱爲釋家珍器之豪傑故指滅日兼自言果如此 0000_,20,085a09(00):世壽未詳所著之書行于世矣 0000_,20,085a10(00):當山第三世檀蓮社雄譽靈巖大和尚は江戸靈巖寺の所 0000_,20,085a11(00):に傳を出す凡建寺三十六ケ寺行德古今に秀ければ文 0000_,20,085a12(00):政四年三月予別に靈巖大和尚廣濟傳三卷を述す故に 0000_,20,085a13(00):今此所に贅せす 0000_,20,085a14(00):四世肇蓮社源譽隨流上人は山城國山科人安譽感譽の 0000_,20,085a15(00):二師に受學し唱導の名高く馳明辯の譽遠く聞ゆ下總 0000_,20,085a16(00):國撿見川に善勝寺を開き又大巖寺四世と成後又越前 0000_,20,085a17(00):宰相忠直卿の請によりて運正寺に住す是滿譽尊照大僧正依命開創の後第二 0000_,20,085b18(00):世と定らる 彼山に於て大衆を集め法幢をたて百五十僧 0000_,20,085b19(00):の法將たりのち再ひ當山に歸住し又江戸赤坂に龍泉 0000_,20,085b20(00):寺を開基す寬永十三年十月廿日寂外略鎭傳六卷六系中十二右往生傳列祖傳 0000_,20,085b21(00):五世等蓮社圓譽潮龍上人は安譽公の弟子上總國市原 0000_,20,085b22(00):人縁山一世故縁山志に出 0000_,20,085b23(00):六世要蓮社典譽鎭松文超上人圓譽弟子少壯にして龍 0000_,20,085b24(00):澤の勝席に倍勤學習苦する事數年螢雪累歳星霜時臻 0000_,20,085b25(00):雄譽上人に瓶寫面受學す精粹智行稍闌衆の爲に推擧 0000_,20,085b26(00):せられ學頭職に補し寬永二年乙丑冬弘通の許可をう 0000_,20,085b27(00):け選出によりて先師の附屬に隨當山座講堂に主とし 0000_,20,085b28(00):て滿山の學徒を慈誨する事凡八年寬永九年壬申八月 0000_,20,085b29(00):四日俄然として寂す 0000_,20,085b30(00):七世淨蓮社嚴譽志白天了上人は江戸淺草龍寶寺弟子 0000_,20,085b31(00):也志學ののち縁山に入て學修す性素より氣幹確固書 0000_,20,085b32(00):閲に閉戸安禪に燭を消繩錐の勵にうむ事なし惠劒を 0000_,20,085b33(00):切瑳し戒珠を琢磨す寬永十四年丁丑台命を奉して當 0000_,20,085b34(00):山に住職す當山は開祖より法孫連綿として正脉を裔 0000_,20,086a01(00):胤に附す師より始て大樹の官刹に定めらるおしむべ 0000_,20,086a02(00):し轉官の榮顯を期せず住九年正保二年乙酉二月七日 0000_,20,086a03(00):化 0000_,20,086a04(00):八世頓譽智哲上人 縁山一世都て縁山昇進は予が縁山志に本傳を列するが故にことごと 0000_,20,086a05(00):く略す 0000_,20,086a06(00):九世森譽歷天上人 江戸淺草天岳院滿譽善空弟子縁 0000_,20,086a07(00):山一世 0000_,20,086a08(00):十世眞蓮社乘譽流頓上人 越前城内に生淨光院に入 0000_,20,086a09(00):隨流上人の弟子と成當山ののち京知恩寺に轉榮賜紫 0000_,20,086a10(00):彼山に寂 0000_,20,086a11(00):十一世念蓮社貞譽了也大僧正 縁山一世 0000_,20,086a12(00):十二世行蓮社願譽哲道運雨上人は石見國人江戸縁山 0000_,20,086a13(00):に下向し精學年久し後黑谷純超上人の門に遊ひ粗宗 0000_,20,086a14(00):義の秘賾を探る稍諸敎の閫奧を究め性素強健克苦忍 0000_,20,086a15(00):勞年をかさね師に仕るに貞篤深し貞享三年當山に住 0000_,20,086a16(00):務元祿五年瓜連に轉移す主務久しからずして榮を厭 0000_,20,086a17(00):迹を晦し官階を脱屣し京洛に至り享保三年九月四日 0000_,20,086b18(00):洛東黑谷門前にして入寂 0000_,20,086b19(00):按るに師の洛に移り瓜連を去らるるの根基は黄門 0000_,20,086b20(00):義公日蓮の宗派を崇敬あられ京より本國寺大僧正 0000_,20,086b21(00):を召され久昌寺を建淨家をかの徒とにかくに脱せ 0000_,20,086b22(00):んとせしかは隱逸の念起られしとぞ 0000_,20,086b23(00):十三世信蓮社晃譽故照了山上人は安藝國廣島人也江 0000_,20,086b24(00):戸崎大念寺に入て修學後礫川に遊ふ無量山三臘より 0000_,20,086b25(00):貞譽大僧正の執奏として元祿五年當山に住職せらる 0000_,20,086b26(00):同七年戌三月大光院にし轉賜紫の榮あり同十二年卯 0000_,20,086b27(00):正月廿五日俄然として化 0000_,20,086b28(00):十四世然蓮社湛譽直爲龍槃上人は江戸麻布人白銀正 0000_,20,086b29(00):福寺に出家し岩付專譽孤雲上人の門に入 0000_,20,086b30(00):十五世明蓮社顯譽祐天上人江戸本所牛島の隱退所よ 0000_,20,086b31(00):り台命を奉當山へ住職 0000_,20,086b32(00):十六世本蓮社然譽澤春上人 0000_,20,086b33(00):十七世廣蓮社寬譽靈旭上人 0000_,20,086b34(00):十八世憶蓮社恒譽虎的上人 0000_,20,087a01(00):十九世一蓮社到譽惠哲上人 0000_,20,087a02(00):二十世任蓮社蓮譽和春上人 0000_,20,087a03(00):廿一世信蓮社印譽遵進上人 0000_,20,087a04(00):廿二世敎蓮社門譽覺瑩上人 0000_,20,087a05(00):廿三世宮蓮社商譽良義上人 0000_,20,087a06(00):廿四世曉蓮社念譽門冏上人 0000_,20,087a07(00):廿五世信蓮社誠譽俊榮上人 0000_,20,087a08(00):廿六世貫蓮社練譽雅山上人 0000_,20,087a09(00):廿七世淸蓮社皎譽要信上人 0000_,20,087a10(00):廿八世方蓮社便譽隆善上人 0000_,20,087a11(00):廿九世法蓮社住譽綽然上人 0000_,20,087a12(00):三十世眞蓮社聽譽諦禪上人 0000_,20,087a13(00):卅一世龍蓮社利譽圓徹上人 0000_,20,087a14(00):卅二世天蓮社高譽定印上人 0000_,20,087a15(00):卅三世常蓮社在譽法月上人 0000_,20,087a16(00):卅四世神蓮社謄譽實海上人 0000_,20,087a17(00):卅五世勝蓮社神譽了歡上人 0000_,20,087b18(00):卅六世天蓮社齊譽了回上人 0000_,20,087b19(00):卅七世寥蓮社廓譽圓純上人 0000_,20,087b20(00):卅八世然蓮社昭譽德定上人 0000_,20,087b21(00):卅九世光蓮社明譽德翁上人 0000_,20,087b22(00):上足鴻漸 0000_,20,087b23(00):虎角 穩蓮社安譽 當山二世 0000_,20,087b24(00):上總大瀧櫻谷寺同所超勝院下總州靑戸法問寺武州 0000_,20,087b25(00):足立郡戸塚三佛寺開山 0000_,20,087b26(00):靈巖 道本山開祖 0000_,20,087b27(00):祖貞 宣蓮社定譽 越後州蒲原郡淨泉寺開山 0000_,20,087b28(00):願譽 信蓮社 0000_,20,087b29(00):曉把 深蓮社信譽 洛陽淨國寺開山 0000_,20,087b30(00):俊光 鎭蓮社黁譽 南總久留里正源寺開山 0000_,20,087b31(00):岌南 盛蓮社無分 遠州橫須賀撰要寺開山 0000_,20,087b32(00):存把 栴蓮社檀譽 結城開祖 0000_,20,087b33(00):親譽 播州姬路心光寺開山 0000_,20,087b34(00):圓譽 筑後州柳川玉樹院開山 0000_,20,088a01(00):祖的 慶蓮社逞譽 尾州名古屋西蓮寺開山 0000_,20,088a02(00):林貞 光蓮社善譽 江戸淺草壽松院開山 0000_,20,088a03(00):極阿 來譽 洛陽永養寺中興 0000_,20,088a04(00):天譽 生蓮社存公 遠州濱松玄忠寺開山 0000_,20,088a05(00):梅翁 殘譽 加州金澤極樂寺開山 0000_,20,088a06(00):周頓 乘蓮社鏡譽 和州山郷龍巖寺開山 0000_,20,088a07(00):含牛 源蓮社秀譽 京師西往寺等數寺開山 0000_,20,088a08(00):右見總系譜 以下以諸寺記補之 0000_,20,088a09(00):道阿 宗蓮社圓譽 大和州三輪極樂寺開山 0000_,20,088a10(00):岌道 喜蓮社歡譽 越中州高岡西福寺開山 0000_,20,088a11(00):道三 光蓮社眼譽 京ト大阪トノ天性寺開山 0000_,20,088a12(00):岌圓 天譽 越中魚津法善寺開山 0000_,20,088a13(00):鑒譽 駿府淨國寺開山 0000_,20,088a14(00):席中俊鳳 0000_,20,088a15(00):○行蓮社敎譽貞順は近江國人也安土城下にて諸師の 0000_,20,088a16(00):學匠を尋ね剃度せんとせし時折節淨日の論ありて淨 0000_,20,088a17(00):家勝利のむね一同の取沙汰をききて貞安上人の許に 0000_,20,088b18(00):尋ね弟子とならん事を乞其のち諸所に隨從し下總國 0000_,20,088b19(00):生實に下りて道譽上人に淨土の附法相承す居從七ケ 0000_,20,088b20(00):年螢雪法問功つもりて都の方にのほりて伏見に至り 0000_,20,088b21(00):大龜谷に西福寺を開基し如意山光嚴院と名く是慶長 0000_,20,088b22(00):十年秋八月なり 0000_,20,088b23(00):當寺始禪律淨の三宗兼學なりそのかみ光嚴禪定 0000_,20,088b24(00):法皇御受戒の地なり其のち丹波國山國里精進寺へ 0000_,20,088b25(00):移らせられ年を經て貞治三年七月七日かの地に崩 0000_,20,088b26(00):御なし給ひしかば當寺は御入寺御授戒の上暫く御 0000_,20,088b27(00):逗坐たるをもちて院號とす始伏見城山にあり文祿 0000_,20,088b28(00):三午年豐太閤君布施玄甫に仰付られ引移され境内 0000_,20,088b29(00):撿地あられし故慶長八年東照宮へ由縁をしるし訴 0000_,20,088b30(00):へ添地を被下しかば同十年起立あり 0000_,20,088b31(00):法皇の御影御位牌を安置し奉らる元和四巳年十二月 0000_,20,088b32(00):朔日寂 0000_,20,088b33(00):○燈蓮社傳譽牛澤は河内國花田庄官の子なり堺西向 0000_,20,088b34(00):寺照蓮社寂譽の弟子となり生實に下り安譽虎角公に 0000_,20,089a01(00):傳法嗣承し歸國せし時大阪兩度の亂に師跡退轉せし 0000_,20,089a02(00):かは西興寺を再興し始同所德淸山玉圓寺を再興あり 0000_,20,089a03(00):京專稱寺住次に大阪淨國寺を再興し文祿中同所に常 0000_,20,089a04(00):照山大光寺を起立す又堺遍照寺を中興し旭蓮社專修 0000_,20,089a05(00):寺等を兼帶し大阪圓通寺岸和田光明寺を再興し堺淨 0000_,20,089a06(00):源寺宗宅寺等を中興す寬永十八年十月十二日化七十 0000_,20,089a07(00):九才 0000_,20,089a08(00):○稱蓮社專譽孤舟は堺寶樹寺然譽の弟子なり生實 0000_,20,089a09(00):に入虎角公の學指をうけ在山十餘年後歸國し正福寺 0000_,20,089a10(00):の荒廢を再興し元和六年二月廿九日死す 0000_,20,089a11(00):○崇蓮社玄譽傳可は河内國人三好氏當國佐野上善寺 0000_,20,089a12(00):にいり純譽の弟子となり生實にいり安譽公の弟子と 0000_,20,089a13(00):なり附法傳受居學十餘年歸國後慶長七年日根郡中庄 0000_,20,089a14(00):に己心山佛性院大光寺を開基す道德殊勝門徒歸集し 0000_,20,089a15(00):末宇廿七院に及ふ今廿四ケ寺 0000_,20,089a16(00):○辨譽立定は大和國矢戸村人五井稱名院にいり德譽 0000_,20,089a17(00):の弟子となり生實に入修學十餘年の間默直溫順なり 0000_,20,089b18(00):しかば寺主森譽弟子として敎諭他に異也後歸國し廣 0000_,20,089b19(00):瀨郡池尻村に安樂寺をたて平生麁衣麁食し常行三昩 0000_,20,089b20(00):の外他事をはなれ偏に出離生死の道をいそく延寶四 0000_,20,089b21(00):年七月三日死す 0000_,20,089b22(00):○乘蓮社鏡譽周頓は尾張國人にて犬山專念寺に入周 0000_,20,089b23(00):庭の弟子となり生實に下向し道譽上人に宗門の兩脉 0000_,20,089b24(00):を禀承す其のち諸國を行脚勸化し永祿四年五月二十 0000_,20,089b25(00):九日大和國添下郡小泉村にて城主寶岸院縁譽重順大 0000_,20,089b26(00):居士の菩提の爲に一宇を建立し位牌を安置し龍泉山 0000_,20,089b27(00):寶岸院善福寺と名く天正中同郡山郷に登天山龍岩寺 0000_,20,089b28(00):を開興す元和九年十月廿八日圓寂す 0000_,20,089b29(00):當寺河中寺と云河涯際に有し故也宗旨不定なりし 0000_,20,089b30(00):遠國より來住の僧遊住互に住せしを師淨家に改め 0000_,20,089b31(00):定めしなり 0000_,20,089b32(00):○生蓮社往譽廓岌は近江國淺井郡人生實にいたり道 0000_,20,089b33(00):譽上人に附法相續しそののち大和國吉野郷丹治村に 0000_,20,089b34(00):玉峯山三佛院金龍寺を再興し慶長元年大阪淡路町に 0000_,20,090a01(00):て松見山寶相院大乘寺を建後中寺町生玉へ所がえと成同二年四月十 0000_,20,090a02(00):一日寂七十二才 0000_,20,090a03(00):○應蓮社顯譽魯道泰純は大阪寶泉寺願譽の弟子にて 0000_,20,090a04(00):生實に下り安譽上人の坐下に修學する事數年學解日 0000_,20,090a05(00):日に長し同學ことことく伏す後歸國し堺宗泉寺に住 0000_,20,090a06(00):し文祿三年大阪備後町四丁目に建立す然るに近隣よ 0000_,20,090a07(00):り地所をちぢめければ駿府へ下向し言上に及びけれ 0000_,20,090a08(00):ば小出播磨守へ御書付下置れ鞴町にて大屋敷を給へ 0000_,20,090a09(00):り其後御上洛ましましければ御禮御目見あり其のち 0000_,20,090a10(00):京淨福寺淨譽上人花頂山に昇轉の時德行純固たるに 0000_,20,090a11(00):よりてかの寺の補處として第四世たり寬永九年八月 0000_,20,090a12(00):十七日入寂 0000_,20,090a13(00):○源蓮社秀譽頑石含岌は鎌倉人生實道譽上人の弟子 0000_,20,090a14(00):として久隨怠りなし後鎌倉に幹事をつとめ寺務を補 0000_,20,090a15(00):佐する事數年かつて瀧山にて一夏法幢の時大善寺號 0000_,20,090a16(00):にて綸旨頂戴ありそののの諸國遊歷の時大津にある 0000_,20,090a17(00):時花頂山主滿譽上人の命によりて花階寺に住持す又 0000_,20,090b18(00):大阪に下り八丁目大通寺に住務し別檀の請によりて 0000_,20,090b19(00):慶長年中夷島に安養山報土院西往寺を建開す又京に 0000_,20,090b20(00):至りて四條寺町西念寺を重興し大宮五條の西往寺を 0000_,20,090b21(00):閑居の地とすここにて大阪の寺名を用らるつひに五 0000_,20,090b22(00):條鹽かま町上總寺に隱住し寬永七年十二月八日寂す 0000_,20,090b23(00):○鏡蓮社專譽流念は越前國人遙に道譽上人の德學を 0000_,20,090b24(00):したひて生實に至り道譽上人の座下に居る事十餘年 0000_,20,090b25(00):附法傳受相すみて諸國の靈塲に詣時天正十八年攝津 0000_,20,090b26(00):國島下郡安威庄に安威山善峰院大念寺を中興あり當 0000_,20,090b27(00):寺は藤原氏曩祖鎌足公の舊跡なり 0000_,20,090b28(00):當寺記云鎌足公は天智天皇八年十月十六日薨去御 0000_,20,090b29(00):遺骸は奉納岩窟將軍塚と名五問計竪橫一間半御廟 0000_,20,090b30(00):今に有之其節佛閣多建營長子定惠有歸朝唐朝任靈 0000_,20,090b31(00):夢定惠與徒屬上安威山先公取遺骸改葬多武峯當所 0000_,20,090b32(00):墳破壞之 0000_,20,090b33(00):其後同郡桑原村に至り桑原山惠日院地福寺を建立あ 0000_,20,090b34(00):り此時當山にて一夏旬維摩經讀誦し毎日東山に向 0000_,20,091a01(00):日輪を拜あり後觀世音眞容を現し東山半腹大石の上 0000_,20,091a02(00):に出立あり則其谷を光谷と名け石を光明石と號す四 0000_,20,091a03(00):月より七月まで日輪光明彼石に瑩照故に觀音を安置 0000_,20,091a04(00):し並鎌足直筆像を中央に置左右に定惠淡海の像を祭 0000_,20,091a05(00):鎭す大念寺より當寺を兼帶せらるるの時西福寺善法 0000_,20,091a06(00):寺稱名寺福壽院も末寺に屬す寬永七年正月廿四日御 0000_,20,091a07(00):忌御逮夜の時説法勸諭し高座をおりず十念成就し往 0000_,20,091a08(00):生をとげらる七十九才 0000_,20,091a09(00):○滿蓮社圓譽魯頑は播摩國三木郷宿ケ原尾和氏子但 0000_,20,091a10(00):馬國銀山東雲寺弟子にて下關し生實にいりて在學す 0000_,20,091a11(00):る事數年東照宮姬君督姬君逝去の時京都花頂山に御 0000_,20,091a12(00):葬禮ありしかど御子息宮内大輔忠雄朝臣淡路國司よ 0000_,20,091a13(00):り備前國に移封ありしゆへ十三回御法事の時御位牌 0000_,20,091a14(00):を安置智光山慶安の一寺御建立あし時の住務とな 0000_,20,091a15(00):る慶安元年十月廿四日化六十才 0000_,20,091a16(00):○品蓮社九譽壽徹無道は因幡國人鳥取眞敎寺信譽弟 0000_,20,091a17(00):子也生實に下向し隨流公の坐下にて傳法修學あり歸 0000_,20,091b18(00):國の後同所において深心山九品院玄忠寺を建立し明 0000_,20,091b19(00):曆三年四月廿五日寂 0000_,20,091b20(00):○生蓮社長譽流安は越前大野人岡村氏子生實四世隨 0000_,20,091b21(00):流上人越前淨光院の二主として下向の時弟子となり 0000_,20,091b22(00):常從給仕修學增進し流公再ひ大巖寺に歸錫の時も隨 0000_,20,091b23(00):伴して學才の名會下に高し寬文元年松平出羽守敬 0000_,20,091b24(00):の請により出雲の國にうつり同三卯年島根郡松江に 0000_,20,091b25(00):歡喜山月照寺を建開し開祖となりて國主の菩提所を 0000_,20,091b26(00):住務す延寶七年五月廿七日寂 0000_,20,091b27(00):○尊蓮社旭譽在阿豐岳は相州三浦人三崎光念寺感譽 0000_,20,091b28(00):弟子生實に掛錫し虎角上人の附法をうく在山二十年 0000_,20,091b29(00):四十才余の時關東を立出諸所の知識を尋問し丹波國 0000_,20,091b30(00):笹山に正覺寺を起立し慶長六年丑三月丹後國朝來郡 0000_,20,091b31(00):生野庄竹原野村に小庵を興隆し香爐山西林寺と云同 0000_,20,091b32(00):年秋千日念佛を開闢し翌年萬日念佛を開闢し元和九 0000_,20,091b33(00):年十一月十九日化七十二才 0000_,20,091b34(00):寺記云寬永十四丑年二世無窮代萬日回向を修す 0000_,20,092a01(00):○三蓮社觀譽は播磨國人生實の傳法を慕仰し千里獨 0000_,20,092a02(00):行し六七年止錫修學し道譽上人より傳法印可をうけ 0000_,20,092a03(00):歸國ののち姬路に心光寺をひらく 0000_,20,092a04(00):當寺黑田美濃守位牌所として所所に隨逐し池田輝 0000_,20,092a05(00):政當城在治の時町割によりて城内より今の地に移 0000_,20,092a06(00):る 0000_,20,092a07(00):又因州に下り天正の末當國三木心光をひらき慶長十 0000_,20,092a08(00):六年六月因州にて沒と云 0000_,20,092a09(00):○日蓮社增譽快應は下總國滿喜人齋藤氏生實に在學 0000_,20,092a10(00):留錫し安譽虎角公の兩脉璽書を得慶長五年福島左衞 0000_,20,092a11(00):門大夫正則歸依によりて菩提所として廣島に海雲山 0000_,20,092a12(00):來迎寺妙慶院を開建ありて寺領二百石を寄附せらる 0000_,20,092a13(00):退國闕城の時無縁地と成しゆへ元和五年當地を退去 0000_,20,092a14(00):し京に至り智惠光院に住しかの所に終 0000_,20,092a15(00):○德蓮社本譽太岩愚闇は上總國富津人同國木更津選 0000_,20,092a16(00):擇寺に入讚譽大道弟子となり生實に修學し靈巖公よ 0000_,20,092a17(00):り傳授附法近江國膳所縁心寺に住職す當寺住の内伊 0000_,20,092b18(00):勢國鈴鹿郡住山村に德本山太岩寺を中興す始行基大士開基寬 0000_,20,092b19(00):文七年四月六日寂六十四才 0000_,20,092b20(00):○專蓮社稱譽萬休西念は謙倉人足利家末葉と云生實 0000_,20,092b21(00):にて修學熟練せらる寺記には義輝將軍末葉としてのち自筆裏判の一枚起請ありと云 0000_,20,092b22(00):按るに生實御所義明卿の末胤なるべし義輝卿の末 0000_,20,092b23(00):裔とせは時代も同時なれは末裔とはいふへからず 0000_,20,092b24(00):又鎌倉の出生なるべからずされは義明朝臣なるへ 0000_,20,092b25(00):しかの一枚起請も義明なるへし然れども一族たる 0000_,20,092b26(00):のゆへ義輝卿讓與し給へるにや 0000_,20,092b27(00):博學のみならす專稱名號の行者なれば諸國をめぐり 0000_,20,092b28(00):て利他の功成を專らとせらる永祿二年近江國志賀郡 0000_,20,092b29(00):大津に旭高山幻中院華階寺を開基あり又同所に松溪 0000_,20,092b30(00):山幻案寺を創立し又膳所別保村に西念寺を起建あり 0000_,20,092b31(00):世中を夢幻に觀して後生菩提の資糧を專らとせられ 0000_,20,092b32(00):し事知べし天正四年六月六日華階寺にて滅す七十一 0000_,20,092b33(00):才 0000_,20,092b34(00):○慶蓮社逞譽祖的は甲州人武田一族なり生實に下着 0000_,20,093a01(00):し道譽上人は附法し法問講釋修習久練す後淸須に至 0000_,20,093a02(00):り呈龍山西蓮寺を建立す是西蓮院貞壑淳松大姉の歸 0000_,20,093a03(00):依を受し報恩なり慶長中淸須より名古屋東寺町に引 0000_,20,093a04(00):移寬永一丑年九月廿七日化八十才 0000_,20,093a05(00):○善蓮社妙譽雲把は武藏國人生實に入寺し虎角上人 0000_,20,093a06(00):に附法す諸國行脚し知識を尋問の時寬永六巳年越前 0000_,20,093a07(00):國敦賀郡敦賀の津に善蓮寺をたつ後故ありて寺を淸 0000_,20,093a08(00):淨華院に屬せしむ正保二酉年四月廿三日寂 0000_,20,093a09(00):○殘譽天月梅翁は生實に久學し道譽上人に附法相承 0000_,20,093a10(00):す元より隱逸を好み性相の學に富といへとも世榮を 0000_,20,093a11(00):好まず古をたづね新をとふの志深し慶長の末越中富 0000_,20,093a12(00):山に至り安養山富仙院極樂寺を中興し 0000_,20,093a13(00):當寺記云開基明心佛眼法親王後醍醐天皇第八皇子 0000_,20,093a14(00):越中宮と申奉る嘉慶元丁卯三月廿一日薨御年六十 0000_,20,093a15(00):一第十三世萬蓮社法譽通源了慶上人當寺の由緖奏 0000_,20,093a16(00):聞に及ばれけれは勅額を被下と云云 0000_,20,093a17(00):又同國射水郡高岡の極樂寺に住す 0000_,20,093b18(00):當寺記云開祖佛眼法親王御廻國御起立中興眼龍和 0000_,20,093b19(00):尚より白旗流にうつる夫まては遊行派なりと云云 0000_,20,093b20(00):又云當所より佛眼法親王金澤安養山寶地院妙慶寺 0000_,20,093b21(00):を御開基あらせらる下略 0000_,20,093b22(00):夫より元和元卯年加賀中納言利常卿富山より金澤へ 0000_,20,093b23(00):移城の時敷地を拜領し金澤に安養山報土院極樂寺を 0000_,20,093b24(00):建立し猶舊寺の號を用ひ明心法親王を初祖と仰奉ら 0000_,20,093b25(00):る元和四年六月朔日安祥圓寂 0000_,20,093b26(00):○稱譽是休一道は雲州縣屋人漆原氏石見國銀山極樂 0000_,20,093b27(00):寺良休弟子生實に在山留錫し修學成熟の上道譽上人 0000_,20,093b28(00):の傳法を禀得し廣く四衆を度せん事を求め歸國のの 0000_,20,093b29(00):ち銀山極樂寺に住持し次に藝州來迎寺を持又防州山 0000_,20,093b30(00):口西方寺に住職し慶長十巳年萩龍松院を開く尤國主 0000_,20,093b31(00):少將所命也元和九亥年七月十八日化八十五 0000_,20,093b32(00):○西蓮社岌向天阿は城州人生實に止錫道譽上人に附 0000_,20,093b33(00):法し泉國堺に至り天文廿戌年崇興山長德寺を起立天 0000_,20,093b34(00):正廿年十一月廿一日化 0000_,20,094a01(00):○眞蓮社馨譽は和泉國人にて道譽上人の門弟となり 0000_,20,094a02(00):て生實に隨從し諸國雲水となりて宗門を弘通の時天 0000_,20,094a03(00):正十年正月廿四日越後國新發田に瑠璃山常行院三光 0000_,20,094a04(00):寺を開基す寺領に二町三反溝口信濃守寄附 0000_,20,094a05(00):○宣蓮社定譽祖貞は道譽上人の直弟にて生實に久從 0000_,20,094a06(00):す後化他の爲遊蹈の時越後國蒲原郡下滌村に福德山 0000_,20,094a07(00):淨泉寺を起立是天文十丑年四月十五日也寺領六反有 0000_,20,094a08(00):永祿元午三月朔日化六十八 0000_,20,094a09(00):○長蓮社英譽善貞阿波國人長江氏幡隨上人西國下向 0000_,20,094a10(00):の時父母渴仰し弟子に進せしより久隨熟學然れとも 0000_,20,094a11(00):程なく師遷化によりて高弟隨波上人に附法隨逐し伴 0000_,20,094a12(00):頭となり時武藏國鬼島龍藏寺にて一夏法幢をたて法 0000_,20,094a13(00):問あり此時館林城主榊原式部大輔忠次祖父康政より 0000_,20,094a14(00):館林善導寺檀家なりしに今度館林より奧州白川へ移 0000_,20,094a15(00):封により永代の菩提所を起立せんと善導寺主以傳上 0000_,20,094a16(00):人へ相談あられ城下の龍泰寺を白川に移し寺領百石 0000_,20,094a17(00):を寄附し以傳の伴頭善貞を乞てかの方の開山住持と 0000_,20,094b18(00):す翌年忠次在江府の時增上寺に諸山主乘譽上人と知 0000_,20,094b19(00):恩院此時住職にて在庵貫主との列席にて新寺建立は御制禁たる 0000_,20,094b20(00):によりて龍泰寺を見向山養林院泰叟寺と號し是先祖 0000_,20,094b21(00):康政法號養林院上譽見向大居士と號し嫡男出羽守 0000_,20,094b22(00):忠政法名泰譽叟安の名を以て附名するか故なり其後 0000_,20,094b23(00):忠次白川より播州姬路に移封の時寺も隨從し又越後 0000_,20,094b24(00):國村上へ替城の時も添來れる故今は村上にありと云 0000_,20,094b25(00):善貞は寬文三卯年九月四日寂す 0000_,20,094b26(00):案るに其後泰叟寺は榊原氏に隨ひ越後國高田に移 0000_,20,094b27(00):る其のち内藤紀伊守豐前守村上に移封の時當寺を 0000_,20,094b28(00):以て菩提所と定め高德寺と改め寺領二百石寄附せ 0000_,20,094b29(00):らる 0000_,20,094b30(00):○進蓮社勸譽呑益は越後國村上領福岡村人淨泉寺定 0000_,20,094b31(00):譽弟子生實に下向し道譽安譽の二師に附法修學し歸 0000_,20,094b32(00):國後天正二戌三月同郡山口村に法性山淨樂寺を造創 0000_,20,094b33(00):す師の沒後淨泉寺に住持し萬治元戌十二月廿九日化 0000_,20,094b34(00):八十才 0000_,20,095a01(00):○信蓮社願譽榮運は甲府人同所誓願寺弟子生實に在 0000_,20,095a02(00):山し道譽上人に附法璽書をうく天正五年信濃國筑摩 0000_,20,095a03(00):郡岡田郷に至光明山大願寺を中興開立す開祖何百年といふ事をしら 0000_,20,095a04(00):す寺の西山半腹に寺の遺跡あり天正九年二月廿八日化八十才と云除地 0000_,20,095a05(00):境内四段一畝十八步余 0000_,20,095a06(00):○濟蓮社九譽皌道は筑前博多人生實に下向し遙に宗 0000_,20,095a07(00):門の高義を傳受し在山十餘年普く幽妙の問答を精究 0000_,20,095a08(00):し常に内外の二典を涉獵す又文祿二年冬鎌倉光明寺 0000_,20,095a09(00):に勉學同四年九州に歸郷ののち始博多西方寺に住し 0000_,20,095a10(00):次に慶長十年肥前國諫早に常樂山九品院慶巖寺を草 0000_,20,095a11(00):基し慶長十四酉年大村白龍山大光院長安寺を開基し 0000_,20,095a12(00):大村丹後守喜前興隆三十六石寄附云將軍家の尊牌を 0000_,20,095a13(00):安置す寬永中豐前小倉圓應寺に住し再營し凡寺を起 0000_,20,095a14(00):立する事拾餘ケ寺寬永五辰年大村長安寺に歸隱居し 0000_,20,095a15(00):正定庵と號同十酉年二月十五日化七十八辞世頌云假 0000_,20,095a16(00):結草庵七十八今日火裏眞金蓮看看頭頭風颯颯一時夢 0000_,20,095a17(00):惺天外天 0000_,20,095b18(00):○生蓮社天譽存公は出雲國人生實に入寺し道譽上人 0000_,20,095b19(00):に嗣法し在山十餘年此のち遊化行鉢し草鞋の資糧を 0000_,20,095b20(00):求めらるるの時遠汀國引間庄濱松に至れる時國士岡 0000_,20,095b21(00):部次郞呼入られ嚴寒の時なれは春まで逗留せらるべ 0000_,20,095b22(00):しと頻りに留られしかば休息逗留のうち次郞對面し 0000_,20,095b23(00):て云我今度甲州勢と城主戰に出陣するなり夫に付老 0000_,20,095b24(00):母一人あり幸に妻子もなければ貴房此所に留り若我 0000_,20,095b25(00):討死せば此屋鋪を寺となし母を養育し我菩提をも吊 0000_,20,095b26(00):給へかし武士たるもの跡に心殘れは勇氣うとし我母 0000_,20,095b27(00):を貴房に托すれは心安きが故思ひのままに敵を討國 0000_,20,095b28(00):恩を報し其上いさきよく討死すべしと果して其冬信 0000_,20,095b29(00):玄出陣せし時太守の命により防戰かけ引に數人を討 0000_,20,095b30(00):取自分も討死あり此むね家來告ければやかて約諾に 0000_,20,095b31(00):任せ一宇を建立し戒名玄忠寺了學全波大禪定門夫よ 0000_,20,095b32(00):り母儀を養育深切に供隨し一期夢と消し時ねむころ 0000_,20,095b33(00):に葬儀を取扱戒名照光院明譽貞波大禪定尼故に寺を 0000_,20,095b34(00):壽富山玄忠寺と名く天正元年十一月十六日入寂 0000_,20,096a01(00):寺記云二世天蓮社德譽代東照宮濱松御在城中度度 0000_,20,096a02(00):召出され故を以江府へ御移城の砌は御供申されし 0000_,20,096a03(00):とそ 0000_,20,096a04(00):○俊蓮社嶽譽行阿は三河國人大樹寺登譽天室上人弟 0000_,20,096a05(00):子稱念上人高弟生實安譽上人附法後江戸天德寺十世と成天 0000_,20,096a06(00):正中又京一心院に住職す慶長十二年京西陣千本内に 0000_,20,096a07(00):本空山無量壽院稱念寺を起建し元和二辰年十二月朔 0000_,20,096a08(00):日寂六十三才 0000_,20,096a09(00):○聽蓮社諦譽會言は武州岩付の人京一心院嶽譽弟子 0000_,20,096a10(00):生實安譽上人の輪下にて三脉禀傳し慶長十八年三條 0000_,20,096a11(00):千本に稱福寺を創建し慶安二年十二月十四日化七十 0000_,20,096a12(00):一 0000_,20,096a13(00):○然蓮社辨譽拱阿離碧は駿州長沼人父今川氏實臣羽 0000_,20,096a14(00):衣白了母藤原遠藤氏子なきを愁産神に祈即ち夢中觀 0000_,20,096a15(00):呷花と姙す天正七卯四月生七才時同國淸水實相寺光 0000_,20,096a16(00):譽の弟子に送る十五才春龍澤山に入て道譽安譽の二 0000_,20,096a17(00):代久錫し宗門の深要を明らむ又三縁山に移て暫一夏 0000_,20,096b18(00):を經又光明の岌把の許に隨學す一宗の譜脉を嗣三國 0000_,20,096b19(00):の相承を自得す又龍澤に立歸り靈巖公の座下に奧妙 0000_,20,096b20(00):を琢磨す師命默止がたく古郷に歸り實相寺に住務す 0000_,20,096b21(00):いまだ年を經ずして内精舍を再興し又同所に福欣寺 0000_,20,096b22(00):を開基す元和六申冬榊原氏の請によりて遠州橫須賀 0000_,20,096b23(00):撰要寺に移住し廿餘年寬永十七辰年佛殿再建し同十 0000_,20,096b24(00):九午年九月洛陽一心院内外の衆徒の懇望によりて一 0000_,20,096b25(00):心院十八世と成後貴家の命によりて洛陽岡崎村蓼倉 0000_,20,096b26(00):山法雲寺を中興す正保三戌年八月四日入寂壽五十一 0000_,20,096b27(00):寺記云開基傳敎大師延曆中受勅爲新都上下身心安 0000_,20,096b28(00):樂造藥師及成像日貝多羅葉を以自畵藥師像新彫腹 0000_,20,096b29(00):内藏之成就也殊城異時變にて雖有榮枯終不退轉且 0000_,20,096b30(00):應仁亂後改淨土宗中略爰藝陽太守霜臺室九條道房 0000_,20,096b31(00):公息女八代姬法諱稱專院心譽誓空大姉は佛家を信 0000_,20,096b32(00):敬し寺院興隆志願在之雖然邊域者偏易可近乎洛陽 0000_,20,096b33(00):内外中宜地令探索依之即當寺相調寬永末九條政所 0000_,20,096b34(00):從三位長子一心院十八世然蓮社辨譽拱阿御歸依即 0000_,20,097a01(00):受廉貞院機爽俊公之法號信篤日新所因專院殿從稱 0000_,20,097a02(00):以當寺中興初祖と令相定下略 0000_,20,097a03(00):○一蓮社圓譽暫公は鎌倉人生實に止山し靈巖上人の 0000_,20,097a04(00):宗傳を禀得す文祿三年城州伏見風呂屋町に成道山三 0000_,20,097a05(00):寶寺を起立し寬永十五年七月廿三日化九十才 0000_,20,097a06(00):○雲蓮社法譽傳通龍道は下總國生實人安譽虎角公の 0000_,20,097a07(00):弟子同三世靈巖上人の嗣法なり三脉皆傳ののち慶長 0000_,20,097a08(00):十九寅年十一月九日上總國周集郡下湯江村に至り四 0000_,20,097a09(00):誓山超世院法巖寺を起作す寬永九年六月四日寂五十 0000_,20,097a10(00):七才 0000_,20,097a11(00):○相蓮社傳譽專慶愚極は江戸品川願行寺弟子生實に 0000_,20,097a12(00):修學し安譽大和尚に附法三脉す一日安房國平郡勝山 0000_,20,097a13(00):村に性起山本縁院淨蓮寺を創作し住する事三拾年寬 0000_,20,097a14(00):永十三年十二月朔日化七十一 0000_,20,097a15(00):○廣蓮社大譽義山は下總人生實安譽公の弟子慶長中 0000_,20,097a16(00):安房國長狹郡磯村に壽慶山西岸院心岩寺を起開す 0000_,20,097a17(00):○雄蓮社英譽安説は下總人千葉氏生實に入寺し安譽 0000_,20,097b18(00):公の弟子と成元龜三年安房國眞念村に深廣山長泉寺 0000_,20,097b19(00):を建其のち丹波國淨眞寺に移住す 0000_,20,097b20(00):○滿蓮社存譽一無澤山は安藝國廣島人同國白神戒善 0000_,20,097b21(00):寺弟子生實隨波公に附法相傳し元和末豐後國杵築長 0000_,20,097b22(00):昌寺を開き寬永七年岡崎郡飼野村に淸養山石水寺と 0000_,20,097b23(00):云廢寺あり永正二乙丑開基と云これを再興し加祐山 0000_,20,097b24(00):慈光院來迎寺と名く寬文六年十一月廿七日化 0000_,20,097b25(00):速見郡木付松岳山寂照院長昌寺記云始攝州三田に 0000_,20,097b26(00):て松平丹後守寬永四年菩提所を建立し松岳寺と號 0000_,20,097b27(00):す澤山開祖なり同九年丹後守豐前國龍王へ所替其 0000_,20,097b28(00):翌年先祖位牌に因て長昌寺と改む同十六卯年又當 0000_,20,097b29(00):國高田へ所替隨て移正保二酉年又同國木付城へ移 0000_,20,097b30(00):封當地に峯高寺有之故長昌寺を移開山在住三十四 0000_,20,097b31(00):年萬治二亥年同所相休庵へ閑居下略此外前に同じ 0000_,20,097b32(00):○光蓮社眼譽道三は生實道譽上人の直弟にて宗風の 0000_,20,097b33(00):實義敎相の化用四義性相傳承せずといふ事なし大和 0000_,20,097b34(00):國當麻寺奧院往生院に住務し次に大阪に天性寺を開 0000_,20,098a01(00):起し又天正五丑年京に天性寺を起創す共に曼陀羅山 0000_,20,098a02(00):と名く慶長十一年三月朔日寂七十五才 0000_,20,098a03(00):○本蓮社來譽極阿は大和國人久米氏京勝圓寺岌昌弟 0000_,20,098a04(00):子十五才秋出家し十七才關東に下向し芝山礫川に遊 0000_,20,098a05(00):學し生實道譽公に宗戒の二脉を受傳す猶顯密聖淨を 0000_,20,098a06(00):究精し二十餘年の後歸洛し多善敎院永養寺を高辻に 0000_,20,098a07(00):再輝し興隆し住する事廿餘年又九條福田寺を再修す 0000_,20,098a08(00):慶長六年二月五日寂 0000_,20,098a09(00):永養寺記云開基長蓮社觀譽上人在京時常德院義尚 0000_,20,098a10(00):公崇敬賜此地建立義尚公御直判敷地奉書文明十三 0000_,20,098a11(00):年七月十二日と在之始應仁亂廢故再建在之又元龜 0000_,20,098a12(00):中及絶荒天正七年春依織田右大臣殿命再興之所司 0000_,20,098a13(00):村井長門守貞勝再建下知目錄並藤弘連昭兩奉行敷 0000_,20,098a14(00):地書在之天正十三年依大閤台命五條上る所寺町へ 0000_,20,098a15(00):移此時朱印を賜四石本尊小松重盛公守本尊本堂に安 0000_,20,098a16(00):置其外方丈塔頭六院起立下略 0000_,20,098a17(00):福田寺記云當寺は自然居士居宅舊跡也 0000_,20,098b18(00):○深蓮社信譽任誓曉把は千葉氏下總人享祿元子年秋 0000_,20,098b19(00):十二才生實に入道譽大和尚の弟子となる勵學する事 0000_,20,098b20(00):廿余年或時夢告に驚因し永祿三申春洛陽に入地を卜 0000_,20,098b21(00):し蓮池堂無量壽院淸淨國寺を立創し自畵佛像假に本 0000_,20,098b22(00):尊とす山越三尊佛也玆に江州金勝村八幡宮の神躰阿彌陀佛 0000_,20,098b23(00):像は惠心の作也寺説有要記文繁故玆略依神託以像寄附當寺永 0000_,20,098b24(00):祿十一辰年十月十五日遷座也天正四年七月四日化六 0000_,20,098b25(00):十一才 0000_,20,098b26(00):寺記寺當寺始在松原通東洞院寺境廣轉寺中に方一 0000_,20,098b27(00):丁余蓮池有之天正中引移寺町通於門前町を蓮池町 0000_,20,098b28(00):と云當堂檀助者水野和泉守法名英岩院勇心賢忠大 0000_,20,098b29(00):禪定門也 0000_,20,098b30(00):○深蓮社信譽稱阿は伊勢人生實道譽に嗣法傳承し白 0000_,20,098b31(00):子悟眞寺に住し次に嵯峨稱念寺に住務し八世次に一心 0000_,20,098b32(00):院八世と成此時依長香院尼請京高倉に長香寺を開基 0000_,20,098b33(00):し慶長十二未年十二月廿三日化卅七才 0000_,20,098b34(00):寺記云長香院信譽淸圓禪尼は東照宮御側女中なり 0000_,20,099a01(00):おこちやと云 0000_,20,099a02(00):○幽蓮社馨譽は但馬國出石人因州鳥取眞敎寺近譽幽 0000_,20,099a03(00):道弟子生實安譽上人附法慶長六年京西陣に松久山道 0000_,20,099a04(00):溫院眞敎寺を造立正保二年九月廿一日化八十一才 0000_,20,099a05(00):○相蓮社敎譽門隨は伊勢守孝忠後胤也黑谷盛林昶阿 0000_,20,099a06(00):上人の弟子にて生實安譽上人の嗣法なり文祿元年琴 0000_,20,099a07(00):譽暫く伊勢國淨閑寺に住務し一夏法幢を建時弟子敎 0000_,20,099a08(00):譽に告て云我しばらく花洛に寓棲せむとす汝先彼所 0000_,20,099a09(00):に至り淨地を結べしと因て京に入洛西にて一草庵を 0000_,20,099a10(00):結ふ琴譽も又此地に錫をととむ 0000_,20,099a11(00):寺記云東照宮在花洛時招琴譽御傳授戒琴譽又薦了 0000_,20,099a12(00):學上人等又造三毒滅不之法論題送縁山等今悉略之 0000_,20,099a13(00):東照宮琴譽を淨福寺に主たらしめ給はんと仰出さる 0000_,20,099a14(00):辭退により敎譽を住務とせらる又敎譽に菅公筆紺紙 0000_,20,099a15(00):金泥彌陀經金銅扣鐘持蓮寶塔佛舍利八顆等を賜り寺 0000_,20,099a16(00):號を本師にとりて佛光山盛林寺と號せしめ給へり後 0000_,20,099a17(00):瑞夢によりて院を瑞雲と云元和九年閏八月二日沒 0000_,20,099b18(00):○圓蓮社頓譽流夢は大和國人當麻往生院一蓮社圓譽 0000_,20,099b19(00):弟子生實安譽上人附傳承旨そののち宇治平等院六世 0000_,20,099b20(00):慶長十三申年八月御代官上林德順夢想の事ありて京 0000_,20,099b21(00):西陣に壽盛院親縁寺を開基し師を開祖とす寬永三年 0000_,20,099b22(00):七月廿一日沒六十五才 0000_,20,099b23(00):○眞蓮社諦譽東胤は品川人同所願行寺六世廣蓮社深 0000_,20,099b24(00):譽弟子生實安譽上人に隨學受傳し文祿中江戸内屋敷 0000_,20,099b25(00):にて既成山光明院願行寺を創基し慶長十二未年馬喰 0000_,20,099b26(00):町にうつり天和二戌年又駒込にうつさる東胤は慶長 0000_,20,099b27(00):十戌年十二月廿六日沒 0000_,20,099b28(00):○眞蓮社貞譽願故了傳は生實安譽上人弟子常隨修學 0000_,20,099b29(00):す慶長三年三河國鳴子の邊に西福寺といふ小寺あり 0000_,20,099b30(00):しかば夫へ住す後德行を聞し召れ東照宮駿府御在城 0000_,20,099b31(00):の時上意によりてかの西福寺を駿府に移す即前の寺 0000_,20,099b32(00):號を用東光山良雲院と加號す又命によりて江戸神田 0000_,20,099b33(00):に引開す住十余年隱居し又法禪寺に住する事十余年 0000_,20,099b34(00):彼別院へ隱退し元和八戌年五月廿七日寂六十九才 0000_,20,100a01(00):寺記云良雲院殿葬送以後百石を御寄附又松平の號 0000_,20,100a02(00):を被下 0000_,20,100a03(00):○專蓮社心譽念阿善覺は會津人上州小島哀愍寺玉念 0000_,20,100a04(00):弟子生實安譽上人に嗣法す慶長十六亥年莊嚴山淨岳 0000_,20,100a05(00):院淸德寺を神田に建立す寬永五年九月十三日沒八十 0000_,20,100a06(00):二才 0000_,20,100a07(00):寺記云正保元年今の地淺草に移ると 0000_,20,100a08(00):○心蓮社傳譽龍也は伊豫國余戸村人大林寺二世方譽 0000_,20,100a09(00):善龍弟子生實に止錫し頓譽智哲公に宗乘を傳ふ寬永 0000_,20,100a10(00):十四丑年故郷伊豫國伊豫郡替地灘町にて泰昌山榮養 0000_,20,100a11(00):寺を起し寬文六年七月十二日死 0000_,20,100a12(00):○一蓮社念譽宗外は下總千葉人生實道譽上人に隨從 0000_,20,100a13(00):受學すのち諸國廻國し天正元年四月十五日伊豫國伊 0000_,20,100a14(00):豫郡松前村にて松安山貞穩院長德寺を創基す文祿三 0000_,20,100a15(00):年九月十五日寂七十才 0000_,20,100a16(00):○深譽圓智は下總國香取郡吉高村人十四才圓天寺源 0000_,20,100a17(00):譽弟子生實靈巖上人に三脉承傳す寬永末近江國愛智 0000_,20,100b18(00):郡白鹿背村に巨德山東光寺を再興す萬治元年二月廿 0000_,20,100b19(00):九日沒八十二才 0000_,20,100b20(00):寺記云開基聖德太子再興惠心僧都後廢絶 0000_,20,100b21(00):○曜蓮社日譽卓辨は山田岡本の産齠齓にして頴達深 0000_,20,100b22(00):く紅塵をいとひ西迎院蓮譽に就て出家し長するに及 0000_,20,100b23(00):び下總國生實大巖寺潮龍上人に修學し龍公後芝山 0000_,20,100b24(00):に擢住の時も隨ひ相頓一宗の秘蘊を研覈す後梓里に 0000_,20,100b25(00):還り岡本上善寺に住し專修の要行を發揮し飯野郡豐 0000_,20,100b26(00):原に茅を縛し閑居念佛し天王山念佛寺と名く再ひ安 0000_,20,100b27(00):樂村に移り安樂寺を創し道化大に振ふ貞享元子年七 0000_,20,100b28(00):月京師に遊ひ廿四日歸錫し廿五日室中佛前に在午時 0000_,20,100b29(00):禮誦終て出ず小沙彌私に室中を窺ふに師躬自縊面色 0000_,20,100b30(00):笑ふが如く佛に對し坐脱す門人泰順等室に集るに異 0000_,20,100b31(00):香馥散す春秋八十遺言あり荼毘の日に當り紫雲西よ 0000_,20,100b32(00):り來り天樂空に鳴會葬の道俗數千みな感動せすとい 0000_,20,100b33(00):ふものなし知恩院四十世專譽孤雲上人增上寺三十一 0000_,20,100b34(00):世流譽故巖上人は皆師の上足にて師の在命中に兩山 0000_,20,101a01(00):に瑞世せらる 0000_,20,101a02(00):支隷寺院 0000_,20,101a03(00):御朱印廿石 上總國望陀郡久留里領市場村福德山東陽院正源寺 0000_,20,101a04(00):開山鎭蓮社黁譽俊光上人羽州大梵字出羽守麾下酒田 0000_,20,101a05(00):將賢か三子亡國ののち出家となり天正中當山へ入寺 0000_,20,101a06(00):の上學解成辨し道譽上人より宗戒の二脉附法永祿元 0000_,20,101a07(00):年壬辰三月起立文祿二年巳七月寂七十五才 0000_,20,101a08(00):塔頭三宇 蓮乘寺 智源院 光源院 0000_,20,101a09(00):△末寺 同郡戸崎村 法王山稱名院光善寺 0000_,20,101a10(00):△同 同郡浦田村 本願山念佛院選要寺 0000_,20,101a11(00):△同 同富田村 哀愍山遐代寺菩提院 0000_,20,101a12(00):△同 同刈谷村 光明山日輪寺淸岸院 0000_,20,101a13(00):△同 龜山大野宮屋村 駒込山無動寺一行院 0000_,20,101a14(00):△同 龜山釜生村 領風山一行院心光寺 0000_,20,101a15(00):△同 向郷大和田村 念佛山一行寺稱名院 0000_,20,101a16(00):△同 同大谷村 大谷山慈光院見性寺 0000_,20,101a17(00):御朱印十五石 同國埴生郡千田村唐笠山西明院稱念寺 0000_,20,101b18(00):開山一遍上人建治元年諸國遊化の時草創元和年中本 0000_,20,101b19(00):山三世雄譽靈巖大和尚の時改宗ありて山門諸堂遠近 0000_,20,101b20(00):の皈敬によりて再興あり本尊齒吹如來龍宮出現にて 0000_,20,101b21(00):近來は江戸大阪等にて開帳もあり靈驗殊に多し又鎭 0000_,20,101b22(00):守三社大明神も同しく出現海中安全の尊躰故渡海の 0000_,20,101b23(00):船人等常に參詣し秘符尊影を船中に安置するもの多 0000_,20,101b24(00):し風浪の難を除免の事いちじるし近來紀伊殿御祈願 0000_,20,101b25(00):所となり御紋を諸器に附免本堂銅甍 0000_,20,101b26(00):坊中 妙福院 0000_,20,101b27(00):上總國天羽郡竹ケ岡 初百首と云文化中松平越中守定信朝臣爲領知時奏官改名 0000_,20,101b28(00):壽榮山無量寺松應院 0000_,20,101b29(00):開山西譽天月上人小金東漸寺所化下總國流山産天正 0000_,20,101b30(00):元酉年起立慶長八年三月三日化寂往世當寺も眞言宗 0000_,20,101b31(00):なりしを西譽當國一宮等へ參詣の時村民等引とどめ 0000_,20,101b32(00):法要をききて改宗し當寺を師に附す依て改宗檀家數 0000_,20,101b33(00):百あり近來白川侯臺塲取建の後鎭衞の諸士悉く當寺 0000_,20,101b34(00):を菩提所とす 0000_,20,102a01(00):地中三 0000_,20,102a02(00):△末寺 天羽郡金谷村開山靈巖上人 始覺山本覺寺 0000_,20,102a03(00):△同 安房國平郡本鄕村 玉龍山遣水寺 0000_,20,102a04(00):下總國千葉郡撿見川 求法山隨流院善勝寺 0000_,20,102a05(00):開山本山四世隨流上人文祿元年起立 0000_,20,102a06(00):地中 0000_,20,102a07(00):下總國千葉郡八幡龍燈山稱念寺 0000_,20,102a08(00):開山道蓮社西譽虎童潮心和尚安譽上人弟子下總結城 0000_,20,102a09(00):人 0000_,20,102a10(00):寺中二字 0000_,20,102a11(00):上總州天羽 佐貫瑞龍山三寶寺 0000_,20,102a12(00):開山善蓮社貞譽祖閑上人 0000_,20,102a13(00):△末寺 天羽郡佐貫北齊山玄忠寺 0000_,20,102a14(00):△同 周集郡小山野村夜田山西了寺 0000_,20,102a15(00):△同 同郡高原村 高原寺 0000_,20,102a16(00):上總國夷隅郡大瀧光明山祇園院大圓寺 0000_,20,102a17(00):開山正蓮社天譽存公上人大永二年壬午五月起立のの 0000_,20,102b18(00):ち本國越前國に立皈ると云師は斯波家の藩福田氏の 0000_,20,102b19(00):子にて朝倉家に隨ん事を嫌ひ尾張に趣き織田家に志 0000_,20,102b20(00):を通し朝倉を討ん事をはかりけるに諸士等俄に心を 0000_,20,102b21(00):變せしによりて策謀つきて出家すといへり 0000_,20,102b22(00):同所龍光山行信院櫻谷寺 0000_,20,102b23(00):開山本山二世安譽上人爲本多中務大輔忠政悲母建立 0000_,20,102b24(00):△末寺 同所 大音山超勝院 0000_,20,102b25(00):上總國市原郡土井光明山淸昌院守永寺 0000_,20,102b26(00):開山靈巖上人慶長十三年申五月松平紀伊守源家信母 0000_,20,102b27(00):儀理安禪定尼追福のため開基松平家造營あり法幢を 0000_,20,102b28(00):たて檀林の規繩ありしかど其のち大守所替開祖江戸 0000_,20,102b29(00):に移られしかは衰蕪に及へり 0000_,20,102b30(00):同 同郡椎津靈光山桂林院瑞安寺 0000_,20,102b31(00):開山寂蓮社照譽雲秀上人慶長元年起立同十六年三月 0000_,20,102b32(00):寂 0000_,20,102b33(00):同周集郡小原市宿佛法山補陀落院三經寺 0000_,20,102b34(00):開山本山靈巖大和尚 由縁廣濟傳に出す故に略す 0000_,20,103a01(00):同埴生郡芝原東日山西福寺 0000_,20,103a02(00):開山遊行二世他阿眞敬上人元亨元年辛酉二月起立の 0000_,20,103a03(00):のち時宗なりしを寬永元年子七月十五日中興利山和 0000_,20,103a04(00):尚改派當山に附隷す 0000_,20,103a05(00):同郡水沼水東山稱名院本願寺 0000_,20,103a06(00):開山縁山十七世了學上人傳三縁山歷世譜に出 0000_,20,103a07(00):同郡長南矢貫村心光山無量院天照寺 0000_,20,103a08(00):開山同了學上人 同上 0000_,20,103a09(00):同天羽郡佐貫佛法山自智院安國寺 0000_,20,103a10(00):開祖足利等持院尊氏公爲東國鎭護八ケ國へ安國寺を 0000_,20,103a11(00):被建之時開山顯月上人三ケ寺之爲祖後上京五條來迎 0000_,20,103a12(00):堂爲開祖當寺始眞言宗顯月公も此時なれば眞言宗なるへし七堂伽藍後衰 0000_,20,103a13(00):微す天正中本山の開山此所へ來り中興ののち靈巖大 0000_,20,103a14(00):和尚參詣し其後領主松平家に乞本尊を被請移せらる 0000_,20,103a15(00):江戸道本山の本尊中尊阿彌陀佛是也 0000_,20,103a16(00):按るに足利家の建立は眞言宗にて靈巖上人改宗再 0000_,20,103a17(00):興せられしにて道譽上人の中興とあるは寺記とい 0000_,20,103b18(00):へどもいかがなり是又廣濟傳に出 0000_,20,103b19(00):同望陀郡代宿窪田 又笠原山とも信樂山松岩院乘蓮寺 0000_,20,103b20(00):開山本蓮社存譽源流上人文祿三年午八月笠原伊豫守 0000_,20,103b21(00):氏光爲父追善開基すと云 0000_,20,103b22(00):同夷隅郡萬喜櫻谷山貞香院桂林寺 0000_,20,103b23(00):開山光蓮社明譽貞瑞和尚大永元年巳九月三日起立天 0000_,20,103b24(00):正元年十月八日寂瑞師は山城國大道寺村の人利倉氏 0000_,20,103b25(00):の人平姓なり修學のため東關に來り順遊の時此地に 0000_,20,103b26(00):來り信檀の請によりて開基す 0000_,20,103b27(00):同市原郡姉崎無量山壽經院最頂寺 0000_,20,103b28(00):開山宗阿彌陀佛元祖大師弟子始平家侍林十郞盛親と 0000_,20,103b29(00):云治承四年八月高倉宮を襲奉りしのち俄に發心し大 0000_,20,103b30(00):師の弟子となり東國の勝塲西北の靈地順拜の願を起 0000_,20,103b31(00):し諸所にて堂坊を結ひ念佛結縁せしむ相模國鎌倉に 0000_,20,103b32(00):來暫く逗留し當國に渡り當寺を起立後歸洛の時文治 0000_,20,103b33(00):四年近江國にて羽田光明寺を起開し建仁二戌年正月 0000_,20,103b34(00):四日寂 0000_,20,104a01(00):本山靈巖上人房州渡海の時當寺の廢絶を中興し供隨 0000_,20,104a02(00):僧蓮乘を住持たらしむ 0000_,20,104a03(00):又一に延德元年時宗宗阿彌陀佛又僧阿共開基にて靈巖 0000_,20,104a04(00):上人改派とも云宗阿兩人ありしにや又年月の異傳 0000_,20,104a05(00):聞のたがひにや未考 0000_,20,104a06(00):同同郡八幡信樂山寶樹院無量寺 0000_,20,104a07(00):開基寬平二年庚戌從五位上上總介高望父高見王菩提 0000_,20,104a08(00):の爲起立宗旨不分明其のち數百年小寺として天台眞 0000_,20,104a09(00):言の僧時によりて住持せしを靈巖上人中興し改宗 0000_,20,104a10(00):同同郡郡本崇德山大善院玄高寺 0000_,20,104a11(00):開山縁山貞譽大僧正未た本山御在職中萬治二年起立 0000_,20,104a12(00):下總國印幡郡臼井龍澤山玄忠院長源寺 0000_,20,104a13(00):原胤榮起創開祖道譽上人則入寂の地なり 0000_,20,104a14(00):同千葉郡生實松風山靈巖院大覺寺 0000_,20,104a15(00):開山靈巖上人本山住務の比元和二年起基 0000_,20,104a16(00):直末庵八ケ所 生實 彌陀堂 北生實 地藏堂 0000_,20,104a17(00):赤井 助給庵 駒形 觀音庵 0000_,20,104b18(00):岩崎 大日堂 牛久 西照庵 0000_,20,104b19(00):柏田 專修庵 松ケ島 凉風庵 0000_,20,104b20(00):外に支配二ケ寺 0000_,20,104b21(00):知恩院末 南總大瀧歸命山無量院長樂寺 0000_,20,104b22(00):開山記主禪師中興莊蓮社嚴譽龜劫各云和尚鎌倉光明 0000_,20,104b23(00):寺所化にて永祿七年二月二十日寺地を移再建之 0000_,20,104b24(00):△末寺 同所 柳原山善應寺 0000_,20,104b25(00):△同 同所 一心山稱名院 0000_,20,104b26(00):飯沼弘經寺末 同所金澤山三光院良玄寺 0000_,20,104b27(00):開山了學上人文祿四年九月廿五日起立大檀那大多喜 0000_,20,104b28(00):城主本多中務大輔西岸寺殿長譽了信大居士百石被寄 0000_,20,104b29(00):附之 0000_,20,104b30(00):△末寺 夷隅郡橫山村常光山靑龍寺 0000_,20,104b31(00):右之外 0000_,20,104b32(00):御朱印五拾石 千葉 來迎寺 0000_,20,104b33(00):右寬永中より支配たりしかど縁山祐天大僧正代故有 0000_,20,104b34(00):て縁山直觸に定り離屬