0000_,31,791a01(00):黑谷源空上人傳 0000_,31,791a02(00):安居院沙門釈 聖覚記 0000_,31,791a03(00):夫以、衆生の沈淪、無量無辺なれば、諸仏の済度も無 0000_,31,791a04(00):数無窮なり。然といへども迷倒の我等罪業甚重にして 0000_,31,791a05(00):過去若干の如来の教化にも、既にもて漏来り。現在十 0000_,31,791a06(00):方の諸仏の利益にも、尚また障られたり。今末法濁世 0000_,31,791a07(00):に人身を受たりといへども釈尊の遺法にあひ、幸に聖 0000_,31,791a08(00):教を聞、聖教しなことに行門まちまちに別たり。若そ 0000_,31,791a09(00):の要を言ば唯二種あり。一には聖道門、唯自力をはげ 0000_,31,791a10(00):まし、穢土にありて仏道を成就す。此土は悪緣これ多 0000_,31,791a11(00):が故に十進て九は退す、是故に此門を難行道と名。二 0000_,31,791a12(00):には浄土門、仰て仏願を信じ仏の名号を唱て浄土に往 0000_,31,791a13(00):生し、速に菩提を証、彼国は善緣これ多が故に進のみ 0000_,31,791a14(00):ありて退なし、是故に此門を易行道と名。然則聖道の 0000_,31,791a15(00):一種は正像の両時尚もて難行なり、何況末法をや。是 0000_,31,791b16(00):故に愚癡迷乱の凡夫、依行することあたはず、浄土の 0000_,31,791b17(00):一法は末法濁世亦これ易行なり、何況上代をや。是故 0000_,31,791b18(00):に五逆謗法の悪人、同往生を得。倩此理を案ずれば宿 0000_,31,791b19(00):習誠に憑し、何なる善因に催されてか我等此法に遇る。 0000_,31,791b20(00):往生尤輒、仏果彌近し。歓喜身に余り、感涙忍難し。 0000_,31,791b21(00):抑此事は誰人の恩徳ぞや、偏にこれ先師空上人の慈訓 0000_,31,791b22(00):の化益なり、報じても猶余あり、謝しても亦飽ざる者 0000_,31,791b23(00):なり。仍て報恩謝徳の為に勧化の始末を記す、唯慈恩 0000_,31,791b24(00):を仰で浅言を恥ず、後見誹謗することなかれ、于時安 0000_,31,791b25(00):貞元年丁亥極月上旬の候云爾 0000_,31,791b26(00):謹述上人行状略有十六大門 0000_,31,791b27(00):一 託胎前後因緣門 二 出胎已後利益門 0000_,31,791b28(00):三 最初入学仏法門 四 離親登山学行門 0000_,31,791b29(00):五 受戒楽求閑居門 六 発心離山住谷門 0000_,31,791b30(00):七 披攬一代聖教門 八 信修念仏往生門 0000_,31,791b31(00):九 善導来現授教門 十 勧進念仏往生門 0000_,31,791b32(00):十一 殿下教命造書門 十二 頭光現顕本地門 0000_,31,792a01(00):十三 流罪帰洛利益門 十四 臨終念仏往生門 0000_,31,792a02(00):十五 没後順緣利益門 十六 没後逆緣利益門 0000_,31,792a03(00):第一 託胎前後因緣門 0000_,31,792a04(00):釈迦大師入滅の後二千八十二歳の星霜を過て、大日本 0000_,31,792a05(00):国人王七十五代の帝崇徳院の御宇に、上人出世し給。 0000_,31,792a06(00):美作の国久米の南条稲岡庄の人なり。父は粂の押領使 0000_,31,792a07(00):漆間時国、母は秦氏の女なり。夫婦年来孝子なきこと 0000_,31,792a08(00):を歎て仏に願、神に祈に祈請其功積り、願望已に満足 0000_,31,792a09(00):して長承元年壬子七月上旬妻の夢に剃刀を飲と見て有 0000_,31,792a10(00):身玉ふ。夢の事を時国に語、時国、善哉善哉仁者は男 0000_,31,792a11(00):子を生べし、但剃刀を飲と夢見ことは此子成長して出 0000_,31,792a12(00):家学道し、仏法の棟梁となり諸衆生を教化し、遁世出 0000_,31,792a13(00):家せしめて仏道に引入べき瑞相なりとぞ申されける 0000_,31,792a14(00):第二 出胎已後利益門 0000_,31,792a15(00):長承二年癸丑四月七日の午の正中に上人誕生し給へり 0000_,31,792a16(00):而に四五歳の後は坐するにかならず西に向、言初口遊 0000_,31,792a17(00):にも南無阿彌陀仏と唱給ふ。親疎見者これを怪まずと 0000_,31,792b18(00):いふことなし。保延七年辛酉の春の比、時国夜討の為に 0000_,31,792b19(00):殺さる。其敵は伯耆権守源長明が息男明石の源内武者 0000_,31,792b20(00):所定明なり。造意の由来は定明稲岡の庄を知行して多 0000_,31,792b21(00):の年月を送に、時国下掌の身として定明を軽ずるに依 0000_,31,792b22(00):て遂に対面せざりき、其遺恨なりとぞ。其夜九歳の小 0000_,31,792b23(00):童、小箭をもちて敵を射に、定明が目の間に立。此疵 0000_,31,792b24(00):によりて顕れんことを思、即逐電してけり。見聞の上 0000_,31,792b25(00):下讃悦せずといふことなし。時の人みな小童を呼で小 0000_,31,792b26(00):箭児とぞ云ける。時国大事の疵を蒙りて今を最後の時 0000_,31,792b27(00):九歳の子に向て遺言すらく、我死去の後、世の風儀に 0000_,31,792b28(00):随て敵を恨ることなかれ、これ偏に先世の報なり、若 0000_,31,792b29(00):此讎を報んと欲はば、世世生生互に害心を懐て、在在 0000_,31,792b30(00):所所に輪回絶ことなからん。生ずる者は皆死を悲む、 0000_,31,792b31(00):愁憂更に限なし、我此疵を痛、人又何ぞ痛ざらん我此 0000_,31,792b32(00):命を惜、人豈惜ざらんや。我が情をもて人の思を知べ 0000_,31,792b33(00):し。然則一向に専自他平等の済度を祈り、怨瞋悉消て 0000_,31,792b34(00):親疏同菩提に至らんことを願べしと、言をはりて心を 0000_,31,793a01(00):直し西に向て高声に念仏して、眠がごとく命終し給ひ 0000_,31,793a02(00):けり 0000_,31,793a03(00):第三 最初入学仏法門 0000_,31,793a04(00):永治元年七月十日改元辛酉の歳末に当国菩提寺の院主観学 0000_,31,793a05(00):得業智鏡房の弟子となる。師、経書を授るに性はなはだ 0000_,31,793a06(00):峻爽にして憶持して忘給はず 0000_,31,793a07(00):第四 離親登山学行門 0000_,31,793a08(00):観学、等侶に語て曰、此児の器量直人にはあらず、何 0000_,31,793a09(00):ぞ辺国に住しめん、はやく台嶺に登すべしと。而間此 0000_,31,793a10(00):小童を相具して母の所に行て此由を語、母聞て仁者を 0000_,31,793a11(00):ば無人の可留とぞ深思へば菩提寺に住つるさへ猶遠と 0000_,31,793a12(00):思なり、況登山せんをや、思よらざることなりといへ 0000_,31,793a13(00):ば、小童、昔本師釈迦尊は御年十九にして父の大王に 0000_,31,793a14(00):忍、密に王宮を出で終に成仏して、無量の衆生を済度 0000_,31,793a15(00):し給へり。今自は生年十三、暇を悲母に申し、法山に 0000_,31,793a16(00):登り出家修学して父母の深恩を報じ、皆仏道に引導し 0000_,31,793a17(00):我も人も悟を開たてまつらん、返返歎給ことなかれ、 0000_,31,793b18(00):努力恨給はざれと申せば、母の曰、誠に生子に訓らる 0000_,31,793b19(00):るとは是なり。伝聞、往昔釈迦如来は御母の為に摩耶 0000_,31,793b20(00):経を説給へりと。今更に思合て有難ぞ侍る。然はあれ 0000_,31,793b21(00):ども凡夫の拙習、恩受の別忍難とて落涙千行なり。小 0000_,31,793b22(00):童、又伝聞参河守大江定基と云し人は出家学道し、老 0000_,31,793b23(00):母の許を蒙て大唐に渡り、彼国にして円通大師の号を 0000_,31,793b24(00):得本朝の名を上たり。それ仏も流転三界中恩愛不能断 0000_,31,793b25(00):棄恩入無為真実報恩者と説給ふ。自もはやく四明に登 0000_,31,793b26(00):すみやかに一乗を学て二親の菩提を訪なば、豈真実の 0000_,31,793b27(00):報恩に非らんやと、条条に理をつくして申ければ、母 0000_,31,793b28(00):も理に屈して泣泣暇を許けり。観学得業も。此問答往 0000_,31,793b29(00):復を聞て歓喜心を迷し、落涙袂を潤て申演ん方もなく 0000_,31,793b30(00):語少にてぞ還ける。終に天養二年乙丑の春、比叡山西塔 0000_,31,793b31(00):の北谷持法房源光の所に送遣。其書状に云、進上大聖 0000_,31,793b32(00):文殊の像一体と、源光此消息を見て文殊の像を尋るに 0000_,31,793b33(00):像は無して年十二三小児のみ来臨す。其時源光はやく 0000_,31,793b34(00):意得て文殊の像とは此児を讃ならんと、奇特の思をな 0000_,31,794a01(00):し、喜で一文を授るに輒十義を悟ければ、源光我はこ 0000_,31,794a02(00):れ短才浅智なり、碩学に属て、深理を窺しむべしとて 0000_,31,794a03(00):功徳院肥後阿闍梨皇円の許に送遣す。彼阿闍梨は参河 0000_,31,794a04(00):権守重亮の嫡男、少納言資隆朝臣の阿兄、隆寛律師の 0000_,31,794a05(00):伯父、皇覚法橋の弟子にして当時の名匠、台嶺の賢哲 0000_,31,794a06(00):なり。此児修学夜に積、才智日に瑩、万人異を歎、一 0000_,31,794a07(00):山同怪めり 0000_,31,794a08(00):第五 受戒楽求閑居門 0000_,31,794a09(00):久安三年丁卯仲冬八日に出家受戒し給ぬ。時に年十五歳 0000_,31,794a10(00):なり。有時師に白て言、出家受戒の本望已に足ぬ。今 0000_,31,794a11(00):はすなはち居を山林にト、跡を煙霞に暗さんと。師、 0000_,31,794a12(00):これを聞て受難人身を受たり、苟に遁世せらるべし。 0000_,31,794a13(00):又遇難仏法に遇り、何ぞ修学せざらんや。登山の験に 0000_,31,794a14(00):六十巻を読て後、本意を遂べしと諫ければ、われ閑居 0000_,31,794a15(00):を欣楽ことは名利の散乱を免れ、静に経論章疏を学せ 0000_,31,794a16(00):ん為なり。貴命はなはだ背難、修学もとも本意なりと 0000_,31,794a17(00):て生年十六の春始て三大部を稟承し、螢雪の勤懈怠な 0000_,31,794b18(00):く繩錐の励勇猛にして数数睡眠を除、三箇年をへて六 0000_,31,794b19(00):十巻の奥義を究、智恵明達にして併先哲に超給へり 0000_,31,794b20(00):第六 発心離山住谷門 0000_,31,794b21(00):久安六年庚午九月十二日生年十八歳にして始て黒谷の禅 0000_,31,794b22(00):室に入り、慈眼房叡空上人をもて師とす。彼師は瑜伽 0000_,31,794b23(00):祕密の真言、玉を瑩、円頓大乗の戒律、鏡を懸。学解 0000_,31,794b24(00):輩なく、道心最深して誠に師の位に足れり。上人の発 0000_,31,794b25(00):心を聞て随喜し讃して仁者少年にして早出離の心を発 0000_,31,794b26(00):せり、実に法爾法然の上人なれば法然をもて房号とす 0000_,31,794b27(00):べし、実名は源空とす。これ源光の上の字と叡空の下 0000_,31,794b28(00):の字とを拾取とぞ申されける。抑法弟聖覚、黒谷の為 0000_,31,794b29(00):体を闚見に谷深して流浄、囂乱併去れり、路細して跡 0000_,31,794b30(00):幽なり、隠居尤便あり、聖教蔵に満り。修学自勇、本 0000_,31,794b31(00):尊光を耀す、行法何怠らん。遁世籠居の上人の心を留 0000_,31,794b32(00):給こと誠に其謂あり。上人此に住て、年月幾ならざる 0000_,31,794b33(00):に真言、戒律、一身に兼学して血脈を叡空上人より稟 0000_,31,794b34(00):承す 0000_,31,795a01(00):第七 披攬一代聖教門 0000_,31,795a02(00):一代の聖教飢を忍て終日披見し、諸宗の章疏、眠を除 0000_,31,795a03(00):て通夜習学す。教文を多諳じ、義理を深悟る、それ此 0000_,31,795a04(00):篇に就て条条多端なれども略して三五を記す。具に載 0000_,31,795a05(00):に遑あらず 0000_,31,795a06(00):一、暗夜に聖教を見給に燈なしといへども室内明なり。 0000_,31,795a07(00):白河の信空上人、此瑞相を拝見して身毛為竪、感涙頻 0000_,31,795a08(00):にしてふかく上人の徳を貴べり 0000_,31,795a09(00):二、華厳経披読の時、青蛇経机の上に蟠る、信空上人 0000_,31,795a10(00):又これを見て怪み心中に怖畏す。其夜の夢に大竜かた 0000_,31,795a11(00):ちを現じて、我はこれ華厳経を守護する所の竜神なり、 0000_,31,795a12(00):我を恐るる事なかれ、上人を守たてまつらん為に今顕 0000_,31,795a13(00):現すといへり 0000_,31,795a14(00):三、法華三昧を修行し給時、大白象王道場に来現せり 0000_,31,795a15(00):四、有時上人予に語ての給く、我が性の分斉、何なる 0000_,31,795a16(00):大巻の書なりとも三遍これを闚読ば文義を諳記す。本 0000_,31,795a17(00):朝将来の諸宗の聖教広披に、粗幽致を悟得て皆本宗の 0000_,31,795b18(00):印可を蒙りき 0000_,31,795b19(00):五、大納言律師寛雅に遇て三論宗を習給ひし時、かの 0000_,31,795b20(00):宗の法門、自見の義を演給に、寛雅是を聞て遍身より 0000_,31,795b21(00):汗を流し、言もいはず落涙して随喜の余に祕書を取出 0000_,31,795b22(00):して、自宗の法門付属するに器量の人なし、貴客すで 0000_,31,795b23(00):に此法門に達し給り、授与するに足りとて悉もて付属 0000_,31,795b24(00):す 0000_,31,795b25(00):六、南都の贈僧正蔵俊僧都に謁て法相宗を学せし時、 0000_,31,795b26(00):上人自義を述給に、蔵俊始には貴房の義勢細細に聞へ 0000_,31,795b27(00):難と高声に談じけるが、後には舌を巻て信伏し、良久 0000_,31,795b28(00):聴聞して掌を合て讃して曰、我等が相承の法門いまだ 0000_,31,795b29(00):かくのごとき深義をしらず。公は何さま直也人には非 0000_,31,795b30(00):じ、恐はこれ仏陀の化現ならん、我願は初の問難の過 0000_,31,795b31(00):を免ん為に一期の間供養したてまつらんと欲すとて、 0000_,31,795b32(00):毎年に供物を送られける 0000_,31,795b33(00):第八 信修念仏往生門 0000_,31,795b34(00):上人生年九歳より四十三に至まで三十五年の学問は、こ 0000_,31,796a01(00):れ偏に出離の道にわづらひ、順次解脱の要路をしらん 0000_,31,796a02(00):為なり。是に依て遍諸宗を学し給に師匠かへりて弟子 0000_,31,796a03(00):となりぬ。有時上人、予に語ての給はく、法相三論天 0000_,31,796a04(00):台華厳真言仏心の諸大乗の宗、遍学し悉明るに入門は 0000_,31,796a05(00):異なりといへども、皆仏性の一理を悟顕ことを明す、 0000_,31,796a06(00):所詮は一致なり。法は深妙なりといへども我が機すべ 0000_,31,796a07(00):て及難し。経典を披覧するに其智最愚なり。行法を修 0000_,31,796a08(00):習するに其心翻て昧し。朝朝に定めて悪趣に沈んこと 0000_,31,796a09(00):を恐怖す、夕夕に出離の緣の闕たることを悲歎す、忙 0000_,31,796a10(00):忙たる恨には渡に船を失がごとし、朦朦たる憂には闇 0000_,31,796a11(00):に道に迷がごとし。歎ながら如来の教法を習、悲なが 0000_,31,796a12(00):ら人師の解釈を学、黒谷の報恩藏に入て、一切経を披 0000_,31,796a13(00):見すること既に五遍に及ぬ。然れども猶いまだ出離の 0000_,31,796a14(00):要法を悟得ず、愁情彌深、学意増盛なり。爰に善因急 0000_,31,796a15(00):に熟し宿緣頓に顕れ、京師善導和尚勧化の八帖の聖書 0000_,31,796a16(00):上人在世般舟讃未流布故云八帖書を拝見するに末代造悪の凡夫、出離 0000_,31,796a17(00):生死の旨を輒定判し給へり。粗管見していまだ玄意を 0000_,31,796b18(00):暁めずといへども随喜身に余り、身毛為竪てとりわき 0000_,31,796b19(00):見こと三遍、前後合て八遍なり。時に観経散善義の、 0000_,31,796b20(00):一心専念彌陀名号の文に至て善導の元意を得たり。歓 0000_,31,796b21(00):喜の余に聞人なかりしかども予が如の下機の行法は、 0000_,31,796b22(00):阿彌陀仏の法蔵因位の昔かねて定置るるをやと、高声 0000_,31,796b23(00):に唱て感悦髄に徹り、落涙千行なりき。終に承安五年 0000_,31,796b24(00):乙丑の春、齢四十三の時たちどころに余行をすてて一向 0000_,31,796b25(00):専修念仏門に入て始て六万遍を唱。已上載先師詞上人其後 0000_,31,796b26(00):一万遍を加て、毎日七万遍の念仏の行者なり。有時上 0000_,31,796b27(00):人悲歎しての給はく。当世諸方の道俗を見聞するに無 0000_,31,796b28(00):道心の者は悉名利に住して修行すること能ざれば、生 0000_,31,796b29(00):死を出るにあらず。道心智者は今度輒生死を出難と謂 0000_,31,796b30(00):て遠来緣を期す。是故に順次の得脱はなはだ思を絶た 0000_,31,796b31(00):り。信心の手を空して法財をとらず。所詮此は是或は 0000_,31,796b32(00):浄土の緣なくして累世難行の機なり。或は浄土の緣あ 0000_,31,796b33(00):れども、いまだ良師に遇ざるの人なり。かくの如の二 0000_,31,796b34(00):機は浄土の易行易往なることをしらず、必永刧の行に 0000_,31,797a01(00):趣。爰をもて源空が初の師肥後阿闍梨皇円は、宏才博 0000_,31,797a02(00):覧にして智慧深遠なりしかども、我が機分をはかるに 0000_,31,797a03(00):今度生死を出難し、蛇身長命の果報を受て彌勒の出世 0000_,31,797a04(00):に値て得道せんと欲しけり、其願空からず、大蛇の身 0000_,31,797a05(00):を受て遠江国笠原の庄桜池水面一町許に住給。智慧あるが 0000_,31,797a06(00):故に生死の離がたきことを知り、道心あるが故に慈尊 0000_,31,797a07(00):に遇んことを願。然どもいまだ浄土の法門を知給はず 0000_,31,797a08(00):誠に浅猿きことなり、此条源空が深歎なり。爾時われ 0000_,31,797a09(00):もし此法門を知得たらましかば信不信はいざしらず、 0000_,31,797a10(00):勧化し申ん者を、哀なるかな、悲かな、出離の甚難こ 0000_,31,797a11(00):とを深悲で蛇身三熱の苦を受給ん 0000_,31,797a12(00):第九 善導来現授教門 0000_,31,797a13(00):有時上人、予に示て云、源空已に導和尚の釈に帰して 0000_,31,797a14(00):其元意を得たり。其元意とは乱想の凡夫、但無観称名 0000_,31,797a15(00):の一行に依て仏の本願をもて増上緣として、順次に極 0000_,31,797a16(00):楽世界に往生するなり。但自身の往生は決定して疑な 0000_,31,797a17(00):し。然に有緣の蒙昧を勧進して浄土に生ぜしめんと欲 0000_,31,797b18(00):ふ。所見の義勢是とやせん、非とやせん、凡智辨難し 0000_,31,797b19(00):と、かく思惟して心に念じ労ふ夜の夢中に、一人の僧 0000_,31,797b20(00):あり。腰より上は墨染、裳より下は金色なる宝衣を著 0000_,31,797b21(00):し給。予低頭合掌して問て云、大徳は誰人ぞや。霊僧 0000_,31,797b22(00):答給はく、我はこれ善導なり。汝専修念仏を弘通せん 0000_,31,797b23(00):と欲する料簡の義理、我が釈文に違はず、釈文は即是 0000_,31,797b24(00):証を請て定畢ぬ、是故に兼ては又仏意に違はず、よろ 0000_,31,797b25(00):しく弘通すべし、化益もとも多からん。予伏請て日、 0000_,31,797b26(00):大徳然るべくば浄土の教門、面授口決して自も信じ他 0000_,31,797b27(00):をも教しめ給へ。和尚示給はく、善哉善哉、菩薩大聖、 0000_,31,797b28(00):浄土の教法願に随て授与せんと。仍て三部契経八軸の 0000_,31,797b29(00):金典今九帖書中除船舟讃敬て付属を蒙こと慇懃鄭重なりきと。 0000_,31,797b30(00):上人の勧化、和尚の印可、快仏意に称へり。もつぱら 0000_,31,797b31(00):仰信すべし 0000_,31,797b32(00):第十 勧進念仏往生門 0000_,31,797b33(00):上人已に和尚の指授を蒙て黒谷の禅坊を出で吉水の菴 0000_,31,797b34(00):室に住給しより以来、自行化他併念仏の勤なり。これ 0000_,31,798a01(00):によりて自造の選択集にも自行化他唯縡念仏、然間 0000_,31,798a02(00):希問津者示以西方通津適尋行者誨以念仏別行、 0000_,31,798a03(00):信之者多不信者尠、当知浄土之教叩時機而当行 0000_,31,798a04(00):運也、念仏之行感水月而得昇降也といへり。上 0000_,31,798a05(00):人の化導日にしたがひて盛に世に弘まり、道俗男女唯 0000_,31,798a06(00):念仏をこととし、王城辺土専称名を口遊とす 0000_,31,798a07(00):有時上人示て云、浄土宗の学者は先此旨を知べし。有 0000_,31,798a08(00):緣の人の為には身命財を捨ても、偏に浄土の法を説べ 0000_,31,798a09(00):し。自の往生の為には諸囂塵を離て専念仏の行を修す 0000_,31,798a10(00):べし。此二事の外、全他の営なしとぞ仰られける。御 0000_,31,798a11(00):遺言誠に貴故に此を記し末代に聞しむ 0000_,31,798a12(00):弟子聖覚畏りて尋申して云、当今末法は機解昧劣にし 0000_,31,798a13(00):て如来の教法に応ぜざれば、多は如法にあらず。聖道 0000_,31,798a14(00):門の行人、殊更に虚仮を懐けり。かく存じ候は浄土教 0000_,31,798a15(00):を敬重する執情の故にや、将又此義ありや。上人答給 0000_,31,798a16(00):はく、末法の濁世には聖道の虚仮此条異論なし、先哲 0000_,31,798a17(00):悉決判せり。浄土の学人も少虚ありといへども聖道の 0000_,31,798b18(00):多分虚仮なるには同からず。故に禅林寺の十因に云、 0000_,31,798b19(00):夫以衆生無始輪回諸趣諸仏更出済度無量、恨漏諸 0000_,31,798b20(00):仏之利益、猶為生死之凡夫、適値釈尊之遺法、盍 0000_,31,798b21(00):励出離之聖行、一生空暮再会何日、真言止観之行道 0000_,31,798b22(00):幽易迷、三論法相之教理奥難悟、不勇猛精進者何 0000_,31,798b23(00):修之、不聰明利智者誰学之、朝家簡定賜其賞、 0000_,31,798b24(00):学徒競望増其欲、暗三密行恭登遍照之位餝毀 0000_,31,798b25(00):戒質誤居持律之職、実世間之仮名智者之所厭也、 0000_,31,798b26(00):今至念仏宗者、所行仏号不妨行住坐臥、所期極 0000_,31,798b27(00):楽不簡道俗貴賤、衆生罪重一念能滅、彌陀願深十念 0000_,31,798b28(00):往生、公家不賞自離名位之欲、檀那不祈亦無虚受 0000_,31,798b29(00):之罪、況南北諸宗互諍権実之教、西方一家独無方便 0000_,31,798b30(00):之門といへり。是故に末法には聖道の行人自然に虚偽 0000_,31,798b31(00):を懐、念仏の行者は多は至誠なり。浄土門の少虚は機 0000_,31,798b32(00):の過にして行体の失にあらず。聖道門の多虚は行法の 0000_,31,798b33(00):咎にして機の失にはあらず。斯乃難行にして機に応ぜ 0000_,31,798b34(00):ざるが故なり。然れども万機みな偽を懐べきにあらず。 0000_,31,799a01(00):利智精進にして機法相応せばたやすく道を得べし、混 0000_,31,799a02(00):乱すべからず。浄土宗の意は難を捨てて易を取、敢偏 0000_,31,799a03(00):執すること勿れ。二道の緣を糺べし 0000_,31,799a04(00):治承四年庚子十二月二十八日平家南都をせめしとき、東 0000_,31,799a05(00):大寺に火かかりしかば皆悉炎焼す。其後造興の為に右 0000_,31,799a06(00):大辨藤原行隆朝臣をもて大奉行に定られけるに、行隆 0000_,31,799a07(00):敬て往昔より彼寺は一天四海の人民を勧て御建立あり 0000_,31,799a08(00):けり。今又勧進の聖を付られんか、真力を仮ずんば俗 0000_,31,799a09(00):補勇難と、勅答申し上ければ、尤先例に任べしとて、 0000_,31,799a10(00):大勧進の聖の沙汰侍けるに、法然房源空こそ其器量に 0000_,31,799a11(00):当れりと選定て、行隆朝臣を御使にて勅宣ありけるに 0000_,31,799a12(00):上人申されけるは、源空が好所は念仏勧進の行なり、 0000_,31,799a13(00):起立塔像の大勧進職は其器量にあらず、若勧進の職に 0000_,31,799a14(00):応ぜば世務心を悩て念仏転退しなん。念仏永廃せは唯 0000_,31,799a15(00):仏意に背のみにあらず、兼ては亦和尚の意に違ん。若 0000_,31,799a16(00):念仏退転なからんと欲はば造興成難かるべし。造営功 0000_,31,799a17(00):畢ずんば豈命旨に背ざらんや。且は聖見を慚、且は勅 0000_,31,799b18(00):命を恐。然ば則一旦の宣旨に随はんよりは永辞せんに 0000_,31,799b19(00):はしかずとて固辞退申されけり。行隆朝臣その志の堅 0000_,31,799b20(00):固なるをみて、ことの由を奏しければ、もし門徒の中 0000_,31,799b21(00):に其器量の者あらば挙申べきよし重て仰下されけるに 0000_,31,799b22(00):よて、上人、醍醐の俊乗房重源を召て勅に応じて参内 0000_,31,799b23(00):せしむ。法皇後白川喜給ひて遂に大勧進の職に補せられ 0000_,31,799b24(00):にけり。上人宣旨を辞して偏に称名の行を興し自利利 0000_,31,799b25(00):他、唯専修念仏のみにして寸暇を惜給へり 0000_,31,799b26(00):有時鎮西の聖光房と聖覚と但両人、上人の御前にて浄 0000_,31,799b27(00):土の法門聴聞しける時、聖光房尋申て云、仰て本願を 0000_,31,799b28(00):信じ実に往生を願ずれども妄念鎮に起て止難、散乱彌 0000_,31,799b29(00):倍て静ならず、此条如何が候や。上人答給はく、妄念 0000_,31,799b30(00):余念をもかへりみず、散乱不浄をもいはず、唯ロに名 0000_,31,799b31(00):号を唱よ、もし能称名すれば仏名の徳として妄念自止、 0000_,31,799b32(00):散乱自静り、三業自調て願心自発なり。然れば願生の 0000_,31,799b33(00):心の少にも南無阿彌陀仏、散乱の増時も南無阿彌陀仏、 0000_,31,799b34(00):妄念の起時も南無阿彌陀仏、善心の起時も南無阿彌陀 0000_,31,800a01(00):仏、不浄の時も南無阿禰陀仏、清浄の時も南無阿彌陀 0000_,31,800a02(00):仏、三心の闕たるにも南無阿彌陀仏、三心具するにも 0000_,31,800a03(00):南無阿彌陀仏、三心現起するにも南無阿彌陀仏、三心 0000_,31,800a04(00):成就するにも南無阿彌陀仏、これすなはち決定往生の 0000_,31,800a05(00):方便なり、心腑に納て忘るることなかれ。聖覚尋て云、 0000_,31,800a06(00):今の御義のごときは三心を闕といへども唯仏名を唱れ 0000_,31,800a07(00):ば名号の徳として、三心発得して往生すべしと聞へ候。 0000_,31,800a08(00):然に和尚、虚仮心の行人は昼夜十二時に急に走急に作 0000_,31,800a09(00):こと頭然を払がごとく、勇猛に勤行すとも往生不可な 0000_,31,800a10(00):りと定判し給へり、彼此の御義如何が合せんや。聖光 0000_,31,800a11(00):房の云、予が所存も亦爾りと。上人答て云、此不審は 0000_,31,800a12(00):今の所談にあらず。これは本より三心を具すれども歴 0000_,31,800a13(00):緣対境の時に如法ならざる、其治方を述なり。所引の 0000_,31,800a14(00):和尚の解釈は一向に三心の闕たるを嫌、意趣もとも巧 0000_,31,800a15(00):なり。是故に難にあらずと仰ければ弟子等両人ながら 0000_,31,800a16(00):信仰の余に申し演ん詞もなく唯一同に阿と云き 0000_,31,800a17(00):顕真法眼、大原に居住の時、恵光房永弁法印、事の緣 0000_,31,800b18(00):ありて尋訪ありしに、法眼問たまはく、末代濁悪の我 0000_,31,800b19(00):等凡夫罪業日に増て散乱癡惑なり、いかがして今度生 0000_,31,800b20(00):死を離るべきや。法印答て云、此条は賢愚皆もて一同 0000_,31,800b21(00):なり。但此程法然上人に参謁して出離の要法を明たり。 0000_,31,800b22(00):所謂彌陀他力念仏往生これなり。此法を得て後、年頃 0000_,31,800b23(00):の積憤雲のごとく忽に散じ、当時の歓喜後に喩をとる 0000_,31,800b24(00):なし。かくのごときの義は法然上人に遇給て委細に御 0000_,31,800b25(00):尋あるべしと申けるに依て、有時法眼、上人に対面し 0000_,31,800b26(00):ていまだ罪障を断ぜざる散乱の凡夫いかがして極楽に 0000_,31,800b27(00):順次往生すべきやと問給ふに、上人、成仏は甚難く往 0000_,31,800b28(00):生は尤易し。善導和尚の御釈をもて三部経を拝見する 0000_,31,800b29(00):に仏の本願力を強緣として乱想の凡夫、報仏の浄土に 0000_,31,800b30(00):生ず。自力聖道の執情をもて他力浄土の真門を疑こと 0000_,31,800b31(00):なかれと答給ければ法眼言もの給ず、坊に帰て後、人 0000_,31,800b32(00):に語たまはく、智恵第一の法然房も見立る所の義理に 0000_,31,800b33(00):於ては大に僻めりと。上人伝聞て我が知ざることには 0000_,31,800b34(00):謗をなすこと常の法なり、始て驚べきにあらず、尤も 0000_,31,801a01(00):道理なりとの給けるを法眼又かへりきき給て、自他の 0000_,31,801a02(00):両門に相語て云、倩案ずるに吾顕密の法門を兼学すと 0000_,31,801a03(00):いへども、偏に名利を志て解脱の為にせず。法然房は 0000_,31,801a04(00):幼少の時より道心者にて出離生死の為に一代の仏法を 0000_,31,801a05(00):学して見立る所の義なり、誠に錯あるべからず。然ば 0000_,31,801a06(00):則深先非を悔、後信を専にせんと欲すとて上人を竜禅 0000_,31,801a07(00):寺に請じ給ふ。此条風聞て浄教を聴聞せんが為に道俗 0000_,31,801a08(00):雲のごとくに集来て勝林の室に余れり。前権少僧都明 0000_,31,801a09(00):遍三論碩学法印権大僧都証真天台碩学侍従已講貞慶解脱房法相宗法印 0000_,31,801a10(00):権大僧都智海天台碩学此等の明匠を始として、諸宗の賢哲 0000_,31,801a11(00):其数をしらず。而間皆面面に富楼那の弁舌を震て重重 0000_,31,801a12(00):に難を致す、囂こと盛なる市のごとし。上人、鸚鵡の 0000_,31,801a13(00):囀が如に各各の疑難を会釈し給へば、諸宗の明匠舌を 0000_,31,801a14(00):巻て言ことなく、静なること春の日に似たり。爾時上 0000_,31,801a15(00):人、聖道の諸宗は理ふかく解微にして証を得ること甚 0000_,31,801a16(00):難し。此則世くだり人愚にして機教相違すれば其修行 0000_,31,801a17(00):に堪ず。ながく苦海に沈淪していまだ涅槃の岸に到ら 0000_,31,801b18(00):ず。浄土の一門は解し易く行し易ければ得脱最速なり。 0000_,31,801b19(00):愚鈍下智を捨ざれば庸学なほ勇あり。破戒重罪を簡ざ 0000_,31,801b20(00):れば悪人なほ生る。行住坐臥を別ざれば念念に常に行 0000_,31,801b21(00):じ、時処諸緣を論ぜざれば散乱猶唱ふ。其止悪をいへ 0000_,31,801b22(00):ば念時日の三懺悔を許せり。其修善をいへば一念十念 0000_,31,801b23(00):猶生ると勧たり。和尚の釈礼讃に唯有念仏蒙光摂、 0000_,31,801b24(00):当知本願最為強、真形光明遍法界、蒙光触者心 0000_,31,801b25(00):不退なりといへり。摂取不捨の光益は念念称名の徳を 0000_,31,801b26(00):さづく、尤これを信ずべし、尤これを勤べしと。一日 0000_,31,801b27(00):一夜詞を尽て浄教を講説し給へば、聴聞の道俗、或は 0000_,31,801b28(00):涙を流て仰信し、或は声を挙て歓喜す。其中に坊主法 0000_,31,801b29(00):眼顕真は雙眼より涙を流し、仏前に踊立て自香炉をと 0000_,31,801b30(00):り旋遶行道して、高声に念仏し給へば、南北の明匠三 0000_,31,801b31(00):百余人異口同音に念仏を修行すること三日三夜間断な 0000_,31,801b32(00):し。其外の参礼結緣の聴聞衆は其数を知らざりき。爾 0000_,31,801b33(00):しより以降、処処の道場悉仏名を唱、童子の戲にも併 0000_,31,801b34(00):念仏を口遊とす。其後法眼顕真は召出されて天台の座 0000_,31,802a01(00):主に補せらる、叡山の高僧常倫に超出せり。此等の明 0000_,31,802a02(00):匠、皆上人に帰し給ふ。又座主顕真、十二人の時衆を 0000_,31,802a03(00):定おきて不断念仏をおこなひ給ふ。一向に称名相続し 0000_,31,802a04(00):て余行をまじへず、其行を勤始てより今に退転なし 0000_,31,802a05(00):有時上人、霊山寺にして三七日夜の不断念仏を勤行し 0000_,31,802a06(00):給に燈なくして光明あり。第五の夜にいたりて行道す 0000_,31,802a07(00):るに勢至菩薩同列に交立給けり。時衆夢のごとく幽に 0000_,31,802a08(00):此を拝して上人にこのよしを申に、爾ることも侍らん 0000_,31,802a09(00):と答給ふ。謹で此瑞相を讚嘆するに且二種あり。一に 0000_,31,802a10(00):は観念法門に、如観経下文、若有人至心常念阿彌 0000_,31,802a11(00):陀仏及二菩薩、観音勢至常与行人、作勝友知識随 0000_,31,802a12(00):逐影護し給ふといへり。勢至菩薩道場に影現し給こと 0000_,31,802a13(00):深経釈に叶へり、誰か疑心を懐かんや。二には上人は 0000_,31,802a14(00):勢至菩薩の垂迹なりと云こと世挙てこれを称す。爰に 0000_,31,802a15(00):時衆等、念仏勇猛にして罪障微薄なれば彌信心をまし、 0000_,31,802a16(00):勇猛に勤行せしめんが為に聖力加祐して、幽に本身を 0000_,31,802a17(00):見し給ふ歟。然ば則若は在世にも若は滅後にも、上人 0000_,31,802b18(00):勧化の流を信じて酌ん人は自ら解脱の行を正して、兼 0000_,31,802b19(00):ては他の誤を直べし、已に信ぜんものは彌信じ、いま 0000_,31,802b20(00):だ信ぜざるものは早これを信ずべし 0000_,31,802b21(00):後白川法皇、上人を勅請ありて菩薩戒を説しめ、兼て 0000_,31,802b22(00):は往生要集を講ぜしめ給ふ時に、上人声を澄して夫往 0000_,31,802b23(00):生極楽の教行は濁世末代の目足なり、道俗貴賤誰か帰 0000_,31,802b24(00):せざらん者とよみあげ給へば、此一言に、万乗百官殿 0000_,31,802b25(00):中簾中、今始てきこしめさるるやうに各心肝に染てた 0000_,31,802b26(00):ふとく皆感涙を流し給へり。太上法皇は聞法随喜の余 0000_,31,802b27(00):に、左京権太夫藤原隆信朝臣に勅して上人の真影を写 0000_,31,802b28(00):さしめて、蓮華王院の宝蔵に収られける 0000_,31,802b29(00):東大寺の大勧進俊乗房重源上人、念仏信仰の余に一の 0000_,31,802b30(00):意楽を発て我が国の道俗、閻魔呵責の庭上に跪て其名 0000_,31,802b31(00):字を答ん時、仏名を唱しめん為に阿彌陀仏名をつくべ 0000_,31,802b32(00):しとて、先我が名を南無阿彌陀仏とぞ号せられける。 0000_,31,802b33(00):我が朝の阿彌陀仏名は此より始れり 0000_,31,802b34(00):第十一 殿下教命造書門 0000_,31,803a01(00):月輪の禅定殿下、宿緣に催されて信仰世に超、崇重比 0000_,31,803a02(00):類なく西方をもて所期とし、念仏をもて正業とし給へ 0000_,31,803a03(00):り。此によりて建久九年戊午の春、対馬左衛門尉重経を 0000_,31,803a04(00):御使者として浄土の法門度度聴聞すといへども、公私 0000_,31,803a05(00):忩劇の間、即施即廃なり。庶幾は紙墨に載給て廃忘に 0000_,31,803a06(00):備侍らんと仰せられければ、上人厳命に遵て一軸の書 0000_,31,803a07(00):を造り選択本願念仏集と名けて、高覧にそなへ給ふ。 0000_,31,803a08(00):彼集の奥に云、不図蒙仰辞謝無地、仍今聊集念仏 0000_,31,803a09(00):要文、剰述念仏要義、唯顧命旨不顧不敏、是則無 0000_,31,803a10(00):慙無愧之甚也。庶幾一経高覧之後、埋于壁底莫 0000_,31,803a11(00):遺窓前、恐為不令破法之者堕於悪道也と、極重 0000_,31,803a12(00):の罪人は念仏を誹謗す。此書を祕することは、かの謗 0000_,31,803a13(00):罪を止んが為なり。法事讃にも五濁増時多疑謗、道 0000_,31,803a14(00):俗相嫌不用聞、見有修行起瞋毒、方便破壊競生 0000_,31,803a15(00):怨、如此生盲闡提輩、毀滅頓教永沈淪、超過大地 0000_,31,803a16(00):微塵刧、未可得離三途身、大衆同心皆懺悔所有 0000_,31,803a17(00):破法罪因緣といへり。縦人有て念仏を誹謗すとも驚 0000_,31,803b18(00):べきにあらず、末法濁世の罪人の定れる習なり。来報 0000_,31,803b19(00):に定て阿鼻地獄にあらん。信順の人は逆緣をもて彼罪 0000_,31,803b20(00):人を済はんと思べし 0000_,31,803b21(00):第十二 頭光現顕本地門 0000_,31,803b22(00):元久二年乙丑四月一日に上人月輪殿にして念仏讃嘆の後 0000_,31,803b23(00):退出し給ふ時、禅定殿下庭上に走降て五体を地に投じ 0000_,31,803b24(00):て上人を礼拝し、良久ありて起させ給て上人の頭の上 0000_,31,803b25(00):に金光顕現して光映徹し、中に一の宝瓶ありつると仰 0000_,31,803b26(00):せられて御涙にむせび給ふ。爾時始て上人は勢至菩薩 0000_,31,803b27(00):の化身なりと知れり。愚禿、此篇を記するに身毛為堅 0000_,31,803b28(00):て雙眼に涙を浮ぶ。憑しきかな、喜しきかな、濁世の 0000_,31,803b29(00):我等衆生を導んが為に極楽の聖衆仮に凡夫を示し念仏 0000_,31,803b30(00):の行を弘給ふ。仰で本地を討れば極楽世界の聖衆なり、 0000_,31,803b31(00):往生浄土の勧念仏に憑あり。俯して垂迹を訪へば三昧 0000_,31,803b32(00):発得の祖師なり。専修念仏の教往生に疑なし、本迹異 0000_,31,803b33(00):なりといへども化導是一なり。念仏の衆生を攝して浄 0000_,31,803b34(00):国に生ぜしむ。後世を恐ん輩は誰か此師に帰せざらん。 0000_,31,804a01(00):極楽を望の類は何ぞ上人の釈を信ぜざらん 0000_,31,804a02(00):第十三 流罪帰洛利益門 0000_,31,804a03(00):建永二年丁卯二月二十七日、吹毛の讒奏に依て還俗の姓 0000_,31,804a04(00):名源元彦を賜り、遠流の宣旨をくだされければ、上人 0000_,31,804a05(00):の勧化をあふぐ道俗貴賤皆なげきかなしみあへるに、 0000_,31,804a06(00):上人は感悦の色ましまして、源空が遠流を蒙こと、辺 0000_,31,804a07(00):土の化緣すでに熟せり、誠によろこぶ所なり。普万機 0000_,31,804a08(00):を教化して念仏門に入しめんとぞ仰せられける。慈悲 0000_,31,804a09(00):誓願の色、外に顕れて哀にたふとかりけり。月輪の禅 0000_,31,804a10(00):定殿下、しばらく御離別の恨を息んが為に法性寺の小 0000_,31,804a11(00):御堂に上人を一夜逗留たてまつられけり。上人の給は 0000_,31,804a12(00):く会者定離は常のならひ今はじめたるにあらず、何ぞ 0000_,31,804a13(00):深歎んや。宿緣空からずば同一蓮に坐せん、浄土の再 0000_,31,804a14(00):会甚近にあり。今の別は暫の悲み、春の夜の夢のごと 0000_,31,804a15(00):し、誹謗ともに緣として先に生て後を導ん。引摂緣は 0000_,31,804a16(00):これ浄土の楽なり、夫現生すら猶もて疎からず、同名 0000_,31,804a17(00):号を唱へ、同一光明の中にありて同聖衆の護念を蒙る、 0000_,31,804b18(00):同法尤親し、愚に疎と思食べからず。南無阿彌陀仏と 0000_,31,804b19(00):唱給へば住所は隔といへども源空に親しとす。源空も 0000_,31,804b20(00):南無阿彌陀仏と唱たてまつるが故なり。念仏を縡とせ 0000_,31,804b21(00):ざる人は肩を並膝を与といへども源空に疎かるべし。 0000_,31,804b22(00):三業皆異なるが故なりとの給ば、禅定殿下悲哀心を迷 0000_,31,804b23(00):し一言もの給はざりけり 0000_,31,804b24(00):同三月十六日に法性寺を立て配所に趣給ふ。配所は讃 0000_,31,804b25(00):岐国小松の庄なり。斯乃門弟住蓮安楽不善の咎とて吹毛の 0000_,31,804b26(00):讒言によりて罪なき上人を流刑に行れけり。凡讒人の 0000_,31,804b27(00):訴に依て左遷せられし賢哲、上代ためしなきにあらず。 0000_,31,804b28(00):吾朝には役行者、菅丞相、異国には一行阿闍梨、白楽 0000_,31,804b29(00):天、これ皆罪なくして謫所にすみ給へり。夫権化の善 0000_,31,804b30(00):巧は凡智測難し。信謗緣を結び違順益を蒙る。上人配 0000_,31,804b31(00):所に趣給へば帝都は闇に燈を失しがごとく、辺土は盲 0000_,31,804b32(00):の明を得るに似たり。洛陽は悲を含、田舎は喜を懐、 0000_,31,804b33(00):悲ても念仏を唱、喜もて名号を称す。悲喜倶に善を勧、 0000_,31,804b34(00):大権の化益誠に巧なりとたふとかりけり 0000_,31,805a01(00):同八月。勅免の宣旨をくだされしかどもなほ洛中の往 0000_,31,805a02(00):還をゆるされざりしかば摂津国勝尾寺にしばらく住給 0000_,31,805a03(00):すでに五箇年を経て華洛に還帰あるべきよしの宣旨を 0000_,31,805a04(00):蒙り。権中納言藤原光親卿の奉行として建暦元年辛未十 0000_,31,805a05(00):二月十二日に帝都に帰り入て東山大谷浄室に居住し給ふ。 0000_,31,805a06(00):昔釈尊忉利天にして九旬安居の説法終て後、上天の雲 0000_,31,805a07(00):より来下し給ふ時、人天大会歓喜して供養したてまつ 0000_,31,805a08(00):りしがごとく今上人南海の波をさかのぼり給へば道俗 0000_,31,805a09(00):男女各あらそひて供養をのべける。羣参のともがら一 0000_,31,805a10(00):夜の中を算るに一千余人ときこえき。閑居の室なりと 0000_,31,805a11(00):いへども貴賤賢愚来集て法を聞こと猶盛なる市のごと 0000_,31,805a12(00):し。利益倍多して信仰日に新なり 0000_,31,805a13(00):第十四臨終念仏往生門 0000_,31,805a14(00):建暦二年壬申正月二日より上人老病やうやく興起して日 0000_,31,805a15(00):頃不食の所労、殊に増気し給へり。凡此二三年は耳目 0000_,31,805a16(00):彌朦昧なりしかども、往生の期ちがづきければ二根明 0000_,31,805a17(00):利にして色を見声を聞給ふこと、もつぱら盛年にたが 0000_,31,805b18(00):はず、見聞の道俗、奇異の思をなす。唯高声の念仏相 0000_,31,805b19(00):続勇猛にして其中間には更に余言をまじゑず。ひとへ 0000_,31,805b20(00):に浄土の事を談じ睡眠の時にも猶直念仏を唱給へり。 0000_,31,805b21(00):有時上人の給はく、高声に念仏を唱へよ、阿彌陀仏の 0000_,31,805b22(00):来給へり。南無阿彌陀仏と唱者は一人としても極楽に 0000_,31,805b23(00):往生せずといふ事なしとして念仏の功徳をほめ給へり 0000_,31,805b24(00):二十四日の酉時より二十五日の巳時に至までは高声念 0000_,31,805b25(00):仏殊更に勇猛なり。五六人の僧、番を結て助音するに 0000_,31,805b26(00):助音は苦むといへども暮齢病悩の御身敢て退屈し給は 0000_,31,805b27(00):ず。道俗随喜し、傍人驚讃せり、午時に至て念仏の御 0000_,31,805b28(00):声やうやう幽にして高声に時時唱給ふ。午刻の正中に 0000_,31,805b29(00):年来所持の慈覚大師の九条の袈裟を著し、頭北面西に 0000_,31,805b30(00):して光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨、南無阿彌 0000_,31,805b31(00):陀仏と誦して睡がごとくして息絶たまひぬ。音声止て 0000_,31,805b32(00):後、独念仏を唱給ふと覚しくて脣舌を動給へり。春秋 0000_,31,805b33(00):八十に満たまふ 0000_,31,805b34(00):第十五 没後順緣利益門 0000_,31,806a01(00):上人の滅後に八方の遺弟各上人の正義を弘通して念仏 0000_,31,806a02(00):世にひろまり称名国にみつ。信ぜざる者は少、信ずる 0000_,31,806a03(00):者尤多し、これ上人権化の効、聖衆護念の力なり。或 0000_,31,806a04(00):は上人勧化の仮名の書、大胡に示さる消息、二位殿に 0000_,31,806a05(00):教化の返状、此等の書に依て本願を信じ極楽に往生す 0000_,31,806a06(00):る、道俗貴賤年年にまさり日日にさかりにして、念仏 0000_,31,806a07(00):の繁昌眼前に証あり。爰に禅林寺の静遍僧都は上人入 0000_,31,806a08(00):滅の後、選択集に帰して一向専修念仏者となれり。か 0000_,31,806a09(00):の僧都はこれ真言家の賢哲、小野広沢の両流を相伝せ 0000_,31,806a10(00):る明匠なりけれども、浄土の法門有緣なるにや、彼宗 0000_,31,806a11(00):を捨てて念仏門に帰し給へり、皆これ上人滅後の利益 0000_,31,806a12(00):なり。現証を見聞して化導の遍ことを知れり 0000_,31,806a13(00):第十六 没後逆緣利益門 0000_,31,806a14(00):上人左遷の時、予に語給はく、貧道が流罪更に歎苦に 0000_,31,806a15(00):あらず。念仏の興行洛陽にして年ひさしし、今辺鄙に 0000_,31,806a16(00):趣て田夫野人を教化せん事、年来の本意なり。但いた 0000_,31,806a17(00):むところは源空が弘むる浄土の法門は造悪の凡夫出離 0000_,31,806b18(00):の要法なるが故に、念仏守護の神祗冥道、無道の障難 0000_,31,806b19(00):をとがめ給はん歟。長存命せられば因果の空からざる 0000_,31,806b20(00):事を思合べしとぞ仰られける。其後いくばくの歳月を 0000_,31,806b21(00):へず、わづかに十箇年の間に、承久の逆乱おこりて天 0000_,31,806b22(00):下の騒動にをよび、君は北海の島に行幸して隠岐院と 0000_,31,806b23(00):号す、讒臣は戦場に討負て或は命を失ものもあり、ま 0000_,31,806b24(00):ことに不思議にぞ侍る。又後堀川院の御宇安貞二年丁亥 0000_,31,806b25(00):六月二十一日に比叡山の衆徒一同に僉議すらく、専修 0000_,31,806b26(00):念仏世に興行してより聖道の諸宗習学するに人なし、 0000_,31,806b27(00):しかれば奏聞を経て善導勧化の念仏の行法を停廃せし 0000_,31,806b28(00):むべし。所詮彼法門の興起は法然房根本なれば大谷の 0000_,31,806b29(00):墳墓を破却し、源空が死骸を取て鴨河に流すべきにさ 0000_,31,806b30(00):だめ奏し申ければ、つゐに勅許を蒙り、同二十二日に 0000_,31,806b31(00):山門の使者大谷に下来て廟堂を破んとす。爾時京都の 0000_,31,806b32(00):守護修理亮平時氏このことを洩聞て、右兵衛尉内藤五郎兵衛 0000_,31,806b33(00):藤原盛政入道法名西仏を差遣す。盛政、子息一人を相具し 0000_,31,806b34(00):てまかりむかつて、縦公家の御許ありといふとも子細 0000_,31,807a01(00):を武家に触申すべきの所に、左右なく是を執行るるの 0000_,31,807a02(00):条もとも狼藉なり、はなはだ自由なり。若制法にかか 0000_,31,807a03(00):はらずば武家の成敗にまかすべきよし頻に禁止すとい 0000_,31,807a04(00):へども山門の使敢て相随ざりければ、盛政入道高声に 0000_,31,807a05(00):喚で云、医王山王も許給へ、念仏守護の四天大王竜神 0000_,31,807a06(00):八部、護法天童に代りたてまつりて弟子西仏魔緣を排 0000_,31,807a07(00):侍らん。これ定て天魔波旬癡侶に託し、偽て山門三千 0000_,31,807a08(00):の使と号して、留難を致なるべし。豈図きや、戦場の 0000_,31,807a09(00):筵をもて往生極楽の門出とし、凶悪の輩をもて臨終知 0000_,31,807a10(00):識の因緣となすべしとは、但汝等各南無阿彌陀仏と唱 0000_,31,807a11(00):よ、一一に寿命を断べし、顕には関東の御家人として 0000_,31,807a12(00):弓箭を擕て狼藉を防、冥には西土の念仏者として師恩 0000_,31,807a13(00):を報じて凶徒を罸すべしと、命を捨てて馳廻ければ、 0000_,31,807a14(00):面を向人なく蛛の子を散がごとく皆悉逃失けり。宇都 0000_,31,807a15(00):宮入道、俄なるに五六百騎を催具して馳参じ、廟堂を 0000_,31,807a16(00):守護したてまつりて哀なるかな、昔は名利の為に関東 0000_,31,807a17(00):の将軍に侍衛し、今は菩提の為に西方の上人を守護す 0000_,31,807b18(00):と云ければ、万人此詞を聞て皆哀を催けり。終に廟墳 0000_,31,807b19(00):を改て嵯峨の二尊院に隠置ぬ。路次の程は守護の兵二 0000_,31,807b20(00):千余騎前後にかこみてわたしたてまつりき。此則極重 0000_,31,807b21(00):悪人の信順の心なきをば逆緣を結ばしめ、来世に導給 0000_,31,807b22(00):はん善巧方便ならん、在世の慈訓、滅後の法流、順逆 0000_,31,807b23(00):の二緣、利益まことに広し、具に記すにあたはず、各 0000_,31,807b24(00):見聞に仕るのみ 0000_,31,807b25(00):上人入滅時、弟子生年四十六歳、数年積功親承浄教了 0000_,31,807b26(00):黑谷源空上人傳 終