0000_,31,527a01(00):法然聖人繪
0000_,31,527a02(00):蓋以三世に多の佛出給て若干の衆生をすくいまします
0000_,31,527a03(00):減劫の千佛の第四番南州中印土淨飯王の御宇癸丑歳七
0000_,31,527a04(00):月十五日、后の御夢に、金色の天子白馬に策亭、右脇
0000_,31,527a05(00):に入給とみて、次の年甲寅四月八日佛出胎の時、寶蓮御
0000_,31,527a06(00):足を承て七歩行給。偈云、天上天下唯我獨尊、三界皆
0000_,31,527a07(00):苦、我當安之云云これ晨旦には周昭王、日本には彦波
0000_,31,527a08(00):瀲武鸕草葺不合尊八十三萬四千三十六年甲寅相當れり。
0000_,31,527a09(00):再往事を顧は、悉達太子十九にして踰城、三十にして
0000_,31,527a10(00):成道し給て、一代五時の説法しげしといえども、聞は
0000_,31,527a11(00):きけども達するものはすくなく、傳ものはあれども悟
0000_,31,527a12(00):ものはまれなり。この遊へに末代の我等のために、阿
0000_,31,527a13(00):難を唱導として佛敎を復せしむるに、面如淨滿月、眼
0000_,31,527a14(00):若靑蓮華、佛法大海水、流入阿難心云云、生身の佛にか
0000_,31,527a15(00):はらず三十二相を具足し、四辯八音あざやかにして、
0000_,31,527b16(00):辯泉露をもらさず、懸河早漲、これを梵王字を製して
0000_,31,527b17(00):一千の羅漢筆をそめて一點をも不落記し給へるを、正
0000_,31,527b18(00):法千年は五天竺にさかりにして晨旦國には漢明帝に摩
0000_,31,527b19(00):騰迦竹法蘭等、擾陀演王宮に現じ給ひ、白氎の佛像を
0000_,31,527b20(00):迎たてまつるに、佛像大光明をはなち給、永平七年甲申
0000_,31,527b21(00):なり。同十年丁亥白馬寺を立。然後四百八十餘年すぎて、
0000_,31,527b22(00):欽明天王の御時厩戸王子壬申十月、百濟國の聖明王釋迦
0000_,31,527b23(00):の金銅の像經卷を奉造之刻四天王寺を建立す。それよ
0000_,31,527b24(00):り以降聖武天王東大寺を鑄造して佛法興隆殆如來の在
0000_,31,527b25(00):世にことならずしてややひさしくなりにける。いま先
0000_,31,527b26(00):師聖人念佛すすめたまへる由來を畫圖にしるすことし
0000_,31,527b27(00):かなり
0000_,31,527b28(00):如來滅後二千八十二歳、日本國人王七十五代崇德院長
0000_,31,527b29(00):承二年癸丑美作國久米押領使漆間朝臣時國、妻は秦氏、
0000_,31,527b30(00):夫妻ともに子なきことを愁て佛神にいのる。ことに觀
0000_,31,527b31(00):音に申してはらめるなり。いのりてまうけたる子はみ
0000_,31,527b32(00):なただ人にあらず。勝尾の勝如、横河の源信僧都みな
0000_,31,528a01(00):母これを祈てまうけたる也。この上人も觀音のあたへ
0000_,31,528a02(00):給へる子なるがゆへに、かくたうとき人なりけり。佛
0000_,31,528a03(00):菩薩の衆生を利益し給事も、時にしたがひ、機をはか
0000_,31,528a04(00):るがゆへに、釋迦如來出世し給て、乃ち正法千年もす
0000_,31,528a05(00):ぎ、佛法またすぎて末法ひさしくなりぬれば、顯敎も
0000_,31,528a06(00):さとる人なく、密敎も行ずる人まれなり。これにより
0000_,31,528a07(00):て上人さとりやすき念佛をひろめて、衆生を利益せん
0000_,31,528a08(00):がために、この淨土宗を建立し給へり
0000_,31,528a09(00):時國夫妻佛神祈願の圖
0000_,31,528a10(00):時に長承二年癸丑四月七日の午の正中、母は何の苦痛な
0000_,31,528a11(00):し。この時そらより幡二流ふりくだる。これ不思議の
0000_,31,528a12(00):瑞相なり。みるものめをおどろかし、きく人みみをお
0000_,31,528a13(00):どろかさずといふことなし。とし五六歳にもなり給け
0000_,31,528a14(00):れば、さとり成人のごとし。又つねにややもすれば西
0000_,31,528a15(00):にむかふくせありけり。人これをあやしむ
0000_,31,528a16(00):産室、二旒飜る圖
0000_,31,528b17(00):保延七年辛酉春、時國かたきのために害せらる。上人と
0000_,31,528b18(00):し九歳わりはきの小箭をもて、かたきを射。まゆのあ
0000_,31,528b19(00):ひだに其疵あり。ことあらはれんことうたがひなきゆ
0000_,31,528b20(00):へにげかくれぬ。うらむる心は、時國當庄の庄官たり
0000_,31,528b21(00):ながら、預所をかろめて對面せざる遺根なり。其かた
0000_,31,528b22(00):きは伯耆守源長明男、武者所定明也。明石の源内武者
0000_,31,528b23(00):といふなり。堀川の院の瀧口なり、逐電しをはりぬ
0000_,31,528b24(00):敵人夜討の圖
0000_,31,528b25(00):時國ふかき疵をかふりて、いまはかぎりになりにけれ
0000_,31,528b26(00):ば九歳の幼童に、われこのきずにてみまかりなんず。
0000_,31,528b27(00):ゆめゆめかたきをうらむる事なかれ。猶この報答をお
0000_,31,528b28(00):もふならば、生生にあらそひたゆべからず。願は今生
0000_,31,528b29(00):の妄緣をたち、極樂にむまれんといひて念佛してをは
0000_,31,528b30(00):ぬ。あだをぱ恩をもつてむくうべし。あだをもんてむ
0000_,31,528b31(00):くへば、あだつきずといへり
0000_,31,528b32(00):時國臨終の圖
0000_,31,529a01(00):墓參追善の圖
0000_,31,529a02(00):小兒ふかく父の遺言を心にそめて、母にいとまをこい
0000_,31,529a03(00):て云、昔釋迦は十九にして、ひそかに淨飯王の宮をい
0000_,31,529a04(00):でて、三十にして佛にならせ給へり。我は比叡山にの
0000_,31,529a05(00):ぼりて二親の後世をとぶらひたてまつるべし。ゆめゆ
0000_,31,529a06(00):め悲しともおぼつかなしとも、おぼしめすべからず云云
0000_,31,529a07(00):母理におれていとど涙ばかりぞ頂にそそぎける
0000_,31,529a08(00):信とてはかなきおやのとどめおきし
0000_,31,529a09(00):子のわかれさへまたいかにせん
0000_,31,529a10(00):母子訣別の圖
0000_,31,529a11(00):其後當國菩提寺の院主智鏡房得業觀覺、ことに愛して
0000_,31,529a12(00):弟子とす。觀覺佛法をおしふるに、性はなはだ俊にし
0000_,31,529a13(00):て、聞ところをわすれず。觀覺その器量の俊なること
0000_,31,529a14(00):を感じて、叡山にのぼせて一宗の長者になるべきこと
0000_,31,529a15(00):をはからふ。爰觀覺その俊なることをよろこびて等侶
0000_,31,529a16(00):にかたりていはく、この兒の器量を見るにただ人にあ
0000_,31,529b17(00):らず。惜哉いたずらに邊國におかんことはと、い
0000_,31,529b18(00):ひて上洛すべきになむ、母このよしをききてなごりを
0000_,31,529b19(00):をしみけり
0000_,31,529b20(00):觀覺得業の許へ入室、勉學の圖
0000_,31,529b21(00):月日にそへては器量のふしぎを、觀覺いよいよ感じて
0000_,31,529b22(00):一宗の長者となさんと思て叡山へのぼする状云く、進
0000_,31,529b23(00):上大聖文殊の像一躰と云云叡山の師この状を見てあやし
0000_,31,529b24(00):とおもふ所に、少兒來ぬ。そのとし十三才也。時に源
0000_,31,529b25(00):光文殊の像と云にしりぬ。この兒の器量をほむる詞な
0000_,31,529b26(00):りと。則その容皃を見るに、頭くぼくしてかどあり。
0000_,31,529b27(00):眼黄にしてひかりあり。みなこれ髪垂聰賢の勝相なり
0000_,31,529b28(00):上洛の圖
0000_,31,529b29(00):田樂の圖
0000_,31,529b30(00):黑谷上人繪傳一
0000_,31,529b31(00):釋弘願
0000_,31,530a01(00):法然聖人繪
0000_,31,530a02(00):時機相應せん事を不審してねぶり給へるに善導告ての
0000_,31,530a03(00):たまはく、汝念佛をもんて人をたすけんとおもへり。
0000_,31,530a04(00):これわが願にかなへりとの給へり。このゆへに彌ひと
0000_,31,530a05(00):へに念佛し給へり。案ずる所の邪正自然にあきらめら
0000_,31,530a06(00):れぬといへり。紫雲靉靆として日本國におほへり。雲
0000_,31,530a07(00):の中より無量のひかりをいだす。ひかりの中より百寶
0000_,31,530a08(00):色の鳥とびさる。雲の中に僧あり。上は墨染、下は金
0000_,31,530a09(00):色の衣服なり。予とふて云、これ誰とかせん。僧答云、
0000_,31,530a10(00):われこれ善導なり。汝專修念佛の法をひろめんとする
0000_,31,530a11(00):がゆへに、其證とならんがために來なりと云云
0000_,31,530a12(00):善導と上人夢中對面の圖
0000_,31,530a13(00):建久七年正月十五日より、東山靈山にて如法念佛三七
0000_,31,530a14(00):日ありけり。其間の種種の不思議おほし。先第三日丑
0000_,31,530a15(00):の時異香薰じ、第五日の夜勢至菩薩同く行道し給。第
0000_,31,530b16(00):二七日の夜光明來てらし、同丑の時燈明きえたるに光
0000_,31,530b17(00):明ことにあきらかなり。又音樂きこへけり。人人見聞
0000_,31,530b18(00):不同なり。或人上人に問たてまつりければ、答てのた
0000_,31,530b19(00):まはく、淨土に九品の差別あり。皆衆生今生不同なる
0000_,31,530b20(00):によるかと云云上人六十六の御年、三昧發得し給と自記
0000_,31,530b21(00):給へり。しかれども、今年六十四なり。これらの不思
0000_,31,530b22(00):議もとより權者にて在事うたがひなし
0000_,31,530b23(00):勢至行道の圖
0000_,31,530b24(00):鎭西の聖光房かたりて云、我もと法地房の弟子にて天
0000_,31,530b25(00):台宗をばならひたりしかども、出離生死の樣をばおも
0000_,31,530b26(00):ひよらで過し程どに、三十三のとしおととの阿闍梨病
0000_,31,530b27(00):によりて絶入して、ひつじの時よりいぬの時まであり
0000_,31,530b28(00):しに、生死の無常はじめておもひしられて、遁世した
0000_,31,530b29(00):りしかど、いかなるべしともおはして法然上人にまい
0000_,31,530b30(00):りたりしかば、念佛申べしとて、摩訶止觀の念佛、往
0000_,31,530b31(00):生要集の念佛、善導の御念佛、三重に分別して微微細
0000_,31,530b32(00):細に仰られき。智惠の深事大海にのぞめるがごとし。
0000_,31,531a01(00):又釋尊の御説法を聽聞するがごとし。これより一向專
0000_,31,531a02(00):修の義となれりと云云 又おほせられて云、源空が念佛
0000_,31,531a03(00):もあの阿波の介の念佛に全くをなじことなり。もしさ
0000_,31,531a04(00):りともすこしはかはりたるらんと、おもはん人は、つ
0000_,31,531a05(00):やつや念佛をしらざる人なり。金はにしきにつつめる
0000_,31,531a06(00):も、わらつとにつつめるも、おなじこがねなるがごと
0000_,31,531a07(00):し
0000_,31,531a08(00):聖光房聞法の圖
0000_,31,531a09(00):上人かわやにて御念佛ありけるを、ある御弟子いさめ
0000_,31,531a10(00):申ければ
0000_,31,531a11(00):不淨にて申念佛のとがあらば
0000_,31,531a12(00):めしこめよかし彌陀の淨土ヘ
0000_,31,531a13(00):上人厠にて念佛の圖
0000_,31,531a14(00):治承四年十二月廿八日、東大寺炎上の後、大勸進の御
0000_,31,531a15(00):沙汰あり。當世源空聖人の外その仁あるべからずとて
0000_,31,531a16(00):後白河の上皇より勸進せられて、造營をとげらるべき
0000_,31,531a17(00):よし、右大辨行隆朝臣を勅使として仰下さる。聖人辭
0000_,31,531b18(00):退申さる。其詞云、貧道もとより山門の交衆をやめて
0000_,31,531b19(00):林泉の幽栖をよみすることは、しづかに佛道を修行し
0000_,31,531b20(00):て今度順次に生死をいでんとなり。然に若大勸進の職
0000_,31,531b21(00):に侍ば、劇務萬端にして、自行さだめてすすめがたか
0000_,31,531b22(00):らんか。自行すすまずば、化他なんぞやすからん。い
0000_,31,531b23(00):まにおきては、他のためには偏に淨土の法文をのべ、
0000_,31,531b24(00):自のためには專願力をあふぐ。この二事の外は他事を
0000_,31,531b25(00):まじえじと云云 行隆朝臣このよしを奏聞す。かさねて
0000_,31,531b26(00):仰下さるる様、若門弟の中に其器用あらばあげまうさ
0000_,31,531b27(00):るべしと。これによりて則修乘房重源を招引して、院
0000_,31,531b28(00):宣のおもむきをのべらる。重源左右なく領状、ほどな
0000_,31,531b29(00):く大功を終をはりぬ。修乘房はかりことに日本國の貴
0000_,31,531b30(00):賤炎魔の廳廷にして、たづねとはれんとき、各各身づ
0000_,31,531b31(00):からの名字をなのらんにちなむで、自然として念佛す
0000_,31,531b32(00):るにおなじかるべきによりて、せめて物ごとに、法花
0000_,31,531b33(00):經の文字のかずを阿彌陀佛の御名にそへて、道俗男女
0000_,31,531b34(00):に賦せけり。これ日本國の阿彌陀佛名のはじめなり
0000_,31,532a01(00):大佛供養の圖
0000_,31,532a02(00):或時高野明遍僧都、善光寺詣のついでに、上人にまい
0000_,31,532a03(00):りて云、いかにして今度生死をはなれ候べきと。上人
0000_,31,532a04(00):のたまはく、念佛申して極樂へまいるばかりこそしゑ
0000_,31,532a05(00):つべき事に候へ。僧都のたまはく、さればこれにもさ
0000_,31,532a06(00):存候。それにとりて念佛の時、心の散亂し候をばいか
0000_,31,532a07(00):がし候べき。これは源空もちからをよび候はずと云云
0000_,31,532a08(00):僧都又言く、さてそれをばいかがし候べきと。上人の
0000_,31,532a09(00):たまはく、心はちれども、念佛だに申は、佛の本願に
0000_,31,532a10(00):て往生すべしとこそ心えて候へ。僧都これを承候はん
0000_,31,532a11(00):ためにまいりて候つるなりとて、やがて返り給けり。
0000_,31,532a12(00):後に御弟子達目出たき法問聽聞せんとて、あつまりた
0000_,31,532a13(00):りけるに、上人のたまはく、この僧都の心のちるをば
0000_,31,532a14(00):いかがすべきとのたまへるこそ、心得ね。欲界散地の
0000_,31,532a15(00):衆生は心のちること目鼻のむまれつきたるがごとし。
0000_,31,532a16(00):いかにもとりすつべからず。散心ながら、願力にて往
0000_,31,532a17(00):生すればこそ念佛の不思議にてあれと仰られて、勢觀
0000_,31,532b18(00):房にさづけてのたまはく、もろこしわか朝にも諸の智
0000_,31,532b19(00):者達の沙汰し申さるさる觀念の念にもあらず、又學問を
0000_,31,532b20(00):して念の心をさとりて申念佛にもあらず。ただ往生極
0000_,31,532b21(00):樂のためには南無阿彌陀佛と申てうたがひなく、往生
0000_,31,532b22(00):するぞと思とりて申外には別の子細候はず。只三心四
0000_,31,532b23(00):種なんど申ことの候は、みな決定して南無阿彌陀佛を
0000_,31,532b24(00):もて往生するぞとおもふうちにこもり候也。この外に
0000_,31,532b25(00):おくふかきことを存ぜば、二尊の哀にはづれ、本願に
0000_,31,532b26(00):漏候べし。念佛を信ぜん人は、たとひ一代の法をよく
0000_,31,532b27(00):よぐ學したりとも、一文不知の愚鈍の身になりて、尼
0000_,31,532b28(00):入道の無智ともがらに同して、智者の振舞をせずして
0000_,31,532b29(00):ただ一向に念佛すべきなり
0000_,31,532b30(00):高野明遍の法問、勢觀房に法語授與の圖
0000_,31,532b31(00):或時上人物語云、當世の人機敎の分際をしらずして、
0000_,31,532b32(00):たやすく生死をいでがたしとおもへり。わが師肥後阿
0000_,31,532b33(00):闍梨皇圓、智惠あるがゆへに生死いでがたしとしる。
0000_,31,532b34(00):道心あるが遊へに佛の出世にあはんと思故に、遠江國
0000_,31,533a01(00):笠原の庄に櫻池といふ池あり。其池に龍となりて住さ
0000_,31,533a02(00):んとちかいて、臨終に水をこいて手に入て、願のごと
0000_,31,533a03(00):く龍となりて住せり。人これをしれり。其願書をも上
0000_,31,533a04(00):人をして、社頭にてよ見あげさせまいらせられけり
0000_,31,533a05(00):[上人龍身の阿闍梨に對面の圖]
0000_,31,533a06(00):其時遠江國蓮花寺の禪勝房まいりて、同宿したてまつ
0000_,31,533a07(00):りて後井中へ下られける時、京つと、めさせんとて被
0000_,31,533a08(00):仰ける。聖道門の修行は智惠をきわめて生死をはなれ、
0000_,31,533a09(00):淨土門の修行は愚痴にかへりて極樂にむまる。罪は十
0000_,31,533a10(00):惡五逆なをむまると信じて少罪もおかさじとおもへ。
0000_,31,533a11(00):行は一念十念にたりぬとしりて、一形にはげむべし。
0000_,31,533a12(00):又我むすべる文なりとて授給ふ
0000_,31,533a13(00):願我一生念彌陀 一一稱名皆合集
0000_,31,533a14(00):臨終決定生極樂 利益一切衆生界
0000_,31,533a15(00):禪勝房と對談の圖
0000_,31,533a16(00):常州の敬佛房まいり給へりけるに、上人問云、何處の
0000_,31,533a17(00):修行者ぞ。答申云、高野よりまいりて候。又問云、空
0000_,31,533b18(00):阿彌陀佛はおはするか。答さ候。其時被仰云、なにゆ
0000_,31,533b19(00):へに是へは來給へるぞ。只それにこそおはせめ。源空
0000_,31,533b20(00):は明遍の故にこそ念佛者にはなりたれ。我も一代聖敎
0000_,31,533b21(00):の中よりは、念佛にてそ生死ははなるべき乏見さだめ
0000_,31,533b22(00):てあれども、凡夫なればなをおぼつかなきに、僧都の
0000_,31,533b23(00):二向念佛者にておはすれば、同心なりけりと思故に、
0000_,31,533b24(00):うちかためて念佛者にてはあるなり。人多念佛宗建立
0000_,31,533b25(00):すとて難ずれども、其はものともおぼえずと云云又
0000_,31,533b26(00):同時鎭西の修行者問たてまつりて云、念佛の時、佛の
0000_,31,533b27(00):相好等に心をかけん事いかが候べき。上人いまだもの
0000_,31,533b28(00):の給ざる前に、一の御弟子云、尤しかるべしと
0000_,31,533b29(00):[上人名號授與の圖或は修乘房重源の阿號授與の圖ならんか]
0000_,31,533b30(00):かくてやうやく東大寺すすめつくりて、修乘房入唐し
0000_,31,533b31(00):て唐より善導の御影、極樂の曼陀羅わたして、半作の
0000_,31,533b32(00):東大寺の軒のしたにて、三部經並善導の御影を、上人
0000_,31,533b33(00):に供養させまいらせられけるに、與福寺東大寺の大衆
0000_,31,534a01(00):涙をながして、隨喜讃嘆したてまつりけり
0000_,31,534a02(00):第二卷止
0000_,31,534a03(00):普告于予門人念佛上人等
0000_,31,534a04(00):一可停止未窺一句文、奉破眞言止觀謗餘佛菩薩事
0000_,31,534a05(00):右至立破道者學生之所經也、非愚人之境界、加之誹
0000_,31,534a06(00):謗正法除却彌陀願、其報當墮那落。豈非癡闇之至乎
0000_,31,534a07(00):一可停止以無智身對有智人、遇別行輩好致諍論事
0000_,31,534a08(00):右論義者是智者之有也。更非愚人之分、諍論之處諸
0000_,31,534a09(00):煩惱起、智者遠離之百由旬也。況於一向念佛之行人
0000_,31,534a10(00):乎
0000_,31,534a11(00):一可停止對別解別行人、以愚癡偏執心、當奇置本業強
0000_,31,534a12(00):嫌之事
0000_,31,534a13(00):右修道之習、各勤自行敢不遮餘行。西方要決云、別
0000_,31,534a14(00):解別行者惣起敬心、若生輕慢得罪無窮、何背此制乎。
0000_,31,534a15(00):加之善導和尚大呵之、未知祖師之誡、愚闇之彌甚也
0000_,31,534b16(00):一可停止於念佛門、号無戒行、專勸婬酒食肉、適守律
0000_,31,534b17(00):儀者名雜行人、憑彌陀本願者、説勿恐造惡事
0000_,31,534b18(00):右戒者是佛法大地也。衆行雖區同專之、是以善導和
0000_,31,534b19(00):尚擧目不見女人、此行状趣過本律制淨業之類、不順
0000_,31,534b20(00):之者惣失如來之遺敎、別背祖師之旧跡、旁無據者歟
0000_,31,534b21(00):一可停止未辨是非癡人、離聖敎非師説、恐述私義妄企
0000_,31,534b22(00):諍論、被咲智者、迷亂愚人事
0000_,31,534b23(00):右無智大天狗、此朝再誕猥述邪義、既同九十五種異
0000_,31,534b24(00):道、尤可悲之
0000_,31,534b25(00):一可停止以癡鈍身、殊好唱導不知正法説種種邪法、敎
0000_,31,534b26(00):化無智道俗事
0000_,31,534b27(00):右無解作師是梵網經之制戒也。黑闇之類、欲顯己才
0000_,31,534b28(00):以淨土敎爲藝能、貪名利望檀越、恐成自由之妄説、
0000_,31,534b29(00):誑惑世間人。誑法之過殊重。是輩非國賊乎
0000_,31,534b30(00):一可停止自説非佛敎邪法爲佛法、僞号師範説事
0000_,31,534b31(00):右各雖一人、説所積爲予一身、衆惡汚彌陀敎文、揚
0000_,31,534b32(00):師匠之惡名、不善之甚無過之者也
0000_,31,535a01(00):以前七箇條甄錄如斯、一分學敎文弟子者頗知旨趣、年
0000_,31,535a02(00):來之間、雖修念佛、隨順聖敎、敢不違人心無驚世聽。
0000_,31,535a03(00):因茲于今三十箇年無爲、渉日月而至近王、此十箇年
0000_,31,535a04(00):以後、無知不善輩時時到來。非啻失彌陀淨業、汚穢
0000_,31,535a05(00):釋迦遺敎、何不加炯誡乎。此七箇條之内、不當之間
0000_,31,535a06(00):巨細事等多、具難註述、惣如此等之無方、愼不可犯。
0000_,31,535a07(00):此上猶背制法輩者、是非予門人。魔眷屬也。不可來草
0000_,31,535a08(00):庵。自今以後各隨聞及、必可被觸之、餘人勿相伴、若不
0000_,31,535a09(00):然者是同意人也。彼過如作者、不能嗔同法恨師匠、
0000_,31,535a10(00):自業自得之理、只在己身而己。是故今日催四方行人
0000_,31,535a11(00):集一室告命、僅雖有風聞、慥不知誰人失。據于沙汰
0000_,31,535a12(00):愁歎、遂年序非可點止。先隨力及、所逈禁遏之計也。
0000_,31,535a13(00):仍錄其趣、示門葉等之状如件
0000_,31,535a14(00):元久元年十一月七日 沙門源空
0000_,31,535a15(00):源空上人
0000_,31,535a16(00):信空 感聖 尊西 證空 源智 行西 聖蓮
0000_,31,535a17(00):見佛 導亘 導西 寂西 宗慶 西緣 親西
0000_,31,535b18(00):幸西 住蓮 西意 佛心 源蓮 蓮生
0000_,31,535b19(00):善信 行空 成覺房 三十三人
0000_,31,535b20(00):已上二百餘連署畢
0000_,31,535b21(00):七箇條制戒連署の圖
0000_,31,535b22(00):後白河法皇諸宗の碩學をめして、往生要集をよませ
0000_,31,535b23(00):られけるに、聖道の人はこの文の心をえず。これによ
0000_,31,535b24(00):りて上人をめしてよませられけるに、往生極樂の敎行
0000_,31,535b25(00):は濁世末代の目足なり。道俗誰かこれに歸せざらんと
0000_,31,535b26(00):侍りけるに、今はじめて聞つる様に、法皇よりはじめ
0000_,31,535b27(00):まいらせて、心肝に銘じて隨喜感嘆す。其時に末代惡
0000_,31,535b28(00):世の罪人、稱名念佛ならでは、出離いかにもかなうま
0000_,31,535b29(00):じきむね、心えて感嘆しあひけり。よりて大上法皇院
0000_,31,535b30(00):勅を下し、右京權大夫藤原隆信朝臣に眞影をうつさし
0000_,31,535b31(00):めて、將來のかたみにそなへまします。蓮花王院の寶
0000_,31,535b32(00):藏におさめ給けり。これらの次第みな九條の入道殿下
0000_,31,535b33(00):の御はからひなり。天台宗は傳敎大師桓武天皇の御ち
0000_,31,535b34(00):からにて比叡山にのぼり、この宗を興し給へり。眞言
0000_,31,536a01(00):宗は弘法大師嵯峨の天皇の御力にて、東寺給はりて、
0000_,31,536a02(00):高尾高野山などをつくらせ給けり。この念佛宗は一向
0000_,31,536a03(00):九條殿の御ちからにて上人御建立ありけり。選擇集も
0000_,31,536a04(00):九條殿御勸進、遠流の時ことさら九條殿の御沙汰にて
0000_,31,536a05(00):土佐へは御代官をつかはして上人をぱわが所領讃岐に
0000_,31,536a06(00):おきまいらせ給ける。めしかへされ給事も、九條殿御
0000_,31,536a07(00):病惱の時、善知識のためなり。しかるを勝尾にましま
0000_,31,536a08(00):して、其ほどに九條殿御入滅にて勝尾には御逗留あり
0000_,31,536a09(00):けるなり
0000_,31,536a10(00):往生要集講説の處並寫影の圖
0000_,31,536a11(00):漢家には曇鸞道綽善導懐感、本朝には空也惠心永觀珍
0000_,31,536a12(00):海、專彌陀に歸してひとへに念佛をすすむ。しかれど
0000_,31,536a13(00):も學者聖道淨土の難易になづみ、行人自力他力の是非
0000_,31,536a14(00):にまどへり。上人肝をくだきて往生の要をたづねて、
0000_,31,536a15(00):聖道をすてて淨土門に入、難行道をすてて易行道にお
0000_,31,536a16(00):もむき、自力の心をあらためて、他力の願に歸して、
0000_,31,536a17(00):選擇集をあらはして、他力をすすめ給へり
0000_,31,536b18(00):捨聖歸淨の説法圖
0000_,31,536b19(00):承安四年甲午春、上人とし四十二はじめて黑谷をいでて
0000_,31,536b20(00):吉水に住し給。これひとへに他を利せんためなり。ひ
0000_,31,536b21(00):ろむるにこの敎をもてし、すすむるにこの行をもてす。
0000_,31,536b22(00):道俗ことごと歸す。草の風になびくがごとし。これを
0000_,31,536b23(00):信じ是を仰に、感應かならずあらたなり。上人ひとに
0000_,31,536b24(00):むかひて唱給ける文、佛告阿難汝好持是語持是語者即
0000_,31,536b25(00):是持無量壽佛名、ことさらにこの文を常に唱給けり。
0000_,31,536b26(00):罪人なを往生す、いはんや善人をや。行は一念十念に
0000_,31,536b27(00):往生すと信じて一期退轉することなかれ、一念猶往生
0000_,31,536b28(00):す、いはんや多念をや。阿彌陀佛は不取正覺の誓成就
0000_,31,536b29(00):して現に彼國にましませば、定命終の時には來迎し給
0000_,31,536b30(00):ずらん。釋迦如來は善哉わが敎にしたがひて生死をは
0000_,31,536b31(00):なれんとすと知見し給らん。六方の諸佛は慶哉、我等
0000_,31,536b32(00):が証誠信じて、不退の淨土に往生せんことをと照給ら
0000_,31,536b33(00):ん。天に仰でも悅、地に臥ても悅べき物なり、此度彌
0000_,31,536b34(00):陀の本願に遇事を。行住座臥にも乖るる事なく、憑て
0000_,31,537a01(00):も猶可憑は、乃至十念の誓、信ても猶可信は、必得往
0000_,31,537a02(00):生の文なり
0000_,31,537a03(00):吉水禪房にて念佛を勸むる圖
0000_,31,537a04(00):其後上人のたまはく、只衆生稱念必得往生の文をたの
0000_,31,537a05(00):みて名号を唱なり。我等が分際にて觀念すべく、如説
0000_,31,537a06(00):なるべからず、稱名の一事假令ならざる行なり
0000_,31,537a07(00):稱名の一行を勸むる圖
0000_,31,537a08(00):文治二年法印顯眞大原に籠居の時、法印永辨出離生死
0000_,31,537a09(00):のはかりごと、頓証菩提の入門、談じて永辨歸山のき
0000_,31,537a10(00):ざみ、如是次第くはしく法然上人を囑して御尋あるべ
0000_,31,537a11(00):きよし申て後、龍禪寺に僧都明遍己講貞慶重源和尚印
0000_,31,537a12(00):西上人凡諸處の遁世の人人、當所には湛與蓮契師弟の
0000_,31,537a13(00):上人等十餘輩招て淨土の敎文沙汰あるべきよし聞て、
0000_,31,537a14(00):山門の久住者念佛往生の義聞とて、智海法印靜嚴僧都
0000_,31,537a15(00):覺什僧都証眞堯禪等、各各集りけるに、淨然法眼仙基
0000_,31,537a16(00):律師等はもとより坐せられける。面面に諸宗入立て深
0000_,31,537b17(00):義論談決釋侍りけるに、上人散心精をぬきいてて、自
0000_,31,537b18(00):香呂をとりて持佛堂に於、遶行道高聲念佛を唱給に、
0000_,31,537b19(00):南北の明匠西世の敎に歸し、上下諸人中心の誠を凝し
0000_,31,537b20(00):て各各一口同音に三日三夜間斷なし。是を六方恒沙の
0000_,31,537b21(00):証誠にたとふ。すべて信男信女三百余人參禮の聽衆か
0000_,31,537b22(00):ずをしらず焉。然間湛與上人の發起にて來迎院勝林院
0000_,31,537b23(00):等に不斷念佛をはじむ。それよりこのかた洛中片片の
0000_,31,537b24(00):道場に修してつとめざる所なし。如是してのち、顯眞
0000_,31,537b25(00):めしいださせて天台座主に補し、僧正に仁し給。末代
0000_,31,537b26(00):の高僧本山の賢哲也。諸宗の碩德率して上人に歸せざ
0000_,31,537b27(00):るはなしといへり。一天四海併念佛をもて口あそびと
0000_,31,537b28(00):しけり
0000_,31,537b29(00):大原談義並行道念佛の圖
0000_,31,537b30(00):建久元年の秋、又清水寺にて拾因をよ見て念佛を勸進
0000_,31,537b31(00):し給けるに、これより京田舎處處の道場に、不斷念佛
0000_,31,537b32(00):をはじめ修する事かぎりなかりけるなり
0000_,31,538a01(00):淸水寺説法の圖
0000_,31,538a02(00):建久三年の秋大和の入道親盛は、嵯峨にて七日不斷念
0000_,31,538a03(00):佛ありけるに、禮讃などはじめける時、後白河の法皇
0000_,31,538a04(00):の御ためなりければ、捧物少少とりだしたりければ、
0000_,31,538a05(00):上人大に御氣色かはりてあるべからざるよし、いまし
0000_,31,538a06(00):め仰ありけり。是念佛のはじめなりけり。念佛は自行
0000_,31,538a07(00):のつとめなり。たとひ法皇に廻向したてまつるとも、
0000_,31,538a08(00):布施におよぶべからずとなり
0000_,31,538a09(00):不斷念佛の圖
0000_,31,538a10(00):黑谷上人繪傳第三
0000_,31,538a11(00):釋弘願
0000_,31,538a12(00):法然聖人繪
0000_,31,538a13(00):元久二年四月五日、九條殿にまいりて退出の時、頭光
0000_,31,538a14(00):を現じ蓮花をふみて、はるかに地をはなれてあゆみ給けれは、入道殿下庭にをりて拜し給け
0000_,31,538b15(00):り。さて人人にかかることありつ、各各おがみつるか
0000_,31,538b16(00):と仰ありければ、隆信入道戒心房、中納言阿闍梨尋玄
0000_,31,538b17(00):をがまざるよし申けり。これよりいよいよ御歸依はな
0000_,31,538b18(00):はだしかりけり
0000_,31,538b19(00):九條殿退出の砌頭光踏蓮奇瑞の圖
0000_,31,538b20(00):元久三年の七月に吉水をいでて、小松殿におはしまし
0000_,31,538b21(00):ける時
0000_,31,538b22(00):小松とはたれかいひけむおぼつかな
0000_,31,538b23(00):雲をささふるたか松の木を
0000_,31,538b24(00):権律師隆寛小松殿へまいられたりけるに、御堂のうし
0000_,31,538b25(00):ろどにて、聖人一卷の書を持て隆寬のふところにおし
0000_,31,538b26(00):いれ給。月輪殿の仰によりて造給へる選擇集これなり
0000_,31,538b27(00):小舩殿にて隆寬に選澤集付屬の圖
0000_,31,538b28(00):右の御目より光をはなち又口よりひかりましましけり
0000_,31,538b29(00):上人右の御目より放光の圖
0000_,31,538b30(00):又高畠の少將見參の時、丈六の面像現じ給けり
0000_,31,539a01(00):高畠少將見參の砌丈六の面像現るの圖
0000_,31,539a02(00):上西門の女院にて上人七日の觀戒ありけるに、からか
0000_,31,539a03(00):きの上に、一の蛇あり。夏のことなればおどろかずと
0000_,31,539a04(00):いへども、日ごとにかくることなくしてわだかまりを
0000_,31,539a05(00):りて、すこぶる聽聞の氣色見へければ、人人目もあや
0000_,31,539a06(00):に見ける。第七日の結願にあたりて、此くちなは唐垣
0000_,31,539a07(00):の上にて座りて死する程に、其頭二にわれて中より蝶
0000_,31,539a08(00):の樣なる物いづと見る人もあり。又頭はりわれたりと
0000_,31,539a09(00):見る人もありけり。又天人のぼると見る人もありけり
0000_,31,539a10(00):昔遠行する聖り、其日くれにければ、野中に塚穴のあ
0000_,31,539a11(00):りけるにとまりて、夜終無量義經をそらに誦ずる程に
0000_,31,539a12(00):彼塚穴の中に五百の蝙蝠ありけり。是經を聽聞しつる
0000_,31,539a13(00):功德によりて、この蝙蝠五百の天人となりて忉利天に
0000_,31,539a14(00):生ぬといへり。今一すぢの虵あり、七日の觀戒の功力
0000_,31,539a15(00):に答て、雲を別て上りぬるにやと、人人隨喜をなす。
0000_,31,539a16(00):彼は上代なる上に、大國也。是は末代にして少國也。
0000_,31,539b17(00):希代の勝事、凡人の所爲にあらずとぞ時時の人申ける
0000_,31,539b18(00):上西門の女院に説戒の圖
0000_,31,539b19(00):過三女よりおこるといふは本文なり。隱岐の法皇御熊
0000_,31,539b20(00):野詣のひまに、小御所の女房達つれづれをなぐさめん
0000_,31,539b21(00):ために、聖人の御弟子藏人入道安樂房は、日本第一の
0000_,31,539b22(00):美僧なりければ、これをめしよせて禮讃をさせて、そ
0000_,31,539b23(00):のまぎれに燈明をけして是をとらへ、種種の不思議の
0000_,31,539b24(00):事どもありけり。法皇御下向の後、是をきこしめして
0000_,31,539b25(00):逆鱗の餘に、重蓮安樂貳人はやがて死罪に行れけり。
0000_,31,539b26(00):その餘失なをやまずして、上人の上に及て、建永二年
0000_,31,539b27(00):三月廿七日、御年七十九、思食よらぬ遠流の事ありけ
0000_,31,539b28(00):り。權者の凡夫に、同時如是の事定る習なり。唐に一
0000_,31,539b29(00):行阿闍梨、白樂天、我朝に役の行者、北野天神、おど
0000_,31,539b30(00):ろくべからずといへども、我等がごときは時に當ては
0000_,31,539b31(00):難忍類なるべし
0000_,31,539b32(00):同日、大納言律師公全、後に嵯峨の正信上人と申き、
0000_,31,539b33(00):誠に貴き人にて慈覺大師の御袈裟并に天台大乘戒等、
0000_,31,540a01(00):上人の一の御弟子信空にこれをつたへ給へり。同く西
0000_,31,540a02(00):國へ流れ給とて御船にのりうつりてなごりをおしみ給
0000_,31,540a03(00):ける。いと哀にこそ
0000_,31,540a04(00):上人花洛を出でて配所に赴き給ふ圖
0000_,31,540a05(00):攝津國經のしまにとどまらせ給ければ、村里の男女大
0000_,31,540a06(00):小老若まゐりあつまりけり。其時念佛のすすめ彌ひろ
0000_,31,540a07(00):く、上下結緣かずをしらず。この嶋は六波羅の大相國
0000_,31,540a08(00):一千部の法花經を石の面にかきて多の上船をたすけ、
0000_,31,540a09(00):人の類をやすめんためにつきはじめられけり。今にい
0000_,31,540a10(00):たるまでくだる船には、かならず石をひろひておくな
0000_,31,540a11(00):らひなり。利益まことにかぎりなき所なり
0000_,31,540a12(00):上人經ケ島にて敎化の圖
0000_,31,540a13(00):播磨の室につき給ければ、君達まいりけり。昔小松の
0000_,31,540a14(00):天皇八人の姫宮を七道につかはして、君の名をとらし
0000_,31,540a15(00):め給中に、天皇寺の別當僧正行尊拝堂のためにくだら
0000_,31,540a16(00):れける日、江口神崎の君達、御船ちかく船をよせける
0000_,31,540b17(00):時、僧の船に見苦やと申ければ、神歌をうたひ出し侍
0000_,31,540b18(00):りける
0000_,31,540b19(00):有漏地より無漏地へかよふ釋迦だにも
0000_,31,540b20(00):羅護羅か母はありとこそきけ
0000_,31,540b21(00):とうちいだし侍りければ、さまざまの纏頭し給ける。
0000_,31,540b22(00):又同宿の長者、老病にせまりて最後の今様になにして
0000_,31,540b23(00):我身のおいぬらん、おもへばいとこそかなしけれ。い
0000_,31,540b24(00):まは西方極樂の、彌陀のちかひをたのむべしとうたひ
0000_,31,540b25(00):て、往生しける所なり。上人をおがみたてまつりて緣
0000_,31,540b26(00):をむすばんとて、雲霞のごとくまゐりあつまりける中
0000_,31,540b27(00):に、げにげにしげなる修行者、問たてまつる。至誠心
0000_,31,540b28(00):等の三心を具し候べき様をばいかが思定め候べきと。
0000_,31,540b29(00):上人答てのたまはく、三心を具することは、只別の様
0000_,31,540b30(00):なし。阿彌陀佛の本願には名號を稱えばかならず來迎
0000_,31,540b31(00):せんと仰られたれば、決定して引接せられまゐらすべ
0000_,31,540b32(00):しと深信して心に念じ、口に稱するにものうからず、
0000_,31,540b33(00):既に往生したる心地して最後の一念にいたるまでおこ
0000_,31,541a01(00):たらざれば、自然に三心具足するなり。又在家の者共
0000_,31,541a02(00):はさ程におもはぬとも、念佛申ものは極樂に生るなれ
0000_,31,541a03(00):ばとて、常に念佛をだに申は三心は具足するなり。さ
0000_,31,541a04(00):ればこそいふかひなきものどもの中にも、神妙の往生
0000_,31,541a05(00):はすることにてあれ、只うらうら本願をたのみて南無
0000_,31,541a06(00):阿彌陀佛とおこたらず唱べきなり
0000_,31,541a07(00):上人室の遊女化導の圖
0000_,31,541a08(00):同三月二十六日に讃岐國鹽秋の地頭するがの權の守高
0000_,31,541a09(00):階の時遠入道西仁が館に付給。さまざまのきらめきに
0000_,31,541a10(00):て美膳をたてまつり、湯たかせなどして心ざしいとあ
0000_,31,541a11(00):りがたけり。是を御覽じて上人の御歌
0000_,31,541a12(00):極樂もかくやあるらんあらたのし
0000_,31,541a13(00):とくにまゐらばやな無阿彌陀佛
0000_,31,541a14(00):阿みだ佛といふよりほかは攝津國の
0000_,31,541a15(00):なにはの事もあしかりぬべし
0000_,31,541a16(00):又云、名利は生死の木綱、三途の鐵網にかかる。稱名
0000_,31,541a17(00):は往生の翼、九品の蓮臺にのぼる
0000_,31,541b18(00):時遠入道西仁間たてまつりて云、自力他力のこといか
0000_,31,541b19(00):が心得べき。答云、源空は上へまゐるべき器量にては
0000_,31,541b20(00):なけれども、上よりめせば二度までまゐりたりき。是
0000_,31,541b21(00):はわがまゐる式にてはなけれども、上の御力なり。ま
0000_,31,541b22(00):して阿彌陀佛の御力にて稱名の願に答て、來迎させ給
0000_,31,541b23(00):はん事をば何の不審かあらん。自身をもければ、無智
0000_,31,541b24(00):なれば佛もいかにしてかすくひ給はんなど思はん事は
0000_,31,541b25(00):つやつや佛の願をしらざる人也。かかる罪人をやすや
0000_,31,541b26(00):すとたすけん折にをこし給へる本願の名號を唱ながら
0000_,31,541b27(00):塵ばかりも疑心あるまじきなり。十方衆生の中には、
0000_,31,541b28(00):有智無智、有罪無罪、善人惡人、持戒破戒、男子女人
0000_,31,541b29(00):三寳滅盡の後の百歳までの衆生みなこもれり。三寳滅
0000_,31,541b30(00):盡彼の時の念佛者にくらぶれば、當時の主入道殿など
0000_,31,541b31(00):は、佛のごとし。彼時は人壽十歳とて戒定惠の三學の
0000_,31,541b32(00):名をだにもきかず、いふはかりもなきものどもの來迎
0000_,31,541b33(00):にあづかるべき道理をしりながら、わが身のすてられ
0000_,31,541b34(00):まゐらすべき樣をば、いかがして案じいだすべき。只
0000_,31,542a01(00):極樂のねがはしもなく、念佛申されざらん事のみこそ
0000_,31,542a02(00):往生のさはりにてはあるべけれ。かるがゆへに、他力
0000_,31,542a03(00):の本願とも超世の悲願とも申なり。時遠入道いまこそ
0000_,31,542a04(00):心得候ぬれとて、手合て悅たり
0000_,31,542a05(00):上人時遠入道が舘にて饗應をうけ給ふ圖
0000_,31,542a06(00):同行達名に聞へたる所なり。いざや讃岐の松山みんと
0000_,31,542a07(00):云けるに、我もゆかんとて上人もわたり給たりけるに
0000_,31,542a08(00):人人面白さにたへずして、一首づつあるべきよしいひ
0000_,31,542a09(00):ければ
0000_,31,542a10(00):いかにしてわれ極樂にむまれまし
0000_,31,542a11(00):みだのちかひのなきよなりせば
0000_,31,542a12(00):人人この御歌落題に候、松山遠流のけしき候はずと難
0000_,31,542a13(00):じ申ければ、さりとては所の面白て心のすめば、かく
0000_,31,542a14(00):いはるるなりと、仰せられければ、みななみだをとし
0000_,31,542a15(00):てけり
0000_,31,542a16(00):上人松山觀櫻の圖
0000_,31,542a17(00):讃岐國小松の庄は弘法大師の建立、觀音靈験の所生福
0000_,31,542b18(00):寺に付給。抑當國同き大師父のために名をかりて、善
0000_,31,542b19(00):通寺と云伽藍をはします。記文に云、是にまいらん人
0000_,31,542b20(00):はかならず一佛淨土のともなるべきよし侍りければ、
0000_,31,542b21(00):今度のよろこび是にありとて、すなはちまいり給けり
0000_,31,542b22(00):上人生福寺に參詣の圖
0000_,31,542b23(00):建暦元年八月歸登給べきよし、中納言光親卿承てあり
0000_,31,542b24(00):けるに、しばらく勝尾勝如上人の往生の地、いみじく
0000_,31,542b25(00):をぼえて御とうりうありけるに、道俗男女まいりあつ
0000_,31,542b26(00):まりけり
0000_,31,542b27(00):上人勝尾寺に御逗留の圖
0000_,31,542b28(00):かくて恒例の引聲念佛聽聞のおはりに、僧の衣裳こと
0000_,31,542b29(00):樣なりければ、信空上人のもとへこの樣を仰られて、
0000_,31,542b30(00):裝束勸進のよしありければ、程なく法服十五具すすめ
0000_,31,542b31(00):いだして、もちてまいり給けり。感にたえずして住僧
0000_,31,542b32(00):等、臨時の念佛七日七夜勤修す
0000_,31,542b33(00):勝尾寺にて引聲念佛御勤修の圖
0000_,31,542b34(00):黑谷上人繪
0000_,31,542b35(00):釋 弘願