0000_,31,467a01(00):本朝祖師傳記繪詞卷第一
0000_,31,467a02(00):蓋以、三世に多の佛出給、若干の衆生をすくひまします。減劫の千佛第四番、南州中印土淨飯王の
0000_,31,467a03(00):御宇、癸丑歳七月十五日、后の夢に金色天子、白象に乘て右脇に入給と見て、次甲寅四月八日、佛
0000_,31,467a04(00):出胎の時、寶蓮御足を承て七歩行給。偈曰、天上天下、唯我獨尊、三界皆若我當安之文是振旦には
0000_,31,467a05(00):周昭王、日本には彦波瀲鸕草葺不合尊八十三萬四千三十六年甲寅相當。再往事を顧ば、悉達太子十九
0000_,31,467a06(00):にして踰城、三十にして成道し給て、一代五時の説法しげしといへども聞はきけども達物はすくな
0000_,31,467a07(00):く、傳ものはあれどもさとれる物はまれなり。此故に末代の我等がために、阿難を唱導として、佛
0000_,31,467a08(00):敎を復せしむるに、面如淨滿月眼若靑蓮華佛法大海水、流入阿難心云云生身の佛にかはらず、三
0000_,31,467a09(00):十二相を具し、四辯八音あざやかにして辯泉露を洩さず、懸河早漲。これを梵王字を製して、一千
0000_,31,467a10(00):の羅漢筆をそめて、一點を不落記し給えるを、正法千年は、五天竺にさかりにして、しな國は、漢
0000_,31,467a11(00):明帝に、摩騰迦葉、法蘭、優陀王宮に現じ給し白氎の佛像を迎たてまつるに佛像大光明をはなち給
0000_,31,467a12(00):永平七年甲申也。同十年丁卯白馬寺を立。然後四百八十餘年すぎて、欽明天王御時、厩戸王子壬申十月、
0000_,31,467a13(00):百濟國の聖明王、繹迦金銅像、經卷を奉送之刻、四天王寺を建立す。それより以降、聖武天王東大
0000_,31,467a14(00):寺を鑄造して佛法興隆、粗如來在世にことならずして、ややひさしくなりにける。いま先師上入念
0000_,31,468a01(00):佛すすめ給える由來を、畫圖にしるす事しかり。于時嘉禎三年丁酉正月廿五日、沙門躭空記之
0000_,31,468a02(00):如來滅後二千八十二年、日本國人皇七十五代崇德院長承二年癸丑美作國久米押領使漆間朝臣時國一
0000_,31,468a03(00):子生ずるところ誕生の圖
0000_,31,468a04(00):諸佛の世を利し給、機に隨て益をほどこし、日月の州を照す、時を測て光を迴す。北州に日かくや
0000_,31,468a05(00):くたれば.南州にかげのちかづくより、須彌の岑、なく鷄の可見路と鳴は、暗きやみ漸くはれて、
0000_,31,468a06(00):みち見えぬべしと囀也。佛敎も又正法千年は印土に盛にして、像法のはじめ漢につたはりてのち、
0000_,31,468a07(00):用明天王の儲君、舍利をもて生給しを佛の誕生に准ずべき歟。其謂何者、舍利、現身に説法し、神
0000_,31,468a08(00):變をしめし給事、佛のごとく也。これを以、我國の正法のはじめとすべきか。たとへば、父、宮こ
0000_,31,468a09(00):にして、よをはやくし、子、他國にまよふて、程をへてをどろく、亡日、年序をへにけれれども、
0000_,31,468a10(00):禁忌はきくよりをこり、孝養はあらたなれども、中隱はふるき跡也。爰一切衆生のちち、十萬餘里
0000_,31,468a11(00):のにしにかくれ、その子、三箇國の東に忍より、藤衣のたちまちにいろをかへるありさま、たら葉
0000_,31,468a12(00):の面にかききたまへる遺敎ひろしといへども、おほくは西方の寶樹、寶池の水木、宮殿樓閣のあり
0000_,31,468a13(00):さま、飯食經行ゆたか也。衣は、そめ、すすぎ、ぬはねども、春夏秋冬身をかざり、藥はのみ、く
0000_,31,468a14(00):ひ、つけねども、心になやむことなくつつがなし。かかる都へさそはんと、金烏、雲の上よりかけ
0000_,31,468a15(00):り、銀兎、野外にほとばしる
0000_,31,469a01(00):この息、襁褓のなかよりいでて、竹馬に鞭うちて、あそぶところ[竹馬嬉戯の圖]
0000_,31,469a02(00):保延七年辛酉はるのころ、時國朝臣、夜打にあへる刻、ふかききずをかふむりて、いまはかぎりにな
0000_,31,469a03(00):りにければ、九歳なる子に、われは此きずにてみ空くまかりならんとす。しかりと云て、敵人をうら
0000_,31,469a04(00):むる事なかれ。是前世のむくひ也。猶此報答を思ならば、轉展無窮にして世世生生にたたかひ、在
0000_,31,469a05(00):在處處にあらそふて輪廻たゆる事なかるべし。凡生ある物はみな、死をいたむ事かぎりなし。我こ
0000_,31,469a06(00):のきずをいたむ、人又いたまざらんや。我此命ををしむ、人あにをしまざらんや。わがみにかへて
0000_,31,469a07(00):人の思をしるべき也。むかし、はからざるに、もののいのちをころす人ありけり。次生にそのむく
0000_,31,469a08(00):ひをなす。いま有起の善を修す、彼功德すなはち大善根となる。願は今度忌緣をたちて彼宿意をわ
0000_,31,469a09(00):すれん。意趣をやすめずば、いづれの世にか生死の紲をたたん。梵網心地戒品に云、みづからもこ
0000_,31,469a10(00):ろし、人ををしへてもころし、方便してもころし、ころすをもほめ、ころすをみても隨喜し、乃至
0000_,31,469a11(00):呪してもころす。因緣報果、みなころすにおなじ。よの九戒、又又如此。然者一向に往生極樂を
0000_,31,469a12(00):いのりて、自他平等利益をおもふべしといひおはりて、心をただしくして、西方界にむかひて高聲
0000_,31,469a13(00):に念佛して、ねむるがごとくにしておはりぬ
0000_,31,469a14(00):生年九歳なる子息、敵人の頭に少箭をいたてける。葬送中隱の間、念佛報恩ををくる刻、雁塔を
0000_,31,469a15(00):たてて鳧鐘をならし、烏瑟の妙相をあらはして鷲嶺の眞文を開題し、鶖子が智辯をむかへて鳥方
0000_,31,470a01(00):にをくらん事をのぞむ 時國遭難の圖
0000_,31,470a02(00):同年のくれ同國のうち、菩提寺の院主觀覺得業の弟子になり給 觀覺得業の許へ入室の圖
0000_,31,470a03(00):一、師匠の命によりて 比叡山にのぼるべきよし侍ける時、乳房のははに、いとまを申とて、大師
0000_,31,470a04(00):釋尊は、十九の御年、父の大王にしのび給て、ひそかに王宮をいでたまひ、今小童は、生母にいと
0000_,31,470a05(00):まを申て、二親を佛道に入たてまつらん。夫流轉三界中、恩愛不能斷、棄恩入無爲、眞實報恩者文
0000_,31,470a06(00):と承ば、今日よりのち、こひしくゆかしく我をすてて、うらめしとおぽしめさるな。三河守大江定
0000_,31,470a07(00):基は、出家して大唐へわたり侍し時は、老母にゆるされをかうむりてこそ、彼國にして圓通大師の
0000_,31,470a08(00):號をかうむり、本朝の名をもあげ給しか。ゆめゆめこの童をこそちちの形見として、朝に覲へ暮に
0000_,31,470a09(00):眤びん事をわすれて、生るる覺山にこもりて、ふかくみちびく師とならん事をおぽしめせと、かき
0000_,31,470a10(00):くどき給しかば、母ことはりにおれて、みどりのかみをかいなでで、涙ばかりぞ、いただきにそそ
0000_,31,470a11(00):ぎける。いま思あはすれば、秘密灌頂とかやに、物はいはずしていただきにそそぐと申は、かやう
0000_,31,470a12(00):の事にや侍らん
0000_,31,470a13(00):かたみとてはかなきおやのとどめてしこのわかれさへまたいかにせん
0000_,31,470a14(00):三、まことに、うめる子におしへらると、薩婆悉達の、母の御ために摩耶經をとき給けんも、さ
0000_,31,470a15(00):こそとよろづをしのびて、ちかくは人とならんことをまち、とをくは佛にならんまでをこそ、な
0000_,31,471a01(00):き人のこけのしたまでも申いれ侍らめ。されども、有爲のならひ忍びがたく、昔、迦葉尊者だに
0000_,31,471a02(00):も別には、こゑ大千にうごかし、善吉尊者も手に一鉢をすて給ければ、まして女身にてはいかに
0000_,31,471a03(00):もなぐさめがたく侍ぞや
0000_,31,471a04(00):母子訣別の圖
0000_,31,471a05(00):二、この事はりをば、觀覺こそ申さまほしく侍つるを、こまごまと、ありありしくおほせ事侍れば
0000_,31,471a06(00):それにつけても、かしこくぞ御學問のよし思より侍ける。むかし晋の叡公、いとけなくして法花經
0000_,31,471a07(00):翻譯とき、師匠の人天交接の詞、かきわづらい給ける。さかしうおもひあはせられてあはれにこそ
0000_,31,471a08(00):上洛の圖
0000_,31,471a09(00):夫以、天台山者、桓武先帝、傳敎大師起誓於鷲嶺之月弘法於馬臺之風先帝闢平安城而固百王之
0000_,31,471a10(00):社稷大師立延暦寺而布一乘之垂迹佛法王法互致衞護一乘萬乘倶期周遍古人有言、松茂栢喜芝死
0000_,31,471a11(00):蘭泣、物之相感草木猶爾云云よりて山門にはひとすぢに、君と國とをいのりたてまつり、皇帝はふた
0000_,31,471a12(00):ごごろましまさず、法と人とをはぐくみまします。因緣、靈山のむかしよりふかく、ちぎりこと野
0000_,31,471a13(00):野いまにひろし登山の圖
0000_,31,471a14(00):初登山の時、ひさしの得業觀覺の状云
0000_,31,471a15(00):進上
0000_,31,472a01(00):大聖文殊之像一體
0000_,31,472a02(00):天養二年乙丑月日 觀覺上
0000_,31,472a03(00):西塔北谷持法房禪下
0000_,31,472a04(00):源光この消息を披閲して、文殊像を相尋之處、生年十三の少人許をさきにたてて登。仍奇異の思に住し
0000_,31,472a05(00):て後、一文をさづくるに、十文をさとる次第、まことにただ人にあらず
0000_,31,472a06(00):法花修業之候 [普賢來現の圖]
0000_,31,472a07(00):久安三年丁卯仲冬、出家受戒云云 竊以、無明長夜以戒光而爲炬、滅後軌範以木叉而爲師。故受生
0000_,31,472a08(00):昇沈依戒持毀、見佛有無任乘緩急。所以離雲不覓雨、避池不尋蓮。叶佛位計無離道心、取菩提藝
0000_,31,472a09(00):有勤善根。其志を以、肥後阿闍梨皇圓に從て天台六十巻讀畢之。件闍梨、彌勒下生之曉をまたんがた
0000_,31,472a10(00):めに、五十六億七千萬歳之間、遠江國笠原池に、大蛇となりてすまうべきよし、彼領家に申請て、
0000_,31,472a11(00):誓にまかせて死後即その池にすまうよし、時の人遠近見知するところ也
0000_,31,472a12(00):久安六年庚午生年十八はじめて黑谷上人禪窓に尋いたる日、上人いでむかふて、發心の由來を問給
0000_,31,472a13(00):ふに、親父夜打のために早世せしより、この遺詞にまかせて、遁世のよし思たちける次第つぶさ
0000_,31,472a14(00):にかきをき給ければ、さては法然具足の人にこそましますなれと侍しより、法然といふ名は、
0000_,31,472a15(00):のたまひける。 出家受戒の圖 叡空上人と對面の圖
0000_,31,473a01(00):花嚴經披覽の時、あやしげなるくちなはいできたるを見て、同信空上人これををそれ給ひける夜の
0000_,31,473a02(00):夢に、我はこれ上人守護爲、靑龍現ずるなり。更におぢられたまふべからずと云云
0000_,31,473a03(00):靑龍出現の圖
0000_,31,473a04(00):暗夜に經論を見給に灯明なけれども、屋内をてらすひるのごとし、信空上人、同その光を見る
0000_,31,473a05(00):屋内放光の圖
0000_,31,473a06(00):保元元年丙子求法のために、修行すとて先嵯峨に參籠。然後、南都贈僧正藏俊に、法相宗を學し給ふ
0000_,31,473a07(00):に、其の義甚妙にして、不可思議なりければ、師範かへて、上人に歸して佛陀と稱して、供養をの
0000_,31,473a08(00):べ給
0000_,31,473a09(00):中川少將隨て、鑒眞和尚の戒をうく。大納言律師寬雅に三論宗を學し給に、その宗のおぎろをさぐ
0000_,31,473a10(00):り、弟子のふかき心を達するに、かへて涙をながして、奧旨をきはむ
0000_,31,473a11(00):上人行脚の圖 學匠訪問の圖 學匠訪問の圖 學匠訪問の圖
0000_,31,473a12(00):眞言の敎文にいりて道場觀を修し給に、五相成身の觀行あらはしたまふ 道場觀成の圖
0000_,31,473a13(00):一代五時の諸經、はじめ花嚴の法界唯心、阿含の四諦緣生、方等彈呵褒貶、般若の染淨融通、法花唯
0000_,31,473a14(00):有一乘、醍醐捃拾妙藥、總て自他諸宗經論章疏、眞言止觀のをぎろ心を三觀の彌陀にあらはして、
0000_,31,473a15(00):悉九品の淨界にすまし給。事のはじめは高倉院の御宇安元元年乙未齡四十三より、諸敎所讚、多在彌
0000_,31,474a01(00):陀の妙偈、ことにらうたく心肝にそみ給ければ、戒品を地體としてそのこゑに毎日七萬遍の念佛を
0000_,31,474a02(00):唱て、おなじく門弟のなかにもをしへはじめ給ける
0000_,31,474a03(00):上來雖説定散兩門之益、望本願意在衆生、一向專稱彌陀佛名、南無阿彌陀佛佛々
0000_,31,474a04(00):上人、心閑に淨土を觀じ給ける。はじめの夜は寶樹を現じ、次夜は瑠璃の地をしめし、後には宮
0000_,31,474a05(00):殿を拜し給三昧現前の圖
0000_,31,474a06(00):唐善導和尚、もすそよりしもは、阿彌陀如來の御裝束にて現じて、さまざまの事をときてをしへ
0000_,31,474a07(00):給ける善導來現の圖
0000_,31,474a08(00):南無勢至菩薩云、我本因地にして念佛の心をもて、無生忍に入て法界にして、念佛を攝して人をし
0000_,31,474a09(00):て淨土に歸せしめ給ける。これすなはち念佛三昧成就獲得の證理なるべし。よりてこの聖容は一丈
0000_,31,474a10(00):六尺に示し給ける勢至出現の圖
0000_,31,474a11(00):無量壽佛化身無數、與觀世音、大勢至、常來至此行人之所三尊出現の圖
0000_,31,474a12(00):法眼顯眞大原籠居の時、法印永辨出離解脱のはかりごと、頓證菩提のいりかど談じて、氷辨歸山の
0000_,31,474a13(00):刻、如此次第、委は法然上人を堀して、御尋あるべきよし申て後、龍禪寺に僧都明遍、已講貞慶重
0000_,31,474a14(00):源和尚、印西上人、凡處處遁世の人人。當所には湛斅、蓮契、師弟の上人等十餘輩招て、淨土の敎
0000_,31,474a15(00):文沙汰あるべきよしきこえて、山門の久住者、念佛往生の儀をきかんとて智海法印、靜嚴僧都、覺
0000_,31,475a01(00):什僧都、證眞、堯禪等、各あつまりけるに、淨然法眼、仙基律師は、又もとより坐せられける。面
0000_,31,475a02(00):面に諸宗に入たちて、深儀論談決擇侍けるに、上人、散心念佛の時にかなひ、をりをえたる事つぶ
0000_,31,475a03(00):さに解説し給けるに、房主法眼顯眞雙眼に紅涙をながし、一心丹精をぬきいででみづから香爐をと
0000_,31,475a04(00):りて、持佛堂に旋遶行道、高聲念佛を唱給に、南北の明匠、西土の敎に歸し、上下の諸人、中心の
0000_,31,475a05(00):誠をこらして各一口同音に、三日三夜、間斷なし。これを六方恆沙の證誠にたとふ。總て信男信女
0000_,31,475a06(00):三百餘人、參禮の聽衆かずをしらず、然間、湛斅上人發起にて來迎院、勝林院等不斷念佛をはじむ。
0000_,31,475a07(00):自爾以降、洛中邊土、處處道場、修してつとめざるところなし。如此して後顯眞召出されて、天台
0000_,31,475a08(00):座主に補し僧正に任じ給。末代高僧、本山の賢哲也。諸宗の碩德卒して莫非上人云云一天四海、併
0000_,31,475a09(00):念佛を以、口遊とす
0000_,31,475a10(00):前權少僧都明遍論席列座人師の銘記法眼大和尚僧顯眞、法印大僧都智海、法印權大僧都靜嚴、權少僧都覺什、法印權大
0000_,31,475a11(00):僧都證眞、法橋上人堯禪、法眼大和尚靜然、權律師仙基、已講貞慶、藏人入道、蓮契上人、念佛
0000_,31,475a12(00):房、湛斅上人、印西上人、重源和尚、上人源空 大原論談の圖
0000_,31,475a13(00):本朝祖師傳記繪詞卷第二
0000_,31,475a14(00):上西門女院に上人七日説戒し給ける時、前栽の草むらの中に、おほきなるくちなはありけり。夏の
0000_,31,476a01(00):事也ければ、はめをどうかすといへども、日日にかくることなくして、壟おりて頗聽聞の氣色見え
0000_,31,476a02(00):ければ、人人めもあやにみける。第七日結願にあたりて、この蛇はからかきのうえにのぼりてやが
0000_,31,476a03(00):て死しけるほどに、そのかしら二にわれにけるなかより、蝶のやうなる物いづとみる人もあり、又
0000_,31,476a04(00):かしらばかりわれたりとみる人もありけり。又天人ののぼるとみる人もありけり。むかし遠行する
0000_,31,476a05(00):ひじり、このひ、くれにければ野中につかあなのありけるに、とどまりて夜もすがら、無量義經を
0000_,31,476a06(00):暗誦しけるほどに、彼つかあなの中に五百蝙蝠ありけり。この經を聽聞しつる功德によりて、この
0000_,31,476a07(00):かはほり、五百の天人となりて、忉利天に生ぬと夢につげけり。いま一すぢの蛇あり、七日説戒の
0000_,31,476a08(00):功力にこたへて、雲をわけてのぼりぬるにやと人人隨喜をなす。彼は上代なるうへに大國也。これ
0000_,31,476a09(00):は末代にして又小國也。希代勝事、凡人の所爲にはあらずとぞ時の人人申侍ける
0000_,31,476a10(00):上西門院受戒の圖
0000_,31,476a11(00):高倉天皇御得戒侍けり。其相承、釋尊千佛の大戒を持て正覺の曉、陳の南岳大師にさづけ、南岳大
0000_,31,476a12(00):師七代をへて道邃和尚、本朝傳敎大師にさづけ、傳敎大師、慈覺大師にさづけ、慈覺大師、淸和天
0000_,31,476a13(00):王にさづけたてまつらしめ給し時、男女授者五百餘人、利をへ、益をかぶる。今當帝に、十戒をさ
0000_,31,476a14(00):づけたてまつらしめ給事、陳隋二代の國師天台大師の、大極殿に御に對して、仁王般若を講じ給し
0000_,31,476a15(00):に、殿上階下、稱美讚嘆、殿にかまびすしく侍しがごとく、月卿雲客より后妃釆女にいたるまで、
0000_,31,477a01(00):巍巍たる禁中に、喁喁たるいきさし、堂堂たる宮人の、面面たる信敬、もろこしのいにしへにもは
0000_,31,477a02(00):ぢず、やまとの中ごろをしたふ。故に九帖附屬の袈裟、福田をわが國にひらき、十戒血脈の相承、
0000_,31,477a03(00):種子を秋つ州にまく。抑安然和尚の戒品を傳し、いまだ袈裟の附屬をばうけざりき。相應和尚の念
0000_,31,477a04(00):佛をひろめし、又いまだ戒儀をばとかざりき。彼此をかねたる、今の上人也。これによりて、敬て
0000_,31,477a05(00):戒品の帝珠をみがきて、いよいよ無上の位にすすみ給べし。その榮啓期が歌三樂未至常樂乃門皇
0000_,31,477a06(00):甫謐之述百王猶闇法王之道
0000_,31,477a07(00):一、只今源空上人めされ參られ侍
0000_,31,477a08(00):二、何事に侍やら覽
0000_,31,477a09(00):四、剋限よくなりて侍らば、聽聞に參り侍覽
0000_,31,477a10(00):五、何の殿侍やらん、紫殿
0000_,31,477a11(00):六、淸凉殿とこそふれ侍れ禁裏の圖
0000_,31,477a12(00):治承四年庚子十二月十一日、平家亂逆之時、東大寺炎上之庭に、舊跡にまかせて、大佛冶鑄し奉るべ
0000_,31,477a13(00):きよし、右大辨藤原行隆朝臣、奉行にて侍けるに、昔、一天四海の民土にすすめて御建立侍るける。
0000_,31,477a14(00):今度も勸進上人をやつけられ侍べきよし、勅答申ければ先例にまかすべきよし宣くだされける刻、
0000_,31,477a15(00):奉行辨、祕に法然上人に御勸進侍なんやと、内議の返答に、源空は勸進のうつは物に非ず、同行修
0000_,31,478a01(00):乘坊に申合べき状はからひて、彼上人に被召仰侍けるところ
0000_,31,478a02(00):抑この勸進、修乘坊うけとり給てのち、廣十方施主をすすむるにこのしるし、はかりがたし。い
0000_,31,478a03(00):かがして奉加の得不得を知べきの評定ありけるところに、法眼顯眞云、一乘妙典は八軸の經王、
0000_,31,478a04(00):文字のかず、六萬九千三百八十四字也。この文字を阿彌陀佛の上におきて、彼名號を檀那の字と
0000_,31,478a05(00):して、比丘、比丘尼、優婆塞、うばいの四部の衆にくばりて、猶あまる字あらば法花經何部也と
0000_,31,478a06(00):もとてかへして人人に結緣せしめて、九品三輩のともとや侍べきよし、相議して其名字を賦とこ
0000_,31,478a07(00):ろ重源和尚、唐の善導和尚眞像をわたし給て、上人にたてまつらしめ給に道俗男女、はじめてこ
0000_,31,478a08(00):れを禮し給へる 勸進内議の圖 眞像禮拜の圖
0000_,31,478a09(00):後鳥羽法王御宇建久元年庚戌秋淸水寺にて上人、説戒の座に念佛すすめ給ければ、寺家大勸進沙彌印
0000_,31,478a10(00):藏、瀧山寺を道場にて不斷常行三昧念佛はじめける。開白發願して能信、香爐をとりて行道をはじ
0000_,31,478a11(00):む。願主印藏、僧範義、自餘不分明比丘、比丘尼、其數をしらず。其間、南都古年童出家して、念
0000_,31,478a12(00):佛衆に交て、高聲念佛申て松苑寺邊に、私宅往生をとぐ。能信、如法經の紙苧をうへながら、往生
0000_,31,478a13(00):人の緣をむすぶ。入棺前火やくをつとめて還に、異香、衣のうへに薰ず。人人奇異のおもひをなす
0000_,31,478a14(00):と云云
0000_,31,478a15(00):仁和寺の入道法親王夢想告云、斯瀧は過去にもこれありき、現在にも是在、未來にもあるべし。
0000_,31,479a01(00):是則大日如來の鑁字の智水也と示して同詠じ給詞。淸水の瀧へまいれはおのつから現在安穩後生
0000_,31,479a02(00):極樂淸水寺瀧の圖
0000_,31,479a03(00):靈山寺にて、三七日不斷念佛の間、燈なくして光明あり。第五夜におのおの行道にまじはりて、勢至
0000_,31,479a04(00):菩薩、同烈にたち給へる事を、ある人如夢拜して、上人にこのよしを申。さる事侍らん、返答。餘
0000_,31,479a05(00):人更不能禮之
0000_,31,479a06(00):勢至菩薩行道の列に立ち給ふ圖
0000_,31,479a07(00):弟子能信、吉水の禪房に參て天台宗文句第一巻讀書之日、上人、世中のつねならぬ事を、敎訓詞云、
0000_,31,479a08(00):咄哉諸有苦輪、轉如水月不堅如芭蕉亦如幻影響如來大勇猛、功德超三界猶爲無常風漂流而不
0000_,31,479a09(00):住文凡生死の無常、いはざるにしりぬべし。そのうへ難捨妻子珍寶あらは、勇士の交陣如歸死、
0000_,31,479a10(00):丈夫向道有何辭初入恆難永無易、由難若退何功成云云父母親族、生生の恩所、世世に如何がわす
0000_,31,479a11(00):れん。しかれども何功にか成ぜんと思べき也。讀書云、至理無名而流四天之下眞乘不動而出三界之
0000_,31,479a12(00):中と承ば、今より心あらば、まことにさとりもひらきつべし能信讀書の圖
0000_,31,479a13(00):後白川法王にめされて、説戒並往生要集を談ぜしめ給に、往生極樂の敎行は濁世末代の目足也。道
0000_,31,479a14(00):俗貴賤、誰か不歸之侍けるより、各心肝に銘じて、いまはじめて聞つるやうに、隨喜かむ涙。仍
0000_,31,479a15(00):太上法王、院勅をくだして右京權大夫隆信朝臣に、眞影をうつさしめて、將來のかたみにそなへま
0000_,31,480a01(00):します 殿上説戒講説の圖
0000_,31,480a02(00):依院宣之旨右京權大夫隆信朝臣、上人の眞影をうつしたてまつりて、遙に蓮花王院の寶藏におさ
0000_,31,480a03(00):めしめ給べきに侍りけり 隆信寫影の圖
0000_,31,480a04(00):仁和寺の法親王より御師德のよしにめさるといへども、隱遁の身におそれて祗侯にあたはず。雖然、
0000_,31,480a05(00):八條女院、慇福門女院、宣陽門女院、七條女院、准后宮、大臣、諸卿、戒文授者、念佛の歸依おほ
0000_,31,480a06(00):しといへども關東には熊谷入道、鎭西には聖光等、敎門に入しより他宗をのぞかざるともがら
0000_,31,480a07(00):弟子辨阿者、上人入室後、先遣伊州弘通念佛還鎭西建立於光明寺敎道一切衆生遂往生宛如
0000_,31,480a08(00):本望 聖光及熊谷入道人室会の圖
0000_,31,480a09(00):後白川法王の御爲に、建久三年秋、大和入道親盛見佛、八坂の能引導寺に、七日、念佛つとめける。
0000_,31,480a10(00):次に禮讃の先達に、心阿彌陀佛、二條院御藏法則次第能信授之其結願に、種種捧物を取出侍りければ、上人、
0000_,31,480a11(00):ことのほかなる氣色にて、念佛は自行のつとめ也。法王の御菩提に、廻向したてまつるところに、
0000_,31,480a12(00):布施みぐるしき次第也。ゆめゆめあるべからずといましめ給。これ六時禮讃のはじめ也
0000_,31,480a13(00):南無釋迦牟尼佛等、一切三寳我今稽首禮、廻願往生無量壽國
0000_,31,480a14(00):住蓮、安樂、心阿彌陀佛、沙彌見佛 禮讃修行の圖 大佛殿説法の圖
0000_,31,480a15(00):觀經曼陀羅、唐より奉渡して開題稱揚の次に、天台の大乘十戒を解し給に、いささかの砒謬侍りけ
0000_,31,481a01(00):れども、當寺の古德のなかに兼日の夜の夢に、聊靈異しめすことありける間、件の次第、さきだち
0000_,31,481a02(00):て披露侍りければ、大衆の中に、おのおのくちをとぢて云事なかりけりとぞ、都の人人は巷説し
0000_,31,481a03(00):侍ける。無品親王靜忠御惱の時、門徒の高僧等、大般若經奉轉讀各祈請申ども、猶御平癒の景色ま
0000_,31,481a04(00):しまさざりければ、上人を招請したてまつり、臨終の次第ども御尋仰らるるところ
0000_,31,481a05(00):親王上人對座の圖
0000_,31,481a06(00):令旨仰云、いかがして此たび生死をはなれ候べき。後生たすけさせ給へ。往生極樂の御願、御念佛
0000_,31,481a07(00):にはしかず。佛曰、光明徧照、十方世界、念佛衆生、攝取不捨
0000_,31,481a08(00):法然上人、僧正行舜、僧正公胤、僧正覺實、法印顯忠、法印圓豪、石金丸、法印公雅、法印道嚴、
0000_,31,481a09(00):法印信觀
0000_,31,481a10(00):この三人の法印は、御障子のうちにて、共形貌みえ給はず。各各の官位は後日の交名をしるす。
0000_,31,481a11(00):中院御宇元久元年甲子十一月七日普告門人七箇條の起請文云、取要略之
0000_,31,481a12(00):一、一句文をうかがはずして、眞言止觀を破する事
0000_,31,481a13(00):二、無智身をもて物を論ずる事
0000_,31,481a14(00):三、別解人と、本業をすてて強嫌咳事
0000_,31,481a15(00):四、念佛に戒行なしと號して專婬酒食肉をすすめて、たまたま律儀の人をば雜行と名て、彌陀の本
0000_,31,482a01(00):願には説勿恐造惡事
0000_,31,482a02(00):五、癡人の、聖敎をはなれて、師説にあらざる事をもて、智者に咲事。これは無智大天狗來て猥く
0000_,31,482a03(00):邪義延て九十五種異道、尤可恐之
0000_,31,482a04(00):六、癡鈍身をもて殊唱導を好て、正法を不知、種種邪法を説て、恣妄説を成て、世間人を誑惑し、
0000_,31,482a05(00):過殊重、寧國賊にあらずや
0000_,31,482a06(00):七、右各雖一人説所積爲予一身衆惡汚彌陀之敎交揚師匠之惡名不善之甚、無過之者也
0000_,31,482a07(00):以前起請如此。一文を學する弟子等、年來、念佛を修といへども聖敎にしたがふ故に、人の心
0000_,31,482a08(00):よの聞をおどろかさず。近來、不善のともがら、ただ彌陀の淨文をうしなふのみにもあらず、
0000_,31,482a09(00):兼は釋迦の遺法をけがす。何不加炳誡乎。猶背制法輩は、是非予門人魔眷屬也。更不可來
0000_,31,482a10(00):草庵自今以後、各隨聞及必被觸之。餘人勿相伴若不然者同意人也。彼過如作者文其略之
0000_,31,482a11(00):所詮、大旨如此
0000_,31,482a12(00):[座主問状の圖]
0000_,31,482a13(00):天台座主、御問状付て誓文を進給。其詞云、源空偏勸念佛敎謗餘敎法諸宗依之凌夷、諸行依之滅
0000_,31,482a14(00):亡云云 凡彌陀本願云、唯除五逆、誹謗正法云云勸念佛之徒、爭謗正法惠心要集云、聞一實道入
0000_,31,482a15(00):普賢願海云云欣淨土之類、豈捨妙法哉。但老耄遁世之輩、以極樂可爲所期以念佛可爲所行之
0000_,31,483a01(00):由、時時諷諫。是則齡衰不能練行性鈍不堪研精之間、暫置難解難入之門試示易往易行之道佛智
0000_,31,483a02(00):猶設方便凡慮豈無斟酌哉。敢非存敎是非偏思機堪不也。此條若可爲法滅之緣者、向後宜從停
0000_,31,483a03(00):止云云此則以僻説弘通、以虚誕披露。尤可有糺斷尤可有炳誡所望也。所欣也。此等子細、去
0000_,31,483a04(00):年沙汰之時、進起請了。其後、于今不變改不能重陳嚴誡既重疊之間、誓状又及再三上件子細、
0000_,31,483a05(00):一事一言、以虚誕設會釋者、毎日七萬返念佛、空失其利墮在三途現當二世依身、常沈重苦永
0000_,31,483a06(00):受楚毒伏乞當寺諸尊、滿山護法、證明知見 源空敬白
0000_,31,483a07(00):同三年七月、吉水を出て小松殿に移り給て、明月を詠じ給ける
0000_,31,483a08(00):小松とはたれかいひけんおぼつかな雲をささふるたかまつのきを
0000_,31,483a09(00):權律師隆寬小松殿參向の時、上人御堂の後戸に出對給て一卷の書を持て隆寬律師の胸問に指入、
0000_,31,483a10(00):依月輪殿之仰所撰選擇集也
0000_,31,483a11(00):松樹、選擇付屬の圖
0000_,31,483a12(00):禪定殿下、上人、法印聖覺、同日同時、瘧心地し給事、おぼろげならずましましけるあひだ、殿下
0000_,31,483a13(00):仰に安居院をして、淨土の敎文を講じて彌陀本誓を解説せしめぱ、隨喜の心をおこして除病安寧
0000_,31,483a14(00):の効驗もありぬべしと御評定ありて、道場を莊嚴して稱揚讃嘆はじまりければ
0000_,31,483a15(00):殿下、至誠心をいたし上人、深心をふかくして、御導師、廻向發願の心をねんごろにし給ければ、
0000_,31,484a01(00):三所に三心を具足して、一座に御歸依あらはれにけりといふ事、末代の奇特、天下にひびくところ
0000_,31,484a02(00):如件瘧病祈顧の圖
0000_,31,484a03(00):元久二年乙丑四月一日、於月輪殿淨土の敎籍、御談數剋の後、御退出の時、遙に南庭をおはしましけ
0000_,31,484a04(00):る御うしろに頭光を現じ給ければ、禪定殿下くづれおりさせ給て、稽首歸命したてまつりて、悲涙
0000_,31,484a05(00):千行萬行
0000_,31,484a06(00):圖中列僧の銘記
0000_,31,484a07(00):頭光顯現の圖沙彌戒心阿闍梨尋玄
0000_,31,484a08(00):上人は始は戒をときて人に授、後には敎を弘てほとけになさしめ給。故に於日域而施無畏宛如照
0000_,31,484a09(00):觀自在王之蒼天於月輪而示有光明知可得大勢至之白毫諸佛菩薩の大悲利生、おほくましませど
0000_,31,484a10(00):も、安立器世間のはじめより、劫末壊劫のすへまでに、日月のひかりにふれざる情非なかりけり。
0000_,31,484a11(00):この故に、いざなぎ、いざなみのみこ、觀音、勢至の垂述、日月として、世をてらしまします。又
0000_,31,484a12(00):二菩薩の化をほどこして、九品蓮臺をひらき給、末代なりといへども誰人か疑をなさん。仰で信べ
0000_,31,484a13(00):しと思て、心のはやりのままに七旬の老眼に悲涙を抑て泣、一人の同法をすすめて後素をしるす。
0000_,31,484a14(00):留贈後見共期佛惠矣
0000_,31,484a15(00):嘉禎三年丁酉十一月廿五目筆功已畢
0000_,31,484a16(00):此繪披見之人、奉禮三尊之像其詞説明之輩、贖誦大經之文願身口意之行念阿彌陀之名往生極
0000_,31,485a01(00):樂之志無貳、勿疑之也。爰躭空執筆而草旨趣觀空和墨摸畫圖願結一佛淨土之緣共證九品蓮
0000_,31,485a02(00):臺之果乃至無遮平等 敬白
0000_,31,485a03(00):躭空在判
0000_,31,485a04(00):觀空在判
0000_,31,485a05(00):おもひ入やすち箏ゆみはりの月のつよくもひくかたそかし
0000_,31,485a06(00):弓はりの月は大地を的としのおもひ入よりはつしけそなき
0000_,31,485a07(00):傳法繪流通三卷
0000_,31,485a08(00):上人、入學のはじめ諸一切種諸冥滅拔衆生出生死泥とうけたまいしより、ふかく此理を信じて化
0000_,31,485a09(00):度の心ざしあさからずして、諸宗は學するにしたがうて開悟、萬法は行ずるごとに證得し給ありさ
0000_,31,485a10(00):ま、あらあら後素を東界にとどめて前途を西刹に望あまり、世のそしりをしらず、謬あらばかき
0000_,31,485a11(00):つくろはせたまへ。入のあざけりをわする、あやまちあらばすて給へ。爰念佛の行人の中に宣下云、
0000_,31,485a12(00):顯密有宗、焦丹符而歎息、南北衆徒、捧白疏而欝訟。誠可謂天魔遮障之結構寧只非佛法弘通之怨
0000_,31,485a13(00):讎乎。遂源空門弟等、不思議を示て、仰咎於本師遠流に處らる。凡往生極樂のみちまちまちなるあ
0000_,31,485a14(00):ひだ、名號の一門を開て、代にしたがふてひろめ、機にかぶらしめてさづくる中に、みづから邪儀
0000_,31,486a01(00):をかまへて、僞て師説と號する刻、予一身につみながれて、遙に萬里のなみにながれにけらし。但
0000_,31,486a02(00):この事をいたむにはあらず。むかし敎主釋尊は因行のとき、檀施のあまり、父の大王にいましめら
0000_,31,486a03(00):れて、かすかなる山にこめられ給しかども、其志不懲して、ますます修し給しかば、彼山を釋迦山
0000_,31,486a04(00):と號して、つゐに正覺のにはとなりにけり。愚老一人衆生をわたさす、諸佛菩薩またまたかくのご
0000_,31,486a05(00):とし。然者更にうらむるところなし。敢てなげくことなかれ。抑結緣は順逆にわたり、引接人をき
0000_,31,486a06(00):らはず、來迎に前後あり、遲速は人人の心なるべし
0000_,31,486a07(00):上人つねに人にむかひて唱たまへる文云、佛告阿難汝好持是語持是語者、即是持無量壽佛名云云
0000_,31,486a08(00):以之上人私日、雖聞名號不信之如不聞之、雖信之、不唱之如不信之。只つねに念佛すべし
0000_,31,486a09(00):かかるほどに小松殿に、靱かけられ給にけり。建永二年丁卯二月廿七日、還俗の姓名を給源元彦配所
0000_,31,486a10(00):土佐國。しかは侍けれども、月輪の禪定殿下の御沙汰として法性寺の小御堂に逗留、同三月十六日
0000_,31,486a11(00):都を出給、信濃國角張成阿彌陀佛、力者の頭領として、總て我ももと參勤 六十餘人
0000_,31,486a12(00):力者小松殿へ參勤の圖
0000_,31,486a13(00):この次第をみる人人、なげきかなしみければ、かれらをいさめむがために、驛路は是大聖のゆくと
0000_,31,486a14(00):ころ。漢には一行闍梨、日本には役行者。謫所は又權化のすむ砌也。震旦には白樂天、我朝には菅
0000_,31,486a15(00):丞相也。在纏出纏皆火宅也。眞諦俗諦しかしながら水驛也。愛角張者、俗姓は早いでにき。王家を
0000_,31,487a01(00):守多田の苗裔、法家に始て入。朝敵を拉伊州の玄孫なれども、本師上人に從て奴と也、僕となれり。
0000_,31,487a02(00):故盡力輿を舁、同採花汲水の役をいとはず、捨身給仕、兼朝粥非時の膳をいとなむ
0000_,31,487a03(00):同日、大納言律師公全西國へながされ給けるは、律師の船、さきに出けれども、上人、くだらせ給
0000_,31,487a04(00):とききて、しばらくおさへて、上人の船にのりうつりて、律師、一目をみあげて、上人の膝に、か
0000_,31,487a05(00):しらをかたぶけて、なくこゑ天をひびかすといへども、上人は涙をもたてず、念佛しておはしける
0000_,31,487a06(00):ほどに、律師の船より、とくとくと申ければ、いよいよなごりをおしみながら本船にのりうつり給
0000_,31,487a07(00):にけり
0000_,31,487a08(00):遠流の首途の圖
0000_,31,487a09(00):室泊につき給ければ君だちまいり侍けり。むかし小松天皇、八人の姫宮を七道につかはして、君の
0000_,31,487a10(00):名をとどめ給中に、天王寺別當僧行尊拜堂のためにくだられける日、江口、神崎の君達、御船ちか
0000_,31,487a11(00):くふねをよせける時、僧のふねに、みぐるしくやと申ければ、神歌をうたひいだし侍ける
0000_,31,487a12(00):うろぢよりむろぢにかよふ釋迦だにも羅睺らがはははありとこそきけ
0000_,31,487a13(00):と打いだし侍ければ、さまざまの纏頭し給ける
0000_,31,487a14(00):又をなじきとまりの長者、老病にふして、最後に今樣歌
0000_,31,487a15(00):なにしに我らがおいにけん、思へばいとこそかなしけれ。いまは西方極樂の、みだのちかひをた
0000_,31,488a01(00):のむべし
0000_,31,488a02(00):とうたひければ、むらさきの雲、靑海波にたなびき、音樂、人に聞て、異香、身にかほりつつ、往
0000_,31,488a03(00):生をとげ侍ければ、今、上人をおがみたてまつりて、同じく其緣をむすばむと、をのをの申侍ける
0000_,31,488a04(00):室泊遊女結緣の圖
0000_,31,488a05(00):同三月廿六日、讃岐國塩飽地頭駿河權守高階保遠入道西仁が舘に寄宿。種種にきらめきたてまつり
0000_,31,488a06(00):て、温室いとなみ、美膳そなへたてまつるこころざし、いとあはれにこそ侍めれ。それにつけても
0000_,31,488a07(00):念佛に緣なき衆生は、この事となくそしりあざけり難ずるは、天魔波旬のいはするか、外道邪鬼の
0000_,31,488a08(00):思はするか。たとへば鸚鵡のよく物をいふ、人の云ざることをぱいはず、山母の人の思をしる、お
0000_,31,488a09(00):もはざる事をばさとらず。凡大天狗の媚て、よき刻限に生たる衆生を、さまたげとらかして、大善
0000_,31,488a10(00):根をうゑさせぬか、不輕大士の罵詈にたえてもすすむぺし。杖木を忍ても、かまえてみちびき侍ら
0000_,31,488a11(00):ばや、いかなるはかりごとをめぐらし侍べき。この心に住してをのをのすゑの世までも、人人を
0000_,31,488a12(00):こしらゑて念佛をすすめ給へ。あへて人のためにははんべらぬ事ぞと返返補屬し給
0000_,31,488a13(00):地頭西仁饗應の圖
0000_,31,488a14(00):讃岐國少松御庄、弘法大師の建立、觀音靈驗の地
0000_,31,488a15(00):生福寺につき給。抑當國に、同大師、父の御ために、其名をかりて、善通寺と云伽藍おはします。
0000_,31,489a01(00):起文云、これに參ぜん人人は必一佛淨土の友たるべきよし侍ければ、今度のよろこび是にありと
0000_,31,489a02(00):て尋まいり給ける 善通寺參詣の圖
0000_,31,489a03(00):左辨官下土佐國
0000_,31,489a04(00):應早召還流人源元彦身事
0000_,31,489a05(00):使 使部
0000_,31,489a06(00):火長一人
0000_,31,489a07(00):右件元彦、去建永二年二月廿七日、坐辜配流土佐國
0000_,31,489a08(00):而今依有所念行、所被召還也。者某宣奉勅。件人宜令召還。者國宜承知、依宣行之
0000_,31,489a09(00):建永二年八月日 左大夫小槻宿禰國宗 恩免の圖
0000_,31,489a10(00):かくていまだ入洛にはおよばず。勝尾山勝如上人往生の地。いみじくおぼして、しばらくおはしけ
0000_,31,489a11(00):れば、花夷男女道俗貴賤まいりあつまり侍ける 勝尾山隱棲の圖
0000_,31,489a12(00):恆例引聲念佛、聽聞のとき衣裳ことやうに侍ければ、弟子の信空上人に件子細をしめして、裝束勸
0000_,31,489a13(00):進のよし侍ければ、ほどなく法服一襲十五具すすめいたして、持て參給ける。感にたえず、住侶等
0000_,31,489a14(00):臨時に七日七夜の念佛勤行し侍ける。住僧、各隨喜悦豫して、法印聖覺唱導として開題讃嘆の後、
0000_,31,489a15(00):夫八萬法藏は八萬の衆類をみちびき、一實眞如は一向專稱をあらはすところ。用明天皇の儲君、御
0000_,31,490a01(00):誕生に南無佛と唱給。其名をあらはさずといへども心は彌陀名號也。慈覺大師念佛傳燈は、經文を
0000_,31,490a02(00):引て寶池の波に和し、空也上人念佛は音をばたてて、德をばしらず、惠心僧都の要集には二の道を
0000_,31,490a03(00):つくりて、一心のものはまよひ、永觀律師の往生講式には、七門をひらきて一扁にはつかず。良忍
0000_,31,490a04(00):上人の融通、神祇冥道にはすすめ給ども凡夫の望はうとうとし
0000_,31,490a05(00):爰我大師法主上人、行年四十三より、念佛門に入て、あまねく弘給に、天子のいつくしみ玉冠を西
0000_,31,490a06(00):にかたぶけ、月卿のかしこき、金釵を東にただしくす。皇后のこびたる、為提希のあとををい、傾
0000_,31,490a07(00):城のこともなき、五百の侍女をまなぶ間、とめるは、おごりてもてあそび、まづしきはなげきてと
0000_,31,490a08(00):ものうし。農夫が鋤をふむ、念佛もて田歌にし、織女がいとをひく、念佛をもつてたてぬきにし、
0000_,31,490a09(00):鈴ならす驛路には、念佛をもつて鳥に擬し、ふなばたをただく海上には、念佛をもつて魚をつり、
0000_,31,490a10(00):雪月花をみる人は西樓にめをかけ、琴詩酒のともがらは、にしの枝のなしををる。ちなみに彌陀を
0000_,31,490a11(00):もてあがめざるをば、瑕瑾とし、珠數をもてくらざるをば恥とす。是以、花族英才といへども、念
0000_,31,490a12(00):佛せざるをばおとしめ、乞匈非人といへども念佛するをばもてなす。故に八功德水のこえには、念
0000_,31,490a13(00):佛のはちすいけにみち、三尊來迎のいとなみは、紫臺をさしをくひまもなし。しかれば我等が念佛
0000_,31,490a14(00):せざるは、かの池の荒廢也。我等が欣求せざるは、其國のうれへなり。國のにぎほい、佛のたのし
0000_,31,490a15(00):み、念佛を以、基とし、人のねがひ、我がのぞみ、念佛をもてさきとし、仍、當座愚昧、公請につ
0000_,31,491a01(00):かへて還る夜は、念佛を唱て枕とし、私宅をいでてわしるひは極樂を念じて車をとばす。これ上人
0000_,31,491a02(00):の敎戒、過去の宿善にあらずやとて、鼻をかみてこゑむせび、舌をまきてとどこほるきざみ、法主
0000_,31,491a03(00):なみだをながし、聽衆、袖をしぼりて、悉念佛門になびきて、併上人のすすめにかなふ、住侶八十
0000_,31,491a04(00):四人、面面に上人の興隆をよろこびて、一山のため、萬代のかたみ、如何でか其廣恩を報ぜん。昔
0000_,31,491a05(00):戒成皇子、金泥の大般若供養の砌、山上の草木、ことごとくなびきて、南なるは北にふし、西なる
0000_,31,491a06(00):は東になみよりし。西基の松いまに西谷に侍り。其谷を上人御經迴のあひだ、迴向したてまつりて
0000_,31,491a07(00):なつみ、水くむわづらひなく、このみをひろい、つまきをこるたよりとあるべきよし申て、いくほ
0000_,31,491a08(00):どなくして、歸京のよし聞えければ、一山なごりををしみて、九重の雲におくりたてまつる
0000_,31,491a09(00):龍顔逆鱗のいましめをやめて、烏頭變毛の宣下をかぶり給しより、勝尾に隱居ののち、鳳城に還歸
0000_,31,491a10(00):あるべきよし、太上天皇の院勅をうけ給はらしめ給ければ、吉水の前大僧正慈鎭の御沙汰として、
0000_,31,491a11(00):大谷の禪房に居住し給 鳳城還歸の圖
0000_,31,491a12(00):權中納言藤原光親卿奉行にて歸京のよし被仰下侍ける時、もとよりかくこそは侍るべかりける
0000_,31,491a13(00):吉水の庵室の圖
0000_,31,491a14(00):本朝祖師傳記繪詞卷第四 此卷原本無題號今倣他卷加之
0000_,31,492a01(00):或時、宮仕人かとおぼしくて尋常なる尼女房たち、あまた上人へ參て、罪深我等ごときの五障の女
0000_,31,492a02(00):人も、念佛申ば、極樂往生すべきよし仰の候なるは、誠にて侍やらん、委承たきよし申されければ
0000_,31,492a03(00):上人被仰けるは彌陀の本願を憑すより外には、女人更に往生の望をとぐべからず。本願の忝事を能
0000_,31,492a04(00):能可令聞給。女人は障重して、罪深故に、一切の處には皆嫌たり。是則、内に五障あり、外に三
0000_,31,492a05(00):從ある故也。五障と云は、一者不得作梵天、二者帝釋、三者魔王、四者轉輪聖王、五者佛身となら
0000_,31,492a06(00):ずと云り。既に大梵高臺閣にも嫌て、梵衆、梵輔の雲を望事なく、帝釋、柔濡の床にも下されて、
0000_,31,492a07(00):卅三天の花を翫事なし。六天魔王の位、四種輪王の跡を望に、永絶て影をささざれば、天上天下の
0000_,31,492a08(00):賤き果報、無常生滅のつたなき身にだにもならず。況諸佛の淨土に不可思寄。此日本國だにも、貴
0000_,31,492a09(00):くやごとなき靈地靈驗の砌には皆悉嫌たり。比叡山は是傳敎大師の建立、桓武天皇の御願所也。大
0000_,31,492a10(00):師、自結界して谷を堺、峰を限て、女人の形を入られざれば、一乘の峯、高顯て、五障の雲たなび
0000_,31,492a11(00):く事なく、一味の谷深して、三從の水流るる事なし。藥師醫王の靈像は、耳に聞て目にはみず、大
0000_,31,492a12(00):師結界の靈地は、遠見て近く臨まず。高野山は弘法大師結界の峰、眞言上乘繁昌の地也。三密の月
0000_,31,492a13(00):輪普雖照、女人非器の暗をばてらさず。五瓶の智水ひさしく雖流、女人垢穢のあるをばすすがず。
0000_,31,492a14(00):聖武天王の御願十六丈金銅の舍那の前には、遙是拜見、扉の内は、不被入。天智天皇の建立五丈
0000_,31,492a15(00):石像の彌勒の前は、仰で是禮拜ども壇上には障あり。乃至、金峯の雲上、醍醐の霞の底までも女人
0000_,31,493a01(00):更にかげをささず。悲哉、雖有兩足上ざる法の峯あり、ふまざる佛の庭あり。恥哉、雖兩眼明見
0000_,31,493a02(00):ざる靈地あり、拜ざる靈像あり。此穢土の瓦礫荊棘の山、泥木素像の佛だにも、猶其障ある程の罪
0000_,31,493a03(00):重き身なれば、諸經諸論中に嫌、在在所所に擯出せられて、三途八難にあらずよりは、趣べき無方、
0000_,31,493a04(00):非六趣四生よりは受べき形もなし。然者、道暹は經を引て十方世界、女人有處には必地獄有と釋し
0000_,31,493a05(00):給り。如此三世の諸佛にも捨終られ、十方淨土にも門をさされたる罪惡の女人をば、只彌陀のみぞ
0000_,31,493a06(00):助救はんと云願を發給る可誠憑ある物也。所謂四十八願中の第十八の念佛往生の願には、十方衆生
0000_,31,493a07(00):至心信樂、欲生我國乃至十念、若不生者、不取正覺と誓給ば、一切善惡の男女、皆是に漏たる
0000_,31,493a08(00):はなけれども、第卅五の願に、別して女人往生の願を立り。是則女人は、よもと疑をなして、念佛
0000_,31,493a09(00):往生の益に可漏故に、別して女人往生の願をば立給る也。つたなき穢土の堺にだにも、猶嫌たる女人な
0000_,31,493a10(00):れども、本願を憑、名號を唱ば、出過三界、萬德究竟の報土に、迎と願じ給へる廣大慈悲の忝さは
0000_,31,493a11(00):中中詞を以も難述者也。善導和尚、今の女人往生の願を釋給るに、彌陀の大願力による故、佛の名
0000_,31,493a12(00):號を稱れば、命終時、女人を轉じて男子となる事を得て、彌陀、手をさづけ、菩薩、身を助て、寶
0000_,31,493a13(00):花の上坐し、佛奉隨て往生し、無生を悟とも釋し、又一切の女人、若彌陀名號願力によらずぱ、千
0000_,31,493a14(00):劫萬劫恆沙劫を經とも、女身轉ずる事を不可得と釋給へり。此度彌陀の本願に相て、最後臨終に男
0000_,31,493a15(00):子の身と作れまいらせて、彌陀如來の御迎に預り、觀音大士の金蓮に乘て奉、無數の化佛、無量の
0000_,31,494a01(00):聖衆に圍遶せられ、須臾の間、無漏の報土往生して、無量の快樂に預らん事は、喜あらずや。ゆめ
0000_,31,494a02(00):ゆめ念佛物うからず、やすき念佛申て可得樂を物也とて、本願の貴、憑しき次第を、かきくどき
0000_,31,494a03(00):の給ければ、其座に侍ける女房たち、皆皆涙を流して、念佛門に入けり。是を傳聞女房、寧念佛に
0000_,31,494a04(00):いさみなからんや 女人法談聽聞の圖
0000_,31,494a05(00):次年正月二日より老病のうゑに、日來不食殊增氣。凡此兩三年、耳も不聞、心も耄耄として前後不
0000_,31,494a06(00):覺にましましけるが、更如昔明明になりて、念佛つねよりも增盛也
0000_,31,494a07(00):仁和寺に侍ける尼、上人往生の夢に驚て、參じ給ける
0000_,31,494a08(00):病床のむしろに、人人問たてまつりける。御往生實否如何。答云、我本、天竺國に在とき、衆僧
0000_,31,494a09(00):に交て、頭陀を行じき。今日本にして天台宗に入て、かかる事にあへり。抑今度の往生は一切衆
0000_,31,494a10(00):生結緣のため也。我本居せしところなれば、ただ人を引接せんと思 病床御物語の圖
0000_,31,494a11(00):十一日、上人、高聲念佛を人にすすむとて云、此佛を恭敬し、名號を唱人、一人も不空と云て、彌
0000_,31,494a12(00):陀功德を種種に讃嘆し給。彌陀常影向し給、弟子等不拜之哉云云そののち二十日頃より念佛高聲
0000_,31,494a13(00):にねんごろなり。助音の人人は、おのづからこゑをほのかにすといへども、上人の音聲は、ますます
0000_,31,494a14(00):盡空法界にもひびくらん。抑けふよりさき、七八年のそのかみ、ある雲客兼隆朝臣夢に、上人往生のゆ
0000_,31,494a15(00):ふべ、光明遍照の偈を唱べしと、つげをかふむりしのち、いまこの文をとなへて、廿四日より、廿
0000_,31,495a01(00):五日の午正中にいたるまで、念佛高聲にして、如夢文を誦し給事、時にかなへり。天日光明をほど
0000_,31,495a02(00):こす、觀音の照臨もとよりあらたなりといへども、紫雲虚にそびて、勢至の迎接おりをえたり。爰
0000_,31,495a03(00):に音樂、窓にひびく。歸佛歸法の耳をそばたて、異香室にみてり。信男信女の袖をふるる間、慈覺
0000_,31,495a04(00):大師附屬の法衣を著して、頭北面西にして、念佛數遍唱給の後、一息とどまるといへは、兩眼瞬が
0000_,31,495a05(00):ごとし。手足ひへたりといへども、唇舌をうごかす事數遍也。行年四十三より、毎日七萬遍にて、無
0000_,31,495a06(00):退轉云云
0000_,31,495a07(00):光明遍照十方世界 念佛衆生攝取不捨 南無阿彌陀佛 々々々
0000_,31,495a08(00):兼日に往生の告をかふむる人人、前權右辨藤原兼隆朝臣、權律師隆寬、白川准后宮、別當入道、
0000_,31,495a09(00):尼念阿彌陀佛、坂東尼、一切經谷住僧大進公、陪從信賢、祇陀林經師、薄師眞淸、水尾山椎夫、
0000_,31,495a10(00):紫雲見之以上圖中の詞書[御往生の圖]
0000_,31,495a11(00):于時建暦二年壬申正月廿五日午剋遷化行年滿八十伏以、釋尊圓寂の月にすすめる事一月、荼毘の煙ことな
0000_,31,495a12(00):りと云ども、彌陀感應の日にしりぞくこと十日、利生の風これ同耶。觀音垂迹の勝地、勢至方便の
0000_,31,495a13(00):善巧如此。然後、門弟等、世の傍例にまかせて、遺骨をおさめ、中隱ををくる
0000_,31,495a14(00):初七日 御導師 信蓮房
0000_,31,495a15(00):不動尊
0000_,31,496a01(00):大宮入道内大臣御家之御諷誦文云
0000_,31,496a02(00):夫觀、先師在世之昔、弟子遁朝之夕、凝一心之精誠受十重之禁戒故憑濟度於彼岸敬修諷誦於此
0000_,31,496a03(00):砌。莫嫌少善根必爲大因緣仍爲餝蓮臺之妙果早叩霜鐘之逸韻矣
0000_,31,496a04(00):別當前周防守源朝臣盛親敬白 初七日法事の圖
0000_,31,496a05(00):二七日
0000_,31,496a06(00):普賢菩薩
0000_,31,496a07(00):建暦二年二月十三日、別當入道孫不知名 夢想に、上人御葬送、淸水寺の塔に入給ぬと見て後、一兩
0000_,31,496a08(00):日をへて又夢に、隣房の人云、御葬送に不會遺恨の由申に同事也。御葬のところへまいり給へ。依
0000_,31,496a09(00):之彼所參の處、八幡宮の御戸開とおぼゆる所に、八幡宮の御體也と申。隣人答云、此こそ法然上人
0000_,31,496a10(00):御體よと申につけて、大菩薩の本地を眞道上人祈請申給しかば、示し給文に、昔於靈鷲山説妙法
0000_,31,496a11(00):花經今在正宮中示現大菩薩と示給しかども、行敎和尚のたもとのうゑに、あみだ如來うつり給。
0000_,31,496a12(00):また垂迹を申せば、むかしは、鷹とあらはれ、いまは鳩と現じまします。鷹鳩易變、釋迦彌陀如此。
0000_,31,496a13(00):娑婆にしては釋尊、安養にしては彌陀、只一體分身、更更うたがふことなかれ
0000_,31,496a14(00):三七日 御導師 住信房
0000_,31,496a15(00):彌勒菩薩
0000_,31,497a01(00):末弟耽空法師捧誦經物唐朝の王義之摺本一紙面十二行八十餘字書之
0000_,31,497a02(00):にしへ義之べきみちのしるべせよむかしもとりのあとはありけり安息國之鳥故云云
0000_,31,497a03(00):四七日 御導師 法蓮房
0000_,31,497a04(00):正觀音
0000_,31,497a05(00):弟子良淸願文云、先師、當末萬年之始弘彌陀一敎の勝智惠提劔、莫耶之鋒非利。戒行瑩珠、摩
0000_,31,497a06(00):尼之光比明云云 三度、遺弟聞酷烈之氣倩思誠諦之言雖諳菩提之願掲焉意旨彌以伏膺云云
0000_,31,497a07(00):五七日 御導師 權律師隆寛
0000_,31,497a08(00):地藏菩薩
0000_,31,497a09(00):弟子源智願文云、彩雲掩軒、近見遠見而來集、異香滿室、我聞人而嗟嘆矣
0000_,31,497a10(00):六七日 御導師 法印大僧都聖覺
0000_,31,497a11(00):釋迦如來
0000_,31,497a12(00):無動寺前大僧正慈鎭御諷誦文云、佛子、上人存日之間、時談法交常用唱道結緣之思不淺、濟度之
0000_,31,497a13(00):願如深。因茲、當七七忌辰聊修諷誦三鳴花鐘擎法衣送往生之家解脱之衣是也。設法食儲化
0000_,31,497a14(00):城之門禪悦之食是也。然則幽靈答彼平生之願必往生上品之蓮臺佛子因此圓實之廻願早得最初引
0000_,31,497a15(00):接也 御自筆
0000_,31,498a01(00):七七日 御導師 三井僧正公胤
0000_,31,498a02(00):別當法印大和尚位増圓奉
0000_,31,498a03(00):兩界曼陀羅阿彌陀如來 七七日法事の圖
0000_,31,498a04(00):僧正公胤 念佛破文を作て種種難をもて、上人を非し給に、一一にくつがへして次第をのべ給に、條
0000_,31,498a05(00):條會釋に返て帰して、其罪障懺悔のために、中隱の唱道を望日。信空願文云、先師廿五歳之昔、弟子十二歳之
0000_,31,498a06(00):時、恭結師資之約契久積五十之年序一旦隔生死九廻觴欲斷。自宿叡山黑谷之草庵至移東都
0000_,31,498a07(00):白河之禪房其間云撫育之恩云提撕之志報謝之思、昊天罔極。是以顯彌陀迎接一軀之形像安胎藏
0000_,31,498a08(00):金剛兩部種子又摺寫妙法花經書寫金光明經各一部以開眼、以開題。一心之懇志、三寳宜知見云云
0000_,31,498a09(00):凡此間、佛事を營、諷誦を行人人、數をしらず。然後、はるかに五箇年をへて、建保四年丙子四月二
0000_,31,498a10(00):十六日夜夢に、聖人告云
0000_,31,498a11(00):往生之業中 一日六時刻 一心不亂念 功驗最第一 六時稱名者 往生必決定 雜善不決定 専修
0000_,31,498a12(00):定善業 源空爲孝養 公胤能説法 感語不可盡 臨終先迎接 源空本地身 大勢至菩薩 衆生爲
0000_,31,498a13(00):化故 來此界度度公胤感夢の圖
0000_,31,498a14(00):同閏六月廿日、種種の瑞相をしめして、僧正公胤七十二禪林寺の砌にして、往生の儀式、紫雲はるかに
0000_,31,498a15(00):孤射山より槐門よりみえて、太上天皇、院使をつかはし、准后宮、土御門の内大臣家より、かたがた
0000_,31,499a01(00):車馬をとばして、花洛、邊土、人人、耳目を驚し侍りける 紫雲靉靆の圖
0000_,31,499a02(00):元仁元年甲申正月、大谷修正に詣、梵唄引之後、念佛に交。同八月三日、定生房往生の跡に、五日、
0000_,31,499a03(00):法蓮上人の沙汰として、以定佛爲後房主四十九日に、法花經、金光明經、淨土三部經開題。導師
0000_,31,499a04(00):躭空。同九月廿五日、善光寺房生す藝居障紙に
0000_,31,499a05(00):世の中になしとてこそはしのばれめありては人にいとはれしはや 大谷本廟の圖
0000_,31,499a06(00):抑延暦寺梨子本は、實相圓融の房、靑蓮院は黄門皇胤の跡也。各四明一山の貫首に備て、共兩門三
0000_,31,499a07(00):千の頭領とまします賢哲、或は平生の筵に以上人念佛の先達とし、或は存沒の庭に諷誦を捧て、往
0000_,31,499a08(00):生の後會をちぎる。其間、學侶員數は三千に限と云ども法性制定は萬法につくしがたし。たとへば
0000_,31,499a09(00):淨名の室の内に三萬二千の床をたて、螻蟻のつかの間に五智萬德の體をおさむるに似たり。然者東
0000_,31,499a10(00):西楞嚴の衆はたとひ墳墓を傾べくとも彼此憲政の流は、爭か遺骸をおろそかにする事を得んや。高
0000_,31,499a11(00):巖たかくして、四十五尺の波よりもしろき我山、長安ながくして、百千萬莖の薺よりもあをきみや
0000_,31,499a12(00):こに、院宮みはらよりはじめたてまつりて、都鄙貴賤むらがりあつまるとき、本山のため、いかな
0000_,31,499a13(00):るあやまりかきこえけん、後堀川院御宇、金剛壽院の殿座主僧圓基御治山のとき、嘉祿三年丁亥六月廿
0000_,31,499a14(00):一日、山の所司専當つかはして、大谷廟堂こぼちすつべきよし侍りけるに東宮入道、出向て云、汝
0000_,31,499a15(00):等何人ぞや、左兵衞尉藤原盛政法しが、近隣に目を驚し、心をさがはしむ。其子細あらは、すべから
0000_,31,500a01(00):ず天廷をおどろかしたてまつり、別しては將軍家に誰ても申て後、是非に隨て左右すべきところに、
0000_,31,500a02(00):みだれがはしき事がら、すみやかにとどむべし。これ關東御下知の趣きなり。若この制法にかかへ
0000_,31,500a03(00):られぬならば、方にまかすべし。更にうらむるところなかれ云に、猶とどまらざりければ
0000_,31,500a04(00):[廟堂破却の圖]
0000_,31,500a05(00):兼て其由は申侍ぬ。醫王山王もきこしめせ、念佛守護の鎭守赤山大明神にかはり奉りて、魔緣打は
0000_,31,500a06(00):らい侍らん。僞て四明三千の御使と號して、媚て四魔三障のむらがり來か。髻は主君のために、そ
0000_,31,500a07(00):のかみはやしてき。今は師範のために、忽に思きる。縱萬騎の兵物むかふとも、爭か一人當千の手
0000_,31,500a08(00):にかかるべき。思きや、戰場の莚をもて往生淨土の門とせん事は。はからず凶惡のともがらをもて、
0000_,31,500a09(00):善知識の因緣なるべしと云事は。各南無阿彌陀佛と稱すべし。只今汝等が命は、一一にほろぼして
0000_,31,500a10(00):ん。諸共に九品蓮臺の同行。善惡不二のをしへ、邪正一如のをきては、山門のつかいならば、きき
0000_,31,500a11(00):しりぬらん。顯には關東の御家人、弓箭につかへて狼籍をふせぐべき身也。冥には西土の念佛者、
0000_,31,500a12(00):魔軍いかでかはらはざらん。抑死人には、たとひ宣命をふくむとも、遺骨に誰か威勢をほどこせる
0000_,31,500a13(00):や。そのかたはらに乞匃非人めらみえきたるなんの故ぞや。奇怪也。不敵也。但馬のはな、矢さき
0000_,31,500a14(00):には、いぶせく、けがらはしければ、かくべからず。ながく日本國の大地をおいはらふて、他方世
0000_,31,500a15(00):界へすつべしと云かけて、子息一人相具してかけいるに、面をむかふるものなし。くものこをちら
0000_,31,501a01(00):して、けらのたけりとぞなりにける
0000_,31,501a02(00):山徒擊退の圖
0000_,31,501a03(00):件夜、改葬、宇都宮の入道守護のために遁世の身也と云ども、いでにし家の古人をまねきて、俄の
0000_,31,501a04(00):事なれば、五六百騎の兵士をもよほして、宿直すとて、哀哉、昔は死生不知の譽をほどこさんと思
0000_,31,501a05(00):しかども、今は往生極樂の名をとどめんと願ず。宿習のたすくるところ、只ごとにはあらじ
0000_,31,501a06(00):墳瑩發掘の圖
0000_,31,501a07(00):倩往來を思ば、祖父金吾朝綱朝臣、東大寺の脇士觀世音菩薩造立したてまつりて、かたみを東海に
0000_,31,501a08(00):留め、孫子沙門賴綱法師は、西方界の敎主彌陀如來に逸歸して、たましひを西刹にまかす。祖孫ち
0000_,31,501a09(00):ぎりふかく、前後たのみあり。しかうしてやうやく洛中をとほらせ給に面面に涙をながし、各各に
0000_,31,501a10(00):袖をしぼる、恐は雙樹那含のゆふべのいろ、門門に水をまうけ、戸戸に唇をうるほす、拔提河のみ
0000_,31,501a11(00):ぎはをあゆむににたり。六月廿三日炎天の事なれば、このほか、もよさぬ武士、其かずをしらず。
0000_,31,501a12(00):是偏に但念佛行人、一向欣求のともがら、總て千餘騎の勢也。彼月支、栴檀の尊容をぬすみたてま
0000_,31,501a13(00):つりし時、若干の群兵をこして、うばはんとくわだてき。日域、靈骨を改葬せん時、寧災難なから
0000_,31,501a14(00):んや。仍かれも矯り、是も手ぐすねをひく
0000_,31,501a15(00):遺形護衞奉送の圖
0000_,31,502a01(00):東行西行、ほどへにければ、火葬したてまつる、やうやうの奇瑞どもきこゆ。靈雲そらにみち、異
0000_,31,502a02(00):香庭にかほる。然後、模眞影以修月忌、設禮奠以行遠忌。門門戸戸誰家にか不惜三五夜中光を、國
0000_,31,502a03(00):國處處何隈にか不望六八弘誓之雲哉。然間、遺弟之諍、一念多念、はるかに續末法萬年之命、貝葉
0000_,31,502a04(00):之種、六時別時、鎭研本願三輩の心 荼毘の圖
0000_,31,502a05(00):上人、求法修行のはじめ先當伽藍に詣す、定て、御祈請旨侍るか。釋迦彌陀ちぎりふかく、此土、
0000_,31,502a06(00):他土、緣あさからずして、遂に遺骨を、件地におさむ。初從此佛菩薩結緣、還於此佛菩薩成就、
0000_,31,502a07(00):まことなるかなや。抑栖霞館は、 嵯峨天皇別業、即阿彌陀堂を建立して、栖霞寺と號するかたは
0000_,31,502a08(00):らに、同御厩を食堂にし、鷹屋を鐘堂にし、泉殿を閼伽井にす。今釋迦堂、泉名をかりて、淸涼寺
0000_,31,502a09(00):と稱するところを、今度、造螢に、聖跡をやぶるのみにもあらず、五間の阿彌陀堂を、つづめて三
0000_,31,502a10(00):間になす、如何
0000_,31,502a11(00):承久二年庚辰四月八日より、一夏九旬持薺にて參籠、毎日七萬遍念佛
0000_,31,502a12(00):承久三年辛巳卯月八日より、至于同七月十五日、時にて毎日念佛十萬遍。其間、佛前異香、甚以薰入
0000_,31,502a13(00):す。仍寺僧語之全不聞之。然て經兩三日又以薰ず。語之時、常住云、京極民部卿兼俊聞之。自爾
0000_,31,502a14(00):以來未然是十弟子建立願主
0000_,31,502a15(00):弟子前權律師公全此聖骨爲奉納、敬建立寳塔一基、同念佛三昧を勤修、奉納阿波院之御骨。これ少藏
0000_,31,503a01(00):山のふもと、中院のほとり、大乘善根の堺也[小倉山鷹塔の圖]
0000_,31,503a02(00):凡、上人、德行白地、諸宗ゆゆしき事にこそ。まづ三論權律師寬雅、法相贈僧正藏俊天台惠光房永辨
0000_,31,503a03(00):薗城寺長吏僧正公胤はじめは謗じて、のちに歸す。仁和寺法親王、御歸依尤ふかし。誰人か暗夜無
0000_,31,503a04(00):燈照室乎、誰人か慈覺大師の袈裟相傳之南岳大師相承云云誰人奉爲帝皇貴之哉、誰人奉爲法皇圖之哉
0000_,31,503a05(00):誰人奉爲攝政禮之乎、誰人奉爲諸宮諸院敬乎、誰人奉爲數代座主歸乎、誰人毎師匠還而爲
0000_,31,503a06(00):弟子乎、誰人爲智惠第一と稱乎、誰人か現身放光乎、誰人早世之後、花夷男女毎家報遠忌月忌
0000_,31,503a07(00):臨時孝養乎、誰人毎人留眞影而持念乎。此中一德備人は、可恨餘事不足其外離百非之輩、爭舒
0000_,31,503a08(00):甲乙之舌乎。彼釋尊將調達同姓也、雖爲皇胤惟一也。所行將作法異覺也、姑缺相好其二者也。
0000_,31,503a09(00):而上人、皇后卿臣之家不生て、苟雖爲遠國之土民召殿上猶以登高座又公請覺道之業、無携之
0000_,31,503a10(00):而忝傳明王而剩被顏仰乎。是偏慈覺大師之遺風、戒文につきたる袈裟附屬の故。善導和尚の餘波、
0000_,31,503a11(00):念佛に可する聖衆擁護の德也。上件巨細、將來までとどめんと念佛の處、古廟顚倒之日、無懺の思
0000_,31,503a12(00):ふかくして、生死をいとひ、新發意の沙門、有緣のもよほすところ、互に言語をまじへ、共に畫圖
0000_,31,503a13(00):の思案をめぐらして、後見のあざけりをわすれて前途を彼界におくる
0000_,31,503a14(00):嘉禎三年丁酉五月に始之、同十一月廿五日、於相州鎌倉八幡宮本社之邊圖之
0000_,31,503a15(00):鎭西築前國之住人左兵衞尉源光忠法名觀空行年卅三云云
0000_,31,504a01(00):願主沙門躭空六十九
0000_,31,504a02(00):人ことにおしむけしきやみえぬらん山のこころにはれぬ月かげ
0000_,31,504a03(00):月をなをもとのすみかにやどせかしいでしも山のかげならぬかは
0000_,31,504a04(00):わきたれも往生際にうせにける阿彌陀佛をとかりやにして
0000_,31,504a05(00):抑この繪は、ふかき心ざしあり。特留此經の傍に爲挿先師之遺德止住百歳の間、欲備後代之美
0000_,31,504a06(00):談者也。然則往日驛路之斗藪、飜爲界道林池之經行今上子城之宣命者、宜待大閣講堂之法輪矣。
0000_,31,504a07(00):者往生極樂之類將得天眼天耳他心智欣求淨土衆、盍照人界人身願樂思也。知見無誤者、早出
0000_,31,504a08(00):有爲之家本誓有憑速入無爲宮云云
0000_,31,504a09(00):躭空在判
0000_,31,504a10(00):永仁二年甲午九月十三日書畢執筆沙門寬惠滿七十雖モ手振目闇爲結緣所之書也。後見念佛申可
0000_,31,504a11(00):訪給南無阿彌陀佛佛々