0000_,31,319a01(00):法然上人繪詞外題
0000_,31,319a02(00):黑谷上人繪詞拔書 法然上人 源空實名也
0000_,31,319a03(00):夫以れば我本師釋迦如來は普流浪三界の迷徒を救はん
0000_,31,319a04(00):が爲に、深く平等一子の悲願を發坐しますに依て忽に
0000_,31,319a05(00):無勝莊嚴の化を隱て恭く娑婆濁惡の國に入給より以來
0000_,31,319a06(00):非生に生を現して無憂樹の花咲を含み非滅に滅を唱て
0000_,31,319a07(00):堅固林の風心を痛しむ。在世八十箇年慈雲等く群生に
0000_,31,319a08(00):覆ひ滅後二千餘廻、法水猶三國に流る。敎門しな殊に
0000_,31,319a09(00):利益逾也。其中に聖道の一門は穢土にして自力を勵ま
0000_,31,319a10(00):し濁世に有て得道を期す。但恐は時澆季に及て二空の
0000_,31,319a11(00):月陰安く心塵緣に馳て三惡の焰免難し。煩惱具足の凡
0000_,31,319a12(00):夫順次に輪廻の里を出ぬべきは只是淨土の一門のみ也
0000_,31,319a13(00):諸家の解釋蘭菊にして華を恣にすと雖ども、唐朝の善
0000_,31,319a14(00):導和尚彌陀の化身として獨り本願の深意を顯はし、我
0000_,31,319a15(00):朝の法然上人勢至の應現として專ら稱名の要行を弘め
0000_,31,319b16(00):給ふ。和漢國異れども化導一致にして男女貴賤信心を
0000_,31,319b17(00):得安く、紫雲異香往生の瑞頗る繁し。念佛の弘通爰に
0000_,31,319b18(00):尤盛也とす。然に上人遷化の後星霜稍積れり、敎誡の
0000_,31,319b19(00):語利益の跡人漸此を暗んぜず。若注して後代に留ずば
0000_,31,319b20(00):誰か賢を見て等からん事を思ひ、出離の要路在る事を
0000_,31,319b21(00):知ん。依之廣く先聞を問らひ普く舊記を勘へ實を擇び
0000_,31,319b22(00):あやまりを糺して粗始終の行状を錄する所也。愚なる
0000_,31,319b23(00):人の覺り安く見ん者の信を勸んが爲に數軸の繪圖に顯
0000_,31,319b24(00):して萬代の明鑑に備ふ。往生を冀はん輩誰か此志を好
0000_,31,319b25(00):せざらん
0000_,31,319b26(00):一 抑上人は美作國久米の南條稻岡の庄人也。父は久
0000_,31,319b27(00):米押領使漆の時國、母は秦氏也。子なき事を歎て夫
0000_,31,319b28(00):婦心を一にして佛神に祈申に秦氏夢に剃刀を呑と見
0000_,31,319b29(00):て則懷妊す。時國が云汝妊める所定て是男子にして
0000_,31,319b30(00):一朝の戒師たるべしと。秦氏其心柔和にして身に苦
0000_,31,319b31(00):痛なし。堅く酒肉五辛を斷て三寶に歸する心深かり
0000_,31,319b32(00):けり。遂に崇德院の御宇長承二年四月七日午正中に
0000_,31,320a01(00):秦氏惱事なくして男子を産む
0000_,31,320a02(00):一 所生の小兒字を勢至と號す。竹馬に鞭を擧齢より
0000_,31,320a03(00):其性賢して成人の如し。動は西の壁に向居る癖あり
0000_,31,320a04(00):天台大師童稚の行状にたかはずなん侍り
0000_,31,320a05(00):一 上人或山僧と參會の事侍けるに、彼僧の云、淨土
0000_,31,320a06(00):宗を立給ふなるは何の文に依て立給ふやと尋ぬる時
0000_,31,320a07(00):善導の觀經疏の附屬の文なりと答給
0000_,31,320a08(00):一 一心專念彌陀名號行住坐臥不問時節久近念念不捨
0000_,31,320a09(00):者是名正定之業順彼佛願故の文に至て末世の凡夫彌
0000_,31,320a10(00):陀の名號を稱念せぱ彼佛の願に乘じて慥かに往生を
0000_,31,320a11(00):得べかりけりと云理を思定給ぬ。此に依て承安五年
0000_,31,320a12(00):の春生年四十三、立ろに餘行を捨て一向に念佛に歸
0000_,31,320a13(00):し給にけり
0000_,31,320a14(00):一 三重の念佛分別して聞しめん。一には摩訶止觀に
0000_,31,320a15(00):明す念佛、二には往生要集に勸る念佛、三には善導
0000_,31,320a16(00):の立給へる念佛也とて、委此を演給ふ。文義廣博に
0000_,31,320a17(00):して智解深遠也。崑岺の頂を仰が如し。蓬瀛の底を望
0000_,31,320b18(00):に似たり
0000_,31,320b19(00):一 故上人辨阿に敎給しは、善導の御心は淨土へ參ら
0000_,31,320b20(00):んと思ん人は必三心を具して念佛を申べき也。一に
0000_,31,320b21(00):至誠心と云は實に往生せんと思取て念佛を申也。二
0000_,31,320b22(00):に深心と云は我身は罪惡生死の凡夫也、然に彌陀の
0000_,31,320b23(00):本願の忝に依て此念佛より外に我身の助かるべき事
0000_,31,320b24(00):なしと堅信ずるを申也。三に廻向發願心と云は只一
0000_,31,320b25(00):筋に極樂に參らんずる爲の念佛也と思を云也。是ぞ
0000_,31,320b26(00):法然上人に習傳奉る三心にて侍る。此外に全別の様
0000_,31,320b27(00):なき也。又故上人の仰られ候しは、在家の暇なから
0000_,31,320b28(00):ん人は一萬二萬なども申べし、僧尼なんどどてさま
0000_,31,320b29(00):をもかへたらん驗には三萬六萬なんどを申べし。い
0000_,31,320b30(00):かにも多申に過たる法門は有べからず。詮ずる所、
0000_,31,320b31(00):此念佛は決定往生の行也と信を取ぬれば自然に三心
0000_,31,320b32(00):は具足して往生するぞと、やすやすと仰られ侍し也
0000_,31,320b33(00):若是習はぬ事を習たりと云ひ、仰られぬ事を仰られ
0000_,31,320b34(00):たりと申侍らば三世の諸佛十方菩薩殊には憑奉所の
0000_,31,321a01(00):釋迦彌陀觀音勢至善導聖靈念佛守護梵天帝釋等の御
0000_,31,321a02(00):哀なくして現世後世かなはぬ身と成侍ん。上人口決
0000_,31,321a03(00):の次第誓言嚴重也。其上此聖、既に奇瑞を顯はして
0000_,31,321a04(00):往生を遂られぬ。得益法門に契。所述誰か信受せざ
0000_,31,321a05(00):らん
0000_,31,321a06(00):一 天王寺と申者、極樂補處の觀音大士聖德太子と生
0000_,31,321a07(00):て佛法を此國に弘給し最初の伽藍也。欽明天皇の御
0000_,31,321a08(00):爲に七日の念佛を勤め給ひ、善光寺の如來へ御書を
0000_,31,321a09(00):進ぜらる其御書
0000_,31,321a10(00):名號稱揚七日巳此斯爲報廣大恩、仰願本師彌陀尊
0000_,31,321a11(00):助我濟度常護念命長七年丙申二月十三日と侍りける
0000_,31,321a12(00):に、如來の御返事
0000_,31,321a13(00):一念稱揚無恩留、何況七日大功德我待衆生心無間
0000_,31,321a14(00):汝能濟度山豈不護 二月十三日 善光
0000_,31,321a15(00):第二度の御消息 第三度 以上略之
0000_,31,321a16(00):此御消息こそ此國は念佛三昧の有緣なる事も顯にけ
0000_,31,321a17(00):る。彼の鳥居の額にも釋迦如來轉法輪所當極樂土東
0000_,31,321b18(00):門中心とぞかかれて侍る。我國に生を受ん人は尤も
0000_,31,321b19(00):此念佛門に歸べき者也
0000_,31,321b20(00):一 僧都指入て未ゐ直ぬ程に、此度いかがして生死を
0000_,31,321b21(00):離候べきと申されければ、南無阿彌陀佛と唱て往生
0000_,31,321b22(00):を遂にはしかずとこそ存候へと申されければ、僧都
0000_,31,321b23(00):誰もさは見及て侍り、但念佛の時心の散亂妄念の起
0000_,31,321b24(00):候をばいかがし候べきと。上人宣はく、欲界散地に
0000_,31,321b25(00):生を受者、心豈散亂せざらんや。煩惱具足の凡夫爭
0000_,31,321b26(00):か妄念を留べき。其條は源空も力及候はず。心は散
0000_,31,321b27(00):亂れ妄念は競發と雖ども、口に名號を唱へば彌陀の
0000_,31,321b28(00):願力に乘じて決定往生すべしと仰られければ、是承
0000_,31,321b29(00):り候はん爲に參じて候つるとて僧都軈て退出し給け
0000_,31,321b30(00):り。初對面の人一言世間の禮儀の詞無して退出せら
0000_,31,321b31(00):れぬる事よとて人人貴けり。上人内へ入給て心を靜
0000_,31,321b32(00):め妄念を發す無、念佛せんと思んは生付の目鼻を取
0000_,31,321b33(00):捨てて念佛せんと思はんが如し。あなことことしと
0000_,31,321b34(00):ぞ仰られける
0000_,31,322a01(00):一 薗城寺長吏大貳僧正公胤、上人を誹誘して公胤が
0000_,31,322a02(00):見たらん文を法然房のみぬは有とも法然房の見たら
0000_,31,322a03(00):ん事を公胤がみぬはよも有じと自嘆して、淨土決疑
0000_,31,322a04(00):抄三卷を記して選擇集を破す。學佛房を使者として
0000_,31,322a05(00):上人の室に送る時、上人彼使に對て是を披見し給に
0000_,31,322a06(00):上卷の始に法花に即往安樂の文あり觀經に讀誦大乘
0000_,31,322a07(00):の句あり、讀誦極樂に往生するに何の妨か有ん。然
0000_,31,322a08(00):に讀誦大乘を癈して只念佛許を付屬すと云、是大な
0000_,31,322a09(00):る誤也と云り。此文を見給て終をみず、閣て給はく
0000_,31,322a10(00):此僧都是程の人と思はざりつ。無下の事也。一宗を
0000_,31,322a11(00):立とき、かれは廢立の旨を存ずらんと思はるべし。
0000_,31,322a12(00):然に法花經を以て觀經往生の行に入らるる事、宗義
0000_,31,322a13(00):の廢立を忘に似たり。若よき學生ならば觀經は是れ
0000_,31,322a14(00):爾前の敎也。彼中に法華を攝すべからずとぞ難らる
0000_,31,322a15(00):べき。今淨土宗の心は觀經前後の諸大乘經を取て皆
0000_,31,322a16(00):悉往生の行の中に攝す。何ぞ法花ひとり漏や。普く
0000_,31,322a17(00):攝る心は念佛に對して是を廢んが爲也と宣給ければ
0000_,31,322b18(00):使歸て此由を語に、僧都口を閉て言説なかりけり
0000_,31,322b19(00):一 余事に亘る玄惲をくゑんくゐと僧都の申されけれ
0000_,31,322b20(00):ば其宗の人の申侍しはくゑんうんとこそ申侍しが、
0000_,31,322b21(00):暉と書てこそくゐとはよみ侍れ、惲と書てはうんと
0000_,31,322b22(00):こそよみ侍れと、直申されき。惣じて如此誤共七ケ
0000_,31,322b23(00):條にて直れしかば僧都退出の後、弟子等に語れける
0000_,31,322b24(00):は、今日法然房對面して七ケ條の僻事を直たり。常
0000_,31,322b25(00):に見參せば才學は付侍なん。立所の淨土法門聖意に
0000_,31,322b26(00):違べからず。仰て信ずべし。彼の上人の義を謗ずる
0000_,31,322b27(00):是大なる過也とて則製作の決疑抄三卷を燒にけり
0000_,31,322b28(00):一 上人終焉の期近付給。一筆の状云、もろこし我朝
0000_,31,322b29(00):に諸の智者達沙汰し申さるる觀念の念にも非ず。又
0000_,31,322b30(00):學問をして念の心を悟て申念佛にも非ず。只往生極
0000_,31,322b31(00):樂の爲には南無阿彌陀佛と申て疑なく、往生するぞ
0000_,31,322b32(00):と思取て申外に別の子細候はず。但三心四修なんど
0000_,31,322b33(00):申事は皆決定して南無阿彌陀佛にて往生するぞと思
0000_,31,322b34(00):の中に籠候也。此外に奧深き事を存は二尊の御慈に
0000_,31,323a01(00):はづれ本願に漏候べし。念佛を信ん人は縱ひ一代の
0000_,31,323a02(00):法を能能學すとも一文不知の愚鈍の身なして尼入道
0000_,31,323a03(00):の無智の輩に同して智者の振舞をせずして只一向に
0000_,31,323a04(00):念佛すべしと。云云正しき御自筆の書也
0000_,31,323a05(00):一 上人の病中に何くともなく車を寄る事有り。貴女
0000_,31,323a06(00):車よりおりて上人に謁給ふ。折節抹消★ただ勢觀房一人障
0000_,31,323a07(00):子の外にてきき給ければ、女房の音にて今しばしと
0000_,31,323a08(00):こそ思給に御往生の近付侍らんこそ無下に心細侍れ
0000_,31,323a09(00):さても念佛の法門御後には誰にか申置侍らんと申さ
0000_,31,323a10(00):るれば、上人、源空所存は選擇集に載侍り。此に違は
0000_,31,323a11(00):ず申さん者ぞ源空が義を傳たるにて侍べきと。云云
0000_,31,323a12(00):其後しばし御物語ありて返給。其氣色直人と覺ざり
0000_,31,323a13(00):けり。去程に勢觀房車の行末覺束なく覺て見入とし
0000_,31,323a14(00):給に、河原へ車を遣出て北を指て行か、かきけす樣
0000_,31,323a15(00):にみえぬなりけり。怪事限なし。歸て上人に客人の
0000_,31,323a16(00):貴女誰人にかおはすらんと尋申されければ、あれこ
0000_,31,323a17(00):そ韋提希夫人よ、賀茂の邊におはします也と仰られ
0000_,31,323b18(00):けり。勢觀房親り此不思議を感見せられける。故に
0000_,31,323b19(00):上人遷化の後は、社壇近く居をトして常に參詣をな
0000_,31,323b20(00):んせられける
0000_,31,323b21(00):一 日來の安心を印治せんが爲に上人に尋申されける
0000_,31,323b22(00):に就て、御返事に云、凡夫の生死を出る事往生淨土
0000_,31,323b23(00):にはしかず。往生の業多と雖ども稱名念佛しかず。
0000_,31,323b24(00):稱名往生は是彼佛の本願の行也。故に善導和尚の給
0000_,31,323b25(00):く、若我成佛十方衆生稱我名號下至十聲若不生者不
0000_,31,323b26(00):取正覺、彼佛今現在世成佛當知本誓重願不虚、衆生
0000_,31,323b27(00):稱念必得往生。故に稱名往生は是彌陀本願也。念佛
0000_,31,323b28(00):の時此觀をなすべし。本願讃絶はず必ず引接を垂給
0000_,31,323b29(00):へと。此外には別の觀行入べからず
0000_,31,323b30(00):一 天台座主權僧正顯眞之事也。文治二年の秋の比上
0000_,31,323b31(00):人太原へ渡り給ふ。東大寺の大勸進俊乘房重嚴、未
0000_,31,323b32(00):出離の道を思定めざりけるを慈給て、此由を上人よ
0000_,31,323b33(00):り告仰られければ、弟子卅餘人を相具して大原に向
0000_,31,323b34(00):ふ。勝林院の丈六堂に會合す。上人の方には重嚴以
0000_,31,324a01(00):下の弟子共、其數集れり。法印の方には門徒以下並
0000_,31,324a02(00):に太原の聖達坐列れり。山門の衆徒を始として見門
0000_,31,324a03(00):の人多りけり。論談往復する事一日一夜也。上人法
0000_,31,324a04(00):相三論華嚴法華眞言佛心等の諸宗に渡て、凡夫の初
0000_,31,324a05(00):心より佛果の極位に至まで修行の方軌、得度の相貌
0000_,31,324a06(00):具に演給て、此等の法皆義理深く利益勝たり。機法
0000_,31,324a07(00):相應せば得脱踵をめぐらすべからず。但源空如きの
0000_,31,324a08(00):頑愚の類は更に其器に非ず。故に覺難く惑安し。然
0000_,31,324a09(00):間源空發心の後、聖道門の諸宗に付て廣く出離の道
0000_,31,324a10(00):を訪に、彼も難く此も難し。是則世下人愚にして機
0000_,31,324a11(00):敎相背ける故也。然を善導の釋義、三部の妙典の心
0000_,31,324a12(00):彌陀の願力を強緣とする故に、有智無智を論ぜず持
0000_,31,324a13(00):戒破戒を簡ばず、無漏無生の國に生て永く不退を證
0000_,31,324a14(00):する事、只是淨土の一門念佛の一行也とて、法藏の
0000_,31,324a15(00):因行より彌陀の果德に至まで理を竟、詞を盡し畢て
0000_,31,324a16(00):但是自身涯分を演計也。全上機の解行を妨とには非
0000_,31,324a17(00):ずと宣給ければ、法印より始て滿座の衆皆信伏しに
0000_,31,324b18(00):けり。形を見れば源空上人、實には彌陀如來の應現
0000_,31,324b19(00):歟とぞ感歎しける
0000_,31,324b20(00):一 受敎と發心とは各別なる故に習學するには發心せ
0000_,31,324b21(00):ざれども境界の緣を見て信心を發しける也。人むみ
0000_,31,324b22(00):なみに淨土の法を聞き念佛の行を立とも、信心未だ
0000_,31,324b23(00):發らざらん人は、只懃に心を懸て常に思惟し、又三
0000_,31,324b24(00):寳に祈り申べき也とぞ仰せられける
0000_,31,324b25(00):一 虚假とてかざる心にて申す念佛が往生せぬ也。決
0000_,31,324b26(00):定往生せんと思はば飾心無して實の心にて申べし。
0000_,31,324b27(00):朋同行は云に及ばず、其外常に馴見る妻子眷屬なれ
0000_,31,324b28(00):ども東西を辨る程の者に成ぬれば、それが爲に必餝
0000_,31,324b29(00):心は發也。人の中に住んには其心なき凡夫は有べか
0000_,31,324b30(00):らず。惣親きも疎きも貴も賤も人に過たる往生の怨
0000_,31,324b31(00):はなし。其が爲に餝心を發して順次の往生を遂ざれ
0000_,31,324b32(00):ば也。只常に人交て靜る心も無、餝心も有らん者は
0000_,31,324b33(00):夜さし深て見人も無、聞人も無ん時、忍やかに起居
0000_,31,324b34(00):て百反にても千反にても多少心に任て申さん念佛の
0000_,31,325a01(00):みぞ餝心なければ佛意に相應して決定往生は遂べき
0000_,31,325a02(00):此心をゑなば必しも夜には限べからず。只人聞憚無
0000_,31,325a03(00):らん所にて常に如此申べし。所詮決定往生願ふ實の
0000_,31,325a04(00):念佛申さんずる餝らぬ心根は、譬ば盜人有て人の寶
0000_,31,325a05(00):を思懸て盜んと思心は底に深れども、面にはさりげ
0000_,31,325a06(00):なき様に持成て、構恠なる色を人にみえじと思んが
0000_,31,325a07(00):如し。其盜み心は人全しらねば、少も餝らぬ心也。
0000_,31,325a08(00):決定往生せんずる心も又如此。人多集り居らん中に
0000_,31,325a09(00):ても念佛申す色を人にみせずして、心にわするまじ
0000_,31,325a10(00):きなり。其時の念佛、佛より外は誰か此を知べき。
0000_,31,325a11(00):佛知せ給はば往生何疑はん
0000_,31,325a12(00):一 眞僞の二疑あり。地躰僞性にして餝心有★要なき
0000_,31,325a13(00):聊の事をも必ず僞り餝也。元より實の心有て虚言せ
0000_,31,325a14(00):ぬ者は、聊の矯餝して身の爲、大に其益有べき事な
0000_,31,325a15(00):れども身の利養をば顧ず。底に實有て少しも餝心な
0000_,31,325a16(00):し。是皆本性に受而生たる所也
0000_,31,325a17(00):以上 上卷畢
0000_,31,325b18(00):一、上人ただ諸宗の敎門に明なるのみに非ず。修行多
0000_,31,325b19(00):く其證を得給き。其上四明黑谷にして、法華三昧を
0000_,31,325b20(00):行給時、普賢白象に乘て親り道場に現給。又上人或
0000_,31,325b21(00):時叡空上人並に西仙房と共に行給けるに、山王影向
0000_,31,325b22(00):して納受の形を顯し給けり。是末代の奇特也
0000_,31,325b23(00):一、上人黑谷にして花嚴經講給けるに、靑き虵机の上
0000_,31,325b24(00):に有けるを法蓮房信空に取て捨べきよし、仰られけ
0000_,31,325b25(00):れば法蓮房限なく虵に畏人なりけれども、師の命背
0000_,31,325b26(00):き難に依て、出文机の明障子をあけ儲て、塵取に掃
0000_,31,325b27(00):入て投捨てて障子を立てけり。歸てみれば虵猶元の
0000_,31,325b28(00):所に有けり。此をみるに遍身に汗出て畏かりけり。
0000_,31,325b29(00):上人見給、など取ては捨られぬぞと仰られければ、
0000_,31,325b30(00):然然と答。上人默然として物もの給ざりけり。其夜
0000_,31,325b31(00):法蓮房夢に大龍形を現し、我は是花嚴經を守護する
0000_,31,325b32(00):所の龍神也。をそるる事勿と云と思て夢覺にけり。
0000_,31,325b33(00):昔此經龍宮有て人間に流布せず。龍樹菩薩龍宮に行
0000_,31,326a01(00):て此を披き見て人間還て此を弘給き。其後覺賢三藏
0000_,31,326a02(00):震旦にして安帝義凞十四年三月十日より楊州謝司定
0000_,31,326a03(00):寺に、護淨花嚴法堂を建てて花嚴經を譯し給時、堂
0000_,31,326a04(00):の前の蓮花池より毎日に靑衣なる二人の童子朝に出
0000_,31,326a05(00):塵を拂ひ墨を磨り、暮れば池の底へなん入ける。經
0000_,31,326a06(00):を譯し畢て後は見ず成にけり。此經久龍宮に在故に
0000_,31,326a07(00):龍神敬、守護を加へ侍けるにこそ。上人披講實至て
0000_,31,326a08(00):龍神を感ぜしめ給ける。ゆゆしくぞ侍る
0000_,31,326a09(00):一 上西門院深上人に歸御て、念佛御心淺らざりけり
0000_,31,326a10(00):或時上人を請申されて七日説戒在き。圓戒の奧旨を
0000_,31,326a11(00):演給に一つの虵唐垣の上に七日間はたらかず而聽聞
0000_,31,326a12(00):氣色在り。見人恠思程に結願の日に當、彼虵死せり
0000_,31,326a13(00):其頂の中より一つの蝶出て空に昇と見人もあり。天
0000_,31,326a14(00):人の形にて昇とみる人もありけり。昔惠表比丘武當
0000_,31,326a15(00):山にして無量義經を講讀せしに、音を聞靑雀歡喜苑
0000_,31,326a16(00):に生ぜり。彼先蹤を思に此小虵も大乘結緣に依て天
0000_,31,326a17(00):上に生れ侍にや
0000_,31,326b18(00):一 上人秘密の窓に入り觀念の床に坐給しに、或時は
0000_,31,326b19(00):蓮花顯れ或時は羯磨を見、或は寶珠を拜す。觀心明
0000_,31,326b20(00):了にして瑞相を眼前に顯給事多かりけり
0000_,31,326b21(00):一 別當入道惟方卿娘粟田口の禪尼は上人往生の後、
0000_,31,326b22(00):二月十三日の夜の夢に、上人の墳墓に參たれば八幡
0000_,31,326b23(00):の寶殿なり。御戸を開くるに御正躰御ます。傍なる
0000_,31,326b24(00):人其御正躰を指て是こそ法然上人よと云を聞て信心
0000_,31,326b25(00):發り、身毛いよたち汚流るとみる
0000_,31,326b26(00):一 或時秉燭の程に上人のどかに聖敎を披覽し給音の
0000_,31,326b27(00):しければ、正信房未燈など奉とも覺ざりつるにと覺
0000_,31,326b28(00):束無て、密かに座下を伺に、左右の御目のすみより
0000_,31,326b29(00):光を放て文の面を照らし給ふ。其光明なる事、燈に
0000_,31,326b30(00):過たり。いみじく貴こと限なし。かやうの内證をば
0000_,31,326b31(00):深く隱密大事にて侍んと思て拔足をして罷出ぬ也
0000_,31,326b32(00):一 上人仰られけるは、其極樂の主じにて御す阿彌陀
0000_,31,326b33(00):佛こそ、何事も知ぬ罪人共の、諸佛菩薩にも捨はて
0000_,31,326b34(00):られ十方淨土にも門を指れたる輩をやすやすと助濟
0000_,31,327a01(00):はんと云願を發て、十方世界の衆生を來迎給ふ佛よ
0000_,31,327a02(00):心を靜めて能能聞るべし。唐土より日本に渡たる一
0000_,31,327a03(00):切經は五千餘卷あり。其中に雙卷無量壽經、觀無量
0000_,31,327a04(00):壽經、小阿彌陀經也。昔法藏比丘と申しし入道、四
0000_,31,327a05(00):十八願を建て極樂淨土を建立し、一切衆生を平等に
0000_,31,327a06(00):往生せしめん。其に我佛に成たらん時の名を稱念せ
0000_,31,327a07(00):し衆生を來迎せんと云ふ願を發て、眞實に往生せん
0000_,31,327a08(00):と思て念佛申衆生を、迎置て佛に成給也。四十八願
0000_,31,327a09(00):の中の第十八願の願是也とて、本願虚からざる謂れ
0000_,31,327a10(00):念佛して往生すべき趣、細かに授られけり。此聖不
0000_,31,327a11(00):審事共を尋申に付て上人御返事條條
0000_,31,327a12(00):一 念佛の機は只生付の儘申也。智者は智者にて申て
0000_,31,327a13(00):生れ、愚者は愚者にて申て生れ、道心有人も申て生
0000_,31,327a14(00):道心無人も申て生。乃至富貴者貧賤者も慈悲有者慈
0000_,31,327a15(00):悲無者も、欲深者腹惡者も本願の不思議にて念佛だ
0000_,31,327a16(00):にも申せば、何も皆往生する也。念佛の一願に萬機
0000_,31,327a17(00):を攝て發給へる本願なり。只こざかしく機の沙汰を
0000_,31,327b18(00):せずして一向に念佛だにも申せば皆悉往生する也。
0000_,31,327b19(00):されば念佛往生の義を深も難も申さん人をば、つや
0000_,31,327b20(00):つや本願の理をしらざる人也と心得べき也。淨土一
0000_,31,327b21(00):宗の諸宗に超へ、念佛の一行の諸行に勝たりと云事
0000_,31,327b22(00):は萬機を攝する方を云也。理觀菩提心讀誦大乘眞言
0000_,31,327b23(00):止觀等、何も佛法の疎にましますには非。皆生死滅
0000_,31,327b24(00):度の法なれども末代に成ぬれば力及ばず。行者の不
0000_,31,327b25(00):法なるに依て機が及ばぬ也。念佛門に至ては時を云
0000_,31,327b26(00):へば末法萬年の後、人壽十歳に促り、罪をいへば十
0000_,31,327b27(00):惡五逆の罪人也。老少男女の輩一念十念の類に至ま
0000_,31,327b28(00):で皆是攝取不捨の誓に籠也。此故に諸宗に超、諸行
0000_,31,327b29(00):にすぐれたりとは申也
0000_,31,327b30(00):一 何にも念佛の申れん方に依て過べし。念佛の障に
0000_,31,327b31(00):成ぬべからん事をば厭捨べし。一所にてなくば修行
0000_,31,327b32(00):して申べし。修行して申されずは一所にて申べし。
0000_,31,327b33(00):聖て申れずは在家に成て申べし。獨籠居して申され
0000_,31,327b34(00):ずは同行と共に行じて申べし。衣食叶はずして申さ
0000_,31,328a01(00):れずは他人に助られて申べし。妻子も從類も自身を
0000_,31,328a02(00):助けられて念佛申さん爲なり。念佛の障りに成ぬべ
0000_,31,328a03(00):からん事は努努なすべからず
0000_,31,328a04(00):一 聖道門は深しと雖ども時過ぬれば今の機に叶はず
0000_,31,328a05(00):淨土門は淺に似たれども當根に叶安と、云し時き末
0000_,31,328a06(00):法萬年餘經悉滅彌陀一敎利物偏增の道理に折て人皆
0000_,31,328a07(00):信伏しき
0000_,31,328a08(00):一 沙門堂の法印明禪は參議成賴卿の息、顯宗は檀
0000_,31,328a09(00):那院の嫡流智海法印の面受、密宗は法曼院の正統仙
0000_,31,328a10(00):雲法印に受く。顯密の棟梁山門の英傑なり。然ども
0000_,31,328a11(00):道心内に催し隱遁の思深かりき。初發心の因緣を語
0000_,31,328a12(00):申されけるは、最勝講の聽衆に參じたりしに緇素貴
0000_,31,328a13(00):賤今日を晴とのみ思敢り。夢幻泡影片時の榮を忘ざ
0000_,31,328a14(00):る者一人も非ず。俗家には大將の庭上の事から大裏
0000_,31,328a15(00):の門外の振舞、僧中には證義者は上童を具して別座
0000_,31,328a16(00):を儲け、攝錄の息は隨身を隨へて直廬に參ぜらる。
0000_,31,328a17(00):彼此の榮耀をみて見聞の輩走廻れる有様、つくづく
0000_,31,328b18(00):と思へば無常忽に至なば餘算いつまでとか期せん。
0000_,31,328b19(00):世上の忩忙を見に付て胸中の觀念澄增る儘に、隱遁
0000_,31,328b20(00):の思此時治定せりとぞ申されける。彼法印は天台の
0000_,31,328b21(00):宗匠なりしかども選擇集を見て後は、偏に上人の勸
0000_,31,328b22(00):化を信じて心を金池の波に寄せ、今は只畢命を期と
0000_,31,328b23(00):せし許也とて專修專念の行、懈なく念佛往生の營、
0000_,31,328b24(00):他事なかりき
0000_,31,328b25(00):一 上人宣ふ、自他宗の學者宗宗所立の義を各別に心
0000_,31,328b26(00):得ずして、自宗の義に異するを皆僻事と心得たるは
0000_,31,328b27(00):謂れなき事也。宗宗皆各立る所の法門各別なる上は
0000_,31,328b28(00):諸宗の法門一同なるべからず、皆自宗の義に違すべ
0000_,31,328b29(00):き條は勿論の事也とぞ仰られける
0000_,31,328b30(00):一 又云、口傳無して淨土の法門をみるは往生の得分
0000_,31,328b31(00):をみ失也。其故は極樂の往生は上は天親龍樹を勸め
0000_,31,328b32(00):下は末世の凡夫十惡五逆の罪人まで勸給へり。然を
0000_,31,328b33(00):我身は最下の罪人にて善人を勸給へる文をみて卑下
0000_,31,328b34(00):の心を發して往生を不定に思て順次の往生を得ざる
0000_,31,329a01(00):也。然れば善人を勸給へる所をば善人の分とみ、惡
0000_,31,329a02(00):人を勸給へる所をば我分として得分にする也。如此
0000_,31,329a03(00):見定ぬれば決定往生の信心堅まりて本願に乘じて順
0000_,31,329a04(00):次の往生を遂也
0000_,31,329a05(00):一 又云、他力本願に乘るに二あり。乘ぜざるに二あ
0000_,31,329a06(00):り。先乘ざるに二と云は一には罪を作時乘ぜず。其
0000_,31,329a07(00):故は如此罪作は念佛申とも往生不定也と思時乘ぜず
0000_,31,329a08(00):二には道心の發時乘ぜず。其故は同く念佛を申とも
0000_,31,329a09(00):如此道心有て申さん念佛にてこそ往生はせんずれ、
0000_,31,329a10(00):無道心にては念佛すとも叶ふべからずと。道心を先
0000_,31,329a11(00):として本願を次に思時乘ぜざる也。次に本願に乘ず
0000_,31,329a12(00):るに二の様と云は、一には罪を作時乘ずる也。其故
0000_,31,329a13(00):は如此罪を造れば決定して地獄に墮すべし。然ども
0000_,31,329a14(00):本願の名號を唱れば決定して往生せん事のうれしさ
0000_,31,329a15(00):よと悅時、乘ずる也。二には道心の發時に乘ずる也
0000_,31,329a16(00):其故は此道心にて往生すべきに非ず、是程の道心は
0000_,31,329a17(00):無始より巳來た發れども、未生死を離れず、故道心
0000_,31,329b18(00):の有無を論ぜず造罪の輕重を云はず、只本願の稱名
0000_,31,329b19(00):を念念相續せん力に依てぞ往生は遂べきと思時に、
0000_,31,329b20(00):他力本願に乘ずる也
0000_,31,329b21(00):一 又云、念佛申には全別樣なし。只申せば極樂へ生
0000_,31,329b22(00):と知て心を至、申ば參也
0000_,31,329b23(00):一 又云、南無阿彌陀佛と云は、別たる事には思べか
0000_,31,329b24(00):らず、阿彌陀佛け我を助給へと云語と心得て、心に
0000_,31,329b25(00):は阿彌陀佛助給へと思て口には南無阿彌陀佛と唱を
0000_,31,329b26(00):三心具足の念佛と申也
0000_,31,329b27(00):一 又云、縱餘事を營とも念佛を申申此をする思を
0000_,31,329b28(00):なせ、餘事をしし念佛すとは思べからず
0000_,31,329b29(00):一 又云、名號を聞と云とも信ぜずば聞ざるが如し。
0000_,31,329b30(00):縱信ずと云とも唱へずば信ぜざるが如し。只常に念
0000_,31,329b31(00):佛すべし
0000_,31,329b32(00):一 又云、せこにこめたる鹿も友に目をかけずして、
0000_,31,329b33(00):人かげにかへらず向たる方へ、思切てまひらににぐ
0000_,31,329b34(00):れば、いくら人あれども必にげらる。其定に他力を
0000_,31,330a01(00):深信して萬事を知ず、往生を遂と思べき也
0000_,31,330a02(00):一 上人の念佛七萬遍に成給て後は、晝夜に餘事を雜
0000_,31,330a03(00):へ給はざりけり。されば其後人の參て法門尋申ける
0000_,31,330a04(00):には、聞給かと覺しくては念佛の御聲の少しひきく
0000_,31,330a05(00):成給許にてぞ有ける。一向に念佛閣給事なかりける
0000_,31,330a06(00):となん
0000_,31,330a07(00):一 又上人宣はく、阿彌陀經は只念佛往生許を説給と
0000_,31,330a08(00):は心得べからず。文に隱顯有と雖ども、廣略義を以
0000_,31,330a09(00):て心得れば四十八願を悉説給へる經なり。舍利弗如
0000_,31,330a10(00):我今者讃嘆阿彌陀佛不可思議功德と云り。阿彌陀佛
0000_,31,330a11(00):の功德は即四十八願也。念佛往生を説は其中の第十
0000_,31,330a12(00):八願を(以下缺)
0000_,31,330a13(00):一 所詮決定心を生ぜば往生すべき也。私案、決定心
0000_,31,330a14(00):を生ぜば往生すべからざる也。煩惱罪惡等の往生
0000_,31,330a15(00):をさへ障ざるをば、凡夫の心としては覺知すべから
0000_,31,330a16(00):ずといへども、本願に相應する程の念佛申たらんに
0000_,31,330a17(00):は、其を障碍として往生を妨る罪は有べからず。往
0000_,31,330b18(00):生は念佛の信否に依べし。更罪惡の有無には依べか
0000_,31,330b19(00):らず
0000_,31,330b20(00):一 見思塵沙無明の煩惱が、萬づの障碍をばする也。
0000_,31,330b21(00):念佛の一行は此等の煩惱にも障られず、往生を遂、
0000_,31,330b22(00):十地究竟する也。他宗には實敎にも權敎にも密敎に
0000_,31,330b23(00):も顯敎にも十地究竟する事は漸頓を論ぜず極たる大
0000_,31,330b24(00):事也。然に只念佛の一行に依て往生を遂、十地の願
0000_,31,330b25(00):行自然に成就する事は誠に甚深殊勝の事也とぞ宣け
0000_,31,330b26(00):る
0000_,31,330b27(00):一 淨土の法門を演給に、先聖道淨土の二門を分、聖
0000_,31,330b28(00):道難行の謂れを仰らるるに、殊に天台宗に對して釋
0000_,31,330b29(00):給に、四種三昧の難行なる事をの給て、南岳大師入
0000_,31,330b30(00):滅の刻み、諸の弟子に告て云はく、汝等方等般若四
0000_,31,330b31(00):種三昧に於、身命を顧ず行ずべくは、我れ十年世に
0000_,31,330b32(00):有て汝等を供給すべしの給に、苦行叶難に依て、弟
0000_,31,330b33(00):子等返答に及ばざりしかば、大師入滅し給き。師既
0000_,31,330b34(00):に入滅せんとし給へるが、暫も存命せんとの給はん
0000_,31,331a01(00):をば、何なる妄語を搆ても師の命を惜ん爲には修行
0000_,31,331a02(00):してんとこそ申つべけれとも、始終叶べからざる故
0000_,31,331a03(00):に返答せずして止にしかば、師則入滅し給き。何況
0000_,31,331a04(00):當時の我等をや。傳敎大師弟子達に四種三昧を一つ
0000_,31,331a05(00):づつ當て修行せさせらるる事侍き。慈覺大師は常坐
0000_,31,331a06(00):三昧に當て修行し給けるに常坐難行也とて改て常行
0000_,31,331a07(00):三昧と成と申せり。如此の修行は上古より修し難事
0000_,31,331a08(00):顯然也。何況、當世の凡夫をやとて聖道門の難行な
0000_,31,331a09(00):る事、淨土門の修易き樣、こまごまと仰られて所詮
0000_,31,331a10(00):末代の佛法、修行其證をうる事只念佛の一行也。是
0000_,31,331a11(00):則彌陀の本願に順ずるが故也と宣ければ信心實を至
0000_,31,331a12(00):しけり
0000_,31,331a13(00):一 慈眼房、法然に對して大乘の實智發さで、淨土往
0000_,31,331a14(00):生してんやと宣に、往生し候はんと答申時、何にさ
0000_,31,331a15(00):は見えたるぞとの給ふ間、往生要集にみえて候と申
0000_,31,331a16(00):すに、其は往生要集の裏をみ給へるぞとの給間、い
0000_,31,331a17(00):ざ誰うらをみたるやらんと申たれば、聖腹立し給け
0000_,31,331b18(00):り
0000_,31,331b19(00):一 或時上人天台智者の本意を探り、圓頓一實の戒躰
0000_,31,331b20(00):を談給に、慈眼房は心を以て戒躰とすと云ひ、上人
0000_,31,331b21(00):は性無作の假色を以て戒躰とすと立給ふ。其後慈眼
0000_,31,331b22(00):房上人之義に歸渡せられけるとなん
0000_,31,331b23(00):一 上人弘法大師の御作十住心論を難御條條多かりけ
0000_,31,331b24(00):り。或時弘法夢中、此難を會釋し給事有ければ、上
0000_,31,331b25(00):人云く、此夢告を案るに、難中義皆以て大師の御心
0000_,31,331b26(00):に相契へるなるべし。凡は後學畏へしとて、學生は
0000_,31,331b27(00):必しも先達なればと云事はなき也。彼如來滅後五百
0000_,31,331b28(00):年に五百の羅漢集て婆娑論を造れりしに、九百年に
0000_,31,331b29(00):世親出で倶舍論を造て先の義を破し給き。義の是非
0000_,31,331b30(00):を論ん事は、強に上古にも畏まじきとぞ
0000_,31,331b31(00):一 元久元年八月に上人瘧病を煩給事有けり。月輪殿
0000_,31,331b32(00):安居院法印聖覺御導師にて冥助を仰がれ御祈請有け
0000_,31,331b33(00):り。其説法大底は、大師釋尊猶衆生に同給は、常に
0000_,31,331b34(00):病惱を受、療治を用給。況凡夫血肉の身爭か其愁な
0000_,31,332a01(00):かんや。然ども淺智愚鈍の衆生は此理を知ず、定て
0000_,31,332a02(00):疑心をなさんか。上人の化導既佛意に契ふ故に、親
0000_,31,332a03(00):く往生を遂る者其數を知ず。然ば諸佛菩薩諸天龍神
0000_,31,332a04(00):爭、衆生の不信を歎ざらん。四天大王佛法を守給は
0000_,31,332a05(00):ば、必我大師上人の病惱を癒し給へと、苦ろに宣ら
0000_,31,332a06(00):れければ、本尊善導の御影の御前に異香頻に薰じ、
0000_,31,332a07(00):上人も聖覺も共に瘧病落にけり。實に末代の奇特、
0000_,31,332a08(00):其比の口遊にてぞ在りける
0000_,31,332a09(00):一 禪定月輪殿★殿下は忠仁公十一代の後胤、累代攝錄の臣と
0000_,31,332a10(00):して朝家の憲政詩歌の才幹、君是を許し世此を仰ぎ
0000_,31,332a11(00):奉る。榮花重職の豪家に遊び給と云へども、偏に順
0000_,31,332a12(00):次往生の御望深かりけり。去年建永元年三月七日後
0000_,31,332a13(00):の京極殿俄に隱れさせ給き。御歳僅かに卅八にぞ成
0000_,31,332a14(00):給ける。此につけても彌今生の事を思食し捨て一筋
0000_,31,332a15(00):に後生菩提の御營許也
0000_,31,332a16(00):一 上人左遷の後、月輪の禪閤朝暮の御歎淺からず。
0000_,31,332a17(00):日來の御不食彌よ重らせ給。大漸の期近付給ふ。藤
0000_,31,332b18(00):中納言光親卿を召て仰置れけるは、法然上人年來歸
0000_,31,332b19(00):依の至、定て存知有ん。今度の勅勘を申免さずして
0000_,31,332b20(00):謫所へ遷られぬる事、生て世に在甲斐無に似り。然
0000_,31,332b21(00):而嚴旨緩からず。左右なく申ん事恐れ覺る故に後日
0000_,31,332b22(00):を期して過所に、既終焉に臨り。今生の恨、只此事
0000_,31,332b23(00):にあり。我他界に趣と云ども、連連に御氣色を伺ひ
0000_,31,332b24(00):て恩免を申行るべしと。書口説仰れければ、光親卿
0000_,31,332b25(00):仰の旨更如在を存べからざる由、申て涙を流しけり
0000_,31,332b26(00):一 恩免有と云ども、猶洛中の往還を許されざりしか
0000_,31,332b27(00):ば、攝津國勝尾寺に暫住給。勝尾寺の隱居も既四ケ
0000_,31,332b28(00):年に成りぬ。花洛の往還猶許されざりしに建暦元年
0000_,31,332b29(00):の夏比、上皇後鳥羽院★ 八幡宮に御幸ありし時、一人の倡妓
0000_,31,332b30(00):攅云、星灾に親疎なし、只善人に與す。王者の德失
0000_,31,332b31(00):によりて國土の治亂あり。我南海の邊邑に訪べき事
0000_,31,332b32(00):有て日日に往反す。苦哉苦哉、近代君闇臣曲て政濁
0000_,31,332b33(00):り人患。王城の鎭守、百王の宗廟連連に評定の事あ
0000_,31,332b34(00):り。天下逆亂率土荒廢せん。定て後悔あらんかと。
0000_,31,333a01(00):還御して後、近臣等奏申さく、倡妓が詫宣只事に非
0000_,31,333a02(00):ざらんか。凡夭は德に勝ず、仁よく邪を却。國土を
0000_,31,333a03(00):治る計、德政にはしかず。夭を却る術佛法に歸す
0000_,31,333a04(00):るにあり。專修念佛停廢、法然房配流、尤宥して御
0000_,31,333a05(00):計有べきをやと。勅答猶明ならざるに、同年七月の
0000_,31,333a06(00):比、上皇御夢想の御事御しき。蓮花王院に御參有け
0000_,31,333a07(00):るに、衲衣を着せる高僧近付參して奏云、法然房は
0000_,31,333a08(00):故法皇並高倉の先帝の圓戒の御師範也。德は賢聖に
0000_,31,333a09(00):等しく益當今に普し。君大聖の權化を以て還俗配流
0000_,31,333a10(00):の罪に處す、咎五逆に同じ、苦報恐れざらんやと。
0000_,31,333a11(00):此事驚き思食て藤中納言光親卿に密に御夢想の次第
0000_,31,333a12(00):を仰下さる。彼卿折をえて早く此上人の花洛の往還
0000_,31,333a13(00):を許さるべき旨、頻に奏申されければ、同十一月十
0000_,31,333a14(00):七日彼卿の奉行として花洛に還歸あるべき由、烏頭
0000_,31,333a15(00):變毛の宣下を被り給ぬ
0000_,31,333a16(00):一 其後幾くの歳月を經ず僅に十ケ年の間に、承久の
0000_,31,333a17(00):逆亂發て天下の亂に及き。倡妓が詫宣今思合せられ
0000_,31,333b18(00):侍り
0000_,31,333b19(00):一 上人の沒後、順德院の御宇建保、後堀河院御宇貞
0000_,31,333b20(00):應嘉祿、四條院御宇中天福延應、度度一向專修停止
0000_,31,333b21(00):の勅を下さるる事有しかども、嚴制廢れ安く興行止
0000_,31,333b22(00):難くして、遺弟の化導都鄙に普く、念佛の聲洋洋と
0000_,31,333b23(00):して耳に滿り。是豈止住百歳の佛語虚からずして、
0000_,31,333b24(00):漸利物偏增の益を顯に非や
0000_,31,333b25(00):一 爰に上野國より登山侍ける並榎竪者定昭、深上人
0000_,31,333b26(00):念佛弘通をみ、彈選擇と云破文を造て隆寬律師の
0000_,31,333b27(00):庵に送。律師又、顯選擇と云書を注して此を答。其
0000_,31,333b28(00):詞云、汝が僻破の當らざる事、譬は暗天の飛礫の如
0000_,31,333b29(00):とぞ欺かれて侍る
0000_,31,333b30(00):一 豈はかりきや。戰場を以て往生の門出とし、惡徒
0000_,31,333b31(00):を以逆緣の知識とすべしとは。善惡不二の理、邪正
0000_,31,333b32(00):一如の掟ては、山門の使ならば定て聞知らん。自他
0000_,31,333b33(00):諸共に九品蓮臺の同行となり、怨親同く七重寶樹の
0000_,31,333b34(00):新賓たらんと云て、武威を振ひければ使者退散して
0000_,31,334a01(00):其日は暮けり
0000_,31,334a02(00):一 上人云、念佛には甚深の義と云事無。只念佛申者
0000_,31,334a03(00):は必往生すと知許也。何なる智者學生なりと云とも
0000_,31,334a04(00):宗に明させらん義をば爭か作出ては云べき云云
0000_,31,334a05(00):一 又云、稱名念佛は樣なきを以樣とす。身の振舞、
0000_,31,334a06(00):心の善惡を沙汰せず、念佛を申せば往生する也云云
0000_,31,334a07(00):一 又云、人の手より物を得んに、既に得たらんと、
0000_,31,334a08(00):未ゑざらんと何か勝たるべき。源空はすでにえたる
0000_,31,334a09(00):心地にて念佛を申也と云云
0000_,31,334a10(00):一 四修 無間修 無餘修 慇重修 恭敬修 三心
0000_,31,334a11(00):至誠心 深心 廻向發願心
0000_,31,334a12(00):一 五種正行 讀誦正行 觀察 禮拜 稱名 讃歎供
0000_,31,334a13(00):養
0000_,31,334a14(00):一 又云、自然具足の三心と云事在、穴賢穴賢ことご
0000_,31,334a15(00):としく三心の沙汰を申べからずと云云
0000_,31,334a16(00):一 又云、自力と者聖道門也、自の三學の力を憑て出
0000_,31,334a17(00):離を求る故也。他力と者淨土門也、淨土を求人は皆
0000_,31,334b18(00):自の機分を出離に不能と知て佛力を憑故也
0000_,31,334b19(00):以上 下卷
0000_,31,334b20(00):本云奧書★
0000_,31,334b21(00):永享九丁已年八月日於江州金勝寺書寫之畢
0000_,31,334b22(00):右筆 玉泉坊覺泉
0000_,31,334b23(00):持主 正玉
0000_,31,334b24(00):旹 文安四年十月廿五日書寫之了