0000_,09,235a01(00):一枚起請講説卷上
0000_,09,235a02(00):
0000_,09,235a03(00):訓讀し奉る。一枚起請文は。宗祖大師。自行化他成
0000_,09,235a04(00):就し。御壽齡滿八十歳の御臨末に。殘し給はる御
0000_,09,235a05(00):遺訓なり。古人の云。鳥の將に死なんとする時。其
0000_,09,235a06(00):鳴く聲かなし。人の將に死なんとする時。其言ふこと
0000_,09,235a07(00):よしと。凡そ人の親たらん者。命終に臨みて。子孫
0000_,09,235a08(00):に對して。無益のことを遺言せんや。况や我元祖大師
0000_,09,235a09(00):は本地極樂の右脇の大士にして。末世の衆生を救攝
0000_,09,235a10(00):とて垂迹し給ひ。本願念佛往生の宗門を開き。在世
0000_,09,235a11(00):化縁の薪つきぬる故。報土に歸入し給ふにより。末
0000_,09,235a12(00):世の衆生の僞濫を除き。專修念佛の正義を示し。順
0000_,09,235a13(00):次往生の大益を與へん爲に。終窮無極の大悲より。
0000_,09,235a14(00):しるさせ給ふ御遺訓なれば。念佛の行者たらん者は。
0000_,09,235a15(00):朝たに讀み夕べに拜し。若し其力なき人は。他の讀
0000_,09,235a16(00):誦し解説するを聞て。骨に鏤め肝に銘じて正義を守
0000_,09,235a17(00):り。順次往生の大益を得べきなり。凡此御法語の末
0000_,09,235b18(00):書。百餘部に及びて。廣多なることなれば。解釋の正
0000_,09,235b19(00):不。科段の廣畧等。一凖ならず。中に於て。今依る所
0000_,09,235b20(00):は。忍澂上人の諺論。關通上人の梗槪聞書は。宗義
0000_,09,235b21(00):の蘊奧を盡されたれば。多分此兩書に依て辨ずるな
0000_,09,235b22(00):り。
0000_,09,235b23(00):此書を講ずるに大科六段あり
0000_,09,235b24(00):第一縁起此御法語の起る因縁を云。
0000_,09,235b25(00):第二題號一枚起請文。
0000_,09,235b26(00):第三本文もろこし我朝と云より。唯一向に念佛すべし迄。於中有五
0000_,09,235b27(00):一揀謬解於中有二
0000_,09,235b28(00):一觀念謬解もろこし我朝と云より。あらずと云まで。
0000_,09,235b29(00):二稱名謬解又學文をしてと云より。念の心をさとりて申念佛にもあらずと云まで。
0000_,09,235b30(00):二示本願念佛正義唯往生極樂のと云より。別の子細候はずと云まで。
0000_,09,235b31(00):三伏難通但し三心四修と云より。籠り候と云まで。
0000_,09,235b32(00):四立誓請證此外に奧ふかきと云より。本願にもれ候べしと云まで。
0000_,09,235b33(00):五結勸機法正義於中有二
0000_,09,235b34(00):一示正所被機念佛を信ぜん人はと云より。智者のふるまひをせずしてと云まで。
0000_,09,236a01(00):二示本願專修法唯一向に念佛すべし。
0000_,09,236a02(00):第四手印爲證以兩手印
0000_,09,236a03(00):第五總結淨土宗のと云より。所存を記し畢まで。
0000_,09,236a04(00):第六年號月日御選號建曆二年正月廿三日源空御判
0000_,09,236a05(00):第一縁起
0000_,09,236a06(00):此書を講ずるに。大段六科ある内。第一の縁起段な
0000_,09,236a07(00):り。古語に曰洪鐘雖響必待扣方鳴といへる如。一
0000_,09,236a08(00):切法の起るには必縁なくては起らぬなり。今此一枚
0000_,09,236a09(00):起請の縁起を云はば。大師の御臨末に。勢觀源智上
0000_,09,236a10(00):人の願に依て起れり。
0000_,09,236a11(00):此勢觀上人と云は。備中守師盛朝臣の息。小松の
0000_,09,236a12(00):内府重盛公の孫なり。平家沒落の後は。世の憚り
0000_,09,236a13(00):を恐れて。母儀これを隱しおかれけるを。生年十
0000_,09,236a14(00):三歳の時。大師に進ず。大師これを慈鎭和尚に進
0000_,09,236a15(00):ぜられて。彼門室にて。出家を遂られたるが。幾
0000_,09,236a16(00):程なく大師の禪室に歸叅し。常隨給仕し給へるこ
0000_,09,236a17(00):と。首尾十八ケ年に及びぬ。大師憐愍覆護他に異
0000_,09,236b18(00):にして。淨土の法門を敎示し。圓頓戒この人をも
0000_,09,236b19(00):ちて附屬し。道具本尊坊舍聖敎。殘る所なく相承
0000_,09,236b20(00):せられき
0000_,09,236b21(00):斯く謹愼篤孝の勢觀上人。大師御遷化の砌に至りて。
0000_,09,236b22(00):御遺訓の御願ありしは。何故ぞと云に。抑我元祖大
0000_,09,236b23(00):師の本地は。極樂界の右脇の大士。智慧大勢至菩薩。
0000_,09,236b24(00):此日本の衆生を化度せん爲に。美作國久米の南條稻
0000_,09,236b25(00):岡の庄漆間の家に垂迹し。九歳にして發心。十五に
0000_,09,236b26(00):して叡山に登りて。皇圓の室に入り。三ケ年に三大
0000_,09,236b27(00):部をわたり。十八歳にして。黑谷叡空上人の室に隱
0000_,09,236b28(00):遁し。自宗他宗を研究し。一大藏經を通覽し給ふこ
0000_,09,236b29(00):と五遍。導師の御疏を八返披閲し給ひしに。第八遍
0000_,09,236b30(00):目に。御疏の深意に悟入し。淨土他力の眞門を開き
0000_,09,236b31(00):給へるが。四十三の御年なり。夫れより。弘通し給
0000_,09,236b32(00):ふ念佛往生の法門は。勝易の二義を備へたれば。上
0000_,09,236b33(00):は天子より。下も萬民に至る迄。此門より生死を解
0000_,09,236b34(00):脱し。報土得生の人多き故。魔宮頻りに騷動し。法
0000_,09,237a01(00):難しばしば起る内。御弟子の中に。一念義の邪立を
0000_,09,237a02(00):芽せし故。南都北嶺よりは。專修念佛停廢の義を訴
0000_,09,237a03(00):訟し。且つ御弟子。住蓮安樂の兩僧は。後鳥羽院熊
0000_,09,237a04(00):野臨幸の御留守に。御許しもなき官女を剃髮せし故。
0000_,09,237a05(00):還幸の後。佞臣種種に讒奏せしかば。弟子の罪を師
0000_,09,237a06(00):に負せて。既に七十五にならせ給へる大師を。配流
0000_,09,237a07(00):の罪に處し給ひぬ。其後漸く五ケ年を經て。建曆元
0000_,09,237a08(00):年十一月廿日に勅許。御歸洛ありけれども。翌春正
0000_,09,237a09(00):月二日より。日頃の御不食增氣し玉ひ。廿三日に至
0000_,09,237a10(00):りては。最早御臨末も遠からじと見ゆる故。御弟子
0000_,09,237a11(00):勢觀上人の願によりて。記し給へる御遺訓なり。則
0000_,09,237a12(00):ち勢觀上人の傳に云。上人終焉の期近づき給て。勢
0000_,09,237a13(00):觀房の云。念佛の安心年來御敎誡にあづかるといへ
0000_,09,237a14(00):ども。猶御自筆に肝要の御所存。一ふであそばされ
0000_,09,237a15(00):て給はりて。後の御かたみにそなへ侍らんと。申さ
0000_,09,237a16(00):れたりけれは。御筆をそめられける狀に云。もろこ
0000_,09,237a17(00):し我てうに。乃至ただ一向に念佛すべしと。云云まさしき
0000_,09,237b18(00):御自筆の書なり。まことに末代の龜鏡にたれるもの
0000_,09,237b19(00):か。上人の一枚消息となづけて。世に流布するこれ
0000_,09,237b20(00):なりと。九卷傳に云。勢觀上人敢て披露せず。一期
0000_,09,237b21(00):の間。頸にかけて秘藏せられけるを。年來師檀の契
0000_,09,237b22(00):り淺からざりし。川合の法眼に語り聞へけるを。懇
0000_,09,237b23(00):切に望み申ければ。授けられてより以來。世間に披
0000_,09,237b24(00):露して。上人の一枚消息と云へるものなり。已上勢觀
0000_,09,237b25(00):上人。斯く珍敬し給へるも。御自身の爲斗歟と云に。
0000_,09,237b26(00):爾らず。大師御開宗の正義を。邪義黨の爲に擾され。
0000_,09,237b27(00):末世の衆生の往生を。得遂ざらんことを嘆き憐み給よ
0000_,09,237b28(00):り發る。其證は。添書に云。門人邪義存人多上人滅
0000_,09,237b29(00):後尚以猥異義依之雖病床臥給此一紙申請處也爲
0000_,09,237b30(00):令不殘疑滯上人御自筆御判形令注置給處如
0000_,09,237b31(00):件正月廿八日源智已上勢觀上人の御性質。至て篤實謹
0000_,09,237b32(00):愼にして。御隨從も首尾十八年。偏に大師を釋尊の
0000_,09,237b33(00):如く。敬ひ給へることなれば。御老年と云。餘寒の
0000_,09,237b34(00):比と云。殊に御往生も旦夕と見ゆる。御病床にての
0000_,09,238a01(00):ことなれば。さぞ御願ひもなされ苦るしく。御勞心な
0000_,09,238a02(00):されつらん。なれども。御弟子の中にさへ。成覺房
0000_,09,238a03(00):幸西の。法本房行空の。善信房綽空のと云。無道の
0000_,09,238a04(00):者が。大師の御義に背きて。邪義を立る故。御自身
0000_,09,238a05(00):の御破斥では。同し御弟子仲間のことなれば。角立し
0000_,09,238a06(00):て。愚者は法義に暗き故。邪正一决し難ければ。御
0000_,09,238a07(00):勞れをば恐れながら。正義を傳へて衆生を助け度と
0000_,09,238a08(00):云。有道の慈悲にむし立られて。師の病床の枕に近
0000_,09,238a09(00):づき。請しがたきを請し給へる。源智上人の御心の
0000_,09,238a10(00):程を。思ひやり奉りて見よ。いかにつれなき心なり
0000_,09,238a11(00):とも。偖も難有御慈悲と。信受の心を生ぜずしては。
0000_,09,238a12(00):あられまじ云云。又大師は別して。生涯御弘通の正義
0000_,09,238a13(00):を。御在世の中よりはや。障礙をなす邪師あれば。
0000_,09,238a14(00):滅後はさぞと御嘆の所へ。勢觀上人の御願ありしこと
0000_,09,238a15(00):なれば。喜びて御筆を染給ふ。されば師資符合の。
0000_,09,238a16(00):御慈悲より起りたるが。此一枚起請文の縁起なり。
0000_,09,238a17(00):爾れば。上に云如く。元祖大師。御自行化他成滿し
0000_,09,238b18(00):給ひて。御臨末の要語。御遺屬の絶筆にして。淨宗
0000_,09,238b19(00):の蘊奧を示し。順次决定往生の。龜鑑に備へ玉へば。
0000_,09,238b20(00):此御敎示に隨ふときは往生を遂げ。背けば輪廻を免
0000_,09,238b21(00):れず。苦樂浮沉の分れ目は。唯守ると背くとにて。
0000_,09,238b22(00):差別するなり。されば。此得失の間。一つの事實を
0000_,09,238b23(00):擧て示さば。或處に。居所も家名も所由ありてしるさず。二家の豪商あり
0000_,09,238b24(00):て。而も親類にて。兩家とも奢りを省き。貧人を惠
0000_,09,238b25(00):む家風なりしが。一家の方は。實子なくて養子なり
0000_,09,238b26(00):しかば。養父心を用ひて敎導する上に。兼て遺書を
0000_,09,238b27(00):認め。家風を守りて。不正の商ひなどをは。痛く誡
0000_,09,238b28(00):めたりしに。養父の沒後遺書に背き。過奢放蕩にし
0000_,09,238b29(00):て。商ひの筋も不正がちなりしかば。家私さんざん
0000_,09,238b30(00):になりて。借金山をなせり。又一家の方は。至て謹
0000_,09,238b31(00):愼篤實に。父祖の遺命を守り。家風をみださざりし
0000_,09,238b32(00):かば。次第に繁昌せり。爾るに彼背敎者に金子貸し
0000_,09,238b33(00):たる方より。守敎者の方へ申越しけるは。御親類某
0000_,09,238b34(00):へ。用立たる金子の證文へ。奧印なされ候樣にと。
0000_,09,239a01(00):云入たれども。借し付の節。御應對も無きに。唯今
0000_,09,239a02(00):に至り奧印の義。仰越され候ても。證印相ならざる
0000_,09,239a03(00):よし。返答に及びければ。御親類のことなれば。是非
0000_,09,239a04(00):證印致さるべし。彌證印なきに於ては。公訴に及ぶ
0000_,09,239a05(00):由。申來りし故。守敎家の主じ。兩人の子息をよび
0000_,09,239a06(00):て。右の次第を申聞け。而して予に慈父の遺言あり
0000_,09,239a07(00):しをば。兼ても申し聞けし通り。親類及び貧窮の者
0000_,09,239a08(00):には。なるたけ心を用ひて賑給をなすべし。されど
0000_,09,239a09(00):も借用證文の奧印に於ては。他人はもとより。親類
0000_,09,239a10(00):の賴みといへども。請人に立べからずと。懇に遺言
0000_,09,239a11(00):し給へり。然るに今債主の云に隨ひて。證印する時
0000_,09,239a12(00):は。慈父の遺命に背く。若遺命を守りて證印をなさ
0000_,09,239a13(00):ざれは。威勢ある債主。公訴に及といへば。いかが
0000_,09,239a14(00):御裁許あるべきや。計り難し。進退すでに途にせま
0000_,09,239a15(00):れり。畢竟じて予が决擇の所は。遺命に背きては。
0000_,09,239a16(00):家相續すとも。孝道に違へば本意に非。又遺命を守
0000_,09,239a17(00):るによりては。假令家斷絶に及ぶとも。祖先に對し
0000_,09,239b18(00):て。慚ることなしと思ふ。しかし人人の了簡は云何と
0000_,09,239b19(00):云に。兩子も同意のことなれば。さらばとて。彌證印
0000_,09,239b20(00):の義は。長く御斷り申すと。返答に及しに。其後は
0000_,09,239b21(00):いかがせしにや。往復もせざりしが。程經て守敎家。
0000_,09,239b22(00):支配の役所へ出し時。其方こと平生の行ひもよく。別
0000_,09,239b23(00):して先祖の遺命を愼み守ること神妙なる由。厚く賞詞
0000_,09,239b24(00):を蒙りしとなり。凡そ人の祖先となる者。終りに臨
0000_,09,239b25(00):んで。子孫に對し。たはれ言云ふべきや。反じて知
0000_,09,239b26(00):れ。子として親の遺言を。守らずして可ならんや。
0000_,09,239b27(00):さればこそ。一人は親の遺命を守るが故に。其家も
0000_,09,239b28(00):繁榮して賞詞を蒙り。一人は親の遺命に背くが故に。
0000_,09,239b29(00):其家頽廢して譴辭をうく。世間すら爾り。况や出世
0000_,09,239b30(00):間法をや。實に我大師は。往生を志す人の爲には。
0000_,09,239b31(00):大慈大悲の父なり母なり。既に决定墮獄の我人を救
0000_,09,239b32(00):はん爲に。多くの艱難辛苦を經。歸俗流刑にまで處
0000_,09,239b33(00):し給へども。是を痛み給はず。而して御臨末の砌に
0000_,09,239b34(00):至り。殘し給はる御遺訓の一枚起請文なれば。若し
0000_,09,240a01(00):是をも信受せずんば。何ことをか信受すべき。ゆめゆ
0000_,09,240a02(00):め忽緖の思ひをなすことなかれ。
0000_,09,240a03(00):さて又此縁起の外に。一枚起請文は。賀茂大明神の
0000_,09,240a04(00):爲に。書せ給ふと云説あれども。此説は用ひ難し。
0000_,09,240a05(00):其所以は。既に勢觀上人の願ひによることは。御傳の
0000_,09,240a06(00):文面と云。勢觀上人の奧書と云。尤顯著なれば。决
0000_,09,240a07(00):して異義を存ずまじきなり。されば此御遺誓は。元
0000_,09,240a08(00):祖大師の御慈悲と。勢觀上人の御慈悲と。師資偶合
0000_,09,240a09(00):の御慈悲より發る。其本はと云へば。總じては。古
0000_,09,240a10(00):來の諸師の。本願念佛の義を。謬解せられたると。
0000_,09,240a11(00):別しては。御弟子の中に。一念義の邪立發りて。往
0000_,09,240a12(00):生の大害をなすを防ぎ。正義を末世に傳ふる爲に。
0000_,09,240a13(00):勢觀上人は懇請。大師は記し殘させ給ひたるなり。
0000_,09,240a14(00):されは此れは是。至て惡しきことより。至て善きことの
0000_,09,240a15(00):發りたるにて。云はば。彼陰窮りて陽生ずると。云
0000_,09,240a16(00):やうなるものなり。總じて世出世とも。斯ふ云例は
0000_,09,240a17(00):多きものなれば。世間のことにも。快からぬことがあれ
0000_,09,240b18(00):ばとて。強ひて嘆くべきことに非。善惡は不離なるも
0000_,09,240b19(00):のなれば。其嘆きが又どう云喜びにならふも知れぬ
0000_,09,240b20(00):故に。諺にも人間萬事塞翁が馬と云なり。佛敎にも
0000_,09,240b21(00):此例多く。楞嚴經の説けたるは。阿難尊者の。摩騰
0000_,09,240b22(00):伽に。妨げられんとし給ひしが基となり。維摩の病
0000_,09,240b23(00):縁。阿闍世の不孝。諸部の律制。多くは六群等のあ
0000_,09,240b24(00):やまちより起る。近く貴利支丹の渡りしが。佛法の
0000_,09,240b25(00):結縁。廣くなる基となれり。往古は葬禮も思ひ思
0000_,09,240b26(00):ひなれば。結縁さへ疎かりしに。邪宗門御制禁の後
0000_,09,240b27(00):は。禰宜でも。儒者でも。宗旨を定め。僧者の引導
0000_,09,240b28(00):燒香を受れば。自ら結縁の利益を得る。是等は皆。
0000_,09,240b29(00):惡るいことから。よい事の起りしなり。今も亦其如く。
0000_,09,240b30(00):古來の謬り。一念義の邪立は。至てわるけれども。
0000_,09,240b31(00):それを防ぐ爲に本願念佛の正義。安心起行の至極を。
0000_,09,240b32(00):一紙の法語に書き顯し。易識易讀。決定信受仕易
0000_,09,240b33(00):ひやうに。誓言手印までを添給へば。我等が爲の無
0000_,09,240b34(00):上寶珠。十即十生。百即百生の券契なり。若し此御
0000_,09,241a01(00):遺誓なくば。本願の深意。宗祖大師の正傳を知らず。
0000_,09,241a02(00):心行業の岐に迷ひ。夫ふ歟斯ふ歟と心を苦しめ。其
0000_,09,241a03(00):上盜人たけだけしいと。邪辯を振ふ邪見人に云ひ妨
0000_,09,241a04(00):げられ。生死を出つる期はあるまじきに。斯く易易と
0000_,09,241a05(00):順次往生を。決定する身となりしは。全く此御遺誓
0000_,09,241a06(00):の御庇蔭なり。是偏に。我我を滅後の邪義に落入ら
0000_,09,241a07(00):せず。順次往生遂させんと大慈大悲の思ひをこめて。
0000_,09,241a08(00):記し置せ給ひたるもの故に。御傳にも。正しき御自
0000_,09,241a09(00):筆の書なり。末代の龜鏡にたれりとありて。我我が
0000_,09,241a10(00):安心の鏡ぞとあるなり。總じて。明らかなる鏡と云
0000_,09,241a11(00):ものは。向ふ容ちか了了と分明にうつれは。顏に少
0000_,09,241a12(00):しの墨のついたも。髮のばらけも。見ゆる如く。此
0000_,09,241a13(00):御遺誓の大明鏡に向へば。安心の邪正は。明白に顯
0000_,09,241a14(00):はるるなり。凡そ顏形ちをたしなむ人に。鏡見ぬ人
0000_,09,241a15(00):はない物なれば。まして一大事の念佛安心のことなれ
0000_,09,241a16(00):ば。折折此御法語の鏡にかけ。安心の顏貌が。祈念
0000_,09,241a17(00):祈禱と垢づきはせぬか。御禮御報謝とばらけはせぬ
0000_,09,241b18(00):かと。正し見るべし。斯くも貴き鏡とする。御遺誓
0000_,09,241b19(00):のことなれば。一字一字に光明を帶び。一句一句に邪
0000_,09,241b20(00):義を防くの勢ひあるなり。委しくは文中に至て談ず
0000_,09,241b21(00):べし。已上大段六科の第一縁起の科を畢。
0000_,09,241b22(00):さて此御遺訓に於て。獅谷の忍澂上人。源智相承。鎭
0000_,09,241b23(00):西相承の。二義を分別して。終に是を一致に歸せられ
0000_,09,241b24(00):し事。深く元祖大師の御素意を探り得て。宗の正統を
0000_,09,241b25(00):定むる肝要の玅解なる故。向譽上人の。梗槪聞書にも
0000_,09,241b26(00):引用し。猶近き頃。順阿隆圓上人。小松谷慈光上人の。
0000_,09,241b27(00):淨業問辨の附錄に載せられたるに。自の了簡をも加
0000_,09,241b28(00):へ。吉水正流辨と題して。諺論に附せられたれば。委
0000_,09,241b29(00):くは彼れを披きて知るべし。今其意を示さば。先此御
0000_,09,241b30(00):遺訓は勢觀上人の請じ給ひし時に。始て思し召つか
0000_,09,241b31(00):れて記し給ひたる。一旦のことには非。大師平生より肝
0000_,09,241b32(00):要とし給ふ。法門の骨髓なれば。鎭西上人へは。已前
0000_,09,241b33(00):にはや。此御法語を傳へ置給へり。其文は和語燈錄五
0000_,09,241b34(00):の卷に出たり。謂く。念佛往生と申事は。もろこし我
0000_,09,242a01(00):朝のもろもろの智者逹の。さたし申さるる。觀念の念
0000_,09,242a02(00):にもあらず。又學問をして。念佛の心をさとりとほ
0000_,09,242a03(00):してまうす。念佛にもあらず。ただ極樂往生せんが爲
0000_,09,242a04(00):に。南無阿彌陀佛と申て疑ひなく。往生するぞと思と
0000_,09,242a05(00):りて申外に。別の事なし。ただし三心ぞ四修ぞなど申
0000_,09,242a06(00):事の候は。みな南無阿彌陀佛にて決定して。往生する
0000_,09,242a07(00):ぞと思ふ内におさまれり。ただ南無阿彌陀佛と申せ
0000_,09,242a08(00):ば。決定して往生する事なりと信しとるべきなり。念
0000_,09,242a09(00):佛を信ぜん人は。たとひ一代の御のりをよくよく學
0000_,09,242a10(00):しきはめたる人なりとも。文字一もしらぬ。愚癡鈍根
0000_,09,242a11(00):の不覺の身になして。尼入道の無智の輩に同じくな
0000_,09,242a12(00):して。智者のふるまひをせずして。ただ一向に南無阿
0000_,09,242a13(00):彌陀佛と申てぞかなはんず已上。見つべし。文面には少
0000_,09,242a14(00):異あれども。其義意は一枚起請文と異ならず。さるに
0000_,09,242a15(00):依て。鎭西上人。大師の御相傳に露も違はず。無觀無
0000_,09,242a16(00):解。唯申の本願念佛をすすめ玉へり。爾るに大師御在
0000_,09,242a17(00):世の内に。邪人發りて。大師の鎭西に授け玉へる。口
0000_,09,242b18(00):稱名號は劣機誘引の方便也。眞實には。別に甚深の義
0000_,09,242b19(00):あり。或時門弟等。二十人を密室にあつめて。相傳し
0000_,09,242b20(00):玉ひしに。淺智の類は。性鈍にしていまださとらず。
0000_,09,242b21(00):利根の輩わづかに五人。此深法を得たり。我其一人
0000_,09,242b22(00):なりと云て。口稱念佛を謗りて。別に奧深き秘義あり
0000_,09,242b23(00):と。邪勸をなし上は佛祖の大悲に背き。下は衆生の
0000_,09,242b24(00):安心をみだる。されば道心ありて。正義を守る御弟
0000_,09,242b25(00):子方は。悉く是をいたみ歎き玉ふ。中にも鎭西上人。
0000_,09,242b26(00):嫡傳相承の御ことなれば。授手印。名義集。名目問答。三
0000_,09,242b27(00):心要集等に。破釋し。誓言に及び玉ふことも度度なり。
0000_,09,242b28(00):又大師至て此ことを歎き玉ふ故に。光明房。基親卿等
0000_,09,242b29(00):へ玉はる御答書に。天魔なり。破旬なり。獅身中の蟲
0000_,09,242b30(00):なり。附佛法の外道なり。往生極樂のあだ敵なりと誡
0000_,09,242b31(00):めて。誓言をも添玉ひ。又鎭西上人への御答には。御
0000_,09,242b32(00):邊に平生傳へしより外に。奧深き。別義あらば。毎日
0000_,09,242b33(00):六萬遍の日課念佛の功を失ひ。三惡道に墮せん。釋迦
0000_,09,242b34(00):彌陀を以て證とす等と。恐ろしき誓言に及ばせ玉へ
0000_,09,243a01(00):ること兩度なり。斯く平生より。御辛勞に思し召さる
0000_,09,243a02(00):る邪義のこと故。滅後はさぞといたみ玉ふ所へ。常隨
0000_,09,243a03(00):の御弟子勢觀上人。又此ことを深く歎き。早御臨終も
0000_,09,243a04(00):遠からぬ御容子故。御在命の中に。御遺訓を申請。
0000_,09,243a05(00):安心起行の龜鑑とせんとて。御願ひありし故。大師
0000_,09,243a06(00):はよろこび。兼て鎭西上人へ授け置玉ひたる御法語
0000_,09,243a07(00):に。誓言手印を添て給はりしなり。此大師の御意を
0000_,09,243a08(00):窺に。我遺言とて外になし。兼て鎭西の聖光に。授
0000_,09,243a09(00):けたる法語の趣き。尚彼れが勸むる。口稱念佛の外
0000_,09,243a10(00):に。まつたく我所存なし。爾るを六つかしき。之乎者
0000_,09,243a11(00):也奧深きことありなど云は。邪師邪勸なれば。必妨げら
0000_,09,243a12(00):るるなと示し。兼て我二代の正統は。鎭西の聖光ぞと
0000_,09,243a13(00):云ことを。海内に知らせ。其德風を後代に傳へんと思
0000_,09,243a14(00):召の善巧。深智の御仕業と云者なり。さらずはいか
0000_,09,243a15(00):で御一代數多の御法語の中に於て。鎭西相承の法語
0000_,09,243a16(00):を擇び取て。御遺訓とし玉はんや。さて此御遺訓の
0000_,09,243a17(00):意趣を聞ては。鎭西上人を正統傳持と云に爭ひなし。
0000_,09,243b18(00):爾れども。義證にして文證に非。若文證あらば。無
0000_,09,243b19(00):智の者。彌信受し易からんと云に。其證又數件あり。
0000_,09,243b20(00):今少分を示さん。初め鎭西上人。大師の御弟子とな
0000_,09,243b21(00):り玉ひてより。日日に御敎示を受玉ふに。或時感西
0000_,09,243b22(00):上人。鎭西上人に對して云。連日御學問の間。御老
0000_,09,243b23(00):體定て御勞れもあらん歟。夜中の御念佛も。御大事
0000_,09,243b24(00):に候。今よりは隔日に御參りあるべき歟と。鎭西上
0000_,09,243b25(00):人も。御尤の御こととて。一日不參し玉ひしに。平日參
0000_,09,243b26(00):入の時刻もうつれば。大師待わび玉ひて。疾く來ら
0000_,09,243b27(00):れよ法門談ぜんとて。御使ありければ。鎭西上人は。
0000_,09,243b28(00):大師の思召厚きを喜び。涙乍らに急ぎてまゐりたま
0000_,09,243b29(00):いければ。日日不參せられまじと仰ありて。其後亦
0000_,09,243b30(00):已前の通に。法門を授受し玉ひしと。决答疑問鈔上卷の意如斯
0000_,09,243b31(00):大師の志をはこび。懇切に相承ありしは。鎭西上人
0000_,09,243b32(00):より外。いづれの人ぞや。本地は彌陀の智慧を司る
0000_,09,243b33(00):勢至菩薩。埀迹し玉ひては。智慧第一と稱せられ玉
0000_,09,243b34(00):へる。大師なれば。師弟の御契約ありし始より。此
0000_,09,244a01(00):人こそは我正統をつぐべき者ぞと。智眼を以見極め
0000_,09,244a02(00):玉へる故に。斯く懇に御敎示ありしものなり。され
0000_,09,244a03(00):ば。其後鎭西上人をば我世にありて本願念佛を弘通
0000_,09,244a04(00):するに。露違ふことなしとて。辨阿は予が若くなれるな
0000_,09,244a05(00):りと。毎度稱美なし玉へり。餘の御弟子に如此御稱
0000_,09,244a06(00):美に。あづかり玉へるありや。又。二祖の大師へ御
0000_,09,244a07(00):入門は建久八年五月なるに。翌九年の春。御撰述の
0000_,09,244a08(00):選擇集を。直に二祖へ授け給へる。大師の御詞に云。
0000_,09,244a09(00):是は月輪殿の仰によりて撰べる所なり。未だ披露に
0000_,09,244a10(00):及ばずと云へども。汝は法器なり。傳持に堪たり。早
0000_,09,244a11(00):く此書をうつして。末代に弘むべしと。御傳四十六<三丁>大師既
0000_,09,244a12(00):に汝は法器なり。傳持に堪たり。末代に弘むべしと。
0000_,09,244a13(00):仰られたり。正統傳持。論を待べからず。
0000_,09,244a14(00):此選擇集御附屬のこと。二祖國師の外には。隆寬律
0000_,09,244a15(00):師にあるのみ。されども是は御撰述後。九年を經
0000_,09,244a16(00):て。元久三年のことなり。其上御附屬の御詞。雲泥
0000_,09,244a17(00):の相違あり。御傳四十四の。卷律師の傳に云。上
0000_,09,244b18(00):人小松殿の御堂におはしましける時元久三年三月
0000_,09,244b19(00):十四日。律師參り給ひけるに。上人後戸に出むか
0000_,09,244b20(00):ひ給ひて。ふところより一卷の書をとりいだして
0000_,09,244b21(00):これは月輪殿の仰によりてゑらび進ずるところの
0000_,09,244b22(00):選擇集なり。のする所の要文要義は。善導和尚淨
0000_,09,244b23(00):土宗をたて給ふ肝心なり。はやく書寫して披覽す
0000_,09,244b24(00):べし。もし不審あらばたづね問ふべきなり云云。御
0000_,09,244b25(00):附屬の御詞。彼此相對して見つべし。豈同日の論
0000_,09,244b26(00):ならんや。
0000_,09,244b27(00):又一向宗に。專ら選擇集御附屬などど云へども。
0000_,09,244b28(00):勅修御傳四十八卷中に。ふつにあることなき虚言な
0000_,09,244b29(00):り。又彼れが所立は。選擇集とは悉く反轉せり。
0000_,09,244b30(00):さるに依て。一流の點とて。文を曲げて點をつけ
0000_,09,244b31(00):たるものなり。反轉する所立なれば。選擇集を用
0000_,09,244b32(00):ひざれば。却て痛むことなけれども。邪解してつけ
0000_,09,244b33(00):かへし點を。大師より密に傳へ玉へる深義に依て。
0000_,09,244b34(00):施すやうに云ひなすこと。害中の大害。實に此邪謀
0000_,09,245a01(00):に過たるはなし。
0000_,09,245a02(00):從來鎭西の正統傳持。義證と云。文證と云。更に疑
0000_,09,245a03(00):なきことなれども。若し亦此上に。御弟子仲間にて。
0000_,09,245a04(00):大師の正統は。鎭西上人なりと。の玉へる御詞あら
0000_,09,245a05(00):ば。彌正統顯露なるべしと云はば。此こと又擧げ盡し
0000_,09,245a06(00):難し。彼背宗異流の無道なる者こそ。種種に云ひ紛
0000_,09,245a07(00):らかさんとすれども。道心ある御弟子方は。皆な鎭
0000_,09,245a08(00):西上人を。正統傳持と定め玉ふ。今其少分を示さ
0000_,09,245a09(00):ん。
0000_,09,245a10(00):聖覺法印の云京中興盛之義全非故上人御義伹鎭西
0000_,09,245a11(00):聖光房上人數年稽古故上人御義一分不違候若存虚
0000_,09,245a12(00):言可有阿彌陀佛所罸也如此誓言及度度後亦
0000_,09,245a13(00):云伹存異義之人又故上人門人也爰知上人選器量
0000_,09,245a14(00):有許不許人人被思食候覽其條依器量而可被
0000_,09,245a15(00):授者先可被授聖光其時御弟子中過聖光人誰
0000_,09,245a16(00):人乎云云是は大師第三回の御追福を。眞如堂にて。勤
0000_,09,245a17(00):められし時の説法なり。敬蓮社は。もと一念義の信
0000_,09,245b18(00):者なりしが。此説法を聞て一念義をうとんじ。直に
0000_,09,245b19(00):筑紫に下り。善導寺の御弟子となれりとなり。頓機
0000_,09,245b20(00):なること稱すべし。
0000_,09,245b21(00):勢觀上人の云。先師念佛の義道をたがへず申人は。
0000_,09,245b22(00):鎭西の聖光房なりとぞ申されける。和語燈錄に出たり又嘉禎三
0000_,09,245b23(00):年九月廿一日。聖光上人へ送り玉へる。狀に云。
0000_,09,245b24(00):相互不見參候年月多積候于今存命今一度見參
0000_,09,245b25(00):今生難有覺候哀候者歟抑先師念佛之義末流濁亂義
0000_,09,245b26(00):道不似昔不可説候
0000_,09,245b27(00):末流濁亂とは。西山の諸行不生云云。開會の法門云云
0000_,09,245b28(00):長樂寺の多念義云云。臨終斷無明云云。九品寺の諸行
0000_,09,245b29(00):本願云云幸西行空綽空等が。一念義の類を云なり云云。
0000_,09,245b30(00):御邊一人正義傳持之由承及候返返本懷候喜悅無極
0000_,09,245b31(00):思 給候必遂往生之本望可期引導値遇縁候者
0000_,09,245b32(00):也以便宜捧愚札御報何日拜見哉他事短筆難盡
0000_,09,245b33(00):候已上。見つべし勢觀上人。御邊一人正義傳持と。の
0000_,09,245b34(00):玉へるにて知るべし。又其後文永の頃。聖光上人附
0000_,09,246a01(00):法の弟子。然阿彌陀佛と。勢觀上人の附弟。蓮寂房
0000_,09,246a02(00):と。東山赤築地にて。四十八日の談義を始めし時。
0000_,09,246a03(00):然阿彌陀佛を。よみ口ちとして。兩流を挍合せられ
0000_,09,246a04(00):けるに。一つとして違するところなかりければ。蓮
0000_,09,246a05(00):寂房の曰。勢觀房の申されし詞。今既に符合しぬ。
0000_,09,246a06(00):予が門弟に於ては。鎭西の相傳をもて。我義とすべ
0000_,09,246a07(00):し。更に別流を立つべからずと。是によりて。彼勢
0000_,09,246a08(00):觀房の門流は。皆鎭西の義に依附して別流を立てず
0000_,09,246a09(00):とぞ已上。御傳四十六の卷其外湛空上人。乘願上人等。皆鎭西正
0000_,09,246a10(00):義なること。誓言に及び給へり。爾れば鎭西上人正統
0000_,09,246a11(00):の義は。上來の如。大師懇切の御敎示。平生の御稱美。
0000_,09,246a12(00):別して臨末御遺誓の趣と云。猶聖覺乘願湛空等の。
0000_,09,246a13(00):稱美誓言と云。別しては又十八年常隨給仕し。殊に
0000_,09,246a14(00):大師の御敎示懇なりし。勢觀上人の稱美と云。御書
0000_,09,246a15(00):翰の趣と云。殊に我門弟に於ては。鎭西の相傳を以我
0000_,09,246a16(00):義とし別立すべからず。の御遺言を以見つべし。鎭
0000_,09,246a17(00):西正統は靑天白日の如くなるをや。若や是迄背宗異
0000_,09,246b18(00):流に云紛らかされたる人あらば。上來數箇の明證を
0000_,09,246b19(00):聞て。彼敬蓮社の頓機に效ひ。元祖寫瓶の正統。鎭
0000_,09,246b20(00):西の所立に歸入して。正信の行者となるべし。上來
0000_,09,246b21(00):此流れを汲む人は。已に元祖大師の正意正流を受け
0000_,09,246b22(00):得たることなれば彌此御遺誓の趣を守り。唯往生極樂
0000_,09,246b23(00):の爲。稱名相續せらるべし。已上縁起門中。大師の
0000_,09,246b24(00):正統を定め畢る。
0000_,09,246b25(00):一枚起請文
0000_,09,246b26(00):大段第二。題號の科なり。さて此題號のこと。諸末鈔
0000_,09,246b27(00):に於て。大師自立の題と云もあり。又後人の立たる
0000_,09,246b28(00):と云もありて。一凖ならず。爾れども。今は大師の
0000_,09,246b29(00):自立の題として。辨ずるなり。
0000_,09,246b30(00):黑谷の一枚起請文に題名あり。天子より勅命あり
0000_,09,246b31(00):て。寫さしめ玉ふも。黑谷の本なれば。眞蹟と定
0000_,09,246b32(00):まる故なり。粟生の寶物には。更に論あり云云。
0000_,09,246b33(00):一枚とは。一は數にして。枚も箇なりと訓して。か
0000_,09,246b34(00):ずと讀むなり。王氏云數物曰枚數事曰條我朝に
0000_,09,247a01(00):ては。紙板などの。平らなる物を數ふるとき。枚と
0000_,09,247a02(00):云。故に釋名には。一枚を。ひとひらと訓ずるなり。
0000_,09,247a03(00):今一枚とあるは紙員多くあるではなひ。唯一枚ぞと。
0000_,09,247a04(00):ことはらん爲に。一枚とあるなり。例せば。羅什翻
0000_,09,247a05(00):譯の阿彌陀經を。四紙經と云が如し。
0000_,09,247a06(00):起請文。起請とは。和朝の語にして。唐土には盟誓
0000_,09,247a07(00):と云なり。さて起請の起は。發起起動を義とし。請
0000_,09,247a08(00):は。奉請勸請招請の義なり。二字合しての意は。佛
0000_,09,247a09(00):菩薩諸天善神を起動せしめ。此座へ勸請して。誓ふ
0000_,09,247a10(00):所の其品。虚妄なきことを證して。若し一分も違ふこと
0000_,09,247a11(00):あらば。佛神の罰を被りて。今世後世。叶はぬ身と
0000_,09,247a12(00):ならんと誓ふを。招請と云。されば有人淺香山井か徒然草の注は
0000_,09,247a13(00):起請はうけをたつとよむ。たとへば人を抱ゆるに。
0000_,09,247a14(00):請人をたつる如く。此こといつはりなきと云證據に。
0000_,09,247a15(00):佛神を請人に立てて。人に心易く思はするなりと云
0000_,09,247a16(00):へり。此こと三國に通してあることなり。別して佛法に
0000_,09,247a17(00):は。誓願と云て。此誓言に依て。大地も震動し。天
0000_,09,247b18(00):華亂墜するに及ぶことあり云云。唐土にては。盟誓と名
0000_,09,247b19(00):けて。天子諸侯。十二年に一度。或は三年等に。牛
0000_,09,247b20(00):の血を啜て。此誓ひを背かじと。誓約するなり。日
0000_,09,247b21(00):本にては。神代に誓約と名けて。素盞烏の尊。天照
0000_,09,247b22(00):大神の御前に於て。誓を立玉ひしが濫觴にて。應神
0000_,09,247b23(00):天皇の御時に。正く起請と云が始りしなり。其所由
0000_,09,247b24(00):は。武内宿穪執政せらるるを。弟の甘美内宿穪讒言
0000_,09,247b25(00):せし故。天皇則ち神前にして。湯を探らしめ給へり。
0000_,09,247b26(00):熱湯を探るを。湯起請と云。鐵火を握るを。火起
0000_,09,247b27(00):請と云。口に云を。誓言と云。書にしるすを起請
0000_,09,247b28(00):文と云。
0000_,09,247b29(00):爾れども是大切のことにして。假初になすことには非な
0000_,09,247b30(00):り。爾るに大師。此起請文に及び玉へることは。衆生
0000_,09,247b31(00):の出離一大事の爲なる故。斯く誓言に及玉へり。故
0000_,09,247b32(00):に勢觀上人の奧書にも。門人邪義存人多上人滅後尚
0000_,09,247b33(00):以猥異義依之雖病床臥給此一紙申請處也爲令
0000_,09,247b34(00):不殘疑滯上人御自筆御判形令注置給處如件
0000_,09,248a01(00):としるし玉へるなり。
0000_,09,248a02(00):さて。此一枚起請文と云題號のこと。題は一部の總標
0000_,09,248a03(00):なれば。うち見るより早。是は何事を記るせる書と
0000_,09,248a04(00):云ことの顯るるが。題名を置の詮なり。
0000_,09,248a05(00):選擇本願念佛集念佛名義集等の如云云
0000_,09,248a06(00):爾るに一枚起請文とのみ題しては。此御遺誓の別名
0000_,09,248a07(00):とはなるまじ。起請と云は。儒佛神の三道に通ずる
0000_,09,248a08(00):のみか。世間の一味徒黨の連判と云も。酒やめて博
0000_,09,248a09(00):奕やめて等とかく誓狀も。みな起請文と云中にこも
0000_,09,248a10(00):れば。通漫なる題名に非やと云に。なる程一往は爾
0000_,09,248a11(00):なり。去りながら。夫れが則ち此起請文の超勝なる
0000_,09,248a12(00):證據なり。總して得たるものは別稱せずと云て。至
0000_,09,248a13(00):て勝れたことになれば。通名が則ち別名となるなり。
0000_,09,248a14(00):されば念佛と云へば南無阿彌陀佛。華と云ば櫻。子
0000_,09,248a15(00):の曰と云へば孔子のこととなるが如し。されば昔より
0000_,09,248a16(00):宸翰を初め奉り。他宗の名匠等の此文を書せ玉ふを
0000_,09,248a17(00):見るに。皆一枚起請文と題して。名を改め玉はず。
0000_,09,248b18(00):又世の智あるも愚かなるも。一枚起請文とだに聞け
0000_,09,248b19(00):ば。直に念佛の安心を示し玉へる。圓光大師の御遺
0000_,09,248b20(00):訓なりと知らぬはなし。見つべし。通題即ち別題と
0000_,09,248b21(00):なる。是れ則ち大師の御德の顯はれたるにて。得た
0000_,09,248b22(00):るものは別稱せずと云の義顯。是尤かくあるべき理
0000_,09,248b23(00):なり。總して起請文と云中に。此一枚起請文の如き。
0000_,09,248b24(00):大功なる起請はなきなり。故は此起請文の御敎に隨
0000_,09,248b25(00):て。唯往生の爲に。南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と。唱だにす
0000_,09,248b26(00):れば。一毫未斷の惡凡夫の。死なば決定惡趣に沉む
0000_,09,248b27(00):と定まつたる者が。六趣輪迴を離るるのみか。來迎
0000_,09,248b28(00):引接の靈儀に從ひ。如彈指頃と。つまはじく間に。
0000_,09,248b29(00):報身報土の極樂に往生し。直に地上の大菩薩となり。
0000_,09,248b30(00):又此起請文に背きて。觀念義解の謬をやめ。別して
0000_,09,248b31(00):申すは自力の。或は深甚の口傳があるのと云やうな
0000_,09,248b32(00):る。邪義邪勸に落入と云と。生死の苦海を出ることを
0000_,09,248b33(00):得ず。或は焦熱の炎に燒れ。或は紅蓮の氷に閉られ。
0000_,09,248b34(00):或は餓鬼。或は畜生。飢につかれ。殘害に苦むなり
0000_,09,249a01(00):本願に背けば。往生を得ず。往生せざれば。造りし罪に引かれて。苦趣に墮するなり。信ずれば往生し。
0000_,09,249a02(00):背けば苦趣に沉むと云一大事を遺訓し給ふ。起請文
0000_,09,249a03(00):なれば。中中唐で天子と諸侯の盟誓の。日本で野心
0000_,09,249a04(00):のありなしを正す。湯起請の火起請のと云位なること
0000_,09,249a05(00):とは。同日の論ならず。至て大切の起請文。通題別
0000_,09,249a06(00):題となつて。一枚起請とさへ云へば。誰でも。圓光
0000_,09,249a07(00):大師の御遺誓じやと知ることに。なりたるものなり。
0000_,09,249a08(00):爾るに。忍澂上人の諺論に念佛往生吉水遺誓と題し
0000_,09,249a09(00):給ふは。書を講ずるには。題號の下にて。一部の大
0000_,09,249a10(00):意を顯はす爲の設けなり。又向譽上人の梗槪聞書に。
0000_,09,249a11(00):圓光大師御遺訓の七字を添へ玉ふは。拜誦の時に。
0000_,09,249a12(00):信受の意を深く發さしめん爲の設けなるなり。大師
0000_,09,249a13(00):かくの如。除疑生信の。起請誓言に及び給ひたるは。
0000_,09,249a14(00):我人をして。順次に往生なさしめん爲の。大慈大悲
0000_,09,249a15(00):の賜なれば其御賜を受奉りしと云證據に。此方よ
0000_,09,249a16(00):りも。一つ誓言を建ねばならぬ。其誓はと云に。日
0000_,09,249a17(00):課を受るが。元祖大師の御遺誓を。信受し奉りしと
0000_,09,249b18(00):云證據なり。爾るに此日課に。不受の機種種ある。
0000_,09,249b19(00):内。今其一二を云はば。先一念義徒は。日課誓受は。
0000_,09,249b20(00):自力を募りて。佛願を信ぜず等と。邪難をなすこと。
0000_,09,249b21(00):大師御在世の中よりきざせし故。大師此邪義を誡め
0000_,09,249b22(00):給へる。御法語に云。御傳廿一の卷又念佛の數を多く申もの
0000_,09,249b23(00):をは。自力をはけむといふ事。是またものも覺えず
0000_,09,249b24(00):あさましきひが事なり。ただ一念二念をとなふとも
0000_,09,249b25(00):自力の心ならん人は自力の念佛とすべし。千遍萬遍
0000_,09,249b26(00):をとなへ。百日千日よる晝はげみつとむとも。偏に
0000_,09,249b27(00):願力をたのみ他力をあふぎたらん人の念佛は聲聲念
0000_,09,249b28(00):念然しながら他力の念佛にてあるべし。されば三心
0000_,09,249b29(00):をおこしたる人の念佛は。日日夜夜時時剋剋に唱ふ
0000_,09,249b30(00):れども。しかしながら願力を仰ぎ他力を賴みたる心
0000_,09,249b31(00):にて唱へ居たれば。かけてもふれても自力の念佛と
0000_,09,249b32(00):いふへからず。已上
0000_,09,249b33(00):かけふれは。挂觸の字なり。よるにさはるにと云
0000_,09,249b34(00):意にて。とかくいかやうにしても。自力の念佛と
0000_,09,250a01(00):は云べからずとなり。
0000_,09,250a02(00):申せ助けんと云。御本願に隨ひて助け給へと思ひて
0000_,09,250a03(00):申すは。佛の御願と行者の願心と。ひしと合せし。他
0000_,09,250a04(00):力を仰ぐ最上なるに。是を自力と誹謗をなすは。實
0000_,09,250a05(00):に邪見邪立の窮りと云べし。若し日課誓はひてよい
0000_,09,250a06(00):ことならば。元祖大師鎭西記主。代代の祖師方が。御
0000_,09,250a07(00):自身にも誓はせられ。尚流れを汲む人人は必誓へと
0000_,09,250a08(00):勸めて。宗の規則とし給ものぞ。能能案じて見るべ
0000_,09,250a09(00):し。伹し誓へとあればとて。多念數遍のことと計りは
0000_,09,250a10(00):思ふべからず。十遍已上。百千五萬六萬も。機に隨
0000_,09,250a11(00):ふて受持することなり云云。總して娑婆は退縁の土故。誓
0000_,09,250a12(00):を立ててさへ。少分は退者あり。况や誓はぬ人に於
0000_,09,250a13(00):てをや。故に大師の正統を繼給へる。鎭西國師の御
0000_,09,250a14(00):指南には。佛に向ひ奉りて。此往生の爲に誓ふ。日
0000_,09,250a15(00):課を退せば。我身地獄の薪とならんと。誓へとの玉
0000_,09,250a16(00):へり。此誓言怖しきことにて。誓ひにくきやうなれど
0000_,09,250a17(00):も。たとひ誓ひを立ざれども。もとより罪惡の機な
0000_,09,250b18(00):れば。念佛怠れは决定して地獄なり。故にかく誓を
0000_,09,250b19(00):立れば退墮を防き。相續をなし易きなり。されば無
0000_,09,250b20(00):能上人の歌に。『はじめにはものうかりしが今はまた
0000_,09,250b21(00):念佛せさればわびしかりけり。』と詠じ給ひし如く。
0000_,09,250b22(00):或は説法を聞き。或は同行にすすめられ。こはごは
0000_,09,250b23(00):十遍百遍を誓ひし人の。やがて千遍萬遍五萬六萬と
0000_,09,250b24(00):增加せしは何程もあるなり。されば返返も日課不受
0000_,09,250b25(00):の。邪義邪勸に妨られず。正義正理の規則に隨ひ。
0000_,09,250b26(00):日課誓受すべきなり。已上大段六科の第二題號の科
0000_,09,250b27(00):を畢。
0000_,09,250b28(00):もろこし我朝にもろもろの智者逹の。沙汰し申さ
0000_,09,250b29(00):るる觀念の念にもあらず。
0000_,09,250b30(00):一部大段六科の内。前に縁起と題號の二科を畢つて。
0000_,09,250b31(00):今席より。第三本文の下なり。此本文の下にて。五
0000_,09,250b32(00):つの子科を立るに。今談ずる所は。五科の最初。揀
0000_,09,250b33(00):謬解と云科なり。其謬解を揀ぶとは。古來唐土日本
0000_,09,250b34(00):の學匠方が。此本願念佛を。見込違ひの解釋をなし
0000_,09,251a01(00):置れたるもの故。夫れに紛れぬやうに。拂ひのけ玉
0000_,09,251a02(00):ふの下なり。其意を先として聞くべし。大師何故に。
0000_,09,251a03(00):直に本願念佛の正義を示し玉はずして。發端より。
0000_,09,251a04(00):諸師の謬解を擧げ玉ふぞと云に。夫れ法門の習ひ。
0000_,09,251a05(00):或は遮表と次第し。或は表遮と次第すること。時宜に
0000_,09,251a06(00):隨ふて一凖ならず。今大師の遮表と次第し玉ふ道理
0000_,09,251a07(00):を。手近くさとさば。水ある壺に酒油等を入るるに
0000_,09,251a08(00):は。先つ水をすてて。後に入るるが如し。元祖大師
0000_,09,251a09(00):より已前に。諸師の謬解ある故に。先是れを拂却し
0000_,09,251a10(00):玉ふ。是れ則ち先きよりある水を捨るが如し。さて
0000_,09,251a11(00):此謬解の子科の下に。又二つの孫科あり。一には觀
0000_,09,251a12(00):念の謬解を揀ぶと。二に義解の謬解を揀ふの二つな
0000_,09,251a13(00):り。先初に觀念の謬解を拂ひ給ふとは。
0000_,09,251a14(00):もろこしとは。常に云。からのことにて。本名は震旦
0000_,09,251a15(00):とも。支那とも云。此方にて。もろこしと云は。諸
0000_,09,251a16(00):越の意にて。遠く隔たりたる鄙と云義なり。されば
0000_,09,251a17(00):古歌にも。もろこしの吉野の奧とよみ。又相摸の國
0000_,09,251b18(00):に。諸越ケ原と云あるを。源の忠房の歌に。『名にし
0000_,09,251b19(00):おはば虎やすむべき東路に。ありといふなるもろこ
0000_,09,251b20(00):しか原』とよめり。是等皆天離る鄙の意ろなり。古
0000_,09,251b21(00):代我神國の雄雄しき見識にて。唐土などを。鄙遠の
0000_,09,251b22(00):意にて呼ふを以見るべし。爾るに今時彼所をば。大
0000_,09,251b23(00):唐中華などと美稱して。我日本をば。東夷と書に筆
0000_,09,251b24(00):せし僻儒もあり。されば。又近世復古の國學者は是
0000_,09,251b25(00):を憤り。堯舜周孔をすら押下して取らず。僻儒の誤
0000_,09,251b26(00):りは論なけれども。國學者も亦曲れるを矯て。直に
0000_,09,251b27(00):過たりと云べし。既に中古より文字を傳へ儒を學び。
0000_,09,251b28(00):禮樂刑政も。彼所に傚ひ給へること多ければなり。
0000_,09,251b29(00):さればいづれの國風も。善惡交雜するなれば。其善
0000_,09,251b30(00):きを取り。惡きを捨てて。偏ならざるを正意とすべ
0000_,09,251b31(00):し。又此もろこしと名くることを。彼國より薬種織物
0000_,09,251b32(00):等を始めとし。もろもろの物をわたす故。もろもろ
0000_,09,251b33(00):の物をこす國じやと云意で。もろこしと云説もあり
0000_,09,251b34(00):て。眞名の伊勢物語に。諸來と書きたれば。杜撰の
0000_,09,252a01(00):説にも非と見へたれども。正訓は諸越にて。帝都に
0000_,09,252a02(00):遠く隔りたる邊鄙と云の義と見へたり。又我國より
0000_,09,252a03(00):諸越へ通路の始は。人王十一代埀仁天皇の御宇にて。
0000_,09,252a04(00):彼所にては東漢の光武帝の代に當ると。王代一覽に
0000_,09,252a05(00):も見へ。猶委しきことは善隣國寶記にのせたり。又彼
0000_,09,252a06(00):所を唐土と書くことは。五帝の第四堯の世を唐と云ひ
0000_,09,252a07(00):て。是世の名を立るの始なる故と。又其後唐の太宗
0000_,09,252a08(00):の時。別して通路も多くなり。殊に入唐受法のこと盛
0000_,09,252a09(00):んなりし故に。總して震旦のことを。唐と云と見へた
0000_,09,252a10(00):り。
0000_,09,252a11(00):我てうとは。日本のことにて。則ち自身のある國をさ
0000_,09,252a12(00):して云なり。吾我は親しむの詞にて。主君を我きみ。
0000_,09,252a13(00):夫とを我つまと云が如し。されば佛祖統紀の序に。
0000_,09,252a14(00):至我本朝とあるは。作者の志盤が唐土の人故。吾
0000_,09,252a15(00):本朝と云れたが。則ち支那のことなり。今も亦如其。
0000_,09,252a16(00):大師の我朝との玉ひしは。日本のことなり。爾れはも
0000_,09,252a17(00):ろこし我朝とは。唐土日本と云ことなり。
0000_,09,252b18(00):もろもろの智者達の。もろもろとは。諸の字にて。
0000_,09,252b19(00):非一と註したれは。數多と云ことにて。一人や二人で
0000_,09,252b20(00):はない。和漢兩朝に。智慧博學にして。而も念佛を
0000_,09,252b21(00):弘通し。釋文等を著し玉いたる。多の人師をさして。
0000_,09,252b22(00):もろもろの智者達との玉へり。智者とは。經律論を
0000_,09,252b23(00):學び。聲明巧明等の。五明を備るを云。天台別傳云
0000_,09,252b24(00):大師傳佛法燈稱爲智者云云。是隋の煬帝。天台大
0000_,09,252b25(00):師の。德たけ學に長じ玉ふを。稱美し玉ふ辭なり。
0000_,09,252b26(00):さて此所で。古來より穿議あり。大師何故に。震旦
0000_,09,252b27(00):日本のみを擧て。天竺を。はぶき玉ふぞと云に。隆
0000_,09,252b28(00):長闍梨の但信鈔には。何の所以もなく。畧し玉ひた
0000_,09,252b29(00):りとあれども。理を盡さざるなり。總して畧すると
0000_,09,252b30(00):云は。有ても無てもすむことを。はぶくを。略すると
0000_,09,252b31(00):云なり。今は畧には非。除き玉ふなり。所以者何んと
0000_,09,252b32(00):なれば。謬りは段段轉ずる中に生ずる故に。諺に烏
0000_,09,252b33(00):焉馬と云。東來束と云如く。天竺は佛生國にして。
0000_,09,252b34(00):其源となる故。本願念佛を。觀念と云誤なき故に。
0000_,09,253a01(00):天竺を省き。本願の梵本を。中華の文字に。十念と
0000_,09,253a02(00):翻譯してより後に。稱名を觀念と云の謬りは發ること
0000_,09,253a03(00):なれば。唐土我朝のみを擧玉いたるなり。先一往天
0000_,09,253a04(00):竺を省き玉ひし。わけはしれたり。而して亦此上に
0000_,09,253a05(00):穿議があるなり。難して云。文隨執見隱義逐機
0000_,09,253a06(00):根現二敎論の文天竺佛生根元の國なりといへども。何ぞ
0000_,09,253a07(00):謬りなからん。故に小乘二十部の分派と云。
0000_,09,253a08(00):根本上座。崛内五百人迦葉等大衆崛外五百人の二部より。五部。十
0000_,09,253a09(00):八部。二十部と分る云云
0000_,09,253a10(00):戒賢智光空有の論等あり。
0000_,09,253a11(00):戒賢論師は。有相大乘。法相の祖師。依經は深密。
0000_,09,253a12(00):依論は瑜伽等。彌勒より受け。護法難陀より繼き。
0000_,09,253a13(00):智光論師は。無相大乘。三論の祖師。依經は妙智。
0000_,09,253a14(00):依論は中觀等。文殊龍樹より受け。淸目淸辨より
0000_,09,253a15(00):繼く。
0000_,09,253a16(00):爾らば一槪に。異義なしと云はんやと云に。彼二十
0000_,09,253a17(00):部の各各に執見を立てしは。律文廣き故。我執す
0000_,09,253b18(00):る所に本とづきて。餘文を會通する故に。其派數數
0000_,09,253b19(00):に分れしなり。又戒賢智光等の論は。依經依論。已
0000_,09,253b20(00):に各別にして。一經一論に依て發るには非。應病與
0000_,09,253b21(00):藥の法門なれば。有相の機分は。其法門を了義とし。
0000_,09,253b22(00):餘敎を不了義とす。無相の機も亦爾り。是等の異義
0000_,09,253b23(00):を例として。今も難ずべき道理はなきことなり。其上
0000_,09,253b24(00):此本願念佛を。觀念と云稱名と云論は。唯和漢兩朝
0000_,09,253b25(00):のみにして天竺にあることなし。若し天竺に於ては。
0000_,09,253b26(00):本願念佛を異義なく。一同に稱名と。存知し玉へる
0000_,09,253b27(00):と云には。其證據あり。高僧傳曰慧日三藏巡歷諸三
0000_,09,253b28(00):藏問曰何國有樂無苦三藏答曰有樂無苦極樂也
0000_,09,253b29(00):易行易修見佛念佛一行也云云。既に天竺の三藏達易
0000_,09,253b30(00):行易修は。念佛の一行とあるからは。明かに稱名念佛
0000_,09,253b31(00):にして。觀念理解に非ず。若し觀念や理解の念佛なれ
0000_,09,253b32(00):ば。難行難修なり。夫れを易行易修と仰せらるるか
0000_,09,253b33(00):らは。天竺の智者達は。本願念佛は口稱と云に。異
0000_,09,253b34(00):論なき證據なり。斯云道理ある故に。天竺をは除ひ
0000_,09,254a01(00):て。もろこし我朝に諸の智者逹のと。震旦日本計り
0000_,09,254a02(00):を。擧げ玉ひたるなり。
0000_,09,254a03(00):さたし申さるる。此さたと云に二解あり。一解には
0000_,09,254a04(00):沙汰の字音を用ゆ。杜子美が上韋左相詩沙汰江河
0000_,09,254a05(00):濁と云を。註に以篩貯砂去其細存其大曰沙
0000_,09,254a06(00):汰と云へり。又晋書に出る。孫綽と習鑿齒とは博學
0000_,09,254a07(00):にして而も。二人共に通卒なりしが。或時二人連れ
0000_,09,254a08(00):て行とき。先きに行孫綽。習鑿齒を顧て。沙之汰
0000_,09,254a09(00):之瓧礫在後と云ければ鑿齒直に。簸之颺之糠
0000_,09,254a10(00):粃在前と答へたるとあり。是等は皆ゆりそろゆると
0000_,09,254a11(00):云意にて。物をゑり分けて。惡きを捨。好きを取と云
0000_,09,254a12(00):義なり。又一説とは。加茂眞淵が云。さたはさだな
0000_,09,254a13(00):り。古は字音を用ゆることなし。決斷所を。さだのに
0000_,09,254a14(00):はと云意にて定し申さるるの義なりと云へり。げに
0000_,09,254a15(00):和語は字音を用ゆることは。古代にはなきことにて。皆
0000_,09,254a16(00):後世のことなり。されども一槪に心得べからず。若し
0000_,09,254a17(00):本書。後世の意にてしるせしを。古意を以解すとき
0000_,09,254b18(00):は。其義を誤ることあり。是鄙諺に。角を直さんとて
0000_,09,254b19(00):牛を殺せしと云如し。されば。眞淵が三部の言釋に。
0000_,09,254b20(00):本文の意に違ひしことあり。向阿上人は。古語の一轉
0000_,09,254b21(00):したる。中古の詞を。間間用ひ給へるを。偏に古意
0000_,09,254b22(00):にて解したる故なり。さて斯く二解あるときに。大
0000_,09,254b23(00):師は何れの義を用ひ給ふと云ことは。定め難けれども。
0000_,09,254b24(00):二解ともに。義に於て違ふことなし。其所以は。字音
0000_,09,254b25(00):の方は。物をゆりそろへて。惡きを捨。好きを取る
0000_,09,254b26(00):義なれば和漢兩朝の古師の口稱は劣ると捨。觀念義
0000_,09,254b27(00):解の念佛はよきと。ゑり取られたるは誤りと。拂ひ
0000_,09,254b28(00):給ふの義なり。又さだの方は。決斷所にて善惡を定
0000_,09,254b29(00):むる如く。古來の諸師は。念佛と云を口稱と云はあ
0000_,09,254b30(00):しし。觀念義解は善しと。定せられしは誤りと。拂
0000_,09,254b31(00):ひ給ふ義なれば。是も亦違ふことなし。爾れは二解は。
0000_,09,254b32(00):唯字音を用ゆると。古意に隨ふとの別にして。義に
0000_,09,254b33(00):於ては。二義一致。差別あることなしと知るべし
0000_,09,254b34(00):觀念の念にもあらず。古來和漢兩朝に於て。多くの
0000_,09,255a01(00):智者達が。本願の念佛を。觀念と云はれたれども。
0000_,09,255a02(00):夫れは心得違ひ。全くさうではないと。拂却し給ふ。
0000_,09,255a03(00):是が第三本文の下に。五科ある第一揀謬解科の下
0000_,09,255a04(00):に。亦二科ある。觀念の謬解をえらび給ふの科なり。
0000_,09,255a05(00):夫阿彌陀佛の本願は口稱念佛と云こと。善導大師より
0000_,09,255a06(00):開けて。其餘和漢兩朝の諸師達には。此分別なき故。
0000_,09,255a07(00):通途の道理によりて。觀念は勝れ。口稱は劣ると。
0000_,09,255a08(00):存し給へり。さて其觀念と云に。事理の二觀あり。
0000_,09,255a09(00):其理觀と云に。亦二つありて。自身即佛の理性を觀
0000_,09,255a10(00):ずるは。聖道門の理觀なり。又起信論の修行信心分
0000_,09,255a11(00):に。彌陀の眞如法身を觀じて。往生することを明し給
0000_,09,255a12(00):へるは。淨土門の理觀なり。事觀にも亦二つあり。
0000_,09,255a13(00):一切諸佛の依正二報を觀ずるは。聖道門の事觀なり。
0000_,09,255a14(00):又觀經及び觀念法門等によりて。十三定善總相別相
0000_,09,255a15(00):等を觀じて。往生を願ふは。淨土門の事觀なり。此
0000_,09,255a16(00):事理の二觀も。上根上智ならば。其利益あるべけれ
0000_,09,255a17(00):ども。三學無分の下機。一時煩惱百千間の凡夫。爭
0000_,09,255b18(00):でか此觀念を成ずることを得んや。故に彌陀如來。萬
0000_,09,255b19(00):機普益。別途大悲の。口稱本願を立給へり。されば
0000_,09,255b20(00):大師。此事理の觀念を拂ひて。口稱本願の義を示し
0000_,09,255b21(00):給ふ。御法語あれば示すべし。和語燈錄四の卷昔法藏ぼさつ。
0000_,09,255b22(00):四十八の大願を發し給ふ中に。一切衆生の往生の爲
0000_,09,255b23(00):に一の願を發し給ふ。是を念佛往生の本願と申なり。
0000_,09,255b24(00):念佛といふは。佛の法身を憶念するにもあらず。又
0000_,09,255b25(00):佛の相好を觀ずにもあらず。ただ心をいたして專ら
0000_,09,255b26(00):阿彌陀佛の名號を稱念する。是を念佛とは申なり已上
0000_,09,255b27(00):今に合せて考べし。所詮を云へば。唐土では。善導
0000_,09,255b28(00):大師より已前。我朝では。元祖大師より已前は。本
0000_,09,255b29(00):願口稱の正意が。とくと顯はれなんだに依て。もろ
0000_,09,255b30(00):こし我朝に乃至念にもあらずと。先觀念の水を捨玉ひ
0000_,09,255b31(00):しものなり。是に就ても。人人本願の正意は。口稱
0000_,09,255b32(00):の念佛と云ことを。聞得たる人は。等閑に思ふべから
0000_,09,255b33(00):ず。其故は。是至て顯はれ難きことなり。故に和漢兩
0000_,09,255b34(00):朝の智者達が。皆顯し玉ふことならざりしなり。愚者
0000_,09,256a01(00):ならばさもあるべきことなれども。已に智者達なり。
0000_,09,256a02(00):釋門の龍象。緇林の鸞鳳と云はるる。高僧方なれば。
0000_,09,256a03(00):見立易きことなれば。誤り玉ふ筈はなきなり。又觀念
0000_,09,256a04(00):と見違へ玉ふにも。其理なくてはかなはず。此こと經
0000_,09,256a05(00):文の上で。其道理を穿議するに。念聲是一の法門と
0000_,09,256a06(00):て。一則の論題にして容易のことに非。下にて談ずべ
0000_,09,256a07(00):し。先今は經釋を離れて。考へて見るべし。顯れ難
0000_,09,256a08(00):筈なり。大器は遲く成ずるの道理にて。若し此本願
0000_,09,256a09(00):は。口稱ぞと云正意が顯はるれは。誰でも往生遂ら
0000_,09,256a10(00):れぬと云者はなく。實に萬機普益。微玅最上の法門
0000_,09,256a11(00):なれば。顯はれ難きはづなり。又此本願が。觀念に
0000_,09,256a12(00):紛れて。口稱の正意の隱れてある内はつとまる者は
0000_,09,256a13(00):至て少く。順次往生などど云ことは。甚とげ難きことな
0000_,09,256a14(00):り。此違ひ目。天地黑白も譬とならず。爾るに。元祖
0000_,09,256a15(00):大師の御出世に依て。本願念佛口稱ぞと云。正意の
0000_,09,256a16(00):顯はれたるは。日本開闢已來。例しなき吉祥の顯は
0000_,09,256a17(00):れしと云ものなり。總してよきと云ことは。小事でさ
0000_,09,256b18(00):へも顯はれ兼ること。彼卞和が璧の如云云。まして况本
0000_,09,256b19(00):願口稱の正意が顯はれては。十惡五逆の大罪人。五
0000_,09,256b20(00):障三從の女人迄。唱れば皆悉く往生遂ると云。大吉祥
0000_,09,256b21(00):のことなれば。古來の智者の御了簡に。見ひらき玉ふ
0000_,09,256b22(00):ことならずして。觀念が勝るるの。觀稱に通ずるのと
0000_,09,256b23(00):云位のことにして。大悲本願の深旨。顯はれぬことなれ
0000_,09,256b24(00):ば。見るに見兼て。彌陀如來が唐土へは。善導大師
0000_,09,256b25(00):とあらはれ。勢至菩薩は我朝へ。圓光大師と埀迹し
0000_,09,256b26(00):て。本願の念佛は。口稱ぞと云正意を示し玉へるな
0000_,09,256b27(00):り。爾れば人人。如此顯はれ難かりし。本願の正意
0000_,09,256b28(00):を聞得て順次决定往生する身の上となりしことを。つ
0000_,09,256b29(00):くづくと思ひやりて。歡喜稱名すべきなり。爾れば
0000_,09,256b30(00):上來所談の畢竟は。本願の念佛は。觀念に非と。一
0000_,09,256b31(00):切心の所作にわたる念佛の分は。殘らず拂ひのけ玉
0000_,09,256b32(00):ふた所じやと得心して。濃くも薄くも。往生遂たい
0000_,09,256b33(00):と云心だにあれは。其上は唯分分に唱ふる計で。訖
0000_,09,256b34(00):度往生遂らると云ことを。ゆるぎなく思ひ定むべきな
0000_,09,257a01(00):り。さて其上に於ては。起行をはげます爲には。若
0000_,09,257a02(00):し此念佛が觀念と云ことならば。云何したものであら
0000_,09,257a03(00):ふと。思ひ見るべし。實に我等が往生は。賴も綱も
0000_,09,257a04(00):切れ果ててあるなり。其故は。一毫未斷の凡夫。狂
0000_,09,257a05(00):醉顚倒が持前なれば。彼六窻一獮猴の譬の如く。貪
0000_,09,257a06(00):念が止めば瞋恚が止めば愚癡。身三口四の旋
0000_,09,257a07(00):火輪。片念雙思の定りなきは。自己返照して思ひ知
0000_,09,257a08(00):るべし。さればこそ。善導大師は。識颺神飛觀難成
0000_,09,257a09(00):就と釋し。宗祖大師は。今時の人觀念をなすべから
0000_,09,257a10(00):ず。極樂の依正を觀ずとも。櫻梅桃李の華ほども。
0000_,09,257a11(00):運慶康慶が作れる佛ほども。觀じ顯すことを得じと。
0000_,09,257a12(00):の玉へり。爾れば。若し本願念佛は口稱ぞと云。正
0000_,09,257a13(00):意が顯はれねば。たすかる道は。たへはつると見れ
0000_,09,257a14(00):ば。至極危きことにてありしなり。是に就て。今觀念
0000_,09,257a15(00):の成じ難き。現證を擧て。口稱増進の助縁とせば。
0000_,09,257a16(00):小田原と云寺に。敎壞上人と云人ありけるが。後に
0000_,09,257a17(00):は高野に住ける。一つの水瓶を持れけるが。心にか
0000_,09,257b18(00):なひて執し思はる。或日此水瓶を椽に置て。奧の院
0000_,09,257b19(00):へ參りて念誦せらるるに。此水瓶のことを思ひ出して。
0000_,09,257b20(00):あからさまに椽に置つれば。人やとらんとおぼつか
0000_,09,257b21(00):なくおぼゆ。こはよしなしと。思ひすてんとするに。
0000_,09,257b22(00):彌此念しづまらで。如法ならざりしかば。よしなく
0000_,09,257b23(00):おぼへて歸るやおそきと。あたりの石の上に置て。
0000_,09,257b24(00):打くだきて捨られしとなん。發心集一の卷如此心に愛する
0000_,09,257b25(00):所あれば。水瓶さへも念誦觀法のさはりをなす。出
0000_,09,257b26(00):家すら斯ぞ。况や在家などは。思ひ絶たることなり。
0000_,09,257b27(00):無心の水瓶位か。愛子愛妻愛夫等。執縁の聚集なる
0000_,09,257b28(00):をや。云何ぞ觀念の器ならん。假令尼法師と姿をか
0000_,09,257b29(00):へても。雲を著風を喰ても住はれぬことなれば。心に
0000_,09,257b30(00):愛する物。などてなからん。愛して邪魔になる物ほ
0000_,09,257b31(00):ど。反て打すつる事はならぬものなり。されば。在
0000_,09,257b32(00):家も出家も押なべて。觀念の修行は。今時の人には
0000_,09,257b33(00):思ひ絶へたることなり。爾るを忝も元祖大師。本願の
0000_,09,257b34(00):念佛と云。古來漢和兩朝の諸の智者達の。沙汰せら
0000_,09,258a01(00):れし如き。汝等が得つとめぬ。六つかしひ觀念では
0000_,09,258a02(00):なひ。八十の老翁。三歳の嬰兒。東西不辨の愚者迄
0000_,09,258a03(00):も。心易くつとまる所の。口稱念佛ぞと云ことを。明
0000_,09,258a04(00):に示し。別して此御遺誓には。除疑生信の誓言まで。
0000_,09,258a05(00):なし下されし御蔭にて。餘法餘行に望みを斷つ。最
0000_,09,258a06(00):極下劣の皆や此方が。順次往生掌をさして。决定す
0000_,09,258a07(00):る身の上となりしは。偏に大師の御賜なれば。其大
0000_,09,258a08(00):恩を空ふせぬ樣に。口稱一行を深く決信すべし。さ
0000_,09,258a09(00):て此上に。今日の下ならば。觀念の修行する人は。
0000_,09,258a10(00):我愛するものは。打破つてもつとむることなるに。妻
0000_,09,258a11(00):を携へ夫とに從ひ。子を養育する中からも。唱へだに
0000_,09,258a12(00):すれば。往生の遂げらるる御念佛。不精にすべきやう
0000_,09,258a13(00):なしと。心で心をはげまして。妄念異念の中からも。
0000_,09,258a14(00):唯往生極樂の爲の稱名。すすんで相續せらるべし。
0000_,09,258a15(00):猶本願念佛は觀念でない。口稱じやと云義を顯はす
0000_,09,258a16(00):に。本願の素意に約して顯はすと。佛體に就て顯す
0000_,09,258a17(00):との二義あり。此義別して肝要のことなれば。辨示す
0000_,09,258b18(00):べし。先本願念佛を觀念と云。口稱と云。二義差別
0000_,09,258b19(00):する。其根元はと云に。四十八願の中。第十八願の
0000_,09,258b20(00):文に。設我得佛。十方衆生。至心信樂。欲生我國。
0000_,09,258b21(00):乃至十念。若不生者。不取正覺とある。此十念の念
0000_,09,258b22(00):の字に依て。諸師は觀念と見。或は觀稱に通する等
0000_,09,258b23(00):と定め玉ひ。元祖大師は。觀念の念に非とはらひて。
0000_,09,258b24(00):稱名と立玉へり。爾れば。大師の御勸めを。平信し
0000_,09,258b25(00):に信して。つとめてさへ居れば。其人は夫れで何も
0000_,09,258b26(00):不足はなけれども。諸宗に押わたして。天下の公談
0000_,09,258b27(00):とはならぬなり。其故は。古來觀念とさたし玉ひし
0000_,09,258b28(00):が。歷歷の智者達なれば。因人重法の理ありて。肯
0000_,09,258b29(00):はぬ人あるなり。是に依て。是より經文に合し。佛
0000_,09,258b30(00):意にあてて。訖度諸師所立の觀念と云は。誤りで。
0000_,09,258b31(00):大師の口稱念佛と立玉ふが。正意と云義を顯すことな
0000_,09,258b32(00):れば。此道理を聞分けて。彌此御法語を。信受し奉
0000_,09,258b33(00):るべし。
0000_,09,258b34(00):さて是より。正く正不の穿議問答せば。先是迄の所
0000_,09,259a01(00):説の上に難を立てて。大師左の如。古來の智者逹の
0000_,09,259a02(00):所立を拂ひて。觀念理解の念佛は。本願の正意に非
0000_,09,259a03(00):ずとはの玉ひしぞ。片口聞ひては理はつけられぬ。
0000_,09,259a04(00):何として。元祖の所立の口稱が正意で。諸師所立の觀
0000_,09,259a05(00):念等が謬りぞと云に。元祖大師。斯く詞をはなつて。
0000_,09,259a06(00):古來の智者逹の所立の。觀念等に非ずと。一棒に拂
0000_,09,259a07(00):ひ玉ひしは。選擇集にの玉ふ如く。善導一師に依ると
0000_,09,259a08(00):て。導師の指南に依り玉へり。導師の御釋。廣く諸
0000_,09,259a09(00):所に本願念佛は。稱名ぞと釋し玉へり。中に於ても。
0000_,09,259a10(00):至て明かなるは。十八本願の文を釋して。若我成佛。
0000_,09,259a11(00):十方衆生稱我名號。下至十聲等と釋し。又觀經の附
0000_,09,259a12(00):屬の文を釋しては。上來雖説定散兩門之益望佛
0000_,09,259a13(00):本願意在衆生一向專稱彌陀佛名と釋し。別し
0000_,09,259a14(00):て五種正行の上に。正業助業の分別をなし玉へる等。
0000_,09,259a15(00):靑天白日の如し。是等の御指南に依て。元祖大師觀
0000_,09,259a16(00):念理解の念佛に非ずと。拂ひ玉へるなり。先是で大
0000_,09,259a17(00):師は。導師に依り玉ふと云ことは明らかなり。さて。
0000_,09,259b18(00):善導大師が其通りに仰られたればとて。すましては。
0000_,09,259b19(00):又天下の公談とは云へぬに依て。是より亦善導大師
0000_,09,259b20(00):と。古來の諸師との上で論判して。正不を明むるな
0000_,09,259b21(00):り。さて先。諸師の義から立て置くべし。古來漢和
0000_,09,259b22(00):兩朝の智者逹は。いかなる所由あつて。本願の念佛
0000_,09,259b23(00):を。觀念理解との玉ひたるぞと云に。いかにも一往
0000_,09,259b24(00):所以のあることなり。先十八の願文に十念とあり。念
0000_,09,259b25(00):は心念の義なる故に。觀念と云。或は心に解了する。
0000_,09,259b26(00):理解の念佛と定め玉へり。猶往生ほどの一大事を遂
0000_,09,259b27(00):ることが。口稱位の心易きことで。有ふとは思はれぬこと
0000_,09,259b28(00):故に。觀念理解の奧深き。心地修行と見玉へり。是
0000_,09,259b29(00):一往理の聞へたることなり。さて又。導師は何故に。
0000_,09,259b30(00):稱名とは定め玉ひたぞ。經文明らかに。十念とあれ
0000_,09,259b31(00):ば。口稱と云ては。念の字意に背くがと云に。なる
0000_,09,259b32(00):程念はおもふの義なれども。又口で稱ふることにも。
0000_,09,259b33(00):つかう文字なり。其證を云はば。誦經を念經と云。
0000_,09,259b34(00):散心誦法華念法華文字等と云。弘决二之一又六祖壇經
0000_,09,260a01(00):云世人終日口念本體不識自性彌陀經通讃云口
0000_,09,260a02(00):念心不念又大集日藏經大念小念と説き玉へるを。群
0000_,09,260a03(00):疑論大念者大聲小念者小聲。と判じ玉へり。かく
0000_,09,260a04(00):の如念の字に。となふると云義ある故。元祖大師選
0000_,09,260a05(00):擇集に。念聲是一と釋成し玉ふなり。猶此上を穿議
0000_,09,260a06(00):せば。なる程。念に唱ふるの義あることは。知れ畢
0000_,09,260a07(00):れり。されども。念を。おもうと云ことは本訓なり。
0000_,09,260a08(00):されば。兩方共に觀と稱と一義あれば。先是では牛角の論
0000_,09,260a09(00):と聞るが。爾るに強て導師の義を正意とする義趣は
0000_,09,260a10(00):と云に。此願文の十念の念は。稱名に局ること。觀經
0000_,09,260a11(00):と照し合すれば爭ひなし。觀經下下品の罪人。念佛
0000_,09,260a12(00):で助かる所の經文に。令聲不絶。具足十念。稱南無
0000_,09,260a13(00):阿彌陀佛と。説けてあり。此十聲稱佛が。則ち本願
0000_,09,260a14(00):の十念なれば。紛なきことなり。先是で本願口稱の義。
0000_,09,260a15(00):更に爭ふ所なし。されども。猶此上に。強難を立て
0000_,09,260a16(00):て。本願口稱の義は顯はれたれども。爾し觀念でな
0000_,09,260a17(00):いと云證據もなひからは。觀稱に通ずると見るが。
0000_,09,260b18(00):穩にありそうな物じやがと云に。なる程。念の字の
0000_,09,260b19(00):持前は。觀稱に通ずれども。今の本願の十念と云は。
0000_,09,260b20(00):偏に口稱の義にして。觀念には通ぜす。大師念聲是一
0000_,09,260b21(00):の御釋。全く此觀念に簡異し玉ふ爲なり。若觀稱に
0000_,09,260b22(00):通するの義を立れば。一願兩體の大失を生ずるなり。
0000_,09,260b23(00):一願兩體の失とは。彼十九來迎の願を。覺明房は
0000_,09,260b24(00):修諸功德の文に依て。諸行本願の義を立。一念義
0000_,09,260b25(00):修諸功德の。諸行の者を來迎し玉へば。宗門は不
0000_,09,260b26(00):來迎なり。と云云す。十九の願體は來迎なり。爾る
0000_,09,260b27(00):を修諸功德をも。願體と心得たるが故に。十九の
0000_,09,260b28(00):一願に諸行と來迎との。二體を成ずる故に。大失
0000_,09,260b29(00):となるなり。
0000_,09,260b30(00):今も亦其如く。若し本願が觀念なれば。口稱に通ぜ
0000_,09,260b31(00):ず。又口稱なれば。觀念に通ぜず。是れ一願一體な
0000_,09,260b32(00):る故なり。爾るに。本願口稱の義は。上に述るが如
0000_,09,260b33(00):く。又相傳に。同本異譯の。平等覺經。寶積經。莊
0000_,09,260b34(00):嚴經等。皆名號の顯説あり。他證を求むべかざる歟。
0000_,09,261a01(00):と云云。頌義廿四の五丁已下。經説を引。見つべし。爾れば觀稱に通するの義は。
0000_,09,261a02(00):一願兩體の失あるが故に。決して用られざるの義趣。
0000_,09,261a03(00):能能領納すべし。猶此本願念佛觀念でなく。稱名に
0000_,09,261a04(00):局ると云こと。初心も心得易くして。而も深義の顯は
0000_,09,261a05(00):るる二義あれば。是を示さん。一には約本願素意
0000_,09,261a06(00):二には約佛體此二義あるときに。先本願の素意に
0000_,09,261a07(00):約すれば。何として觀念でなひぞと云に。佛願發起
0000_,09,261a08(00):の本へ立還て見れば。直に知れるなり。先此彌陀如
0000_,09,261a09(00):來の本願と云は。法藏因位の昔し。同體の悟りより。
0000_,09,261a10(00):平等の大悲に催されて。建て玉ひたる本願にて。機
0000_,09,261a11(00):に善惡の簡びなく。廣く十方衆生と。誓ひ玉ひたる
0000_,09,261a12(00):ことなれば。其目がけ玉ふ所の衆生の。つとまる行を。
0000_,09,261a13(00):本願とし玉はねばならぬことなり。爾るに其本願は。
0000_,09,261a14(00):觀念じやと云になれば。十方衆生と云中に。つとまら
0000_,09,261a15(00):ぬ人のみが多くて平等には行きわたらぬ。先觀念は。
0000_,09,261a16(00):無相絶色の法身觀は。もとより。たとひ事相の色相
0000_,09,261a17(00):觀でも生盲と云て。生れ付の目くらの。佛像を拜ん
0000_,09,261b18(00):だとのなひ者は。たとひ利根でもつとまらず。又兩
0000_,09,261b19(00):眼は明かでも。妄念異念のおさまらぬ人は。つとま
0000_,09,261b20(00):らぬなり。是では廣く押出して。十方衆生と誓ひ玉
0000_,09,261b21(00):ひても。機法不合で。其利益はなきなり。爾るに稱
0000_,09,261b22(00):名は。十方衆生人えらびなく。誰でもつとまる。
0000_,09,261b23(00):但し。稱名つとめぬ人あるは。機の失と云ふもので。勤まらぬではなひ。つとめぬなり。斯く本願の素意に
0000_,09,261b24(00):立還て見よ。本願念佛と云は。觀念ではない。稱名
0000_,09,261b25(00):念佛に局るの道理。極成するに非や。猶一つの現證
0000_,09,261b26(00):を示さば。往時大原の澄禪上人。相州塔の峰阿彌陀
0000_,09,261b27(00):寺の靈窟彈誓上人練行の舊跡にありて。修行し給ひし頃。一日富
0000_,09,261b28(00):士山を遠望し給ひしが。心中に思へらく。誠に富士
0000_,09,261b29(00):は。三國無雙の靈山。我此山を。極樂淨土の百寶蓮華
0000_,09,261b30(00):になぞらへ。此山に相應せる。大身の阿彌陀如來を。
0000_,09,261b31(00):瞻仰し奉らばやと云願心。涌くが如に發りければ。夫
0000_,09,261b32(00):より直に發足して。彼山に登り。富士へ登るは六月に局りて。餘の月には登る人な
0000_,09,261b33(00):し。是高山にて雪深ければなり。西方に向ひ端坐し。如法に思ひを凝し
0000_,09,261b34(00):て。佛身觀を修し給ふ時。九月中旬の頃なれば。雪い
0000_,09,262a01(00):たく降り積りて。遍身を埋み。寒氣髓に徹り。總身
0000_,09,262a02(00):堅冰の如くになり。已に絶命に及びなんとす。時に
0000_,09,262a03(00):上人慚愧して。我業障の高きこと。此高山にすぎ。生
0000_,09,262a04(00):死の流れ深きこと。此雪の深きにこゆ。是に依て心眼
0000_,09,262a05(00):を開くことを得ず。ああいかんがせん。よしよし此世
0000_,09,262a06(00):に見佛成ぜずとも。我佛に攝取の本願あり。名號を
0000_,09,262a07(00):稱して命終せは。必無漏の寶國に生れ。速に滿月の
0000_,09,262a08(00):尊體を覩奉らんこと。更に疑ひあることなしと。夫より
0000_,09,262a09(00):一向臨末の念に住して。念佛し玉ふに。不思議や大
0000_,09,262a10(00):雨俄に降り下りて。體を埋みし深雪も消へ。猶其雨
0000_,09,262a11(00):の一滴。口中に入るに。味ひ甘露の如なりしが。今
0000_,09,262a12(00):迄出ざりし聲も。和雅の音聲を。思ひのままに發し。
0000_,09,262a13(00):堅冰の如く凍へすくみし五體。自在輕安なること鵞毛
0000_,09,262a14(00):の如くなりければ。こは奇異のことかなとますます高
0000_,09,262a15(00):聲し給ふに。師の後の方より。呼ふ聲の聞へしかば。
0000_,09,262a16(00):ふりかへり見給ふに。遙なる空中に。嚴飾微玅の五
0000_,09,262a17(00):重の寶橋橫たはり。白雲是をささへたり。其橋の大
0000_,09,262b18(00):きさは。京都五條の橋ほどなる。其橋づめに。齡十
0000_,09,262b19(00):四五歳計に見ゆる天童たちて。手に拂子やうの物を
0000_,09,262b20(00):持て。師を招く。師かしこに行ばやと。一念きざす
0000_,09,262b21(00):に。飄然とかの寶橋の中間に至り。安坐し玉ふ。然
0000_,09,262b22(00):るに此寶橋。師を乘つつ空を凌き東をさして飛ひ去
0000_,09,262b23(00):ること。凡十里計りにも及ぶと思ふときに。空中にと
0000_,09,262b24(00):どまる。師こはいかなる故ならんと。左右を顧み玉
0000_,09,262b25(00):ふに。富士山の絶頂に。彼山一倍ほどに大身なる如
0000_,09,262b26(00):來。寶蓮の上に坐し。光明赫奕として。師の頂を照
0000_,09,262b27(00):し給ふ時に。師身の毛いよだち。悲喜交流の涙にむ
0000_,09,262b28(00):せび。五體を投して禮敬し玉ひ。且つ佛恩を謝し奉
0000_,09,262b29(00):らんとし玉ふに。悲咽して言ふことを得給はず。其時
0000_,09,262b30(00):如來御容を動かし。莞爾と欣笑し。微玅の法を演説
0000_,09,262b31(00):し給ふ。御説法の旨趣は。師祕して語り玉はざれは。しる人なし。斯く優曇華の佛に値
0000_,09,262b32(00):遇し奉り。且甘露の法を拜聽し玉ひければ。廓然と
0000_,09,262b33(00):心ひらけ。歡喜拜首し玉ふに。不覺に地にをち立給
0000_,09,262b34(00):ふ。其所は塔の峯の麓なり。折しも農夫そこに居合
0000_,09,263a01(00):せしが。師の鬚髮ながくたれて。しかも顏貌異喜の
0000_,09,263a02(00):色あるに驚きけると。師彼者に今日は何月何日なり
0000_,09,263a03(00):やと問玉へば。今日は佛涅槃の日なりと云故。指を
0000_,09,263a04(00):折りてかぞへ給へば。富士山に在りて六ケ月を經玉
0000_,09,263a05(00):へりと夫より本の巖窟に歸り。從來は觀稱兩三昧を
0000_,09,263a06(00):修せられしかども。是より後は觀佛を止めて。專修
0000_,09,263a07(00):念佛し給へりとなり。人人此縁により。本願口稱念
0000_,09,263a08(00):佛の。餘行に卓出することを見つべし。既に上人勇猛
0000_,09,263a09(00):強盛の心を發して。觀念を凝し玉ひしかども。見佛
0000_,09,263a10(00):し玉ふことあたはず。さるに依て意樂を改轉して。必
0000_,09,263a11(00):死の覺悟に住し。口稱念佛し給ひければ。富士山に
0000_,09,263a12(00):倍する計なる。大身の如來を拜し給ふ。是何故なれ
0000_,09,263a13(00):ば。觀念は佛の本願の行ならざる故に。滅罪の邊も
0000_,09,263a14(00):劣り。加被護念の方もこまやかならず。口稱念佛は。
0000_,09,263a15(00):如來本願の正定業なれば。滅罪も勝れ。如被護念も
0000_,09,263a16(00):深重に在す故。速に見佛し給へるものなり。此現證
0000_,09,263a17(00):を以。今大師の觀念の念にもあらずとゑらび拂ふて。
0000_,09,263b18(00):本願口稱の義を成立し給ふの御義を。信受すべきな
0000_,09,263b19(00):り。次に約佛體本願口稱の正義を顯す義を辨ぜ
0000_,09,263b20(00):ば。直に如來の尊體に就て顯すの義なり。是は密家
0000_,09,263b21(00):の所談に。寄せ合せて談ずることなれば。其意を得て
0000_,09,263b22(00):聞べし。先阿彌陀如來の種字の字は。の
0000_,09,263b23(00):四字を。合成したる字にして。其體となるは字に
0000_,09,263b24(00):て。字は則因業不可得にして風なり。古人の歌に
0000_,09,263b25(00):『からいあく四字合成の風吹てきりくもはれて彌陀
0000_,09,263b26(00):ぞ見へける』と。爾れば先彌陀は。風大所成とて。
0000_,09,263b27(00):風を體とし玉ふ佛なれば。密家にて佛部金剛部蓮華
0000_,09,263b28(00):部と立る。三部の中にも。阿彌陀如來をは。蓮華部
0000_,09,263b29(00):の如來と習ふ。其故はと云に。一切諸佛及び衆生の
0000_,09,263b30(00):法性は。蓮華の如くにて。此八葉の心蓮の開くるが。
0000_,09,263b31(00):則成等正覺なり。世間の蓮の開くも。正しくは風に
0000_,09,263b32(00):よる。如其心蓮を開くことは。正しく風大所成。蓮華
0000_,09,263b33(00):部の敎主阿彌陀如來なり。故に經般舟經取意三世諸佛皆
0000_,09,263b34(00):依念佛三昧成正覺等と説き玉へる。此意なり。又
0000_,09,264a01(00):此佛金蓮の三部を。三業に配當するときも。蓮華部
0000_,09,264a02(00):は口業に當る。口で云こと一切聲に出ることは。皆風な
0000_,09,264a03(00):り。爾れば。彌陀如來は。口業音聲の本尊なること明
0000_,09,264a04(00):かなり。其上密家で。阿閦心。寶勝額。彌陀喉。釋迦
0000_,09,264a05(00):頂。四佛四處にあてて。加持することあるにも。彌陀
0000_,09,264a06(00):如來をば喉にあてて。喉は音聲の風を出すの本なれ
0000_,09,264a07(00):ば。風大所成と。風を司り玉ふ。彌陀如來を配當す
0000_,09,264a08(00):るなり。因玆淨土をも西方に構へ玉ふ。是亦風に當
0000_,09,264a09(00):る方なれば。四季を四方に配當するに。春は東。夏
0000_,09,264a10(00):は南。秋は西。冬は北なり。此通り西は秋に當り。
0000_,09,264a11(00):秋は則風の時なり。さるに依て。秋になると。風に
0000_,09,264a12(00):聲がある故に。漢の武帝は秋風辭を作り。歐陽永叔
0000_,09,264a13(00):は秋聲賦を作り。平の兼盛は。『秋來ぬと目にはさや
0000_,09,264a14(00):かに見へねとも。風の音にそ驚かれぬる』とよめり。
0000_,09,264a15(00):風は四季に吹といへども。風の時と云へば秋なり。
0000_,09,264a16(00):其秋に當る西故。西は風に當る方角なれば。西方に
0000_,09,264a17(00):極樂淨土を構へ玉ふなり。さて此風と云が則壽なり
0000_,09,264b18(00):其故は。先此世界建立の最初も。風輪生ぜしより起
0000_,09,264b19(00):れば。世界の壽も風なり。風輪生して其上が水輪。水輪の上方凝りて金輪となり。其上が地輪
0000_,09,264b20(00):なり。云云。風は世界の息と云。理あることなり。人の壽命の
0000_,09,264b21(00):體は。何ぞと云に。息が壽命の體なり。其息とは何
0000_,09,264b22(00):ぞや。風なり。此壽體の風大を司どり玉ふ如來なれ
0000_,09,264b23(00):ば。即ち無量壽佛と申奉る。故に又其淨土へ往生す
0000_,09,264b24(00):れば眷屬長壽の御願に報ふて。所化の衆生も。亦壽
0000_,09,264b25(00):命無量なれば。生死の縁は切れ果るなり。さて又風
0000_,09,264b26(00):は聲の根元なる故に。彌陀如來は五智の中には。玅
0000_,09,264b27(00):觀察智とて。諸佛の説法を司どり玉ふ。是に因て。
0000_,09,264b28(00):構へ玉ふ所の極樂淨土には。寶樹にふるる風の聲。
0000_,09,264b29(00):八功德池の浪の音。汀に遊ふ諸鳥のいろ音。虚空に
0000_,09,264b30(00):かかる樂器の調べ迄が。皆悉く微玅甚深の法を説な
0000_,09,264b31(00):り。爾れば先佛體が如此風大所成にして。口業音聲
0000_,09,264b32(00):を司どり玉ふことなれば。其佛の本願が。觀念であら
0000_,09,264b33(00):ふ筈はない。口に唱ふる聲の念佛て。なければなら
0000_,09,264b34(00):ぬ道理あきらかなることなり。さて又阿彌陀如來は。
0000_,09,265a01(00):風大所成の御佛と云に就て。別して貴きは。此界の
0000_,09,265a02(00):衆生は。阿彌陀如來に至て。因縁が深いなり。其故
0000_,09,265a03(00):は。諸佛如來に。六根説法と云ことありて。或は目で
0000_,09,265a04(00):見て悟らせ玉ふ。御説法あり。鼻にかぎ。舌に味ひ。
0000_,09,265a05(00):身に觸れ。意に念して。さとらせ玉ふ等の。御説法
0000_,09,265a06(00):あるに。阿彌陀如來は。風大所成にして。音聲説法
0000_,09,265a07(00):し玉ふ。如來なる故に。此界の衆生に。偏に。因縁
0000_,09,265a08(00):が深いなり。云何となれば。此界の衆生は。六根の
0000_,09,265a09(00):内に。耳根が利なる故なり。眼根は紙一重隔れは。
0000_,09,265a10(00):其先きを見ること能はず。鼻根は少し隔れば。香臭を
0000_,09,265a11(00):辨へず。舌根は正く其物に觸れざれは。味ひを知ら
0000_,09,265a12(00):ず。身に觸るるときは。却て觸欲を生して。法に遠
0000_,09,265a13(00):ざかる。意はさはがしく愚にして。深理に通ずること
0000_,09,265a14(00):を得ず。唯耳根のみ利にして。垣壁隔てた先の聲を
0000_,09,265a15(00):も聞書ひては分り兼ねる。むつかしひ義理をも。云
0000_,09,265a16(00):て聞かせば聞分るなり。爾れば。能化の如來は。音
0000_,09,265a17(00):聲説法を司り玉ふ如來なり。所化の衆生は。耳根利
0000_,09,265b18(00):なる此界に生れたれば。聲と耳と對する勝縁と云も
0000_,09,265b19(00):のなれば。諸佛の中に。別して阿彌陀如來に。因綠
0000_,09,265b20(00):深きなり。爾れば此勝縁を空く。しやう筈はなひこと
0000_,09,265b21(00):なれば。能能此御遺誓の趣きを聞受くべしきことな
0000_,09,265b22(00):り。
0000_,09,265b23(00):世間に無筆の者を。明盲と云て。自らも慚ぢ。他
0000_,09,265b24(00):もいやしむることなれども。是には。百千萬倍勝れ
0000_,09,265b25(00):て。あさましきは聞聾なり。世間のことや。邪法を
0000_,09,265b26(00):ば。蟻のささやくやうに云をも。牛の吼る如く聞
0000_,09,265b27(00):なせども。正義正法をば。聾ほども聞得取らぬな
0000_,09,265b28(00):り。是何故なれば。無常の習を忘れて。常住の僻
0000_,09,265b29(00):見に住するもの故。三惡道を恐るる心もなく。極
0000_,09,265b30(00):樂往生の志もなし。依て適正義を聞ても。片づま
0000_,09,265b31(00):つたの。偏屈なのと。信ぜぬのみか。誹謗迄をな
0000_,09,265b32(00):し。若申すは自力と云やうなる。邪義を聞ては。
0000_,09,265b33(00):勝手がよひ故。他力の底じやと。邪信を生じ。祈
0000_,09,265b34(00):念になる。祈禱になると。橫筋違にたらかせば。元
0000_,09,266a01(00):より娑婆に執著しきつて居ること故。たつとひ御談
0000_,09,266a02(00):義。有がたひ御説法じやと。涎を流して喜ぶなり
0000_,09,266a03(00):此聞聾の後世云何。必墮三惡の札付なり。明盲に
0000_,09,266a04(00):此失あらんや。慚るに足らぬ明盲をば慚て。慚て
0000_,09,266a05(00):も愧べく。悲みても悲しむべき。聞聾を。慚悲ま
0000_,09,266a06(00):ざるこそ。淺ましけれ云云
0000_,09,266a07(00):爾れば。此段を聞得ての得心は。本願に乘して往生
0000_,09,266a08(00):遂ると云は。念佛を唱へねばならぬこと。其唱ふると
0000_,09,266a09(00):云が。舌の動く位からは。皆稱名念佛で我唱ふる聲
0000_,09,266a10(00):の。我耳に入る位からは。高聲念佛の内なり。高聲
0000_,09,266a11(00):念佛十種の德は。業報差別經の説なれども。聲に出
0000_,09,266a12(00):すことのならぬ人は。心に六字を運ぶ念をなすをも。
0000_,09,266a13(00):稱名と云はるる。是を經意の念佛。意念の念佛と云
0000_,09,266a14(00):て。觀念憶念とは別なり。爾れども。聲に出して唱
0000_,09,266a15(00):へらるる者が。聲に出さひでも。よいと云ことではな
0000_,09,266a16(00):し。或は大病の人。或は瘖瘂の類ひ。或は君前の勤
0000_,09,266a17(00):仕する人。或は嫁娶の席にある人などのことなり。故
0000_,09,266b18(00):に。大師此ことを示し玉ひて。口に唱へ心に念ずる。同
0000_,09,266b19(00):じ名號なれば。いづれも往生の業となるべし。伹し
0000_,09,266b20(00):佛の本願は稱名とたて玉へる故に。聲に出すべきな
0000_,09,266b21(00):り。經には令聲不絶具足十念と説き。釋には稱我名
0000_,09,266b22(00):號下至十聲と判じ給へりと。あれば彌陀の本願に乘
0000_,09,266b23(00):ずるには。聲に出して唱ふることと落著して。必必心
0000_,09,266b24(00):念歸命など云に。紛らかされぬやうに用心すべし。
0000_,09,266b25(00):兎角此聲が佛の本願に乘ずると云が。肝要の得心。
0000_,09,266b26(00):夫れに付て。世間でも聲に出した所で。物の決定す
0000_,09,266b27(00):ること多し。往時。人王七十五代の天子崇德帝。事の
0000_,09,266b28(00):故ありて。四國讃岐へうつされ給ひたるに。いつし
0000_,09,266b29(00):か金殿樓閣は。丸木造りのわら屋とかはり。百官百
0000_,09,266b30(00):司の影たゆれば。さらでもわびしき配所なるに。初
0000_,09,266b31(00):杜鵑の聲を聞給ひて。頻りに。都慕はしく思召され
0000_,09,266b32(00):ければ。『なけばきく聞は都の戀しきにこの里すぎよ
0000_,09,266b33(00):山ほととぎす』。と詠じ給ひしに。この御製ありし後
0000_,09,266b34(00):は。讃州白峯の邊りには。杜鵑の鳴くことなしとぞ。
0000_,09,267a01(00):或書に。梅洞文集を引て。此御製を。順德院也と
0000_,09,267a02(00):いへども彼帝は。佐渡の國へ遷され給ひしこと。近
0000_,09,267a03(00):く御傳翼讃に。諸書を引けり。しかも白峯には。崇
0000_,09,267a04(00):德帝の御廟あれば。かたかた彼説は。誤りなるべ
0000_,09,267a05(00):し。
0000_,09,267a06(00):又八月十五夜に。空の曇りければ。賀茂の長明。『吹
0000_,09,267a07(00):はらへ我賀茂山のみねのあらし。こはなほざりの秋
0000_,09,267a08(00):のそらかは。』と詠じけれは。忽ち一陣の快風。賀茂
0000_,09,267a09(00):山の方より吹來て。雲吹拂ふて。さつはりと晴れた
0000_,09,267a10(00):りと。又後の名月九月十三夜の曇りたるに。住吉の
0000_,09,267a11(00):神主津守の國助。『よし曇れくもらは月の名やたてん
0000_,09,267a12(00):我身ひとりの秋の空かは。』と詠じたれば。忽ち雲晴
0000_,09,267a13(00):れしとなり。凡世間の月を見る程の人。一人として
0000_,09,267a14(00):曇るを嘆かぬはなけれども。思ふた計では晴れぬ。
0000_,09,267a15(00):聲に出して歌に詠だで雲が晴れた。何に况や。本願
0000_,09,267a16(00):の口稱名號を。聲に出して唱ふる者に於てをや。か
0000_,09,267a17(00):らいあくの四字合成の風で。妄念煩惱の雲霧も自ら
0000_,09,267b18(00):吹晴され。終には淸淨光佛の光明を拜見して。來迎
0000_,09,267b19(00):引接の大利益を得ること。一點の疑もなきことなり。今
0000_,09,267b20(00):其現證を示さば。往譽成易信士。俗名は田中左平。濃
0000_,09,267b21(00):州大垣の家士なり。生平殺生を好み。勤仕の暇には。
0000_,09,267b22(00):魚鳥をかり漁り。自ら肉味をむさぼるのみならず。人
0000_,09,267b23(00):に賣りて利を得ることをなせり。爾るに。左平か末子
0000_,09,267b24(00):に。七歳になる男子ありしが。宿世の善因やありけ
0000_,09,267b25(00):ん。寺院へ參詣し。禮拜念佛することをなす。父に似
0000_,09,267b26(00):ざる善人ぞと。人人奇特の思ひをなしける。あると
0000_,09,267b27(00):き。ふと煩ひつき。醫藥心をつくせども。更に其し
0000_,09,267b28(00):るしなし。今はかぎりと見へけるとき。父に向て。
0000_,09,267b29(00):私は唯今極樂へ參ります。我なき跡にて。我爲にも
0000_,09,267b30(00):御身の爲にも。必必殺生を止めてたべと。涙ととも
0000_,09,267b31(00):に遺言し。念佛數返となへ。眠るが如く息たへしか
0000_,09,267b32(00):ば。さしも強惡なる父も。小兒が遺言骨髓に徹せし
0000_,09,267b33(00):にや。直にありつる殺生の具を悉く破り捨。是より
0000_,09,267b34(00):ふつに殺生をやめ。佛道修行の志をたて。蓮生寺敬譽
0000_,09,268a01(00):上人。又可圓律師等を拜し。淨土の要法を聞き。日
0000_,09,268a02(00):課念佛三萬返を誓受し。孜孜として怠らず。爾るに。
0000_,09,268a03(00):明和六丑年五月。大熱病をやみて。口唇黑く焦れ。舌
0000_,09,268a04(00):は木石の如くすくみ。言語もわかりかねしかど。念
0000_,09,268a05(00):佛のみは高聲分明なり。其志の勇猛なること。猶是に
0000_,09,268a06(00):十倍せる苦みありとも。念佛は少しもゆるむまじき
0000_,09,268a07(00):氣色なりしとぞ。終に同月晦日朝五つ時。念佛と共
0000_,09,268a08(00):に息たゆぬ。其初七日にあたりぬる日。子息門平。
0000_,09,268a09(00):父が所持の紙入を見るに。他見無用と書き付たる一
0000_,09,268a10(00):封あり。母と共に是を開き見るに。自筆にて。明和
0000_,09,268a11(00):四亥年八月十五日。佛よりさづかる『唯たのめ賴む
0000_,09,268a12(00):心のあるならは。南無阿彌陀佛を聲にいだせよ。』往
0000_,09,268a13(00):譽成易と。したためありければ。命終より三年の前。
0000_,09,268a14(00):したしく佛の御告をうけられしことよと。母子とも感
0000_,09,268a15(00):喜して。彌念佛を進みしとぞ。成易無顧の惡人なり
0000_,09,268a16(00):しかども。愛子の遺言に改悔して。殺生を止め。念
0000_,09,268a17(00):佛の行者となり。まのあたり佛勅を蒙り。業事成辨
0000_,09,268b18(00):して。往生の素懷をとぐ。昇沈刹那にへだだり。苦
0000_,09,268b19(00):樂一念を違ふ。人人爰に心をつくべし云云。近世往生傳三出從
0000_,09,268b20(00):來阿彌陀如來の本願は。口稱念佛なるの義。經釋に
0000_,09,268b21(00):より。道理により。辨ぜし上。猶此成易に。親しき佛
0000_,09,268b22(00):勅にも。唯賴め賴むとならは。我本願の念佛を。聲に
0000_,09,268b23(00):出して申せと告玉ひて。決して事理の觀念にあづか
0000_,09,268b24(00):らざること見つべし。故に。大師今此遺誓に。もろこ
0000_,09,268b25(00):し。我てうにもろもろの智者達のさたし申さるる觀
0000_,09,268b26(00):念の念にもあらず。と拂ひ給へるなり。已上揀觀念
0000_,09,268b27(00):謬解の科を畢。
0000_,09,268b28(00):又學文をして。念の心をさとりて申念佛にもあら
0000_,09,268b29(00):ず。
0000_,09,268b30(00):此文は揀理解謬解の科なり。
0000_,09,268b31(00):念の心をさとりて。とあるけ證悟の義には非。解了
0000_,09,268b32(00):の義にて。念佛には如此道理あり。如此具德あり
0000_,09,268b33(00):と。解知解了するを。義解念佛と云なり。此こと大師
0000_,09,268b34(00):に委しき御示し。語燈錄に出たり。此三字の名號を
0000_,09,269a01(00):ば。諸宗各各我宗に釋し入たり。眞言には。阿字本
0000_,09,269a02(00):不生の義。四十二字を出生せり。阿字は。一切音聲諸敎の本なり。口を開けば皆阿
0000_,09,269a03(00):の聲あり。故に衆聲の母とす。本不生とは一切の言語は因縁より生じて。自性なし。自性なきが故に。本不生なり。四十二字等とは。大品經に
0000_,09,269a04(00):出て。阿囉波遮那等の四十二字を説く。此四十二字は。一切の字の根本なり。其中に阿字亦根本なり一切の法門。
0000_,09,269a05(00):は阿字をはなれたる事なきが故に。功德甚深の名號
0000_,09,269a06(00):なりといへり。一切根本の阿字を以。名號とし給へる。阿彌陀如來なれば。一切諸善の積集。功德圓滿の名號と云
0000_,09,269a07(00):となり。天台には空假中の三諦。諸法は自性なしと觀ずる。是れ空諦觀なり。爾れども假相なき
0000_,09,269a08(00):に非。是れ假諦觀なり。實に心體をたづぬるに。絶て空なるにも非。偏に假なるにもあらす。唯是不思議の妙處なりと觀す。是れ中諦觀なり。
0000_,09,269a09(00):正了縁の三義。正了縁とは。三佛性なり。正因佛性とは衆生所具の佛性なり。了因佛性とは。菩提の智慧問法受
0000_,09,269a10(00):持修習して。所具の智慧を開發するを云。縁佛性とは。彈指散華等の功德によつて。無始巳來の一切善根。一時に開發するを云。法報
0000_,09,269a11(00):應の三身。法身とは。眞如平等。性相常然。身土無礙なるを云。報身とは。因を修して報を感じ。相好無盡。壽命無盡な
0000_,09,269a12(00):るを云。應身とは智體大用を起し。機に隨て普く現じ。説法利生し給ふを云。如來所有の功德。是を
0000_,09,269a13(00):阿彌陀の三字なり出ざるが故に。功德莫大といふ。如是諸宗に。
0000_,09,269a14(00):各各の我存る處の法に就て。阿彌陀の三字を釋せり。
0000_,09,269a15(00):今我宗の心は。眞言の阿字本不生の義も。天台の三諦
0000_,09,269a16(00):一理の法も。三論の八不中道の旨も。不生不滅不常不斷等の。八不の法門
0000_,09,269a17(00):を以。一切の著を拂ふて。中道を悟るなり。法相の五重唯識の意も。法相宗觀門の次第なり。萬法唯
0000_,09,269b18(00):識と悟るに。五重の觀あり。總じて森羅の萬法廣く是を攝すと習ふ。
0000_,09,269b19(00):極樂界にもれたる法門なきが故なり。從來は念佛に
0000_,09,269b20(00):付て。諸宗の義解と。淨土門の義解をならべ擧げて。
0000_,09,269b21(00):諸宗の義解は。唯其一宗の肝要に釋し入るる故に。
0000_,09,269b22(00):其義狹く。淨土門に於ては。一切諸宗の肝要の法門
0000_,09,269b23(00):はもとより。森羅の萬法。悉く名號中に含藏すると
0000_,09,269b24(00):立る故に。至て廣博なり。されば。大師大原に於て。
0000_,09,269b25(00):三百餘人の智者學匠達に對して。萬善玅體即名號
0000_,09,269b26(00):六字恒沙功德備口稱一行と仰せられたる。即ち此
0000_,09,269b27(00):義趣なり。大師さの如。諸法超過を募り給ふ。其證
0000_,09,269b28(00):はと云はば。楞伽經曰十方諸刹土衆生菩薩中所有法
0000_,09,269b29(00):報佛化身及變化皆從無量壽極樂界中出と是れ其證
0000_,09,269b30(00):なり。さて右の如。諸宗の人師と我大師と。念佛の
0000_,09,269b31(00):具德を解知解了し給ふに。具德の廣狹はあれども。
0000_,09,269b32(00):共に是義解なり。爾らば。念のこころをさとりて申
0000_,09,269b33(00):と遮し給ふに。齟齬するに非ずやと云に。同じく義
0000_,09,269b34(00):解なれども。所望不同なり。今諸師の義解を拂ひ給
0000_,09,270a01(00):ふは。若し名號の義理を解知せずして。唯念佛する
0000_,09,270a02(00):計にては。往生せずと存するを。拂ひ給ふなり。夫
0000_,09,270a03(00):彌陀如來の本願は。諸佛超世の大悲より。本爲凡夫
0000_,09,270a04(00):兼爲聖人とて。尤不學文盲なる者を。目的として。
0000_,09,270a05(00):建て給へる本願に。何ぞ義解念佛を誓ひ給はんや。
0000_,09,270a06(00):故に。大師ただし今彌陀本願の意は。かくのごとくさ
0000_,09,270a07(00):とれとにはあらず。ただふかく信心をいたしてとな
0000_,09,270a08(00):ふる者を迎へんとなり。との玉へるに知るべし。又
0000_,09,270a09(00):大師今の御法語に。諸宗に對して。名號具德の超勝
0000_,09,270a10(00):を募り給ふことは。立宗の習ひ。自他敎相の差別を知
0000_,09,270a11(00):らずば。何に依て此法門を流通せんや。故に能化た
0000_,09,270a12(00):らん者は。宗義を解了せずんばあるべからず。され
0000_,09,270a13(00):ども此解知解了の功を以。往生するには非。されば
0000_,09,270a14(00):聖道門は。學びたるを物だて。淨土門は。學びたる
0000_,09,270a15(00):を物だてざるなり。此ことを心得るには。大師の御法
0000_,09,270a16(00):語に。年ころ習ひたる智慧は。往生の爲には要にも
0000_,09,270a17(00):たつべからず。されども習ひたるしるしには。かく
0000_,09,270b18(00):のごとく知りたるははかりなき事なり。と仰られた
0000_,09,270b19(00):るにて知べし。かくの如く知りたるとは。學びたる
0000_,09,270b20(00):功にて。解知解了は往生の要には非。往生は唯大悲
0000_,09,270b21(00):本願にて。遂ると云道理を知りたるは。淨土往生の
0000_,09,270b22(00):法門の故實なれば。量りなき喜ぴなりと。仰せられ
0000_,09,270b23(00):たるなり。此往生の故實。本願大悲の徹底の顯はれ
0000_,09,270b24(00):たるが。唐土に於ては。善導大師。古今訛謬を楷定
0000_,09,270b25(00):し給ひ。我朝に於ては。元祖大師。本願念佛は口稱
0000_,09,270b26(00):にして。觀念にも非。理解にも非ずと。古來の謬解
0000_,09,270b27(00):を一洗し給へるなり。又文にもろこし我てうのもろ
0000_,09,270b28(00):もろの智者達と仰られたれば。諸師は大師より先輩
0000_,09,270b29(00):なり。爾るに總結の文に。滅後の邪義を防ぐ爲とあ
0000_,09,270b30(00):りて。起請誓言に及び給ふも此爲なり。さらば何ぞ
0000_,09,270b31(00):當時の邪説をこそ。詮に拂ひ玉ふべき。其ことなきは。
0000_,09,270b32(00):開結不應に非ずやと云に。爾らず。是則大師意匠の
0000_,09,270b33(00):妙處なり。其本を斷ては。枝葉は自ら枯るるの道理
0000_,09,270b34(00):にて。古來の謬りも。安心起行を誤るの外なく。後
0000_,09,271a01(00):世の邪義不正義も。安心起行を僻解するの外なけれ
0000_,09,271a02(00):ば。古來訛謬の本を斷ちて。滅後枝葉の邪義を。防
0000_,09,271a03(00):ぎ給ふの妙案なり。其所以は。既に大師の御在世の
0000_,09,271a04(00):中より。他宗に闇推の邪徒ありて。大師も實は觀念
0000_,09,271a05(00):理持の甚深なる念佛を本意とし給へども。無智の劣
0000_,09,271a06(00):機の及ばさることなれば。彼等に結縁の益を與へん爲
0000_,09,271a07(00):の。方便なりと云類あり。又御滅後に一遍上人の。
0000_,09,271a08(00):思經念佛共是地獄㷔心本源自然無念也 無念作用
0000_,09,271a09(00):唯南無阿彌陀佛唱ふれは佛も我もなかりけり。南無
0000_,09,271a10(00):阿彌陀佛の聲ばかりして。などど云類は。觀念の念
0000_,09,271a11(00):にも非と。仰られたるにて拂ひ盡し給へり。又。大
0000_,09,271a12(00):師御在世の中より芽し。御滅後に盛んになりし。成
0000_,09,271a13(00):覺法本及び綽空が。六字の姿を心得わけて。信心了
0000_,09,271a14(00):解の端的に。往生が顯現するなどど云は。念の心を
0000_,09,271a15(00):悟りて申念佛にも非と。仰せられたるに拂ひ盡され
0000_,09,271a16(00):たり。見べし其本の訛謬を擧て。枝葉の邪義を拂ひ
0000_,09,271a17(00):盡し玉ふ。巧玅の御遺訓。仰ひで信受し奉るべきな
0000_,09,271b18(00):り。爾れば元祖大師の正流を汲。順次往生と志す。
0000_,09,271b19(00):專修の行者は。古來の謬解。末代の邪義。一切心さ
0000_,09,271b20(00):ばくりにかかりあふ念佛は。皆本願に背くぞと云こと
0000_,09,271b21(00):を。訖度思ひ定め。本願口稱の正意を守り。順次往
0000_,09,271b22(00):生の大益を得べし。斯く决著しての上には。若し此
0000_,09,271b23(00):本願念佛と云が。觀念じやの理解じやのと云念佛な
0000_,09,271b24(00):らば。所詮我等が分で往生と云は。思ひ絶へたること
0000_,09,271b25(00):ぞと云所を。思ひめぐらして。專修のはげみに備ふ
0000_,09,271b26(00):べ―。此こと一の事實を擧て示さば。『昔し唐土趙宋の
0000_,09,271b27(00):第四主仁宗皇帝の世に。邵康節先生とて。易學に達
0000_,09,271b28(00):せし人あり。されども猶研究にあくことなき心より。
0000_,09,271b29(00):或老翁の易に妙あることを聞て尋ね行案内しければ。
0000_,09,271b30(00):妻女の云。家人今は亡びたり。但し遺書一冊あり。
0000_,09,271b31(00):遺言して曰。某年某月某日某時。一人の秀才。吾家
0000_,09,271b32(00):に來るべし。其時此書を渡すべしと。申候ひしとて。
0000_,09,271b33(00):是を出す。則易書なり。先生則此書を以。此家を卜
0000_,09,271b34(00):して曰。汝の臥す床の下に。白金一壺あるべし。是
0000_,09,272a01(00):を以喪のことを營むべしと敎ゆ。其詞に從ふて是を堀
0000_,09,272a02(00):るに。則許多の白金を得たりと。今是を法に合せば。
0000_,09,272a03(00):金を床下に埋み置し老翁は。口稱本願を建て給へる
0000_,09,272a04(00):阿彌陀如來の如。後に來て覆藏ありと占ひし邵康節
0000_,09,272a05(00):は。宗祖大師の如。敎に隨ふて床下を堀。金を得た
0000_,09,272a06(00):る妻子は。念佛の行者の如。此女房や子の金を堀る
0000_,09,272a07(00):に。之乎者也。分別はいらぬ。唯邵康節の敎へを信
0000_,09,272a08(00):じて。鍬もて土を堀りし計で。多くの金を得たるな
0000_,09,272a09(00):り。今我人も其如く。此御遺誓の觀念にもあらず。
0000_,09,272a10(00):義解にもあらず。本願念佛は口稱とて。口にまかせ
0000_,09,272a11(00):て唱ふることぞとあるを信じて。分分に唱へてだにあ
0000_,09,272a12(00):れば。順次に報土に往生を遂げ。三明六通無礙自在。
0000_,09,272a13(00):無量無邊の功德を備へし。大福祐の菩薩となるなり。
0000_,09,272a14(00):已上本文五科の第一揀謬解の下觀念義解の二謬を
0000_,09,272a15(00):拂ひ給ふ下を畢
0000_,09,272a16(00):
0000_,09,272a17(00):一枚起請講説卷上終
0000_,09,272b18(00):一枚起請講説卷下
0000_,09,272b19(00):
0000_,09,272b20(00):唯往生極樂の爲には。南無阿彌陀佛と申て。疑な
0000_,09,272b21(00):く。往生するぞと思ひとりて申外には別の子細候
0000_,09,272b22(00):はず。
0000_,09,272b23(00):本文五科ある内。第一揀謬解の段を。前席に談じ
0000_,09,272b24(00):畢りて。今席より第二示本願念佛正義と云段なり
0000_,09,272b25(00):此段は淨土一宗の骨目にして。總じて云へば。三經
0000_,09,272b26(00):一論五部九卷。別して云へば。此一枚起請文の肝要。
0000_,09,272b27(00):此一句に窮るなり。されば前後の諸段は。皆此一段
0000_,09,272b28(00):の爲の設けなり。其故は前の段に。觀念義解を揀び
0000_,09,272b29(00):玉へるも。此段の本願口稱の宗骨を。表はさんが爲
0000_,09,272b30(00):なり。次の段に。三心四修も籠り候との玉へるも。
0000_,09,272b31(00):此一段の内に皆備るとの意なり。又其次の起請文も。
0000_,09,272b32(00):此一段の安心起行の外に。別の奧深きことを存じ玉は
0000_,09,272b33(00):ずとの御誓言なり。又其次に智をすて愚に還りて。
0000_,09,272b34(00):唯一向に念佛すべしとの玉ふも。唯往生極樂の爲な
0000_,09,273a01(00):らは。初段の觀念義解をば捨て。此段の無解稱名に
0000_,09,273a02(00):決心して。ただ一向に願行具足の念佛を相續すべし
0000_,09,273a03(00):と結勸し玉へるなり。如此見れば。一編の文段脈絡
0000_,09,273a04(00):貫通し。文に歸趣ありて意味窮りなし。然れば前後
0000_,09,273a05(00):の諸段は。皆此段の爲なれば。唯此一段のみ。實に
0000_,09,273a06(00):篇中の骨髓なり。行者深く思を染めて。ゆめゆめ忽
0000_,09,273a07(00):緖なること勿れ。先一應文義を辨じて。細旨は次に談
0000_,09,273a08(00):ぜん。
0000_,09,273a09(00):唯往生極樂の爲には。唯とは。唯識述記曰唯伹不
0000_,09,273a10(00):借餘縁云云。今の意は。抑此起請文の。本願念佛と
0000_,09,273a11(00):云は。何の爲ぞと云に。餘の爲でない。唯往生極樂
0000_,09,273a12(00):の爲なり。餘の爲とは。念佛に就ても。種種の爲に
0000_,09,273a13(00):する。念佛がありて。天台には止觀の念佛とて。妄
0000_,09,273a14(00):念を止める爲の念佛があり云云。又律家には。好相感
0000_,09,273a15(00):得を求むる念佛があり云云。或は祈念祈禱息災延命
0000_,09,273a16(00):の爲の念佛等の。種種の念佛があるなり。如是一切
0000_,09,273a17(00):餘の爲にする念佛を拂ひ捨て。唯往生極樂の爲の念
0000_,09,273b18(00):佛ぞと。ゑらぶ意なり。
0000_,09,273b19(00):往生とは。捨此往彼の義なれば。總して何れの趣へ
0000_,09,273b20(00):生を受るにも。通ずる言なれ共。言總意別とて。餘
0000_,09,273b21(00):趣へ生るるをば。往生と云はず。往生と云へば。淨
0000_,09,273b22(00):土へ生るることになるなり。
0000_,09,273b23(00):三惡道へ生ずるをば。沉淪墮落等と云。人天へ生
0000_,09,273b24(00):るをば。受生等と云。又他佛の淨土兜卒等は。夫
0000_,09,273b25(00):れ夫れへ往生とことはる。唯往生と計云ときは。
0000_,09,273b26(00):三歳の兒童も。極樂と知る。是自然と極樂の超勝
0000_,09,273b27(00):又娑婆に因縁深きこと可知。
0000_,09,273b28(00):さて此往生の文字の。出處はと云へば。法華經中。
0000_,09,273b29(00):藥王菩薩本事品に。即往安樂世界。阿彌陀佛。大菩
0000_,09,273b30(00):薩衆。圍繞住處。生蓮華中。寳座之上。とある是な
0000_,09,273b31(00):り。
0000_,09,273b32(00):日徒極樂を謗ず。己が依經を毀謗す。可憐云云。
0000_,09,273b33(00):爾れば。往生極樂の爲とは。此穢惡充滿の國界を捨
0000_,09,273b34(00):離して。彼微玅莊嚴。但受諸樂の淨土に。往生する
0000_,09,274a01(00):爲と云ことなり。
0000_,09,274a02(00):南無阿彌陀佛と申て。上の唯往生等とは。安心。こ
0000_,09,274a03(00):の南無阿彌陀佛と申てとは。起行を示し玉ふなり。
0000_,09,274a04(00):此上にも。唯と云字を付て見る。往生極樂の爲には。
0000_,09,274a05(00):唯南無阿彌陀佛と申てと云意なり。是に餘行を簡ぶ
0000_,09,274a06(00):意と。上の謬解に對するとの。二意あり。往生極樂
0000_,09,274a07(00):の行に於て。外の行一つも修し交ゆるは。還て障り。
0000_,09,274a08(00):唯南無阿彌陀佛と申て。是餘行を簡ぶ意なり。又觀
0000_,09,274a09(00):念の學文のと。餘の事はいらぬ。唯南無阿彌陀佛と
0000_,09,274a10(00):て。是上の觀念義解に簡ぶ意なり。獨立口稱の專修
0000_,09,274a11(00):一行。貴きの窮りなり。
0000_,09,274a12(00):疑なく往生するぞと思とりて。是亦安心を示し玉ふ
0000_,09,274a13(00):なり。是にも又唯の字を添て見るがよし。念佛の安
0000_,09,274a14(00):心は。唯疑なく往生がなると思ひ取計で。餘に六か
0000_,09,274a15(00):しい意得は無ひなり。此思ひ取と云が。安心決定の
0000_,09,274a16(00):義なり。されば一所の御法語に。人の手より物を得
0000_,09,274a17(00):たると。未得ざるとは其違ひあるなり。我はすでに
0000_,09,274b18(00):得たる心地にて申ぞと。仰られたり。されは念佛の
0000_,09,274b19(00):行者は。南無阿彌陀佛と。唱ふる聲につきて。往生
0000_,09,274b20(00):は我手の中に入れたる如く。决定の思ひをなすべし。
0000_,09,274b21(00):心地の二字にて往生すみたりと云。一念義の邪立を。知るべし云云
0000_,09,274b22(00):申外には別の子細候はず。是は行相を示すとて。念
0000_,09,274b23(00):佛の申樣を示し玉ふなり。是にも亦唯の字を添て。
0000_,09,274b24(00):念佛はどのやうに申すがよいぞ。唯申すより外には。
0000_,09,274b25(00):別の子細なひが申方なり。別の子細とは。信の淺深。
0000_,09,274b26(00):妄念の起不起等に滯るを云なり。故に一所の御法語
0000_,09,274b27(00):に。疑はざる心になりおふせぬるとは。唱る外に別
0000_,09,274b28(00):の子細なし。子細なき所に子細をつくる時。往生の
0000_,09,274b29(00):道には迷ふなり。已上爾れば。此申外に別の子細なし
0000_,09,274b30(00):と。决著するに過たる肝要はなきなり。斯く心得る
0000_,09,274b31(00):が。本願の所詮なり。安心起行の正意。順次往生の
0000_,09,274b32(00):故實なり。
0000_,09,274b33(00):夫大師鶴林に望んで。唯往生極樂の爲には。南無阿
0000_,09,274b34(00):彌陀佛と申て等。と遺訓し玉ふ。本願念佛の深旨を
0000_,09,275a01(00):知んと欲せば。先一宗の大旨を明むべし。大凡淨土
0000_,09,275a02(00):宗に立る所は。如來一代の敎法。大小權實。區に別
0000_,09,275a03(00):れたりと云へども。其要を論ぜは。唯二種なり。一
0000_,09,275a04(00):には聖道門。此は是自力を以。戒定慧の三學を勵ま
0000_,09,275a05(00):し。此娑婆穢土にありて。佛道を成就す。爾るに。
0000_,09,275a06(00):此土は惡縁障礙多きが故に。十に八九は退く。是の
0000_,09,275a07(00):故に。此門を難行道と名く。二には淨土門。是即ち
0000_,09,275a08(00):他力に依て。仰で佛願を信じ。伏して名號を唱れば。
0000_,09,275a09(00):十は十乍ら。淨土に往生して。速に無上菩提を證得
0000_,09,275a10(00):す。されば彼國は如來の願力。別業の所感なれは。
0000_,09,275a11(00):唯善縁のみなるが故に。進む計にして。さらに退く
0000_,09,275a12(00):ことなし。故に此門を易行道と名く。然は則。聖道門
0000_,09,275a13(00):は。上代正像の兩時。尚以難行なり。何に况や末法
0000_,09,275a14(00):をや。是故に。愚癡迷亂の凡夫は。依行するによし
0000_,09,275a15(00):なし。淨土の一宗は。末法の濁世も。亦是易行なり
0000_,09,275a16(00):何に况や上代をや。是故に。五逆謗法の惡人も。稱
0000_,09,275a17(00):念すれば。同く往生を得。ここを以。聖道門を捨て
0000_,09,275b18(00):て淨土門を取。
0000_,09,275b19(00):此一重は。安樂集に依て。敎相と定めて。選擇集
0000_,09,275b20(00):第一章 擧玉へり。
0000_,09,275b21(00):さて。此淨土門に就て。十方に淨土あれども。九方
0000_,09,275b22(00):を捨てて。西方を取。
0000_,09,275b23(00):此一重は。觀經の光臺現土。又十方淨土隨願往生
0000_,09,275b24(00):經の意なり。
0000_,09,275b25(00):又西方極樂往生の行に。正行あり。雜行あり。雜行
0000_,09,275b26(00):を捨てて。正行を取。
0000_,09,275b27(00):雜行とは。行體。人天三乘等に。通ずるが故に。
0000_,09,275b28(00):雜行と云。爾るに彌陀の本願。並に三經の所説は。
0000_,09,275b29(00):純一西方往生の。正因正行にして。人天三乘等の。
0000_,09,275b30(00):通行に非る故に。正行と云。されば其雜行には。
0000_,09,275b31(00):十三の失あるが故に。是を捨。正行には。十三の
0000_,09,275b32(00):得あるが故に。是を取。
0000_,09,275b33(00):又此正行に就て。助業あり。正定業あり。助業を傍
0000_,09,275b34(00):にして。正定業を取。
0000_,09,276a01(00):此二重正雜助正は。觀經の疏。散善義に出たり。已上は。
0000_,09,276a02(00):選擇集。及び御傳。語燈錄等に見ゆ。
0000_,09,276a03(00):其正定業とは。則是此本願念佛なり。本願の念佛を。
0000_,09,276a04(00):正定業と云ことは。阿彌陀佛の因位。法藏菩薩の時。諸
0000_,09,276a05(00):佛國土の。萬善萬行の中に於て。難を捨て易を取。
0000_,09,276a06(00):麤を捨て妙を取。惡を捨てて善を取り。有漏の人天
0000_,09,276a07(00):に生ずる。不淸淨の行を選び捨て。唯淨土往生成佛
0000_,09,276a08(00):の妙行を選び取。念佛一行を。正しき極樂往生の。
0000_,09,276a09(00):正因正行と定めて。本願に立玉ふ故に。是を唱へて。
0000_,09,276a10(00):往生を願ふ者は。正しく佛の本願に順して。十即十
0000_,09,276a11(00):生。百即百生。萬に一も失せず。决定して往生する
0000_,09,276a12(00):が故に。是を正定業とは云なり。此義を導師の釋文
0000_,09,276a13(00):を引て。委曲に釋成し玉へるが。選擇集の三章段に
0000_,09,276a14(00):て。即ち標目にも。阿彌陀如來。不以餘行爲往
0000_,09,276a15(00):生本願唯以念佛爲往生本願之文。と題し玉ひ
0000_,09,276a16(00):て。文中には即今選捨前布施持戒乃至孝養父母等
0000_,09,276a17(00):諸行而唯偏選取念佛一行爲往生本願已上記主决
0000_,09,276b18(00):疑鈔に。是を釋して。定雖凝心理雖深微大心大
0000_,09,276b19(00):行心行雖勝律義孝道雖貴望佛之本願念佛獨秀
0000_,09,276b20(00):已上亦曰唯口稱一行獨順佛願故萬行中唯以念佛
0000_,09,276b21(00):爲正業也云云。選擇集。正雜助正を。廣く分別して。
0000_,09,276b22(00):選捨選取し玉へり。今此文は。詮に就き要を取て。
0000_,09,276b23(00):唯正定業の。稱名を遺訓とし玉へり。されば。選擇
0000_,09,276b24(00):と此文は。開合の異にして。たたみし扇は。此文の
0000_,09,276b25(00):如。開きし扇は。選擇集の如し。されば。開く扇の
0000_,09,276b26(00):選擇集には。往生之業念佛爲先と。念佛を以て宗門
0000_,09,276b27(00):を開き。たたむ扇の。此一枚起請文には。唯往生極
0000_,09,276b28(00):樂の爲には。一向に念佛すべしと。專修念佛を以。
0000_,09,276b29(00):御遺訓となし給へるものなり。依てまたの御法語に
0000_,09,276b30(00):は。念佛の聲する所は。海人漁人が苫屋迄も。予が
0000_,09,276b31(00):遺跡なり。との給へり。されば。念佛の聲する所が。
0000_,09,276b32(00):御遺跡となれば專修念佛せざれば。いかなる玉の床
0000_,09,276b33(00):を飾りても。御遺跡には非るなり。既に宿業つたな
0000_,09,276b34(00):く。いぶせき苫屋の住居をなし。宿因拙く。物の命を
0000_,09,277a01(00):殺害する罪人なれども。專修念佛するときは。元祖
0000_,09,277a02(00):大師の。御遺跡となれば。鎭西國師。勢觀上人に。
0000_,09,277a03(00):ひとしめられ奉ること。實に恐れ多き。大果報に非や。
0000_,09,277a04(00):熟思すべし云云。上來の通。唯往生極樂の爲に。南無
0000_,09,277a05(00):阿彌陀佛と申て。疑なく往生するぞと思ひ取て。別
0000_,09,277a06(00):の子細さへなければ。往生を遂る。若し別の子細を
0000_,09,277a07(00):付ると。往生を仕損ずる。爾れば。此こと一大事なる
0000_,09,277a08(00):ことなれば。委く辨ずべし。先其別の子細の害あること。
0000_,09,277a09(00):當段には。唯別の子細候はずとのみ。仰られたれば。
0000_,09,277a10(00):義は。殘る所なく。含んであれども。其詞穩なれば。
0000_,09,277a11(00):初心の人は。左程の害あることと。知り難ければ。其
0000_,09,277a12(00):害を擧て。示し玉ひたる。御法語を云はば。本願の
0000_,09,277a13(00):念佛には。ひとりだちをせさせて。すけをささぬな
0000_,09,277a14(00):り。すけといふは。智慧をもすけにさし。持戒をも
0000_,09,277a15(00):すけにさし。道心をもすけにさし。慈悲をもすけに
0000_,09,277a16(00):さすなり。今四種のすけを擧て。餘は準知せしめ給
0000_,09,277a17(00):ふ。此すけと云と。別の子細と云は。同じことなり。
0000_,09,277b18(00):先智慧は利劒にたとへて。煩惱繫縛の繩を。截斷し
0000_,09,277b19(00):て。成佛に至るの功能あれば。我如智慧ありて念佛
0000_,09,277b20(00):せば。往生すべし。無智にては念佛すとも。往生な
0000_,09,277b21(00):らじと。智慧をすけにさし。又戒は却惡の先陣。三
0000_,09,277b22(00):學の隨一なれば。我如く持戒ならばこそ。無戒破戒
0000_,09,277b23(00):にては。念佛すとも往生はならじと。持戒をすけに
0000_,09,277b24(00):さし。又道心とは。たまたま本願の忝さに。身の毛
0000_,09,277b25(00):もいよだち。涙のこぼるることもあれば。如此にてこ
0000_,09,277b26(00):そ往生せめ。たとひ念佛すとも。無道心にては。往
0000_,09,277b27(00):生ならじと。道心をすけにさし。慈悲はもとより。
0000_,09,277b28(00):佛道の基本なれば。わづかに慈悲善根をもなせば。
0000_,09,277b29(00):かくてこそ往生すべし。念佛申すとも。無慈悲にて
0000_,09,277b30(00):は。往生ならじと。慈悲をすけにさす。是等は皆。
0000_,09,277b31(00):本願念佛に。獨り立をさせず。機のよしあしに滯り
0000_,09,277b32(00):て。我から往生を得ざるなり。故に是を誡めて。次
0000_,09,277b33(00):に。すけささぬ。正義を示して。善人は善人ながら
0000_,09,277b34(00):念佛し。惡人は惡人ながら念佛して。ただ生れつき
0000_,09,278a01(00):のままにて。念佛する人を。念佛にすけささぬとは
0000_,09,278a02(00):云なりと。これすけささぬ姿なり。總て淨土の法門
0000_,09,278a03(00):は。偏に大悲本願の。他力に引立られて往生し。機の
0000_,09,278a04(00):善惡の沙汰はなし。されば。善人に。惡人になれとも。
0000_,09,278a05(00):惡人に。善人になれとも敎へず。唯善惡男女の其身其
0000_,09,278a06(00):儘。唱だにすれば往生と决著して。必必念佛にすけ
0000_,09,278a07(00):さすな。別の子細を存ずるなとの。御遺訓なれば。
0000_,09,278a08(00):心腑におさめて。忘るることなかれ。已上本文に五科
0000_,09,278a09(00):ある。第二示本願念佛正義の科を畢。
0000_,09,278a10(00):但し三心四修と申事の候は。皆决定して。南無阿
0000_,09,278a11(00):彌陀佛にて往生するぞと。思ふ内にこもり候なり。
0000_,09,278a12(00):此段は。本文に五科ある。第三伏難通なり。伏難通
0000_,09,278a13(00):とは。他の難ずべきを。斯云道理故。難とすべきこと
0000_,09,278a14(00):に非と。先きへ理り通じ置なり。其他の難すべきと
0000_,09,278a15(00):云は。左の如く。一向に別の子細なしとは云れまい。
0000_,09,278a16(00):三心四修等の法門は。念佛の行者の。知らずんばあ
0000_,09,278a17(00):るべからざることなればこそ。觀經には。具三心者。
0000_,09,278b18(00):必生彼國と説き。善導大師は。若少一心。即不得生
0000_,09,278b19(00):と判じ。猶御自身も。既に選擇集第八章の題文には。
0000_,09,278b20(00):念佛行者必可具足三心之文と標して。引文問答決
0000_,09,278b21(00):著し玉ひ。又常の御法語にも。淨土宗の大事は。三
0000_,09,278b22(00):心の法門にあるなり等。と示し玉ひ。又往生禮讃に。
0000_,09,278b23(00):四修を釋し玉ふ。選擇集の第九章に。念佛行者可
0000_,09,278b24(00):行用四修法之文と題して。禮讃の文を引用して。
0000_,09,278b25(00):微細に判釋し玉ふに非や。爾らば。何ぞ一向に別の
0000_,09,278b26(00):子細なしと云べきや。と云疑難ある故に。此疑を拂
0000_,09,278b27(00):ふ爲に。但し三心四修等と。通じ玉ふなり。其意は。
0000_,09,278b28(00):今別の子細なしと云は。其三心四修は。宗門の所用
0000_,09,278b29(00):に非と云には非。本願は口稱一行往生の爲と志し
0000_,09,278b30(00):て。南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と唱へてだに居れば。往生する
0000_,09,278b31(00):と決定して。申念佛には三心も四修も。皆籠るぞと
0000_,09,278b32(00):云の義なり。今更に。三心四修の一一籠る義趣を示
0000_,09,278b33(00):さば。念佛の行者。名利の爲にせず。唯往生極樂の
0000_,09,278b34(00):爲と思ふは至誠心。申せば必極樂に迎へ玉ふぞと打
0000_,09,279a01(00):任せたるは深心。申す念佛を。悉く往生の爲と。ふ
0000_,09,279a02(00):りむけるは回向心。又四修のこもる義趣を云はば。
0000_,09,279a03(00):申せ助んとあるを。謹んて脇平見ず。つとむるは恭
0000_,09,279a04(00):敬修。餘行を修し交へざるは無餘修。餘行等を以間
0000_,09,279a05(00):てず。相續するは無間修。一期退轉せず。唱ふは長
0000_,09,279a06(00):時修見つべし。唯往生の爲に。南無阿彌陀佛と。唱
0000_,09,279a07(00):ふる内には。三心四修。皆悉く籠るなり。此事たと
0000_,09,279a08(00):へば。旅行するに。家もなく。食物も所持せざれど
0000_,09,279a09(00):も。路用金さへ持てば。宿所も食事も。一切萬事。
0000_,09,279a10(00):皆悉く金子にて調ふ如く。唯往生の爲に。申す念佛
0000_,09,279a11(00):の中には。三心も四修も。一切諸善萬行の功德も。
0000_,09,279a12(00):皆悉くこもるなり。さて此三心四修等。殘りなく南
0000_,09,279a13(00):無阿彌陀佛と。唱ふる中に籠ると云は。淨土門の一大
0000_,09,279a14(00):事の習ことなれば。大師殊更。二祖國師へ。御相傳あ
0000_,09,279a15(00):りし。其文に云。善導の釋を拜見するに。源空が目
0000_,09,279a16(00):には。三心も南無阿彌陀佛。四修も南無阿彌陀佛。
0000_,09,279a17(00):五念も南無阿彌陀佛と見ゆるなり。と傳へ玉へり。
0000_,09,279b18(00):其善導の釋とさし玉へるは。禮讃の序に三心四修五
0000_,09,279b19(00):念等を釋し畢て。文殊般若經を引て。口稱一行三昧
0000_,09,279b20(00):に。結歸し玉ひての御釋に。若能如上念念相續畢
0000_,09,279b21(00):命爲期者十即十生乃至雜修不至心者千中無一決釋し
0000_,09,279b22(00):玉へる是なり。元祖大師。導師の素意を得玉へる故
0000_,09,279b23(00):源空が目には。との玉ひて。餘師に此處へ御手の屆
0000_,09,279b24(00):かぬことを顯し玉へり。導師も又此ことを。甚歡び思し
0000_,09,279b25(00):召せばこそ。幾度か來現證誠し玉へり。此こと譬へば
0000_,09,279b26(00):騏驥一日に千里行く名馬伯樂秦の穆公の臣。名は孫陽。字は伯樂。よく馬を相す。我朝に馬毉に名くるも。もと是に
0000_,09,279b27(00):よるなり。を見て。嘶と云がごとし。古來の諸師の。素意を
0000_,09,279b28(00):探り得ずして。願非願の差別もなく。能含所含の分別
0000_,09,279b29(00):に暗く。結歸一行三昧の。蘊奧に至らずして。聖淨二
0000_,09,279b30(00):門。混雜の了簡をなし玉ふは。一日に千里行く騏驥に
0000_,09,279b31(00):鹽車のしほ車。ひかせるやうなものなれは。導師の
0000_,09,279b32(00):御意に叶はず。爾るに。元祖大師導師の素意をさと
0000_,09,279b33(00):り。大悲本願の。徹底を盡し玉ひたれば。騏驥が伯樂
0000_,09,279b34(00):を見て嘶し如く。汝能我道を弘通するとて眞葛原の
0000_,09,280a01(00):御來現。勝尾寺への御影向。猶此證誠を末世の者に。
0000_,09,280a02(00):信じ易からしめんとて。兩祖對座の御影を障子の腰
0000_,09,280a03(00):板にうつし止め玉ふ。
0000_,09,280a04(00):二階堂第一の寳物にて。今猶現に。彼寺に安置し
0000_,09,280a05(00):奉るなり。
0000_,09,280a06(00):爾れば。今南無阿彌陀佛と申内に。三心四修。皆籠
0000_,09,280a07(00):ると仰られたるも。奧圖の傳と。言別意同にて。全く
0000_,09,280a08(00):善導に據て。本願念佛の徹底。無極の蘊奧を。發し
0000_,09,280a09(00):玉へる所なれば。平生には。第二代の祖。鎭西上人
0000_,09,280a10(00):へ。奧圖の傳とて傳へ玉ひ。今御臨末の御遺訓には
0000_,09,280a11(00):唯往生極樂の爲には。南無阿彌陀佛と申て。疑ひな
0000_,09,280a12(00):く。往生するぞと思ひとりて。申外には。別の子細
0000_,09,280a13(00):候はずと示し。猶其上にも。小ざかしき者の疑をな
0000_,09,280a14(00):して。口稱一行と。ひしと思ひ付かぬ。いたづらも
0000_,09,280a15(00):のや。出來んかと。其難迄を。兼て通して。伹し三
0000_,09,280a16(00):心四修と申事の候は。皆決定して南無阿彌陀佛にて
0000_,09,280a17(00):往生するぞと。思ふうちに籠り候なり。と示し置せ
0000_,09,280b18(00):玉へるなり。問唯往生の爲に。申す念佛の内に。三
0000_,09,280b19(00):心四修籠るぞならば。何故に。兩大師廣く三心四修
0000_,09,280b20(00):を。沙汰し玉ふぞと云に。答此兩樣にわかる譯は。
0000_,09,280b21(00):御傳廿の卷に於て。舜昌法印。評判し置玉ひて。其
0000_,09,280b22(00):義趣殘る所なき玅判なれば。擧て示さん。上人ある
0000_,09,280b23(00):所には。三心のやうをくわしくおしへ。ある所には
0000_,09,280b24(00):三心の沙汰詮なきよしを。仰られたり。これ人によ
0000_,09,280b25(00):るべき事なり。名號をとなふれば。必往生すとばか
0000_,09,280b26(00):り。まめやかにたのみて唱ふれば。其人の心におの
0000_,09,280b27(00):づから。三心もそなわりぬるを。中中に三心とて。
0000_,09,280b28(00):ことごとしく申なすほどに。かへりて信心をみだる
0000_,09,280b29(00):事も侍るなり。かからん人の爲には。三心の沙汰無
0000_,09,280b30(00):益の事なるべし。若日頃はうたがひの心もありて。
0000_,09,280b31(00):三心の内。要を取れば。第二の深心なれば。夫が所對の疑を擧て。餘の二を含む。云云。三心具せぬ人も。聖
0000_,09,280b32(00):敎を學すれば。見聞に通ず。道理にをれて。三心のおこる事
0000_,09,280b33(00):もあれば。さやうならん人の爲には。三心の樣をし
0000_,09,280b34(00):らんも大切なるべきを。一向に是を非せば。又其
0000_,09,281a01(00):とがあるべし。此すぢを心得なば。上人兩やうの御
0000_,09,281a02(00):勸進。さらに相違をなすべからずと。凡佛法修行の
0000_,09,281a03(00):一大事は。機敎相應と云にあり。總して云へば。大
0000_,09,281a04(00):乘小乘。聖道淨土の應不より。別して當段に就て云
0000_,09,281a05(00):はば。機具知具の差別あるなり。大師兩樣に勸め玉
0000_,09,281a06(00):はざれば。衆機に應ぜぬ故に。無智無病の機に對し
0000_,09,281a07(00):ては。今文の如機具を勸め。有病と學生との爲には
0000_,09,281a08(00):廣く三心の釋を設け玉へり。此こと譬へば。疾前無藥
0000_,09,281a09(00):機前無敎とて。冷病には。桂附等の熱藥を用ひ。熱
0000_,09,281a10(00):病には。石膏等の冷藥を用ゆる事なるに。若し是を
0000_,09,281a11(00):反轉して用ゆるときは。大害をなす如く。彼舍利弗
0000_,09,281a12(00):尊者の。弟子なる。金師の子に。不淨觀を敎へ。浣
0000_,09,281a13(00):衣家の子に。數息觀を敎へられたるに。精修すれど
0000_,09,281a14(00):も觀成せず。故に轉じて。金師の子に。數息觀を敎
0000_,09,281a15(00):られたれば。金箔を打には。息を調るになれたれば
0000_,09,281a16(00):速に觀成し。浣衣家の子に。不淨觀を敎へられたれ
0000_,09,281a17(00):ば。故衣を洗ふて。不淨なることを能知る故に。日を
0000_,09,281b18(00):經ずして。觀成せしと云が如し。爾れば。往生がし
0000_,09,281b19(00):たさに。念佛唱ふる人には。何も三心の沙汰はいら
0000_,09,281b20(00):ぬこと故。今の文には。但し三心四修と申事の候は。
0000_,09,281b21(00):乃至籠り候なり。と示し玉ひ。常の御法語にも。心に
0000_,09,281b22(00):は阿彌陀佛たすけ給へと思ひ。口に南無阿彌陀佛と
0000_,09,281b23(00):唱ふるを。三心具足の念佛といふなり。と敎へ玉ひ
0000_,09,281b24(00):又唯ひらに信じてだにも念佛すれは。すすろに三心
0000_,09,281b25(00):はあるなり。さればこそ世にあさましき一文不通の
0000_,09,281b26(00):輩の中に。一筋に念佛するものは。臨終正念にして
0000_,09,281b27(00):めてたき往生ともをするは。現證あらたなる事なり
0000_,09,281b28(00):中中に能もしらぬ三心沙汰して。あしさまに心得た
0000_,09,281b29(00):る人は。臨終のわろくのみありあひたるは。夫にて
0000_,09,281b30(00):誰誰も心得べきなり。との玉へるよりして。御滅後に
0000_,09,281b31(00):も。隨蓮の夢に入ては。蓮華を蓮華と見るの譬を以。
0000_,09,281b32(00):橫具を示し。住心房の。夢中に問はれても。念佛はま
0000_,09,281b33(00):たく風情もなし。唯申より外の事なしと。答へ給へる
0000_,09,281b34(00):など。皆是橫具徹底の所を示し給ふ。御敎示なれば。
0000_,09,282a01(00):已後いかやうに。三心をむつかしげに。云を聞くと
0000_,09,282a02(00):も。唯往生の爲に申す内には。三心も四修も皆籠ると
0000_,09,282a03(00):云を决信して。驚動せられまじき也已上大師三心を
0000_,09,282a04(00):沙汰し給はぬは。無智無病の機は。往生决定と。信じ
0000_,09,282a05(00):て唱ふる内に。三心四修。皆籠ると云義を辨じ畢。
0000_,09,282a06(00):是より亦因に。大師有病退治の爲に。三心の樣を。
0000_,09,282a07(00):委く沙汰し玉ふ義を辨ぜは。大經の願文には。至心
0000_,09,282a08(00):信樂。欲生我國と。八字を以。往生の安心を指示し
0000_,09,282a09(00):玉ひ。觀經には。一者至誠心。二者深心。三者回向
0000_,09,282a10(00):發願心と。十六字に開して示し猶具三心者。必生彼
0000_,09,282a11(00):國と説き給ひ。善導大師は。若少一心。即不得生と
0000_,09,282a12(00):判じ玉ひ。大師も亦。淨土宗の大事は三心の法門に
0000_,09,282a13(00):あるなり等。との玉へり。選擇集漢和語燈錄等是何故なれば。
0000_,09,282a14(00):易き往生に我からくせをつけて。往生を仕損ずる人
0000_,09,282a15(00):多ければ。其に退治を示して。往生の機とし玉はん
0000_,09,282a16(00):爲なり。譬ば道しるべ石を立てて。脇道へやらず。
0000_,09,282a17(00):埒を結ふて。馬をそれさせぬ等の如し。其わるぐせ
0000_,09,282b18(00):の病とは。虚假。疑心。不回向の三病なり。是を退
0000_,09,282b19(00):治する爲の三心なり。其三心とは。一者至誠心とは
0000_,09,282b20(00):願文の至心疏曰至者眞誠者實又云不得外現賢善精進之
0000_,09,282b21(00):相内懐虚假已上虚假とは。極樂のねがはしくもなく
0000_,09,282b22(00):往生仕たくもなけれども。極樂を願ふよしを顯はし。
0000_,09,282b23(00):往生の仕度樣に。見せかくるを。虚假と云なり。斯
0000_,09,282b24(00):く僞り飾るは。何故なれば。名聞利養の二より發る。
0000_,09,282b25(00):在家は。多く名聞にして。利養は少し。出家は利養を本として。名聞を兼云云。古歌に。『西へ行岸の
0000_,09,282b26(00):岩かと踏みれは苔こそ道のさはりなりけり。』顯はに
0000_,09,282b27(00):見ゆる。石岩などにては。あやまちせねども。苔の
0000_,09,282b28(00):むしたるには。。すべりてあやまつこと多き如く。地體
0000_,09,282b29(00):煩惱具足の凡夫なれば。わろしとわびて念佛すれば
0000_,09,282b30(00):往生の仕損じはなけれとも。三毒五欲の。岩かどを
0000_,09,282b31(00):押かくし。外現賢善の。苔衣きする故。一大事の往
0000_,09,282b32(00):生を。あやまつぞと。誡めたる歌の意なり。是に。
0000_,09,282b33(00):淺深重重の分別あれども。濃くも薄くも。穢土を厭
0000_,09,282b34(00):ひ。往生を欣ふ意さへあれば。至誠心を具するなり
0000_,09,283a01(00):二者深心とは。願文の信樂疏云言深心者即是深信之心也
0000_,09,283a02(00):とあて。深く信じて疑はぬを云是に二つの信あり。
0000_,09,283a03(00):機法二種の信と云なり。初に機を信ずるとは。自身
0000_,09,283a04(00):は出離無縁の。大罪人なることを信して。自力の心を
0000_,09,283a05(00):離るるを云ひ。次に法を信ずるとは。阿彌陀佛の。
0000_,09,283a06(00):大慈大悲。かかる極惡最下の衆生を。目的とする本
0000_,09,283a07(00):願を成就し玉へば。申せば必本願に引立られて。往
0000_,09,283a08(00):生するぞと。ひしと信して疑はぬを。深心と云なり。
0000_,09,283a09(00):傳通記曰疑心易起信心難成謂別行人多破往生爲
0000_,09,283a10(00):之疑怯心起便從輪迴是大失故別置深言誡
0000_,09,283a11(00):其狐疑立眞實信以除猶豫不定心。已上三者回向發
0000_,09,283a12(00):願心とは。願文の欲生我國念佛はもとより。過去よりして今
0000_,09,283a13(00):生になしたる。一切の善根を。悉く極樂往生の爲に。
0000_,09,283a14(00):回向するなり。昔は何の爲にも思へ。今は取り返し
0000_,09,283a15(00):て。往生の爲と回向すべし。
0000_,09,283a16(00):伹し念佛の行者となりて後。殊更に雜行を修し加
0000_,09,283a17(00):へて回向せよと云ことにてはなし。縁に歷れてなす
0000_,09,283b18(00):と。昔なしたるを回向するなり云云。
0000_,09,283b19(00):是に依て見よ。祈念祈禱の。餘事回願も。不回向と
0000_,09,283b20(00):立る邪義の勸めも。佛願佛意に背くこと。何の爭ひか
0000_,09,283b21(00):あらん。ゆめゆめ彼等に誑かされず。唯往生極樂と
0000_,09,283b22(00):ふりむけて。佛願佛意に相應し。順次往生掌をさす。
0000_,09,283b23(00):身の上となるべし。斯三心を習ひ學べば。虚假疑心
0000_,09,283b24(00):不回向の。三種の病を退治する故。正信の行者となる
0000_,09,283b25(00):なり。病ひあらば何ぞ藥を用ひざらん。さるに依て。
0000_,09,283b26(00):舜昌法印の。もし日頃は疑ひの心もありて。三心具
0000_,09,283b27(00):せぬ人も。聖敎を學すれは。道理にをれて。三心の
0000_,09,283b28(00):おこる事もあれは。さやうならん人の爲には。三心
0000_,09,283b29(00):のやうをしらんも。大切なるべし。一向にこれを非
0000_,09,283b30(00):せば。又其とがあるべしと。盡理の釋文仰くべし。
0000_,09,283b31(00):爾れは。病ある人は。つとめて聽て。正信を立つべ
0000_,09,283b32(00):し。さて正信立て。念佛するやうになれば。又前の橫
0000_,09,283b33(00):具の機と異なることなく。助け玉へと本願にもたれ。唱
0000_,09,283b34(00):るより外はなし。此こと譬へば。陳を張り備へを立る
0000_,09,284a01(00):には。魚鱗鶴翼等の差別あれども。正しく戰ふと云
0000_,09,284a02(00):になれば。いつも一文字になる如く。今の三心は。
0000_,09,284a03(00):陣立の如。打傾いて。往生の念佛申すと云になれ
0000_,09,284a04(00):ば。橫の一心。機具より外はなきなり。されば。稱
0000_,09,284a05(00):念上人の御法語に。法然上人曰。四修三心を沙汰す
0000_,09,284a06(00):る事は。一向專修になるまでの事なり。一向專修に
0000_,09,284a07(00):なり終りぬれは。別に四修三心のさたなし。一向專
0000_,09,284a08(00):修になさんはかりごとなり。念佛者になりぬれは。只
0000_,09,284a09(00):相續して往生を待計也と云云。爾れば。學ぶべき機は。
0000_,09,284a10(00):學んで唱へ。無智無病の機は。眞平に唱ふべし。知る
0000_,09,284a11(00):も知らぬも。至極の處は。橫に具する。助玉へ南無阿
0000_,09,284a12(00):彌陀佛の外はなきなり。故に今此段に。伏難を通じ
0000_,09,284a13(00):て。伹し三心四修と申事の候は。皆決定して。南無
0000_,09,284a14(00):阿彌陀佛にて往生するぞと。思ふ内に籠り候なり。
0000_,09,284a15(00):と示し給へるなり。已上本文に五科ある。第三伏難
0000_,09,284a16(00):通の科を畢。
0000_,09,284a17(00):此外に奧ふかき事を存せは。二尊のあはれみには
0000_,09,284b18(00):づれ本願にもれ候べし。
0000_,09,284b19(00):本文に五科ある。第四立誓請證の科なり。起請は。
0000_,09,284b20(00):上の題號の下にて。辨じたるが如。佛神に對して今
0000_,09,284b21(00):云處。一分も虚妄不實のことあらば。御罸を蒙り。今世
0000_,09,284b22(00):後世。永くかなはぬ身とならんと。誓を云ふなり。
0000_,09,284b23(00):是を文に書くを。起請文と云。當段に立誓し玉ふ故
0000_,09,284b24(00):に。此御遺訓を起請文とよぶことなれば。此文の體に
0000_,09,284b25(00):て。至て肝要の段なり。大師曾て鎭西上人へ。授け
0000_,09,284b26(00):玉へる御法語には。此段を。唯南無阿彌陀佛と申せ
0000_,09,284b27(00):ば。決定して往生するなりと。信じ取るべきなりと。
0000_,09,284b28(00):書玉ひたるを。今は改めて。誓言に書替玉ひたるな
0000_,09,284b29(00):り。始に誓言なきは。鎭西上人は。瀉瓶深信の御事
0000_,09,284b30(00):なれば。誓言に及ばず。今は廣く御滅後の。念佛の
0000_,09,284b31(00):衆機に給はる故。除疑生信。最要なる故なり。
0000_,09,284b32(00):此外に等とは。上の本願念佛の正義を示すと。通伏
0000_,09,284b33(00):難との段に。唯往生極樂の爲に。申より外に。別の
0000_,09,284b34(00):子細なし。三心四修も。此内にこもるぞとの玉へる。
0000_,09,285a01(00):本願口稱の。此外に奧深きことなきぞとなり。大師三
0000_,09,285a02(00):十餘年。御勸進の本願念佛。其利益廣大なりしに晩
0000_,09,285a03(00):年の比。他宗に暗推の義發り。門弟に背宗の義起り
0000_,09,285a04(00):て。大師の御勸化をば。劣機の爲の。假りの方便なり
0000_,09,285a05(00):と捨てて。有智の爲には。別に奧深き安心起行あり。
0000_,09,285a06(00):是大師御眞實の秘傳なり。此義を學問せよ。領解せ
0000_,09,285a07(00):よと訇て。無智の男女に疑心を生を生ぜしめたり。御在
0000_,09,285a08(00):世の時。はや已にかかる邪義を立れば。滅後の邪説
0000_,09,285a09(00):や。いかならんと。大悲の御胸をいため玉へども。
0000_,09,285a10(00):いかがし玉はんや。既に佛力も業力に勝ずと云。其
0000_,09,285a11(00):衆生の業力に魔力の加はりて。立る所の邪義なれは。
0000_,09,285a12(00):いかんともなし玉ふこと能はざるなり。是に依て。御心
0000_,09,285a13(00):中の正義を示して。御誓言を加へ。是に背ける義は。
0000_,09,285a14(00):我を誣る妄説にして。悉く滅後の邪義と。知るべし
0000_,09,285a15(00):と決し玉へり。實に是大師の善巧。無上の御手段な
0000_,09,285a16(00):り。されば前段に。願行相續の正義を擧て。此段に
0000_,09,285a17(00):此外に別の奧深きことを存ぜず。もし存じて存ぜずと
0000_,09,285b18(00):云はば。二尊の憐みにはづれて。三惡道におつへき
0000_,09,285b19(00):ぞと云趣きを。御詞やはらかに。御心はげしく。一大
0000_,09,285b20(00):事の後世の浮沈をかけて。誓ひ玉へる起請文にて。
0000_,09,285b21(00):是大師徹底無極の。大慈大悲なるなり。既に大師。
0000_,09,285b22(00):うちたき。父の敵をも。うたずして。出家し玉ひ。
0000_,09,285b23(00):はなれがたき。母御の膝下を離れて。遠く比叡山に
0000_,09,285b24(00):上り。又遁れ難き。大衆の交りをのがれて。黑谷に
0000_,09,285b25(00):隱遁し玉ひ。辭し難き。大佛勸進職の。勅命をも辭し。
0000_,09,285b26(00):あまつさへ。勅勘流刑の。難までを忍で。一向專修
0000_,09,285b27(00):を。興行し玉ふは。偏に二尊の憐みを仰いで。衆生
0000_,09,285b28(00):とともに。極樂往生を。遂げ玉はん爲の。御苦勞な
0000_,09,285b29(00):り。さるを。最も御臨終も程あらじと云時に望んで。
0000_,09,285b30(00):もし此外に奧深きことあらば。二尊の憐みにはづれ。
0000_,09,285b31(00):本願にもれんと迄。思ひ切て立玉ひたる御誓言。實
0000_,09,285b32(00):に身の毛も。いよだつ程のことなり。爾れば此起請
0000_,09,285b33(00):文に勸め玉ふ。無觀無解の。口稱念佛を。一毫も疑
0000_,09,285b34(00):ふは。空おそろしき大罪なる程に。返返疑なく。往
0000_,09,286a01(00):生するぞと思ひ取て。唯稱相續せらるべし。偖此立
0000_,09,286a02(00):誓の義を。古今未曾有の大謬解をなしたるは。天台
0000_,09,286a03(00):の靈空律師なり。旁觀記と云。此書の末鈔を出され
0000_,09,286a04(00):たるが。一部始終謬り計にて。大に人を惑はすこと
0000_,09,286a05(00):なれば。其比淨土門の智識たる人。多く破斥の書を
0000_,09,286a06(00):出されたり。中にも厭求上人の資。素信上人。旁觀
0000_,09,286a07(00):記匡解と云。上下二卷の破文を著し。誠に石上に卵
0000_,09,286a08(00):を抛が如に。破されたり。古今破文の書。多しとい
0000_,09,286a09(00):へども。かかる嚴しきは見ず。軍に譬へば。義仲の
0000_,09,286a10(00):倶利伽羅合戰の類と云べし。旁觀此下を解して云。
0000_,09,286a11(00):此書を誓言と見たるは。誤りにして。上人の素意に
0000_,09,286a12(00):非ず。總して起請は。胡亂がましきことにこそ用ゆ
0000_,09,286a13(00):れ等と。僻解紛紜。是古今無雙の大謬解なり。爾ら
0000_,09,286a14(00):ば。諸佛菩薩の誓願等は。皆うろんなることにや。
0000_,09,286a15(00):總じて起請誓願に依てこそ。修證をも得。他の信を
0000_,09,286a16(00):も立することなれば。諸佛菩薩より始めて。祖師方
0000_,09,286a17(00):及び道俗二衆迄も。此式を以。日課を誓ひ。戒をも
0000_,09,286b18(00):うくることなるに。彼人の如く云はば。自身も具戒
0000_,09,286b19(00):の比丘には非るべし。起請と立誓と。別なる物に非
0000_,09,286b20(00):ればなり。又天台宗にても非るべし。天台大師の。
0000_,09,286b21(00):止觀七之二十五。紙起大誓願立此願已稱十方佛
0000_,09,286b22(00):爲證爲救等とあり。弘決に是を立誓請加と釋す。台
0000_,09,286b23(00):家の人。何ぞ祖師の釋を知らざるや。匡解の意爾れば。旁
0000_,09,286b24(00):觀の妄解。少分の取るべきなければ。たとひ其書あ
0000_,09,286b25(00):りとも。手も觸べからず云云。
0000_,09,286b26(00):因に云。諦忍律師の一枚起請文諸説辨談に。旁觀
0000_,09,286b27(00):の解も一義なりと云云。是は律師の救ひ過しな
0000_,09,286b28(00):り。旁觀は起請に非。偏に他示し玉ふの義とす。何
0000_,09,286b29(00):ぞ是を一義と云はん。大師の此外に奧深き事を存
0000_,09,286b30(00):ぜば等と誓言し玉ふ中に。地の奧深きことありと
0000_,09,286b31(00):存して。口稱を輕しめば。二尊の憐にはづるべし
0000_,09,286b32(00):と。敎示し玉ふ義を含むことは理在絶言なり。律師
0000_,09,286b33(00):此義を深く考へずして云云。評ぜられしは所謂弘
0000_,09,286b34(00):法も筆の誤り猿も木から落ると云ふ類なるべし。
0000_,09,287a01(00):さて此起請誓言を。文の中間に置玉へること。至て
0000_,09,287a02(00):の妙釋なり。其故は。是より上は安心。是より下は
0000_,09,287a03(00):起行なり。此誓言を中間におゐて。前の安心を結し。
0000_,09,287a04(00):後の起行を生ずるの義趣。誠に妙釋なり。彼觀經の三
0000_,09,287a05(00):心を。定散二善の中間に説きて。定善散善の二種に。
0000_,09,287a06(00):通ぜしめたまふかごとし。此所にて。智者も愚者も共
0000_,09,287a07(00):に。安心は。疑なく往生するぞと思ひとるより外な
0000_,09,287a08(00):く。起行は。唯一向に念佛するより外なきことを。訖
0000_,09,287a09(00):度決著すべきなり。實に此所を。能能味ひ見るべし。
0000_,09,287a10(00):滅後末代に。邪義の橫濫を防ぎ玉へる。金剛の堤塘
0000_,09,287a11(00):は。此一段に極るなり。いかなる愚人なりとも。此起
0000_,09,287a12(00):請誓言に。及び玉へるを見て。更に大師の御心を疑
0000_,09,287a13(00):はんや。又いかなる滅後の邪人なりとも。此起請文
0000_,09,287a14(00):に向ひて。正義を掠め奪ふことを得んや。されば。
0000_,09,287a15(00):鎭西の正流を汲む輩の。六百年來。他人の邪推に混
0000_,09,287a16(00):ぜられず。背徒の邪義にまどはされざるは。全く此
0000_,09,287a17(00):御遺誓の庇蔭なり。總して起請誓言の。善惡共に。
0000_,09,287b18(00):決定して事を成することは。上の題號の下にても辨
0000_,09,287b19(00):じたれども。今は正しく。此一枚起請文と得名する。
0000_,09,287b20(00):體となる下なれば。誓言の空しからぬ。事實を談じ
0000_,09,287b21(00):て。今を况示せん。過ぬる正保三年。江州信樂村と。
0000_,09,287b22(00):山城の湯舟村と。山境の諍論あり。其時五味金右衛
0000_,09,287b23(00):門殿より。檢使を立て。境目を改めらるるに。信樂
0000_,09,287b24(00):村の領分と見分たり。然るに。前前より。湯舟村領
0000_,09,287b25(00):地の證據多端なりける。此時信樂村の者共。申すや
0000_,09,287b26(00):うは。兎角起請文にて申し譯いたさんとて。村中殘
0000_,09,287b27(00):らず起請を書て。山を取り侍りける。其起請の中に。
0000_,09,287b28(00):白癩黑癩とならんと。誓言を書入けるが。夫れより
0000_,09,287b29(00):三年を經る。慶安二年の春の頃より。其村五六十軒。
0000_,09,287b30(00):殘らず癩になりにけり。其中に老分三人ありて。連
0000_,09,287b31(00):判に加はらざりけるが。是のみ恙なかりけりと。寔
0000_,09,287b32(00):に起請の天罰いちじるしく顯はれたり。已上。洞空和上の門人、蓮盛法
0000_,09,287b33(00):師の記錄に出。是はこれ。唯假初に當座の非を飾らん爲にし
0000_,09,287b34(00):て。眞實の心よりはたてねども。終に誓ひし詞の如。
0000_,09,288a01(00):少も違はず。其報を得たり。
0000_,09,288a02(00):惡は造作のみにして。業道を成ず。善事はしから
0000_,09,288a03(00):ず。願心堅固ならざれば。業を成ぜず。此差別ある
0000_,09,288a04(00):ことは。上昇難下沈易の謂ひなり。
0000_,09,288a05(00):爾るに今。大師御臨末にも。末代の我等が。除疑生
0000_,09,288a06(00):信して。往生を遂げ易き爲に。口稱念佛の外に。奧
0000_,09,288a07(00):深きことを存ぜば。二尊の憐にはづれ。本願にもれ候
0000_,09,288a08(00):べし。と立て玉へる。御誓言こそ。實に心詞もなき。
0000_,09,288a09(00):大慈悲なることを可知。大師既に。我等が爲に誓言に
0000_,09,288a10(00):及び玉ふ。我等も又信受し奉り。誓言をなすべし。
0000_,09,288a11(00):其誓言とは。日課を受持するなり。日課勸進辨。廣略時宜に隨ふべ―。已
0000_,09,288a12(00):上立誓の科を畢。
0000_,09,288a13(00):念佛を信ぜん人は。たとひ一代の法をよくよく學
0000_,09,288a14(00):すとも。一文不知の愚鈍の身になして。尼入道の
0000_,09,288a15(00):無智の輩に同して。智者のふるまひをせずして。
0000_,09,288a16(00):本文に五科ある。第五結勸の科にて。此下に亦二科
0000_,09,288a17(00):あり。一示正所被機の科なり。文の大意は。念佛
0000_,09,288b18(00):申して。往生遂んと思ふ人ならは。あるものでもな
0000_,09,288b19(00):けれども。たとひ釋尊一代説き給ふ所の法を。よく
0000_,09,288b20(00):學び課せたる人なりとも。一文字もしらぬ。愚鈍な
0000_,09,288b21(00):る者と。同じやうになりて。假りにも。智者らしひ振
0000_,09,288b22(00):舞すべからずとなり。かかるを還愚とて。宗門の正
0000_,09,288b23(00):機とするなり。さて此還愚癡と云中に。二機あり。
0000_,09,288b24(00):一には性得の頑愚を云。元祖大師の御法語に。聖道門
0000_,09,288b25(00):の意は。智慧を窮めて生死を離れ。淨土門の意は。
0000_,09,288b26(00):愚癡に還りて。極樂に生と云を。了譽上人柔鈔に釋
0000_,09,288b27(00):して。還字強不可存意許伹淨土修行愚癡往生云
0000_,09,288b28(00):也。とある是なり。二には捨解還愚の機。今の文に。
0000_,09,288b29(00):一文不知の愚鈍の身になして等。と仰られたる是な
0000_,09,288b30(00):り。此還愚癡の。二機に分るは。所對に從ふて差別
0000_,09,288b31(00):するなり。還字に意許を存ぜず。頑愚とするは。聖
0000_,09,288b32(00):道門に對する故なり。夫れ聖道自力の修行。悟道成
0000_,09,288b33(00):佛の法は。般若の智慧を離れては。萬善萬行。皆有
0000_,09,288b34(00):爲の行となる故に。智慧を先きとするなり。然るに
0000_,09,289a01(00):淨土他力の法門は。悟道を求めず。斷惑を志さず。唯
0000_,09,289a02(00):佛願を仰ぎて。往生の爲に。念佛するの外あることな
0000_,09,289a03(00):し。と云義を。聖道門の意は等。と仰られたる。御
0000_,09,289a04(00):法語なる故。了譽上人此意を得て。還字不可存意
0000_,09,289a05(00):許愚癡ながらと云の義なりと釋し給へり。是即智慧
0000_,09,289a06(00):を離れて。修行成就せざる。聖道門に對する故頑愚
0000_,09,289a07(00):の義なり。二に還の字に意許を存じて。還歸の義
0000_,09,289a08(00):とするは。淨土門に入たる人に。解義分の機と。仰
0000_,09,289a09(00):信分の機とあり。仰信分は。性得の頑愚の。唯ほれ
0000_,09,289a10(00):ぼれと念佛する人にて。愚鈍念佛第一の正機を云な
0000_,09,289a11(00):り。解義分と云は。聖道淨土の。難易得失。總別二
0000_,09,289a12(00):種の安心等を。能能學知するといへども。少しも是
0000_,09,289a13(00):を物だてず。愚癡になり還るを云。則ち今の文に。
0000_,09,289a14(00):一文不知の愚鈍の身になして。等と仰られ。又年こ
0000_,09,289a15(00):ろ習ひたる智慧は。往生の爲に要にあらず。と仰ら
0000_,09,289a16(00):れたる等。皆此還歸の義なり。此は是淨土宗門の肝
0000_,09,289a17(00):要。託願往生の故實にして。祖師代代の相傳なり。
0000_,09,289b18(00):されば。二祖國師の曰。宗要第四の十七帋十八通上の十八帋西方の念佛往
0000_,09,289b19(00):生の行者と云は。一分一書の文義。是を知るといへ
0000_,09,289b20(00):ども。只我身に於ては。黑白をも知らず。東西をも
0000_,09,289b21(00):辨せざるが如く。嬰兒童子の如なるべし。只速に仰
0000_,09,289b22(00):で。念佛往生の行を信じて。臨終正念に。極樂に往
0000_,09,289b23(00):生せんと願ふべし。故上人の常言に云。我はゑぼし
0000_,09,289b24(00):もきぬ法然房也。ゑぼしもきぬとは。威儀をつくろはぬ。と云意なり黑白をもしら
0000_,09,289b25(00):ぬ童子の如く是非もしらざる無智の者なり。只念佛
0000_,09,289b26(00):往生を仰で信ず。釋迦は念佛して往生せよと勸め給
0000_,09,289b27(00):ふ。彌陀は念佛せよ來迎せんと仰せられたり。此一
0000_,09,289b28(00):事を信じて。餘の事はしらず。而して我等は。法然
0000_,09,289b29(00):上人を信じ奉り。法然上人は。善導を信じ奉り。善
0000_,09,289b30(00):導は。釋迦彌陀を信じ奉り給ふなりと。祖祖傳傳し
0000_,09,289b31(00):て。斯の如。還愚の機となり給へるなり。さて此
0000_,09,289b32(00):仰信の頑愚と。解知の還愚とを。對待すれば。愚鈍
0000_,09,289b33(00):念佛第一といへば。頑愚を勝れたりとするに。今此
0000_,09,289b34(00):頑愚をさし置て。第二の還愚の機を遺訓の目的とし
0000_,09,290a01(00):給ふは。いかがと云に。此頑愚の機は。思慮分別の。
0000_,09,290a02(00):之乎者也なき。無病の機なれば。邪義邪勸に。妨げら
0000_,09,290a03(00):るる氣遣ひなければ。殊更に御遺訓に及ばず。故に
0000_,09,290a04(00):捨置。還愚の機を目的とし玉ふ。猶委く云に。此還
0000_,09,290a05(00):愚の中に。亦二機あり。一には正解を得給へる。我
0000_,09,290a06(00):宗の祖祖。及び他宗の碩學の。本宗を閣きて。愚癡
0000_,09,290a07(00):に還りて。專修念佛し給ふ人人。二には分に知解あ
0000_,09,290a08(00):る故。我學知を物だてたがり。或は從來の餘行に執
0000_,09,290a09(00):ありて。捨かぬる意あれども。所詮時機不應の。心
0000_,09,290a10(00):行にては成就しがたきことを知る故。押して心の師と
0000_,09,290a11(00):なり。勉強して念佛一行となるあり。此二機あれど
0000_,09,290a12(00):も。御遺訓の目的となるは。後の機にあるなり。此
0000_,09,290a13(00):ことを譬へば。中庸に。或安而行之或利而行之或勉
0000_,09,290a14(00):強而行之とありて。安而行之とは。天性自然の性
0000_,09,290a15(00):善にして。造作を假らざるなり。利而行之とは。智
0000_,09,290a16(00):者は善は利にして。不善は害あることを。識知する故。
0000_,09,290a17(00):不善を捨てて。善を行ふなり。されども。安行に比
0000_,09,290b18(00):すれば劣る。勉強は心内情欲多けれども。心のまま
0000_,09,290b19(00):に行ふときは。不善無道に陷入する故。情を揉め欲を
0000_,09,290b20(00):忍びて。善行を勉強して行ふなり。利行に比すれば
0000_,09,290b21(00):亦劣れり。されば。此三機を分別すれば。安行は聖
0000_,09,290b22(00):人。利行は賢人。勉強は常の學者にあたるなり。今
0000_,09,290b23(00):我門の正機は。單直仰信。不理會の頑愚を。正中最
0000_,09,290b24(00):上の機と定むれば。彼安行の人の如し。又還愚に二
0000_,09,290b25(00):機ある。初めの正解を得給ふ。祖師先德等は。利行
0000_,09,290b26(00):の人の如し。學解にほこらず。餘行に於て執なく至
0000_,09,290b27(00):て勝れたる機なれども。愚鈍念佛の機に比すれば劣
0000_,09,290b28(00):るなり。されは。高野の明遍僧都は。無智にぞあり
0000_,09,290b29(00):たきたきと。生涯此機をうらやみ給へり。次の還愚
0000_,09,290b30(00):は。智解にほこり。餘行に執する意も發れども。道
0000_,09,290b31(00):理を以て勉強し專修一行となる。是は彼の勉強の學
0000_,09,290b32(00):士の如し。上の還愚に比すれば。亦劣るなり。され
0000_,09,290b33(00):ども安行利行勉強に。勝劣はあれども。三機共に善
0000_,09,290b34(00):行の君子なる如く。今此三機に勝劣はあれども。皆
0000_,09,291a01(00):往生の機分なること凖へて知るべし。かくの如くしら
0000_,09,291a02(00):べて見よ。頑愚と上機の還愚には。妨難を受る恐れ
0000_,09,291a03(00):なく。唯用心は勉強の機にある故に。是を御遺誓の。
0000_,09,291a04(00):目的としたまふことを知るべし。爾れば。人人分に解
0000_,09,291a05(00):智ありとても物だてず。勉強して愚癡に還り。專修
0000_,09,291a06(00):念佛すべきなり。爾るを世に小賢しき。生ま物じり
0000_,09,291a07(00):の類に。物だてたがるがあるものなり。彼東門の阿
0000_,09,291a08(00):闍梨。御傳第四十八江戸の長四郞。隨聞往生傳追加等の如し。又愚鈍
0000_,09,291a09(00):にして。念佛申す中に。我身に學文智慧分別の欠けた
0000_,09,291a10(00):るを歎き。他の賢しだちたるを羡む者あり。此は是。
0000_,09,291a11(00):金を棄て麻を荷ひ玉を燕石に代んとするが如し。畢
0000_,09,291a12(00):竟じて。此本願念佛往生の法門は。果分不可説とて。
0000_,09,291a13(00):凡智の及ぶ所に非。故に善導大師の御釋に云。佛密
0000_,09,291a14(00):意弘深敎門難曉三賢十聖弗測所窺况我信外輕毛
0000_,09,291a15(00):敢知旨趣。已上善導大師既に爾り。况や餘人をや。上
0000_,09,291a16(00):位の菩薩既に爾り。况や底下の凡夫をや。故に今の結
0000_,09,291a17(00):勸にも。たとひ一代の法をよくよく學すとも。一文
0000_,09,291b18(00):不知の愚鈍の身になして等。と智者を能同とし。愚
0000_,09,291b19(00):者を所同とし。愚者も智者になれとはの玉はず。智
0000_,09,291b20(00):者を愚者になり還れとこそ。敎示し給へるなり。され
0000_,09,291b21(00):ば。愚鈍念佛大往生の人至て多し。中に於て五三を
0000_,09,291b22(00):擧ば。加古の敎信。伊豫の安西。讃岐の源太夫。伹
0000_,09,291b23(00):馬の與九郞。白子の妙照。岸和田の玅祐等。又還愚
0000_,09,291b24(00):癡の大往生は。殊に多し。淨土の祖師に。還愚なら
0000_,09,291b25(00):ぬは。一人もましまさず。他宗の碩德にも。慧心僧
0000_,09,291b26(00):都。永觀律師。顯眞僧正。明遍僧都の如き。擧げ盡
0000_,09,291b27(00):すべき局に非ず。中に於て其の一人を擧げは。東都に
0000_,09,291b28(00):即蓮社念譽覺源上人と云あり。世を遁れて後は。み
0000_,09,291b29(00):づから常知と稱せらる。幼稚にして發心し。三縁山
0000_,09,291b30(00):某大僧正を拜して剃髮し。學なり臘たけて眞宗の大
0000_,09,291b31(00):事。專修念佛なることを決得し。名利にほだされて。
0000_,09,291b32(00):眞の道をふみたがへんことを恐れ思ひ。衆の交りを厭
0000_,09,291b33(00):ひすてて。ひそかに彼山を遁れ出。本所割下水と云へ
0000_,09,291b34(00):る所に其母と同居し。長時の日課十萬遍。一稱一課。
0000_,09,292a01(00):念念不捨なりき。母沒して他にうつられけるが。かか
0000_,09,292a02(00):る世捨人なれば。いたる所にて。男女こぞりて。歸依
0000_,09,292a03(00):し供養すれば。やがて其所を立退きて。凡そ生涯居
0000_,09,292a04(00):を移さるること。五十四ケ所なりとぞ。其住家には。西
0000_,09,292a05(00):の壁に自書の六字名號。一枚起請をかけたるのみに
0000_,09,292a06(00):て。香華燈明の供具もなく。朝にはもろこし我朝と
0000_,09,292a07(00):云より。高らかに拜讀し。玉散る計涙落して。極重
0000_,09,292a08(00):惡人助け給へと。ほれぼれと念佛せらるるさま。思
0000_,09,292a09(00):想雜念を放下し給ふ風情なりき。されども性得至て
0000_,09,292a10(00):強氣にして。患難極苦といへども。少しも恐るる心
0000_,09,292a11(00):なく。高貴は道俗ともに厭ひさけて。富家の請をば。
0000_,09,292a12(00):別けて受らるることなし。實に浮世を夢幻と觀ぜられ
0000_,09,292a13(00):し心。自ら面にあらはる。後には人の訪ひ來んもむ
0000_,09,292a14(00):つかしとて。袈裟衣をも被著せず。十德やうのもの
0000_,09,292a15(00):を著て。希れに人の發心の由來など尋れば。おのれは
0000_,09,292a16(00):妻子におくれ。世わたる業も。うとましくて。かしら
0000_,09,292a17(00):おろせる者なり。何一つ覺へたることもなしと。答ら
0000_,09,292b18(00):れき。元文五年庚申の秋の頃。病にかかり。日本橋
0000_,09,292b19(00):ちかき乘物町と云所に。橋本氏なる人は。肉兄なり
0000_,09,292b20(00):ければ。かしこにうつり念佛せられけり。醫藥をすす
0000_,09,292b21(00):むれども。更に用ひられず。八月八日。家内の者をよ
0000_,09,292b22(00):びて。我いみじき佛の御告を蒙りしかば。明日は往
0000_,09,292b23(00):生するなり。誰も誰も。此度是非とも。生死を離れ
0000_,09,292b24(00):んと願ひて。念佛すべし。淨土に往生せんことは。口
0000_,09,292b25(00):稱名號ならでは。かなひ難き旨。慇に敎誡ありて。
0000_,09,292b26(00):其夜は終霄念佛し給ふこと。平生に過たり。九日の曉。
0000_,09,292b27(00):病床を起き出て。西に向ひ端座し。合掌念佛數百遍。
0000_,09,292b28(00):少しの苦痛もあることなく。眠るが如く息絶給へり。
0000_,09,292b29(00):顏ゑみを含みて。歡喜の色あらはる。人人拜瞻して。
0000_,09,292b30(00):感仰念佛せり。時年五十四なり。荼毘の後遺骨を駒
0000_,09,292b31(00):込光源寺に收めけり。ああ賢哉。覺源上人。御遺誓
0000_,09,292b32(00):を徹信し。ある才智を拂却し。愚癡にかへりて。大
0000_,09,292b33(00):往生を得給へり。爾るに。我人はもとよりの愚鈍な
0000_,09,292b34(00):るに。なき智解を。あり顏にほこらんは。こはいか
0000_,09,293a01(00):なる顚倒ぞや。深く慚愧をいだきて。御遺誓を信受
0000_,09,293a02(00):し。生得の愚鈍に立還り。やすらかに相續すべきな
0000_,09,293a03(00):り。已上本文に五科ある。結勸の第一示正所被機
0000_,09,293a04(00):の科を畢。
0000_,09,293a05(00):唯一向に念佛すべし
0000_,09,293a06(00):本文に五科ある。第五結勸の。第二示本願專修
0000_,09,293a07(00):法の科なり。此一向と云は。二向三向に對する言に
0000_,09,293a08(00):して。和語にはひたすらと訓じて餘を兼ねぬなり。さ
0000_,09,293a09(00):れば。大師選擇集第四章段に。天竺の一向大乘寺。一
0000_,09,293a10(00):向小乘寺。大小兼學寺の得名を以。釋成し給へるが如
0000_,09,293a11(00):し云云。さて此一向に。安心の一向と。起行の一向と
0000_,09,293a12(00):あり。此御遺誓にて云へば上の唯往生極樂の爲には
0000_,09,293a13(00):と云は。安心の一向の義なり。今の文に。唯一向に念
0000_,09,293a14(00):佛すべしと云は。起行の一向の義なり。其明文は。
0000_,09,293a15(00):群疑論に。廢餘一切諸願諸行唯願唯行西方一行
0000_,09,293a16(00):と釋し給へる是なり。廢餘一切諸願唯願西方と
0000_,09,293a17(00):云が。安心の一向。廢餘一切諸行唯行西方一行
0000_,09,293b18(00):と云が。起行の一向にて。餘の一切の諸願と云は。
0000_,09,293b19(00):十方淨土。及び兜卒の往生。止觀參究。祈念祈禱。
0000_,09,293b20(00):御禮報謝等が。餘の方へふりむくるなり。廢餘一切
0000_,09,293b21(00):諸行とは。經を讀み陀羅尼を誦し。觀念をなす等。總
0000_,09,293b22(00):じて世出世の萬行を云なり。是等の諸願諸行をなさ
0000_,09,293b23(00):ず。安心も起行も。共に一向なるを一向專修の行者と
0000_,09,293b24(00):云て。此御遺誓を信受せし。順次上品往生の。正機と
0000_,09,293b25(00):云なり。然るに古來此旨にくらく。安心の一向なるは
0000_,09,293b26(00):起行の一向を欠き。又起行の一向なるは。安心の一向
0000_,09,293b27(00):を欠く。總じて云に善導大師御出現已前に。唐土に一
0000_,09,293b28(00):向專修なく。元祖大師御出世已前に。日本に一向專
0000_,09,293b29(00):修なし。知と欲せば。兩大師御出世已前の往生人を
0000_,09,293b30(00):見よ。唯安心の一向なるのみにて。起行の一向なる
0000_,09,293b31(00):はなく。皆餘行にわたるなり。而往生を遂たるは。
0000_,09,293b32(00):世もあがり人も上根にして。勇猛強盛の。如説修
0000_,09,293b33(00):行なる故。別願をからずして。往生せり。されども。
0000_,09,293b34(00):百に一二。千に五三の。雜行往生なれば。願生の人
0000_,09,294a01(00):は多て。素意を遂ぐるは至て少なし。又起行は一向
0000_,09,294a02(00):なれども。安心の一向ならざるは。雲棲大師の竹窓隨
0000_,09,294a03(00):筆。及往生集等に。下機に對して。此世の祈りの爲に
0000_,09,294a04(00):も。餘法を用ひず。念佛を以。祈れと云はれたる。又勸
0000_,09,294a05(00):化本義上廿一紙。云有人西山流義俊鳳和尚一向專修と號して。勸め
0000_,09,294a06(00):て云やう。現世の祈願。一向に捨ること能はずんば。
0000_,09,294a07(00):三萬六萬は。往生の料に備へ。別に心を用ひて。百
0000_,09,294a08(00):聲千聲。現世の爲にあつべし。堅く餘佛餘法を。念
0000_,09,294a09(00):持すること勿れと。是等は起行の一向に泥ミて。安心
0000_,09,294a10(00):の一向を忘れたり。若縁にふれて。かかる説を聞く
0000_,09,294a11(00):とも。決して夫に妨られず。安心も起行も。共に一向
0000_,09,294a12(00):になれと云。宗祖大師の。御遺訓を信受して。順次
0000_,09,294a13(00):往生の大益を得べきなり。已上本文五科の。第五結勸
0000_,09,294a14(00):の。第二示本願專修法の科を畢。
0000_,09,294a15(00):上來談ぜし本文。五科の大旨。初段には。和漢兩朝の
0000_,09,294a16(00):古來の諸師達の。本願念佛を觀念ぞ義解の念佛ぞと。
0000_,09,294a17(00):云謬りを拂ひ。二段には。願行相續の正義を示し。
0000_,09,294b18(00):三段には願行相續の念佛の中には。三心も四修も。
0000_,09,294b19(00):悉く籠ることを示して。疑を通じ。四段には誓を立て
0000_,09,294b20(00):て。願行相續の外なきことを。決信せしめ。五段に
0000_,09,294b21(00):は。上に示す本願稱名の。正義を結勸し給へり。斯の
0000_,09,294b22(00):如く。段段鈎鏁し。首尾相應して。文に盈縮なく。意
0000_,09,294b23(00):義明白なれば。更に紛るる曲あることなし。文の面は
0000_,09,294b24(00):やすらかに。安心起行をのみ勸め給ひて。詞に巧める
0000_,09,294b25(00):色もなくて。而も自然に諸の滅後の邪義を。殘なく防
0000_,09,294b26(00):き盡し給へり。文章の巧みなるには。詞にさとり難き
0000_,09,294b27(00):曲などもあるものなるに。いかに愚なる男女迄も。
0000_,09,294b28(00):さらさらと讀下せば。安心起行。詞の下にたやすく
0000_,09,294b29(00):定りて。更に疑ふ所なし。是倍倍文章の玅なり。爾
0000_,09,294b30(00):れば。念佛の行者は。常に拜讀をもなし。護持珍敬
0000_,09,294b31(00):して。此趣を守り。一期不退に相續し。人界受生の
0000_,09,294b32(00):一大事。順次往生の素懷を。遂ぐべき也。
0000_,09,294b33(00):爲證以兩手印
0000_,09,294b34(00):從來御遺誓を講ずるに。大段六科を分。第四手印の
0000_,09,295a01(00):科なり。本文の中に。誓言を立給ひて。此所に誓相を
0000_,09,295a02(00):あらはし。兩手の跡をとどめ玉ひたるなり。總じて。
0000_,09,295a03(00):上古は物の證には。手印をなすこと。今時の印判の如。
0000_,09,295a04(00):書キ物に。印判したるを。手形と云も。是より云ことなり尤半印にてもすむべきを。兩
0000_,09,295a05(00):手を以。印し玉ふは。いかにと云に。是一大事中の一
0000_,09,295a06(00):大事。念佛往生と云に。過たるなければ。尤叮重を
0000_,09,295a07(00):顯し玉ふなり。例せば如來の舌證に。小事には鼻端
0000_,09,295a08(00):を覆ひ。大事は髮際に至り。至極の大事を證するに
0000_,09,295a09(00):は三千大千世界を覆ひ玉ふ。六方の諸佛念佛證誠の義可知大師叮重
0000_,09,295a10(00):の兩印凖して知るべし云云。又聽衆をして此御遺誓
0000_,09,295a11(00):を。信受せしむる爲に。一義を設て云はば。安心と
0000_,09,295a12(00):起行とに對して。兩印をなし玉ふなり。文中にて安
0000_,09,295a13(00):心起行を指し示さば。上にも云如。疑なく思ひ取と
0000_,09,295a14(00):云が。安心。申外に別の子細候はずと云と。唯一向
0000_,09,295a15(00):に念佛すべしとあるが。起行なり。所詮は。申せばゆ
0000_,09,295a16(00):けると决著して。分分に唱ふるが。安心起行具足し
0000_,09,295a17(00):たる。決定順次往生の人なれば。其通りに落著せよ
0000_,09,295b18(00):と云が。此御遺誓の御勸め。是に少しも相違なひと
0000_,09,295b19(00):云證據に。兩手を押玉いたるに依て。爲證以兩手
0000_,09,295b20(00):印とあるなり。所詮我等が短き心で。大師の深重の
0000_,09,295b21(00):御慈悲の程を。窺ひ窮むることはならねども。此一事を
0000_,09,295b22(00):以て餘を推計るべし。上にも云通り。此御遺誓を記
0000_,09,295b23(00):し玉ふ。大師の御壽算はと云へば。滿八十の御老年。
0000_,09,295b24(00):其上御病中と云ひ。餘寒も烈しき正月下旬。殊に御
0000_,09,295b25(00):臨末三日已前に。兩の御手を。硯にさし入れさせ玉
0000_,09,295b26(00):ひし御心の切なるを。思やり奉るべし。箇樣になし
0000_,09,295b27(00):玉ふは何故ぞ。皆御滅後の我我に。安心起行あやま
0000_,09,295b28(00):らず。順次往生させ度思し召。大慈大悲の一偏なれ
0000_,09,295b29(00):ば。若これをも信ずまじくは。又何をか信ぜん。世
0000_,09,295b30(00):敎にすら。恩を被て恩を知らざるは。人面獸心と誡
0000_,09,295b31(00):しめ。君が一日の恩に。妾が百年の身をすつるを。
0000_,09,295b32(00):美談とするに非や。されども。大師の御慈悲を報ふ
0000_,09,295b33(00):に。身をも命をもすて。妻子財寳をも。捨つると云こと
0000_,09,295b34(00):ならば。末世下根の劣機なれば。叶はずと云こともある
0000_,09,296a01(00):べし。爾るに。在家出家智者愚者の簡びなく。其身
0000_,09,296a02(00):其儘。濃くも薄くも往生の爲に。多くも少くも南無
0000_,09,296a03(00):阿彌陀佛と。唱へさへすれば。大師徹底の御隨自意た
0000_,09,296a04(00):る。此御遺誓を信决したる人なれば。此世にありて
0000_,09,296a05(00):は。人中の芬陀利華。上上妙好最勝人の嘉名を蒙り。
0000_,09,296a06(00):來迎の如來には。善男善女とほめ立られ。喜勇んで
0000_,09,296a07(00):大往生遂ることなれば。必至と信して。此大利益を。受
0000_,09,296a08(00):はづさぬやうにすべきなり。已上大段六科の。第四
0000_,09,296a09(00):手印の科を畢。
0000_,09,296a10(00):淨土宗の安心起行。此一紙に至極せり。源空が所
0000_,09,296a11(00):存。此外に全く別義を存せず。滅後の邪義を防か
0000_,09,296a12(00):んが爲に。所存を記し畢。
0000_,09,296a13(00):大科六段の。第五總結の科なり。
0000_,09,296a14(00):淨土宗の安心起行等とは。聖道諸宗の。安心起行に
0000_,09,296a15(00):ゑらび玉ふなり。聖道の意は。安心即起行となること
0000_,09,296a16(00):もある故。差別して得名することはなけれども。され
0000_,09,296a17(00):ども。此差別は必あるなり。其所以は。我に佛性あ
0000_,09,296b18(00):りて。佛に異なることなしと云所を。訖度信知する所
0000_,09,296b19(00):は安心。其信知せし佛性をあらはすに。華嚴なれば
0000_,09,296b20(00):法界唯心の觀。天台は三諦即是の觀。眞言は阿字本
0000_,09,296b21(00):不生の觀等を修するは是起行なり。されども。是三
0000_,09,296b22(00):學均等ならざれば。其修行の機にあたらざる。難行
0000_,09,296b23(00):道なれば。其安心もきつとすわるは。觀法成就の時
0000_,09,296b24(00):でなければ立ず。而に此觀成豈容易ならんや。故に
0000_,09,296b25(00):中下の機は觀成の望を斷ば。或は持呪或は讀誦。或
0000_,09,296b26(00):は自餘の諸善をつとめて。近くは生生に修行を成じ。
0000_,09,296b27(00):遠くは龍華の會上に至て。面り佛の指麾を得て。成
0000_,09,296b28(00):就せんと期する。是等の自力門の。安心起行ではな
0000_,09,296b29(00):ひ。淨土宗の安心起行ぞとの玉ふ意なり。先此聖道の
0000_,09,296b30(00):安心は立難く。起行は行じ難し。其所以は。末法に
0000_,09,296b31(00):至りては。盡大地の衆生。皆十惡と定まりたる者を。
0000_,09,296b32(00):三覺圓滿の佛と等同にして。差別なしと信しやすか
0000_,09,296b33(00):らんや。昏沈掉擧の心を以。息慮凝心の觀念を成就
0000_,09,296b34(00):することを得んや。思ふてしるべし。さて又淨土門の
0000_,09,297a01(00):安心とは委く云へば。三心なれども。尅躰して云へ
0000_,09,297a02(00):ば助玉へと思ふの外はなく。起行は。南無阿彌陀佛
0000_,09,297a03(00):と唱ふる迄なり。此心行あるときは。大悲本願の強
0000_,09,297a04(00):縁に依て。順次に初地の證位に至る。是を淨土宗の
0000_,09,297a05(00):安心起行と云なり。則上の文に唯往生極樂の爲には
0000_,09,297a06(00):南無阿彌陀佛と申て疑なく。往生するぞと思ひとり
0000_,09,297a07(00):て安心。申外には別の子細候はず起行。と仰られたる。是て
0000_,09,297a08(00):淨土宗の。安心起行の底を盡す故。此一紙に至極せ
0000_,09,297a09(00):りと。の玉へり。既に至極せりとの玉ふ。何ぞ外に
0000_,09,297a10(00):求むることあらんや。人人能考へ見るべし。同じ佛法に
0000_,09,297a11(00):逢ふとも。聖道自力の法門に逢はば。彼立難き安心
0000_,09,297a12(00):を。立ることを得んや。彼修し難き觀念を。成ずること
0000_,09,297a13(00):を得んや。爾らば。自力の法門に逢はば。逢ふて遇
0000_,09,297a14(00):ひがひもなく。猶こりずまに。惡趣の苦みを受んに。
0000_,09,297a15(00):古へにいかなる契りありてかは。この立易き安心。
0000_,09,297a16(00):此行じ易き念佛の法門に。逢奉りしことぞと。歡喜の
0000_,09,297a17(00):思ひに懈怠をとどめ。脇ひら見ず。念佛一行。すす
0000_,09,297b18(00):んで相續せらるべし。
0000_,09,297b19(00):さて。此淨土宗の安心起行と。仰せられたる宗號を。
0000_,09,297b20(00):他宗は云はず。宗門にあり乍ら。義趣に闇き人多し。
0000_,09,297b21(00):夫淨土宗と云は。厭離穢土と此世を厭ひ。欣求淨土と
0000_,09,297b22(00):極樂を願ひ。本願念佛一行を修し。順次に淨土往生
0000_,09,297b23(00):を遂ると立るを云なり。爾るに。唱ふる念佛を。現
0000_,09,297b24(00):當兩益。二世安樂。壽命長久。息災延命と。ふり向
0000_,09,297b25(00):るときは。此は是現世宗にてこそあれ。何ぞ是を淨土
0000_,09,297b26(00):宗と云はん。而るを宗旨印形にも。先祖代代淨土宗
0000_,09,297b27(00):に相違なしと云は。出世間法にては佛祖を欺き。
0000_,09,297b28(00):世間法にては公儀を僞る。有名無實の大誑惑と云べ
0000_,09,297b29(00):し。又安心起行と仰られたるは。願孤行孤無所至と
0000_,09,297b30(00):云。導師の釋文によりて。願と行とは。鳥の兩翼。
0000_,09,297b31(00):車の兩輪。必ず具足すべきことをの玉へり。爾るに。此
0000_,09,297b32(00):頃ある俗士の云。據なき縁ありて。一念義の法談と
0000_,09,297b33(00):か云を聞くに。彼者負氣なく。大師の御遺誓を讃題
0000_,09,297b34(00):として。此思ひとりてと。仰られたるが安心の所詮に
0000_,09,298a01(00):て。此信心の發りたるとき。往生相濟たりと。辨ず
0000_,09,298a02(00):るを聞て。在座の者。皆感涙にむせべりと語る。
0000_,09,298a03(00):ああ痛ましい哉一念の邪徒。外には兩祖大師を信順
0000_,09,298a04(00):するやうに見せて。内には其御所立を破壞し。唯信
0000_,09,298a05(00):心呼ばりをなして。起行は自力と忌み嫌ひ。人を邪
0000_,09,298a06(00):坑に陷らしむ。彼が所立は。片羽の鳥は空中に翔り。
0000_,09,298a07(00):片輪車は運送に堪たりと云が如し。導師の願孤行孤
0000_,09,298a08(00):無所至の御釋。大師の今淨土宗の安心起行。此一紙
0000_,09,298a09(00):に至極せり。と仰られたるをば。云何が解するや。さ
0000_,09,298a10(00):れども。此は是一往。再往云ふときは。彼が云安心
0000_,09,298a11(00):と云は邪信にして正信に非ず。一念歸命の時に。往生
0000_,09,298a12(00):相濟と云こと。經説祖釋に。いづこにありや。剋して
0000_,09,298a13(00):云ときは。彼が所立は。願孤行孤の微善もなく。無願
0000_,09,298a14(00):無行の大邪立なれば。見聞を愼み怖れて。百由旬去
0000_,09,298a15(00):るべきなり。
0000_,09,298a16(00):從來講説の本文。一篇に淨土門の安心起行をしるし
0000_,09,298a17(00):て別の子細候はずとの玉ひ。今又總結に至て。全く
0000_,09,298b18(00):別義を存せずと。斯叮嚀に御遺屬なし玉ふは大師御
0000_,09,298b19(00):在世の内より。妄語誑惑の邪徒ありて。其虚説を文
0000_,09,298b20(00):るに。我より傳へし深義とののしり。衆生を惑はし。
0000_,09,298b21(00):往生の道を塞く故。滅後は彌邪説を募るべし。夫が邪
0000_,09,298b22(00):正を知る爲の龜鏡にそなへよとて。滅後の邪義を防
0000_,09,298b23(00):かんが爲に。所存を記し畢。としるし玉へるなり。
0000_,09,298b24(00):其滅後の邪義とは。要を撮て云に。安心に就ては。往
0000_,09,298b25(00):生するぞと思ひ取と云より外に。六かしきことを云ひ。
0000_,09,298b26(00):起行に就ては。唯念佛するより外に種種の事をすす
0000_,09,298b27(00):むるを邪義と云。是等の邪妨邪難を防ぎ玉ふなり。
0000_,09,298b28(00):防ぐとは彼用水桶をおくは。火を防く用心なり。今
0000_,09,298b29(00):も亦其如く此起請文を殘して。御滅後の皆や此方を。
0000_,09,298b30(00):邪義の類火にあはせまい爲に。我所存の所を記し置
0000_,09,298b31(00):て。其防ぎに具ふるぞとなり。豈に辱き賜に非や。
0000_,09,298b32(00):夫に就ては。其防き樣を知べし。自由自在に防げる
0000_,09,298b33(00):なり。用水桶より汲み出し出しかくれは。火の防げ
0000_,09,298b34(00):る如く。此御遺誓を。よみさへすれば防けるとは。
0000_,09,299a01(00):若人有て稱名を行ずるとも。折折は觀念をもするが
0000_,09,299a02(00):よいと云ふときは。觀念の念にもあらずとあるにて
0000_,09,299a03(00):防ぎ。又本願の來由。六字の具德等を知ねばと云は
0000_,09,299a04(00):ば。又學文をして念の心を悟りて申念佛にもあらず
0000_,09,299a05(00):とあるにて防ぎ。又現當兩益。二世安樂。祈念祈禱に
0000_,09,299a06(00):もせよと云はば。唯往生極樂の爲とあるにて防ぎ。又
0000_,09,299a07(00):念佛申すにも。威儀はどうして。心の用やうはなど
0000_,09,299a08(00):ど。むつかしきことを云はば。申外には別の子細なしと
0000_,09,299a09(00):あるにて防ぎ。若又餘のことは格別。三心四修は。知
0000_,09,299a10(00):ねばならぬと云はば。伹し三心四修と申事の候は。皆
0000_,09,299a11(00):決定して南無阿彌陀佛と申内に籠るとあるにて防
0000_,09,299a12(00):ぎ。若又夫は眞實の思召に非ずして。劣機を誘引し
0000_,09,299a13(00):給ふ方便なりなど云はば。此外に奧深き事を存せば。
0000_,09,299a14(00):二尊の憐にはづれんと誓給へるにて防ぎ。猶強て愚
0000_,09,299a15(00):鈍の機は夫てよけれども學者は外に心得ありと云は
0000_,09,299a16(00):ば。たとひ一代の法をよくよく學すとも。一文不通
0000_,09,299a17(00):の者と同じく。愚痴に還りて念佛すべし。とあるに
0000_,09,299b18(00):て防ぐなり。斯の如ク邪義邪勸を拂ふこと。縱橫自在な
0000_,09,299b19(00):る故に。滅後の邪義を防かんが爲に所存を記し畢ぬ。
0000_,09,299b20(00):との玉へるなり。世間でさへ。智慧ある人は。死後
0000_,09,299b21(00):の災を防くことあり。昔シ唐土吳魏蜀と。三國に分れた
0000_,09,299b22(00):る時。蜀の臣下に。義延と云勇士ありて。彼が項に
0000_,09,299b23(00):疣ありしを軍師孔明是を相して今時彼者異心あるに
0000_,09,299b24(00):は非れども。後には必謀叛すべし其時に至らば。かや
0000_,09,299b25(00):うにして亡すべしと。遺策を封して殘せしが。孔明が
0000_,09,299b26(00):前案に違はず。彼者叛心をあらはせしかば。彼遺策の
0000_,09,299b27(00):指南によつて。やすやすと切害せしとなり。若義延が
0000_,09,299b28(00):謀叛のとき。孔明が殘す囊を開かずば。忽ち彼を亡ぼ
0000_,09,299b29(00):すことはなるまじ。若念佛の行者邪義に出逢ひしとき。
0000_,09,299b30(00):此御遺誓によらずんば。邪勸の爲に引落さるべし。
0000_,09,299b31(00):たとひ。孔明が遺策を用ひずして。國を亡し命を失
0000_,09,299b32(00):ふとも。迷ヒの境界無常の命數なれば惜むに足らず。
0000_,09,299b33(00):若御遺誓を守らずして。邪義に惑はされなば。生生世
0000_,09,299b34(00):世三惡道に苦み。浮む期もなき一大事なれば。守りて
0000_,09,300a01(00):も守り。信じても猶信じ。寒蟬枯木を抱きて。よべど
0000_,09,300a02(00):も。更に首を回らさずと云如く。脇目をふらず。一筋
0000_,09,300a03(00):に唯往生極樂の爲に。南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と唱ふべし。
0000_,09,300a04(00):是を大師の御遺誓を。信受し奉りし。順次决定往生の
0000_,09,300a05(00):行者と云なり。已上大段六科の第五總結の科を畢。
0000_,09,300a06(00):建曆二年正月廿三日源空御華押
0000_,09,300a07(00):大科第六年號月日御撰號の段なり。
0000_,09,300a08(00):建曆は。人王八十四代順德院の年號。正月廿三日は。
0000_,09,300a09(00):御入滅より。中一日隔たる前日なり。大師既に御遷
0000_,09,300a10(00):化に臨んで。遺し玉へる大悲の賜。頂戴信受し奉ら
0000_,09,300a11(00):であらるべきや。
0000_,09,300a12(00):源空とは。大師の御諱則御實名にて。是は叡空上人
0000_,09,300a13(00):より授與し玉ひしなり。大師御歳十五にして。初め
0000_,09,300a14(00):て持寳房源光の室に入玉ふに。其聰明拔群に在せば。
0000_,09,300a15(00):圓宗の奧義をきわめしめんとて。當時一山の雄才な
0000_,09,300a16(00):れば。肥後の阿闍梨皇圓のもとにつかはし玉ふに。
0000_,09,300a17(00):皇圓大師の英才なるを聞き。驚て云。去夜の夢に。
0000_,09,300b18(00):滿月室に入と見る。今此法器にあふべき前兆なりと
0000_,09,300b19(00):悅び大形ならず。
0000_,09,300b20(00):月輪感夢のこと度度あり。九卷傳に。大師御託胎の
0000_,09,300b21(00):時。御父時國。月輪を抱くと夢み給ひ。又御左遷
0000_,09,300b22(00):の時。鹽飽入道西忍。月輪室に入の感夢あり。總し
0000_,09,300b23(00):て云はば。是大師の智慧圓明なるの表示。別して
0000_,09,300b24(00):云はば。月輪は勢至の埀迹。大師も亦勢至の垂迹
0000_,09,300b25(00):なれば。此義を顯すの義なるべし。
0000_,09,300b26(00):其年華髮を剃り。法衣を著し。登壇受戒し玉へり。
0000_,09,300b27(00):夫より出家の本意をとげぬれば。跡を林藪に遁れた
0000_,09,300b28(00):しと御師範へねがひ玉ふに。隱遁の志ありとも。先
0000_,09,300b29(00):三大部を學びてのこととの玉へば。閑居をねがうことは
0000_,09,300b30(00):ながく名利の望を止めて。閑に佛法を修學せん爲な
0000_,09,300b31(00):り。此仰せ實に爾なりとて。十六歳の春よりはじめ
0000_,09,300b32(00):て。三箇年を經て。三大部をわたり玉ひぬ。慧解天
0000_,09,300b33(00):然にして。立玉ふ義勢。師の敎にこゆる故。師範彌
0000_,09,300b34(00):感嘆し學道をつとめて。一宗の棟梁となり玉へと。
0000_,09,301a01(00):よりより勸め玉へども。更に是を旨ひ玉はず。終に
0000_,09,301a02(00):十八歳にして師席を辭し。西塔の慈眼房叡空の室に
0000_,09,301a03(00):至り玉ひ幼稚の昔より成人の今に至る迄。父の遺言
0000_,09,301a04(00):忘れ難くして。隱遁の心深きよし語り玉へば。
0000_,09,301a05(00):父の遺言とは。敕修御傳に云。時國ふかき疵をかう
0000_,09,301a06(00):ふりて。死門に臨むとき。九歳の小兒にむかひてい
0000_,09,301a07(00):はく。汝さらに會稽の耻を思ひ。敵人をうらむる事
0000_,09,301a08(00):なかれ。これ偏に先世の宿業なり。もし遺恨をむす
0000_,09,301a09(00):ばは。そのあだ世世につきがたかるべし。しかじ。
0000_,09,301a10(00):はやく俗をのがれ家を出て。我菩提をとふらひ。み
0000_,09,301a11(00):づからの解脱を求んにはといひて。端座して西に
0000_,09,301a12(00):向ひ。合掌して佛を念し。眠るが如くして息絶に
0000_,09,301a13(00):けりとあるを云なり。
0000_,09,301a14(00):叡空上人感嘆し玉ひ。少年にして早く出離の心を發
0000_,09,301a15(00):せり。實に是法然道理のひじりなりとて。法然房と
0000_,09,301a16(00):號し。實名をば源光の上の字と。叡空の下の字をと
0000_,09,301a17(00):りて源空となづけ玉へり。
0000_,09,301b18(00):爾るに。一説に。選擇之傳受戒已後童名を呼ぶべき道理
0000_,09,301b19(00):なければ。直に源空とこそ申たるらん。叡空の室に
0000_,09,301b20(00):入ては法然房と授らる。源空の字の二師の名字に
0000_,09,301b21(00):合するは。只是不測の靈感なりとあれども。十卷傳
0000_,09,301b22(00):には。受戒して圓明房善弘と號せらるとあり。此
0000_,09,301b23(00):説別書に見へざれども強に非すべからず。源空の
0000_,09,301b24(00):名を。叡空上人のなづけ玉へるとは。十六門記。
0000_,09,301b25(00):秘傳鈔等一同なれば。是を正とすべし。又龍樹菩
0000_,09,301b26(00):薩の菩提心論云。妄心若起知勿隨妄若息時心源空
0000_,09,301b27(00):寂萬德斯具妙用無窮と云文を引合することあれど
0000_,09,301b28(00):も鑿説なり聖敎廣し。求めば其外にもあるべけれ
0000_,09,301b29(00):ばなり。
0000_,09,301b30(00):御華押。上に手印ある上に。又華押迄を添玉へり。
0000_,09,301b31(00):華押の説。諸書に多し。中に於て其一を擧ば。徂徠
0000_,09,301b32(00):が南留邊志の一に云。花押を判と云は判署と云こと
0000_,09,301b33(00):のあるを取り違へたるなり。判と云は。日をあけ置
0000_,09,301b34(00):て。後に書加るを云。署と云は。今の名はんなり。花
0000_,09,302a01(00):押は名を草に書たるなり。花押の上には。姓を書こと
0000_,09,302a02(00):なるを。今の世に誤りて。名乘を書なり。庭訓など
0000_,09,302a03(00):見るべし。今の世は。官人面面に私印を用ゆ。官印
0000_,09,302a04(00):なき故なり。古は官印あり。一官府に。一ならでは
0000_,09,302a05(00):なし。官の文書は。皆物かき役の書くことにて。名乘
0000_,09,302a06(00):計を。面面に草にて後に書くを。花押と云なりと
0000_,09,302a07(00):云へり。
0000_,09,302a08(00):抑元祖大師の御本地を云に。二説あり。一に彌陀如
0000_,09,302a09(00):來の埀迹と云ひ。二には勢至菩薩の埀迹と云ふ。二
0000_,09,302a10(00):説あれども。終成一意なり。其故は。彌陀の智慧を
0000_,09,302a11(00):司り給ふ勢至なれば。彌陀を離れたる勢至なく。勢
0000_,09,302a12(00):至を離れたる彌陀も在さねば。彌陀即勢至。勢至即
0000_,09,302a13(00):彌陀にして。一躰の二名なる故。彌陀の垂迹と感見
0000_,09,302a14(00):して。利益ある人の爲には。彌陀と感見せしめ。勢
0000_,09,302a15(00):至の應現と信じて。利益ある人の爲には。勢至と自
0000_,09,302a16(00):稱し給へるなり。爾るに。今專ら勢至の應現の説に
0000_,09,302a17(00):よることは。敕修御傳中。最初乳母のたづねに答へて。
0000_,09,302b18(00):我は勢至と答玉へる故。勢至丸と號け奉りしより初
0000_,09,302b19(00):めて。御入滅迄に其本地を顯し玉ふこと。度度なれば。
0000_,09,302b20(00):一一爰に擧盡し難し。中に於て。御弟子勝法房。大師
0000_,09,302b21(00):の眞影を寫し。其銘を願はれければ。我本因地以念
0000_,09,302b22(00):佛心入無生忍今於此界攝念佛人歸於淨土
0000_,09,302b23(00):と楞嚴經の。勢至圓通章の文を書し玉へり。或人の
0000_,09,302b24(00):願ひし時も。如上又讃州生福寺に住し玉ひし時。勢
0000_,09,302b25(00):至菩薩の像を御自作ありて。法然本地身。大勢至菩
0000_,09,302b26(00):薩爲度衆生故顯置此道塲と記し玉へり。かくの
0000_,09,302b27(00):如く時によりて本地をあらはし給ふは。御弘敎の旨
0000_,09,302b28(00):を。信受せしめんが爲なり。爾れば人人此御法語に
0000_,09,302b29(00):隨へば。直に右脇の大士。大勢至の御指南に依て。
0000_,09,302b30(00):本願念佛の安心起行を。心得たると云ものなり。豈
0000_,09,302b31(00):貴き極りに非や。元より此菩薩は彌陀如來の智慧を
0000_,09,302b32(00):司り玉ふ故。光明勝れ玉へば。無邊光とも申し上る。
0000_,09,302b33(00):智慧は因光明は果以智慧光普照一切令離三塗得無上
0000_,09,302b34(00):力是故號此菩薩名大勢至。と誠に金言誠諦なる
0000_,09,303a01(00):哉。决定三塗に沉むべき。皆や此方が。此御遺言に
0000_,09,303a02(00):順ふ計で。やすやすと三塗を離れ。直に聖位にのぼ
0000_,09,303a03(00):ること。實に本迹符節を合せたる御利益。ありがたき
0000_,09,303a04(00):限にこそ。
0000_,09,303a05(00):從來談ずる御遺誓は。決定墮獄の我人を。打て替つ
0000_,09,303a06(00):て報身報土へ。往生遂しめ給ふ。御敎示なれば。た
0000_,09,303a07(00):とひ難修難行なりとも。修行すべきことなるに。此御
0000_,09,303a08(00):遺訓には隨ひ易く。安心は立て易く。起行は修し易
0000_,09,303a09(00):く往生は至て遂げ易すければ。此勝易の二義を兼備
0000_,09,303a10(00):ふる御遺訓に歸入せずんば。何れの敎に歸入せんや。
0000_,09,303a11(00):云何が安心は立て易き。惡趣に墮して。苦しむはい
0000_,09,303a12(00):や。樂みずくめの。極樂に。往生遂たひと。思ふ心
0000_,09,303a13(00):さへあれば。助け給への安心は。至て立て易きな
0000_,09,303a14(00):り。云何が起行は修し易き。行住座臥の。四威儀
0000_,09,303a15(00):をえらばず。身の淨不淨。心の亂不亂を云はず。
0000_,09,303a16(00):唯口に唱ふる名號なれば。至て唱へ易きなり。云
0000_,09,303a17(00):何が往生し易き。我力でする往生ならば。覺束な
0000_,09,303b18(00):氣もあらんなれども。佛の大悲本願の他力で遂
0000_,09,303b19(00):る往生なれば。少しの苦勞もあることなく。至て往
0000_,09,303b20(00):生遂げ易きなり。爾れば。安心は立て易く起行は修
0000_,09,303b21(00):し易く。往生は遂げ易く。實にやすらかなることの最
0000_,09,303b22(00):上。是より易きはあるべからず。されども。斯くや
0000_,09,303b23(00):すらかに。仕あげ給ふ迄の。元祖大師の御苦勞は。
0000_,09,303b24(00):いか計とか知るや。抑大師九つの御年より。四十三
0000_,09,303b25(00):歳に至らせ給ふ迄に。此法門を見立て給ふ。御苦勞
0000_,09,303b26(00):は云もさらなり。別開御弘通の御艱難は。述べ盡さ
0000_,09,303b27(00):るる限りに非ず今其恩分を思ひ知る爲に。御流刑。
0000_,09,303b28(00):及び御入滅の。御傳文の大意を。撮て辨示すべし。
0000_,09,303b29(00):餘は凖へて知るべし。大師御開創の。淨土專修の敎
0000_,09,303b30(00):勸盛んにして。人多く生死を出離し。極樂往生を遂
0000_,09,303b31(00):るが故に。天魔竸ひ來て。住蓮安樂は。死刑に行は
0000_,09,303b32(00):れ。南都北嶺の憤り猶止まず。追追讒訴に及び。弟
0000_,09,303b33(00):子の科を師匠の大師に課せて。すでに度縁を召上げ。
0000_,09,303b34(00):遠流の科に定め。土佐の國へ趣き給ふ。大師の敎化
0000_,09,304a01(00):を蒙る貴賤。往生の本懷を望む道俗。嘆き悲むこと。
0000_,09,304a02(00):たとへをとるに物なし。門弟等嘆きあへる中に。法蓮
0000_,09,304a03(00):房申されけるは。住蓮安樂は罪科せられぬ。御流罪
0000_,09,304a04(00):は一向專修興行の故と云。然るに老邁の御身遼遠の
0000_,09,304a05(00):海波に趣きましまさば。御命安全ならじ。我等恩顏
0000_,09,304a06(00):を拜し。嚴旨を承ることあるべかず。又師匠流刑の罪
0000_,09,304a07(00):にふし給はば。殘り止まる門弟。面目あらんや。且
0000_,09,304a08(00):は敕命なり。一向專修の興行。止むべきよし奏し給
0000_,09,304a09(00):ひて。内内御化導有べくや侍らんと。申されけるに。
0000_,09,304a10(00):大師の給はく。流刑さらに恨とすべからず。其故は。
0000_,09,304a11(00):齡すでに八旬にせまりぬ。たとひ同じ都に住するも。
0000_,09,304a12(00):娑婆の離別。ちかきにあるべし。たとひ山海を隔つ
0000_,09,304a13(00):とも。淨土の再會。なんぞ疑はん。又厭ふとも存る
0000_,09,304a14(00):は人の身なり。惜むとも。死るは人の命なり。何ぞ
0000_,09,304a15(00):必しも所によらんや。しかのみならず。念佛の興行。
0000_,09,304a16(00):京師にして年久し。四十三の御年より七十五の御年まで中間三十二年邊鄙に趣き
0000_,09,304a17(00):て。田夫野人を勸めんこと。年來の本意なり。然れど
0000_,09,304b18(00):も。時至らずして。素意いまだはたさず。今事の縁
0000_,09,304b19(00):によりて。年來の本意を遂んこと。頗る朝恩とも云べ
0000_,09,304b20(00):し。此法の弘通は人とどめんとすとも。法さらにと
0000_,09,304b21(00):どまるべからず。諸佛濟度の誓ひ深く。冥衆護持の
0000_,09,304b22(00):約ねんごろなり。然れば何ぞ世間の譏嫌をはばかり
0000_,09,304b23(00):て。經釋の素意をかくすべきや。ただしいたむ所は。
0000_,09,304b24(00):源空が興ずる淨土の法門は。濁世末代の衆生の。決
0000_,09,304b25(00):定出離の要道なるが故に。常隨守護の神祇冥道。定め
0000_,09,304b26(00):て無道の障難を咎め給はん歟。命あらん輩。因果のむ
0000_,09,304b27(00):なしからざることを。思ひ合すべしと。仰られける。
0000_,09,304b28(00):大師の仰に。因果のむなしからざることを思ひ合
0000_,09,304b29(00):すべしと。仰られたるが。御流罪よりは十五ケ年目
0000_,09,304b30(00):御遷化よりは十ケ年目。承久三年秋七月。北條泰
0000_,09,304b31(00):時が計ひにて。本院後鳥羽院は隱岐の國。中院土
0000_,09,304b32(00):御門院は後鳥羽院第一の皇子佐渡の國。新院順德院は後鳥羽院第三の皇子
0000_,09,304b33(00):佐渡の國六條の宮雅成親王は後鳥羽院第二の皇子伹馬の國冷
0000_,09,304b34(00):泉の宮賴仁親王は後鳥羽院第四の皇子備前の國へ。水も交へ
0000_,09,305a01(00):ず。御親子五ツ方。遠所に移され玉ふ。日本開闢已
0000_,09,305a02(00):來。かくの如きの逆亂はなきことなり。冥罰怖るべき
0000_,09,305a03(00):に非やされども此は是現世の華報未來惡趣の果報
0000_,09,305a04(00):は。彌痛むべきかぎりにこそ。
0000_,09,305a05(00):此こと又大師前知の御遺言のみに非ず。後鳥羽法皇。建
0000_,09,305a06(00):曆元年夏の比。石淸水八幡宮へ。御參詣ありし時。
0000_,09,305a07(00):大神巫女に託して曰。近代君くらく。臣まがりて政
0000_,09,305a08(00):にごり。人うれふ。王城の鎭守。百王の宗廟。連連に
0000_,09,305a09(00):評定のことあり。天下逆亂し。卒土荒廢せん。定めて
0000_,09,305a10(00):後悔あらんかと。又同年七月の比法皇の御夢に。蓮
0000_,09,305a11(00):華王院に御參りありけるに。衲衣を著せる高僧。ち
0000_,09,305a12(00):かづき參じて奏して云。法然房は故法皇後白河院ならび
0000_,09,305a13(00):に高倉先帝の。圓戒の御師範なり。德賢聖にひとし
0000_,09,305a14(00):く。益當今にあまねし。君大聖の權化をもて。還俗配
0000_,09,305a15(00):流の罪に處す。咎五逆に同し苦報怖れざらんやと云
0000_,09,305a16(00):を夢感し給へり。見つべし。大師の遺命。八幡宮の
0000_,09,305a17(00):託宣。高僧の諫奏等。符節を合せしが如し。凡そ念
0000_,09,305b18(00):佛の行者に。大師の御流刑を嘆ざる者はなけれども。
0000_,09,305b19(00):此流刑に處し玉ふ。天子及び讒臣の。後の報を憐む
0000_,09,305b20(00):は。至て少なきに。其人あれば示べし。春譽梅香法
0000_,09,305b21(00):尼と云は。江州彥根の家臣。木俣守定の妻にて。其
0000_,09,305b22(00):性純謹にして。忿嫉の念なく。十一歳にして。日課
0000_,09,305b23(00):千聲を誓ひ。後三萬に轉じ。老て十萬を修す。され
0000_,09,305b24(00):ば平生よりしばしば好相奇瑞を感見して。大往生せ
0000_,09,305b25(00):し人なり。生平には御傳語燈錄三部の假名鈔を拜見
0000_,09,305b26(00):して。心行を策勵せられけるが。中に於て。御傳の中。
0000_,09,305b27(00):後鳥羽帝。大師を流刑に處し玉ふ下に至るときは。
0000_,09,305b28(00):書を置て悲泣時を移し。漸く涙を押へて云。大師は
0000_,09,305b29(00):是大聖の權化なり。爾るを。帝讒臣の辭を信じ。勿
0000_,09,305b30(00):躰なくも流刑に處し給ふ。痛ましひ哉。君臣決して
0000_,09,305b31(00):惡趣の苦報を受給はん。願くは佛の神力。逆縁を捨
0000_,09,305b32(00):ず。その重罪を轉じて。淨土に接引し給へと。數日
0000_,09,305b33(00):稱佛迴願せられけるとなん。實に感心に堪たり。夫
0000_,09,305b34(00):世敎と佛敎の。心操を立るに異なることは。世敎は。
0000_,09,306a01(00):若怨に報ふに德を以せば。德に報ふには何を以せん。
0000_,09,306a02(00):故に怨に報ふには直を以し。德に報ふには德を以て
0000_,09,306a03(00):すべしと。敎ゆれども。佛敎は是と異に。仇に報ふに
0000_,09,306a04(00):德を以てせよと敎ゆ。若怨に報ふに怨を以てすると
0000_,09,306a05(00):きは。生生に其怨盡ることなければなり。此こと大師の御
0000_,09,306a06(00):父時國公。死門にのぞみて。大師に遺言し給ふこと。上
0000_,09,306a07(00):に述るが如し。又世出兩敎の優劣は。鶴林玉露にも辨
0000_,09,306a08(00):じたれば。見るべし。爾るに今梅香法尼。後鳥羽君
0000_,09,306a09(00):臣の。權者を流刑し給ふ大罪に依て。惡趣の苦報を
0000_,09,306a10(00):受給はんことを憐み。悲泣時を移し。數日回向せられ
0000_,09,306a11(00):たること。佛菩薩の大悲に等しき心操。感ずるに餘りあ
0000_,09,306a12(00):るをや。人人も此梅香尼の。心操にならふべし。さ
0000_,09,306a13(00):すれば佛意に叶ひて。念佛增進はもとより。人に對
0000_,09,306a14(00):しても。瞋恨の罪を。造らざればなり。
0000_,09,306a15(00):又大師。一人の弟子に對して。一向專念の義をのべ
0000_,09,306a16(00):玉ふに。御弟子西阿彌陀佛推參して。かくの如きの
0000_,09,306a17(00):御義。ゆめゆめあるべからずと申ければ。大師の玉
0000_,09,306b18(00):はく。汝經釋の文を見ずやと。
0000_,09,306b19(00):敎を乞ふ人の爲には。身命財を捨てて。法を説けと
0000_,09,306b20(00):ある經釋なり。
0000_,09,306b21(00):西阿申さく經釋の文はしかりと云へども。世間の譏
0000_,09,306b22(00):嫌を存ずる計なりと。大師の玉はく。我たとひ死刑
0000_,09,306b23(00):に行はるとも。此こと云はすばあるべからずと。
0000_,09,306b24(00):至誠の色もとも切なり。見たてまつる人。皆涙をぞ
0000_,09,306b25(00):流しける。
0000_,09,306b26(00):大師。天子の逆鱗を恐れず。死刑に逢ふをも顧
0000_,09,306b27(00):み玉はず。御身を法の爲に捨玉ふは。皆是御滅後
0000_,09,306b28(00):の。我人を憐愍覆護して。生死を離れ。往生の大益
0000_,09,306b29(00):を。與へ玉ふの大悲なり。爾るに今時。大師の流れ
0000_,09,306b30(00):を汲むと名乘る中に。時代ごかし。譏嫌ごかしに。
0000_,09,306b31(00):雜行をも簡ばず。祈禱をも斥はず。邪義邪勸を糺す
0000_,09,306b32(00):ことを。忌む者あり。是皆身命財の三を。求め執す
0000_,09,306b33(00):るより發れり。大師蓮臺より。云何が知見し玉は
0000_,09,306b34(00):んや。勘考して見るべし。
0000_,09,307a01(00):さて大師御流刑の義に就ては。月輪禪定殿下の御嘆
0000_,09,307a02(00):きかぎりなく。いかなる宿業にて。斯ることを見聞す
0000_,09,307a03(00):らんとて。悲み玉ふ御ありさま。見奉る人人も。心
0000_,09,307a04(00):のおき所なき程なり。此ことを申とどめざること。生て
0000_,09,307a05(00):世にある甲斐なけれども。御勘氣の初めなれば。左右
0000_,09,307a06(00):なく申さんも。其恐れあり。連連に御氣色を窺ひ。
0000_,09,307a07(00):敕免を申し行はんと。せめても是をなぐさめとし玉
0000_,09,307a08(00):へり。土佐の國迄は。餘りに遙なる程なり。我知行
0000_,09,307a09(00):の國なればとて。讃岐國へぞ移し玉ひける。御名殘
0000_,09,307a10(00):やる方なく思し召れけるにや。殿下御消息を送り玉
0000_,09,307a11(00):ひける奧に。『ふりすてて行は別のはしなれと。ふみ
0000_,09,307a12(00):わたすべき事をしそ思ふ』と侍りければ。大師より
0000_,09,307a13(00):は。『露の身はここかしこにてきえぬとも。心は同じ
0000_,09,307a14(00):華の臺ぞ』と御返しありしとなり。人人此御贈答の
0000_,09,307a15(00):深情を思ひやり奉り。我身をただす鏡とすべし。さ
0000_,09,307a16(00):すれば。師弟及び同行の間に。不和合違害の失を離
0000_,09,307a17(00):れ未來は必ず同じ蓮の臺に昇り。無爲の快樂を受る
0000_,09,307b18(00):ことなれば。深く思ひ習ふべきなり。
0000_,09,307b19(00):建永二年三月十六日に。大師都を出て配所に赴き玉
0000_,09,307b20(00):ふに。信濃の國の御家人。角張の成阿彌陀佛最後の
0000_,09,307b21(00):御供なりとて。御輿をかく。同じさまに隨ひ奉る僧
0000_,09,307b22(00):六十餘人なり。御名殘を惜み。前後左右に走り隨ふ
0000_,09,307b23(00):人。幾千萬と云ふことを知らず。貴賤の悲む聲街にみ
0000_,09,307b24(00):ち。道俗のしたふ涙。地をうるほす云云鳥羽の南
0000_,09,307b25(00):の門より。川舟に召て下り玉ふ。攝津の國經が島。
0000_,09,307b26(00):兵庫の本名播磨の國高砂の浦。同く室の泊り。讃岐の國鹽
0000_,09,307b27(00):飽入道西忍が舘に至る迄。多くの人を結縁敎化し
0000_,09,307b28(00):玉ひ終に同國子松の庄におちつき玉ひぬと。あは
0000_,09,307b29(00):れ悲しきことに非すや。如是艱難を忍受して。勇猛
0000_,09,307b30(00):精進なる御志を遂させ玉ふ。大師の御遺訓なれ
0000_,09,307b31(00):ば。仰で信じ俯て信じて。一向稱名せずんばある
0000_,09,307b32(00):べからず。
0000_,09,307b33(00):さて此書は。唯南無阿彌陀佛と申して。往生するに
0000_,09,307b34(00):相違なしと。二尊を證にして誓言を立てて。我人の
0000_,09,308a01(00):爲に殘し玉へること。上にて辨ぜし通。爾れば。御遺
0000_,09,308a02(00):誓に隨て申者悉く往生せば。大師も極樂に歸座在す
0000_,09,308a03(00):べし。若又唯申た計で。往生せぬと云はば。大師は
0000_,09,308a04(00):恐れあること乍ら墮獄し玉ふべし。されば。大師の
0000_,09,308a05(00):御臨終の次第が。我等が生不の鏡と云ものなれば。
0000_,09,308a06(00):御往生の段を讀で。我人の往生の。大丈夫なることを
0000_,09,308a07(00):信決せしめん。
0000_,09,308a08(00):建曆二年正月二日より。大師日頃の不食の御所勞。
0000_,09,308a09(00):增氣し玉へり。すべて此三四年より此かたは。御耳も
0000_,09,308a10(00):うとく御目に物を見玉ふも。分明ならざりしに。御
0000_,09,308a11(00):往生の期近きて。二根明利なること。昔に違ひ玉はず。
0000_,09,308a12(00):見奉る人。不思議の思ひをなせり。
0000_,09,308a13(00):二日已後は。更に餘言を交へず。偏に往生のことを談
0000_,09,308a14(00):じ。高聲の御念佛絶へず。御睡眠の時にも。舌口常
0000_,09,308a15(00):に動き玉ふ。十一日の辰の時五時に大師おき居て。高
0000_,09,308a16(00):聲念佛し玉ふ。聞人皆涙を流す。御弟子方に告ての玉
0000_,09,308a17(00):はく。高聲に念佛すべし。彌陀如來の來り玉へるなり
0000_,09,308b18(00):此名號を唱れば。一人として往生せずと云ことなし
0000_,09,308b19(00):と念佛の功德をほめ玉ふこと。平生の如し。又觀音勢
0000_,09,308b20(00):至諸の大菩薩現じ在す。各拜み奉るやと。御弟子方
0000_,09,308b21(00):拜み奉らずと申せば。彌彌念佛すべしとすすめ玉ふ。
0000_,09,308b22(00):同日十一日巳の時四時に。御弟子方。三尺の彌陀の像を迎
0000_,09,308b23(00):へ奉て。御病床の右にすえ奉りて。此佛拜み在すや
0000_,09,308b24(00):と申されければ。大師指にて空をさして。此佛の外
0000_,09,308b25(00):に又佛在す拜むや否と仰られて。さて語り玉ふは。
0000_,09,308b26(00):凡そ此十餘年より已來。念佛功積りて。極樂の莊嚴。
0000_,09,308b27(00):及び佛菩薩の眞身を。拜み奉ること常のことなり。爾
0000_,09,308b28(00):れども年頃は秘して云はず。今最後にのぞめり。故
0000_,09,308b29(00):につつまず語るとの玉ふ。
0000_,09,308b30(00):大師御發得の後も。秘して語り玉はざること。又御臨
0000_,09,308b31(00):末に語り給ふこと。佛説及び導師の誡文に。依順し玉
0000_,09,308b32(00):ふなり。好相感見の義ありても。包まず語れば。聞
0000_,09,308b33(00):く人は毀謗をなし。又魔事竸ひ發る等とは。楞嚴經
0000_,09,308b34(00):般若經等の説なり。又臨終のときに語るは。他の信
0000_,09,309a01(00):をすすむる爲なり。依て觀念法門に。欲命終時。
0000_,09,309a02(00):病人若見前境聖衆來迎即向看病人説とあり。大師の
0000_,09,309a03(00):平生に秘し。臨終に語らせ玉ふこと。佛敎祖釋を。守
0000_,09,309a04(00):り玉ふことを見つべし。大師の御行儀は。我人の龜鏡
0000_,09,309a05(00):なれば能能心得置くべきことなり。
0000_,09,309a06(00):廿日巳の時四時に。御庵室の上に紫雲そびく。其中に
0000_,09,309a07(00):圓形の雲あり。其色五色にして。圖繪の佛の圓光の
0000_,09,309a08(00):如し。路次往返の人。處處にして是を見る。御弟子
0000_,09,309a09(00):方此上に紫雲たなびく。御往生の近づき給へるかと。
0000_,09,309a10(00):申上られければ。大師の仰に。あはれなる哉や。我
0000_,09,309a11(00):往生は一切衆生の爲なり。念佛の信を取しめんが爲
0000_,09,309a12(00):に。瑞相現ずるなりと。
0000_,09,309a13(00):此大師の。我往生は一切衆生の爲と。仰られたる御
0000_,09,309a14(00):詞。誠に骨髓に徹して。難有貴きことなり。大師の
0000_,09,309a15(00):御臨末に。斯數數瑞相の現ずることは。何故ぞと云
0000_,09,309a16(00):に。御開創の淨土の法門。彌陀如來の本願に契ひ。
0000_,09,309a17(00):釋尊の所説に契ひ。六方恒沙の諸佛の。御本意に契
0000_,09,309b18(00):ふ。故に斯る瑞相の現じたるなり。此瑞相が。則大
0000_,09,309b19(00):師の敎へに隨ひ奉る。行者の往生ゆるぎなひと云。
0000_,09,309b20(00):證據になる故。念佛の信を取しめんが爲に。瑞相現
0000_,09,309b21(00):ずる。との玉へるなり。
0000_,09,309b22(00):又同き日の廿日未の刻八時に至りて。大師空を見あげて。
0000_,09,309b23(00):目しばらくもまじろぎ給はざること。五六反計。看病
0000_,09,309b24(00):の人人あやしみて。佛の來り玉へるかと。尋ね申せ
0000_,09,309b25(00):ば爾なりと。答へ給ふ。
0000_,09,309b26(00):又廿四日の午の時九時に。紫雲大にたなびく。西山の
0000_,09,309b27(00):水の尾の愛宕山の西南にあたる梺峯に。炭燒く輩十餘人是を見て
0000_,09,309b28(00):告來る。又廣隆寺太秦より下向しける禪尼も。途中に
0000_,09,309b29(00):して是を見て。たづね來りて。此由を申す。見聞の
0000_,09,309b30(00):諸人。隨喜せずと云ことなし
0000_,09,309b31(00):廿三日よりは。源智上人の願に依て。正しく御遺誓を記し。與へ玉へる日なり。大師の御
0000_,09,309b32(00):念佛。或は半時。或は一時。高聲念佛不退なり。
0000_,09,309b33(00):廿四日の酉の刻六時より。廿五日の巳の時四時に至る迄
0000_,09,309b34(00):は。高聲の念佛無間なり。御弟子五六人。かはるかはる
0000_,09,310a01(00):助音せらるるに。助音は窮屈すれども。老邁病腦の
0000_,09,310a02(00):御身少しも怠り玉はず。未曾有のことなり。群集の
0000_,09,310a03(00):道俗感涙を催さざるはなかりしと。
0000_,09,310a04(00):大師の德を慕ひ。道俗群集すと云へども。御病床
0000_,09,310a05(00):へは近付ケ玉はず。御看病御助音申すは。僅に五
0000_,09,310a06(00):三人の御弟子計。人多ければさはがしく。臨終の
0000_,09,310a07(00):儀式に違ふ故なり。
0000_,09,310a08(00):廿五日の午の刻九時よりは念佛の御聲。漸くかすかに
0000_,09,310a09(00):して。高聲は時時交はる。正しく御命終にのぞみ玉
0000_,09,310a10(00):ふ時。慈覺大師の。九條の袈裟をかけ。頭北面西に
0000_,09,310a11(00):して。光明遍照十方世界。念佛衆生攝取不捨。の文を
0000_,09,310a12(00):となへ。眠るが如クして息絶給ひぬ。音聲とどまりて
0000_,09,310a13(00):後。猶唇舌を動し給ふ事。十餘反計なり。面色殊にあ
0000_,09,310a14(00):ざやかに。形容えみ玉ふが如し。建曆二年正月廿五日
0000_,09,310a15(00):午の正中なり。春秋八十に滿給ひ。釋尊御入滅に同
0000_,09,310a16(00):じ。御壽算のひとしきのみに非ず。支干ともに壬申
0000_,09,310a17(00):なり。豈奇特に非や。慧燈已にきえ佛日亦沒しぬ。貴
0000_,09,310b18(00):賤の哀傷する事。考妣を喪するがごとし。
0000_,09,310b19(00):慧燈佛日。大師を佛にひとしめて。讃ずるの義な
0000_,09,310b20(00):り。
0000_,09,310b21(00):元祖大師の御入滅。建曆二年より。今ははや六百有餘
0000_,09,310b22(00):の星霜を經たり。此ことを思ふに。悲喜交くなり。其嘆
0000_,09,310b23(00):きとは。我等大師の御在世に生れ逢ひ。御敎訓をも
0000_,09,310b24(00):受。一向專修の行者となりたらば。早頓に極樂に往
0000_,09,310b25(00):生し。地上高位の菩薩となつて。無爲の快樂を受べき
0000_,09,310b26(00):に。御在世の其昔は。三界六道の内。いかなる生を受
0000_,09,310b27(00):けて居てか。御敎訓をもうけ奉らざりし故。現に今四
0000_,09,310b28(00):苦八苦の人界にありて。衆苦の波浪にひたされて苦
0000_,09,310b29(00):む。實に嘆かはしき窮りなり。又喜びとは。御在世に
0000_,09,310b30(00):逢ひ奉らざりしは。悲みなりといへども。御遺法流布
0000_,09,310b31(00):の世に生れあひて。御敎示の旨を守り。一向專修の行
0000_,09,310b32(00):者となれば。娑婆の報命盡次第。直に往生遂る身の
0000_,09,310b33(00):上となりしは。實に曠劫の大慶。是に過たる喜びは
0000_,09,310b34(00):なきなり。爾れば。從來辨ぜし通。大師の御生涯の
0000_,09,311a01(00):御敎示は。つづめつづめて。御遺訓の一枚起請文の通
0000_,09,311a02(00):りなれば。此御敎示に違ふことは。誰がどのやうに云
0000_,09,311a03(00):はうとも。一向に聞入れず。唯往生極樂の爲に。南
0000_,09,311a04(00):無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と。念佛一行相續あるべし。さすれ
0000_,09,311a05(00):ば。大師の御敎示の徹底に隨ふ。行者と云ふものなれ
0000_,09,311a06(00):ば。既に上に云如く。大師の御臨末に。顯はれし祥瑞
0000_,09,311a07(00):が。取も直さず。我人の決定往生。ゆるぎなき證據
0000_,09,311a08(00):なれば。返す返すも。御遺誓の旨を守り。安心は。
0000_,09,311a09(00):唯往生極樂の爲と。一筋に思ひを定め。起行は。唯南
0000_,09,311a10(00):無阿彌陀佛南無阿彌陀佛と。稱名一行相續して。
0000_,09,311a11(00):近つく御來迎を待受けて。大往生を遂らるべきな
0000_,09,311a12(00):り。
0000_,09,311a13(00):
0000_,09,311a14(00):
0000_,09,311a15(00):
0000_,09,311a16(00):
0000_,09,311a17(00):一枚起請講説卷下終
0000_,09,311b18(00):跋
0000_,09,311b19(00):
0000_,09,311b20(00):凡佛子之爲任在續佛慧命而説法度生焉然非
0000_,09,311b21(00):就明師得自證則不能也聖道諸宗姑置不論焉我
0000_,09,311b22(00):淨土一門兩尊出世本懷四輩入眞要路言近而旨遠行易
0000_,09,311b23(00):而功高實潤澆末枯槁之甘露醫濁世膏盲之良劑也
0000_,09,311b24(00):是以馬鳴示之於起信龍樹顯之於十住自爾以降
0000_,09,311b25(00):歷代諸祖連綿傳持焉粤我 吉水弘覺大師學識卓群
0000_,09,311b26(00):德行出類夙登叡嶽而研明台敎晩隱吉水而勤
0000_,09,311b27(00):修淨業厥行化之盛載在勅傳而詳也然而鶴林之盟
0000_,09,311b28(00):辭揭秘要於一句禦邪構於萬世於是乎緇素靡然
0000_,09,311b29(00):向風遠近洋然挹流者葢六百有餘年日東淨敎之繁
0000_,09,311b30(00):興實賴 大師之成功也雖然事盛而衰物盈而虧亦
0000_,09,311b31(00):必然之理也今時竊視世之穪淨業者流而説法度
0000_,09,311b32(00):生者茫乎不辨聖淨難易不知自他廢立或同
0000_,09,311b33(00):轍不生異流或混言一念邪義嗚呼悲夫雖澆季流弊
0000_,09,311b34(00):之所使然揭厲於法流之土未甞爲之不痛惜也
0000_,09,312a01(00):長之萩藩敎安寺單譽和尚榮周院相譽和尚梅岸寺千譽
0000_,09,312a02(00):和尚者慨嘆之餘屢就吾師父還源老人請救宗敎之
0000_,09,312a03(00):弊以援正路焉師父辭而不應三公孜孜請宛如
0000_,09,312a04(00):渇思冷泉如飢思美食如病思良藥願聞甘露
0000_,09,312a05(00):法而不止余時陪師父座下三公又令余求請余不
0000_,09,312a06(00):堪感歎乃與師兄法道及門下二三子相謀以聞三
0000_,09,312a07(00):公求法懇切之意於師父師父云是學林法將之職
0000_,09,312a08(00):非我所能雖然不忍坐見此弊而慨嘆者既久
0000_,09,312a09(00):矣今也二三子請之二三子者我門資也敎諭之我
0000_,09,312a10(00):任也遂取 宗祖法語三章審詳俚解更附大意一卷
0000_,09,312a11(00):以授二三子曰是此一小册子固雖不足以矯廻今
0000_,09,312a12(00):日之弊風庶幾初學之士説法度生不墮于自損損
0000_,09,312a13(00):他之邪路我一片之老婆心而已余與二三子拜受而
0000_,09,312a14(00):讀之佛説之淵源祖訓之蘊底至矣盡矣譬如明鏡照
0000_,09,312a15(00):人面像無不明了講説之明鏡亦復如是噫三公之
0000_,09,312a16(00):求請也實可感賞也所謂洪鐘雖響必待扣而方鳴
0000_,09,312a17(00):大聖垂慈必待請而當説玉者其斯之謂歟實天保
0000_,09,312b18(00):八年丁酉三月也於是二三子相議將以梓之師兄自
0000_,09,312b19(00):割衣資同志之人亦助之蓋其意欲令後世有
0000_,09,312b20(00):以概見弘法化道之心諄諄也余則自繕寫而既授剞
0000_,09,312b21(00):劂至今玆季夏之初刻全成故錄其顚末於卷尾云
0000_,09,312b22(00):時天保十年六月望後
0000_,09,312b23(00):越之中州富城守山極樂寺沙門法嚴的門謹識
0000_,09,312b24(00):於平安佛性山眞如海院塔頭三玄院寓居