0000_,31,335a01(00):法然上人傳記
0000_,31,335a02(00):法然上人繪詞卷第一
0000_,31,335a03(00):夫以、我本師釋迦如來はあまねく流轉三界の迷徒をすく
0000_,31,335a04(00):はんがために、ふかく平等一子の悲願をおこしますによ
0000_,31,335a05(00):りて、たちまちに無勝莊嚴の土をすてて、忝娑婆濁世の
0000_,31,335a06(00):國に出て給しよりこのかた非生に生を現じ給ふゆへに、
0000_,31,335a07(00):則無憂樹の本に華ひらけ、非滅に滅をとなへ給ふがゆへ
0000_,31,335a08(00):に、終に雙樹林の間に風いたむ。在世八十箇年、化導雲
0000_,31,335a09(00):のごとく霞の如し。滅後二千餘廻、衆生恩をしたひ德を
0000_,31,335a10(00):したふ。但し八萬の敎法まちまちなりといへども、大小
0000_,31,335a11(00):の機根しなじななりといへども、みなこれ穢土にして自
0000_,31,335a12(00):力をはげまし濁世にありて得道を期す。ただこれ聖道難
0000_,31,335a13(00):行の敎にしていまだ淨土易往にあづからず。爰漢家には
0000_,31,335a14(00):善導和尚彌陀の化身として本願の名號をひろめ、我朝に
0000_,31,335a15(00):は法然上人、勢至の來現として他力の往生をすすめ給へ
0000_,31,335b16(00):り。然者則濁世の導師として但信稱名の行をさづけ、
0000_,31,335b17(00):如來の使者として出離解脱の敎をのぶ。時機相應して
0000_,31,335b18(00):順次の往生をとげ、感應道交して掲焉の引接にあづか
0000_,31,335b19(00):るともがら道俗貴賤をえらばず、男女老少をいはず、
0000_,31,335b20(00):平生の濟度といひ、夢の後の巨益といひ、目に見へ耳
0000_,31,335b21(00):に滿たり。聞ても信を生ぜす。あひながら行ぜざらん
0000_,31,335b22(00):者は、ひとへに宿業の拙き事をはづべし。何ぞ古賢の
0000_,31,335b23(00):事にあづからんや。然に今上人の遷化すでに一百年に
0000_,31,335b24(00):及べり。星霜をのづからあひへだたる。遺弟の弘通又
0000_,31,335b25(00):四五家にわかれたり。蘭菊をのをの美をほしきままに
0000_,31,335b26(00):す。然間沒後の義鉾、たがひにまちまちにして、在世
0000_,31,335b27(00):の行状心おなじくしてしるしをかる。これによりて或
0000_,31,335b28(00):者古老の口傳をとぶらひ、或者諸家の記錄をたづねて
0000_,31,335b29(00):見をよび聞及ぶ所かれをしるし、これをおこさむとお
0000_,31,335b30(00):もふ心ざしありといふとも、只おもむく巨海の滴水を
0000_,31,335b31(00):くみ、九牛が一毛をしるす。おろかなる者のさとりや
0000_,31,335b32(00):すからむため。見聞んものの信をすすめんために、數
0000_,31,336a01(00):軸の畫圖にあらはし萬代の明鑒にそなふ。念佛の行者
0000_,31,336a02(00):として誰人か信受せざらむ
0000_,31,336a03(00):一 上人誕生事
0000_,31,336a04(00):二 鞭竹馬遊覽事
0000_,31,336a05(00):此兒、襁褓の中より出でてやうやく竹馬にむちうつて
0000_,31,336a06(00):遊ぶ、其名を勢至丸と號す。二歳の時、出生の日時に
0000_,31,336a07(00):あたりて初言に南無阿彌陀佛と唱ふ。聞人耳をおどろ
0000_,31,336a08(00):かす。四五歳より後はその心成人のごとし。性甚聰敏
0000_,31,336a09(00):にして聞所も忘れず。又もすれば西の壁に向ふくせあ
0000_,31,336a10(00):り。月氏には釋迦大師、初言に南無佛と唱へ給ひ、日
0000_,31,336a11(00):域には上宮太子初言に南無佛と唱へ給ふ。震旦の智者
0000_,31,336a12(00):大師は生をうけてより以來、常に西方にむかへり。今
0000_,31,336a13(00):此小兒、三國の奇瑞を一身に周備せり。見聞の人是を
0000_,31,336a14(00):美談とし往還の輩これをあやしまずといふ事なし
0000_,31,336a15(00):三 夜討の事
0000_,31,336a16(00):保延七年の春の比、時國夜討のために殺害せらる。其
0000_,31,336a17(00):敵は伯耆守源長明が嫡男、武者所定明也。人呼で明石
0000_,31,336b18(00):の源内武者といふ。堀河院御在位の時の瀧口也。殺害
0000_,31,336b19(00):の造立は定明、稻岡庄の領所として執務年月をふると
0000_,31,336b20(00):いへども、時國廳官としてこれを蔑如にして面謁せざ
0000_,31,336b21(00):る遺恨なり。時に勢至丸、九歳にして其難をのがれて
0000_,31,336b22(00):是を見給ふに、敵は定明也と見給て小矢を以て暗所よ
0000_,31,336b23(00):りこれを射る。あやまたず定明が目の間に射たてり。
0000_,31,336b24(00):此疵をしるしとしてあらはるべき事疑なきによりて、
0000_,31,336b25(00):彼定明逐電して歸りいらず。これによりて小矢兒と名
0000_,31,336b26(00):付、見聞の諸人感嘆せずといふ事なし
0000_,31,336b27(00):四 臨終の事
0000_,31,336b28(00):時國。深く疵をかうぶりて今はかぎりに成ければ、九
0000_,31,336b29(00):歳成勢至丸をよびて云、我は此疵にて身まかりなんと
0000_,31,336b30(00):す。但いささかも敵をうらむる事なかれ、是前世の報
0000_,31,336b31(00):也、更に一世の事にあらず。獨り此遺恨を思はば互に
0000_,31,336b32(00):殘害をまねくべし、報酬念念にたへず、輪廻生生につ
0000_,31,336b33(00):くべからず。凡生有ものは死をいたむ。我此疵を痛、
0000_,31,336b34(00):人またいたまざらんや。我此命をおしむ、人豈おしま
0000_,31,337a01(00):ざらんや。心をおこして人の腹におけば、我をもて他
0000_,31,337a02(00):の心をしりぬべし。昔敎主釋尊も、頭痛背痛とのたま
0000_,31,337a03(00):ふ。曠劫の殺罪、佛果になほ餘殃あり。一念の怨心聖
0000_,31,337a04(00):賢其障礙を恐る。今生の妄緣を捨て、將來の宿報をつ
0000_,31,337a05(00):ぐ事なかれ。梵王の四等を行ずる、慈心を最とす。世
0000_,31,337a06(00):尊の十重をときたまふ、殺生を初に禁しむ。汝あなか
0000_,31,337a07(00):しこ、法師になりて、學問して、爺嬢の恩德を報じ、
0000_,31,337a08(00):衆生の依怙とならんと思ふべしといひをはりて、心を
0000_,31,337a09(00):ただしくして、西方に向て高聲念佛して、ねむるがご
0000_,31,337a10(00):とくに息たえにけり
0000_,31,337a11(00):五 登菩提寺事
0000_,31,337a12(00):當國菩提寺の院主、觀覺得業は、秦氏の弟也。小矢兒
0000_,31,337a13(00):には叔父なり。此兒、父にをくれて後は偏に親子の如
0000_,31,337a14(00):し。愛好して弟子とす。同年の冬、菩提寺へのぼせけ
0000_,31,337a15(00):リ。はじめて佛敎をさづくるに、性甚岐嶷にして、き
0000_,31,337a16(00):く所の事憶持して更にわすれず
0000_,31,337a17(00):六 爲登山母乞暇事
0000_,31,337b18(00):觀覺、同朋に語て云、此兒の器重を見るに、常のとも
0000_,31,337b19(00):がらに類せず。何ぞ徒に邊國にあらんやとて、久安三
0000_,31,337b20(00):年丁卯年十五歳の春、延暦寺へぞのぼせける。其時、此
0000_,31,337b21(00):兒母に暇をこひて云、母、獨身におはします。我、一
0000_,31,337b22(00):子たり。然朝夕に給仕して、父の形見とも見え奉るべ
0000_,31,337b23(00):けれども、登山して佛法修行して、二親をみちびき奉
0000_,31,337b24(00):らんと思ふ。今の別をなげき給ふ事なかれ。流轉三界
0000_,31,337b25(00):中、恩愛不能斷、棄恩入無爲、眞實報恩者と承れば、
0000_,31,337b26(00):今日より後は戀悲み恨み思召べからず。參河守大江定
0000_,31,337b27(00):基は、出家して大唐へ渡り侍し時、老母にゆるされを
0000_,31,337b28(00):蒙りてこそ、彼國にして圓通大師の諡號を蒙り、本朝
0000_,31,337b29(00):に聖衆來迎の佳什を傳へしか。ゆめゆめ惜思召べから
0000_,31,337b30(00):ずなど、かきくどき念比にのたまふ。母ことはりにを
0000_,31,337b31(00):れて、緣なる髪をかきなでて、泪計ぞ、頂にそそぎけ
0000_,31,337b32(00):る。今思合すれば、祕密灌頂とかやにぞ。ものはいは
0000_,31,337b33(00):ずして、頂に水をそそぐなると申は、ケ樣の事にや侍
0000_,31,337b34(00):らん。母思のあまりにくちずさみける歌
0000_,31,338a01(00):かたみとてはかなき親のとどめてし
0000_,31,338a02(00):子のわかれさへまたいかにせん
0000_,31,338a03(00):此理りを觀覺こそ申さまほしく侍つるを、こまごまと
0000_,31,338a04(00):ありありしく、仰こと侍ぬれば、それにつけても、か
0000_,31,338a05(00):しこくぞ御學問のよし、思ひより侍ける。昔晋の肇公
0000_,31,338a06(00):幼くして師匠の法華經飜譯のとき、人天交接のことは
0000_,31,338a07(00):書わづらひ給ける。さかしら思合られて哀にこそ侍れ
0000_,31,338a08(00):母、生る子にをしへらると。悉達太子、母のために摩
0000_,31,338a09(00):耶經を説き給けるも、思なずらへつべし。小兒辯説を
0000_,31,338a10(00):ふるにつき、老母承諾するに似たれども、有爲の習忍
0000_,31,338a11(00):び難く、浮世のわかれ迷ひやすく、昔の釋尊は衆生利
0000_,31,338a12(00):益のために、十九にして父の王に忍びて城をこえて檀
0000_,31,338a13(00):特山にこもり給き。今の小童は、佛法習學のために、
0000_,31,338a14(00):十五歳にして母儀をこしらへて家を出比叡山にのぼる
0000_,31,338a15(00):七 參昌會法性寺殿御出事
0000_,31,338a16(00):此兒、入洛の時、久安三年二月十三日、つくり路にて
0000_,31,338a17(00):時の關白法性寺殿の御出に參り合奉りて、傍なる小河
0000_,31,338b18(00):に打寄給けるを、御車よりいかなるおさなきものにか
0000_,31,338b19(00):と、御尋ありければ、兒のをくりに侍ける僧、美作國
0000_,31,338b20(00):より學問のため、比叡山にまかりのぼる小童に侍よし
0000_,31,338b21(00):申ければ、御車をかけはづさせ、ちかく御覧じて、能
0000_,31,338b22(00):能學問せらるべし。學生になり給はば、師匠にたのみ
0000_,31,338b23(00):思召べきよし、念比に御契有けり。いなか童に對して
0000_,31,338b24(00):この禮は心得ぬ事哉と、上下の供奉人思ける程に、彼
0000_,31,338b25(00):小童、眼より光を放てり。ただ人にあらざる間、此禮
0000_,31,338b26(00):をいたせりと、後に仰られけり。實に不思議にこそ
0000_,31,338b27(00):八 登西塔北谷持法房事 以下缺