0000_,31,815a01(00):正源明義抄 巻第一 0000_,31,815a02(00):第一 時国先祖の事 0000_,31,815a03(00):夫おもんみれば、世を利し機をかがみ益を施すたとへ 0000_,31,815a04(00):をみるに、日月四州の照光を廻したまふににたり。し 0000_,31,815a05(00):かれは須彌のみねの鶏は可見路となく、くらきやみぢ 0000_,31,815a06(00):晴てやうやく道みへぬべしといへり。仏教も又かくの 0000_,31,815a07(00):ごとし。正法千年のときは印土さかりに、像法のはし 0000_,31,815a08(00):め漢土につたへ、おなじき末に本朝にいたる。はじめ 0000_,31,815a09(00):は仁王三十代欽明天王の第四の御子用明天王第三の王 0000_,31,815a10(00):子聖徳太子我朝の仏法開闢したまひしよりこのかた、 0000_,31,815a11(00):仏法流布の国となりて法水あまねくながれて天日月の 0000_,31,815a12(00):三州をうるをす。しかればすなはち如来滅後二千八十 0000_,31,815a13(00):四年人王七十五代崇徳院の御宇にあひあたりて一人の 0000_,31,815a14(00):聖人おはします。法然上人と申したてまつる。粗かの 0000_,31,815a15(00):聖人の由来をかんがへたてまつれば、所生の国は美作 0000_,31,815b16(00):久米の南条稲岳の北の庄の人なり。父は庁官仮名は左 0000_,31,815b17(00):衛門の亟漆間の時国母は秦氏の人なり。抑親父時国の 0000_,31,815b18(00):先祖をたづぬれば右大臣元光より六代の子孫式部大夫 0000_,31,815b19(00):元俊、陽明院にして内の蔵人の頭兼高を殺害せし罪科 0000_,31,815b20(00):によりて美作の国へ配流せらる。爰に当国の庁官神護 0000_,31,815b21(00):の大夫漆間の元国一人の女子を持、かの婿として男子 0000_,31,815b22(00):をまふくる、重国と号す。その子に親国とその嫡子に 0000_,31,815b23(00):時国と名乗て外祖の家督をつぐ。かの時国の先祖は流 0000_,31,815b24(00):人として所帯なしといへとも財宝乏しからず、眷属室 0000_,31,815b25(00):にみちて名字をしらず。しかりといへども歳すでに三 0000_,31,815b26(00):十にあまるまで一人の子なし。あるとき時国の氏の女 0000_,31,815b27(00):にあひかたりていはく、我一人の子なし一期つきての 0000_,31,815b28(00):ち後世をとふてゑさせんものなし、またその跡をつく 0000_,31,815b29(00):べきものたへなんことのかなしさよといいければ、氏 0000_,31,815b30(00):の女みづからもなげき、この事にて候。しからばいか 0000_,31,815b31(00):ならん遊君遊女をもあひ説て男女につけて君達をもま 0000_,31,815b32(00):ふけたまへ、みづから母乳してそだてたてまつらんと 0000_,31,816a01(00):いへば、時国いはく、それはしかりといへどもおなじ 0000_,31,816a02(00):くは汝か腹にまふけてこそ汝と時国と二人のなかに生 0000_,31,816a03(00):見けれといへば、氏の女いはく、さらば昔よりいまに 0000_,31,816a04(00):いたるまで仏神に析ことの叶へばこそ、ものかたりに 0000_,31,816a05(00):も伝らぬ。勝尾の勝如上人横河の恵心の僧都みなこれ 0000_,31,816a06(00):母のいのりにてまふけたまへる鐘愛の子ときけば、わ 0000_,31,816a07(00):れその悲願にもるべきにあらずとて、夫婦こころをひ 0000_,31,816a08(00):とつにして祈請すべきと云云 0000_,31,816a09(00):第二 菩提寺参詣の事 0000_,31,816a10(00):同き国菩提寺といふ山寺あり、かの寺は救世観音の霊 0000_,31,816a11(00):地なり、かの寺にまふでて七日の光陰をむすび信心ふ 0000_,31,816a12(00):たこころなく丹精を抜て祈請申す。利生の媒ち方便の 0000_,31,816a13(00):使化度の導師たるべきしるしにやありけん、七日に満 0000_,31,816a14(00):する夜半に氏の女夢想をかふむる、五更にゆめさめて 0000_,31,816a15(00):時国をおとろかしていはく、自ただしき夢想を蒙りて 0000_,31,816a16(00):はべれ。齢暮年に蘭たる老僧の耆帳のよそほひ朗にあ 0000_,31,816a17(00):らはれ、慈悲を面てにそなへたまへるが、瓔珞の衣を 0000_,31,816b18(00):著し威儀ただしく丹果の脣をひらき加雪のはぐきをあ 0000_,31,816b19(00):らはして告たまはく、汝子を乞これをあたへんとて、 0000_,31,816b20(00):眉間よりおほきなる剃刀をとりいたしこれを飲、子は 0000_,31,816b21(00):きたるべしとのたまへば氏の女ゆめこころに女人の身 0000_,31,816b22(00):の中は垢穢なり。かほどたつとき剃刀をいかでかたま 0000_,31,816b23(00):はらん、そのうへやいばとて利物なり。かつふはおそ 0000_,31,816b24(00):ろしとまふせば、僧重てのたまはく、まことに子の所 0000_,31,816b25(00):望ならばうけてのめと云云。ときにみづから左右なく 0000_,31,816b26(00):口をひらき飲とみれば夢さめおはんぬとかたる。時国 0000_,31,816b27(00):もただいま満月のあきらかなるをいだきとるとみたり。 0000_,31,816b28(00):いづれもいづれも身のために過分におぼへはんべり。その 0000_,31,816b29(00):ゆへは浄飯王の后は七月十五日夜の御夢に金色の天子 0000_,31,816b30(00):白象に乗じて右の脇よりいりたまふと御覧してすなは 0000_,31,816b31(00):ち懐姙したまへり。漢朝の高祖の父朝日をいたくとみ 0000_,31,816b32(00):て漢の高祖をまふけたまへり。なんぢが見ところの夢 0000_,31,816b33(00):まことならばあたにあるべからず。まふけん子は男子 0000_,31,816b34(00):にて長じてのち、決定法師なるべし。おなじくは家を 0000_,31,817a01(00):もつかん、尊長こそしかるべけれども、法師子をもち 0000_,31,817a02(00):て後世をとはれんこそうれしけれ。そのゆへは普通の 0000_,31,817a03(00):剃刀を飲とみたらは世のつねの法師なるべし。これは 0000_,31,817a04(00):おほきなる剃刀をのむとみたれば天下旡雙の高僧にて 0000_,31,817a05(00):あるべしとて、後年のことをよろこびたまふ。妻女こ 0000_,31,817a06(00):れをききて実にも左樣にたつとき高僧にて候べくは、 0000_,31,817a07(00):懐姙誕生の天までみづからにいとまをたびたまへ、祈 0000_,31,817a08(00):誠したてまつらん。時国左右に及ばずいとまをたふ。 0000_,31,817a09(00):ときに氏の女新造の所をしつらひ毎日沐浴し新衣を著 0000_,31,817a10(00):し身に香水をそそぎ十方の諸仏を敬礼してたなこころ 0000_,31,817a11(00):を合てのたまはく、ねがはくは十方の三宝、ことには 0000_,31,817a12(00):菩提寺の大慈大悲大薩埵、予かまことに懐姙誕生あり 0000_,31,817a13(00):て、男子にして成人ののち大高僧となるべくは、阿難 0000_,31,817a14(00):冨楼那のごとく清浄の仏弟子となさせたまへといのり 0000_,31,817a15(00):たまふぞありがたき。かくて精進としをこへ、祈願月 0000_,31,817a16(00):をかさね礼拝日をおくるほどに 0000_,31,817a17(00):第三 御誕生の事 0000_,31,817b18(00):誕生のときにいたる。男女後苑をみるに高長の椋の木 0000_,31,817b19(00):のこすゑに天より白幡二流ふりかかる。幡かしらより 0000_,31,817b20(00):紫雲たちて時国の寝殿にたちおほふ。所従等時国にか 0000_,31,817b21(00):たる、おどろきいで、みればうたがひなし。合掌して 0000_,31,817b22(00):云昔応神天皇御誕生のときは八流の幡ふりくだる。そ 0000_,31,817b23(00):のゆへに八幡大菩薩と号す。これは本朝に八正道のひ 0000_,31,817b24(00):ろまるへきしるしなり。しりぬ我子誕生の天に二流の 0000_,31,817b25(00):幡ふりくだること、いかさまに成人ののち本朝にわた 0000_,31,817b26(00):る一代の仏教をふたつの道となすべき瑞相とて後年の 0000_,31,817b27(00):ことをよろこひたまふ。さるほどに産の紐をひらきた 0000_,31,817b28(00):まふころは崇徳院の御宇長承二年癸丑四月七日午のとき 0000_,31,817b29(00):に誕生あり。所生の子は男子なり、諱をは三徳殿とな 0000_,31,817b30(00):づけたてまつる。父母はまふすにおよばず、所従眷属 0000_,31,817b31(00):みなよろこびあへり。釈尊の御出胎のときは国中に三 0000_,31,817b32(00):十二の瑞相あり、よりて相人まふさく在家におはしま 0000_,31,817b33(00):さは転輪聖王となるべし、出家学道あらば旡上尊とな 0000_,31,817b34(00):るべしと云云。この上人誕生のとき二流のはた雨下る 0000_,31,818a01(00):ことただごとにおはしまさず。又釈尊御出胎は地神第 0000_,31,818a02(00):五鵜鸕草葺不合の尊八十三万六千四十二年癸丑四月八日 0000_,31,818a03(00):の午の時なり。出胎同年にして同月なり。釈尊の御初 0000_,31,818a04(00):言にのたまはく、天上天下唯我独尊三界皆苦我当安足 0000_,31,818a05(00):と云云。本朝には聖徳太子の御初言には二月十五日の 0000_,31,818a06(00):早旦に南旡仏ととなへたまへり。漢朝の智者大師も南 0000_,31,818a07(00):旡仏ととなへたまへり 0000_,31,818a08(00):第四 二歳御初言の事 0000_,31,818a09(00):この上人も二歳とまふす七月十四日に、善導遷化の日 0000_,31,818a10(00):をむかへていはく、南旡三宝ととなへたまへば、これ 0000_,31,818a11(00):三国の奇特を一心にそなへたまへり。襁褓のなかより 0000_,31,818a12(00):竹馬に鞭うつまで、たつて泣さふびたまふ声をいだし 0000_,31,818a13(00):たまはず。そのこころ成人のごとし。ややもすれば 0000_,31,818a14(00):第五 西の壁に向たまふ事 0000_,31,818a15(00):西のかべにむかひて黙然としておはします習あり。天 0000_,31,818a16(00):台大師の雅癡の形相にたかはず。吾従生来坐臥常面向 0000_,31,818a17(00):西心念唯在彌陀。さるほどに翠帳こうけいのうちに貴 0000_,31,818b18(00):み、松風羅月のもとにあをく、桃李万歳の春をむかへ 0000_,31,818b19(00):ては万花をおりてひさのうへにたはふれ、秋帳千年の 0000_,31,818b20(00):まどのまへには明月を詠じて夜をあかしたまふほどに 0000_,31,818b21(00):第六 少弓遊の事 0000_,31,818b22(00):少児すでに七歳になりたまふ。少弓あそびをしたまふ 0000_,31,818b23(00):にも、つねのおさあひものにはすくれたまへり。その 0000_,31,818b24(00):ほかの遊ことごとくあまりにぬきいでたまへり。かく 0000_,31,818b25(00):て少児九歳とまふす 0000_,31,818b26(00):第七 夜討の事 0000_,31,818b27(00):三月十八日の夜、時国の宿所へ賊人五十人斗打入たり。 0000_,31,818b28(00):折節しかるべき勇士どもはみなみな他行して禦べき人 0000_,31,818b29(00):もなし。以下の雑人は逃さりぬ。時国ばかりおきあひ 0000_,31,818b30(00):て小袖端おり太刀をぬきいでむかひて散散にたたかひ 0000_,31,818b31(00):けり。敵は七八人きりてかかる班会かたけきもかなふ 0000_,31,818b32(00):べしともおぼへず。しかれども王莾が術をかまへ祿山 0000_,31,818b33(00):が威をふるひてたたかひければ、さきがけ二人たちま 0000_,31,818b34(00):ちにきりふするほどに、のこりは家のうちをひきしり 0000_,31,819a01(00):ぞく。時国も大少の疵をかうぶりてうたれぬべしとお 0000_,31,819a02(00):ぽへて内へたちかへりてみれば、妻女少児をいだきて 0000_,31,819a03(00):あきれてたちたり。時国いひけるは敵の荒手なをいり 0000_,31,819a04(00):ぬとおほふるなり、少児をいだき紫竹の坪に忍べし、 0000_,31,819a05(00):その外はわれふせがんとて散散にきりてまはる。しか 0000_,31,819a06(00):るところにひとつの奇特あり。この少児四歳とまふす 0000_,31,819a07(00):春、父の時国竹合の弓と萩のわりはさみの小矢をつく 0000_,31,819a08(00):りて少児にあたへていはく、代をおさむるはかりごと 0000_,31,819a09(00):は文武の二道をもてす。武の一道は弓箭なり、うしな 0000_,31,819a10(00):ふことなかれとてあづけられしを、父のことばをみみ 0000_,31,819a11(00):のそこにおさめて、ひるはひめもすにもちあそび、よ 0000_,31,819a12(00):るはよもすがら枕の上をさらざりしが、その夜しも屏 0000_,31,819a13(00):風の破目にさしはさみておきたるをとりてにげけるが 0000_,31,819a14(00):父のかたき射とて竹のなかよりねらひよる。その夜の 0000_,31,819a15(00):大将軍下知してたちたるを射るほどに、あやまたずひ 0000_,31,819a16(00):だりのまなこにたちにけり。少事なれどもいたてにて 0000_,31,819a17(00):引ければ以下のものどもも引にけり。少児母にいいけ 0000_,31,819b18(00):るは、かたきははや引ぬとおほへ候。父の御ありさま 0000_,31,819b19(00):みまひをせさふらはんとて走いりてみれば、父はかた 0000_,31,819b20(00):き五六人打とどめてやがてかたきのうへにふしたり。 0000_,31,819b21(00):父のひたいをおさへて死にたまへるかとなきたまへば 0000_,31,819b22(00):父息のしたよりなんぢをみんとおもふこころをいのち 0000_,31,819b23(00):として、今までいきたるなりとゆふ。さるほどに従類 0000_,31,819b24(00):眷属どもきたり、辺土のものどもあつまりて時国を別 0000_,31,819b25(00):のところへうつして血をとどめて疵をみれば、大事の 0000_,31,819b26(00):きずは八ところ、少事は十ところばかりなり。目もあ 0000_,31,819b27(00):てられぬ事どもなり。ときに少児父にのたまひけるは 0000_,31,819b28(00):かたきはみしりて候。時国いはく我だにしらぬかたき 0000_,31,819b29(00):を汝いかでかしるべき。少児いはくたしかに手をおふ 0000_,31,819b30(00):せて候。これは白河の院の北面に伯耆の権守貞明が子 0000_,31,819b31(00):に明石の源内武者長明等にてさふらふ。父ききてかし 0000_,31,819b32(00):こき童が、われだにしらぬ敵をしりたりけるよといい 0000_,31,819b33(00):て、せめてなんぢが十歳になるまで相してつゆのいの 0000_,31,819b34(00):ちきへなんことよと、なみだをながしたまへば、集い 0000_,31,820a01(00):たりし上下までみななみだをぞながしけり。さるほど 0000_,31,820a02(00):に少児すでにうちていでんとするとき、時国言く、な 0000_,31,820a03(00):んぢは親の敵なればとおもひて長明等をうたば血をも 0000_,31,820a04(00):て血をあらはんがごとし。もとの血はおつともいまの 0000_,31,820a05(00):血はそむべし。時国が長明等にうたれんことこれまた 0000_,31,820a06(00):過去の宿習なり。これを親の敵とてうたば又なんぢが 0000_,31,820a07(00):身にきたらんこと一定なり。されば生死旡窮に輪廻た 0000_,31,820a08(00):ゆることあるべからず。明石をうたんとおもふことゆ 0000_,31,820a09(00):めゆめあるべからずとおほせられしかば、少児父の首 0000_,31,820a10(00):をいだきてなきいたり。ここに時国の舎弟に奈良本の 0000_,31,820a11(00):金吾時貞はせきたりて、いかにととへば少児いまだ御 0000_,31,820a12(00):存命とこたふ。なにとて思立ぞといへば、少児いはく 0000_,31,820a13(00):多門天の吠尸羅城八対威王が旡育城なりとも、父の敵 0000_,31,820a14(00):こもりたりとうけたまはらば、まかりむかひて死ぬべ 0000_,31,820a15(00):くさふらへども、父の御制止さふらふあひだ、力なく 0000_,31,820a16(00):て候なりとてなきいたり。時貞さらばなんぢはきたる 0000_,31,820a17(00):べからず、打立て人人とて二百余騎をあひ具して明石 0000_,31,820b18(00):が舘へ押寄てときをつくれどもおともせず、南庭に煙 0000_,31,820b19(00):ばかりたちたり。その辺のものにことのよしをたづぬ 0000_,31,820b20(00):れば、明石殿は今夜頓死さふらふとてただ今 0000_,31,820b21(00):第八 時国茶毘の事付たり塔婆の事 0000_,31,820b22(00):茶毘せさせたまひさふらふとて、とりあへずみなみな 0000_,31,820b23(00):忍ばせたまひて候とまふす。さて時貞内にいりてみれ 0000_,31,820b24(00):ばいまだ棺に火もわたさず、弓のはずにてたきぎをは 0000_,31,820b25(00):ねのけ棺をやぶり死人をみれば、左の眼に矢目あり。 0000_,31,820b26(00):これにて明石死にけりとて頸をとりて馳かへり、少児 0000_,31,820b27(00):にこれをとらせけり。少児これを父にみせていはく、 0000_,31,820b28(00):さんぬる夜少弓にて射たりしやうをぞ、かたりける。 0000_,31,820b29(00):時国これをみたまひて 0000_,31,820b30(00):おくれてもあるへき物か、しでの山 0000_,31,820b31(00):ひともわれにはさきだちにけり 0000_,31,820b32(00):とて最後に言けるは、我思かけず横死にあひてむなし 0000_,31,820b33(00):くなるなり。今生におもひ置ことはせめて汝が十四五 0000_,31,820b34(00):歳にもなるまでそはずして、ただいまつゆの命消こと 0000_,31,821a01(00):こそかなしけれ。観音よりまふしうけたる一子なれば 0000_,31,821a02(00):時国が後生をは汝をこそたのみたれ、あひかまへて法 0000_,31,821a03(00):師になりて覚匠となり、二親の菩提をたすくべしと言 0000_,31,821a04(00):て、なをなをいひ置べきことはおほけれども、はや近 0000_,31,821a05(00):づくとおぼゆるなり、生死旡常のことはり汝よくしる 0000_,31,821a06(00):べしとて保延七年三月十九日生涯四十三にして朝のつ 0000_,31,821a07(00):ゆときへ給けり。少児父にいだきつき、おなじ道にと 0000_,31,821a08(00):かなしみけり。妻女地にふし天にあふきたまへども、 0000_,31,821a09(00):有為旡常のことはりいまをはじめぬことなれば、ふた 0000_,31,821a10(00):たびかへることなし、あはれなるかな旡常の殺鬼恩愛 0000_,31,821a11(00):のなかをもたちまちに、はなるかなしさよ。悲哉黄泉 0000_,31,821a12(00):のたびいとけなき緑子をもしたがへず八苦火宅のうち 0000_,31,821a13(00):にしのびかたきは別離の炎三界流転のあひだにも流安 0000_,31,821a14(00):きはかなしみのなみだ、桜梅のさかりの華旡常のかぜ 0000_,31,821a15(00):にちりやすく、蘭菊のたへなる形転変のくもにうきか 0000_,31,821a16(00):はる。いかがせんともたへたまへど、甲斐ぞなき、誠 0000_,31,821a17(00):にあはれなりしことどもなり。さてかくてあるべきに 0000_,31,821b18(00):あらざれば菩提寺の学頭観学得業を招請し、引導師と 0000_,31,821b19(00):して暮山の野辺におくりいだし、夕部の嵐にたくへて 0000_,31,821b20(00):東岱の烟となしたまふ。少児母とともにひとつ炎とも 0000_,31,821b21(00):たへたまふぞ理なれ。ただ心肝埋がごとし、風胡胸に 0000_,31,821b22(00):塞、愁歎はらはたをたつ、相思の床のほとりにはある 0000_,31,821b23(00):じなき枕ひとり先立り。合親のむしろのうへにはかさ 0000_,31,821b24(00):ねし衾いたづらに残り、はなやかなりしかうばせはひ 0000_,31,821b25(00):とむらの草にかくれ、わりなかりしすがたは北亡新旧 0000_,31,821b26(00):の塚となりたまひけるこそいたはしけれ。さて三日と 0000_,31,821b27(00):まふすにつづかぬ骨をとり、得業を中陰の引導師とし 0000_,31,821b28(00):て七日日日の念仏誦経おこたらず、妻女少児一族等の 0000_,31,821b29(00):諷誦願文退転なし。歎かなしみけれども、つながざる 0000_,31,821b30(00):月日にて一百箇日にもなりぬれば、五輪塔婆をむかへ 0000_,31,821b31(00):て仏事斜ならず、あはれなりしことどもなり 0000_,31,821b32(00):第九 菩提寺御登山の事 0000_,31,821b33(00):そののち父の遺言をたかへず、少児得業にともなひ菩 0000_,31,821b34(00):提寺に登て学文するに、一字を教れば、十字をしり、 0000_,31,822a01(00):一義をおしふれば多義に通じたまふ。凡九歳より十三 0000_,31,822a02(00):歳まで住山して習学するに和漢の文書にくらからず、 0000_,31,822a03(00):もろもろの経論章疏におひては通をゑたるがごとし。 0000_,31,822a04(00):あるとき得業児にむかひて給ひけるは和御前はあたら 0000_,31,822a05(00):学文の器量なり、田舎にしては深理本書ともはいかに 0000_,31,822a06(00):もこころもとなし、そのゆへははかばかしき明匠なん 0000_,31,822a07(00):ともありがたし、本山にのぼりて学文候へたしとのた 0000_,31,822a08(00):まへば、三徳殿いかさまおほせにしたがひ候へしと領 0000_,31,822a09(00):掌す。得業言く、さらばいさ里にくだりて母義にもい 0000_,31,822a10(00):とまを乞てのぼらんとて児を相具してくだりたり、母 0000_,31,822a11(00):の宿所にいりたまふ。母児おなじく得業に対面してい 0000_,31,822a12(00):わく、このほどは思よらず候なにことの御くだりぞと 0000_,31,822a13(00):といたまひければ 0000_,31,822a14(00):第十 母に御暇請の事 0000_,31,822a15(00):児こたへていはく、自は御いとまをまふして本山にの 0000_,31,822a16(00):ぼりて学文つかまつり候はんためにくたりて候と申す。 0000_,31,822a17(00):そのとき母いはく本山とはいづくそと、得業いはく観 0000_,31,822b18(00):学が本山は南都にてさふらへどもいささか難義の子細 0000_,31,822b19(00):さふらふ。山門は他山なれどもあひしりたるかた候へ 0000_,31,822b20(00):ば、登山せしめばやと存知候と云云。ときに母いはく 0000_,31,822b21(00):それこそしかるべくも候はね、うけたまはれば比叡山 0000_,31,822b22(00):はこれより十日ばかりのみちときく、さればみんとお 0000_,31,822b23(00):もふともたやすくかなふまじ。また児も痛われも痛し 0000_,31,822b24(00):たがひにみみへんこともかたし、使者の往覆も日かず 0000_,31,822b25(00):へて生死のほども期しがたし。時国におくれたてまつ 0000_,31,822b26(00):りても、一日片時もかなふまじともおもはぢりしかど 0000_,31,822b27(00):も、汝を忘形とおもひてこそつれなきいのちもなから 0000_,31,822b28(00):へたれ、これにて得業のしらせたまひたらんほどのこ 0000_,31,822b29(00):とを習とらせたまひたらんに、なんの不足かあるべき 0000_,31,822b30(00):おもひよらぬこととて泣きたまへば、得業も道理にせ 0000_,31,822b31(00):められてものものたまはず。児まふしたまひけるは、 0000_,31,822b32(00):おほせもともさる御ことにてさふらへども、母御前は 0000_,31,822b33(00):五障三従の御身にてわたらせたまふ。われをおしませ 0000_,31,822b34(00):たまふとも老少不定のならひなればおくれさきたつた 0000_,31,823a01(00):めしあり。われむなしくならば母もろともに奈梨にし 0000_,31,823a02(00):つまんことこそ口惜しくおぼへさふらへ。母御前も父 0000_,31,823a03(00):時国にはいつまてもそひたまひさふらはんとこそおほ 0000_,31,823a04(00):しめし候つらめども、はからずおくれまひらせたまひ 0000_,31,823a05(00):て歎たまふ。昔の釈尊は父の大王にはしられたまはで 0000_,31,823a06(00):十九にして御遁世ありて三界の導師となりたまふ。天 0000_,31,823a07(00):台大師は七歳のとき父におくれたまひ、十一歳して母 0000_,31,823a08(00):にいとまをこひ、五千里のみちをゆき明師にあひて大 0000_,31,823a09(00):師の高位にのぼりたまふ。本朝の三河の入道寂照は二 0000_,31,823a10(00):十七にして出家をとげ、三十七にして老母にいとまを 0000_,31,823a11(00):こい、万里の波濤をこへて八祖の長老をきはめ円通大 0000_,31,823a12(00):師といはれ、つゐに古郷へはかへりたまはず。かかる 0000_,31,823a13(00):みちをも仏道修行には老母もゆるしたまひけるとうけ 0000_,31,823a14(00):たまはる。本山はほどちかくさふらへば、御覧せんと 0000_,31,823a15(00):思召候はは一年に一度もくだり候てみまひらせ、みへ 0000_,31,823a16(00):もまひらせ候べし。みづからが学文をととめさせたま 0000_,31,823a17(00):ひ候はば、テ死につかまつり候へしとてなきたまへば、 0000_,31,823b18(00):母も理につまりてものものたまはず、ややありてさて 0000_,31,823b19(00):いつ登たまふべきぞととひたまへば、やがて明日とこ 0000_,31,823b20(00):たへたまふ。近明日日叶まじ。日の吉凶もえらびとも 0000_,31,823b21(00):のものをも出立すべし。児のたまひけるは自在家に候 0000_,31,823b22(00):て公方の出仕なんとも仕候はば、もとも日の善悪をも 0000_,31,823b23(00):ゑらび候はんずれども、今度の登山は随分遁世のここ 0000_,31,823b24(00):ろざしにて候へば、とものものとも山へおくりつけん 0000_,31,823b25(00):程に、二三人にはすぐべからず。かやうのことは思立 0000_,31,823b26(00):こそ吉日にてさふらへとまふされければ、力なくして 0000_,31,823b27(00):よもすから衣をたちぬひ朝にいたれは母児のかみを 0000_,31,823b28(00):手自結、衣を着して児のかみをかきなでて老少不定 0000_,31,823b29(00):の習なればこれやかぎりにてあらんずらんと思て、な 0000_,31,823b30(00):みだぐみたまへば、おつるなみた児の頂にかかり、ひ 0000_,31,823b31(00):たひのうへまでながれけり、児世にうれしげにて、に 0000_,31,823b32(00):こやかに咲たまへり。母これをうらみて汝が名残のお 0000_,31,823b33(00):しさにこれやかぎりにてあらんずらんとおもひてなく 0000_,31,823b34(00):ぞかし。なにごとの咲しくて咲たまふぞと。親は子を 0000_,31,824a01(00):おもへども子は親をおもはずとはこれぞとよとのたま 0000_,31,824a02(00):へば、児いはく極楽に生する徃生人をは彌陀の心水を 0000_,31,824a03(00):いただきにそそぎ、観音は慈悲の衣をきせ勢至はおひ 0000_,31,824a04(00):をさつけたまひ新成の菩薩となづく。これを善導和尚 0000_,31,824a05(00):釈していはく、无辺菩薩為同学性海如来、尽是師彌陀 0000_,31,824a06(00):心水沐心頂、観音勢至与衣被といへり。これを灌頂な 0000_,31,824a07(00):らうとうけたまはる。母御前慈悲の御なみだみづから 0000_,31,824a08(00):が頂にかかり候あひだ、ただいま学文の門出に灌頂つ 0000_,31,824a09(00):かまつるよとよろこばしくてこそ咲さふらへ。なぜか 0000_,31,824a10(00):はみづからも親子のみちにて御名残のおしからては候 0000_,31,824a11(00):べきとて、なみだぐみたまへば、母御前もいとどせき 0000_,31,824a12(00):あへずなきたまふ。さるほどに緣のきはに馬ひきよせ 0000_,31,824a13(00):角免まふすとものものども三人、得業も同宿一人従僧 0000_,31,824a14(00):一人おくり文もたせてあひそへたり。伯父奈良本も一 0000_,31,824a15(00):日路おくらんとてきたれり。児すでにうつていでんと 0000_,31,824a16(00):しければ、母袂をひかへてなくなくのたまひけるは、 0000_,31,824a17(00):登山の後医王善逝をば仏教の父とたのみ、七社権現を 0000_,31,824b18(00):は加護の母とたのみたてまつり、学庠となりて名誉の 0000_,31,824b19(00):ほまれをわれらにきかせたまへ。自か生ての孝養とお 0000_,31,824b20(00):もふべしとのたまへば、児ただいまの仰をふかく存知 0000_,31,824b21(00):つかまつり候はんとて、上下の面面にいとまを乞て門 0000_,31,824b22(00):外にいてたまはんとするとき、母なくなく一首 0000_,31,824b23(00):形見とてはかなき父がとどめおきし 0000_,31,824b24(00):子の別さへ又ぞ悲き 0000_,31,824b25(00):児の返歌 0000_,31,824b26(00):別路のなに歎ますたらちめよ 0000_,31,824b27(00):一蓮の法の道ゆく 0000_,31,824b28(00):と詠じて 0000_,31,824b29(00):第十一御国出の事 0000_,31,824b30(00):近衛の院治世天養二年三月廿一日美作をたち霊仏霊社 0000_,31,824b31(00):に参詣して、ひとへに学文の宿願成就せしめたまへと 0000_,31,824b32(00):祈誠おこたらず。さるほどにいささか日数をへておな 0000_,31,824b33(00):じき晦日に京につく、あくれば卯月一日なり。児出立 0000_,31,824b34(00):のぼらんとす、とものものどもまふしけるは、さすが 0000_,31,825a01(00):山門は目はづかしかるべく候。今日は御かみをもすま 0000_,31,825a02(00):し、行水なんども候はでとまふしければ、児言く、さ 0000_,31,825a03(00):しも母のいま一日もとどめさせたまふにはとどまらで 0000_,31,825a04(00):京に逗留せんことよしなし、万が一もいかならん。不 0000_,31,825a05(00):思議にもあひたらば人のあざけりこれなるべし。行水 0000_,31,825a06(00):したらばなにのせんかあらんとて出立ければ、ともの 0000_,31,825a07(00):ものども、つぶやきつぶやきのぼりけり 0000_,31,825a08(00):第十二 下松月輪殿御対面の事 0000_,31,825a09(00):さるほどにさがり松の辺にて貴人の御出にまひりあひ 0000_,31,825a10(00):たてまつる。見物の人にとへば当御摂録月輪殿とまふ 0000_,31,825a11(00):す。いそぎおりて馬引のけさせ、われも木影にたちよ 0000_,31,825a12(00):りしのびたまふ。殿下児のうしろすがたを御覧じても 0000_,31,825a13(00):のみより尺をさしいだし、少童これへきたれと、まね 0000_,31,825a14(00):きたまふ。児すこしもはばからず、御車のまへにまひ 0000_,31,825a15(00):りたまふ。少童はいづくよりいづくへぞと、とひたま 0000_,31,825a16(00):ふ。児こたへていはく、これは美作の国より学文のた 0000_,31,825a17(00):めに、山門へ登候とこたへたまふ。月輪殿山門の本房 0000_,31,825b18(00):はいづれの房ぞ、師匠はたれぞととひたまへば、児ま 0000_,31,825b19(00):ふしたまはく、西塔北谷功徳院の阿闍梨光円は粟田口 0000_,31,825b20(00):の関白四代の後胤三河の権守重兼嫡男少納言資隆の長 0000_,31,825b21(00):兄隆寛律師の伯父光学法橋の弟子持宝房肥後の阿闍梨 0000_,31,825b22(00):源光房へのぼりさふらふとこたへたまふ。月輪殿すす 0000_,31,825b23(00):しくこそきこへ候へ。少童にはみこむるところあり、 0000_,31,825b24(00):あひかまへて学文こころにいれ、大碩学となりて兼実 0000_,31,825b25(00):が出家の師匠となりたまへと、御約束ありて殿下は御 0000_,31,825b26(00):とをりあり。さるほどに児馬引よせうちのりてのぼり 0000_,31,825b27(00):たまひけるが、とものものどもに言けるは、汝等がい 0000_,31,825b28(00):いつるにつきて今日京に逗留したらば、いかでか一人 0000_,31,825b29(00):の御目にはかかるべき。すでに殿下の御出家の師匠と 0000_,31,825b30(00):ならば一天の君の御師範とならんこと案の内なり。あ 0000_,31,825b31(00):つぱれ学文の門出かなとて、駒をはやめてのぼりたま 0000_,31,825b32(00):ふほどに、すでに本房につきたまふ。折ふし源光はひ 0000_,31,825b33(00):ろ緣にかみそるとをおはしましけり 0000_,31,826a01(00):卷第二 0000_,31,826a02(00):第一 源光御対面の事 0000_,31,826a03(00):折節源光はひろ緣にかみそるとて御はしけるが、門よ 0000_,31,826a04(00):り児を具してきたれり。いそぎ内にいりかみそりはて 0000_,31,826a05(00):て衣きて出合対面して、これは思よりまひらせず。いづ 0000_,31,826a06(00):くよりぞ、もし人たがへにか候らんと云云。同宿の僧 0000_,31,826a07(00):これは美作国南都観学得業当国菩提寺に住山候が御状 0000_,31,826a08(00):さふらふとて、おくり文をささげたり。源光ひらきて 0000_,31,826a09(00):みたまへは玉章久通ぜす、たがひにこころに万里をへ 0000_,31,826a10(00):だてたるがごとし。積憂のいたりによりて拙状をささ 0000_,31,826a11(00):ぐ、貴殿いかん。抑正身の大聖文殊の聖容一躰これを 0000_,31,826a12(00):おくる頓首 三月廿一日 0000_,31,826a13(00):進上源光阿闍梨御房 沙門三会已講観学得業 0000_,31,826a14(00):文をみれば大聖文殊とかきたり。児をみれば日くろみ 0000_,31,826a15(00):にや事もあらぬ児なり。大聖文殊とはいかさま児の器 0000_,31,826a16(00):量を感じたるござんめれ。なにとしてか今夜この児の 0000_,31,826b17(00):器量をみんとてまづさけなんとすすめて、物かたりし 0000_,31,826b18(00):て夜にいりてのち、児をつねのところへ請じいれのた 0000_,31,826b19(00):まひけるは、少童は田舎にてなになにかよみたまへる 0000_,31,826b20(00):と、とひたまへは、児こたへたまはく、いなかのこと 0000_,31,826b21(00):にて候へば、はかばかしくさしたるものも誦せずさふ 0000_,31,826b22(00):らふとこたへたまふ。源光さるにても内典外典の物か 0000_,31,826b23(00):ずをことごとくといたまへば、字声なんどはさこそゆ 0000_,31,826b24(00):かみて候らはめども、御たづねの分はよみわたして候 0000_,31,826b25(00):とこたへたまふ。さては大略のこらずさふらふや、倶 0000_,31,826b26(00):舎論はよみたまへるか、いまだ誦せす候とこたへたま 0000_,31,826b27(00):ふ。源光さらばことの初に六百行の頌をおしへたてま 0000_,31,826b28(00):つらんとて、本書をひき一遍誦してきかせてこれを今 0000_,31,826b29(00):夜の内におぼへて、朝源光にきかせたまへと云云。児 0000_,31,826b30(00):うけたまはり候と領掌しけり。さて源光児をいだきて 0000_,31,826b31(00):臥たり、そののち児またもとはすこのあひだのたびの 0000_,31,826b32(00):つかれといひ、前後もしらず睡眠したり。源光たうと 0000_,31,826b33(00):寝いりたる児をおしおどろかして、夕部よみきかせま 0000_,31,827a01(00):ひらせし倶舎の頌はおぼへたまへるかと児しばらく案 0000_,31,827a02(00):じておともせず。源光さればこそ夕部たた一遍よみき 0000_,31,827a03(00):かせたり。いかなる文殊もならはずしてはかなふまじ。 0000_,31,827a04(00):ましてやがて寝いりたり。五十行百行にてもあらず、 0000_,31,827a05(00):よもおぼへじと思たまふところに、児ややありていは 0000_,31,827a06(00):く、少少おぼへたりと存知さふらふ。本書をひいて御 0000_,31,827a07(00):覧さふらへ誦してきかせ申さんと云云。源光さらばと 0000_,31,827a08(00):てともしびをかかげ本書をひらきみたまへば児もとも 0000_,31,827a09(00):に本書をみるかとすれば、さはなくして本書をもみず、 0000_,31,827a10(00):うちうつぷし初諸一切衆所冥滅抜衆生出生死涅槃敬礼 0000_,31,827a11(00):如是如理師対宝蔵論我当説といふより、おはり超勝五 0000_,31,827a12(00):百応心待迦葉微羅釈三蔵にいたるまで、一字もおとさ 0000_,31,827a13(00):ず六百行をそらにさらりと誦せられたり。源光これを 0000_,31,827a14(00):ききたまひ本よみたりとも六百行を空にかほどたやす 0000_,31,827a15(00):くよむべきか、大聖文殊の化身なり。あつぱれ我山の 0000_,31,827a16(00):本願大師の再誕したまへるやとあやしみ、さらに凡夫 0000_,31,827a17(00):にてはなきものをやと、むねうちさはぎ不思議さのあ 0000_,31,827b18(00):まりに、児をつらつらみたまへば、頂き平にして黒眼 0000_,31,827b19(00):に黄なる光あり。これさらに人間の種子にあらずとお 0000_,31,827b20(00):もひつらね、ものもいはず、さるほどにおくりのもの 0000_,31,827b21(00):どもいでたちてくだらんとす。源光返事を書く、その 0000_,31,827b22(00):状にいはく貴札のおもむき明朝のきりを払ひ、それ貴 0000_,31,827b23(00):方にむかひて拝見せしめ候ひおはりぬ。抑大聖薩埵の 0000_,31,827b24(00):御登寺、もとも一山の法燈叡岳の昌栄なり。貧道浅智 0000_,31,827b25(00):愚案老耄たりといへども、明頭多輩にして習学本望た 0000_,31,827b26(00):るべきか。頓首謹言大阿闍梨源光請文云云。そののち 0000_,31,827b27(00):源光児にむかひてのたまひけるは、源光はこれ一文不 0000_,31,827b28(00):知のものなり。しかるべき明匠の禅房へも立入たまへ 0000_,31,827b29(00):かし。たとひ弟子一分にてましますとも、なにのおも 0000_,31,827b30(00):ひか候べき、この愚癡ははやこれなる少僧に申つけさ 0000_,31,827b31(00):ふらひぬ。旡智の身なればおしへたてまつるべきこと 0000_,31,827b32(00):なし。かやうにては定後悔あるべくさふらふ。児言け 0000_,31,827b33(00):るは、おほせはさる御事にて候へども、ただ不便のお 0000_,31,827b34(00):ほせをかふむりたくさふらふ 0000_,31,828a01(00):第二 出家暇請の事 0000_,31,828a02(00):かくのごとく日夜をおくるほどに、すでに十五歳にな 0000_,31,828a03(00):りたまへば、やうやく出家のこころざし出来あひだ、 0000_,31,828a04(00):房主にいとまを請たまへば、十七まではとてゆるされ 0000_,31,828a05(00):ず。十月十日あまりに同宿十余人めし具して 0000_,31,828a06(00):第三 日吉御参詣の事 0000_,31,828a07(00):日吉の社へ参詣あり。まづ大宮法宿権現に敬白法味を 0000_,31,828a08(00):授たてまつる。抑当社権現はこれかたじけなくも本地 0000_,31,828a09(00):清涼山の月をかくし、妄想顚倒のちりにまじはりたま 0000_,31,828a10(00):ふ。南旡五百久成の如来、和光のかげを海水にやどし 0000_,31,828a11(00):三千世界の能化の主たちまちに自か本懐を加備したま 0000_,31,828a12(00):へど、通夜祈請したまふ。五更にのぞみて四方をみめ 0000_,31,828a13(00):ぐりたまへば、月明明として湖上に珊瑚をしけるかと 0000_,31,828a14(00):うたがひ、七社の社壇は実宝寂光の土かとあやまたる 0000_,31,828a15(00):宝殿いらかをならべたり、摩尼宮殿かとおどろかれ、 0000_,31,828a16(00):巴猿所所に叫ていとどあはれをもよほす、おりにふれ 0000_,31,828a17(00):月あきらかなる躰たらくなり。垂迹和光のくもりなき 0000_,31,828b18(00):ちかひをおもひいたして一首 0000_,31,828b19(00):神代より曇らぬ月の光にて、秋にかはらぬしめの 0000_,31,828b20(00):内哉 0000_,31,828b21(00):註連の内月晴ぬればたひの夜も、秋をそこむる緋 0000_,31,828b22(00):のたまがき 0000_,31,828b23(00):神殿の内より声ありて 0000_,31,828b24(00):よもの山おひへの峯の月影は、つゐには西の雲に 0000_,31,828b25(00):こそいれ 0000_,31,828b26(00):第四 御出家の事 0000_,31,828b27(00):一源光出家暇請、一十五歳出家久安三年二月下旬、一 0000_,31,828b28(00):登檀受戒 善信円明 0000_,31,828b29(00):第五 皇円阿闍梨入御付たり遁世の事 0000_,31,828b30(00):一十六歳のとき初春八日皇円阿闍梨の御房にて円教至 0000_,31,828b31(00):極の奥義を極たまふ。しかふしてのち円明源光のまへ 0000_,31,828b32(00):にひざまつきて遁世の暇を申したまふ。源光承引せら 0000_,31,828b33(00):れず。ほどをへて又こいたまふといへども許容せられ 0000_,31,828b34(00):ず。第三度まで申たまふとき源光のたまはく、抑円明 0000_,31,829a01(00):公ききたまへ人の遁世といふは出流向車とて、五十六 0000_,31,829a02(00):十にもなりてのことなり。又はいかなる愁歎恨なんど 0000_,31,829a03(00):のことの端ありてこそ、かやうのことをばおもひたて 0000_,31,829a04(00):御遍は我山の法燈一山の明玉と人人よろこびあへり。 0000_,31,829a05(00):なんぞ今日このころの遁世とは思留たまへと、大に制 0000_,31,829a06(00):せらる。円明申したまはく、さ候は愚身に三の心候、 0000_,31,829a07(00):これ叶べく候はば遁世は御免をかふむるべく候。とき 0000_,31,829a08(00):に源光これをききて三の心といふは推たり。房舎聖教 0000_,31,829a09(00):所領の事な心みしかき訴詔哉。本よりこの坊は智者の 0000_,31,829a10(00):つくべき坊なり。先立て人に約束したりとも非学匠は 0000_,31,829a11(00):かなふまし、所領は坊につくものなり。聖教は又智者 0000_,31,829a12(00):のものなり、愚者にては旡用なり、いで譲状かかんと 0000_,31,829a13(00):て硯紙をとりよせたまへば、このときになれば同侶 0000_,31,829a14(00):等これ等の事どもと推して、この坊所領聖教等はみ 0000_,31,829a15(00):なみな円明に譲たまはば、三日とものへはやなんどと 0000_,31,829a16(00):密あへり。源光硯をならし筆を点じて、三のこころと 0000_,31,829a17(00):は推したり所存いかん、はやはや言と云云、ときに円 0000_,31,829b18(00):明さ候はばまづ一申すべし。それ、はなはさきはじめ 0000_,31,829b19(00):て七日にかならずちるものにて候か。ちらで四五日の 0000_,31,829b20(00):ころにて候ことならば遁世は思とどまり候べし。さも 0000_,31,829b21(00):候はで、さきたるは残、つぽめるはちり、遅先ならひ 0000_,31,829b22(00):にて候はば御免候へと。源光これをききて存のほかの 0000_,31,829b23(00):訴詔かなと円明のかほほまもりて、ふでをさしおきて 0000_,31,829b24(00):興をさめたまへり。ややありてさていま一はなにこと 0000_,31,829b25(00):ぞ。円明申したまはく、人の歳は二十をわ若者とてき 0000_,31,829b26(00):らはれ候ふ。四十にいたりては老の内に入候。短命と 0000_,31,829b27(00):申し生忘暮年とてたのみなきこころにて候。ただ人の 0000_,31,829b28(00):さかりは三十ほどな年にて候。円明三十のころにて不 0000_,31,829b29(00):老不死にて候へくは、遁世はまかりととまり候はん。 0000_,31,829b30(00):又老少不定前後相違のさかいと、しろしめし候はば、 0000_,31,829b31(00):御免をかふるべく候。今一は四季のなかに春夏冬なく、 0000_,31,829b32(00):ただいつも八月中のこころにてあるべく候はば遁世は 0000_,31,829b33(00):思とどまり候はん。さてはなくて極熱極寒のうれへ、 0000_,31,829b34(00):きをひきたるありさま偏に三悪趣苦にて候。かやうの 0000_,31,830a01(00):条条そのいはれ候はば但御免候へと申さる。源光言語 0000_,31,830a02(00):道断にてものも言はず。暫く有存ずる旨有。先遁世の 0000_,31,830a03(00):こと思とどまりたまへと言いければちからおよばず。 0000_,31,830a04(00):あるとき円明証真宝持房法印のもとに談義にておはし 0000_,31,830a05(00):けるが本房にかへりてみれは風気とて薪火させて後煮 0000_,31,830a06(00):り、少童同宿等に腰うたせ、うしろさすらせなんどし 0000_,31,830a07(00):てひきかつきふしたまへり。円明あらあさましとて枕 0000_,31,830a08(00):ちかく立よりてせなかをさすりながら、弾指したまへ 0000_,31,830a09(00):り。源光あつといひておきたまへり。それにつき同宿 0000_,31,830a10(00):どもこれはなにごとぞとておほきにいかる。源光言ひ 0000_,31,830a11(00):けるは、各各いかなること不思議なり。常住三宝七社 0000_,31,830a12(00):権現も御照覧あれ、円明にむかひてあたをむすぶべか 0000_,31,830a13(00):らずといひて、円明きたれとてよひむかへの玉ひける 0000_,31,830a14(00):は、御辺の所望ただいま成就せさせ申すべし。いまの 0000_,31,830a15(00):御辺のありさまこそ、はぢいりておぼゆる。旡病の身 0000_,31,830a16(00):にだにも頓死はつねのならひなり。まして病床しなが 0000_,31,830a17(00):らいひき、かくほど睡眠したまふか、病は死のはじめ 0000_,31,830b18(00):ぞかし。後世をおそるる人は子にふし、刀におきよと 0000_,31,830b19(00):こそおかれたれ。通夜こそつとめざらめこの白昼にい 0000_,31,830b20(00):びきかきてふしたまふことよ。なにと習ひたまへる仏 0000_,31,830b21(00):法ぞや、ただいま地獄におちんずるこの僧をつたなく 0000_,31,830b22(00):はぢしめて弾指したまふことこそはづかしけれ。遁世 0000_,31,830b23(00):の暇をゆるさぬも旡道心なりと、かたかた思しらせん 0000_,31,830b24(00):とてあてたまひたりと存ずるなり。とくとく御辺に暇 0000_,31,830b25(00):をたてまつらん。遁世したまへ、ただし、日本の閑居を 0000_,31,830b26(00):たづぬるとも西塔黒谷慈現上人叡空の御房にはしかじ 0000_,31,830b27(00):それへまひりたまへ。いま一年もしたしみてつねに対 0000_,31,830b28(00):面をもすべしとて、円明御ゆるしをかふりてやがてと 0000_,31,830b29(00):きをもかへさず、同宿等に暇をこひて左の手にては茶 0000_,31,830b30(00):筒をもち、右の手には茶筅をささげてすでに遁世にい 0000_,31,830b31(00):でたまふ 0000_,31,830b32(00):第六 叡空先祖付たり叡空へ御参の事 0000_,31,830b33(00):抑かの叡空上人とまふすは、大宮摂政殿の御子良忍上 0000_,31,830b34(00):人の御弟子京極の大政大臣高衡の卿の御孫、中の御門 0000_,31,831a01(00):の中納言家成の卿の伯父、小野の宮殿にも伯父なり。 0000_,31,831a02(00):円明十八歳久安六年八月二十六日西塔黒谷慈現上人叡 0000_,31,831a03(00):空の御房にまひりたまへり。おりふし御房には老若と 0000_,31,831a04(00):もに五六十人おはして止観の談義の最中なり。おのお 0000_,31,831a05(00):の円明のまいりたまふをみて申合けるは、これに来る 0000_,31,831a06(00):少僧は当山旡雙の学匠の名をとりたる円明公にて候か 0000_,31,831a07(00):なにさま法門申しにまいり候とおぼへ候と申しあひけ 0000_,31,831a08(00):り。叡空これを御覧じておほせけるは、さてはなし、 0000_,31,831a09(00):これは遁世して来とおぼゆるなり。そのゆへは天台大 0000_,31,831a10(00):師南岳大師へまひりたまひけるとき、茶筅をささげて 0000_,31,831a11(00):まひられたり。その先祖をまなびてきたるとおぼゆる 0000_,31,831a12(00):とぞおほせける。さて円明公御まへの緣にかしこまり 0000_,31,831a13(00):て侍り。叡空問言く、汝はいづれより来ぞと。円明答 0000_,31,831a14(00):申たまはく、定名字をばきこしめされても候らん。宝 0000_,31,831a15(00):持房阿闍梨源光の弟子に円明と申ものにて候が、遁世 0000_,31,831a16(00):のこころざし候によりてまひりて候と申し上ぐ。重て 0000_,31,831a17(00):といたまはく、抑遁世といふは過去の心が遁世して来 0000_,31,831b18(00):るか。現在の心が遁世するか、未来の心が遁世するか。 0000_,31,831b19(00):過去の心が来るといはば過去の心は去てなし。現在の 0000_,31,831b20(00):心が遁世するといはば現在の心は不住なり。もし未来 0000_,31,831b21(00):の心が来るといはば未来の心はいまだ至らざるなり。 0000_,31,831b22(00):仏心即魔界、魔界即仏、心一心為一念遍有法界也とい 0000_,31,831b23(00):へり。いづれの心が遁世して来ぞと云云。円明こたへ 0000_,31,831b24(00):て申たまはく、過去現在未来の心も遁世せず旡始巳来 0000_,31,831b25(00):今世流当来之所在煩悩流転流浪面面者衆生有苦顕罪心 0000_,31,831b26(00):といへる、この文の心にひかれてまひりて候とこたへ 0000_,31,831b27(00):たまふときに、上人なみだをながして言ひけるは、三 0000_,31,831b28(00):塔に学庠おほしといへども、叡空がかやうにとひたら 0000_,31,831b29(00):んに、かくのごとく答べきともがらはおぼへず。御辺 0000_,31,831b30(00):はこの流転滅の法門ははや落居せられたりけり。御 0000_,31,831b31(00):房はなにと名乗たまふぞとおほせければ、善信円明と 0000_,31,831b32(00):申候とこたへたまふ。御辺はこと法然具足の人なり、 0000_,31,831b33(00):今日よりは法然房となづけたまへ。実名をば汝が師匠 0000_,31,831b34(00):の源光の源の字と叡空の空の字とをとりて、源空とな 0000_,31,832a01(00):のりたまへとおほせければ、久安六年八月二十六日叡 0000_,31,832a02(00):空上人にあひたてまつり改名して法然房源空となのり 0000_,31,832a03(00):玉ひける 0000_,31,832a04(00):第七 嵯峨釈迦堂の事 0000_,31,832a05(00):保元二年丁丑三月四日源空御歳二十五歳、叡空上人に 0000_,31,832a06(00):御暇をまふして黒谷の御房をいでたまふ。まづ恩徳報 0000_,31,832a07(00):謝のために嵯峨の釈迦堂に一七日参籠しまします。抑 0000_,31,832a08(00):如来この伽藍にうつりたまひし由来をたづねたてまつ 0000_,31,832a09(00):るに、むかし釈尊の生母摩耶夫人のために、一夏九旬 0000_,31,832a10(00):のあひだ報恩の経をときたまふ。このとき優天大王如 0000_,31,832a11(00):来を恋慕したてまつり、毘首羯磨におほせて赤栴檀を 0000_,31,832a12(00):もて尊像をつくりたてまつる。安居ののち仏忉利天よ 0000_,31,832a13(00):り下。曲女城にいりたまふとき、木像身を生仏に櫌し 0000_,31,832a14(00):たまふに、化導を木像にゆづりて生身の仏をさきにた 0000_,31,832a15(00):て、祇薗精舎にいりたまひてのち、大唐化せんがため 0000_,31,832a16(00):に震且にきたりたまふ。陽州の開元寺の栴檀の像これ 0000_,31,832a17(00):なり。ここに日本東大寺求法の沙門奝然上人天元六年 0000_,31,832b18(00):に官符をたまはり、入唐のときまづ開元寺にいたり、 0000_,31,832b19(00):尊像を拝したてまつり、則ち帝闕に奏して竜顔に謁し 0000_,31,832b20(00):勅免をかうぶりて彼瑞像を移して帰朝せんとほちする 0000_,31,832b21(00):ところに、本仏を渡したてまつるべきよし、栴檀の像 0000_,31,832b22(00):まのあたりに奝然にしめしたまひければ、そのこころ 0000_,31,832b23(00):を得て新仏のいろを本仏にあひにせて取賛たてまつり 0000_,31,832b24(00):帰朝したまふほどに、ひるは仏を荷担したてまつり、 0000_,31,832b25(00):よるは奝然曾塔したまひて寛和二年七月九日に帰朝す 0000_,31,832b26(00):かの寺に安置したてまつる御本尊なり。平等の慈悲た 0000_,31,832b27(00):れにおひてかへだてあらん 0000_,31,832b28(00):第八 興福寺蔵俊対面付たり中河上人対面の事 0000_,31,832b29(00):保元二年三月十二日、南都の興福寺大納言の僧都蔵俊 0000_,31,832b30(00):の御房に、いりたまひ、法相の法門を学したまひ、六 0000_,31,832b31(00):経十一部の論にまなこをさらし、四分三性の法門にた 0000_,31,832b32(00):まをみがきて奥義をきはめたまへり。平治元年巳卯歳 0000_,31,832b33(00):中河の上人にあひたてまつり、真言の秘法を伝受した 0000_,31,832b34(00):まふ。四曼三密の法門をさとりける。 0000_,31,833a01(00):第九 鑒真和尚口伝付たり寛雅華厳相伝の事 0000_,31,833a02(00):永暦元年庚辰初秋第五の天にいたり、勝大寺の鑒真和 0000_,31,833a03(00):尚に伝戒を学したまひけり。三聚十重十無尽等にあき 0000_,31,833a04(00):らけて、応保元年辛己四月に仁和寺の大納言法印寛雅 0000_,31,833a05(00):にあひて華厳宗を学したまふ。漸頓二教の差別を学語 0000_,31,833a06(00):して、三無差別の道理にくらからず。三事円融法界唯 0000_,31,833a07(00):一心のむね、そうじて十玄六相の法門の奥義をきはめ 0000_,31,833a08(00):たまへり 0000_,31,833a09(00):第十 慶賀三輪相伝付たり慶賀問答の事 0000_,31,833a10(00):長観二年甲申初冬にいたりて、慶賀法橋にあひて三論 0000_,31,833a11(00):宗を学したまふ。三乗七方便九法界一仏乗と開会して 0000_,31,833a12(00):誦す。九聖一如の極理理内理外の二門を立、八不中道 0000_,31,833a13(00):証義皆空の観門にくらからず。あるとき慶賀法橋のも 0000_,31,833a14(00):とへ入御ありて、三論の法門を不審せらる。慶賀はき 0000_,31,833a15(00):はめて我性こはき人、源空もまた深戈なれば慶賀もあ 0000_,31,833a16(00):らそひを立おほせらる。三論宗の長者なれば文釈に明 0000_,31,833a17(00):なり。源空も広学多聞の人なれば三日三夜の重難重答 0000_,31,833b18(00):の論義至極なり。しかれどものち慶賀あらそひにおれ 0000_,31,833b19(00):て鍵をみづからとりて法蔵をひらき、櫃をとりいだし 0000_,31,833b20(00):源空のまへにおき、坐具をむねにあて仏陀と称して讓 0000_,31,833b21(00):状をかかれける。その語にいはく、本朝にわたるとこ 0000_,31,833b22(00):ろの三論の法門においてはのこるところなく聖教とも 0000_,31,833b23(00):授ゆづりわたすものなり。永万元年三月日沙門法印慶 0000_,31,833b24(00):賀判、進上法然房とかかれたり。源空まふしたまはく 0000_,31,833b25(00):御讓状はかしこまつりて候へども、進上がきはさかさ 0000_,31,833b26(00):まに存知候へば、いかでかあづかり申べきと申されけ 0000_,31,833b27(00):れば、慶賀いはくその談中中おぼへさふらふ。御房の 0000_,31,833b28(00):智分をききたてまつるに、いまは師匠なりとも、のち 0000_,31,833b29(00):は一定御分の弟子になるべし。進上がきをいたさずん 0000_,31,833b30(00):ば、さだめて片腹いたかるべきあひだ、かくのごとく 0000_,31,833b31(00):かきたるなり。いたみたまふべからず。自今已後は御 0000_,31,833b32(00):房学文のあひだは、参籠に伴一人従僧一人御分ともに 0000_,31,833b33(00):三人の衣漿斎料は、慶賀一期のほどは沙汰すべしとて 0000_,31,833b34(00):かへりて檀越の契約をなしたまへり 0000_,31,834a01(00):第十一 華厳披見少蛇の事 0000_,31,834a02(00):あるとき華厳披覧したまふときはあやしき少蛇きたり 0000_,31,834a03(00):てさふなくさらず、法蓮これにおそれたまふ。上人の 0000_,31,834a04(00):夢のうちにあやしき女の形きたりて示て云く、われは 0000_,31,834a05(00):これ天竺の旡熱池にすむ善女竜王なり。和尚上人の仏 0000_,31,834a06(00):法守護のために、我ひとりの伴をつかはす。おそれた 0000_,31,834a07(00):まふことなかれとしめしおはりて、女の形すなはちか 0000_,31,834a08(00):くれぬ。まぼろしのごとく夢さめおはりぬ 0000_,31,834a09(00):第十二 法華三昧普賢の事 0000_,31,834a10(00):法華三昧のときは正身の普賢、白象に乗じて道場に現 0000_,31,834a11(00):ず。暗夜にとぼしびなきに光明をてらしてひるのごと 0000_,31,834a12(00):し。この菩薩はこれ住位灌頂位の薩埵、入住玄門の大 0000_,31,834a13(00):士なり。その心常寂にして生死をわたす船師なり。た 0000_,31,834a14(00):ちまちに三昧発得したまひ、ますます習学にすすみた 0000_,31,834a15(00):まへり 0000_,31,834a16(00):第十三 真言観門の事 0000_,31,834a17(00):真言観門のときは道場にいりて阿字観を修するに、五 0000_,31,834b18(00):相成身の観行を現ず。大日如来はこれ周遍法界の理自 0000_,31,834b19(00):性清浄の本躰なり。非色非心の理かりに三身満徳のか 0000_,31,834b20(00):たちをしめし、旡言無説の仏、一実真如のむねをとき 0000_,31,834b21(00):たまふ。かくのごとく観念したまふに五輪種子の観に 0000_,31,834b22(00):いりて九相の一身は無常の成ずるところと観じ、益し 0000_,31,834b23(00):て遁世のこころざしにすすみたまへり 0000_,31,834b24(00):第十四 近衛坂経蔵の事 0000_,31,834b25(00):永万元年四月上旬のころ、近衛坂の西黒谷といふとこ 0000_,31,834b26(00):ろにて草庵を結び、独学のこころざしありて隠居した 0000_,31,834b27(00):まひ、一切経を開見したまふこと第三返、そのほかも 0000_,31,834b28(00):ろもろの論蔵、三国相伝の聖教和漢人師の所釈一一に 0000_,31,834b29(00):高覧あり。恵心の僧都の往生要集を御覧じて、これは 0000_,31,834b30(00):源信巳証の法門なりと拝見したまふほどに、いとど心 0000_,31,834b31(00):つき、善導の五部九巻の疏、曇鸞道綽の章疏等委細に 0000_,31,834b32(00):御覧じたまふほどに、第一返のたびに、一代の経論を 0000_,31,834b33(00):聖道門浄土門とふたつのみちとなしわかつべきと御覧 0000_,31,834b34(00):じて、第二返には浄土門におひて専雑の二行あるべし 0000_,31,835a01(00):と御覧じ、第三返には大小乗の肝要は彌陀の本願名号 0000_,31,835a02(00):不思議なるべしと御覧じさだめ、所詮には善導の観経 0000_,31,835a03(00):の疏四巻にいはく一心専念彌陀名号行住坐臥不問節久 0000_,31,835a04(00):近念念不捨者是名正定之業順彼仏願故といへるこの文 0000_,31,835a05(00):のしたより、このたびの出離生死頓証仏果のみち、彌 0000_,31,835a06(00):陀の名号にかぎれりと治定したまひ、習学二十三年独 0000_,31,835a07(00):学十二年の学業をさしをきて、安元元年乙未生年四十 0000_,31,835a08(00):二にしてつゐに浄土門にいり、末代悪世の衆生極重最 0000_,31,835a09(00):下の凢夫の得道は、名号におさまると堅固の信心に住 0000_,31,835a10(00):して、毎日の御所作には但心称名して、一向専修の義 0000_,31,835a11(00):をたてたまふなり 0000_,31,835a12(00):第十五 夢の善導の事 0000_,31,835a13(00):治承四年庚子源空御年四十八、四月七日の夜不思議の 0000_,31,835a14(00):夢相を御覧ず。法然はたかき山の中間にありてみれ 0000_,31,835a15(00):ば、峯より三重の滝をちたり。しもは清水濤濤として 0000_,31,835a16(00):みなぎりながる。その河のはたには大道の通駅あり、 0000_,31,835a17(00):男女おほく往返す。滝の水上には百宝の色鳥とびかけ 0000_,31,835b18(00):る、まなこより光明をはなちて十方を照す、その中間 0000_,31,835b19(00):に、こしよりしもは金色なる僧の容顔微妙にして老年 0000_,31,835b20(00):六十ばかりなり。合掌をむねにあて高声念仏したま 0000_,31,835b21(00):ふ。念仏のこへごとにくちより化仏しきりにいでたま 0000_,31,835b22(00):ふ。源空にむかひてのたまはく、われはこれ大唐の念 0000_,31,835b23(00):仏興行の祖師善導和尚なり。なんぢ正路の化導これ真 0000_,31,835b24(00):実なり、退転すべからず。いまこの高山のいただき 0000_,31,835b25(00):は、これ念仏三昧万行万善の上上のいただきを表する 0000_,31,835b26(00):ところなり。三重の滝は江河のながれ、なんぢが勧化 0000_,31,835b27(00):念仏三昧の法水法滅百歳のときまで利益あるべき瑞相 0000_,31,835b28(00):なり。百宝の色鳥まなこより光明を放ち、汝が頂を照 0000_,31,835b29(00):すは六方恒沙の諸仏の汝を護念したまふいはれなり。 0000_,31,835b30(00):汝、利益衆生増進のなすべきおもひなりと仰せおはり 0000_,31,835b31(00):て源空に十念をさづけたまふ。眉間より光明をはなち 0000_,31,835b32(00):て西方をさしてさりたまふに異香甚だし。源空このよ 0000_,31,835b33(00):そおひをみれば、紫雲日本国にたちおほひてあるをみ 0000_,31,835b34(00):て、夢こころにおもはく、源空が念仏利益は本朝にあ 0000_,31,836a01(00):まねく流布すべき瑞相なりとおもはんとすれば、ゆめ 0000_,31,836a02(00):さめおはんぬ。それよりいよいよ源空は念仏の信心深 0000_,31,836a03(00):くとるなりとおせけり 0000_,31,836a04(00):第十六 桜の池の事 0000_,31,836a05(00):一源光入定桜の池のこと、源空あるとき御弟子等にむ 0000_,31,836a06(00):かひて御物語したまひけるは、このほど源空後悔する 0000_,31,836a07(00):ことあり。そのゆへはこの浄土門をいま七八箇年以前 0000_,31,836a08(00):に、みいだしたらばわが本師肥後の阿闍梨をばよも虵 0000_,31,836a09(00):道にはおとしたてまつらじと、かなしむなりとおほせ 0000_,31,836a10(00):けり。ときに御弟子等まふさく、なにとて、虵身をば 0000_,31,836a11(00):うけさせたまひさふらひけるやらんと問まふしければ 0000_,31,836a12(00):源空なみだをうかめてかたりたまひけるは、おのおの 0000_,31,836a13(00):ききたまへ、師匠源光は慈覚の譜弟、慈恵の御弟子恵 0000_,31,836a14(00):心にも弟子光円にも弟子なり。光学法印の写瓶、持宝 0000_,31,836a15(00):房阿闍梨源光とて四明天台椙生の流におひてやんごと 0000_,31,836a16(00):なき明匠ぞかし。一流の長者たり。かかる碩徳も諸宗 0000_,31,836a17(00):の習学うすくやおはしけん。またはいかなる異楽にや 0000_,31,836b18(00):住したまひけるにやこのたびの修行にては成仏不定と 0000_,31,836b19(00):落居してやおはしけるやらん。人は生をあらたむれば 0000_,31,836b20(00):隔生則忘とて修行するところをわするとて、生をあら 0000_,31,836b21(00):たまめずして慈尊の出世にあひ奉り、悟をひらかんと 0000_,31,836b22(00):おもはば長命の術は虵身にてこそあれ。いづくの国に 0000_,31,836b23(00):かしかるべき池あらんとて、弟子等を諸国につかはし 0000_,31,836b24(00):てみせしめたまへども、いづくの国にもさりつべき池 0000_,31,836b25(00):さふらはずとてみなみなかへりのぼる。ここに東海道 0000_,31,836b26(00):の使者但馬の註記澄算といふ少僧かへりのぼりてまふ 0000_,31,836b27(00):さく、遠江国笠原の庄に桜の池とて候。南は〓海万里 0000_,31,836b28(00):なり、化は山木ままにあり、海をあひさることとをか 0000_,31,836b29(00):らず。興有池にてさふらふとまふす。源光これをき 0000_,31,836b30(00):き、その領主をばたれとかいひけると言ば、徳大寺殿 0000_,31,836b31(00):の所領とまふす。さては源光が檀越なり、よもおしみ 0000_,31,836b32(00):たまはじ、されども所存ありとて沙金百両あたへ永代 0000_,31,836b33(00):のはなち文をとりて嘉応元年六月十三日の夜半にたな 0000_,31,836b34(00):ごころに水を乞て件の池に入定しおはんぬ。智恵ある 0000_,31,837a01(00):がゆへに生死のいでがたきことをしる。道心のゆへに 0000_,31,837a02(00):仏の出世をねがふ。浄土の法門をしらざるゆへにかく 0000_,31,837a03(00):のごとく異楽に著したまへり。源空師匠の存日にこの 0000_,31,837a04(00):宗をみいだしたらば、などかまふさざるべき。さもあ 0000_,31,837a05(00):らばなどか往生の益をさづけたてまつらざるべき。口 0000_,31,837a06(00):をしくおもふなりとて、御落涙あり。ときに御弟子等 0000_,31,837a07(00):まふさく、正道門の諸宗に依生死をはなるるみちはさ 0000_,31,837a08(00):ふらはぬやらんと、源空のたまはく、一代諸教まちま 0000_,31,837a09(00):ちに、みな殊勝なり。はじめ華厳の事理円融法界唯一 0000_,31,837a10(00):心の観、阿含の四諦緣生観方等の弾呵褒貶観、般若の 0000_,31,837a11(00):尽浄虚融の観行、法華涅槃の唯有一乗醍醐捃拾の妙 0000_,31,837a12(00):薬、顕密大小権実みなみなその益はなはだし。かくの 0000_,31,837a13(00):ごとく深理の法門は習学するといへども、これをきは 0000_,31,837a14(00):め行じとつくるものかたきなり。されば源空はいづれ 0000_,31,837a15(00):もいづれも大略修行したれども末世におよび濁世になりぬ 0000_,31,837a16(00):れば、機分おとろへて得道ありがたければ、時機相応 0000_,31,837a17(00):して念仏の法に治定して、ひとへに彌陀の誓約をたの 0000_,31,837b18(00):みたてまつるなりとぞおほせける。そののちしかるべ 0000_,31,837b19(00):き御弟子等を四五人召具して、遠江の国桜の池へ御く 0000_,31,837b20(00):だりあり。池はすみてちりもなく、くさもしげらず、 0000_,31,837b21(00):佐佐浪のみたてり。聖人おのおの阿彌陀経を四五巻、 0000_,31,837b22(00):御念仏数百返ありければ、あさましき作法にてうろく 0000_,31,837b23(00):づをおいて、角をいただき、みづのうへにうかんでみ 0000_,31,837b24(00):へたまふ。源空御なみだをうかめねがはくは、まこと 0000_,31,837b25(00):の源光にておはしまさば、本身に伏して現ぜさせたま 0000_,31,837b26(00):へ。かくのごとく御異楽に住させたまひけんこと、愚 0000_,31,837b27(00):案のはなはだしきなりと、御引導ありければ、みづの 0000_,31,837b28(00):そこにしづんでのち、行法の躰を現じてまたうかみい 0000_,31,837b29(00):でたまへり。不思議なりしことどもなり 0000_,31,837b30(00):卷第三 0000_,31,837b31(00):第一 叡空御問答の事 0000_,31,837b32(00):治承二年十月上旬に源空黒谷へ御参あり。叡空御対面 0000_,31,837b33(00):あり、いかにと仰せける、源空ほどひさしく存じ候間 0000_,31,838a01(00):御目にかからんために参てさふらふとまふさる。叡空 0000_,31,838a02(00):のたまはく御辺誠か、この近年は念仏の諸宗に超過た 0000_,31,838a03(00):りとたてたまひてみづからも専ら念仏になり、人に道 0000_,31,838a04(00):心をすすめても念仏をもて生死をはなれよ、これにす 0000_,31,838a05(00):ぎたる法なしとまふさるると云云源空こたへてまふさ 0000_,31,838a06(00):く、左候、このたびの出離はひとへに念仏をもて決定 0000_,31,838a07(00):の業とおもひ定て候ヘベ、自行にも化他にも称名念仏 0000_,31,838a08(00):をつかまつり候とまふし給ふ。その時叡空いはく、先 0000_,31,838a09(00):祖上人達も観仏三昧殊勝の道理をこそ立られしかとて 0000_,31,838a10(00):聖道修行の甚深のやうをおほせらる。源空は念仏の諸 0000_,31,838a11(00):教にすぐれたるやうを立たまふ。たがいに広学にて数 0000_,31,838a12(00):尅文釈をふるひて御問答あり。源空いはく機法あいか 0000_,31,838a13(00):なはば得道決定なり、時機にあひそむかば凢夫所入か 0000_,31,838a14(00):たかるべし。造悪の愚人等観仏三昧等の深理の法をの 0000_,31,838a15(00):ぞまんや。彌陀の願力によらずんば出離不定と存候。 0000_,31,838a16(00):叡空凢夫として聖大にならんといふは一向小乗なり、 0000_,31,838a17(00):生死をはなるべからず。一切善悪都莫思量なるうへ 0000_,31,838b18(00):は、諸法を一仏乗と開会するに、なにものかもれんや 0000_,31,838b19(00):とて、おほきに笑ひたまふ。源空まふしたまはく、仰 0000_,31,838b20(00):せはただ諸法のはたはりをこそ仰せさふらへ、それは 0000_,31,838b21(00):こと新しくおぼへさふらふ。八宗九宗の法門はいづれ 0000_,31,838b22(00):も勝劣なくさふらふ、教のごとく修せばその証をあら 0000_,31,838b23(00):はさんこと掌をかへさんがごとし。その段もとより不 0000_,31,838b24(00):審候はず。機法相応して凢惑ひとしく得道せんかたを 0000_,31,838b25(00):ばかなふまじくさふらふや。文証をもてまふしあげ候 0000_,31,838b26(00):はんなり。叡空結句はらをたてたまひて、御辺はたれ 0000_,31,838b27(00):にあひてならふところの法門ぞ、さすがに叡空が智分 0000_,31,838b28(00):はものにたとへば大海のごとし、なんぢ学匠とおもふ 0000_,31,838b29(00):とも叡空がしたぞかし、叡空にむかひてかかる事をま 0000_,31,838b30(00):ふすとてせめたまふ。源空のたまはく、これは法門に 0000_,31,838b31(00):てはさふらはで一向諍論にてこそ候へ、あはれしかる 0000_,31,838b32(00):べき判者だにさふらはば落居すべくさふらふものをや 0000_,31,838b33(00):と、まふされければ、叡空腹を居えかねて、念仏すぐ 0000_,31,838b34(00):れたらば御房ひとりまふせ。そこまかり立てとて、お 0000_,31,839a01(00):んそばなる枕をとりて、投打にせさせたまふ。そのと 0000_,31,839a02(00):きになれば御前なる同侶達まふされけるはかほどおほ 0000_,31,839a03(00):せ候に、まづたたせたまへかしといひければ、源空力 0000_,31,839a04(00):なく立たまふとて、聖教をば御料簡さふらはでとまふ 0000_,31,839a05(00):さる。いとど叡空はらをたて医王山王も御照覧あれ、 0000_,31,839a06(00):自今巳後師弟の義あるべからずとて、緣まておふて出 0000_,31,839a07(00):たまひ、足駄をとりて追さまにうちたまへば、左の耳 0000_,31,839a08(00):のうへにあたりて、あけに血ながれて迯たまひけり。 0000_,31,839a09(00):ときに同宿等大略ここちよきことにそおもひあひけ 0000_,31,839a10(00):る。人ことに勝たるをば猜、劣るをば卑むならひにて 0000_,31,839a11(00):このほどあまりに学匠めきてありつるが、はやうせぬ 0000_,31,839a12(00):聖人御誓状ありて御打擲あるうへは、よも左右なく御 0000_,31,839a13(00):免あらじとて、みなみなこと切ぬとぞささやき相ける 0000_,31,839a14(00):第二 叡空御往生の事 0000_,31,839a15(00):おなじき三年二月に叡空御病床したまう。源空このよ 0000_,31,839a16(00):しをつたへききたまひて登山して、しのびて御房にま 0000_,31,839a17(00):ひりたまう。学秀僧都をよび出し言ひけるは御違例の 0000_,31,839b18(00):よしうけたまはり候あひだ、御老躰の御ことにて候へ 0000_,31,839b19(00):ば、いかがと存さふらふて登山つかまつりて候とまう 0000_,31,839b20(00):す。ときに学秀僧都よろこびていはく、上人は三百余 0000_,31,839b21(00):人の弟子どものなかに、法然房はまことの大学匠な 0000_,31,839b22(00):り。叡空があてたるをばよも本意にはおもはじ。され 0000_,31,839b23(00):ば偏念あらじとぞおほせ候ひしが、〓しくも御登山 0000_,31,839b24(00):候、しばらく忍て御座さふらへ、なにごとも申しあは 0000_,31,839b25(00):すべしとて、傍の障子のまにおきたてまつる。さて学 0000_,31,839b26(00):秀僧都枕もとへまひる。叡空御目をひらき、あの燈か 0000_,31,839b27(00):きたてよとおほせありて、おのおのにむかひてのたま 0000_,31,839b28(00):ひけるは、人おほしといへども法然房は心あるものな 0000_,31,839b29(00):り。叡空は明日辰の一天には臨終すべきなり。法然房 0000_,31,839b30(00):はいかでかしるべきとおほせければ、学秀僧都まふさ 0000_,31,839b31(00):く法然房は内典外典に通じたる学匠道心者にてさふら 0000_,31,839b32(00):へば、これにてまてさせたまひて候ひしことをば、す 0000_,31,839b33(00):こしも意根不審にはよもこころにはさみさふらはじ。 0000_,31,839b34(00):うけたまはり候ほどならは、登山つかまつりてよそな 0000_,31,840a01(00):がらも承はらぬことは候はじ。また御病床のこと当山 0000_,31,840a02(00):は申すにをよばず、洛中まで披露候へば、これにさふ 0000_,31,840a03(00):らひしときの御誓文におそれて近房にも候らんと申す 0000_,31,840a04(00):聖人あはれきたれかし、なにごともいひふくめんとぞ 0000_,31,840a05(00):仰せける。しばらくありて学秀僧都おりふし法然房こ 0000_,31,840a06(00):そ参てさふらへとまふされければ、叡空これへと仰あ 0000_,31,840a07(00):り、源空御前に畏る。叡空のたまひけるは、うれしく 0000_,31,840a08(00):も来りたまひたりいつぞやのことに誓状して打擲せし 0000_,31,840a09(00):かば無念におもひたまひて、よも登山あらじとぞんじ 0000_,31,840a10(00):つるに、只今来臨よろこび入はんべれ。一期の対面こ 0000_,31,840a11(00):れもかぎりなるべしとて、叡空書記せんとて、御心底 0000_,31,840a12(00):ともくれぐれ御物語ありて硯と紙を召よせて、自筆に 0000_,31,840a13(00):ものをあそばす。当座の人人いまなにをあそばすやら 0000_,31,840a14(00):んとおひあへり。これは聖教の讓状なり、その状にい 0000_,31,840a15(00):はく譲渡聖教の事、比叡山西塔黒谷の経蔵におくとこ 0000_,31,840a16(00):ろの五千余巻の経論、北白河中山の経蔵におくところ 0000_,31,840a17(00):の三千余巻の聖教のこるところなく譲あたふるなり仍 0000_,31,840b18(00):状如件 0000_,31,840b19(00):治承三年巳亥二月日 叡空判 0000_,31,840b20(00):法然房とかきたり。その時になれば日比法然房こさか 0000_,31,840b21(00):しぶりして、念仏の法門とて無相伝のことを見出て上 0000_,31,840b22(00):人に頭はられまひらせ、坐敷追立られまひらするのみ 0000_,31,840b23(00):にあらず、永御不審蒙とそねみつる同侶たち児達、い 0000_,31,840b24(00):ま御譲状をたまはられければ、みなロをとぢ智者と智 0000_,31,840b25(00):者との論談は子細ありけりと、ささやきあひて偏執を 0000_,31,840b26(00):失ひけり。中にも浄憲法印は師のつへの弟子にあたる 0000_,31,840b27(00):は法門の印形といへり、面目なりと感じたまへり。叡 0000_,31,840b28(00):空御急病と披露ありければ、諸方より檀越御弟子等来 0000_,31,840b29(00):集せらる、およそ四五百人もありけん。さて叡空上人 0000_,31,840b30(00):その夜もあければ本尊にむかひ威儀例のごとくして即 0000_,31,840b31(00):悟三昧に住してつゐにおはりぬ。御弟子以下諸人涕泣 0000_,31,840b32(00):したまふことなのめならず。阿難尊者の恒河のほとり 0000_,31,840b33(00):にして、四十余年の化儀につきて三昧定にいりたまふ 0000_,31,840b34(00):がこどし。ときの哀傷師弟のなごりどもつくしがたき 0000_,31,841a01(00):ことどもなり。されどもかくてあるべきことならね 0000_,31,841a02(00):ば、御棺をしつらひ入棺したてまつる。両三日をへて 0000_,31,841a03(00):すでに茶毘したてまつらんとするとき、叡空御棺のな 0000_,31,841a04(00):かよりこの棺の蓋をひらけと仰せいださる。各おどろ 0000_,31,841a05(00):きさはぎあはて、空信学秀御棺をひらきければ棺の中 0000_,31,841a06(00):よりみづからおきたまひ、御手をひかれていでさせた 0000_,31,841a07(00):まひ源空にむかひ、坐具をのべ三礼をなし、源空本地 0000_,31,841a08(00):身帰命大勢至化度衆生故於娑婆出現と三度となへたま 0000_,31,841a09(00):ひてのち、御座になをり諸人にむかひ、泪をながしの 0000_,31,841a10(00):たまひけるは、法然房を琰魔王官に御沙汰ありつるを 0000_,31,841a11(00):ききて、今こそ存じたれ、われ未定してありつるとこ 0000_,31,841a12(00):ろに、琰魔大王来現して大日本国の源空の本師叡空に 0000_,31,841a13(00):拝せさせんとて、誦していはく、源空本地身大勢至菩 0000_,31,841a14(00):薩衆生為利益度度出現故と誦してさりにき。かかる薩 0000_,31,841a15(00):埵の化身を打擲しつる罪障を、懺悔せんがために、又 0000_,31,841a16(00):蘇生するなりとて硯と紙をめしよせて、譲状を別紙に 0000_,31,841a17(00):かきて四明天台の沙門叡空判進上法然上人とかきなを 0000_,31,841b18(00):して法然房にたてまつりたまふ。さて叡空は源空にむ 0000_,31,841b19(00):かひ十念相続して往生をとげたまひけり。さきには三 0000_,31,841b20(00):昧相承して即悟三昧に住して終たまひけり。今度は念 0000_,31,841b21(00):仏三昧に治定して禅定にいるがごとく御息たへさせた 0000_,31,841b22(00):まひけり。観仏念仏の両益をあらはし、二度の徃生を 0000_,31,841b23(00):とげさせたまひけるこそたふとけれ 0000_,31,841b24(00):第三 南都勧進の事 0000_,31,841b25(00):治承四年十一月に法皇より御勑使あり。本三位中将重 0000_,31,841b26(00):衡の卿、南都炎上のこと御勧進あるべきよし勑定をく 0000_,31,841b27(00):ださる。その宣にいはく南都の仏法滅亡の条朕が愁歎 0000_,31,841b28(00):におぼしめす。聖人いかでか同心せられざらんや。賊 0000_,31,841b29(00):徒等七大寺をほろぼすといへども、余をはしばらくお 0000_,31,841b30(00):く。東大寺はこれ先皇の御願なり。十六丈の盧蹠那仏 0000_,31,841b31(00):一時に破滅す。御身量震襟としておきどころなくおぼ 0000_,31,841b32(00):しめす。はやく上人鋳仕を加へられ、よろしく仏閣を 0000_,31,841b33(00):建立し仏像を安置ぜられば朕が喜悦のところなり、ま 0000_,31,841b34(00):づ奉加したてまつるとなり。勑使蔵人信国上人の御房 0000_,31,842a01(00):にまいり宣のおもむきまふしたり。上人宣のおもむき 0000_,31,842a02(00):を聞しめして、御勑答には御宣かたじけなく仰下さる 0000_,31,842a03(00):といへども、源空山門の交衆をのがれ遁世隠居の身に 0000_,31,842a04(00):まかりなり、ひとへに後生の勤行ちちに及びさふら 0000_,31,842a05(00):ふ。つぎに年齢つつまりきたりて造営その期をわきま 0000_,31,842a06(00):へずさふらふ。就中に山林籠居の身にかかる大勧進そ 0000_,31,842a07(00):のはばかりはなはだしく候。自余貴禅房へ仰せくださ 0000_,31,842a08(00):れ候べしと云云。法皇上人の御答をきこしめしおし返 0000_,31,842a09(00):して仰くだされけるは、弟子分のなかにしかるべき器 0000_,31,842a10(00):量のともがらあらばさしまふされよとなり。上人申さ 0000_,31,842a11(00):く、もし俊乗房澄源とまふすものがおもひかかりさふ 0000_,31,842a12(00):らはんかと、時にすなはち御勑使をめさる、やがて参 0000_,31,842a13(00):内つかまつる、南都勧進のよし仰くださる、澄源御奉 0000_,31,842a14(00):加をたまはりて左右なく領掌つかまつるあひだ、後白 0000_,31,842a15(00):河の院の御奉加にいはく奉加せしむる仏閣造営をなす 0000_,31,842a16(00):べきこと、みぎ奉加にいたりては、東大寺仏殿金堂講 0000_,31,842a17(00):堂戒壇院来迎堂鐘楼経蔵仏閣寺聖殿寺鎮守拝殿湯屋大 0000_,31,842b18(00):透牆凢目録かくのごとく造営のあひだ、防州をもて私 0000_,31,842b19(00):領として造功をなすべきたくみの大工侍従大納言種安 0000_,31,842b20(00):に補す、よろしく諸人助力すべし、奉行左少弁行隆に 0000_,31,842b21(00):下知をくはう仍執達如件 0000_,31,842b22(00):養和元年壬丑四月日 0000_,31,842b23(00):参議弾正少弼藤原朝臣 泰定 0000_,31,842b24(00):俊乗房にたてまつる。御奉加の目録奉行大工一紙にの 0000_,31,842b25(00):せたり。澄源これをたまはりて上人見参にいれまひら 0000_,31,842b26(00):する奉加のおもむきを御覧じて仰けるは、あつぱれわ 0000_,31,842b27(00):僧は権者かな。これほどの大勧進をうけとるとぞおほ 0000_,31,842b28(00):せける 0000_,31,842b29(00):第四 澄源大神宮参詣の事 0000_,31,842b30(00):そののち澄源はまづ伊勢大神宮に三七日こもりたまひ 0000_,31,842b31(00):て、抑抑天照大神は天神七代本地過去の七仏なり。 0000_,31,842b32(00):地神五代は五智の如来なり、かの第一の御弟子仁王の 0000_,31,842b33(00):はじめとして、みもすそ河の流きよくして、衆生の願 0000_,31,842b34(00):を成就したまへり。これ私の名利にあらず、ひとへに 0000_,31,843a01(00):伽藍草創のためなり。たちまちに成就円満せしめたま 0000_,31,843a02(00):へとかきくどき、祈請したまへば、すなはち御夢相あ 0000_,31,843a03(00):り、唐〓束の童子方寸の玉をあたへたまふとみて夢さ 0000_,31,843a04(00):めぬ。うつつに見たまへは厳重殊勝の玉袖のうえに現 0000_,31,843a05(00):ず。澄源あまりのたふとさになみだともにかの玉をく 0000_,31,843a06(00):びにかけ、勘進するに綾罹錦繡銭貨米糓金銀銅鉄絹布 0000_,31,843a07(00):綿馬のたぐひ、こころにまかせて出来すること本朝に 0000_,31,843a08(00):かぎらず、ふくかぜに草木の靡くがごとし 0000_,31,843a09(00):第五 月輪殿御出家 付たり上西門院御請の事同小虵天上の事 0000_,31,843a10(00):寿永元年三月に月輪殿へ上人を召請まふして御出家 0000_,31,843a11(00):あり。法名は円照、同元年七月上旬に上人を上西門院 0000_,31,843a12(00):御請におもむきて御説戒あり、沙彌戒具足戒少律儀戒 0000_,31,843a13(00):等の七日の御説法あり。女院を始たてまつりて感涙を 0000_,31,843a14(00):ながしたまへり。初七日より少蛇唐垣のうへにのぼり 0000_,31,843a15(00):て七日さらず、侍る人人不思議に思けり、もし御説戒 0000_,31,843a16(00):を聴聞するかとうたがひたまへり。七日談ぜられ廻向 0000_,31,843a17(00):結願ありければ、少蛇唐垣の上よりすべりおち死にお 0000_,31,843b18(00):はりぬ。かの口より十二三ばかりなる童子唐〓束して 0000_,31,843b19(00):了角ゆいて天をさしてのぼると、女院月輪殿は御覧 0000_,31,843b20(00):ず。已下の人人の目には蝶いでて天をさしてのぼると 0000_,31,843b21(00):みる。みるところは不同なれども蛇業をまぬがれて天 0000_,31,843b22(00):上しけりと喜びたまへり 0000_,31,843b23(00):第六 顕真籠居付たり大原問答の事 0000_,31,843b24(00):ここに天台の座主権大僧正顕真とまふす碩徳おはしま 0000_,31,843b25(00):す。未だ大僧都にておはします、ときに承安三年生年 0000_,31,843b26(00):四十三にして、官職を辞して大原に籠居して、とし久 0000_,31,843b27(00):しく春秋をおくりたまへり。寿永二年に日吉の御幸の 0000_,31,843b28(00):とき座主明雲の賞を法印にゆづり、助せらるるといへ 0000_,31,843b29(00):どもかたく本門をとぢてあへて事にしたがひたまは 0000_,31,843b30(00):ず、生死のいでがたきことをのみなげきたまふ。その 0000_,31,843b31(00):のち衆徒きよし申すによりて文治六年三月七日に天台 0000_,31,843b32(00):座主に補らるるといへども、うけがふ気色なかりしか 0000_,31,843b33(00):ば、勅使大原にむかひ宣命をくださるる。座主職をさ 0000_,31,843b34(00):づけられついに召出され同き五月廿四日に最勝講の証 0000_,31,844a01(00):義をつとめ、おなじき廿八日大僧正に任ず。しかりと 0000_,31,844a02(00):いへども動すれば隠遁のおもひふかくして、つねに永 0000_,31,844a03(00):弁法印と出離解脱のことをのみ談ぜられけり。かの座 0000_,31,844a04(00):主大原に隠居のころ三位禅師をもて御使あり。まこと 0000_,31,844a05(00):にや念仏往生勧進のよし承り及び候、そのうへそうじ 0000_,31,844a06(00):て諸宗の所談候なり、顕真このたびなにをもてか生死 0000_,31,844a07(00):をはなるべきと云云。上人御返事には、うらうらと南 0000_,31,844a08(00):無阿彌陀仏とまふしてこそ生死をばいづべく候ふと 0000_,31,844a09(00):云云御使かへりてこのよしを申、座主のたまはく、法 0000_,31,844a10(00):然房は道心堅固のものとききたればいささか偏執のも 0000_,31,844a11(00):のにてありけり、さすがに顕真なんどを在家無智の尼 0000_,31,844a12(00):入道に同じて念仏まふせといふ、まことをば知ざるが 0000_,31,844a13(00):念仏勧進の由承さふうふと、いひ送りたること偏執し 0000_,31,844a14(00):てかやうに愚痴のものに順じて返事したるこざんなれ 0000_,31,844a15(00):と。ある兇害のものありて上人に申しけるは、これよ 0000_,31,844a16(00):り仰られたる御返事を座主きこしめし、かやうに仰せ 0000_,31,844a17(00):られ候とまふす。上人の仰には、それは顕真の御不審 0000_,31,844b18(00):あるが道理、そのしなこそ上臈にておはしますとも、 0000_,31,844b19(00):いかでか浄土の法門なんどをば、たやすくしろしめす 0000_,31,844b20(00):べきの一流の長者たりといふとも諸流に達することは 0000_,31,844b21(00):たやすくなきことなり。一切はしらざることは不審を 0000_,31,844b22(00):たつることぞとよ。ときにまた件の人僧正の御もとへ 0000_,31,844b23(00):まいりて、法然はかやうにおほせさふらふと申す。顕 0000_,31,844b24(00):真これをきこしめして、いまこそききなをしたれ、な 0000_,31,844b25(00):にごとも知ざることは不審なるものぞといふは、愚癡 0000_,31,844b26(00):なれば不審なこさんめれ。法然房ならではだれか顕真 0000_,31,844b27(00):をかやうにいふべき、いざはじめて浄土の法門みんと 0000_,31,844b28(00):て、なを大原に隠居して浄土の三部経天親竜樹の論 0000_,31,844b29(00):文、善導の五部九巻の疏、それのみならず五祖の釈論 0000_,31,844b30(00):章疏等明鏡に御覚じて義理を案じたまふこと両年をへ 0000_,31,844b31(00):て、弟子等にむかひてのたまひけるは、顕真このあひ 0000_,31,844b32(00):だ浄土の法門みおぼへたり。それにつきて不審おほし 0000_,31,844b33(00):今度の不審こそ法然房と談ぜずはあるべからず。法然 0000_,31,844b34(00):房を召請して不審をあきらめばやとのたまひければ、 0000_,31,845a01(00):各申されけるは、出離大事の御法門、聖道浄土、折角 0000_,31,845a02(00):をばいかでか御一人してはきこしめすべき。この辺の 0000_,31,845a03(00):碩徳達学匠どもをめして、きこしめされて不審なんど 0000_,31,845a04(00):をもたておほせられ候へとまふす。なにともおのおの 0000_,31,845a05(00):はからへとおほせければ、相摸の阿闍梨に廻文をかき 0000_,31,845a06(00):てもたせてめぐらす。廻文につけて大原の竜禅寺に集 0000_,31,845a07(00):会する人人の事、光明山の明遍僧都、侍従巳講の長慶 0000_,31,845a08(00):印誓聖人、笠置の貞慶上人、智海法印、大原の本性上 0000_,31,845a09(00):人、嵯峨往生院の聖、木幡の明定房法印大僧都、権大 0000_,31,845a10(00):僧都証真、浄賢法印、浄憲法印、仙義律師、学秀僧 0000_,31,845a11(00):都、浄寧法印、妙覚寺聖人、桜本空法房、生馬聖人松 0000_,31,845a12(00):林院仰徳房、長楽寺定蓮房、菩提山蔵人入道空仏観仏房 0000_,31,845a13(00):八坂大和入道見仏、神楽岡浄空房、中山信蓮房、浄遍僧都 0000_,31,845a14(00):少将上人、実恵大納言、法印寛雅、中納言法橋慶雅、 0000_,31,845a15(00):醍醐の座主空範、石山の僧都覚円、栂尾明恵上人、高 0000_,31,845a16(00):尾慈蓮房、財寺求法房、仁和寺勝願房、範顕僧正、竹 0000_,31,845a17(00):林房法印、左大臣僧正顕真惣して廻文にあづからざれ 0000_,31,845b18(00):ども、心ある人人、老若ともに大学匠三百余人、或は 0000_,31,845b19(00):偏執のともがらもあり、或はまことの道をなげきたま 0000_,31,845b20(00):ふやからもあり。かれこれ集会して列座す。其外道俗 0000_,31,845b21(00):貴賤二千余人来集す。そのとき侍従已講を使者として 0000_,31,845b22(00):おほせけるはいつぞや申せし浄土の法門このほど大原 0000_,31,845b23(00):に隠居して見おぼへはんべる。それにつけて諸宗の所 0000_,31,845b24(00):談相違のあひだ、落居のためにまふす、かならずたち 0000_,31,845b25(00):わたらせたまふべし。上人の御返事にはやがて参して 0000_,31,845b26(00):御不審をもうけたまはり、愚僧もこころざすむねをま 0000_,31,845b27(00):ふすべしと云云。御使はかへりぬ、上人かくのごとく 0000_,31,845b28(00):南都北京の寺院辺土の磧徳大学匠念仏偏執の人人集会 0000_,31,845b29(00):するほどの大義におよぶ条をば、ゆめにもしろしめさ 0000_,31,845b30(00):ず、ただ後生菩提のために聖道浄土の相違、自力他力 0000_,31,845b31(00):の衆生の機分等安心の所談とおぼしめし、御弟子等も 0000_,31,845b32(00):ただなをざりの法談なんどこころへはんべれば、さは 0000_,31,845b33(00):なくして凢そ日本一の宗論得道の折角なり、上人も御 0000_,31,845b34(00):一期の御大事これにすぎじとみへたまへり。しかるを 0000_,31,846a01(00):かかるたくみをばゆめにも覚悟したまはず、なにの用 0000_,31,846a02(00):にもたつまじき初心晩学の無智愚痴の入道どもばかり 0000_,31,846a03(00):めし具す、このなかにも澄源隆寛聖覚等を上首として 0000_,31,846a04(00):かれこれ廿余人なり。上人は例の御ことなればやがて 0000_,31,846a05(00):入御あり、ころは文治二年後鳥羽院の御宇なり。さる 0000_,31,846a06(00):ほどに竜禅寺にいたりたまひて寺門をさしのぞみて御 0000_,31,846a07(00):覧ずれば、三百余人の高僧二行に列座せられたり。御 0000_,31,846a08(00):発起の顕真は上座なり、左のわきは大原の本性上人、 0000_,31,846a09(00):右のかたは実範磧徳左右居わかれたまへり。上人門外 0000_,31,846a10(00):に俳徊したまひけり、御弟子等これをみてあはやこの 0000_,31,846a11(00):あひだ在在所所にして法然上人浄土の宗義をたてさせ 0000_,31,846a12(00):たまふことをのみ沙汰し。あるひは偏執し、あるひは 0000_,31,846a13(00):いきどをり、難じつるともがら折をえをのをの同心し 0000_,31,846a14(00):て来会せり。今度の聖道浄土の勝劣、大小権実の対 0000_,31,846a15(00):判、結句とみへたり。いかなる文殊舎利弗の智恵なり 0000_,31,846a16(00):ともか、なふべきともおぼへず。三百余人の習学者は 0000_,31,846a17(00):上人法門につまりたまはば、我情の手枝をあてたてま 0000_,31,846b18(00):つり、ながく浄土宗のはたほこを倒しおらんと義定し 0000_,31,846b19(00):たる気色あらはなり。御弟子等はわが師匠今日をかぎ 0000_,31,846b20(00):りにうせたまふべきよとおもひあへり。諸経の肝要一 0000_,31,846b21(00):代至極ただこの文にありといふこと、破れなんとおも 0000_,31,846b22(00):ひてこころも身にそはず。しかるところに上人御弟子 0000_,31,846b23(00):のかたへかへりむかひたまひてのたまひけるは、みな 0000_,31,846b24(00):人は児を扶持し髪をけづり手足をあらひものをおしへ 0000_,31,846b25(00):たて、骨をおりてこそ弟子をばもつに、源空はひさし 0000_,31,846b26(00):く骨をもおらで二千余人の弟子をまふけたるぞとよろ 0000_,31,846b27(00):こびたまふ。そのとき御弟子等、このおんことばに 0000_,31,846b28(00):こそ、すこし力をつきて覚けり。されども上人聴衆笠 0000_,31,846b29(00):きとものなかをかきわけわけ入りたまふ。正面の脇の 0000_,31,846b30(00):間よりのぞみたまふ。法然上人の御とものなかに信濃 0000_,31,846b31(00):国の住人角張の七郎大郎入道成阿といふものなり。上 0000_,31,846b32(00):人の御袖のしたよりくぐりとをりて、上人の御まへに 0000_,31,846b33(00):たちふさがり、当座の気色をみれば上座せられたりけ 0000_,31,846b34(00):る顕真は、高麗緣の畳二帖かさねて、そのうへに豹の 0000_,31,847a01(00):かわをしきて座せられたり。上人の御座とおぼへて大 0000_,31,847a02(00):文緣の畳二帖かさねて敷たり。これには人も居す、成 0000_,31,847a03(00):阿これをみてわが上人の御座には敷皮もなし、かやう 0000_,31,847a04(00):にては一段さがりたり。なんぞや敷皮に対して敷くべ 0000_,31,847a05(00):きとみまはせども、さほどの座敷なればものもてし、 0000_,31,847a06(00):いかがせんとおもひてみるほどに、礼盤にふたへ緣の 0000_,31,847a07(00):半帖あり。これをみて成阿未座なる若学匠どもの居な 0000_,31,847a08(00):らびたる左右の袖をわけて、無礼に候へどもと申てま 0000_,31,847a09(00):かりとをりさふらふ。上人の御座のしどけなく候。み 0000_,31,847a10(00):まいらせ候はんとて、ついとをり、仏前なる礼盤の半 0000_,31,847a11(00):帖をとりてひちたてて上人の御座にかさねてしき、う 0000_,31,847a12(00):しろ座に跪づき、ひのきほねの扇抽出し、上人の御方 0000_,31,847a13(00):へむかひてこれこそ御座にて候へ、入らせたまへと申 0000_,31,847a14(00):す。上人御座に直りたまへば、廿余人は座敷なく、そ 0000_,31,847a15(00):ぞろきてたちわづらひたり。成阿いかにや御房達これ 0000_,31,847a16(00):へ参たまへ。今日こそ自宗他宗の得否、今日を限るべ 0000_,31,847a17(00):し。出離一大事の御法門聴聞つかまつらん事、われら 0000_,31,847b18(00):人界の生をうけたるさひはひなれ。人身のをもひで、 0000_,31,847b19(00):宿善のほどこれなるべしとてうち咲てゐたり。廿余人 0000_,31,847b20(00):は成阿がことばにつきて一度にいりて上人の御うしろ 0000_,31,847b21(00):仏檀のまはりにゐながれたり。三百余人の学匠ども若 0000_,31,847b22(00):干の聴衆等、目をすまして上人の御皃をまもり、成阿 0000_,31,847b23(00):がふるまひを御覧じておぼしめされけるは、たとひ日 0000_,31,847b24(00):比内談したりともただ今のなかにては、かやうに振舞 0000_,31,847b25(00):べしともおぼへず。初声の一言をもて法性の深厚をし 0000_,31,847b26(00):ると云云。法然房の智にわれらを物のかずともおもは 0000_,31,847b27(00):ぬゆへに、今この入道もかくのごとく振舞ござんぬ 0000_,31,847b28(00):れ。加様にては今日の問答に決定つまりぬべしとぞ思 0000_,31,847b29(00):給けると、のちに御懺悔ありけり。上人当座の気色を 0000_,31,847b30(00):御覧ずれば、その日の問答の間口には大原の本性上人 0000_,31,847b31(00):と見たり。題者は南都の範顕僧正と見たり。精義者は 0000_,31,847b32(00):宝持房法印、註記は嵯峨の竹林房法印浄憲のまへには 0000_,31,847b33(00):硯と大巻のまき物のつき紙一巻をかれたり。範顕のま 0000_,31,847b34(00):へには釈拍子一帖おかれたり。これは上人暫も法門に 0000_,31,848a01(00):わづらひたらば打打と打しらべ立べき料と見へたり。 0000_,31,848a02(00):おほよそ月支震旦はしらず、日本一の宗論とぞおぼへ 0000_,31,848a03(00):たり。さるほどに座敷定り東西もしづまりけり。問て 0000_,31,848a04(00):いはく誠にや、上人諸教にはまさしく出離なし、ただ 0000_,31,848a05(00):念仏の一法のみありとさふらふや。自従得道夜乃至泥 0000_,31,848a06(00):洹夜所説之法皆是不虚といへり、いかでかかやうにた 0000_,31,848a07(00):ておほせられ候や。上人こたへて云く、これ禁忌の句 0000_,31,848a08(00):なり。一口演説法衆生抜業回衆生得脱者皆是良薬法と 0000_,31,848a09(00):いへり、いかでか諸教の出離をふさぐべきや。かさね 0000_,31,848a10(00):てとふて云く、引るるところの文証しかりといへど 0000_,31,848a11(00):も諸宗の出離は得道むなしかるべし。浄土ひとり出離 0000_,31,848a12(00):決定と勧化候なるや。答て云く、問は諸備のいたすと 0000_,31,848a13(00):ころ答は随機の説といへり、問者重畳せば答者感勧に 0000_,31,848a14(00):するか。問答四五返におよべども満座ものもいはず、 0000_,31,848a15(00):そのとき上人のたまはく、諸人巻舌す一座直面たり、 0000_,31,848a16(00):向顔艶色すいかん、ときに聴衆の中より一句かきて満 0000_,31,848a17(00):座の中へ投いれたり。とりてみれば衆機放光は法華一 0000_,31,848b18(00):会三百の僧侶は念仏の開道なり、上人おほせけるはお 0000_,31,848b19(00):のおの宗論たるべくは経をさだめ、論をさだめ、人師 0000_,31,848b20(00):の所釈を定法とせんと云云。精義者のいはく、おほせ 0000_,31,848b21(00):最しかるべくさふらふ。仏説によりて薩埵の説をさる 0000_,31,848b22(00):べからず。菩薩の論蔵によりて人師の釈を弃つべから 0000_,31,848b23(00):ず。経論の文証をもて指南とせん。三国の所判をもて 0000_,31,848b24(00):蘭菊をさだむべきと云云。源空の言く智度論にいはく 0000_,31,848b25(00):上人の論談には仏経をひいて非をさると云云。しかれ 0000_,31,848b26(00):ば自宗の出離決定の指南は経論をひいて証拠にそなへ 0000_,31,848b27(00):よ、諸宗の得道は深理正蔵の勝義得否をきよくしたま 0000_,31,848b28(00):へと云云。題者のいはく、法然房の仰もともしかるべ 0000_,31,848b29(00):く候、論談の正中には黒繩を引、白布をしくべしとい 0000_,31,848b30(00):へり。経論章疏をもて本とすべきなり云云。ときに註 0000_,31,848b31(00):記硯をならし筆を点じて両方のことばを書付をはん 0000_,31,848b32(00):ぬ。上人のいはく釈尊出世の本懐は、みなこれ彌陀の 0000_,31,848b33(00):本願をあらはさんためなり。出離決定は彌陀一仏にか 0000_,31,848b34(00):ぎれり。諸宗の得道は断惑証理のゆへに出離ありて出 0000_,31,849a01(00):離なしと云云。題者拍子を打て法然房のことば一義両 0000_,31,849a02(00):言なり、なんぞ鼻端に備んや。さしたる証文なく宗を 0000_,31,849a03(00):建立して諸教の出離を塞ゆべきかとしらべたてたり。 0000_,31,849a04(00):精義者つづひて菩薩の大願は利他を先とす、如来の成 0000_,31,849a05(00):道は法界をすてず、諸宗において或は出離或は旡出離 0000_,31,849a06(00):といふや、仏説には如来の開会を法躰とするなり、始 0000_,31,849a07(00):終誓願凡夫出離といへり、法然房の仰らるるごときは 0000_,31,849a08(00):大師の釈にも、若は仏説にも背く、是いかん。上人の 0000_,31,849a09(00):玉く源空私ならず然ばすなはち観旡量寿経にいはく、 0000_,31,849a10(00):具足十念称南旡阿彌陀仏称仏名故於念念中除八十億劫 0000_,31,849a11(00):生死之罪云云。観仏三昧経にいはく、三世諸仏依念彌 0000_,31,849a12(00):陀三昧成等正覚と云云 秘密蔵経に云く、三世諸仏出 0000_,31,849a13(00):世本懐阿彌陀仏名号為説と云云。心地観経にいはく一 0000_,31,849a14(00):代諸教諸善根並一念仏功徳力専修超過名大善余悉為劣 0000_,31,849a15(00):非徃生故と云云。南岳大師の云、念仏一代聖教肝心八 0000_,31,849a16(00):万法蔵骨目出離生死在所徃生極楽力道と云云。天台止 0000_,31,849a17(00):観に云、以論止観者念西方彌陀但専彌陀為法門主と 0000_,31,849b18(00):云云。明恵聖人のいはく、仏教多門にして八万四千に 0000_,31,849b19(00):わかれたり、衆生根機万者にして塵労もまた八万四千 0000_,31,849b20(00):なり。しかれば経にいはく我如良医智病説薬服与不服 0000_,31,849b21(00):非医咎也と云云。一切の法は得道実也。然れば出離に 0000_,31,849b22(00):差別をたてらるる条もとも不審となり云云。上人いは 0000_,31,849b23(00):く聖道門の得道しかりといへども時機にあいそむかば 0000_,31,849b24(00):その益あるべからず。機法相応せずばむなしかるべ 0000_,31,849b25(00):し。教の浅深権実の対判、大小のあらそゐ、七日の間 0000_,31,849b26(00):こときれずといへども、機法和合し時機相応を、たぐ 0000_,31,849b27(00):らぶれば、道理に伏して法然聖人の御義に同じぬるう 0000_,31,849b28(00):へは、みな浄土往生に帰せられけり。螫におのおのみ 0000_,31,849b29(00):な学匠にておはしましければおのおの帰伏し、大原の 0000_,31,849b30(00):七日の問答事畢。浄土宗いよいよさかんなり、それよ 0000_,31,849b31(00):りして聖道浄土の宗論はとどまりぬ。上人の御勧化も 0000_,31,849b32(00):ともなかばなりしに大原の問答にかち給しかば日本一 0000_,31,849b33(00):州帰依ますます繁昌し、目出ありしことどもなり。御 0000_,31,849b34(00):発起の顕真は浄土宗において多年の御不審をひらき給 0000_,31,850a01(00):へば、すなはち法然上人にむかひ坐具をのべ香炉をと 0000_,31,850a02(00):りて仏陀と称し給けり 0000_,31,850a03(00):卷第四 0000_,31,850a04(00):第一 尾張法橋子餓鬼の事 0000_,31,850a05(00):文治三年十二月に楊梅高倉尾張の法橋頼秀の宿所へ上 0000_,31,850a06(00):人を召請まふしそれにて歳末の別時をはじめられる。 0000_,31,850a07(00):上人おほせには四部の衆はみな番帳にいるべし。その 0000_,31,850a08(00):名帳の下にわがこころざさん亡者をいれて、弔うべし 0000_,31,850a09(00):とおほせければ、おのおの亡者をいるる。亭主の女房 0000_,31,850a10(00):申しけるは、みづからはただ法界衆生といれたく候。 0000_,31,850a11(00):さらばもともしかるべしとてかきのせたり。第二夜に 0000_,31,850a12(00):あたる丑の時の時を女性四五人ともなひて行道して念 0000_,31,850a13(00):仏する、万事みな睡眠したりしとき、上人は仏前にし 0000_,31,850a14(00):て、しづかに御念仏あるに、法橋の妻女、後門の方よ 0000_,31,850a15(00):りいそぎきたりて、上人にまふしけるは、わらわはう 0000_,31,850a16(00):たてしきおちどをまふして候。ゆへはいるるときのも 0000_,31,850b17(00):のの名帳の下に心ざすところの過去性旲をいれよと承 0000_,31,850b18(00):候間、いづれをかくべきとおもひさふらひて、法界衆 0000_,31,850b19(00):生といれさせ候へば、もるる衆生も候まじければ、こ 0000_,31,850b20(00):の法界衆生のなかを三人のぞきたくさふらう、おもひ 0000_,31,850b21(00):わすれてみなふさねて法界衆生といれて候。ただいま 0000_,31,850b22(00):除きて給さふらはんと申す。上人のたまはく、いづれ 0000_,31,850b23(00):の人を除きたき者はと、御たづねありければ、はばか 0000_,31,850b24(00):りて暫まふさず。上人かさねてのたまはく、なに者の 0000_,31,850b25(00):除たきぞと仰ければ、あの法橋が子、女子二人男子一 0000_,31,850b26(00):人はんべりしが、みな死して今年六年か七年かになれ 0000_,31,850b27(00):り。これはわらはがためには子にてもはんべらず、生 0000_,31,850b28(00):て候しときも、なにとしてもにくくさふらひしが、法 0000_,31,850b29(00):界衆生といれて候はば定て是らもその弔にあづかるべ 0000_,31,850b30(00):く候。さればこの廻向に洩れずさふらはんこと詮なく 0000_,31,850b31(00):おぼへ候。信空申したまはく、死してのちはなにかく 0000_,31,850b32(00):るしかるべき、除すともあれかしとまふされければ女 0000_,31,850b33(00):性申しけるは、さ候はば自らはこの御時をあげまいら 0000_,31,851a01(00):せ候はんとまふす。上人の仰にはただ三人をのぞきた 0000_,31,851a02(00):からば、除けと仰ければ、法界衆生のなかを法橋が先 0000_,31,851a03(00):腹の子ども三人をは除とかきつけたり、そのとき女性 0000_,31,851a04(00):よろこびけり。第五夜にあたりて例の丑の時、女房し 0000_,31,851a05(00):づかに念仏する暁方に、後門の方よりはつと叫びて上 0000_,31,851a06(00):人の御前へまひりて跪づく。なにごとぞと御たづねあ 0000_,31,851a07(00):れば、女房まふさく、生生世世口惜き身にて候、ただ 0000_,31,851a08(00):いま行道し候へば、後門にして裳すそをひかへるやう 0000_,31,851a09(00):に侍べるあいだ、なにものぞとみ候へば、少さき餓鬼 0000_,31,851a10(00):ども三人わらはが足にとりつきて申こと、こころうく 0000_,31,851a11(00):候。生きたりしときこそ御にくみ候らはめ、なにとて 0000_,31,851a12(00):死してのちまでにくくおぼしめすべき。法界衆生とい 0000_,31,851a13(00):れさせ給ひて候ひつれば、すこしの苦患もはれ候ひつ 0000_,31,851a14(00):るに、そのなかをだにものぞかれまいらせ候かなしさ 0000_,31,851a15(00):よ、上人の御廻向施餓鬼にあづかり候につけてもその 0000_,31,851a16(00):恨みすくなからず候。しかるべくばもとのごとくいれ 0000_,31,851a17(00):て給候へとて、とりつき歎候ひつる気色あまりに心う 0000_,31,851b18(00):く候とて、髪をきりて御前におきまかりいでぬとぞみ 0000_,31,851b19(00):へし、ゆき方しらずとつたへ畢ぬ。又件の女たちまち 0000_,31,851b20(00):に遁世しけるとぞきこへし。かかる悪念のものも上人 0000_,31,851b21(00):の御利益によりてたちまちに正理に皈しけるたふとさ 0000_,31,851b22(00):よ 0000_,31,851b23(00):第二 上人蓮台野へ御出の事 0000_,31,851b24(00):同き五年の春のころ上人御弟子等十余人召具して、蓮 0000_,31,851b25(00):台野に御出ありて仰せけるは、源空両三年巳前にいさ 0000_,31,851b26(00):さか夢にみること有り。夢の実否をしるべきことあり 0000_,31,851b27(00):とて、すこし高き塚のうへに御登ありて四方を御覧じ 0000_,31,851b28(00):めぐらし、御目にかかりたる首を御弟子等にとり集め 0000_,31,851b29(00):させて、塚につき行道して阿彌陀経念仏数遍となへて 0000_,31,851b30(00):御とふらひありて御詠あり 0000_,31,851b31(00):皮にこそ男女の品もあれ骨には変る人形もなし 0000_,31,851b32(00):とぞ、あそばして暫くかうべを御覧じければ、百四五 0000_,31,851b33(00):十もありたるそのなかに、おほきなるかうべより血の 0000_,31,851b34(00):涙をながしたり。御弟子等驚きて余りの不思議さにこ 0000_,31,852a01(00):れはいかなる人の首にてか候らんとまふしたりけれ 0000_,31,852a02(00):ば、上人もいかでかしるべき。先づ此の首を火葬せよ 0000_,31,852a03(00):とて件の首をやき、名号を書し、たちかへり給て御弟 0000_,31,852a04(00):子等に御物かたりしたまひけるは、源空いにしへ山に 0000_,31,852a05(00):ありしとき、同学の仁に三位の註記祐尊といふものあ 0000_,31,852a06(00):り。しかあるとき京へ登りたりしが、二三日はありて 0000_,31,852a07(00):ある夜失せたりき。たづねけれどもみゑず。つぎのと 0000_,31,852a08(00):し人沙汰しけるは、これを殺害して蓮台野にすてたり 0000_,31,852a09(00):ときく。是を一族ども知らず、むなしく犬野干にあら 0000_,31,852a10(00):されてうせぬ。源空がゆめにみへていはく、われはこ 0000_,31,852a11(00):れ過去の宿習によりて人に殺害せられて、空く野外の 0000_,31,852a12(00):つちとなりぬ。日比の同学のよしみにとふらひて給候 0000_,31,852a13(00):へ、かうべは野中にあり天台の習学あれどもいまだ得 0000_,31,852a14(00):道せず候とて涙をながしみへたり。源空も夢心になみ 0000_,31,852a15(00):だをながし必ず訪らひたてまつるべし。こころやすく 0000_,31,852a16(00):おもひ給へといへばよろこびけり。夢さめてのちも涙 0000_,31,852a17(00):を流したり。もしかの祐尊が首にてあるらんとおほせ 0000_,31,852b18(00):ければ、上人その夜の御夢に祐尊御とふらひにあづか 0000_,31,852b19(00):り、たちまちに天上すると御覧ずる。殊勝なりし御と 0000_,31,852b20(00):ふらひなり 0000_,31,852b21(00):第三 南都供養の事 0000_,31,852b22(00):正治二年四月修乗房重源、上人を南都へ召請まふす。 0000_,31,852b23(00):★れは東大寺半作の軒のしたにして観経の曼陀羅、唐 0000_,31,852b24(00):土よりわたしたてまつるところの五祖の真影を供養し 0000_,31,852b25(00):たてまつらんがためなり。上人御領掌あり、すでに御 0000_,31,852b26(00):約束の日になりしかば上人御弟子十余人めし具して入 0000_,31,852b27(00):御あり。上人の御意にはかように御遁世の御すがたに 0000_,31,852b28(00):て御供養あるべきよしなりしを、万山評儀ありてまふ 0000_,31,852b29(00):しけるは、その儀あるべからず。本朝無雙の大伽藍な 0000_,31,852b30(00):り、遁世隠居のことは各別の儀なり、これは大法会諸 0000_,31,852b31(00):仏菩薩の御影向のにはなり、いかでか不法不義にてつ 0000_,31,852b32(00):とめられんこと、人倫あざけりたるべしとて、法会の 0000_,31,852b33(00):具足を上人へ送りたてまつる。力なし当時ばかりをば 0000_,31,852b34(00):とぞ仰けるとき、ところの衆義として従僧大童子中童 0000_,31,853a01(00):子力者人工にいたるまで、みなみな南都の経営なり。 0000_,31,853a02(00):庭前に幡をたて仏壇華机天蓋宝散玉珠の華鬘高座礼盤 0000_,31,853a03(00):錫杖香炉香箱念珠散華華籠新調美麗なり。請僧三十口 0000_,31,853a04(00):出仕の躰は羅漢にひとし。御導師の躰は瓔珞細軟の法 0000_,31,853a05(00):服に九帖の香の袈裟、威儀は釈尊のごとし。寅の一点 0000_,31,853a06(00):の乱声、辰の尅の集会、耳目をおどろかし、幡蓋かぜ 0000_,31,853a07(00):に飜へし、自在天の粧ひをうつし、沈香みきんに薫じ 0000_,31,853a08(00):て海紫岸のにおひに類し、持金剛僧の振舞ひは法界宮 0000_,31,853a09(00):の侍従ににたり。珠幡七宝をいろへ宝螺六瑞をあらは 0000_,31,853a10(00):す。おほよそ堂内のかざり、供具の躰言語道断なり。 0000_,31,853a11(00):鐃鉢虚空にひびきて貴賤の眠をさます梵唄雲穿て伽陀 0000_,31,853a12(00):は妙をきはめ、大阿闍梨の法義はまことに智処城の教 0000_,31,853a13(00):主かとうたがはれ、三帰発願の音声は、舎衞の金言か 0000_,31,853a14(00):とあやまたる。まさにいまこの曼陀羅を解説するに惣 0000_,31,853a15(00):じて四分あり。一には勧発大衆用心分、二には緣起因 0000_,31,853a16(00):緣生信分、三には正説曼陀羅法門分、四には廻向法界 0000_,31,853a17(00):往生分なり。これより始めて彌陀観音願主のふかき信 0000_,31,853b18(00):心をかがみ給ひて、浄土の変相の曼陀羅を織あらはし 0000_,31,853b19(00):たまふ。人おほく生信をたまはらしむ。正説曼陀羅法 0000_,31,853b20(00):門分といふは、右の緣は観経の序分義巻第二、一代の 0000_,31,853b21(00):法門をはじめとして厭離穢土欣求浄土のむね、禁父禁 0000_,31,853b22(00):母の往生歴歴たり。左の緣は観経正宗分巻第三にあた 0000_,31,853b23(00):る。三昧正受の義におもむき若男若女の観門明明た 0000_,31,853b24(00):り。下の緣は正宗分上中下品の来迎華台宛然としてた 0000_,31,853b25(00):のみあり。中台をあふげは四十八願荘厳浄土の義式彌 0000_,31,853b26(00):陀の垂迹なり。惣じて三方の緣は釈迦撥遺の恩徳肝に 0000_,31,853b27(00):銘ず。彌陀如来願カ所成の荘厳観音勢至諸菩薩九品蓮 0000_,31,853b28(00):台清浄大海衆厳重殊勝なり。凡定善十三観は、観ごと 0000_,31,853b29(00):に念仏に帰し、散善九品は品ごとに往生すべきむね、 0000_,31,853b30(00):五箇日のあひだ御讃嘆ありければ、聴聞のともがら耳 0000_,31,853b31(00):をおどろかし、きもに銘ず。涙もおさへがたきがゆへ 0000_,31,853b32(00):に偏執のやからも邪見をすてて旡生にいり、たちまち 0000_,31,853b33(00):に三祇の功徳を満じ、まさに五智の果位に登る。しか 0000_,31,853b34(00):れば三賢十地の大士四禅六欲の天衆みなことごとく侍 0000_,31,854a01(00):衛す。生前の所願も満足するここちなり。おほよそ貴 0000_,31,854a02(00):賤袖をしぼり、衆徒袂をうるほす。慢心諍ひをうしな 0000_,31,854a03(00):ひ、伽藍もまことにうごきたまふかと身の毛いよだつ 0000_,31,854a04(00):てぞおぼへける。さて次の日より同五祖の真影を供養 0000_,31,854a05(00):せらる。凡三国伝来の血脈釈尊付属の相承、各本宗を 0000_,31,854a06(00):閣き、ふかく浄土の真門に結成せるむねをのべ給へ 0000_,31,854a07(00):り。そうじて前後七日のあひだ御説法の音声解脱の躰 0000_,31,854a08(00):大師の旧儀をうつし、富婁那をまなび給ふ。偏執の諸 0000_,31,854a09(00):宗も捨劣の義をわすれ、法相至極の習学者も我慢のは 0000_,31,854a10(00):たほこをそばめて、上代も中ごろもかやうの碩徳大智 0000_,31,854a11(00):不思議の法門ききおよばざるよしを、褒美して退散し 0000_,31,854a12(00):はんべりけり。そののち難波奈良の伶入舞楽の秘事を 0000_,31,854a13(00):きはめ、新羅高麗の曲をつくす。上下これを折角と見 0000_,31,854a14(00):物する。さて上人は御帰洛あるべきよしの御出で立ち 0000_,31,854a15(00):あり。ここに修乗房まいりてまふされけるは、さても 0000_,31,854a16(00):この大仏を造営したてまつり、同じく御堂建立かくの 0000_,31,854a17(00):如し。凡そ日本一の大善根と存知候に、このあひだの 0000_,31,854b18(00):御説法についに御意にかけられず候。いかほどの功徳 0000_,31,854b19(00):といふこと御讃嘆候ず。御供養は各別の事にて候へど 0000_,31,854b20(00):も、当伽藍を称楊候べきと存知候へば余取外のことに 0000_,31,854b21(00):ても候はず。なにさまの御意にて候やらん、さだめて 0000_,31,854b22(00):経論所釈の文等候らんにと申す。上人おほせけるは、 0000_,31,854b23(00):この大善根は目出度く殊勝にぞ思給らん。御辺のため 0000_,31,854b24(00):にはかほどの修福造営は大苦悩とこそみへたれ。日本 0000_,31,854b25(00):のみにあらず、唐土までのくわしんは苦悩にあらず 0000_,31,854b26(00):や。この功徳をは念仏二三返にはおとりとぞみへたれ 0000_,31,854b27(00):と云云此事やがて和讃の者ありて興福寺におとなく披 0000_,31,854b28(00):露する。両門跡の衆徒会合して、さてはこの法然房は 0000_,31,854b29(00):このあひだの法門等はたぐいなき学匠大智者とききた 0000_,31,854b30(00):れば、こころに大偏執をもちたるものなりとて即時に 0000_,31,854b31(00):大鐘をならし、衆会して僉儀まちまちなり。ある仁す 0000_,31,854b32(00):すみていいけるは、当伽藍はこれ聖武皇帝の御願行墓 0000_,31,854b33(00):菩薩文殊の化身として建立したまへり。しかれば波羅 0000_,31,854b34(00):門僧正は南浮第一と供養したまへり。かかる止む事 0000_,31,855a01(00):なき大伽藍を念仏二三返の功德にはおとりといふこ 0000_,31,855a02(00):と、これ偏執のいたすところにあらずや、すみやかに 0000_,31,855a03(00):耻辱をあたへて追ひくだすべきものをやと云云次第に 0000_,31,855a04(00):与力同心の悪僧七百余人なり。三位の僧都覚範のいは 0000_,31,855a05(00):く、当寺はこれ法相唯識のところ、大乗習学のみきん 0000_,31,855a06(00):なり。たとひ経釈明文ありといふとも、そのはばかり 0000_,31,855a07(00):なく、かくのごとく過言に及べきか、これ仏意にも神 0000_,31,855a08(00):慮にも違すべきものなり。はやく押よせて追払ふべき 0000_,31,855a09(00):ものなりと云云。此中にも中納言の僧都定範といふも 0000_,31,855a10(00):の、いひけるは面面の僉議しかりといへどもかくのご 0000_,31,855a11(00):とくの経論所釈の証文歴然たらば、いかでか種種の沙 0000_,31,855a12(00):汰に及ぶべきか。それは学匠義にはあらず、法然房も 0000_,31,855a13(00):さだめてやうあるらん、まづ子細を相尋ねてその返事 0000_,31,855a14(00):によるべきものをやと云云。老若ともに大略学匠達な 0000_,31,855a15(00):るあひだ、定範の儀に同じてもともしかるべし、もし 0000_,31,855a16(00):不思議の文証あらんときは、無道の強議なるべし。学 0000_,31,855a17(00):匠の所存あらず、一同して、上人の御宿房へよせたりけ 0000_,31,855b18(00):れば、上人は、はや御下りといいけるは、衆徒やがて 0000_,31,855b19(00):般若寺のまへにて追付きたてまつる。定範上人の御そ 0000_,31,855b20(00):ばへするりとよりて上人の召たる輿の長轅と薙刀の柄 0000_,31,855b21(00):とむずと握り、加へ当伽藍造立の功徳は念仏二三返に 0000_,31,855b22(00):はおとりとはわたくしのことばか、いずれの経文には 0000_,31,855b23(00):んべるぞと云云。そのときになれば御弟子等南都さま 0000_,31,855b24(00):への入御はいかが候べきと申し候ひしを、入御ありて 0000_,31,855b25(00):かくのごとくの珍事におよぶ、口惜さよとて各各色を 0000_,31,855b26(00):損ず。七百余人の衆徒その外の偏執のともがらついで 0000_,31,855b27(00):をもてあばれ、法門につまりてあてられたまひたら 0000_,31,855b28(00):ば、なんとおもひかほなり。衆徒も大略は又上人の御 0000_,31,855b29(00):言を偏念していささかも謬りましまさば、恥辱をあた 0000_,31,855b30(00):へたてまつるべき、つらたましいあらはなり。これに 0000_,31,855b31(00):つけても御弟子等この辺にてはさる経釈の文ありとも 0000_,31,855b32(00):御はばかりもあるべかりぬる物をと、こころくるしく 0000_,31,855b33(00):思ふ。ときにより所によりて仰あるべき物をと手を握 0000_,31,855b34(00):る。上人すこしもはばかりたまはず。定範がいいもは 0000_,31,856a01(00):てざるに、華厳経ををひいてみたまへと、定範もさる 0000_,31,856a02(00):者にて、華厳経は広本なり、いづれの巻いづれの品に 0000_,31,856a03(00):はんべるぞと、上人仏地品を引て見たまへとおほせけ 0000_,31,856a04(00):れば、さらばとて上人の御下りをおさへて華厳経をと 0000_,31,856a05(00):りにぞつかはしける。時をうつさず経はとりてきたれ 0000_,31,856a06(00):り。定範経をひらきければ上人その経たびたまへ、文 0000_,31,856a07(00):はまつけのごとし。各各は左右なくみつけたまはじと 0000_,31,856a08(00):て御手にとらせたまひて仏地品に巻よせて、これ見給 0000_,31,856a09(00):へと仰ければ、老僧四五人たちよりてみれば、十丈金 0000_,31,856a10(00):色像六万五千躰十度造供養不如称彌陀とみへたり。上 0000_,31,856a11(00):人のたまはく、また妙塔勝心経をとりよせたまへ、引 0000_,31,856a12(00):いてみせたてまつらん。南無阿彌陀仏一念功徳勝於一 0000_,31,856a13(00):百三十五恒河沙成満金塔者と云云。此ほか経釈論文勝 0000_,31,856a14(00):計すべからす。当伽藍は一仏一精舎一度造立供養な 0000_,31,856a15(00):り、これらの経文のごとくは莫大の金像供養なるべ 0000_,31,856a16(00):し、念仏二三返の功徳におとりとは源空がわたくしの 0000_,31,856a17(00):会釈なく、明文のごとくはただ一返の功徳にもおとり 0000_,31,856b18(00):とこそかんがへたれ。げにもかかる大乗経等の文をや 0000_,31,856b19(00):ぶりてのたまはば力なしとぞ仰せける。定範いはく、 0000_,31,856b20(00):仏仏平等なり、十力四無畏内証外用の功徳みなもてひ 0000_,31,856b21(00):とし。なにによりて彌陀を念ずる。功徳諸仏善根にす 0000_,31,856b22(00):ぐれたるやと云云。上人のたまはく彌陀仏因位の修行 0000_,31,856b23(00):別なり、誓願別なり、成仏別也。かるがゆへに三世の 0000_,31,856b24(00):諸仏に超過せり。その日の辰の一点より終日に問答な 0000_,31,856b25(00):り。然れば上人の御返答条条すぐれたり。そのうへ浄 0000_,31,856b26(00):土の法門彌陀の名号の諸教にすぐれ、三世諸仏の功徳 0000_,31,856b27(00):善根にひいでたる肝心どもおほせければ、各各学匠に 0000_,31,856b28(00):てみなみな帰伏したてまつりけり 0000_,31,856b29(00):卷第五 0000_,31,856b30(00):第一 明遍僧都夢天王寺の事 0000_,31,856b31(00):文治四年の春のころ明遍僧都いささか夢想を御覧ず 0000_,31,856b32(00):る。天王寺の西門をさしのぞきて見給へば、非人乞者 0000_,31,856b33(00):その外病者なんど臥たり、看病人あまたあり、或は飯 0000_,31,857a01(00):或は栗柿梨を病人にあたふるに少少うけとるといへど 0000_,31,857a02(00):も、まめやかなる病者は手もかけず。ある看病人のま 0000_,31,857a03(00):ことに慈悲ふかげなる僧おも湯をさまして病人にすす 0000_,31,857a04(00):めてとをり給へば、力つきたる病者も大事なるもこの 0000_,31,857a05(00):おも湯をうけてのむと御覧ずるに、夢ここちに夢をあ 0000_,31,857a06(00):はせ給けるは、かたき栗柿梅桃梨を口入たまへば、大 0000_,31,857a07(00):事なる病者は一口も食もせずとみへけるは、かやうに 0000_,31,857a08(00):堅き菓物は華厳天台等の法門、いまこの大事なる病者 0000_,31,857a09(00):はわれら極悪最下の衆生なり。法は難行なり、衆生の 0000_,31,857a10(00):機分は劣なり、機法あひかなはぬが、かくのごとくみ 0000_,31,857a11(00):るよと慈悲ふかげなる僧、看病人のためにおもゆを引 0000_,31,857a12(00):いてとをるを器量なる病者もきわめて不覚の病者もみ 0000_,31,857a13(00):なみな口を開てうけて呑と見は、彌陀の本願慈悲深き 0000_,31,857a14(00):僧善知識なり。南無阿彌陀仏の名号はくだんのおも湯 0000_,31,857a15(00):なるべし、機法相応して生死をはなるべき瑞相を六方 0000_,31,857a16(00):恒沙の諸仏のてらしてみせしめ給よなどおもひ合せ 0000_,31,857a17(00):て、このよしを上人へ記してまひらせらる。これすな 0000_,31,857b18(00):はち上人御勧化の殊勝なるがみゆるよなど、いとど帰 0000_,31,857b19(00):伏し信心ふかかりき、たふとさまふすばかりなし 0000_,31,857b20(00):第二 修明門院御参の事 0000_,31,857b21(00):文治五年修明門院にして女院へ上人を召されおはしま 0000_,31,857b22(00):して、七日御説戒あり。南岳大師天台に伝へ給へし戒 0000_,31,857b23(00):品なり。又慈覚大師五台山にわたりて文殊の即身に相 0000_,31,857b24(00):ひ奉つり御相伝ありし三種浄戒叡空より上人御相伝あ 0000_,31,857b25(00):りし戒なり。この三種浄戒といふは一には有情遶益 0000_,31,857b26(00):戒、二には勝善法戒、三には勝律儀戒なり。この三種 0000_,31,857b27(00):の戒に十二の戒躰あり。一得永不失の大乗戒なり、是 0000_,31,857b28(00):らの戒行七日御讃嘆あり、第五日にあたる朝いまだ御 0000_,31,857b29(00):説戒はじまらざるに香炉に火ありて両三日きへず。こ 0000_,31,857b30(00):の煙にあたるもの男子七人女子五人已上十二人臨終まで 0000_,31,857b31(00):異香薫じてうせずといへり。女院上人の御目には十四 0000_,31,857b32(00):五ばかりなる天童、香炉に火をおきて修明院の御前に 0000_,31,857b33(00):て勢至菩薩大乗戒七日御讃嘆の結緣に栴檀をたきて、 0000_,31,857b34(00):忉利天へ登るとまふして天をさして登ると御覧ずる。 0000_,31,858a01(00):余の人人の目には雀飛びのぼると御覧ずる。又説戒結 0000_,31,858a02(00):願の時は萩の下より兎とびいでて萩のうへにのぼる。 0000_,31,858a03(00):高くとびあがりて落て石にあたりて首を打ちて死にお 0000_,31,858a04(00):はんぬ。この兎の口よりびんづらゆいたる童子天をさ 0000_,31,858a05(00):してのぼるとみをはんぬ。畜生なれども不惜身命のこ 0000_,31,858a06(00):ころざしふかくしてたちまちに畜業をまぬがれけるも 0000_,31,858a07(00):不思議なりし事どもなり。唐土には隋唐二代の国師大 0000_,31,858a08(00):極殿にして仁王般若を講じ給ふ、いまは法然上人清涼 0000_,31,858a09(00):殿にして御説戒あり。おなじく女院に袈裟をさづけた 0000_,31,858a10(00):てまつり給、唐の安然和尚は戒品つたへたまひしかど 0000_,31,858a11(00):も、袈裟をば授けられず。今の上人はかれこれ兼学し 0000_,31,858a12(00):て帝珠をさかへたまへり。それよりいよいよ和尚上人 0000_,31,858a13(00):の位うつたかくおはしまし、たふとき事ども、申すば 0000_,31,858a14(00):かりなし 0000_,31,858a15(00):第三耳四郎の事 0000_,31,858a16(00):爰に河内の国の住人に天野の四郎といふ悪党の長本あ 0000_,31,858a17(00):り。かの天野は人の有力なるをききては夜打をも山賊 0000_,31,858b18(00):海賊等のこるところなくうばひとる間、人異名に耳四 0000_,31,858b19(00):郎と名づく、ある時信空の宿所姉が小路白河二階の房 0000_,31,858b20(00):え上人を召請申されたり。折節かの耳四郎都にのぼり 0000_,31,858b21(00):て在在所所をためらひあるきけるが、便宜よかりしか 0000_,31,858b22(00):ばかの貴坊へいたりぬ。又緣のしたよりくぐりいり 0000_,31,858b23(00):て、人のしづまるをまちしのび居たり。上人つねの御 0000_,31,858b24(00):事なれば、出離の要道裟婆有為無常転変の所を常住に 0000_,31,858b25(00):おもひいりたるはかなさよ、極楽無為の不退の快楽を 0000_,31,858b26(00):期すべきこと、彌陀本願の念仏にしくべからざる道 0000_,31,858b27(00):理、人界に生れかならず悪人となり、ほどなく三悪道 0000_,31,858b28(00):にかへりて無量劫のあひだ苦をうけんことを、夜すで 0000_,31,858b29(00):に三更におよぶまで御法門あり。天野板のしたにして 0000_,31,858b30(00):至極聴聞つかまつり、なにごともわすれてああわが身 0000_,31,858b31(00):はいかなるこころぞや、つたなき者にはわが身よりほ 0000_,31,858b32(00):かはなかりけり。そもそも四方の人人はみな貴きも賤 0000_,31,858b33(00):しきもかならず後世をねがふぞかし。われことさら浅 0000_,31,858b34(00):増しき業人ぞかし、罪業つくるこの身をやしなう口惜 0000_,31,859a01(00):さよとおもひとりて、夜もあけければ顕いで上人へま 0000_,31,859a02(00):ひり、上件のわざども、この房の下に宵より忍入て、 0000_,31,859a03(00):ねらひたる折節、上人の御法門承はりて先非を悔て年 0000_,31,859a04(00):来のつみをなげきて顕れいでたりとて、涙をながし口 0000_,31,859a05(00):説たてまふしければ、上人神妙におもひきりたり。た 0000_,31,859a06(00):とひ日来悪業をおかしたりとも今日よりして偏に念仏 0000_,31,859a07(00):せば、悪人摂取の本願なれば、なぜかはあやまち給べ 0000_,31,859a08(00):き、かならず決定徃生なるべしと種種に御法門仰せけ 0000_,31,859a09(00):れば、それよりして四郎無極の遁世者にて、ついに少 0000_,31,859a10(00):罪をも犯さず、めでたかりし道心者なり。しかるあひ 0000_,31,859a11(00):だ年来日比の敵どもそのかずおほかりけれども、四郎 0000_,31,859a12(00):用心緊しくして、うちもからめもしゑず、天野我は是 0000_,31,859a13(00):れこのうへはとてうちほれて腰刀をだにもささずあり 0000_,31,859a14(00):ければ、人もみな日比の遺恨をすて許してありける。 0000_,31,859a15(00):丹波の国の住人篠村の新左衞門範長といふものあり。 0000_,31,859a16(00):在京してありけるが、三箇年巳前に一大事におもひけ 0000_,31,859a17(00):る一族をうたせて、なにともしてこの本意をとけばや 0000_,31,859b18(00):と、ねらひけるが、この道心をも許すまじき時分な 0000_,31,859b19(00):り、うたばやとおもひかかりて私宅えすかしいれて酒 0000_,31,859b20(00):をすすむ。天野もとより上戸にて当座に平臥してはん 0000_,31,859b21(00):べり、人しづまりて範長刀を抜きもちて宵に着せたる 0000_,31,859b22(00):絹ひきのけ刀を指立んとするが、息音をきけば念仏の 0000_,31,859b23(00):声なり、恠しくおもひて紙燭をとぼしてみれば、彌陀 0000_,31,859b24(00):如来の御すがたと幻のごとくにて不思議に思ひて、驚 0000_,31,859b25(00):してみればもとの四郎なり。時に範長かかる悪人すら 0000_,31,859b26(00):堅固の道心を発せばかくのごとし。難有身となる。い 0000_,31,859b27(00):はんやわれまたいかでかこれを殺さんと、即時に発心 0000_,31,859b28(00):してたがひにいにしへの敵のこころを懺悔して、同じ 0000_,31,859b29(00):く道心者となり、頓にもとひきり、四郎は法名を教西 0000_,31,859b30(00):とたまはり、範長は善教と給はる。これ又上人の御法 0000_,31,859b31(00):門の奇特なり 0000_,31,859b32(00):第四 清水寺へ御参の事 0000_,31,859b33(00):有とき少松内府相国をすすめて清水寺に詣し給ふ。折 0000_,31,859b34(00):節上人参籠し御座してけり。ついでをもて父子ともに 0000_,31,860a01(00):上人の見参にいる、後生の事を問たまふ、上人言ける 0000_,31,860a02(00):は善導は門門不同八万四為滅無明過業因、利劔即是彌 0000_,31,860a03(00):陀号一声称念罪皆除と釈したまふ。経に哀愍特留此経 0000_,31,860a04(00):此住百歳ととかれたれば、諸教おほしといへども善導 0000_,31,860a05(00):等の教にまかせて念仏するにて候へば、このたびの出 0000_,31,860a06(00):離無出離は御はからいたるべく候と仰せければ、相国 0000_,31,860a07(00):も帰敬信仰して下向せらる。その後内府わざと吉水の 0000_,31,860a08(00):御房へ参じてねんごろに御法門うけたまはりて涙をう 0000_,31,860a09(00):かべ申されけるは、重盛の身のうへだにも、この度の 0000_,31,860a10(00):出離の事のみ一大事とこころにかけ存知さふらふに、 0000_,31,860a11(00):相国禅門のこと罪障さだめてふかかるべしと、それの 0000_,31,860a12(00):み口惜しぐおぼへさふらふと也。相構相構御みちびき 0000_,31,860a13(00):候へとなげき申されけり。又重衡道盛つねにまひられ 0000_,31,860a14(00):けるが、重衡も最後には剃刀をあてられまいらせ受戒 0000_,31,860a15(00):せられたり。道盛死後まで上人の御はからひをもてそ 0000_,31,860a16(00):の御菩提をとぶらはれまいらせ、そのほか一族たちつ 0000_,31,860a17(00):ねに参れけり。都没落の時は皆皆まひり給ひ念仏をう 0000_,31,860b18(00):けたてまつり給ひけり 0000_,31,860b19(00):第五 内裏問答の事 0000_,31,860b20(00):建久元年二月上旬に上人宣によりて御院参あり、折節 0000_,31,860b21(00):仙洞には高僧五六人まひらる。一人は無動寺の僧正寛 0000_,31,860b22(00):円、一人は仁和寺の僧正浄範、一人は石山の上人専祐 0000_,31,860b23(00):一人は横河の僧正真範、一人は大乗院の僧正祐範な 0000_,31,860b24(00):り。法王この僧侶を御叡覧ありておほせけるは、今日 0000_,31,860b25(00):法然上人をはじめとしてかたがた参内こそ神妙にはん 0000_,31,860b26(00):べれ、はやく聖道浄土の法門出離の肝要を談ぜられ 0000_,31,860b27(00):ば朕よろこびきこしめさるべし。堀河殿うけたまはり 0000_,31,860b28(00):て申しけるは、御勅まことにさいはひと存知候。もと 0000_,31,860b29(00):も御叡慮にあひかなひ給ふべく候。ときに無動寺の僧 0000_,31,860b30(00):正申けるはなにごとの肝要かまふしはんべるべき。去 0000_,31,860b31(00):る文治のころ顕真催促によりて随分の碩徳達小原にし 0000_,31,860b32(00):て七日の問答に大略念仏往生決定と落居候、諸宗の対 0000_,31,860b33(00):判いかやうにさうらひけるや、不審に存じさふらふと 0000_,31,860b34(00):云云大乗院の僧正申給はく、召ありといへども今日同 0000_,31,861a01(00):心に御参内まれなるべし、御参会さいはひにおぼへさ 0000_,31,861a02(00):ふらふ、君の御勅のごとくもとも聖道浄土の法談まふ 0000_,31,861a03(00):し承りたく候と云云石山の僧正まことに小原にての問 0000_,31,861a04(00):答残るところの法門本朝にはよも候はじ、しかれども 0000_,31,861a05(00):君の御まへにて定談なし、仏教多門なれども帰仏はま 0000_,31,861a06(00):た一仏なり、無動寺横河の帰法は天台なり、大乗院の 0000_,31,861a07(00):帰法はまた法相なり、仁和寺の帰法は華厳なり、愚僧 0000_,31,861a08(00):は又真言なり、法然上人は天台法相華厳三論真言律宗 0000_,31,861a09(00):九宗の兼学至極の法どもをすてて無相伝の念仏をみい 0000_,31,861a10(00):だし、日比の稽古の習学をさしおきて往生極楽の一法 0000_,31,861a11(00):におもひつき、ひとへに称名念仏候も八宗九宗は旡緣 0000_,31,861a12(00):にして念仏の一法は有緣なり。抑愚老今日本朝旡雙と 0000_,31,861a13(00):披露ある法然上人にあひたてまつり、不審一句申して 0000_,31,861a14(00):上人の御意をことにかうぶりたく候。一印一真言証道 0000_,31,861a15(00):詣路といへり。しかれば唵の一字を胸にたもては即身 0000_,31,861a16(00):の如来なり。この息鼻へいだせは両部の大日虚空に現 0000_,31,861a17(00):ず、唵の一字を舌の先にかくれば諸尊空中に満てり。 0000_,31,861b18(00):しかれば経には唵字三密即此法身遍照毘盧遮那得大惣 0000_,31,861b19(00):持門といへり。道理を御覚悟ありながら、念仏すぐれ 0000_,31,861b20(00):たりと立られ候らん、もとも不審にさふらふ、心底を 0000_,31,861b21(00):のこさずうけたまはるべく候と云云上人答のたまは 0000_,31,861b22(00):く、源空も御前の問答さいはひにまかり存知候。その 0000_,31,861b23(00):ゆへは君は無上法皇の御名をからせ給へり、その御前 0000_,31,861b24(00):にして聖道浄土の真義を決せんことかたわらにしてひ 0000_,31,861b25(00):そかに説くにはしくべからす。当座にて難易の二道を 0000_,31,861b26(00):治定すべし。祕密神咒経にいはく一一言語皆是彌陀所 0000_,31,861b27(00):説思量謨両字祕密蔵経に云三世諸仏出世本懐阿彌陀 0000_,31,861b28(00):仏名号為説大師の御釈にいはく真言行者於南無阿彌陀 0000_,31,861b29(00):仏名号更勿作浅略思若入真言門諸言語皆是真言何況阿 0000_,31,861b30(00):彌陀と云云又云く念仏者十甘露真言一代聖教結経八万 0000_,31,861b31(00):法蔵妙肝心出離生死最要法彌陀来迎得徃生といへり。 0000_,31,861b32(00):いかでか名号をはなれたる真言あるべからず。又真言 0000_,31,861b33(00):をはなれたる名号なし、真言門にて修行しがたければ 0000_,31,861b34(00):難行道と判じたまへり。面面のごときの智者はさもか 0000_,31,862a01(00):候はんずらん、それすら時機いかん、いかにいはんや 0000_,31,862a02(00):鈍根無智の極悪最下のともがらは真言止観の修行にか 0000_,31,862a03(00):なふべからす。もとも空しかるべしといへり。おのお 0000_,31,862a04(00):の不審まちまちなりといへども、ついには浄土易行に 0000_,31,862a05(00):結成せり 0000_,31,862a06(00):第六 牛飼童徃生の事 0000_,31,862a07(00):同年十月下旬に五条の坊門高倉に牛飼童あり。つねに 0000_,31,862a08(00):上人へまひり念仏の安心徃生の得否のことをたづねま 0000_,31,862a09(00):ふす。今度この生滅しさふらいなば、二度かへりきた 0000_,31,862a10(00):るべき憂世にてもさふらはず、あひ難き彌陀の教文を 0000_,31,862a11(00):聴聞つかまつり候て、名号に信をとり邪正のほどをも 0000_,31,862a12(00):分別つかまつるべき徃生を治定仕候こと、上人の御恩 0000_,31,862a13(00):德にて候。上人聞しめし神妙にまふしたり。汝うき世 0000_,31,862a14(00):にあらんこと今十余日なるべし、世事をわすれて念仏 0000_,31,862a15(00):し来迎にあづかるべしとおほせければ、童涙をながし 0000_,31,862a16(00):申けるは、無始曠刧よりこのかたなん万刧の生死をお 0000_,31,862a17(00):くり候けん。いま徃生をとげ候こと上人の御恩徳にて 0000_,31,862b18(00):候へば、臨終の用意にとて十念給てまかり出ぬ。その 0000_,31,862b19(00):のち夜半に端坐合掌して徃生をとげおはんぬ。室の内 0000_,31,862b20(00):に光明ありて不思議の瑞相をあらはしけり 0000_,31,862b21(00):第七 後白河の法皇の崩御の事 0000_,31,862b22(00):建久三年後白河の法皇玉躰不予に御悩あり。門葉の人 0000_,31,862b23(00):人行舜僧正法眼円毫法印祐賢等御祈禱のために真読の 0000_,31,862b24(00):大般若五檀の供養なんどありしかども、そのしるしわ 0000_,31,862b25(00):たらせたまはず、日にしたがひて急急にならせ給ふ。 0000_,31,862b26(00):しかるあひだ法然上人をめされ出離の大事はひとへに 0000_,31,862b27(00):たのみおぼしめさるるとおほせければ、上人まふした 0000_,31,862b28(00):まはく十善の御戒行は過去は今生にきはまり、今生の 0000_,31,862b29(00):持戒勤行は未来の酬因となると、御栄華北闕の御たの 0000_,31,862b30(00):みは今生にきはまりおはします、万事の座下この病床 0000_,31,862b31(00):にきはまるとみへさせおはします。往生極楽の素懐な 0000_,31,862b32(00):んの御うたがいかわたらせ給ふべき。娑婆の御たのし 0000_,31,862b33(00):みは夢幻のごとし、極楽は無量無辺の法楽なり。九重 0000_,31,862b34(00):は有為の都浄土は無為法性の台なり。念仏往生の御信 0000_,31,863a01(00):心には無数の旧業を消滅して一念に真如の都にとつく 0000_,31,863a02(00):位なり。君兼ねて即身に往生はとげさせおはしまして 0000_,31,863a03(00):候へども、恩徳報謝のために御念仏わたらせ給ふべし 0000_,31,863a04(00):とまふさせ給ひしかば、法皇御座になをらせたまひし 0000_,31,863a05(00):かば西にむかひて合掌を御胸にあて念仏数遍にて、蓮 0000_,31,863a06(00):台結伽に素懐をとげさせ給ふ。御崩算六十一とぞ申し 0000_,31,863a07(00):ける 0000_,31,863a08(00):第八 無品親王御参附たり御白河法皇御 0000_,31,863a09(00):一周忌の事 0000_,31,863a10(00):同き年無品親王法然上人を善知識として御往生あり。 0000_,31,863a11(00):種種の奇瑞耳目をおどろかしけり 0000_,31,863a12(00):建久四年九月霊山平松の御房にをひて後白河の法皇御 0000_,31,863a13(00):一周忌のために七日御別行あり。結番衆二十三人な 0000_,31,863a14(00):り。第五夜の寅の尅に上人ただ御一人行道しおはしま 0000_,31,863a15(00):す。嵐はげしく吹きたりて正面の障子を吹たをし両燈 0000_,31,863a16(00):をふきけし暗夜に燈びなきに道場に光明あり、ひるの 0000_,31,863a17(00):ごとし。慈円僧正不思議におぼへて道場のうちらみめ 0000_,31,863b18(00):ぐらし給へば、人人の色みな金色なり。さて上人を見 0000_,31,863b19(00):まいらすれば御後に金色の円光たちたまへり。右の御 0000_,31,863b20(00):脇に生身の大勢至菩薩たちそひ給へり。上人行道した 0000_,31,863b21(00):まへば板の上一尺ばかり高き中をふみたまへり。御足 0000_,31,863b22(00):のしたには八葉の青蓮華をふみたまへり。念仏の御音 0000_,31,863b23(00):にしたかひて御口より光明いづ、慈円僧正月輪殿上人 0000_,31,863b24(00):を拝し給ひて、涙を流し五躰を地になげて礼したてま 0000_,31,863b25(00):つる。秋兼の三位入道観仏こえをあげ涙を流し帰命稽 0000_,31,863b26(00):首大勢至菩薩三身薩埵法然上人生生世世値遇頂戴とと 0000_,31,863b27(00):なふれば、二十三人の結衆も同音にかくのごとし。上 0000_,31,863b28(00):人とひたまはく、月輪殿申し給く、上人はおがませ給 0000_,31,863b29(00):や否。右の御脇に生身の勢至たちそひて行道しおはし 0000_,31,863b30(00):ます。かかる不思議の御ことこそ候はねと申されけれ 0000_,31,863b31(00):ば、上人かさねてとひたまはく、観音はおはしまさぬ 0000_,31,863b32(00):かと月輪殿しからずと答たまふ。上人おほせけるは三 0000_,31,863b33(00):心具足の念仏者をば中尊の阿彌陀仏とときたまへり。 0000_,31,863b34(00):観音勢至はともとなり給に勢至ばかりそひて観音のそ 0000_,31,864a01(00):ひたまはざるは思ひがたし。しかるに経には無量寿仏 0000_,31,864a02(00):化身無数与観世音大勢至常来至此行人之所とときたま 0000_,31,864a03(00):へり。又若念仏者当知此人是人中芬陀利華観世音菩薩 0000_,31,864a04(00):大勢至菩薩為其勝友当坐道場生諸仏家ともときたまへ 0000_,31,864a05(00):るに、観音のたちそひたまはざらんやと、おほきに不 0000_,31,864a06(00):審なりとぞおほせける。月輪殿おほせけるは生身薩埵 0000_,31,864a07(00):凡夫の肉眼にて礼したてまつらざることあゑて奇特に 0000_,31,864a08(00):はなし、上人三昧発得の厳重なること、たふとさ申す 0000_,31,864a09(00):ばかりなし 0000_,31,864a10(00):第九月輪殿へ熊谷入道参付たり鳥羽院御夢事 0000_,31,864a11(00):建久八年春上人月輪殿にて四帖の疏御談義有べき由に 0000_,31,864a12(00):て上人入御有り、熊谷推参仕る。上人留めばやと思し 0000_,31,864a13(00):めせども、さる者なればよも御前ちかくは参らじと思 0000_,31,864a14(00):食してあるほどに、上人御前にて御談義はじまる、熊 0000_,31,864a15(00):谷は沓ぬぎに居たりけるが、御法門の御こへとをくし 0000_,31,864a16(00):て分明にもきこへず、熊谷いひけるは、この穢土ほど 0000_,31,864a17(00):口惜き所はよもあらじ、極楽にはかかる差別はあらじ 0000_,31,864b18(00):ものをと、御座所がとをくして御法門がさだかにもき 0000_,31,864b19(00):こへばこそと腹立申しければ、月輪殿あれはなにもの 0000_,31,864b20(00):ぞと、上人おほせけるは武蔵国の住人熊谷入道と申す 0000_,31,864b21(00):ものにて候が、右大将殿をうらみて出家して伊豆国走 0000_,31,864b22(00):湯山に参籠して候しが上洛仕り、源空が弟子となりて 0000_,31,864b23(00):候が、いかさまかの入道が推参仕りて候と仰ければ、 0000_,31,864b24(00):月輪殿やさしし、なにかはくるしかるべきとて召る。 0000_,31,864b25(00):熊谷一言も式第申さずまいり、御椽に祗候す。念仏の 0000_,31,864b26(00):信によりて殿下の御緣をゆるされまいりけるこそめで 0000_,31,864b27(00):たけれ。建久八年に沙彌印蔵竜禅寺の滝のうへに一宇 0000_,31,864b28(00):の少堂を建立して、御身は泥仏の来迎の三尊を建たて 0000_,31,864b29(00):まつる。上人御供養ありて不断念仏を始じめおかる。 0000_,31,864b30(00):その後、鳥羽院に御夢想あり、厚きすみぞめの衣めし 0000_,31,864b31(00):たる老僧御寝所へをはしまして、われは法然上人彌陀 0000_,31,864b32(00):供養聴聞のためにいでたるなり、院も後には結緣候へ 0000_,31,864b33(00):とおどろかし申してきたれりとしめす。御夢こころ 0000_,31,864b34(00):に、いづくの僧にておはし候やらんと仰ければ、清水 0000_,31,865a01(00):のたきへまいらればをのづから現世安穏後生極楽とし 0000_,31,865a02(00):めし畢てたちかへらせ給ひ、御覧じてやがて次の日清 0000_,31,865a03(00):水寺へ御行あり、おほよそかの観世音菩薩の光中にお 0000_,31,865a04(00):いて五道を現じたまへり。そのゆへは経にいはく挙身 0000_,31,865a05(00):光中五道衆生一切色相皆於中現ととき、礼讃には五道 0000_,31,865a06(00):現光中と讃せり。善導も身光普現五道衆生と釈したま 0000_,31,865a07(00):へり。この観世音菩薩の天冠のうちに一立の化仏を頂 0000_,31,865a08(00):戴したまへり、これすなはち観世音の廿五三昧をもて 0000_,31,865a09(00):廿五有処の群類をすくひたまふ大慈大悲一立の、化仏 0000_,31,865a10(00):をつかさどり給へり。又この菩薩面色をば閻浮檀金の 0000_,31,865a11(00):色ととき給ひけり。面色をば彌陀の報身に同じて法楽 0000_,31,865a12(00):をうく。身色をば釈迦に同じてもろもろの群類を度す 0000_,31,865a13(00):る徳を標したまへり。まことに殊勝なる秘文なり 0000_,31,865a14(00):第十月輪殿選択集給の事 0000_,31,865a15(00):建久八年の初冬に月輪殿上人へ御まいりあり、いつよ 0000_,31,865a16(00):りも御こころしづかに御ものがたりあり。愚老一期の 0000_,31,865a17(00):あひだは明鏡にむかふここちして上人にあひ参せ、邪 0000_,31,865b18(00):正をひるがへし雑行自力をすて承はり、わけて信をか 0000_,31,865b19(00):たむけ候。一期ののち子孫にもつたへ、また末代の学 0000_,31,865b20(00):者の手本の証拠にもつかまつり候やうなる、肝要の治 0000_,31,865b21(00):定する聖教をすこしも方便権門なく、御制作候ひて給 0000_,31,865b22(00):り候はば当代末代のかがみと存知すべく候と仰けれ 0000_,31,865b23(00):ば、上人きこしめされそのむね勘がへ候て見参にいれ 0000_,31,865b24(00):べきとて、仮名書の文を上下巻えらまれ月輪殿へまひ 0000_,31,865b25(00):らせらる。至極拝見させたまひ心肝にそめて殊勝にお 0000_,31,865b26(00):ぼしめす。但仮名書あまり人人目易くしてもて遊び候 0000_,31,865b27(00):らはんも旡念に候。しかるべくは真名にゑらばれよ 0000_,31,865b28(00):と、同き九年正月に清書して一本月輪殿へ進ぜらる。 0000_,31,865b29(00):しかるべき学匠等にさづけさせ給へばみな秘蔵してさ 0000_,31,865b30(00):うなく見聞のともがらなし 0000_,31,865b31(00):第十一親鸞聖人御参の事 0000_,31,865b32(00):元久元年三月に一人の貴禅参りたり、これは弼の宰相 0000_,31,865b33(00):有国の五代の孫皇大后宮の大進有範の子なり。山門に 0000_,31,865b34(00):て少納言の公範宴と号す、慈鎮の風義を学び学海功積 0000_,31,866a01(00):て習学年たけ給へり。智恵幽長なるに依て生死の無常 0000_,31,866a02(00):をしり、仏土の果位をさとりてかの法然上人は八宗兼 0000_,31,866a03(00):学の碩徳、日本無雙の智者達もかの智恵にはすぐれじ 0000_,31,866a04(00):と風聞せしむるあひだ、かの貴房へ参じてその宗躰を 0000_,31,866a05(00):うかがひ、自力修学の稽古法門をもたて申し、浄土門 0000_,31,866a06(00):について不審をも申し、かの真義にも落居して速に生 0000_,31,866a07(00):死をはなればやとおぼしめし立て、吉水の門下にゆ 0000_,31,866a08(00):き、上人の見参にいりたまひ円融相続の極理倶円実相 0000_,31,866a09(00):のうへなれば、又密教において六大無碍の外は一物も 0000_,31,866a10(00):あるべからずといへり。聖道修行の道理どもをたてと 0000_,31,866a11(00):ひたまふ。上人すこしゑみをはしまして、浄土の法門 0000_,31,866a12(00):三経一論五部九巻の疏をひきあはせひきあはせおほせあり。 0000_,31,866a13(00):範宴首を地につけ聴聞あり、上人彌陀本願の奥旨別願 0000_,31,866a14(00):酬因の最頂凢夫頓速の法門折角を極めて後、大集月蔵 0000_,31,866a15(00):経にいはく我末法時中億億衆生起行修道、未有一人得 0000_,31,866a16(00):者、当今末法是五濁悪世、唯有浄土一門可通入路の文 0000_,31,866a17(00):明鏡なりと云云。聖道門の得益殊勝なりといへども、 0000_,31,866b18(00):鈍根無智のともがらはおもひがたきによりて、仏これ 0000_,31,866b19(00):をかがみて末世無仏のときの得益を現じたまへり。と 0000_,31,866b20(00):きに範宴公うけたまはりてやがて本宗をさしおきて、 0000_,31,866b21(00):上人口決のむねをうけ、たちまちに浄土の法門を学し 0000_,31,866b22(00):たまふ。その精奇特にして上人寵愛身にあまり給へ 0000_,31,866b23(00):り。ほどなく三経論蔵軌記章䟽等の御談義一遍わたし 0000_,31,866b24(00):たまふ、多遍の人にこえたり、義理をきくに一度にそ 0000_,31,866b25(00):の極祕を存知したまへり。生年廿九にして叡岳の住侶 0000_,31,866b26(00):をはなれ給て、改名を善信房とたまはり、範宴をあら 0000_,31,866b27(00):ためて綽空となのりたまひける。同二年の春選択集を 0000_,31,866b28(00):さづけられたまへり。かの選択集に内題の字と綽空外 0000_,31,866b29(00):題の字と南無阿彌陀仏往生之業念仏為本と、この三所 0000_,31,866b30(00):をば上人御真筆にてあそばして給はられたり。善信念 0000_,31,866b31(00):仏の信心肝に銘じ、法門の義理むねにみち、同き秋七 0000_,31,866b32(00):月に上人の真影をまふし給はるに、すなはち免許せら 0000_,31,866b33(00):れ団画したてまつる。同き月廿八日に真影の銘は上人 0000_,31,866b34(00):の御筆にあそばされたり。若我成仏十方衆生称我名号 0000_,31,867a01(00):下至十声若不生者不取正覚彼仏今現在成仏当知本誓重 0000_,31,867a02(00):願不虚衆生称念必得往生と云云。この文同く御真筆と 0000_,31,867a03(00):なり。そののち六角堂に御参籠のとき、太子の御夢想 0000_,31,867a04(00):により綽空を改めて親鸞となのり給へり、専修念仏の 0000_,31,867a05(00):祖師善信上人とまふすはこの親鸞上人の御ことなり 0000_,31,867a06(00):第十二雲朗僧正選択集披見付たり源空起請の事 0000_,31,867a07(00):元久元年甲子十月天台座主華頂峯の雲朗僧正学匠等を 0000_,31,867a08(00):集て選択集を御沙汰あり。その中に聖道門をすて浄土 0000_,31,867a09(00):門に帰すべきといふよりこのかた、一切の行を傍にす 0000_,31,867a10(00):べきむね、乃至随他のまへにはしばらく定散の両門を 0000_,31,867a11(00):開くといへども随自の後はかへりて定散の門を閉ぢよ 0000_,31,867a12(00):といふ文より始て、聖道門をすて定散をは閉ぢ雑行を 0000_,31,867a13(00):ばかたはらにせよといふ、この捨閉閣傍の四の名目を 0000_,31,867a14(00):座主とがめ給ひて、我祖師天台大師は四教五時をつく 0000_,31,867a15(00):りて大小権実をたてたまへり。嘉祥は五教を判じ三乗 0000_,31,867a16(00):真実のむねをあかし、恵果弘法は一代の仏教を顕教と 0000_,31,867a17(00):遣ひ、大日の一法を密教とおさめたまふ。各宗をたて 0000_,31,867b18(00):そのいはれあり。法然房のごときは諸宗を滅亡し諸教 0000_,31,867b19(00):を破するものなり。この学仏法の外道守屋にひとしき 0000_,31,867b20(00):ものをや。はやく天長を動かしたてまつり、洛中をは 0000_,31,867b21(00):らひながく旡間の地にうつすべきものをや。大徳達各 0000_,31,867b22(00):同心せしむるやいなやと、各もとも御義に同じたてま 0000_,31,867b23(00):つるとて、明日大講堂の庭に会合ありて定判におよぶ 0000_,31,867b24(00):べし、座主の御房を退散す。同く十五日山門蜂起して 0000_,31,867b25(00):三千の衆徒会合して僉義区なり。中にも西塔法師に但 0000_,31,867b26(00):馬の竪教浴秀すすみいでいいけるは、仏法はこれ王法 0000_,31,867b27(00):なり、仏法さかんの国には人法あつし、仏法破滅す、 0000_,31,867b28(00):抑源空法師の仏法興張のごときは本朝の仏法を増し王 0000_,31,867b29(00):法をあつくしたまふところに、神威をかざり仏法失せ 0000_,31,867b30(00):しむる輩をば太子種子を断じたまふ。これすなはちわ 0000_,31,867b31(00):が朝の仏法をおもんじ給ふゆへに法敵をほろぼす。し 0000_,31,867b32(00):かるに、源空法師を忽に断罪せしめ、諸宗仏法を興し 0000_,31,867b33(00):て王法繁昌の国たらんものをやと云云。又東塔南谷太 0000_,31,867b34(00):輔の註記祐覚すすんで云く、それ以れは吾山はこれ七 0000_,31,868a01(00):仏草創の地なり、三国伝法のみきんなり、桓武天王の 0000_,31,868a02(00):御宇に当山の中堂をたてられしより巳来、山すぐれて 0000_,31,868a03(00):諸山にうづたかく、薬師の威光も余仏にこへてなをひ 0000_,31,868a04(00):いでたり。しかれば当山の法燈をは湖上に同ずと、山 0000_,31,868a05(00):王御宣あるものをや。旡才旡了簡のともがらは法然の 0000_,31,868a06(00):智恵をたふとみ帰敬の首を傾くれども、当山はこれに 0000_,31,868a07(00):同ぜんや、日域に又仏法のごとく急速に洛中をはら 0000_,31,868a08(00):ひ、弟子等を遠国に配流せしむべきものやと云云。衆 0000_,31,868a09(00):徒もともともと同じて訴状をささぐ。奏覧をふるに君 0000_,31,868a10(00):用いましまさずば、神輿を陳頭にささげ入洛して天裁 0000_,31,868a11(00):を仰くべしと僉議して、やがて翌日訴状の草案して同 0000_,31,868a12(00):き七日に蔵人の註記清書して衆会の中にして披露せし 0000_,31,868a13(00):む。各これをききて神妙の義に同じて中山の大納言殿 0000_,31,868a14(00):へそへ状あり。三千の衆徒僉議一同の状進上せしめ 0000_,31,868a15(00):候。はやく天裁をかうぶり喜悦のまゆを開かんもの 0000_,31,868a16(00):か。源空法師一人と三千の衆徒等と思食かへべきや、 0000_,31,868a17(00):勅宣にしたがふべし。急速に天中に披露あらば本望に 0000_,31,868b18(00):候、恐恐謹言、十一月日謹上中山の大納言殿、訴状そ 0000_,31,868b19(00):へて不日に遣しけり。天中に披露あり、その勅宣にい 0000_,31,868b20(00):はく沙門源空の興隆仏法を信じて諸宗をおぼしめしす 0000_,31,868b21(00):てられず。先皇貴尊の仏法によるにあらず、かさねて 0000_,31,868b22(00):信ずるところなり。はやく山門の濫妨斑足のあはれみ 0000_,31,868b23(00):に属して、三千の鬱墳文にしたがひて徳に帰せよとな 0000_,31,868b24(00):り。天気かくのごとし、槐門藤原の朝臣隆房執達如 0000_,31,868b25(00):件、衆徒綸旨のおもむき拝見していよいよ遺恨をふく 0000_,31,868b26(00):み、神輿を下洛のよし、披露ある。上人難儀におぼし 0000_,31,868b27(00):めすによりて山王の御宝前にして御起請文、その状に 0000_,31,868b28(00):曰く沙門源空敬白山王七社護法善神諸宗誹謗のこと、 0000_,31,868b29(00):諸教破謗し自宗ひとり成立するにあらず、ただ廃権立 0000_,31,868b30(00):実するもの諸宗の常法なり、源空の新義にあらず、こ 0000_,31,868b31(00):れによりて諸教滅尽のもとにあらず、難易の二道は論 0000_,31,868b32(00):文明かなり、もし条条いつわらば六方の諸仏の知見に 0000_,31,868b33(00):もれ、ことに医王善逝の御加護にあづからず。別して 0000_,31,868b34(00):は山王七社の御罰をかうぶり、今度の宿願むなしくし 0000_,31,869a01(00):てながく生死に堕せん、よつて起請文如件 0000_,31,869a02(00):元久元年十月日沙門源空敬白、十禅寺の御宝前にお 0000_,31,869a03(00):され畢ぬ。重て七箇条の起請文これあり。二百余人の 0000_,31,869a04(00):連判これによりて山門やうやくしづまりけり 0000_,31,869a05(00):巻第六 0000_,31,869a06(00):第一法務大僧正公胤破選択の事 0000_,31,869a07(00):建久七年の夏薗城寺の碩徳大僧正公胤、上人御製作の 0000_,31,869a08(00):選択集を一見して大に偏執してかの書を破せんがため 0000_,31,869a09(00):に、一巻の文をつくり、浄土決疑抄とあらはす。この 0000_,31,869a10(00):書にいはく法花に即徃安楽の文あり、観経に読誦大乗 0000_,31,869a11(00):の句あり、法花読誦者、極楽に生ぜんこと疑なし。た 0000_,31,869a12(00):だ念仏を付属するこれおほきなる誤りなりといへり。 0000_,31,869a13(00):上人これを御覧じおはらず、さしおかせ給ていはく、 0000_,31,869a14(00):この難はなはだ非なり。まづ難破はその宗義をしりて 0000_,31,869a15(00):のち難ずべし。しかるにいま浄土の宗義にくらくして 0000_,31,869a16(00):僻難をいたさば、たれかよくやぶられざらんや。それ 0000_,31,869b17(00):浄土宗のこころ観経前後の説、大乗経をとりてみなこ 0000_,31,869b18(00):とごとく徃生の内に摂入せり、そのなかになんぞ法華 0000_,31,869b19(00):ひとりもれんや、観経にあまねく摂入するこころは念 0000_,31,869b20(00):仏に対して廃せんがためなりと云云。公胤これをつた 0000_,31,869b21(00):へききて脣をとぢてものもいはず。あるとき順徳院の 0000_,31,869b22(00):所胎のあひだ公胤は加持のためにめさる、上人は御徃 0000_,31,869b23(00):生の談のために召さる、おなじく院参あり、奉行遅参 0000_,31,869b24(00):のあひだは両人一所にしてしばじば浄土の法門を談ぜ 0000_,31,869b25(00):らる 0000_,31,869b26(00):第二浄土決疑抄を焼事 0000_,31,869b27(00):公胤本房にかへりて弟子等に向ていひけるは、昨日参 0000_,31,869b28(00):内に二の所得あり。一には未だきかざる浄土の宗義を 0000_,31,869b29(00):きく、二にはもとしりたることのひがめることを改 0000_,31,869b30(00):む、誠に以宏才也、見たつるところの浄土の宗義聖意 0000_,31,869b31(00):に違すべからずと仰れて、法然上人の義を信ずべし。 0000_,31,869b32(00):謗ぜるは大成るとがなりといひて、わがつくるところ 0000_,31,869b33(00):の浄土決疑抄をやきて畢ぬ。又公胤の不審には諸行を 0000_,31,870a01(00):ゆるさす悪人すら徃生す、いはんや諸行といへども皆 0000_,31,870a02(00):善也、何ぞあながちにきらふべきや。上人の御答には 0000_,31,870a03(00):一向専念無量寿仏ととけり。観経は繫念彌陀所想於西 0000_,31,870a04(00):方と説り。又同じき経に念仏衆生摂取不捨ととき、阿 0000_,31,870a05(00):彌陀経には一心不乱ととき、善導の御釈には一向専称 0000_,31,870a06(00):彌陀仏名と釈し給へり。天親菩薩は世尊我一心といへ 0000_,31,870a07(00):り。これ諸行をふさぐ文なり。諸行をまじへば雑行自 0000_,31,870a08(00):力也。これを随緣雑善恐難生と廃し給へり、いかん 0000_,31,870a09(00):第三桓舜僧都の事 0000_,31,870a10(00):正治二年の冬山門に桓舜僧都とて学匠あり。上人へ参 0000_,31,870a11(00):り聖道門の殊勝なる道理をやうやうたて由す、浄土門 0000_,31,870a12(00):は浅近の教なる条至極なり。上人しばらく愛してきこ 0000_,31,870a13(00):しめさる、彌陀の本願は権教権門にして得道愚かなり 0000_,31,870a14(00):なんどと、やうやう申しければ、上人諸宗のめでたき 0000_,31,870a15(00):こと言語忝じけなし、しかりといへども源空等がやう 0000_,31,870a16(00):なる愚癡のものは難行難悟のゆへに本願をたのみたて 0000_,31,870a17(00):まつり、彌陀の御力にて往生すべし、仏すでに大経観 0000_,31,870b18(00):経の両経に彌陀の名号は無上功徳ととき、又曰汝好持 0000_,31,870b19(00):是語持是語者即是持無量寿仏名と、彌勒阿難に付属し 0000_,31,870b20(00):たまへり。天台大師は難解難入且置不論即詣西方値仏 0000_,31,870b21(00):開悟としめしたまへり、宗家は又鈍根無智難開悟と釈 0000_,31,870b22(00):したへり、菩薩は又難易の二道を分別せらるること明 0000_,31,870b23(00):らかなり。御辺の仰らるる法門は源空習学せしことひ 0000_,31,870b24(00):と昔すぎたり、浄土の法門を習学せずしてをさへての 0000_,31,870b25(00):料簡は徒らごとなり。このたびの得道あやまり給な、 0000_,31,870b26(00):おほせらるる料簡は法華三昧の肝文すなはち彌陀な 0000_,31,870b27(00):り、かくのごときの法門をしらずば、目のはたのまつ 0000_,31,870b28(00):げをみざるとて浄土の法門聖道の修行に超過して往生 0000_,31,870b29(00):やすしと、三世の諸仏もとき、十方の仏も証誠したま 0000_,31,870b30(00):へりなんどといみじく、至極の御法門仰ければ、これ 0000_,31,870b31(00):も螫に学匠にて感涙をうかめて、やがて多年の習学を 0000_,31,870b32(00):さしをきて、浄土の法門を学して堅固信心をおこしけ 0000_,31,870b33(00):り。さてこの桓舜僧都は世にこへたる第一の貧者にて 0000_,31,870b34(00):ありけり。いままでは兎角して学文し住山したりし 0000_,31,871a01(00):が、いまは詮方なくして山王に祈請申すに、註しな 0000_,31,871a02(00):し、ちからなくして東山辺に住して念仏してありける 0000_,31,871a03(00):が、かやうにてもあり、かねて有時稲荷に参籠して祈 0000_,31,871a04(00):請するに、七日に満する夜、切紙に千石とかきたるふ 0000_,31,871a05(00):だをひたいに押れたてまつると、夢想をかうぶりて心 0000_,31,871a06(00):中に喜悦して、いまはかうとおもひ下向して三日とい 0000_,31,871a07(00):ふ夜のゆめに、白髪したる老翁まくらもとにきたりて 0000_,31,871a08(00):いはふ、われはこれ大明神の御使なり、汝に千石のふ 0000_,31,871a09(00):だを与へしかども、山王御制止あれば召帰ゑすぞとし 0000_,31,871a10(00):めし給けり。夢さめてのちこれをおもふに、誠に壮周 0000_,31,871a11(00):が小蝶となりて百年のあひだの苦楽、憂喜ことどもを 0000_,31,871a12(00):みれば、ただ一時がほどの夢なりしがごとし。これは 0000_,31,871a13(00):あまりに口惜しきとて山王に参籠して恨の祈請を申た 0000_,31,871a14(00):りければ、山王の御示現にいはく、桓舜はこのたび念 0000_,31,871a15(00):仏申て生死をはなるべきものなり、しかるに余命いく 0000_,31,871a16(00):ほども延べからず、千石の分限にては定て名利に着し 0000_,31,871a17(00):て栄花にさへられて往生不定なるべきあひだ、あひ計 0000_,31,871b18(00):うなり。我をうらむな、我は汝を憐むのその分はおも 0000_,31,871b19(00):ひはからふと示したまふ。ゆめに桓舜あな不思議の御 0000_,31,871b20(00):ことや、身の貧をもあながちに歎ぐべからず、福をも 0000_,31,871b21(00):欣ふべからず、三箇年ありて二月上旬に奇特の徃生と 0000_,31,871b22(00):げはんべり 0000_,31,871b23(00):第四上人流罪の事 0000_,31,871b24(00):元久二年三月に又山門騒動して上人流罪のよしいまに 0000_,31,871b25(00):延引す。そのいはれなしとてすでに三宮の御輿をかざ 0000_,31,871b26(00):り近明に人洛あるべきよし急速なりければ、公卿僉義 0000_,31,871b27(00):ありて不日に綸旨をなし下れけり。追立ての官人には 0000_,31,871b28(00):周防の判官元国、伊賀の判官末貞におほせつけられ論 0000_,31,871b29(00):旨ささげて月輪殿に参じて申けるは、上人の御房へ参 0000_,31,871b30(00):ずべく候へども、御心中はばかり存知候ひてまづ参じ 0000_,31,871b31(00):て候、綸旨かくのごとくと申す。月輪殿綸旨を取あげ 0000_,31,871b32(00):拝見せしめ給へば、配流せしむ法然上人之事 0000_,31,871b33(00):右山門の訴詔たるによりてすなはち法名を改め藤井 0000_,31,871b34(00):の元彦、配所は土佐国波多異説にはの三嶋明浄★巖屋にこ 0000_,31,872a01(00):れを遣す、仍綸旨如件 0000_,31,872a02(00):元久二年三月日参議藤原朝臣泰茂 0000_,31,872a03(00):月輪殿御涙を流し、兎角おほせもなし、上人へ進ぜら 0000_,31,872a04(00):る。上人もこのうへは力なしとて御出立あり。つぎの 0000_,31,872a05(00):日官人等大谷の御房へ参じて御衣を改め、俗衣をきせ 0000_,31,872a06(00):かへたてまつり、建久元年三月十八日御年七十四にて 0000_,31,872a07(00):御房を出させおはします。まず西八条少松殿の持仏堂 0000_,31,872a08(00):へうつしたてまつる、これによりて山門の蜂起しばら 0000_,31,872a09(00):く延引しけり、たふときを流し奉る法には、俗名をつ 0000_,31,872a10(00):け俗衣となさるることなり、よて年号も改め畢ぬ 0000_,31,872a11(00):第五住蓮後の事 0000_,31,872a12(00):さて上人をば月輪殿の御はからひにて法性寺の少御堂 0000_,31,872a13(00):にうつしたてまつり、しばらく御逗留あり。上人の御 0000_,31,872a14(00):弟子の中に住蓮安楽とて二人あり、一人は後白河の院 0000_,31,872a15(00):の北面に安部の判官盛久とてはんべりしが出家して安 0000_,31,872a16(00):楽となづく、住蓮は伊勢の次郎左衞門清原の信国とて 0000_,31,872a17(00):はんべりしが、出家して住蓮となづく。たがひに在俗 0000_,31,872b18(00):のときも申し承はり一所の傍輩たりしが、おくれさき 0000_,31,872b19(00):たつことを歎げき、終焉のきざみにはひとつはちすと 0000_,31,872b20(00):契りたりけるが、上人小松殿へうつらせ給てのちは在 0000_,31,872b21(00):在所所の念仏路次徃返の高声念仏も心やすからず、そ 0000_,31,872b22(00):の時は五条の内裏なり、上人へまいりてかへりけるが 0000_,31,872b23(00):内裏ちかくとをるとて一声をうたふたり、輪王位高け 0000_,31,872b24(00):れども七宝ひさしくとどまらず、天上のたのしみおほ 0000_,31,872b25(00):けれども五衰はやく現じける、南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏と申 0000_,31,872b26(00):してとをりける。使庁のものどもこれをききてなにも 0000_,31,872b27(00):のぞ、黒衣の師匠、配所に趣きたまふ。そのはばかり 0000_,31,872b28(00):なく禁制せらるる高声念仏申すはとて、走いで住蓮安 0000_,31,872b29(00):楽を是非なくはりふせけり。彼らたとひ王位にのぼる 0000_,31,872b30(00):とも、死せば悪趣にかへるべしと申しけれは、いよい 0000_,31,872b31(00):よ打擲して官人にあひふれて近衞の西の獄に入られけ 0000_,31,872b32(00):り。あくる年の三月十八日都を御出あるべきよし披露 0000_,31,872b33(00):ありければ、住蓮安楽も獄舎にてこれをきき、官人の 0000_,31,872b34(00):方へ申しけるは、罪科かろくしていたされば、いたさ 0000_,31,873a01(00):れ候へ、又誅せらるべくば近明日のあひだに誅せられ 0000_,31,873a02(00):候へ、師匠来十八日に配所におもむき給よしうけたま 0000_,31,873a03(00):はり候へば、生乍ら御伴申さざらんも、その甲斐なく 0000_,31,873a04(00):おぼへ候。一向誅せられたらば御とも申したるここち 0000_,31,873a05(00):にて候べしと申しければ、別当殿へ申す。さらば誅せ 0000_,31,873a06(00):よとて佐佐木の九郎吉実に仰付て近江の国馬淵にて誅 0000_,31,873a07(00):せられんと欲す。其時に至ればかの二人より上人へ状 0000_,31,873a08(00):まいらす、其状に云く我等いかなる身をもちて法の 0000_,31,873a09(00):ために命をおしむべきや、こともななめにおもひては 0000_,31,873a10(00):又もあふべき御法かは、極悪深重の衆生他力往生をと 0000_,31,873a11(00):げんとおもはば、住蓮安楽を手本にすべく候とて一首 0000_,31,873a12(00):極楽に参んことのうれしさに、身をば仏にまかせ 0000_,31,873a13(00):ける哉 0000_,31,873a14(00):さて二人ともに誅せられ畢ぬ。住蓮は頸より光をはな 0000_,31,873a15(00):ちておつる。くび高声念仏十余返となへ、安楽は頸お 0000_,31,873a16(00):ちてのち念珠をくること百八をもて、三返口より蓮華 0000_,31,873a17(00):出生す。これらの奇特をみてきらるるにもおそれず、 0000_,31,873b18(00):誅せらるるをもかなしまず、念仏して遁世するものこ 0000_,31,873b19(00):れおほし。上人これを御覧じて、御落涙あり、最後の 0000_,31,873b20(00):状なり 0000_,31,873b21(00):第六善恵房申さるる事 0000_,31,873b22(00):上人へ善恵房申れけるは、いまは御配所たり、御法門 0000_,31,873b23(00):を暫くとどめられてまづ都に御住候へかし、山門も心 0000_,31,873b24(00):しづかになだめられ候はばなどかしづまらで候べき、 0000_,31,873b25(00):御内心こそ念仏にて候とも人のこころをやすむべき、 0000_,31,873b26(00):御方便にてこそ候はんずれ、山門も訴訟むなしからざ 0000_,31,873b27(00):るいはれをもて申すことにてこそ候へ、ことの落居の 0000_,31,873b28(00):あひだまづ浄土の法門をとどむると御領掌候べくや候 0000_,31,873b29(00):らんと申しければ、上人たとひ源空がしたを八分にさ 0000_,31,873b30(00):かれ、新羅百済にしたつる嶋へ流罪せらるるとも、釈 0000_,31,873b31(00):尊の教主とし、彌陀如来の名号おしへたまふ御使とし 0000_,31,873b32(00):て、善導和尚おほせらるるむねをもて勧進するとがに 0000_,31,873b33(00):より、流罪の宣旨をかうぶらんこと、現当にとがを痛 0000_,31,873b34(00):むべからずとおもひ、かくのごとく畢んぬ。印土の僧 0000_,31,874a01(00):伽羅は后に踈名をとり、師子国にながさる、しかるに 0000_,31,874a02(00):観音現じて僧伽羅を訪ふ。晨且の一行は楊貴姫にあだ 0000_,31,874a03(00):なをとり果羅国におもむきしに、九曜現じてみちをて 0000_,31,874a04(00):らす。源空さしたる権者にてはなけれども、六方恒沙 0000_,31,874a05(00):の諸仏なじかはすてさせ給ふべき。とがまたかれに類 0000_,31,874a06(00):せず、ただし源空念仏することあり、余の州は念仏の 0000_,31,874a07(00):勧化とどきたるに四国にはいまだとどかず、かの国利 0000_,31,874a08(00):益あるべき瑞相とこそおほせければ、みなみな涙をな 0000_,31,874a09(00):がしたふとさ申ばかりなし 0000_,31,874a10(00):第七親鸞上人の事 0000_,31,874a11(00):ここに上人の御弟子の中に善信親鸞とておはしけり。 0000_,31,874a12(00):これ数百人の御弟子のなかに初心晩学なりけれども、 0000_,31,874a13(00):その精奇特にして聖人写瓶の御弟子なり。いまだ宿老 0000_,31,874a14(00):におよばずして宗の奥義をつたへて智徳諸方にみちふ 0000_,31,874a15(00):さがりければ、かねて天庁にそなはりさきだちて雲上 0000_,31,874a16(00):にきこえ、徳用やはたし給けん。君臣ともに猶予の上 0000_,31,874a17(00):は六角の前の中納言親経の卿、年来一門のよしみをと 0000_,31,874b18(00):をされけるが、折節議定の砌につらなつてなだめられ 0000_,31,874b19(00):申しけるによりて、死罪を遠流に定けり。すなはち配 0000_,31,874b20(00):所は越後国笠嶋の国府なり。よて還俗の姓名をくだし 0000_,31,874b21(00):藤井善信とあらたむ。同じくは上人洛中に御座の時申 0000_,31,874b22(00):しうけて、兼日に都を出んとて北陸道へおもむきたま 0000_,31,874b23(00):ふ。近来の御弟子なりといへども師匠同罪の遠流、且 0000_,31,874b24(00):は面目なり。配所にても御髪おろさず、しかれば禿の 0000_,31,874b25(00):御形なりければ愚禿の親鸞ともなのりおはします、こ 0000_,31,874b26(00):のゆへなり 0000_,31,874b27(00):第八賊人付たり月輪殿へ一句御相伝の事 0000_,31,874b28(00):同き二年三月廿三日の夜、上人近日に都を御出あるべ 0000_,31,874b29(00):きよし披露ありければ、僧俗われもわれもと参りけり。 0000_,31,874b30(00):その夜風吹きて月もいまだ出でざるに、たれともしら 0000_,31,874b31(00):ず悪党五六十人後門のかたより打入り、上人の御重宝 0000_,31,874b32(00):の仏具等巳下をうばひとりてまかりいでぬ。かの重宝 0000_,31,874b33(00):と申は紫旦の卓、紫藤の机、華林木の椅子、孤床の曲 0000_,31,874b34(00):篆、木綿豹虎の敷皮、氈白氈金羅夾綾の打敷、後白河 0000_,31,875a01(00):の法皇の御臨終のとき御ゆづりありし銀の水瓶、金の 0000_,31,875a02(00):硯箱、金の錫杖、上西門院の御受戒の御布施沈の丁立 0000_,31,875a03(00):香、椎紅椎朱香箱、壺には鐃州鏆乳、定州油滴、唐の 0000_,31,875a04(00):勝善大王より一条の院に献ぜられし栴檀の切目の経 0000_,31,875a05(00):箱、絵には潚湘の夜の雨、洞庭の秋の月、山市の晴 0000_,31,875a06(00):嵐、江天の暮雪、遠寺の晩鐘、遠浦の帰帆、平沙の落 0000_,31,875a07(00):鴈、漁村の夕照その外唐絵、梅華鈍子表背高蒔の箱に 0000_,31,875a08(00):いれられたり。このほかの重宝みなみなとりてにげさ 0000_,31,875a09(00):りぬ。聖覚隆寛随蓮成阿等ありあひて追かけければ上 0000_,31,875a10(00):人仰けるはこの悪党どもにつへのひとつもうちあつべ 0000_,31,875a11(00):からずと、御制禁有ければ、力なくしてとどまりぬ。 0000_,31,875a12(00):上人いかがおぼしめされけん、面面は来るべからずと 0000_,31,875a13(00):て悪党の跡をたづねておはしますほどに、稲荷の神の 0000_,31,875a14(00):御前の北ますみの谷といふところへたづね入、御覧ず 0000_,31,875a15(00):ればうばひとるたからを配分せんとす。かれらが並居 0000_,31,875a16(00):たるうゑに、ひらき岩のうへに御座ありて汝らにいふ 0000_,31,875a17(00):べき子細ありてこれまできたりたるなり。こころをし 0000_,31,875b18(00):づめてききたまへ、人のかしこきといふは後世をおそ 0000_,31,875b19(00):れて来世のつとめをするをいふなり、罪業つくる困緣 0000_,31,875b20(00):をかんがへてみたまへ、ただ衣食の二なり、しかるに 0000_,31,875b21(00):この身といへるは須臾旦暮の間、電光朝露の身をもて 0000_,31,875b22(00):長時永劫の苦をまねかんこと悲てもなをあまりあり。 0000_,31,875b23(00):されば古人のいはく町にのぞみ市にまぎれても遁れが 0000_,31,875b24(00):たきは病のみちなり、城にこもり巖窟にいれてもふせ 0000_,31,875b25(00):ぎがたきは無常の殺鬼、さりてかへらざるはわが身に 0000_,31,875b26(00):つもるとし生じて死門に向ふことは山水よりもなをは 0000_,31,875b27(00):やし、指を折りて數ふればみし人もおほく死す。かし 0000_,31,875b28(00):こきもさり、はかなきもとどまらず、善導のいはく人 0000_,31,875b29(00):間忩忩営衆務不覚年命日夜去と説給ふ。朝夕こそつと 0000_,31,875b30(00):めざらめ、人の財宝をわが物として六道に輪廻せんこ 0000_,31,875b31(00):と、いかでか歎ざからんや。世事をなげすてて一心に 0000_,31,875b32(00):彌陀を念じて不退の楽をうけ、無量無辺の苦をはなれ 0000_,31,875b33(00):んことうたがひなしといふよりはじめて、初発心のい 0000_,31,875b34(00):まより仏果証得の位をうくるまで御教化ありければ、 0000_,31,876a01(00):悪党ども涙ながし首をかたむけて聴聞つかまつる。御 0000_,31,876a02(00):弟子等もこの時になれば、一所にまいりこれを聴聞し 0000_,31,876a03(00):て御伴しかへり、跡にのこりたる人人にかたりあひて 0000_,31,876a04(00):涙を流しけり。かかる所にいまの悪党ぬすみたる物を 0000_,31,876a05(00):ささげて上人の御まへにさしおく。上人おほきに御腹 0000_,31,876a06(00):を立おはしましておほせけるは、汝等はこころえのも 0000_,31,876a07(00):のにあらざるなり。このもの源空乞ひにきたるとおも 0000_,31,876a08(00):ふか、人のこころざしなればとりておきたり。一塵も 0000_,31,876a09(00):のこさず給りてまかりかへれと仰られければ、面面竭 0000_,31,876a10(00):仰の色をあらはしけり。さて聖人都に御越年ありしか 0000_,31,876a11(00):ば、また山門おこるべきよし風聞あり、以て外のわづ 0000_,31,876a12(00):らひなるべしとて、配所へ御くだりあるべきよしな 0000_,31,876a13(00):り。官人どもあじろ輿のむねもすだれもやぶれたるを 0000_,31,876a14(00):さかさまに、かきてまいりたり。上人の御輿みぐるし 0000_,31,876a15(00):さよと申しあひければ、上人御覧じてこれこそ源空が 0000_,31,876a16(00):本意なれとて、すでに召されんとす。その時になれば 0000_,31,876a17(00):月輪殿御輿の長轅にとりつかせ給ひて、泣泣仰ける 0000_,31,876b18(00):は、今をもていにしへをおもふに長命ほどロ惜ものは 0000_,31,876b19(00):はんべらず。御出京の後たのみたてまつるべき善知識 0000_,31,876b20(00):もおはしまさず。さだめて臨絡せんことのこころうさ 0000_,31,876b21(00):よとて、御落涙ありければ、上人おほせけるは源空一 0000_,31,876b22(00):期申さぬ法門一句まうすべし、かきとどめて失念せず 0000_,31,876b23(00):御徃生し給へとおほせければ、おのおの涙をとどめて 0000_,31,876b24(00):硯をならし、筆を点じて書つけんとしたまふ。上人言 0000_,31,876b25(00):く、つみは十悪五逆も滅してん、しかも少罪をもつく 0000_,31,876b26(00):らずとおもふべし、罪人すら徃生す、いかにいはんや 0000_,31,876b27(00):善人をや、一念十念に往生すと信じて一生称念すべ 0000_,31,876b28(00):し、肝要にはこれこそ申べけれとて御自筆にあそばし 0000_,31,876b29(00):たまふ。自身現是罪悪生死凡夫曠劫巳来常没常流転無 0000_,31,876b30(00):有出離之緣者、決定深信彼阿彌陀仏四十八願摂受衆生 0000_,31,876b31(00):無疑無慮乗彼願力定得往生とあそばしてこれを源空と 0000_,31,876b32(00):も御覧じて臨終し玉へとて遣されければ、月輪殿三度 0000_,31,876b33(00):礼してふかく納給ふ。さて月輪殿官人等にむかひて仰 0000_,31,876b34(00):けるは、配所は土佐国とさだめらるれども他人の所領 0000_,31,877a01(00):なり、たれか上人によくあたり申すべき、讃岐国中の 0000_,31,877a02(00):郡は自らが所領なり、それへ下りまひらせばやとおも 0000_,31,877a03(00):ふはいかがあるべきと仰ければ、二人の官人等かしこ 0000_,31,877a04(00):まて承候。土佐国を讃岐国へひきかへて勅勘の身とま 0000_,31,877a05(00):かりなりて禁獄流罪候とも、上人に命をまひらせたる 0000_,31,877a06(00):こそと申しければ、月輪殿おほきに悦びおはしまして 0000_,31,877a07(00):讃岐国少松の庄のあづかり所もとへさきに御使をつか 0000_,31,877a08(00):はさる。配所の上人当国へ御くだりあり、自身下りた 0000_,31,877a09(00):りと思ひて懇にあたりまいらすべし。疎略に存ぜば定 0000_,31,877a10(00):めて後悔あるべしと御書をくださる。去ほどに四つの 0000_,31,877a11(00):太鼓も鳴りければ、官人ども御輿まいらせよと申けれ 0000_,31,877a12(00):ば、その時になれば月輪殿秋兼殿堀河殿右京極殿大宮 0000_,31,877a13(00):殿巳下、坂東の武士受学相承の御弟子達三百余人御輿 0000_,31,877a14(00):の前後にひれふして声をたてて泣きかなしむ。御輿の 0000_,31,877a15(00):前には藤井の元彦と札をおさる。上人御歳七十五、去 0000_,31,877a16(00):年の冬より御髪をめされねば白髪と御坐あるになし打 0000_,31,877a17(00):烏帽子をひきいれ進らせ、水色の御直垂を被された 0000_,31,877b18(00):り。承元元年四月十一日の午の剋に御出あり、多年受 0000_,31,877b19(00):学の恩徳常随給仕のよしみ晝夜朝暮の御名残なれば、 0000_,31,877b20(00):声をあげて泣悲しむ。公方の御力者をばのけて、角帳 0000_,31,877b21(00):の成阿沙彌随蓮、覚阿道仏等を力者の棟梁として、御 0000_,31,877b22(00):弟子十二人は公方よりの御供惣じて六十三人、御輿の 0000_,31,877b23(00):前後につきまいらせて七条を西へ、大宮をくだりに鳥 0000_,31,877b24(00):羽をさして御くだりあり。法性寺より鳥羽までは御輿 0000_,31,877b25(00):をとをしゑず、しるも知らざるも貴賤男女みちの左右 0000_,31,877b26(00):に充満して袖を顔にあて、袂をしぼらぬはなし、あは 0000_,31,877b27(00):れなりし御ことどもなり 0000_,31,877b28(00):卷第七 0000_,31,877b29(00):第一鳥羽より御船に被召事 0000_,31,877b30(00):官人船を点じて十一艘草津より御船にめされたり。折 0000_,31,877b31(00):節鴨河桂河の水まさり箭を射わたすがごとし。宇土野 0000_,31,877b32(00):辺にておほせけるは、源空今度四国へくだり利益ある 0000_,31,877b33(00):べくばゆふさりの夜半にしるしあるべしとおほせけれ 0000_,31,878a01(00):ば、官人とも御座船と雙べてくだりけるが、おほせう 0000_,31,878a02(00):けをたまはりて筆を染、これを註して申しあひけるは 0000_,31,878a03(00):この事げにも実事ならば上人ただ人にてはおはします 0000_,31,878a04(00):べからず。なに事あらん、とくこの日がくれよかしと 0000_,31,878a05(00):ぞ申しあひける 0000_,31,878a06(00):第二神崎御着天王寺別当参付たり傾城事 0000_,31,878a07(00):さる程に神崎につき御座船をば橋よりかみにひきのぼ 0000_,31,878a08(00):せてつけたてまつる。おのおの船もみな一所につく。 0000_,31,878a09(00):ここに天王寺の別当大納言の律師おくれさまに参りた 0000_,31,878a10(00):り、これも同じくならびてつく、そのほかの商人ふね 0000_,31,878a11(00):国人の船かず十艘上しもにつきたり。人しづまりて水 0000_,31,878a12(00):引きしたる笠さして小船一艘美女に櫓をせて上人の御 0000_,31,878a13(00):座ふねちかくよせて、美女を使として御ふねへまふし 0000_,31,878a14(00):いるは、都より貴き上人の御くだりのよしきこへさせ 0000_,31,878a15(00):たまひてさふらふほどに、神崎の長者御前のおんむす 0000_,31,878a16(00):め御前に御引手ものたまふらんとて参給ひて候。御座 0000_,31,878a17(00):船へいれまひらせんと申。そのとき隆寛律師屋形の内 0000_,31,878b18(00):より立いでて返事せられけるは、思よらざる所望か 0000_,31,878b19(00):な、さやうのことをば商人船国人の船なんどの方へこ 0000_,31,878b20(00):そいふべけれ、上人はもとより御所持なく象眼のたぐ 0000_,31,878b21(00):ひもなし、美麗をこのませたまはねは絹布のたぐひも 0000_,31,878b22(00):なし、一鉢のそこむなしけれは米糓もなし、なかんづ 0000_,31,878b23(00):くに上人の御座船なり、いかでか婬女の身としてまひ 0000_,31,878b24(00):るべき、とくとくまかりかへれとて屋形のうちへいり 0000_,31,878b25(00):ぬ。傾城此よしをききて情も慈悲もましますべき上人 0000_,31,878b26(00):の御座船にだにも御いとひあり、ましてたれだれの人 0000_,31,878b27(00):か情あるべきとて又も申さず。そののち東西しづまり 0000_,31,878b28(00):て良久しくありてのち、齢廿四五かとみへし傾城扇を 0000_,31,878b29(00):もて船ばたをとうとうと打て調子をとりすましたり、 0000_,31,878b30(00):人人みみを峙ててきけば、いまやうを一つうたうた 0000_,31,878b31(00):り。女人は仏の母ときく、釈迦も女人の所生なり、有 0000_,31,878b32(00):漏無漏かけて済度する、仏の悲願の御法にも女人みち 0000_,31,878b33(00):びく誓あり、洩さぬ慈悲ときくものを、なにとて女人 0000_,31,878b34(00):を隔つらんと、二三返うたふてのち一首かくばかり 0000_,31,879a01(00):よしあしとたれ選らん津国や、なにはの事も隔て 0000_,31,879a02(00):なきもの 0000_,31,879a03(00):とぞ詠じける。上人これをきこしめてたまたまの御こ 0000_,31,879a04(00):とにはいしくもうたふたりとぞおほせけり。人人もい 0000_,31,879a05(00):まやうの上手哉とぞ感じあひける。そののち又傾城使 0000_,31,879a06(00):をもて申しけるは、今生の御ひきで物こそ思召しよら 0000_,31,879a07(00):ずとも、後生の御ひきでものに御法門を一句うけたま 0000_,31,879a08(00):はり候はんと申入たり。上人このよしきこしめされて 0000_,31,879a09(00):神妙に申入たり、まいれと仰ければ、五人の傾城ども 0000_,31,879a10(00):まひる。齢卅ばかりなるを老女としてみなさかんのも 0000_,31,879a11(00):のどもなり。なるみすまして参るおほくの船の人人、 0000_,31,879a12(00):月は折節くまなし目をすまして見物する、上人の御前 0000_,31,879a13(00):なる僧侶を一所へよせられましましてすへさせたま 0000_,31,879a14(00):ふ。上人かれらを御覧じておほせけるは、なんぞ旁の 0000_,31,879a15(00):法門の所望と候なるは、いかやうの法門ぞ、まづこの 0000_,31,879a16(00):人間界のありさま有為無常の理をおもひしるべし、生 0000_,31,879a17(00):をうくるものはかならず死にいたる習なり。北州の千 0000_,31,879b18(00):年非相が八万刧終に其期あり、いはんや南浮不定の身 0000_,31,879b19(00):をや、老たるはのこり若きはさきだつことはりなり。 0000_,31,879b20(00):無常念念にいたれは常死王居すと説たれば、今日は人 0000_,31,879b21(00):のうへと思へどもつゐには身のうへに来んこと一定な 0000_,31,879b22(00):り。善導和尚の給はく、汝等勿抱臭屍臥、種種不浄仮 0000_,31,879b23(00):名人、如得重病箭入躰、衆苦痛集安可眠と仰られたれ 0000_,31,879b24(00):ば、汝たち貌はよくとも十王争でかすて給べき、色は 0000_,31,879b25(00):白くとも無間の猛火の煙にはくろむべし、形は尋常な 0000_,31,879b26(00):りとも獄率の杖にはあたるべし、こえは妙なりとも猛 0000_,31,879b27(00):火のせめにはさけぶべし、髪はながくとも命はみじか 0000_,31,879b28(00):かるべし、よいには枕にかざるとも明けなば鳥のすと 0000_,31,879b29(00):ならん、人の一期のくることは、ただ幻のごとし、か 0000_,31,879b30(00):くてこの身つきてのち、さてしもあらんいかがせん、 0000_,31,879b31(00):魂ひ中有にうかれゆく、引路の牛頭は手をひきて閻魔 0000_,31,879b32(00):の庁にいざなへば、催行の悪鬼は鉾をとぢていそぎゆ 0000_,31,879b33(00):けとてせむるなり。かかる苦患にあひぬればゆかじと 0000_,31,879b34(00):すれど甲斐ぞなき。善悪一期の振舞は、浄婆梨の鏡に 0000_,31,880a01(00):うつさんとき、獄率におもてをまもられんこと口惜し 0000_,31,880a02(00):さよ。恥をさらすのみにあらず、ついに無間におちて 0000_,31,880a03(00):多百千刧の苦をうけんこと、今生一期の振舞によるべ 0000_,31,880a04(00):きなり。汝たちが消息は、日もゆふぐれになりゆけ 0000_,31,880a05(00):ば、もとなきかたちをつくりかへ、一葉の船にさをさ 0000_,31,880a06(00):してよろづの船にのりうつり、月の光にかげみへて、 0000_,31,880a07(00):おなじ枕にかたならべ一つ衾のしたにふし、わづかに 0000_,31,880a08(00):一夜の契して、又に、わかれゆく、思思のうつり香 0000_,31,880a09(00):は、よしなきこととは思はぬか。すててもすつべきは 0000_,31,880a10(00):今生一期の妄執なり、欣ひてもねがふべきは彌陀如来 0000_,31,880a11(00):の本願安養の浄刹なり。有漏の穢身を早く捨て輪廻の 0000_,31,880a12(00):裟婆をはなれて、かの土の快楽をうくべきなりと、は 0000_,31,880a13(00):じめて諸教にもきらはれ、諸仏の利益にももれたる悪 0000_,31,880a14(00):人女人を、彌陀他力の誓願をもて来迎引接したまふい 0000_,31,880a15(00):はれの御法門小夜ふくるほど御教化ありて 0000_,31,880a16(00):罪といひ業といへるもみな消る、南無阿彌陀仏の 0000_,31,880a17(00):こえのしたにて 0000_,31,880b18(00):とあそばしければ、傾城どもさめざめとうち泣きて心 0000_,31,880b19(00):肝にそみたる有様にて、かかるありがたき善知識にあ 0000_,31,880b20(00):ひまいらせ候こと、まことに宿習とこそ思参せ候と 0000_,31,880b21(00):て、御まへをたちけるが、申しけるはさて、彌陀如来 0000_,31,880b22(00):の御誓願はかかるあさましき女人をも念仏申し候はば 0000_,31,880b23(00):かならず迎へさせ給ふべきこと決定にて候やと申せ 0000_,31,880b24(00):ば、上人この人間だにも約束はたがはず、いはんや仏 0000_,31,880b25(00):の御誓にしたがふて六方恒沙の諸仏証誠なぜかはむな 0000_,31,880b26(00):しかるべからずと仰ければ、ありがたき御ことに候ひ 0000_,31,880b27(00):けりと申して、我船にのりうつりてもどりけり。さて 0000_,31,880b28(00):この傾城の行方を見るに橋よりかみに大船ありける 0000_,31,880b29(00):に、せがひのしたに船をつけてしばらくありてはし船 0000_,31,880b30(00):にのり、美女に櫓を押せて上人の御船へまいる傾城一 0000_,31,880b31(00):人小袖ふかくかづき、上人の御まゑにて申けるは、こ 0000_,31,880b32(00):れはさきにまいりて候ひつる傾城の中よりにて候、四 0000_,31,880b33(00):国へ御くだりの御はなむけにまいらせ候、われらが衣 0000_,31,880b34(00):裳はにほひふかきそのおそれすくなからず候、これぞ 0000_,31,881a01(00):御こここにかなひまいらせんとおぼへ候とて、手箱一 0000_,31,881a02(00):合とりいだし上人の御まへにおく 0000_,31,881a03(00):第三悪党出家の事 0000_,31,881a04(00):かかるところに長たかき男の年齢四十ばかりなるが、 0000_,31,881a05(00):むくらちの直垂きて袖をかみに打かけて、行器をかた 0000_,31,881a06(00):かた提げて、上人の御船へまいる。おそるる所なくそ 0000_,31,881a07(00):でかざしながら畏まて申けるは、これは去ぬる三月に 0000_,31,881a08(00):法性寺の小御堂にして狼藉仕て候し五十三人のものど 0000_,31,881a09(00):も、同心して京都にて御引で物たてまつるべきよし内 0000_,31,881a10(00):内申候しかども、おもふほどととのおらず候て、これ 0000_,31,881a11(00):までみなみな参じて候、いそぎ御目にかけられ候へと 0000_,31,881a12(00):てたち退ぞく。上人このよしきこしめされ御そばちか 0000_,31,881a13(00):く召けり。まづ傾城のまいらせたる手箱をひらきて御 0000_,31,881a14(00):覧ずれば、ひきあはせ二つつみたるもの五袋あり、ひ 0000_,31,881a15(00):らきて御覧ずればたたうたるもとゆいにて、むすびた 0000_,31,881a16(00):る髪をねふかくきりたり、上人左の御手こてもとゆい 0000_,31,881a17(00):ぎはをとつて引きあげ御覧ずれば、たけにもあまりた 0000_,31,881b18(00):るらんとみゆ、残をひらき御覧ずれば思思のもとゆい 0000_,31,881b19(00):にてゆいたる髪をきりたり、上人五の髪を左の御手に 0000_,31,881b20(00):とり、右の御手にてかきなでてこれみ給へや、老僧た 0000_,31,881b21(00):ち、さかりの女の貌には髪にすぎたる物なし、ただい 0000_,31,881b22(00):ままでみめをつくりなし、人によく見えんと思ひつる 0000_,31,881b23(00):ものどもぞかし、しかるに一向の法門によりかやうに 0000_,31,881b24(00):なりぬることよ、源空は七十五の老年におよべども、 0000_,31,881b25(00):いまだかほどの道心はなし、一句の法門に永刧の魂を 0000_,31,881b26(00):養ふといへるは、これらのことぞかし、おのおのはな 0000_,31,881b27(00):にと、ききたまへる法門ぞやとて、御涙をながしおは 0000_,31,881b28(00):しませば、船中の僧侶みな涙をながしけり。官人もこ 0000_,31,881b29(00):れをみて涙押へがたくぞはんべりけり。さて五人傾城 0000_,31,881b30(00):どもみな御まへにめされければ、みなはだみゆるほど 0000_,31,881b31(00):ぞきりたる、これを不思議とおぼしめすところに、惡 0000_,31,881b32(00):党らがまいらする所の行器蓋をひらきて御覧ずれば、 0000_,31,881b33(00):或はいつところ、或はなにところゆいたる髪をきりて 0000_,31,881b34(00):五十三まで行器にいれて持参せり。これをとりいだし 0000_,31,882a01(00):て御覧じて人人にむかひて仰せけるは、年来より人を 0000_,31,882a02(00):殺害せし山賊海賊をつかまつり、口中の味ひとしつる 0000_,31,882a03(00):大悪人の、一句の法門に答へてかくのごとく道心をお 0000_,31,882a04(00):こすことのうれしさよ、はやばやこれへまひれと仰せ 0000_,31,882a05(00):ければ、各各まいりて申しけるは、都にてもとゆいを 0000_,31,882a06(00):もきるべく候つれども、よくよく堅固の信心を治定仕 0000_,31,882a07(00):り候はんあひだ、今まで延引仕り候と申しあげたり。 0000_,31,882a08(00):上人神妙なりとて出家法号さづけさせ給て仰けるは、 0000_,31,882a09(00):いかならん山の奥、岩のはざまに籠居しても念仏申し 0000_,31,882a10(00):て往生すべし、穴賢穴賢、ひるがへる心なかれと仰ら 0000_,31,882a11(00):れて十念をさづけてかへさせ給ひけり。さて五人の傾 0000_,31,882a12(00):城ども申しける、いかならん火の中水の底にいり候と 0000_,31,882a13(00):も、南無阿彌陀仏と申候はば、決定往生すべく候やら 0000_,31,882a14(00):んと問申せば、子細におよばす死するところはなにと 0000_,31,882a15(00):もあれ南無阿彌陀仏ととなふれば、仏来迎し給ふと仰 0000_,31,882a16(00):ければ、心やすく候とて十念給はりてまかりたつ、わ 0000_,31,882a17(00):が船にのりて上人の御坐船の方へ笠さしかざし、おの 0000_,31,882b18(00):おの西にむかひて高声に念仏申し、合掌をむねにあて 0000_,31,882b19(00):十念いまだ終らざるに、五人の傾城水の底に入終ぬ。 0000_,31,882b20(00):彼等美女どもこれはいかにやとておめき出でたり。方 0000_,31,882b21(00):方の船ども騒ぎけり。美女申しけるは、御出家をだに 0000_,31,882b22(00):も浅ましきことにおもひまいらせつるに、かくのごと 0000_,31,882b23(00):くならせたまひぬるよ、老老とならせまします大方と 0000_,31,882b24(00):のと申し、我等までもなにとなりゆけと思食ぞやとて 0000_,31,882b25(00):泣き悲しむ。去程にある船より水連とびいりて、五人 0000_,31,882b26(00):の死骸をかつぎあげて、橋のうへにならべおきたり。 0000_,31,882b27(00):異香そのあたりに薫ず、紫雲はこき紅のごとし、橋の 0000_,31,882b28(00):上にたちかこみ、水面にかかり乱転して紫藤の華のご 0000_,31,882b29(00):とし。かの死人をむかへて母にみすれば、合掌の印も 0000_,31,882b30(00):みだれす、口は咲めるがごとし、眼はねむるににた 0000_,31,882b31(00):り。河と宿所のあひだには瑞華ちり、異香また室にみ 0000_,31,882b32(00):つ、奇特の往生をとげ畢ぬ。母この瑞相を見て歎きも 0000_,31,882b33(00):さまではなかりけり。すなはち上人を請じたてまつり 0000_,31,882b34(00):申しけるは、今生に執心のとまるもかれらがゆへな 0000_,31,883a01(00):り。往生をとぐること歎きの中の悦びにて候へば、い 0000_,31,883a02(00):まは生ても詮なく覚候、生身の如来の大善知識のおは 0000_,31,883a03(00):しますとき、ともに往生こそとげたく候へとて、すな 0000_,31,883a04(00):はち髪をおろし授戒法号たもちて、十念を給て往生人 0000_,31,883a05(00):等をば荼毘し畢ぬ。上代も中比も有難かりし往生な 0000_,31,883a06(00):り。其後母三十五日まで仏事勤行して、その曉おとろ 0000_,31,883a07(00):へず、ねむるがごとく往生をとげけるとぞきこへけ 0000_,31,883a08(00):る。 0000_,31,883a09(00):第四中納言律師参事 0000_,31,883a10(00):さる程に上人はその宿所両三日御逗留ありて、明れは 0000_,31,883a11(00):十五日御船にめされ尼ヵ崎へ御くだりあり。順風しか 0000_,31,883a12(00):るべかりしかば、兵庫の嶋和田の三崎へ御ふねつく、 0000_,31,883a13(00):夜半ばかりに経が嶋の方より船一艘来て、上人の御座 0000_,31,883a14(00):船にならべてつく。船より僧一人上り御船に参る。こ 0000_,31,883a15(00):れは天王寺のさきの別当中納言の律師弘鑒、子細ある 0000_,31,883a16(00):によつて国へくだりけるが、上人の見参にいらんため 0000_,31,883a17(00):にまいられたり、終夜御物語申しはんべり、人人睡眠 0000_,31,883b18(00):したり 0000_,31,883b19(00):第五鬼神参事 0000_,31,883b20(00):しかるところに丑の時ばかりにおよんで、おほなみ一 0000_,31,883b21(00):つたち来て上人の御船にちかづく、上人あやしく思食 0000_,31,883b22(00):す、御船のへより、なみ二にわかれんとして見えて、 0000_,31,883b23(00):屋形の戸をさしのぞみたる物を御覧ずれば、赤色の鬼 0000_,31,883b24(00):神なり。又左の方よりのぞめるものを御覧ずれば、白 0000_,31,883b25(00):色の鬼神なり。おそろしさ申すばかりなし。弘鑒はす 0000_,31,883b26(00):たはち船の底へかくれ畢ぬ。御弟子等も迷惑してたゑ 0000_,31,883b27(00):いりたるもあり、おどろきおちおののきけり、角張の 0000_,31,883b28(00):成阿随蓮ばかり兎角して振ひ振ひ気をとりなをし、一 0000_,31,883b29(00):所にして申しけるは、上人鬼神に害せられましまさ 0000_,31,883b30(00):ば、山門よりはじめて在在所所に法然は邪法を執する 0000_,31,883b31(00):あひだ、鬼神に生ながら取れたるなんと嘲哢せられた 0000_,31,883b32(00):まはんことの口惜さよ、鬼神上人を害したてまつらぬ 0000_,31,883b33(00):さきに一刀と思切て左右を守護したてまつる。されど 0000_,31,883b34(00):も物をも申さず上人も御目を塞ぎ、御顔をも動かし給 0000_,31,884a01(00):はず、良ありて鬼神等まふさく、師匠を思ふこころざ 0000_,31,884a02(00):し浅からず、哀れにこそはんべれ、別の子細あるべか 0000_,31,884a03(00):らずと申。その時随蓮なにごとに参りたるぞ、とくと 0000_,31,884a04(00):く申せと、時に鬼神上人に一大事を申いれんためにま 0000_,31,884a05(00):いりたり。なにごとの所望ぞと仰ければ、鬼神申さ 0000_,31,884a06(00):く、我等よりもおそろしきものや御覧じ候と申す、上 0000_,31,884a07(00):人仰けるは汝等よりはるかに醜しきものこそもちた 0000_,31,884a08(00):れ、無始曠刧よりこのかた我身に付き副ひたる悪業煩 0000_,31,884a09(00):悩の無常殺鬼これなり、かれにほだされて生死に流転 0000_,31,884a10(00):してそこばくの苦をうく、汝等も無常の殺鬼にせめら 0000_,31,884a11(00):れて、死苦をうけて三悪道に随んこと、疑ひなし、あ 0000_,31,884a12(00):る経にいはく 0000_,31,884a13(00):有情輪廻生六道 猶如車輪無始終 0000_,31,884a14(00):或為父母為男女 世世生生乎有恩 0000_,31,884a15(00):といへり。汝等源空がために父母ともなり、兄弟とも 0000_,31,884a16(00):なり、親属ともなりつらん、いかでかおそろしかるべ 0000_,31,884a17(00):きと仰ければ、鬼神うちうなづきて、上人はまことの 0000_,31,884b18(00):智者にておはしましけり、我等二人父母あり、今年七 0000_,31,884b19(00):百才にまかりなる。いま三百才をへて死せんことをな 0000_,31,884b20(00):げく、この命を二三千才にものべて給はるべしと申し 0000_,31,884b21(00):いれんために、まいりたりと申す、ときに上人源空こ 0000_,31,884b22(00):そものの命をながくなすことをしりたれと云云。その 0000_,31,884b23(00):とき鬼神四国へ具足してまいるべしとて怱然としてか 0000_,31,884b24(00):くれ畢ぬ。上人仰せけるは、いかにや御房達ここちと 0000_,31,884b25(00):りなをせとぞ仰ける。官人等もかくのごとく不思議を 0000_,31,884b26(00):うけたまはりて、いよいよ上人を帰敬したてまつりけ 0000_,31,884b27(00):り。上人御船よりあがりまします、人人もあがり鬼気 0000_,31,884b28(00):に酔ひたるここち散じけり 0000_,31,884b29(00):第六上人和田千僧三昧へ御入事 0000_,31,884b30(00):上人は和田の千僧といふ三昧所へあがらせたまふ。こ 0000_,31,884b31(00):れは行基菩薩の千人の僧を請じて供養せられしゆへ 0000_,31,884b32(00):に、和田の千僧と号せり。それに一夜御やどりあつて 0000_,31,884b33(00):阿彌経千巻念仏百万返となへて亡者を御訪ひあつて、 0000_,31,884b34(00):あくれは十七日御船にめされんとす。さて六十三人の 0000_,31,885a01(00):御伴の人これよりかへりぬ。十二人は公方より名字を 0000_,31,885a02(00):さし、四国へつきそひ給ふべし、讃岐国えとをる人人 0000_,31,885a03(00):次第不同 0000_,31,885a04(00):法蓮信空 修理の大夫信隆の子息侍従信真子なり、十二才 0000_,31,885a05(00):より参る 0000_,31,885a06(00):善恵証空 加賀の勝賢入道藤原の員外の子息、十四才より 0000_,31,885a07(00):参る 0000_,31,885a08(00):観法 秋兼三位入道の子息、十三才より参る 0000_,31,885a09(00):浄蓮 堀河右大臣入道殿子息、十一才より参る 0000_,31,885a10(00):唯実 大和権の守入道殿子息、十三才より参る 0000_,31,885a11(00):明円 土御門中納言の御娘高松殿の御局と申、後白河 0000_,31,885a12(00):の法皇御落胤腹と云云 0000_,31,885a13(00):唯観 京極のおほゐ殿の妹南都法師中納言の公と申せ 0000_,31,885a14(00):しが、十九歳より参たり 0000_,31,885a15(00):円信 これは月輪殿落胤腹山門にして蔵人の註記と号 0000_,31,885a16(00):す、よつて月輪殿御不審蒙る間、離山して御室 0000_,31,885a17(00):へ参り少将の竪者と名乗て、上人につき参て後 0000_,31,885b18(00):御不審許さる 0000_,31,885b19(00):西道 本は醍醐の座主御弟宰相阿闍梨弁覚、二条の中 0000_,31,885b20(00):将公忠御弟なり 0000_,31,885b21(00):信法 御室の坊官侍従法眼祐導子息、十三より参極雙 0000_,31,885b22(00):人なり 0000_,31,885b23(00):成阿 信州角張の七郎大郎子息、廿三にしてもとどり 0000_,31,885b24(00):切り、一向信心念仏者とはんべりけり 0000_,31,885b25(00):随蓮 後白河の院北面にて泉の判官高橋の基時入道廿 0000_,31,885b26(00):五にして出家して無智也と云へども信心堅固の 0000_,31,885b27(00):人なり 0000_,31,885b28(00):第七御共の人帰洛の事 0000_,31,885b29(00):さて都へかへる人人小原の顕真、慈円僧正、実俊僧 0000_,31,885b30(00):正、竹林寺浄賢、明禅法印、澄憲、浄憲、聖覚、寛 0000_,31,885b31(00):雅、慶賀、隆寛、明遍、神岡聖、松林院聖、大和入道 0000_,31,885b32(00):行得、明恵、聖俊乗上人、八坂聖、生馬上人、横河僧 0000_,31,885b33(00):正、無動寺の僧正性空、徃生院の念仏房、蔵人入道、 0000_,31,885b34(00):日向入道巳下をはじめとして、已上五十三人は都への 0000_,31,886a01(00):ぼる。ゆくもかへるもたがひの御名残どもあはれな 0000_,31,886a02(00):りしことどもなり。上人御船にめさる、同く十二人の 0000_,31,886a03(00):りたまふ、皈洛の人人陸にとどまる、後会その期をわ 0000_,31,886a04(00):きまへず、たがひの命もしらざれば、これをかぎりと 0000_,31,886a05(00):ぞ歎給ひける。いまを最後と思はれければ五十三人の 0000_,31,886a06(00):中より 0000_,31,886a07(00):法のためなれぬる人の別れ路に、なにと涙の先に 0000_,31,886a08(00):立つらん 0000_,31,886a09(00):習はねばそむる袂もしぼらぬに、此別れにぞうき 0000_,31,886a10(00):もしらるれ 0000_,31,886a11(00):船中の十二人の中 0000_,31,886a12(00):別れ行くあとははかなき白浪に、なを打ちそうる 0000_,31,886a13(00):我がなみだかな 0000_,31,886a14(00):思ひやうき世の中に廻りきて、ためし少なき名を 0000_,31,886a15(00):はながしぬ 0000_,31,886a16(00):上人の御詠 0000_,31,886a17(00):別れ路の程は雲ゐを隔つらん心は同じ華の台ぞ 0000_,31,886b18(00):官人已下にいたるまでみな袖をしぼりけり、かくてあ 0000_,31,886b19(00):るべきにあらねば御船はすでにいでにけり。四国へと 0000_,31,886b20(00):をる人人も、ちかきほどはこえを通じて名残をおし 0000_,31,886b21(00):み、皈洛の人人も御船とをざかり、なみにへだたり、 0000_,31,886b22(00):跡すむまで船津にひれふして泣泣見おくりたてまつり 0000_,31,886b23(00):けるが、御船雲ゐのほかにかすかになりければ、なみ 0000_,31,886b24(00):だとともに都へのぼりけり。さて上人はなにしおふ明 0000_,31,886b25(00):石の浦あい崎林崎と、松原高砂尾上の松を御覧じて浦 0000_,31,886b26(00):浦にして御結緣ありて室の津に御船つけまいらする。 0000_,31,886b27(00):さて弘鑒は人しれず鬼気に酔ひて憶病やみにふして二 0000_,31,886b28(00):三日ありけるが、ここちとりなをし上人より改名性真 0000_,31,886b29(00):たとたまはりて、上人の御かたちを張たてまつる。船 0000_,31,886b30(00):中の張御影とて二尊院の塔にましますこれなり 0000_,31,886b31(00):第八室津の傾城の事 0000_,31,886b32(00):室の津にて又傾城どもまいりたり。長者申しけるは、 0000_,31,886b33(00):わらは浅増きわざを立つる身なれども、後生は仏にな 0000_,31,886b34(00):りはんべるべきいはれや候らん、重代かかる身とむま 0000_,31,887a01(00):れ来て、日にかはり時にしたがひて、いまだ客に近付 0000_,31,887a02(00):く、世をしらずわたることまめやかに罪業とおぼへ候 0000_,31,887a03(00):ひなんと、かきくどきまふして一首 0000_,31,887a04(00):闇きよりくらき道にぞ入りにける、遙かに照らせ 0000_,31,887a05(00):山の端の月 0000_,31,887a06(00):上人世に哀げに思しめして仰けるは、まことによくよ 0000_,31,887a07(00):く身のほどを思ひしりてありけり。諸仏菩薩の悲願は 0000_,31,887a08(00):いづれおとり給はず、しかりといへども彌陀如来は女 0000_,31,887a09(00):人徃生の別願をおこし給へり、信心堅固にして名号を 0000_,31,887a10(00):行住坐臥にとなへ給、終焉には仏かならず来迎引接あ 0000_,31,887a11(00):るべしとより始めて、くれぐれと御教化ありければ、 0000_,31,887a12(00):左右眼に涙をうかべてたつ、良久しくして又長者をは 0000_,31,887a13(00):じめとして六人引き連れて参り、出家法号をたもちて 0000_,31,887a14(00):十念たまはりて一首あり 0000_,31,887a15(00):思きやうき世をいとう折節に、誓ひの船や渡りあ 0000_,31,887a16(00):ひけん 0000_,31,887a17(00):その後道心堅固にして念仏ものうからず。終焉のきざ 0000_,31,887b18(00):み異香屋にみつ、紫雲みぎにたなびき、不思議の徃生 0000_,31,887b19(00):をぞとげにける。この長者の先祖小松の天王娘宮玉判加陵風芳と有けり 0000_,31,887b20(00):江口、神崎、室、兵庫の傾城はこのすへなり。いにし 0000_,31,887b21(00):へより、道心深くして奇特をあらはすことおほし 0000_,31,887b22(00):第九讃岐へ御付の事 0000_,31,887b23(00):同き廿一日讃岐の国中の郡えつかせ給ひけり。高橋入 0000_,31,887b24(00):道西忍のもとへいれまひらする。上人をば別所へ宿せ 0000_,31,887b25(00):させまいらせ、月輪殿より先達て仰くだされけるうへ 0000_,31,887b26(00):は、斜めならず煩りたてまつり。湯屋結構し美膳調味 0000_,31,887b27(00):しつ、そのあひだの経営いかがとぞ振舞ける。官人等 0000_,31,887b28(00):をもてなし引出物なんど仕る。別段の儀にきらめきけ 0000_,31,887b29(00):れば、上人のゆへなりとよろこびあへり、これは在家 0000_,31,887b30(00):にて候へばとて、当庄の内清福寺へいれまいらする。 0000_,31,887b31(00):この寺は真言上乗霊場なりければ、上人の念仏の勧化 0000_,31,887b32(00):をうけ、帰伏したてまつる事斜ならず。去る程に、官 0000_,31,887b33(00):人等いとま申して皈洛つかまつる、官人たけしと申せ 0000_,31,887b34(00):ども、このあひだの所所の御法門に人の皈伏せしむる 0000_,31,888a01(00):事、発心遁世のやう、自水徃生のこと、こころなき鬼 0000_,31,888a02(00):神に至までこの化導におもむくを見聞するに、生身の 0000_,31,888a03(00):薩埵と拝し奉るうへ、船中の御なごりに袖をしぼりか 0000_,31,888a04(00):ねてぞみへし。されども留まるべき身ならねば、同き 0000_,31,888a05(00):四月廿八日に後会を契りまいらせ、十念給りて泣泣皈 0000_,31,888a06(00):洛つかまつりけり 0000_,31,888a07(00):卷第八 0000_,31,888a08(00):第一慈円僧正の御旧跡へ参給事 0000_,31,888a09(00):さて都へ登たまへる人人は、諸方の事どもをきかじと 0000_,31,888a10(00):て、各隠居してはんべりけるが、卯月半もすぎける 0000_,31,888a11(00):に、慈円僧正、醍醐の房官尾張の法眼快尊、御室房官 0000_,31,888a12(00):少輔法眼祐範両三人あひともなひ大谷の御房へ参て、 0000_,31,888a13(00):上人の御旧跡を忍びたてまつり、御房に一夜宿して終 0000_,31,888a14(00):夜ら恋慕、涕泣し給ふ。去年の冬比よりすみあらし給 0000_,31,888a15(00):へる御房なれば、人跡たへて草しげり、籬のおきにこ 0000_,31,888a16(00):ととへば、嵐ひとりかなしめり、軒のしのぶの色みれ 0000_,31,888b17(00):ば、つゆは涙をあらそへり、のきはもまばらになりぬ 0000_,31,888b18(00):れば、月の光のさし入て、暁の燈をかかぐ、すだれた 0000_,31,888b19(00):へては風よるのかきをはらひ、松の嵐はげしくて、板 0000_,31,888b20(00):まをたたく音すれば、枕にかよう夢もなし、なにごと 0000_,31,888b21(00):につけても、心をいたましめずといふことなし。快尊 0000_,31,888b22(00):申しけるは、あはれやな上人御坐のときは、門葉市を 0000_,31,888b23(00):なし、結緣数をしらず、仏法繁昌の庭には、利益さか 0000_,31,888b24(00):りのみきんとこそみへしに、いつしかかやうに荒はて 0000_,31,888b25(00):て、浅増くなりはてぬることよ、年序をへてすえには 0000_,31,888b26(00):雉兎の栖とこそならんずらんめ。さればかかる正法興 0000_,31,888b27(00):行の霊場、権化有緣のところもまのあたりなるべきと 0000_,31,888b28(00):はおぼへずとて、落涙千万しければ、慈円といひける 0000_,31,888b29(00):は、善悪の二をならぶるに、悪はつよく善はよはし、 0000_,31,888b30(00):正法なれども一旦は魔障にさへらるれども、魔事外道 0000_,31,888b31(00):はついには達せず、仏法滅亡することなし、仏在世の 0000_,31,888b32(00):ありさまをきくに、機緣あるほどときこへたり、その 0000_,31,888b33(00):ゆへは須達長者伽藍を建立して、如来ならびに仏弟子 0000_,31,889a01(00):を一生涯のあひだ供養したてまつらんと欲す、しかる 0000_,31,889a02(00):べき露地なし、しかふして祇陀太子天下無雙の勝地を 0000_,31,889a03(00):持たり、水竹左右にうけ、菓樹前後にならぶ、ここに 0000_,31,889a04(00):須達長者祇陀太子にかの地を所望し奉る、太子答たま 0000_,31,889a05(00):はく、おしむべからず、かの地のうへに金をあつさ六 0000_,31,889a06(00):寸にしきみてよ、得さしむべしとの給へり。長者よろ 0000_,31,889a07(00):こびて金をはこび、その地のうへに敷みちて東西へ十 0000_,31,889a08(00):里、南北へ七百余歩なり、然れば一千七百一十五間の 0000_,31,889a09(00):御堂を建立す。そうして一百余院の精舎なり、仏菩薩 0000_,31,889a10(00):大阿羅漢をすへたてまつり、日日に百味の飲食をおく 0000_,31,889a11(00):りたてまつること廿五年の間なり、かの所を祇樹給孤 0000_,31,889a12(00):独薗となづく、かくのごとくめでたかりし寺なれど 0000_,31,889a13(00):も、もとは逝多林となづく伽藍を祇薗精舎と称す、舎 0000_,31,889a14(00):密多羅王精舎をやぶりすてて、人をころす所とさだま 0000_,31,889a15(00):りけり、よて四大天王ならびに沙渇羅竜王いかりをな 0000_,31,889a16(00):し、そらより大磐石をくだし、人を打ころす、数箇年 0000_,31,889a17(00):をへてのち忉利天より帝釈第二の御子ふりて、人王と 0000_,31,889b18(00):なりて造立したまへり、そののち又数箇年をへて天魔 0000_,31,889b19(00):やきはらひ畢ぬ。いま荒廃の地となりて礎居のみのこ 0000_,31,889b20(00):るとつたへり、さればこれも化緣つきぬるにやとて、 0000_,31,889b21(00):落涙し枕をあらうばかりなり、折節明方に郭公雲井は 0000_,31,889b22(00):るかにおとづる、慈円僧正一首 0000_,31,889b23(00):あるじなき荒たるやどは涙もる、我を訪らう鳥の 0000_,31,889b24(00):はつねか 0000_,31,889b25(00):と詠じ、明ぬれは両三人ひきつれて、御房のうへにの 0000_,31,889b26(00):ぼる。遠見するところに青石のおもてひろく大なるあ 0000_,31,889b27(00):り、この石のそばより青蓮華のつぼめるが生出でた 0000_,31,889b28(00):り。快尊これをみて慈円につげたてまつる。僧正み給 0000_,31,889b29(00):て不思議なりと称美せらる、祐範石のつきぎはよりと 0000_,31,889b30(00):りて、慈円にまいらせらる、よくよく御覧ずれば、蓮 0000_,31,889b31(00):華の茎に四句の文あり。建暦二年源空帰洛、臨終正念 0000_,31,889b32(00):往生荼この文まことに奇特なり、これは承元元年な 0000_,31,889b33(00):り、さては建暦といふ年号あるべきか、このこと披露 0000_,31,889b34(00):あるべからずとて慈円ふかくおさめたまへり 0000_,31,890a01(00):蓮葉の糸くりかへす物ならば、わこくに華はさき 0000_,31,890a02(00):ぞさかへん 0000_,31,890a03(00):上人の別の子細なく御帰洛あらば、念仏の御勧化いと 0000_,31,890a04(00):ど日本に流布すべき瑞相なりとぞの給ける。たれ披露 0000_,31,890a05(00):するともなきに京に沙汰あり 0000_,31,890a06(00):第二玉垣の観音付たり夢想の事 0000_,31,890a07(00):ここに無動寺の僧正の弟子に大弐の註記といふ少僧あ 0000_,31,890a08(00):り、遁世して諸国一見しけるが、伊賀の国山田の郡服 0000_,31,890a09(00):部の庄玉垣の観音堂に通夜したりければ、夜半ばかり 0000_,31,890a10(00):に不思議なる化人どもきたりて、上人赦免なくば国土 0000_,31,890a11(00):に大疫おこるべしと申してかきけすやうに失にけり。 0000_,31,890a12(00):このこと又洛中に披露あり、承元二年四月八日の夜、 0000_,31,890a13(00):仁和寺の法親王横河の僧正同き夜の夢に法然上人建暦 0000_,31,890a14(00):二年に臨終あらんときは、頭北面西右脇なるべしと天 0000_,31,890a15(00):童きたりてつげけりと御覧ず 0000_,31,890a16(00):第三月輪殿御逝去の事 0000_,31,890a17(00):月輪殿上人左遷のことをあながちになげきおはしまし 0000_,31,890b18(00):て、その御思ひにや、承元元年五月五日御年八七にし 0000_,31,890b19(00):て御往生させたまひ畢ぬ。上人配所にしてきこしめさ 0000_,31,890b20(00):れ御なみだ千万行なり 0000_,31,890b21(00):第四清福寺に御越年付たり支度の道場の事 0000_,31,890b22(00):さて上人はそのとしも清福寺にて御越年おはします、 0000_,31,890b23(00):ここに承元二年八月に上人を支度の道場へ請じたてま 0000_,31,890b24(00):つる、風ははげしく、浪たかくして、御船くつがへる 0000_,31,890b25(00):がごとし、されども別の御ことなし 0000_,31,890b26(00):第五松山御参詣の事 0000_,31,890b27(00):松山の庄長楽寺へ挙しまいらする、ここにしばらく御 0000_,31,890b28(00):逗留あり、御弟子等、いざや当国にきこゆる松山みん 0000_,31,890b29(00):としてゆきけれぽ、上人もわたらせたまひけり、眺望 0000_,31,890b30(00):のいと面白さに人人一首のうたをよみければ、上人い 0000_,31,890b31(00):かにして 0000_,31,890b32(00):いかにしてわれ極楽にうまれまじ、彌陀の誓のな 0000_,31,890b33(00):き世なりせば 0000_,31,890b34(00):人人この御詠心へられず、当所の景気、もしはひなの 0000_,31,891a01(00):すまひなんこそ現したくはんべれ、これはその儀なし 0000_,31,891a02(00):と難じ申しければ、こころのすめばこそ角いふなりと 0000_,31,891a03(00):仰せけり 0000_,31,891a04(00):第六律師の母の事 0000_,31,891a05(00):あるとき上人律師に仰せけるは、秋風にたぐひてもの 0000_,31,891a06(00):の吟ずるはきくかと、律師申さく、なにとも分別仕ら 0000_,31,891a07(00):ず候と、あれこそ律師の御房が母よと仰せければ、む 0000_,31,891a08(00):ね打さはぎ興さめて申しけるは、いかなる罪業により 0000_,31,891a09(00):ていかなるものとなりてかくのごとく候らん、又いか 0000_,31,891a10(00):なる妾念によりてつみあるらん、まづ鋤鍬をもて御堂 0000_,31,891a11(00):の辰巳のいしずへのしたをほりて見給へと仰せけれ 0000_,31,891a12(00):ば、夜をみあかしてほりければ、大鼓の胴のごとくな 0000_,31,891a13(00):るものをほりいだす、律師あさましく思ふて上人の見 0000_,31,891a14(00):参にいれけり。かくのごときのものをおけと仰せあり 0000_,31,891a15(00):て、御弟子等をめし同音に念仏ひと時ばかりありて、 0000_,31,891a16(00):かのものやうやくうごきいでけり、これをみるに餓鬼 0000_,31,891a17(00):にてぞはんべりけり、律師いかんしてか仏道なるべく 0000_,31,891b18(00):候らんと申せば、七日念仏すべしと仰せけり、三日あ 0000_,31,891b19(00):りて餓鬼申けるは、清きうつはものにゆきをえさせよ 0000_,31,891b20(00):とこふ、いかんととへば、すずりふでをこふ、むかし 0000_,31,891b21(00):ならひたりとて、四句の文をかきてまいらする。餓鬼 0000_,31,891b22(00):多苦痛是苦尤無極、我願亦未来生妙光音天とかきてま 0000_,31,891b23(00):いらする。上人これを御覧じて餓鬼を御教化ありける 0000_,31,891b24(00):は、いま苦にせめられて光音天をうらやむことなか 0000_,31,891b25(00):れ、これも無常転変の内なり、されば正法念経に天上 0000_,31,891b26(00):欲退時心生大苦悩地獄衆苦痛十六不及一とときたま 0000_,31,891b27(00):ふ、はやくなんじ念仏して浄土へ往生すべしと仰せけ 0000_,31,891b28(00):れば、餓鬼ひとへに念仏し他念なし、七日別地結願の 0000_,31,891b29(00):日念仏していきたへ畢ぬ。紫雲そらにたなびき不思議 0000_,31,891b30(00):の往生をとげけり。この罪のむくひは十八になる継子 0000_,31,891b31(00):の娘、六十九歳の姑の尼公に、あまりにつらくあたる 0000_,31,891b32(00):ほどに自害したりける、その因果に餓鬼とはなりたり 0000_,31,891b33(00):と人まふしけり 0000_,31,891b34(00):第七鬼神徃生の事 0000_,31,892a01(00):そののち上人を佐渡浦といふ所へ召請申。御船にて入 0000_,31,892a02(00):御あり、夕日海中に入てのち黒雲うずまきたり。上人 0000_,31,892a03(00):の御座船の辺におつと見へければ、鬼神三四人参た 0000_,31,892a04(00):り。二人は兵庫にてまひりたりし鬼神どもなり、竹杖 0000_,31,892a05(00):つきたる鬼神におほせけるは、まことか汝等いのちの 0000_,31,892a06(00):みじかきことをなげくかと、かれ答申けるは、我年齢 0000_,31,892a07(00):七百才をたもてり、死にいたらんこといくばくなら 0000_,31,892a08(00):ず、あの赤白の鬼神は我子なり、われいつまでもぞい 0000_,31,892a09(00):たく候と申す。上人おほせけるは、汝等がかたちにた 0000_,31,892a10(00):だしく生類を害していのちとし、悪業日にまして後生 0000_,31,892a11(00):には必ず三悪道におつべし、頓く命を捨て仏果のかた 0000_,31,892a12(00):ちをうくべしと、時に仏果とはなにものぞと申せば、 0000_,31,892a13(00):上人御笈より絵像の阿彌陀如来を船の屋形にかけたて 0000_,31,892a14(00):まつり、仏果とはかくのごとくの御かたちなり、汝ら 0000_,31,892a15(00):はやく南無阿彌陀仏と称して身躰をすてよ、あの御か 0000_,31,892a16(00):たちになりて親子ともに極楽にして、無量刧のあひだ 0000_,31,892a17(00):あひそひて無量無辺の快楽をうくべしとなりと仰けれ 0000_,31,892b18(00):ば、鬼神手をあはせ三度うちうなづき、十念をさづけ 0000_,31,892b19(00):おはしましけり、さて本尊を申しうけて四人の鬼ひん 0000_,31,892b20(00):がしをさしてさりぬ。つき日晩におよび、東に紫雲た 0000_,31,892b21(00):つ、上人鬼神徃生したりとおぼゆる、ふねいだせとて 0000_,31,892b22(00):紫雲にしたがひたづねいらせたまへば、讃岐の国と阿 0000_,31,892b23(00):波の国とのさかいに万才山槨見の巖といふところにた 0000_,31,892b24(00):づねいりて御覧ずれば、そびへたる岩のうゑに申しう 0000_,31,892b25(00):けたる本尊をかけたてまつり、この御前より四人なが 0000_,31,892b26(00):ら身をなげ死にてんけり。上人おほせけるは一句の法 0000_,31,892b27(00):門にこたへて不惜身命のこころざし、肝に命じ、徃生 0000_,31,892b28(00):をとげけり、こころなき鬼畜なれども奇瑞をあらはさ 0000_,31,892b29(00):んことよ、いはんや人倫においてをや、いかでか道心 0000_,31,892b30(00):なからんや、鬼畜木石にもおとるべしとぞ仰せける。 0000_,31,892b31(00):さて死骸を一所にとりをき、そのうへに一宇の御堂を 0000_,31,892b32(00):たて本尊にはくだんの阿彌陀の画像を安置したてまつ 0000_,31,892b33(00):り、上人御供養ありて鬼骨寺となづけられけり、とき 0000_,31,892b34(00):に阿波の国の守護に少笠原の次部義秋が所領のうち、 0000_,31,893a01(00):免田十町寄進して、かれらが菩提をとぶらひけり、め 0000_,31,893a02(00):でたかりしことどもなり、 0000_,31,893a03(00):第八成阿父の虵の事 0000_,31,893a04(00):さるほどに当国に御越年あり、あくれは承元三年にな 0000_,31,893a05(00):る、土佐の国室の津金剛智足擢の三崎を拝廻し給ひ 0000_,31,893a06(00):て、三月のすえに又清福寺へ御かへりあり。同五月下 0000_,31,893a07(00):旬に上人角張の成阿をめして仰けるは、曼陀羅寺の東 0000_,31,893a08(00):に大石に蝉のなくがごとくなるこえのするはきくか 0000_,31,893a09(00):と、成阿申さく、いまは冬にても候はず、夏になりて 0000_,31,893a10(00):候へばさも候らんと申。上人仰ける、それこそ成阿が 0000_,31,893a11(00):父よ、徃て岩をわりてみよと仰けれは、あまり不思議 0000_,31,893a12(00):さにかけの大槌、鶴のはしを用意してかの岩をわりて 0000_,31,893a13(00):みれば、なかくぼなかくぼとしたるところに水三分ばかり 0000_,31,893a14(00):あり。そのなかに三尺ばかりなる赤竜わだかまりては 0000_,31,893a15(00):んべり。道俗貴賤是をより見物す。成阿これをみて心 0000_,31,893a16(00):もさだかならず。父七郎政氏にておはしまさば、衣の 0000_,31,893a17(00):袖へうつり給とむかへければ、袖にうつりてぞはんべ 0000_,31,893b18(00):りける。あとをみれは我是観音寺勧行令落止罪業所感 0000_,31,893b19(00):果石堀為蛇身、ときに成阿懺悔しけるは、角張の庄に 0000_,31,893b20(00):観音寺といふ御堂あり、免田三町二段在家一宇候、親 0000_,31,893b21(00):父政氏かれを勘落して我が党の給恩とす、その罪業の 0000_,31,893b22(00):むくひ疑がひなしと申。上人仰せけるは、信濃国のこ 0000_,31,893b23(00):とはこれまでこへて、当国にてかくのごとくあるはな 0000_,31,893b24(00):にごとぞ、成阿申けるは、かの寺の別当阿闍梨良秀と 0000_,31,893b25(00):申せし人は、当国禅通寺の人と申候ひしが、ことの緣 0000_,31,893b26(00):候ひて信濃にこえてかの寺の別当となりて候ひける 0000_,31,893b27(00):が、免田勘落ののち詮方なくて帰国仕候ひぬと承り候 0000_,31,893b28(00):しが、その念力にこたへて蛇身をばうけたるとおぼへ 0000_,31,893b29(00):候とて、恭敬渇仰したてまつること斜ならず。さて少 0000_,31,893b30(00):蛇七月十五日の念仏の最中、念仏聴聞すとおぼへて上 0000_,31,893b31(00):人にむかひまいらせて、うちのびて死に畢ぬ。上人の 0000_,31,893b32(00):おほせには少蛇徃生したりと仰せける。紫雲たなびき 0000_,31,893b33(00):たりければ、人人不思議のおもひをなしけり、さるほ 0000_,31,893b34(00):どに攝津国神崎よりはじめて傾城の自求徃生おなじく 0000_,31,894a01(00):五十三人の悪党遁世のこと、浦浦の釣人等の殺生をと 0000_,31,894a02(00):どむること、室津の遊君の出家、鬼神捨身徃生のこ 0000_,31,894a03(00):と、律師の母餓鬼、いまの少蛇徃生のこと、世に披露 0000_,31,894a04(00):あり、倶舎にいはく炎石鉄九衆生にあり 0000_,31,894a05(00):第九坂本の猿の事 0000_,31,894a06(00):ここに不思議あり。承元四年七月二日に山門の猿坂本 0000_,31,894a07(00):より二三十東塔にのぼり、中堂四十八燈をうちけし、 0000_,31,894a08(00):おほ大皷を打やぶりて坂本へくだる。次日猿百四五十 0000_,31,894a09(00):のぼりて惣持院の十二燈をうちけし、扉ら障子を打破 0000_,31,894a10(00):りなんどしてまたくだる、つきの日猿二三百のぼりて 0000_,31,894a11(00):文殊をひきたをし、四天王をうちまろばし谷谷房房に 0000_,31,894a12(00):乱入して経論聖教をとりすて、房舎を破却しければ、 0000_,31,894a13(00):座主この事ただごとにあらずとて門跡へあひふれ大鐘 0000_,31,894a14(00):をならし三塔会合して僉儀まちまちなり。ある人いは 0000_,31,894a15(00):く我山はこれ王法をまほるなり、かかる奇特前代未聞 0000_,31,894a16(00):の珍ごとなり、もし仏法皇法のあやぶみかもとも祈禱 0000_,31,894a17(00):あるべきかと云云。東塔南谷蔵人の註記すすんでいは 0000_,31,894b18(00):く、軌信和尚よりこのかた十六代がほどの先規つたへ 0000_,31,894b19(00):はんべらず、さだめて山王の御とがめか。十禅寺の御 0000_,31,894b20(00):宝前にして護法の占をきこしめさるべきかと云云。衆 0000_,31,894b21(00):徒もともと同じてあくる七日十禅師にして、西塔北谷 0000_,31,894b22(00):教受房の美濃竪者の童に辰王とて、今年十三歳になる 0000_,31,894b23(00):を大床にのぼせおきて、地蔵の大咒をみちて護法をわ 0000_,31,894b24(00):たし奉んと欲す、さらにわたり給はず。各肝胆をくだ 0000_,31,894b25(00):き五大明王の法をもていのりけるに、聊かもしるしな 0000_,31,894b26(00):し、東塔北谷性持房法印弟子菊寿殿とて九歳になる少 0000_,31,894b27(00):児あり、その日の衆会の躰みんとて若輩等と、くだり 0000_,31,894b28(00):たるが、衆僧のかたより小鳥のごとく大床にとびのぼ 0000_,31,894b29(00):りて辰王をおしのけて、その座に居なをる。そのとき 0000_,31,894b30(00):老僧力をえてこのほどの山上の猿の悪事ただごととは 0000_,31,894b31(00):おぼへず候、定めてわが神慮のおぼしめす宗候か、は 0000_,31,894b32(00):やばや御弟子等にしめしおはしませとて、伽陀をとな 0000_,31,894b33(00):へければ、東西しづまりけり。ときにちごさめざめと 0000_,31,894b34(00):なきて二首あり 0000_,31,895a01(00):おのがためなにをあたごの山なれば、みなを唱ふ 0000_,31,895a02(00):る人をながすや 0000_,31,895a03(00):ちはやぶる王の籬を巻上げて、彌陀の御法を聞き 0000_,31,895a04(00):しものをや 0000_,31,895a05(00):とうち詠じて云く、われはこれ五百塵点久成の如来、 0000_,31,895a06(00):和光の化儀を海水に宿し三千世界の能化の主、八相成 0000_,31,895a07(00):道の光を叡岳の麓に朗かにしてとし久く、我が山の仏 0000_,31,895a08(00):法を守護するゆへに、法宿権現とよばる、みづから当 0000_,31,895a09(00):山に住するゆへに、白山熊野の権現も当山におはまし 0000_,31,895a10(00):て、ともに円頓の教法を守護したまへり、彌陀薬師一 0000_,31,895a11(00):躰にしてわが山をまほりたまへり 0000_,31,895a12(00):のりのためみかげをうつす山本に、聖きらへばす 0000_,31,895a13(00):まじとぞ思ふ 0000_,31,895a14(00):とうち詠じ首をたれてうしろむきて泣居たり。ときに 0000_,31,895a15(00):老僧も中臈も面面に落涙してこれをかぎりとぞみへた 0000_,31,895a16(00):る。さては当山の訴訟によりて法然左遷の御うらみに 0000_,31,895a17(00):て候ける、急速に奏聞をへて、めしかへされば、もと 0000_,31,895b18(00):も神慮にかなふべく候や、はやばや納受をたれ、もと 0000_,31,895b19(00):のごとくわが山を守護しおはしませとて、数返の陀羅 0000_,31,895b20(00):尼よみてければ、権現はあがらせ給けり 0000_,31,895b21(00):第十上人御勅免の事 0000_,31,895b22(00):同き八日後夜のかねに僉儀して、法然左遷の御うらみ 0000_,31,895b23(00):にて候ひけりと奏聞両度に及びければ、もとより朕が 0000_,31,895b24(00):叡慮にあらず、汝等が奏乱によりて配所へもうつせと 0000_,31,895b25(00):て、すなはち勅免の綸旨をなしくださる。その宣にい 0000_,31,895b26(00):はく 0000_,31,895b27(00):さんぬる承元元年に土佐国へくだしつかはさる所の流 0000_,31,895b28(00):人源の元彦の身のこと、山門の訴訟によりて左遷せし 0000_,31,895b29(00):むといへども、今又念行せしむる子細あり、勅免せら 0000_,31,895b30(00):るる所なり、はやく本名を補し、鳳城に還帰せしめ利 0000_,31,895b31(00):益をまたくすべき旨、宜く諸国に承知すべし、よつて 0000_,31,895b32(00):宣如件 0000_,31,895b33(00):承元四年八月日 0000_,31,895b34(00):按察使藤原の朝臣泰定 0000_,31,896a01(00):月輪の大納言殿より始て各御状これ同じ、勅使には和 0000_,31,896a02(00):泉の判官阿部近本、八月二日にみやこをたつて同き十 0000_,31,896a03(00):八日に讃岐の国につく、上人勅宣のおもむき人人の御 0000_,31,896a04(00):状等御覧じて、源空念宿ありとて同き廿三日に御請を 0000_,31,896a05(00):申させ給ふ、勅使は同き廿五日に上洛仕る、さて上人 0000_,31,896a06(00):は九月廿五日に讃州を御たちありて十月四日に兵庫に 0000_,31,896a07(00):つきたまふ 0000_,31,896a08(00):第十一勝尾寺へ入御の事 0000_,31,896a09(00):同き十日に勝尾寺へ入御あり、百箇日御参籠あり、か 0000_,31,896a10(00):の寺には善中禅算の古跡勝如上人往生の地なりとて、 0000_,31,896a11(00):当寺にて御越年あり、一百箇日御参籠す。あくれば承 0000_,31,896a12(00):元五年になりにけり、国中の聖道僧俗等わりなくとど 0000_,31,896a13(00):め申ければ、いづれも利益なりとて正月より四帖の䟽 0000_,31,896a14(00):の御談義ありければ、その年も暮年におよべり 0000_,31,896a15(00):第十二画九一切経施入付たり大谷御本房御著の事 0000_,31,896a16(00):この寺に一切経のおはしまさざることを上人不足にお 0000_,31,896a17(00):ぼしめして、叡空上人より御相伝の一切経をとりくだ 0000_,31,896b18(00):し当寺に施入したてまつり、聖覚法印を唱道として御 0000_,31,896b19(00):供養あり。さるほどに上人御帰洛遅遅におよぶ、よし 0000_,31,896b20(00):重て綸旨をなしくださる、上人おどろきおそれておは 0000_,31,896b21(00):します、急速に勝尾寺の御いでたちあり。承元も改元 0000_,31,896b22(00):ありて建暦元年と号す、十一月廿日に御入洛あり、御 0000_,31,896b23(00):在所は大谷の御本房、さきの大僧正慈円勅を承りて御 0000_,31,896b24(00):房をとりしつらひ給ふ。上人すでに今日ときこへけれ 0000_,31,896b25(00):ば山崎赤河原鳥羽のつくりみちまで参向ふ人人そのか 0000_,31,896b26(00):ずをしらず。車馬をとばし思思の御むかひなり、上人 0000_,31,896b27(00):を見まひらせて輿車よりこぼれおち、各各まづ十念を 0000_,31,896b28(00):うけまいらせ、御輿のなかにとりつきて悦の涙をぞな 0000_,31,896b29(00):がされける。七条を東へ御とをりあるに、貴人武士道 0000_,31,896b30(00):俗男女御房までさらにひまもなかりけり 0000_,31,896b31(00):第十三月輪殿北の政所御対面の事 0000_,31,896b32(00):同廿三月にさきの月輪殿北の政所、同く大納言殿御房 0000_,31,896b33(00):へ御まいりありて故殿下上人配所へ御うつりの後、日 0000_,31,896b34(00):夜朝暮に悲歎しおはしまししがその愁歎のつもり御所 0000_,31,897a01(00):労となり、ついに御命終ありしことを、かたりまふさ 0000_,31,897a02(00):せ給て、今さらなるやうになげき給へば、上人も御存 0000_,31,897a03(00):命あらば見参に入て配所の物がたり申てんとて、そぞ 0000_,31,897a04(00):ろに落涙しおしませば、御弟子達も各すみぞめの袖を 0000_,31,897a05(00):ひたされける 0000_,31,897a06(00):第十四上人御参内の事 0000_,31,897a07(00):さるほどに同き十二月六日に権中納言光親の卿を奉行 0000_,31,897a08(00):として御参内あるべきよし仰いだされければ、つぎの 0000_,31,897a09(00):七日に御参内あり。いまさら御めづらしく貴き御気色 0000_,31,897a10(00):なり。これは神崎よりはじめて種種の御奇特のこと両 0000_,31,897a11(00):奏使披露ありけること、殿中までそのきこへあるによ 0000_,31,897a12(00):りてなり。上人御参内おはしませは渇仰せずといふこ 0000_,31,897a13(00):となし。さて上人御参内の後は御皈洛といひ、歳末の 0000_,31,897a14(00):相看といひ、上下万民時時尅尅に市をなす。釈尊忉利 0000_,31,897a15(00):天に登りて一夏九旬のあひだ報恩経を説たまふ。上天 0000_,31,897a16(00):の雲のうへより降給ひしかば、人天大会ことごとく拝 0000_,31,897a17(00):見のみちをあらはしたまひしがごとし。さて御弟子達 0000_,31,897b18(00):は面面に緣について他行せられ。勢観は長病をうけて 0000_,31,897b19(00):配所の御とも申さず、近日に减をえて勝尾寺まで御む 0000_,31,897b20(00):かひにまいられたり、ことさらなにごとも勢観とのみ 0000_,31,897b21(00):ぞめされけり 0000_,31,897b22(00):卷第九 0000_,31,897b23(00):第一上人御違例の事 0000_,31,897b24(00):去るほどに各参り集りて一所にして御越年あり。あく 0000_,31,897b25(00):る正月一日なり、法蓮房道場庄厳して年始の御念仏勤 0000_,31,897b26(00):行あるべしとおほせけり、されども上人は御入堂もお 0000_,31,897b27(00):はしまさず、善恵房参じ御念仏の時おそくなりさふら 0000_,31,897b28(00):ふと申せば、源空は風気のここちなり、各つとめよと 0000_,31,897b29(00):仰ける。仰にしたがひ朝の御念仏勤行し畢ぬ、法蓮参 0000_,31,897b30(00):じて見奉れば、いまだ御寝もならせ給はず、御ここち 0000_,31,897b31(00):をとひまいらすれば、心地例ならず、今日より七日別 0000_,31,897b32(00):時あるべしと仰あり。おき居もおはしまさず、そのの 0000_,31,897b33(00):ち高声念仏不退なり、御まへには法蓮善恵勢観房等不 0000_,31,898a01(00):退に候て御ものがたり申す。上人の御ここちをなぐさ 0000_,31,898a02(00):め奉る。上人をほせけるは、釈迦如来も御入滅のきざ 0000_,31,898a03(00):みには御身もひいらぎ、御胸もくるしく、ここさす 0000_,31,898a04(00):れ、かしこおせと阿難に命じ給き。源空は仏躰にあら 0000_,31,898a05(00):ねども決定の業とおぼへたり、いまだかくのごとくひ 0000_,31,898a06(00):さしく病床したることなし、われをたのむべからずと 0000_,31,898a07(00):仰せけり。十二日よりおき居おはしまして高声念仏五 0000_,31,898a08(00):躰をせめて三日三夜なり、各各申けるは源空がいのち 0000_,31,898a09(00):一月二月とものぶべからずと仰けり。そののち御目を 0000_,31,898a10(00):ふさぎ御念仏をとどめて三日なり、善恵房参じて上人 0000_,31,898a11(00):をうごかし奉り、御臨終仏の阿彌陀の像をばおがませ 0000_,31,898a12(00):たまふやと申せば、上人御ゆびをそらへさしおはしま 0000_,31,898a13(00):して、あの仏のほかに別に仏のおはしましてや、観音 0000_,31,898a14(00):勢至は看病人のごとく、源空がほとりをさり給はぬは 0000_,31,898a15(00):おがむやとぞ仰せけるこそ不思議なれ。さて老僧達一 0000_,31,898a16(00):人づつしづかに念仏すべしと仰せければ、面面に御ま 0000_,31,898a17(00):へをさらずはんべりけり 0000_,31,898b18(00):第二内裏の御使の事 0000_,31,898b19(00):さるほどに権中納言光親、左大弁国実両勅使にて上人 0000_,31,898b20(00):の御往生の検見不退に坐せられたり、廿日の未の刻よ 0000_,31,898b21(00):り紫雲は御房のうへにたれおほひ、廿四日の酉の刻よ 0000_,31,898b22(00):り御念仏しきりなり。さてしばらく御睡眠ありけれ 0000_,31,898b23(00):ば、各はや日夜の窮崛に客殿のかたへいでてすこしね 0000_,31,898b24(00):ぶりたまへり 0000_,31,898b25(00):第三賀茂大明神の入御の事 0000_,31,898b26(00):勢観法蓮両人はんべりけるに、ともしびのかげよりゆ 0000_,31,898b27(00):ゆしき貴女一人きたりて、上人の見参にいるべし。人 0000_,31,898b28(00):人立のき給へとしめし給ひければ、御前をたち閑所に 0000_,31,898b29(00):てうけたまはれば、件の貴女上人の御そばにたちより 0000_,31,898b30(00):給ひて、いかにくるしくおはし候らん、この御痛はり 0000_,31,898b31(00):のみこころくるしく候とて、薬を服せさせまいらせて 0000_,31,898b32(00):仰せけるは、浄土の法門をばなにと御さだめ候ぞと。 0000_,31,898b33(00):上人こたへていはく、選択集と申す文を制作して候へ 0000_,31,898b34(00):ば、この文にたがはずはんべらば、源空が儀にて候べ 0000_,31,899a01(00):しと答へおはしませば、貴女さてはめでたく候とて、 0000_,31,899a02(00):御ものがたりありて、臨終は殊勝奇特に候べしとて立 0000_,31,899a03(00):いで給ふ。勢観これをあやしみて見送り給へば、車に 0000_,31,899a04(00):乗じて河原へいで給ひけるが、忽然としてみへず、た 0000_,31,899a05(00):ちかへりて上人にたづね申せば、上人これこそ韋提希 0000_,31,899a06(00):夫人よと仰せける。賀茂大明神の本地これなりとぞし 0000_,31,899a07(00):めしたまひける 0000_,31,899a08(00):第四勢観房の事 0000_,31,899a09(00):さて夜もすでにあけければ、廿五日の巳の刻になり 0000_,31,899a10(00):ぬ。上人御目を開き御覧じめぐらしおはしまして、あ 0000_,31,899a11(00):の障子とれと仰せければ、客殿のあひの障子をとる。 0000_,31,899a12(00):両勅使を始として宇都宮成田大胡別府佐佐木の人人な 0000_,31,899a13(00):り。上人御念仏をとどめていかにやほどひさしと仰せ 0000_,31,899a14(00):ければ、御帰洛の後御目にかからず候あひだ、とりあ 0000_,31,899a15(00):へず上洛仕り候と申す。上人はるばるとの上洛神妙也 0000_,31,899a16(00):とこそ仰せける。さて勢観をめしてなんぢにあづけし 0000_,31,899a17(00):つづらとりいだせとてふたひらかせ、中なる物をとり 0000_,31,899b18(00):出だせと仰せけり。消息二通切紙のふたつつみたるも 0000_,31,899b19(00):のを二つつみ出ださせて、上人仰せけるは、勅使を始 0000_,31,899b20(00):めたてまつりて、坂東の人人もききたまへ、人の難儀 0000_,31,899b21(00):の詮途には源空がごときのものをたのみ給ふべきなり 0000_,31,899b22(00):そのゆへは本三位の中将越前の三位つねにきたりて、 0000_,31,899b23(00):源空に対面ありて洛中退出の後も重衡の卿は、源空に 0000_,31,899b24(00):受持法号をたもちて知識とせられ給ひき、ことに越前 0000_,31,899b25(00):の三位ふかくたのみ二世のちぎりを致し給ひていひけ 0000_,31,899b26(00):るは、一門運つきて都をおちゆくべきにて候へば、合 0000_,31,899b27(00):戦のときは一陣をまふるべく候あひだ、都の辺にてう 0000_,31,899b28(00):たれたりときこしめされ候はば、御弟子等をつかはし 0000_,31,899b29(00):死骸をとりて、後世をとひてたまはるべく候、死骸に 0000_,31,899b30(00):しるしあるべく候と、約束ありしほどに、子細あるべ 0000_,31,899b31(00):からずと領掌す。案にもたがはず、一の谷の城やぶれ 0000_,31,899b32(00):て平家の一門おほくほろぶと、きこへしかば随蓮成阿 0000_,31,899b33(00):を生田の森へつかはして若干の死骸をみる、註しな 0000_,31,899b34(00):し、湊川にくだりてみるに切紙をもて越前の三位道盛 0000_,31,900a01(00):とかきてわきのしたにおしたり、これをとりて勝尾寺 0000_,31,900a02(00):へきたれり、源空参籠のここざしありて折節ありしほ 0000_,31,900a03(00):どに、すなはち火葬して骨をとりて上洛するほどに、 0000_,31,900a04(00):壁野の宿にてきけば、小宰相殿は鳴戸のおきにて身を 0000_,31,900a05(00):なげたりときく、あはれさ申ばかりなし。さてこれに 0000_,31,900a06(00):て道盛二人の菩提を訪ふ所に、二月廿一日の夜ふけて 0000_,31,900a07(00):女姓のこえとして源空に見参すべきよしいひいれた 0000_,31,900a08(00):り、たれぞとたづぬれば、しのびてものも云ず、もし 0000_,31,900a09(00):道盛の方の人かととへば、しかりとこたう、さて内へ 0000_,31,900a10(00):いれて事のよしをたづぬれば、道盛自然の事あらば上 0000_,31,900a11(00):人をたのみまひらせてまひるべしと、申して入たる子 0000_,31,900a12(00):細あるぞ、われともかくもなりたらば、上人にまいり 0000_,31,900a13(00):て後、なににも思ふやうにあるべしと申しし言をたの 0000_,31,900a14(00):みて、福原より人目をつつみこれまでまいりたるよし 0000_,31,900a15(00):を、かたりもあへずなきゐたり。源空あはれさかぎり 0000_,31,900a16(00):なし。さて閑所をしつらひて、はごくみおきたり、ほ 0000_,31,900a17(00):どなく平産す。所生の子は男子、とりあげそだつると 0000_,31,900b18(00):ころに産の後六十三日といふに少宰相殿は二三日わづ 0000_,31,900b19(00):らひてはからず死に給へり。さて二人の菩提を訪らふ 0000_,31,900b20(00):なり、各その時の子をは源空が子なりと申とかや、か 0000_,31,900b21(00):かるぬれ衣をきて養育したりし子ぞあの観法師はと 0000_,31,900b22(00):ぞ仰せける。都より参らせたりし文、明日うたれんと 0000_,31,900b23(00):ての今日、生田の森より進じたりし文、わきのしたに 0000_,31,900b24(00):おしたりしふだ、二親の骨のうへに銘をかきつけて勢 0000_,31,900b25(00):観にたまはる。勢観此を給りてむねにあて、ひれふし 0000_,31,900b26(00):て愁歎きはまりなし。悲しき哉なや有為の里父をみれ 0000_,31,900b27(00):ば名のみ残れる白骨なり、母をみればそのしなもな 0000_,31,900b28(00):し、哀れ哉や南浮のさかひ、白骨はとどまれどもその 0000_,31,900b29(00):かたちはなし、分段生死いかなれば、父子の恩愛をへ 0000_,31,900b30(00):だつらんとて、ただ今のことのやうになげき給へば、 0000_,31,900b31(00):見聞の人人たもとをしぼり、哀傷の涙押へがたくして 0000_,31,900b32(00):はんべりける 0000_,31,900b33(00):第五三尊来迎付たり御入滅の事 0000_,31,900b34(00):さるほどに四の大皷も打けれは、紫雲は御房のうへに 0000_,31,901a01(00):たれおほひ、金色の光明は日に映じてかがやき、異香 0000_,31,901a02(00):は御房の内に薫ず。ときに上人おほせけるは、師とな 0000_,31,901a03(00):り弟子となるは、多生契恩のいたり、徳のいたりは宿 0000_,31,901a04(00):生のかたらひなり、生夢のうちの対面はただいまにか 0000_,31,901a05(00):ぎれり。生死の恩愛ははやきはめぬ。報土無生の再会 0000_,31,901a06(00):を期すべしまくのみ、法蓮袈裟まいらせよとめさる、 0000_,31,901a07(00):慈覚大師より御相伝の九帖の袈裟をまいらする、御手 0000_,31,901a08(00):づからひきかけて、高声に光明遍照十方世界念仏衆生 0000_,31,901a09(00):攝取不捨と唱て、北まくら西むきにひれふしおはしま 0000_,31,901a10(00):して、御念仏九返にして、いま一返は南無の御こゑの 0000_,31,901a11(00):したにて御息終させ給ひけり、そののち御脣のうごき 0000_,31,901a12(00):たまふこと十余返ばかりなり、善恵房なみだをのごひ 0000_,31,901a13(00):申けるは、上人御化導の輩にも十念をさづけおはしま 0000_,31,901a14(00):しき。仏の本願も乃至十念ととき、善導も十声と釈し 0000_,31,901a15(00):給へり。上人御存日には源空が徃生者末代の念仏者の 0000_,31,901a16(00):手本なるべしと仰候き。いま一返候はずとも御不足は 0000_,31,901a17(00):候はねども、いま一返御念仏となへて御弟子等にきか 0000_,31,901b18(00):せ給へとて、法蓮房南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏とすすめたてま 0000_,31,901b19(00):つりければ、はるかの紫雲のうへに南無阿彌陀仏と一 0000_,31,901b20(00):返こたへたまふぞ奇特にはんべりし徃生なれ。建暦二 0000_,31,901b21(00):年壬申正月廿五日の午の正中春秋八十の御徃生也。天 0000_,31,901b22(00):竺はいかなる国なれば狗尸那城にして仏入滅したま 0000_,31,901b23(00):ふ。南浮はいかなる国なれば平安城にして上人命終し 0000_,31,901b24(00):たまへる、抜提河の西の岸いかなる所なれば仏八十に 0000_,31,901b25(00):して滅を唱給ふ、白河の東のほとりはいかなる所なれ 0000_,31,901b26(00):ば大谷にして上人御徃生ありやとて、涕泣きはまりな 0000_,31,901b27(00):し。或は受学相承の御弟子、或は他宗帰伏の御弟子、 0000_,31,901b28(00):信心堅固の念仏の弟子結緣聞法のたぐひにいたるま 0000_,31,901b29(00):で、かなしみの涙むねをこがす、いはゆる仏円寂に入 0000_,31,901b30(00):たまふときは、そらをとぶ鳥類もつばさをたれて御棺 0000_,31,901b31(00):のまへにおち地をはしる獣ひざを屈して涙を流がす。 0000_,31,901b32(00):吹く風枝をならさず、草木いろを変ず、江河も流れを 0000_,31,901b33(00):とどめて登地の菩薩も無生の観智をうしなひ、証果の 0000_,31,901b34(00):羅漢も漏尽の袂をしぼり給ひき。無碍解脱の御弟子 0000_,31,902a01(00):も、無常転変のよしみとかなしみ給ふもことはりな 0000_,31,902a02(00):り、いはんや末世の愚侶においてをや、生死出離の善 0000_,31,902a03(00):知識におくれたてまつり、別離の涙も禁じがたきもの 0000_,31,902a04(00):なり 0000_,31,902a05(00):第六土葬の御儀式の事 0000_,31,902a06(00):すでに晩におよびければ、さてあるべきにあらねば、 0000_,31,902a07(00):上人を入棺したてまつり、一同に念仏数万返となへて 0000_,31,902a08(00):廻向もおはりてのち、御葬の儀式評儀せられたり。釈 0000_,31,902a09(00):尊の御荼のごとくなるべしとさだめらる、このよし 0000_,31,902a10(00):法蓮房に申ければ、法蓮なくなくいひけるは、信空十 0000_,31,902a11(00):二歳上人廿四の御としより恭なくも師弟のちぎりをな 0000_,31,902a12(00):したてまつりてより巳来、朝夕信空とめされ、極の 0000_,31,902a13(00):空には扇を給て御まへに候し、極寒の冬の夜は衾をか 0000_,31,902a14(00):さねて御辺にまいる、経論をささげては鸚鵡のさえづ 0000_,31,902a15(00):りこたへ、䟽をひらひては伽陵頻の御こえをまなぶ。 0000_,31,902a16(00):かくのごとくの御なじみ一年二年のよしみかは、五十 0000_,31,902a17(00):余歳の年序なり、かやうの御なごりにいかでか無念に 0000_,31,902b18(00):火葬し奉り、忽に白骨となしたてまつらん事、余にあ 0000_,31,902b19(00):へなくおぼへ候となげきたまへば、面面信空の御儀に 0000_,31,902b20(00):同ずとて、土葬の儀式にさだめられけり。あくれば廿 0000_,31,902b21(00):六日御葬所には大谷のうへの山、青石のある所をさだ 0000_,31,902b22(00):められ、石をひろい土をつきたまふ、慈円これをみた 0000_,31,902b23(00):まひて、青蓮華のおいたりし石なりとて、奇特のおも 0000_,31,902b24(00):ひをなしたまふ 0000_,31,902b25(00):第七土御門より御訪ひの事 0000_,31,902b26(00):さるほどに内裏り撿見の勅使帰参仕る、御往生のやう 0000_,31,902b27(00):を奏聞す、未曾有の御往生なりとて御弟子のなかへ綸 0000_,31,902b28(00):旨をなしくださる。土御門の院より上人御往生の葬の 0000_,31,902b29(00):御絹水引、巳下のために唐綾十疋白布三十端、近衞の 0000_,31,902b30(00):蔵人等をもて送られたり一首 0000_,31,902b31(00):後の世の知べなれとてかくばかり、思ふ心をはこ 0000_,31,902b32(00):ぶばかりぞ 0000_,31,902b33(00):同廿七日の午の刻の、御葬なり、御棺は御枕のかたは信 0000_,31,902b34(00):空、御跡は善恵、惣じて配所の御伴十二人の僧侶御棺 0000_,31,903a01(00):の左右につきそひ、そのほかの御弟子等結緣の老若勝 0000_,31,903a02(00):計すべからず。同音に念仏して御葬のときにいたり、 0000_,31,903a03(00):埋み奉り畢ぬ。上人兼日におほせけるは、我が往生は 0000_,31,903a04(00):釈尊のごとくなるべしと仰せいだされたりければ、御 0000_,31,903a05(00):弟子ら申さく、端坐合掌にて候ましやと申せば、すこ 0000_,31,903a06(00):し微咲しおはしまして言く、我れ娑婆に宿することは 0000_,31,903a07(00):浄土の経路をひらかんがためなり。源空端坐合掌せば 0000_,31,903a08(00):人人さだめてこれをまなばん。もし失念のともがら 0000_,31,903a09(00):は、しかしながらおのが心をあつかひて、名号を本と 0000_,31,903a10(00):すべからず、穢身端坐によるべからず、ただ念仏往生 0000_,31,903a11(00):なるべし、釈尊の御入滅の儀いかでかそむくべきや 0000_,31,903a12(00):と、頭北面西右脇臥にて御往生をとげさせたまひ畢 0000_,31,903a13(00):ぬ。さて中陰のあひだは各退散なくして精誠をいた 0000_,31,903a14(00):し、報恩を謝したまへり、まことにありがたかりし御 0000_,31,903a15(00):ことどもなり。初七日の導師は法印浄憲、大宮の大政 0000_,31,903a16(00):大臣家の御諷誦あり、二七日の導師は法印浄賢、秋兼 0000_,31,903a17(00):の三位入道殿の御諷誦あり、三七日の導師は住心坊、 0000_,31,903b18(00):証空の御諷誦あり、四七日の導師は観顕僧都、左大臣 0000_,31,903b19(00):僧正顕真の御諷誦あり、五七日の導師法印聖覚、上西 0000_,31,903b20(00):門院より自筆の仮名書の御諷誦あり、誦経物には大文 0000_,31,903b21(00):の綾百疋、箏の琴一帳、唐錦の袋にいれられたり、そ 0000_,31,903b22(00):の諷誦にいはく 0000_,31,903b23(00):誠にや、またつみふかき身となりて、よせくるなみに 0000_,31,903b24(00):事とへば、より所なきものうさに、行くすべしらぬ旅 0000_,31,903b25(00):のみち、たづねてみればのりの師の、げにたのもしき 0000_,31,903b26(00):しるべかな。昔かたりの詞のはに、われもろとものよ 0000_,31,903b27(00):にいり、たぐひすくなきおしへとや、まことのみちを 0000_,31,903b28(00):あらはして、ひとつはちすのみとぞなる、そのおもか 0000_,31,903b29(00):げのゆかしさに、わづかのまとてもわすられず、つゆ 0000_,31,903b30(00):のいのちもたのまねば、おもひのいろをほにいだし、 0000_,31,903b31(00):みづぐきばかりぞしるべなる、こふろぎのたもとにあ 0000_,31,903b32(00):らされて、もろきなみだのところせき、よものほとけ 0000_,31,903b33(00):もしろしめせ、わがいつはりのなきことを一首 0000_,31,903b34(00):うけつたう法の流れにすすがれて、心のいろのま 0000_,31,904a01(00):ことあらはす 0000_,31,904a02(00):左少将藤原朝臣為衡敬白 0000_,31,904a03(00):六七日の導師は求仏房、無動寺のさきの大僧正慈円の 0000_,31,904a04(00):御諷誦あり、七七日の導師は薗城寺の長吏法勢大僧正 0000_,31,904a05(00):公胤、信空の諷誦あり、公胤僧正は内裏に参会せしめ 0000_,31,904a06(00):浄土の不審等をあきらめ、喜悦の眉をひらくといへど 0000_,31,904a07(00):も、別してかれに帰伏したてまつらず、五七日の夜の 0000_,31,904a08(00):子の尅にあたりて、希代の霊夢を見給ふ、よはひ八旬 0000_,31,904a09(00):ばかりの老僧瓔珞細耎の衣を着し、天童に盖をささ 0000_,31,904a10(00):せ、公胤の枕もとにたちて、しめしたまはく、汝源空 0000_,31,904a11(00):の念仏の化導を不信の条、かつふは仏意にそむくべ 0000_,31,904a12(00):し、かの廟墳に詣して慙悔をなし、懴度をえてうくべ 0000_,31,904a13(00):し、われはこれこの寺の本願主智証大師なり、唱導を 0000_,31,904a14(00):のぞみて滅後のちぎりをむすぶべしとしめしおはりて 0000_,31,904a15(00):さりたまふと、おもへはゆめさめぬ。そのあとに異香 0000_,31,904a16(00):薫じて数刻なり、よてまづ廟堂に参じて後会をちぎり 0000_,31,904a17(00):たてまつり、滅後の御弟子と号せらるよし、諷誦のみ 0000_,31,904b18(00):きんにして改悔し、左右の眼になみだも禁じがたしと 0000_,31,904b19(00):て、かたりもあへずなき給へば、聴聞のともがら各袖 0000_,31,904b20(00):をぞうるをしける。そののち毎月忌辰をむかへて御弟 0000_,31,904b21(00):子の道俗たゆることなき御仏事なり。百箇日は隆寛、 0000_,31,904b22(00):一周忌は堀河殿、第三年は月輪殿次第各前後未判のあ 0000_,31,904b23(00):ひだ、御廟においてくじにまかせて勤行せらる。その 0000_,31,904b24(00):ほかままの御勤勝計すべからず。宗宗家家大徳磧才こ 0000_,31,904b25(00):れおほし、かやう忠勤ありがたきことどもなり 0000_,31,904b26(00):第八波画竪者破選択付たり廟堂破却の事 0000_,31,904b27(00):嘉祿二年の春のころ上人の御往生十五年に相あたり 0000_,31,904b28(00):て、一の不思議いできたる。そのゆへは延暦寺梨本は 0000_,31,904b29(00):実相円融房、青蓮院は皇胤譜代の遺跡なり、各四明一 0000_,31,904b30(00):山の貫主にそなはり、両門三千の棟梁とおはします、 0000_,31,904b31(00):高僧賢哲なり、しかりといへども或は御存日に習学 0000_,31,904b32(00):し、法門の道理に帰敬し給へり、或は後会のちぎり、 0000_,31,904b33(00):諷誦をささげて滅後の菩提をいのる、みなこれ念仏を 0000_,31,904b34(00):賞し、化導をもはらにするゆへなり。たとひ墳墓くつ 0000_,31,905a01(00):るとも、いかでか遺骸をおろそかにせんや、ここに上 0000_,31,905a02(00):野国より登山したりける習学者に、波画の竪者定僧と 0000_,31,905a03(00):いふものあり、ふかく上人の念仏弘通をそねみ、選択 0000_,31,905a04(00):集を破する文をつくり弾選択となづけ。法然の弟子習 0000_,31,905a05(00):学者おほしといへど、もとは天台宗の学者、いまは師 0000_,31,905a06(00):匠のあとをまなぶ、一宗を興行して一流の遍をたつる 0000_,31,905a07(00):ものなりとて、隆寛律師のもとへおくられたり、律師 0000_,31,905a08(00):これをみたまひて先師の素意をあらはさんがために顕 0000_,31,905a09(00):選択といふ文をつくりて、定僧が難破をくつがへした 0000_,31,905a10(00):まふ。かの肝文にいはく、なんぢか僻破のあたらざる 0000_,31,905a11(00):ことは、たとへば暗天の飛礫のごとくす、とあざけり 0000_,31,905a12(00):かきたり。定僧遺恨をなして、後ほりかはのゐんの御 0000_,31,905a13(00):宇嘉祿二年の夏、衆徒をあひかたらひて天下みな一向 0000_,31,905a14(00):に浄土門におもむきて、顕密の教法すでにすたれなん 0000_,31,905a15(00):とす、よて念仏を停廃すべし。就中隆寛はこれ我山の 0000_,31,905a16(00):学者として円宗の教法をすて、念仏専修することしか 0000_,31,905a17(00):るべからず、張本を遠流すべし、まづその根本源空が 0000_,31,905b18(00):大谷の墳墓を破却してかの遺骸を賀茂河白河にはねい 0000_,31,905b19(00):れよとて、強強の群儀におよべり、わか学匠どももと 0000_,31,905b20(00):もともと同じて一心神水を服し、当山に閉籠奏聞すべ 0000_,31,905b21(00):きよし治定して、貫主に申。其時関白は家実猪熊殿、 0000_,31,905b22(00):山門の座主浄土寺の僧正円基、摂政殿の御あになり。 0000_,31,905b23(00):内外ともに強緣にして衆徒濫訴に勅語ありければ、六 0000_,31,905b24(00):月廿三日所司専当等を数百人さしつかはす、大谷の廟 0000_,31,905b25(00):堂へ発向す、よて京都の守護人修理の亮平の時氏使者 0000_,31,905b26(00):をつかわし、東大隅の入道親子五人いでむかて問答 0000_,31,905b27(00):す。内藤五郎兵衞の尉藤原の盛政父子十五騎にてまか 0000_,31,905b28(00):りむかふ、洛中辺土耳目をおどろかし、人人さはぎあ 0000_,31,905b29(00):へり。左右なく狼籍をいたさんことはなはだもていは 0000_,31,905b30(00):れなし。たとひ子細ありとも天聴をおどろかしたてま 0000_,31,905b31(00):つり、別して将軍家にあひふれべし、たとひまた勅裁 0000_,31,905b32(00):ありとも、武家がたうけたまはりて、その沙汰を経べ 0000_,31,905b33(00):しと、面面問答にをよべども、是非なく凶徒等強強の 0000_,31,905b34(00):儀をいたし、次第に廟堂を破却し、房舎をこぼちけれ 0000_,31,906a01(00):ば、ちからなくし、定めて山門のものどもききしりた 0000_,31,906a02(00):らん、善悪不二邪正一如のことはり、関東のともがら 0000_,31,906a03(00):弓箭のいへをつぐ、西方の行者魔障退治のためなり。 0000_,31,906a04(00):面面にむまの鼻をならべ、法にまかせよと下知して散 0000_,31,906a05(00):散にかくれば、くもの子のちるがごとくにけうせぬ。 0000_,31,906a06(00):その日もすでにくれ、おほよそ堂舎破損すといへど 0000_,31,906a07(00):も、かほどに退散しければ墳墓にはいまだ手もかけ 0000_,31,906a08(00):ず、その夜は信空証空妙香院の僧正良快月輪殿御子息各御弟 0000_,31,906a09(00):子二百余人かしこまつて涙ともに警固して談合ありけ 0000_,31,906a10(00):るは、今度まづ退散すとも山門のいきどをりついにむ 0000_,31,906a11(00):なしかるべからす。今夜に改葬したてまつらんとさだ 0000_,31,906a12(00):めて、少夜ふけ人しづまりければ墳墓をひらき奉る、 0000_,31,906a13(00):御棺杇損せず、ふたをひらきておがみ奉れば、すこし 0000_,31,906a14(00):も損壊もなし、御色こそすこしくろくおはしませど 0000_,31,906a15(00):も、御衣も袈裟も杇ちず、異香とをく薫じて数年をふ 0000_,31,906a16(00):御弟子達いよいよ奇特のおもひをなし、おのおの敬礼 0000_,31,906a17(00):して云、帰命稽首法然上人、生生世世値遇頂戴ととな 0000_,31,906b18(00):へて、阿彌陀経同音念仏数万返して、よもすがら落涙 0000_,31,906b19(00):千万なり。むかし月氏には教主釈尊の尊容をぬすみ奉 0000_,31,906b20(00):らんとせしとき、警固をいたす、いま日域に本師上人 0000_,31,906b21(00):の遺骸をぬすみたてまつらんに、災難なからんやと 0000_,31,906b22(00):て、宇都宮入道遁世の身なれども、にわかに甲冑を着 0000_,31,906b23(00):し兵具を帯し、家の子郎等ども二百余騎、都にあるあ 0000_,31,906b24(00):ひだ、宿直仕る。このほか大隅の入道千葉の亮入道法 0000_,31,906b25(00):阿渋谷の七郎塩屋各軍兵を率して参り、よろいの袖を 0000_,31,906b26(00):かたしき、甲の鉢を枕として、なくなく守護し奉り、 0000_,31,906b27(00):夏の夜なれば、ほどなく明なんとす 0000_,31,906b28(00):第十二尊院へわたし奉る付たり広隆寺御葬事 0000_,31,906b29(00):さるほどに御棺をよろひの肩にになひ、涙とともに嵯 0000_,31,906b30(00):峨の二尊院へわたし奉り、山門より捜求すべきよし風 0000_,31,906b31(00):聞せしかば同じき廿八日の夜、しのびて広隆寺の来迎 0000_,31,906b32(00):房円信のもとへうつし奉りて、在所を口外すべからざ 0000_,31,906b33(00):るよし、各各仏前にちかひて退散し畢ぬ 0000_,31,906b34(00):第十一隆寛律師遠流の事 0000_,31,907a01(00):さるほどに夏もすき秋のはじめになり侍べり。山門の 0000_,31,907a02(00):訴訟こはくして、隆寛律師、聖覚房、空阿彌陀仏を配 0000_,31,907a03(00):所へつかはさるべきよしきこへしかば、律師のたまひ 0000_,31,907a04(00):けるは、凶徒等わがこころをしらず、定僧が申すこと 0000_,31,907a05(00):による、ただし先師上人すでに念仏興行によりて遷謫 0000_,31,907a06(00):におよびおはしませば、予その跡を追はんこと、もと 0000_,31,907a07(00):も本意なり、配所は奥州と定めらる。嘉祿二年八月五 0000_,31,907a08(00):日相模国森の入道うけたまはりてくだりけるが、律師 0000_,31,907a09(00):をふかく帰依しけるあひだ、律師の弟子に実成房を配 0000_,31,907a10(00):所の代官につかはす、律師をば西阿住所飯山へいれた 0000_,31,907a11(00):てまつり、末代にかほどの善知識にあひ奉ることよと 0000_,31,907a12(00):て、ふかく渇仰をいたしけり。つぎのとしの夏のはじ 0000_,31,907a13(00):めより風気とておかされふしたまひけるが、病床して 0000_,31,907a14(00):自筆に一期のあひだのことを記して羈中吟となづく。 0000_,31,907a15(00):同じき年の六月十六日に不思議の往生をとげ給けり。 0000_,31,907a16(00):嘉祿二年十二月廿八日に改元ありて安貞元年と云云。 0000_,31,907a17(00):同じき二年正月廿五日の暁き、上人の御遺骸をば広隆 0000_,31,907b18(00):寺より西山へ迎へ奉り、光明寺と号す遺弟一所に来会して荼 0000_,31,907b19(00):毘し奉り畢ぬ。種種の奇特申すばかりなし、貴とかり 0000_,31,907b20(00):し事どもなり。さて今度改葬し奉る時の御色形を、真 0000_,31,907b21(00):影に造立し奉り毎月廿五日に法恩を修せんが為に敬礼 0000_,31,907b22(00):をいたす、信州善光寺の報恩院の御影はこれなり 0000_,31,907b23(00):第十二随蓮の夢の事 0000_,31,907b24(00):沙彌随蓮出家の後上人に常随給仕して配所へも御とも 0000_,31,907b25(00):申す、上人御臨終の時も随蓮をめされて仰けるは、念 0000_,31,907b26(00):佛はただやうなきをやうとすと、ただ二ごごろなく申 0000_,31,907b27(00):せと仰せかふむる、このむねを信知す、ここに上人御 0000_,31,907b28(00):往生ののち、三箇年をへて、世間に念仏者ども申して 0000_,31,907b29(00):いはく、念仏申せども学文をして三心の様をしらずん 0000_,31,907b30(00):ば、往生すべからずと云云。随蓮まふさく、上人のお 0000_,31,907b31(00):ほせにはやうなきをやうとすと、ただひとへに仏語を 0000_,31,907b32(00):信じて念仏すれば、かならず往生するなりと仰せさふ 0000_,31,907b33(00):らひき。またく三心のことをばおほせ候らはずと云 0000_,31,907b34(00):云。ときの人それは一切こころへまじきものには、た 0000_,31,908a01(00):だ方便にこそ仰せあれど、まことには上人の御存知の 0000_,31,908a02(00):むねとて経論をひきてゆゆしく申すあひだ、随蓮さて 0000_,31,908a03(00):はさもあるらんと、すこし感ずるここちあり、たれに 0000_,31,908a04(00):かこの不審を明べきとおもひて、一月をへけるに、あ 0000_,31,908a05(00):るとき随蓮ゆめをみる、法勝寺の西門をさしいりてみ 0000_,31,908a06(00):れば、池の中に色色の蓮華ひらきてめでたし、西の廊 0000_,31,908a07(00):の方へあゆみよりてみれば、僧衆おほくあつまりて浄 0000_,31,908a08(00):土の法門を談ぜらる、その上座に上人能化しておはし 0000_,31,908a09(00):ます、随蓮みつけ奉りてかしこまる。上人仰けるは、 0000_,31,908a10(00):随蓮このほどなんぢなげき思ふことゆめゆめわづらふ 0000_,31,908a11(00):べからす、ときに随蓮くだんのことを申しあげたり。 0000_,31,908a12(00):上人おほせけるは、世間にひがごとといふものあり 0000_,31,908a13(00):て、あの池の蓮華を梅桜といはば、なんぢ領掌すべき 0000_,31,908a14(00):かと、そのとき随蓮いかが左樣に申候とも、げに蓮華 0000_,31,908a15(00):にて候らはんをばもちゐべからず候と、ときに上人さ 0000_,31,908a16(00):ぞあるらん、念仏も又かくのごとく、源空がおしへの 0000_,31,908a17(00):ままを信ぜば蓮華をやがて蓮華とおもはんがごとし。 0000_,31,908b18(00):人のいふことにつきて迷乱せば、あの蓮華を人、梅桜 0000_,31,908b19(00):といはばそれにつきて、我身もあらぬやうにてあるべ 0000_,31,908b20(00):きか、人邪儀をのぶるともゆめゆめ人の迷乱につくべ 0000_,31,908b21(00):からずと云云。そののちふたごころなくして八旬にお 0000_,31,908b22(00):よび、ついに往生の素懐をとげ畢ぬ 0000_,31,908b23(00):第十三親鸞上人の御勅免の事 0000_,31,908b24(00):さて上人御勅免のこと、さんぬる承元四年八月日、よ 0000_,31,908b25(00):て善信上人も御勅免の院宣おなじ日になしくださると 0000_,31,908b26(00):いへども、越後の下着は十月になり、しかりといへど 0000_,31,908b27(00):も上人御入洛のよし、いまだきかざるあひだ、しばら 0000_,31,908b28(00):く善信上人御上洛も御斟酌のよしにて、上人の御上洛 0000_,31,908b29(00):をあひまち給て、京都に不断人をのぼせておかせたま 0000_,31,908b30(00):ふ。されどもその年もすでにくれぬ、つぎのとしも御 0000_,31,908b31(00):上洛なしときこへしかば、承元政元ありて建暦元年と 0000_,31,908b32(00):号す、さてなを十一月にも御上洛ともきこへず、十二 0000_,31,908b33(00):月廿日に京都のつかひ下国して十二月中旬に御入洛と 0000_,31,908b34(00):ぞ申されける。善信上人きこしめされ、正月に国を御 0000_,31,909a01(00):出あるべきよし思しめしけれども、北国は雪きゑやら 0000_,31,909a02(00):で路次難儀のあひだ、坂東をへて御のぼりあるべきに 0000_,31,909a03(00):て、信州へ御こへありて上野へ御いでありければ、こ 0000_,31,909a04(00):こかしこより御門徒の人人そのかずをしらずきたり、 0000_,31,909a05(00):御なごりをしたひ申す。正月もさり二月も中ばになり 0000_,31,909a06(00):ければ、上人御帰洛ののちいくばくならず、正月一日 0000_,31,909a07(00):の曉より御風気とて同じく廿五日に御往生とつげ申し 0000_,31,909a08(00):たりければ、いまは上洛してもえきなし、ただひとへ 0000_,31,909a09(00):に師訓を興じて滅後の化儀をたすけ奉らんにはしかじ 0000_,31,909a10(00):と思しめして、仏法まれなる遠国の道俗を利益して、 0000_,31,909a11(00):厚恩を謝し奉らんと仰せありて、関東北陸奥州のさか 0000_,31,909a12(00):ひをてらして、貴賤男女老少愚昧化導しおはしまして 0000_,31,909a13(00):のち、御遺跡もわすれがたく、かつは恋慕の思ひ、か 0000_,31,909a14(00):つは礼拝のために御上洛ありて、年来の遺弟同学のよ 0000_,31,909a15(00):しみ、上人の御廟もなつかしく、かたがたさりがたく 0000_,31,909a16(00):おぼしめし、五条西の洞院あたりに勝地をとどめて住 0000_,31,909a17(00):みたまふ。毎月廿五日、上人御往生忌辰をむかへて念 0000_,31,909b18(00):仏道場となし給へり。そののち数年をへてひがし山へ 0000_,31,909b19(00):御うつりありて御恩徳を謝し奉り給へり。しかればお 0000_,31,909b20(00):く坂東北陸等御遺弟門葉市をなし、目出たく興隆しお 0000_,31,909b21(00):はしましけり。御滅後五十余年の化導もはら奇特にし 0000_,31,909b22(00):て、門徒の道場そのかずをしらず、日本一州にみつる 0000_,31,909b23(00):ことこの上人の御勧化もとも日域にみちふさがる。聖 0000_,31,909b24(00):道浄土の門葉家家宗宗これありといへども、当流は算 0000_,31,909b25(00):数にもおよばず、いづれの宗、たれの利益において偏 0000_,31,909b26(00):執をなすべきや、不思議の勧化これきはまりなし。さ 0000_,31,909b27(00):て善信上人念仏の功つもり、修行たけたまひ、教行信 0000_,31,909b28(00):証といふ疏を始めとして、数十巻の釈を造立して信ぜ 0000_,31,909b29(00):しめ、ふかく捨邪帰正したまひ、末代の凡夫を哀みた 0000_,31,909b30(00):まふ。まことに無智のともがらのためにみやすく、こ 0000_,31,909b31(00):ころへやすきこと、この釈にかぎれり、しかふして弘 0000_,31,909b32(00):長二年壬戌十一月廿八日御歳九十にして、殊勝の往生 0000_,31,909b33(00):をとげたまへり。諸国の遺弟その遠忌をまちゑ、報恩 0000_,31,909b34(00):を謝すること未曾有のことどもなり