0000_,31,339a01(00):法然上人傳記卷第一上并序 0000_,31,339a02(00):老の眠たちまちにおどろきやすく、春の夢むなしく夜 0000_,31,339a03(00):をのこすに、つらつら往事をかへり見れば舊友ことご 0000_,31,339a04(00):とくゆきて、法跡わづかに存す。累代の口傳みみのそ 0000_,31,339a05(00):こにとどまりて、ひとり師子の芳訓を案ずれば千行の 0000_,31,339a06(00):涙さいぎりておつ、これを後昆にしめして、はひまふ 0000_,31,339a07(00):にそなへんとおもふ。あふげばいよいよたかく、きれ 0000_,31,339a08(00):ばいよいよかたし。いはんとするに、ことの葉たえ、 0000_,31,339a09(00):記せんとするに筆およばず。いまこころみに畫圖のゑ 0000_,31,339a10(00):んをかりて、むかしを見ること、いまのごとくならん 0000_,31,339a11(00):とおもふ。且は勸學のまなこをやしなひ、かつは信謗 0000_,31,339a12(00):ともに第一義に歸するゑんとならん。ああおんを報じ 0000_,31,339a13(00):德を謝するおしへは、内外の典籍同じく是をすすむ、 0000_,31,339a14(00):たれかしたがはざらん。しかるに我本師釋尊、諸佛の 0000_,31,339a15(00):いまだすくはざる所五濁增盛の時をゑらび、十方の淨 0000_,31,339b16(00):土に擯棄せられたる、逆惡の衆生のために、十惡の山 0000_,31,339b17(00):邪見の林に入給しよりこのかた、正法一千餘廻をおく 0000_,31,339b18(00):りて、漢の明帝の代にはじめて東漸す。代代の三藏、 0000_,31,339b19(00):宗宗の諸祖、淨土をたてて衆生をすすむるに、おほく 0000_,31,339b20(00):は地前地上の聖人をその機とす。花嚴に元曉といふ人 0000_,31,339b21(00):正爲凡夫傍爲聖人の談をなせども、いまだひとへに罪 0000_,31,339b22(00):惡の凡夫のためには釋せず。ただ我に高祖光明寺の善 0000_,31,339b23(00):導大師のみましみまして、證明如來説法、十六觀法、但 0000_,31,339b24(00):爲常沒衆生、不干大小聖也と定判したまへり。されば 0000_,31,339b25(00):この經王の義趣をのぶる。諸家六十有餘におよべりと 0000_,31,339b26(00):いへども、今家の妙解、神僧の指受せしにはしかず。 0000_,31,339b27(00):よて自他宗の辨鋒、言下に舌をまき、歸伏せずといふ 0000_,31,339b28(00):ことなし。そのよの化導、僧傳にのするところ絶倫の 0000_,31,339b29(00):ほまれ、ひとり我高祖にかぎる物か。つたへ聞彼遺文 0000_,31,339b30(00):は、仁明、文德の御代にあたりて、慈覺智證兩大師の 0000_,31,339b31(00):將來として興隆さかむなりき。叡岳のいただきには常 0000_,31,339b32(00):行三昧堂の花をみがきて、淸和の時、明時の達者、 0000_,31,340a01(00):誦經念佛の曲韻をつたへて朝野遠近尊崇におよぶ。結 0000_,31,340a02(00):構國家にみちて、行儀都鄙にあまねくして萬代の證跡 0000_,31,340a03(00):たり。傳弘時いたりてとほく經道滅盡の後榮をかぎる 0000_,31,340a04(00):又惠心先德に三卷の要集ありて嘉名を漢土の月にあげ 0000_,31,340a05(00):證相を異朝の風になびかしき。しかはあれど稱名正行 0000_,31,340a06(00):のかたはらに、しばらくの廣弘の大心をあげて、諸行 0000_,31,340a07(00):助念の方法をすすむ。しかるにわれら身兼濟にたらず 0000_,31,340a08(00):行助業に闕て、ややもすれば局分をなすに似たり。こ 0000_,31,340a09(00):こに同山源空上人と申人あり。彌陀本願の稱名は正業 0000_,31,340a10(00):決定の行體なれば、助緣をまたずして願行具足し、專 0000_,31,340a11(00):修不亂の一念は無生の大悟にかなふと決判し給へり。 0000_,31,340a12(00):これによて他宗の高德、梵風をあふぎ、諸家の雲客、 0000_,31,340a13(00):疑滯を散ず。都鄙同じく歸して草のなびくがごとし。 0000_,31,340a14(00):道俗ともに專意なれば百即百生の證、たなごころをさ 0000_,31,340a15(00):す。極惡最下をもて當機とし、極善最上をもて正業と 0000_,31,340a16(00):す。醍醐の妙藥。たれかしめすところぞや。印土には 0000_,31,340a17(00):釋尊出世の本懐たり。漢家には善導大師の證誠たり。 0000_,31,340b18(00):我朝には惠心の先德の開板たり。源空上人の決釋也。 0000_,31,340b19(00):まさにいまあひよりもことにあをく、一入再入のいろ 0000_,31,340b20(00):よりも、なをふかき。曩祖上人のおんを報ぜんがため 0000_,31,340b21(00):に、諸方の傅記をひらき、古老の直説につゐて、かづ 0000_,31,340b22(00):かづこれを記す。もし過減あらば後昆刪補をくわへよ 0000_,31,340b23(00):多言をいとふことなかれ 0000_,31,340b24(00):上人誕生事 0000_,31,340b25(00):抑如來滅後二千八十年、日本の人皇七十五代崇德院の 0000_,31,340b26(00):御宇長承二年癸丑四月七日午正中に上人誕生し給へり。 0000_,31,340b27(00):生所は美作國久米の南條いなをかのきたの庄栃社なり 0000_,31,340b28(00):ちちは久米の押領使漆間の時國、母は秦氏なり。上人 0000_,31,340b29(00):本姓は右大臣源の光より六代の孫、式部太郎源の年、 0000_,31,340b30(00):陽明門にして内藏人兼高を殺害せし罪によりて、美作 0000_,31,340b31(00):國に配流せられき。爰に當國の押領使神護太夫元國と 0000_,31,340b32(00):いひし男、實子なきによりて源の年を養子として、彼 0000_,31,340b33(00):職をゆづる。年が子息、外祖元國があとをつたへ漆間 0000_,31,340b34(00):の盛行と號す、其子國弘なり、其三男時國也。孝子な 0000_,31,341a01(00):き事を憂て佛神に祈誓す。長承元年七月十四日夜半の 0000_,31,341a02(00):夢に月輪をいだくと見る。つまの夢にかみそりをのむ 0000_,31,341a03(00):と見る。たがひにかたり、たがひに合す。月輪と見る 0000_,31,341a04(00):は明了の智者をまふくべき相なり。剃刀と見るは天下 0000_,31,341a05(00):の戒師を生ずべき相なり。其後身あんおんにしてすこ 0000_,31,341a06(00):しの苦惱なく不覺にして男子を平産す。此時紫雲、天 0000_,31,341a07(00):にををひ、しろき幡二流下て庭上の椋木にかかる。や 0000_,31,341a08(00):うらく露をたれ金銀光を映す。見聞たなこころをあは 0000_,31,341a09(00):せ、希奇の瑞相にをどろく。この椋木をふたはたの木 0000_,31,341a10(00):となづけて、いまにところのあがめとす 0000_,31,341a11(00):(此間に繪あり平産の體を描く) 0000_,31,341a12(00):時國夜討にあひ小矢兒敵を討給事 0000_,31,341a13(00):(此段詞かけて禮紙のみあり。又繪あり、夜討の體也) 0000_,31,341a14(00):菩提寺にいたりて觀覺得業に師とし仕る事 0000_,31,341a15(00):(此間詞かけて禮紙のみあり、繪あり) 0000_,31,341a16(00):童子上洛事 0000_,31,341a17(00):觀覺案じていはく、このちごつねづねのともがらにあ 0000_,31,341b18(00):らず、おしきかな。いたづらに邊國にとどめむことと 0000_,31,341b19(00):て久安三年丁卯生年十五の春、延暦寺へのぼせけるに、 0000_,31,341b20(00):この兒母にいとまをこひて云、母獨身におはします。 0000_,31,341b21(00):我一子也。朝夕に給仕して父のかたみとも見えたてま 0000_,31,341b22(00):つるべけれども、さしても、たが御ためも後世のつと 0000_,31,341b23(00):にもならず。いまは登山して佛法を修學し、二親をみ 0000_,31,341b24(00):ちびきたてまつらんとおもふ。いまのわかれをなげき 0000_,31,341b25(00):思給事なかれ。流轉三界中、恩愛不能斷、棄恩入無爲 0000_,31,341b26(00):眞實報恩者とうけ給はれば、けふより後、戀し、悲し 0000_,31,341b27(00):み、恨みおぼしめすべからず。つたへきく。大江定基 0000_,31,341b28(00):は出家して唐へわたりし時、老母にゆるされをかふぶ 0000_,31,341b29(00):りてこそ、彼國にして圓通大師の諡號をかふぶりけれ 0000_,31,341b30(00):ゆめゆめおしみおぼしめすべからずと。かきくどきね 0000_,31,341b31(00):んごろにいひければ、ははもことはりにおれて、みど 0000_,31,341b32(00):りなるかみをかきなでて、涙をぞかうべにそそぎける 0000_,31,341b33(00):おもひあはせらるる事あり。祕密灌頂とかやにぞ。物 0000_,31,341b34(00):をばいはずして、いただきに五瓶の智水をそそぐとは 0000_,31,342a01(00):申ことあんなれ。母おもひのあまりに 0000_,31,342a02(00):かたみとてはかなきをやのとどめてし 0000_,31,342a03(00):このわかれさへまたいかがせん 0000_,31,342a04(00):童兒入洛事 0000_,31,342a05(00):この兒、入洛の時、久安三年二月十三日、つくりみち 0000_,31,342a06(00):にて、時の關白法性寺殿の御出にまいりあひて、かた 0000_,31,342a07(00):はらの小河にうちよりけるを、御車よりあのおさなき 0000_,31,342a08(00):物、馬にのせながら具してまいれと。仰くだされける 0000_,31,342a09(00):につきて御隨身ども具參す。御車をかけはづし御合掌 0000_,31,342a10(00):ありて、いかなるちごぞと、御たづねありければ、美 0000_,31,342a11(00):作國より比叡の山に學問のためにまかりのぼると申。 0000_,31,342a12(00):殿下の仰にさる事あるらん。かまへて學問よくせらる 0000_,31,342a13(00):べし。師匠にたのみたてまつるべしと、ねんごろに御 0000_,31,342a14(00):契ありけり。上下の御ともの人、これほどのゐなかち 0000_,31,342a15(00):ごに、過分の御禮儀何事ぞやと思あひけるに、後に仰 0000_,31,342a16(00):のありけるはかのちごただ人にあらず。頂のうへにう 0000_,31,342a17(00):つくしき天蓋ありき。ちかくて見しには眼精に金光あ 0000_,31,342b18(00):りつと。これをうけ給はる人人いかでか感じ申ざらん 0000_,31,342b19(00):御覽じとどめらるる御めと申、見へたてまつる人と申 0000_,31,342b20(00):あらかたじけなやなやとぞ申あへる 0000_,31,342b21(00):法然上人傳記卷第一下 0000_,31,342b22(00):登西塔北谷持法房事 0000_,31,342b23(00):久安三年三月十五日に登山す。かの叔父の觀覺は、も 0000_,31,342b24(00):とは山門の住侶也けるが、隨分の修學者にて、成業の 0000_,31,342b25(00):望をなしけるに、思ひの外に流轉しける恨によりて南 0000_,31,342b26(00):都にうつりけるが、學道の望をとげて、ほどなく得業 0000_,31,342b27(00):になりて、久しくの得業とぞ申ける。然共猶本山の舊 0000_,31,342b28(00):執ありけるにや、此兒をば延暦寺西塔北谷持法房の源 0000_,31,342b29(00):光法師がもとへぞのぼせける。彼時觀覺得業が状に、 0000_,31,342b30(00):進上 大聖文殊の像一體とかける間、源光此消息を披 0000_,31,342b31(00):閲して、文殊の像を相尋るに、文殊の像は見へずして 0000_,31,342b32(00):小兒來れり。源光先日の夢に文殊を拜す。今の消息に 0000_,31,342b33(00):符合せり。文殊の像とは此兒の器量をほめたる詞也と 0000_,31,343a01(00):心得て、即書を授に流るる水よりも速か也 0000_,31,343a02(00):入皇圓阿闍梨室の事 0000_,31,343a03(00):この兒の器量等倫にこえ、ほどなく拔羣の名譽有けれ 0000_,31,343a04(00):ば、源光が云、我はこれ魯鈍の淺才也。すべからく碩 0000_,31,343a05(00):學に付て圓宗の奧義をきはむべしとて、同年四月八日 0000_,31,343a06(00):功德院の阿闍梨皇圓に入室せしむ。闍梨手をうちて云 0000_,31,343a07(00):去夜の夢に滿月室に入と見る。少生又俊利也。ただ人 0000_,31,343a08(00):にあらずといひて、法門をならはしむ。彼闍梨は粟田 0000_,31,343a09(00):の關白四代の後、三河の權の守重兼が嫡子、少納言資 0000_,31,343a10(00):隆の朝臣の兄、隆寛律師の伯父、皇覺法橋の弟子、時 0000_,31,343a11(00):にとりての名匠なり 0000_,31,343a12(00):遂出家受戒學六十巻事 0000_,31,343a13(00):同年の仲冬に出家受戒す。或時師に申て云、すでに出 0000_,31,343a14(00):家の本意を遂侍る。今におきては、跡を林藪にのがれ 0000_,31,343a15(00):んと。闍梨の云、たとひ遁世の志ありとも、まづ六十 0000_,31,343a16(00):巻をよみわたして後、その本意を遂べしとの給へば、 0000_,31,343a17(00):我いま閑居をねがふ事は、ながく名利の望をやめて、 0000_,31,343b18(00):心靜に佛法を修學せんが爲也。此仰尤本意也とて、十 0000_,31,343b19(00):六歳の春より、十八歳の秋に至るまで三ケ年の光陰を 0000_,31,343b20(00):ふるに、六十巻の淵源をきはむ。五時四敎の廢立、惠 0000_,31,343b21(00):日をかがやかす事、ほとほと師範にこえ、三觀一心の 0000_,31,343b22(00):妙理、祖風をつたふる事ふかく佛意にかなへり 0000_,31,343b23(00):入叡空上人室事 0000_,31,343b24(00):此新發意、日に隨て智辨無窮なる間、闍梨いよいよ感 0000_,31,343b25(00):歎して云、まげて講説をつとめ、速に大業をとげて、 0000_,31,343b26(00):佛家の樞揵として、圓宗の棟梁にそなはり給へと。度 0000_,31,343b27(00):度懇にすすむれども、更に承諾の詞なくして、なを隱 0000_,31,343b28(00):遁の色ふかかりければ、然ば黑谷に住して慈眼房を師 0000_,31,343b29(00):とせよ。かの慈眼房叡空は、眞言と大乘律におきては 0000_,31,343b30(00):當時たぐゐすくなき英髦也といひて、久安六年庚午十八 0000_,31,343b31(00):歳の九月十二日に初めて闍梨相具して黑谷の叡空上人 0000_,31,343b32(00):の室に至る。上人發心の由來をとひ給ふに、親父夜討 0000_,31,343b33(00):の爲に世を早せしより、其遺言片時も忘ざる次第、具 0000_,31,343b34(00):にかきくどき給ひければ、委ききて隨喜して云、少年 0000_,31,344a01(00):にして早く出離の心を發せり、誠にこれ法然道理のひ 0000_,31,344a02(00):じりとて、法然をもて房號とす。いみなは源空。これ 0000_,31,344a03(00):則初の師の源光の初の字と。後の師の叡空の後の字を 0000_,31,344a04(00):とれるなり 0000_,31,344a05(00):法花修行時白象出現事 0000_,31,344a06(00):黑谷に住してより後は、叡空上人に隨て密と戒とをな 0000_,31,344a07(00):らひ、其後一切經論、飢をしのびて日日にひらき、自 0000_,31,344a08(00):他宗の章疏眠を忘てよなよなに見る。其外古今の傳記 0000_,31,344a09(00):日記、和漢の祕書祕傳、手に取、眼にあてずといふ事 0000_,31,344a10(00):なし。諸宗に渡て修行せられけるに、法花三昧修行の 0000_,31,344a11(00):時は白象道場に現ず。上人唯獨これを拜す。餘人は見 0000_,31,344a12(00):ざる所也 0000_,31,344a13(00):眞言修行時觀成就事 0000_,31,344a14(00):眞言の敎門に入て、道場觀をこらし給に、忽に五相成 0000_,31,344a15(00):身の觀行を成就し給ふ事、言語のおよぶ所にあらず 0000_,31,344a16(00):暗夜得光明事 0000_,31,344a17(00):暗夜に經論を見給ふに、燈なけれども光明室の内を照 0000_,31,344b18(00):してひるのごとし。法弟信空上人同じくそのひかりを 0000_,31,344b19(00):見る 0000_,31,344b20(00):花嚴經披覽の時靑龍出現事 0000_,31,344b21(00):花嚴經披覽の時、靑龍机のうへにわだかまれり。法弟 0000_,31,344b22(00):信空上人とりて捨べきよし仰られけるに、信空上人は 0000_,31,344b23(00):もとより虵におぢける間、師の命にしたがはんとすれ 0000_,31,344b24(00):ば、たえがたく恐し。もださんとすれば、其命背がた 0000_,31,344b25(00):し。進退きはまりけれども、をづをづちりとりにのせ 0000_,31,344b26(00):て、あかり障子の外に捨て歸りて見るに、又本のごと 0000_,31,344b27(00):くありければ、いかにとりてはすてぬかと、上人被仰 0000_,31,344b28(00):けるを、取てすてて候へば、又本の定に候よしをぞ申 0000_,31,344b29(00):されける。猶とりて捨よとや、仰られずらんと、肝を 0000_,31,344b30(00):消す所に、其後は仰らるる旨なし。信空上人、其夜の 0000_,31,344b31(00):夢に大龍すがたを現じて、我はこれ花嚴經を守護する 0000_,31,344b32(00):龍神也。おそるる事なかれと 0000_,31,344b33(00):藏俊僧都寛雅法印對面事 0000_,31,344b34(00):久壽三年四月二十七日改元保元元年也生年廿四の春、求法の爲に修 0000_,31,345a01(00):行し給ふとて、先嵯峨の釋迦堂に七日參籠して後、南 0000_,31,345a02(00):都へ下て藏俊僧都にあひて、法相宗の法門の自解の義 0000_,31,345a03(00):をのぶるに、藏俊是をききて手を打て云、我等が師資 0000_,31,345a04(00):相承せる、いまだ此義を存ぜず。上人はただ人にあら 0000_,31,345a05(00):ず。佛陀の境界也とて、かへりて師範と請して、一期 0000_,31,345a06(00):の間供養をのぶ。中川少將の上人にあひて鑑眞和尚の 0000_,31,345a07(00):戒をうく。大納言法印寛雅にあひて、三論を決し給ふ 0000_,31,345a08(00):に、寛雅涙を流して寶藏をさづけ、あまさへ二字して 0000_,31,345a09(00):かの宗の血脈に我名の上に上人の名をかき給ふ。慶雅 0000_,31,345a10(00):法橋に、花嚴を談じ給事、又又如此 0000_,31,345a11(00):紫雲覆日本國事 0000_,31,345a12(00):法相三論の碩德、面面に其義解を感じ、天台花嚴の明 0000_,31,345a13(00):匠、一一にかの宏才をほむ。叡空上人をはじめとして 0000_,31,345a14(00):四人の師範歸りて弟子となる。時の人の諺に云、智惠 0000_,31,345a15(00):第一法然房と、然ども出離の道にわづらひて身心安か 0000_,31,345a16(00):らず。報恩藏をひらきて出離生死の爲、衆生濟度の爲 0000_,31,345a17(00):に、一切經をひらき見給ふ事五遍也。披覧する所に一 0000_,31,345b18(00):代聖敎を思惟し給ふに、彼も難く是もかたし。誠にこ 0000_,31,345b19(00):れ顯密事理の行業は、利智精進の器のみ翫べしといへ 0000_,31,345b20(00):ども、愚鈍下智の機根は、生死解脱の道を失へり。然 0000_,31,345b21(00):に惠心の往生要集を開見給ふに、此集には偏に善導和 0000_,31,345b22(00):尚の釋義をもて指南とせり。善導の疏には亂想の凡夫 0000_,31,345b23(00):稱名の行によりて、順次に淨土に生べき旨を判じて、 0000_,31,345b24(00):凡夫の出離をたやすくすすめられたり。とりわきひら 0000_,31,345b25(00):き見んと思ひて、別して見る事三遍、前後合て八遍、 0000_,31,345b26(00):或詞に一心專念彌陀名號行住坐臥不問時節久近念念不 0000_,31,345b27(00):捨者是名正定之業順彼佛願故の文にいたりて、忽に本 0000_,31,345b28(00):願の正意、稱名にあり。是に過たる善惡凡夫の出離の 0000_,31,345b29(00):肝心なしと見立給て、我すでに此道理を得たり。自身 0000_,31,345b30(00):の出離におきては思定つ。他の爲に此法をひろめんと 0000_,31,345b31(00):おもふ所存の義、佛意に叶や不叶やと、思ひわづらひ 0000_,31,345b32(00):て、まどろみ給へる夢に、紫雲たなびきて日本國に覆 0000_,31,345b33(00):雲の中より無量の光を出す。光の中より百寶色の鳥と 0000_,31,345b34(00):びきたりてみちみてり。又高山あり。けんそにして西 0000_,31,346a01(00):方にむかへり。長河あり、洪汗として邊畔なし。峰の 0000_,31,346a02(00):うへには紫雲そびき。河原には孔雀鸚鵡等の衆鳥あそ 0000_,31,346a03(00):ぶ。雲の中に僧あり。上は墨染、下は金色にて、半金 0000_,31,346a04(00):色の衣服なり。上人間ての給はく、これは誰にかある 0000_,31,346a05(00):と仰られければ、答ての給はく、我はこれ善導なり。 0000_,31,346a06(00):汝專修念佛の法をひろむる故に、證とならんが爲に來 0000_,31,346a07(00):れる也と。又天台の菩薩大乘戒は釋迦如來より十九代 0000_,31,346a08(00):法義相承、上人の一身にあり。此故に王后以下、海内 0000_,31,346a09(00):の貴賤、受戒の師範として尊重他に異也。母の剃刀を 0000_,31,346a10(00):のむ夢、すでに符合せり。又紫雲の日本國に覆夢たが 0000_,31,346a11(00):ふことなし。上人の化導に隨て、稱名念佛を信ずるも 0000_,31,346a12(00):の、一州にみちふさがれり。實夢かくのごとし。信じ 0000_,31,346a13(00):て疑事なかれ。思ふべし上人の勸を信じて背ざらんも 0000_,31,346a14(00):のは、定めてかの紫雲に乘じて、順次に極樂淨土に往 0000_,31,346a15(00):生せんことを。彌陀如來、稱名を本願とたて給へる上 0000_,31,346a16(00):には、往生の業におきては、稱名にすぐるる行あるべ 0000_,31,346a17(00):からずと、上人たて給ふ時、師範叡空上人、觀佛はす 0000_,31,346b18(00):ぐれ稱名はおとれる也との給ふを、上人、なほ念佛勝 0000_,31,346b19(00):たる義をたて給ふに、叡空上人腹立して、こぶしをに 0000_,31,346b20(00):ぎりて上人のせなかをうちて、先師良忍上人もさきに 0000_,31,346b21(00):こそ生れ給ひたれと、上人申されける時、叡空上人彌 0000_,31,346b22(00):腹をたてて、沓ぬぎにおりて、あしだを取りて又うち 0000_,31,346b23(00):給へば、聖敎をよくよく御覽候はでとぞ、申されける 0000_,31,346b24(00):哀なりし事也 0000_,31,346b25(00):叡空上人臨終之事 0000_,31,346b26(00):叡空上人臨終の時、讓状をば書て、上人に聖敎往來等 0000_,31,346b27(00):を讓りて、をはり給にけるが、良久しくありて、よみ 0000_,31,346b28(00):がへりて、讓状をこひかへして、進上の言をくわへて 0000_,31,346b29(00):書なをしてゆづられけり。定めて冥途の沙汰の侍りけ 0000_,31,346b30(00):るかとぞ申あひけり 0000_,31,346b31(00):法然上人傳記卷第二上 0000_,31,346b32(00):住吉水念佛弘通事 0000_,31,346b33(00):高倉院御宇、承安五年の春上人四十三、黑谷をいでて 0000_,31,347a01(00):吉水に住し給ふ。其より以來、淨土の法を談じ、念佛 0000_,31,347a02(00):の行をひろめ、普く萬人を勸め給ふに、化導に隨て念 0000_,31,347a03(00):佛を行ずるもの、たとへば衆星の北辰に歸し、萬流の 0000_,31,347a04(00):東海に宗するが如し。まれに道を問者には、しめすに 0000_,31,347a05(00):西方を敎へ、適行をたづぬる人には、授るに念佛をも 0000_,31,347a06(00):てす。破戒罪根の出離、爰に巳に極まり、愚癡淺識の 0000_,31,347a07(00):往生いま初てあらはる。宜哉や、我本因地以念佛心、 0000_,31,347a08(00):入無生忍今於此界、接念佛人歸於淨土。上人此化導を 0000_,31,347a09(00):たれ給はずば、我等が得度、更に誰の人をかたのまん 0000_,31,347a10(00):是則念佛往生の法をもて、順次の出離を勸給ふ事は、 0000_,31,347a11(00):近くは二尊の御本意にかなひ、遠は十方の證誠を期す 0000_,31,347a12(00):專修專念のおしへは、在世の内に五畿七道にみち、一 0000_,31,347a13(00):心一向のすすめは現世の間に六十餘州にあまねし。上 0000_,31,347a14(00):人つねに人人にむかひて唱へ給へる文云、佛告阿難、 0000_,31,347a15(00):汝好持是語者即是持無量壽佛名と。上人かた利給へる 0000_,31,347a16(00):詞には、名號をきくといふとも、信ぜずば聞ざるが如 0000_,31,347a17(00):し。たとへ信ずと云とも、唱へずば信ぜざるが如し。 0000_,31,347b18(00):只つねに念佛すべしとぞ仰られける。抑天台山は、桓 0000_,31,347b19(00):武天皇の御願、傳敎大師の草創、鎭護國家の道場、顯 0000_,31,347b20(00):密薰修の垂跡なり。大師灌頂の相承、化度利生の方便 0000_,31,347b21(00):は申不及、千觀、惠心、僧賀、寬印等の道心者おのお 0000_,31,347b22(00):の本宗をなげすてて一向に念佛の一門をひろめ、今法 0000_,31,347b23(00):然上人、顯密權實の敎釋を閣て、偏に本願稱名の出要 0000_,31,347b24(00):を勸め給ふにいたるまで、おほくは叡山の月より出て 0000_,31,347b25(00):樂邦の風をのぞみ給へる。此化導を聞及ばん人、誰か 0000_,31,347b26(00):稱名の行に倦で、願往生の志をゆるくせんや 0000_,31,347b27(00):高倉天皇御受戒事 0000_,31,347b28(00):同年の春、高倉の天皇、上人を大内に召されて、一心 0000_,31,347b29(00):の妙戒を受させたまふ。階下の卿相、簾中の貴女、共 0000_,31,347b30(00):に、戒德を貴ひ、同く戒香に薰ぜずといふ事なし 0000_,31,347b31(00):後白河法皇説戒往生要集御聽聞事 0000_,31,347b32(00):後白河法皇、上人を召請せられ、法住寺殿にて説戒な 0000_,31,347b33(00):らびに往生要集を談ぜしめたまふに、往生極樂の敎行 0000_,31,347b34(00):は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤たれか歸せざらん 0000_,31,348a01(00):者と侍るより、御心肝に銘じて、今始てきこしめさる 0000_,31,348a02(00):る様に御感涙甚し。仍左京の權の太夫隆信の朝臣に仰 0000_,31,348a03(00):て眞影を圖せしめ、末代の爲に蓮花王院の寶藏にぞ納 0000_,31,348a04(00):られける。仁和寺の法親王より、御師範のよしにてめ 0000_,31,348a05(00):さるといへども、隱遁の身にをそれて、かたく辭し申 0000_,31,348a06(00):されけり。しかれども八條院、殷福門院、宣陽門院、 0000_,31,348a07(00):七條の院、准后宮よりはじめ奉て、大臣諸卿、戒文の 0000_,31,348a08(00):受者、念佛の歸依、天下にみちみてり 0000_,31,348a09(00):於上西門院説戒時虵生天事 0000_,31,348a10(00):上西門院にして上人七日説戒し給ひけるに、からかき 0000_,31,348a11(00):のうへに、一の虵わだかまれり。更にはたらかずして 0000_,31,348a12(00):聽聞の氣色あり。結願の日に當て、此虵忽に死にけり 0000_,31,348a13(00):其頭二つにわれにけり。中より蝶のごとくなるもの飛 0000_,31,348a14(00):いずと見る人もあり。或は天人の如して昇上と見る人 0000_,31,348a15(00):もありけり。昔遠行する聖ありけり。日くれにたれば 0000_,31,348a16(00):野中に塚穴のありけるにとどまりて、終夜阿曇を論 0000_,31,348a17(00):じけるに、樹の上に五百の蝙蝠あり。此聽聞の功德に 0000_,31,348b18(00):よりて、すみやかに五百の應眞となりき。いま此一す 0000_,31,348b19(00):ぢの虵、七日受戒の功力にこたへて、雲を分て上ぬる 0000_,31,348b20(00):にやと、人人隨喜す。かれは上代なるうへ、大國也。 0000_,31,348b21(00):これは末代にして小國也。しかれども佛敎の靈験は、 0000_,31,348b22(00):大國にもよらず、小國にもよらず。聞法の得益は上代 0000_,31,348b23(00):ともいはず、末代ともいはず。若上人の德あらずば、 0000_,31,348b24(00):いかでか下凡の信をすすめん。希代の美談なりとぞ、 0000_,31,348b25(00):時の人申侍ける 0000_,31,348b26(00):皇圓阿闍梨事 0000_,31,348b27(00):功德院阿闍梨皇圓、自身の分際を計、たやすく此度生 0000_,31,348b28(00):死を出べからず。若度度生をかへば隔生即忘のゆへに 0000_,31,348b29(00):定めて佛法をわすれんか。不如、長命の報をうけて慈 0000_,31,348b30(00):尊の出世に逢奉らんと思て、命長き者を勘るに、鬼神 0000_,31,348b31(00):よりも、虵道はまされりとして、虵にならんと誓て、 0000_,31,348b32(00):死期の時、水をこひて掌に入て終にけり。其後、皇圓 0000_,31,348b33(00):阿闍梨、花山院太政大臣忠雅公の御許へまいりて、聊 0000_,31,348b34(00):申入べき事侍りて參たるよし、申入ける間、彼闍梨は 0000_,31,349a01(00):已に逝去の人也。いかでかここに來るべきや。人たが 0000_,31,349a02(00):へにこそとて、尋させられけるに、功德院の肥後の阿 0000_,31,349a03(00):閣梨皇圓と申ものにて侍るよし重て申ける間、不審の 0000_,31,349a04(00):あまりに出向て、對向せられけるに、皇圓阿閣梨の條 0000_,31,349a05(00):無疑あひだ、抑御逝去の由承り侍は、ぴが事にやと仰 0000_,31,349a06(00):られければ、閣梨の申さく、逝去は勿論也。それに付 0000_,31,349a07(00):て聊所望の事有てまいり侍り。其故は、適人身を受と 0000_,31,349a08(00):いへども、二佛の中間にさへ生て、猶生死に輪廻せん 0000_,31,349a09(00):事の悲しく侍れば、長命の報を感じて慈尊の出世を待 0000_,31,349a10(00):奉らんが爲に、誓て虵身をうくる所に、大海は中天の 0000_,31,349a11(00):恐あり。池にすまんとすれば主なき所なし。遠江國笠 0000_,31,349a12(00):原の庄は御領なり。彼庄に櫻の池といふ池あり。申あ 0000_,31,349a13(00):づかりて居所と定て、閑に慈尊の出世を待奉らんが爲 0000_,31,349a14(00):にまいりて侍るよし申ければ、子細に不及。それの心 0000_,31,349a15(00):に有べしと。御返事を承りて、たつとみるほどにやが 0000_,31,349a16(00):て見えず成ぬ。ふしぎの事也と口遊する所に、幾程の 0000_,31,349a17(00):日數をへずして、笠原の庄よりしるし申けるは、櫻の 0000_,31,349b18(00):池に雨くたらずして、俄に洪水出で、風ふかずして忽 0000_,31,349b19(00):に大浪たちて、池の中の塵悉くはらひあぐ。諸人耳目 0000_,31,349b20(00):を驚すよし申入る。其日時を勘るに彼闍梨領家へまい 0000_,31,349b21(00):りて、此池を申請て、罷出ける時日也。誠にふしぎの 0000_,31,349b22(00):事也。委事は彼家の記にあり。智惠あるが故に、生死 0000_,31,349b23(00):の出がたき事をしり、道心あるが故に、佛の出世にあ 0000_,31,349b24(00):はむ事をねがふ。然といへども、いまだ淨土の法門を 0000_,31,349b25(00):しらざるが故に、如此の意樂に住する也。我其時此法 0000_,31,349b26(00):門を尋得たらましかば.信不信はしらす、申侍なまし 0000_,31,349b27(00):極樂に往生の後は、十方の國土に心にまかせて經行し 0000_,31,349b28(00):一切の諸佛を、おもひにしたがひて供養す。何ぞかな 0000_,31,349b29(00):らずしも穢土に久く處する事をねがはんや。彼闍梨遙 0000_,31,349b30(00):に慈尊三會の曉を期して、五十六億七千萬歳の聞、此 0000_,31,349b31(00):池に住給はん事を、上人恆に悲み給き。當時に至るま 0000_,31,349b32(00):でも、靜なる夜は振鈴の音きこゆるとぞ申傳へ侍ける 0000_,31,349b33(00):上人悲みのあまりに彼所へ下て、池の邊にのぞみて、 0000_,31,349b34(00):稱名念誦懇にして廻向せられけり。一子平等の慈悲は 0000_,31,350a01(00):薩埵の本誓也といへども、累日斗藪の懇念は、凡夫の 0000_,31,350a02(00):所爲にあらざらんをや 0000_,31,350a03(00):重衡卿の事 0000_,31,350a04(00):治承四年庚子十二月廿八日、平家の本三位中將重衡卿 0000_,31,350a05(00):父太政入道の命によりて南都をせめし時、東大寺に火 0000_,31,350a06(00):をかけしかば、大伽藍忽に灰燼となりにき。其後、元 0000_,31,350a07(00):暦元年二月七日、一谷の合戰の時、本三位の中將いけ 0000_,31,350a08(00):どられて都へのぼりて、大路をわたされてさんざんの 0000_,31,350a09(00):事共のありし時、法然上人を招請して、後生菩提の事 0000_,31,350a10(00):を申合られしに、上人、中將のおはする所へ、さし入 0000_,31,350a11(00):て見給へば、さしもはなやかにきよげに見え給し人の 0000_,31,350a12(00):其ともおぼえず、やせおとろへて裝束は紺村この直垂 0000_,31,350a13(00):小袴に、折烏帽子、ひきたてたるをき給へり。目もあ 0000_,31,350a14(00):てられぬありさまなれば、上人心よはくも、涙のうか 0000_,31,350a15(00):びけるを、かくては、あしかりなむと、思しづめて、 0000_,31,350a16(00):さらぬ様にもてなして對面あり。三位中將なくなく申 0000_,31,350a17(00):されけるは、今度生ながらとられけるは、今一度上人 0000_,31,350b18(00):に見參に入べき故に侍ける。重衡必しも大佛殿を燒奉 0000_,31,350b19(00):らんといふ所存は候はず。故入道の命そむき難により 0000_,31,350b20(00):て、南都へむかひ侍し時、いかなるものかしつらん。 0000_,31,350b21(00):近邊の房舍に火をかけ侍しに、時しも風はげしくして 0000_,31,350b22(00):大伽藍を灰燼となし奉し事は、力及ざる次第也。重衡 0000_,31,350b23(00):發心せぬ事なればとは存ずれども、時の大將軍にて侍 0000_,31,350b24(00):しうへは、責一身に歸する事にて侍るなれば、重衡一 0000_,31,350b25(00):人が、罪業につもりて、無間の重苦はうたがひあらじ 0000_,31,350b26(00):と存知せり。一門の人人多く侍しに、重衡一人いけど 0000_,31,350b27(00):られて、ここかしこに耻をさらすも、併其むくひとこ 0000_,31,350b28(00):そおぼへ侍れ。かくて命終せば火血刀の苦果、敢てう 0000_,31,350b29(00):たがひなし。出家こそ心ざす所なれども、ゆるされな 0000_,31,350b30(00):ければ力及ぼす。只本どりをつけながら、戒をうけ候 0000_,31,350b31(00):はん事いかが侍べき。かかる惡人の助かりぬべき方法 0000_,31,350b32(00):侍らば、示給へと。うちくどき申されければ、上人涙 0000_,31,350b33(00):をながして、且く物もの給はず。良久ありての給ひけ 0000_,31,350b34(00):るは、誠に御出家こそ功德廣大なれども、御ゆるされ 0000_,31,351a01(00):なくば、四部の弟子なれば、御髪をつけながらも、戒 0000_,31,351a02(00):を持せ給はん事、子細有べからすとて、戒を授たてま 0000_,31,351a03(00):つりて、粗存知の旨を説たまふ。難受人身をうけなが 0000_,31,351a04(00):ら、むなしく三途に歸り給はんことは、かなしみても 0000_,31,351a05(00):猶餘あり。歎ても又つくべからず。然に穢土を厭、淨 0000_,31,351a06(00):土を欣ひ、惡心をすて、善心を發し給はん事は、三世 0000_,31,351a07(00):の諸佛も定めて隨喜し給ぶべし。其にとりて出離の道 0000_,31,351a08(00):まちまちなりといへども、末法濁亂の機には、稱名を 0000_,31,351a09(00):もて勝たりとす。罪業深重の輩も愚癡闇鈍の族も、唱 0000_,31,351a10(00):ればむなしからざるは、彌陀の本願也。罪ふかければ 0000_,31,351a11(00):とて卑下し給べからず。十惡五逆も廻心すれば往生し 0000_,31,351a12(00):一念十念も心をいたせば來迎す。經には四重五逆諸衆 0000_,31,351a13(00):生、一聞名號必引接と説き。釋には忽遇往生善知識、 0000_,31,351a14(00):急勸専稱彼佛名と判ぜり。たとひ無間の重罪なりとい 0000_,31,351a15(00):ふとも、稱名の功德にはかつべからず。利劔即是彌陀 0000_,31,351a16(00):號、たもてば魔緣ちかづかす。一聲稱念罪皆除。唱へ 0000_,31,351a17(00):ば罪業のこりなし。罪障を消滅して極樂往生をとげん 0000_,31,351b18(00):こと、他力本願にしくはなし。御榮果むかしも今もた 0000_,31,351b19(00):めしなき御身也。然共有爲のさかひのかなしきは、い 0000_,31,351b20(00):まだ生をかへざるに、かかるうき目を御らんずるうへ 0000_,31,351b21(00):は、穢土はうたてき所ぞとうれへ思召捨て、ふかく彌 0000_,31,351b22(00):陀の本願をたのみましまさば、御往生疑有べからず。 0000_,31,351b23(00):これ全く源空の私の詞にあらず。彌陀因位の悲願、或 0000_,31,351b24(00):は釋尊成道の時、説をき給へる經敎也。一念も疑心な 0000_,31,351b25(00):く、一心に稱名をたしなみ給ふべきよし、こまごまと 0000_,31,351b26(00):敎化し給へば、中將掌を合て、なくなく聽聞して、冥 0000_,31,351b27(00):より冥に入心ちにて侍つるに、此仰を承るこそ、さり 0000_,31,351b28(00):ともと憑もしく侍れと悦で、いかにして都にてむつび 0000_,31,351b29(00):給し人の許に、双紙筥を取わすれ給事の有けるを、入 0000_,31,351b30(00):御の御事もやとて送り遣しけり。折節うれしく覺て、 0000_,31,351b31(00):中將自取出て、御戒の布施とおぼしくて、上人の御ま 0000_,31,351b32(00):へにさしをきて申されけるは、御用たる物には侍ねど 0000_,31,351b33(00):も、人にはかならず形見と申事あり。重衡が餘波とも 0000_,31,351b34(00):御らんじ思召ぱ、いつも不退の御念佛なれば、御目に 0000_,31,352a01(00):かかり候はん度には、とり分、重衡が爲と、御廻向有 0000_,31,352a02(00):べきよしを申されければ、心ざし感じて、上人懐中し 0000_,31,352a03(00):て出られけり 0000_,31,352a04(00):俊乘房大勸進事 0000_,31,352a05(00):東大寺造營の爲に大勸進の聖の沙汰ありけるに、法然 0000_,31,352a06(00):房源空其仁にあたれりと、人人すすめ申によりて、勸 0000_,31,352a07(00):進聖たるべきむね、後白河法皇より、右大辨行隆朝臣 0000_,31,352a08(00):を勅使として、仰下されけるに、上人申されけるは、 0000_,31,352a09(00):源空山門の交衆をとどめ、公請を辭し申事は、しづか 0000_,31,352a10(00):に修行して順次に生死を離れんが爲也。若し大勸進の 0000_,31,352a11(00):職におらば、忩劇ひまなくして、行業すたれぬべしと 0000_,31,352a12(00):かたく子細を申されければ、行隆朝臣、其堅固のここ 0000_,31,352a13(00):ろざしを見て即奏聞する所に、然らば器量の仁を擧申 0000_,31,352a14(00):さるべしと。重て仰下されける時、上人、俊乘房重源 0000_,31,352a15(00):をよびよせて院宣の趣をのべ給ふに、重源左右なく領 0000_,31,352a16(00):状す。よて擧し申されければ、大勸進の職に補任せら 0000_,31,352a17(00):れけり。重源もし此大勸進成就したらば、一定の權者 0000_,31,352b18(00):かなとそ、上人の給ひける。重源は伊勢大神宮にまい 0000_,31,352b19(00):りて、この願成就すべくば、其瑞相をしめし給へと祈 0000_,31,352b20(00):請しけるに、三七日にあたりける五更の天に、唐裝束 0000_,31,352b21(00):したる貴女の、御手より方寸の玉をたまわると、示現 0000_,31,352b22(00):をかうぶりて、夢さめてのち、これを見るに、夢に見 0000_,31,352b23(00):る所の玉、袖の上にあり。重源悅で頭にかけられけり 0000_,31,352b24(00):其後、すすめざるに、綾羅錦繡、錢貨米穀、心にまか 0000_,31,352b25(00):せければ、程なく金銅の本尊を、本のごとく鑄たてま 0000_,31,352b26(00):つりけるに、御戒の布施に、上人に奉りける本三位中 0000_,31,352b27(00):將の双紙筥の鏡を、かの孝養のためとして、上人より 0000_,31,352b28(00):俊乘房へ送りつかはしければ、金銅の本尊を鑄奉りけ 0000_,31,352b29(00):る爐の中へ入給ひけるに、おどりかへりて、わきあは 0000_,31,352b30(00):ざりけるを、三度まで入れけれども、爐の中よりふき 0000_,31,352b31(00):いだして、遂にたまらざりければ、且は中將の罪障懺 0000_,31,352b32(00):悔のため、且は未來の不審をひらかん爲に、件の鏡は 0000_,31,352b33(00):大佛殿の正面、坤の柱にうちつけられき。炎魔大王 0000_,31,352b34(00):の淨波梨の鏡は、罪業のかげをうかべ、目連尊者の所 0000_,31,353a01(00):持の鏡は、三世の事をてらす。百練の鏡は、ひかりも 0000_,31,353a02(00):世にこへ、うつれる影もあざやか也。今此重衡卿の鏡 0000_,31,353a03(00):は、ただ罪業のかげばかりにや、うつらんと。身のけ 0000_,31,353a04(00):たつばかりぞおぼえける 0000_,31,353a05(00):法然上人傳記卷第二下 0000_,31,353a06(00):於淸水寺説戒念佛勸進事 0000_,31,353a07(00):後鳥羽院御宇、建久元年庚戌秋、淸水寺にて上人説戒の 0000_,31,353a08(00):時、念佛をすすめ給ひければ、寺家の大勸進、沙彌印 0000_,31,353a09(00):藏、瀧山寺を道場として不斷常行念佛三昧を初ける。 0000_,31,353a10(00):能信といへる僧、香爐をとりて開白發願して行道をは 0000_,31,353a11(00):じむ。願主印藏、寺僧等、ならびに比丘比丘尼其數を 0000_,31,353a12(00):しらず。抑淸水寺の靈像は、極樂淨土には一生補處の 0000_,31,353a13(00):薩埵、娑婆國には施無畏者の大士なり。仁和寺の入道 0000_,31,353a14(00):親王の御夢想に、淸水寺の瀧は過去にも是有き。現世 0000_,31,353a15(00):にも是有。未來にも又これあるべし。是則、大日如來 0000_,31,353a16(00):の鑁字の智水也とて、一首を詠じ給ふ 0000_,31,353b17(00):淸水の瀧へまいればおのづから 0000_,31,353b18(00):現世あんをん往生ごくらく 0000_,31,353b19(00):と示し給ければ、大威儀師俊緣を御使として、寺家へ 0000_,31,353b20(00):おほせ送られけるとかや。まことにその憑み深かるべ 0000_,31,353b21(00):きもの也 0000_,31,353b22(00):古年童出家往生事 0000_,31,353b23(00):淸水寺にて上人説戒の時、念佛すすめ給ひけるに、南 0000_,31,353b24(00):都興福寺の古年童、發心出家して則瀧山寺の念佛衆に 0000_,31,353b25(00):まじはりけるが、松蒙寺の邊に、庵室を結びて高聲念 0000_,31,353b26(00):佛して往生をとぐ。能信、如法經のかうぞをうへなが 0000_,31,353b27(00):ら、往生人の緣をむすぶ。棺の前の火の役をつとめて 0000_,31,353b28(00):歸るに、異香衣のうへに薰ず、人人奇特のおもひをな 0000_,31,353b29(00):せり 0000_,31,353b30(00):顯眞座主上人論談事 0000_,31,353b31(00):天台座主權僧正顯眞、いまだ大僧都なりし時、承安三 0000_,31,353b32(00):年癸巳生年四十三にして官職を辭して、大原に籠居十箇 0000_,31,353b33(00):年の春秋を送て後、壽永二年九月に、日吉の行幸の時 0000_,31,354a01(00):座主明雲賞をゆづりて法印に叙せらるといへども、か 0000_,31,354a02(00):たく松門を閉て敢て事にしたがはず。只生死の出難き 0000_,31,354a03(00):事をのみなげく。其後、衆徒推て擧申によりて文治六 0000_,31,354a04(00):年庚戌三月七日、天台座主に補せらるといへども、承諾 0000_,31,354a05(00):せざるあひだ、勅使大原へむかひて宣命を下て座主職 0000_,31,354a06(00):を授くる。遂に召出されて同五月廿四日最勝講の證義 0000_,31,354a07(00):をつとめ、同廿八日權僧正に任ず。然て、ややもすれ 0000_,31,354a08(00):ば尚隱遁の思ひふかくして、常には永辨法印と出離解 0000_,31,354a09(00):脱の法門をのみ談ぜられけるに、或時、永辨法印かく 0000_,31,354a10(00):のごときの事は、法然上人にくわしく御尋あるべきよ 0000_,31,354a11(00):しを申ければ、座主上人に對面ありて今度いかでか生 0000_,31,354a12(00):死を解脱し侍るべきとの給ふに、上人いかやうにも御 0000_,31,354a13(00):計には過べからずと。座主又申されけるは、誠に然也 0000_,31,354a14(00):但し先達にましませば、思定給へる旨あらばしめし給 0000_,31,354a15(00):へと也との給へば、其時、自身の爲には聊思定たる旨 0000_,31,354a16(00):侍り。ただはやく極樂の往生をとげんと也。座主又申 0000_,31,354a17(00):さるる様、順次の往生遂がたきによりてしゐてたづね 0000_,31,354b18(00):侍り。いかがたやすく往生をとげんや。上人こたへ給 0000_,31,354b19(00):はく、成佛は難しといへども往生は得やすし。道綽、 0000_,31,354b20(00):善導のこころによらば、佛の願力を仰で強緣とするゆ 0000_,31,354b21(00):へに罪惡の凡夫、淨土に生ずと云云。其後更に言説な 0000_,31,354b22(00):くして上人歸りたまひて後に、法然房は智惠深遠也と 0000_,31,354b23(00):いへども、聊偏執の咎ありと、座主の仰られけるを、 0000_,31,354b24(00):上人歸りきき給ひて、我しらぬ事を云には、必疑心を 0000_,31,354b25(00):おこす也との給ひければ、座主又この事を聞て誠に然 0000_,31,354b26(00):也。我顯密の敎に稽古を積といへども、併これ名利の 0000_,31,354b27(00):ためにして、淨土を心に欣ぬ故に、道綽、善導の釋義 0000_,31,354b28(00):をうかがはず。法然房にあらずば、誰の人か如此いは 0000_,31,354b29(00):んや。耻べし耻べしとて、百日の間大原に籠居して淨土 0000_,31,354b30(00):の章疏を見立給てのち、儀を立てて上人に示て云、我 0000_,31,354b31(00):粗淨土の法門を見立たり。來臨せし給へ、靜に談じ申 0000_,31,354b32(00):さんと。爰に上人、東大寺の大勸進俊乘房重源は、い 0000_,31,354b33(00):まだ出離の道を思定ざるがゆへに此よしを示す。則弟 0000_,31,354b34(00):子三十餘人を相具して大原にむかふ。勝林院の丈六堂 0000_,31,355a01(00):に集會す。上人方には重源已下、次第に坐す。座主の 0000_,31,355a02(00):方には山門の碩德、井大原の上人達坐す。山門久住の 0000_,31,355a03(00):碩學には、永辨法印、智海法印、靜嚴法印、淨然法印 0000_,31,355a04(00):證眞僧都、覺什僧都、仙基律師等也。大原の上人には 0000_,31,355a05(00):本性房湛斅、來迎院の明定房蓮慶、勝林院の淸淨房等 0000_,31,355a06(00):也。此外山門の衆徒、雲霞のごとく集て見聞す。各蓄 0000_,31,355a07(00):杖を支度して上人の所立若邪義ならば、即降伏すべき 0000_,31,355a08(00):由也。面面に諸宗に立入て深義を論談し侍けるに、上 0000_,31,355a09(00):人、天台眞言花嚴法相三論等の顯密に付て、凡夫の初 0000_,31,355a10(00):心より佛果の極位に至るまで、修行の方軌、機法の相 0000_,31,355a11(00):貌、具に述説之後、是等の深法みな義理巧妙にして利 0000_,31,355a12(00):益最勝也。機法相應せば、得益踵をめぐらすべからず 0000_,31,355a13(00):取證如反掌の金言まこと也。全く疑所なし。但源空が 0000_,31,355a14(00):ごとき頑魯の類ひは更に其器にあらず。然間源空發心 0000_,31,355a15(00):の後、聖道門の諸宗に付てひろく出離の道をとぶらふ 0000_,31,355a16(00):に、彼も難く是も難し。是則代下り人おろかにして機 0000_,31,355a17(00):敎相背ける故也。此外有智無智を論ぜず、持戒破戒を 0000_,31,355b18(00):選ばず、時機相應して順次に生死を離べき要法は、只 0000_,31,355b19(00):これ淨土の一門、念佛の一行也とて、一日一夜の間、 0000_,31,355b20(00):法藏比丘の昔より彌陀如來のいまに至るまで、本願の 0000_,31,355b21(00):趣、往生の道にくらからず、理を極め詞をつくして但 0000_,31,355b22(00):これ涯分の自證をのぶる也。全く其法器の受用をさま 0000_,31,355b23(00):たげんとにはあらずとの給ければ、座主より初て滿座 0000_,31,355b24(00):の衆みな信伏して、一人として疑なし。碩德達褒美し 0000_,31,355b25(00):て云、形を見れば源空上人、まことには彌陀如來の應 0000_,31,355b26(00):垂歟と。隨喜のあまりに、座主みづから香爐を取て行 0000_,31,355b27(00):道し、高聲念佛を唱へ給に顯密の明匠まことをこらし 0000_,31,355b28(00):て異口同音に三日三夜ひまもなし。信男信女三百餘人 0000_,31,355b29(00):参禮の聽衆數を知らず。座主、則一の願を發して云、 0000_,31,355b30(00):此砌に五の坊を立て一向専修の行を修して、稱名の外 0000_,31,355b31(00):餘行をまじへじと、其行は今に退轉なし。重源上人、 0000_,31,355b32(00):同く淨土の法を信じ、念佛の行を立て、又一の願を發 0000_,31,355b33(00):して云、我國の道俗、閻魔の廳に跪かん時、其名を問 0000_,31,355b34(00):れば佛號を我唱へんが爲に、あみだ佛名をつけんとて 0000_,31,356a01(00):まづ我名をば南無阿彌陀佛といはんといへり。我朝の 0000_,31,356a02(00):あみだ佛の名、是より始れり。其より此かた、洛中の 0000_,31,356a03(00):貴賤、邊土の道俗、處處の道場に念佛を勸ざる所なし 0000_,31,356a04(00):座主は上人勸化の後は稱名の行をこたらずして、治山 0000_,31,356a05(00):三箇年を經て建久三年十一月十四日寅刻、東塔南谷圓 0000_,31,356a06(00):融房にして稱名の聲たえず、禪定に入が如して往生を 0000_,31,356a07(00):遂らる。これ併上人の化導によるもの也。末代の高僧 0000_,31,356a08(00):本山の賢哲也。諸宗の碩德こぞりて上人に歸して順禮 0000_,31,356a09(00):し、諸の道俗いよいよ念佛をもて口遊とす。座主此門 0000_,31,356a10(00):に尋入て後、妹の禪尼をすすめられんが爲に、念佛勸 0000_,31,356a11(00):進の消息をかかる。世間に流布する顯眞の消息といへ 0000_,31,356a12(00):る是なり 0000_,31,356a13(00):六時禮讃事 0000_,31,356a14(00):建久三年の秋のころ、後白河法皇の御菩提の御爲に、 0000_,31,356a15(00):大和の守親盛入道見佛、八坂の引導寺にして禮讃の先 0000_,31,356a16(00):達に心阿彌陀佛、調聲して安樂、住蓮、見佛等助音し 0000_,31,356a17(00):て、七日念佛す。其結願に種種の捧物を取出し侍りけ 0000_,31,356b18(00):れば、上人存の外なる氣色にて、の給ひけるは、念佛 0000_,31,356b19(00):は自行の勤也、法皇の御菩提に廻向し奉る所に布施み 0000_,31,356b20(00):ぐるしき次第也と、いましめ給けり。これ六時禮讃の 0000_,31,356b21(00):はじめなり 0000_,31,356b22(00):善導御影事 0000_,31,356b23(00):上人、五祖類聚傳といふ書を造て、震旦國の念佛の祖 0000_,31,356b24(00):師、曇鸞、道綽、善導、懷感、少康等の五祖の德をあ 0000_,31,356b25(00):らはし給へり。しかるを其後俊乘房重源、初めて大唐 0000_,31,356b26(00):より渡す所の五祖の眞影一鋪に類聚せり。上人所造の 0000_,31,356b27(00):類聚傳に符合せる事、先に織願給へる當麻寺の曼陀羅 0000_,31,356b28(00):の緣の文、のちにわたれる觀經の疏の文に違ざるに同 0000_,31,356b29(00):じ。不思議の奇特なりければ、道俗男女貴賤上下、彼 0000_,31,356b30(00):眞影を拜たてまつりて念佛の歸依彌ふかし 0000_,31,356b31(00):東大寺棟木事 0000_,31,356b32(00):或時、上人談ての曰、中比一人の住山者、内内淨土 0000_,31,356b33(00):の法門を學するありき。源空がもとへ來て、我既に此 0000_,31,356b34(00):敎の大旨を得たり。然て信心いまだ開發せず。いかな 0000_,31,357a01(00):る方軌を修してか、信心を發し侍るべきと、歎きあわ 0000_,31,357a02(00):せし間、三寶に祈請すべきよしを敎訓し侍る。しかも 0000_,31,357a03(00):其後他事を忘れて祈請をいたす。或時東大寺へ參て念 0000_,31,357a04(00):誦する折しも、棟をあぐる日なりければ、倩これを見 0000_,31,357a05(00):て信心開發しぬ。匠の計略にあらずよりは、彼大物い 0000_,31,357a06(00):かでか棟の上に居すべき。凡夫のはかりごとなをかく 0000_,31,357a07(00):のごとし。何況、彌陀如來の善巧不思議の力にて、極 0000_,31,357a08(00):惡深重の衆生を報土にむかへとり給こと、ゆめゆめ疑 0000_,31,357a09(00):べからず。佛に引接の願あり、我に往生の志あり、な 0000_,31,357a10(00):んぞ往生を遂ざらんや。一度この道理を得て後、二度 0000_,31,357a11(00):その疑殆をおこす事なし。是則祈願の感得する故也と 0000_,31,357a12(00):語侍き。其後三ケ年を經て、種種の靈瑞を現じて往生 0000_,31,357a13(00):を遂き。受敎と發心とは各別なるがゆへに、習學する 0000_,31,357a14(00):には發心せざれども、境界の緣を見て心をおこせり。 0000_,31,357a15(00):人なみなみに淨土の法をきき念佛の行をたつとも、信 0000_,31,357a16(00):心いまだ發らざらん人は、ただ懇に心にかけて、常に 0000_,31,357a17(00):思惟し、又三寶に祈申べきなり 0000_,31,357b18(00):淨土曼陀羅事 0000_,31,357b19(00):俊乘房、觀經の曼陀羅、並に淨土の五祖の影を大唐よ 0000_,31,357b20(00):りわたし奉りて、建久二年のころ、大佛殿にして上人 0000_,31,357b21(00):を唱導にて讃談の時、南都の三論、法相の碩學等、數 0000_,31,357b22(00):を盡して集ける。二百餘人の大衆、各したに腹卷を著 0000_,31,357b23(00):して高座のきはになみ居て、自宗等をとひかけて、こ 0000_,31,357b24(00):たえんに紕繆あらば、耻辱あたふべきよしを僉議して 0000_,31,357b25(00):用意をなす所に、上人、三論法相の深義をとどこほり 0000_,31,357b26(00):なくのべ給てのち、末代の凡夫出離の要法、口稱念佛 0000_,31,357b27(00):にしくはなし。念佛をそしらん輩は地獄に堕すべきよ 0000_,31,357b28(00):しを解説し給ひければ、二百餘人の大衆より初めて隨 0000_,31,357b29(00):喜渇仰きはまりなし。さて其次に天台十戒を解説し給 0000_,31,357b30(00):ふ。我山は大乘戒、此寺は小乘戒との給ひければ、大 0000_,31,357b31(00):衆存の外の氣色ども也けれども、當寺の古老の中に、 0000_,31,357b32(00):兼日に靈夢をしめす事ありけり。件の次第、さき立て 0000_,31,357b33(00):披露しければ、衆徒各口を閉て、別の事なかりけり。 0000_,31,357b34(00):説法はてて油藏へ入給ひけるに、惡僧一人、上人に立 0000_,31,358a01(00):むかひて、抑念佛誹謗の者、地獄に落べしとは、いづ 0000_,31,358a02(00):れの經にとかれ侍るやらんと申ける間、上人、大佛頂 0000_,31,358a03(00):經これなりと分明に答給ければ、彼僧手を合て後生助 0000_,31,358a04(00):けさせ給へとて、則御ともして油藏へ入奉る 0000_,31,358a05(00):聖護院宮事 0000_,31,358a06(00):聖護院の無品親王靜惠御惱の時、門徒の高僧等、大般 0000_,31,358a07(00):若經を轉讀し奉りて各祈請申せども、御平愈ましまさ 0000_,31,358a08(00):ざりければ、上人を招請せられ御臨終の次第どもたづ 0000_,31,358a09(00):ね仰られて、いかがして此たび生死を離べき、後生助 0000_,31,358a10(00):給へと仰られければ、上人御返事には、往生極樂の御 0000_,31,358a11(00):願、御念佛にしかず。佛説ての給はく、光明遍照十方 0000_,31,358a12(00):世界念佛衆生攝取不捨と。其後御念佛おこたらずして 0000_,31,358a13(00):御臨終正念にしてをはらせ給ひけり。大般若經轉讀の 0000_,31,358a14(00):人人は 0000_,31,358a15(00):僧正行舜宰相 僧正公胤大貳 僧正覺實左大臣法印顯惠中納言 0000_,31,358a16(00):法眼圓豪大納言 法印公雅宰相 法印道嚴 法印信觀 こ 0000_,31,358a17(00):の三人の法印は障子の中にて、其形白をみず。後に交 0000_,31,358b18(00):名を見てこれをしるしなす所也 0000_,31,358b19(00):法然上人傳記卷第三上 0000_,31,358b20(00):津戸消息事 0000_,31,358b21(00):天神五代の後胤、文章博士菅原孝標、常陸守に任じて 0000_,31,358b22(00):下國の時、武藏國の惣追捕使、秩父權守平重綱が娘に 0000_,31,358b23(00):嫁して一子を生ず。其名を津戸二郎爲廣といふ。外祖 0000_,31,358b24(00):父重綱が撫育をかふりて、譜代の跡をつぎ、武勇の道 0000_,31,358b25(00):を傳へき。其三男津戸三郎菅原爲守生年十八歳にして 0000_,31,358b26(00):治承四年八月に、右大將家于時兵衞佐石橋の時、武州より 0000_,31,358b27(00):馳まいる。房州へ越給し時も同じく參向せしかば、處 0000_,31,358b28(00):處の合戰に忠をいたし、重重の御感に預しより以來、 0000_,31,358b29(00):關東家人の名を得て、武藏國御家人と號す。東大寺供 0000_,31,358b30(00):養の爲に建久六年二月に、幕下御上洛の時は生年三十 0000_,31,358b31(00):三歳、供奉したりけるが、三月四日入洛、同廿一日法 0000_,31,358b32(00):然上人へ參て合戰度度の罪障を懺悔して、念佛往生の 0000_,31,358b33(00):道をうけ給て後は、在京の間も常にまいりて、下向の 0000_,31,359a01(00):後も、更に他の門を望まず。但信稱名の行者と成て、 0000_,31,359a02(00):念佛の行おこたらざりけるを、人ありて熊谷入道、津 0000_,31,359a03(00):戸三郎は無智の者なればこそ、餘行叶難によりて、念 0000_,31,359a04(00):佛ばかりをすすめられたれ。有智の人には、必しも念 0000_,31,359a05(00):佛には限べからずと申ければ、津戸三郞、其子細を上 0000_,31,359a06(00):人にたづね申ける時、此事にも限らず。條條の不審を 0000_,31,359a07(00):尋申けるに付て、同年九月十八日、上人の御返事、詮 0000_,31,359a08(00):をとりてこれをのせば 0000_,31,359a09(00):一、熊谷入道、津戸三郞は、無智の者なればこそ、但 0000_,31,359a10(00):念佛をばすすめたれ。有智の人には必しも念佛にはか 0000_,31,359a11(00):ぎるべからずと申由、聞え候らん。極めたるひが事に 0000_,31,359a12(00):候。其故は、念佛の行は、本より有智無智にかぎらず 0000_,31,359a13(00):彌陀の昔誓玉ひし本願も、あまねく一切衆生の爲也。 0000_,31,359a14(00):無智の爲には念佛を願とし、有智の爲には餘のふかき 0000_,31,359a15(00):行を願とし給事なし。十方衆生の爲に、廣く有智無智 0000_,31,359a16(00):有罪無罪の善人惡人、持戒破戒、貴も賤も、男子も女 0000_,31,359a17(00):人も、若は佛の代の衆生をも、若は佛の滅し給ひて後 0000_,31,359b18(00):のこの比の衆生、もしくは釋迦の末法萬年の後、三寶 0000_,31,359b19(00):うせての折の衆生までも、みなこもるなり。又善導和 0000_,31,359b20(00):尚、彌陀の化身として專修念佛をすすめ給へるも、廣 0000_,31,359b21(00):く一切衆生の爲に、すすめて無智の人にのみ限る事は 0000_,31,359b22(00):候はず。廣き彌陀の願を憑み、あまねき善導の勸めを 0000_,31,359b23(00):ひろめんもの、いかでか無智の人に限て、有智の人を 0000_,31,359b24(00):へだてんや。若然ば彌陀の本願にもそむき、善導の御 0000_,31,359b25(00):心にも不可叶。されば此邊にまうできて、往生の道を 0000_,31,359b26(00):とひたづねん人には、有智無智を論ぜず。皆念佛の行 0000_,31,359b27(00):ばかりを申候也。然にそぞろ事をかまへて、さやうに 0000_,31,359b28(00):念佛を申とめんとする者は、先の世に念佛三昧淨土の 0000_,31,359b29(00):法門をきかず。後世に又三惡道へ歸るべきものの、し 0000_,31,359b30(00):かるべくして、さやうの事をば巧申事にて候也。其よ 0000_,31,359b31(00):し聖敎にみな見えて候也 0000_,31,359b32(00):見有修行起瞋毒 方便破壞競生怨 0000_,31,359b33(00):如此生盲闡提輩 毀滅頓敎永沈淪 0000_,31,359b34(00):超過大地微塵劫 未可得離三途身 云云 0000_,31,360a01(00):此文の心は淨土をねがひ念佛を行ずる者を見て、瞋り 0000_,31,360a02(00):をおこし、毒心を含で、はかり事をめぐらし、様様の 0000_,31,360a03(00):方便をなして、念佛の行をやぶりて、あらそひてあだ 0000_,31,360a04(00):をなし、これをとどめんとする也。如此人は、生てよ 0000_,31,360a05(00):りこのかた、佛法の眼しひて、佛の種をうしなへる闡 0000_,31,360a06(00):提のともがらなり。彌陀の名號を唱て永き生死を忽に 0000_,31,360a07(00):きりて、常住の極樂に往生すといふ。頓敎の御法を、 0000_,31,360a08(00):そしりほろぼして、此罪によりて惡道に沈みて、大地 0000_,31,360a09(00):微塵劫を過とも、永く三惡道の身を離るることをうべ 0000_,31,360a10(00):からずといへるなり。さればさやうにそらごとをたく 0000_,31,360a11(00):みて申候はん人をば、歸てあはれむべきなり。さほど 0000_,31,360a12(00):のものの申さんによりて、念佛に疑をなし、不信をを 0000_,31,360a13(00):こさん者は、いふにたらぬほどの事にてこそは候はめ 0000_,31,360a14(00):大かた彌陀に緣淺く、往生に時いたらぬものは、きけ 0000_,31,360a15(00):ども信ぜず。おこなふを見ては腹をたて、いかりをふ 0000_,31,360a16(00):くみて、さまたげんとする事にて候也。其心を得て、 0000_,31,360a17(00):いかに人申とも、御心計はゆるがせ給べからず。強に 0000_,31,360b18(00):信ぜざらんは、佛なを力および給まじ。何況や、凡夫 0000_,31,360b19(00):のちから及候まじき事なり。かかる不信の衆生の爲に 0000_,31,360b20(00):慈悲をおこし、利益せんと思はんに付ても、とく極樂 0000_,31,360b21(00):にまいりて、悟をひらきて、生死に歸りて、誹謗不信 0000_,31,360b22(00):の者をもわたして、一切衆生あまねく利益せむと思ふ 0000_,31,360b23(00):べき事にて候 0000_,31,360b24(00):一、一家の人人の善願に結緣助成せん事。念佛の行を 0000_,31,360b25(00):妨る事をこそ、專修の行には制したる事にて候へ。人 0000_,31,360b26(00):人の或は堂をも造り、佛をも造り、經をもかき、僧を 0000_,31,360b27(00):も供養せんには、力をくはへ、緣をもむすばんが念佛 0000_,31,360b28(00):を妨、專修をさふる程の事にては候まじ 0000_,31,360b29(00):一、此世の祈に佛にも申さん事は、其もくるしく候ま 0000_,31,360b30(00):じ。後世の往生の爲には、念佛の外に、あらぬ行をす 0000_,31,360b31(00):るこそ、念佛を妨ればあしき事にては候へ。此世の爲 0000_,31,360b32(00):にする事は、往生の爲には候はねば、神佛の祈、更に 0000_,31,360b33(00):苦まじく候 0000_,31,360b34(00):一、念佛を申させ給はんには、こころを常にかけて、 0000_,31,361a01(00):口にわすれず唱が目出事にて候也。念佛の行は、尤も 0000_,31,361a02(00):行住坐臥、時處諸緣を嫌はぬ行にて候へば、心を淸く 0000_,31,361a03(00):して、申させ給はん事、返返神妙にて候、ひまなくさ 0000_,31,361a04(00):やうに申させ給はんこそ、返返目出度候へば、いかな 0000_,31,361a05(00):らん所、いかなる時なりとも、忘れずして申させ給ひ 0000_,31,361a06(00):て、往生の業には必なり候はんずる也。其のよしを御 0000_,31,361a07(00):心得有て、同じ心ならんには、敎させ給べし。いかな 0000_,31,361a08(00):る時にも、申されざらんをこそ、ねうじて申ばやと思 0000_,31,361a09(00):候べきに、申されんをねうじて申させ給はぬ事は、い 0000_,31,361a10(00):かでか候べき。但いかなる折にも、きらはず申させ給 0000_,31,361a11(00):ふべし 0000_,31,361a12(00):一、御佛、仰にしたがひ、具に開眼して下しまいらせ 0000_,31,361a13(00):候。阿彌陀の三尊造りてまいらせ候ける。返返神妙に 0000_,31,361a14(00):候。佛像造りまいらせたるは、目出度功德にて候也 0000_,31,361a15(00):一、念佛の行、強に信ぜざらん人に論じあひ、又あら 0000_,31,361a16(00):ぬ行、こと悟の人に向て、いたくしゐて仰らるる事候 0000_,31,361a17(00):まじ。恭敬して、かるしめあなづる事なかれと申たる 0000_,31,361b18(00):事にて候なり。同心に極樂をねがひ、念佛を申さん人 0000_,31,361b19(00):には、たとひ塵刹の外の人なりとも、同行の思をなし 0000_,31,361b20(00):て、一佛淨土に生れんとおもふべきにて候なり。阿彌 0000_,31,361b21(00):陀佛に緣なく、極樂淨土に契りすくなく候はん人の、 0000_,31,361b22(00):信もおこらず願はしくもなく候はんには力不及。只心 0000_,31,361b23(00):に任せて、いかなるおこなひをもして、後生助りて三 0000_,31,361b24(00):惡道を離るる事を人の心にしたがひて、すすめ候べき 0000_,31,361b25(00):也。又さは候へどもちりばかりも、かなひぬべからん 0000_,31,361b26(00):人には、阿彌陀を勸め極樂をねがはすべきにて候。い 0000_,31,361b27(00):かに申とも、此世の人の念佛にあらでは、極樂に生て 0000_,31,361b28(00):生死を離る事候まじき也。此外の事を人の心に隨ては 0000_,31,361b29(00):からふべく候也。何樣にも物をあらそふ事は、ゆめゆ 0000_,31,361b30(00):め候まじ。若はそしり、もしは信ぜざらん者をば、久 0000_,31,361b31(00):く地獄にありて、又地獄へ歸るべきものと能能心得て 0000_,31,361b32(00):こはがらずしてこしらふべきにて候。又よもとは思ま 0000_,31,361b33(00):いらせ候へども、いかなる人申とも、念佛の御心なん 0000_,31,361b34(00):ど、たぢろぎ思召事あるまじ。たとひ千佛世に出で、 0000_,31,362a01(00):親あたりおしへさせ給ふとも、これは釋迦、彌陀より 0000_,31,362a02(00):初て恆河沙の佛の證誠をさせ給ふことなればと思食て 0000_,31,362a03(00):志を金剛よりも固くして、此たび必ず阿彌陀佛の御前 0000_,31,362a04(00):へまいりなんと思召べく候也。如此の事かたはしを申 0000_,31,362a05(00):さんに御心得ありて、我爲人のために可行給。穴賢 0000_,31,362a06(00):津戸三郞殿御返事云云 0000_,31,362a07(00):鎌倉の二位家より、條條尋申されけるにつきて、上人 0000_,31,362a08(00):御返事の趣、此状に違せざる間、しげきによりてこれ 0000_,31,362a09(00):をのせず。但彼状の中云、念佛を申事、様様の儀候へ 0000_,31,362a10(00):共、只六字を唱るばかりに、一切はおさまり候也。心 0000_,31,362a11(00):には本願を憑み、口には名號を唱へ、手には數珠をと 0000_,31,362a12(00):りて、常には心にかくるが、極たる決定往生の業にて 0000_,31,362a13(00):候也。念佛は、もとより行住坐臥、時處諸緣をゑらば 0000_,31,362a14(00):ず、身口の不淨をきらはぬ行にて候へば、易行往生と 0000_,31,362a15(00):申傳へて候也。只淨土を心にかくれば、心淨の行にて 0000_,31,362a16(00):候也。但其中にも、身心を淸くして申を第一の行と申 0000_,31,362a17(00):候也。又娑婆世界の人の、餘の淨土を欣候はん事は、 0000_,31,362b18(00):弓なくして天の鳥をとり、足なくして木ずへの花をお 0000_,31,362b19(00):らんとせんがごとし。必ず專修念佛は、現當の祈と成 0000_,31,362b20(00):候なり。これも經文にて候也云云 0000_,31,362b21(00):又後年に津戸三郞がもとへつかはされたる上人の御返 0000_,31,362b22(00):事に、專修念佛の人は、世にあり難き事にて候は、其 0000_,31,362b23(00):一國に三十餘人まで候はんこそ、まめやかにあはれに 0000_,31,362b24(00):候へ。京邊なんどの常にききならひかたはらをも見な 0000_,31,362b25(00):らひ候ぬべき所にて候に、今にも思ひきりて、專修念 0000_,31,362b26(00):佛する人は、難有事にてこそ候に、道綽禪師の並州と 0000_,31,362b27(00):申所こそ、一向念佛の地にて候に、專修念佛三十餘人 0000_,31,362b28(00):は世に難有覺候。偏に御力、又熊谷入道などの計にこ 0000_,31,362b29(00):そ候なれ。それも時の至りて往生すべき人の多候べき 0000_,31,362b30(00):故にこそ候なれ。緣なき事はわざと人のすすめ候にだ 0000_,31,362b31(00):にも、かなはぬ事にて候へば、まして子細をもしらせ 0000_,31,362b32(00):給はぬ人などの、仰られんによるべき事にても候はぬ 0000_,31,362b33(00):に、本より機緣純熟して、時いたりたる事にて候へば 0000_,31,362b34(00):こそ、さ程專修の人などは候らめと、おしはかり哀に 0000_,31,363a01(00):覺候。但無智の人にこそ機緣にしたがひて、念佛をば 0000_,31,363a02(00):勸むる事にてあれども、申候なる事はもろもろのひが 0000_,31,363a03(00):事にて候。あみだ佛のむかしの御誓ひに、有智無智を 0000_,31,363a04(00):もゑらばず、持戒破戒をも嫌はず、佛前佛後の衆生を 0000_,31,363a05(00):えらばず、在家出家の人をも嫌はず、念佛往生の誓願 0000_,31,363a06(00):は、平等の慈悲に住して、發給たる事にて候へば、人 0000_,31,363a07(00):を嫌ふ事は全く候はぬ也。佛の御心は慈悲をもて、體 0000_,31,363a08(00):とする事にて候也。されば觀無量壽經には、佛心とい 0000_,31,363a09(00):ふは大慈悲これ也と説て候也。善導和尚、此文をうけ 0000_,31,363a10(00):ては此平等の慈悲をもて、あまねく一切を攝すと釋給 0000_,31,363a11(00):へる也。一切の哀み廣くして、もるる人候べからず。 0000_,31,363a12(00):釋迦のすすめ給も、惡人善人智人愚人も、ひとしく念 0000_,31,363a13(00):佛すれば往生とすすめ給へる也。念佛往生の願は、こ 0000_,31,363a14(00):れ彌陀如來の本地の誓願なり。餘の種種の行は、本地 0000_,31,363a15(00):のちかひにあらず。これ釋迦如來の種種の機緣にした 0000_,31,363a16(00):がひて、様様の行を説せ給ひたる事にて候へば、釋迦 0000_,31,363a17(00):も世に出給ふ心は、みだの本願をとかんと思召佛心に 0000_,31,363b18(00):て候へ共、衆生の機緣に隨給ふ日は、餘の種種の行を 0000_,31,363b19(00):も説給は、これ隨機の法也。佛の自御心の底には候は 0000_,31,363b20(00):ず。されば念佛は彌陀にも利益の本願、釋迦にも出世 0000_,31,363b21(00):の本懐也。餘の種種の行には似ず候也。されば無智の 0000_,31,363b22(00):者なればといふべからずと也云云。念佛は彌陀利生の 0000_,31,363b23(00):本願、釋迦出世の本懐也と云事明也。末世愚鈍の衆生 0000_,31,363b24(00):はふかく上人敎誡の旨を信じて、敢て別解別行の人を 0000_,31,363b25(00):輕しむる事なかれ、只専修專念の行をはげむべき者也 0000_,31,363b26(00):選擇集の事 0000_,31,363b27(00):建久八年丁巳上人六十五、不例の事御座ありけるを、月 0000_,31,363b28(00):輪禪定殿下、以外に驚思召されけるを、聊平愈し給ひ 0000_,31,363b29(00):たりければ、清兵衞尉經重を御使として、御形見に淨 0000_,31,363b30(00):土の要文をあつめて給べきよし被仰送けるに付て、選 0000_,31,363b31(00):擇集をかかれける時、安樂を執筆として、要文をあつ 0000_,31,363b32(00):められしに、我若翰墨にたえたる身になからましかば 0000_,31,363b33(00):豈此佛法棟梁の役を勤哉と申ける間、此僧憍慢のここ 0000_,31,363b34(00):ろふかくして、惡道に墮べしとて、これを退て進士入 0000_,31,364a01(00):道眞觀をもて執筆とせられけり。建久九年に功を終て 0000_,31,364a02(00):上人存日の間は祕藏せらるべし、更に披露に不可及と 0000_,31,364a03(00):禪定殿下仰られけるによりて、門弟に件集を授られし 0000_,31,364a04(00):時は、或は此書をうつして末代に廣むべしといひ、或 0000_,31,364a05(00):は源空存生の間は、披露に及べからずとて、只滅後の 0000_,31,364a06(00):流行を心ざして、ふかく存日の披露を痛申されけるは 0000_,31,364a07(00):偏に月輪殿の仰を憚申されける故也 0000_,31,364a08(00):善惠上人の事 0000_,31,364a09(00):西山善惠上人は、天暦聖主の御後、入道加賀の權守親 0000_,31,364a10(00):季法名證玄の息也。一門のよしみ深くして、幼稚の昔より 0000_,31,364a11(00):久我内府通親公の猶子たりき。漸く元服の沙汰の侍り 0000_,31,364a12(00):しに、童子ふかく菩提心に住して、偏に出家をのぞむ 0000_,31,364a13(00):父母更に是をゆるされず。于時生母忍て、一條のもど 0000_,31,364a14(00):り橋にて、橋占をとわれしに、一人の僧ありて、眞觀 0000_,31,364a15(00):淸淨觀、廣大智惠觀、悲觀及慈觀、常願常瞻仰と誦し 0000_,31,364a16(00):東より西へ行。生母これをきくに落涙甚し。内府此由 0000_,31,364a17(00):をきき給ひて、宿善の内に催す事を感じて、出家をゆ 0000_,31,364b18(00):るされし時、師範の沙汰侍しに、童子申さく、願は、 0000_,31,364b19(00):法然上人の弟子たらん。不然は出家更に其詮なしと、 0000_,31,364b20(00):仍建久元年、十四歳にして遂に上人の室に入、常隨給 0000_,31,364b21(00):仕の弟子として、淨土の法門殘所なし。人の心得やす 0000_,31,364b22(00):からん爲に、白木の念佛と云事を常に仰られき。自力 0000_,31,364b23(00):の人は念佛をいろどる也。或は大乘の悟をもつていろ 0000_,31,364b24(00):どり、或はふかき領解をもていろどり、或は戒をもて 0000_,31,364b25(00):いろどり、或は身心を調るをもていろどらんとおもふ 0000_,31,364b26(00):也。定散の色どりある念佛をば、しをほせたる、往生 0000_,31,364b27(00):疑なしとよろこび、色どりなき念佛をば、往生はゑせ 0000_,31,364b28(00):ぬと歎也。なげくも、よろこぶもともに自力の迷なり 0000_,31,364b29(00):大經の法滅百歳の念佛、觀經の下三品の念佛は、何の 0000_,31,364b30(00):いろどりもなき白木の念佛也。本願の文の中の至心信 0000_,31,364b31(00):樂を稱我名號と釋し給へるも、白木になりかへる心也 0000_,31,364b32(00):所習觀經の下品下生の機は、佛法世俗の二種の善根な 0000_,31,364b33(00):き無善の凡夫なる故に、何のいろどりもなし。況、死 0000_,31,364b34(00):苦に責られて、忙然と成上は、三業ともに正體なき機 0000_,31,365a01(00):也。一期は惡人なるゆへに、平生の行のさりとも憑む 0000_,31,365a02(00):べきにもなし。臨終には死苦にせめられける故に、止 0000_,31,365a03(00):惡修善の心も、大小權實の悟も、かつて心にをかず。 0000_,31,365a04(00):起立塔造の善も、此儀には叶べからず。捨家棄欲の心 0000_,31,365a05(00):も、此時はをこり難し。誠に極重の惡人也、更に他の 0000_,31,365a06(00):方便ある事なし、若他力の領解もやある。名號の不思 0000_,31,365a07(00):議をもや念じつべきと敎れども、苦に責られて次第に 0000_,31,365a08(00):失念する間、轉敎口稱して、汝若不能念者、應稱無量 0000_,31,365a09(00):壽佛と云時、意業忙然と成ながら、十聲佛を稱すれば 0000_,31,365a10(00):聲聲に八十億劫の罪を滅して、見金蓮花猶如日輪の益 0000_,31,365a11(00):にあづかる也。此儀には機の道心一もなく、定散のい 0000_,31,365a12(00):ろどり一もなし。只知識の敎に隨ふばかりにて、別の 0000_,31,365a13(00):さかしき心もなくて、白木に唱て往生する也。たとへ 0000_,31,365a14(00):ば、をさなきものの手をとりて、物をかかせんがごと 0000_,31,365a15(00):し。豈小兒の高名ならんや。下下品の念佛も又かくの 0000_,31,365a16(00):ごとし。只知識と彌陀との御心にて、纔に口に唱て往 0000_,31,365a17(00):生を遂也。彌陀の本願はわきて五逆深重の人の爲に難 0000_,31,365b18(00):行苦行せし願行なる故に、失念の位の白木の念沸に佛 0000_,31,365b19(00):の五劫兆載の願行つづまりて、無窮の生死を一念につ 0000_,31,365b20(00):づめて、僧祗の苦行を一聲に成ずる也。又大經の三寶 0000_,31,365b21(00):滅盡の時の念佛も、白木の念佛也。其故に大小乘の經 0000_,31,365b22(00):律論、みな龍宮におさまる。三寶悉く滅しなん。閻浮 0000_,31,365b23(00):提にはただ冥冥たる衆生の、惡の外には善と云名だに 0000_,31,365b24(00):も更にあるべからず。戒行を敎たる律も滅しなば、何 0000_,31,365b25(00):の處によりて、止惡修善の心もあるべき。菩提心を説 0000_,31,365b26(00):ける經卷、先立て滅せばいづれの經によりてか菩提心 0000_,31,365b27(00):をも發べき。此理を知れる人も世になければ、習て知 0000_,31,365b28(00):べき道もなし。故に定散の色どりは、皆失はてたる白 0000_,31,365b29(00):木の念佛、六字の名號ばかり、世には住すべき也。其 0000_,31,365b30(00):時、ききて一念せんもの皆當に往生すべしと説けり。 0000_,31,365b31(00):此機の一念十念して往生は、佛法の外なる人の只白木 0000_,31,365b32(00):の名號の力にて往生すべき也。然に當時は大小の經論 0000_,31,365b33(00):も盛なれば、彼時の衆生には事の外にまれなる機也と 0000_,31,365b34(00):云人もあれども、下根の我等は、三寶滅盡の時の人に 0000_,31,366a01(00):かはる事なし。世はなほ佛法流布の世なれども、身は 0000_,31,366a02(00):ひとり三學無分の機也。大小の經論あれ共、或は學せ 0000_,31,366a03(00):んとおもふものもなし。かかる無道心の機は佛法にあ 0000_,31,366a04(00):えるかひもなき身也。三寶滅盡の世ならば、力及ばぬ 0000_,31,366a05(00):方もあるべし。佛法流布の世に生れながら、戒をも不 0000_,31,366a06(00):持、定惠をも修行せざるにこそ、機の拙く、道心なき 0000_,31,366a07(00):程もあらはれぬれ。かかる愚なる身ながら、南無阿彌 0000_,31,366a08(00):陀佛と唱る所に、佛の願行悉く圓滿する故に、ここが 0000_,31,366a09(00):白木の念佛の忝にてはある也。機におひては安心も起 0000_,31,366a10(00):行も、眞すぐなく、前念も後念も皆おろか也。妄想顚 0000_,31,366a11(00):倒の惑は日を逐てふかく、寐も寤も、惡業煩惱にのみ 0000_,31,366a12(00):ほだされて居たる身のうちより出る念佛は、いと煩惱 0000_,31,366a13(00):にかはるべしとも覺ぬうへ、定散の色どり一もなき稱 0000_,31,366a14(00):名なれども、前念の名號に、諸佛の實を接する故に、 0000_,31,366a15(00):心水泥濁にそまず、無上功德を生ずる也。中中に心を 0000_,31,366a16(00):そへず申せば、生ると信じてほれぼれと南無阿彌陀佛 0000_,31,366a17(00):と唱が、本願の念佛にてはある也。これを白木の念佛 0000_,31,366b18(00):とは云なりとぞ仰られける。當世も自力根性の人は、 0000_,31,366b19(00):念佛に付て、いろいろの採色を加へ行を指南とする人 0000_,31,366b20(00):又これあるが、是併上人弘通の正義をしらざる故也。 0000_,31,366b21(00):善惠上人は本師上人の勸化をつぎ。化導年ふりて行年 0000_,31,366b22(00):七十にして、寶治元年十一月廿六日午剋、種種の奇瑞 0000_,31,366b23(00):をあらはして、端坐合掌念佛二百餘遍を唱て往生をせ 0000_,31,366b24(00):られき。當世西山門と號し、小坂義と稱するは、彼善 0000_,31,366b25(00):惠上人の流也 0000_,31,366b26(00):月輪殿御不審事 0000_,31,366b27(00):或時月輪殿より條條の御不審を御書にのせて、上人に 0000_,31,366b28(00):尋仰られければ、委請文にのせて申されけり。所謂一 0000_,31,366b29(00):の御疑云、一度信心を起て更に疑心なくば、一念十念 0000_,31,366b30(00):をもて決定往生の業として、其後稱名稱念せずといふ 0000_,31,366b31(00):とも、順次の往生更に不審有べからざるか。又信心決 0000_,31,366b32(00):定の後は、四重五逆等の罪を犯と云とも、往生の障と 0000_,31,366b33(00):成べからざるかと。上人の請文に云、たとひ決定往生 0000_,31,366b34(00):の信心を起とも、其後、又稱念する事なく、ならびに 0000_,31,367a01(00):小罪なりとも、これを犯して後懺悔せずば、敢て往生 0000_,31,367a02(00):を遂がたく候歟。何況、四重五逆等の重罪を犯候はん 0000_,31,367a03(00):においては、往生するに及ばす、還て惡趣をのがれ難 0000_,31,367a04(00):く候。近來諸宗の衆徒、都鄙の道俗喧嘩たえず候旨、 0000_,31,367a05(00):此儀につき候歟。又一の御疑云、縦ひ深信をおこし、 0000_,31,367a06(00):専稱を至すとも、重罪を犯して後、更に懺悔念佛せず 0000_,31,367a07(00):ば、順次の往生遂がたく候歟。上人請文に云、此義神 0000_,31,367a08(00):妙に候。乃至一念無有疑心の釋は、上盡一形下至十聲 0000_,31,367a09(00):等にても、決定往生すべしと信ずべき文也。雖然一念 0000_,31,367a10(00):の後又稱念せず。ならびに犯罪せば、なを決定往生と 0000_,31,367a11(00):信ずべきにあらず。如此信候は、一重深心に似たると 0000_,31,367a12(00):いへども、還て邪見と成候歟。近來此邪見に住する輩 0000_,31,367a13(00):多候也と。又一の御疑云、一生不退の念佛は、不慮に 0000_,31,367a14(00):重罪を犯じて後、いまだ懺悔念佛せずして、命終せん 0000_,31,367a15(00):ものは、前の念佛の功によりて往生すべきか。將又犯 0000_,31,367a16(00):罪の咎によりて往生すべからざる歟と。上人の請文云 0000_,31,367a17(00):不慮の犯罪。その過頗輕と云とも、往生においては猶 0000_,31,367b18(00):不定に候。其故は已作の罪、懺悔を不用して善業を障 0000_,31,367b19(00):すといふ事なく候故なりと。右の御書に、善惠上人を 0000_,31,367b20(00):めさるるよしをのせられける間、各各不審を答申され 0000_,31,367b21(00):て後、請文の奧に、被召弟子の僧、善惠房は今明日の 0000_,31,367b22(00):間に進べく候。愚意の所存、聊も違せざる者に候との 0000_,31,367b23(00):せられける上は、善惠上人の義更に本師上人の義に違 0000_,31,367b24(00):すべからず。されば津戸入道は、上人御往生の後は、 0000_,31,367b25(00):不審の事をば善惠上人に尋申けるに、彼返状、全く上 0000_,31,367b26(00):人勸化の詞に違せず。所謂文暦元年の比、關東の念佛 0000_,31,367b27(00):者の中に、善惠上人の義とて、無智の者は念佛申とも 0000_,31,367b28(00):不可往生、正念に住して臨終みだれずとも往生とは云 0000_,31,367b29(00):べからす。又學生臨終め時、狂亂顚倒して終とも、決 0000_,31,367b30(00):定往生といふべしと申ける間、善惠上人に尋申ける津 0000_,31,367b31(00):戸入道の状云、念佛往生の條の事、彌陀の本願に任也 0000_,31,367b32(00):善導和尚の御釋、故上人の御坊の御勸によりて、上百 0000_,31,367b33(00):年にいたり、下一日七日十聲一聲に至まで、念佛往生 0000_,31,367b34(00):は決定の由を承て、往生をねがひ候處に、當時の關東 0000_,31,368a01(00):の學生のおほせ候とて、無智にては勤めたりとも、臨 0000_,31,368a02(00):終閑にておはりたり共、往生したりとは不可思、又學 0000_,31,368a03(00):文したらんものは、たとひ臨終の時、いかなる狂亂を 0000_,31,368a04(00):し、くるひ顚倒したりとも、決定往生也と候なる此事 0000_,31,368a05(00):御房中に、いか樣に思召たると云事、慥の便宜のとき 0000_,31,368a06(00):可被仰候。かやうに申をば、尊願が合點なき事を申と 0000_,31,368a07(00):ぞ、思召ぬ事にて候へども、學問せぬ人の内内歎申候 0000_,31,368a08(00):間申候也と云云。同年九月三日、善惠上人返状云、阿 0000_,31,368a09(00):性房のもとへの便につけて、御不審候ける樣承候こそ 0000_,31,368a10(00):存の外に候へ。其後、申披べきよし存候へ共、慥の便 0000_,31,368a11(00):を不得候間、思ながら過候程に、御所勞とて阿性房下 0000_,31,368a12(00):向せられ候便を悦で申候。學問せざるひら信じの念佛 0000_,31,368a13(00):は、往生すべからざるよし、此邊に申と聞え候らん。 0000_,31,368a14(00):極めたるひが事にて候也。本願の理をよく思入て、平 0000_,31,368a15(00):に信じて學問せざるも、又文に付て學するも、落つく 0000_,31,368a16(00):所は只同く南無阿彌陀佛にて往生すべきにてこそ候へ 0000_,31,368a17(00):ただし平信じとて、本願のありさまをもしらず、善惡 0000_,31,368b18(00):の因果をも不辨、ただ南無阿みだ佛と申ばかりにて、 0000_,31,368b19(00):往生すと心えたる輩、當世にただこれは一往は信ずる 0000_,31,368b20(00):に似たりといへ共、悉く尋ればさして思入たる處なし 0000_,31,368b21(00):ふかく信ずる義候はざる也。是をばひら信じと申にも 0000_,31,368b22(00):不及候也。加樣の輩に向ては、本願のむなしからず、 0000_,31,368b23(00):凡夫を攝するいはれ、一分にてもかまへて心えよと申 0000_,31,368b24(00):きかせ候也。是が聞へ候やらん。正しく本願のむなし 0000_,31,368b25(00):からざるを信たる上に、機に隨て或は平に願力を信じ 0000_,31,368b26(00):て、我心に立ぬと思ひて、念佛する人も候。或は本願 0000_,31,368b27(00):を信ずる上に、彌理をあきらめん爲に、學問して思入 0000_,31,368b28(00):人も候。意樂おなじからずといへども、往生は全く異 0000_,31,368b29(00):ならず候を、學問する人は學せざる人をそしり、學せ 0000_,31,368b30(00):ざる人は學問する人をそしる事、相互に極たるひが事 0000_,31,368b31(00):也。ただ所詮は法藏ぼさつ、乃至十念のちかひにこた 0000_,31,368b32(00):へて、衆生稱名稱念せば必ず生るべき理の極りて、巳 0000_,31,368b33(00):に阿み陀佛に成て、善惡の凡夫をもらさず攝し給へる 0000_,31,368b34(00):故に、釋迦も是をとき、諸佛の證誠もむなしからざる 0000_,31,369a01(00):事を憑て、御念佛候はば更に御往生疑なく候。此旨こ 0000_,31,369a02(00):そ、ふかく存ずる事にて候へば、人にも申聞かせ、身 0000_,31,369a03(00):にも存候へ。見參にて申まほしく候へども、今は互に 0000_,31,369a04(00):かなはぬ事にて候へば、あらあら申候なり。阿性房は 0000_,31,369a05(00):かやうの事も是にて聞なれ思入られたる事にて候へば 0000_,31,369a06(00):たづねきかせ給べく候云云 0000_,31,369a07(00):又同年十月十二日に重て津戸入道に、遣はされたる善 0000_,31,369a08(00):惠上人の状云、當時關東の學者の中に、或は無智の人 0000_,31,369a09(00):は往生せず、臨終正念にして命終すとも往生とは不可 0000_,31,369a10(00):定と云。或は學者たとひ臨終狂亂す共、猶これ往生也 0000_,31,369a11(00):と云事、返返ひが事にて候也。若無智の人往生せずと 0000_,31,369a12(00):いはば彌陀の本願巳に機を嫌になる。其理不可然。他 0000_,31,369a13(00):力本願を信ぜば、有智無智みな往生すべし、信心を發 0000_,31,369a14(00):して後は、學不學は人の心に隨ふべき也。然を其智あ 0000_,31,369a15(00):さくして、學を好む輩、人をそしり、おのれをほめん 0000_,31,369a16(00):が爲に、如此の説をいたすか。また臨終正念なりとも 0000_,31,369a17(00):往生を不可得と云事、本願を信ずる人、正念に住せん 0000_,31,369b18(00):上は何ぞ往生せずと云べき。本願を信ぜざるの輩の臨 0000_,31,369b19(00):終正念は、實に往生と定がたし。不信の人の臨終をも 0000_,31,369b20(00):て、信者をみだる條、無其謂候。又學生は臨終狂亂す 0000_,31,369b21(00):とも、往生と定べしと云事、經文の中に其文惣じて見 0000_,31,369b22(00):及候はず。又道理不可然。凡極樂におきては專本願を 0000_,31,369b23(00):信ずるによる。又學生によらず、又無智によらざる也 0000_,31,369b24(00):信心若發ば、有智無智も臨終は必ず正念に住すべし。 0000_,31,369b25(00):何ぞ學生に至りて正念を捨や。若學生なりとも、臨終 0000_,31,369b26(00):狂亂せんは、是本より信心なき故也。但下品下生の、 0000_,31,369b27(00):此人苦逼念佛等の文に異義を成する輩候歟。此文の心 0000_,31,369b28(00):は只死苦の失念也。全狂亂顚倒の相にあらず。されば 0000_,31,369b29(00):釋には臨終正念金花來應也といへり。たとひ病死の苦 0000_,31,369b30(00):痛ありとも、念佛の行おこたらずば必ず正念と云へる 0000_,31,369b31(00):義也。凡苦痛與顚倒。其體大に異成故に候。如此きの 0000_,31,369b32(00):妄説不可有御信用、只一向本願を憑て御念佛不懈候事 0000_,31,369b33(00):可爲本意候也云云。本師上人の義理は請文の旨にあら 0000_,31,369b34(00):はれ、善惠上人の存意又いまの消息等に見えたり。善 0000_,31,370a01(00):惠上人已に自筆をそめ、判形をすえらる。末代の龜鑑 0000_,31,370a02(00):也。仰で是を信すべし。然を善惠上人の門流と號する 0000_,31,370a03(00):人人の中に、義理若本師上人の請文、善惠上人の消息 0000_,31,370a04(00):に違する事あらば、全善惠上人の義にあらず。末流の 0000_,31,370a05(00):私の今案なるべし。あなかしこ。末の濁れるをもて、 0000_,31,370a06(00):源のすめるをけがす事なかれ 0000_,31,370a07(00):法然上人傳記卷第三下 0000_,31,370a08(00):上人三昧發得事 0000_,31,370a09(00):上人行業年積、念佛功闌て建久九年正月より以來、極 0000_,31,370a10(00):樂の莊嚴、化佛菩薩を拝給事常にあり。彼三昧發得の 0000_,31,370a11(00):次第は、自筆にしるし置給へるを、存生の間に秘藏し 0000_,31,370a12(00):て人にしられず。沒後にやうやく流布する處也。高野 0000_,31,370a13(00):の僧都明遍遁世後號空阿みだ佛披見して隨喜の涙をながされけ 0000_,31,370a14(00):り。彼自筆の記云、生年六十六、建久九年戊午正月朔日 0000_,31,370a15(00):恒例の正月七日の念佛これを初めおこなふに、一日明 0000_,31,370a16(00):相すこし現じて自然に甚明也。二日に水想觀自然に成 0000_,31,370b17(00):就す。都て七箇日の中に、地想觀の中に瑠璃の地いさ 0000_,31,370b18(00):さかあらはる。二月四日の朝、瑠璃の地分明に現ず。 0000_,31,370b19(00):六日の後夜に瑠璃の宮殿現ず。七日の朝重て又現ず。 0000_,31,370b20(00):正月一日より二月七日に至るまで三十三ケ日の間、水 0000_,31,370b21(00):想、寶地、寶樹、寶池、宮殿等の五觀現ず。是則毎日 0000_,31,370b22(00):七萬遍の念佛不退にこれを勤によりて見處也。二月廿 0000_,31,370b23(00):五日より、あかき所にして目をひらけば、眼根より赤 0000_,31,370b24(00):き袋を出生して瑠璃の壺をみる。是よりさきには、目 0000_,31,370b25(00):を閉ればこれを見、目を開けばこれを失しに、其後、 0000_,31,370b26(00):右の目より光明をはなつ、其光の端あかし。又眼に瑠 0000_,31,370b27(00):璃あり、其形瑠璃の壺のごとし、瑠璃の壺にはあかき 0000_,31,370b28(00):花あり、寶瓶のごとし。又日沒の後に出て、四方を見 0000_,31,370b29(00):れば方毎に靑くあかき寳樹あり。其たかさ定なし。高 0000_,31,370b30(00):下心にしたがひて、或は四五丈、或は二三丈也。九月 0000_,31,370b31(00):廿二日朝に地想分明に現ず。周圍七八段ばかり也。同 0000_,31,370b32(00):廿三日後夜、及朝旦に又分明に現ず。正治元年乙未八月 0000_,31,370b33(00):時正七日の別時の間、淨土の依正しきりに現ず。又左 0000_,31,371a01(00):右の眼より光をはなつ。心蓮房粗是を見て源空にかた 0000_,31,371a02(00):る。源空嘆じておどろかず。同二年庚申二月、地想等の 0000_,31,371a03(00):五觀、行住坐臥に心に隨て任運に現ず。元久元年辛酉正 0000_,31,371a04(00):月廿五日、西の持佛堂の勢至菩薩の御後に、丈六ばか 0000_,31,371a05(00):りの御面三度現ず。このぼさつは念佛をもて所證の法 0000_,31,371a06(00):門とし給が故に、今念佛者の爲に其相を示現し給へる 0000_,31,371a07(00):事、これ違疑すべからず。同廿八日、座所の下より初 0000_,31,371a08(00):めて四方一段ばかり、靑瑠璃の地となる。二月八日の 0000_,31,371a09(00):後夜に、鳥の音、琴の音、笛の音をきく。其後は日に 0000_,31,371a10(00):そひて、自在に種種の音聲をきく。同二年壬戌八月時正 0000_,31,371a11(00):七日の別時の間、初日に地想觀現ず。第二日の後夜晨 0000_,31,371a12(00):朝に又分明に現ず。第三日より第七日に至まで、地想 0000_,31,371a13(00):寶樹、寶池、寶樓等、行住坐臥心にまかせて任運にこ 0000_,31,371a14(00):れを見る。十二月二十八日午時、持佛堂にして高畠の 0000_,31,371a15(00):少將に對面の時、例のごとく念佛して阿彌陀佛の後の 0000_,31,371a16(00):障子を見れば透徹て相好現ず。其勢丈六の佛面のごと 0000_,31,371a17(00):し。元久三年丙寅正月四日、念佛の間に三尊の相を現ず 0000_,31,371b18(00):同五日、又三尊大身をあらはし給と注し給へり。實に 0000_,31,371b19(00):これ念佛三昧現前の相分明なるもの也。上人常に心に 0000_,31,371b20(00):付て誦し給ける文に云、上來雖説定散兩門之益、望佛 0000_,31,371b21(00):本願、意在衆生一向專稱彌陀佛名、かくのごとく心し 0000_,31,371b22(00):づかに稱名念佛し給ふ時、忽に三昧發得して極樂の莊 0000_,31,371b23(00):嚴及佛菩薩の眞身を拜し給ふ所也。又三昧發得の御歌 0000_,31,371b24(00):には 0000_,31,371b25(00):あみだ佛と申ばかりをつとめにて 0000_,31,371b26(00):淨土の莊嚴見るぞうれしき 0000_,31,371b27(00):靈山寺念佛事 0000_,31,371b28(00):靈山寺にて、上人三七日不斷念佛の間、燈火なくして 0000_,31,371b29(00):光明あり。第五の夜、各各行道し給に勢至ぼさつ同く 0000_,31,371b30(00):列に立給へる事を信空上人夢のごとくに拜し奉りて、 0000_,31,371b31(00):上人に此由を申に、さる事侍らんと答給ふ。餘人はさ 0000_,31,371b32(00):らに拜する事なし。或時上人念佛してましましけるに 0000_,31,371b33(00):勢至菩薩來現し給へり。誠に淨土のちかひ、たのもし 0000_,31,371b34(00):き哉。令離三途の説、これひとへに念佛三昧成就獲得 0000_,31,372a01(00):の證也。仍此聖容は、一丈六尺に示給けるを、白氎一 0000_,31,372a02(00):鋪にうつしとどめ奉りて永き世の本尊にしたてまつる 0000_,31,372a03(00):これ眼前の降臨也。更に夢幻にあらず。若念佛者、當 0000_,31,372a04(00):知此人、是人中芬陀利花、觀世音菩薩、大勢至菩薩、 0000_,31,372a05(00):爲其勝友、當坐道場、生諸佛家の文たがふ事なし 0000_,31,372a06(00):阿彌陀佛三尊出現事 0000_,31,372a07(00):上人つねの居所をあからさまに立出で、歸り給たりけ 0000_,31,372a08(00):れば、阿彌陀の三尊、繪像にも木像にも非ずして垣を 0000_,31,372a09(00):離れて、板しきにもつかず、天井にもつかず現給ふ。 0000_,31,372a10(00):無量壽佛化身無數、與觀世音大勢至、常來至此、行人 0000_,31,372a11(00):之所の文も、いよいよその馮みふかきもの也 0000_,31,372a12(00):聖光上人事 0000_,31,372a13(00):鎭西の聖光房辨阿本名辨長山門の住侶也。證眞法印の門弟 0000_,31,372a14(00):として天台宗の奧義を究しかども、三十三のとし、舎 0000_,31,372a15(00):弟三明房阿闍梨の頓死せしをまのあたり見給て、眼前 0000_,31,372a16(00):の無常におどろき、身の後の資糧を求て、忽に所學の 0000_,31,372a17(00):法門をさしおき、極樂の往生を願ふ。建久八年五月に 0000_,31,372b18(00):初て上人へまいりて淨土の法門を學す。翌年建久九年 0000_,31,372b19(00):に選擇を授くる。其詞には、われ月輪殿の請によりて 0000_,31,372b20(00):撰所也。汝は法器の仁也。此書をうつして末代に廣む 0000_,31,372b21(00):べしと。上人の室に入て後まづ豫州へ遣はれて、念佛 0000_,31,372b22(00):を弘通す。鎭西に歸りて一寺を建立して、善導寺と號 0000_,31,372b23(00):す。爰にある淨土宗の學者、法然上人より相承すと稱 0000_,31,372b24(00):して、鏡像圓融の譬をあげ、金剛寳戒の名をもて、淨 0000_,31,372b25(00):土宗の甚深の秘義とするよしを申間、元久二年三月に 0000_,31,372b26(00):法然上人に尋申さるる聖光上人の状云、淨土宗の小僧 0000_,31,372b27(00):辨長、上人の御房法座前へ、誠惶誠恐謹言 0000_,31,372b28(00):二箇條疑問事 0000_,31,372b29(00):一 鏡像圓融疑問事 0000_,31,372b30(00):二 金剛寳戒疑問事 0000_,31,372b31(00):一、鏡像圓融疑問者、所謂或淨土宗學者、向天台宗學 0000_,31,372b32(00):者相語云、天台宗與淨土宗、其義是一致也。所以天台 0000_,31,372b33(00):宗以鏡像之譬顯圓融之法淨土宗亦復如是。以此鏡像 0000_,31,372b34(00):圓融之義爲淨土宗最底是則淨土宗甚深義也。暫善 0000_,31,373a01(00):導和尚爲誘引初心之人制止難行勸進專修。理實 0000_,31,373a02(00):以鏡像圓融之譬得其心。爲後心之人天台淨土是則 0000_,31,373a03(00):一同也云云。天台諸宗之人者、以鏡像圓融之譬用淨 0000_,31,373a04(00):土宗最底者、以淨土宗不可立別宗只以天台摩訶 0000_,31,373a05(00):止觀等可立淨土宗何故以天台宗之外可立淨土宗 0000_,31,373a06(00):哉。又小僧辨長跪上人御房法座前、常雖蒙淨土敎訓 0000_,31,373a07(00):之條於此義者未曾聞也。但依機未熟不蒙此御敎 0000_,31,373a08(00):訓歟。何如況小僧、善導所造和國到來西方化導八卷文 0000_,31,373a09(00):證之中、於鏡像圓融之文、更以未見之處云云。又自 0000_,31,373a10(00):本依不存此御言不示此義給哉。又小僧辨長自幼稚 0000_,31,373a11(00):之昔、稟天台之流於鏡像圓融之法門者、或時口誦 0000_,31,373a12(00):文證、或時心推義理。但於長大之今列淨土之座。承 0000_,31,373a13(00):上人御房御義之時、異國漢朝之先賢先哲、於淨土法門 0000_,31,373a14(00):各出義時、其義蘭菊也。但於其中善導禪師之御義、 0000_,31,373a15(00):往生之甘露也。所謂分別專雜二行選擇正助二行棄雜 0000_,31,373a16(00):取專兼助志正。吾淨土宗尤爲元意如此御敎訓常蒙 0000_,31,373a17(00):之於鏡像之義爲淨土宗骨目之事。未蒙其仰若爾者 0000_,31,373b18(00):且爲專修堅固且爲謗家對治蒙其分決之状如件 0000_,31,373b19(00):二、金剛寶戒疑問者、或淨土宗學者云、付淨土宗有 0000_,31,373b20(00):一戒品所謂金剛寶戒是也。於諸宗戒品是異也。各各 0000_,31,373b21(00):口傳所傅之也。是吉水上人御房之傳也云云。小僧辨長 0000_,31,373b22(00):救云、吉水上人御房御義全以不然。淨土宗者、只彌陀 0000_,31,373b23(00):本願專修正行也。以此一行爲往生正路全以不兼餘 0000_,31,373b24(00):行。何以於此宗令付金剛寶戒哉云云。以前二ケ條。 0000_,31,373b25(00):爲決斷弟子之疑問爲對治諸宗謗難又爲停止一家 0000_,31,373b26(00):狼藉又爲印持末代專修上人御房御在世之時、錄子細 0000_,31,373b27(00):言上者也。早住哀愍慈悲之御心、決斷左右進退之是 0000_,31,373b28(00):非。賜御證判停止彼狼藉之僻見欲立此專修之一行 0000_,31,373b29(00):子細言上如件 0000_,31,373b30(00):元久三 月 日 沙門辨長 誠惶誠恐謹言 0000_,31,373b31(00):就之上人以自筆被勘付云、已上二ケ條、以外僻事也 0000_,31,373b32(00):源空全以如此事不申候。以釋迦彌陀爲證。更如然 0000_,31,373b33(00):僻事所不申候也云云。上人の常の仰には、山の住侶な 0000_,31,373b34(00):を契あるべし。況や辨阿甚深の同侶、後世菩提まで契 0000_,31,374a01(00):たりし人のありしが、源空が弟子となりて、八ケ年受 0000_,31,374a02(00):學せる也、と稱美せられける上に、淨土の法門におい 0000_,31,374a03(00):て、所存をのこさす候條は明にしられたり。何況すで 0000_,31,374a04(00):に誓文を被載畢。往生淨土の業因におきては、専修の 0000_,31,374a05(00):行なるべしと云事仰で信ずべし。聖光上人は、上人敎 0000_,31,374a06(00):訓の正義を傳へ、勸化更にあやまりなし。化導としふ 0000_,31,374a07(00):りて後、種種の奇瑞をあらはし、嘉禎四年閏二月二十 0000_,31,374a08(00):九日未尅。年來の所願によりて、一字三禮の自筆書寫 0000_,31,374a09(00):の阿彌陀經を持ながら端坐合掌し、稱名相續して最後 0000_,31,374a10(00):に光明遍照の一句をとなへ。眠がごとく往生し給き。 0000_,31,374a11(00):抑勢觀上人は少内府の六男備中守師盛の息也。幼稚の 0000_,31,374a12(00):昔より法然上人に内府奉りて、本尊聖敎以下悉皆附屬 0000_,31,374a13(00):にあづかり給ひし上は所立の法門において其疑なし。 0000_,31,374a14(00):然を聖光房所立の法門と、源智相承の義立と全くたが 0000_,31,374a15(00):はざりける歟。嘉禎三年九月廿一日に、聖光上人へ送 0000_,31,374a16(00):られける状に云、相互不見參候、年月多く積候。于 0000_,31,374a17(00):今存命、今一度見參、今生に難有覺候、哀候者歟。抑 0000_,31,374b18(00):先師之念佛之義、末流濁亂、義道不似昔不可説に候。 0000_,31,374b19(00):御邊一人正義傳持之由承及候。返返本懐候。喜悦無極 0000_,31,374b20(00):思給候。必遂往生本望。奉侍化導値遇緣候者也。以 0000_,31,374b21(00):便宜捧愚状、御報何之日拜見哉、他事短筆に難盡候、 0000_,31,374b22(00):恐恐謹言 0000_,31,374b23(00):九月二十一日 源智云云 0000_,31,374b24(00):其後、聖光上人附弟子然阿上人と、勢觀上人附法の弟 0000_,31,374b25(00):子蓮寂上人と、東山赤築地にして四十八日の談義をは 0000_,31,374b26(00):じめ、然阿上人を讀口として、兩流を校合せられしに 0000_,31,374b27(00):一として違する所なき間、日來勢觀上人の申されし事 0000_,31,374b28(00):符合せるによりて、予が門弟においては筑紫義に同ず 0000_,31,374b29(00):べし、更に別流を不可立、蓮寂上人約諾をなされし後 0000_,31,374b30(00):は、勢觀上人の門流を不立者也。當世筑紫義と號する 0000_,31,374b31(00):は、彼聖光上人の流也 0000_,31,374b32(00):天王寺西門事 0000_,31,374b33(00):高野の明遍僧都、上人所造の選擇集を見てよき文にて 0000_,31,374b34(00):侍れ共、偏執なる邊ありと思ひて、寢たる夜の夢に天 0000_,31,375a01(00):王寺の西門に病者數もしらずなやみふせり。一人の聖 0000_,31,375a02(00):ありて、鉢にかゆを入て匙をもちて病人の口ごとにい 0000_,31,375a03(00):る。誰人ぞと問ぱ、或人答て法然上人也と云と見てさ 0000_,31,375a04(00):めぬ。僧都思はく、我選擇集を偏執の文とおもひつる 0000_,31,375a05(00):を夢に示し給なるべし。此上人は機をしり時をしりた 0000_,31,375a06(00):る聖にてましましけり。病人の様は、始には柑子、橘 0000_,31,375a07(00):梨子、柿ていの物を食すれども、後には其もとどまり 0000_,31,375a08(00):ぬ。うきうきをもちて、のどをうるほすばかりに、命 0000_,31,375a09(00):をひかへて侍也。この書に一向に念佛を勸られたるに 0000_,31,375a10(00):たがはず。五濁濫漫の世には、佛の利益も次第に滅す 0000_,31,375a11(00):此比はあまりに代くだりて我等は重病の者のごとし。 0000_,31,375a12(00):三論法相の柑子、橘もくはれず、眞言止觀の梨子、柿 0000_,31,375a13(00):もくはれねば、念佛三昧のうきうきにて、生死を出べ 0000_,31,375a14(00):き也とて、上人へ參て懴悔し、專修念佛に入給ふにけ 0000_,31,375a15(00):り。夢にとりわきて、天王寺と見られけるも、由緖な 0000_,31,375a16(00):きにあらず。此寺は極樂補處の觀音大士、聖德太子と 0000_,31,375a17(00):生て、佛法を此國に弘め給へし最初の伽藍也。彼鳥居 0000_,31,375b18(00):の額にも釋迦如來、轉法輪所、當極樂土、東門中心と 0000_,31,375b19(00):かかれけり。和國に生をうけむ人は此念佛門に歸すべ 0000_,31,375b20(00):きなり 0000_,31,375b21(00):鎭西修行者以下問答事 0000_,31,375b22(00):鎭西より來れる修行者、上人に問奉りて曰、稱名の時 0000_,31,375b23(00):心を佛の相好にかくる事は、いかが候べきと申けるを 0000_,31,375b24(00):上人いまだ言説し給はざる先に、傍なる弟子、可然と 0000_,31,375b25(00):申ければ、上人曰、源空は不然、若我成佛、十方衆生 0000_,31,375b26(00):稱我名號、下至十聲、若不生者、不取正覺、彼佛今現 0000_,31,375b27(00):在世成佛、當知本誓、重願不虚、衆生稱念、必得往生 0000_,31,375b28(00):と思斗也。我等分齊をもて佛の相好を觀ずとも、更に 0000_,31,375b29(00):如説の觀にあらじ。ふかく本願を憑て只口に名號を唱 0000_,31,375b30(00):ふばかり、縦令ならざる行也とのたまへり。内外博覽 0000_,31,375b31(00):の上人なを如是、況淺智愚鈍の族をや。ゆめゆめさか 0000_,31,375b32(00):しき心をもたずして、只稱名を可勤也。又或人問奉て 0000_,31,375b33(00):云、人多く持齋を勸侍り。何様に存べく候やらんと。 0000_,31,375b34(00):上人曰く、尼法師の食の作法は尤可然。但當世は機己 0000_,31,376a01(00):におとろへ、食又減ぜり。此分齋にて一食ならば心偏 0000_,31,376a02(00):に食を思ひて念佛の心靜なるべからず。されば菩提心 0000_,31,376a03(00):經には、食不妨菩提。心能妨菩提といへり。持齋全 0000_,31,376a04(00):く往生の正業にあらず。只自身の分齊に隨て念佛に倦 0000_,31,376a05(00):べからず。懈怠なきほどをあひはからひて、念佛を相 0000_,31,376a06(00):續すべきなり。又或人問奉りて云、上人の申させ給御 0000_,31,376a07(00):念佛は、念念ごとに佛の御意にかなひなど申けるを、 0000_,31,376a08(00):いかなればと、上人返し問せ給ひければ、智者にてお 0000_,31,376a09(00):はしませば、名號の功德をも悉くしろしめし、本願の 0000_,31,376a10(00):樣をも明に御心得ある故にと申ける時。汝本願を信ず 0000_,31,376a11(00):る事まだしかりけり、彌陀如來の本願の名號は、木こ 0000_,31,376a12(00):り草かり、なつみ水くむ類ごときの、内外共にかけて 0000_,31,376a13(00):一文不通なるが、唱れば必生ると信じて眞實にねがひ 0000_,31,376a14(00):常に念佛申を最上の機とす。若知惠をもつて生死を可 0000_,31,376a15(00):離ば、源空いかでか彼聖道門を捨て、此淨土門に趣べ 0000_,31,376a16(00):きや。當知聖道門の修行は、智惠を究めて離生死淨 0000_,31,376a17(00):土門の修行は、愚痴に歸りて生極樂。又或は天台宗の 0000_,31,376b18(00):人問奉て云、佛敎多門にて生死を出る道一にあらず。 0000_,31,376b19(00):其中聖道門は法花に須臾聞之即得究竟ともいひ、取證 0000_,31,376b20(00):如反掌とも云へる一類頓悟の類は暫くこれを指置、敎 0000_,31,376b21(00):のおきてに付て、次位の階級を定め、修行の方軌を明 0000_,31,376b22(00):らめたるには、十信萬劫の修行を送りて後、無生忍の 0000_,31,376b23(00):位に叶と談ぜり。然を淨土門に十惡五逆つくる罪惡の 0000_,31,376b24(00):凡夫なれども、知識の敎をうけて、纔に一念十念の口 0000_,31,376b25(00):稱念佛によりて忽に報土得生益を得。刹那の間にたや 0000_,31,376b26(00):すく無生忍の位に叶といへる事、大に不審にて候。抑 0000_,31,376b27(00):六字の名號にていかなる功力の候へば、萬行にこえて 0000_,31,376b28(00):かかる不思議の奇特をば備候やらんと。上人答給はく 0000_,31,376b29(00):彌陀因位の時、一切衆生に代りて、兆載永劫の間、六 0000_,31,376b30(00):度萬行、諸波羅蜜の一切の行を修して、其功德を悉く 0000_,31,376b31(00):六字の名號に納られたる間、.萬行萬善諸波羅蜜、三世 0000_,31,376b32(00):十方の諸佛の功德の、六字の名號にもれたるはなし。 0000_,31,376b33(00):故に是を極善最上の法とも名く。されば惠心僧都の、 0000_,31,376b34(00):因行果德、自利利他、内證外用、依報正報、恆沙塵數 0000_,31,377a01(00):無邊法門、十方三世、諸佛功德、皆悉攝在、六字之中 0000_,31,377a02(00):是故稱名、功德無盡と判じ給へるは此心也。彌陀の本 0000_,31,377a03(00):願に、此名號を唱へて極樂に生れんと願はん衆生をば 0000_,31,377a04(00):聖衆とともに來て迎接すべし。此願若成就すまじくば 0000_,31,377a05(00):衆生とともに地獄に墮とも佛にはならじと。四十八の 0000_,31,377a06(00):ちかひ事を立給ひしに、此願己に成就する故に、成佛 0000_,31,377a07(00):し給て十劫以來也。故に極惡最下の罪人に、此名號を 0000_,31,377a08(00):唱ふれば、萬行萬善の功德を得、因位の本願にこたえ 0000_,31,377a09(00):て迎接し給はん。故に本願不思議の力にて、須臾の間 0000_,31,377a10(00):に報土に生て、刹那の程に無生の悟をひらかん事、な 0000_,31,377a11(00):にの疑かあるべきや。一念に無上の功德を得る名號也 0000_,31,377a12(00):更に一念十念の功少しとは不可思とぞ仰られける。惠 0000_,31,377a13(00):心の正觀の記の中に云、當知阿彌陀名號三字には、具 0000_,31,377a14(00):に備二千三百九十五卷大乘經、六百八十小卷乘經、五 0000_,31,377a15(00):十五卷大乘律、四百四十一卷小乘律、五百五十卷大乘 0000_,31,377a16(00):論、六百九十五卷小乘論、五百九十三卷賢聖集法門亦 0000_,31,377a17(00):具金剛界一千四百五尊、胎藏界五百三尊、蘇悉地七十 0000_,31,377b18(00):三尊故唱阿彌陀三字即唱五千三百十二卷一切聖敎 0000_,31,377b19(00):阿彌陀經に執持名號、爲大善根其意在斯、長舌證誠。 0000_,31,377b20(00):誰か不生信矣。又名號に萬法をおさむる事分明也。た 0000_,31,377b21(00):れか此義を疑はんや。又或人問奉て云、毎日の所作に 0000_,31,377b22(00):六萬十萬等の數遍を當て、しかも不法なると、二萬三 0000_,31,377b23(00):萬を當て如法なると、いづれを正とすべく侍ん。上人 0000_,31,377b24(00):の日、凡夫の習ひ、二萬三萬の數遍をあつと云とも更 0000_,31,377b25(00):に如法の義にあるべからず。只數遍の多からんにはし 0000_,31,377b26(00):かじ。所詮心をして相續せしめ、只常念の爲也。數を 0000_,31,377b27(00):定むるを要とするにあらず。數を定めざれば、懈怠の 0000_,31,377b28(00):因緣なれば、數遍をすすむる也と仰られけり。高野僧 0000_,31,377b29(00):都明遍は數遍は不實のきはまりとて、不受せられける 0000_,31,377b30(00):が、或時修行者一人來て、毎日の念佛は、いくらほど 0000_,31,377b31(00):を所作と定め侍らんと尋申けるに、御房はいくら程申 0000_,31,377b32(00):さるるぞと返し問れければ、百萬遍を申由を答ける時 0000_,31,377b33(00):例の不實の者よと思はれける間、返答に及ばずして内 0000_,31,377b34(00):へ入られにけり。修行者も歸りけり。僧都ちとまどろ 0000_,31,378a01(00):み給ふに、毎日百萬遍の行者をいひ妨る事、然るべか 0000_,31,378a02(00):らずとて、以外に氣色あしくして我は是善導也と仰ら 0000_,31,378a03(00):るるとみて驚きたれば、遍身に汗をながし、胸さわぎ 0000_,31,378a04(00):て身心おき所なく覺ければ、後、修行者を呼て懺悔せ 0000_,31,378a05(00):む爲に手わけして山中を尋けれども、見えず成にけれ 0000_,31,378a06(00):ば、時尅をも隔ず、たとひ下向すともいく程のぶべか 0000_,31,378a07(00):らずとて、使ども走立て追けれども、遂に見えざりけ 0000_,31,378a08(00):れば、僧都申されけるは、日來ははやくりの數遍を不 0000_,31,378a09(00):受する事、佛意にそむく間、告示されける也。實の修 0000_,31,378a10(00):行者にはあらざりけりと、其後は百萬遍の數遍をせら 0000_,31,378a11(00):れけるが、手に念珠をまはすはおそしとて、木をもち 0000_,31,378a12(00):て念珠をふりまわして數をとられければ、明遍のふり 0000_,31,378a13(00):ふり百萬遍とぞ人申ける。所詮上人も念佛相續の爲に 0000_,31,378a14(00):數遍をすすむる由、仰られけるうへは、仰で信をとる 0000_,31,378a15(00):べし。及ばざる意樂をおこして數遍を難ずる事なかれ 0000_,31,378b16(00):法然上人傳記卷第四上 0000_,31,378b17(00):羅城門礎事 0000_,31,378b18(00):正治二年四月十二日、農夫羅城門の前の田耕作せし時 0000_,31,378b19(00):礎の石を掘出す事有けり。此石に文字あり、農夫あや 0000_,31,378b20(00):しみて人にかたる。月輪殿是をきこしめされて、成信 0000_,31,378b21(00):孝範、爲長、宗業の四人の儒者を遣はして見せられけ 0000_,31,378b22(00):るに、三人一向に是をよまず。孝範一人は年號計をよ 0000_,31,378b23(00):めり。各各歸參して此文更文道の事にあらず。佛法の 0000_,31,378b24(00):事かと申けるに、春日中將を御使として、法然上人へ 0000_,31,378b25(00):仰られければ、上人彼所へ向て是を見給ひて後、落涙 0000_,31,378b26(00):甚し。しばらく有て、腰より檜木の骨の紙扇をとり出 0000_,31,378b27(00):して、是をうつして持參せらる。彼文云、前代所傳皆 0000_,31,378b28(00):是聖道、上人敎法、未弘我朝者此宗旨也。大同二年中 0000_,31,378b29(00):春十九日執筆、嵯峨帝國母云云。文の心を御尋ありける 0000_,31,378b30(00):に、上人のたまはく、大同年中には、淨土敎門未本朝 0000_,31,378b31(00):にわたらざりしかば、聖道門に對して淨土門を、未吾 0000_,31,379a01(00):朝にひろまらざるは此宗旨也とは云給へり。此國母は 0000_,31,379a02(00):韋提希夫人の再誕也。不審候はずとぞ仰られける。此 0000_,31,379a03(00):石は長六尺、廣四尺、文字八寸、古文の字也、宇治の 0000_,31,379a04(00):寳藏にぞ納められける、まことに不思議にこそ 0000_,31,379a05(00):淨土宗興行事 0000_,31,379a06(00):上人の談義の砌にて語て曰、我今淨土宗を立る意趣は 0000_,31,379a07(00):凡夫の往生を示さんが爲也。若天台の敎相によれば、 0000_,31,379a08(00):凡夫往生をゆるすに似たりといへども、淨土を判ずる 0000_,31,379a09(00):事至て淺薄也。若法相の敎相によれば、淨土を判ずる 0000_,31,379a10(00):事甚深也といへども、全く凡夫往生をゆるさず。諸宗 0000_,31,379a11(00):門の所談異也といへども、惣て凡夫報土に生ずと云事 0000_,31,379a12(00):をゆるさず。故に善導の釋義に依て淨土宗を興する時 0000_,31,379a13(00):即凡夫報土に生るといふこと顯るる也。爰に人多く誹 0000_,31,379a14(00):謗して云、必宗義を不立とも念佛往生を勸むべし、今 0000_,31,379a15(00):宗を立こと、只是勝他の爲也と。若別の宗義をたてず 0000_,31,379a16(00):ば、何凡夫報土に生るる義をあらはさんや。若人來て 0000_,31,379a17(00):念佛往生は、是何の敎、何の宗、何の師の心ぞと問は 0000_,31,379b18(00):ば、天台にもあらず、法相にもあらず、三論にも非ず 0000_,31,379b19(00):花嚴にもあらす、何の宗、何の敎、何の師の意とか答 0000_,31,379b20(00):へんや。是故に道綽、善導の意に依て、淨土宗を立、 0000_,31,379b21(00):これ全く勝他の爲にあらずといふべしとぞ 0000_,31,379b22(00):信寂房の事 0000_,31,379b23(00):播磨信寂房、上人へ參たりけるに、上人曰けるやう、 0000_,31,379b24(00):入道ここに宣旨の二侍るを、取ちがへて筑紫の宣旨を 0000_,31,379b25(00):ば坂東へ下し、坂東の宣旨をば鎭西へくだしたらんに 0000_,31,379b26(00):は、人用べきかと。信寂房且く案じて宣旨にて侍れど 0000_,31,379b27(00):も、たがへたらんをばいかが用べきと申ければ、御房 0000_,31,379b28(00):は道理を知る人かな、やがてさぞ、帝王の宣旨とは釋 0000_,31,379b29(00):迦の遺敎也。宣旨二ありと云は正像末の三時の遺敎也 0000_,31,379b30(00):聖道門の修行は正像の時の敎なるが故に、上根上智の 0000_,31,379b31(00):輩にあらざれば用べからず、是を西國中國の宣旨とす 0000_,31,379b32(00):淨土門の修行は末法濁亂の時敎也。故に下根罪惡の輩 0000_,31,379b33(00):を器とする也、是を奧州の宣旨とす。然則三時相應の 0000_,31,379b34(00):宣旨、是を取たがへずば、敎として何の行か成ぜざら 0000_,31,380a01(00):んや。大原にして聖道淨土の論談ありしに、法門は牛 0000_,31,380a02(00):角の論なりしかども機根くらべには源空は勝たりき。 0000_,31,380a03(00):聖道門は深といへども、時過ぬれば今の機に叶ず。淨 0000_,31,380a04(00):土門は淺に似たりといへども、當根に叶易しといひし 0000_,31,380a05(00):時、末法萬年、餘敎悉滅、彌陀一敎、利物偏增の道理 0000_,31,380a06(00):にをれて人みな承諾し、念佛門に歸せり。然を今諸方 0000_,31,380a07(00):の道俗を見聞するに、多く有名無實の行を面に立て、 0000_,31,380a08(00):互に嫉妬の瓦礫荊蕀みちふさがりて、眞實の白道さへ 0000_,31,380a09(00):たり。是豈悲の切なるにあらずや 0000_,31,380a10(00):敎阿彌陀佛事 0000_,31,380a11(00):河内國に天野四郎とて大強盜の張本にて、人を殺し財 0000_,31,380a12(00):をかすむるを業として世をわたる物ありける。歳漸に 0000_,31,380a13(00):闌て後、上人の念佛弘通の趣を承て心を發し、出家し 0000_,31,380a14(00):て敎阿みだ佛とて、左右なき念佛者に成て、常には上 0000_,31,380a15(00):人へ參て念佛の法門を承けるが、或時上人へ參てける 0000_,31,380a16(00):に、人一人もなかりければ、今夜は御とぎ仕らんとて 0000_,31,380a17(00):留ぬ。靜まりて後、夜半ばかりと覺る程に、上人やは 0000_,31,380b18(00):らおき居て如法しのびやかに息の下に念佛し給かとお 0000_,31,380b19(00):ぼしき事有けり。能能忍び給ふ氣色を知てつつむとす 0000_,31,380b20(00):れどかなはずして、敎阿彌陀佛、しはぶきしたりけれ 0000_,31,380b21(00):ば、此僧にしられぬとおぼしたる氣色にて、上人打臥 0000_,31,380b22(00):たまひて寢入たるよしにて其夜もあけぬ。敎阿みだ佛 0000_,31,380b23(00):は、此行法の樣を聞ておぼつかなさ限なけれど憚を存 0000_,31,380b24(00):て尋ね申さず。さて遙に程經て後又參ければ、上人は 0000_,31,380b25(00):持佛堂に御座して聲を聞給ひて敎阿み陀佛か、何事ぞ 0000_,31,380b26(00):これへと仰られければ、持佛堂の緣に參りて敎阿み陀 0000_,31,380b27(00):佛は淺間しく無緣のものにて侍る間、在京もなど叶が 0000_,31,380b28(00):たく侍れば、相模國河村と申所に、相知たる者の侍る 0000_,31,380b29(00):憑て罷侍べし。今は歳も罷よりて侍れば、又見參に入 0000_,31,380b30(00):べしとも覺え侍らず。本より無智の者にて侍れば甚深 0000_,31,380b31(00):の法門を承て候とも、其甲斐あるべし共覺候はず。只 0000_,31,380b32(00):詮を取て決定往生仕べき樣の御一言を蒙らんと申けれ 0000_,31,380b33(00):ば。上人の日、先念佛には甚深の義といふことなし。 0000_,31,380b34(00):念佛申者はかならず往生すと知計也。いかなる智者學 0000_,31,381a01(00):生といふとも、宗にあらざらん甚深の義をば、爭造出 0000_,31,381a02(00):していふべきや。甚深の義あらんと云事、ゆめゆめ疑 0000_,31,381a03(00):思ふべからず。但念佛は易き行なれば、申人は多けれ 0000_,31,381a04(00):ども、往生する者少きは、決定往生の故實をしらぬ故 0000_,31,381a05(00):也。去月に又人もなくして御房と源空と只二人有しに 0000_,31,381a06(00):夜半計に忍やかに起居て念佛せしをば、御房はきかれ 0000_,31,381a07(00):しなと仰られければ、寝耳にさやらんと承候きと申け 0000_,31,381a08(00):れば、其こそ軈て決定往生の念佛よ。虚假とてかざる 0000_,31,381a09(00):心にて申念佛は往生せぬ也。決定往生せんと思ふには 0000_,31,381a10(00):かざる心なくして誠の心にて申べし。いふにかひなき 0000_,31,381a11(00):をさなきもの、もしは畜生などに向ては、かざる心は 0000_,31,381a12(00):なけれども、朋同行はいふに及ぱんか、其外常になれ 0000_,31,381a13(00):る妻子眷屬なればとも、東西辨る程の者に成ぬれば、 0000_,31,381a14(00):其が爲にかならずかざる心は起る也。人の中にすまん 0000_,31,381a15(00):には其心なき凡夫はあるべからず。すべて親も疎も貴 0000_,31,381a16(00):も賤も、人に過たる往生の怨はなし。其が爲にかざる 0000_,31,381a17(00):心を發して、順次の往生を遂ざれば也。さりとて獨居 0000_,31,381b18(00):も叶すいかがして人目をかざる心なくして、誠の心に 0000_,31,381b19(00):て念佛を申べきと云に、常に人に交てしづまる心もな 0000_,31,381b20(00):く、かざる心もあらん者は、夜さしふけて見る人もな 0000_,31,381b21(00):く、聞人もなからん時、忍やかに起居て百遍にても千 0000_,31,381b22(00):遍にても多少心にまかせて申さん念佛のみぞ、かざる 0000_,31,381b23(00):心もなければ、佛意に相應して決定往生は遂べき。此 0000_,31,381b24(00):心を得なば、必しも夜にも不限、朝にても畫にても暮 0000_,31,381b25(00):にても、人の聞ひまなからん所にて常には如此申べし 0000_,31,381b26(00):所詮決定往生を欣。眞の念佛申さんずるかざらぬ心ね 0000_,31,381b27(00):は、たとへば盜人有て、人の財を思かけてぬすまんと 0000_,31,381b28(00):思ふ心は底に深けれども、面はさりげなき様にもてな 0000_,31,381b29(00):し、構てあやしげなる色を、人に見えじと思はんがご 0000_,31,381b30(00):とし。其盜心は人全くしらぬば、すこしもかざらぬ心 0000_,31,381b31(00):也。決定往生せんずる心も又如此。人多くあつまり居 0000_,31,381b32(00):たる中にても、念佛申色を人に見せずして、心に忘る 0000_,31,381b33(00):まじき也。其時の念佛は佛ならでは、誰か是を知べき 0000_,31,381b34(00):佛しらせ給はば、往生何ぞ疑はんと仰られければ、敎 0000_,31,382a01(00):阿みだ佛申言、決定往生の法門こそ心得候ぬれ。既に 0000_,31,382a02(00):悟りきはめ侍り。今聊の不審も侍らず。此仰を承ざら 0000_,31,382a03(00):ましかば、此度の往生あやぶく候なまし。但此仰のご 0000_,31,382a04(00):とくにては、人の前にて念珠をくり、口をはたらかす 0000_,31,382a05(00):事は有まじくや候らんと。上人曰、其又僻事也。念佛 0000_,31,382a06(00):者の本意は常念を詮とす。されば念念相續せよとこそ 0000_,31,382a07(00):勸られたれ。たとへば世間の人を見るに、同人なれど 0000_,31,382a08(00):も豪臆あひわかれて、臆病の人に成ぬれば、身の爲め 0000_,31,382a09(00):くるしかるまじき聊のいかりをも、おぢをそれてにげ 0000_,31,382a10(00):かへる。豪の者に成ぬれば、命を失ふべきこはきてき 0000_,31,382a11(00):の、しかも迯かくれなば、助るべきなれ共、少も恐れ 0000_,31,382a12(00):ず、一しざりもせざるがごとし。是が様に眞僞の二類 0000_,31,382a13(00):あり。地體いつはり性にしてかざる心ある者は、身の 0000_,31,382a14(00):爲に要なき聊の事をも、必ずいつはりかざる也。もと 0000_,31,382a15(00):より眞の心ありて虚言せぬ者は、聊の矯餝して、身の 0000_,31,382a16(00):爲に大きに其益有べき事なれども、身の利益をばかへ 0000_,31,382a17(00):り見ず。底に眞ありて少もかざる心なし。本性にかけ 0000_,31,382b18(00):て生れたる所也。その實の心の者の往生せんと思ひて 0000_,31,382b19(00):念佛に歸したらんには、いか成所、いか成人の前にて 0000_,31,382b20(00):申とも、すこしもかざる心あるまじければ、是眞實の 0000_,31,382b21(00):念佛にして、決定往生すべき也。何ぞ是をいましめん 0000_,31,382b22(00):又地體は僞性にして、世間さまに付ては、聊不實の事 0000_,31,382b23(00):も有しかども、知識にあひて發心して往生せんとおも 0000_,31,382b24(00):ふ心深く成ぬれば、念念相續もせんと思ひて、いかな 0000_,31,382b25(00):る所、いか成人の前にても、無想にひた申に申さん者 0000_,31,382b26(00):是又眞實の念佛なれば、決定往生すべき也。全く制の 0000_,31,382b27(00):限にあらず。今云所は三心の中に一心も闕ぬれば、往 0000_,31,382b28(00):生せずと釋し給へるに、三心の中の眞實心、人毎に發 0000_,31,382b29(00):し難ければ、其眞實心を發べき様を云ばかり也。され 0000_,31,382b30(00):ばとて只の時念佛な申そとは、いかが勸むべきと。ま 0000_,31,382b31(00):た敎阿彌陀佛申て云、さきに仰の侍つる程に、夜念佛 0000_,31,382b32(00):申さんには必ず起居侍べきか。又念珠袈裟をとり侍べ 0000_,31,382b33(00):きかと。上人曰、念佛の行は行佳坐臥をきらはぬ事な 0000_,31,382b34(00):れば、ふして申さんとも居て申さんとも心にまかせ時 0000_,31,383a01(00):によるべし。念珠をとり、けさをかくる事も折により 0000_,31,383a02(00):て心に隨べし。只所詮威儀はいかにもあれ。此度構て 0000_,31,383a03(00):往生せんと思ひて、實しく念佛申さんのみぞ大切なる 0000_,31,383a04(00):と仰られければ、敎阿みだ佛、歡喜踊躍して、合掌禮 0000_,31,383a05(00):拜して罷出にけり。翌日に法蓮房信空のもとへ行て、 0000_,31,383a06(00):敎阿彌陀佛こそ坂東の方に修行し侍れ。昨日上人授さ 0000_,31,383a07(00):せ給へる決定往生の義とて申出して、今度の往生は少 0000_,31,383a08(00):も疑なき由悦申て、その翌日東國へ下向しぬ。其後、 0000_,31,383a09(00):上人御前にて、信空上人此事を申出して、さる事の侍 0000_,31,383a10(00):けるやらんと申されければ、其事也。さる舊盜人と聞 0000_,31,383a11(00):置たりし間、對機説法して侍りき。一定心得たりける 0000_,31,383a12(00):にこそ見えしかとぞ仰せられける。敎阿彌陀佛は、坂 0000_,31,383a13(00):東にくだりて、幾程もなくて所勞つきて、最後の時、 0000_,31,383a14(00):同行に語言、わが往生は決定也。是則上人の仰のすゑ 0000_,31,383a15(00):を信じて往生の故實を存知したる故也。往生の樣必上 0000_,31,383a16(00):人へ申せと遺言して正念に住し、念佛數十遍唱ておは 0000_,31,383a17(00):りにけり。遺言にまかせてやがて、同行京へ上て往生 0000_,31,383b18(00):の樣をくわしく上人に申ければ、よく心得たりと見え 0000_,31,383b19(00):しが、相違せざりけりとて仰られけるは、今生には大 0000_,31,383b20(00):惡黨の張本として、人を殺し財を奪を業として、人に 0000_,31,383b21(00):過たる罪人なれば、先業の修因、又惡のきはまりなる 0000_,31,383b22(00):事暗にしられたりける罪人なれ共、本願の念佛に歸し 0000_,31,383b23(00):ぬれば往生に障なし。況其餘の人をや。またく罪の輕 0000_,31,383b24(00):重をいふべからず。只念佛を申べきなりとぞ 0000_,31,383b25(00):女人往生願事 0000_,31,383b26(00):或時宮仕人かとおぼしくて、尋常なる尼女房達あまた 0000_,31,383b27(00):友なひて、上人へまいりて罪ふかき我等ごときの五障 0000_,31,383b28(00):の女人も念佛を申さば、極樂に往生すべきよし仰の候 0000_,31,383b29(00):なるは、誠にて侍るやらん。明に承度よし申ければ、 0000_,31,383b30(00):仰られけるは彌陀の大願をたのますより外は、女人更 0000_,31,383b31(00):に往生の望を遂べからず。大願の忝事を能能きかるべ 0000_,31,383b32(00):し。女人は障重く罪深が故に、一切の所にはみな嫌た 0000_,31,383b33(00):り。是則内に五障あり。外に三從あるが故也。五障と 0000_,31,383b34(00):いへるは、一には梵天王とならず、二には帝釋となら 0000_,31,384a01(00):ず、三には魔王とならず、四には轉輪王とならず、五 0000_,31,384a02(00):には佛身とならずといへり。既に大梵高臺の閣にも嫌 0000_,31,384a03(00):はれて、梵衆、梵輔の雲をのぞむ事なく、帝釋柔軟の 0000_,31,384a04(00):床にもくだされて、三十三天の花をもてあそぶ事な 0000_,31,384a05(00):し。六天魔王位、四種輪王の跡、望なくたえて、影を 0000_,31,384a06(00):ささざれば、天上天下の賤き果報、無常生滅の拙き身 0000_,31,384a07(00):にだにも成ず。況諸佛の淨土おもひよるべからず。日 0000_,31,384a08(00):本國にだにも、貴くやごとなき靈地靈驗の砌には、皆 0000_,31,384a09(00):皆悉くきらはれたり。所謂比叡山は傳敎大師の建立、 0000_,31,384a10(00):桓武天王の御願なり、大師自結界して、谷をさかひ峰 0000_,31,384a11(00):を限て、女人の形を入られざれば、一乘の峰たかく顯 0000_,31,384a12(00):て、五障の雲たなびく事なく、藥師醫王の靈像は、耳 0000_,31,384a13(00):に聞きて目には見ず。大師結界の靈地は、遠くみて近 0000_,31,384a14(00):くのぞまず。高野山は弘法大師結界の峯、眞言上乘繁 0000_,31,384a15(00):昌の地也。三密の月輪遍く照といへども、女人非器の 0000_,31,384a16(00):やみをば不照、五瓶の智水ひとしく流と云へども女人 0000_,31,384a17(00):垢穢のあかをば灌がず。聖武天王の御願、十六丈金銅 0000_,31,384b18(00):の舎那の前には、遙にこれを拜見すといへ共、なを扉 0000_,31,384b19(00):の内には入られず。天智天王の建立、五丈石像の彌勒 0000_,31,384b20(00):のまへには仰て是を禮拜すれ共、なを壇の上には障り 0000_,31,384b21(00):あり。金峰山の雲の上、醍醐の霞の底までも、女人更 0000_,31,384b22(00):にかげをささず。悲哉、兩足ありといへども、登ざる 0000_,31,384b23(00):峰あり、ふまざる佛の庭あり。恥哉、兩眼明かなりと 0000_,31,384b24(00):いへども、見ざる靈地有、拜せざる靈像あり。此穢土 0000_,31,384b25(00):の瓦礫荊棘の山澤、泥木素像の佛にだにも、なを其障 0000_,31,384b26(00):ある程の罪重き身なれば、諸經諸論の中にも嫌はれ、 0000_,31,384b27(00):在在所所にも擯出せられて、三途八難にあらざるより 0000_,31,384b28(00):は趣くべき方もなく、六趣四生にあらざるよりは受べ 0000_,31,384b29(00):き形もなし。されば道宣は經を引て十方世界に女人あ 0000_,31,384b30(00):る所には必地獄ありと釋じ給へり。如此三世諸佛にも 0000_,31,384b31(00):捨はてられ、十方淨土にも門をさされたる罪惡の女人 0000_,31,384b32(00):をば、只彌陀のみぞ助救はんといふ願を發給へる。誠 0000_,31,384b33(00):に、憑しかるべき者なり。所謂四十八願の中の第十八 0000_,31,384b34(00):の念佛往生の願に、十方衆生、至心信樂、欲生我國、 0000_,31,385a01(00):乃至十念、若不生者、不取正覺とちかひ給へば、一切 0000_,31,385a02(00):善惡の男女皆是にもれたるはなけれども、第三十五の 0000_,31,385a03(00):願に別して女人往生の願を立給へり。是則女人は一切 0000_,31,385a04(00):の事においてうたがひをなす間、十方衆生とちかひ給 0000_,31,385a05(00):へども、罪ふかき女人はよも入じと疑て、念佛往生の 0000_,31,385a06(00):やくにもれぬべきがゆへに、別して女人往生の願をば 0000_,31,385a07(00):建給へる也。拙き穢土の境にだにも猶嫌はれて障重き 0000_,31,385a08(00):女人なれども、本願をたのみて名號を唱へば、出過三 0000_,31,385a09(00):界萬德究竟の報土に迎へとらんと願じたまへる廣大慈 0000_,31,385a10(00):悲の忝なきは、申に詞をもつて述難き者也。善導和尚 0000_,31,385a11(00):今の女人往生の願を釋し給へるには、彌陀の大願力に 0000_,31,385a12(00):乘ずるが故に、女人佛の名號を稱すれば、命終の時、 0000_,31,385a13(00):女身を轉じて男子と成事を得て、彌陀手を授け、菩薩 0000_,31,385a14(00):身を扶て寳花のうへに座せしめ、佛にしたがひ奉て、 0000_,31,385a15(00):往生して無生を悟とも釋し、又一切の女人、若彌陀の 0000_,31,385a16(00):本願力によらずば、千劫萬劫恆沙劫を經ても、速に女 0000_,31,385a17(00):身を轉ずる事を得べからずとも釋し給へり。此度彌陀 0000_,31,385b18(00):の本願にすがりて極樂にまいらずしては、無量劫にも 0000_,31,385b19(00):女人をば轉ずべからず。無始より以來女人の身を受た 0000_,31,385b20(00):りき。今より後なを六道四生に輪廻せん間も、形をか 0000_,31,385b21(00):へ質をあらたむといふこと有とも、なを女身をうけ、 0000_,31,385b22(00):一切心にまかせざらんは悲かるべき事也。況女身を改 0000_,31,385b23(00):ざるのみにも非ず、三途八難の底に沈て重苦をうけん 0000_,31,385b24(00):事、後悔す共誰か是を救はん。今幸に彌陀の本願にあ 0000_,31,385b25(00):ひ奉て、名號を唱斗の行によりて、最後臨終に男子の 0000_,31,385b26(00):身となされまいらせて彌陀如來の御迎にあづかり、觀 0000_,31,385b27(00):音、大勢至の金蓮に乘じ、無數化佛、無量の聖衆に圍 0000_,31,385b28(00):繞せられ奉て須臾の間に無漏の報土に往生する時、三 0000_,31,385b29(00):惑頓につき、二死永く除き、長夜ここにあけ、覺月正 0000_,31,385b30(00):に圓なり。四智圓明の春の花には三十二相の色あざや 0000_,31,385b31(00):かにひらけ、三身即一の秋の空には八十種好の月淸く 0000_,31,385b32(00):すめる。位は妙覺高貴の位、四海灌頂の法王也。形は 0000_,31,385b33(00):佛果圓滿の形、三點法性の聖容にして、無邊の快樂に 0000_,31,385b34(00):ほこらん事は、豈悦にあらずや。努努念佛に物うかる 0000_,31,386a01(00):べからず。惡道に墮て萬の苦をうけんよりは、やすき 0000_,31,386a02(00):念佛を申て樂を得べき物なりとて、本願の貴く憑敷次 0000_,31,386a03(00):第をかきくどきのたまひければ、其座に侍ける女房共 0000_,31,386a04(00):皆泪をながして、念佛の門に入りにけり。是を傳きか 0000_,31,386a05(00):ん女人、寧念佛にいさみなからんや 0000_,31,386a06(00):作佛房往生の事 0000_,31,386a07(00):遠江國に作佛房といへる山臥侍りき。役行者の跡をお 0000_,31,386a08(00):ひ、山林斗藪の行を立て大峯を經歴すること數ケ度、 0000_,31,386a09(00):惣じて熊野參詣の歩をはこぶ事四十八度也。偏に後生 0000_,31,386a10(00):の事を祈て曾て現世の望なし。證誠殿に通夜して年來 0000_,31,386a11(00):いのる處は只是後世菩提也。早出離の道を示し給へと 0000_,31,386a12(00):祈請しけるに、當時京都に法然房と云ふ聖あり、行て 0000_,31,386a13(00):出離の道を尋べしと示現を蒙て、即上洛して上人に參 0000_,31,386a14(00):りて、淨土の法門を學し、念佛往生の道を承定て後、 0000_,31,386a15(00):本國に還て稱名の外他事なし。本より孤獨の身なれば 0000_,31,386a16(00):同行もなし、知識もなし、病をうけざれば苦みなし。 0000_,31,386a17(00):療治の煩なし、往生の期至ければ、道場に入て西に向 0000_,31,386b18(00):ひて自ら鐘をならし、高聲念佛數尅、端坐合掌して往 0000_,31,386b19(00):生を遂き。紫雲に驚き異香に付て諸人集來緣を結ぶ。 0000_,31,386b20(00):希代の不思議、國中の口遊にてぞありける。抑熊野山證 0000_,31,386b21(00):誠權現は本地阿彌陀如來也。神明と顯て無福の衆生に 0000_,31,386b22(00):福をあたへんとちかひ給へるも。せめてもじひの餘に 0000_,31,386b23(00):貪欲至盛にして偏に今生の榮耀にほだされながら、後 0000_,31,386b24(00):生の苦患を忘れたる衆生の、人身を受たるしるしもな 0000_,31,386b25(00):く、此たび本願にもれて尚惡道に歸るべき輩を救はん 0000_,31,386b26(00):が爲の濟度の方便なれば、當山に參て後世菩提を祈る 0000_,31,386b27(00):人は、流にさほさすがごとし。本願の正意に相叶故に 0000_,31,386b28(00):一人としても順次に生死を出ざるはなし。されば當山 0000_,31,386b29(00):に九品の鳥居を立られたるは、九品引接の御本意を顯 0000_,31,386b30(00):さるる所也。然ば當山參詣の人は、内には本地の悲願 0000_,31,386b31(00):をたのみ、外には垂跡の擁護を仰て、只偏に順次の往 0000_,31,386b32(00):生の志を先とすべき也。凡は當山にも不限、神明の利 0000_,31,386b33(00):生、和光の方便は、何も皆本地寂光の城より入重玄門 0000_,31,386b34(00):の里に出で、罪惡の凡夫に近づき、無漏の淨刹に導ん 0000_,31,387a01(00):がため也。其中に天照大神は本朝諸神の父母也。生る 0000_,31,387a02(00):をば生氣といひて五十日をいみ、死をば死氣といひて 0000_,31,387a03(00):又五十日をいむ。死は生より來る。生は死の初なる故 0000_,31,387a04(00):に、死生ともに同日數を忌るるは、流轉生死の有漏の 0000_,31,387a05(00):里を厭すてて、不生不滅の無漏の都に尋入と也。本迹 0000_,31,387a06(00):雖殊不思議一なれば、生死解脱の本意かはる事なし。 0000_,31,387a07(00):されは漢家には佛法をひろめんが爲に、儒童、迦葉、 0000_,31,387a08(00):定光三人の菩薩。孔子、老子、顏回と生て、先外典を 0000_,31,387a09(00):もて人の心を和げ、後に佛法を流布せしかば、人皆是 0000_,31,387a10(00):を信じき。我朝には和光明神、先跡を垂て人のあらき 0000_,31,387a11(00):心を和げて、佛法を信ずる方便とし給へり。靑き事は 0000_,31,387a12(00):藍より出で、藍よりも靑し。貴きことは佛より出で佛 0000_,31,387a13(00):よりも貴は、只是和光明神の利益也。我朝の古德みな 0000_,31,387a14(00):寺を立給ひし時、必ず先鎭守を崇め、守護神を勸請す 0000_,31,387a15(00):る事は、和光の方便を離ては佛法立難き故也。吾國に 0000_,31,387a16(00):生を受けん人は本地の深き利益を仰ぎ、和光の深き方 0000_,31,387a17(00):便を信ずべき者也。遠事は且くおく。承久逆亂の時、 0000_,31,387b18(00):諸國庄薗おだしき所なかりしかば、あやしの賤男、賤 0000_,31,387b19(00):女までも、みな家を捨て、佛寺の帳内にこもり、里を 0000_,31,387b20(00):離て神社のつゐ垣のうちにあつまりき。尾張國あつ田 0000_,31,387b21(00):の社に、國中上下羣集せし中に、或は昨日親におくれ 0000_,31,387b22(00):たるものもあり、或は今日子を生る者もあり。神宮宮 0000_,31,387b23(00):人しきりに制止すれどもかなはざりしかば、大明神を 0000_,31,387b24(00):おろし奉りて御託宣を仰べしとて、御神樂をまいらせ 0000_,31,387b25(00):諸人同心に祈請せしに、一の禰宜に託して、我天より 0000_,31,387b26(00):下て此國に跡をたるる事は、萬人をはぐくまんが爲也 0000_,31,387b27(00):然に今天魔國を亂り、人民心を失へり。和光の擁護豈 0000_,31,387b28(00):此時にあらずや。折にこそよれ、忌まじきぞと仰られ 0000_,31,387b29(00):しかば、諸人一同に聲をあげて渇仰の涙をながし、隨 0000_,31,387b30(00):喜の袖をしぼりき。是全く後世の資糧にあらずといへ 0000_,31,387b31(00):ども、時に當て擁護如此、何況後世菩提をいのらんに 0000_,31,387b32(00):おきておや。されば今生をいのるよりも、後生を申を 0000_,31,387b33(00):殊に明神納受し給ふ證據、少少是を出さば、昔園城寺 0000_,31,387b34(00):山門の爲に燒拂はれて堂塔僧坊佛像經卷殘所なかりし 0000_,31,388a01(00):かば、寺僧も山野にまよひ靈地も礎の跡のみ殘りし。 0000_,31,388a02(00):或寺僧一人、新羅大明神へまいりて通夜したりし夜の 0000_,31,388a03(00):夢に、神殿御戸をひらきて御心地よげに見えさせ給け 0000_,31,388a04(00):れば、此寺の佛法を守らむと御誓あり。寺門の滅亡い 0000_,31,388a05(00):かばかりか御歎も深からんと存ずるに、何事にか御氣 0000_,31,388a06(00):色快然なるやと申ければ、誠に其歎き深しといへども 0000_,31,388a07(00):此事によりて眞實道心を發せる寺僧一人ある事のよろ 0000_,31,388a08(00):こばしき也。堂舍佛閣は財寶あらば作ぬべし。菩提心 0000_,31,388a09(00):を起せる人は千萬人の中にも稀なるべしと仰らるると 0000_,31,388a10(00):見て夢覺ぬ。後彼僧も軈て發心して實の道に入にき。 0000_,31,388a11(00):山門の桓舜僧都と云ひし者、貧道無力を歎て山王に祈 0000_,31,388a12(00):請せしに、其しるしなかりしかば、山王を恨奉て、離 0000_,31,388a13(00):山して稻荷の社に祈請せし時、千石と云ふ札を、額に 0000_,31,388a14(00):おさせたもふと、夢に見て悦思ふ處に、後日の夢に日 0000_,31,388a15(00):吉山王の御制止あれば、先の札を召返す也と示し給ふ 0000_,31,388a16(00):間、夢の中に申けるは、我御斗こそましまさざらめ。 0000_,31,388a17(00):よ所の御惠をさへお障礙こそ心得がたく侍れと申時、 0000_,31,388b18(00):我は小神にて思ひもわかず。日吉は大神にて知らせ給 0000_,31,388b19(00):ふ故に、桓舜は此度生死を離るべきもの也。若今生の 0000_,31,388b20(00):榮花あらば、障と成て出離かたかるべき故に、申とも 0000_,31,388b21(00):聞入ぬ也と仰の侍れば、取返すなりと仰られける時、 0000_,31,388b22(00):夢の心地にも實に深き御慈悲の程の辱なく覺えければ 0000_,31,388b23(00):夢覺て後やがて本山に歸りて、一筋に後生菩提を祈て 0000_,31,388b24(00):遂に往生遂き。行基菩薩の御遺誡に、一世の榮花利養 0000_,31,388b25(00):は多生輪廻の基也と書れたるも、思合られ侍り。後世 0000_,31,388b26(00):を祈る、實の道に入を感應有事は何の神も皆同御心也 0000_,31,388b27(00):其にとりて出離の道區區也と雖ども、末世相應の念佛 0000_,31,388b28(00):を勸て往生を祈を、誠に神明の御本意とし給へり。其 0000_,31,388b29(00):證據少少是をいださば、日吉山王の社頭に不斷念佛を 0000_,31,388b30(00):初め置かるべきの由、保延三年八月廿三日の夜、東塔 0000_,31,388b31(00):の慈門坊賢運が夢に示し給て聖眞子の社に不斷念佛を 0000_,31,388b32(00):初め置て後、第三日の夜、横川の般若谷の玉泉坊、此 0000_,31,388b33(00):念佛結緣の爲に、通夜して念佛を勤しに、行道の間立 0000_,31,388b34(00):ながらちと睡眠せる夢に、神殿のみすをかかげて、貴 0000_,31,389a01(00):僧の體に覺へて 0000_,31,389a02(00):ちはやふる玉のすだれをまきあげて 0000_,31,389a03(00):念佛のこゑを聞ぞうれしき 0000_,31,389a04(00):と示されける。御聲を通夜したる人兩三人、或はねぶ 0000_,31,389a05(00):りて夢の内に是をきく人もあり、或はふしながら現に 0000_,31,389a06(00):これを聞人もあり。互に是をかたりて神明の感應を喜 0000_,31,389a07(00):び、渇仰の頭を傾ける。傳聞諸人我をとらじと念佛を 0000_,31,389a08(00):勤めける。楞嚴院解脱谷の南光坊阿闍梨靜朝といひし 0000_,31,389a09(00):者、この念佛を勤修せざる間、或時の夢に、社頭へ參 0000_,31,389a10(00):りてみやめぐりしけるに、先大宮へ參りて其より聖眞 0000_,31,389a11(00):子の社へまいりぬ。寳前の庭を見れば、鏡のごとく内 0000_,31,389a12(00):外明にして、瑠璃の大地のごとし。是を見るに誠に心 0000_,31,389a13(00):もいさ淸く身も凉しき心地也。法施奉て後、氣比聖母 0000_,31,389a14(00):の方へ過ゆかんとするに、神殿より高さ三尺斗の金色 0000_,31,389a15(00):の貴僧出ましまして、此前を行過る事叶べからず。罷 0000_,31,389a16(00):歸れと仰らるる間、諸人皆通過候めり。靜朝に限て歸 0000_,31,389a17(00):り候はん事は、歎入候由を申に、彼行過諸人は皆聖眞 0000_,31,389b18(00):子の不斷念佛を勤めたる者也。汝はいまだ、彼の念佛 0000_,31,389b19(00):に結緣せず。早く罷歸れと示さるると見て夢さめぬ。 0000_,31,389b20(00):軈て懺悔を致し、殊に信心を深くして、在生の間懈怠 0000_,31,389b21(00):なく念佛を勤き。勢多の尼と云ひしもの、賀茂の社に 0000_,31,389b22(00):まいりたりけるに、神供を備へけるを見て、此神はこ 0000_,31,389b23(00):とに何をかは好み侍らん。尋て參らせばやと、氏人に 0000_,31,389b24(00):申ければ、とりわき何物を御好といふ事なし。只志に 0000_,31,389b25(00):よるべしと返答す。此尼其夜の夢に、賀茂の大明神、 0000_,31,389b26(00):我このむものは念佛也。好物をたむくべくば、念佛を 0000_,31,389b27(00):申べしと示し給ひければ、能き聲の念佛者をあつめて 0000_,31,389b28(00):社頭にして七日の間、勇猛精進の念佛を勤修して法樂 0000_,31,389b29(00):せり。中比往生をいのる者二人侍りき。八幡へ參て祈 0000_,31,389b30(00):請しける樣、二人意巧こと也。一人は念佛申て往生す 0000_,31,389b31(00):べくば、念佛の法門にとりていかなる甚深の義を學し 0000_,31,389b32(00):て往生すべく候ぞ示し給へと祈。一人は念佛の外にな 0000_,31,389b33(00):を入たちて、甚深の法門を學して往生すべく候はん。 0000_,31,389b34(00):然ばいかなる法門にて候。是を示し給へと祈りけり。 0000_,31,390a01(00):七日滿ずる夜二人同ふしたる夢の中に 0000_,31,390a02(00):あらばやな又もあらばやをしゆべき 0000_,31,390a03(00):南無ととなふることの外には 0000_,31,390a04(00):と。二人ともに此告を蒙て夢覺て後是を語らんとしけ 0000_,31,390a05(00):るが、我うけ給はりつるやうを、互に書付て出さんと 0000_,31,390a06(00):いひて、別別に書て出せば、ただ同歌にてぞ有ける。 0000_,31,390a07(00):念佛の法門にとりて、名號のほかに甚深の義をきかん 0000_,31,390a08(00):と云、其義不可然。又餘の法門の甚深ならんをきか 0000_,31,390a09(00):んと申も不可然候。往生の業には、只南無阿彌陀佛と 0000_,31,390a10(00):唱ふる外には、又子細もあるまじきぞと示されける上 0000_,31,390a11(00):には、名號を唱て往生をねがふを、神明の感應ありと 0000_,31,390a12(00):いふ事明か也。されば彼の御託宣には 0000_,31,390a13(00):我昔出家名法藏 得成報身住淨土 0000_,31,390a14(00):今來娑婆世界中 即爲護念念佛人 0000_,31,390a15(00):とて、念佛の者をのみ守るぞとこそ仰られたり。佛の 0000_,31,390a16(00):慈悲をたのむにも、神の和光を仰ぐにも、只念佛を唱 0000_,31,390a17(00):て往生を願ふべき也 0000_,31,390b18(00):法然上人傳記卷第四下 0000_,31,390b19(00):熊谷入道往生事 0000_,31,390b20(00):武藏國の御家人熊谷次郎直實は、平家追討の時度度の 0000_,31,390b21(00):合戰に忠をいたしき。中にも一谷の合戰に高名を極め 0000_,31,390b22(00):しかば、武勇の名を一天にあげ、弓箭の德を四海にな 0000_,31,390b23(00):がして、上なき武人也し事、人みなこれをしれり。し 0000_,31,390b24(00):かるに發心時いたりけるにや。右大將家を恨み申事あ 0000_,31,390b25(00):りて、俄に出家して、法名を蓮生とぞ申ける。初めは 0000_,31,390b26(00):伊豆國走湯山に参籠しけるが、上人の念佛弘通の次第 0000_,31,390b27(00):を、京都より下れる尼公の語り申けるをききて、やが 0000_,31,390b28(00):て上洛して、先澄憲法印のもとへ向ひて、見參に入べ 0000_,31,390b29(00):き由を申入て、對面を相待ほどの手ずさみに、刀をと 0000_,31,390b30(00):ぎけるを、なに事の料ぞと人申ければ、これへ參るは 0000_,31,390b31(00):後生の事を尋申さん爲也。若腹をもきり命を捨て、後 0000_,31,390b32(00):世は助からんずると承らば、やがて腹をも切らん料也 0000_,31,390b33(00):とぞ申ける。法印此事を聞給ひて、さる高名の者なれ 0000_,31,391a01(00):ば、定めて存知あるらんとて、後生助かる道は法然房 0000_,31,391a02(00):に可被尋申とて、使をそへて上人に引導せられけれ 0000_,31,391a03(00):ば、上人へまいり、後世の事を尋申けるに、念佛だに 0000_,31,391a04(00):も申せば往生はする也、別の事なしと仰られけるをう 0000_,31,391a05(00):け給て、さめざめと泣ければ、けしからず思召て物を 0000_,31,391a06(00):も仰られず。暫く有て後、何事に泣給ふと仰られけれ 0000_,31,391a07(00):ば、命をも捨て手足をも切てぞ、後生は助からんずら 0000_,31,391a08(00):んと存ずる所に、ただ念佛だにも申せば往生はするぞ 0000_,31,391a09(00):とやすやすと仰をかふむり侍れば、餘にうれしくて泣 0000_,31,391a10(00):れ侍るよしを申ける。一文不通のあら武者也といへ共 0000_,31,391a11(00):誠に後世を恐れたる者と見えければ、無智の罪人の念 0000_,31,391a12(00):佛申て往生する事、本願の正意なりとて、口稱念佛凡 0000_,31,391a13(00):夫直往の要路なる由、常に示し給ひければ、二心なき 0000_,31,391a14(00):專修の行者にてぞありける。もし命をも捨て後生助か 0000_,31,391a15(00):れとならば、腹をきらん爲の用意に持たりける刀をば 0000_,31,391a16(00):念佛申て往生すべき由を承り定めぬるうへはとて、上 0000_,31,391a17(00):人に參らせければ、上人より津戸三郎に給て秘藏しけ 0000_,31,391b18(00):る。或時、上人月輪殿へ參られけるに、熊谷入道推參 0000_,31,391b19(00):して御供にまいりけるを、とどめばやと思召けれども 0000_,31,391b20(00):さるくせ者なれば、中中あしかりぬと思食て、被仰旨 0000_,31,391b21(00):なかりければ、月輪殿までまいりて、くつぬぎにあり 0000_,31,391b22(00):て、椽に手うちかけ、よりかかりて侍けるが、御談義 0000_,31,391b23(00):のこえの幽に聞えければ、此入道申けるは、あはれ穢 0000_,31,391b24(00):土ほどの口惜所はあらじ、極樂にはかかる差別あるま 0000_,31,391b25(00):じき物を。談義の御聲もきこえばこそと、しかり聲に 0000_,31,391b26(00):高聲に申けるを、禪定殿下きこしめして、なにものぞ 0000_,31,391b27(00):と仰られければ、熊谷入道とて武藏國より罷のぼりた 0000_,31,391b28(00):るくせ者の候が推參に共をして候とおぼえ候と、上人 0000_,31,391b29(00):申されければ、やさしき者何かくるしかるべき。只め 0000_,31,391b30(00):せとて御使を出されてめされけるに、一言の式代に及 0000_,31,391b31(00):ず、やがてめしに隨て同座を給はり、近近祗候して聽 0000_,31,391b32(00):聞仕りけり。往生極樂は當來の果報なを遠し。忽ちに 0000_,31,391b33(00):堂上をゆるされ、今生の果報を感じぬる事、本願念佛 0000_,31,391b34(00):を行ぜずば爭か此式に及べきと。耳目驚てぞ見えける 0000_,31,392a01(00):白地にも西を後ろにせざりければ、京より關東へ下け 0000_,31,392a02(00):る時も、さかさまに馬には乘けるとかや。念念相續し 0000_,31,392a03(00):て畢命爲期の外、他事なかりけるが、建永元年八月に 0000_,31,392a04(00):蓮西は、明年二月八日往生すべきなり。申所もし不審 0000_,31,392a05(00):を殘さん人は、來臨して見知すべき由、武藏國村岡の 0000_,31,392a06(00):市庭に札をたてける間、傳へきく輩遠近を分ず、武藏 0000_,31,392a07(00):相模、甲斐、信濃、越後、上野等の國國より、熊谷が 0000_,31,392a08(00):宿所へ羣集する事いく千萬といふ事をしらず。既に其 0000_,31,392a09(00):日に成ければ蓮西未明に沐浴して、禮盤にのぼりて高 0000_,31,392a10(00):聲念佛、體をせむる事たとへん物なし。暫有て蓮西目 0000_,31,392a11(00):を開て今日の往生は延引すべし。來九月四日必ず本意 0000_,31,392a12(00):を遂べし。其日各來臨あるべきよしを示しければ、羣 0000_,31,392a13(00):集の諸人そしりをなして歸りぬ。戀西が妻子眷屬等は 0000_,31,392a14(00):人のあざけりをかなしみ、蓮西が實なき事を歎ければ 0000_,31,392a15(00):彌陀如來の御告によりて來九月を契る所也、全く蓮西 0000_,31,392a16(00):が私に斗にあらず、九月の往生若なを延引せば、彌陀 0000_,31,392a17(00):如來の御そら事なるべし、更に蓮西が不實には不可 0000_,31,392b18(00):成と、ことごとしげにぞ申ける。さてひまゆく駒の足 0000_,31,392b19(00):はやければ、九月四日にも成ぬ。後夜に沐浴して漸臨 0000_,31,392b20(00):終の用意あり。諸人又羣集する事盛なる市をなす。蓮 0000_,31,392b21(00):西洛陽より武州へ下ける時、來迎の彌陀の三尊、無數 0000_,31,392b22(00):の化佛菩薩を、上人の意巧にてかかせられて秘藏せら 0000_,31,392b23(00):れけるを、京つとに給たりけるを、臨終佛にかけ奉て 0000_,31,392b24(00):禮盤にのぼり、端坐合掌して、高聲念佛熾盛にして、 0000_,31,392b25(00):巳尅に念佛と共にいきとどまる時、口より少光を放つ 0000_,31,392b26(00):ながさ五六寸也。紫雲目をすまし、音樂耳を驚かす。 0000_,31,392b27(00):異香室にみち大地震動せり、奇瑞一にあらず、諸人言 0000_,31,392b28(00):語を絶す。翌日子刻に入棺、此時又異香音樂の瑞相先 0000_,31,392b29(00):のごとし。同き卯の時にいたりて、紫雲西より來て家 0000_,31,392b30(00):のうへにとどまる事一時餘りありて後、西の天をさし 0000_,31,392b31(00):てのぼりぬ。是等の瑞相等遺言に任て、聖覺法印の許 0000_,31,392b32(00):へ注し送れり。本願稱名の不思議、諸佛證誠の誠言ま 0000_,31,392b33(00):ことに言語の及所に非ず。貴といふもかへりておろか 0000_,31,392b34(00):なるものか 0000_,31,393a01(00):禪勝房事 0000_,31,393a02(00):遠江國蓮花寺の禪勝房は、熊谷入道の勸により、吉水 0000_,31,393a03(00):の御坊へ參て、無智の罪人の極樂淨土に往生する事の 0000_,31,393a04(00):侍るなるを承らんと申ければ、上人仰られけるは、其 0000_,31,393a05(00):極樂のあるじにておはします阿彌陀佛こそ、何事をも 0000_,31,393a06(00):しらぬ罪人どもの、諸佛菩薩にも捨はて十方の淨土に 0000_,31,393a07(00):も門をさされたる輩を、やすやすと助救はんといふ願 0000_,31,393a08(00):を發して、十方世界の衆生を來迎し給ふ佛に、かしこ 0000_,31,393a09(00):くぞ思ひより給ける。心を靜めてよくよくきかるべし 0000_,31,393a10(00):唐土より日本へ渡しまいらせたる一切經は五千餘巻あ 0000_,31,393a11(00):り。その中に往生極樂の爲にとて、双巻無量壽經、觀 0000_,31,393a12(00):無量壽經、小阿彌陀經、これを淨土の三部經と名く。 0000_,31,393a13(00):無量壽經には昔法藏比丘と申入道、四十八願を發して 0000_,31,393a14(00):極樂淨土を建立して、眞實に往生せんと思衆生を迎へ 0000_,31,393a15(00):おきて、遂には佛になさせ給ふ也。佛に成らんと思は 0000_,31,393a16(00):ん人は、先極樂を欣ふべき也。法藏比丘、一切衆生を 0000_,31,393a17(00):平等に往生せさせんれうに、我佛に成たらん時の名號 0000_,31,393b18(00):を稱念せさせんと云願を發したまへる四十八願の中の 0000_,31,393b19(00):第十八の願是也とて、本願の由來、念佛して往生すべ 0000_,31,393b20(00):き趣き悉く仰きかせられて後、一百餘日祗候して條條 0000_,31,393b21(00):の不審を上人に尋申ける中に、一の疑に、三心の事を 0000_,31,393b22(00):尋申ける。上人の給はく、三心を具する者は、必ず彼 0000_,31,393b23(00):國に生と説給へり。此三心は本願の至心信樂欲生我國 0000_,31,393b24(00):の文を成就する交也。然則念佛せん人は、此三心を具 0000_,31,393b25(00):して念佛すべき也。一に至誠心と云は阿彌陀佛を憑奉 0000_,31,393b26(00):る心なり。二に信樂と云は常に名號を唱て往生をうた 0000_,31,393b27(00):がはぬ也。三に回向發願心と云は、往生して衆生を利 0000_,31,393b28(00):益せんと思ふ心也。譬をもていはば、人有て一の太刀 0000_,31,393b29(00):をもちたらんに、此太刀は御身の造り給へるかと人と 0000_,31,393b30(00):はば、我は手づつにて何事もせぬ者にて候。人のたま 0000_,31,393b31(00):ひて候也と答へば、人もまいらせたれ、わどのの爲に 0000_,31,393b32(00):は財かと又とへば、さ候と答ふ。太刀をまうくるは至 0000_,31,393b33(00):誠心也。此太刀は大事の物なり。あだにせじと思は深 0000_,31,393b34(00):心也。さてわれにももち物もきらんは、回向發願心也 0000_,31,394a01(00):しかのごとく本願にあふは至誠心也。名號を持て常に 0000_,31,394a02(00):唱て、餘行の人にいひやぶられざるは深心也。往生せ 0000_,31,394a03(00):んと思ふは回向心也。又女人に三心を心得ん時は、御 0000_,31,394a04(00):前の袋を一つまうけてましまさんに、あけて見れば萬 0000_,31,394a05(00):の財を入たり。袋まうくるは至誠心なり。此袋には大 0000_,31,394a06(00):事の物を入たり。あだにせじとおもふは深心也。中に 0000_,31,394a07(00):ある物をとりいだして要事につかふは回向心也。しか 0000_,31,394a08(00):のごとく、本願にあふは袋を儲たるがごとし。此名號 0000_,31,394a09(00):の中には、阿彌陀佛の初發心より乃至佛にならせ給て 0000_,31,394a10(00):六度萬行一切の功德を造あつめて、名號に納めて衆生 0000_,31,394a11(00):に與へ給へる名號なれば、おろそかにせじとて、別解 0000_,31,394a12(00):別行の人にもいひやぶられずして南無阿彌陀佛と唱る 0000_,31,394a13(00):は、不思義の本願なるによりて、かかる罪人どもの淨 0000_,31,394a14(00):土へ迎へられ、生死を離れずらんと思ひかためて、若 0000_,31,394a15(00):し手はふさがらば數をとらずとも、命終らんまで、口 0000_,31,394a16(00):の常に唱るを深心と云也。又のやうはたとへば人の敵 0000_,31,394a17(00):を持たらんに、敵はつは物なるを、我はよはくしてう 0000_,31,394b18(00):つに及ばざらんに、我敵にまさりたるつは物、我を憑 0000_,31,394b19(00):まばうちてとらせんといはんに、悅で憑で宮仕をせば 0000_,31,394b20(00):約束をたがへず、敵をうつ也。討ものを憑むは至誠心 0000_,31,394b21(00):也。宮仕へするは深心也。敵を討は回向發願心也。し 0000_,31,394b22(00):かのごとく我等衆生は、無始より己來惡業煩惱の敵に 0000_,31,394b23(00):せめられて、六道四生を輪回して生死を離べきやうな 0000_,31,394b24(00):きに阿彌陀佛の、我に歸し我を憑まば、煩惱の敵をう 0000_,31,394b25(00):ちてえさせんと御誓あれば、佛を憑み奉は至誠心也。 0000_,31,394b26(00):名號を唱ておこたりなく、佛に宮仕へ奉るは深心也。 0000_,31,394b27(00):最後臨終に來迎にあづかりて生死を離るるは回向心也 0000_,31,394b28(00):三心具足するばかりやすき事はなしと。人には敎へよ 0000_,31,394b29(00):とぞ仰られける。又一の疑に云、三心を具すべき次第 0000_,31,394b30(00):を、加様に習まいらせ侍ぬれば、是の身には三心は具 0000_,31,394b31(00):し侍べし。在家の人三心の文も知らず習候はで、只念 0000_,31,394b32(00):佛ばかり申侍らんは、此三心は具すまじく侍やらんと 0000_,31,394b33(00):上人曰、三心と云は、一向專修の念佛者に成る道を敎 0000_,31,394b34(00):へたる也。無智の罪人なりとも、一向專修の念佛者に 0000_,31,395a01(00):成ぬれば、皆ことごとく三心を具足して、往生せん事 0000_,31,395a02(00):は決定也。故に習知りて一向專修に成人もあり。三心 0000_,31,395a03(00):と云名だにも知ざれ共、一向專修の念佛者に成人もあ 0000_,31,395a04(00):り。一向の佛の願を憑み奉るは至誠心也。ふかく信じ 0000_,31,395a05(00):て名號を唱て、念念相續して畢命を期として退轉なき 0000_,31,395a06(00):は深心也。往生をねがふは回向發願心也。たとへば手 0000_,31,395a07(00):づつなる者の、手ききのしたる物を得たるが如し。衆 0000_,31,395a08(00):生は手づつにて、萬の功德を造らざれ共、阿彌陀佛、 0000_,31,395a09(00):萬の功德を造り集て名號におさめて、衆生にあたへ給 0000_,31,395a10(00):へるなり。又人の子は幼れ共、親の慈悲をもて萬の財 0000_,31,395a11(00):を儲て子に讓るが如し。三心の敎文多けれども、如此 0000_,31,395a12(00):心得るとぞ仰られける。又一の疑には、本願の一念は 0000_,31,395a13(00):平生の機、臨終の機に通ずべくやらんと申ければ、上 0000_,31,395a14(00):人曰、一念の願は命つづまりて、二念には及ぱざる機 0000_,31,395a15(00):の爲也。上盡一形を釋し、念念不捨者是名正定之業と 0000_,31,395a16(00):も判給へる。是則平生の機なり。本願にあふ遅速の不 0000_,31,395a17(00):同あれば、上盡一形下至十聲と發し給へる也。必ず一 0000_,31,395b18(00):念を佛の本願と云ふべからず。一念十念の本願なれば 0000_,31,395b19(00):強にはげまずとも有なんと云人のあるは大なるあやま 0000_,31,395b20(00):り也。設我得佛、十方衆生、至心信樂、欲生我國、乃 0000_,31,395b21(00):至十念、若不生者、不取正覺といへる本願の文の中に 0000_,31,395b22(00):は、平生の機あり、臨終の機あり。乃至は平生の機、 0000_,31,395b23(00):十念は臨終の機なり。平生の機は乃至十年申て生れ、 0000_,31,395b24(00):乃至一年申て生れ、乃至一月申て生れ、乃至一日申て 0000_,31,395b25(00):生れ、乃至一時申てむまる。是みな壽命の長短、發心 0000_,31,395b26(00):の遅速による也。此等はみな一たび發心して後、淨土 0000_,31,395b27(00):まで申べき尋常の機なり。臨終の機といへるは、病せ 0000_,31,395b28(00):まり命一念十念につづまりて後、知識の敎によりて、 0000_,31,395b29(00):初て本願にあへる機也。臨終のために發し給へる一念 0000_,31,395b30(00):十念を平生に引上て、一念十念にも生れば、念佛はゆ 0000_,31,395b31(00):るけれども、往生不定には思べからずと申人は、ゆゆ 0000_,31,395b32(00):しきあやまり也。念念不捨者、是名正定之業、順彼佛 0000_,31,395b33(00):願故の釋は、本願の中の乃至の機の、上盡一形に數返 0000_,31,395b34(00):を勵みて、本願に相應すべき道理を釋しあらはし給へ 0000_,31,396a01(00):るなり。一念に往生たりぬと信じて、念佛懈怠ならん 0000_,31,396a02(00):人は、信をもて行をさまたげたる也。又數返の功德つ 0000_,31,396a03(00):みてこそ生るなれ、一念十念に生ずべからずといへる 0000_,31,396a04(00):人は、行をもて信を妨ぐる也。然則信をば一念に生る 0000_,31,396a05(00):と信じて、行をば一形に勵むべしとぞ仰られける。又 0000_,31,396a06(00):一の疑に云、持戒のものの念佛の數返の少候と、破戒 0000_,31,396a07(00):の者の念佛の數返多く候と、往生の後、位の淺深いか 0000_,31,396a08(00):が候べきと申ければ、所居の疊を指て日、疊の有に付 0000_,31,396a09(00):て破れたると、不破との論也。全く疊なくば如何ぞ。 0000_,31,396a10(00):破たると破ざるとを論やあらん。その樣に末法の中に 0000_,31,396a11(00):は持戒もなく、破戒もなし。只名字の比丘のみあり。 0000_,31,396a12(00):傳敎大師の末法燈明記に、悉く此旨をあかし給へる。 0000_,31,396a13(00):其上に、持戒破戒の沙汰あるべからず。如是凡夫の爲 0000_,31,396a14(00):に發す所の本願也。いそぎてもても名號を稱べしとぞ 0000_,31,396a15(00):仰られける。又一の疑に云、念佛の行者毎日の所作に 0000_,31,396a16(00):聲を絶えざる人もあり。又心に念じて數をとる人もあ 0000_,31,396a17(00):り。何を本とすべく候やらんと申ければ、口に唱へ心 0000_,31,396b18(00):に念ずる同名號なれば、いづれもいづれもみな往生の業と 0000_,31,396b19(00):なるべし。但佛の本願は稱名と立給へる故に、聲を出 0000_,31,396b20(00):すべき也。經には令聲不絶具足十念と説、釋には稱我 0000_,31,396b21(00):名號下至十聲と判じ給へり。我耳に聞るほどを高聲念 0000_,31,396b22(00):佛とはする也。但譏嫌を知ず、高聲すべきにはあらず 0000_,31,396b23(00):地體は聲に出さんと思ふべき也。又一の疑云、餘佛餘 0000_,31,396b24(00):經に付て結緣助成せん事は雜行と成べく候やらんと申 0000_,31,396b25(00):ければ、決定往生の信をとりて、佛の本願に乘じての 0000_,31,396b26(00):上には、他の善根に結緣助成せん事、全く雜行と成べ 0000_,31,396b27(00):からず。往生の助業と成べき也。善導の釋の中に、己 0000_,31,396b28(00):に他の善根を隨喜し、自他の善根をもて、淨土に回向 0000_,31,396b29(00):すと判じ給へる。此釋をもて可知之とぞ被仰ける。 0000_,31,396b30(00):又一の疑云、自力他力と申事は、何樣にか心得侍るべ 0000_,31,396b31(00):きと申ければ、源空は云かひなき邊國の土民なり。昇 0000_,31,396b32(00):殿すべき器にあらずといへども、君よりめされしかば 0000_,31,396b33(00):二度まで殿上へまいりたりき。是全可參器量にはあら 0000_,31,396b34(00):ず、上の御斗也。此定に極重惡人、無他方便の凡夫は 0000_,31,397a01(00):曾て報身報土の極樂世界へ可參器にはあらねども、阿 0000_,31,397a02(00):彌陀佛の御力なれば、稱名の本願にこたえて來迎にあ 0000_,31,397a03(00):づからん事、何の不審か可有。我身の罪重無智の者な 0000_,31,397a04(00):ればいかが往生をとげんと不可疑。左樣に疑はん物 0000_,31,397a05(00):はいまだ佛の願を知ざるもの也。如是の罪人を渡さん 0000_,31,397a06(00):が爲に發す所の本願也。此名號を唱へながらゆめゆめ 0000_,31,397a07(00):疑ふ事あるべからず。十方衆生の願の中に、有智無智 0000_,31,397a08(00):有罪無罪、善人惡人、持戒破戒、男子女人、乃至三寶 0000_,31,397a09(00):滅盡の後の百歳の間の衆生までも、もるる事なし。彼 0000_,31,397a10(00):三寶滅盡の念佛の衆生と、當時の汝等と是をならぶる 0000_,31,397a11(00):に、當世の人は佛のごとく也。彼時の人は命長は十歳 0000_,31,397a12(00):也。戒定惠の三學、其名をだにもきかずといへり。此 0000_,31,397a13(00):等の衆生までも念佛すれば、來迎に預べしと知ながら 0000_,31,397a14(00):我身捨らるべしと云事をば、いかが心得いたすべきや 0000_,31,397a15(00):但し極樂のねがはれず、念佛の申されざらん斗は、往 0000_,31,397a16(00):生のさはりと成べし。念佛に倦き人は、無量の寶を失 0000_,31,397a17(00):べき人也。念佛にいさみある人は、無邊の悟を開くべ 0000_,31,397b18(00):き人也。相構て願往生の心にて念佛を相續すべき也。 0000_,31,397b19(00):我力にては思よるまじき罪人の念佛するが故に、本願 0000_,31,397b20(00):に乘じて極樂にまいるを他力の願とも超世の願共云也 0000_,31,397b21(00):案内を知ざる人は機を疑て往生せざる也。道心者智者 0000_,31,397b22(00):などの念佛こそ往生はしたまふらめ、朝暮罪をのみ造 0000_,31,397b23(00):て一文をだも知ざらん物は、念佛申とても、往生不定 0000_,31,397b24(00):と疑ものは、本願には善惡の機を兼て發し給へりと知 0000_,31,397b25(00):らぬ人也。念佛の機は、ただ生れ付のままにて、申て 0000_,31,397b26(00):むまるる也。先世の業によりて生れたる身をば、今生 0000_,31,397b27(00):の中にはあらためなをさぬ也。女人の男子とならんと 0000_,31,397b28(00):おもへ共、今生の中には不叶がごとし。只生れ付のま 0000_,31,397b29(00):まにて念佛をば申也。智者は智者にて申て生れ、愚者 0000_,31,397b30(00):は愚者にて申て生れ、道心有人も申て生れ、道心なき 0000_,31,397b31(00):も申て生れ、邪見に生れたる人も申て生る。富貴の物 0000_,31,397b32(00):も、貧賤のものも、欲ふかきものも、腹あしきものも 0000_,31,397b33(00):慈悲あるものも、慈悲なきものも、本願の不思議にて 0000_,31,397b34(00):念佛だにも申せば、みな往生する也。たとへば日の出 0000_,31,398a01(00):ぬれば、地の高低を嫌はず、みな照し。月の明なれば 0000_,31,398a02(00):水の淺深をゑらばず、影を浮が如し。念佛の一願に萬 0000_,31,398a03(00):機をおさめて發し給へる本願也。ただこざかしく機の 0000_,31,398a04(00):沙汰をせずして、念佛だにも申せば、皆悉く往生する 0000_,31,398a05(00):也。さればこそ十方衆生と手びろく願をば發し給へ。 0000_,31,398a06(00):念佛の人は疾雨の如く極樂には生ると佛は説給へりと 0000_,31,398a07(00):若し心をととのへ身を愼て、念佛して生るとならば、 0000_,31,398a08(00):やは疾雨の如くは生るべき。又かかる願なればとて、 0000_,31,398a09(00):わざとふてかかりて、わろかれとにはあらず。本願の 0000_,31,398a10(00):手びろく不思議にまします様を申斗なり。念佛往生の 0000_,31,398a11(00):義をかたくふかく申さん人をば、つやつや本願をしら 0000_,31,398a12(00):ざる人と心得べし。源空が身も、撿挍別當共が位にて 0000_,31,398a13(00):往生はせんずる。本の法然房にてはゑも候はじ。年來 0000_,31,398a14(00):習たる智惠は、往生の爲には用にもたたず。され共習 0000_,31,398a15(00):たるかひに、必ず如此知たるは無量の事也とぞ仰られ 0000_,31,398a16(00):ける。又一の疑に云、臨終の一念は百年の業に勝たる 0000_,31,398a17(00):と申候事は、平生の中に臨終の一念ほどの念佛は申出 0000_,31,398b18(00):すまじきにて候やらんと。上人答給はく、具三心者必 0000_,31,398b19(00):生彼國と説れたれば、三心具足の念佛は、百年の業に 0000_,31,398b20(00):勝たる臨終の一念と同じ事也。必文字の有故にとぞ仰 0000_,31,398b21(00):られける。又一の疑に云、八宗九宗の外に淨土宗を立 0000_,31,398b22(00):る事、自由にまかせたる事かなと。餘宗の人の申候を 0000_,31,398b23(00):ば、いかが申候べきやと。上人曰、宗の名を立ること 0000_,31,398b24(00):は佛の説に非ず。自心ざす所の經敎に付て、存じたる 0000_,31,398b25(00):義を悟極て、宗を判ずる事也。諸宗の習ひ皆以如是。 0000_,31,398b26(00):今淨土の名を立る事は、淨土の正依に付て、往生極樂 0000_,31,398b27(00):の義を悟極め給へる先達の宗の名を立給へる也。宗の 0000_,31,398b28(00):起を知らざる愚者は、さやうの事を云也。抑淨土一宗 0000_,31,398b29(00):の諸宗にこえ、念佛一行の諸行に勝たると云事は、萬 0000_,31,398b30(00):機を攝する方を云也。理觀、菩提心、讀誦大乘、眞言 0000_,31,398b31(00):止觀等はいづれも佛法のおろかにましますにはあらず 0000_,31,398b32(00):皆生死濟度の法なれども、末代になりぬれば力不及、 0000_,31,398b33(00):行人の不法なるによりて機は及ばぬ也。時をいへば末 0000_,31,398b34(00):法萬年の後、人壽十歳に促り、罪をいへば十惡五逆の 0000_,31,399a01(00):罪人也。老少男女の輩、一念十念のたぐひに至るまで 0000_,31,399a02(00):皆是攝取不捨の願にこもれる也。故に諸宗にこえ、諸 0000_,31,399a03(00):行に勝れたりとは申也とぞ仰られける。又問奉て云、 0000_,31,399a04(00):後生をば彌陀如來の本願を憑み奉て候へば、往生疑な 0000_,31,399a05(00):く候。現世をばいかやうに思ひ存べく候らんと。上人 0000_,31,399a06(00):答給はく、現世を過べきやうは、念佛の申されん方に 0000_,31,399a07(00):よりてすぐべし。念佛の妨に成ぬべからん事をば、い 0000_,31,399a08(00):とひ捨つべし。一所にて申されずば修行して申べし。 0000_,31,399a09(00):修行して申されずば、一所に住して可申。ひじりで申 0000_,31,399a10(00):されずば、在家に成て申べし。在家にて申されずば、 0000_,31,399a11(00):遁世して可申。ひとり籠居て申されずば、同行と共に 0000_,31,399a12(00):行じて申べし。共に行じて申されずば、一人籠居て可 0000_,31,399a13(00):申。自力にて衣食不叶して申されずば、他力にて他人 0000_,31,399a14(00):に助られて申べし。他人の助にて申されずば、自力に 0000_,31,399a15(00):て可申。念佛の第一の助業米に過たるはなし。衣食住 0000_,31,399a16(00):の三は念佛の助業也。能能たしなむべし。妻を儲くる 0000_,31,399a17(00):事、自身助られて念佛申さん爲也。念佛の妨に成ぬべ 0000_,31,399b18(00):からんにはゆめゆめもつべからず。從類眷屬も如是。 0000_,31,399b19(00):所知所領を儲けん事も、惣じて念佛の助業ならば大切 0000_,31,399b20(00):也。妨に成べくばゆめゆめ持べからず。すべて是をい 0000_,31,399b21(00):はば、自身安穩にて念佛往生をとげんが爲には何事も 0000_,31,399b22(00):みな念佛の助業也。三途に歸るべき事をする身をだに 0000_,31,399b23(00):も難捨ければ、かへり見はぐくむぞかし。まして往生 0000_,31,399b24(00):すべき念佛申さん身をば、いかにもいかにも羽含もてなす 0000_,31,399b25(00):べき也。かりそめにもいるかせにはすべからず。能能 0000_,31,399b26(00):いたはるべき也。念佛の助業ならずして今生の爲に身 0000_,31,399b27(00):を貪求するは、三惡道の業となる。往生極樂の爲に自 0000_,31,399b28(00):身を貪求するは往生の助業となる也とぞ仰られける。 0000_,31,399b29(00):禪勝房、種種の不審共承ひらきて後、暇申て明日は下 0000_,31,399b30(00):向すべきよし申たりければ、京つとせんとて、明句を 0000_,31,399b31(00):仰られけるは。聖道門の修行は、智惠をきはめて生死 0000_,31,399b32(00):を離れ、淨土門の修行は、愚痴に歸へりて極樂に生る 0000_,31,399b33(00):と心得べしとぞ。本國にかへりて偏に上人勸化の旨を 0000_,31,399b34(00):信じ、二心なく念佛して、行年八十五歳、正嘉二年十 0000_,31,400a01(00):月四日寅の刻、念佛相續して種種の靈異を施し、端坐 0000_,31,400a02(00):合掌して往生を遂られき 0000_,31,400a03(00):津戸三郎被召將軍御所事 0000_,31,400a04(00):征夷將軍鎌倉の右大臣實朝公の御時、元久二年秋の比 0000_,31,400a05(00):津戸三郎爲守、念佛所を建立し一向專修を興行して、 0000_,31,400a06(00):餘行をなんどもせざるよし將軍家に讒し申族あるに付 0000_,31,400a07(00):て、御尋あるべき由内内其きこえ有しかば、かかる珍 0000_,31,400a08(00):事にこそあひ候はんずれ。被召尋時、申上べき次第を 0000_,31,400a09(00):難答の言を調べて假名眞名にしるし給べきよし。飛脚 0000_,31,400a10(00):を立て上人に申入けるに付て、十月十八日、上人御返 0000_,31,400a11(00):事に云、念佛の事召問はれ候はんには、なじか委き事 0000_,31,400a12(00):をば申させ給べき。げに人にもいまだ悉く習せ給はぬ 0000_,31,400a13(00):事にて候へば、専修雜修の間は、悉き沙汰候はず共、 0000_,31,400a14(00):召問れ候はば、法門の悉き事は知候はず。御上京の時 0000_,31,400a15(00):うけ給りわたりて、聖の許へまかり候て、後世の事い 0000_,31,400a16(00):かがしつべき。在家の者などの後世助り候ぬべき事は 0000_,31,400a17(00):何事か候はんと問候しかば、聖の申候しやうは、生死 0000_,31,400b18(00):を離るる道はやうやうに多く候へども、其中に此比の 0000_,31,400b19(00):人の生死をいづる道は、極樂に往生するより外には、 0000_,31,400b20(00):こと道は叶ひがたきなり。是佛の衆生を勸めて生死を 0000_,31,400b21(00):出させ給ふ一の道也。然に極樂に往生する行又やうや 0000_,31,400b22(00):うに多く候へども、其中に念佛して往生するより外に 0000_,31,400b23(00):は、異行は叶難き事にてある也。其故は念佛は是彌陀 0000_,31,400b24(00):の一切衆生の爲に、自ちかひ給ひたりし本願の行なれ 0000_,31,400b25(00):ば往生の業にとりては、念佛にしく事はなし。されば 0000_,31,400b26(00):往生せんと思はば、念佛をこそはせめと申候き。何況 0000_,31,400b27(00):や、又在家の者の法門をも知らず。智惠もなからん者 0000_,31,400b28(00):は、念佛の外には何事をして往生すべしと云事なし。 0000_,31,400b29(00):我若少より法門を習たる物にて有だにも、念佛より外 0000_,31,400b30(00):に又何事をして往生すべしとも覺ねば、只念佛計をし 0000_,31,400b31(00):て彌陀の本願を憑て、往生せんと思ひてある也。まし 0000_,31,400b32(00):て在家の者などの何事かあらんと申候しかば、ふかく 0000_,31,400b33(00):其由を憑候て、念佛を仕なりと申させ給ふべし。又是 0000_,31,400b34(00):念佛を申事は、ただ我心より彌陀の本願の行なりと悟 0000_,31,401a01(00):りて申事にも非ず。唐の世に善導和尚と申候し人の、 0000_,31,401a02(00):往生の行業においては專修雜修と申二の行をわかちて 0000_,31,401a03(00):勸め給へる也。專修と云は念佛也。雜修と云ふは念佛 0000_,31,401a04(00):の外の行也。專修の者は百人は百人ながら往生し、雜 0000_,31,401a05(00):修の物は千人が中にわづかに一二人ある也といへるな 0000_,31,401a06(00):り。唐土に又信中と申もの此旨をしるして、專修淨業 0000_,31,401a07(00):文と云文を造りて、唐土の諸人をすすめたり。其文は 0000_,31,401a08(00):淨勝房などの許に候らん。それをもちてまいらせ給べ 0000_,31,401a09(00):し。又專修に付て五種の專修正行といふ事あり。此の 0000_,31,401a10(00):五種の正行に付て、又正助二業をわかてり。正業とい 0000_,31,401a11(00):ふは五種の中の第四の念佛也。助業と云は其外の四の 0000_,31,401a12(00):行なり。今決定して淨土に往生せんと思はば、專雜二 0000_,31,401a13(00):修の中には專修の敎によりて、一向に念佛すべし。正 0000_,31,401a14(00):助二業の中には正業の勸によりて、二心なく只第四の 0000_,31,401a15(00):稱名念佛を憑べしと申候しかば、悉しき旨ふかき心を 0000_,31,401a16(00):知候はず。さては念沸の目出事にこそ、あんなれと信 0000_,31,401a17(00):じて申候斗にて候。件の善導和尚と申人は氏ある人に 0000_,31,401b18(00):ても候はず。阿彌陀佛の化身にておはしまし候なれば 0000_,31,401b19(00):敎へ勸給はん事よもひが事にては候はじと。ふかく信 0000_,31,401b20(00):じまいらせて念佛仕り候也。其造らせ給て候なる文ど 0000_,31,401b21(00):も多候なれ共、文字も知候ぬ者にて候へば、ただ心ば 0000_,31,401b22(00):かりをきき候て、後生やたすかり候。往生やし候とて 0000_,31,401b23(00):申候ほどに、近きもの共見うらやみ候て、少少申者ど 0000_,31,401b24(00):も候なりと。是ほどに申させ給べし。中中悉く申させ 0000_,31,401b25(00):給はば、あやまちもありなんとして、あしき事もこそ 0000_,31,401b26(00):候へと思ひしは、いかが候べき。様様に難答を注して 0000_,31,401b27(00):と候へ共、時に望てはいかなる詞共か候はんずらんに 0000_,31,401b28(00):書てまいらせて候はんもあしく候ぬべく候。只よくよ 0000_,31,401b29(00):く御はからひ候て、早晩よきやうに御はからはせ給は 0000_,31,401b30(00):め。又念佛申すべからずと被仰て候とも、往生に志あ 0000_,31,401b31(00):らん人は其れにより候まじ。念佛彌申せと仰られ候共 0000_,31,401b32(00):道心なからん者は其により候まじ。とかくにつけてい 0000_,31,401b33(00):たく思召事候まじ。いかならんにつけても、此度往生 0000_,31,401b34(00):しなんと、人をば知らず御身にかぎりては思召べし。 0000_,31,402a01(00):わざとはるばると人上させ給ひて候こそ下人も不便に 0000_,31,402a02(00):候へ。猶猶示し問れ候はん時に、是より百千申て候は 0000_,31,402a03(00):ん事は、時にもかなひ候まじければ、無益の事にてぞ 0000_,31,402a04(00):候はんずる。はからひて能やうに早晩に隨て申させ給 0000_,31,402a05(00):はんに、よもひが事は候はじ。まなかなにひろく書て 0000_,31,402a06(00):まいらせ候はん事はもての外に廣文を造り候はんずる 0000_,31,402a07(00):事にて候へば、俄にすべき事にも候はず。其は又中中 0000_,31,402a08(00):あしき事にても候ぬべし。只いと子細は知候はず。是 0000_,31,402a09(00):ほどに聞て申候也と申させ給はんには、心候はん人は 0000_,31,402a10(00):さり共心得候なん。又道心なからん人は、いかに道理 0000_,31,402a11(00):を百千萬あかすとも、よも心得候はじ。殿は道理ふか 0000_,31,402a12(00):くして、ひが事おはしまさぬ事にて候と申あひて候へ 0000_,31,402a13(00):ば、是ほどにきこしめさんに、念佛ひが事にてありけ 0000_,31,402a14(00):り。今はな申そと仰られむ事はよも候はじ。さらざら 0000_,31,402a15(00):ん人は、いかに申とも思とも、無益の事にて候はんず 0000_,31,402a16(00):れ。何事も御文には盡し難候。あなかしこあなかしこ。然を 0000_,31,402a17(00):翌年四月、信濃の前司行光于時山城民部太夫が奉行として下さ 0000_,31,402b18(00):れける御敎書云 0000_,31,402b19(00):津戸郷鄕内に建斗立念佛所、令居住一向專修輩之由、所聞 0000_,31,402b20(00):食也。彼宗之子細爲有御尋爲宗之輩一兩人、早可 0000_,31,402b21(00):被召進之状、依仰執達如件。四月廿五日。午時散位 0000_,31,402b22(00):刺奉津戸三郎殿云云。同状禮紙云、來廿八日の申の刻、 0000_,31,402b23(00):件の念佛者共をば參ぜさせ可給之由、御定候也云云。 0000_,31,402b24(00):被仰下之旨にまかせて、同廿八日申之尅に、淨勝坊、 0000_,31,402b25(00):唯願坊此二人は上人の門弟也等の念佛者を相具して、法花堂の前 0000_,31,402b26(00):の二棟の御所の南向の廣廂に參て、奉行人行光をもつ 0000_,31,402b27(00):て、子細を御尋ありけるに、津戸三郎は、上人の御返 0000_,31,402b28(00):事の趣をそらにうかべて、用意したる事なれば、とど 0000_,31,402b29(00):こほりなく申入けるに、淨勝房等の念佛者は、年來所 0000_,31,402b30(00):學の道なれば、法藏比丘の因位の願より、彌陀如來の 0000_,31,402b31(00):成佛の今に至るまで、往生の道をくらからず述申けれ 0000_,31,402b32(00):ば、面面に立申旨委く被聞食拵けるによりて專修の行 0000_,31,402b33(00):において子細あるべからず。如元勤可行由被仰出候 0000_,31,402b34(00):ける後は、いよいよ念佛の行懈りなかりければ、右大 0000_,31,403a01(00):臣家薨逝の時、彼御骨を二位家より此所に渡し奉られ 0000_,31,403a02(00):ければ、二心なく偏に彼御菩提をぞとふらひ申ける 0000_,31,403a03(00):尼妙眞往生事 0000_,31,403a04(00):伊豆國走湯山に侍し尼妙眞は、專法花を讀誦し、兼て 0000_,31,403a05(00):は祕密を修行せり。事の緣によりて上洛せし時、法然 0000_,31,403a06(00):上人に參りて念佛往生の道を承て後は、忽に餘行をす 0000_,31,403a07(00):て偏に念佛を行ず。其功ややたけて化佛を拜する事常 0000_,31,403a08(00):にあり。只甚深の同行一人にかたる。餘人更に是をし 0000_,31,403a09(00):らず。ある時明日申の尅に往生すべきよし同行に告ぐ 0000_,31,403a10(00):翌日時尅にたがはず、端坐合掌高聲念佛して往生せり 0000_,31,403a11(00):妓樂天に聞え異香室にみてり。不思議の奇特、其比の 0000_,31,403a12(00):口遊にてぞ有ける 0000_,31,403a13(00):法然上人傳記卷第五上 0000_,31,403a14(00):甘糟往生事 0000_,31,403a15(00):土御門院の御宇、建仁三年冬の比、山門の堂衆等獨歩 0000_,31,403b16(00):の餘、學生と權を爭い衆徒に敵をなし、剩へ日吉八王 0000_,31,403b17(00):子の社壇を城廓として惡行を巧しかば、追討の爲に官 0000_,31,403b18(00):兵を差遣されし時、武藏國の御家人猪俣黨が甘糟太郎 0000_,31,403b19(00):忠綱と云武者、彼官兵の内にて十一月十五日八王子へ 0000_,31,403b20(00):向ひしに、まづ法然上人の御庵室へ參りて、彌陀本願 0000_,31,403b21(00):の念佛は正しくは惡人の爲、傍には聖人の爲に發され 0000_,31,403b22(00):たるよし、日來承侍りしかば、我等如きの罪人は其正 0000_,31,403b23(00):機なりと心得侍ぬれば、本願を憑みて念佛申せば往生 0000_,31,403b24(00):は疑有べからすと存じて侍れ共、病の床にふし長閑に 0000_,31,403b25(00):臨終せむ時の事か。武士のならひ進退心にまかせざれ 0000_,31,403b26(00):ば、山門の堂衆を追討の爲に勅命を蒙て、只今八王子 0000_,31,403b27(00):の城へ向侍る。忠綱武勇の家に生れて弓矢の道にたづ 0000_,31,403b28(00):さはる、すすみて父祖が遺塵を失はず、退ては子孫の 0000_,31,403b29(00):後榮をのこさんが爲に、敵をふせぎ身をすてば、惡心 0000_,31,403b30(00):熾盛にして願念發起しがたし。若又今世のかりなる謂 0000_,31,403b31(00):を思ひ、往生のはげむべき理を忘れずば、居時も則禮 0000_,31,403b32(00):なく動時も則威なからん。かへりて敵の爲にとりこに 0000_,31,404a01(00):せられなば、永く臆病の名をとどめて、忽に譜代の跡 0000_,31,404a02(00):を失なひつべし。何を捨て何を取べしと云事、只迷暗 0000_,31,404a03(00):に向へるがごとし。願は上人弓箭の家業をも捨ず、往 0000_,31,404a04(00):生の素意をも遂る道侍らば、詮をとりて御一言を承り 0000_,31,404a05(00):給ひ候はんと申ければ。上人日ひけるは、彌陀の本願 0000_,31,404a06(00):は專ら罪人の爲なれば、罪人は罪人ながら名號を唱て 0000_,31,404a07(00):往生す、是本願の不思議也。弓箭の家に生れたる人、 0000_,31,404a08(00):たとひ戰場に命を失ふとも、念佛して終らば、本願に 0000_,31,404a09(00):答て來迎に預り往生を遂ん事、ゆめゆめ疑ふべからず 0000_,31,404a10(00):と仰られければ、不審ひらき侍りぬ。さては忠綱が往 0000_,31,404a11(00):生は今日一定なるべしと悦て、上人の御袈裟を給て鎧 0000_,31,404a12(00):の下にかけ、やがて其より八王子の城へ向ひけるに、 0000_,31,404a13(00):彼社は東向なれば寄手は西向によせけるに、八王子權 0000_,31,404a14(00):現の本地は彌陀左脇の弟子觀自在尊なり。幸に我西方 0000_,31,404a15(00):に向へり、往生の便を得たる者か。權現すて給ふなと 0000_,31,404a16(00):祈請して、命を捨て戰けるに、堂衆の中に一房中より 0000_,31,404a17(00):十八人出たりける武者、みな手がら有たる豪の者也け 0000_,31,404b18(00):るが、甘糟太郎と云、重代の豪の武者の向なるに、お 0000_,31,404b19(00):なじくは其仁を敵にうけて、高名もふかくも此時あら 0000_,31,404b20(00):はすべしと支度しけるが、いまだ甘糟を見しらざる間 0000_,31,404b21(00):名のらせて知らんとのはかりごとにて、我と思はん敵 0000_,31,404b22(00):は名のりてすすめといひて、十八人の者どもしころを 0000_,31,404b23(00):ならべて木戸口より進出けるに、甘糟は折しも木戸口 0000_,31,404b24(00):近くせめよせたりけるが、取もあへず武藏國の佳人甘 0000_,31,404b25(00):糟太郎忠綱といふ重代の豪の武者也。手にかけて名を 0000_,31,404b26(00):あげよと名のりければ、十八人の者共は各支度したる 0000_,31,404b27(00):事なれば、心を同じくして戰けるに、十二人は甘糟が 0000_,31,404b28(00):手にかかりてうたれぬ。甘糟は殘六人の手にかかりて 0000_,31,404b29(00):けるが、深手を負ける上、太刀は半より打おられぬ。 0000_,31,404b30(00):今はかくと覺えければ、太刀を捨て甲をぬぎて、掌を 0000_,31,404b31(00):合せ一心に彌陀を念じ高聲念佛して、敵の爲に命をま 0000_,31,404b32(00):かせけるに、紫雲たなびき音樂聞えければ、遠近の人 0000_,31,404b33(00):あやしまずと云事なし。上人は椽に行道しておはしけ 0000_,31,404b34(00):るに、東坂に當て紫雲の見えければ、此靈雲こそあや 0000_,31,405a01(00):しけれ。一定甘糟が往生しつると覺ゆるとぞ仰られけ 0000_,31,405a02(00):る。國に留をく妻子の許へ此由を告げ遣しけるに、臨 0000_,31,405a03(00):終の夜妻の夢に往生したる由を示しければ、驚て使を 0000_,31,405a04(00):のぼせけるに、京より下ける使に行あひて、戰場にて 0000_,31,405a05(00):の往生のありさま、田舍にての夢の告、互に不思議な 0000_,31,405a06(00):りし事を談けり。本願の不思議といひながら、合戰の 0000_,31,405a07(00):場に靈瑞を現じ、眼前の往生を遂ぬる事、眞に希代の 0000_,31,405a08(00):奇特なりしかば、打手六人の輩、いかなれば甘糟は在 0000_,31,405a09(00):俗の身たりながら、ふかく本願を信じて合戰の場に往 0000_,31,405a10(00):生を遂るぞ。いかなる我らなれば頭を剃、衣を染なが 0000_,31,405a11(00):ら、在俗の身にも及ばざるらんと改悔をなし、心を發 0000_,31,405a12(00):して、且は甘糟の後世をも弔、且は罪障懺悔の爲とて 0000_,31,405a13(00):本坊へ不歸。やがてそれより出て諸國を修行して、靈 0000_,31,405a14(00):佛靈社に歩を運びけるが、武藏國をとをりける時、或 0000_,31,405a15(00):所にて供養を望けるに、法師は心うき者と思とれる事 0000_,31,405a16(00):ありといひて、四壁の内へも入ざりければ、其故をと 0000_,31,405a17(00):ふに、これは山門の堂衆の爲に命を失へる甘糟が遺跡 0000_,31,405b18(00):也。法師に命を奪はれたる故に、法師は皆うとましき 0000_,31,405b19(00):也と、答ければ、我等こそ其人を失し敵なれ。我等一 0000_,31,405b20(00):列の豪の武者十八人侍りしに。十二人は甘糟にうたれ 0000_,31,405b21(00):き。甘糟をば殘六人の手にかけしに、忽に奇特をあら 0000_,31,405b22(00):はし、眼前に往生を遂られしをみて發心せり。かかる 0000_,31,405b23(00):往生人を手にかけつるを毒皷の緣として後生を助かり 0000_,31,405b24(00):又かの菩提をもとぶらひ奉らんが爲に、六人ともに發 0000_,31,405b25(00):心して修行し侍し由を申ける時、うきも中中かたみな 0000_,31,405b26(00):りけりとて、最後に甘糟に近きけるを、なつかしき事 0000_,31,405b27(00):にしのびて、中陰の間留をきてもろともに孝養をぞ營 0000_,31,405b28(00):ける。戰場にての往生のためし、上人に問答の次第、 0000_,31,405b29(00):瑠璃王の先蹤、如來の敎勅、思ひ合られ侍り。彌陀の 0000_,31,405b30(00):本願は人を嫌はず所を選ばず、ただ念佛すれば往生疑 0000_,31,405b31(00):なき事明か也。我も人もふかく本願を憑み、稱名を專 0000_,31,405b32(00):にすべし 0000_,31,405b33(00):隆寬律師給選擇事 0000_,31,405b34(00):元久元年甲子三月十四日、權律師隆寬小松殿へ參向の時 0000_,31,406a01(00):上人後戸に出むかひ給て、懷中より一卷の書をとりい 0000_,31,406a02(00):だして律師に授給ふ。其言に云、これ月輪殿の仰によ 0000_,31,406a03(00):りてゑらび進ずる所の選擇集也。所載要文要義者、善 0000_,31,406a04(00):導和尚淨土宗を立て給ふ肝心也。早く是を書寫して披 0000_,31,406a05(00):見すべし。若不審あらば尋とふべき也。源空存生の間 0000_,31,406a06(00):は祕して他見に及べからず。死後の流行は何事のあら 0000_,31,406a07(00):んやとぞ仰られける。抑かの律師は苗裔をたづぬれば 0000_,31,406a08(00):粟田の關白五代の後胤、少納言資隆の三男、稟承を訪 0000_,31,406a09(00):へば楞嚴の先德七代正統皇圓阿闍梨の附法也。慈鎭和 0000_,31,406a10(00):尚の御門弟として天台の法燈をかかげ、攝關數代の後 0000_,31,406a11(00):胤を受て詩歌の家塵をつぐ。朝家の重寶、叡山の領袖 0000_,31,406a12(00):にて、憍慢の心も高く名利の思もふかくこそおはすべ 0000_,31,406a13(00):かりしに、宿善の催しけるにや、永く穢土をいとひ偏 0000_,31,406a14(00):に淨土を念じて、常に上人に謁し、淨土の法門を尋申 0000_,31,406a15(00):されしに、始はいと打とけ給ざりしかども、往生の志 0000_,31,406a16(00):深き由を慇懃に申述給しかば、上人大きに驚て當時聖 0000_,31,406a17(00):道の有識にて、大僧正の御房慈鎭和尚に貴重せられ給御身 0000_,31,406b18(00):の、是ほどに思入れ給ひける事、返返も忝とて淨土 0000_,31,406b19(00):の法門殘所なく授られき。當世長樂寺義と號するは彼 0000_,31,406b20(00):隆寬律師の流なり 0000_,31,406b21(00):山門蜂起事 0000_,31,406b22(00):元久元年十月の比、山門衆徒の蜂起、大講堂の庭に三 0000_,31,406b23(00):塔會合して専修念佛を停止せらるべきよし、天台座主 0000_,31,406b24(00):に訴へ申によりて、座主大僧正より上人に御尋あるに 0000_,31,406b25(00):付て、上人起請文を進らる。その詞に云、近日風聞し 0000_,31,406b26(00):て云、源空偏に念佛の敎門を勸めて自餘の敎法を謗る 0000_,31,406b27(00):事、諸宗是に依て陵夷し、諸行是によりて滅亡すと云云 0000_,31,406b28(00):此旨を傳へ承に心神驚怖す。遂に事山門に聞え、議衆 0000_,31,406b29(00):徒に及て炳誡を可加之由貫首に申送らる。此條は一に 0000_,31,406b30(00):は衆勘を恐れ、一には衆恩を喜ぶ。恐るる所は、貧道 0000_,31,406b31(00):が身をもて忽に山洛のいきどほりに及ばん事を。悦ぶ 0000_,31,406b32(00):所は謗法の名を消して、永く花夷の謗を止めん事を。 0000_,31,406b33(00):若衆徒の糺斷にあらずば、いかでか貧道が愁歎を慰め 0000_,31,406b34(00):んや。凡彌陀の本願に云、唯除五逆誹謗正法と。念佛 0000_,31,407a01(00):をすすむる輩いかでか正法を謗ぜん。又惠心の要集に 0000_,31,407a02(00):は一實の道を聞て普賢の願海に入と。淨土を欣たぐひ 0000_,31,407a03(00):豈妙法を捨んや。就中源空壯年の昔は、天台の敎釋を 0000_,31,407a04(00):披て三觀のとぼそにつらなる。衰老の今は善導の章疏 0000_,31,407a05(00):を伺ひて九品の境にのぞむといへども舊執なを存す。 0000_,31,407a06(00):本心何忘れん。只冥鑒をたのみ、只衆察を仰ぐ。但老 0000_,31,407a07(00):門遁世の輩、愚昧出家の類ひ、或は草廬に入て髪をそ 0000_,31,407a08(00):り、或は松門に臨て志をいふ。次に極樂をもつて所期 0000_,31,407a09(00):とすべし。念佛をもて所行とすべきよし時時諷諫す。 0000_,31,407a10(00):是則齡衰て自餘の練行に能はず。性鈍にして聖道の研 0000_,31,407a11(00):精に堪へざる間、しばらく難解難入の門を閣て、試に 0000_,31,407a12(00):易行易往の道を示すなり。佛智なを方便をまうけ給ふ 0000_,31,407a13(00):凡愚あに斟酌なからんや。敢て敎の是非を存するにあ 0000_,31,407a14(00):らず。機の堪否を思也。此條もし法滅の緣たるべくば 0000_,31,407a15(00):向後は宜く停止に從ふべし。此外に僻説をもて弘通し 0000_,31,407a16(00):虚誕をもて宣聞せば尤糺斷あるべし、尤炳誡あるべし 0000_,31,407a17(00):願所也望む所也。此等の子細は、先年沙汰の時、起請 0000_,31,407b18(00):文を進じ畢ぬ。其後いまに變ぜず。重て陳するに能ず 0000_,31,407b19(00):といへども、嚴誡すでに重疊の間、誓文亦再三に及ぶ 0000_,31,407b20(00):上件の子細、一事一言、虚言をもて會釋をまうけば、 0000_,31,407b21(00):毎日七萬返の念佛むなしく其利益を失て、三惡道に墮 0000_,31,407b22(00):在し、現當二世の依身常に重苦に沈て、永く楚毒をう 0000_,31,407b23(00):けん。伏乞、當寺の諸尊、滿山の護法、證明知見し給 0000_,31,407b24(00):へ 源空敬白 0000_,31,407b25(00):元久元年十一月三日 沙門源空 敬白云 0000_,31,407b26(00):その時の座主は 後白川院孫王眞性宮の大僧正也 0000_,31,407b27(00):七箇條敎誡事 0000_,31,407b28(00):上人の門弟と號する輩の中に、いまだ上人存知の深奧 0000_,31,407b29(00):をしらず。いまだ淨土宗義の廢立を辨へざる類ひ、師 0000_,31,407b30(00):説と稱して、雅意の謗法をいたし、無窮の臆説を吐に 0000_,31,407b31(00):よりて、己に山門の大訴に及間、同月の七日門人等を 0000_,31,407b32(00):あつめ、制禁七ケ條に及び、門人五十七人の連署をと 0000_,31,407b33(00):りて、龜鏡にそなへ後證にたつ。所謂七ケ條の起請に 0000_,31,407b34(00):云、敎誡念佛門輩七箇條起請。普告號予門人念佛上 0000_,31,408a01(00):人等 0000_,31,408a02(00):一可停止未窺一句文破眞言止觀謗餘佛菩薩事 0000_,31,408a03(00):右至立破道者、學生所經也。非愚人之境界、加 0000_,31,408a04(00):之誹謗正法、既除彌陀願、其報當墮那落。豈非癡 0000_,31,408a05(00):闇之至哉 0000_,31,408a06(00):一可停止以無智身對有智人遇別行輩好致諍論事 0000_,31,408a07(00):右論議者、是智者之有也。更非愚人之分、又諍論 0000_,31,408a08(00):之處、諸煩惱起、智者遠之百由旬也。況於一向念 0000_,31,408a09(00):佛行人乎 0000_,31,408a10(00):一可停止對別解別行人、以愚癡偏執心稱可棄置本 0000_,31,408a11(00):業強嫌嗤之事 0000_,31,408a12(00):右修道之習、各勤自行不遮餘行西方要決云、別 0000_,31,408a13(00):解別行者、惣起敬心若生輕慢得罪無窮云云。何 0000_,31,408a14(00):背此制敎哉。加之善導和尚大呵之。未知祖師之 0000_,31,408a15(00):誡、愚闇之甚也 0000_,31,408a16(00):一可停止於念佛門、號無戒行、專勸婬酒食肉、適守律 0000_,31,408a17(00):儀者、嫌名雜行人、憑彌陀本願、説勿恐造惡事 0000_,31,408b18(00):右戒是佛法大事也。衆行雖區、同專之。是以善導 0000_,31,408b19(00):和尚、擧目不見女人、此行状之趣、過本律制、淨業 0000_,31,408b20(00):類不順之者、惣失如來遺敎別背祖師舊跡、無所 0000_,31,408b21(00):據者歟 0000_,31,408b22(00):一可停止未辨是非癡人、離聖敎背師説恣述私義、 0000_,31,408b23(00):妄企諍論、被咲智者、迷亂愚人事 0000_,31,408b24(00):右無智大天、此朝再誕、猥述邪義、更以似九十五 0000_,31,408b25(00):種異道、尤可悲歎也 0000_,31,408b26(00):一可停止以癡鈍身、殊好唱導、不知正法、説種種邪法、 0000_,31,408b27(00):敎化無知道俗事 0000_,31,408b28(00):右無解作師、是梵網之制戒也。愚闇之類、欲顯 0000_,31,408b29(00):己才、以淨土敎、爲其藝能。貪名利望檀越、恣成自 0000_,31,408b30(00):由之妄説、誑惑世間人、誑法之過殊重、寧非國賊 0000_,31,408b31(00):乎 0000_,31,408b32(00):一可停止自説非佛敎邪法爲正法、僞號師範説事 0000_,31,408b33(00):右各雖一人説、所積在貧道一身、汚彌陀敎文、揚師 0000_,31,408b34(00):匠之惡名、不善之甚豈過之哉 0000_,31,409a01(00):以前七箇條敎誡甄錄如斯。學一分敎文弟子等者、 0000_,31,409a02(00):頗知旨趣、年來之間、雖修念佛、隨順聖敎不逆人心、 0000_,31,409a03(00):無驚世聽。因茲今三十箇年、無爲渉日月、而至近來、 0000_,31,409a04(00):此十ケ年以後、無智不善之輩、時時到來、非啻失彌 0000_,31,409a05(00):陀淨業、又汚穢釋迦遺法、何不加炳誡乎。此七箇條 0000_,31,409a06(00):之内、非法所行、巨細事多、具難注述、惣如此等之 0000_,31,409a07(00):無方、愼不可犯。此上猶背制法輩、是非予門人、既 0000_,31,409a08(00):魔眷屬也。更不可來草庵。自今以後、各隨聞及、必 0000_,31,409a09(00):可被觸之。餘人勿相伴、若不然者、是同意之人也。 0000_,31,409a10(00):彼過如作者、不能嗔同法恨師匠、自業自得理只在 0000_,31,409a11(00):己心而已。是故催四方行人、集一室告之、僅雖有 0000_,31,409a12(00):風聞、慥不知誰人、失據于成敗、愁歎送年序、非可默 0000_,31,409a13(00):止、先隨所力及、廻禁遏之計也。仍錄其趣示門葉等 0000_,31,409a14(00):之状如件 0000_,31,409a15(00):元久元年十一月七日 沙門源空 0000_,31,409a16(00):署判之門人七十五人略之 0000_,31,409a17(00):上人若謗法をこのまば、禁遏豈かくのごときならんや。 0000_,31,409b18(00):彼正文すでに月輪殿に進じ置かる。誰か是を疑はん。 0000_,31,409b19(00):罪惡生死の迷徒をすくひ、愚癡淺識の羣類を助けんが 0000_,31,409b20(00):爲に、彌陀本願の念佛を弘通せりといへども、深諸敎 0000_,31,409b21(00):を貴び、敢て諸行をいるかせにせず。しかるを專修の 0000_,31,409b22(00):詞に付て、當世もなを謗法の名をあぐる人ままこれあ 0000_,31,409b23(00):るか、尤不便の次第也。よく上人存知の旨趣をさぐり 0000_,31,409b24(00):一宗廢立の大綱をあきらめて、改悔をなし、後信をい 0000_,31,409b25(00):たせ 0000_,31,409b26(00):月輪殿御消息被遣座主事 0000_,31,409b27(00):月輪禪定殿下、座主眞性大僧正へ送らるる自筆の御消 0000_,31,409b28(00):息に云、念佛弘行の間の事、源空上人の起請文等、山 0000_,31,409b29(00):門に披露の後、動靜如何、尤不審に候。抑風聞の如き 0000_,31,409b30(00):は、上人淺深三重の過怠によりて、炳誡の僉議に及と 0000_,31,409b31(00):云云。一には念佛を勸進する。惣じて然べからず。是 0000_,31,409b32(00):則眞言止觀の深理に非ず、口稱念佛の權説をもて、更 0000_,31,409b33(00):に往生を遂べからず故にと云云。此條にみいては、定 0000_,31,409b34(00):て滿山の謳謌にあらず、若これ一兩の言歟。他の謗法 0000_,31,410a01(00):を咎とせんが爲に、自返て謗法をいたす、勿論と謂べ 0000_,31,410a02(00):し。二には念佛の行を殷破するあまり、經論を焚燒し、 0000_,31,410a03(00):章疏をながし失ひ、或は又餘善をもては、三途の業と 0000_,31,410a04(00):稱し、犯戒をもては九品の因とすと云云。これをきか 0000_,31,410a05(00):ん緇素たれか驚歎せざらん。諸宗の學徒專欝陶するに 0000_,31,410a06(00):たれり。但この條においては、ほとんど信をとり難し。 0000_,31,410a07(00):既にこれ會昌天子、守屋大臣等の類歟、如此の説過半 0000_,31,410a08(00):まことならずと云云。慥なる説に付て眞僞を決せられ 0000_,31,410a09(00):んに、敢て其隱不可有事、もし實ならば科斷亦かたし 0000_,31,410a10(00):とせず。偏に浮説をもて、咎を上人にかけらるる條、 0000_,31,410a11(00):理盡の沙汰にあらざる歟。三にはかくのごときの逆罪 0000_,31,410a12(00):に不及といへども、一向專修の行人、餘行を停止すべ 0000_,31,410a13(00):き由を勸進の條、なを然べからず云云。此條において 0000_,31,410a14(00):は進退相半たり。善導の心此旨をのぶるに似たり。然 0000_,31,410a15(00):て旨趣甚深也、行者思べし。いま上人の弘通はよく疏 0000_,31,410a16(00):の意をさぐりて、すべて紕謬なし。しかるを門弟等の 0000_,31,410a17(00):中に奧義をしらず、宗旨をさとらざる類、恣に妄言を 0000_,31,410b18(00):はき、猥に偏執をいたすよし聞えある歟。此事甚もて 0000_,31,410b19(00):不可也とす。上人遮て是をいたむ。小僧いさめて是を 0000_,31,410b20(00):禁ず。當時已に數輩の門徒をあつめて、七箇條の起請 0000_,31,410b21(00):をなし、各連署を集めて永く證據にそなふ、上人もし 0000_,31,410b22(00):謗法を好まば、禁遏豈かくのごときならんや。事ひろ 0000_,31,410b23(00):く人おほし、一時に禁止すべからず、根元既にたちぬ、 0000_,31,410b24(00):我執の枝葉むしろ繁茂する事をゑんや。これをもてこ 0000_,31,410b25(00):れをいふに、三重の子細一としても過失なし、衆徒の 0000_,31,410b26(00):欝憤何によりてか強盛ならんや。はやく滿山の皷躁を 0000_,31,410b27(00):停止して、來迎の音樂を庶幾すべき歟。抑諸宗成立の 0000_,31,410b28(00):法、各自解を專にして餘行をなむともせず。弘行の常 0000_,31,410b29(00):のならひ、先德の故實也。これを異域にとぶらへば、 0000_,31,410b30(00):月氏には即護法、淸辨の空有の論談、震旦には亦慈恩、 0000_,31,410b31(00):妙樂の權實の立破也。是を我國に尋るに、弘仁の聖代 0000_,31,410b32(00):には戒律大小のあらそひあり。天暦の御宇には、諸宗 0000_,31,410b33(00):淺深の談あり。八家きほひて定準をなし、三國つたへ 0000_,31,410b34(00):て軌範とす。然に末世の邪亂鑒て、諸宗の對論をとど 0000_,31,411a01(00):められしより以來、宗論ながく跡をけづり。私法それ 0000_,31,411a02(00):が爲に安全たり。就中淨土の一宗においては、古來の 0000_,31,411a03(00):行者偏に無染無著の淨心をこらし、專修念佛の一行に 0000_,31,411a04(00):つかへて、他宗に對して執論をこのまず。餘敎に比し 0000_,31,411a05(00):て是非を判ぜず。獨り出離をねがひて、必ず往生の眞 0000_,31,411a06(00):道を遂んと也。但弘敎嘆法のならひ、敢て又その心な 0000_,31,411a07(00):きにあらざる歟。所謂源信僧都の往生要集の中に、三 0000_,31,411a08(00):重の問答をいだして、念佛の勝業を談ず。念佛の至要 0000_,31,411a09(00):此釋に結成せり。禪林の永觀は、德惠心に及ばずとい 0000_,31,411a10(00):へども、行淨業を續、撰所の十因、其意又一致也。普 0000_,31,411a11(00):賢、觀音の悲願をかんがへ、勝如、敎信が先蹤を引て 0000_,31,411a12(00):念佛の餘行に勝たる事を證せり。彼時の諸宗の徒、惠 0000_,31,411a13(00):學林をなし、禪定水をたたふ。然といへ共惠心をとが 0000_,31,411a14(00):めず、永觀をも罰せず、諸敎も滅することなく、念佛 0000_,31,411a15(00):も妨なし。是則世すなほに人うるはしき故也。而に今 0000_,31,411a16(00):代澆季に及び、時鬪諍に屬して、能破所破ともに邪執 0000_,31,411a17(00):よりおこり、正論非論みな喧嘩におよび、三毒内にも 0000_,31,411b18(00):よほし、四魔外にあらはるるが所致也。又或人云、念 0000_,31,411b19(00):佛もし弘通せられては、諸宗忽に滅盡すべし。爰以遏 0000_,31,411b20(00):妨すと云云。此事不可然。過分の逆類においては、實 0000_,31,411b21(00):によりて禁斷せらるべし。全く淨土宗のいたむ所にあ 0000_,31,411b22(00):らず。末學の邪執にいたりては、上人嚴禁をくわへ、 0000_,31,411b23(00):門徒已に服膺す。かれをいひこれをいひ、何ぞ佛法の 0000_,31,411b24(00):破滅に及ばんや。凡顯密の修學は名利によりて研精す。 0000_,31,411b25(00):是人間の定まれる法也。淨土の敎法においては、名に 0000_,31,411b26(00):あらず利にあらず。後世を思ふ人の外に誰か習學せん 0000_,31,411b27(00):や。念佛の弘行によりて餘敎滅盡の條戲言歟、狂説歟 0000_,31,411b28(00):いまだ是非を不辨、若此沙汰熾盛ならば、念佛の行一 0000_,31,411b29(00):時に失墜すべし。因果を辨へ患苦を悲まん人あに傷嗟 0000_,31,411b30(00):せざらんや。あに悲涙せざらんや。爰に小僧幼年の昔 0000_,31,411b31(00):より衰暮のいまに至るまで、自行おろそかなりといへ 0000_,31,411b32(00):ども、本願を憑む心おこたらず罪業おもしといへども 0000_,31,411b33(00):往生をねがふに物うからずして、四十餘回の星霜を送 0000_,31,411b34(00):る。彌もとめ、いよいよすすみて、數百萬返の佛號を 0000_,31,412a01(00):唱ふ。頃年よりこのかた、病せまり命もろくして黄泉 0000_,31,412a02(00):近にあり。淨土の敎迹此時にあたりて滅せんとす。是 0000_,31,412a03(00):を見是をききて、爭かたへ爭かしのばん。三尺の秋の 0000_,31,412a04(00):霜肝をさき、一寸の赤焰胸をこがす。天に仰ぎて鳴咽 0000_,31,412a05(00):し、地を叩て愁悶す。何況上人、小僧において出家の 0000_,31,412a06(00):戒師たり、念佛の先達たり、歸敬これふかし、尊崇尤 0000_,31,412a07(00):切也。しかるを罪なくして濫刑をまねき、勤ありて重 0000_,31,412a08(00):科に處せば、法の爲に身命を惜むべからず。小僧かは 0000_,31,412a09(00):りて罪をうくべし、もて師範の咎をすくはんとおもふ。 0000_,31,412a10(00):凡其佛道修行の人、自他共に罪業をかへりみるべし。 0000_,31,412a11(00):然を強に俗諦隨事の假論を執して、いよいよ無明迷理 0000_,31,412a12(00):の惑障に墮せんこと、いたましきかなや、悲しき哉や 0000_,31,412a13(00):乞、學侶の心あらん。理に伏して執を變じ、法に優し 0000_,31,412a14(00):て罪をなだめよ耳。死罪死罪敬白 0000_,31,412a15(00):十一月十三日 專修念佛沙門圓證 0000_,31,412a16(00):大僧正御房へと云云 0000_,31,412a17(00):上人誓文におよび、殿下會通を設けられければ、衆徒 0000_,31,412b18(00):の欝訴とどまりにけり 0000_,31,412b19(00):法然上人傳記卷第五下 0000_,31,412b20(00):頭光出現事 0000_,31,412b21(00):同二年乙丑四月五日、上人月輪殿に參じて念佛の法門御 0000_,31,412b22(00):談義數尅の後、退出し給し時、地の上よりたかく蓮華 0000_,31,412b23(00):をふみてあゆみ、金色頭光赫奕として、形貌は大勢至 0000_,31,412b24(00):菩薩也。禪定殿下庭上にくづれおりさせ給て、御額を 0000_,31,412b25(00):地に付ておがみたてまつらせ給へば上人也。門外まで 0000_,31,412b26(00):見送り給ふに又大勢至也。涙千行萬行、敢て譬に物な 0000_,31,412b27(00):し。暫ありて肅然としてをどろきおきさせ給ひて仰ら 0000_,31,412b28(00):れて云、上人の頭上に金色の圓光顯現せり、希有の事 0000_,31,412b29(00):おがみ奉るやと、時に御前に侍は戒心房右京權太夫隆信入道 本 0000_,31,412b30(00):蓮房中納言阿闍梨尋玄二人也。ともに見奉らざるよし申、禪定殿 0000_,31,412b31(00):下御歸依としふりたりといへども、此後は彌陀の思ひ 0000_,31,412b32(00):をなし奉らせ給ひけり 0000_,31,413a01(00):瘧病事 0000_,31,413a02(00):同年八月。北白川二階房にして、上人瘧病をし出し給 0000_,31,413a03(00):て、小松殿へ歸り給ひぬ。門弟等或は念佛を申ておと 0000_,31,413a04(00):し奉らんといふ人もあり。或は上人へ參りかかる程の 0000_,31,413a05(00):物には、我等が力は叶べからずと申人もあり。或は又 0000_,31,413a06(00):結緣のためにまいる歟と云人もあり。禪定殿下此事を 0000_,31,413a07(00):聞食しさはきて、種種に療治を加へらるといへ共叶は 0000_,31,413a08(00):ざりければ、禪定殿下われ案を廻らせり。善導の御影 0000_,31,413a09(00):を圖繪し奉りて、聖覺を唱導として上人の前にて供養 0000_,31,413a10(00):をとげ、淨土の法門を稱し、彌陀の本願を解説せしめ 0000_,31,413a11(00):ん。隨喜の心を發して除病の効驗もありぬべしとて、 0000_,31,413a12(00):詫摩法眼證賀に仰て、御影を圖繪せられ、後京極殿そ 0000_,31,413a13(00):の銘をかかしめ給ふ。聖覺法印于時僧都の許へ、御導師に 0000_,31,413a14(00):參勤すべきよし仰られければ、聖覺も瘧病を仕侍る。 0000_,31,413a15(00):明日は發日にあたり侍れども、且は師匠の報恩也。爭 0000_,31,413a16(00):か子細を申べきや。但早旦に御佛事を初らるべしとて 0000_,31,413a17(00):翌日拂曉に小松殿へ參入して、聖覺今日おこり日にて 0000_,31,413b18(00):候。何時斗におこらせ給ひ候やらんと申ければ、申の 0000_,31,413b19(00):時斗に發り侍るなりと。上人曰、聖覺はまたとく發り 0000_,31,413b20(00):候也。尤いそがるべしとて、巳時の初に説法をはじめ 0000_,31,413b21(00):て、申の終に結願せられけるに、御導師本願の奧義を 0000_,31,413b22(00):のべ、大師釋尊も衆生に同ずる時は、常に病惱をうけ 0000_,31,413b23(00):療治に用給き、況や凡夫血肉の身いかでか其愁なから 0000_,31,413b24(00):んや。雖然此道理を知ざる、淺智愚鈍の衆生、定めて疑 0000_,31,413b25(00):心をなし不信をいたさんか。善導和尚諸宗の敎相によ 0000_,31,413b26(00):らずして、淨土宗を興して一向專修の行をたて、本願 0000_,31,413b27(00):稱名の義をひろめ給事は、末代惡世の根機に相應して 0000_,31,413b28(00):順次に生死を離るべき要法なるが故に、上人これを弘 0000_,31,413b29(00):通し給ふに、化道既に佛意に叶て、まのあたり往生を 0000_,31,413b30(00):遂るもの千萬なり。然ば諸佛菩薩諸天龍神、いかでか 0000_,31,413b31(00):衆生の不信を歎かざらん。四天大王佛法を守護すべく 0000_,31,413b32(00):ば、必ず我大師上人の病惱を愈し給へと、懇に申のべ 0000_,31,413b33(00):給ひければ、善導の御影の御前に異香しきりに薰じ、 0000_,31,413b34(00):上人も聖覺も共に瘧病おちにければ、故法印は雨をく 0000_,31,414a01(00):だして名をあぐ。聖覺が身には此事奇特也とぞ申され 0000_,31,414a02(00):ける。まことに末代の奇特、その比の口遊にぞ侍ける。 0000_,31,414a03(00):抑靈魔等の或は結緣のため、或は聞法のために、久修 0000_,31,414a04(00):練行智德高貴の人に託する事これ多し。昔三井の大阿 0000_,31,414a05(00):闍梨の所勞と聞給て、惠心僧都とぶらひにわたり給ひ 0000_,31,414a06(00):たりければ、阿闍梨臥ながらの給く、病患術なく候て 0000_,31,414a07(00):行法すでに退轉し侍ぬ。かくて死侍らば一定地獄に落 0000_,31,414a08(00):侍なんと、悲くこそ侍れと申されし時、されば地獄と 0000_,31,414a09(00):云ふ所の侍歟と惠心僧都のたまひしかば、さてさは侍 0000_,31,414a10(00):るぞかしと阿闍梨又の給ひければ、惠心は地獄なき義 0000_,31,414a11(00):をたて、阿闍梨は地獄ある義をのぶ。おはりに病床に 0000_,31,414a12(00):起居て、高聲に難詰會釋の間、やうやく兩三時に及に 0000_,31,414a13(00):天井に聲ありて云、あなたうと、今は罷歸り侍なん。 0000_,31,414a14(00):かかる貴き事や承り侍るとて、まいりて侍し程に、さ 0000_,31,414a15(00):る事も候はで今まで侍りつるこそ恐れ存候へと云云。 0000_,31,414a16(00):即阿闍梨の心地さはやかに成給ぬ。人これを怪ければ 0000_,31,414a17(00):惠心僧都の仰られけるは、推するに、昔智行ありて貴 0000_,31,414b18(00):とかりける人の、魔道に落たるが、法文を聞て妄執を 0000_,31,414b19(00):とらせん爲に學德のもととて尋入て伺所に、今の義を 0000_,31,414b20(00):聞て隨喜して去なりと云云。かれをもて是をおもふに 0000_,31,414b21(00):今上人の病惱その義更に違べからず、きかん人ゆめゆ 0000_,31,414b22(00):め疑事なかれ。但又古老の口傳には、上人門弟等の中 0000_,31,414b23(00):に、本願に歸したる三心具足の念佛者は、瘧病如きの 0000_,31,414b24(00):病を不可受と申けるを、一人の弟子ありて、たとひ三 0000_,31,414b25(00):心具足の行者なりとも、業報限あらんものは、爭かこ 0000_,31,414b26(00):れを受ざらんやと論じ申事の侍るを、上人障子をへだ 0000_,31,414b27(00):てて聞給ひけるが障子をあけて、念佛者瘧病すべから 0000_,31,414b28(00):ずといはば、さては源空が瘧病したらんは、いかがあ 0000_,31,414b29(00):るべきと仰られけるが、翌日に瘧病をし出し給へりと 0000_,31,414b30(00):いへり。業報限あればいかなる病をうくとも、其によ 0000_,31,414b31(00):つて念佛の信をばさますべからずと、末代の衆生の不 0000_,31,414b32(00):審を除かん爲に、態と此病を受給へる事疑なし 0000_,31,414b33(00):明遍參小松殿事 0000_,31,414b34(00):高野の明遍僧都、善光寺參詣の次に、小松殿の坊に參 0000_,31,415a01(00):じて、上人に申云、末代惡世の罪惡の我等、彌陀の名 0000_,31,415a02(00):號を稱して淨土に往生すべしと承候に、念佛の時心の 0000_,31,415a03(00):散亂するをばいかがし侍るべきやと。上人曰、欲界の 0000_,31,415a04(00):散地に生をうくる者、心あに散亂せざらんや。其條は 0000_,31,415a05(00):源空も不及力。但心は散亂すれども口に名號を稱すれ 0000_,31,415a06(00):ば、佛の願力に乘じて往生疑なし。詮ずるところ、只 0000_,31,415a07(00):念佛の功をつむべき也と。僧都悦で退出するうしろに 0000_,31,415a08(00):上人の曰、あなことたかの御房や、生付の目鼻を取捨 0000_,31,415a09(00):申事や侍ると 0000_,31,415a10(00):大胡消息事 0000_,31,415a11(00):上野國の御家人、大胡太郎實秀在京の時、上人見參に 0000_,31,415a12(00):入て、念佛往生の道をうけ給はりて後、國より不審を 0000_,31,415a13(00):尋申ける時の御返事、詮をとりてこれをのせば、三心 0000_,31,415a14(00):具足して往生すと申事は、誠に其名目ばかりを打聞時 0000_,31,415a15(00):は、いかなる心を申やらんとことごとしく覺候ぬべけ 0000_,31,415a16(00):れ共、善導の御心にては心得やすく候也。習さたせざ 0000_,31,415a17(00):らん無智の人や、さとりなからん女人などの、え具足 0000_,31,415b18(00):せぬほどの心ばへにては候はぬ也。ただまめやかに往 0000_,31,415b19(00):生せんと思ひて念佛申さん人は、自然に具足しぬべき 0000_,31,415b20(00):にて候也。一には至誠心、二には深心、三には回向發 0000_,31,415b21(00):願心也。此三心を具するものは必ず彼國に生ると説れ 0000_,31,415b22(00):たり。初に至誠心と云は眞實の心なり、眞實と云は外 0000_,31,415b23(00):には賢善精進の相を現じ、内には虚假をいだく事をゑ 0000_,31,415b24(00):ざれと、善導和尚の釋し給へる。此釋の心は内にはお 0000_,31,415b25(00):ろかにして、外にはかしこき人と思はれんとふるまひ 0000_,31,415b26(00):内には惡をつくり外には善人のよしを示し、内には懈 0000_,31,415b27(00):怠の心を懷きて外には精進の相を現ずるを、眞實なら 0000_,31,415b28(00):ぬ心とは申也。外も内も有のままにてかざる心なきを 0000_,31,415b29(00):至誠心と名付也。二に深心と云は、ふかく信ずる心也。 0000_,31,415b30(00):何事をふかく信ずるぞと云は、先諸の煩惱を具足し多 0000_,31,415b31(00):くの罪を作て、餘の善根なからん凡夫、阿彌陀佛の大 0000_,31,415b32(00):悲本願を仰て名號を唱る事、若は百年にてもあれ、若 0000_,31,415b33(00):は四五十年にてもあれ、乃至一二年にてもあれ、すべ 0000_,31,415b34(00):て往生せんと思ひ初たらん時よりして、最後臨終の時 0000_,31,416a01(00):に至るまで懈怠せず。若は七日一日十聲一聲に至るま 0000_,31,416a02(00):で、多も少も稱名念佛の人、決定して往生すべしと信 0000_,31,416a03(00):じて、一念も疑心なきを深心とは申也。然に往生をね 0000_,31,416a04(00):がふ人、本願の名號持ながら、猶内に妄念の起るを恐 0000_,31,416a05(00):れ、外に餘善の少によりても、偏に我身をかろしめて 0000_,31,416a06(00):往生を不定に思はば、既に本願を疑なり。されば善導 0000_,31,416a07(00):和尚は未來の行者の此疑をのこさんことをかが見て、 0000_,31,416a08(00):其疑心を除て決定の心を勸めんが爲に、煩惱を具足し 0000_,31,416a09(00):罪業を造り、善根少く智解なからん凡夫、十聲一聲ま 0000_,31,416a10(00):での念佛により、決定して往生すべき理をくわしく釋 0000_,31,416a11(00):し給へり。たとひ多の佛空中に充滿して、光を放て舌 0000_,31,416a12(00):を舒、造罪の凡夫念佛して往生すと云事はひが事也、 0000_,31,416a13(00):信ずべからずとの給ふ共、其によりて一念も驚き疑べ 0000_,31,416a14(00):からず。其故は阿彌陀佛いまだ佛に成給はざりしむか 0000_,31,416a15(00):し、若我佛に成たらん時、十方の衆生、わが名號を唱 0000_,31,416a16(00):る斗り上百年より下十聲一聲までにせむに若我國に生 0000_,31,416a17(00):れずといはば、我佛にならじと誓ひ給たりしに、其願 0000_,31,416b18(00):むなしからずして佛に成て既に久しく成給へり。知べ 0000_,31,416b19(00):し其名號を唱ん人は、必ず往生すべしと云事を。又釋 0000_,31,416b20(00):迦佛この娑婆世界に出世して、一切衆生の爲に、彼彌 0000_,31,416b21(00):陀の本願を説て念佛往生を勸給へり。又六方恆沙の諸 0000_,31,416b22(00):佛、各廣長の舌を出して、釋迦の念佛して往生すと説 0000_,31,416b23(00):給ふは決定也。ふかく信じてすこしも疑心あるべから 0000_,31,416b24(00):ずと、そこばくの佛達の一佛ものこらず、一味同心に 0000_,31,416b25(00):證誠し給へり。既に彌陀は其願を立給ふ。釋尊は其願 0000_,31,416b26(00):のむなしからざる事を説すすめ給ふ。六方恆沙の諸佛 0000_,31,416b27(00):は其説の眞實なることを證誠し給へり。此外いづれの 0000_,31,416b28(00):佛の、又これらの諸佛にたがひて、凡夫念佛して往生 0000_,31,416b29(00):せずとはの給ふべきぞと云ことはりをもて、おほくの 0000_,31,416b30(00):佛現じてのたまふとも、其に驚てさては念佛往生は叶 0000_,31,416b31(00):まじき歟と、信心をやぶりて疑心すべからず。況や菩 0000_,31,416b32(00):薩たちのたまはんをや。況や羅漢辟支佛等をやと釋し 0000_,31,416b33(00):給て候也。何況、近來の凡夫のいひ妨げんをや。いか 0000_,31,416b34(00):に目出度人申とも、善導和尚にまさりて往生の道を知 0000_,31,417a01(00):べからず。善導は又彌陀の化身なり。彼佛我本願をひ 0000_,31,417a02(00):ろめて、あまねく一切衆生に知しめて、決定して往生 0000_,31,417a03(00):せさせん料に、かりそめに凡夫の人と生れて、善導和 0000_,31,417a04(00):尚と云れ給ふ也。いはば其敎は佛説にてこそ候へ。垂 0000_,31,417a05(00):迹の方にても現身に念佛三昧を得て、まのあたり淨土 0000_,31,417a06(00):の莊嚴を見、ただちに佛の敎をうけ給ひて、の給へる 0000_,31,417a07(00):言どもなり。本地を思ふにも、垂迹を尋るにも、旁以 0000_,31,417a08(00):仰で信ずべし。されば誰しも煩惱のこきうすきをかへ 0000_,31,417a09(00):り見ず、罪障のかろきおもきをも沙汰せず、只口に南 0000_,31,417a10(00):無阿彌陀佛と唱ん聲に付て、決定往生の思をなすべし。 0000_,31,417a11(00):其決定の心をやがて深心とは名付也。所詮、とにもか 0000_,31,417a12(00):くにも念佛して往生すと云事を、ふかく信じて疑はぬ 0000_,31,417a13(00):を深心とは名付候也。三に廻向發願心と云は、我所修 0000_,31,417a14(00):の行業を、一向に極樂に廻向して、往生を願ふ心也。 0000_,31,417a15(00):如此の三心を具してかならず往生すべし。この心一も 0000_,31,417a16(00):かけぬれば往生せずと、善導は釋し給へる也。たとひ 0000_,31,417a17(00):眞實の心ありて聲をかざらず共、佛の本願を疑は、既 0000_,31,417b18(00):に深心かけたる念佛也。たとひ疑心なく共、外をかざ 0000_,31,417b19(00):り内にまことの心なくば、至誠心かけたる心なるべし。 0000_,31,417b20(00):たとひ此二心を具してかざる心もなく疑心もなく共、 0000_,31,417b21(00):極樂に生れんと思ふ心なくば、廻向發願心かけぬべし。 0000_,31,417b22(00):三心を心得わかつ時は如此別別の様なれども、所詮は 0000_,31,417b23(00):眞實の心を發て、ふかく本願を信じて、往生をねがふ 0000_,31,417b24(00):心を三心具足の心とは申也。まことに是ほどの心だに 0000_,31,417b25(00):も具足せずしては、いかが往生極樂ほどの大事をばと 0000_,31,417b26(00):げ給ふべきや。此心は申せば又やすき事にて候なり。 0000_,31,417b27(00):かやうに心得しらねばとて、又もと具足せぬ心にては 0000_,31,417b28(00):候はぬ也。其名をだにもしらぬ者も、此心得をば備つ 0000_,31,417b29(00):べく候。又よくよくしりたらん人の中にも、其ままに 0000_,31,417b30(00):具せぬも候ぬべき心ばへにて候也。さればこそいふに 0000_,31,417b31(00):かひなき人ならぬものどもの中よりも、只ひらに念佛 0000_,31,417b32(00):申ばかりにて往生したりといふ事は、昔より申傳て候 0000_,31,417b33(00):へ。其らはみな知らねども、三心を具したる人にてあ 0000_,31,417b34(00):りけると心得らるる事にて候也。又年來念佛申たる人 0000_,31,418a01(00):の臨終のわろき事の候は、先に申つる様に、うへ計を 0000_,31,418a02(00):かざりて、たうとき念佛者など人にいはれんとのみ思 0000_,31,418a03(00):て、下にはふかく本願をも信ぜず、まめやかに往生を 0000_,31,418a04(00):もねがはぬ人にてこそは候はんと心得られ候也。され 0000_,31,418a05(00):ば此三心を具せざる故に、臨終もわろく往生もせぬ也 0000_,31,418a06(00):としろしめすべき也。かく申候へばさては往生は大事 0000_,31,418a07(00):のことにこそと思召事、ゆめゆめ候まじき也。一定往 0000_,31,418a08(00):生すべしと思ひとらぬ心を、やがて深心かけて往生せ 0000_,31,418a09(00):ぬ心とは申候へば、いよいよ一定の往生とこそ思召べ 0000_,31,418a10(00):き事にて候へ。まめやかに往生の心ざし有て、彌陀の 0000_,31,418a11(00):本願を疑はずして、念佛申さん人は、臨終のわろき事 0000_,31,418a12(00):は候まじき也。其故は佛の來迎し給ふ事は、もとより 0000_,31,418a13(00):行者の臨終正念の爲にて候也。其を心得ぬ人は、みな 0000_,31,418a14(00):我臨終正念にて念佛申たらん時、佛は迎給ふべしとの 0000_,31,418a15(00):み心得て候はば、佛の願をも信ぜず、經の文をもここ 0000_,31,418a16(00):ろえぬ人にて候也。稱讃淨土經には、佛慈悲をもて加 0000_,31,418a17(00):へたすけて、心をしてみだらしめ給はずと説れて候へ 0000_,31,418b18(00):ば、ただの時によくよく申をきたる念佛によりて、臨 0000_,31,418b19(00):終にかならず佛は來迎し給ふべし。佛の來現し給ふを 0000_,31,418b20(00):見奉りて、行者正念に住すと申義にて候也。然に先の 0000_,31,418b21(00):念佛をむなしく思なして、臨終正念をのみ祈る人など 0000_,31,418b22(00):の候は、ゆゆしき僻胤にて候也。されば佛の本願を信 0000_,31,418b23(00):ぜむ人は、兼て臨終を疑ふ心有べからずとこそ覺へ候 0000_,31,418b24(00):へ。ただ當時申さん念佛を、彌も心をいたして申べき 0000_,31,418b25(00):にて候。いつかは佛の本願にも臨終の時念佛申たらん 0000_,31,418b26(00):人をのみ迎へんとはたて給ひて候。臨終の念佛ばかり 0000_,31,418b27(00):にて往生すと申事、日來往生をもねがはず、念佛をも 0000_,31,418b28(00):申さずして、偏に罪をのみ作たる惡人の、既に死なん 0000_,31,418b29(00):とする時、初て善知識の勸にあひて念佛にて往生すと 0000_,31,418b30(00):こそ、觀經にも説て候へ。もとよりの行者の沙汰をば 0000_,31,418b31(00):強にすべき様は候はぬ也。佛の來迎一定ならば、臨終 0000_,31,418b32(00):の正念も又一定と思召べき也。此大意をもて能能御心 0000_,31,418b33(00):をとどめて心得させ給べく候。又罪をつくりたる人だ 0000_,31,418b34(00):にも往生す。まして法花經うちよみて念佛申さんは、 0000_,31,419a01(00):何かくるしかるべきと人人申候らん事は、京邊にもさ 0000_,31,419a02(00):様に申人人おほく候へば、實にさぞ候はん。されば諸 0000_,31,419a03(00):宗の心にてこそ候らめ。よしあしを定め申べきに候は 0000_,31,419a04(00):ず。ひが事と申さば恐れある方多く候。但淨土宗の心 0000_,31,419a05(00):善導の釋には往生の行に付て、大きに分て二とす。一 0000_,31,419a06(00):には正行、二には雜行也。初に正行と云は、是にあま 0000_,31,419a07(00):たの行あり。初に讀誦正行と云は、無量壽經、觀經、 0000_,31,419a08(00):阿彌陀經等の三部經を讀誦する也。次に觀察正行と云 0000_,31,419a09(00):は、彼國の依正二報のあり樣を觀ずる也。次に禮拜正 0000_,31,419a10(00):行と云は、阿彌陀佛を禮拜する也。次に稱名正行と云 0000_,31,419a11(00):は、南無阿彌陀佛と唱る也。次に讃歎供養正行と云は 0000_,31,419a12(00):阿彌陀佛を讃嘆し奉る也。これを五種の正行と名付、 0000_,31,419a13(00):讃嘆と供養とを二種の行とする時は、六種の正行とも 0000_,31,419a14(00):申也。此正行に付てふさねて二とす。一には一心に専 0000_,31,419a15(00):阿彌陀佛の名號を唱へ奉りて、立居起臥晝夜にわする 0000_,31,419a16(00):る事なく、念念に捨ざるを正定の業と名づく。彼佛の 0000_,31,419a17(00):本願に順ずるが故と申て、念佛をもて正しく定たる往 0000_,31,419b18(00):生の業と立て、若禮誦等によるをば、助業とすと申て 0000_,31,419b19(00):念佛の外の禮拜や、讀誦やなどをば念佛を助る業と申 0000_,31,419b20(00):て候也。此正定業と助業とを除て、其外の諸の業は皆 0000_,31,419b21(00):雜行と名付。布施、持戒、忍辱、精進等の六度萬行も 0000_,31,419b22(00):法花經をもよみ、眞言をも行ひ、かくのごとくの諸の 0000_,31,419b23(00):行をば、皆悉雜行と名付。先の正行を修するをぱ專修 0000_,31,419b24(00):の行者といふ。後の雜行を修するをば、雜行の行者と 0000_,31,419b25(00):申て候也。此二行の得失を判ずるに、先の正行を修す 0000_,31,419b26(00):るには、心常に彼國に親近して憶念ひまなし。後の雜 0000_,31,419b27(00):行を行ずるには、心常に間斷す。廻向して生る事を得 0000_,31,419b28(00):べしといへども、すべて疎雜の行と名付といひて、極 0000_,31,419b29(00):樂にうとき行といへり。又專修の者は十人は十人なが 0000_,31,419b30(00):ら生れ、百人は百人ながら生る。何をもての故に。外 0000_,31,419b31(00):の雜緣なくして、正念を得るがゆへに、彌陀の本願と 0000_,31,419b32(00):あひ叶ゆへに、釋迦の敎に順ずるがゆへに、雜行の者 0000_,31,419b33(00):百人が中に一二人生れ、千人が中に四五人生る。何を 0000_,31,419b34(00):もての故に雜緣亂動して正念を失がゆへに、彌陀の本 0000_,31,420a01(00):願と相應せざるがゆへに、釋迦の敎に順がはざるが故 0000_,31,420a02(00):に、係念相續せざるが故に、憶念間斷するが故に、自 0000_,31,420a03(00):も往生の業をさへ他の往生をもさふるが故になんと釋 0000_,31,420a04(00):せられて候めれば、善導和尚をふかく信じて、淨土宗 0000_,31,420a05(00):に入らん人は、一向に正行を修すべしと申事にてこそ 0000_,31,420a06(00):候へ。其上は善導の敎をそむき餘行を加へんとおもは 0000_,31,420a07(00):ん人は、をのをの習たる樣こそ候らめ。其をよしあし 0000_,31,420a08(00):とはいかが申候べき。善導の勸め給へる行どもをきな 0000_,31,420a09(00):がら、つとめ給はぬ行を少にても加べき樣なしと申事 0000_,31,420a10(00):にてこそ候へ。勸め給へる正行ばかりだにも猶ものう 0000_,31,420a11(00):き身にて、いまだすすめ給はぬ雜行をくはへん事は、 0000_,31,420a12(00):まことしからぬ方も候ぞかし。又罪を造る人だにも念 0000_,31,420a13(00):佛申て往生す。まして善なれば法花經などをよまぬは 0000_,31,420a14(00):何かくるしからんなど申候はむこそ、無下にはしたな 0000_,31,420a15(00):く覺候へ。往生を助はこそ、いみじくも候はめ。妨に 0000_,31,420a16(00):ならぬ計をいみじき事とて、加へ行はん事は、何か詮 0000_,31,420a17(00):にて候べきなれば、惡をば佛の御心に造とやすすめ給 0000_,31,420b18(00):ふ。構てとめよとこそ誡め給へ共、凡夫のならひ當時 0000_,31,420b19(00):のまどひに引れて、惡を作は力及ばぬ事にてこそ候へ。 0000_,31,420b20(00):誠に惡をつくる人の樣にしかるべくて、經をもよみた 0000_,31,420b21(00):く、餘行の加へたからん事は力及ばず。但法花經など 0000_,31,420b22(00):をよまん事を、一言なりとも惡造らんことにいひなら 0000_,31,420b23(00):べて、其も苦しからねば、まして是はなど申説事こそ 0000_,31,420b24(00):不便の事にて候へ。ふかき御法もあしく心得る人にあ 0000_,31,420b25(00):ひぬれば、返て物ならずきこえ候事こそあさましくお 0000_,31,420b26(00):ぼえ候へ。加樣に申候へば餘行の人人は、はら立する 0000_,31,420b27(00):事にて候に、御心一に心得てひろく知らさせ給ふまじ 0000_,31,420b28(00):く候。あらぬさとりの人の、ともかくも申候はぬ事を 0000_,31,420b29(00):ば、耳にもきき入させ給はで、ただ一すぢに善導の御 0000_,31,420b30(00):すすめに順がひて、いますこしも一定往生する念佛の 0000_,31,420b31(00):數返を申そへんと思召べき事にて候也。たとひ往生の 0000_,31,420b32(00):障とこそならずとも、不定の業とは聞えて候めれば、 0000_,31,420b33(00):一定往生の正業を修すべき行のいとまを入て、不定の 0000_,31,420b34(00):業を加へん事は、且は損にて候はずや。能能心得させ 0000_,31,421a01(00):給ふべきにて候也。但かく申候へば、雜行を加へん人 0000_,31,421a02(00):は永く往生すまじなど申事にては候はず。何樣にも餘 0000_,31,421a03(00):行の人なり共、すべて人をくだし、人をそしる事はゆ 0000_,31,421a04(00):ゆしき過重き事にて候也。能能御愼候て、雜行の人な 0000_,31,421a05(00):ればとてあなづる御心の候まじき也。よかれあしかれ 0000_,31,421a06(00):人の上の善惡を思入れぬがよき事にて候也。又志本よ 0000_,31,421a07(00):り此門に有て信じぬべく候はんをば、こしらへ勸させ 0000_,31,421a08(00):給べく候。さとりたがひてあらぬ樣ならんなどに、論 0000_,31,421a09(00):じ合せ給ふ事は有まじき事にて候。よくよく習知たる 0000_,31,421a10(00):聖達だにも、さやうの事をばつつしみておはしましあ 0000_,31,421a11(00):ひて候ぞ。まして殿原などの御身にて、一定僻事にて 0000_,31,421a12(00):候はんずるに候。ただ御身ひとつにまづ能能往生をね 0000_,31,421a13(00):がひて念佛を勵給て、位高き往生を遂て、いそぎ娑婆 0000_,31,421a14(00):に歸りて人をぱみちびかせ給へ。加樣に委くかき付て 0000_,31,421a15(00):申候事も、返返憚思事にて候也。御披露候まじく候。 0000_,31,421a16(00):あなかしこあなかしこ 0000_,31,421a17(00):三月十四日 源空 云云 0000_,31,421b18(00):罪惡の凡夫なりとも、專心念佛せば決定して往生すべ 0000_,31,421b19(00):し。疑なし。これを見これをきかん人、あに疑網をな 0000_,31,421b20(00):さんや 0000_,31,421b21(00):法然上人傳記卷第六上 0000_,31,421b22(00):上人被下向配所事 0000_,31,421b23(00):愚鈍罪惡の輩偏に上人の化導を憑所に、天魔やきほい 0000_,31,421b24(00):けん。南北の碩德、顯密の法燈、我宗を謗すと號し、 0000_,31,421b25(00):或は聖道を妨と稱して、とがを縦横に求むる間、建永 0000_,31,421b26(00):二年丁卯二月、念佛の行人に下さるる宣旨云、顯密兩宗 0000_,31,421b27(00):焦丹府而歎息、南北衆徒捧白疏而鬱訟、誠是可謂天 0000_,31,421b28(00):魔障遮之結構。寧亦非佛法弘通之怨讎乎云云。遂に上 0000_,31,421b29(00):人の門弟等いかなる事かありけん。咎を本師におほせ 0000_,31,421b30(00):て遠流に處せらる。上人曰、凡往生極樂の一門を開て 0000_,31,421b31(00):代に隨ひ機にかうぶらしめて授る中、自邪義をかまへ 0000_,31,421b32(00):て師説と號する間、せめ一身にかうぶらしめて遙に萬 0000_,31,421b33(00):里の波に趣く、但此事をいたむにはあらず。昔敎主釋 0000_,31,422a01(00):尊の因行の時、檀施のあまり父の大王にいましめられ 0000_,31,422a02(00):て、はるか成山にこめられ給ひしか共、其志おこたり 0000_,31,422a03(00):給はずして、ますます佛道を修行し給しかば、彼山を 0000_,31,422a04(00):釋迦山と名付て終に正覺の庭と成にけり。諸佛菩薩亦 0000_,31,422a05(00):復如此、愚老何ぞ衆生をわたさざらんやと。かかる程 0000_,31,422a06(00):に同月廿七日、上人還俗の姓名を給ふ。源元彦云云配 0000_,31,422a07(00):所土佐國と定められて、檢非違使小松の御房にむかひ 0000_,31,422a08(00):て宣下の旨をのべけり。禪定殿下の御計として法性寺 0000_,31,422a09(00):の小御堂に逗留、同三月十六日都を出給ふ。信濃國の 0000_,31,422a10(00):御家人、角張の成阿みだ佛を棟梁として、惣て我も我 0000_,31,422a11(00):もと參勤の人人六十餘人とぞきこえし。此次第を見る 0000_,31,422a12(00):人人歎悲みければ、かれをいさめ給ひける詞に云、驛 0000_,31,422a13(00):路はこれ大聖の住所也。漢家には一行阿闍梨、日域に 0000_,31,422a14(00):は役優婆塞、謫所は又權化の栖所也。震旦には白樂天 0000_,31,422a15(00):吾朝には菅丞相也。在纏出纏みな火宅也と云云。角張 0000_,31,422a16(00):は俗姓もいやしからず。王家をまふり朝敵を平ぐとい 0000_,31,422a17(00):へ共、本師上人に隨て奴となり僕と成、ちからを盡し 0000_,31,422b18(00):て御輿をかく、菜つみ水汲む役をいとはず、身を捨て 0000_,31,422b19(00):つかえんとす。爰上人一人の弟子に對して一向專念の 0000_,31,422b20(00):義をのべ給に、西阿みだ佛といふ弟子推參して、如此 0000_,31,422b21(00):の御義ゆめゆめあるべからず候。各各御返事を申さる 0000_,31,422b22(00):べからずと申ければ、上人曰、汝經釋の交を見ずやと。 0000_,31,422b23(00):西阿申さく、經釋の文は然といへども、世間の譏嫌を 0000_,31,422b24(00):存する斗也と。上人又云、彌陀の本願は是愚痴暗鈍の 0000_,31,422b25(00):輩、罪惡生死の類の出離解脱の直路也。我くびをきら 0000_,31,422b26(00):るる共、この事をいはずば有べからずとて、御氣色尤 0000_,31,422b27(00):至誠也。見奉る人人涙をながして隨喜す。時に信空上 0000_,31,422b28(00):人申云、衰邁の御身、遠境の族に出ましましなば、再 0000_,31,422b29(00):會いつをか期せん。音容共に今を限れり。所犯なくし 0000_,31,422b30(00):て流刑の宣をかうぶり給ふ。跡にとどまる身の爲なに 0000_,31,422b31(00):の面かあらんといひて、胸うちて歎息す。上人曰、予 0000_,31,422b32(00):齡既に八旬にせまる。たとひ帝京にありとも久しから 0000_,31,422b33(00):じ。此時にあたりて邊鄙の群類を化せん事、莫大の利 0000_,31,422b34(00):益なるべし。ただしいたむ所は、源空が興ずる淨土の 0000_,31,423a01(00):法門は、濁世末代の衆生の決定出離の要道なるが故に 0000_,31,423a02(00):守護の天等常隨すらん。我心には遺恨なしといへども 0000_,31,423a03(00):彼天等定て冥瞰をいたさんか。若然ば因果のむなしか 0000_,31,423a04(00):らざる事、いきて世に住せば、思合らるべし。因緣つ 0000_,31,423a05(00):きずば、何ぞ又今生の再會なからんや。信空上人後に 0000_,31,423a06(00):云、先師の詞違はずして其むくひあり。何をもてか知 0000_,31,423a07(00):るならば、承久の兵亂に、東夷上都をかるしめ、時の 0000_,31,423a08(00):君は西海の島の中にましまして、多年心をいたましめ 0000_,31,423a09(00):臣は東土の道の傍にして、一旦に命を失ふ。先言のし 0000_,31,423a10(00):るしある、後生ききとるべし。凡念佛停廢の沙汰ある 0000_,31,423a11(00):毎に凶厲ならずといふ事なし、人みな是をしれり、覶 0000_,31,423a12(00):縷にあたはずと。此事筆端にのせ難しといへども、前 0000_,31,423a13(00):事の忘れざる後事の師なりと云をもての故に、世のた 0000_,31,423a14(00):め人のため憚ながら是を記す 0000_,31,423a15(00):月輪殿被命置光親卿事 0000_,31,423a16(00):月輪禪定殿下と申は、忠仁公十一代の後胤、法性寺殿 0000_,31,423a17(00):の御息號後法性寺殿 累代の攝錄の跡にましますうへ、朝家の 0000_,31,423b18(00):賢政、詩歌の才幹、君是をゆるし給ふに、世これを仰 0000_,31,423b19(00):奉る。榮花重職の豪家にあそび給といへ共、順次往生 0000_,31,423b20(00):の眞門に御心をかけて、御出家の後は、數年上人を屈 0000_,31,423b21(00):して、淨土の法門を談じ、出離の要道を尋給ふ。上人 0000_,31,423b22(00):の頭光をまのあたり拜見し給ひて後は、偏に生身の佛 0000_,31,423b23(00):のおもひをなし奉り給ふ。はからざるに勅勘をかうむ 0000_,31,423b24(00):りて、遙なる西海の波にただよひ給ふ。官人小松の御 0000_,31,423b25(00):房にまいりて、時日をめぐらさず。いそぎ配所へおも 0000_,31,423b26(00):むき給ふべき旨を責申に、禪定殿下此事を聞食より御 0000_,31,423b27(00):歎尤ふかし。其故は、去年建永元年三月七日、後京極 0000_,31,423b28(00):の攝政殿、俄にさきだたせ給ひき。本朝にたえて久し 0000_,31,423b29(00):く成にける、曲水の宴取行給べき御營み有て、中御門 0000_,31,423b30(00):の御亭今更に玉鏡をみがき、風流を盡し、詩歌の題と 0000_,31,423b31(00):も諸方へつかはさる。詩人才士の面面に詠吟の外他な 0000_,31,423b32(00):し。十日あまりの比、其節を遂行はるべき由聞えける 0000_,31,423b33(00):ほどに、七日の夜頓死し給ふ間、くもりなき世の鏡に 0000_,31,423b34(00):ておはしましつれば、君を初奉りて萬人惜奉らずと云 0000_,31,424a01(00):事なし。禪閤の御歎き申に及ばず。御としわづかに三 0000_,31,424a02(00):十八歳にぞ成給ける。此御悲の後は、今生の事は思召 0000_,31,424a03(00):捨て、一すぢに後生菩提の御いとなみに付ても、上人 0000_,31,424a04(00):に常に御對面ありて、生死無常の道理をも具に聞食め 0000_,31,424a05(00):され。往生淨土の行業もいよいよ功つみて、聊御心も 0000_,31,424a06(00):慰み給ふ所に、上人左遷の罪にあたり給事を、いかな 0000_,31,424a07(00):る宿業にて、かかる事を見聞らんと。勅勘蒙り給ふ上 0000_,31,424a08(00):人は御歎きなけれ共、只禪閤の御悲み見奉る、餘所ま 0000_,31,424a09(00):でも心のをき所なかりけり。是ほどの御事申もとどめ 0000_,31,424a10(00):奉ぬ事、いきて世にあるかひもなけれども、御勘氣の 0000_,31,424a11(00):初より左右なく申さんも、そのおそれふかし。連連に 0000_,31,424a12(00):御氣色をうかがひて勅免を申行べし。土佐國迄はあま 0000_,31,424a13(00):りに心もとなし。我知行の國なればとて、讃岐の國へ 0000_,31,424a14(00):うつし奉る。御名殘やとどめがたかりけん禪閤 0000_,31,424a15(00):ふりすてて行はわかれのはしなれと 0000_,31,424a16(00):ふみわたすべきことをしぞおもふ 0000_,31,424a17(00):上人御返事には 0000_,31,424b18(00):露の身はここかしこにて消ぬとも 0000_,31,424b19(00):こころはおなじ花のうてなぞ 0000_,31,424b20(00):後れ前だつならひに候とも、同じ心にこそと憑もしく 0000_,31,424b21(00):思ひまいらせ候とぞ申されける。あはれなりし事也。 0000_,31,424b22(00):さて其後禪閤日夜朝暮の御歎きの故に、日來の御不食 0000_,31,424b23(00):いとどおもらせ給て、御臨終近づかせ給ける時、藤中 0000_,31,424b24(00):納言光親卿をめして仰られけるは、法然上人年來歸依 0000_,31,424b25(00):し奉るあり様定て存じすらん。今度の勅勘を申ゆるさ 0000_,31,424b26(00):ずして、遂に謫所へうつし奉る事、生て甲斐なく覺れ 0000_,31,424b27(00):ども、梟惡の輩かやうに申行、逆鱗の誠のがれがたし。 0000_,31,424b28(00):事の初に申とても、左右なく御免有がたければ、愼で 0000_,31,424b29(00):後日を期する處に、我身早く最後に望めり。今生のう 0000_,31,424b30(00):らみ只此事にあり。我他界の後なりと云とも、汝相構 0000_,31,424b31(00):て連連に御氣色をうかがひて、且はかくとぞ返返申置 0000_,31,424b32(00):れて候へと申て勅免を申行べし。其のみぞ心にかかる 0000_,31,424b33(00):事にてあると。能能仰られければ、光親の卿、仰のむ 0000_,31,424b34(00):ね更に如在を存べからず。便宜しかるべく候はん時、 0000_,31,425a01(00):連連に天氣を伺候べしとて、涙をおさへて罷出にけ 0000_,31,425a02(00):り。さて禪定殿下御臨終正念にして、御念佛數十返如 0000_,31,425a03(00):入禪定にして同四月五日往生を遂させ給ひぬ。御年五 0000_,31,425a04(00):十八、いまだ惜かるべき程の御事也。上人國に下つか 0000_,31,425a05(00):せ給て、いくほどもなくて此事をきき給て、御念佛日 0000_,31,425a06(00):日に廻向し奉り給ふ。一佛淨土誠に憑もしくぞ覺えし 0000_,31,425a07(00):大納言律師配所下向事 0000_,31,425a08(00):上人配所へ趣たまひける同き日に、大納言律師の公全 0000_,31,425a09(00):今の二尊院聖信房湛空也 同く西國へながされ侍りけるが、律師の 0000_,31,425a10(00):舟は前に出ければ、上人の下らせ給ふと聞て、暫くお 0000_,31,425a11(00):さへて上人の御船にのりうつり、一目見あげ奉りて、 0000_,31,425a12(00):上人の御ひざにかしらをかたぶけて、泣哭天をひびか 0000_,31,425a13(00):すといへども、上人は驚給へる氣色おはしまさず、念 0000_,31,425a14(00):佛してましましける。さて律師の舟よりとくとくと申 0000_,31,425a15(00):ければ、本の船に乘うつりけり 0000_,31,425a16(00):被著經島事 0000_,31,425a17(00):攝津國經の島に著し給ければ、村里男女老少まいりあ 0000_,31,425b18(00):つまる事、濱の眞砂の數をしらず。此島は六波羅の大 0000_,31,425b19(00):相國、一千部の法花經を石の面に書寫して、漫漫たる 0000_,31,425b20(00):波の底にしづむ、鬱鬱たる魚鱗をすくはんが爲也。安 0000_,31,425b21(00):元の寶暦より初て未來際を盡すまで緣をむすぶ人人は 0000_,31,425b22(00):いまも石をひろひてぞ向ふなる。鳥羽院の御時の事に 0000_,31,425b23(00):や、平等院僧正行尊と申しは、故一條院の御孫、天下 0000_,31,425b24(00):無双の有驗高僧にておはしましければ、天王寺の別當 0000_,31,425b25(00):に補任せられて、拜堂の爲に下られける時、江口の遊 0000_,31,425b26(00):君ども舟を近くよせければ、僧の御船に見ぐるしと申 0000_,31,425b27(00):ければ、神歌をうたひ出し侍ける 0000_,31,425b28(00):有漏路より無漏路にかよふ釋迦だにも 0000_,31,425b29(00):羅睺羅が母はありとこそきけ 0000_,31,425b30(00):と、うち出したりければ、さまざまの纏頭し給ひけり。 0000_,31,425b31(00):其より後例となりて、天王寺の別當の拜堂には遊君の 0000_,31,425b32(00):船をよせて纏頭にぞあづかるなる。又同宿の長者、老 0000_,31,425b33(00):病にふして最後の時うたひけるいまやうに、なにしに 0000_,31,425b34(00):我身の老にけん、思へばいとこそかなしけれ、いまは 0000_,31,426a01(00):西方極樂の、彌陀のちかひを憑べし。と、うたひけれ 0000_,31,426a02(00):ば、紫雲蒼海の波にたなびき、蓮花白日の天にふり、 0000_,31,426a03(00):音樂近くきこえ、異香ちかくかほりつつ、往生を遂げ 0000_,31,426a04(00):るも、此上人の御勸に隨ひ奉るゆへ也ければ、いまも 0000_,31,426a05(00):上人に緣をむすび奉らんとて、我おとらじとまいりあ 0000_,31,426a06(00):つまりて、おがみ奉けり 0000_,31,426a07(00):被著高砂浦事 0000_,31,426a08(00):播磨國高砂の浦に著給ければ、男女老少群集しける中 0000_,31,426a09(00):に、七旬有餘の老翁と、六十有餘の老女と進み出で申 0000_,31,426a10(00):けるは、我等は重代この浦の海人なり。幼少より漁を 0000_,31,426a11(00):業として、朝夕魚貝の命をたちて渡世の斗とす。まこ 0000_,31,426a12(00):とやらん物の命をころす者は、地獄に落て苦をうくる 0000_,31,426a13(00):事隙なきよし傳へ承れば、悲しく侍れ共、此態を離て 0000_,31,426a14(00):は身命つぎ難き故に、歎ながら、此罪業を積事年を經 0000_,31,426a15(00):たりし。此罪をのがるる計ごと候はば、助給へと申て 0000_,31,426a16(00):手を合てなきければ、上人あはれみをたれて、極惡最 0000_,31,426a17(00):下の人、南無阿彌陀佛と唱て佛の悲願に乘じ、極樂に 0000_,31,426b18(00):往生する趣ねむごろにをしへ給て、十念を授られけれ 0000_,31,426b19(00):ば、歡喜の涙を流して歸けり、彼二人は年來の夫婦也。 0000_,31,426b20(00):上人の仰を承て後は、晝は浦に出て漁をすといへ共、 0000_,31,426b21(00):作作の行を事として、口には念佛を唱へ、夜は宅に歸 0000_,31,426b22(00):りて二人同く念佛することを隣の人も驚くほどなりけ 0000_,31,426b23(00):るが、遂に二人共に臨終正念にて、高聲念佛して往生 0000_,31,426b24(00):しけるよし、後に人上人に語り申ければ、罪の輕重に 0000_,31,426b25(00):はよらず。念佛すれば往生する現證なりとぞ、常には 0000_,31,426b26(00):御物語ありけるが、さればとて念佛行者、罪を犯せと 0000_,31,426b27(00):にはあらず。所詮、罪は五逆も生るると信じて小罪を 0000_,31,426b28(00):も恐れよ、念佛は一念に生ると信じて、多念をはげめ 0000_,31,426b29(00):とぞ仰られける 0000_,31,426b30(00):法然上人傳記卷第六下 0000_,31,426b31(00):被著室津事 0000_,31,426b32(00):同國むろの津に著給ける時、小船一艘近づき來れり。 0000_,31,427a01(00):遊君の船と見ける間、上人の御船より人人しきりに是 0000_,31,427a02(00):を制しければ、遊女申云、上人の御船のよし承間、聊 0000_,31,427a03(00):申入べき事侍故に推參せるよし、いひもはてず、やが 0000_,31,427a04(00):て皷をならして 0000_,31,427a05(00):くらきよりくらき道にぞ入ぬべき 0000_,31,427a06(00):はるかにてらせ山のはの月 0000_,31,427a07(00):と、兩三度うたひて後、涙にむせびて云事なし。良久 0000_,31,427a08(00):く有て申けるは、むかし小松の天皇、八人の姫君を七 0000_,31,427a09(00):道に遣して君の名を留め給き。これ遊君の濫觴なり。 0000_,31,427a10(00):朝には鏡に向て容顔をかいつくろひ、夕には客に近き 0000_,31,427a11(00):て其意をとらかす。念念に思ふ所皆是妄念也。歩歩 0000_,31,427a12(00):に營所、罪業にあらずと云事なし。悲哉渡世の道まち 0000_,31,427a13(00):まちなるに、いかなる宿習にてか、此わざをなせる。 0000_,31,427a14(00):耻哉、世路の計事品計事品なるに、いかなる前業にてか 0000_,31,427a15(00):此業を積や。今生にはかかる罪業に深重の身也とも、 0000_,31,427a16(00):生をあらため得脱する道あらば助給へと、なくなく申 0000_,31,427a17(00):ければ。上人哀感して曰、述所、誠に罪障かろからず。 0000_,31,427b18(00):酬報又はかりがたし。過去の宿業によつて、今生の惡 0000_,31,427b19(00):身を得たり。現在の惡因にこたへて、當來の惡果を感 0000_,31,427b20(00):ぜん事疑なし。若此わざの外に渡世の計略あらば、速 0000_,31,427b21(00):に此惡緣を離べし。たとひよの計略なしといふ共、身 0000_,31,427b22(00):命を顧みざる志あらば、又此業を捨べし。若又餘の計 0000_,31,427b23(00):略もなし、身命を捨る志もなくば、ただその身ながら 0000_,31,427b24(00):専念佛すべき也。彌陀如來汝がごときの罪人の爲に、 0000_,31,427b25(00):弘誓をたて給へる其中に、女人往生の願あり。然則女 0000_,31,427b26(00):人はこれ本願の正機也。念佛は是往生の正業也。ふか 0000_,31,427b27(00):く信心を發すべし、敢て卑下する事なかれ、罪の輕重 0000_,31,427b28(00):をいはず、本願を仰で念佛すれば、いかなる柴の扉、 0000_,31,427b29(00):苔の莚なれ共、所をきらはず臨終の夕には、彌陀如來 0000_,31,427b30(00):無量の聖衆と共に來りて引攝し給が故に、往生疑ひな 0000_,31,427b31(00):きよし仰られければ、遊女歡喜の涙を流し、渇仰の掌 0000_,31,427b32(00):を合て歸りける。うしろに發心眞實也、信心堅固也、 0000_,31,427b33(00):一定の往生かなとおほせられける。上人歸路の時これ 0000_,31,427b34(00):を尋られければ、村人等申云、上人御下向の後、則出 0000_,31,428a01(00):家して近き山里に籠居して、他事なく念佛し侍りしが 0000_,31,428a02(00):いくほどを經ずして、臨終正念、高聲念佛して往生し 0000_,31,428a03(00):侍るよし申ければ、しつらうしつらうとぞ仰られける 0000_,31,428a04(00):塩飽地頭饗應事 0000_,31,428a05(00):三月廿六日、讃岐國塩飽の地頭駿河守高階保遠入道西 0000_,31,428a06(00):忍が館に寄宿し給けり。西忍去夜の夢に、滿月輪光明 0000_,31,428a07(00):赫奕として袂にやどるとみて、不思議のおもひをなす 0000_,31,428a08(00):所に、いま上人入御の間、去夜の靈夢しかしながら此 0000_,31,428a09(00):事也。かく仰信をいたし、種種にきらめき奉りて、温 0000_,31,428a10(00):室をいとなみ、美膳を備へ奉る。志顯れてぞ侍める。 0000_,31,428a11(00):上人は念佛往生の理端端授給ひて、自行化他共に一向 0000_,31,428a12(00):念佛なるべしとぞ仰られければ、遠近の男女老少に至 0000_,31,428a13(00):まで、傳へきく輩皆念佛に歸しけり。誠に世澆季に及 0000_,31,428a14(00):で、これほどの上人に生れあひ奉て、化導を傳へ承ら 0000_,31,428a15(00):んだにも有難かるべきに、可然次に親拜見し奉りて、 0000_,31,428a16(00):供養をのぶる事宿緣目出度ぞ侍ける。彼時上人詠じ給 0000_,31,428a17(00):ひける 0000_,31,428b18(00):極樂もかくやあるらんあらたのし 0000_,31,428b19(00):はやまいらばや南無みだ佛 0000_,31,428b20(00):善通寺參詣事 0000_,31,428b21(00):讃岐國小松の庄、弘法大師の建立、觀音靈驗の地、生 0000_,31,428b22(00):福寺と申寺に付給ぬ。又同じき國、大師父の御爲に、 0000_,31,428b23(00):其名をかりて善通寺と云、此寺に詣らん人人は、必ず 0000_,31,428b24(00):一佛淨土の友たるべき由侍ければ、今度の悅これにあ 0000_,31,428b25(00):りとて參り給けり 0000_,31,428b26(00):被遣津戸三郎返状事 0000_,31,428b27(00):上人流刑の事を、津戸三郎ふかく歎存ける餘り、武州 0000_,31,428b28(00):より讃岐國へ使者を遣しける時、上人の御返事に云、 0000_,31,428b29(00):七月十四日の御消息、八月廿一日に見候ぬ。遙のさか 0000_,31,428b30(00):ひに、かやうに仰られて候御志申盡すべからず候。誠 0000_,31,428b31(00):に然べき事にてかやうに候。とかく申ばかりなく候。 0000_,31,428b32(00):但し今生の事は是に付ても、我も人も思知べき事に候。 0000_,31,428b33(00):いとひてもいとはんと思召べく候。けふあすとも知り 0000_,31,428b34(00):候はぬ身に、かかる目を見候、心うき事にて候へども 0000_,31,429a01(00):さればこそ穢土のならひにては候へ。只とくとく往生 0000_,31,429a02(00):をせばやとこそ思ひ候へ。誰も是を遺恨の事などゆめ 0000_,31,429a03(00):にも不可思召候。然べき身の宿報と申、又穢惡充滿 0000_,31,429a04(00):のさかひ、是に初めぬ事にて候へば、何事に付ても只 0000_,31,429a05(00):急急往生をせんと思べき事に候。あなかしこあなかしこ 0000_,31,429a06(00):八月廿四日 源空判云云 0000_,31,429a07(00):後世を思ひ往生を願はん人は、上人の仰のごとく、今 0000_,31,429a08(00):生にはたとひいかなるふかき恨あり共、更に其人のと 0000_,31,429a09(00):がになし。遺恨を含む事なかれ。只偏に娑婆世界の習 0000_,31,429a10(00):ぞと、造付たる穢土のとがに思なして、やがて其を厭 0000_,31,429a11(00):離穢土のたよりとして、欣求淨土のおもひをますべき 0000_,31,429a12(00):もの也 0000_,31,429a13(00):在國の間念佛弘通事 0000_,31,429a14(00):上人在國の間、無常の理をとき念佛の行を勸給ひけれ 0000_,31,429a15(00):ば、當國他國、近里遠村、道俗男女、貴賤上下群參す 0000_,31,429a16(00):る事盛なる市をなす。法然上人の化導によりて、或は 0000_,31,429a17(00):自力難行の執情をすて、或は邪見放逸の振舞をあらた 0000_,31,429b18(00):めて、念佛往生を遂る人多かりければ、洛陽の月卿雲 0000_,31,429b19(00):客の歸依は年久敷、邊鄙の田夫野人の化導は日淺し、 0000_,31,429b20(00):是則年來の本懷なりしか共、時いまだいたらざれば、 0000_,31,429b21(00):思ながら年月を送る所に、此時年來の本意を遂ぬる事 0000_,31,429b22(00):併朝恩也とぞ仰られける 0000_,31,429b23(00):一念義停止事 0000_,31,429b24(00):山門の西塔南谷の住侶に、金本坊の少輔とて聰敏の學 0000_,31,429b25(00):生也けるが、最愛の兒に送れて交衆倦かりければ、三 0000_,31,429b26(00):十六の歳、遁世して上人の弟子となり、念佛門に入て 0000_,31,429b27(00):成覺坊と申けるが、天台宗にひきいれて、迹門の彌陀 0000_,31,429b28(00):本門の彌陀を立て、十劫正覺といへるは、迹門の彌陀 0000_,31,429b29(00):也。本門の彌陀は無始本覺の如來なるが故、彌陀と我 0000_,31,429b30(00):等と全く差異なし。此謂をきく一念に事足ぬ。多念の 0000_,31,429b31(00):數返甚無益なりといひて、一念義と云事を自立しける 0000_,31,429b32(00):を、上人彌陀の本願は極重最下の惡人を助け、愚癡淺 0000_,31,429b33(00):識の諸機を救はんが爲なれば、一形にはげみ念念に捨 0000_,31,429b34(00):ざる是正意也。無行の一念義をたて、多念の數返を妨 0000_,31,430a01(00):げん事不可然と仰られけるを承引せず、猶此義を興じ 0000_,31,430a02(00):ければ、我弟子には非ずと棄置せられけり。兵部鄕三 0000_,31,430a03(00):位基親鄕は、ふかく上人勸進の旨を信じて、毎日五萬 0000_,31,430a04(00):返の數返をせられけるを、成覺坊一念義をもて、彼鄕 0000_,31,430a05(00):の數返を難じければ重重の問答を致し、存知の旨を記 0000_,31,430a06(00):錄して上人に尋申されける状に、念佛の數返並に本願 0000_,31,430a07(00):を信ずる樣、愚案如是候。難者謂なく候へ共、若御存 0000_,31,430a08(00):知の旨候はば、御自筆をもて書給べく候。別解別學の 0000_,31,430a09(00):人にて候はば、耳にも聞入べからず候に、御弟子等の 0000_,31,430a10(00):説に候へば、不審をなし候也云云取詮事長きによりて 0000_,31,430a11(00):問答の記錄これを略す。上人の御返事に云、仰の旨謹 0000_,31,430a12(00):て承り候畢。御信をとらしむる樣折紙に具に拜見候に 0000_,31,430a13(00):一分も愚意の所存に違せず候。ふかく隨喜し奉り候也。 0000_,31,430a14(00):近來一念の外數返無益なりと申義出來候。勿論不足言 0000_,31,430a15(00):の事候歟。文釋を離て義を申人、若既に證を得候か、 0000_,31,430a16(00):尤不審に候。附佛法の外道ほかに求むべからず。天魔 0000_,31,430a17(00):競來て如此の狂言出來候歟、猶猶左右に能はず候云云。 0000_,31,430b18(00):取詮爰上人配國の後、成覺坊の弟子善心坊といへる僧、 0000_,31,430b19(00):越後國にして專此一念義を立けるを、光明坊といへる 0000_,31,430b20(00):もの不心得事に思て、承元三年夏の比、消息をもて上 0000_,31,430b21(00):人に尋申けるに付て、配所にてかかれたる一念義停止 0000_,31,430b22(00):の状に云、當世念佛門に趣く行人、その中おほく無智 0000_,31,430b23(00):誑惑の輩あり。いまだ一宗の廢立をしらず一法の名目 0000_,31,430b24(00):に及ばず、心に道心なく身に利益をもとむ。これによ 0000_,31,430b25(00):りて恣に妄語を構て諸人を迷亂す、偏にこれを渡世の 0000_,31,430b26(00):斗として、全く來生の罪をかへり見ず。かたましく一 0000_,31,430b27(00):念の僞法をひろめて、無行の過を謝し、あまさへ無念 0000_,31,430b28(00):の新義を立て、猶一稱の小行を失ふ。微善也といへ共 0000_,31,430b29(00):善根において跡をけづり、重罪也といへ共、罪障にお 0000_,31,430b30(00):いていよいよ勢をます。刹那五欲の樂を受けんが爲に 0000_,31,430b31(00):永劫三途の業をおそれず。人を敎示しても、彌陀の願 0000_,31,430b32(00):を憑むものは五逆を捨る事なし。心に任てこれをつく 0000_,31,430b33(00):れ、袈裟を著すべからず。宜しく直垂を着、婬肉を斷 0000_,31,430b34(00):べからず、恣に鹿鳥を食ベしと云云。弘法大師異生羝 0000_,31,431a01(00):羊心を釋して言、ただ婬食を思ふ事、彼羝羊の如しと 0000_,31,431a02(00):云云。彼輩ただ欲にふけること偏に彼類歟。十住心の 0000_,31,431a03(00):中の三惡道の心也、誰か是を哀まざらむや。ただ餘敎 0000_,31,431a04(00):を妨のみに非ず、返て念佛の行をうしなふ。懈怠無慚 0000_,31,431a05(00):の業を勸て、捨戒還俗の義を示す。これ本朝には外道 0000_,31,431a06(00):なし、是既に天魔の構へ也。佛法を破滅し世人を惑亂 0000_,31,431a07(00):す。此敎訓にしたがはん者は、癡鈍のいたす所也。い 0000_,31,431a08(00):まだ敎文を學せずといふ共、誠あらん人何ぞこれを信 0000_,31,431a09(00):ずべきや。善導和尚の觀念法門には、唯深持戒念佛す 0000_,31,431a10(00):との給へり。和尚の弟子三昧發得の懷感法師の群疑論 0000_,31,431a11(00):には、都率を志求せん者は、西方の行人を毀ことなか 0000_,31,431a12(00):れ。西方に生れんと欣はん者は、都率の業を毀ことな 0000_,31,431a13(00):かれ。各性欲に隨て、情にまかせて修し學すべしと釋 0000_,31,431a14(00):し給へり。安養の行人もし此敎に隨はんと思はんもの 0000_,31,431a15(00):は、祖師の跡を逐て隨分に戒品を守り、衆惡をつくら 0000_,31,431a16(00):ず、餘敎を妨ず、餘行を輕しむる事なかれ。惣じて佛 0000_,31,431a17(00):法におひて恭敬心をなし、更に三萬六萬の念佛を修し 0000_,31,431b18(00):て、五門九品の淨土を期すべし。しかるを近日北陸道 0000_,31,431b19(00):の中に一の誑法の者あり。妄語を構て云、法然上人の 0000_,31,431b20(00):七萬返の念佛は、ただこれ外の方便なり、内に實義あ 0000_,31,431b21(00):り、人いまだ是を知らず。所謂心に彌陀の本願をしれ 0000_,31,431b22(00):ば、身かならず極樂に往生す。淨土の業ここに滿足し 0000_,31,431b23(00):ぬ。此上何ぞ一返也といふ共、重て名號を唱べきや。 0000_,31,431b24(00):彼上人の禪坊において、門人等廿人ありて、祕義を談 0000_,31,431b25(00):ぜしに、淺智の類は性鈍にしていまださとらず。利根 0000_,31,431b26(00):の輩わづかに五人、此深法を得たり、我其一人也。彼 0000_,31,431b27(00):上人の己心中の奧義也、容易にこれを授けず、器を擇 0000_,31,431b28(00):て傳授せしむべしと云云。風聞の説實ならば皆以虚言 0000_,31,431b29(00):也。迷者を哀れまんが爲に誓言をたつ。貧道これを祕 0000_,31,431b30(00):して、僞て此旨をのべ不實の事をしるさば、十方の三 0000_,31,431b31(00):寶正に知見をたれ、毎日七萬返の念佛むなしく其利益 0000_,31,431b32(00):を失はん。圓頓行者の初より實相を緣ずる、猶六度萬 0000_,31,431b33(00):行を修して無生忍にいたる、いづれの法か行なくして 0000_,31,431b34(00):證をうるや。乞願は、此疑網に墮せん類ひ邪見の稠林 0000_,31,432a01(00):を切て正直の心地をみがき、將來の鐵城を遁て終焉の 0000_,31,432a02(00):金臺にのぼれ。胡國程遠し、思を雁札に通ず。北陸境 0000_,31,432a03(00):遙なり、心を像敎にひらけ、山川雲重て、面を千萬里 0000_,31,432a04(00):の月にへだつとも、化導緣あつく、ひざを一佛土の風 0000_,31,432a05(00):にちかづけん。誑惑の輩いまだ半卷の書をよまず、一 0000_,31,432a06(00):句の法をうけず、むなしく弟子と號する甚其謂なし。 0000_,31,432a07(00):己が身に智德かけて、人をして信用せしめんが爲に、 0000_,31,432a08(00):恣に外道の法を説て師匠の敎として、或は自稱して弘 0000_,31,432a09(00):願門と名付、或は心に任て謀書を造て念佛要文集と號 0000_,31,432a10(00):す。此書の中に初て僞經を作て、新に證據にそなふ。 0000_,31,432a11(00):念佛祕密經是也。花嚴等の大乘の中に、本經になき所 0000_,31,432a12(00):の文を作て云、諸善を作べからず、只專修一念を勤む 0000_,31,432a13(00):べしと。彼書いま花夷に流布す。智者見ると云とも是 0000_,31,432a14(00):嗤なるべし。愚人是を信受する事なかれ、如此の謀書 0000_,31,432a15(00):前代にもいまだきかず。猶如來におひて妄語を寄す。 0000_,31,432a16(00):況や凡夫において虚言を與へんをや。此猛惡の性、一 0000_,31,432a17(00):をもて萬を察すべき者也。是癡闇の輩也、いまだ邪見 0000_,31,432b18(00):とするに及ばず、誑惑の類也、名利の爲に他をあやま 0000_,31,432b19(00):つ。抑貧道山學の昔より、五十年の間廣く諸宗の章疏 0000_,31,432b20(00):を披閲して、叡岳になき所をば是を他門に尋て必ず一 0000_,31,432b21(00):見を遂ぐ。讃仰年積て聖敎殆盡す。加之、或は一夏の 0000_,31,432b22(00):間四修を修し、或は九旬の中に六時懺法を行ず。年來 0000_,31,432b23(00):長齋にして顯密の諸行を修練しき。身既に病老しての 0000_,31,432b24(00):ち念佛をつとむ。今稱名の一門につゐて易往の淨土を 0000_,31,432b25(00):期すといへ共、なを他宗の敎文におひて悉く敬重をな 0000_,31,432b26(00):す。況や、もとより貴ぶ所の眞言止觀をや。本山黑谷 0000_,31,432b27(00):の法藏に傳持する、闕する所の聖敎をば書寫してこれ 0000_,31,432b28(00):を補す。然を新發道意の侶、愚闇後來の客いまだその 0000_,31,432b29(00):往昔をみず、此深奧をしらず、僅に念佛の行義をきき 0000_,31,432b30(00):て、猥しく偏愚の邪執をなす。鳴呼哀哉、傷べし悲べ 0000_,31,432b31(00):し、有智の人是を見て旨を達せよ。其趣粗先年の比記 0000_,31,432b32(00):す所の七箇條の敎誡の文に載たり。子細端多、毛擧不 0000_,31,432b33(00):能而已 承元三年六月十九日 沙門源空云云 0000_,31,432b34(00):安養欣求の行人は、無行の一念義を捨て、多念の數返 0000_,31,433a01(00):をたしなむべき條、上人の制禁既に明也。敢て違犯す 0000_,31,433a02(00):べからず。但し歎くらくは、上人の在世猶以邪見の惡 0000_,31,433a03(00):義如此。何況や、上人滅後年久し、面受口決の門弟等 0000_,31,433a04(00):みなもて往生し給ひぬ。此後の惡義邪義は。恐る所な 0000_,31,433a05(00):く憚所なからん歟。今は又誰の人か是をいましめ、是 0000_,31,433a06(00):をあらためんや。歎べし悲べし、流を汲て源を尋ぬる 0000_,31,433a07(00):謂也。我も人も我執なく偏執なく、只上人勸進の旨を 0000_,31,433a08(00):信じて、多念のはげみ畢命を期とすべきもの也 0000_,31,433a09(00):法然上人傳記卷第七上 0000_,31,433a10(00):上人歸京事 0000_,31,433a11(00):上人下國の後、念佛の弘通隣國に充滿しければ、可然 0000_,31,433a12(00):宿善なりと、國中の貴賤悅びあへりける程に、月輪殿 0000_,31,433a13(00):最後の時に至るまで、返返仰置し旨をもて光親卿連連 0000_,31,433a14(00):に御氣色を伺けるに、諸卿また諫言を奉られければ、 0000_,31,433a15(00):彌陀本願のねん佛をすすむる事尤至要なり。爰に諸宗 0000_,31,433b16(00):の學者、吹毛の咎を求る所に、弟子等があやまりを本 0000_,31,433b17(00):師におはせて、邊鄙にくちけん事、冥鑑の憚あるよし 0000_,31,433b18(00):を申合れければ、同じき年承元元年の比八月、龍顔事 0000_,31,433b19(00):の外にやはらぎて、鳳詔ほどなく下されける。彼勅免 0000_,31,433b20(00):の宣下の状云 0000_,31,433b21(00):右大辨下土佐國 0000_,31,433b22(00):應早召還流人源元彦身事 0000_,31,433b23(00):右件元彦、去建永二年二月廿七日、坐辜配流土佐國 0000_,31,433b24(00):而今依有所念行所被召還也。者、某宣奉勅、件人 0000_,31,433b25(00):令召還者、國宜承知依宣行之 0000_,31,433b26(00):承元元年八月日左大史小槻宿禰國宗 0000_,31,433b27(00):國宗宣下の状、國に到來しければ、門弟は歸洛を悅び 0000_,31,433b28(00):士民は餘波を惜む。此時稱名の聲いよいよ高くして、 0000_,31,433b29(00):五須彌山にも至ぬべし。信心の思ひますますいさぎよ 0000_,31,433b30(00):くして、八功德池にもすまざらんをや。上人やがて國 0000_,31,433b31(00):を立て、のぼりたまふ。上人いそぎ都へも入たまはず 0000_,31,433b32(00):攝津國勝尾寺勝如上人往生の地、いみじく覺て暫くお 0000_,31,434a01(00):はしければ、花夷の道俗貴賤以下羣集しけり。此寺に 0000_,31,434a02(00):恆例の念佛取行ける時、衣裝見ぐるしかりければ、弟 0000_,31,434a03(00):子信空上人に件の子細を示つかはされて、ほどなく裝 0000_,31,434a04(00):束十五具調て持參せられけり。住侶等感に絶ず、臨時 0000_,31,434a05(00):に七日の念佛勤行し侍りけり。抑勝尾寺は善仲善算兩 0000_,31,434a06(00):上人、如化人行ぜられき。證道上人の弟子として、勝 0000_,31,434a07(00):如上人、此所に住して往生を遂られけり。當時開闢の 0000_,31,434a08(00):むかし、開成皇子、金字の大般若を書寫し給ひしに、 0000_,31,434a09(00):八幡大菩薩夢の中に黄金をあたへて、大願をとげられ 0000_,31,434a10(00):し。供養の時、山中の草木ことごとくなびきし中に、 0000_,31,434a11(00):翠松古木なを西の谷にあり。今彼谷を上人に施入のあ 0000_,31,434a12(00):いだ、住所と定給へり 0000_,31,434a13(00):一切經施入事 0000_,31,434a14(00):當寺に一切經ましまさざるよし、きこえければ、上人 0000_,31,434a15(00):所持の經論をわたし給ふに、住侶等各悦をなして、花 0000_,31,434a16(00):を散じ香をたき、蓋をさして迎奉る 0000_,31,434a17(00):聖覺法印一切經讃談事 0000_,31,434b18(00):住僧等隨喜悦豫して、聖覺法印を屈して唱導として開 0000_,31,434b19(00):題讃談の其語に云 0000_,31,434b20(00):夫八萬の法藏は八萬の衆類をみちびき、一實眞如は一 0000_,31,434b21(00):向專稱をあらはす。彼大聖世尊の自説して南無佛と唱 0000_,31,434b22(00):へ給へる、その名をあらわさずといへども、心は彌陀 0000_,31,434b23(00):の名號也。又上宮太子の誕生して南無佛と唱へ給へる 0000_,31,434b24(00):其體を萠すといへ共、志は極樂の敎主也。然るに慈覺 0000_,31,434b25(00):大師の念佛傳燈は、經の文を引て寶池の波に和すれど 0000_,31,434b26(00):も、劣機行ずるにあたはず。諸師所立の念佛三昧は、 0000_,31,434b27(00):佛境を緣として心地の塵をはらへども、下根の勤にあ 0000_,31,434b28(00):たはす。惠心僧都の要集には、二道を造て一心のもの 0000_,31,434b29(00):はまよひぬべし。永觀律師の十因には、十門をひらき 0000_,31,434b30(00):て一篇につかず。空也上人の高聲念佛は、聞名の益を 0000_,31,434b31(00):あまねくすれども、名號の德をばあらはさず。良忍上 0000_,31,434b32(00):人融通念佛は、神祇冥道をば勸給へども、凡夫の望は 0000_,31,434b33(00):うとし。爰に我大師法主上人、行年四十三より念佛門 0000_,31,434b34(00):に入て普く弘たまふに、天子のいつくしき玉の冠を西 0000_,31,435a01(00):にかたぶけ、月卿のかしこき金笏を東に正しくす。皇 0000_,31,435a02(00):后のこびたる韋提希夫人の跡をおい、傾城のことんな 0000_,31,435a03(00):き五百侍女の儀をまなぶ。然る間富るはおごりてあそ 0000_,31,435a04(00):び、貧はなげきて友とす。農夫の鋤をふむ、念佛をも 0000_,31,435a05(00):てたがやすとし、織女が糸をひく、念佛をもて經緯と 0000_,31,435a06(00):す。鈴をならす驛路には、念佛を唱へて鳥をとり、船 0000_,31,435a07(00):ばたをたたく海上には、念佛を唱へて魚をつる。雪月 0000_,31,435a08(00):花を見る人は、西樓に目をかけ、琴詩酒を翫ぶ輩は、 0000_,31,435a09(00):西の枝の梨をおる。是皆彌陀をあがめざるをば瑕瑾と 0000_,31,435a10(00):し、珠數をくらざるをば恥辱とす。爰をもつて花族英 0000_,31,435a11(00):才といへども、念佛せざるをばおとしめ、乞丐非人と 0000_,31,435a12(00):いへども念佛するをばもてなす。故に八功德池の波の 0000_,31,435a13(00):上には、念佛の蓮池にみち、三尊來迎の窓の内には、 0000_,31,435a14(00):紫臺をさしおくひまなし。然れば我等が念佛せざるは 0000_,31,435a15(00):彼池の荒廢なり、我等が欣求せざるは、其國の衰弊也。 0000_,31,435a16(00):國のにぎはひ、佛のたのしみ、念佛をもて本とし、人 0000_,31,435a17(00):のねがひ我のぞみ、念佛をもて先とす。仍當座の愚昧 0000_,31,435b18(00):公請につかへてかへる夜は、念佛を唱て枕とし、私盧 0000_,31,435b19(00):を出て趣日は極樂を念じて車をはす、これ上人の敎誡 0000_,31,435b20(00):也、過去の宿善にあらずやとて、鼻をかみ音をむせび 0000_,31,435b21(00):舌をまいて、とどこほる間、法主涙をながし、聽衆袖 0000_,31,435b22(00):をしぼりて、ことごとく念佛門に入て、併上人の勸に 0000_,31,435b23(00):隨ふ。誠に是宿善の至り、愚なる心、短なる舌にて述 0000_,31,435b24(00):べきにあらず 0000_,31,435b25(00):宇津宮入道參上事 0000_,31,435b26(00):宇津宮三郎入道は、實信房蓮生と法名をつけ、出家の 0000_,31,435b27(00):形也といへども、いまだ念佛往生の道を知らず。熊谷 0000_,31,435b28(00):入道の勸によりて、大番役勤仕の時、勝尾寺へまいり 0000_,31,435b29(00):て、上人の見參に入けるに、念佛往生の旨を授られて 0000_,31,435b30(00):後、上人曰けるは、上來雖説定散兩門之益、望佛本願 0000_,31,435b31(00):意在衆生、一向專稱彌陀佛名と判じて、一切善惡の凡 0000_,31,435b32(00):夫、口稱念佛によりて無漏の報土に往生する事、善導 0000_,31,435b33(00):和尚彌陀の化身として、かやうに釋し給へる上は、此 0000_,31,435b34(00):度の往生は入道殿の心なるべしと被仰ければ、ふかく 0000_,31,436a01(00):本願に歸して上人御往生の後、御門弟の中には、誰人 0000_,31,436a02(00):にか不審をも尋申べく候らんと申けるに、善惠房とい 0000_,31,436a03(00):へる僧に相尋べしと仰られければ、やがて見參に入候 0000_,31,436a04(00):ばやと申けるに、淨土宗の學者も餘學を知ざるはいふ 0000_,31,436a05(00):かひなき事なれば、太子の御墓に願蓮房といへる天台 0000_,31,436a06(00):宗の人に、學問せよとて遣したる也と仰られければ、 0000_,31,436a07(00):幸に天王寺參詣の心ざしも候へば、御文を給はり候は 0000_,31,436a08(00):んとて、上人の御文をたまはりて、太子の御墓へまい 0000_,31,436a09(00):り、善惠上人の見參に入て、上人御往生の後も、二な 0000_,31,436a10(00):く憑み申けり。西山吉峯といふ所に、庵室を結て他事 0000_,31,436a11(00):なく念佛しけるに、正元元年十一月十二日臨終の用心 0000_,31,436a12(00):たがふ事なく、念佛相續して種種の靈異を施し、耳目 0000_,31,436a13(00):をおどろかす程の往生をぞとげき 0000_,31,436a14(00):上人入洛事 0000_,31,436a15(00):勝尾寺の隱居の後、烏頭變毛の宣下をかうぶり、はや 0000_,31,436a16(00):く花洛に還歸有べきよし、建暦元年十一月十七日藤中 0000_,31,436a17(00):納言光雅卿の奉にて、院宣を下されけるに付て上人歸 0000_,31,436b18(00):洛ありければ、一山德をしたひ滿寺はらはたをたちて 0000_,31,436b19(00):萬仭の霞より出で、九重の雲にぞ送りける 0000_,31,436b20(00):上人被著大谷禪房事 0000_,31,436b21(00):同月廿日上人既に入洛ありければ、慈鎭和尚の御沙汰 0000_,31,436b22(00):として大谷の禪房に居住せしめ給ふ。昔釋尊上天の雲 0000_,31,436b23(00):よりくだり給ひしかば、人天大會まづ拜見し奉らん事 0000_,31,436b24(00):をあらそひ、今上人南海をさかのぼりたまへば、道俗 0000_,31,436b25(00):男女さきに供養をのべん事をいとなむ。羣參の輩一夜 0000_,31,436b26(00):の中に一千餘人と聞えき。幽閑の地をト給といへども 0000_,31,436b27(00):人の集る事盛なる市のごとし 0000_,31,436b28(00):雲客夢の事 0000_,31,436b29(00):上人入洛の後、ある雲客の夢に上人内裏へ參ぜられけ 0000_,31,436b30(00):るに、天童四人雲にのぼりて管絃を奏し、天蓋を指覆 0000_,31,436b31(00):ひ奉るとみて夢覺て聞に、上人參内し給へりと云、不 0000_,31,436b32(00):思議なりし事也 0000_,31,437a01(00):法然上人傳記卷第七下 0000_,31,437a02(00):老病事 0000_,31,437a03(00):建暦二年壬申正月二日より、上人老病のうへに日來の不 0000_,31,437a04(00):食殊に增氣あり。凡此兩三年は耳不聞、目不見ましま 0000_,31,437a05(00):しつるが、更に昔のごとく明かに成て、念佛常よりも 0000_,31,437a06(00):增盛也。睡眠の時も念佛の唇舌鎭へに動く、見る人奇 0000_,31,437a07(00):特の思ひをなす。同三日戍の時病床の傍なる人人、御 0000_,31,437a08(00):往生の實不を問奉りければ、我もと天竺國に在し時は 0000_,31,437a09(00):聲聞僧に交て頭陀を行じき。いま日本にしては、天台 0000_,31,437a10(00):宗に入て一代の敎法を學し、又念佛門に入て衆生を利 0000_,31,437a11(00):す。我もと居せし所なれば、さだめて極樂へ歸り行べ 0000_,31,437a12(00):しと仰られければ、勢觀上人申さく、先年も此仰侍り 0000_,31,437a13(00):き。抑聲聞僧とは佛弟子の中には何哉と申し時、舍利 0000_,31,437a14(00):弗也と答給ふ。又信空上人云、古來の先德皆遺跡あり 0000_,31,437a15(00):而に今一宇建立の精舍なし、御入滅の後何の所をもて 0000_,31,437a16(00):か御遺跡とすべきと。上人答て、遺跡は一廟を卜れば 0000_,31,437a17(00):遺法周ねからず、予が遺跡は諸州にあるべし。其故は 0000_,31,437b18(00):念佛三昧の興行は愚老一期の勸化也、賤男賤女の柴の 0000_,31,437b19(00):戸細、海人漁人の葦の笘屋に至るまで、念佛を修せん 0000_,31,437b20(00):砌は、皆是我遺跡なるべしとぞ仰られける 0000_,31,437b21(00):高聲念佛事 0000_,31,437b22(00):同十一日辰の尅に上人起居たまひて、西にむかひて高 0000_,31,437b23(00):聲に念佛し玉ふに、聞人皆涙をながす。門弟等に告て 0000_,31,437b24(00):曰、高聲に念佛すべし、此名號を唱るもの、一人もむ 0000_,31,437b25(00):なしからず皆往生すべき也。高聲念佛を勸て、念佛の 0000_,31,437b26(00):功德を種種に讃談し給ひて、觀音勢至等の菩薩聖衆現 0000_,31,437b27(00):前し玉へり。各各拜し奉らずやと仰られけるに、弟子 0000_,31,437b28(00):等拜せざるよしを申せば、いよいよ念佛を勸め給ふ。 0000_,31,437b29(00):其後臨終佛のために、三尺の阿彌陀の像を病床の砌に 0000_,31,437b30(00):迎奉りて、此佛を拜し給へと申時、上人指をもて空を 0000_,31,437b31(00):さして曰、此佛の外に又佛まします。拜むやいなや。 0000_,31,437b32(00):凡十餘年より巳來、念佛の功積て、極樂の莊嚴および 0000_,31,437b33(00):佛菩薩の眞身拜する事常の事也。然るに年來は祕して 0000_,31,437b34(00):いはず。今最後に望める故に示所也と。又佛の御手に 0000_,31,438a01(00):五色の糸を付て取給ふべきよし申時、上人曰、如斯の 0000_,31,438a02(00):事は大様の事也。但衆生のためには取べし 0000_,31,438a03(00):紫雲坊の上に垂布事 0000_,31,438a04(00):同廿日巳の時に、紫雲坊の上に垂布せり。中に圓形の 0000_,31,438a05(00):雲有、圖繪の形像の圓光のごとくにして、五色鮮潔也。 0000_,31,438a06(00):路次往返の人、所所にして是を見る。此瑞相は御往生 0000_,31,438a07(00):の近づき給へるなるべしと人人申けるを上人聞給ひて 0000_,31,438a08(00):曰、紫雲は衆生の信をまさんためなり。命終は只今に 0000_,31,438a09(00):あらず、善哉善哉、我往生は唯一切衆生をして、念佛 0000_,31,438a10(00):を信ぜしめ、極樂に引接せんがため也と。未の時にい 0000_,31,438a11(00):たりて目を開て、西方を見送り給ふ事五六度に及ぶ間 0000_,31,438a12(00):佛の來り給ふかと看病の人人問奉れば、然なりと答給 0000_,31,438a13(00):ふ。其日より念佛彌彌懇なり 0000_,31,438a14(00):韋提希夫人事 0000_,31,438a15(00):同廿二日、看病の人人或は休息し、或は白地に立出て 0000_,31,438a16(00):折節勢觀上人ただ一人看病し給ふ時に、氣高く氣よげ 0000_,31,438a17(00):なる女房の、車にのりて來臨して、上人の見參に入べ 0000_,31,438b18(00):きよしを申されける。但僧衆をのけらるべしとあれば 0000_,31,438b19(00):勢觀上人は、立のき給ひながら、あたりちかく退ける 0000_,31,438b20(00):に、此女房申されけるは、いかにくるしく思召侍るら 0000_,31,438b21(00):ん、此事をのみ申つる也、この藥を用給べしとて、藥 0000_,31,438b22(00):を奉らる。また淨土の法門はいかに御定め侍るぞと申 0000_,31,438b23(00):されければ、選擇集といふ文をつくりて候へば、此文 0000_,31,438b24(00):に違はず申侍らん。連連源空が義なるべしと返答せ 0000_,31,438b25(00):られければ、さては目出候とて、數御物語ありてかへ 0000_,31,438b26(00):られぬ。此時に勢觀上人あやしみて見送り給ふに、川 0000_,31,438b27(00):原へ出、上へ向て上られけるが、忽然として見え給は 0000_,31,438b28(00):ざりければ、歸りて上人に尋申されけるに、其こそ韋 0000_,31,438b29(00):提希夫人よと仰られけり。いづくにおはしまし候ぞと 0000_,31,438b30(00):重て申けるに、賀茂の邊にとぞ答たまひける。賀茂の 0000_,31,438b31(00):大明神の本地を知る人なし、而に今の仰のごときは、 0000_,31,438b32(00):計知賀茂の大明神は韋提希夫人也と云ふ事を。さて勢 0000_,31,438b33(00):觀上人いよいよ信ふかくして、御形見に念佛の安心の 0000_,31,438b34(00):肝要を一筆給らんと申されければ、御自筆に注し給せ 0000_,31,439a01(00):ける状にいはく、もろこし我朝に諸の智者達の沙汰し 0000_,31,439a02(00):申さるる觀念の念にもあらず、また學問をして念の心 0000_,31,439a03(00):をさとりて申念佛にもあらず。ただ往生極樂のために 0000_,31,439a04(00):南無阿彌陀佛と申て、疑なく往生するぞと、思ひとり 0000_,31,439a05(00):て申外には別の子細候はず。但三心四修など申事の候 0000_,31,439a06(00):は、みな決定して南無阿彌陀佛にて往生するぞとおも 0000_,31,439a07(00):ふうちにこもりて候也。此ほか奧ふかき事を存ぜば、 0000_,31,439a08(00):二尊の御あはれみにはづれ、本願にもれ候べし。念佛 0000_,31,439a09(00):を信ぜん人は、たとひ一代の御法を能能學すとも、一 0000_,31,439a10(00):文不知の愚鈍の身にして尼入道の無智の輩に同して、 0000_,31,439a11(00):智者の振廻をせずして、ただ一向に念佛すべしとぞ。 0000_,31,439a12(00):勢觀上人敢て披露せず、一期の間、頸にかけて祕藏せ 0000_,31,439a13(00):られけるを、年來師檀の契淺からざりける、川合の法 0000_,31,439a14(00):眼にかたり聞えけるを、懇切に望申ければ、授られて 0000_,31,439a15(00):より以來、世間に披露して、上人の一枚消息と云へる 0000_,31,439a16(00):もの也 0000_,31,439a17(00):上人御往生事 0000_,31,439b18(00):同廿三日紫雲また來現す。廿四日午の尅紫雲又大にた 0000_,31,439b19(00):なびく。西山の炭燒十餘人是を見て來てかたる。また 0000_,31,439b20(00):廣隆寺より下向の尼、路次にて是をみて來て告ぐ。上 0000_,31,439b21(00):人は高聲不退の上、殊に廿四日の酉の刻より廿五日の 0000_,31,439b22(00):巳の時に至るまでは、高聲念佛體をせめて無間なり。 0000_,31,439b23(00):門弟等五六人づつ番番に助音するに、助音の人人は自 0000_,31,439b24(00):聲をほのかにすといへ共、衰邁病惱の上人の音聲は、 0000_,31,439b25(00):虚空法界にもひびくらんと聞ゆ。誠に熾盛の御ありさ 0000_,31,439b26(00):ま、見る人なみだをながさぬはなし。廿五日の午の刻 0000_,31,439b27(00):に至ては、念佛のこゑやうやくかすかにして、高聲は 0000_,31,439b28(00):時時相まじはる。既に最後に臨ければ、年來所持の慈 0000_,31,439b29(00):覺大師の九條の袈裟を著し、頭北面西にふし給ふ。門 0000_,31,439b30(00):弟等申て曰、只今まで端坐念佛し給へるに、命終の時 0000_,31,439b31(00):に至りて臥給ふ事いかが。上人微咲して曰、我今此故 0000_,31,439b32(00):を述と思ふ。汝等よく問へり、われ身を娑婆に宿す事 0000_,31,439b33(00):は、淨土の徑路をひらかんがため、今神を極樂にかへ 0000_,31,439b34(00):す事は、往生の軌心をしめさんがためなり。我もし端 0000_,31,440a01(00):坐せば人定て是を學ばんか。若然ば病の身起居輒から 0000_,31,440a02(00):じ、おそらくは正念を失ひてん。此義をもての故に、 0000_,31,440a03(00):我今平臥せり。端坐叶はざるにあらず。本師釋尊すで 0000_,31,440a04(00):に頭北面西にして滅を唱へ給ふ、是また衆生のため也。 0000_,31,440a05(00):我いかでか釋尊にまさるべきと。頭北面西にして、光 0000_,31,440a06(00):明遍照十方世界、念佛衆生攝取不捨と唱へ、念佛數返 0000_,31,440a07(00):の後、眠がごとくして息絶給ひぬ。一の息とどまると 0000_,31,440a08(00):いへども、兩眼まじろぐがごとく、手足ひえたりとい 0000_,31,440a09(00):へども、唇舌を動かす事十餘返。行年四十三より毎日 0000_,31,440a10(00):七萬返の念佛遂に退轉なし。春秋滿八十、夏臈六十六 0000_,31,440a11(00):三春いかなる節ぞ、釋尊滅度を唱へ、上人滅度を唱へ 0000_,31,440a12(00):給ふ、彼は二月中旬の五日、是は正月下旬の五日なり。 0000_,31,440a13(00):八旬いかなる年ぞ、釋尊圓寂に歸し、上人圓寂に歸し 0000_,31,440a14(00):給ふ。かれも八十歳也、これも八十歳也。倩是を思ふ 0000_,31,440a15(00):に旬月同く、年齡ひとしきのみにあらず。支干を計ば 0000_,31,440a16(00):また壬申の年に當れり。皆是釋尊の化緣にひとし。定 0000_,31,440a17(00):めて自然の事にあらざんものか 0000_,31,440b18(00):參議兼隆卿、今日よりさき七八年の當初、權右辨なり 0000_,31,440b19(00):し時、上人往生の時は光明遍照の四句の偈を唱へ給ふ 0000_,31,440b20(00):べしと、夢に見給ひけるが、上人にも申さず、弟子に 0000_,31,440b21(00):も語らず、只注し置て年序を經けるほどに、上人此文 0000_,31,440b22(00):を唱て往生し玉へる間、奇特の思ひをなして、注し送 0000_,31,440b23(00):られける夢の記に云、人有て大帖の双紙をひろげて見 0000_,31,440b24(00):る間、何文ぞと見れば、諸の往生人を記せる書也。次 0000_,31,440b25(00):第に是を引見るに、奧に至て記して云、光明遍照十方 0000_,31,440b26(00):世界、念佛衆生攝取不捨、法然上人臨終に此文を誦し 0000_,31,440b27(00):て、往生をとげらるべしと記せりと見て覺ぬと云云。 0000_,31,440b28(00):昔の夢、今の往生、宛もたがふ事なし。誰か歸信せざ 0000_,31,440b29(00):らんや。加之上人往生の前後に當りて、諸人靈夢を注 0000_,31,440b30(00):し送る事不可勝斗。暫く略して是をいはば四條京極 0000_,31,440b31(00):の薄師眞晴、同正月十九日の夜の夢に云、東山法然上 0000_,31,440b32(00):人の禪房の上に、一片の聚雲聳けり、是は往生の雲也 0000_,31,440b33(00):と云て、諸人羣集しておがむと見て覺ぬ。翌日廿日の 0000_,31,441a01(00):巳の時に紫雲彼坊の上に垂布せり、諸人所所にして是 0000_,31,441a02(00):をみる。今の夢と符合せり。三條小川の陪臣信賢が後 0000_,31,441a03(00):家尼の養女、同き廿四日夜の夢にいはく、上人へ參じ 0000_,31,441a04(00):たれば、上人の曰、我は明日往生すべきよし、若今夜 0000_,31,441a05(00):來らざらましかば、又對面せざらましと仰らると見て 0000_,31,441a06(00):覺ぬ。はたして廿五日に往生し給へり。花園准后の女 0000_,31,441a07(00):房三河の局、同き廿四日夜の夢に云、上人の佳房をみ 0000_,31,441a08(00):れば、四壁に錦の帳を垂たり。色光甚鮮にして煙また 0000_,31,441a09(00):充滿せり。能能是を見れば、煙にはあらず、紫雲也。 0000_,31,441a10(00):上人既に往生し給へるかと思ひて覺ぬ。廿五日の早旦 0000_,31,441a11(00):に順西法印に語る。即當日午の刻に往生し給へり。仁 0000_,31,441a12(00):和寺の尼西妙本關東也同廿四日の夜の夢に云、圖繪の善導 0000_,31,441a13(00):の御影のごとくなる上人來て、法然上人は明日午の刻 0000_,31,441a14(00):に往生し給ふべし、はやく行て是をおがめと告給ふと 0000_,31,441a15(00):見て覺ぬ。仍夢の虚實をしらんがために、廿五日の朝 0000_,31,441a16(00):上人へまいりて夜の夢を語る。午の刻に至て往生した 0000_,31,441a17(00):まへり。八幡の住人馬允源時廣が子息金剛丸、于時十歳也 0000_,31,441b18(00):同廿四日の夜の夢に云、西に渺渺たる曠野あり、曠野 0000_,31,441b19(00):の西に海あり、海の上空の中に雲あり、皆人これを紫 0000_,31,441b20(00):雲といふ。雲の上に阿彌陀の三尊おはします、光明て 0000_,31,441b21(00):りかがやきて音樂妙にして、西より東に來る。墨染の 0000_,31,441b22(00):衣を著せる僧ありて、岸の上に立り、觀音蓮臺をさざ 0000_,31,441b23(00):げて、此僧をのせて漸漸西へさる。人多く群集して、 0000_,31,441b24(00):是を法然上人の往生也と云て、おがむと見て覺む。其 0000_,31,441b25(00):後朝に此夢をかたる。申の時に至りて、上人往生のよ 0000_,31,441b26(00):し、八幡へ聞えけり、廿五日上人往生の時、群集せる 0000_,31,441b27(00):道俗の中に、ある人語て云、一昨夜廿三日夢に上人來り 0000_,31,441b28(00):て明後日午の時に往生を遂べしと、告給へる間、此夢 0000_,31,441b29(00):に驚きて、實否を決せんがために、まいれる也と。ま 0000_,31,441b30(00):た或人語りて云、昨夜廿四日夢に上人來りて、我は明日 0000_,31,441b31(00):午の時に往生すべしとつげ給へるあいだ、此夢に驚き 0000_,31,441b32(00):て來臨するなりと。東山一切經の谷の住僧、大進房が 0000_,31,441b33(00):弟子袈裟王丸十六歳也同廿五日の夜の夢に、東西にわたり 0000_,31,441b34(00):て、すぐにとをりたる大路あり。白きすなの淸潔なる 0000_,31,442a01(00):上に、新に莚をしけり。見物左右に濟濟たり。何事ぞ 0000_,31,442a02(00):とみれば、天童二人、玉の幡をさして西へ行、其うし 0000_,31,442a03(00):ろに法服を著たる僧衆千萬ありて、左の手には香爐を 0000_,31,442a04(00):持、右の手には袈裟の端を取りて、おなじく行。問云 0000_,31,442a05(00):是は誰人のおはすぞと、人答云、往生人也と。又問云 0000_,31,442a06(00):往生人とは誰ぞと、答いはく、大谷の法然上人也と、 0000_,31,442a07(00):申と見てさめぬ。上人の大谷の禪房の東の崖の上に、 0000_,31,442a08(00):一面の平地有、去る建暦元年十二月に、彼領を上人に 0000_,31,442a09(00):是を施入す。彼地の北に一の松房有、其房に寄宿せる 0000_,31,442a10(00):尼、先年の頃、夢に此南の地に、天童行道すとみる。 0000_,31,442a11(00):亦其房主去年十一月十五日の夜の夢に、此南の地に靑 0000_,31,442a12(00):蓮花開敷して、金光照耀すと見る。また此房の隣家に 0000_,31,442a13(00):ひとりの女人有、去年十二月の夢に此南地に色色の蓮 0000_,31,442a14(00):花開敷せり、花各各光をさして異香甚香ばしとみる。 0000_,31,442a15(00):淸水寺に一人の僧あり。去年十二月九日の夜の夢に、 0000_,31,442a16(00):此地に夜叉等群集して地をひく、礎の下に地神ありて 0000_,31,442a17(00):此礎を頂戴すと見る。此輩如斯種種の靈夢を感ずとい 0000_,31,442b18(00):へども、あへて披露に及ばず。今年建暦二年二月十日 0000_,31,442b19(00):彼地に上人の廟墳を點し穴を堀る時、驚き來て夢を語 0000_,31,442b20(00):り、これを記して送る。隆寬律師、上人入滅の後、初 0000_,31,442b21(00):七日に當て晝夜の念佛をする夜の夢に僧來てつげて日 0000_,31,442b22(00):上人は往生傳に入給へるをば知るや否と。律師のいは 0000_,31,442b23(00):く誰入のいかなる傳ぞと。彼僧指をさして、前にある 0000_,31,442b24(00):書をさすとみて覺て後、指所を見れば、善導の觀經の 0000_,31,442b25(00):疏也。上人此書に付て、念佛往生をひろめ給へり。而 0000_,31,442b26(00):に今此書を上人の往生傳とする事、誠に隨喜極りなし。 0000_,31,442b27(00):惟方別當入道の女の禪尼、同二月十三日の夜の夢に云 0000_,31,442b28(00):上人の御葬送は淸水寺の塔の中に入給ぬと見て後、一 0000_,31,442b29(00):兩日を經て、また夢に隣房の人いはく、御葬送に逢ざ 0000_,31,442b30(00):る遺恨のよし申に、御葬送の所へまいり給へ。同事也 0000_,31,442b31(00):と云あいだ、彼所へ參りたれば、八幡宮の御戸ひらく 0000_,31,442b32(00):と覺る所に、御正體其内におはします間、是は上人の 0000_,31,442b33(00):御葬送にはあらず、八幡宮の御體也と申に、隣人御正 0000_,31,442b34(00):體をさして、是こそ上人の御躰よと云、是を聞て身の 0000_,31,443a01(00):毛いよだちて、汗をながして夢覺ぬといふ。神功皇后 0000_,31,443a02(00):元年辛巳大菩薩御誕生の時、八の幡ふるゆへに八幡大菩 0000_,31,443a03(00):薩と號す。今上人御誕生の時、此幡ふれり。彼夢想思 0000_,31,443a04(00):合さるるもの也。抑眞道上人大菩薩の本地を祈請し給 0000_,31,443a05(00):ひし時に、昔於靈鷲山説妙法華經今在正宮中示現 0000_,31,443a06(00):大菩薩行敎和尚大菩薩の本地を祈願せし袂のうへ 0000_,31,443a07(00):には阿彌陀の三尊移り給き。垂迹を申せば、昔は雁と 0000_,31,443a08(00):あらはれ、今は鳩と現じ給ふ。雁鳩變じやすし。釋迦 0000_,31,443a09(00):彌陀如斯、娑婆にしては釋尊、安養にしては彌陀、只 0000_,31,443a10(00):これ一體分身更に疑ふ事なかれ。又上人在世の間、諸 0000_,31,443a11(00):人の靈夢是多し。詮をとりて是をいはば、ある人の夢 0000_,31,443a12(00):には上人釋迦如來也と見る。或人の夢には上人と眞如 0000_,31,443a13(00):堂の彌陀とは一體分身也とみる。或人の夢には大勢至 0000_,31,443a14(00):菩薩也と見る。或人の夢には阿彌陀の右脇に坐し給へ 0000_,31,443a15(00):る人也とみる。或人の夢には道綽禪師也と見る。或人 0000_,31,443a16(00):の夢には善導和尚也とみる。或人の夢には上人大なる 0000_,31,443a17(00):赤蓮花に坐して念佛し給ふと見る。或人の夢には武者 0000_,31,443b18(00):洛中に充滿して、闘諍堅固也といへども、上人住房に 0000_,31,443b19(00):は此事なし。是則念佛する故也と見る。或人の夢には 0000_,31,443b20(00):上人住房を見れば、瑠璃をもてつくりて照耀すきとを 0000_,31,443b21(00):りて、即瑠璃の橋をわたせるとみる。凡此夢ども言語 0000_,31,443b22(00):の及ぶ所にあらず。此ほか在世といひ滅後といひ、靈 0000_,31,443b23(00):夢を感ずる人勝計すべからずといへども、しげきによ 0000_,31,443b24(00):りて具にはのせず。抑夢の境をたづぬれば、虚實に通 0000_,31,443b25(00):じて二義あり。凡そ五の因緣ありといへども、いまだ 0000_,31,443b26(00):必しも虚無の事にあらず。彼枳里記王の十夢は皆釋尊 0000_,31,443b27(00):の遺法を表し、寶海梵士の一夢はまさしく未來の成佛 0000_,31,443b28(00):を示す。いはんや誠に一乘を行ずれば、夢に八相を唱 0000_,31,443b29(00):ふ。先規分明なり。いまの義眞實なるべし、何をもて 0000_,31,443b30(00):か知るとならば、諸人の夢たがはずして萬端の瑞を施 0000_,31,443b31(00):したまひ、つひに光明遍照の文を誦して、まさしく往 0000_,31,443b32(00):生極樂の願をはたし給へる故也。然則後後將來見聞道 0000_,31,443b33(00):俗の中に、疑者は疑をたち、信者は信をまして、上人 0000_,31,443b34(00):のおしへをたがへず精勤修行せば、順次にかならず極 0000_,31,444a01(00):樂界に生れて上人を奉覲し、彼加被をうけて有緣を救 0000_,31,444a02(00):はん事、掌をさして疑ふべからず。我も人も一心一向 0000_,31,444a03(00):の思ひに住して、善人も惡人も專修專念の行を立て、 0000_,31,444a04(00):唯畢命を期とすべき也。さて門弟等釋尊の遺誡にまか 0000_,31,444a05(00):せて、遺骨をおさめ中陰をいとなむ 0000_,31,444a06(00):法然上人傳記卷第八上 0000_,31,444a07(00):追善事 0000_,31,444a08(00):初七日 不動尊 御導師信蓮房 0000_,31,444a09(00):大宮入道内大臣家實宗御諷誦文云 0000_,31,444a10(00):夫以、先師在世之昔、弟子遁朝之夕、凝一心精誠受 0000_,31,444a11(00):十重禁戒故憑濟度於彼岸敬修諷誦於此砌莫嫌小善 0000_,31,444a12(00):根必爲大因緣仍爲飾蓮臺之妙果早叩霜鐘之逸韻矣 0000_,31,444a13(00):別當前因幡守源朝臣盛親敬白 0000_,31,444a14(00):二七日 普賢菩薩 御導師求佛房 0000_,31,444a15(00):願主可尋之 0000_,31,444a16(00):三七日 彌勒菩薩 御導師住眞房 0000_,31,444b17(00):末弟湛空法師、捧誦經物唐朝王羲之摺本、一紙面十二 0000_,31,444b18(00):行、八十餘字書之 0000_,31,444b19(00):にしへよし行べきみちのしるべせよ 0000_,31,444b20(00):むかしも鳥のあとはありけり 0000_,31,444b21(00):四七日 聖觀音 御導師法蓮房 0000_,31,444b22(00):弟子良淸願文云 0000_,31,444b23(00):先師當末法萬年之始弘彌陀一敎之勝智惠提劒、莫耶 0000_,31,444b24(00):之鋒非利、戒行瑩珠、摩尼之光比明、抑尊靈先逝川 0000_,31,444b25(00):去四七日、遠人望來迎之雲就新墳來兩三度、遺弟聞 0000_,31,444b26(00):酷烈之香倩思誠諦之言雖請菩提之掲焉旨意彌以伏 0000_,31,444b27(00):膺云云 0000_,31,444b28(00):五七日 地藏菩薩 御導師權律師隆寬 0000_,31,444b29(00):弟子源智願文 0000_,31,444b30(00):彩雲掩軒、近見遠見而來集、異香滿室、我聞人聞而嗟 0000_,31,444b31(00):嘆矣 0000_,31,444b32(00):六七日 釋迦如來 御導師法印聖覺 0000_,31,444b33(00):慈鎭和尚御諷誦文云 0000_,31,445a01(00):佛子、上人存日之間、談法文常用唱導結緣之思不 0000_,31,445a02(00):淺、濟度之契如深、因茲當六七日忌辰聊修諷誦三 0000_,31,445a03(00):鳴花鐘擎法衣送往生家解脱衣也。設法食至化城 0000_,31,445a04(00):之門禪悦食是也。然則幽靈答彼平生之願必生上品之 0000_,31,445a05(00):蓮臺佛子因此圓實之思、早得最初之引接矣 0000_,31,445a06(00):別當法印大和尚位慈圓敬白 0000_,31,445a07(00):是草案、淸書ともに和尚の御筆也。大師嫡嫡の正統と 0000_,31,445a08(00):して山門の眞實の一流、祕業をつたへ奧義を極め給し 0000_,31,445a09(00):か共、常に上人に御對面ありて、本願の旨趣をとぶら 0000_,31,445a10(00):ひ、極樂の往生を願ましましける。稱名の薰修猶日あ 0000_,31,445a11(00):さく、光陰の運轉時うつりぬとやおぼしめされけん 0000_,31,445a12(00):極樂にまた我こころゆきつかず 0000_,31,445a13(00):ひつじのあゆみしばしとどまれ 0000_,31,445a14(00):とぞ詠じましましける。又日吉社に百日御參籠の百首 0000_,31,445a15(00):の御詠のおくに 0000_,31,445a16(00):人を見るも我身を見るもこはいかに 0000_,31,445a17(00):南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛 0000_,31,445b18(00):とあそばされけるに、浮世をかろくする御志ふかく、 0000_,31,445b19(00):淨刹にそめる思食あさからざりし御事、偏に上人の恩 0000_,31,445b20(00):德也ければ、沒後の追敎に至るまでなをざりならず 0000_,31,445b21(00):七七日 兩界曼陀羅阿彌陀如來 御導師三井僧正公胤 0000_,31,445b22(00):法弟子信空願文云 0000_,31,445b23(00):先師廿五歳之昔、十二歳之時、忝結師資之約契、久積 0000_,31,445b24(00):五十之年序、一旦隔生死九迴腸欲斷。自宿叡山黑谷之 0000_,31,445b25(00):草庵至移東都白川之禪房其間云撫育之恩云提撕之 0000_,31,445b26(00):志報謝之思、昊天罔極。是以顯彌陀迎接一軀之尊像、 0000_,31,445b27(00):安胎藏金剛兩部之種子摺寫妙法花、書寫金光明經 0000_,31,445b28(00):各一部開題開眼、一心墾志、三寶知見 0000_,31,445b29(00):公胤僧正、三卷の書を造て上人所造の選擇を破す。是 0000_,31,445b30(00):を淨土決疑抄と名付、而に順德院御處胎の時、僧正は 0000_,31,445b31(00):加持の爲に參じ、上人は説戒の爲にめさる。奉行遲參 0000_,31,445b32(00):の間、不慮の外に一所に會合して、淨土の法門を談じ 0000_,31,445b33(00):又餘宗にわたる。然ば彼僧正ふかく上人に歸して、白 0000_,31,445b34(00):川の房に歸りて、即決疑抄を火焰になげて誹謗の語忽 0000_,31,446a01(00):に灰爐となりき。然れ共なを前をかなしむ涙おさへが 0000_,31,446a02(00):たく後悔をいたす、腸たちやすし。仍彼の談他の過失 0000_,31,446a03(00):をもて、念念の誹謗つもりしかば、其罪障懺悔の爲に 0000_,31,446a04(00):種種の達嚫をささげたまひ、あまさへ中陰の唱導を望 0000_,31,446a05(00):み、上品の託生を啓せられけり。凡此間佛事の營み、 0000_,31,446a06(00):諷誦を行人人數を知らず。さて遂に上人の墳墓を大谷 0000_,31,446a07(00):の禪房の東に建立しければ、毎月廿五日はかの御報恩 0000_,31,446a08(00):の爲に、上下羣集しけり。同三月十四日の夜或獨女人 0000_,31,446a09(00):夢に上人の廟墳にまいりたれば、其庭に色色の蓮花生 0000_,31,446a10(00):ぜり。僧ありて常の持蓮花のごとくなる、未敷の蓮花 0000_,31,446a11(00):一莖を取てこれをたまふ。即僧の云、此地に詣でん者 0000_,31,446a12(00):は、皆此蓮華一莖を給べし。是則往生人の類に入べき 0000_,31,446a13(00):證也。普く人に是を示べしと。仍掌を合せ信を致して 0000_,31,446a14(00):命をうくと思ひて夢覺ぬ。彼女房遍くこれを披露する 0000_,31,446a15(00):に、聞人隨喜し袖を連て墳墓に詣し、肩を並て廟塔を 0000_,31,446a16(00):拜する事、盛なる市をなす。いはんや淨土の行者、念 0000_,31,446a17(00):佛の門人においてをや 0000_,31,446b18(00):法然上人傳記卷第八下 0000_,31,446b19(00):堀川太郎入道往生事 0000_,31,446b20(00):中陰の間、或日午尅斗に、老翁一人、上人の墳墓尋來 0000_,31,446b21(00):て云、我は是西山樵夫也。去寅の尅の夢の中に僧來て 0000_,31,446b22(00):法然上人の廟塔の柱奉加せるもの、只今極樂へ往生せ 0000_,31,446b23(00):り。ゆきて結緣すべしと告給へり。而に年來いまだ上 0000_,31,446b24(00):人の御事を不承知の旨、今朝早旦より洛中に出で、在 0000_,31,446b25(00):在所所を尋奉る程に、數刻を經たりと申。彼柱奉加せ 0000_,31,446b26(00):るものは、上人を奉信ける堀川の太郎入道也。件入道 0000_,31,446b27(00):は所勞によりて、東石藏禪林寺の東山寺に住せり。今此老 0000_,31,446b28(00):翁の告に驚て、各行てたづぬる處に、老翁も同じく望 0000_,31,446b29(00):めり。遺跡の輩語云、聖人常に我傍にましまして臨終 0000_,31,446b30(00):を示し、念佛を勸給ふよしを語て悅侍つるが、今朝已 0000_,31,446b31(00):に往生せりと申。諸僧老翁共隨喜禮拜して歸りにけり。 0000_,31,446b32(00):既に廟塔の柱奉加の御功なをむなしきにあらず。況や 0000_,31,446b33(00):淨刹の寶臺欣慕の一念、豈いたづらにほどこさんや 0000_,31,447a01(00):隨蓮往生事 0000_,31,447a02(00):五條萬里小路に侍ける沙彌隨蓮は、配所へも上人の御 0000_,31,447a03(00):共にまいりけるが、歸路の後も常に上人へ參て、念佛 0000_,31,447a04(00):往生の證を承りけるに、念佛はやうなきをやうとする 0000_,31,447a05(00):也。但常に念佛を唱へて功をつむべしと仰られければ 0000_,31,447a06(00):ふかく是を信じて、二心なく念佛しけるが、上人御往 0000_,31,447a07(00):生の後はいよはいよ念佛の外にはすこしも餘念なくて、 0000_,31,447a08(00):三ケ年をふる程に、建保二年の比、いかに念佛すとも 0000_,31,447a09(00):學問せずして、三心をだにも知らざるものは往生すべ 0000_,31,447a10(00):からずと、世間の念佛者どもの中に申けれど、隨蓮申 0000_,31,447a11(00):さく、故上人はやうなきを以てやうとす。ただひらに 0000_,31,447a12(00):佛語を信じて念佛すれば、必ず往生する也とて、全く 0000_,31,447a13(00):三心の事も不被仰と申せば、彼人のいはく其は一切に 0000_,31,447a14(00):心得まじきものの爲に、方便して被仰ける也。上人御 0000_,31,447a15(00):存知のむねとて、經釋の文などゆゆしげに申聞せけれ 0000_,31,447a16(00):ば、隨蓮が心中に、誠にさもやあるらんと、いささか 0000_,31,447a17(00):疑心を發して、誰人にか此事を尋申べからんとおもひ 0000_,31,447b18(00):て、一兩月の間此事をのみ心にかけて、念佛も申さで 0000_,31,447b19(00):過る程に、或夜の夢に、法勝寺の西門を指入てみれば 0000_,31,447b20(00):池の中に樣樣の蓮花開てよにめでたかりけり。西の廊 0000_,31,447b21(00):のかたへあゆみよりて見あぐれば、僧衆あまたならび 0000_,31,447b22(00):居て、淨土の法文談ぜらる。隨蓮きだはしへのぼりて 0000_,31,447b23(00):見れば、故上人北の座に南面にまします。隨蓮を御覽 0000_,31,447b24(00):じて近くまいれと被召ければ、恐傍にまいりぬ。隨蓮 0000_,31,447b25(00):が存ずるむねいまだ申あげざるさきに、上人被仰ける 0000_,31,447b26(00):は汝此ほど心に歎事あり。努努わづらふ事なかれと云 0000_,31,447b27(00):云。此事一切人にも申さず。何として被知食たるにか 0000_,31,447b28(00):と思ながら、上件のやうを申あげければ、上人仰られ 0000_,31,447b29(00):て云、たとへばひが事いふものありて、あの池の蓮花 0000_,31,447b30(00):を、あれは蓮花にあらず、梅ぞ櫻ぞといはんには、汝 0000_,31,447b31(00):はその定に蓮花にはあらざりける。誠梅也櫻也と思は 0000_,31,447b32(00):んずるか。隨蓮申ていふ、現に蓮花にて候はん物をば 0000_,31,447b33(00):いかに人申ともいかでか信候べきと申に、上人日、念 0000_,31,447b34(00):佛の義又如此。源空汝に念佛して往生する事は、疑な 0000_,31,448a01(00):しといひしことを信たるは、蓮花を蓮花と思はんがご 0000_,31,448a02(00):とし。ふかく信じてとかくの沙汰に不及、只念佛を申 0000_,31,448a03(00):べき也。惡義邪見の梅櫻を信ずべからずと被仰と見て 0000_,31,448a04(00):夢さめぬ。其時隨蓮昔の御詞をふかく信じて、少きの 0000_,31,448a05(00):不審なく日來の疑のこりなく散じて、一心をこらし、 0000_,31,448a06(00):臨終の用心亂る事なくして、兩眼閉がごとし。遂にや 0000_,31,448a07(00):うなきをやうとして、行やすくぞ行ける 0000_,31,448a08(00):民部卿入道往生事 0000_,31,448a09(00):民部卿入道範光は、後鳥羽院の寵臣也。然に最後の時 0000_,31,448a10(00):御幸なりて、往生の實否いかがおもひ定むべきと仰下 0000_,31,448a11(00):けるに、御返事に申て云、往生更に疑所侍らず。其故 0000_,31,448a12(00):は去夜の夢に、病の床に沙門あり。誰の人ぞと尋ぬる 0000_,31,448a13(00):に、僧云、我は是れ源空也。唐土にては善導と名付、 0000_,31,448a14(00):此土に來て衆生を利する事、既にもて三ケ度也。今汝 0000_,31,448a15(00):に命終の期を告げん爲に來臨する所也。明後日午の刻 0000_,31,448a16(00):は其期なるべしといふとみて夢覺ぬ。巳に此告をかう 0000_,31,448a17(00):ぶる故に往生疑ざる由、其翌日午尅、たがはず正念に 0000_,31,448b18(00):住し念佛して往生を遂しかば、眼前の奇特、實に不思 0000_,31,448b19(00):議なりけりとぞ申合ける 0000_,31,448b20(00):公胤僧正往生事 0000_,31,448b21(00):上人往生の後五ケ年を送りて、建保四年丙子四月廿六日 0000_,31,448b22(00):の夜、公胤僧正の夢に上人告曰 0000_,31,448b23(00):往生之業中、一日六時刻、一心不亂心、功驗最第一、 0000_,31,448b24(00):六時稱名者、往生必決定。雜善不決定、專修之善業、 0000_,31,448b25(00):源空爲孝養、公胤能説法、感喜不可盡、臨終先來迎、 0000_,31,448b26(00):源空本地身、大勢至菩薩、衆生爲化故、來此界度度、 0000_,31,448b27(00):同閏六月廿日、僧正七十二、種種の瑞相を示して、禪 0000_,31,448b28(00):林寺の砌にして、往生を遂られし日、仙洞后宮より初 0000_,31,448b29(00):奉て、槐門棘路に至るまで、紫雲瑞相に驚て、使節ち 0000_,31,448b30(00):またにみち、車馬ちりにはす。洛中洛外の道俗、村南 0000_,31,448b31(00):村北の貴賤、結緣のあゆみをはこび、隨喜の心をもよ 0000_,31,448b32(00):ほさずといふ事なし。顯密の碩德、天下の明匠にてお 0000_,31,448b33(00):はしつる僧正さへ、せめても宿善のいみじくて、上人 0000_,31,448b34(00):に歸し念佛を信じて、往生の素懐を遂られぬる事、あ 0000_,31,449a01(00):り難たき事とぞ時の人申ける 0000_,31,449a02(00):靜遍僧都往生事 0000_,31,449a03(00):禪林寺僧都靜遍は、大納言賴盛卿の息、弘法大師の門 0000_,31,449a04(00):人として、醍醐の座主勝賢僧正にしたがひて、小野流 0000_,31,449a05(00):をうけ、仁和寺の上乘院の仁隆法印を師として、廣澤 0000_,31,449a06(00):の流を傳て、兩流を一器にうつせる深奧の眞言師也き。 0000_,31,449a07(00):然を世擧て上人所造の選擇集を依用し、念佛に歸する 0000_,31,449a08(00):人耳目にあまる。嫉妬の心を發て、選擇を破して念佛 0000_,31,449a09(00):往生の道をふさがんとたくみ、破文をかくべき料紙ま 0000_,31,449a10(00):で用意して、是を披見し給程に、日比の所案にははた 0000_,31,449a11(00):と相違して、末代惡世の凡夫の出離生死の道は、早く 0000_,31,449a12(00):念佛にありけりと見定て、則念佛に歸して返て選擇を 0000_,31,449a13(00):賞翫するあまりに、續選擇を作りて、年來嫉妬の心を 0000_,31,449a14(00):もて是を破せんとたくみし事、大なるとが也と後悔し 0000_,31,449a15(00):て、選擇集を頂戴して、大谷の墳墓に參りて、泣泣悔 0000_,31,449a16(00):謝をいたす詞にいはく、今日よりは上人を師として念 0000_,31,449a17(00):佛を行ずべし。聖靈照見を垂れて先非をゆるし給へと。 0000_,31,449b18(00):其後遂に高位の崇班をのがれて心圓房と名を付て、一 0000_,31,449b19(00):向專修の行を立て、偈を結て云 0000_,31,449b20(00):一期所案極 永捨世道理 0000_,31,449b21(00):唯稱阿彌陀 語嘿常持念 0000_,31,449b22(00):と。世の道理を捨といへるは、世人念佛に付て無盡に 0000_,31,449b23(00):義をいふに、いづれも皆一分の義理なきにあらず。然 0000_,31,449b24(00):て我は只常に名を稱して、忘れずとの給へり。又法照 0000_,31,449b25(00):禪師の五會法事讃に日、彼佛因中立弘誓聞名念我惣 0000_,31,449b26(00):迎來、此七言八句の文を誦してこそ、淨土宗の肝心、 0000_,31,449b27(00):念佛者の目足よと、常には申されける。一期の間退轉 0000_,31,449b28(00):なく語嘿常に持念して、貞應三年四月廿日往生を遂ら 0000_,31,449b29(00):れき。宋張丞相いまだ秀才たりし時、ふかく佛法をそ 0000_,31,449b30(00):ねみて、法を破する論を作らん事を吟ぜし時、或人方 0000_,31,449b31(00):便を迴してかたる。邪見の説どもよくよく見て破すべ 0000_,31,449b32(00):きなりとて、維摩經三卷を與へしに、此經を披見して 0000_,31,449b33(00):歸て後悔の信を發して、專佛敎を助けて返て護法論を 0000_,31,449b34(00):造き。震旦日域ことなれども、捨邪歸正これおなじき 0000_,31,450a01(00):をや 0000_,31,450a02(00):法然上人傳記卷第九上 0000_,31,450a03(00):山門公人向御廟堂事 0000_,31,450a04(00):延暦寺の兩門跡と號するは、梨本、靑蓮院是也。各各 0000_,31,450a05(00):四明三千の貫首にそなはり、一山兩門の棟梁にましま 0000_,31,450a06(00):す。或は在世の莚に法文を尋て、往生の先達とし、或 0000_,31,450a07(00):は没後の庭に諷誦捧て、値遇の後會を契る。遺骸に至 0000_,31,450a08(00):て豈信心おろそかに立給んや。然を上野ノ國より登山 0000_,31,450a09(00):したりける並榎の立者定増と云者、ふかく上人の念佛 0000_,31,450a10(00):弘通をそねみて、選擇集の破文を作てこれを彈選擇と 0000_,31,450a11(00):なづく。隆寬律師是を見給て、先師上人の素意をあら 0000_,31,450a12(00):はさんが爲に、顯選擇を作て定増が難破をくつがへし 0000_,31,450a13(00):て汝が僻破のあたらざる事、たとへば暗天の飛礫のご 0000_,31,450a14(00):としと、あざむきかかれたりけるを定増遺恨をなしけ 0000_,31,450a15(00):るあまり、上人往生の後十六年を經て後、堀川院の御 0000_,31,450b16(00):宇嘉緑三年丁亥の夏の比、衆徒かたらひ、天下皆一向專 0000_,31,450b17(00):修に趣て、顯密の敎法すたれなんとす。専修念佛を停 0000_,31,450b18(00):廢すべし。就中隆寬律師、我山の學者として、同宗を 0000_,31,450b19(00):すて專修をたつること不可然。念佛宗の張本を遠流せ 0000_,31,450b20(00):らるべし。其根本たるによりて、すべからくまづ源空 0000_,31,450b21(00):が大谷の墳墓を破却して、彼骸を賀茂川にほりながす 0000_,31,450b22(00):べき由、衆徒嗷嗷の羣議に及べり。攝政は猪熊殿實家座 0000_,31,450b23(00):主は淨土寺の僧正基圓、攝政殿の御兄なり。衆徒の濫訴 0000_,31,450b24(00):すでに勅許ありければ、六月廿二日山門の所司專當等 0000_,31,450b25(00):を遣して、大谷の廟堂をこぼち捨べきよしきこへしか 0000_,31,450b26(00):ば、京都の守護修理亮平時氏使者をさしつかはす。頓 0000_,31,450b27(00):宮の内藤五郎兵衞尉盛政法師法名西佛子息一人を相具して 0000_,31,450b28(00):罷向ふ。頓宮の入道、山門の使者にむかひて申ける。 0000_,31,450b29(00):たとひ勅許ありといふ共、武家にふれずして左右なく 0000_,31,450b30(00):狼藉を至す條、甚以自由也。しばらくあひしづまりて 0000_,31,450b31(00):穩便の沙汰を致べし。若制止にかかはらずば法に任す 0000_,31,450b32(00):べし。是武家の御下知の趣也と云に猶不留 0000_,31,451a01(00):頓宮入道詞散山門使事 0000_,31,451a02(00):頓宮入道詞を盡して問答すといへ共、謗家の凶徒あだ 0000_,31,451a03(00):をむすびて承引せしめず。次第に廟墳をやぶり、速疾 0000_,31,451a04(00):に房舎をこぼちければ、かねて、子細はふれをはりぬ。 0000_,31,451a05(00):醫王山王もきこしめせ、念佛守護の赤山大明神にかは 0000_,31,451a06(00):り奉て、魔緣うちはらひ侍らん。いつはりて四明三千 0000_,31,451a07(00):の使と號して、こびて四魔三障のむらがり來る歟。も 0000_,31,451a08(00):とどりは主君の爲にそのかみ切にき、命は師範の爲に 0000_,31,451a09(00):唯今捨べし。たとひ千の軍數の兵向ふとも、いかでか 0000_,31,451a10(00):一人當千の手にかかるべき。豈はかりきや、戰場をも 0000_,31,451a11(00):て往生の門出とし、惡徒をもて知識の因緣とすべしと 0000_,31,451a12(00):は。各南無阿彌陀佛と稱すべし、只今一一に汝が命を 0000_,31,451a13(00):ば召取べし。自他もろともに九品蓮臺の同行となり、 0000_,31,451a14(00):怨親同じく七重樹下の新賓たらん。善惡不二のことは 0000_,31,451a15(00):り、邪正一如のおきては、山門の使者ならば定めて聞 0000_,31,451a16(00):知らん。顯には東關の御家人、弓箭をたづさへて狼籍 0000_,31,451a17(00):をふせぐ、冥には西刹の念佛者、魔軍をしりぞけて凶 0000_,31,451b18(00):徒をしづめんと云て、父子ともに馬の鼻をならべ、法 0000_,31,451b19(00):に任せよと下知しければ、山門の使者くもの子をちら 0000_,31,451b20(00):すがごとし。或はぼんのくぼに足をつけて命をたすか 0000_,31,451b21(00):らんとするものもあり、或はひたひの間に、手をあは 0000_,31,451b22(00):せて降をこはんとする物もあり。如此するほどに、其 0000_,31,451b23(00):曰はくれにけり 0000_,31,451b24(00):改葬事 0000_,31,451b25(00):堂舍を破損すといへ共、加様に追散されける間、墳墓に 0000_,31,451b26(00):は手かけず。かくて今夜信空上人、妙香院僧正月輪禪定殿下御息 0000_,31,451b27(00):に参りて、今度しばらく相しづまるといふとも、大谷 0000_,31,451b28(00):は山門領也。山僧のいきどほり遂にむなしからじ。信 0000_,31,451b29(00):空改葬せんと存ずる由を申ければ、此義尤よろしかる 0000_,31,451b30(00):べしと仰られける間、やがて今宵人しづまりて後、改 0000_,31,451b31(00):葬し奉る。むかし月氏に敎主釋尊の尊容をぬすみ奉し 0000_,31,451b32(00):時、專ら警固をいたしき。今日域に本師上人の遺骸を 0000_,31,451b33(00):うつさんとする。むしろ災難なからんやとて、宇都宮 0000_,31,451b34(00):入道蓮生守護の爲に、遁世の身也といへ共、出にし家 0000_,31,452a01(00):の子息郎徒をまねきて、數多の兵士をもて宿直し奉る。 0000_,31,452a02(00):此外頓宮の兵衞入道西佛、千葉の六郎大夫入道法阿、 0000_,31,452a03(00):澁谷の七郎入道道阿、塩谷の入道信成等、兵杖を帶し 0000_,31,452a04(00):軍兵を率して供奉し奉る。宇都宮入道申けるは、五材 0000_,31,452a05(00):四儀はもと百勝の術也。しかれば古は偏に名聞利養の 0000_,31,452a06(00):爲にしてなを四儀をゑず。今は速に往生極樂の爲にし 0000_,31,452a07(00):て忽に一心をさとれり。家をわすれ、親をわすれ、生 0000_,31,452a08(00):をわすれ、身をわするる事、呉起が詞今日既に知れた 0000_,31,452a09(00):り。倩往事をおもへば、祖父金吾朝綱の朝臣は、東大 0000_,31,452a10(00):寺の脇士觀世音菩薩を造立し奉て、形みを南都にとど 0000_,31,452a11(00):め、孫子沙彌賴繩法師は西方界の敎主阿彌陀如來を歸 0000_,31,452a12(00):敬し奉て、たましゐを上刹にすましむ。祖孫ちぎりふ 0000_,31,452a13(00):かく前後憑ある者か。さて御棺の葢をあけたりければ 0000_,31,452a14(00):御画像は在世の時にすこしもかはらず、異香は數年の 0000_,31,452a15(00):後までとをく薰じけり。誠に貴と申さむも返りておろ 0000_,31,452a16(00):かなり 0000_,31,452a17(00):過洛中事 0000_,31,452b18(00):其曉やがて嵯峨へ遺骸を渡奉る時、御棺をかいて洛中 0000_,31,452b19(00):を過るに、催さざれども、先師の遺弟、念佛の行人御 0000_,31,452b20(00):供に參る人人一千餘人也。面面になみだをながし、各 0000_,31,452b21(00):各に袖をしぼる。恐らくは双樹林の暮の色、跋提河の 0000_,31,452b22(00):曉の波も、かくやと哀にぞ見へにける 0000_,31,452b23(00):自嵯峨奉渡廣隆寺事 0000_,31,452b24(00):嵯峨に渡置奉りて、在所口外すべからざるむね、各佛 0000_,31,452b25(00):前に誓て退散しぬ。しかるを猶山門のいきどをりふか 0000_,31,452b26(00):く、捜求べきよし其聞へ有しかば、五ケ日を經て後同 0000_,31,452b27(00):廿八日の夜、忍て廣隆寺の來迎房圓空がもとに移し置 0000_,31,452b28(00):奉りて、其年はくれにき 0000_,31,452b29(00):隆寬律師往生事 0000_,31,452b30(00):山門訴訟猶こはくして、隆寬律師にも限らず。成覺房 0000_,31,452b31(00):空阿彌陀佛等までも、配所定まる由聞えしかば、律師 0000_,31,452b32(00):の曰けるは、凶徒等吾心を知ずして、定増が語による 0000_,31,452b33(00):歟。但先師上人、已に念佛の事によりて、遷謫に及給 0000_,31,452b34(00):し上は、予其跡をおはん事尤本意なりとて、長樂寺の 0000_,31,453a01(00):來迎房にて、最後の別時に七日の如法念佛を勤行せら 0000_,31,453a02(00):れけるに、結願の日に當りて異香室内に薰じ、蓮花白蓮一莖 0000_,31,453a03(00):庭上に生じ、瑞花空よりふりければ、見人は現身に往 0000_,31,453a04(00):生せる歟とうたがひ、聞人は律師に奉仕せざることを 0000_,31,453a05(00):うらむ。扨律師は森入道西阿承て、嘉祿三年七月五日 0000_,31,453a06(00):花洛を出て東關に趣給ふ。配所は奧州と定められしを 0000_,31,453a07(00):森入道ふかく律師に歸し奉けるあまり、念佛の先達に 0000_,31,453a08(00):近付奉ぬる事、然べき宿善のいたりなりとて、律師の 0000_,31,453a09(00):代官に門弟實成房を配所へ遣はし、律師をば西阿が佳 0000_,31,453a10(00):所相模國飯山へ具し下奉りし時、同八月一日鎌倉を立 0000_,31,453a11(00):給ひしに、武州刺史朝直朝臣廿二歳の時、相模四郎と 0000_,31,453a12(00):申けるが、末代にこれほどの智者にあひ奉らんことか 0000_,31,453a13(00):たかるべしとて、御輿のまへにおいつき奉て、事のよ 0000_,31,453a14(00):しを申されしかば、こしをかきすへて對面せられにけ 0000_,31,453a15(00):り。朝直朝臣申されけるは、身こそ武家に生たりとい 0000_,31,453a16(00):へども、心は佛にかけたり。適人身をうけて、稀に明 0000_,31,453a17(00):匠に逢奉れり。是併宿緣のしからしむるなるべし。願 0000_,31,453b18(00):くは家業を不捨して生死を可離道を敎へ給へと。律師 0000_,31,453b19(00):の曰、年少の御身、武家のつはものとして、此御尋に 0000_,31,453b20(00):及こと宿善の内に催すなるべし。凡佛敎多門なれども 0000_,31,453b21(00):聖道淨土の二門をいでず。しかるに聖道門は有智持戒 0000_,31,453b22(00):の人にあらずば、是を修行すべからず。淨土門は極惡 0000_,31,453b23(00):最下の機の爲に、極善最上の法を授られたれば、有智 0000_,31,453b24(00):無智をゑらばず、在家出家をきらはず、彌陀他力の本 0000_,31,453b25(00):願を信ずれば、往生うたがひなし。就中末法に入て七 0000_,31,453b26(00):百餘歳、時機相應の敎行はただ念佛の一門にかぎれり。 0000_,31,453b27(00):是により飛錫禪師は末法にのぞみて、餘行をもて生死 0000_,31,453b28(00):をいとふは、陸地に船を漕がごとし、他力をたのむで 0000_,31,453b29(00):往生をねがふは水上に船を浮が如しとの給へり。然れ 0000_,31,453b30(00):ば名號本願の船にのりて、彌陀如來を船師として、釋 0000_,31,453b31(00):迦發遣の順風に帆をあげば、罪障の雲もしづまり、妄 0000_,31,453b32(00):執の波もたたずして、一念須臾の間に、極樂世界の七 0000_,31,453b33(00):寶の池の汀にとつかん事、百即百生更に疑なし。此安 0000_,31,453b34(00):心たがひ給はずば、たとひ戰場に命を捨とも、往生さ 0000_,31,454a01(00):はりあるべからずとのたまひければ、朝直朝臣忽に眞 0000_,31,454a02(00):實の信心を發して、毎日六萬遍の念佛は、一期退轉す 0000_,31,454a03(00):べからずと誓約せられけるが、卅餘年稱名の薰修をつ 0000_,31,454a04(00):みて文永元年五十九歳の夏の比、病惱を受られけるが 0000_,31,454a05(00):五月一日出家して臨終の儀式にとりむかはれしに、同 0000_,31,454a06(00):三日申時、年來所持の彌陀如來まのあたり病者に告て 0000_,31,454a07(00):此度穢土を思すつる事は、偏に我力也。往生におきて 0000_,31,454a08(00):は決定也との給ひけるが、其夜の亥尅に及で高聲念佛 0000_,31,454a09(00):四百餘返體をせめつつ、念佛のいきにておはり給にけ 0000_,31,454a10(00):り。在俗の身たりながら、嚴重殊勝の往生を遂られし 0000_,31,454a11(00):事、しかしながらこれ律師の一言による故也。律師は 0000_,31,454a12(00):飯山へ下給ひし後は、森入道の尊崇いよいよふかく、 0000_,31,454a13(00):歸敬他事なかりし程に、同年仲冬より風痾におかされ 0000_,31,454a14(00):老病臥たまひしかば、病床に筆を取て、一期の身の事 0000_,31,454a15(00):を記し給へり。これを羇中吟となづく。其中に曰、我 0000_,31,454a16(00):きく、達摩和尚は配所の叢に跡をのこし、慈恩大師は 0000_,31,454a17(00):穢土のいほりに名をとどむ。ひとりは佛心宗の根源、 0000_,31,454b18(00):ひとりは法相宗の高祖也。大國なをしかり、況や邊州 0000_,31,454b19(00):をや、上古又如此、況末代をや、苦海安からず浮生夢 0000_,31,454b20(00):のごとし、唯聖衆の來迎をのぞむ、更に有爲の遷變を 0000_,31,454b21(00):いたまずとて、極樂を賦する詩、光明を詠ずる歌をか 0000_,31,454b22(00):かれ 0000_,31,454b23(00):佛意定知智願明 故關夜月待雲迎 0000_,31,454b24(00):舞姿如鳥去留易 樂韻任風遠近鳴 0000_,31,454b25(00):界道林池交友思 樓臺宮殿禮尊情 0000_,31,454b26(00):智光照攝一無捨 八萬四千三字聲 0000_,31,454b27(00):み名をよぶこゑすむやどに見る月は 0000_,31,454b28(00):雲もかすみもさえばこそあらめ 0000_,31,454b29(00):日に隨て次第によはり給けるが、同十二月十三日 0000_,31,454b30(00):廿日改元安貞元申時に至て律師のたまひけるは、往生の時既に 0000_,31,454b31(00):至れり。予が義の邪正をも、一向專修の往生の手本を 0000_,31,454b32(00):も、只今あらはすべき也とぞ。彌陀の三尊にむかひ、 0000_,31,454b33(00):五色の糸を手にかけ、端坐合掌して彌陀身色如金山、 0000_,31,454b34(00):相好光明照十方、唯有念佛蒙光攝、當知本願最爲強の 0000_,31,455a01(00):文を唱給ければ、傍に侍る正智唯願房も同じく是を唱 0000_,31,455a02(00):て、臨終の一念は百年の業にも勝たりと申ければ、す 0000_,31,455a03(00):こしゑめる氣色にて本尊を瞻仰し、高聲に念佛して禪 0000_,31,455a04(00):定に入がごとくして、おはり給にけり。春秋滿八十也。 0000_,31,455a05(00):彩雲軒に近づき、異香室にみてり、遠近の緇素市をな 0000_,31,455a06(00):し、いよいよ念佛の信心をましけり。其後實成房なく 0000_,31,455a07(00):なく奧州より飯山へまかりて、遺骨を頭にかけて上洛 0000_,31,455a08(00):し、吉水のうへの山に墳墓をつきけり。但馬宮の御夢 0000_,31,455a09(00):想に、法然上人、隆寬律師は互に師弟となりて、とも 0000_,31,455a10(00):に利他をたすけたまふ。淨土にして律師は師範、上人 0000_,31,455a11(00):は弟子。娑婆にして上人は師範、律師は弟子なりとぞ 0000_,31,455a12(00):御覽ぜられける。互爲主伴同大權化現ゆへある者歟 0000_,31,455a13(00):於粟生奉荼事 0000_,31,455a14(00):上人の御遺骸は、翌年嘉祿三年十二月廿九日改元安貞二年に當り正月廿五日 0000_,31,455a15(00):曉更に廣隆寺より西山の粟生今光明寺是なりに迎入奉て、信空 0000_,31,455a16(00):上人、覺阿彌陀佛、此人人を始として、門弟等一所に 0000_,31,455a17(00):來會して、荼し奉るに、種種の奇特どもあり、靈雲 0000_,31,455b18(00):空にみち、異香庭にかほる、彌往生の望をなし、ます 0000_,31,455b19(00):ます欣求の思ふかし。眞影をうつして、遠忌を修する 0000_,31,455b20(00):門門戸戸に、誰の人か三五夜中の光を惜まざる、禮奠 0000_,31,455b21(00):を設て、月忌をいとなむ、在在所所にいづれの族か、 0000_,31,455b22(00):六八弘誓の雲をのぞまざらむや 0000_,31,455b23(00):法然上人傳記卷第九下 0000_,31,455b24(00):嵯峨釋迦堂上人廟塔事 0000_,31,455b25(00):上人求法の始に、まづ嵯峨の釋迦堂に七日參籠し給ひ 0000_,31,455b26(00):き、定めて御祈請の旨侍けん。釋迦彌陀契ふかく、此 0000_,31,455b27(00):土他土緣淺からずして、遂に遺骨を此靈地小藏山の麓 0000_,31,455b28(00):に收む。初從此佛菩薩結緣、還於此佛菩薩成就すと 0000_,31,455b29(00):いへり、眞なる哉此こと。又上人の在世念佛化導の比 0000_,31,455b30(00):或人當迦藍に參て後生を祈請しけるに、釋迦如來夢に 0000_,31,455b31(00):告て曰、當時法然房源空と云者あり、往生の道をきり 0000_,31,455b32(00):あけたり、此比の人は皆其道より往生する也と云云。 0000_,31,456a01(00):奇特の佛の告、傳へ聞人彌信心をましけり。抑栖霞觀 0000_,31,456a02(00):は、嵯峨天皇の別業、即阿彌陀堂を建立して、栖霞寺 0000_,31,456a03(00):と名付く、傍に同御厩を食堂になし、鷹屋を鐘樓にし 0000_,31,456a04(00):泉殿を阿伽井とす。今の釋迦堂は泉の名をかりて淸涼 0000_,31,456a05(00):寺と名づく。但釋迦如來は此伽藍にうつり給ひし由來 0000_,31,456a06(00):を尋れば、昔釋尊一夏九旬の間、報恩經を説て、生母 0000_,31,456a07(00):摩耶夫人の恩を報ぜんが爲に、忉利天上にのぼり給ひ 0000_,31,456a08(00):し時、優闐大王、如來に離れ奉らん事をかなしみて、 0000_,31,456a09(00):首羯磨に仰て、赤せんだんをもて尊像をうつし奉る、 0000_,31,456a10(00):持地菩薩神通をもて、優闐大王の國より須彌山に、金 0000_,31,456a11(00):銀水精の三の橋を渡せり。木像も生身の佛の送りにの 0000_,31,456a12(00):ぼり給ひしに、生身と木像と道の前後を論じ給ひし時 0000_,31,456a13(00):木像の佛は、我は木像也、爭生身の佛にはまさるべき、 0000_,31,456a14(00):生身の佛先に立給へとの給ふ。生身の佛、我は入滅す 0000_,31,456a15(00):べき身也、木像は利益久しかるべき佛なれば、木像先 0000_,31,456a16(00):に立給へとのたまひしかば、木像先にたちて渡り給ひ 0000_,31,456a17(00):き。安居の後忉利天より下て、曲女城に入給ひし時は 0000_,31,456b18(00):木像身を曲て生佛に揖し給ふに、化導を木像にゆづり 0000_,31,456b19(00):て、生身の佛先に立て、祇園精舍に入給ひて後に、大 0000_,31,456b20(00):唐國を化せんが爲に、震旦に來り給ふ。楊州開元寺の 0000_,31,456b21(00):栴檀の像是なり。爰に日本東大寺の求法の沙門奝然法 0000_,31,456b22(00):橋、天元二年に官符を給ひて入唐の時、まづ開元寺に 0000_,31,456b23(00):至りて尊像を尋。即帝闕に參じて龍顏に謁し、勅免を 0000_,31,456b24(00):かうぶりて、彼瑞像をうつして歸朝せんとする處に、 0000_,31,456b25(00):本佛を渡し可奉之由、栴檀の像面り奝然に示し給ひけ 0000_,31,456b26(00):れば、其心を歸して新佛の色を本佛に相似せしめて取 0000_,31,456b27(00):替へ奉て、晝は佛を荷擔し奉り、夜は佛奝然を荷擔し 0000_,31,456b28(00):給ひて、寬和二年七月九日に歸朝す。永延元年二月十 0000_,31,456b29(00):一日に入洛す。一堂を建立して此像を奉安置今の淸涼 0000_,31,456b30(00):寺是也。彼永延より以來嘉祿に至るまで二百四十年斗 0000_,31,456b31(00):にや成ぬらん 0000_,31,456b32(00):空阿彌陀佛往生事 0000_,31,456b33(00):上人門弟の中に、法性寺の空阿彌陀佛は、經をもよま 0000_,31,456b34(00):す、禮讃に及ばず。只一向専念の行をたて、多念の棟 0000_,31,457a01(00):梁、專修の大將也。行德人にしられ、名望世にかうぶ 0000_,31,457a02(00):らしむる。尊貴也といへ共、面をむかふればかならず 0000_,31,457a03(00):崇敬し、智者也といへども、口をひらけば悉く伏膺せ 0000_,31,457a04(00):しむ。四十八人の能聲を調て一日七日の勤行を修する 0000_,31,457a05(00):事、所所の道場に至らざる所なし。仍例のごとく年始 0000_,31,457a06(00):七日の別時を修しけるが、結願の時今七日修べき由、 0000_,31,457a07(00):同行等に命じければ、各命にしたがふ。二七日結願の 0000_,31,457a08(00):朝、臨終正念にして眠るが如くして往生し玉へり。春 0000_,31,457a09(00):秋七十四、安貞二年正月十五日也。七日已前に死期を 0000_,31,457a10(00):しれる故に、後の七日をのぶる所也。種種の靈異一に 0000_,31,457a11(00):あらず。就中高野山寶幢院に寬泉房といへる上人あり。 0000_,31,457a12(00):彼舍弟天王寺に住しけるが、或時天狗になやまさるる 0000_,31,457a13(00):事あり。彼天狗は天王寺第一の唱導勸進上人東門阿闍 0000_,31,457a14(00):梨也。託云、我は是東門の阿闍梨也。彌陀の本願にほ 0000_,31,457a15(00):こりてただ邪見を起が故に、此異道に墮せり。我在世 0000_,31,457a16(00):の時、我は是智者也、空阿彌陀佛は愚人なり、我手の 0000_,31,457a17(00):小指をもてなをかの人に比すべからずと。しかるを彼 0000_,31,457b18(00):空阿彌陀佛は、如説に修行して既に輪迴をまぬがれて 0000_,31,457b19(00):早く往生を得たり。我は此邪見によりて、惡道に墮し 0000_,31,457b20(00):生死に留る。後悔千萬浦山敷事限なしとて、さめざめ 0000_,31,457b21(00):と泣けり。智惠ありがほに慢擧の心高く、邪見のきづ 0000_,31,457b22(00):なをきらずば、往生の障となるべき事疑なし。上人常 0000_,31,457b23(00):の仰には源空は智德をもて人を化する猶不足也。法性 0000_,31,457b24(00):寺の空阿彌陀佛は愚痴なれども、念佛の大先達として 0000_,31,457b25(00):返て化導廣し。我もし人身を受ば大愚痴の身を受、念 0000_,31,457b26(00):佛勤行の人たらんとこそ仰られけれ。念佛を行じ極樂 0000_,31,457b27(00):を欣はむ人は、愚痴をかへり見ず、唯語嘿作作、行を 0000_,31,457b28(00):さきとすべき者也 0000_,31,457b29(00):津戸入道往生事 0000_,31,457b30(00):津戸三郞爲守は、ふかく上人の勸化を信じ、偏に極樂 0000_,31,457b31(00):の往生をねがひて、二心なく念佛しけるが、同じくは 0000_,31,457b32(00):出家の本意を遂たく思けれど、關東のゆるされなかり 0000_,31,457b33(00):ける事を歎、在俗の身なりとも法名をつけ、戒並に袈 0000_,31,457b34(00):裟をたもつべき由上人に申入けるに付て、彼御返事云 0000_,31,458a01(00):誠さやうにて志ばかりふかきも、出家の定にてこそは 0000_,31,458a02(00):候へ。何事も時いたる事にて候へば、強にいそぎ思召 0000_,31,458a03(00):すべきことにも候はず。いかにも又すまふにもより候 0000_,31,458a04(00):はず。期の至る折は程なき事にて候。又戒品書てまい 0000_,31,458a05(00):らせ候。假名もて戒品などかきたるは、あしく候へば 0000_,31,458a06(00):是は寬印供奉と申候人のせさせ給ひたる十重禁の次第 0000_,31,458a07(00):にて候。三聚淨戒はわたくしにかきて候、別別に候也。 0000_,31,458a08(00):袈裟まいらせ候。新き候へども、わざと當時かけふる 0000_,31,458a09(00):して候をまいらせ候也。なのり房號かきてまいらせ候。 0000_,31,458a10(00):男ながらも皆法名をつけ、けさをかくる事にて候也。 0000_,31,458a11(00):別紙に書て候也云云。此御返事を給て後は、偏に出家 0000_,31,458a12(00):の思をなして念佛しけり。其後又念珠を所望しける時 0000_,31,458a13(00):上人御返事云、是ほどに思召事は此世一の事にはあら 0000_,31,458a14(00):ず。先の世のふかき契とあはれに覺へ候。かまへて極 0000_,31,458a15(00):樂に此たびまいり合せ給ふべく候。常に持て候、すず 0000_,31,458a16(00):ひとつまいらせ候。何事も文にはつくしがたく候云云。 0000_,31,458a17(00):又或時上人御文に云、此たびかまへて往生しなんと思 0000_,31,458b18(00):食切べく候。受難き人身已に受たり、逢がたき念佛往 0000_,31,458b19(00):生の法門にあひたり、娑婆を厭ふ心あり、極樂を欣心 0000_,31,458b20(00):發りたり、彌陀の本願ふかく、往生は御心にあるべき 0000_,31,458b21(00):也。ゆめゆめ御念佛おこたらず、決定往生の由と存さ 0000_,31,458b22(00):せ給べく候云云。又上人の御影を所望しけるに付て、 0000_,31,458b23(00):或時の御返事云、影の事は、熊谷入道の書て候しか共 0000_,31,458b24(00):無下に此姿たがひて候ひしかば、すててくだりて候也。 0000_,31,458b25(00):されば此度もゑがきて下し候はぬには、唯口惜候。其 0000_,31,458b26(00):かはりには善導和尚の御影をおがませおはしますべく 0000_,31,458b27(00):候云云。我影のかはりには善導和尚の御影をおがめと 0000_,31,458b28(00):仰られたる事を、ほとんど過分の御詞かなと思けれど 0000_,31,458b29(00):も、人にも語らざりけるに、善導和尚の御影の御前に 0000_,31,458b30(00):て念佛しける時、居ねぶりをしたる夢に、上人に向ひ 0000_,31,458b31(00):まいらせて物語を申けるに、善導の御影をおがめとい 0000_,31,458b32(00):ふ事を不審する條謂なしと、あしき御氣色なりけるに 0000_,31,458b33(00):さはぎて驚たれば、善導の御影に向ひ參らせたる事、 0000_,31,458b34(00):夢の中に上人に物語申つるに、少もたがはざりければ 0000_,31,459a01(00):上人はただ人にては御坐ざりけりと、彌信心ふかくし 0000_,31,459a02(00):て、往生の後はかならずおもひ出べき由をのせられ、 0000_,31,459a03(00):また極樂にまいりあへとのせられたる、御自筆の御文 0000_,31,459a04(00):共をぱ錦の袋に入て、身をはなたずして念佛しけるが 0000_,31,459a05(00):誠に時いたりけるにや、建保七年正月に、右大臣家薨 0000_,31,459a06(00):逝の時、御免を蒙て出家の本意を遂にければ、上人よ 0000_,31,459a07(00):りしるし給ける法名を付て尊願とぞ申ける。上人御往 0000_,31,459a08(00):生の後は日に隨て極樂の戀しく、年を逐て穢土のいと 0000_,31,459a09(00):はしく覺へるままに、常に此文を取出して拜見しては 0000_,31,459a10(00):とく迎へさせ給へと申けれども、むなしく年月を送り 0000_,31,459a11(00):ける。上人の門弟已下の僧衆を屈して、仁治三年十月 0000_,31,459a12(00):廿八日に、三七日の如法念佛を始め、十一月十八日結 0000_,31,459a13(00):願の夜半、道場のあかり障子の内にして、高聲念佛數 0000_,31,459a14(00):百遍の後、忍びて腹を切て、あらゆるほどの物をぱ悉 0000_,31,459a15(00):く取出して、練大口に裹で、おさなき者をよびて、後 0000_,31,459a16(00):の川に捨させにけり。夜陰の事なれば人更に是を知ら 0000_,31,459a17(00):ず。其後僧衆に向て、かやうに出家籠居して、大臣殿 0000_,31,459b18(00):の御菩提を訪奉るに付ても、主君の御餘波も戀しく御 0000_,31,459b19(00):坐すうへ、上人の極樂にかならず參合へと仰の有しに 0000_,31,459b20(00):今まで不往生して尊願が長命かたがた無益の事也。釋 0000_,31,459b21(00):尊も八十の御入滅、上人も八十の御往生、尊願又滿八 0000_,31,459b22(00):十也。第十八は念佛往生の願也。今日又十八日也。如 0000_,31,459b23(00):法念佛の結願に當て、今日往生したらんは殊勝の事な 0000_,31,459b24(00):るべしなど申ければ、かかる用意とは思もよらず。只 0000_,31,459b25(00):あらましの詞と心得て、誠に目出こそ候はめと返答し 0000_,31,459b26(00):けるに、その夜もあけ、十九日にも成ぬ。敢て苦痛な 0000_,31,459b27(00):し。只今臨終すべき心地もせざりければ、子息民部大 0000_,31,459b28(00):夫守朝をよびて、きりたる腹を引あけて、まろきもと 0000_,31,459b29(00):いふものの殘て、臨終の延ると覺る也。よりて見よと 0000_,31,459b30(00):申ける時ぞ、始めて人知にける。心さきのほどに圓き 0000_,31,459b31(00):物の有よし申ければ、手を入て引切てなげすてて、是 0000_,31,459b32(00):が殘たる故に臨終のぶるなるべしとぞ申ける。人人あ 0000_,31,459b33(00):つまりて驚申ければ娑婆界のいとはしく、極樂界のね 0000_,31,459b34(00):がはしき志、日にしたがひて、いやまさりければ、今 0000_,31,460a01(00):一日もとくまいりたき故に、かくはからひたる次第を 0000_,31,460a02(00):かきくどき申ければ、誠に願往生の志の熾盛なるあり 0000_,31,460a03(00):さま、見る人皆涙をながさぬはなし。少きのいたみも 0000_,31,460a04(00):なくて念佛しけるが、七日まで延ける間、うがひの水 0000_,31,460a05(00):の通はすなるべしとて、七日以後はうがひをとめて、 0000_,31,460a06(00):塗香を用けるが、氣力も更によはらず。程なく疵いゑ 0000_,31,460a07(00):にけり。後には時時行水を用けるとかや。正月一日に 0000_,31,460a08(00):もなりければ、死せずしては往生すべき道なき間、尊 0000_,31,460a09(00):願は正月一日の祝には、臨終の儀式をなして、歳久し 0000_,31,460a10(00):くなれり、日來のあらましたがはずして、今日往生す 0000_,31,460a11(00):べき故に、延引しけりと悦で、しきりに念佛しけれど 0000_,31,460a12(00):も、其日も過、次日もまたくれぬ。唯今臨終すべき心 0000_,31,460a13(00):地もなかりければ、此世の事を申契りたるだにも、眞 0000_,31,460a14(00):有人は變ぜず、たがへぬは世のならひ也。まして上人 0000_,31,460a15(00):程の人の往生の後は、かならず思出べき也。極樂にま 0000_,31,460a16(00):いりてあへと自筆の御文たびながら、いそぎまいらん 0000_,31,460a17(00):と心を盡し侍に、速く迎へさせ給ふ事こそ、心うく侍 0000_,31,460b18(00):れと、かきくどきて連日に歎申けるが、同十三日の夢 0000_,31,460b19(00):に、來十五日午尅に迎べき由、上人告給ひければ、十 0000_,31,460b20(00):四日に此夢をかたつて歡喜の涙をながし、彌念佛にい 0000_,31,460b21(00):さみをなしてけるが、十五日に成ければ、上人より給 0000_,31,460b22(00):ける袈裟をかけ、念珠を持て西にむかひ端坐合掌して 0000_,31,460b23(00):高聲念佛數返を唱へ、午の正中に念佛と共に息たへぬ。 0000_,31,460b24(00):紫雲空より顯れ、異香室にみつ。荼毘の庭に至るまで 0000_,31,460b25(00):異香なを失せす。奇特其數おほしといへども、しげき 0000_,31,460b26(00):によりてのせず。世擧て謳歌の間、將車家より御尋に 0000_,31,460b27(00):あづかりしかば、悉く記し申けり。熊谷入道初めて上 0000_,31,460b28(00):人へ參りける時、若命をもすてて、後生たすかれとな 0000_,31,460b29(00):らば、頓て腹をきらん爲の用意に持たりける刀をば、 0000_,31,460b30(00):念佛して往生すべきよしを承定ぬる上はとて、上人に 0000_,31,460b31(00):まいらせけるを、上人より津戸入道給て祕藏しける。 0000_,31,460b32(00):今自害の時は、件の刀を用けるにや。在家の弟子も其 0000_,31,460b33(00):數ありし中に、自害往生の素懐を遂べき器と御覽られ 0000_,31,460b34(00):けると子細なきにあらねども、腹をきりて後七日はう 0000_,31,461a01(00):がひを用けれ共、其後は塗香ばかりにて、水を口には 0000_,31,461a02(00):よせざりけるに、五十七日の間、氣力もよはらず、聊 0000_,31,461a03(00):のいたみもなく、思のごとく念佛相續して、仁治四年 0000_,31,461a04(00):二月廿七日改元寬元元年也正月十五日に午の尅八十一にして、耳目を 0000_,31,461a05(00):驚かす程の往生を遂ぬる事は、あくまで護念增上緣の 0000_,31,461a06(00):益にあづりける事も眼前なれば、彌希代のふしぎなり 0000_,31,461a07(00):とぞ申あひける 0000_,31,461a08(00):明惠上人託事 0000_,31,461a09(00):栂尾の明惠上人、さきに摧邪輪を作て選擇集を破し、 0000_,31,461a10(00):後に荘嚴記を製し、かさねてこれを破す。しかるを逝 0000_,31,461a11(00):去の後、ある月卿の邊に侍る小女に託して云、我は是 0000_,31,461a12(00):明惠房高辨也。更に惡心をもて來らず。聊示すべき事 0000_,31,461a13(00):有、我日來法然上人を破する故に生死を出でず、剩へ 0000_,31,461a14(00):魔道に墮せり、此事を懺悔せんが爲に來れり。若不審 0000_,31,461a15(00):を殘さば、是をもて知べしといひて、紙十枚斗を續て 0000_,31,461a16(00):花嚴の十玄六相、法界圓融の甚深の法門をかく事滯り 0000_,31,461a17(00):なし。法門といひ、手跡といひ、皆是彼上人の平生の 0000_,31,461b18(00):所作也。又小女の聲全くかの上人の音聲に、違せずし 0000_,31,461b19(00):て早く摧邪輪を燒べしとのたまへり。嚴重の奇特、ほ 0000_,31,461b20(00):とど言語の及所にあらず 0000_,31,461b21(00):明禪法印往生事 0000_,31,461b22(00):毘沙門堂法印明禪は、參議成賴卿の息、顯宗は檀那の 0000_,31,461b23(00):嫡流智海法印の面受、密宗は法曼院の嫡流仙雲法印の 0000_,31,461b24(00):弟子として、顯密の棟梁、山門の宗匠也き。然るに初 0000_,31,461b25(00):發心の因緣は、最勝講の聽衆に參ぜられたりける時、 0000_,31,461b26(00):緇素貴賤、今日をはれとのみ思あへり。夢幻泡影、片 0000_,31,461b27(00):時のさかへをわすれざるものひとりもあらず。俗家に 0000_,31,461b28(00):は、大將の庭の景氣、大裏の門外のふるまひ、僧中に 0000_,31,461b29(00):は證義者は上童を具して別座をまうけ、攝籙の息は隨 0000_,31,461b30(00):身をしたがへて直廬に參らせらる。かれこれ榮耀を見 0000_,31,461b31(00):て、見聞の輩、はしりまはれるありさま、つくづくと 0000_,31,461b32(00):おもへば無常忽に到りなば、餘算いつまでとか期すべ 0000_,31,461b33(00):き。無上菩提を見るに付ては胸中の觀念すみまさるま 0000_,31,461b34(00):まに、籠居の思ひこの時治定せられけり。彼須菩提尊 0000_,31,462a01(00):者は石室の中に入定して定中に佛の一夏九旬説法の後 0000_,31,462a02(00):忉利天上より來下し給しを見奉て、今日の集會甚未曾 0000_,31,462a03(00):有也。座中に佛及轉輪聖王、諸天龍神多あつまれり。 0000_,31,462a04(00):然といへどもみないきほひ久しく留るべからず。磨滅 0000_,31,462a05(00):の法也。ことごとくに無常に歸しなんと。此無常觀を 0000_,31,462a06(00):初門として、諸法の畢竟じて皆空成事を悟て、尊者た 0000_,31,462a07(00):へに道證を得給へりき。今此法印の發心の義、少も解 0000_,31,462a08(00):空第一の羅漢にはぢずぞ侍ける。扨隱遁の志は思定ぬ。 0000_,31,462a09(00):出離の道いまだ一決せず。とかく思惟せられしに、持 0000_,31,462a10(00):たる數珠我も思わくかたなくて、自然の手ずさみにく 0000_,31,462a11(00):られける時、有緣の法、易行の道、稱名にあるべきに 0000_,31,462a12(00):こそと、その座にてもおもひそめられて終に籠居せら 0000_,31,462a13(00):れにき。或時信空上人に謁して、念佛の物がたり有け 0000_,31,462a14(00):るに、聞ざるには信も謗も共に謬あり。これを見て若 0000_,31,462a15(00):は信じ若は謗べしとて、上人所造の選擇集を送れる間 0000_,31,462a16(00):彼書を披見して後、淨土の宗義を得、稱名の功德をし 0000_,31,462a17(00):る。其より以來常の諺は、顯密をたしなみ佛の惠命を 0000_,31,462b18(00):付ぎ、公請にしたがひて、國の安全を祈るとも、傍に 0000_,31,462b19(00):淨土の敎行を學して、ひそかに樂邦の往詣をとげん事 0000_,31,462b20(00):尤至要也。公家の請をものぞまず、官途の計事にもあ 0000_,31,462b21(00):てがはず、心あらん人誰か稱名を妨げん。懈怠にして 0000_,31,462b22(00):既に過去遠遠を歴たり、不信ならば定て未來永永を送 0000_,31,462b23(00):らん歟。今はただ畢命を期とせんばかり也とて、偏に 0000_,31,462b24(00):上人勸化の詞を信じて、稱名の行おこたらず、病床に 0000_,31,462b25(00):ふして後、或時俄に涕泣せらるる事ありけるを、弟子 0000_,31,462b26(00):驚て是を尋申ければ、明禪、聖覺とて、つがひてひと 0000_,31,462b27(00):にいはるなる。不足言の對揚かなと、年來思しが、唯 0000_,31,462b28(00):今ぞと思いでられたるなり。故郷の妄執をわすれざる 0000_,31,462b29(00):は、淨刹の欣求のひまあるにこそ申されけるは、念念 0000_,31,462b30(00):不捨者の信力も、此理に顯はれ、順彼佛願の正業も、 0000_,31,462b31(00):ただ一言にしられたり。臨終の時は、聖信上人を知識 0000_,31,462b32(00):とせられけり。紫雲たなびきて往生人の相ありとて、 0000_,31,462b33(00):人多く羣集するよし、弟子ども申ければ、何條明禪が 0000_,31,462b34(00):臨終に紫雲のさた
でに及ばんぞ。ただ正念亂ずして 0000_,31,463a01(00):稱名をもちて息たえたらんにすぐべからずとて、頭北 0000_,31,463a02(00):面西右脇臥にして、極重惡人、無他方便、唯稱彌陀、 0000_,31,463a03(00):得生極樂の文を唱へ、念佛相續し、如入禪定して、仁 0000_,31,463a04(00):治三月正月二日午尅に往生を遂られき 0000_,31,463a05(00):上人德行惣結事 0000_,31,463a06(00):凡智惠深奧の諸宗の賢哲、多く上の勸化に隨て、本宗 0000_,31,463a07(00):をさし置て念佛に歸して、往生を遂る人人、上人在世 0000_,31,463a08(00):といひ、かの滅後といひ、覶縷にいとまあらず。高貴 0000_,31,463a09(00):の智德なをしかり。況や我等ごときの愚鈍、なにをた 0000_,31,463a10(00):のみてか、念佛をゆるかせにすべきや。懈怠にして念 0000_,31,463a11(00):佛を行ぜず、不信にして往生を遂ざらむは、あに佛の 0000_,31,463a12(00):とがならんや。抑上人の德行、諸宗を訪へば師毎に嗟 0000_,31,463a13(00):嘆し、化導を施せば人毎に歸敬す。たれの人か闇夜に 0000_,31,463a14(00):灯なくして室の内外を照すや。誰の人か現身の光明放 0000_,31,463a15(00):や、是念佛三昧の故なり。誰の人か慈覺大師の袈娑を 0000_,31,463a16(00):相傳するや。南岳大師相承云云誰の人か太上天皇に眞影をうつ 0000_,31,463a17(00):され奉るや。誰の人か韋提希夫人と念佛の儀を談ずる 0000_,31,463b18(00):や。誰の人か諸宮諸院に歸敬せられ給ふや。誰の人か 0000_,31,463b19(00):攝政殿に禮拜せられたるや。誰の人か智惠第一の名を 0000_,31,463b20(00):得たるや。誰の人か沒後に花夷男女、家毎に遠忌、月 0000_,31,463b21(00):忌、臨時の孝養をいたすや。誰の人か人毎に影像を留 0000_,31,463b22(00):て本尊とするや。此中に一德備へたる人は餘事のたら 0000_,31,463b23(00):ざる事をうらむべし。其外百非をはなれたる輩、いか 0000_,31,463b24(00):でか甲乙の舌をのべんや。就中上人は王公卿臣の家よ 0000_,31,463b25(00):りも生ぜず、茅屋茂林の下より出たりといへども、殿 0000_,31,463b26(00):上にめされて猶高座にのぼる。公請學道の業にたづさ 0000_,31,463b27(00):はる事なけれども、明王に召れて歸敬せらる。是ひと 0000_,31,463b28(00):へに慈覺大師の遺風、十重尸羅の戒香、ふかく法衣に 0000_,31,463b29(00):そみ、善導和尚の餘流、三昧發得の定力、遠く心緖を 0000_,31,463b30(00):つたへ給へるによりて、方に今三國の芳躅をとむらひ 0000_,31,463b31(00):吾朝の遺風をかんがふるに、神明佛陀の靈瑞より、賢 0000_,31,463b32(00):人才士の明德に至るまで目に見ざる古聖の嚴顏を見、 0000_,31,463b33(00):耳にきかざる異域の勝境を知る事、偏に是畫圖のあや 0000_,31,463b34(00):つり、筆跡の功に有。但晉朝七賢の形、これを傳てい 0000_,31,464a01(00):まだ其益あらず、穆王八駿の圖、これにむかひて又何 0000_,31,464a02(00):にかせむ。或は狂言綺語の繪を見て心をうごかし、或 0000_,31,464a03(00):は榮花重職の粧をひらきて、目をおどろかす。更に出 0000_,31,464a04(00):離の媒にあらず、併是癡愛の翫たり。然をいま九卷の 0000_,31,464a05(00):繪を作して、九品の淨業にあて、一部の功力を終て、 0000_,31,464a06(00):一宗の安心を全くせんが爲に、諸傳の中より要をぬき 0000_,31,464a07(00):肝をとりて、或は紕謬をただし、或は潤色を加えて、 0000_,31,464a08(00):後賢におくりて、共に佛國を期せんと也。若祖師の德 0000_,31,464b09(00):を擧る事、佛陀の誓にそむかずば、當時の弘通をさま 0000_,31,464b10(00):たげず、將來の善根を悅ぶべし。或は信或は謗の輩、 0000_,31,464b11(00):一見一聞の人、必ず彌陀の名號を唱べし、偏に其最後 0000_,31,464b12(00):臨終の引接のみにあらず、剩又現生護念の誓願ましま 0000_,31,464b13(00):す。佛使廿五菩薩一切時來、常に護念、何の疑かあら 0000_,31,464b14(00):ん。見聞一座の諸人、同音に千返の念佛を申さるべし 0000_,31,464b15(00):願以此功德 平等施一切 0000_,31,464b16(00):同發菩提心 往生安樂國