0000_,31,505a01(00):法然上人傳法縛流通 0000_,31,505a02(00):〔残快闘〕法然上人傳法檜流通下 0000_,31,505a03(00):上人入學の始一切種諸冥滅抜衆生出生死泥と承給しよ 0000_,31,505a04(00):り、深く此理を信じて化度の志し不淺ずして、諸宗を 0000_,31,505a05(00):學するに隨て開悟し、萬法は行ずる事に證得し給あり 0000_,31,505a06(00):さま、あらあら後素を東界にとどめて、前途を西刹に 0000_,31,505a07(00):望のあまり、世の謗をしらず謬あらば、かきつく 0000_,31,505a08(00):ろはせ給へ。人のあざけりをわする、誤あらば捨給へ。 0000_,31,505a09(00):爰に念佛の行人の中に宣下して云、顯密有宗兩宗焦丹符而 0000_,31,505a10(00):歎息、南北衆徒捧自疏而欝詔欝訟。誠可謂天魔遮障之結構、 0000_,31,505a11(00):寧只非佛法弘通之怨讐乎。遂源空門弟等、不思議示て、 0000_,31,505a12(00):仰咎於本師、遠流被處。凡往生極樂之道まちまちなる 0000_,31,505a13(00):間、名號一門開て代代隨弘、機蒙しめて授中に、自邪 0000_,31,505a14(00):議を稱、僞師説號する刻、一身に罪ながれて、遙に萬里 0000_,31,505a15(00):の波にながれをけがし、但此事をいたむは非。昔釋尊 0000_,31,505a16(00):は因行時、檀施のあまりに、父の大王にいま七められ 0000_,31,505b17(00):て幽かなる山に込られ給しかども、其志不懲して、ま 0000_,31,505b18(00):すます修し給しかば、彼山を釋迦山と號して、遂に正 0000_,31,505b19(00):覺の庭と成にけり。愚老一人衆生度諸佛菩薩又又如 0000_,31,505b20(00):此。然者更に無恨所ろ、敢て歎事なかれ。抑結緣は 0000_,31,505b21(00):巡逆(順逆)にわたる、引接人をきらはず、來迎に前後あり、遲 0000_,31,505b22(00):速は人人の心なるべし 0000_,31,505b23(00):上人常に人に向て唱給ゑる文云、佛告阿難汝好持是 0000_,31,505b24(00):語、持是語者、即是持無量壽佛名文。以之上人私云、 0000_,31,505b25(00):雖聞名號、不信之、如不聞之、雖信之不唱之、如不 0000_,31,505b26(00):信之、常に可念 0000_,31,505b27(00):かかる程に小松殿に靱かけられ給にけり。建永二年 0000_,31,505b28(00):丁卯二月廿七日還俗の姓名給源元彦、配所土佐國。し 0000_,31,505b29(00):かはあれども月輪禪定殿下の御沙汰として法性寺の小 0000_,31,505b30(00):御堂に逗留、同三月十六日都を出給。信濃國角張成阿彌 0000_,31,505b31(00):陀佛、力者の頭領として惣て我も我も參勤六十餘人 0000_,31,505b32(00):〔殘缺二〕 門前に檢非使至るの圖 0000_,31,505b33(00):〔殘缺三〕 此次第を見人人歎き悲みければ、彼等をい 0000_,31,506a01(00):さめんがために、驛路は是大聖の行所。漢には一行阿 0000_,31,506a02(00):闍梨、日本には役行者、謫所は又權化の栖砌也。震旦 0000_,31,506a03(00):には白樂天、吾朝には菅亟相なり。在纏出纏皆火宅也。 0000_,31,506a04(00):眞諦俗諦併水驛也。爰に角張者俗姓は早いでき。王家 0000_,31,506a05(00):を守る多田の苗裔、法家に始て入る。朝敵を拉に伊州 0000_,31,506a06(00):の玄孫なれども、本師上人に從て奴となり、僕となれ 0000_,31,506a07(00):り。故に盡力を、輿舁、同採花汲水の役をいとはず、 0000_,31,506a08(00):捨身欲仕、兼て朝の粥非時の膳をいとなむ 0000_,31,506a09(00):〔殘缺四〕法然上人配流の門出の圖 0000_,31,506a10(00):〔殘缺五〕同日大納言律師公全西國えながされ給ける 0000_,31,506a11(00):が、律師の船先に出でけれども、上人下らせ給と聞て 0000_,31,506a12(00):暫くをさえて、上人の船に乘移りて、律師一目を見あ 0000_,31,506a13(00):げて、上人の膝に頭を傾て泣音.天を響すといへども、 0000_,31,506a14(00):上人は涙も立ず念佛してをはしける程に、律師の船よ 0000_,31,506a15(00):りとくとくと申ければ、彌なごりををしみながら、本 0000_,31,506a16(00):の船にのりうつり給にけり 0000_,31,506a17(00):上人の御船律師の船.諸共に下る。難波浦の水流、 0000_,31,506b18(00):海路往反是也 0000_,31,506b19(00):〔殘缺六〕配流の海路の途中の圖 0000_,31,506b20(00):圖中の詞 攝津國おへしまに押辺★、とどまり給ければ、 0000_,31,506b21(00):村の男女老若參集事、濱の沙の數を不知。其中に往生 0000_,31,506b22(00):行勸とて、上中下の蓮は念佛の名に顯れ、轉妙法林の 0000_,31,506b23(00):貌は平生にあがむる佛也。心は此界一人念佛名云、現 0000_,31,506b24(00):存に奉行三尺の立像也 0000_,31,506b25(00):〔殘缺七〕配流の海路の途中の圖 0000_,31,506b26(00):圖中の詞 此嶋は六波羅大相國一千部の法華經を石 0000_,31,506b27(00):の面に書て漫漫たる波の底に沈て、欝欝たる魚貝を濟 0000_,31,506b28(00):がために、安元寶暦よりはじめて未來際を盡すまで、 0000_,31,506b29(00):結緣を、人人はいまに石をひろふてぞ向うなる 0000_,31,506b30(00):いかなる人にか侍けん、汀の船の波にゆられけるを見、 0000_,31,506b31(00):南無阿彌陀佛を上にをきて讀る 0000_,31,506b32(00):難波めか もかりにいづる あまをぶね 0000_,31,506b33(00):みぎはの波に たふめきにけり 0000_,31,506b34(00):〔殘缺八〕配流の途中の圖、圖中に「明石浦」の文字あり 0000_,31,507a01(00):室泊につき給ければ、君達參侍けり。昔小松天皇八 0000_,31,507a02(00):人の姫達を七道に遣て君の名をとどめ給中に、天王寺 0000_,31,507a03(00):の別當僧正行尊拜堂のために被下ける日、江口神崎の 0000_,31,507a04(00):君達御船近くよせける時、僧の船に見苦やと申ければ、 0000_,31,507a05(00):神歌をうたいいたし侍ける 0000_,31,507a06(00):う露地より無露地えかよふ釋迦だにも 0000_,31,507a07(00):羅睺羅が母はありとこそ聞け 0000_,31,507a08(00):〔殘缺九〕泊長者老病に伏して最後に今樣を 0000_,31,507a09(00):名にしに我等がをいにけん、思はいとどこそ 0000_,31,507a10(00):かなしけれ。いまは西方極樂の彌陀の誓をた 0000_,31,507a11(00):のむべし 0000_,31,507a12(00):とうたひければ、紫の雲靑海波にたなびき、音樂人天?★ 0000_,31,507a13(00):に聞て異香身にかをりて、往生遂侍ければ、今聖人拜 0000_,31,507a14(00):見て同其緣を結と、をのをの申侍ける 0000_,31,507a15(00):〔殘缺十〕室の遊女勸化の圖 0000_,31,507a16(00):〔殘缺十一〕同三月十六日讃岐國塩飽の地頭駿河權守 0000_,31,507a17(00):高階保遠入道西仁が館に寄宿、種種にきらめき奉りて 0000_,31,507b18(00):温室いとなみ、美膳をそなゑたてまつる志し、いとあ 0000_,31,507b19(00):はれにこそ 0000_,31,507b20(00):〔殘缺十二〕侍めれ。其に付けても念佛に緣なき衆生 0000_,31,507b21(00):はその事となく謗あざけり難ずるは、天魔波旬のいは 0000_,31,507b22(00):するか、外道邪鬼の思するか。たとゑば鸚鵡のよく物 0000_,31,507b23(00):言、人のいはざる事をばいはず。山母の人の思をしる、 0000_,31,507b24(00):思ざる事をば覺ず。凡大天狗の媚て吉刻限に生る衆生 0000_,31,507b25(00):を、妨げとらかして大善根の種させぬか、不輕大士の 0000_,31,507b26(00):罵詈にたゑても勸べし。杖木を思てもかまゑて引導侍 0000_,31,507b27(00):ばや、何なる計事をか廻らし侍べき。此心に住してを 0000_,31,507b28(00):のの末世までも人人をこしらゑて勸念佛を給へ。敢 0000_,31,507b29(00):て人のためには侍ぬ事ぞと返返補屬し給ふ 0000_,31,507b30(00):西仁の館に於ける饗應の圖 0000_,31,507b31(00):圖中の詞極樂もかくや有覽あらたのし、とく參ら 0000_,31,507b32(00):ばや南旡阿彌陀佛 0000_,31,507b33(00):残缺十二のつづき讃岐國小松御庄之内弘法大師建 0000_,31,507b34(00):立、觀音靈驗之地有寺、此生福寺に付給。抑當國に同 0000_,31,508a01(00):大師父の御ために其名をかりて善通寺と云伽藍御坐。 0000_,31,508a02(00):起文云、此に參ぜむ人人は必一佛淨土の友たるべき由 0000_,31,508a03(00):侍ければ、今度の喜此にありとて即參給ける 0000_,31,508a04(00):善通寺參詣の圖 0000_,31,508a05(00):〔残缺十三〕前缺而今依有所念、行所被召還也者某 0000_,31,508a06(00):宣奉勅、件人宜令召還者宜承知、依宣行之 0000_,31,508a07(00):建永二年丁卯八月 日左大夫小槻宿禰國宗 0000_,31,508a08(00):弁 0000_,31,508a09(00):赦免の使至るの圖 0000_,31,508a10(00):圖中の詞此時稱名の音彌高、山彦五須彌山にも響 0000_,31,508a11(00):覽、願念いたりて深心池八功德池にも澄さ覽哉。故極 0000_,31,508a12(00):樂世界に常に菩薩聖衆摧て上人來迎の雲を勸と云とも 0000_,31,508a13(00):娑婆國土には暫念佛衆生をこしらえて我等が往生を先 0000_,31,508a14(00):す以下缺 0000_,31,508a15(00):殘缺十二のつづき恒例引聲念佛聽聞の時、衣裳殊や 0000_,31,508a16(00):うに侍ければ、弟子の信空聖人に伴子細をしめして裝 0000_,31,508a17(00):束勸進のよし申ければ、無程法服一襲十五具勸め出し 0000_,31,508b18(00):て持て參じ給ける。感にたゑず。住侶等臨時に七日七 0000_,31,508b19(00):夜の念佛勤行し侍ける 0000_,31,508b20(00):一切經施入の圖 0000_,31,508b21(00):圖中の詞當山に一切經御坐さる由聞ければ、上人 0000_,31,508b22(00):所持の經論渡給に、寺内の老若上中下七十餘人を遣て 0000_,31,508b23(00):坂迎、上人御弟子殿法印御房古老住侶等各花散香燒蓋 0000_,31,508b24(00):をさして向奉る 0000_,31,508b25(00):残缺十二のつづき住僧をのをの隨喜悅與して法印聖 0000_,31,508b26(00):覺を唱導して開題讃嘆して後、夫八萬法藏は八萬の衆 0000_,31,508b27(00):類を引導、一實眞如は一向專稱を顯す所、用明天皇の 0000_,31,508b28(00):儲君御誕生、南无佛と唱給ふ。其名を顯さずといへど 0000_,31,508b29(00):も、心は彌陀の名號也。慈覺大師の念佛傳燈は、經文 0000_,31,508b30(00):を引て寳池の波に和し、空也聖人の念佛は音を立てて 0000_,31,508b31(00):德をば不知。惠心僧都の往生要集には二の道をつくり 0000_,31,508b32(00):て、一心の物は迷、永觀律師の往生講式には、七門を 0000_,31,508b33(00):開きて一扁にはつかず。良忍聖人の融通神祗冥道には 0000_,31,508b34(00):すすめ給とも凡夫の望はうとうとし 0000_,31,509a01(00):〔殘缺十四〕爰に我大師法主上人安元元年行年四十三より 0000_,31,509a02(00):念佛門に入て普弘給ふに天子の嚴しみ玉冠を西に傾、 0000_,31,509a03(00):月卿のかしこき金礪を東に正す。皇后の戀たる韋提希 0000_,31,509a04(00):の跡をおい、傾城の事もなき五百の侍女を學間、富る 0000_,31,509a05(00):はをごりて以て遊、貧は歎て友とし、農夫鋤をふむ、 0000_,31,509a06(00):念佛を以て田哥にし、織女が糸を引、念佛を以て經緯 0000_,31,509a07(00):とし、鈴を鳴らす驛路には念佛を以鳥に擬し、舫をた 0000_,31,509a08(00):たく海上には念佛を以魚をつり、雪月花を見る人は西 0000_,31,509a09(00):樓に目をかけ、琴詩酒の輩は西の枝の梨子をおる。ち 0000_,31,509a10(00):なみに彌陀を以あがめざるは瑕瑾とし、珠數をもてく 0000_,31,509a11(00):らざるを恥とす。是以花族英才といえども不念佛をば 0000_,31,509a12(00):劣しめ、乞匈非人といえども念佛するをばもてなす。 0000_,31,509a13(00):故に八功德水の上には念佛の蓮池に充滿、三尊來迎の 0000_,31,509a14(00):いとなみは紫金臺をさしおく間もなし。然れば我等が 0000_,31,509a15(00):念佛せざるは、かのいけの荒廢也。我等が欣求せざる 0000_,31,509a16(00):は其國の愁ゑ也。國のにぎわい佛の樂み、念佛を以基 0000_,31,509a17(00):し、人の欣び我が念佛をもて先とす。仍當座の愚昧公 0000_,31,509b18(00):請につかえて還る夜は、念佛を唱て枕とし、私宅を出 0000_,31,509b19(00):てわしる日は極樂を念じて車を馳はす。此れ上人の敎 0000_,31,509b20(00):戒過去の宿善に非ずやとて、鼻をかみて音むせび、舌 0000_,31,509b21(00):を卷て滯おる刻、法主なみだをながし、聽衆袖をしぼ 0000_,31,509b22(00):りて悉く念佛の門になりにき。併ら上人のすすめにか 0000_,31,509b23(00):なふ 0000_,31,509b24(00):〔殘缺十五〕歸洛の圖 0000_,31,509b25(00):圖中の詞昔釋尊の忉利の雲より下給しを、人天大 0000_,31,509b26(00):會喜びをがみ奉りしが如く、今上人南海の波坂登給ゑ 0000_,31,509b27(00):ば、道俗男女面面に供養をのべたてまつる事、一夜の 0000_,31,509b28(00):内に一千餘人とぞ。幽閑の地をしむといへども貴賤尊 0000_,31,509b29(00):卑の集り詣る事、盛なる市のごとし 0000_,31,509b30(00):〔殘缺十六〕法然上人生前に大谷の墓所の地に蓮華生じ、天童現ずるところの圖 0000_,31,509b31(00):〔殘缺十七〕前缺ましましけるが、更に如昔、明明 0000_,31,509b32(00):になりて念佛常よりも增盛也 0000_,31,509b33(00):法然上人病床の圖 0000_,31,509b34(00):圖中の交名-右上より安居院聖覺、沙彌念佛房、權 0000_,31,510a01(00):律師隆寬、熊替入道、信空、(上人)勢觀房、空阿、 0000_,31,510a02(00):親守大和守見佛、右京權大夫隆信沙彌戒心 0000_,31,510a03(00):圖中の詞)仁和寺に佳侍ける尼、上人往生の夢に驚 0000_,31,510a04(00):て參じ侍りける 0000_,31,510a05(00):病床莚に人人問奉ける。御往生の實不如何。答云、我本 0000_,31,510a06(00):天竺在時、僧交て頭陀行、今日本國而天台宗入、かか 0000_,31,510a07(00):る事に遇。抑今度往生は一切衆生結緣のため也。我本 0000_,31,510a08(00):居佳せし所なれば只人を引接せむと思ふ 0000_,31,510a09(00):〔殘缺十八〕十一日に上人端坐合掌して高聲念佛を、 0000_,31,510a10(00):人人にすすむとていはく、此佛を恭敬し名號を唱ゑん 0000_,31,510a11(00):人、一人も不空と云て、彌陀の功德を種種に讃嘆し給。 0000_,31,510a12(00):彌陀常に響向し給う、弟子等不拜哉云云其後廿日より 0000_,31,510a13(00):念佛高聲ねんごろ也。助音の人人にはをのづから音を 0000_,31,510a14(00):肆にすといへども、上人の音聲はますます盡虚空法界 0000_,31,510a15(00):にも響覽。抑今日よりさき七八年のそのかみ、ある雲 0000_,31,510a16(00):客兼隆朝臣夢に上人の往生のゆうべ光明遍照の四句の偈を 0000_,31,510a17(00):唱べしと、告を蒙しのち、今この文唱て、廿四日より 0000_,31,510b18(00):廿五日の午の正中にいたるまで念佛高聲にして、如夢 0000_,31,510b19(00):文を誦し給事,時に此の夢にかなゑり。天日光明を絶 0000_,31,510b20(00):す、觀音の照臨本り新たなりといへども、紫雲空にぞ 0000_,31,510b21(00):たなびく、勢至の迎接をりをゑたり。爰に音樂窓に 0000_,31,510b22(00):響。歸佛歸法の耳をそばだて、異香室に滿てり。信男 0000_,31,510b23(00):信女の袖をふる間に、慈覺大師付屬の法衣着して頭北 0000_,31,510b24(00):西面にして念佛數遍唱給て之後、一の息はとどまると 0000_,31,510b25(00):いへども、兩眼瞬か事く、手足ひゑたりといへども、 0000_,31,510b26(00):脣舌を動す事數返也行年四十三ヨリ毎日十萬返于今無退轉云云 0000_,31,510b27(00):法然上人臨終、三尊來迎、賣炭翁紫雲を見るの圖 0000_,31,510b28(00):(圖中の交名右上よりと詞)法印聖覺、熊替、權律 0000_,31,510b29(00):師隆寬、兵部卿基親朝臣、證空聖人、前權右大辨藤原 0000_,31,510b30(00):兼隆朝臣、定生坊、空阿、(上人)信空聖人、大和守 0000_,31,510b31(00):見佛、勢觀房 0000_,31,510b32(00):一一光明遍照十方世界、念佛衆生、攝取不捨唱給。 0000_,31,510b33(00):南旡阿彌陀佛 0000_,31,510b34(00):兼日に往生の告を蒙人蒙人前權右大辨藤原兼隆中宮大進云朝臣 0000_,31,511a01(00):師權律隆寬長樂寺律師是也。白河准后宮女房、故別當 0000_,31,511a02(00):入道惟方孫不知實名、鎌倉尼念阿彌陀佛、坂東尼、 0000_,31,511a03(00):東山一經谷住僧大進公、三條小川陪從信賢、祗陀林寺 0000_,31,511a04(00):經師、四條京極薄師太郎正家或眞淸歟、西山の水の尾峯 0000_,31,511a05(00):賣炭老翁荷薪樵夫、紫雲聳見之 0000_,31,511a06(00):〔嚢缺十九〕于時建暦二年壬申正月廿五日午剋遷化行年滿八十 0000_,31,511a07(00):伏以釋尊圓寂之月にすすめる事一月、荼毘之煙に異也 0000_,31,511a08(00):といへども、彌陀感應之日にしりぞく事十日、利生の 0000_,31,511a09(00):風これに同哉。觀音垂跡の勝地、勢至方便善巧如此。 0000_,31,511a10(00):然後門弟等世の傍例にまかせて遺骨を奉納、中陰の報 0000_,31,511a11(00):恩ををくりたてまつる